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1974-04-02 第72回国会 参議院 文教委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年四月二日(火曜日)    午前十時八分開会     —————————————    委員の異動  三月二十九日     辞任         補欠選任      今  春聴君     金井 元彦君      安井  謙君     中村 登美君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         世耕 政隆君     理 事                 斎藤 十朗君                 内藤誉三郎君                 片岡 勝治君                 小林  武君     委 員                 金井 元彦君                 中村 登美君                 二木 謙吾君                 星野 重次君                 鈴木美枝子君                 白木義一郎君                 加藤  進君    国務大臣        文 部 大 臣  奥野 誠亮君    政府委員        文部大臣官房長  井内慶次郎君        文部省初等中等        教育局長     岩間英太郎君        文部省大学学術        局長       木田  宏君        文部省社会教育        局長       今村 武俊君        文部省体育局長  澁谷 敬三君        文部省管理局長  安嶋  彌君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        総理府内閣総理        大臣官房参事官  宮川 知雄君        通商産業省産業        政策局総務課余        暇開発室長代理  久礼 彦治君        通商産業省生活        産業局紙業課長  村岡 茂生君        通商産業省生活        産業局文化用品        課長       矢橋 有彦君        労働省婦人少年        局婦人労働課長  赤松 良子君        日本国有鉄道貨        物局事業管理課        長        広野 恵夫君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (文教行政基本施策に関する件)     —————————————
  2. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  教育文化及び学術に関する調査中、文教行政基本施策に関する件を議題といたします。  本件について質疑のある方は順次御発言を願います。
  3. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 前回の三月二十八日に、私は、教育文化についての引き続きの中で、この物価値上げの中での児童ざら紙の問題をやりました。このざら紙の問題につきましては、はっきりしたお答えを三月二十八日にはいただきませんでしたので、きょうここでお答えをいただきたいというふうに思っております。  ざら紙につきましては、全国の中では——ちょっとお待ちしていいでしょうか、通産省の方、お見えになってないので。——それでは通産省の方がおいでになりましたので、さっそく続けさしていただきます。  先日、三月二十八日に児童ざら紙について御質問いたしましたけれども、まだはっきりした御返事をいただきませんでしたので、その続きから始めさしていただきます。  この間は、岩手県を例にいたしまして、全国ざら紙に対する指定店についてお伺いいたしました。三十九県のうち各県指定店は一社ずつでございまして、福岡県が二社ございます。それから愛媛県が二社、愛知県が七社、大阪府が五社、東京都が十一社、それが指定店になっておりまして、その通達のほうは、文部省管理局長がお出しになりました各都道府県知事あて、それから各公立私高等専門学校長にあてましたもの、各都道府県教育委員会教育長にあてたもの、この三通の文書。その一通を読ましていただきますと、「学校用更紙あっせんについて(通達)」「更紙需給対策については、かねてから通商産業省と協議してきたところでありますが、とくに入手困難な場合は下記の要領によりあっせんが行われることになりましたのでお知らせします。  なお、貴管内の各市町村教育委員会に対しても、この趣旨を徹底されるよう願います。」このようなものでございましたけれど、私が調べました岩手県の久慈小学校においては、ざら紙が一枚も入っていなかった。一人子供一カ月十枚の割り当てだという、この三つの通知の中での子供割り当てでございますが、卒業文集も出せなかったというところで、二十八日の委員会は終っておりました。それについてお願いしておきましたが、どういう結果になりましたか、子供たち全員に手渡るような方法をお考えくださいましたかどうか、御答弁願いたいと思います。
  4. 村岡茂生

    説明員村岡茂生君) 前回鈴木委員から御指摘ただきました点についてお答え申し上げます。  第一点は、一人当たり十枚という目途でございますが、この間も御説明申し上げましたように、三月五日付の通達をもちましてこれは弾力的に扱うんだ、十枚ということにこだわる必要はないということで通達をいたしてございます。  第二点の、配送その他の便に供するために卸店を、幹事卸を増加させるべきだという御意見につきましては、この点につきましても同様に御注文はこの幹事卸にしていただきますけれども配送は適宜その地に最も近いところから配送することもあるということで、過不足なく行き渡るように措置をいたしたわけでございます。
  5. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 ありがとうございました。  いままでのように各県の指定は、東京都十一社、大阪五社、愛知県七社、愛媛県二社、福岡県二社、他の県は各県一社と指定したことを、各県同じようにする。そしてふやすということもしておりますでしょうか。
  6. 村岡茂生

    説明員村岡茂生君) 複数の県が幾つかございますが、いわゆる幹事卸、この安値で販売するという意味での世話役、これは多くの県では一社ということになるかと思いますが、問題は、その配達が円滑にいかない遠隔地にあるということでございますので、配送は適宜その幹事卸指定する店からどんどん送り出すということにいたしたわけでございます。
  7. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 それから、知事教育委員長校長と、この三つ通達以外に、学校子供にじかにざら紙が配布されるようにはならないんでしょうか。
  8. 村岡茂生

    説明員村岡茂生君) 実は、子供がじかにお買いになる、あるいはその他の方が買うという場合と、その学校教育用ざら紙、そのカテゴリーを実は私ども分けて考えております。学校教育に使うものは、お安くお分けするということでございまして、したがいまして、たとえば校内の購買、販売施設というものを通じてお安く児童に直接渡るということもできるようなしかけになっております。
  9. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 手続が複雑過ぎまして、子供の手に渡るのがおそくそのために卒業にも間に合わないことが起きたんではないかと思うわけなんでございます。ですから、そういう手続を、子供が毎日使うものでございますから、簡略にできないかということなんでございます。校長さんが黙っていたらそのまま先生方にわからないという場合もございますからね。だから、ざら紙先生児童に直接渡るようにしてもらいたいと思うんです。
  10. 村岡茂生

    説明員村岡茂生君) 校長さんが黙っているというか、足りないにもかかわらず校長先生が注文しない、——こういう事態かと思いますが、必要量十分潤沢に行き渡るように、むしろ校長先生等に御配慮いただくのが筋ではなかろうかと、私ども考えておるんでございます。
  11. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 そういう点についても複雑ですし、それからざら紙が去年の一月は、一締め四百円でございましたでしょう。それがことしは「放出」したとかで、たいへん新聞では子供に全部行き渡っているように思わせましたが、去年から見ましたら安くしたといっても七百二十円でございます。倍とは言いませんが、値段がたいへん上がっているわけでございます。そうしてまた運賃——運賃幾らでございましたか、運賃五十円ですか。
  12. 村岡茂生

    説明員村岡茂生君) 運賃は実費でございますが、最高五十円以内にとどめるように要請してございます。
  13. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 やはり去年の四百円から比較しますと、子供がたいへんに使うこのざら紙が、運賃を加算いたしますと、一般国民が使用する値と同じになっちゃうわけです。大体この間の答弁では、一般は千三百円と言いましたね。値上がりしてですよ。それが子供さんの手に届くには運賃をつけますので一般と同じ値段になっちゃうんです。ですから、運賃ただにするとか、全国のことでございますから、各県指定店一社では、どんなに便利をはかりましても、運賃五十円をつけて子供に渡しますと、一般と同じ値段になりますから、ちっとも安くしたことにならなくなってしまうんです。児童ざら紙を安い値で「放出」したことにならない。それでは困るのです。去年より値上げしているのですから。
  14. 村岡茂生

    説明員村岡茂生君) 市価は現在一締め千三百円ぐらいが平均値でございますが、土地によりますと、運賃を入れましても七百七十円程度でございまして、半値とは言いませんが、それに近い数字に実はなるわけでございます。ただし、運賃ただにしたらどうだという御意見でございますが、確かにやり方はあるのではないかと考えております。たとえば、教育委員会が一括して買うというようなこと、しかも、一括して、その教育委員会指定する場所に一括して配送すればよいというようなこと、これは実は、たとえば東京都の区ではある程度の区がすでに実行しているわけでございます。そういう措置がかりに実現できますれば運賃ただにしてもよろしいというようなことも不可能ではない、かように考えます。
  15. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 それでは、ぜひそういうふうにしていただきたいと思います。私は基準で言えば、去年のざら紙締め四百円を基準にして、ことしは「放出」して便宜を与えたよと言っても、七百二十円に運賃五十円を加えるので、七百七十円という。倍にひとしい値段の上がり方をしておりますから、それでは、子供によくしてやったことにはならないんですね。そして地方ですと、どうしても出かせぎの親たちをかかえた子供さんですから、親たちの留守の間にものを書くとか、紙が必要な場合がよけいにございます。卒業を控えまして友だちと文集の交換とか、そういうものが必要なのです。ですから、ぜひ運賃ただということを約束していただきたいと思います。
  16. 村岡茂生

    説明員村岡茂生君) いろいろ根回し等がありますので、いま直ちにお約束というのは非常にむずかしい状況にございますが、ただ、御指摘のように、県単位で一括購入する場合には、運賃ただにするという方向で努力をいたしたいと存じます。
  17. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 それじゃ、すぐそのことも解決していただきたいと思います。都市にいる国民には、見えない地方のことを、政府行政を複雑にしておいて、去年よりも物価を値上げし、ちゃんと紙も上げておいて、上げてないような報道をする。新聞紙上児童のためにはざら紙放出はこれだけしたよと、通産省が発表しますと、スムーズに子供の手に渡っているんだと思い込むのでございますので、その辺は明確にしていただきたいと思います。そして運賃ただにする、これは約束していただきます。現在、七百二十円、これでも倍に上がっているんだ、恩に着せることは一つもないんだ。ですからすぐ実行していただきたいと思います。  次に、先日の続き大臣にお伺いしたいと思います。  これは、日教組ストをしたときの賃金カットの金でございますけれど、どうなっているのですかお伺いします。ちょっと調べましたら、これは、福岡県の四十二年度からのことでございます。四十二年度、四十三年度、四十四年度、四十五年度、四十六年度、四十七年度、四十八年度までの教師賃金カットが三十四億五千四百八十三万八千円ということになっております。これは、福岡教育委員会が提出した賃金カットの総括された値段でございますけれど、福岡県だけで四十二年から四十八年までの賃金カットの調べですけれども全国では相当数の金になっているんじゃないか。いま私は福岡県を調べたんでございます。こういう多額の金は、どういうふうになっているんでございますか。
  18. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 先般、先生から御質問ございましたものですから、私どものほうも、福岡県につきまして調査いたしましたが、四十二年から四十八年までに賃金カットいたしました金額は約四億八千万円でございます。なお、四十八年度について見ますと、対象人員が一万五千七百五十六名に対しまして一億六千五百五十九万三千円、一人当たり一万円ちょっとこえるわけでございますから、大体スト状況から見まして、この程度であろうというふうな推測をいたしておるわけでございます。なお、全国的に全部調べたわけでございませんけれども、私どものほうで推計をいたしてみますと、大体四十八年度の半日ストの場合には、まあ一人当たり金額が一日で三千円から四千円ぐらい、その半日分でございますから二千円程度とかりに仮定をいたしますと、二十五万人の参加でございますので、約十億になるわけでございますが、しかし、半日全部参加された方ばかりではございませんもんですから、結局七、八億というふうな推計をいたしているわけでございます。
  19. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 ただいまおっしゃったのは、賃金カットだけの値段でございますね、四億というのは。私が三十九四億というのは、処分に伴う減給額と、それから昇給延伸による不用額、それを含めまして四十二年度から四十八年度までで三十四億五千四百八十三万八千円ということになっております、これ全部含めての。
  20. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 昇給延伸その他の分につきましては、私どものほうで、正確な数字は承知をいたしておりません。そういうものを含めますと四十二年度から四十八年度まで三十五億というふうな数字をおあげになりましたが、あるいはその程度数字になるかもわかりません。
  21. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 それについてはどうしているんでございますか。いま福岡県だけで言いましても、そうでございますから、全国的に集めたらたいへんな金額になると思いますよ。それはどういうふうに扱っているんでございますか。
  22. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 福岡の場合には、かなり処分がきつかったというふうな面もあるわけでございます。そういうことで、全国的な数字を集計をいたしているわけではございませんけれども日教組あたり救援資金が五十億とか六十億とか言われておりますから、そういう範囲ではないかというふうに推測をいたしているところでございます。
  23. 小林武

    小林武君 関連局長さん、ほんとうにわからないんですか、わからないで済む問題じゃないと私は思うのですが、さっきからやり取り聞いていると、あまり私は関連好きじゃありませんが、鈴木さんが一生懸命になって質問していることをわからないということは私はないと思うのですよ。何かこれは県独自の金でとか何とかいうものというが、全然国に関係ないことであれば別でしょうけれども、わかっているはずですからね、やはりそれはあなたがいまちょっと数字をお持ちにならないということは私は認めますけれども文部省が全然、これ知っておかなければならぬ範囲に入らないということであるならば、私は承服できないのです。だからやはりはっきりしたお答えをいただきたいと思います。そうしないと進まぬのですよ。女性の方ですからね、われわれのように厚かましくなると、あの手この手いろいろなことを考えますけれども、そういうあの手この手をお考えになる方でございませんからね、きわめて純粋なお立場でこういくでしょう、それをはぐらかすと、これは質問にならないでしまうわけです。だからやっぱりあなたのような老練の方はやはりそれについては、こうだと言ってくださいよ。私はまあそれ以上のことを申し上げません。わからぬというのは、数字をいま持ち合わせないから、いますぐ調べましてなら話がわかるけれども、それはあなたいかぬですよ。
  24. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) たいへん恐縮でございますが、この前、賃金カットお話だったもんでございますから、私のほうで賃金カット金額を調べて申し上げたような次第でございます。その他の処分の分につきまして、正確に調べて答えろというふうなお話でございましたら、正確にお答えを申し上げますけれども、いまのところ、大体ただいま先生指摘のございましたような三十五億という数字がそんなに違っておらないんじゃないかということを御返事申し上げたわけでございます。手元に資料がございませんので、正確なお答えができませんのをたいへん恐縮に存じます。
  25. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 まさかそれ各県の教育委員会で貯金だけしているわけじゃないんだろうと思うのですよ。なぜ、私のような立場人間がこういうことをお伺いするかといいますと、やはり数字をはっきり文部省から答えていただき。私は、教師方たちに、首にお金で鎖がつけられているような感じがするもんですから、行政を複雑にし、児童ざら紙値上げ賃金カットではたいへん違うのだけれど、どっかにつながっているところがあるんじゃないか。金の鎖というのは、首につけた鎖なんですよ。犬がつけている鎖なんです。金でもって首に鎖がついていくんじゃないかと、こういうことを私は思うので、これはもう日本のためにもほんとうによくないんじゃないか。私は文化的な目で事をとらえていくと、これはもう二十八日の日も申し上げたんでございます。世界動きの中では、公務員スト権世界的な動きは解放する方向に向かって進んでいるのです。それは、各国の公務員労働者がかちとった権利闘争の成果を反映するものであって、最もきびしくスト禁止を行なっていたアメリカでも、すでに四州が公務員スト権を解放した。ヨーロッパ諸国、なかんずくフランス、イタリー、イギリスでも、労働関係における公務員の地位の特殊性はあるが、いまでは民間労働者と同一に取り扱われている。少なくとも、日本のように、大量の懲戒処分を反復する国は、いまは世界じゅうどこをさがしてもすでに一つもありません。世界動きになっているんですね。世界動きがこうなってきたということなのです。ですから、それはさっき言った、金の鎖が首についていて、そして、日本の国は、もうほんとうに金がなきゃ一日だって生きていかれないんですよ。そのくらい残酷な国なんですよ。それに対してやはり、そういう残酷なあり方の中に、人間を縛ることが、教師として、子供との関連の中にいいことでないということです。現に世界動きが証明している。いま世界ということばを使ったら、日本も入っているわけでございますから、その世界の中の日本も、そういう方向へ向かってやるべきなんじゃないか。私は、ざら紙の件につきましても、いまのストのこの金のことも、日本じゅう賃金カットした金を集めたら、さぞや、すごい金になっているんじゃないか。一体この金はどうなっているのだと聞いたのは、カット一人三千円、この三千円の金が、のどの首を締めていくというのは、首を切るということじゃなくて教師精神的構造を変えていく、そのことが一つのねらいになっているんじゃないか、ということは、世界動きに反するんじゃないかと思うんでございます。ドイツでも、一九六七年に改正になりまして、そのことはよくないということに方向が進んでいるわけでございます。その点について、世界動きに合わせる気持ちがあるのかどうかという御返事をしていただきたいと思います。
  26. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 先生も御案内のとおり、現在わが国では、まあ教員のみならず公務員全般につきまして、いわゆるストを行なうということは禁止をされておるわけでございます。もし、ストが行なわれました場合には、これは行政処分対象になるということでございまして、行政処分対象になりました場合にはこれは戒告以上でございますと、当然昇給延伸、それからあるいは減給あるいは停職というふうなところまで処分が行なわれると。その結果、その分だけ俸給の手取りは少なくなるということ、これはいわば当然と申しますか、そういうふうになるということはわかった上で、ストをおやりになるというふうなことでございまして、私どもは、そういうふうなストが行われないことを、まずお願いをしているわけでございます。特に、私どもも、先生のいろんな御意見は承りながら、いろんな教育条件の整備をしてまいりましたが、特に教員待遇という面につきましては、人材確保法を通していただきまして、その待遇改善について、特に配慮するというふうな面もお考えいただきまして、こういうふうなストというようなことをやっていただきたくないということを、再三申し上げておるわけでございます。もし、そういうことをやりました場合には、当然それに対するけじめというものはつけていかなければならないということでございまして、そのけじめ一つただいま申し上げましたような人事管理上のいろいろな処分ということになるわけでございます。現在の日本法律上のたてまえから申しましては当然のことでございまして、いまのところ、それを変更するというふうなことは考えられないということでございます。
  27. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 世界の中で日本だけです。——アメリカでもやはり公務員公務員です。また法律が網の目のようになっていて、公務員についてもアメリカと違う点が一ぱいあるでしょうけれど、世界の中で一番きびしかったアメリカが、公務員賃金カットストについての考え方もやり方も変わってきているのに、それを世界の中で、今だに日本だけ金を削ることをやっている。首へ鎖つけていくような方法をやめる方向へもっていかなかったら、江戸時代精神構造は同じなんですね。行政的には公務員ということばを使われても、精神をおかしていく問題が、私は江戸時代のようだと言っているのです。すべて金によって人間価値観をきめるんだったら、日本じゃ金のある人が一番価値があるということになるじゃありませんか。一体どこを基準にして人間価値があるという教育が行なわれるんですか。そういうことを私は感じるからなんです。金があるというのは、金もうけがうまいということで、いろんな文化的な立場を評算することができない、教育的な立場を金に換算することができない問題なんです。換算することができない問題の一番大事なところを加えて、教育について大臣、おっしゃってください。   〔委員長退席理事斎藤十朗君着席〕
  28. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 先生方公務員の方につきましてスト権を認めているところ、認めていないところ、いろいろだろうと思うんです。それぞれの国には国の事情がございますので、それに合ったような運営が行なわれていると、かように考えておるわけでございます。わが国の場合には、先生方処遇については、議会がきめるんだと、しかし、それだけでは先生方処遇を守るに十分でないといけないので、人事院でありますとか、人事委員会でありますとか、第三者機関を設けまして、先生方立場に立って勧告をする、その勧告を尊重して議会が所要の制度を打ち立てるという仕組みがとられているわけであります。反面、またしたがって、公務員同盟罷業権は認めないという態度がとられているわけでございます。ところが、わが国の場合には、不幸なことに一年前から来年はストライキをやるよと、こういうことをきめておられるわけでございまして、こういう国はおそらく世界じゅうさがしてもないんじゃないだろうかと思います。  同時にまた、先般私は日教組委員長槙枝氏と会いました際に、ストライキをやった、戒告処分を受けた、昇給延伸になっていく、だからそういう昇給延伸を復元してくれないだろうかというお話がございました。そこで私は、ストライキ禁止になっているんだから、将来ストライキをやらないと言い切ってくれませんか、言い切ってくれればすぐ片づきますよと、私も骨折りますよと、こう申し上げたところでございまして、しかし、槙枝委員長は、そういうことは言い切れないようでございました。私はやはり先生方でございますので、法治国家の国民を育て上げていくわけでございますので、まず先生方法律を守るという態度をとっていただけないだろうか。もちろん、この制度を改正するということについていろいろな御意見がある、これはあってけっこうだと思うのでございますが、しかしながら、かりにそういうスト権があったにしても、スト権というものは処遇の問題について、勤務条件の問題についてとことんまで話し合って、どうにもならないからやむを得ず私はストに訴えるのが本来の姿だろうと思います。一年も前から来年はストをやるんだというようなことをきめている。これはILOの結社の委員会も言うておりますように、保護に値しないものだと、私は労働基本権と何のかかわり合いもない政治運動じゃないだろうかという疑問を抱き続けてきているものでございます。しかし、いずれにいたしましても、お互い言い争っているだけじゃものごとは前進しないわけでございまして、よい方法をぜひ見出していきたい、こう考えているわけでございます。いまも申し上げますように、法律では禁止されている。それを一年前からストをやるということを決定する。これは労働基本権とかかわり合いのもうないものじゃないだろうか。しかし、秩序を乱されるとそれなりの処分をしなきゃならない。処分しますと経済的な被害も出てくる。そこで日教組としては、全教員から集めた金で救済をしておられるようでございまして、その金が相当多額な金になってまいってきておりますことは、想像にかたくないわけでございます。こういうようなことをいつまでも続けていくことは、私は国民にとって不幸なことじゃないだろうかと、こう考えておるわけでございます。まあ、将来そういう式のストはやらないんだということを言っていただきますと、問題の解決が非常に早くなるんじゃないだろうかな、こうも考えているわけでございます。お互いになおどういうような解決の方法があるものか、私としてもさがし求めていきたいという気持ちでございます。また、そういういろいろなこともございまして、給与の改善を積極的に進めるような努力をいたしましたり、あるいは教職員の定数改善につきましても、今回御検討をお願いするように提案もしているわけでございます。いろいろな各方面の手だてをさがし求めながら解決していく以外にないのかな、こんな気持ちも抱いているところでございます。
  29. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 労働者ということばにこだわっているんじゃないでしょうかね。この間の給与の五段階にしましても、この教師の問題だけで言うと、そこをたいへん強くこだわってきますけれどもね。金で階級的な、そういう差別をしているというふうに私は見るんですね。だから、いま金を持っているほうが価値があるんだという受け取り方が日本じゅうにありますよ。物価の値上げについても、そうです。そういう人間になりたくないと思うから私は言うんですよ。それを労働者ということばを使ってみたり、そういう言い方の中で出してくる法律も、金のことを言っているときはいつも階級的ですよ。金によって人間を差別していく。その差別のしかたが一つじゃないんですよ。貧乏人と金というそれだけじゃないんですね。精神構造まで変えていって、金のある人に従わざるを得ないという、そういう行政的なやりかたを感じるからなんです。だから、そういうことをたてまえにして、やっていらっしゃると思いますよ。金で文化も縛ってきている。文化的なことをやっていれば一番よくわかるんです。ですから、労働者ということばを利用するというふうに見えます。たとえば映画の仕事をやっておりましても、こんなことは一九五七年のMSA協定でもって池田・ロバートソンの協定の中でどういう約束をしているかということを、一九五七年ですから、あれから今日までの経済成長といわした中での文化の変化というものが、教育文化、宣伝によって人間を変えていく、戦争とのつなぎを断絶していくというようなことも今までやっていらしたんじゃないんですか。そして再び人間人間のそういう断絶された中で経済を今日ひっくり返しておいて、物価を値上げし、そしてあらためて違う問題を出そうとしている。それが全部金でしてきたような感じを受けるんですね。ですから、労働者というようなことばを使う前に、金で階級的に人間をこう一段、二段、三段ときめつけていく。一つの例は、児童ざら紙のところにもかかってくるんですよ。私たちは、そのことを知っているのですよ。以上のことをどう考えているのか、どういうふうに思っていらっしゃるんでしょうか、お伺いします。
  30. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 私も、鈴木さんと全く労働者という表現につきましては同意見でございます。教師が労働者だなんという考え方は持たれないで、むしろ、専門職でありますとかあるいは勤労者でありますとかいうことばならわかるんですけれども、労働者というようなことばを使わないで、ひとつ先生という仕事の使命感に徹して、情熱を傾けていただくような姿に全体がなりたいものだと、かように念願をいたしております。全くその点については同じ気持ちでおります。
  31. 小林武

    小林武君 関連。私はいまここであなたと議論するつもりはないのですけれども教師が労働者であったら教育できないなんという考え方を持つということだというと、これ重大なことだと思うのです。少なくとも、鈴木質問というのは、師は労働者でないということを強調しているんじゃないんですよ。あなたと考え方逆なんだ。だからそれを大体じょうずにごまかすような答弁やってもらうのははなはだ迷惑であり、もし鈴木委員質問についてあなたがはっきりしないということがあるならば、あなたのほうから確かめて、しかる後答弁してくださいよ。私はやっぱりそういう教師が労働者であるということはけしからぬなんというようなことをあなたが言い切ってがんばるということになれば、あらためてこれはこのことでは議論いたしますか。やっぱり考え違いして答弁されるということは、ちょっとこれは質問者に対する無礼なやり方ですよ。きょうは労働者であるという教師に対しての侮辱はまあとにかく、議論はあとに延ばすとして、質問者に対して、言ったこととまるっきり違ったことで答弁して、あなたと同じだなんと言われては、これは速記録に残ったら重大な問題だと思うのですよ、私の党の党員としてですね。このことは、やはりあなたはひとつもう少しきびしくやっぱり大臣としての立場に立っての反省をしてもらいたいです。
  32. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 労働者である、労働者でないという問題は別にいたしまして、先生方ストライキをやる、それに対しまして行政処分を行なう、その結果は経済的な問題にも波及してくる。何かイタチごっこしているようなことでございまして、その点は、先ほど申し上げましたように、何かいい打開の道がないものだろうかと、こう考えているわけでございます。また、そういう意味では、昇給延伸の復元をしてほしいという槙枝委員長の話に対しましては、私も、将来ストライキをやらないという宣言をしてくれませんかと、こんなことを申したこともあるわけでございまして、やはりお互いに問題解決の道を多角的に求めていかなければならないんじゃないのか、こう考えておるわけでございます。長い間の紛争でございますだけに、簡単に片づかないのかもしれませんけれども、早く決着をつけたいという気持ちは私たちは非常に強く持っているわけでございます。いずれにいたしましても、一年も前に翌年のストライキをきめるなんというあり方をまず改めていただかなければいけないんじゃないかな。これは労働基本権に属する性格の問題、行動とは無関係のものじゃないだろうか、こういう考え方もいたしておるわけでございます。決して好きこのんで処分をしているわけじゃございません。教育委員会処分に踏み切るにつきましては、ほんとうにいやな思いをし続けてきている。これはもう推測するにやぶさかではない、こう考えます。いずれにいたしましても、問題解決につとめるべきだという点については同じように考えているわけでございますので、将来とも、いろいろな方面から問題を解決するような糸口をさがし求めていきたい、かように考えるわけでございます。
  33. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 いろいろな方面から問題を考えていくという、そういう——謙虚な問題が非常に必要になってきたんじゃないかという、非常に重大な時期に日本が来たんじゃないかというふうに思うのです、世界動きの中から言いますと。労働者ということばを使わなきゃ、違うことばは何だということになりますね。違うことばで戦争前の教師は神聖であったというような言い方をする。戦争のあと文部省は教科書を変えていったその問題はどうなったのか。一体戦争は何であったか。戦争時代の、また、戦後の、アジアの問題さえも詳しく子供たちに教育がなされてなかったということはどうなるのか、正しいと言い切れるんですか。原爆一つ取り上げましても、原爆を知るということは、世界の原爆時代に対応するもので、原爆を落とすとか、落とさないということじゃないんですよ。原爆を利用して科学時代だということだけを言って、そして経済の問題だけをいろんな形で宣伝してきて、そして階級的な問題を現象的に反対側に持っていくというような幼稚な方法でもって封建的なところへ詰め込むということはよくないんじゃないか。これは、ちょっと飛躍するかもしれませんけれども、いま私は、紙の問題も、そういうものを含めての教師賃金カット、これも文化的な面で見ると、ずいぶん野蛮な国だと思うわけです。労働ということばをすごく利用する国だと、こういうふうに思うんです。大臣たちが行政によっておきめになるから、国ということばを使わしていただければそうなるわけなんです。そして、いま私が言います紙のこと一つにしましても、昭和四十八年から、この上質紙——出版の上質紙なんですよ。これは出版のこと、本のことでございますから、これは文化関係する問題とします。四十八年の六月から、一キロ当たり百四十円、七月が百六十円、二十円づつわからないように上げてきているんです。八月が百八十円、九月が二百円と、そして十月に紙がなくなった。この間は、児童ざら紙を言いましたけれどもやり方は同じことなんです。全部金なんですよ。そしてなしくずしに国民にわからないように二十円づつ上げているんです。そして十二月から一月の間、紙がないときに紙をストップして、「やみ値」、ないしょで買わなければならない。本を出すのにないしょで買う。やみということばを戦争中は使っておりましたけれど、戦争中と、同じですよ。そして三百円、去年の六月からいいまして百四十円から三百円ですとね、倍になっている。そういう上げ方をしているわけです。そしてしばらく紙をなくしておいて、やみで買わしておいて、そして現在は一キロ二百四十円で安定させたということばを使っているんです。そして国民にはこのやりかたで、紙がなくなったように、紙を見せなくさせましたから。この間私、言いましたように、去年の九月に百六十四億円の王子製紙は利潤があった。十月には紙がなくなっているんですからね、見えなくなったんですから。上質紙二百四十円で安定という。この「安定」という文字はここに使っちゃいけないんですよ。文字が違ってますよ、安定ということばでね、新聞も書いているようですけど、これは安定じゃありませんよ。「とうとうこれで定着して値上がりもした」と、こう言ったらどうですか。だから、全部金でそうしているんだというふうにしか見えないんです。去年からずっとこう記録していきますと。上質紙が二百四十円に安定——私はどうしても安定とは言えませんね。去年の四月の百円から比較してみますと、安定とは言えない。二・四倍の値上がりをした。こう書くのが適当な文章なんです。そしてそのあと十二月紙が消えたときに、私は飯田町の紙センター——あれは基地ということばを使っているのですか、ずいぶん物騒なことばを使っていますね。経済においては基地でしょうね。経済においては、金から見たらそれは基地でしょう。その基地のあの中を十二月ちょうど紙がないといわれた時期に見ました。東京中にいわゆる基地といわれるところは何軒あるのでしょうか。国鉄の方から返事していただきましょう。
  34. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 私ども基地ということばは使っておりませんで、あそこは飯田町紙流通センターと申しております。
  35. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 打ち合わせのときあなたは基地とおっしゃいました。新聞にも基地と出ておりました。
  36. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 私ども基地ということばを使う場合もございますけれども、それは輸送のヤードとか、操車場とか、駅とか、そういうようなものを含めて言う場合はございますが、この正しい名称は飯田町紙流通センターと申しております。
  37. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 新聞でも平気で書く、これを日常化していくというのですね。おそろしいことですよ。新聞は学生、中学生あたりも読みますから、基地ということばの効用性について、そういうことが平気で書かれていくということはおそろしいことですし、私は打ち合わせしているときに基地と聞きましたよ。それは訂正していただくように。つまり、日本中の人に影響を持つことばをちゃんと選んで、民主主義ですから選んで使うということは重要なことだと思います。  いま聞いているのは、東京の中に基地——じゃなくてもいいです。倉庫、国鉄内の倉庫ですね、何軒あるんですか。
  38. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 飯田町に紙の流通センターがございまして、あと田端に農産品を主体とする倉庫がございます。
  39. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 国鉄内は二軒でございますね。  国鉄の敷地というのは、これはどういうふうになっているのでしょうか。この紙のセンターでございますと、大手製紙にこの土地を貸すことができるのですか。
  40. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 私どもは、いままで従来の貨物輸送でございますと、駅から貨車に荷物が積まれて出てまいりまして、これを操車場というところで貨車を仕分けする線のあるところに持ってきて、そこから各方面別に分けて輸送をしているわけでございます。そういう輸送のしかたとは別に、こういうまとまったような輸送は、その操車場にかけないでこれるようなものは、直行してまとめて送るほうが国鉄としては全体的に輸送がスムーズにいきますし、国鉄のコストダウンになっていくというふうなことで、紙の輸送をまとめようというふうな趣旨で、飯田町にセンターをつくったわけです。それで、東京都内にいろいろな駅がございまして、そういうところにばらばらに紙が着いておりますと、持ってくるのが、ヤードで、操車場で仕分ける場合にまた方面が多岐にわたるというふうなことがありますので、まとめた輸送センターをつくったほうがよかろうということでセンターを設けたわけでございます。大量の紙は、そういうメーカーさんの工場から出てまいるものですから、そこからある地区を合わせまして一本で持ってきて、東京の整備した基地に、専門的な列車で集めてまいるというふうなことでつくりまして、そういたしますと、飯田町のあたりが一番需要家先に近いということであそこの基地を選び、そこで保管と、それからそこからすぐ需要家先に配達するものというふうなものを分けましてやるというふうなことで、あの輸送センターをつくったわけでございます。そういうようなことで、国鉄とメーカーさんと合わせてあそこに出資会社をつくりまして、輸送センターをつくるということで、その輸送会社に土地を貸しておるというふうなことでございます。
  41. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 国鉄は貸しているともうかるのですか。
  42. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 貨物輸送がまとまってきて輸送がふえていくというふうなことがございます。そのほかに土地を貸した料金もいただけるというふうなことになってございます。
  43. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 センターの敷地はどのくらいかわかりますでしょうか。おっしゃってください。飯田町、東京に二軒しかないのですから、その一軒を。
  44. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 土地については、約敷地で七千平米ぐらいの用地、倉庫敷がございます。そこに五階の建物をつくりまして、勾配上下から申し上げまして、一、二階が——階、一番下のほうはトラックですぐ需要家のところへ持っていくところでございます。二番目のところに列車が入ってまいります。そこまでは国鉄の財産ということになりまして、それから上の三階以上が倉庫ということになっております。
  45. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 五階建てなんです。中を見ますと、一階はさっきおっしゃったような新聞の巻き紙がございますね。紙センターができ上がったのは四十七年の十一月ということになっております。そうして株式会社の組織になっていますね。ですから、その間もうけたのはどこへ行っちゃってんですかと聞いているのですよ。そして、元国鉄にいた人がそこの役員をしていますね。この代表取締役はだれですか。
  46. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 代表取締役社長は田中文雄でございます。それからもう一人の代表取締役は村田理でございます。
  47. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 飯田町鉄道構内にある紙センターの代表取締役、田中さんは、どこの人ですか。
  48. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 王子製紙の社長でございます。それが兼務して社長をしておるというわけでございます。
  49. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 専務はどなたですか。村田さんですね。
  50. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 専務でございます。専務取締役でございます。
  51. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 元何だったのですか。どういう仕事の人ですか。
  52. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 国鉄の元監察局長をやっていた人でございます。
  53. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 それでは、元国鉄管理職の方でございますから、天下ったというわけでございますね。国鉄の管理職の人と王子製紙社長が紙センターの社長それから専務、そういうふうにして、この紙センターはでき上がっているのですね。
  54. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 会社をつくるに際しましては、紙メーカ——八社と国鉄とそれから通運業界というところでつくったものでございまして、その中で王子製紙の社長がたまたま兼務をして社長になり、村田という国鉄の出身の人が専務になったというふうなことでございます。
  55. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 そして、私が十二月に飯田町紙センターへ参りましたときには、その場所は以前、検修の場所だったと聞きました。貨車の検修の場所。貨車を検修する場所だった。貨車の検修というのは、貨車の安全のために交番検査と修繕を行なうという。交番検査は以前は三十六名いた。いまはほとんど——あそこに紙センターが建ってしまったから。そういうことは、どこでやっているんですか、飯田町の中では。
  56. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) ちょっとさだかに、その点については目下調べておりませんので明確にお答えできませんが、あそこは貨物駅がもともとありまして、あと確かに検修のところもございましたが、私の記憶といたしましては、若干検修のほうに用地を食い込んだとは思いますが、主体はあそこにもともとあった貨物駅だったと記憶しておるんでございます。なお、研修の要員がどこへ行ったかということについては、ちょっと私、まだそこまでさだかにつかんでおりません。
  57. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 やっぱり貨車を調べたり検修する場所に紙センターをつくったんですね。国鉄の方なんですから、それをよく調べてもらわないと、あとで危険ですからね。やっぱり検修して調べたりしなければなりませんから。
  58. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 貨車の検修の安全性のほうは、貨車の検修の関係のほうでよく検討をした結果、別なのところで検修の安全ということを期して、飯田町でなくてもよろしいというふうになったんではないか、これは確たる、私、確信を持って——実情わかりませんけれども、いままで確かに国鉄といたしましては、貨車の安全ということは、私どもの最大の使命でございますので、その辺については十分検討したものと考えておる次第でございます。
  59. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 そして、紙がないときに飯田町紙センターにストックされていたわけでございますけれど、一階は新聞の巻き取りがあり、さっきあなたがおっしゃったとおりトラックで運んでおりました。二階は貨車がぴったり入りまして外からは見てないようになっておりまして、あそこには、初めうわさでは紙が置かれる場所だというふうにはなっておりませんで、鉄道弘済会の商品が入るというふうなうわさが鉄道内で働いている人たちには言われていて、私もそれを聞いたんです。五階建てで、そして二階建てのところへ貨車が入るんです。そして三十分おきに二十両の貨車が入ってくるんですね。紙がないというときに、列車二十両で三十分間隔で二階建てのところへ入ってきていた、こういう状態だったんです。あなたは国鉄の方ですから、紙についてはまた行政が違うようですから通産省の人に聞かなきゃならないのですけれども、紙がないないといっているときに、列車二十両で三十分ことに入っていた。貨車は、この会社が買い取っているんですか。
  60. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 列車は買い取っているわけでございませんで、国鉄の貨物輸送として荷主から運賃をいただきまして運んでいるものでございます。
  61. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 三者が一緒になって金を出しているわけだけれども、日通、国鉄、大手七社。そして、貨車が紙だけ載せて入ってきているんですね、紙がないといわれているときに。私が飯田町紙センターに行ったのは、十二月でした。七月三十日に受け入れたのが百三十二トン、九月六日に受け入れ、貨車から入れた紙がそのままになっているわけです。ストックされた月は九月二十九日そのまま、十月二十二日そのまま、そして十一月紙がないと、こういうような状態でございました。一階が新聞巻き取り、二階が上質紙、出版その他の紙。大体、四階が十条製紙の紙でございましたね。五階が紙だけじゃないんですよ。ビニール電線もございました。日立のモートルもありました。室内用換気扇もございました。トイレット用の換気扇もございました。そして、よく見ましたら、丸紅と書いたラベルも張ってありました。五階は丸紅、日立にも場所を提供しているんですか。
  62. 広野恵夫

    説明員(広野恵夫君) 先生お話の中で、一階は新聞巻き取り紙というお話でございましたが、実はそういう仕分けではございませんで、一階は二階に着いた貨車からすぐ需要家に持ってまいるために下へおろして、そこからすぐ運ぶというふうなことでございまして、二階は列車の着くところ、三階以上が倉庫というふうになっております。それで入っている中身はもちろん紙でございます。紙が主体というふうになるセンターでございますが、会社の経営その他から考えて若干の電線、あるいは換気扇その他を扱ったということでございまして、五千トン程度のものが八月ぐらいから十二月ぐらいまでの間に入って、三千トンぐらい出たというふうに聞いておるわけでございます。
  63. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 私は、時間がもう予定が過ぎたので、また次回も続きをやらしていただくことにしまして、そしてここのところでちょっとまとめさしていただきます。  飯田町紙センター、高島平団地紙センターと東京に二軒しかない。その二軒のうちの一番大きい飯田町紙センターの中には、さっき言いましたように、七月から十一月まで紙がストックされていた。そしてストックされている間に、丸紅や日立の製品が、五階にはコードまで入っていた。そして世間には紙がないと思わせているうちに、大手製紙がストックしている分だけ、資本のあるところは紙を買い込んでいたのではないでしょうか。隠すと同時に買い込むこともできたんじゃないか。買い込んでいる間は、紙がない。紙はさっき言いましたように二十円ずつ上げられていった。これは、出版のことについて言っているんですけれどね。六月、七月、八月、九月と二十円ずつ上げておいて、紙がなくなったとき、やみ値を三百円にした。現在では二百四十円です。去年の百四十円から二百四十円に紙を上げた。だから出版の紙を買いだめのできたところは本を安く出せるわけですよ。大手出版社は安く本が出せるんですね。中小企業の出版は出せないようになっている。本の出版は、将来言論の問題も含まれていると思うのです。この次は、そういう言論についてやらしていただきましょう。
  64. 白木義一郎

    白木義一郎君 最初に、大臣の所信についてお伺いしておきたいと思いますが、大臣は所信において、冒頭、「学制百年の歴史を刻んだわが国教育は、新たな教育百年への飛躍を期して、多くの関係者により鋭意努力が重ねられております。ところで本年は、きびしい試練の年であります。」と、このように冒頭におっしゃっておりますが、この大臣が感ぜられたきびしい試練の年という意味ですね、大臣の受け取り方についてちょっとただしておきたいと存じます。
  65. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 昨年の石油危機が契機ではなかったかと、こう思うわけでございますけれども、相当な経済混乱が起きてまいったわけでございます。その間に消費者側といたしましては、メーカーが売り惜しみをする、そして物価のつり上げをやっていると、きびしい批判が浴びせられておりました。当時また、メーカーとしては、消費者が買いあさりをやっていると、買い占めをやられたんじゃ、ちょっとやそっと増産しても追っつけない、こういうように責任を消費者に向ける言動がかなり行なわれました。また半面、物価が高騰してきている、そこに根本原因があるんだと、やはり政治の責任だと、政治を正さなければ解決ができないんだというような議論もあったりしまして、相互に責任を転稼し合うというような、国民の中におけるそういった混乱さえも見かけられたような感じがするわけでございます。そうなってまいりますと、過去三十年近い間の教育の姿、それなりに十分成果を発揮して、それをそのとおり続けていっていいものだろうかどうか、こう考えますと、過去三十年はどちらかといいますと、戦前の教育の反省の上に立って行なわれてきたと思うわけでございます。その結果、超国家主義の教育をためなきやならない、やはり個人が大切だと、個人の充実に力を入れなければならないと、それはそのとおりであったわけでございますけれども、どちらかといいますと、利己主義的な考え方が先に立っているんじゃないだろうかなという気持ちもわいてくるわけでございます。そういうような意味をいろいろ考えてまいりますと、やはりこの際、もう一ぺん戦後三十年のあり方を振り返ってみて、これからよりよい方向をもう一ぺん求め直していくというような努力が重ねられる必要があると、こう考えるわけでございます。そういう意味におきまして、国民みんながひとつ考え合っていくべきじゃないだろうか。そうして資源の問題でいいますと、やはり有限の資源を適正にこれを使っていかなきゃならないというようなこともございましょうし、また、自分の生活もさることながら、社会全体を潤いのあるように、潤いのある姿をもたらすように努力していかなきゃならないというようなことも考えられますし、そういう意味でいろいろみんなで研究し合い努力し合う試練の年だと、こういう気持ちで書かせていただいたわけでございます。
  66. 白木義一郎

    白木義一郎君 その「きびしい試練の年であります。」という次に、「資源に恵まれないわが国が、今日の試練を乗り越えて、限りない未来にわたって発展を続け、真に健康にして文化的な生活を営むような国家社会を築き、世界の繁栄と平和に貢献していくためには、心豊かで創造力に富み、かつ、国際人としてだれからも尊敬され、信頼されるたくましい日本人の育成をはかることが何よりも大切であると確信いたします。」、まあ、このとおりだと思いますけれども、ここのところは、むしろ私としては、教育対象とした子供あるいは児童よりも、いまのおとなのほうがこれが必要じゃないか、こんな感じを持ちますが、続いて、「自己の利益のみを追求することなく、将来の日本をになう気概を持つ人づくりの重大さをあらためて痛感し、新たな決意をもって、秩序ある教育環境を整え、教育学術文化の刷新、充実のために積極的な施策の推進につとめてまいります。」と、まことにけっこうなことであります。  そこで、この「秩序ある教育環境」が整っているかどうか、これについて、いまちょうど四月という入学、進学の時期であります。で、各家庭の子供を持つ親御さんたちは、教育というものに対して特に関心を持つ時期であります。ところが、教育という、親にとって、また、子供にとっても大事な時期につけ込んで、値上げブームに便乗するかのように、教育関係の特に文具用品、学用品ですね、文具類、教育機器がものすごい値上がりを見せているということが明らかになってまいりました。これは大臣が所信でおっしゃっている秩序ある教育環境を整えるという決意に相反する現状であり、これは現下の重大な問題であると思いますが、この点について大臣はどのようにとらえられているのかお伺いしておきます。
  67. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) お話しのように、教具、教材等の問題につきましても、秩序ある供給が行なわれるようにしなければならないことは当然のことだと思います。そういうことから、昨年の十二月の十九日に、文部省の中に教育資材班というのを設けさせていただきまして、地方の建築の状況、あるいは文房具の状況というようなものを的確にまず把握につとめる、そして、それぞれの所管の官庁に協力を求めるというようなことで今日まで来させていただいたわけでございます。都道府県教育委員会や国立大学等に調査を依頼いたしまして、その実態の把握につとめますと同時に、問題に応じまして通産省、建設省等に協力を求めるということでやってまいったわけでございます。先ほど鈴木委員からざら紙お話がございましたけれども、そういう措置も、その中における一つの産物だと御理解いただきたいわけでございます。十分ではございませんけれども一何がしかのお役には立ってきてるんじゃなかろうかと、こう考えているところでございます。
  68. 白木義一郎

    白木義一郎君 文部省は、このいま問題になっている学用品の値上げについて、ことしの二月の十六日に調査を行なったといわれておりますが、その調査の結果について御報告を願いたいと思います。
  69. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 文部省は、都道府県教育委員会に依頼をいたしまして、主要な学用品の価格の動向の調査をいたしておるわけでございます。ただいま二月というお話がございましたが、二月における文部省調査の結果を申し上げますと、ややこまかくなりますけれども、B5判のノートブックでございますと七十五円、それからA5判のノート、これはいわゆる学習帳でございますが、これが六十八円、鉛筆HB一ダースが二百四十円、クレヨンの細巻きが百八十円、クレパスの細巻きが百八十七円、絵具が三百七十九円、運動ぐつが六百四十円、まあそうしたような値段を把握をいたしております。
  70. 白木義一郎

    白木義一郎君 文部省は、そのいま調査の結果を報告をされましたけれども、それについてどのように分析をされ、また、どのように今後対処していくかということについてお伺いしたいと思います。
  71. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 物の価格は、これは非常に構成が複雑なわけでございますが、そうした点につきましては、こうした物資を直接所管しておられます通産省当局にこの価格の分析と申しますか、分析の結果、適正であるかどうかといったような検討をお願いをいたしまして、価格のあり方、あるいは物の需給の面につきましては、通産当局にこれに対する措置をお願いをしておるということでございます。文部省は、こうした価格の動向を教育現場からも吸い上げまして、これを通産当局にお知らせをしまして、その物資の十分な供給、あるいは低廉な価格における供給をお願いをするという立場でございます。文部省自身におきまして、こうした物資の、何と申しますか、原価計算ということばがあたるかどうかわかりませんが、そうした分析をし、それが適当であるかどうかといったような判定は、私どものまあ組織、権限等から申しましても問題があるわけでございますので、いたしていないということが実情でございます。
  72. 白木義一郎

    白木義一郎君 それでは通産省にお尋ねしますが、通産省は、現在この学用品の価格については、文部省との連携において当然掌握をし、その状態をつかんでおられると思いますので、御説明を願いたいと思います。
  73. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) 大筋におきまして、ただいま文部省から御説明のございましたとおりでございます。ややこまかくなって恐縮でございますが、ノートB5判、三十枚につきましては、平均的に見まして一冊七十五円ないし八十円、それから学習帳A5判、三十枚、これは六十五円ないし七十円、それから鉛筆の標準もの、HBでございますが、これが一ダース当たり二百四十円、それからクレヨンの十二色の細巻きがおおむね二百円、それからクレパスの十二色の細巻きがおおむね百七十円、それから運動ぐつのうち、ビニール前ゴムぐっといわれます児童用の運動ぐつにつきましてはおおむね五百十円、消しゴムの標準品が一個三十円、大体おも立ったものを申し上げますと以上のとおりでございますが、ただし、店によりまして若干の上下がございます。そして多くはむしろただいま私が申し上げました価格より値引きをしておる店もございますし、さらに、私ども値段が上がります以前の安い時期に仕入れましたいわゆる旧価格品については、値上がり後といえどもなお旧価格で売り続けていただきたいという旨の指導を行なっております関係上、中にはいわゆる定価が改定されましても、なお、安く売り続けておる店もかなりあるようでございまして、実勢はただいま申し上げました水準を下回ってるものもかなりあるようでございます。
  74. 白木義一郎

    白木義一郎君 いまの各品目の示していただいた値段は、これ通産省行政指導による標準価格ですか。
  75. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) ただいま申し上げました品目のうち、ノートと学習帳、クレヨン、クレパス、運動ぐつにつきましては、実は一月以降、ただいま申し上げました価格よりもさらに高い価格になったわけでございまして、それを品目によって若干異りますけれども、標準品につきましては、一割ないし三割の引き下げを強力に指導いたしまして、その結果、下がった後の価格水準でございます。   〔理事斎藤十朗君退席、委員長着席〕
  76. 白木義一郎

    白木義一郎君 そこで、私のほうで実際のこの小売り価格を調べたところが、いまのあなたのおっしゃったような値段ではどこでも手に入らない。たとえばB5のノートは現在九十円、また半紙は一じょう四十円というお話ですけれども、買おうとすれば六十円でなければ買えないと、まあこういう実情でございます。  そこで、いま、若干安い品物もあると、こういうお話がありましたけれども、それはどんな品目でしょう。
  77. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) たとえばクレヨンの十二色細巻きにつきまして先ほど二百円と申し上げたわけでございます。また、クレパスにつきまして同じく百七十円と申し上げたわけでございますが、これをそれぞれ百五十円とか、百二十円で売っている場合もかなりあるようでございます。そして、そのことは、文部省が各力学を使って詳細に調査されました結果の中にもそのことがはっきりと出ております。それから運動ぐつにつきましても、これは運動ぐつは非常に品種が多うございまして、なかなか判定がむずかしゅうございます。標準品であるかどうかという判定がむずかしいものでございますが、五百十円というものが四百円台で売られている場合もかなりあるようでございます。これは一例として申し上げるわけでございます。
  78. 白木義一郎

    白木義一郎君 そこで、いま通産省のほうで掌握しているこの値段の価格の行政指導というか、そのきめ方ですね、標準価格というのか、そのきめ方の根拠を伺っておきたいと思います。
  79. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) 学用品につきましては、昨年の末から今年の初めにかけましてほとんどの品目、相当の大幅な上昇を見たわけでございます。他方、四月の新学期が迫っておりましたので、放置いたしますと、これが高値が定着することが憂慮されたわけでございます。そこで、私どもといたしましては、一応のコスト推計に基づきまして、応急措置といたしまして、全品目は無理といたしましても、かりに標準品にしぼるならば、値下げが可能であるとおぼしきぎりぎり最大限の線を当省から打ち出しまして、各品目の主要会社に強力に指導した結果、先ほど申し上げましたように、品目によって若干異なりますが、一割ないし三割の引き下げが実現をしたというわけでございます。
  80. 白木義一郎

    白木義一郎君 その基準になる各品目の原価をどのように掌握されてるのですか。
  81. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) 学用品あるいは文房具類につきましては、御承知のとおりきわめて品目が多うございます。そこで、正直申しまして一〇〇%完全な原価掌握ということは事実上不可能でございます。そこで、私どもといたしましてはいろいろの統計を利用いたしますとともに、業界のヒヤリングに基づく知識も加えましてコスト推計をしたわけでございます。その結果、一番大きく響いておりますのがやはり原料価格の高騰でございます。たとえば塗料、顔料、これは二倍半から三倍ぐらいに値上がりをしております。たとえば塗料は鉛筆にも使いますし、その他にも使います。顔料はクレヨン、クレパス、絵具に使うものでございます。そのほか合成樹脂、包装資材、接着剤、こういったものが二倍前後に値上がりをしております。それから薄板が六割ぐらい上がっております。それからあと木材とか黒鉛といったものにつきましては三割ないし四割の値上がりをしております。一口に申しますならば、学用品は、最近の石油ショックの影響を受けて最も値上がりの著しかったものを不幸にもほとんど原料にしておるというのが実態でございまして、今度の石油ショックの影響をコスト的に最も大きく受けたわけでございます。加えて、これらが大企業の手によって生産されておりますならば、若干のコスト上昇要因がございましても企業努力により吸収するということも可能な場合も多いかと考えるわけでございますけれども、文房具業界は、ほとんどの品目について中小零細企業によって生産されてるわけでございます。加えて、流通段階を見ますと、正式の統計にはっきりとあらわれておりますだけで文房具の小売り業者は六万五千店ございますが、当然統計には暗数がございますので、おそらくは十万をこえる企業かと考えておるわけでございます。そして、そのほとんどがいわゆる個人経営でございまして、流通上のコストダウンということも実際問題としてなかなか困難な業況にあるわけでございます。まあ、こういったことから原料の値上がりをうまく吸収できないで、その大半を小売り価格の上昇にはね返らさざるを得ないという困難な業況があるということも、私どもとしては、調査を進めるにつれてだんだんとはっきりわかってきたような次第でございます。
  82. 白木義一郎

    白木義一郎君 そうすると、紙なんかはあなたのおっしゃるように零細企業でできてくるんですか。文房具に必要なノートあるいは原稿用紙等は、まあこれも異常な値上がりをしてるわけですけれども、その原料がどのくらい上がったか。
  83. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) ただいま私が多くは中小零細企業であると申し上げましたのは、文房具類のメーカーの、あるいは文房具類の流通業界のことを申し上げたわけでございまして、文房具の原料となります紙とか石油化学製品その他は必ずしもそうでございませんで、先生ただいま御指摘のようにある程度の部分は大企業の手によって生産をされているものも多うございます。
  84. 白木義一郎

    白木義一郎君 そこで大臣、最初に申し上げた所信の「秩序ある教育環境を整え」という大臣の決意と、現在の、いま報告がありました通産省からの、実情はこうなんだと、みんな石油のショックで原料が値上がりしたからやむを得ないんだと、こういうようなことであれば、秩序ある教育環境を整えるなんということは文部大臣が言う必要ないわけです。これをどうするかというのがまあ文部大臣の責任じゃないかと思うんです。その点ちょっと伺いたいと思います。
  85. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 秩序ある教育環境を整える一つの問題点だろうと、かように考えるわけでございます。昨年の石油危機以来、先取り値上げなどもかなり行なわれてきておりますし、まだ不安定要素も若干あるわけでございます。電力の料金をどうするか、また、国外的な影響もなお日本としては受けざるを得ない問題が若干残っているようでございます。私たちといたしましては、早く不安定な要素もなぐなり、そして公正な競争のもとにおいて価格が安定をする、そういう大きな経済問題をかかえておるわけでございまして、私どもとしては、少しでも早くそういう時代が来ますように願っていかなきゃならない。一文教行政だけの問題ではございませんで、国民生活全体の上からも早く安定した事態が来るように努力していかなきゃならないと、かように願っているところでございます。
  86. 白木義一郎

    白木義一郎君 そういうように大きな問題に広げてしまうと、文部大臣立場というのがぼやけてきますんです。教育環境ということについて、大臣として、こういう方向に進めたいとか、具体的な考えはこうなんだということをお聞きしたいわけですけれども、あたかも総理大臣みたいなお話になってしまったのですが。  そこで、前へ戻るようですが、通産省のほうで一つ一ついま報告をしていただいたわけですけれども、ノートが七十五円から、八十円、私たちの調べたほうでは、これはもう九十円の価格がはっきりと明示されているわけです。それから学習帳が六十五円から七十円、これはまあ七十円で売っていたわけですが、半紙が四十円というのが買おうとすれば六十円、それからざら紙が千八百円でないと千枚買えないと。それからクレヨンはいま二百円より安いところがあると言われましたけれども、これは二百三十円、クレパスが百七十円というのが二百円、それから消しゴムは三十円が四十円。そういうように、現状は非常に、この入学時にあたって、子供たちも新しい意欲に燃えて新学年に進んでいく、また、父兄もそれを大いに期待しているという時期に、異常な教育環境の中でこういう文房具が、世間の一般の物資と同じようにあるいはむしろそれ以上に高くなっているという現状を大臣はよく知っていただきたい。そうすれば、手の打ちようも出てくるんじゃないか。そうでないと、大きな全体のワクとして、こうあらねばならないというようなことにならざるを得ないと思うのです。  そこで、三月に行なったデパートあるいはスーパーに対する凍結価格について伺っておきたいと思いますが、具体的にその作業をどういう状態で行なったか、それを実情を御説明願いたいと思います。
  87. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) 今年の三月十六日でございますが、石油製品の価格が大幅に改定をされたわけでございます。そして、そのまま放置いたしますと、それがたとえば先ほど来私から申し上げましたようないろいろな中間原材料の値上げに反映され、かつまた、それが最終消費材の値上げに反映されるということを非常に憂慮したわけでございます。そこで、いわばとりあえずの応急措置といたしまして、百貨店及びスーパーに対しまして、おおむね三月十五日現在の売価に少なくとも当分の間、安定をして三月十五日の価格を上げないで売り続けてほしいという旨を、大臣から各百貨店及びスーパーマーケットに依頼をしたわけでございます。そしてその際、たとえばこういう商品が考えられるということで、日用品のリストを添付いたしまして、その参考表を参酌しつつ百貨店及びスーパーにおいて可能な限り幅広く具体的な品目を選定をして指導に従ってもらうように依頼をしたわけでございます。そして現在までに、各百貨店並びにスーパーにおいて、具体的にそれぞれの店舗においてどういう商品をその店の凍結商品の対象にするかという作業をほぼ終わりまして、現在、通産省に提出をしつつある段階でございまして、順次これを取りまとめているのが現状でございます。
  88. 白木義一郎

    白木義一郎君 その凍結の効果は具体的にどのようにあらわれているかを、わかりやすくひとつ説明してください。
  89. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) 学用品にしぼって申し上げますと、学用品のうち、私ども通産省から例示参考リストの中に掲載いたしました品目は二十一品目ございます。ほとんど主要な文房具類あるいは学用品類が入っておるわけでございます。そして、三月十五日価格に横ばいでいってもらうようにという指導でございまして、まだ今日四月早々でございますので、当然のことながら、三月十五日価格のまま今日までも横ばいになっておると考えるわけでございます。そして具体的に、すでに提出済みのリスト——まだ全部出ておりませんけれども、提出済みのリストをサンプル的に見てみますと、先ほど冒頭に私から御説明申し上げました価格、高いものでその価格でありまして、かなりそれよりも値引きをしている例も多く見られるのが実情でございます。
  90. 白木義一郎

    白木義一郎君 そうしますと、通産省は、このあらゆる物価の高騰の中で、特に学用品関係の価格になりますけれども、これは業者の代表からいろいろ実情を聞いて、そして、現在の値段は高過ぎると。おおむねこの辺がよかろうと。まあこういう、われわれ仲間で言うとどんぶり勘定というわけです。どんぶり勘定で価格の凍結をしたり、あるいは標準価格を打ち出したり、そういうような説明に私は受け取ったわけですけれども、その点はどうでしょうか。
  91. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) 学用品に関しまして二度行政指導をしたわけでございます。最初の行政指導は二月の指導でございまして、その際には、先ほども申し上げましたように、クレヨン、クレパス、運動ぐつ、ノート、学習帳、生徒用スチール机、ざら紙につきまして、一割ないし三割の引き下げ指導を行なったわけでございますが、この場合には、業界からのヒヤリングももちろん行ないましたけれども、それとは別に、卸売り物価指数、消費者物価指数、あるいは工業統計、それから生産動態統計あるいは業界統計、主要事業の市況価格、中小企業の原価指標、有価証券報告書その他をも参酌いたしまして、通産省において、完全なものではございませんが、一応のコスト推計を行なった上で、標準品にしぼるならば、ぎりぎり、最大限できる範囲で指導をし、一割ないし三割の引き下げになったわけでございます。それから、三月十六日の指導は学用品ももちろん含んでおりますけれども、日用品全般につきまして、石油製品が大幅に上がった余波を受けないように、少なくとも、現在の価格水準で凍結してもらうような指導をしたわけでございまして、その際、学用品につきましては、二月初めに行ないました一割ないし三割の引き下げは当然織り込んでもらいまして、加えていままでそれよりもたとえば安く売っておった向きも含めて、今後とも価格を中間原材料が上がっても上げないようにという指導を行なったわけでございます。
  92. 白木義一郎

    白木義一郎君 その点なんですが、業者がいろいろな理由をつけて値段をつり上げると、あとから政府あるいは通産省が行って、これはけしからぬと、だから一割ないし三割は値引きを考えるべきである、こういう指導をざれたと、こういうことですが、やはりもっともっと内容に立ち入って原価の面から、これは完全なる便乗値上げといわれてもやむを得ないじゃないかというような点で行政指導をがっちりとしていただかないと、これはほかの品物と違って要するにわが国の将来の大きな教育問題に関係する品物ですから、そういう点も大臣は含めて指導監督をなさらなければいけない、このように思います。これは文部省のほうじゃないのだと、これは通産省のほうでこういうふうにやったのだと、それで、文部省のほうから行って調べたら大体その値段になっていると、こういうようなことばでは、大臣の所信からはるかに遠のいてしまう。迷惑するのは学生を持った家庭のみならず、これから希望を持って勉強していこうとする子供たちも世間の波に巻き込まれて不安な気持ちを当然起こすようになって、大臣が決意を述べられた秩序ある教育環境の中で勉強できないと、こういうようなことになるおそれがあるわけです。  そこで、原価も明確にせずに推量で、しかも現在の値段を見て、それから二、三割下げるべきじゃないかというのは、いかにもみんなが聞いたらこれは当てずっぽうの指導というか、そうなると、業者は何かあれば上げておいて、あとからお役人が来てこう言うから、じゃ、そういうふうにいたしましょうというようなことになりかねない。こういう点をどう通産省は責任持って指導をし、国民が納得する状態をつくっていくかということが実はわれわれの心配であり、ぜひとも、そうあらねばならないと思うわけですが、そういう点についてどうでしょうか。
  93. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) 先ほども申し上げましたように、私ども価格引き下げ指導にあたりましては完全なものではないかもわかりませんけれども、私どもとして、できる範囲の精力をそそぎまして、コスト推計をいたしました結果を勘案いたしまして指導をしたことは事実でございます。ただ、学用品と申しましても非常に多品種にわたりまして、また、原材料の価格の動向いかんによっては今後ともコストの上下が考えられるわけでございますので、ただいまの先生の御指摘を肝に銘じまして、最大限の努力をいたしたいと考えておる次第でございます。
  94. 白木義一郎

    白木義一郎君 主要学用品の価格の動向として、一口に言いと、学用品が一番値上がりがひどいということが調べてみると出てきているわけです。それは総合消費者物価指数が、昨年の三月は一一九・四です。ことしの三月が一四五・二と、これは総合した消費者物価の指数ですが、学用品の指数を見ますと、本年の三月の動向は、全部標準よりも学用品が上回っているわけです。一四五・二がことしの物価指数ですが、ノートは一五二・五、鉛筆が一四〇・九、それからクレヨンが一九一・四、それから絵具が一八〇・一、ちょっとこれ参考までに大臣見てください。(資料提示)その一番下の米印が総合の物価指数です。それが一四五・二と、それと学用品の物価動向を比べますと、全部といっていいぐらい現在の物価指数よりも上回っているわけです。こういう現状を御承知でないと、所信におっしゃったことが、示されたことが、具体的に大臣の施策として行なわれるはずがないと、こういうふうに私たちは心配せざるを得ません。直接家族に児童ないしは学生がおると非常にわかるわけですけれども、そうでないとなかなかむずかしいだろうと思います。とにかく、物価指数よりも学用品のほうが高いという現状をひとつ大臣は知っていただきたい。それで、その中で凍結品目に入らない学用品がありますね。たとえば鉛筆入れあるいは辞書、参考書あるいけバレーボール、グローブ、それからビニール製のボール、学生服、こういうようなものは、非常に学生に必要な品目であり、また、使用量も多くその上そこにも示されているように非常に値上げ率がきびしい。どうしてこういった品目を通産省は凍結品目に入れなかったのか、その点をお伺いしたいと思います。
  95. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) 三月十六日におきまして、百貨店及びスーパーを指導いたしました際に添付をいたしました参考リストは、必ずしもあの範囲に限るということでございませんで、あれを参酌しながらなるべく幅広く商品を選んでほしいという趣旨の表でございます。したがいまして、例示の中から落ちていましたものにつきましても、安易に値段を上げていいというものでなくて、同じような方針で各百貨店、スーパー等が対処してほしいと、かように当省としても念願しているものでございます。
  96. 白木義一郎

    白木義一郎君 これは、先日の予算委員会でも田中総理が凍結品目については再考すると、答弁をされておりますが、このようにぜひとも非常に利用度の高いもの、あるいは子供たちにぜひ必要な物の品目の凍結、あるいは価格の指導については、大臣はどのように考えられておるでしょうか。ここにマルが打ってあります筆入れだとか辞書、参考書あるいはバレーボール、グローブ、学生服等の品目が凍結品目に入ってないわけです。それについて大臣は、これまあ当然入れるべきでありますけれども大臣からおっしゃっていただきたい。
  97. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 文部省としては、絶えず価格の客観的な状況を把握して、必要なものにつきまして物資の所管官庁にお願いをする以外にはやりようがないのじゃないだろうかと、かように思っているわけでございます。御指摘のように、凍結品目に入ってないものの値上がりが、三月、前年対比では上がっているようでございます。ただ、それが最近の価格の中で大きな値上がりを示しているかどうかということになりますと、ちょっと私にも判断がしかねるわけでございます。ただ、四十九年三月を四十九年二月と比べますと、東京の区部でございましたかどうかちょっといま正確に記憶はないのでございますが、そういうふうな統計で六%あまり下がったという報告を受けまして、学用品の値上がりが少しきびしかった、激し過ぎた、若干そういう意味では自制が行なわれ出したという意味で、私としても胸なでおろしたような感じを持ったときがございました。いま御指摘になりましたものが、最近におきましてもなお上がり続けているのだということでありますと、私どもとしては、ぜひ凍結品目に加えていただきたいと、こういうお願いをしたいような感じがいたします。むしろそうでない場合には、凍結をすることによって高値安定ということになってもまた困るわけでございますので、この辺の問題につきましでは、物資所管官庁におまかせをしたい、こう思います。しかし、いずれにいたしましても、今後の状況におきましてなお価格が騰貴するかどうかというような模様をとらえまして、必要に応じて関係各省にもお願いをし、連絡もとらしていただきたい、こう思っております。
  98. 白木義一郎

    白木義一郎君 そこで、実際的な現在の問題になりますけれども、いま新学年にあたって、子供たちはまあ黒いランドセル、あるいは赤いランドセルを買ってもらって、小さいながら希望に胸をふくらませているわけですけれども、親のほうはたいへん渋い毎日を送っているわけです。そこで、いま入学に際して、父兄はどのくらい新入学の子供に対して金が要るのかということはお聞きしてもおわかりにならないでしょうから、そこで、これは昨年の百貨店の一覧表なんです。入学に必要な、これは全部入口でいつも配るわけです。これは全部そろえますと、四万二千六十五円、これは去年です。で、現在はこういうのがないのです、もうデパートに。一つ一つこう当たってみますと、その結果は、一年間でことしは五万五千九百七十五円かかる、同じ品目をそろえて学校へやろうとすると。こういう異常な値上がりをしているわけですね。それだけまあ父兄が負担をしていると、これは入学に必要な学用品だけですから、あとのいろいろな生活物資等は、これに関係ないわけですけれども、それだけまあ子供を持つ家庭は負担が多いと、こういう現状をぜひとも強く大臣が感じて、危機感としてとらえて考えていただきたい、そういうことであります。そこで、所信の中に、大臣はその父兄負担については全然触れていないわけです。この現況は、いまもほんの一端ですけれども大臣に聞いていただいたように、非常に負担が強くなっているわけです。この点について、予算の中では父兄負担の軽減は重点項目に入っていながら、所信表明における大臣の内容に父兄負担という重大な、それこそきびしい試練の年である、これ父兄がきびしい試練の年であるわけですけれども、その点についてなぜ触れられなかったのか、あるいはまた今後のあらためてこの父兄負担の問題について、どういうお考えを持っているかお伺いしておきたいと思う。
  99. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 教育関係の経費につきましては、どういうものについては国が負担し、あるいは都道府県、市町村が負担し、父母が負担するという負担区分が定まっておるわけでございます。したがいまして、それぞれについて、物価騰貴の影響を受けるわけでございますが、負担区分に従いましてその過渡期の影響はかぶらざるを得ない、こういう気持ちに立っておるわけでございます。その負担区分を変えるというような考え方は、今回はとっておりませんので、したがいまして、そのようなことについての表明はいたさなかったということでございます。いずれにいたしましても、要保護家庭、準要保護家庭につきましてはあとう限り公費支出を多くして、その影響を緩和するようになお一そう努力をしていかなきゃならないとかように考えておるわけでございます。それ以外の家庭につきましては、みんなで使うものでありますとか、あるいは学校関係の人件費でありますとか、そういうものは公費負担に属しますけれども、個人個人の使用に属しますものについては個々の家庭で負担してもらうというたてまえはやむを得ないんじゃないだろうか、かように考えておるところでございます。
  100. 白木義一郎

    白木義一郎君 そうしますと大臣は、いま述べられた——要約いたしますと、義務教育のために必要な経費は、父兄負担の軽減は大いに努力をしていく、こういうお考えである、このように受け取ってよろしいでしょうか。
  101. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) いまも申し上げましたように、本来の負担区分に従いまして負担をしてもらう——本来たとえば市町村が負担すべきものが、たとえて申し上げますと、学校の建築でありますとか、あるいは備品を整えます場合でありますとか、そういうことについても、父母の負担にゆだねる傾向が地域によってはあるわけでございますけれども、こういうものは、当然、これらの価格が上がりましても、父母負担をなくするように、全廃するようにやっていかなきゃならない、そういう意味において、父母負担の軽減につきましては、今後一そう努力をしていきたいと思います。
  102. 白木義一郎

    白木義一郎君 最後に、通産省は、この凍結品目については三カ月の実施と、こういうような意向と伺っているわけですが、こういう教育関係の学用品等については、さらに、三ヵ月といわずに、ぜひともこれを長期にわたって凍結をしていくと、そういう考え方があるかどうか。また、あわせて、大臣もぜひともそうあってあるべきであるという大臣の所信を伺って、私の質問を終わりたいと思います。
  103. 矢橋有彦

    説明員(矢橋有彦君) このたびの日用品の価格凍結、その中に学用品も含まれているわけでございますが、これにつきましては、必ずしも期間を三カ月ということで切っているわけではございませんで、当分の間、そのようにしてほしいという趣旨でございます。学用品につきましては、教育の必要不可欠、必需品であるという観点から、私どもといたしましても、極力長期にわたり凍結をしたいと考えているわけでございます。ただ、先ほども申し上げましたように、学用品メーカー、あるいは小売り業界の企業の現状からいたしまして、たとえば中間原料が大幅に上がるというようなことがありますと、また一〇〇%これを企業努力で吸収するということはむずかしいことも事実でございまして、私どもといたしましては、そういった観点から、全省あげまして、学用品そのものはもとよりのこと、それの中間原料、あるいはさらにそれの大もととなる粗原料につきましても、極力価格の凍結、進んでは価格の引き下げに努力をしてまいりたいと考えている次第でございます。
  104. 白木義一郎

    白木義一郎君 いまの通産省のほうは、どうしても企業サイドの釈明をされるわけです。これはもう一般の品物の上からそうならざるを得ないと思うのです。しかし、教育立場ででは、こういう考え方はまずいんじゃないか。文部省としてこの点を改革をし、あるいは、それこそ豊かな環境で次代をになう子供たちの育成に努力をすべきだと、こら思うわけです。したがって、その通産関係のものの考え方と、ぞれから文部大臣としての立場の、学用品に対する考え方をはっきりとして、その上で行政指導なり、あるいは凍結品目の問題とか、あるいは施行の日時等について、十分なる意見の交換をして、少なくとも、教育関係については世間の物価よりも、一般物価よりもはるかに安いという感じを国民に持たしていただかなければ、大臣としての業績というものが、疑われるのじゃないか。こういうように思うわけですが、最後に、その点について大臣の所信を伺って私の質問を終わります。
  105. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 学用品につきましても、できるだけ質のよいものができるだけ安く供給される、そのことが教育の充実の上にきわめて大事なことだと思いますので、建築資材が不足しましたときにおきましても、閣議では学校関係には優先的に回すべきだということで運用がなされたわけでございます。凍結の問題にいたしましても、この方法をとるときに閣議の話題になったわけでございますので、また解除する場合にも、閣議の話題に当然なるべきものだと、こう思っておるわけでございます。幸いにして、閣僚みな教育の問題につきましては特別な関心を持っていただいておりますので、私といたしましても、いま申し上げました線でよい結果が得られますように努力をしていきたいと思います。
  106. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 午前の会議はこの程度にとどめ、午後一時二十分再開することとし、しばらく休憩いたします。    午後零時十七分休憩      —————・—————    午後一時二十四分開会
  107. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き教育文化及び学術に関する調査中、文教行政基本施策に関する件を議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は御発言を願います。
  108. 加藤進

    ○加藤進君 大臣の所信に関連して若干質問をしたいと思います。  所信には、当面する文教行政の諸問題についてるる述べられておりますが、わが国文教行政の基本にかかわる問題として、ぜひ一問申し上げておかなくてはならぬのは、わが国文教行政は、憲法と、憲法の精神にのっとって教育の基本を定めている教育基本法に基づかなくてはならない、これは当然のことだと思いますけれども、その点に関して重ねて大臣の御意見をお伺いしたいと思います。
  109. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 教育基本法が、そのことばどおり教育の基本とすべき法律だと存じております。
  110. 加藤進

    ○加藤進君 ですから、憲法及び教育基本法の精神や意義については、これをどれほど強調しても強調し過ぎではない。とりわけ教育者にとっては、私はそのように受けとめなくてはならないと思いますが、その点についてはいかがでしょうか。
  111. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 教育基本法の意義を強調することはきわめて大切なことだと思います。しかし、それにプラスして、何か欠けるものがある場合には、みんなが英知を出し合って、プラスしていくという姿勢も大切なことではなかろうかと、こう思います。
  112. 加藤進

    ○加藤進君 そこで私は、昨年、文部省が出版されました学制百年史を興味深くいま読ましていただいておるわけでございますけれども、この中にも、いま申し上げました憲法と教育基本法をどのように考えるかという問題について、次のように述べている文章があります。「戦後の民主的教育体制の確立および教育改革の実現にとって最も基本的な意義をもつものは「日本国憲法」の制定であり、これに続く「教育基本法」の制定である。」当然の文章だと思います。ところで、私は、このような趣旨、精神に基づいて出版されました学制百年史でございますけれども、その資料を繰り返し見てみましても、どこにも教育の基本にかかわる重要な憲法も、あるいは教育基本法もここには掲載されておらないわけでございますけれども、これは従来文部大臣もお気づきになっておることでしょうか。資料編。
  113. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 承知しておりませんでした。
  114. 加藤進

    ○加藤進君 これは、ちょうど昨年の八月に出版された記念すべき私は日本教育史の一編だと思います。この中にいろいろ資料が出されておりまして、とりわけ戦前の資料につきましては、若干項目を申し上げますと、「五ヶ条ノ御誓文」から始まっております。さらに「教育二關スル勅語」は言うまでもなく、「戊申詔書」、「国民精神作興二關スル詔書」、「青少年學徒二賜バリタル勅語」、「終戦ノ詔書」などなどが戦前の重要資料として列記されているわけです。ところが、戦後に至りますと、この戦後の始まりは何であるかというと、それは戦後は学校教育法から始まるんですね。これはごらんいただけば明らかですよ。私は、一歩引き下がって、憲法についてまで、これに資料として入れるかどうかについては、これはまた多少の意見もあっていいと思うのです。明治憲法を入れてないのですから、これに加えたらおかしいと思う。しかし、ここでいみじくも百年史が述べておりますように、日本教育の基本はどこに置かれるかというと、憲法に置かれる、その憲法の趣旨、精神に基づいて、これをいかに教育の上で実現するかということの基本が教育基本法に制定されているということであるなら、私は、教育百年史の中に、少なくとも資料として憲法、そうして教育基本法が載せられておらないというのは、私は手落ちではないかと思うのでございますけれども、その点いかがでしょうか。
  115. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) どういう考え方で入れるべきものと入れないものとの選択が行なわれたのか、私、承知しないわけでございます。承知しないわけでございますが、しいて、教育基本法が入っていない理由を求めますと、憲法にしても、教育基本法にしましても、学校関係者の基本的な法制として、あらゆるものに登載されている。したがって、歴史を振り返る意味においては、ことさら、それの中に入れなくても差しつかえないんじゃないかという判断があったんじゃないかと、こう思います。当時の責任者でございませんでしたので、どういう角度で取捨選択が行なわれたのか、私、承知していないわけでございます。場合によっては、その当時の関係者に事情をいずれ、後日聞いてみたいと思います。
  116. 加藤進

    ○加藤進君 私は、そもそも百年の歴史を振り返って、日本における教育の発展をあとづけるわけですからね。戦後の教育の一番基本的な、いわば方針は、言うまでもなく教育基本法に求めなくてはならない。教育基本法を掲載するということが資料の中でどうして抜けておるのか、私は、いまも文部大臣、疑問に思われました。これは一昨年の八月にできたのでございまして、ここには当時の稲葉文部大臣が序文を書いております。一昨年、稲葉文部大臣が、これは文部省が出したんですからね。これ、大臣御存じないということでは済まされないのであって、これはもう日本全国学校なんかには全部資料として私は行き渡っておるのじゃないか、こういうふうに感ずるわけなんですけれども、私は検討してみますとおっしゃることばを信用して、ぜひとも検討していただいて、もし、教育基本法は載せるべくして欠落していたということであれば、私は、教育基本法をあらためてこれに加えて、そして今後出していただきたい、こういうことをまず要望したいのでございますけれども、そういうふうに教育基本法、憲法が何か頭から抜けておるような姿勢であれば、私は教育行政全般について、ゆゆしき問題が起こるんではなかろうかという疑問を、私はまず最初にこの本において申し上げたいと思うわけでございますけれども、その点について、大臣、いかがでしょうか。
  117. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 文部省におきまして、憲法なり教育基本法なりを粗略に考えているかといいますと、そんなことは全然見受けられません。やはり教育基本法を中心にして今後の学校教育その他、教育一般を進めていくべきだという考え方が定着しているようでございます。教育基本法をおろそかにするような気配は文部省内のどこにも私はないと確信しているわけでございます。今後におきましても、そういう姿勢で教育一般に当たっていきたいと、かように思います。
  118. 加藤進

    ○加藤進君 もう一言だけ申し述べさしていただきますと、ここには、連合国軍最高司命部指令、日本教育に関する管理政策等々ずっと述べられてますよ。それから、米国教育使節団報告書も全部述べられてます。こういういわば重要な資料、文献を全面的にとにかく集録すべきこの資料編に、私は教育基本法が欠落しておるということは、これはゆゆしき問題だとして、文部省もせっかくその点についての検討をしていただきたい。私は要望するならば、教育基本法をあらためて掲載していただきたい。こういうふうに考えます。  続いて私は、昨年の国会におきまして、教員免許法の改正案が提出されました。これは日本共産党は言うまでもなく、社会党、公明党含めて強く反対いたしましたけれども、これがとにかく成立しました。そして施行規則が作成されたわけであります。私は、その当時の議事録を振り返ってみまして、ぜひひとつこの機会に、文部省の見解をたださなくてはならぬ、こういうふうに考えたわけであります。私は、次のように申しております。これは議事録を参照していただければ明らかでありますけれども、「教員となるのに憲法学習は必ずしも必要でないということは、憲法を知らなくても子供たちに教えることができるということであって、まさに憲法抜きの教員養成の道を切り開くものであって、きわめて問題は重大である。」、こういう立場から昨年の七月十日、当委員会におきまして質問をしたわけです。いままでの教員免許制度では、憲法学習は義務づけられていたのに、今度の改正では憲法学習を含めて一般教育科目が削られてしまったが、憲法学習をどうされるのであるかと、私が質問したのに対しまして、木田政府委員は、次のようにはっきりと答えておられます。省令でもって同様に明確に規定していく、こう答えられておるのであります。この省令というのは施行規則のことだと思いますけれども、その施行規則において、この点は明確に規定されたんでしょうか。
  119. 木田宏

    政府委員(木田宏君) いま御指摘になりました昨年七月十日の当委員会におきますお尋ねが、まあ私も、その一部の速記録しか持っておりませんので、そのどこでいまのようなお尋ねがあったかと思いますが、加藤委員が御指摘になりましたのは、資格認定制度を取り入れることについての憲法問題でございまして、教員の免許制度一般についての憲法問題の御指摘ではなかったと考えるのでございます。教員の資格認定制度を今回大幅に取り入れるということにつきまして、その一般教育の取り扱い、あるいは憲法の扱い等をどのようにするかというお尋ねでございました。でございますから加藤委員のお尋ねは、今度の検定制度の改正によってということが、そのことばの文脈からはお述べになっておったと思うのでございます。免許法の改正によってという御指摘ではなかったかと考えております。資格認定制度につきましては、先般この御審議をいただきまして改正が成立をいたしました教育職員免許法によりまして、資格認定制度の取り扱いについて省令を定めました。その省令におきましては、一般教育の内容も、十分人文、社会、自然の領域にわたって判定を加えていくようにする、こういう所存でございまして、そういう資格認定試験の制度を省令をもって現在のものと同様に明確に規定をしてまいりたいと、こう答えた次第でございます。でございますから、省令をもって明確に規定をいたしたいという私の御答弁は、資格認定試験制度を省令をもって明確にすると、こういうお答えをしたつもりでございます。
  120. 加藤進

    ○加藤進君 これは、あらためてこの会議録を読んでいただけば明らかでございますけれども、私の質問したのは、「今度の検定制度の改正によって憲法学習というのがどこに規定されているのですか。」と、こういう質問をしたわけであります。これに対する木田政府委員お答えが、いま言われたような趣旨、内容であったと、私は思います。しかし、そこで私は聞きたいのは、省令でもって同様に明確に規定していきますというのが、そのときの答弁であったわけでありまして、そのような省令が出されているのかどうか、その点を私はあらためてお聞きしておるわけであります。
  121. 木田宏

    政府委員(木田宏君) お尋ねが教員の資格認定試験制度のことについてでございまして、改正前は高等学校等一部の教科につきまして教員の資格認定試験の制度を省令をもって明確にしていたわけでございます。改正によって資格認定試験の制度を省令をもって明確にするかということでございまして、改正後の新しい規定に基づきまして、教員の資格認定試験の制度を同じように明確にさしていただきました。その際に、人文、社会、自然という点等は、従来の資格認定試験制度と同様に必要な要件として、試験内容として考えておるということをお答えをしたつもりでございまして、そのように省令でもいたしたつもりでございます。
  122. 加藤進

    ○加藤進君 そもそも、この問題の一番最初はどこにあるかといえばこれは前の施行規則において、第一条「一般教育科目の単位の修得にあたっては、日本国憲法二単位を含めて修得するものとする。」とこれが削除されたということが問題なんです、そうでしょう。その削除されたことについて質問をいたしましたら、あなたは前と同様に明確に省令をもって規定いたしますとこう答えたんでしょう。その省令をもって規定いたしますと言われたあなたの答弁に基づいてどのような省令の規定ができたのか、憲法学習について。そのことをお尋ねしている。
  123. 木田宏

    政府委員(木田宏君) いまの加藤委員の御指摘は、私にちょっと理解いたしかねるのでございます。先ほども申し上げましたように、加藤委員は、その際、教員の資格認定試験の制度についてお尋ねをくださいました。決して免許制度一般につきまして、そして免許法の施行規則の第一条についてお尋ねをいただいたのではないのでございます。私の記憶は、旧高等学校教員資格試験規定という資格認定制度の資格試験規定についてのお尋ねをいただいておる。その前後の文脈をずっともう一度お読みいただければ、私の記憶のほうが間違ってないと思うのでございますが、その意味で、私は新しい教員の資格認定試験を取り入れた場合にも、旧資格認定試験と同様の規定を省令をもって明確にしたいということをお答えしたわけでございまして、いま御指摘のように、免許法施行規則の第一条の規定を削除するかしないかいうことについてお答えをしたつもりはございません。
  124. 加藤進

    ○加藤進君 問題の根源は、まさに一条の削除から発するということを私は言ったわけであります。そうして、いま言われたように、省令をもって明確に規定しますと言われるなら、その省令のどこに明確に規定されておるかということをはっきり御答弁いただかなければ納得できないわけであります。
  125. 木田宏

    政府委員(木田宏君) おことばを返すようで恐縮でございますけれども、旧教育職員免許法施行規則の一条が教育職員免許法の前回の改正によりまして削除になるということは当然の前提かと考えます。法律一般教育についての関係規定が削除になると、そういう改正案を御提案申し上げたわけでございます。免許制度全般についての一般的な問題でございました。でございますから、法律の根拠規定がなくなって、なおかつ省令にその関係規定が残るということはあり得ない話でございまして、私は、加藤委員も当然そのことは御承知の上のことであろうかと思ったのでございます。  なお、お尋ねの点は、文脈で私も明らかに記憶を呼び戻すことができるわけでございますが、免許制度一般についてのお尋ねではなくて、大学による学習ではなくて、大学の勉強とは別に、資格認定試験という制度によって免許状が授与できるというその際に、憲法学習がどうなったというお尋ねでございました。その点は、従来の資格認定試験の場合と同様でございます。同様に措置をさしていただきます、こうお答えを申し上げたつもりでございます。ですから、先ほどのお尋ねは、基本的な問題点についての何かこうお取り違えがあるのではないかというふうに考えます。
  126. 加藤進

    ○加藤進君 私の指摘してきたことは、憲法学習そのものについての指摘でありました。その憲法学習が教員免許制度にかかわって学習が義務づけられなくても済むという事態は、これは重大だというので質問をしたわけでありまして、そういう憲法学習の義務づけがこの新らしい省令においてもこれが明確に規定されておるかどうかということをあなたのほうから御答弁いただかなければ、私は、この問題についての質問は片づかないと思います。明確に規定いたしますと答えられた点について、どのように措置されたのかというということを聞いておるわけです。
  127. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 私が前回お答え申し上げましたのは、繰り返すようで恐縮でございますけれども、資格認定試験の制度についてお答えを申し上げました。そして、資格認定試験の制度は、制度の対象こそは広がりますけれども、試験制度そのものについては従来とっておったと同じように、その省令で必要な一般教育科目についての試験を実施することにいたしますと、そして、現在新しい規定によります資格認定試験の制度を省令で明示をさしていただきました。一般教育科目について、人文、社会、自然の三領域にわたって試験をするというたてまえにしてございまするし、現実にそのたてまえの中で憲法学習についての知識を、憲法についての知識を必要とする試験問題の提出を大学側にも求めました。現実に昨年度実施いたしました資格認定試験におきましては、各大学とも憲法についての設問もつくってくだすっております。でございまするから、前回、国会でお答えさしていただきましたとおり、明確に態勢をかまえ、そして試験問題についても、必要な配慮を加えさしていただいている。大学当局ももちろん自分の責任でやる試験でございまするけれども文部省の省令と、並びにその運用につきまして理解を示し、そうした必要な設問を各四大学とも提出してくれておるような次第でございます。
  128. 加藤進

    ○加藤進君 その点は、私は議論をしておると時間が経過いたしますが、根本は憲法学習をどこに位置づけていくのか。憲法学習の必修をどこに規定しておるのかということを私は繰り返し聞いておるわけでありまして、省令の中に、そのような学習の規定があるかないかと、規定を明確にいたしますと答えられておるわけですから、その点が厳に忠実に実行されておるかどうかということを私は繰り返して尋ねておるわけであります。そこで、続いて私はお聞きしますが、そのすぐあと答弁ではこうなっています。「今後大学におきます一般教育と同じ程度教育を履修しておるということを資格認定試験の場合には要求することになるわけでございますが、その際にどうしても普通の一般教育科目でどれでもいいということではなくして、教育者として必要な心理学等最小限度の科目は別途規定していく、」と、こう「別途規定していく」と、こう言われておりますけれども、「教育者として必要な心理学等最小限度の科目」の中には、憲法学習は入っておるのか入っておらないんでしょうか。
  129. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 現実に大学での一般教育の履修とは違いまして、資格認定試験で高等学校卒業以上の者に教員の免許資格を与えるときに、一般教育として若干の単位を取ればいいということではなくて、従来まで考えておりましたように、大学におきます一般教育と同じ程度のものを資格認定試験の場合に要求するということになるわけでございます。その際に、いまお読み上げいただきましたように、一般教育科目ならどれでもいいということではなくて、教育者に必要な内容を求めることになる、こういうお答えをさしていただきました。その考え方に従って各大学とも現実の出題の中に心理の問題もございまするし、憲法の内容についても出題をいたした、こういうことでございます。
  130. 加藤進

    ○加藤進君 私は、答弁をすなおに、そして信頼しつつ私は質問しておるわけで、この答弁の文章も明らかにしておりますように、普通の一般教育科目では、これでどれでもいいというわけではございませんと、で教育者として必要な心理学等最小限度の科目は別途規定していきますと、こう答えられておるわけです。で、そこで教育者として必要な最小限度の科目の中には憲法学習は入っておるかどうか、こういうことをまずお尋ねしておるわけですから、その点をまず明確にしていただきたいと思います。
  131. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 心理学等最小限の科目として教育者が憲法についても理解を持っていなきゃならぬということは、私も必要なことだと考えております。
  132. 加藤進

    ○加藤進君 私が重ねてそれを申し上げますのは、とにかく、かつての施行規則の第一条の、憲法の二科目を履修しなくてはならぬということが削られたというところから問題が発生しているわけですから、こういう削られた憲法の学習が、新たに施行規則等々において明確に規定されて、憲法学習は今後も生きていくのかどうかということが問題となるので質問しておるわけなんです。心理学はもちろん必要でしょう。しかし、その最小限度の科目の中に憲法は入っておるのかどうかと、こういうことを明確にお答え願いたいと思います。入ってますか。
  133. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 憲法についての必要な知識ということは、当然要求されてしかるべきことだと考えます。
  134. 加藤進

    ○加藤進君 いや、私は、憲法についての必要な知識と申し上げておりません。科目ですよ。最低限度の科目です。科目は別途規定していくと言われておる。その科目に入っておるのかどうかということを聞いているんです。
  135. 木田宏

    政府委員(木田宏君) いま御指摘になっております前回委員会での質疑、私のお答えの内容は、すべて教員の資格認定試験の制度についてのことでございます。そして、試験内容として、どういうものを課するかという意味でのお尋ねの中身でございます。加藤委員は、私の記憶でございますけれども、そのときに、旧法に基づきます一般教育の履修三十六単位を削除するということについてのお尋ねではございませんでした。あくまでも、大学で勉強してない者にも受験し得る資格認定試験の制度ということについて、大学で勉強するのと同じような内容の学習内容を試験によって確認するかというお尋ねでございました。  でございますから、私が、大学で履修する、学習をすると期待されると同じような内容のものを期待いたします、そして、必要な一般教育についての知識を資格認定試験制度によって確かめてまいりたい、こういうことを言っておるのでございまして、試験科目の中に、憲法学習の試験科目もその意味で各大学とも実施したということでございまするから、私どもは、前回お答えを申し上げました趣旨に従って資格認定試験の制度を実施しておるわけでございます。
  136. 加藤進

    ○加藤進君 どうも質問にまともに答えていただけぬようでございますけれども、私は、この会議録に基づいて、一般教育科目ならどれでもいいというわけではないと。教育者として必要な心理学等最小限度の科目を別途規定していくと言われるんだから、それに基づくなら、最小限度の科目の中には、心理学は出ておるけれども憲法があるのかと聞いておるわけです。憲法はございますか。ございますならございますと言われたら、それでいいじゃないですか。
  137. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 当時の速記録に基づきますお尋ねの趣意があるわけでございまして、それは、資格認定試験の制度をとった場合に、大学と同じような一般教育の履修というものを要求するかと。資格認定試験の制度でございまするから、試験制度によってどの程度それを学習しておるかということを確かめるということでしかございません。それを人文、社会、自然というふうに包括的に省令の上で規定し、そしてその細目は、こうした趣旨にかんがみまして必要な試験科目を各大学に選ばしておるわけでございます。その際に、大学は試験問題として憲法学習を要する試験問題を出しておるわけでございますから、試験制度としてはそういうふうに運営しておる、こう、前回お答えの趣旨に従って実行しておることを御説明申し上げているわけでございます。
  138. 加藤進

    ○加藤進君 資格認定試験の場合には、こういう科目まで規定していく、別途規定していくというふうにありますから、私は、これを重ねて聞いておるわけですが、それでは、昭和四十八年度の小学校教員資格認定試験の要綱には、いま申し上げました憲法学習というものを別途規定されておりますか。
  139. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 省令で定めました資格認定試験の省令には、一般的な規定だけをさしていただいておりまして、「小学校教員資格認定試験の案内」という要綱に、その試験科目につきまして、人文、社会、自然の三分野に関する事項ということを定めさしていただきました。これは、その後実施を引き受けてくれました関係大学と相談をいたしまして、試験科目の定め方その他の場合に、大学の主体的な立場を明確にするという意味から、私どもの趣意を大学側も含んでくれて、科目の規定としては人文、社会、自然の三分野という包括的な表現にさしていただいた次第でございます。
  140. 加藤進

    ○加藤進君 私もその要綱は持っています、ここに。お読みします。試験内容及び方法と書いてありますが、その区分、一般教養科目、これは人文、社会、自然ですからこれはもう私は文句ありません。もし憲法が内容として入るというなら、それは一般教養科目でなしに、教育者として必要な最小限度の項目の中に入るわけだと思いますよ。その科目としては教育原理があげられています。教育心理学、おっしゃるとおりです。道徳教育の研究等教職に関する専門的事項、これだけでしょう。憲法入っていますか。入れなくてもいいというんですか。
  141. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 従来から、憲法というのは、大学におきます一般教育科目として一般教育の中で履修が行なわれてきたのでございます。教職の専門科目として憲法を要求いたします場合には、それは、社会科その他、そのことを専門の指導教科として履修する学生にとっては、その教科の専門に関係する科目ということになってくるわけでございます。従来から、教員養成の場合に、教職の専門科目というのは、主としてやはり教育学の一般的な理解にかかわるものでございまして、憲法のように国民一般として履修しておかなければならない、そういう内容のものは、教職専門科目という理解には立っておらないのでございます。でございますから、従来、一般教育の科目の内容として憲法というものを考え、しかも、一般教育についての資格認定試験を実施いたします場合の内容としても、憲法を扱うとすれば、一般教育として考えるということが至当ではなかろうか、こう考えておる次第でございまして、従来とも、憲法は教師にとって必要な教職専門科目であるとの理解は、一部のそういう御理解をなさる方もあるかもしれませんが、一般的には、だれもがとっていない立場でございました。
  142. 加藤進

    ○加藤進君 そういう弁解をされることからでも明らかなように、ともかく、憲法の学習は何ら規定されておらない。しかも、現実には施行規則の中から憲法学習の義務ははずされている、こういう状態が今日文部省の手によってつくり出されてきておることはこれは明らかでしょう。  そこで私は、十一月初旬の新聞その他を調べてみました。ここには、こういう問題が起こっていますよ。昨年十一月四日の毎日もサンケイも日経もこぞって報道しておりますけれども、この点について、奥野文部大臣は、こういう談話をしています。「憲法修得の条項が削除になっているのはまだ何も聞いていない、何も知らなかった。」と、こういうことが各新聞に全部載っていますね。とりわけ、日本経済十一月七日には、奥野文部大臣談話として、「事務当局がそうした措置をとっていたことは知らなかった。」教員免許取得にあたっては憲法を重視することを保証する制度をつくらなければならないのは当然のことであって、検討する、これはうそですか、ほんとうですか。
  143. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 当時、私は旅行しておったわけでありますけれども、旅先に電話がかかってまいりましていまのような質問がございました。それで、実体的な改正をするのならよく話を伺うわけでございますけれども、そういう話を聞いてないから単なる事務的な、技術的なことじゃないんだろうかというような意味のお答えをしたことは覚えているわけでございます。もちろん、事務当局としては、省令の改正でございますから私のところで説明をしてくれ、それに応じて署名をしているわけでございます。ただ、先ほど来のお話しのように、法律の改正に伴った事務的な省令改正でございましただけに、私も深く考えないでそのまま署名したわけでございます。全く省令の改正としては事務的な改正であったと、あとから調べまして、そのことをもう一ぺん理解をしたようなことでございます。したがってまた、そのうちにいろいろな疑問が出されるものでございますので、文部省から省令は改正したけれども、実体的には何ら変更はないんだということを通達で各大学に示したことも御承知いただいているのじゃないかと、かように考えるわけでございますが、実体的な変更ではなしに、免許法の中に一般教育三十六単位を書いておったけれども一般教育と専門教育とのかかわり合いは各大学にゆだねたらいいじゃないか、弾力的に扱おうじゃないかというようなことで、従来改正を進めてきたわけでございます。そういう意味で、法律の上から一般教育三十六単位というものを削ったものでございますので、したがって、また、三十六単位の内容として書かれておりました施行規則の規定も削除したという経過でございます。しかし、実体的な改革を考えているわけじゃないのだという意味で、憲法は引き続いて履修させてくれるようにという通達を出さしていただいたわけでございます。
  144. 加藤進

    ○加藤進君 私は、いま卒直に大臣がおっしゃったことについて、ある意味では認めたいと思います。というのは、憲法を重視するということ、これを保証する何らかの制度をやっぱりつくっていかなくちゃならない、こう言われておる談話の内容については、私はけっこうだと思います。しかし、文部大臣、この教員免許法の改正問題の国会審議されたときの大臣はだれでしたか、奥野さん自身じゃないですか。奥野さん自身が中心になって教員免許法の改正を国会に提起しておって、論議に論議を呼んでおって、そして結論的には削られたというのに、「わしは知らなかった、これは事務的な問題だ」などというようなふうに逃げられるような立場じゃないでしょう。どうですか。私は、そんな文部大臣の職責ということになれば、これは日本文教行政全般に対してきわめて重大な問題だ。自分で提起し、自分で審議させて、自分できめた法律について、あんまり実務的なことなんでよく知らなかった。しかし、大事な憲法学習が落ちておるのだ、これはたいへん、こんなことで私は日本の国政、わけても文教行政をあずかる責任者として私は資格に欠けるのじゃないかというふうに感ずるのですけれども、文部大臣どうですか。
  145. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 省令規定の改正は、いまも申し上げましたように、法律の改正から自動的に起こってきている問題でございます。したがいまして、省令規定を改正しましても実体的には何ら変更がないんだということを示すために、特に文部省から各大学に通達を出したのだと、こう申し上げておるわけでございます。
  146. 加藤進

    ○加藤進君 そこで通達の問題に入ります。  この通達は、最初の通達はい出されて、その内容はどんな内容でしたかちょっと御紹介いただきたいと思います。
  147. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 免許法の改正に伴います通達は、昨年八月十三日に全体についての説明をいたしました。その内容におきましては、「免許法第五条別表第一および別表第二の規定から、一般教育科目の最低修得単位数に係る部分を削除し、これらの表の規定により普通免許状を取得する場合の一般教育科目の履修については、次に掲げるとおりとしたこと。」というふうにその内容を説明いたしまして、で、「この改正は、大学における一般教育科目の履修の弾力化に対応できるようにすることを趣旨とするものであり、その取扱いに当っては、各大学等において教員を志望する学生に教員としての一般的、基礎的な教養を身につけさせることについて、じゅうぶん適切な配慮をすることが望ましいこと。」こういう説明をつけて指導いたしたのでございます。その後……。
  148. 加藤進

    ○加藤進君 ちょっと私、質問しますからあとで。これはいつ出しましたか。
  149. 木田宏

    政府委員(木田宏君) これは昨年の八月十三日でございます。
  150. 加藤進

    ○加藤進君 そこで奇怪なことには、重ねて通達が出されました。この通達は、しかも時期的に言うと、それ以後三カ月もたってから出されました。しかも、その通達の出された直前には、先ほど私が若干読み上げましたような新聞その他で世論が大きく盛り上がってわいたのです、この問題について。憲法学習の必修をやめさせるなどということはけしからぬ、こういう世論がわいたその直後に再通達なるものが出されたでしょう。その点について御説明願います。
  151. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 先ほど御説明申しましたように、法律の改正によりまして一般教育科目の履修について要求しておりました免許法の規定は削除になりました。したがって、その免許法の改正規定によりまして一般教育の履修について規定をした憲法のことも含めた関係規定が省令から削除になったのでございます。そのための説明を十分いたしておりました。しかし、そのことについての趣旨が十分に理解されてなかったかと思われるのでございまするけれども、三カ月後になりましてあらためて関係者が一部その問題を心配するということが起こったのでございます。しかし、一般教育の指導をどのようにするかというのは法律として削除されたことでございまするから、私どもは、その際に、その一般教育の指導は大学にゆだねたい、大学の一般教育の指導に信頼を寄せてゆだねたいということで御審議を願ったのでごいます。そこで、関係大学に対しまして、一般教育の履修について、ことさらにこの弾力化という制度改正以外の中身のことを考えるべきものではないのでございます。憲法につきましてあるいはその他教員としての倫理学等の科目を従来教えておられたということをことさらに削除するものではないですよ、という意味の注意規定を十一月九日付であらためて大学に通知さしていただきました。当初の趣旨を補ったものでございます。
  152. 加藤進

    ○加藤進君 そのことを新聞はどう論評しておるか、異例の再通達文部省はきわめて奇怪な行動をとった。あわてた、こう言っていますよ。まさに、私はそのとおりだと思います。なぜ通達を出すなら一番最初にそれを注意しておかなかったのですか、憲法学習はなくなったということはそのときからわかっている。一番最初の通達には何にも出さなくて、世論がわき上がって、これはほうっておけないという状態で、文部大臣の談話も出、そして文部省は急速再通達を出した。その再通達の中に、初めて憲法学習がこの規定によっては削られておるから適切な大学における措置をとってほしいというこれは要望通達じゃないですか。
  153. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 繰り返すようで恐縮でございますが、八月十三日に法律改正についての通達をいたしました際に、法律の削除された関係規定に従って一般教育科目の履修については、これを改めることにした。この改正は、大学における一般教育科目の履修の弾力化に対応できるように、大学自体のその改善に資することができることを趣旨とするものであって、その取り扱いは各大学において教員を志望する学生に教員としての一般的、基礎的な教養を身につけさせることについて十分適切な配慮をすることが望ましい。これは一般教育関係規定改正に伴いまして、その趣旨とするところを明確に示しておるわけでございます。でございまするから、一般教育の規定の中に入っておりました憲法その他のいろんな扱いのことも削除されましたけれども、その趣旨は何も憲法とか、あるいは心理学、哲学等を履修させないという意味のことではなくて、一般教育の大学における指導を適切ならしめるためのものであるということを明確に言っておるわけでございます。でございますから、私どもは、そのことのために、ことさらに憲法学習を否定するというようなことが起きるということなどは考えておりませんでした。ただ、重ねて御心配になる向きがありましたから、当初の意図を明確に具体に即して再通達さしていただいたものでございまして、別段あわてたわけでも何でもございません。
  154. 加藤進

    ○加藤進君 いまになってはあわててはおられないでしょうけれども、当時は、私はそういうふうに世論が見ていたことは事実だと思います。  そこで、聞きますけれども、この施行規則から憲法必修は削られた、各大学に再通達をした、しかるべくよろしく取り計らえ、こういう趣旨の再通達をされたわけで、だから憲法学習については実体上は変わらぬ、こういうのが文部省の説明だと思いますけれども、これもまた重大な発言ですね。じゃ、聞きますけれども、従来は教育免許法と施行規則に基づいて憲法の単位を修得しなければ先生にはなれなかったんですよ。そうでしょう。ところが、今回の措置によって、たとえ通達が何回出されようが、これからは憲法は学ばなくても教壇に立って教えることができるということを法的にしたんじゃないですか。できませんか。法的にはそうでしょう。法的には憲法は学ばなくても教壇に立ってよろしい、子供に教えてもよろしいと、そういう資格は与えますということになったんでしょう。それを例外措置だと言われるけれども、例外にしろ、そのようなことが今度は起こるんですよ。そうじゃないですか。
  155. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 免許状授与の要件といたしまして、大学におきます一般教育の履修科目の単位数を要求しないことになりました。でございまするから、憲法も含め一般教育科目として履修されていることの中身は免許状を授与する場合の審査内容でなくなったということはきわめて明らかでございまして、前回、御審議をいただきました法律改正にのっとったものでございます。
  156. 加藤進

    ○加藤進君 私の聞いているのは、従来は憲法必修、これが教員たる資格の条件ですよ、義務です。これは大臣、御存じですね。従来の免許法はそうです。ところが、今回施行規則第一条を削ったということによって何が起こったかといえば、幾ら再通達をやったなどとおっしゃいますけれども行政指導に努力を払ったといいますけれども、しかし、法的にはどうかというと、教員として教壇に立つ者でも憲法を知らなくても、学ばなくてもよろしいということになったわけですよ。これで未来の日本をになう主権者の教育できますか、憲法を知らなくて、憲法を学ぶこともなくて憲法の学習、履修を義務的にもやらなくて、そして教壇に立つというような事態が今後起こる、今日起こりつつある、こういう新しい状況が出てきたことに対しては、私は、文部省は責任を持たなくてはならぬと思いますけれども、その点どうですか。そうじゃないですか。
  157. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 教師教師として適切な資格を得るために、大学におきます充実した一般教育を身につけてほしいということは当然のことでございます。でございますから、改正後の免許法の規定におきましても、大学において大学を卒業した者、大学に行ってその学士としての資格を持つということを一般的な基礎要件といたしておりまして、その大学におきましては一般教育科目の履修を一般的に三十六単位まで、場合によって、その単位の増減ございますが、要請をしておるのでございます。大学でそうした社会人に必要な一般教育教育をしているということの信頼、そのことに信頼を寄せて免許制度についての必要な規定を整備したというわけでございまして、改正した趣旨が一般教育を全部知らなくても教員になっていいというふうに考えて改正の御提案をしたわけではございません。ですから、その点の前提はお取り違いのないようにお願いをしたいと思います。
  158. 加藤進

    ○加藤進君 私に対して文部省あるいは木田政府委員が誤解のないようになどとおっしゃいますけれども、私は何も誤解をしていません。法律的に解釈をすれば憲法学習は義務ではなくなった、削除された。それは大学で教えるでありましょう、これは当然です。当然でありますから、この実体でけっこうだということでしょう。万が一学生が憲法の勉強もしないで、そうして試験は受けた、受けた試験にもパスした、事実は憲法はあんまり知らなかった、こういう教師ほんとうに人づくりの中心になって教壇から未来の日本をになう国民教育ができるかどうか、こういう問題になってきているのですよ、そうじゃないですか。  私はさらに聞きますけれども、これは十一月十六日に東京都の教育委員会が主催いたしまして各大学に対する教員免許状申請のための説明会が行なわれましたね。これに文部省の担当官行っているわけです。担当官はどう答えたかと申しますと、「これからは日本国憲法の履修していない者でも、免許状授与の申請はできます。」こう答えています。これはそうでしょう。このとおりですよ。そうして、その日に手渡された昭和四十八年一括事前審査用の免許状授与願いの用紙にはどう書いてありますか。かつては、いままで書かれておった日本国憲法二単位を含むという個所は削られてしまっておるのですよ。御承知のとおりです。こういう措置が次々にとられてきておるのです。だから私はこれを問題にするのです、これでいいのかと。だから一番最初に教育行政教育行政とおっしゃるけれども教育行政の根本は何に基づくのか、私は大臣に聞きました。それは、憲法と教育基本法でございますとおっしゃいました。その憲法なるものは履修しなくて、そうして教師となり、教師となって教壇に立って子供たちをまじめに真剣に責任を持って教えられるのか。こういう問題についてはどうですか。憲法二単位はもう必要ないとして削られる、憲法はやらなくても教員資格は取れますよ、申請しなさい、こういう指導がやられるような新しい段階に来たんですよ、文部省は。
  159. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 教師になります者が大学卒までの学識を持ってほしい。また、大学で一般的に要求しておる一般教育という内容は、十分身につけてほしい。おそらく憲法もみんな含めて従来一般教育科目履修いたします場合に、ほとんどの学生は憲法も履修をいたしておりますけれども、大学におきます一般教育の知識を身につけてその上で教師としての必要な教職あるいは教科の専門知識というものを身につけてほしい、こういう考え方は一つも変わっておらないのでございます。免許状授与の手続上、一般教育についての個々の中身を要求することは前回の改正によってやまったのでございます。法律の改正に伴いまして当然個別の要求は一般教育科目の内容について規定をいたさないことに相なりました。しかし、そのことは、一般教育を軽視するとか、一般教育を受けなくてもいいとか、そういう趣旨では毛頭ないということは繰り返し御答弁を申し上げているとおりでございまして、私どもは、実質的に大学卒という基礎資格の上に免許制度を考えて十分な教養を身につけた人が教科の専門について、教職の専門についての知識を持って教壇に立ってほしい、この考え方には何らの変更もございません。
  160. 加藤進

    ○加藤進君 るるおっしゃいましたけれども、それは文部省の主観的な見解です。客観的にはどうだ、法令は変わっているのです。文部省によって変えられたのです、われわれが反対しても。そこから憲法は抜けたのです。憲法抜きの教育者がこれからは誕生する危険性がある。だから私は重ねて言っておりますけれども、あなたたち大学でも勉強するであろう、試験問題の中にも憲法についてはきちっとした試験をやるからそういう問題についてパスしない者はこれはもう教師にしませんよと、こうおっしゃると思います。そこで、ここにもありますけれども、昭和四十八年度一般教養科目の試験問題がある。二十問の試験があるんです。二十問の中にさがしてみますと、確かに憲法がありました。第六問に憲法がありました。どんな問題かと申しますと、これは参考までに読んでおきます。  「次の文章は日本国憲法について述べたものである。この文章のうちから正しいものを一つ選び、ア、イ、ウ、エ、オの記号で答えなさい。  ア 思想および良心の自由はこれを侵してはならない。  イ 天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみを行うとは限らず、国政に関する権能をも有する。  ウ 国務大臣の三分の一以上は、国会議員の中から選任されなければならない。  エ 内閣は衆議院で不信任の決議案が可決され、あるいはまた信任の決議案が否決されたとき、には、直ちに総辞職する以外に方法はない。  オ 日本国憲法の改正は、まず各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が発議し、議決すれ、ばそれでよい。」  このア、イ、ウ、エ、オのうち正しいものを一つ選んで答えなさいと、こういうことでございます。文部大臣、まさか間違ったお答えはされないと思いますけれども、これの中で一番正しい答えというのは一体どれでしょうか、ア、イ、ウ、エ、オの中で。
  161. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 思想信条の自由を侵されないということであろうと思います。
  162. 加藤進

    ○加藤進君 御名答でございます。その程度の答えなら私は小学校卒業、高校に入る入学試験でもこれはできるのですよ。これで通ればもう憲法はさよならですよ。そうでしょう。こういう事態が起こっておるんですよ。なかなか困難だ、いろいろこの施行規則でとにかく削ってしまったんだから、もうこれは拾い上げることは不可能だろうとおっしゃいます。施行規則で削ったのなら施行規則で、施行令でどうしてこれを拾い上げることはできないんですか、文部省は。それぐらいの重要性を憲法は持っていないのですか、憲法学習は。文部大臣、私は、この点については単に通達——通達というのはこれは行政指導でしょう。だれの名前で出されているのかというと、これは文部大臣の名前で出されておるわけじゃない。木田さんの名前で出されておるのですよ。その程度のものなんです。こういうものでお茶を濁して憲法を軽々しく取り扱うようなことで、ほんとう教育行政を取り扱うことができるのかと、私はこの資格が問われておると思うのですよ。私は、もう時間がありませんから、あえて申し上げませんけれども、結論的にどういうことが言われるのか、行政指導されるのは、これはけっこう、やりなさい。しかし省令、施行規則によって削られたためにせっかくの憲法学習が義務化され、義務化されることがなくなったといわれたということであるなら、それについて特別に省令をもってもう一度復活させる、憲法学習は義務的にやらなくちゃいけません、重要なものです。これは教育基本法を読んでみれば明らかではありませんか、教育者はまず日本の憲法の趣旨と精神をしっかり身につけて、その立場から民主的で平和な文化国家を建設する、その建設の人づくりの一番大きな仕事はまさに教育者自身にあるんですよと、こう言っておられるわけですから、その教育者に憲法をしっかり履修し、憲法をしっかり身につけるように努力してほしいと、このことを私は重ねて特別に、これを省令であらためて規定していく、こういうことは私はできないはずはないと思います。木田さんにはできないとおっしゃる答弁があるかもしれませんけれども、私は、文部大臣にはそんな答弁はできないとは私は言わせない。その点いかがですか。できないというならできないでけっこうでございますけれども、その点の所信を最後にきちっとお尋ねをして私の質問を終わりたいと存じます。
  163. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 繰り返し申し上げるようでございますが、法律の規定の中に一般教育三十六単位、こう規定されており、施行規則がこれを受けまして三十六単位のうち憲法二単位を含むと、こう書いてあったわけでございます。親がなくなったものですから、施行規則の規定も削除になった。しかしながら、実体は変わりませんということが通達で明らかにされておるわけでございます。各学校教育免許状を取ろうとする生徒に、学生に教えます場合には、当然憲法を履修するように指導してまいるものだと、かように考えておるわけでございます。この点につきまして、加藤さんは特段の御心配を持っておられるようでございますけれども、今後の推移を見守りながら、もし、加藤さんの御心配のようなことが起こってくるなら、その際に必要な措置をあわせて考えさしていただきたいと思います。私は、法律施行規則の改正の経過、同時に、また文部省からの通達で十分学校当局には理解されていると思いますけれども、もし違ったような事態が起こります場合には、その際に、必要な措置をとらせていただきたいと思います。
  164. 加藤進

    ○加藤進君 これは立法技術上困難だという問題ではない。憲法に対する認識がどれだけしっかりしておるかどうかを私はためされてきておる問題だと思う。日本文教行政のあり方がためされてきておる問題の一つだと思う。こういう観点から私は何も閣議で決定してほしいなどということでなしに、省令でできるわけですから、文部大臣がそのような決意で新聞にも検討するとまで言われておるわけですから、検討を早急にやっていただいて、こういう憲法学習についての不安と疑念が一日も早くなくなるように努力してほしい。今後こんなことが起こる場合の心配としてそのときにきたらやるなどというような、後手後手に回るように私は行政行政ではない、こういうふうに重ねて最後お尋ねし、お願いして、その点についてのもう一度決意をお聞きして私は終わります。
  165. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 私は学校当局の良識というものを信頼いたしておるわけでございます。おそらく学校当局も教師としての免許状を取ろうとする者、そういう人たちについては、憲法についての相当な知識を持ってなきゃならない。これはもう当然理解していることだと思います。また、教師になろうとする人たちにつきましては、当然、そういうことが要請されるでしょうし、同時にまた、そういう気がまえを持って勉強してくれるだろうと、こう思うわけでございます。したがいまして、いずれにしましても、加藤委員はたいへん御心配になっていますし、文部省の事務当局としては何ら不安はないと、こう申し上げているわけでございます。したがいまして、今後の推移を見た上で考えさしていただくということで御了解を賜わりたいと思います。
  166. 小林武

    小林武君 いまの点で一言、私も希望を一つ申し上げます。  やっぱり昔は学校子供が入ってきて、「いろは」のいの字もわからないうちから教育勅語というのを、校長さんはもう儀式があるたびにやっております。その中には「國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」これはもうほんとうに小さい子供からたたき込まれたわけです。だから、それともう一つは、今度の問題について一番問題なのは、やっぱり私も加藤さんと同じように不信感を持っているわけです。というのは、政府のものの考え方には、憲法というものをどの程度一体重要に思っているかということについて不信感を持っておる。たとえば憲法制定の記念日なんていうのは、できた当時からいまの状態になってくるというとまるきり変わってきている。あるいはいろいろな国会の中で議論される法律の点についても、それから毎度、私も言うことですけれども文部省が当初日本の新しい教育をやるにあたって、憲法というものがどれぐらい大事であるかということを主張した。「民主主義とは何か」というようなことまでこまかく書くようなものが文部省から出されて、それに従ってまあとにかく日本教師もあるいは一般国民も新しい日本をつくるんだというようなことで張り切ってきたわけです。それがもう二十数年でもって、憲法というものがお粗末に取り扱われるというような時代になっておるということは、少なくとも、いまの政府並びに与党の中には、憲法というものに対して、それほど大事には思っていない。それどころか、もう何とかして早くこれ改正して、改正の「正」がなくて、もうとにかく改めてと称するのが自民党側ですけれども、いまのような憲法のじゃまなところはとってしまわなきゃならぬというような考え方があるのではないかという不信感がある。だからこの問題は一そう深刻になると思います。でありますから、先ほど来、とにかく加藤さんもるる述べたけれども、最後には、きょうはもうあきらめたようなことを言っているけれども、これはあきらめられるものじゃないんです。どこまでも論争点であるけれども、これについては文部大臣も、先ほどの答弁の中にも出たように検討すると言ったんだから、省令で解決することならば、文部大臣は前の手続がどうだとかいうことにこだわることなく、やはりすなおに質問者の提案を受けるべきだし、われわれも質問者と同じ考えですから、ひとつそのようにお取り扱いを願いたいと思います。それを今度またやるのかやらぬのかと聞いておったらどこまでいくかわからぬからこれでやめます。  私は、七十二国会における文部大臣の所信について最初にお尋ねするんでありますけれども、これは本論に入る前のことです。ここで私は一番初めのほうに、「国際人としてだれからも尊敬され」というのは、これは田中さんが行ってだいぶやられたから変えたのかどうか知らぬけれども、そのあとか先かちょっとはっきりしないけれども、これはわりあいに珍しい取り上げ方だと、私は思っているんです。国際人というのは、一体どんな人間をいうのかということを文部大臣に初めにこのことを聞いておきたいと思います。私は、語学のほうは全然だめですからね。国際人というのは、いま少しそこで辞典持ってきてもらって引いてみましたけれども、どれが一体正しいのかよくわかりませんけれども、私は、自分でやられたことは知っているんです。日教組教育というのはコスモポリタンをつくる教育だと、こういう攻撃は猛烈に受けたです。コスモポリタンと、ここでいう国際人というのは、英語で言えばどっちに入るんですか。コスモポリタンに入るのか、インターナショナリストとでも言うんですか。ここらは一体どういう、まあそれは外国語と比較する問題ではなくて、どういうたてまえで言っているかということ、しかも、その用容は何であるか。あなたはこのごろなった文部大臣だから昔のことは知らぬとは言えるかもしれないけれども、しかし、教育の伝統というのは、自民党の中にあるはずです。コスモポリタンの教育をやっている日教組は許せぬと、こういったあの猛烈な攻撃と、いまあなたが強調されている国際人というのはどういう関係にあるのか説明していただきたい。
  167. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 私がこの中に言っております「国際人」というのは、具体の日本人として国際社会の中に生きる者という気持ちでございます。抽象的な人間じゃなしに、具体の人間として国際社会の中で生きていかなきゃならない、そういう意味で「国際人として」ということばを使わしていただきました。
  168. 小林武

    小林武君 そんな話じゃまずいです。どういうふうに生きるんですか。
  169. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 最近、国際社会にいろいろな問題が起こっているわけでございますけれども日本人は閉鎖性が強いとか、いろいろなことが言われておりますし、また、いま御指摘がありましたように、東南アジア総理訪問の際に、日本人に対しまして現地でかなり反発的な空気も出たわけでございまして、そう見てまいりますと、国際社会から尊敬され、信頼される日本人になっているかどうかということになりますと、問題は非常に多いわけでございます。日本は特に資源のほとんど全部を海外に求めていかなきゃならない。本来、世界というものはそういうものだろうと思うのでございますけれども、とりわけ日本の場合には、国際社会の中で生きていかなきゃならないわけでございますだけに、どの国からも信頼され、尊敬される日本人でなければ将来日本の平穏あるいは発展をはかっていくこと自身ができない。国際社会全体がともに協調し合って、そして人類の安全福祉を考えていかなきゃならない、そういうたてまえに立って日本人のあり方を求めていくべきだと、こういう気持ちでございます。
  170. 小林武

    小林武君 まあ、文部大臣は案外気楽にそういうことをおっしゃる。おっしゃるけれども、私は中身から見れば、何を言っているのだかよくわからない。具体的な人間が、国際社会の中に具体的にこう生きていくということになった場合に、だれからも尊敬され、親しまれるというようなことを、これ口で言うことは簡単だけれども、これはなかなかないですね。たとえば、資源のない日本の国が資源を輸入して、そうしてそこで金をもうけようとすれば、やはりそこには一つの、どんなにいろいろな配慮をしても問題になるところがある。その資源を今度は加工し、一つの新たな製品をつくって売り込めば、そこには、金もうけというものが起これば、これもまたなかなか問題が起こる要素がある。事実上なかなかないものですよ。私は、だから、そんなことはなかなかできないと、たとえばあなた今度文部大臣になられてアジアのいろいろな問題にぶつかって、アジアの青年たちを日本に連れてきて教育をしてやろうとか、あるいは留学の便宜をはかろうとかというようないろいろなお考えもあるかと思う。これは文部大臣は当然だと思う。私は、ある時期に日本から留学した、イギリスや——当時戦争の終わったあまり間もなくのころですから、そのころでしたが、一様に聞いたことは、日本の留学生ですよ、日本の留学生が、みんなではありませんけれども、大多数の、イギリスに行こうが、フランスに行こうが、どこに行こうが、一様にやはりその留学先の国に反なにといいますかな、イギリスなら反英的なような気分を持って帰ってくる。これはふしぎなものだということを聞いたことがあるわけです。これはなかなか私はむずかしい問題だと、当時思いました。やはりおまえのほうのまあおくれた国からひとつ来た者に対して研究の便宜を与えてやろう、あるいは教育をしてやろう、あるいは戦敗国であったおまえのほうを受け入れてというようなことが、当時の考え方の中には、向こうにあるかもしれませんし、まあいくさをやっているころには、まあ戦争には強いけれども、どうせ最近とにかく一人前になったような国だという日本に対する考え方もあって、そういう気持ちが先進国と称するものにあったとも考えられる。しかし、何はともあれ、若い人たちを受け入れて教育するというようなことをやれば、これは当然感謝してくれるだろうというような考え方はなかなかむずかしい問題だということです。  そこで、私は、だれにも好かれるなんということは不可能なことだと思うのです。だれにも尊敬されるなんということは不可能なことです。しかし、やっていけないことをやらないということは、これはできる。このことを大臣はどう思いますか。日本の場合ならば、戦争をやらないと、そういうことが大事なことであったろうし、あるいは人種的な差別を持たないというようなこととか、自分たちのやれることをはっきりやるということが大事で、だれにも尊敬されるとか、そんなできもしないことをいろいろたくさん並べて国際人の内容にするなんということは、私はいかにも何かこっけいなような気がするのです。さっきの話じゃありませんけれども日本国憲法という憲法はなかなか内容的にいろいろないい面を持っている。このことをわれわれははっきり知ることが大事だと思うのです。そうすると、一体、あなたはっきりしないのですが、これからコスモポリタンの教育だなんというようなことを文部省からは出てこないことは間違いないね。国際人の教育だから、まあ何と言うのか、あなたが英語使って言うということになったら何と言うのか知らぬけどね。少なくとも、そういうだれにもとかなんとかというようなあいまいなことじゃない。人を攻撃するときには、このコスモポリタンの教育をやっているだとかなんとか言うわけですね。日本人を全部コスモポリタンにするというのか、こういうことを言うた。これは文部省にいる古い人たちはみんな知っている。そういう教育との区別をどうつけるのか、これは誤りであったのか、文部省の中にある考え方として誤りであったのか、日本の保守党の政治家の中にあるこれは考え違いの一体ものであったのか、この点、私ははっきりしてもらいたいと思うんです。これはもうここにいない人のこと言うてもしようがないから。あなたが考えた場合、国際人の教育ということを言われた、なかなかけっこうなこと言われたけども、なかなかむずかしいんでないかと考えたから。そこまでいかぬでも、やるべきことでないことをやっちゃいかぬ。侵略したり搾取したりするというような、そういう、搾取なんと言うと、また何とかという、あなたのほうは、搾取言うと革命とかということばとすぐ結びつける癖があるようだけども、それはともかくとして、よその国を搾取したり侵略したり、極端に高い物を売りつけたり、こういうようなやり方やらない、やっていけないことをやらないというような、そういう気持ちと、もっと一歩進んだところにいけば、それは国際人になるのかどうか知りませんけども、いままでのそのコスモポリタンの何とかといったようなことはどうなんですか。あなたのほうで、それとあなたのおっしゃることとの違い、違いがあるならば、そういうことは全く同じことであるならば、そういうことは言うべきでないということを言ってくれればよろしい。いや、そう言うたのには意味がある、許しておけないんだというようなことであるならば、堂々とここでその違いを述べてもらいたい。
  171. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 国際社会に生きる人間として日本人はどうあらねばならないか、常にその反省の上に立って努力をしていかなきゃなりませんし、教育の上においても、そういう配慮が必要だと思います。結果として他国から信頼され、尊敬されるということが得られない場合があるかもしれませんけれども、私は、常にそういう努力を続けていくべきものだと、こう思っております。いま具体の例としてアラブと東南アジアの例が出たわけでございますが、アラブから石油を求める場合にも、買ってやるんだということじゃなくして、やはり同時に売ってもらうんだという立場も忘れてはならないと、こう思います。  また、東南アジアの問題にいたしましても、東南アジアの文化あるいは生活様式、日本とはかなり違いますけれども、これはやはり東南アジアの文化、伝統、生活様式、それはそれなりに私は尊重してかかる、尊敬してかかる日本人の姿勢が必要だと、こう考えるわけでございます。そういう意味においては、日本人はまず自国の持つ文化、伝統、これについての関心を探くし、これを尊重してかかる姿勢がなければ、他国の文化、伝統を尊重することは私はしにくいんじゃないかと、こう思います。日教組の問題についてコスモポリタンだという話があったそうでございますが、その事情を私はつまびらかにいたしておりません。しかし、日教組が組織として儀式、行事の場合でありましても国旗、国家に反対だという態度をとっておられることにつきましては、私は、これは適当でない、やはり自国の国旗を大事にする、その姿勢がなくて他国の国旗を尊重することができるだろうかと、こう言いたいわけでございます。国を愛する心なくして他国を愛することができるだろうかと、こう考えるわけでございます。そういう意味におきましては日教組のとっておられる政策につきましては、私は反対の点がたくさんございます。
  172. 小林武

    小林武君 国旗、国歌があんたはだいぶお好きなようだけれども、国歌、国旗をやっていると話がまたあれしますから、これはまたあらためてやりましょう。あらためてやるけれども、いまのあんたの国際人というものの考え方についてはなかなかそういかぬですね。やっぱり教育の事実というものを知らぬからでしょうね。変わるものですわ。日本文化というものの尊重というのは、私が昭和の初めから教員やってて、とにかく必要以上に強調されて子供に教えたと、教科書がまたどんどんどんどん変わっていく、そして戦争が始まると八紘一宇というようなことが言われた。日本文化の優位性というものを強調する形の中で、日本文化の中に抱き込むこと、日本文化に従わせることがこれが八紘一宇の精神だとこういう、あんたもそのこと知らないはずないでしょう、年から言えば私よか少ないけれども、わからぬはずはないでしょう。八紘一宇の精神なんていうものはいかに侮べつ的なものであるか、侵略的な意味を持っているかということですよ。私はやるべきことでないことをやらないことだということ、物を買うとか売るとかという問題は、これは対等の商売、無理なことさえしなければ有無相通ずるという、世界の中のあればちゃんと一つのルールがつくられてずっといくわけです。私はそう卑屈になることもない、買わしていただきますというようなことをやたらに言って歩かぬでもいいと思う。ある程度そういう無理してやるよりかも、産業構造を変える変えるとこのごろ言っておりますが、私のようなしろうとは簡単に産業構造なんていうものは二日や三日でできるもんじゃないと思っている。しかしながら、それは将来考えるべきだ。資源のない国がどういう生き方するかというやり方はそれは考えなきゃいけない。しかしながら、それほど卑屈になることはないと私は思っております。だから私はやっていけないことはやっていけないんだ。私は自分の文化を大事にするものは、他の文化を大事にすることだというようなそういう論法はきわめて一致するところもあるけれども、また、きわめて侵略的な意味に転化するおそれもあるんですね。私は自分の文化というものと他国の文化というものを比較する場合に、いかに相手方の文化というものを理解してやるかということ、このこと必要だと思うんですね。しかしながら、それは日本文化というものを正しく評価するという能力がなければだめです。何でもかんでも日本がいいだなんて考えるようなそういう浅薄な程度ではだめだということです。これはここでやめておきましょう。  ただ、あなたに申し上げたいのは、日教組何とかと逃げましたけれども、一体もう少し国際人教育と言ったら、国際人教育についてコスモポリタンといって非難した政党のあなたは大臣なんだから、一体どういう内容であるかということについては、いずれやっぱりはっきりして答弁するべきだ。きょうは突然できっとまとまらなかったと思いますが。  私は、その前に二つの省の方においでいただいているんですが、もうちょっと待ってください。こちらのほうで大臣に聞きたいことが一つあるわけです。私はまあ大臣がこの所信表明の中で、「教育の成果というものは究極のところ教師の力量に待つところが大であります。」というこのことを初めに出してきたことは非常に賛成です。しかし、教育がすべて教師の手でできるものだなどというようなことを教師が考えてもらっては困ると思っております。もっと謙虚にならなきゃいかぬと、国民全体がある意味では教師になってもらわなきゃならぬこともございますし、家庭の重みということもこれはもう十分計算の中に入れなきゃなりません。しかしながら、教師の力量に待つことが非常に多いということはそう認めて、そうして教職に人材を得なければならないという考え方は、私は、ここで取り上げたことについては認めます。大事なことを指摘したと思います。ただ私は、教師というものを考えた場合に、大臣はどう教師というものを見ているんだろうと、これは一人一人の教師のことを言っているのか、私は何かそういうようなことを考えたんですね。大臣の考え方の中には、これは文部省全体の中にある考えじゃないかと思うけれども、一人一人の教師というようなことを考えているんじゃないだろうかと。いわゆる個の教師というようなものをこう目標に置いている。私はそうでなくて、一つ教師の集団、たとえば小ならばこれは学校という単位の中における教師、この教師の力量ということを考えなければほんとう教育は行なわれないと思うんです。一人の人間でやった場合と、これはもうちょうど野球のようなもので、チームワークのとれない学校なんというものはおよそ私はだめだと思っております。どうやってチームワークをとるかということです。そういう考え方について文部大臣は考えておられるかどうか。あるいはもっと大きな集団としての教師というようなものがどうなのか。これは学問の世界ではそうですね、学会だとか何だとかいろいろありましょう。あの学会というものの存在が、学問の進歩に非常な貢献をしているということだけは間違いない。さらに、それを国際的に広げるということによってもっとやっぱり高度のものになっていくということはあなたもお認めいただいているかと思うんですが、この場合の教師の力といった場合、力量といった場合に、いま私が申し上げたような、個のものももちろんそれは入らないとは言いませんけれども一つ学校の中の力というものは五十人いたら五十人の力のプラスしたもののあれだけではなくて、もっとそれ以上の力を出すというようなこと、そういうことはこの中に含まれているのですかどうですか。
  173. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 私が文部大臣に就任以来申しておりますことは、教育のにない手は教師だと、だから教師に人を得なければ教育の実をあげることはできない、文部省なり教育委員会なりは教育の諸条件の整備に当たっていくわけだから、教師ないし教師の集団と文部省ないし教育委員会とが協力し合うのでなければ教育の振興をはかることは不可能だと、こう考えまして、こういうことを言い続けてまいってきておるわけであります。
  174. 小林武

    小林武君 まあ、そう考えなかったら全くおかしい話ですから、その点ではまともなお考えを、持っていると思います。  それで、条件の整備に一段の努力をすることが必要であると思いますということ、私は、その条件の整備というのは学校教師だけでやれるものじゃないと思うんです。これは教育関係の、教育委員会といい、文部省といい、あるいは政府全体として、あるいは地域住民、あるいは父兄の方々、それらみんなが条件整備に一段の努力をするということになりますけれども、しかし、一番問題になるのは、教育には金がかかるということです。教育が金かけずによくなるというようなことは口では言えてもそうはいかぬ、ある程度の金はかけなければなりませんから。その条件の整備ということに金の問題もありましょう。予算という問題が重要だと思っております。私はだから文部省の予算が少しでも膨張しますというと、私は喜びにたえないというような気持ちになる、その努力には非常に感謝もする。同時に、やはり金で買えない環境の整備というものをどう一体ほんとう教師教育意識に目ざめさせるというか、意識が高揚して、そうして教育にみんなが真剣に努力をするようになるかというような、そういうやり方はまたこれは文部省の役目であり、これは教育委員会の役目だと思うんです。そういう点では、私はいまの制度というものは若干教育委員会制度が変えられてからぐあいが悪いと思っておりますけれども、いまの段階でいえば、それは大いに責任のあることだと思う。  そこで、私は教師というものの理解がどうもいささか文部大臣をはじめ文部省の皆さんの中にも足りないのでないかと思うんです。そういうこと言うとはなはだ失礼なようだけれども、しかし、皆さんもまたわれわれに対してそういうことを思っているかもしらぬ、もと教員やったやつがどうもあいつらが認識不足だというふうにお考えになっているかもわからない。ここらあたりは議論してみなければわからぬですけれども。ちょっとやはり違うのではないか。たとえば一つのチームワークをつくるという点になると、私は文部省やり方はチームワークじゃないと思うんです。そうでなくて、号令をかけたがるあれがあるんです。号令主義だね、右を向けと言ったら右を向けと、この命令に違反してはいかぬと、こういう考え方になると、おしまいになると昔の軍隊みたいに足に靴を合わせるのでなくて、靴に足を合わせろというようなものの考え方、こういう考え方になるおそれが十分にあるのでないか。だからその摩擦が相当大きいと、こう思うんですが、この点は文部大臣はどうお考えですか。ずいぶんおまえさんもひがんでいるなあというふうにお考えになっておりますか、どうですか。
  175. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 教育は個人個人の持っている能力を引き出していくことだと、それだけに先生方それぞれくふうをしていただかなければならないということが言われているわけでございまして、そういう意味においては、必ずしも型にはまった人間をつくっていくのだというようなことがいまの教育の指導方針にはなっていないように思うわけでございます。したがいまして、先生につきましてもいろいろな努力が期待されるわけでございまして、先生そのものが型にはまったものでなければならないというふうにはひとつも考えていないわけであります。
  176. 小林武

    小林武君 文部大臣もう一つお尋ねいたしますが、この日本教師というものが本気になるときは、教育の職にあるということを一つの生きがいとして持っているかどうであるかということです。つまらぬ仕事をやっているというような考えになっているか、それとも、それは人間ですから不平も不満もあったり、あるいは労働がきついなんと思うこともあったりするかもしれませんけれども、この仕事が大事だということ、それからこの仕事が大事だということは、子供がかわいいということ、自分の教えている子供がかわいいと、できるだけ伸ばしてやりたいなという、そういうところに別な形を取っていく、そういう生きがいを感ずるような点についてどんな配慮をしなければならぬと思っておりますか。
  177. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 多くの先生方、それは子供が成長していくこと、それに最大の喜びを感じて教育の現場で働いていてくれるんだと、こう思うわけでございます。そういう先生をわれわれとしては一番期待したいわけでございますけれども、最近の教育学部の志願者の状況を見ておりますと、この数年少しずつふえてきているようでございまして、若干喜んでおるわけでございますけれども、なお、一そうそういう傾向を強くしたい。そのためには処遇の改善もはかる、それがやはり一つの条件になるだろうと、こう思って努力もしているわけでございます。それのみならず、安んじてその職につけますように定年の延長というようなことについても努力を払っているわけでございまして、あとう限り私は社会から尊敬される先生先生を尊敬する社会にしたいなと、こういうことをときに触れおりに触れて申しているわけでございます。ぜひ教育に生きがいを感ずる方々ばかりの教育界であるような環境をつくり出したいものだと、かように念願をいたしておるわけであります。
  178. 小林武

    小林武君 どうもやはり文部大臣は物事をあまり簡単に考え過ぎているようですね。生きがいというようなものね、生きがいを感ずるかというようなことのあれにだんだんこのごろふえてきたということをおっしゃいますけれども、それはことしのあれかもしらぬし、それからその県によってもいろいろ事情はありますね。大体教員の志願者が多いのは、これは不景気になってくると教員の志願者というのは多いのですよ。師範学校の入学者というのが猛烈に多くなるのは、これは不景気のときに多いのです。それから教員の独身の教員に嫁さんの行き手がたくさんあるというようなこと、これは大体産業のあまり盛んでない、何といいますか、高給取りといえば教員ぐらいしか目に入らぬようなところだというと、大体、町の娘でも、村の娘でも、教員なら嫁に行こうかというのがわりあいに多い、そういう傾向があるのですけれども、これはりっぱな統計があれば、簡単に証明できると思うのですがね、そういうことになるのです。これはもうずっと師範学校時代からずっとやってみればすぐわかります。教員をもっと優遇するというような話で、この間も何か言った記憶がありますけれども、兵役を免除してやろうとか、それからそのかわりに税金を取らないとかというようなばかな話があったけれども、私は、人を教育するというような立場の者が、人が当然やらなければならぬようなそういう義務のものを免除してもらって、こういう特権を受けているから一生懸命やらなければならぬなんというのは情けない。私は、師範教育の根本的欠陥はそこだと思っておったです、兵役免除だと。私も免除だったほうですけれどもね。五カ月行っておけば、とにかくあとは戦争が始まったって行かぬでもいいということだった。これがもう少し若ければあの戦争にもけっこうやっぱり五カ月短現でも呼ばれたのはあるのですけれどもね。ちょっとやっぱり年をとり過ぎておって、ちょっと行かなかったけれども。これはしかし、こんなばかなことを考えないようにしてもらいたい。それにかわるものとして税金を納めるのを安くしてやろうなんて、こんな免税だなんという情けないことをやったら、子供の前へ行ってほんとうのこと教育はできないですよ。そんなばかなことでは、特権を持つようなことでは。私は、人のやることをきちんとやって、そのかわり教員教員として受ける正当な賃金というものはちゃんともらうということでなければいかぬ。特殊な仕事ならば、特殊な仕事のようなひとつ修練を積まなければならぬのだから、研修をやらなければならぬのだから、それに値するようなことはやってもらわなければなりませんけれども。そういう点は、あまりにも教員をばかにしたような優遇策なんというものはやるべきではないと思います。日教組、だいぶ皆さん気に食わないようでしたけれども、人確法が出てきたときに、日教組教員が、ほかの官庁の労働者とか、ほかの同志のような労働者にぬきんでて、ほかのほうは悪くなってもぼくのほうがいいと思われるようなことはいやだというようなことを言ったときに、私は感心しました、ほんとうのことを言って。これは、明治生まれだからそういうことを言ったのじゃなくて、私は、かつて師範学校の生徒であったときに、あるいは卒業してから教員をやったときに、一番ひけ目を感じたのはそこですから、だから私は、りっぱなことを言ったと思って感心しておったのです。これはひとつ、文部大臣なんかも腹の中にきちんと入れておいてもらいたいし、与党の方々もひとつ、あめしゃぶらしておいてというような考え方を教員にはやっちゃいかぬということを申し上げておきたいと思います。  少しよけいに前のほうに申しましたから。ここで私は、少し文部大臣に今度は聞いていただきたいから、ほかの省の方に来ていただいてごめんどうかけるわけですけれども、「日本人の生きがい構造調査」産業構造審議会余暇部会というから、これは何省でございましたか。
  179. 久礼彦治

    説明員(久礼彦治君) 通産省でございます。
  180. 小林武

    小林武君 この生きがい調査というのは、実はぼくは新聞の切り抜きしか持っていないのです。あとでもらいましたけど、この膨大なあれは読んでおりません。しかし、私の持っているのは三月二十九日の読売新聞の「職場砂ばくに警鐘」なんていう表題がついております生きがい調査。これは私は、教員ばかりではないですけれども、非常に生きがいということについての調査の中から、大事なことをひとつ考えついた、そういう意味でお尋ねするのでございますけれども、これは通産省が、こういうことをやるまでに至った、また、この調査をやった目的というようなものがあったら御説明いただきたい。
  181. 久礼彦治

    説明員(久礼彦治君) 御説明申し上げます。通産省では、余暇の問題というのが、人間の生活にとって非常に大きな比重を持ってくるであろうということを感知いたしまして、二年前に、財団法人余暇開発センターを設立し、研究してまいりましたが、昨年の十月に至りまして、産業構造審議会の中に余暇部会というものを設けまして、余暇部会の中に四つの小委員会、二十の分科会を設けまして、現在、大学の先生でございますとか、民間の専門家約二百名にお集まり願いまして、来年の七月ごろに答申すべく、鋭意余暇の問題を検討しておる次第でございます。通産省が余暇のことをやりますと、ゴルフとか、ボーリングとか、レジャー産業のことというふうに考えられがちでございますが、実はレジャー産業のことも四分の一をやっておりますけれども、あと四分の一は、現代と余暇ということで、歴史の中から見た人類文化史における余暇の役割りでございますとか、哲学的、または精神的ないろいろな諸科学から見た余暇の役割りでございますとか、また、余暇そのものが現代にとってどういう意味を持っており、将来、いわゆる脱工業化社会においては、どういうふうな役割りを占めるであろうかというふうなことが四分の一でございます。あと四分の一は、外国における余暇なり、余暇政策、それから最後の四分の一は、はたして日本で余暇行政としてどういうことをやるべきであろうか、また、やらないほうがいいのであろうかというふうなことを検討しておる次第でございます。  さて、余暇の問題といいますと、非常にジャーナリズムの世界ではもてはやされておりますけれども、基本的な資料とか、データというものは、きわめて欠除しておりますので、私どもは、審議いたしますかたわらで、新たにデータを集めたり、調査をしたりということをやっております。最近、発表いたしました「日本人の生きがい構造調査」というのも、そういう調査をいたしました一つでございまして、まあこれは今後分析し、提言ということで、ことしの七月までゆっくりあたためてもいいわけでございますけれども新聞社の皆さま方からも、むしろデータのままで公表して、皆さんに広く興味を持ってもらったほうがいいのではないかという御意見にサゼストされまして、発表したものでございます。
  182. 小林武

    小林武君 私が、ここで非常に興味を持ちましたのは、ちょっといまの通産省の御説明の中にありました余暇というのは、余暇だけの問題ではなくて、産業構造審議会というものがある。産業構造審議会とのかかわり合いで、余暇の問題というものをやったんだと思うのです。これについてはよく読んでおりませんし、御答弁も要らぬのですけれども、私はここで、日本人というのは、新聞に書いてある「働きバチ」だと、こう言われる。しかし、日本の青年も、これは私は若い教師になる人たちのことを考えながら、これに非常に興味を持ったのですけれども、この人生の目標というようなものに日本人というものは、若い人でもやりがいのある仕事ということを取り上げているということが、たいへん私は興味を持つ。やりがいのある仕事、——やりがいのある仕事というのが日本人の考え方である。外国人はほんとうなのかどうか知りませんけれども、やりがいのあるような一生を送るために働らくということをやるのだというような考え方だと、こう、新聞には書いてある。そういう見方をする者がある。しかし、日本人の場合は、仕事そのものにおいて、日本の男、女の平均からいえば三四・五%ぐらいはそう思っているし、男だけなら四一%だと、こう数をあげている。私は、このやりがいのある仕事ということをどうとらえるかということが、若い人たち、われわれ文教委員会としていえば若い教員の人たち、これをどう一体文部大臣がとらえて、やりがいのある仕事にしてやるかどうか、これは文部大臣がいままで考えていることをずっと私お聞きしておったのですけれども、これはやりがいがだんだんなくなるようなことも相当あると思うんですね。もう、とにかくがんじがらめの中にあって、ほんとうに自分の力というものを十分に発揮できない。あれもいけない、これもいけない、これをやるといかぬというようなそういうやり方。それから管理体制がどうだとか、何とかいうようなことをやかましくまた言われるというようなこと、やりがいあるものとなると、一生を通じてやる仕事というものを選んだ場合に、まあ転職ということも、たいへんこれは、昔ならば転職する者はろくな者いないというようなことを、まあわれわれも子供にもそう教えたことがあるんですね。職をかえないということは大事だよというようなことを盛んに言ったことがある。しかし、このごろはそんなこと、転職なんというようなことをそういうふうに見なくなりましたけれども一つの仕事を、どんな仕事でも、転職してもしなくても、やりがいのある仕事、このやりがいのある仕事というものは、一体どういうものですか、それから、これは一つは、文部大臣はあれだから、初中局長、それから社会教育局長か、今村さんとお二人にひとつお聞きしたいんですけれども教員の中であって、やりがいのあるというようなことについてどういうふうに思っているか。社会教育の面からと、それから直接初中局というような立場からいって、何かいままで調べたもの、あるいは皆さんがいわゆる教育委員会とか何とかから聞いていることがあったらお聞かせいただきたい。
  183. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 教員の側から考えますと、やりがいがあるというのは、まあ自分の能力と申しますか、そういうものができるだけ発揮できるようなということではないかと思います。ただ教育というのは、これは子供のためにやるわけでございまして、教員を中心にして考えるということにはなかなかなりにくい。まあしかし、先生方の力ができるだけ発揮できるような、そういう環境を整えるということも、これはやはり先生方の能力を発揮していただいてひいては教育全般の効果を高めるという上では私は必要だろうと、まあ、そういうふうに考えております。
  184. 今村武俊

    政府委員(今村武俊君) 社会教育のほうでは、学習指導要領の基準がございませんので、そういう観点から社会教育局長としての生きがいという考え方、まとめておりませんが、個人の意見を述べてもよろしゅうございましょうか。
  185. 小林武

    小林武君 個人的、どうぞ。
  186. 今村武俊

    政府委員(今村武俊君) 世界青少年の意識調査のおりにも明らかになったことでございますが、人間は誠実と愛を求めておると、そういう誠実だとか、愛だとか、人間愛だとか、そういう人間が求めている方向に沿って自分の生活がされており、そういう生活を意識するときに生きがいを感じる、その場合に、自分自身が生かされておるかどうか、自分自身が創造的に参画しておるかどうか、非常に重要な要素を占めておると思います。ただ、また人間は社会生活を営んでおりますので、自分自身の創造性が生かされておると思いながら、また他人から全くはずれておるという意識を持つときには不安感がございます。やはり個人の力を発揮しつつ、なお社会性の中で生きている、そして自分を実現している、そういう際に生きがいを感じるのではないだろうかというようなことを個人的に考えております。
  187. 小林武

    小林武君 私は、まあいまのことで十分お二人に考えていただきたかったのは、先ほど申し上げた、日本人というのは、もう非常に多くの者がやりがいのある仕事、仕事というものに非常にまじめな、まじめな考え方というか、私は重要度を置いているということについては、私は非常にいいことだと思っているんです、仕事というものにね。しかし、仕事が大事だから余暇があるというふうにも考えられるわけですけれども、仕事というものに非常に重要性を置いて考えている。したがって、やりがいのある仕事についたという、やりがいがあるということを感じながら働いているかどうか。また、全体としては、教育世界であるならば、教育世界教師がやりがいのあるというような、そういう気持ちを抱きながらやらせるというような環境づくりに責任を持つものもある。そういうものが一体化したときに初めて教育というものはまともに発展していくんだと思うんですけども日本の職場の場合、これは通産省にお尋ねいたしますけどね。これはここにも書いてあることですけど、一体この職場で、職場砂漠だと、こういうような考え方を持つ者、おのれが生かされているというような感じを持っている者、そういうものは、この調査の中で、私は新聞の記事読んでいるだけですから、この点についてはあなたたちは調査してみてどういうふうにとらえたか。しかも、それについてはどうですか、予想どおりだというふうに通産省で思ったのか、まだそこまでみんなで話し合っていないから言えない場合は、あなた自身の感じだけでもけっこうですけども通産省が考えておった考え方というようなものと違いがあるのか、同じであるのか、ひとつそれをお聞かせいただきたいんです。
  188. 久礼彦治

    説明員(久礼彦治君) 生きがいに関しまして調べました結果、おもしろいことが三つほどわかっております。  従来の生きがい調査では、仕事か家庭かとか、遊びか仕事かというふうな二者択一の考え方が中心でございまして、新聞などでは、マイホーム主義か、猛烈人間か、レジャー人間かというふうなタイプ分けが中心でございましたけれども、家際に私どもの回りを見てみますと、仕事をばりばりやり、遊びもばりばりやるという人もおれば、何にもやらないという人もおるわけでございます。したがいまして、私どもはそういう二者択一じゃなくて、仕事、家庭、それから遊び、この三つのどれだけを重視しているか、またどれだけに満足しているかということを、幾つまるをつけてもけっこうですというやり方で調べております。その結果、やはり三つとも満足しておる人、これはたったの九・二%でございますけれども、いることはおります。それから、労働、余暇に満足している人、これがたったの二・五%ですけれども、労働と家庭両方に満足しているというのが一五・四%もおります。逆に、労働だけに満足というのは一〇・一%、余暇のちに満足は四・七%、家庭のみに満足は一四・一%というふうに、どれか一つだけというのは逆に少数派でございます。したがいまして、いままでのように、どれか一つだけに色分けするというのは少し無理があろうかというふうに感じております。  それから第二の点は、こういうふうに三つのうちのどれに満足しているかというグループの中で、それではあなたは生きがいを感じておりますか、おりませんかということ、これを聞きましたところ、まあ常識的ではございますけれども、労働、余暇、家庭、三つに満足しているグループでは、五九%が生きがい感あるということで、最も高い数字を示しております。その次が、労働、家庭に満足しているグループで、この四八%は生きがいがあると申しております。逆に、その次に来ますのが、労働のみに満足ということで、三〇%が生きがい感があると答えております。家庭のみに満足では二二%が生きがい感あり、余暇だけに満足しているというグループでは、一〇%しか生きがいあると答えておりません。逆に、余暇のみに満足というグループでは、生きがい感ないという人たちも一〇%おります。したがいまして、日本人の生きがいを形づくる基本的な点に労働というものがからんでいるのがはっきりと数字で明らかにされたのではないかというふうに考えあれます。  第三点は、こういうふうに労働に対する満足感と生きがい感というのは密接に関係しまして、グラフに書きますと、きれいな線上に乗っかるわけでございますけれども、それを規定しているものは何かということを分析してみますと、一番原因になっておりますのが職種でございます。経営者とか、専門職とか、管理職という人たちは、非常に労働の満足感もありますし、生きがいも高いというデータになっております。逆に、サービス業とか熟練労働者、事務、販売職、農業という人たちは、比較的労働の満足度も生きがいの充実度も低いというふうな結果になっておりまして、まあ大きなグループに分けますと、経営者、専門職・管理職こういうグループと、それ以外のグループと、こういう三つに分かれるような結果になっております。  なお、予想どおりであったかという点は、私個人では、なかなか想像していたものがあまりはっきり数字に出たので、ちょっとこわい気がしておりますけれども、実はこれ、産業構造審議会としましては、まだデータを出した時点でございまして、実はきょうも委員会を開いて検討しておる段階でございますので、部会としての意見というのはまだ出ておりません。
  189. 小林武

    小林武君 私は、この統計を見て、文部省あたりでもひとつ大いに考えてもらいたいと思うんですが、先ほども御説明があったように、経営者、管理職、専門職というようなのは、四〇%前後の者が充実感を持っていると、こう言っている。これは役所においてだってそうだと思うんですね。役所においてだって大体、自分の行き場所というのは大体見当がつく。こういうことを言うと失礼に当たるかもしらぬけれども、そういうことがあったらお許しいただきたいのだけれども、これはもう先が見えているということになると、これはやはりいろんなことがあります。能率が上がらなくなったり、あるいはときにはやっぱり思わざるようなことも起こったりするというようなことになる。私は経営者、管理者、専門職というような者が充実感があるというのは、これはやっぱりこの数字は大事にしなければいかぬと思うんですよ。私は教員の社会というのは、教員は何なのか、専門職だと、こういうことをこのごろは盛んに言います。専門職だと言いますけれども、私は、専門職と言うのにはちょっとやっぱりまだ問題があるような、それは全体として、そういう環境に置かれておらない、むしろ少数の管理職のもとにある程度統制しようという勢いのほうが、大学にまで入ってきているんです、いまのところは。そういうことをいまさかのぼって議論するつもりはありませんけれども、私は教育世界において、私は専門職であると彼らに言うのには、うんと勉強してもらわなければならぬと思います。われわれは専門職じゃなかったんです、私なんかの教員は。私なんかは職人だったんです。職人じゃだめだということを痛切に感じておる。職人じゃいかぬと、専門職だと、少なくとも、子供あるいはもっと大きくなったら青年、そういう者を教育するという者は、それについてのほんとうに専門職に値するだけの勉強をしなければならぬ。その専門職になった者が、私はやたらに拘束されるということになったら専門職の値がない。軍隊のような一つの規律のもとに上の命令を下の者が従わなければならぬというようなやり方ではだめだ。私は大正デモクラシーの中に出てきたいわゆる学級王国なんというのは一つのやっぱり救いだったと思うんです。校長さんが何と言おうと、この学級の中の王国といったらちょっと大げさだけれども、「この学級の子供はおれが責任を持ってやる」という考え方、このおれが責任を持ってやるということはとうといことだと思うんですよ。私はある石炭の山へ行ったら、石炭の山にへたな字だけれども、おそろしい大きな字でもって、「ここの山はおれが掘る」と書いてある字があった。あとで重役か何かになった人でね、いわゆるえらく張り切っていて書いたらしい。なかなか労働者の間にも評判の男だったらしいがね。この山は——この山というのは、山はちゃんと固有名詞を使っているんだけどもね、これはおれが掘ると書いてある。これはいわゆる炭鉱のはなやかな時代の、いわゆる生産のどんどんあれして、これから幾らでも金がもうかる時期のあれだったが、その意気で、そのときのやっぱり指導者の意識というのをよく出している。私も教員というものは、教育に当たったならば、一つの学級を与えられたら、このことに対しては、おれがとにかく責任を持つという、そういう体制できなかったらほんとう教育はできない。何と教育委員会さんは言うのかというような、こんなことじゃだめなんです。しかし、何でも自分の思うとおりになるなんと思うのも、これはあれですよ。フランスの学級では、何でもとにかく学校先生は、学校の中にいるうちは、おれのあれだと、そのかわり学校の中にやたらに入ってくるなと言って——これは大使館の人の話ですが、フランスじゅうが全部どうか知らぬ。パリのある学校だ。あそこの戸口で待っているでしょう。あれは親ですよ。中に入れないのと言ったら、それは入れません、戸口で待つのですよ。学校の中に入ってきて、かれこれ言わせるなんてこと親には言わせぬ、こういうのがフランスのパリの、フランス全体もそうらしいけれども、そういうあれなんです。子供学校にやっている大使館のしかるべき人ですから、うそを言うはずはないと思う。なるほど女の人が待っている。私はそれはちょっと行き過ぎだと思うのですよ。そんな学校の中に一つの門の内と外があって、親でさえも中に入り込めないなんという、そんなやり方、それからまかせてくれもけっこうだけれども、あなたたちの言うことなんか何で聞かなければならぬかと、これはおれがやるんだという、そんな考え方に立たれたら、これまた妙なことになるんで、私はそんなことはやることはない。親の意見も聞き、親との意見の交流もやり、とるべきものはとり、しかし専門家としての自分の自信というやつははっきり持ってないと私は生きがいなんてものは出てこないと思うのです。この生きがいのあることをやらしてもらわなければいけない。そのかわり、やれないことをやらしてもらっては困る。何ぼ小学校先生だって、何からかにまでみんな科目のあるやつ全部教えなければならないという考え方は、これはできることとできないことがある。だれだってできない、そんなこと。子供のためにも迷惑な話だ。音痴の先生に唱歌習ったなんて、それはとんでもない話だ。色盲の先生に絵を習ったなんて、それは何か特別なことを教えるなら別だけれども、そんなことはやるべきじゃない。私は、だからやるべきことはきちんとやるという、自信を持ってやるような、そういう職場体制というものをつくらなければ、生きがいというものは、私はやっぱりその人が、どんな立場に置かれても生きがいを感じなければなりませんなんというのは、これはだめです。その証拠に、ちゃんとこの数字がよく出している。経営者、管理者、それから専門職なんという、そういう職業の者は生きがいを感じている。しかし、男性できわめて形式的な事務をやったり、販売をやったりする人たちになるというと、二三%くらいは充足感を持っているが、あとは気が抜けるのだね。落ちる。OLであれば一七%ぐらいだと、こういう。この人間のやっぱり持っている人間の心というものをつかまないで、ものごとを軍隊に似たような考え方でやろうということが、もしも文部行政の中にあれば、これは大いにあやまちだということを私は指摘をするのですけれども、文部大臣はどうですか。そういうことについて、生きがいを感ずるようなやり方に、あなたはとにかく大学の紛争の問題とか、学校のいろいろな問題が起こった。このごろは爆弾をつくる子供も出てきたと、こういうようなことを言ったときに、これは管理体制がとにかくなっておらぬから、校長の命令一下何でも起こるような、そういうことをやれば直るというふうにはあなたはおっしゃらないけれども、ちょっといままでのいろいろな法律の出てきたのを見るというと、どうも管理体制だけにほんとうに重きを置かれて、ほんとう学校の中に自分が責任を持ってやるというような、そういう生きがいというか、仕事に対する積極さというようなものを高めるような方策というのは案外なかったのじゃないかと思う。張り切って張り切ってどうにもならぬのは少数いると、あとのはもう何だか知らぬけれども、引きずり回されているという感じがするのですけれども、いや、そういうことになるようなおそれが出てきた。これはとにかく戦前の教育にもあまりなかったし、われわれは、もっとも戦前の教育といっても、大正から昭和にかけてのあれですから、よくその先のことまでは体験しておりませんけれども、大正末期から昭和の初めごろにかけた一つの、あの教育界の中に起こった大きなこの運動、教育に対する熱情のようなもの、ああいうものを私は感じてみて、それから戦時中に入って、戦時に入る途中の教育のたどってきた道を考えますと、私はどう考えても、いまのやり口というのは若干間違っているんじゃないかという考えを持っているわけであります。文部大臣としては、いや、自分はそういうつもりでないということなのかどうか、御意見をちょっと伺いたい。
  190. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) たくさんの人たちがともに働く場所につきましては、管理体制を放任することもよくなければ、がんじがらめに強化することも適当でない。やはり適正な管理、これは私は必要じゃないか、こう思うわけでございます。やはり人間にはえてふえてがあるわけでございますから、分担にあたりましてもえてふえてに従った分担がきめられるということが大切だと思いますし、また、努力している人についてはそれなりに認められる。必要以上の競争を持ち込むことじゃなしに、努力している人については、それなりにその努力が評価されるというようなことも私は大切じゃないだろうかと。どちらにしても行き過ぎないようにすることが一番肝要だ、こう思っております。
  191. 小林武

    小林武君 あなたは大臣になっているから相当気楽なことをおっしゃるけれども、六十万も七十万も教員がいるわけですから、実態をつかまなきゃだめですよ。あなた、実態をつかまないで号令かけてみたって、そんなものは何の役にも立たない。ちょうど教員になって三十人か四十人子供預けられて、その子供の何たるかを知らぬのが張り切ったって教育なんかできるわけないです。ほんとうの親の親まで知ってなきゃだめだ。これはどこのあれで、どういう親で、どういうあれだなんということを詳細につかんでないような受け持ちというのはなかなかほんとに身についた教育はできない。だから、数少ないほうがいいです。めちゃくちゃ少ないのも困るけれども。そういう点では、あなたの場合は文部大臣という非常に大きな権力機構のうちのピラミッドの頂上みたいなところにいるから案外わかってないんじゃないか、こう思います。しかし、これは議論やめましょう、さっきから待っている方もいらっしゃるから。  一つ通産省にお尋ねいたしたいんですが、知識労働者の能力開発と発揮に関する実態調査というのをやって、その中に、八四%が時間の障害ということを言ったということが新聞に書いてあるわけですけれども、これについてはどうですか。
  192. 久礼彦治

    説明員(久礼彦治君) 私どもの企業行動課のほうでやった調査ではないかと推察いたしますけれども、私自身は直接見たことがございませんのでつまびらかではございません。
  193. 小林武

    小林武君 生きがいの話とこれとでは通ずるんだよ。なるべく課のワクを越えて少しやられたほうがいいですな。  この中には、こう書いてあるんですね、全然知らぬようだけれども。八四%が時間の障害をあげている。週休二日制はむろん、長期間の研修休暇制をとらせて能力アップする必要があるということがこれが調査の結果だと、こう言ってるんです。私は、その意味では研修の仕組みというものが教員の場合なんか特に必要だと思うんです。税金まけてやるなんという話よりも、研修をどうしてやるかというほうが大事なんです。人が納めるものを納めないなんていう変な根性を出すよりは、研修について責任をとってくれるということが大事だと思うんです。そういう意味で、研修について文部省ではいかなる具体的なあれをやっているか。これはひとつ局長さんから御答弁いただきたい。
  194. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私どものほうでは、短期の研修が従来おもでございまして、夏季それから冬季その他の休業日を利用いたしましてやるのが比較的長いほうでございます。戦後、特に認定講習から始まりまして、新しい教育に対応するような資格の認定等を中心にいたしまして、新しい教育課程の趣旨徹底、それからそれに対する習熟、そういうものを中心にして短期の研修を行なってきたというのが実情でございます。  それからだんだん期間を長くいたしまして、長期研修につきましては、現在、校長それから中堅の教員につきまして一月程度の研究を文部省が直接に行なっております。  それから、最近は海外派遣という形で、これも短期は十六、七日程度でございますけれども、長期のものは一カ月以上にわたりまして海外研修をやるというようにして逐次範囲を広げてまいっておりますけれども、戦後は新しい教育制度、あるいは新しい教育の内容に伴う応急的な研修ということで進んでまいったのでございますから、まだ、研修のあり方全体、これを統一的に見ましてどういうふうにあるべきかということを本格的に私どものほうで案を立てて検討をしているというふうな段階まではきていないわけでございます。  しかし、御指摘のとおりたいへん重要な問題でございますから、これにつきましては、総合的、計画的に推進をするということが必要であろうと思います。そのためには、ただいま先生指摘になりましたような、週休二日制という問題も非常に重要なからみが生じてくるであろうということも予想しておるわけでございます。
  195. 小林武

    小林武君 どうなんですか。文部省では——これは通産省では産業面からのあれでやったんですが、文部省としては、全体の教師に対してこういう調査をやってみたことあるんですか。もし、やってみたことがないならやって、どういう一体研修というのを望むのか、全体としてはどういうことを望んでいるのかということ、それからもう一つは、量的にいって、一体、教員になって、そういう機会というものをやめるまでの間——もっともすぐやめれば別ですけれども、とにかく定年になるぐらいまでつとめていてその間にどれだけ研修に対する機会が与えられ——それは与えられるほうだけですよ、自分でやれる人はたくさんいるんですからそういうのは別に教えてですね、そういうことについての希望というものをやる気ありませんか。  それからまた、いままで実施したこと、たとえば海外とか、海外どころか日本の国内だってろくに回ったこともないような、知らないような人も相当いると思うんですが、一体、出している予算によってどのくらいの教師が研修の喜びを味わったのか。わかっているだけひとつ述べてください。
  196. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 実際に各県が行なっております研修等の実態につきましては、これは現在調査がもうほとんど完了いたしまして集計をしている段階でございますから、これは官房のほうでやっていますが、まとまりましたら公表をするというふうなことになる運びになっております。  それから、私どもは、先ほど申し上げましたように研修につきまして逐次必要なところについてその拡充をはかっていく、あるいは整備を進めていくというふうな方法をとってまいりましたけれども、やはり全体として教員の研修はいかにあるべきかということを計画的に考えていく必要があるんじゃないかということを考えまして、そういう調査を行なったわけでございますから、当然、その調査の結果を待ちまして少し総合的な対策を立てていきたいと考えております。  なお、御指摘になりましたように、一週間程度でも県外研修ぐらい出ないとほんとうの研修と言えないんじゃないかというお話は私ども同感でございまして、ただ、実際に県外に研修に出る機会というのは、これは旅費等の関係もございましてごくわずかじゃないかと思います。詳細な結果が出ましたらまた御披露をさしていただきたいと思います。
  197. 小林武

    小林武君 これであなたほうの関係終わります。  私は、そういうあれがむだだと言ってないんですよ。この間も特殊教育のことで視察に来た者が私のところへ二、三日おりましたが、私はやっぱり非常な勉強になっていると思います。これは一つ二つの学校を回ったりしますけれども、それにしても、これは本を読んでることも大事だけれども、たいへんまた有効なものだと思います。思いますけれども、それをもう少し組織的に、たとえば、教員のほとんどの者がとにかく研修の機会が、こういうふうに与えられる計画を立てているというようなことがやっぱり金の裏づけをもってやってもらうということが必要だと思うんですよ。金のことになると、これは文部大臣に一番御活躍を願わなきゃならぬわけですけれども、その調査に基づいてかなり思い切った研修の計画とかなんとかいうのはやられる決意はございますか。
  198. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 金の面につきましては、ちょっと御説明申し上げますと、おかげさまでこの二年間、大臣こられましてから旅費が毎年三〇%以上ふえております。これもおことばによりましては、やっと正当の費用が出せるようになったぐらいじゃないかというふうな御指摘もございますけれども、私どもとしましては、正当の旅費が出る以上に、二年間で六〇%引き上げましたものですから、研修の機会の拡大にも役に立つんじゃないかと思います。引き続きまして、そういう面の増額もはかって、計画的な研修ができるように整備をしてまいりたいと考えます。
  199. 小林武

    小林武君 文部大臣との間でいわゆる生きがいのあるようなことにするにどうかということは、これはほとんど時間がないからやめますけれども、あなたもお考え願いたい。これは生きがいあるような教員と。教員の仕事の特殊性というようなことを考えてこれならないというと、役所のようなわけにいかぬということです。それはひとつ後ほどに譲ります。  なお、私は研修のことについて、企画のほうは何と言っても文部省というようなところはわれわれ以上によく知恵が回ると思いますけれどもね、北海道なら北海道に大学の数は相当あるわけです。あの広いところでもやっぱりあのぐらい大学があれば、たとえそれが畜産大学であろうが何であろうが、ある程度の大学のサービスというようなことが考えられるならば、かなりの数のものが、何も開放することばかりではありません。ほんとうにお互いに手紙をやりとりすることだって、ほんとうに私は道があると思いますから、ましてや本州にくるというと、大学の数なんというものはあってあってというぐらいたくさんあるわけですから、そういうことも含めた何かの学校教師の研修の機会というものを、あるいは何かこういうやり方というようなものを考えるべきだと、こう思います。  次に、私は女子の先生のことを考えますけれども、これもあれなんです。「現代女性の意識と行動」というのを、これは総理府の中に婦人に関する諸問題調査会議というのがあって、議長が金沢大学の前の学長の中川善之助氏、それからこれは、この会議は総理府に設置されておるけれども、労働省が協力をしているという。その総合調査の結果が二十九日、二年間にわたるあれででき上がったと、こういうわけです。私は、これをずっと読みまして、私は、いまの女教師の問題のことを非常に強くかかわり合いを感じたわけです。  というのは、この間もあったでしょう。男の教師が女教師のことを、何と言うか、比判がましいことを言っている。これはよくあるんです。われわれもいままで、いま聞いたわけじゃない。女教師というのは八分ぐらいだかしか、七分ぐらいしか力を出さぬ、われわれは十二分の力を出しているというようなことを言って、この人たちが過半数ぐらいになってるんでしょう。過半数を越えるようなところもあるんだと思いますがね。そういう発言をしたとかなんとかいうことで問題になった。男の教師は転任したというようなことが起こったらしい。私は、これはね、男の教師も責められない、女の教師も責められないという私考え方に立ってるんです。責めるほうの側はちょっと——責める一方のあれじゃだめだと思うんです。たとえば、この場合は、教育ママと言われるような人たちが女の先生をかばってくれたそうですけれども、ところによっては女の先生に持たれなくてよかったなんということを子供の前で言って、そしてもう学校教育子供に不信感を持たせるようなことが起こってるというような事情も聞いてるんです。私はこのことに対して、これはある新聞が書いたんですけれども、いま切り抜きは持ってきておりませんけれども新聞で見たと思うんですけれども、人確法というのは男の教員をどれほど大量に教育世界に引きずり込む、と言うと悪いけれども、入れるというそういう目的だということを書いてある。新聞か何かで見たんです。これはしかし、私はある教員の国際会議に出たときに、たぶん冗談も少しありますけれども学校教師というものはとにかく一流の人間のやる仕事じゃないという話を聞いて、それはその場合には大学は入っていないのです。まあ、大体初等中等教育ぐらいのことを言った。一流の人間のやる仕事じゃないということをみんなの前でやった。それでみんなががっかりしたり、それからさみしそうな顔したりして帰ったが、日本に帰ってから、ある大学の先生にそんなことを話したら、それはしかし偽らざる言い方でないだろうかというようなことを言われたことがある。そういう考え方が何かやっぱりこの教育界に流れている。そうしてまた、今度はそこへくるというと、男性の教師と女性の教師がまたその中でやり合うというようなことが、ちょうど封建時代の、上を見れば切りなし、下を見れば切りなしのような中で、自分よりが下の者——下の者と言うと悪いが、自分よりかぐあいの悪い者を攻撃することによって自分の弱いことをとにかくあきらめようなんという妙な根性と似たようなところがあるように思うのです。私はそういうことで、「現代女性の意識と行動」というのをその記事を読ましてもらったのですけれども、この「現代女性の意識と行動」というのは、先ほども言ったように、私は新聞の記事ですから、やられた総理府、労働省から総合調査についてのこの意識と行動について、結果についての一つの省の見方というものをここでお聞かせをいただきたい。私は、これをちょっと片端のものを読んでいるから何か完全によくとらえていないということもあるかと思いますが、どなたかよくわかりませんけれども
  200. 宮川知雄

    説明員(宮川知雄君) 婦人に関する諸問題調査会議の発表いたしましたこの報告書は、先生御存じとは思いますが、民間有識者二十人の委員先生方にお願いいたしましていろいろお調べいただき、その中では基礎調査あるいは討論、それぞれ現地での視察あるいはシンポジウムといろいろなスタイルがございましたが、そうした形で研究討論していただきまして、このたび報告書をおつくりいただいたというものでございます。  政府各省といたしましては、婦人関係の省庁非常に多うございます。従来から横への連絡というのはとっておりますが、たいへん役所的な答弁で恐縮でございますが、これをこれから読ませていただきまして、今後これを政府の施策の中にどういうふうに生かしていくのか各省がそれぞれ考え、あるいは連絡しながら考える、そういうことに相なっております。
  201. 小林武

    小林武君 どうも役所の話というのはぴっとこないのですがね。とにかく役所がこれ発議して、そうして、婦人に関する諸問題調査というものをやらなきゃならぬと思ってこういうことをやったんでしょう。そうでないんですか。どこからか売り込まれたものですか。中川善之助さんを取り巻く人たちによってこれは売り込まれた問題なのか、必要があって総理府でやったのか、どちらですか。
  202. 宮川知雄

    説明員(宮川知雄君) この調査をいたします経緯について簡単に御説明いたします。  戦後、婦人の社会への進出というものがたいへんはなばなしくなって、これは私申し上げるまでもございませんが、一方では、必ずしも婦人が男子と比べて非常に平等に扱われているかと言いますと、必ずしもそうではない部分が非常にある。今後いろいろ各方面で考えていかなくちゃいけないということは従来からいわれていたわけでございまして、総理府にこの調査を始める前、四十六年まで、婦人関係の諸問題に関する懇談会というのがございまして、総務長官の私的な諮問機関ということでございますが、そこからも御提言がございました。婦人の立場というのには非常に問題があるので、特に総合的な調査をやり、社会の実態をよく押えて政策を進める必要がある。  それから四十五年に衆参両院の婦人議員の先生方のお集まりの懇談会がございますが、その懇談会からも十分実態を把握し、政策を進める必要があると、そういう御要望がございました。もちろん政府といたしましても、現在の状態が万全と考えているわけではございませんので、各方面の御要望等もあり、四十七年、四十八年の二カ年にわたって大々的な調査をやろうと、そういうことになったわけでございます。それで、最初の四十七年におきましては、基礎調査、昨年の四十八年におきましては、それを受けました各種の調査を進めたわけでございまして、その中にはいろいろの問題点、あるいは御提言、そういうものもございますが、もちろん、政府といたしましては、十分それを一つ一つ熟読玩味して、今後の施策に生かさなければいけないものでございますが、いま直ちにそれをどうこうするというようなことを申し上げるそれではないと思っております。
  203. 小林武

    小林武君 どうこうするものでないというのはどういうことですか、一体。どうこうするというのはどういうことですか。
  204. 宮川知雄

    説明員(宮川知雄君) 表現が適切でなかったかと思いますが、これは十分長い間かけて先生方が御審議といいましょうか、御調査になったものでございますから、政府といたしましても、十分内容をよく検討して実現に向かわなければならないと、そういう意味で内容も非常に多岐にわたっておりますので、この席上で私がこれはいいとか、あるいはこれはどうこうであるとか、そういうことはすぐには申し上げられないと申し上げたのでございまして、内容をないがしろにするというような音加味ではもちろんございません。
  205. 小林武

    小林武君 どうも私はどうこうするべきじゃないなんていう話、こんな話聞いたことないね。これは企業のほうがずっとやっぱり、行き過ぎてとんでもない金もうけやったりするけれども、企業なんていうものは、それはその点はまことにあれだね。あなたのところは総理府でしょう。私は決してあげ足とるわけじゃないけれども、これは婦人議員がどうしたとかなんとかいろいろやりますけれども、先ほども言ったように、学校の女子の教師を見ればもう全教師の半分ぐらいの数を占めるようになった。ところによってはもう半数以上越したところもある。そういう女子が入ってきている。その人たちの一体女子の職場にあってそれぞれ活動されている方々の意識調査をやるというようなこと、あるいは問題を一体拾いあげるというようなことが、いかに日本の産業、文化あらゆる面について大きな影響あるということだけは、そういうこれは焦眉の急の問題じゃないですか。だから私はいまこれを直ちに、これ見たらさああしたどうしなきゃならぬというようなことでないことはわかっていますよ。わかっているけれども、少なくともいまの、たとえば学校の問題なら学校の問題教育の問題なら教育の問題あるいは官庁の中の女子の職員の問題、いろいろなところの女子の問題を一体どう判断して、どういうふうにいろいろな対策というものがあるのかどうかということを考えるのがあなたたちのあれで、そのぐらいまで言わなきゃだめですよ。こう具体的にあれやりますといって設計図をわれわれに見せなくても、少なくとも、こういう意図でつくられて、だから結果的についてはこういうあれだと、女子というものが社会の中においてどれだけの一体活動の分野に広がっておって、どれだけの貢献度があるんだというようなことだって考えないでやるというのは、これは役所何のためにあるかわからぬということになるのじゃないですか。私は、そういう点では、まことにどうもあなたの態度が心もとないから、ひとつここで「女性の幸福」ということについて、ここに書いてある。女性の幸福というのは家庭に入って——家庭に入る前によい結婚をしなければならぬな。よい結婚をして、そうして家庭人として暮らしていくことが一番いいというのが大体経営者とか、あるいは経営の幹部になる者が七六%考えている、これ男ですよ。労働組合の幹部は五六%支持したというんだから、このごろの労働組合の幹部もいささかどうも、まことにどうかと思うんですがね、私らよりかだいぶ年の若いのが労働組合の幹部をやっているんだが、これを見たら、日本の一体、現状というものに対するあれはたいへんです。それをあなた、これからじっくりかまえてなんということを言うている問題じゃない。これをやっぱり取り上げた人たち、取り上げてくださいといった人たちが数年とにかく動いているわけでしょう、あなたのさっきの話から言ったって。こういう考え方が、これは指導層だろうね、労働組合の幹部の五六%というと、労働組合の指導層です。半分以上がそう思っている。それから今度は、日本の企業だか何だか、経営の幹部とかいうのは七六%も外で働くなんてなまいきだなんて考えているのかもしらぬ。こんな結果出てみて、あんたのんびりしているというのはおかしいよ、少し。私、何も女のことにひいきして点数上げようなんて思っているわけじゃないけれども、おかしいじゃないですか。おかしく思いませんか。労働省からひとつ伺います。
  206. 赤松良子

    説明員(赤松良子君) ただいまの調査につきましては総理府の意識調査でございますので、とやかく申し上げるのは控えさせていただきますが、この報告書の中で、労働省として受けとめなければならないと思われる御提言がございます。それについて、私どもとして考えているところを申し上げたいと思います。  この調査会議の報告の中で、婦人労働に関連いたしまして指摘されておりますことは、一つは、婦人労働者が数としてたいへんふえている、そして、その中で特に既婚者、中高年齢者の割合が非常にふえている。したがいまして、これらの方々は当然家庭責任を持っておられるということが予想されます。それからまた、これまで非常に婦人の労働というのは短期間で、そして結婚前の労働である、こういう認識の上に立って社会がそれらの方々を処遇もし、受け入れをしてきた、こういう前提があったわけでございますが、これについて大きな変化が起こっていると、こういう御指摘だと思います。それに対しまして、受け入れ側として考えなければならないことは、こういうふうに量が非常にふえているにもかかわらず、何と申しますか、その処遇の点においてはそれほど以前と比べて格段よくなっているとはむしろ言えないのではないか、こういう点があるわけでございます。たとえば、雇用管理上の男女の差別の問題というのは、これはなかなかあとを断たない。それからまた、職業と家庭の両立の問題なかんずく育児の問題についてはたいへんこれは婦人に大きな負担がかかっておりますが、それに対しまして、こういう大きな変化がごく短期間の間に行なわれているわけでございますから、もっとすばやくこれに対処しなければならないのではないかというわけでございますが、なかなかまだその措置が不十分な点が多いと、このように私どもは認識をいたしておるわけでございます。  そこで、労働省といたしましてどういうことをしなければならないかと申しますと、こういう認識は全く労働省も同感でございますので、一つは、従来から労働基準法によって母性の保護ということが考えられてきておりますが、これは新しい時代の進展にとって必ずしも労働基準法だけによって保護していくということは十分でないと考えられましたので、一昨年、勤労婦人福祉法という新しい法律をつくりまして、この中では、特に育児に関する便宜の供与というようなことを使用者にも要請し、社会としても、もっとこれをよく考えていかねばならないということを基本理念等においても明らかにしたところでございます。そこで、この勤労婦人福祉法を新しい婦人労働対策の基本的な法律と考え、基本方針を昨年定めまして新しく勤労婦人の福祉対策を進めているところでございます。  特に、具体的な方向といたしましては、育児に関する便宜の供与について育児休業という制度を新しくこの法律の中に規定をいたしまして、企業に対して育児休業を取り入れるように普及を進めているところでございます。育児休業の内容につきましては、先生のほうがすでによりお詳しいわけでございますが、これは民間すべての企業、民間のみならず日本のすべての企業に対して育児休業というものをおすすめする、普及を促進するという態度を労働省としてはとっているわけでございます。これに関しましては、法律の中に初めて書かれました制度でございますので、現在は、この内容をできるだけ広く知っていただくということに重点を置き、かつその育児休業期間中の生活安定の方法につきまして、特に専門家の方々の御見解を伺うということで研究会を設置いたしまして、その中で、育児休業期間中の生活安定の具体的な方法について御検討いただいております。これはかなり進んでおりますので、間もなく報告がいただけるのではないかと期待している次第でございます。  また、もう一つの差別の問題について、これは先ほどからもお話が出ております女性が働く場合に最も生きがいを阻害される問題は、合理的な理由もなく職場で差別されるという問題であろうかと思います。そこで、こういう差別をなくすために諸外国等では新しい方策等もすでに実現している国もございます。そういうものを研究しながら、わが国ではどういう方法で職場における男女の差別というものをなくしていくことができるかということを、新しく苦情処理方策のあり方というような点を問題として取り上げていくつもりでございます。
  207. 小林武

    小林武君 これ文部大臣、いまの数のほうは局長でいいですけれども教員でいえば初等中等教育で、中等も後期中等教育じゃなく、そこを含めないでいったら、一体、男の教員と女の教員というのは約何万ずつぐらいになりますか。
  208. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 現在、小学校では大体女子の教員は五三・八%ぐらいでございます。それから中学校のほうでは二八%ちょっとが女子の教員になっております。
  209. 小林武

    小林武君 数でいえば幾らになりますか。
  210. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 数で申しますと、これは一九七一年で、小学校の場合は全教員数が三十七万、そのうち十九万が女子でございます。このとき比率が五一・八%でございます。それから中学校では二十一万六千人に対しまして五万七千人、パーセントにいたしましてその当時は二六・六%、こういう数字でございますから、全体六十万のうちで女子の教員が大体二十五万、いまはちょっと二十六万くらいになっていますが。
  211. 小林武

    小林武君 まだ男のほうが少し多いんだね。
  212. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) そのとおりでございます。
  213. 小林武

    小林武君 もっとも、その数、それはもう少し正確にあれしてもらいたいけれども、半分に近いものが女子教員になっているということです。それについて、職場の中で同僚同士でもって男性と女性との間で問題が起こることや、それからまた、私も直接聞いたことがあるんですが、しかし考えなければならぬことは、やはり女性の場合は日本の何といいますか、家庭の特殊事情みたいなものをある程度考慮に入れなければなりませんから、私のうちを見れば大体わかっているが、亭主関白まではいかぬけれども、亭主のほうがだいぶ横暴をしているようにも思いますから、そういうあれがどうも母親というものはそういう立場に置かれる。結婚すれば子供ができるのは当然のことで、私はきのうだったかテレビを見ておったら、かつて大女優だといわれたある映画女優をやっている人が、私は結婚はしたことはありません、結婚をしたというようなことを伝えられておりますけど結婚したことはございません。しかしながら、女性にとって結婚ということはきわめて大事なことです。という一言を聞いて、女性、あのいわゆる映画界に一時期大女優だと言われた人も、老年になって、そしていまひとり身になった場合に、やはり結婚して子供を産むということのしあわせというようなこと考えたんじゃないかなと思って、非常に何か打たれるものがございました。女にとって結婚ということはきわめて重大なあれですと、そう言われた一言を聞いて、結婚したら子供が産まれる、やっぱり子供に対する女性の、あるいは男性でも同じですけど、子供というものに対する考え方は。こういう立場に置かれているから、育児の問題がどうかとかいろいろなことを考えまして、これのあれはひとつ精神的に大いに男の教育をやるということもあるでしょうけども一つはやはり女でなくちゃできないことを、たとえば子供を産むということもあるわけですから、それに対する手当をどうするかという問題、これはなかなか——育児休暇は与野党ともに賛成して一札まで書いてやった法律案が、何年たったってだめなんだ、ことしあたり全然影も形も出てこないんじゃないかとこう思っているけれども委員長はどうお考えになっているか、私もわかりませんが、私はそういうことをどこかで先べんつけて、みんながそういうふうになっていくことの必要があるんじゃないかと思うし、それからもう一つは、いまや女性がこの調査によるというと、やはり最後はいまのところは家庭の中に入って暮らすということがやっぱり一番いいのだという考え方が出ているらしいんですね、この調査によると。夫は外、妻は内、伝統的な役割り分業というものがいいんじゃないかというような人が、女の中に八〇%から九〇%いらっしゃるというふうに見えるのです、このあれを見ると。そして生きがいは子供だということに大体女性はなっている。生きがいはだんなだなんていうことは言ってない。(笑声)生きがいは子供だというところに、その犠牲の精神大いに発揮して家庭の中にあって子供を育てる、だから教育ママなんていうことを簡単に言って母親を攻撃するなんていうのもこれも少し考えものでありますし、だからそういう特殊な事情に置かれているということを考えたら、また、これ私はある程度破らなければだめだと思います、これは何といっても。私は女の子供がいたら必ずひとり立ちできるだけの教育はしてやろうと思ったけれども、女の子産まれないものだから、ついに望みを達することはできませんでしたけれども。私は女の子生まれたら男の子と違って花嫁学校へでもやろうなんという、それに類するようなどこかの学校へやろうなんという考え方はやめるべきだと思っているんですよ。私はそういう時代がやがてくるというときに、この調査というものは非常にこれは大きな意味を持っていると思うんです。総理府もひとつ誇り持ってこれやっぱり臨んでもらいたい。それには、私は何といっても先にやってくれるのは官庁です。政府の手の届くところでもうどんどんどんどんやらなければだめです。企業でやりなさいなんということを、おまえら金もうけるのだからやりなさいというようなことよりかも、私はほかのとこでもやっているからやってやれないことはないと思う。そういう学校の中にも託児所があるというようなところたくさんあるわけですからね。ほかでやっていることを日本でできないということもないだろうし。この間なんかどうでした、皆さんどういうふうにお考えになりましたかな。人の子供を預かって、そうして何か下にぶつけて殺したというのがあったでしょう。しかも、それが将来保母になる者で、目下勉強中でアルバイトに雇ったというような、これなんかに至っては、これは日本というのはいかにも野蛮だということをよくあらわしていると思うんですよ。こんなことが、しかし特殊なことかというとそうじゃない。私の近所にある団地の奥さんの中に、どうやって子供を預かってもらおうかというようなことに苦心惨たんしている人がたくさんいるんでね。これは厚生省いないから文句の言いようがないですけれども、これはもうそういう点の配慮なしにとにかく婦人問題を扱ってはだめだし、私は、ここで言いたいのは、ほかへ持っていくのではなくて、文部省はどうするかという問題です。半分に近い、いわゆる初等中等教育の女教師ほんとうによく働いてもらう。女には多少男と違った部面の劣る、劣るというよりかも時間的ないろんなことからあるかもしれないけれども、男にはできないような長所を発揮して、そうして学校教育の中に貢献するというようなやり方を考えられないというはずがないんですけれども、これは、文部大臣どうですか。また局長にたらい回しをやらないように、ひとつ文部大臣はどうですか。いたずらに、とにかく女教師は役立たぬというような宣伝のというか何というか、悪宣伝みたいなものをまかれていくなんということは、これは教育上でも大問題ですよ。私は、女の先生方ほんとうに女として教育にすぐれたあれを発揮してもらうためにも、文部大臣はひとつ考えにゃいかぬと思うんですが、この点どうでしょうか。いま来年必ず予算に盛りますと言ってくれりゃなおいいですけれども大臣としては、早急やっぱり手をつけなきやならぬとすれば、どんな一体ことを考えていらっしゃるのか聞きたいものです。
  214. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) いま育児休暇のことが話題になったわけでございますけれども、国会におきましても紆余曲折を経ているわけでございます。やはり、むしろ、政府のほうからこの問題を提案をする姿勢をとって早急な解決に資するべきじゃないかと、こう考えているわけであります。そういうことで、積極的な努力を払っていきたいと、こう思っております。同時にまた、現在先生方の退職にあたって、男子よりも女子のほうが早く勧奨退職を受ける、これもやはりだんだん女子の退職年齢を引き上げていきまして、将来は同じようなことにすべきではなかろうかと、こういう気持ちで、都道府県に対しましては、女子につきましても勧奨退職の年齢を引き上げてくれるように要請を続けているわけでございます。さしあたりは六十歳、将来は六十五歳というような気持ちで努力をしているわけでございますが、処遇の問題につきましては現在すでに同じような扱いがなされているわけでございますので、この点については問題はないんではないだろうか、かように考えているわけでございます。
  215. 小林武

    小林武君 ではこれで終わりますから。大臣政府提案を育児休暇の問題でやろうという意気込みは賛成です。これは何も議員提案でやらなきゃならぬということはないんですけれども、しかし、政府提案にしておいたら何年たつかわからぬというようなことでは、これはもう政府提案にはなかなか賛同できませんけれども、それから若年で、若年というよりも、これは企業なんかだというと、もう結婚したら首にするというようなところがある。教員の場合には、そんなことはやらないにしても、女の人は男の人よりかも大体早くやめさせられるというのが、これがもう慣習みたいになっておりますね。私はそれはおかしいと思いますよ。長生きするのは女のほうなんです。むしろ女のほうがよけいやらなきゃならぬぐらいの考えなんです、そうばかりもいきませんけれども。それから管理職の比率なんかもやっぱりちょっと低過ぎるんじゃないか、この点も昇級、昇進の差だとか、まあ何とかありますけれども。もう一つは、社会施設なんかもよくして、女の特性というものを認めなければだめですよ。私はある看護婦さんから聞いたけれども、昔軍の関係の看護婦さんなんかやったり、病院でもそうなんですがね、結婚しないという一札を入れたそうですね。しかし、そのころは何かいいところがあって、死ぬまでつとめている病院で、りっぱな何というのか、待遇をよくしてそうしてやってくれたというような例もあるそうですけれども、そういうのが大体一つのならわしであったそうであります。いまそんなこともない。結婚しないなんという約束をとってやる。学校の中で君、子供生んじゃ困るよなんというようなことを管理職が干渉するなんというのは、これはもってのほかだと思う。文部大臣のいわゆる管理体制の強化の中にそれが一項目入って、やたらに子供を生ませるな、子供生まないことなんというのが入ってきたら、これは大問題だと思うけれども、案外これがあるということなんですね。たとえば、それは定数の問題もあるから、校長にしてみりゃ腹の中でそんなこと思っているのもあるかもしらぬけれども、そういうようなやっぱり体制はくずさにゃいかぬということ等が強く感ぜられるわけでありますが、ひとつ労働省も大いにがんばっていただいて、まあ教員ばかりでございませんから労働省もがんばっていただいて、それから総理府はやっぱり馬力かけてやってくださいよ。そういうあれをいただきましたけれども、これからじっくり時間をかけてなんというようなことでなくて、時間かけているうちにどんなことになるかわからぬですからね。だからどんどん精力的にやっていただいて、そして女子労働者の問題を解決するようにしてもらいたいと思います。質問を終わります。
  216. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 本件に関する質疑は、本日はこの程度にとどめ、これで散会いたします。    午後四時十九分散会      —————・—————