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小林武君 私は、この統計を見て、
文部省あたりでもひとつ大いに考えてもらいたいと思うんですが、先ほ
ども御説明があったように、経営者、管理職、専門職というようなのは、四〇%前後の者が充実感を持っていると、こう言っている。これは役所においてだってそうだと思うんですね。役所においてだって大体、自分の行き場所というのは大体見当がつく。こういうことを言うと失礼に当たるかもしらぬけれ
ども、そういうことがあったらお許しい
ただきたいのだけれ
ども、これはもう先が見えているということになると、これはやはりいろんなことがあります。能率が上がらなくなったり、あるいはときにはやっぱり思わざるようなことも起こったりするというようなことになる。私は経営者、管理者、専門職というような者が充実感があるというのは、これはやっぱりこの
数字は大事にしなければいかぬと思うんですよ。私は
教員の社会というのは、
教員は何なのか、専門職だと、こういうことをこのごろは盛んに言います。専門職だと言いますけれ
ども、私は、専門職と言うのにはちょっとやっぱりまだ問題があるような、それは全体として、そういう環境に置かれておらない、むしろ少数の管理職のもとにある
程度統制しようという勢いのほうが、大学にまで入ってきているんです、いまのところは。そういうことをいまさかのぼって議論するつもりはありませんけれ
ども、私は
教育の
世界において、私は専門職であると彼らに言うのには、うんと勉強してもらわなければならぬと思います。われわれは専門職じゃなかったんです、私なんかの
教員は。私なんかは職人だったんです。職人じゃだめだということを痛切に感じておる。職人じゃいかぬと、専門職だと、少なくとも、
子供あるいはもっと大きくなったら青年、そういう者を
教育するという者は、それについての
ほんとうに専門職に値するだけの勉強をしなければならぬ。その専門職になった者が、私はやたらに拘束されるということになったら専門職の値がない。軍隊のような
一つの規律のもとに上の命令を下の者が従わなければならぬというような
やり方ではだめだ。私は大正デモクラシーの中に出てきたいわゆる学級王国なんというのは
一つのやっぱり救いだったと思うんです。
校長さんが何と言おうと、この学級の中の王国といったらちょっと大げさだけれ
ども、「この学級の
子供はおれが責任を持ってやる」という考え方、このおれが責任を持ってやるということはとうといことだと思うんですよ。私はある石炭の山へ行ったら、石炭の山にへたな字だけれ
ども、おそろしい大きな字でもって、「ここの山はおれが掘る」と書いてある字があった。あとで重役か何かになった人でね、いわゆるえらく張り切っていて書いたらしい。なかなか労働者の間にも評判の男だったらしいがね。この山は
——この山というのは、山はちゃんと固有名詞を使っているんだけ
どもね、これはおれが掘ると書いてある。これはいわゆる炭鉱のはなやかな時代の、いわゆる生産のどんどんあれして、これから幾らでも金がもうかる時期のあれだったが、その意気で、そのときのやっぱり指導者の意識というのをよく出している。私も
教員というものは、
教育に当たったならば、
一つの学級を与えられたら、このことに対しては、おれがとにかく責任を持つという、そういう体制できなかったら
ほんとうの
教育はできない。何と
教育委員会さんは言うのかというような、こんなことじゃだめなんです。しかし、何でも自分の思うとおりになるなんと思うのも、これはあれですよ。フランスの学級では、何でもとにかく
学校の
先生は、
学校の中にいるうちは、おれのあれだと、そのかわり
学校の中にやたらに入ってくるなと言って
——これは大使館の人の話ですが、フランスじゅうが全部どうか知らぬ。パリのある
学校だ。あそこの戸口で待っているでしょう。あれは親ですよ。中に入れないのと言ったら、それは入れません、戸口で待つのですよ。
学校の中に入ってきて、かれこれ言わせるなんてこと親には言わせぬ、こういうのがフランスのパリの、フランス全体もそうらしいけれ
ども、そういうあれなんです。
子供を
学校にやっている大使館のしかるべき人ですから、うそを言うはずはないと思う。なるほど女の人が待っている。私はそれはちょっと行き過ぎだと思うのですよ。そんな
学校の中に
一つの門の内と外があって、親でさえも中に入り込めないなんという、そんな
やり方、それからまかせてくれもけっこうだけれ
ども、あなたたちの言うことなんか何で聞かなければならぬかと、これはおれがやるんだという、そんな考え方に立たれたら、これまた妙なことになるんで、私はそんなことはやることはない。親の
意見も聞き、親との
意見の交流もやり、とるべきものはとり、しかし専門家としての自分の自信というやつははっきり持ってないと私は生きがいなんてものは出てこないと思うのです。この生きがいのあることをやらしてもらわなければいけない。そのかわり、やれないことをやらしてもらっては困る。何ぼ小
学校の
先生だって、何からかにまでみんな科目のあるやつ全部教えなければならないという考え方は、これはできることとできないことがある。だれだってできない、そんなこと。
子供のためにも迷惑な話だ。音痴の
先生に唱歌習ったなんて、それはとんでもない話だ。色盲の
先生に絵を習ったなんて、それは何か特別なことを教えるなら別だけれ
ども、そんなことはやるべきじゃない。私は、だからやるべきことはきちんとやるという、自信を持ってやるような、そういう職場体制というものをつくらなければ、生きがいというものは、私はやっぱりその人が、どんな
立場に置かれても生きがいを感じなければなりませんなんというのは、これはだめです。その証拠に、ちゃんとこの
数字がよく出している。経営者、管理者、それから専門職なんという、そういう職業の者は生きがいを感じている。しかし、男性できわめて形式的な事務をやったり、販売をやったりする人たちになるというと、二三%くらいは充足感を持っているが、あとは気が抜けるのだね。落ちる。OLであれば一七%ぐらいだと、こういう。この
人間のやっぱり持っている
人間の心というものをつかまないで、ものごとを軍隊に似たような考え方でやろうということが、もしも文部
行政の中にあれば、これは大いにあやまちだということを私は
指摘をするのですけれ
ども、文部
大臣はどうですか。そういうことについて、生きがいを感ずるような
やり方に、あなたはとにかく大学の紛争の問題とか、
学校のいろいろな問題が起こった。このごろは爆弾をつくる
子供も出てきたと、こういうようなことを言ったときに、これは管理体制がとにかくなっておらぬから、
校長の命令一下何でも起こるような、そういうことをやれば直るというふうにはあなたはおっしゃらないけれ
ども、ちょっといままでのいろいろな
法律の出てきたのを見るというと、どうも管理体制だけに
ほんとうに重きを置かれて、
ほんとうに
学校の中に自分が責任を持ってやるというような、そういう生きがいというか、仕事に対する積極さというようなものを高めるような方策というのは案外なかったのじゃないかと思う。張り切って張り切ってどうにもならぬのは少数いると、あとのはもう何だか知らぬけれ
ども、引きずり回されているという感じがするのですけれ
ども、いや、そういうことになるようなおそれが出てきた。これはとにかく戦前の
教育にもあまりなかったし、われわれは、もっとも戦前の
教育といっても、大正から昭和にかけてのあれですから、よくその先のことまでは体験しておりませんけれ
ども、大正末期から昭和の初めごろにかけた
一つの、あの
教育界の中に起こった大きなこの運動、
教育に対する熱情のようなもの、ああいうものを私は感じてみて、それから戦時中に入って、戦時に入る途中の
教育のたどってきた道を考えますと、私はどう考えても、いまのやり口というのは若干間違っているんじゃないかという考えを持っているわけであります。文部
大臣としては、いや、自分はそういうつもりでないということなのかどうか、御
意見をちょっと伺いたい。