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1974-03-28 第72回国会 参議院 文教委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年三月二十八日(木曜日)    午前十時二十五分開会     —————————————    委員の異動  三月十五日     辞任         補欠選任      宮崎 正義君     矢追 秀彦君      柏原 ヤス君     白木義一郎君  三月二十三日     委員濱田幸雄君は逝去された。  三月二十五日     辞任         補欠選任      松下 正寿君     萩原幽香子君  三月二十六日     辞任         補欠選任      中村 登美君     今  春聴君      金井 元彦君     江藤  智君  三月二十七日     辞任         補欠選任      江藤  智君     金井 元彦君      今  春聴君     中村 登美君      加瀬  完君     宮之原貞光君  三月二十八日     辞任         補欠選任      金井 元彦君     今  春聴君      中村 登美君     安井  謙君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         世耕 政隆君     理 事                 内藤誉三郎君                 片岡 勝治君                 小林  武君     委 員                 金井 元彦君                 志村 愛子君                 中村 登美君                 二木 謙吉君                 鈴木美枝子君                 宮之原貞光君                 矢追 秀彦君                 加藤  進君    国務大臣        文 部 大 臣  奥野 誠亮君    政府委員        文部省初等中等        教育局長     岩間英太郎君        文部省大学学術        局長       木田  宏君        文部省社会教育        局長       今村 武俊君        文部省体育局長  澁谷 敬三君        文部省管理局長  安嶋  彌君        文化庁長官    安達 健二君    説明員        通商産業省生活        産業局紙業課長  村岡 茂生君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (文教行政基本施策に関する件)     —————————————
  2. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  議事に先立ちまして、一言申し上げます。  すでに御承知のことと存じますが、本委員会委員濱田幸雄君が、去る三月二十三日、脳出血りため逝去されました。まことに哀悼痛惜にたえません。ここにつつしんで同君の長年にわたる御功績をしのび、各位とともに黙祷して御冥福をお祈りいたしたいと存じます。  御起立を願います。  黙祷をささげます。   〔総員起立黙祷
  3. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 黙祷を終わります。  御着席願います。     —————————————   〔委員長退席理事内藤誉三郎着席
  4. 内藤誉三郎

    理事内藤誉三郎君) 教育文化及び学術に関する調査中、文教行政基本施策に関する件を議題といたします。  本件について質疑のある方は順次御発言を願います。
  5. 世耕政隆

    世耕政隆君 前座の時間をいただきましたので、文部大臣所信説明に対しまして、それに関連して質問をいたしたいと思います。   一番基本的なものだけを申し上げていきたいと思います。義務教育全般に関してでございますが、日本義務教育、これは私、明治のころから始まったんだと思うのですが、教育基本、それから教育内容、これは一体わが国の中だけを基準にして考えたのか、それとも外国教育制度内容、そういうものを参考にしてやったのか、どうも日本明治以後のいろんな歴史を見てますと、大体教育、それから学問もそうですが、学問芸術もあらゆる点に関してほとんど外国、特にヨーロッパからの影響が非常に強かったと思うのでございます。  で、日本の場合の、これは戦後はいろいろ問題になりますが、第二次世界大戦後の日本義務教育、これはどういうところを基準にしておつくりになられたのか、この点ちょっと御説明をいただきたい。
  6. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 御案内のように、明治維新によりましてわが国が急速に諸外国との交流を始め、それから諸外国に追いつこうというふうな意図で出発したわけでございますけれども、教育につきましても、やはり寺小屋等伝統がございまして、明治の初めの識字率、つまり読める率というのは二〇%ぐらいで、これはまあ世界で最高だったのじゃないかということが言われておりますけれども、まあしかし、そういうふうな伝統を全部捨て去りまして、新しくただいま御指摘ございましたように、主としてヨーロッパ学校制度を取り入れて、新しい日本学校制度を築いてきたわけでございます。したがいましてこの前、明治百年の記念の展示会でも出ておりましたように、教科書などは初めはそのまま外国教科書翻訳してそれを使っておった。たとえば、メリーさんがボーイの手をとりましたとか、そういうふうな、ほんとうの翻訳でございまして、その翻訳したものを手始めに使いまして、それから以後だんだんと整備をしてきたということであろうと思います。まあしかしながら、そういうふうに外国制度は勇敢に取り入れたわけでございますけれども、最初に申し上げましたように、わが国自体におきまして、かなり教育基礎的な素地があったということで、私は外国制度を取り入れながら、しかも、日本的にそれを摂取するというふうな方向で、ほかの国々に比べますと非常にスムーズに、またうまく日本的なものに変えていくことができたんじゃないかというふうに考えておるわけでございます。
  7. 世耕政隆

    世耕政隆君 ただいまのお話では、やっぱりヨーロッパ教育内容制度を取り入れたというふうにおっしゃられるわけですが、ずっと過去、昔からの歴史をひもといてみると、日本文化あり方というのは、そういう外国のあれを摂取しながら始まってきているわけでございます。明治以後で、それが外国の模倣のようなもので始まったけれども、途中からたぶん日本的なものに消化してきた教育になってきていると思うんです。それはいつごろからでございますか。
  8. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 極端なことを申しますと、初めからと言ってもよろしいのじゃないかと思うんでございますけれども、江戸時代儒教あるいは朱子学、そういうもののかなり基礎があったわけでございます。外国制度等は取り入れて、教育内容整備されたわけでございます。先ほど申し上げましたように、最初教科書は、そのままの翻訳を使ったというふうな事情はございますけれども、やはりその基礎になる儒教思想あるいは朱子学思想、そういうものは江戸時代を通じまして、長い間つちかってきた思想的な背景、ないしは日本人のものの考え方基礎があったわけでございまして、幾ら新しい制度を取り入れましても、むしろそちらのほうが強く出る。それが新しい国家の建設というふうな、国家目的とを合致をいたしまして、外国そのままには、教育というものは外国制度そのままのように日本教育が進んでこなかった。したがって、むしろ初めからそういうふうな長い間の伝統につちかわれた基礎に立って形式と申しますか、制度と申しますか、あるいは教科の内容につきましても新しいものは入ってまいりましたけれども、そういういいところを取り入れながら、従来の伝統を生かしてきたというほうがむしろ当たっているんじゃないかというふうな感じがするわけでございます。
  9. 世耕政隆

    世耕政隆君 それで、義務教育がある程度の段階に入って、当時の国民——私どもも義務教育を受けた一人でございますが、いろんな国民としての性格、人間基礎というものがだんだん少しずつでき上がったわけでございますが、やはり昭和二十年の第二次世界大戦が終了と同時に、つまり終戦からこの方の義務教育、これはかなりたいへんな歴史の変化とともに、大きな改革が起こっているわけでございますが、この点はひとつ明治の初年の日本義務教育外国のいろんなものを取り入れて始まったのと同時に、比較して戦後の義務教育改革、これはどういうところに一番変革の中、心があったか。過去と、つまり戦争中、戦争前と戦後の一番大きなポイントはどこか、それをちょっとおっしゃってください。
  10. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) つまり旧憲法に基づく教育であるか、新憲法に基づく教育であるかというふうな見方もあると思います。あるいは明治時代は新しい国家日本が脱皮をするために、みずから進んで外国教育制度を取り入れたというふうなこと、それに対して、戦後は占領というふうな事態の中で、みずから進んで六・三制を取り入れたというふうなことよりは、むしろ、そういうアメリカの教育使節団の勧告その他に基づきまして、そういうことを決意したと申しますか、そういうふうな違い、それから明治の当初の学制の改革は何というか、国民的あるいは国家的な目的が比較的はっきりしておる。ところが戦後の教育につきましては、民主主義という新しい原理のもとに、新しい憲法のもとに行なわれたわけでございますけれども、国民全体あるいは国家として必ずしもそちらにみんないこうという、心の底からのほとばしりによってそういうものが進められてきたわけではなかったということは、俗なことばで言えば、親が自信を失ったような状態の中で、こういう制度が始められてきたというような点で、かなり大きな違いがあろうというふうに考えます。
  11. 世耕政隆

    世耕政隆君 ただ、お話を伺ってますと、私もよくわかりませんけれども、教育というのは、外来の、外国からのいろいろな方法、内容を取り入れて、それを日本的なものと兼ね合わせて、一つ流れがあって、それが戦争のようなもので、終戦と同時に突然途切れて、それでまた今度は社会そのもの変革、それから旧憲法と新憲法の差、そういうものに基づいて義務教育が新たに編成されていくわけでございますが、ただ、教育を受ける人間というのは、教育内容が変わっているけれども、受けるほうはあまり変わらない、相変わらずの日本人で、つまりそういったものを感ずるわけです。それで同じ人種、同じ民族、同一家系日本人一つ歴史変革に伴って相異なった教育を受けていくわけなんでございますが、そうすると、教育内容というのは、いろいろな形で変わってはくると思うのですが、受ける側の立場からいきますと、やはりそこに一つ歴史とか文化流れというのは、やはり依然として伝わっているし、潜在的には、表面には出てこなくとも隠れたところで流れているわけなんで、これは文化庁長官見えになられて、これは文化教育というのはたいへん深い関係があると思うし、これは基本の問題になってくるのですが。そうしますと、いままで政治が先になるか、それとも教育が先になって政治がその次にくっついてくるか、あるいは政治のいろんな動きが先にあって、その次に教育のいろんな制度とか内容とか、そういう問題がそれに付随して出てくるかといいますと、私は、やはりずっとここ昭和二十年以降のことを考えますと、政治が一番最初にあって、その次に付録的に教育問題が扱われてきている、こういうふうに、いろんな動きの中から感ずるわけでございます。この点、政治教育というものはある面でははっきり区別しなきゃいけないかもしれないが、しかしながら、全然切り離して教育というものが政治と無関係に存在するかというか、なかなかこれはむずかしい問題だと思うんですが、そういうの見解をちょっとお聞かせいただきたい。
  12. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 政治教育かかわり合いと申しますのは、これはなかなかむずかしい問題でございますけれども、まあ、政治とかかわりのない部分も確かにございます。たとえば、国語でございますとかあるいは数学でございますとか、そういうふうな内容政治のいかんによって急に変わるというものではないわけでございます。しかしながら、制度なりあるいは国の方針に合致した教育方針なり、そういうふうなものは、それはきわめて国の政治と密接な関係があり、また、大きく左右されることではないかと思います。また、教育の諸条件の整備、こういうものにつきましても、政治の力というものがきわめて大きいということでございまして、本質的な読み書きそろばんそのもの政治によって変わってくるというようなことは、もちろんあり得ないわけでございますが、しかし、方向なんかはきわめて大きな影響を受けるだろう。これにつきましては、もちろん政治が優位に立って教育というものの方向をきめていくということであろうと思います。
  13. 世耕政隆

    世耕政隆君 大臣がお見えになられたので、私の質問はこの辺で打ち切らしていただいて、最後に一つだけ文化庁長官にお聞きしたい。  文化交流、それから保護、いろんな目的文化庁は御苦労されておられると思うんでございますが、文化教育というのは、非常に密接不可分でありますが、非常に関連してくるのでございますが、文化庁のほうではこれはたいへん基本的な抽象的なものになるかもしれませんが、文化というものに対して、どういうふうなお考えのもとで文化というものを扱っておられるのですか、そういうふうなこと、文化一般考え方ですね。文化というものに対する考えを承ります。  それから、日本文化とそれから世界外国文化と比べますと、たいへんな特徴、違いがあると思うんでございますが、文化庁で扱われる文化はどの範囲内のものを、日本の中のどの文化範囲内のものを扱っておられるのか。時間がありませんので簡単でけっこうでございます。
  14. 安達健二

    政府委員安達健二君) 文化とは何ぞやというのがまず第一にあるわけでございますが、最も広い意味におきまして文化というのは生活のしかた、ウェー・オブ・ライフというものであると言われておるわけでございまして、われわれが自然の状態に対しまして、人間の精神によってこのあり方というものを一そう向上し、より豊かなものにしていく、その活動が文化であるということが言えると思うのでございます。  しかしながら、そういう意味文化の振興ということは、これはまあ国全体あるいは教育、そういう全体の中でできることでございまして、文化庁で扱っておりますところの文化というのは、文部省設置法にもございますけれども、芸術文化、それから文化財保護あるいは著作権国民文化と、こういうようなものが含まれているわけでございます。で、この日本文化の最も特色といたしまして、古い文化財がたくさんあるということ、それからまた、たとえば演劇等見ましても歌舞伎文楽、能のような古典的な芸能がありますと同時に、オペラ、バレーあるいは新劇というものがある。あるいは洋舞があれば、邦舞があるというように、古いものと新しいものとが共存しておる、こういうことは世界にはないと思います。世界にはいろいろ民族的な舞踊等ございますけれども、日本のごとく歌舞伎文楽、能などが生きた芸能としてある。あるいは工芸をとりましても伝統工芸というものが現に存して、それが伝わっておる。こういうことでございまして、これは外国には見られない最も大きな特色であると思うわけでございます。  したがいまして、これからの日本文化考える場合には、この古いものをしっかりと守っていくということと、新しいものを盛んにしていく、この二つを常に両方考えながら、両方が成り立つようにしていくということが日本文化政策基本であると、かように考えまして、いろいろと努力をいたしておるところでございます。
  15. 世耕政隆

    世耕政隆君 わかりました。  私は、この教育とか文化の問題に関して根本的なことを質問申し上げながら、討論してまいりたかったんですが、大臣見えになりまして、私は、また後日に、この続きをさせていただきたいと思います。   〔理事内藤誉三郎退席委員長着席
  16. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 いま、委員長から文化教育についての深いかかわり合いについて、いろいろな討論がなされたわけでございますけれど、その中で教育立場からの政府委員答弁で、私が一点気になりましたことは、いま母親がたいへん自信がなくなったんだ。こういう御返事がございました。どういう点について自信がなくなったということで、そういうおことばが出たんでございますか。
  17. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) まあ、私は、現実問題としまして率直に、終戦を境にいたしまして親が子供教育していく場合に、どういうふうな方向でもって教育をしていいかということがわからなくなったということを申し上げたかったわけでございます。
  18. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 母親がわからなくなったということは、絶対にありません。もし、わからなくなったとしたら、特に「もし」とお断わりしておきます。母親がもしわからないという点があるとしたら、「わからなくなっちゃったんじゃなく」、政治行政の点が母親を迷わせる、政治にかかわっていく問題があるのです。その点について、母親がわからなくなっちゃったという言い方で、文部省教育の問題を、親の責任に押しつける言い方でとどめることを私は反対します。しゃ、なぜわからなくなっちゃったのか、そのことについてお伺いしたいと思います。
  19. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 終戦を境にして、戦前に暮らし、それから考えてきたこと、それから自分が思ってきたこと、そういうものが終戦を境に全部くずれてしまったというのが偽りのない親の気持ちであろうというふうに考えるわけでございます。それは、私は終戦直後のことを大体申し上げているわけでございまして、ただいまの親が自信を持っているか、持っておられないか、そこまで触れて申し上げているわけじゃございません。終戦直後の混乱は、これは新しい憲法ができて、そして国の方針が固まると。それに基づいて新しく日本の国というものが出発していった。その間にもかなり時間があるわけでございまして、その間の混迷と申しますか、そういうものは想像以上のものがあるのじゃないかというふうに考えております。
  20. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 戦後の年代のおかあさんたちは、いま五十才、六十才の年配になっていらっしゃいます。その後の三十代、四十代という方たちを含めて親ということば母親ということばを使ったときには、親のせいにしてわからなくなったとは言えない問題があると思う。戦前の問題そして戦後の、憲法ということばをお使いになりましたけれど、それをもう一つ分解しましてこまかく言いましたなら、子供たちと親との関係の中で、たとえば戦前教科書一つ取り上げてみましても、当時紙がなくて、文部省先生方に墨や鉛筆——あのときは墨もなかったんでしょう。鉛筆などで、いままで指導してきたことを子供たちに消さした。幾ら消してみても透き通って見えるものがある。子供記憶の中には透き通って見え戦前教科書がある。そのことの整理は、一度もなされてないんでしょう。
  21. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ちょっと終戦直後のことにつきましては、私ども正確な記憶があまりないわけでございますけれども、終戦直後、戦前使っておりました教科書をすぐ改めるわけにはいかない。そこで、不必要な点につきましては、つまり、超国家主義的な思想を鼓吹するような部分につきましては、これは墨を塗りまして、そして実際の授業には使わせなかったというふうなことはございます。
  22. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 そうしますと、親だけの責任、いまおっしゃったような、「母親混乱しているんだ」と、「母親が困ってしまったんだ」という答えをすることによって、戦前つまり第二次戦争をおおい隠すことはできないんだということを思いしるべきです。戦後、憲法が、というふうなことば御返事もございましたんですけれども、この日本国憲法フランスジャコバン権利宣言についての比較をしてみますと、フランスの場合には、「人権天賦とされ」、と書いてあります。人権天賦とされ——天が与えたものなんだ、人間そのものに結びつけられるんだ、人間であるがゆえに権利を持っているんだと。非常に基本的なことを、比較しようとは毛頭言おうとしているんじゃございませんけれど、いまおかあさんが迷っているから子供教育混乱しているというその答弁の中に、非常に人間に対する尊厳の謙虚な姿勢が私は足りないんじゃないかというふうに思うのです。もちろん、日本国憲法はたいへん大切なものでございます。この人類の多年にわたる自由獲得努力の結果、自由獲得の戦いの努力の結果という問題と、フランスジャコバン権利宣言人権天賦とされ、人間そのものに結びつけられる、人間であるがゆえに権利を持っているんだと、この権利は人に譲り渡すことができないんだと。何人もこれを放棄することができないんだ、この権利は永久的なものであり、時効になることができないんだ。これを消滅することはできないし、この権利は神聖であり、あらゆる侵害から守られなければならないんだ。自然ということばをさっき文化的な立場でお使いになりましたけれども、もっと永遠な問題として教育人間権利というようなことをもし考えていきますと、おかあさん混乱したから、今のような教育の中で混乱しているような、親だけの責任にしているようなことを、先ほど委員長の御質問に対しての答えを聞いていましたときに、非常に現象的なところだけでいろんな問題を上積みしていっちゃう、塗りつぶしていっちゃうというような感じがいたしました。私も母親の一人でございますから、母親という個人的な言い方をしましたが、「母親たち」とは言いませんでしたが。母親だけのせいにする前に、御自分たち政治の中にどういう間違いがあったかとか、そういう問題を含めて母親ということばを使っていただきたいと思います。大臣がおいでになりましたので、あらためて質問さしていただきます。最近、大臣新聞紙上やいろんな場所でいろんな声明をお出しになっているのを私は読ましていただいているんでございますけれども、物価値上げ親たちとそれから小中高、それらの子供たち教育の問題との関係について御発言になったことは一度もございません。この値上がりに対して教育とのかかわり合い、それをここで、いろんなことで御発言していますから、重要な問題だと思いますので、ちょっとそのことについて発言願いたいと思います。
  23. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 学用品が値上がりしているばかりじゃなしに、その価格には時期的、地域的にかなり大きな落差があるように思うわけでございます。私、物価値上がりにつきましてはかなり先取り値上げがある。こういうことを心配しているものでございまして、同時に企業の側から見ますと不安定要素かなりかかえている、そういうこともあって先取り値上げをされているきらいもあるんじゃないだろうかと。だから、早く価格全体を公正な競争の中で安定をさせる、そういうことが経済政策の中でも一番大切だなあ、こう思っているわけでございます。いま申し上げますような価格状態でございますと、やはりお互いの信頼感もなくなっていくんじゃないだろうかという心配も私としては抱いているわけでございまして、かなり物価混乱状態、公正な競争のもとに早く安定した時代を迎えたい、これが教育の上におきましても非常に重要なことではなかろうかと、こういう気持ちを持っておるものでございます。
  24. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 確かにそうなんでございます。大臣は、日本中の学校のこまかい部分のその場所をお歩きになってはいられないと思います。ただ、各県の教育長との関連の中では報告を聞いていらっしゃると思います。こまかい点の部分の中で御報告さしていただきまして、そして、それをやはり訂正し、直して、子供のために物価値上がり影響した部分を、そのことをちょっと私は報告したいと思います。たとえばざら紙の問題です。紙は一番子供たちが多量に使うものだと私は思います。このざら紙です。これの値上がりとか、そういうものについては、新聞にはたいへん出ておりまずけれど、現在ざら紙どのぐらいになっているか、伺います。
  25. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) ざら紙が教育的に非常に大事なものであるということは言うまでもないことでございますが、最近その値上がりが著しいということで、私ども通産省と協議いたしまして、二月以来四月まで毎月千トンの特別な放出を行なっていただくという措置を講じております。これは一締め七百二十円でございます。教育委員会等を通じまして、一応一人十枚という標準でございますが、各学校にそのワクを流すという方式をとっております。ところが、実際上若干の余裕もございますので、一人十枚というこの基準は、実行上はさらに弾力的に考えてまいりたいということでございますし、さらに、通産省当局とも協議をいたしまして、五月以降につきましてはこの一人十枚というワクを制限しないような方策も考えているわけでございます。これは通産省がお世話いただいておりまするざら紙の値段でございますが、三月十五日現在の私どもの調査によりますと、市価では平均でございますが千三百円という数字が出ております。しかし、この価格につきましては地方によりましてかなりばらつきがあるようでございまして、九百円あるいは千円程度でこれが手に入るというところもあるようでございますが、あっせんの価格といたしましては、配達料を別にいたしまして七百二十円というあっせんをいたしておる次第でございます。
  26. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 生徒一人、一カ月十枚割り当て、一締め七百二十円で放出されていると。きのう立部省管理局長さんのお書きになりましたものを見せていただきました。そして、いまおっしゃったように学校長に対する通達、それから都道府県知事さんに対する通達、それから教育委員長に対する通達、こういうざら紙に対する通達と同時に、各県の割り当てをきのう見せていただきました。  各県に一軒の指定店をつくっておりますね。大都市といいますか、人口密度の濃い愛知県、それから東京、大阪、この三都市は指定店がたいへん多いようでございますその他の県は、各県一軒ずつになっておりまして、その一軒の指定店へ行かなければ一締め七百二十円のこの値段で買うことができないという状態になっていました。私の調べたところによりますと、岩手県の場合を申しますと、岩手県もやはり一軒でございますけれども、岩手県はたいへん日本の中でも最も広いところでございますから、その一軒の店まで取りに行くということになりますと汽車に乗って何時間とかかるわけでございます。私の調べました久慈小学校ではどういうふうなことになっていますかというと、卒業のときに出す文集ですね、つづり方です。卒業する皆さんの感想を書いた文集をとりやめにしたということなんでございます。この辺が教育だと思います。思い出を書き集めて文集にして、そして友情の交流をしたり、学校を卒業する思い出の記録を持つ、そういう重要な文集が紙の値上げでざら紙が一締め七百二十円、お安くしてもらったわけじゃなくて、前から言えば、四十八年の一月では四百円前後だったんですから。それにしても七百二十円というのは値上がりしていて、そしてそれが指定店、きめられた場所まで買いに行くのには、最初に申し上げましたように、「学校長」、それから「知事」、それから「教育長」、こういうふうな通達の中で、手続がまた、たいへんなんでございますね。ですから、卒業までの準備と「つづり方の文集」、文集を出すというのは、紙があると思っていたから安心していた。前から計画していた卒業記念写真集や文集をつくる——写真ブックでございますね。ブックを買うために四年生のときから三年間積み立てをしまして、一部二千五百円でそのブックを買った。子供さんが三年間一生懸命積み立てして、卒業していくその記念を楽しんでいる気持ちがこれでもよくわかるんです。記念アルバムを仙台まで買いに行ったと言うんです。さて、今度は記念のつづり方、文集をつくろうと思ったらその紙がなくて、そして岩手県内指定店一軒しかないところへ行くには運賃もかかるというのですけれども、汽車賃が高過ぎて行けない、そして卒業文集を中止にしてしまったということでございます。大臣は、そういうことはたぶん御存じないのだろうと思うのでございますけれど、そこのところが教育だと思うんです。その点についていかがでございましょう、大臣、おっしゃってください。
  27. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) ただいま御指摘のとおり、あっせんをする店でございますが、これが大体各県一カ所指定をいたしております。これは第二次卸から学校にあっせんをするということでございますから、つまり小売り店ではなくて、第二次の卸からあっせんをするということでございますから、したがいまして、その店舗の数は限定されざるを得ないということでございますが、ただ、全部が全部、第二次卸まで取りに行かなければならないかと申しますと、そうではなくて、この第二次卸が委託をいたしました末端の販売店がこれを扱うということもあるわけでございますので、すべてが一県一カ所の店でしか買えないということではない仕組みにいたしております。  ただいま具体的なケースといたしまして岩手県の例を御指摘になったわけでございますが、ただいま御指摘の町村につきましては、私どもその事実を承知いたしておりませんが、先般、これは三月の二十日の読売新聞にざら紙の放出についての投書がございまして、これも岩手県からの投書でこざいましたので、岩手県におけるざら紙のあっせんの状況がどうなっておるかということにつきまして特に照会をいたしたわけでございますが、私どもが調べましたのは、下閉伊郡の田野畑という村でございますが、この村におきましては三十締めのざら紙をあっせん業者に申し込んでおるわけでございますが、三月の十日と十四日には二十締めを発送し、残りの十締めは四月に発送する予定であるというふうな連絡を受けております。この村が三十締めの申し込みをした経過について調べましたところ、特にざら紙に不足をしているということはないけれども、最近の購入実績が一締め九百円——さっきちょっと申し上げましたけ七ども、九百円であったと、それに対しましてあっせんの価格が七百二十円であったために安いのでこれを申し込んだというようなことでございました。卒業記念文集等は確保できておるというような報告を受けておりましたので、投書のような非常にざら紙のあっせんが円滑にいってないということもないのではないかというふうに承知をしたわけでございますが、ただいま御指摘のようなことがございますれば、さらに実情を調査をいたしまして、用紙が円滑に手に入りますようにお世話をいたしたいと考えております。
  28. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 放出されないざら紙は、普通に買ったらいま幾らなんでございますか。
  29. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 先ほど申し上げましたように、地域によりましてかなり単価にばらつきがあるようでございますが、一応私どもの、これは大都市中心でございますが、平均額では千三百円という数字が出ておりますが、ただいま申し上げましたように、九百円程度で買っておるというところも、一般の市場で、九百円で買っておるというところもあるようでございます。
  30. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 それではまちまちになっているわけでございますね。で、ここにきのういただいた、これ各県、大都市を中心だとおっしゃいましたとおり、指定された店が北海道などは一軒になっておりますね。青森県も一軒なんでございます。秋田県も一軒です。いま言いました岩手県は盛岡市でございますから、盛岡市まで久慈小学校から、久慈に住んでいる親御さんもあるいは先生たちも買いに行くのはたいへん距離が遠くて行きにくい。山形県もそうです、宮城県も。各県一軒ずつしか置かないということを、これ撤廃できないんでしょうか。
  31. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) これは御承知のとおり、通産省に生活産業局というのがございまして、そこの紙業課というところが、この紙の関係を一手に扱っておられるわけでございます。そこにおけるあっせんの体制がただいま申し上げましたように、第二次卸を中心にしてあっせんをするということになっております関係上、ただいま御指摘のような一県一店舗、もっとも東京のごときはかなり数が多いわけでございますが、そうした状況になっておるわけでございます。しかし、先ほど申し上げましたように、現実にはこの取り扱いの卸店舗以外におきましても、その卸の委託を受けて用紙を取り扱うというようなことにもなっておりますので、そうした点につきましては、さらに実情に即した措置が行なわれるよう、通産省とも相談をいたしてみたいと考えます。
  32. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 ぜひそうして、早急にしていただきたいと思います。この通産省が指定した店が、各県一軒ずつでは、しかも子供さんは全県に広がっているわけでございますから、指定店が少いために、文集が出ないということは教育の場としても、ものすごい私は大きな問題だと思うんです。そういう一つの紙を統制していくのだと思われるのでございます。この間も朝日新聞に、「子供のざら紙は心配しないでいい、放出をした。」という、その文章を読ましてもらいました。メーカー七社が、王子製紙、十條製紙、大昭和製紙、山陽国策パルプ、大王製紙、丸住製紙、それらのメーカー七社と日本洋紙代理店連合会、日本板紙代理店連合会、それを第一次卸商として、日本洋紙商連合会、第二次卸商——通産省は、そういう、新聞で見ると大げさな書き方をしていて、現地の子供さんの手に渡るのについては、一県について指定店が一店しかない。「一人十枚」、一カ月で一人十枚、新聞見ると錯覚起こすんですよ。ずいぶん大きな問題として相談して多量に放出されたように思わせて、現実に子供さんのところへ行ってみますと、一人十枚で文集が出ない。ついでのことでしたら、そのことも同時に通産省は発表しないといけないですよ、時に、一人十枚しか割り当てられないんだから。そしてものすごい農村の深いところでは紙は手に渡ることができないんだ、だから地方はどうにかしなきゃならないんだ、同時に、そういう問題も発表していただきたいと思うのですけれど、そういう思想を持っているから、これから相談すると言うけれど、相談じゃなくて、文部省教育立場からそれは間違っているんだと認めて、ざら紙の放出を、指定店にきめるということをやめるべきです。七百二十円に下げてみましても、去年よりは値上げしたわけでございますから、去年の一月ごろでしたら四百円で買えているんです。  四百五十円で買えているんですから。ざら紙を放出して子供のために奉仕したような書き方やしゃべり方はなさらないで、そして通産省の各県指定店をはずしてどこへ行っても買えるという状態子供のためにつくっていただきたいのですけれど、そういう確約をしていただきたいのです。大臣に確約していただきたいと思います。
  33. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) 通産省の紙業課長でございます。  ただいまその指定店を拡大するというような非常にごもっともな御意見でございますが、非常にまたむずかしい問題は、指定店の拡大と価格との関係ですね、これが非常に相関性が高くて、取り扱いロットを減らせば減らすほど実は高くなるという矛盾した要請をどう処理するかという問題かと思います。そこで、実は第二次卸店から各学校へ、ある一定のロット以上まとまりましたならば、これ配送をするということで、必ずしも盛岡へ取りに行かなくてもよいというようなことで対処をいたしたい、こう考えております。  同時に一人十枚という問題でございますが、実はすでにこの制限は取りはずしております。三月五日の文部省からの通達によりまして、一人十枚ということにはこだわらなくてもいいんだ、要するに一月、一月の実需量をまとめて申し込んでいただければけっこうでございますという通達もすでに流しております。それと同時に、この問題四月までということでやっておりますが、五月以降も継続するということで、すでに所要の措置は講じておる、こういうつもりでございます。したがいまして、実需量は間違いなく届くという考え方で貫いてまいりたい。私どももそのような方向で最大の努力をいたしたい、かように考えております。
  34. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 最大の努力というんじゃないのですよ、届かなきゃだめなんですから。きのう、私が通産省の係の方に聞きましたら、生徒一人十枚は持続してやりますとおっしゃったんですね。きょう、いまそういうふうに変わるわけはないんですから、ですからね、最大の努力なんていうことばで言える返事じゃないんですよ、子供たちに。卒業する子供たちに卒業記念の文集を一つずつつくらせるということが教育なんですよ。たとえば岩手県の山の中、で、おとっつあん、出かせぎに行っている。おかあさんは残っている、その中で三期にわたって出す文集によって、その出かせぎに行った親と子が、先生が交流するというのは文集しきやないんですよね。そのことが交流ができるんです、親と子供と。そしてその文集によって子供の成長を親に伝えることができるんです。出かせぎに行っているのはおとっつあんだけじゃありませんよ、おかあさんだって出かせぎに行ってる場合もあります。重要なざら紙の文集なのです。政府は経済成長といって、去年までは紙のことを何と言っていましたか。紙は文化の、バロメーターと言ってたんじゃないですか。紙は文化のバロメーターというのは、一体、十年間何でそんなことを言ったのですか。通産省の方は返事してください。
  35. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) ちょっと私のことばが足りなかったように存じますが、最大の努力をするというのは、この措置の延長についてはございません。すでに延長については決定し、対策を打ってございます。それが第一点でございます。  それから第二点、最大の努力と申し上げましたのは、いかなる辺地の学校、一校、一校におきましても必ず届くように努力をするということを申し上げたつもりでございます。一校たりとも届かないという学校があってはならないという考え方で私どもはこの問題について対処してまいりたい、かように考えておる次第でございます。
  36. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 こまかく聞きますけれども、きのうどうしてそれじゃまだ続くと言ったんですか。きょうあなたはすぐに撤回できるんですか。撤回というのは、こまかく一校ずつ届くようにしますとおっしゃいましたね。運賃五十円と、こういうふうなもので流しているということもございますからね。こういう文書によって、それを撤回する流し方をちゃんとできますか。
  37. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) この当面行ないましたものは四月までということで通達をいたしたわけでございますが、四月中には必ずそれを延長するという文書を出します。それからなお、一人十枚の制限につきましては、すでにこれは単なる積算の目安であるので一人十枚にこだわらないようにという文書はすでに出してございます。
  38. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 それじゃ、これから卒業の記念文集を子供たちが出せないということに対して、——文集を出すことが文化なんですよ、文化人間にかかわっているのですから。それは古典的なものも文化です。子供さんたちが——いま出かせぎのことを言いましたが、出かせぎでいない親と先生が子供を媒介にしながら子供の成長過程を記録するということは文化なみです。十年間——紙は文化のバロメーターといった、その紙についての説明もしてごらんなさい。
  39. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) 紙は文化のバロメーターということは非常に古今から言われておることでございまして、そういう特に学校教育用の問題につきましては、私どもも最大の努力を傾けるつもりでございます。なお、文集が出せないという御指摘、そういうケースが全国に落穂として残るようなことがないように、私どももケースに応じてそれなりの対処をいたす覚悟でございますので、こういうケースを御連絡いただきますと私ども直ちに手配をするつもりでございますし、また、その用意もございますので、私どもは各県あるいはその他の方面から十分御意見を伺いたいと、かように考えておる次第でございます。
  40. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 私が質問したのは、紙は文化のバロメーターだということが、文化というものが、文集、つづり方、子供たちが書くそのもの文化だと言っているんですよ。古今からあるというのは何ですか。去年までは物価を上げるまでの紙は、文化のバロメーター、そしてことしからやめるという、それが「古今」からあるといわれるが、その「古今」というのを言ってごらんなさい。
  41. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) たいへんむずかしい御質問で、私が申しましたのは、文化のバロメーターということばは、昔からあることばであるということを申し上げたにとどまるわけでございますが、その学校児童の文集そのもの文化そのもの一つあり方ということはもう当然御指摘のとおりでございます。
  42. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 そういうふうな答えしかできないんですか。去年まで、物価値上がりするまでは、紙は文化のバロメーターとたいへんに宣伝していたわけですよ。だから、その真実について聞きたかったわけですよ。広告するために紙を大いに使ったから文化のバロメーターと言うんですか。広告にいろいろな紙を使ったから、そういう形で、広告をするということを経済成長の中でやっていたことが文化のバロメーターという宣伝だったんでしょう。ことしから違うんですね。ほんとうに子供のための文化があるとしたら、ほんとうの文化のために、子供にざら紙を全部配りなさいよ。そうして指定店を撤廃しなさい。撤廃したほうがいいですよ。これは統制と同じですから。地方へ行きましたら、ああ国の、政府が言っているんだと、文部省が言っているんだと、だから私たちは自由に買えないというようなおかあさんたちだっていますよ。こういう統制が戦争中のことを思い出させるかもしれない。一方ではおかあさん自信をなくしたなぞ上から押えるような姿勢があるから、そうして自信をなくしたと、そういう言われ方の中で、出かせぎに行っている農村婦人、出かせぎは百万人からいるんだからたいへんですよ。百万人といったらその子供たちは何人いると思うんですか。  全国——各県の人たちに、都会も農村も変わりなく、漁村もですよ、子供に差別をつけないという児童憲章の立場に立ってやるべきですよ。それが文化というものなんです。都合のいいときに、紙が文化になったり、都合が悪くなったら紙が文化じゃなくなって急にトイレットペーパーがなくなったり、これぐらい文化関係ないことはないでしょう。便所の紙がなくなるなんて。そして「文化——通産省の村岡さん言ってごらんなさいよ。便所の紙がなくなって、あなた、何が文化、か。
  43. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) どうもたいへん答弁がまずくて申しわけないと思いますが、紙の用途各種ございますが、私ども実は昨年の十一月に紙の節約運動というのを始めたわけでございます。その際の重点目標はあくまでちらしその他不要不急の分野における紙の消費を節約してほしいということでございました。たとえば百貨店協会、あるいはスーパーマーケットのチェーンストア協会等に依頼いたしまして、無用の広告であるとか、包装用紙とか、極力節約するようにお願いいたしましてその効果をあげてきているわけでございますが、反面国民生活に必要不可欠なもの、あるいは文化の向上に不可欠なもの、たとえば教科書用の用紙であるとか、あるいはただいま議論いただいておりますざら紙等の問題については優先的にこれを確保する、重油の消費規制がございましたときもこういった重要な用途におきます分野については石油の消費規制をはずして必要なだけ電力、石油等を配布するというような立場をとりましたわけでございますので、いろいろ答弁まずいところがございますが、心情におきましては先生と全く同じ気持ちでやっておるつもりでございます。特にざら紙につきまして、いろいろ地域的、ケースによりまして不円滑なところがあったかとは存じますが、そのようなことは一切ないように、国民一人一人どの地域におきましても必要なざら紙が届くように手配をいたしたい、このように考えております。
  44. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 それでは通産省にすぐ言って、通産省が実行していただけるんですね。あなたがそれを確約しますね。
  45. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) 私、通産省の紙業課長でございます。申し上げましたことは必ず実行いたします。
  46. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 先ほどあなたのことばの中に紙を節約をするようにと言ってた時期、どのぐらいでございました。いつごろでした。
  47. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) 私も正確な日にちの記憶はございませんが、昨年の十月末か十一月だったと記憶しております。閣議了解もいただきまして紙の節約の全国的な運動を起こそうということで関係各界にいろいろなお願いをしたわけでございます。
  48. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 昨年の十月ですか——決算期の、この三月の決算期と九月の決算期で大手紙会社、紙製品をつくっているところのもうけがここにはっきり出ているから言わしていただきます。九月、十月が紙が、節約するようにおっしゃったわけですから。利益、九月期決算では経常利益が五二・四%、大手五社軒並みに過去最高の利益をあげている。中でも王子製紙は売り上げ高を七百九十億円、三月期の決算よりも二五・八%、大幅に伸ばしていた。その前に、前期のときに一位だった十条製紙は王子製紙に押えられて、王子製紙の売り上げ高の内容を見ると、新聞用紙だけで三十九億円、印刷用紙で二十八億円、包装用紙で十億円、雑収入四億円です。あなたが十月、紙を倹約しようと通産省の発表したその一カ月前の九月の決算においては利益が非常に伸びています。紙というとすぐに木材がないとか、石油がないと新聞で言っていらしたようですけど、木材部門でも六十三億円利益を伸ばしていた。木材部門の売り上げ百四十億円は、包装用紙の百六億円を上回っていたというんですね。いまあなたがおっしゃいましたその十月、紙を倹約しようというふうに言い出した一カ月前の九月の決算でこれだけもうけていた。このもうけていたものを、どうして一カ月たったら急に紙を倹約しようということをいまあなたがおっしゃったように言い出したのですか。
  49. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) この四十八年におきます紙の不足の問題、これは御案内のように、昨年の三月か四月ごろから急に強い声になってまいったわけでございますが、このときの四十八年の情勢を申し上げますと、紙と板紙、ペーパー一とボードでございますが、これに対する需要が四十八年におきまして未曾有の増加を示したわけでございます。前年に比べまして約一八%の需要増、それに対して生産は一七%の増、フル生産で嫁働率は一〇〇をこえて一〇五、六になっていたと思いますが、フル生産を続けたにもかかわらず、約一%の需給のギャップがあった、これが実は紙不足の根源になっておるわけでございますが、その一八%の需要増というのは、終戦直後の爆発的な需要増以来のことでございまして、やはりこのように紙が大量に消費されるということは相当むだ使いがあるのではないか、こういう見地から、過度の需要は押えてほしい、それと同時に、一部ございました仮需、これも抑制をはかるべきだ、こういう見地から、不要不急部門におきます紙の爆発的な需要増を押える、こういう方針で倹約運動を起こしたのが一つ。  それから第二番目には、やや長期的な観点に立ちまして、紙というのは、御案内のように材木が主要原料になるわけでございますが、環境問題、公害問題等を考えました場合、やはりこのままのテンポで紙の需要が増加していくということになりますと、わが国の森林資源、緑の環境というものは破壊され、さらに資源を海外に求めるわけでございますが、やはり地球的な規模で同じような問題が起こるのではないか、こういう見地から、短期、長期を踏まえまして、紙に対する需要、これは適切なものに戻さなければならない、こういう見地から節約運動を起こしたつもりでございます。
  50. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 いま大臣が、十一時四十五分、予算委員会のほうへいらっしゃるそうでございますから、大臣一つだけ伺います。  やっぱり経済に関することでございますけれども、去年ですか、福岡の教組の方たちがストをやりましたね。そのときに賃金カットといいましょうか、お金でカットした。それが三十五億あるんですけれど、そのお金はどうなっているのでしょうか。それをちょっと伺います。
  51. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 賃金カットとしますと、そんな大きな額にならないように思うわけでございます。そんな、何日もストライキをやられたわけじゃございませんので、何か数字の違いじゃないだろうかなという感じがいたします。
  52. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 そんな大きな額でないとしたら、どのくらいの額でございましょうか。
  53. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) いま賃金カットと仰されましたが、これはストを半日やりますと、半日勤務をしないわけでございますから、半日分の給料を正規の給料の中からカットをするということでございまして、これは、もちろん東京でも、京都でも、全国的に府県でやっているわけでございます。福岡だけがやっているわけじゃございません。ただいま先生が御指摘になりましたのは、あるいはストライキをやって、それに対する処分をする。その処分をいたしました場合に、減給でございますとか、それから戒告でございますとか、そういう場合には特別昇給はできない。そういうふうなために、組合が救援資金と申しますか、そういうものを個人に出す、その場合の金がそれくらいになるということではないかと思うのでございますが、正確な額は私どもよくわかりません。
  54. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 福岡県ではわかっていると思うのですけれどね。それを調べてください。一体、政府がカットした金は何に使用しているのですか——一人の先生だけじゃございませんでしょうし、福岡の場合は、この間の場合、二十九分ストとか、半日スト、十分スト、それらのことの中での賃金カットでございますから、どのぐらいの金になったか、それを一体どうするのか、そういうことをお聞きしたいのでございます。
  55. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) おそらくストライキをおやりになった方々は日本教職員組合の組合員の方々ではなかったかと、そう思います。そうであったとしますと、組合のほうでは、組合員がストに参加したために損害をこうむる、その場合には、その損害は組合のほうで補てんをするというような運営をしてきておられるわけでございます。その運営の額が幾らにのぼるかということじゃなかろうかと、こう思います。いまお話になりました賃金カットが一つございます。それから、処分を受けますと、その次の昇給時期に昇給できない。したがって、結果的には昇給が三月ずれていく、それだけのものを組合のほうで補てんをされるという問題がございます。あるいは退職にあたりまして退職金が少なくなるとか、あるいは年金額が少なくなるとかいう問題がございますので、そういう意味で救援資金というものを組合として持っておられるわけでございます。たしか昨年度予算が六十億くらいだったと思うのでございますけれども、余っていくもんだから翌年翌年へ繰り越していかれるわけでございます。正確な数字知りませんけれども、全国に使っておられる額が三十億円くらいのもんじゃないかなという推定を私どもとしてはいましているわけでございます。したがいまして、賃金カットだけで福岡県だけで三十五億円という数字はあり得ないのではないか、こう思っております。
  56. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 たびたび聞いて申しわけございませんけれども、三十五億はどこが保管し、何に使うということをお聞きしたいのでございますね。
  57. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 日教組では組合員一人一人から救援資金というものの拠出を求めておられるわけでございます。日教組として、それだけの資金——先ほど申し上げましたように、昨年でございましたか、予算が六十億円であるわけでございますけれども、日教組の本部のほうから各府県に対しまして補てんの金を送っておられるというのが通例の姿だろう、こう思います。中央のほうへ救援資金として組合員から集められる。たしか昨年は一人六千円ずつ集められたのじゃないでしょうか、今度は七千円といっておられますが、中央へ集めて、そうしてまた中央から各府県へ配分されるというような運用をされていられるように承知いたしております。
  58. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 いえ、私が聞いておりますのは、賃金カットをするのは、そのストをする——私は先生ということば使いますけれど、地方教育委員会がおやりになりますね。文部省の指令によって、大臣の指令によっておやりになります。そのときに賃金カットをされたその金ですね。日教組の金じゃございません。ストをした金、その賃金カットをされたその金ですね。それが全国で三十五億あると。そうしたらその賃金カットをした三十五億の金はどうするんですかということなんです。
  59. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) わかりました。賃金カットの問題にいたしましても、昇給延伸の問題にいたしましても、これは法律上の問題でございまして、文部大臣が指示したから、それに基づいてそういうことが行なわれるということじゃございません。給与についての扱い、法律に定められていることでございます。同時にまた、私が申し上げましたのは、従来からの分も含めて三十億内外ではなかろうかと、こう申し上げたわけでございます。各府県では毎年度給与の予算を組むわけでございますけれども、個人個人にとりますと、前年に処分を受けた、昇給がおくれたということになるわけでございますけれども、次の年度は、それに基づきまして各府県が給与の予算を組むわけでございますので、したがいまして、予算が余ったということにはならないと思います。ただ、賃金カットのような場合には、カットした部分は、それだけ不用額が出てくるということになろうと思います。したがいまして、各府県で毎年度見込んでおった額が若干不用額が出るというのははるかにまた小さい額になってくると、こう考えるわけでございます。各府県は一応予算で計上するわけでございますので、どういう給与の人を採用するか、あるいは給与の高い人が退職されるか、あるいはその補いで新しい人を採用しますと、それだけでも給与が余ってくる、逆の場合は給与が足りないというようなことでございますので、県によりまして不用額が出す場合もありましょうし、出ない場合、むしろ補正で追加をしなきゃならないという場合もあって、一律ではなかろうと、こう思います。
  60. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 いま、大臣が予算委員会でお呼ばれになっているそうでございますから、それでは、その話は、また次回にやらしていただきます。  では元に戻して、通産省に。先ほど私が調べたこの九月の決算で、王子製紙の売り上げが七百九十億あるんだと、こう言いましても、あなたはそれに対して答えなさらないで、九月、紙は倹約しろと、そして公害や何かがあったからと、それじゃまるでかたき討ちをしているみたいですね。いつも公害のせいにして、よく新聞や何かで公害と石油のせいにしますけれど、人間がからだが悪くなった問題に対して、もうけている問題と比較にならないんですから、そのことあんまり言わないほうがいいんじゃないですか。公害でからだが悪くなったということがあるから公害があるんであって、それは紙でもうけたものと紙を倹約する問題とは、全然関係ない問題を、私は新聞でときどき見ますね。通産省はよくそういうことを言うから、あんまり言わないほうがいいんじゃないですか。去年、九月決算でもうけた、そのもうけを持続するために値上げしょうとしたんじゃないんですか。それについて返事してください。
  61. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) 主要製紙会社の利益額につきましては、先生御指摘のとおり、去年の九月期の決算におきましては、おそらく前期の三月期に比べまして四割程度の利益の増加が見込まれたかと存じます。ちょっと私も詳しい数字ただいま持ち合わせておりませんが、王子製紙で言いますと、売り上げ高七百九十億に対しまして、経常利益、これがおそらく三十数億だったのではないかと考えております。純利益という意味で申しますと、十数億だったのではないかと、このように考えております。御指摘のように、最近、終戦後あるいは朝鮮動乱後を除きまして、最近時点におきましてはかなり大幅な増益だったと考えております。そのような点に着目いたしまして、私ども通産省といたしましてもいろいろ、たとえばノートの高騰に対処いたしまして、ノート用原紙を出血価格で出荷しろというような、この利益を減らすような対策を打ち、これにより教育用品の異常に値上がりしましたのを防止し、さらには、低下させようという対策を幾つか講じておるつもりでございます。  なお、御参考までに申し上げますと、この製紙メーカーの売り上げ高純利益率というのは、他産業に比べますとかなり低い水準にございます。二%ちょっとこえた程度かと存じます。それが低過ぎるから水準を訂正するんだということではなしに、いままでもそうであったわけであるので、利益額はいろいろ教育用品等の値下げを通じて社会に還元すべきだというのが私どもの考え方でございます。
  62. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 九月決算のあとに社会に還元、何したんですか、言ってください。
  63. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) 幾つかの事例で報告できるかと思います。  第一点は、先ほどちょっと申し上げましたノートの価格の問題でございます。非常に異常に高騰いたしたわけでございますが、この二月から値下げ対策を行政指導という形でやらしていただいたわけでございますが、その際に、製紙メーカーはノート用の原紙を出血価格で出荷するということをいたしました。具体的に申し上げますと、代理店販売価格で一番安いところでキロ百七十円でございましたものを、これを百三十円に値下げでノート用原紙に限って出荷しろということをやりましたのが第一点でございます。正確な数字ではございませんが、おそらく月間一、二億円の赤字になったのではないかと考えております。  第二点はざら紙価格の安定でございます。これにつきましては御案内のように、ざら紙は新聞用紙を裁断してつくられるものでございますが、新聞用紙の売り値というものをそのまま原価に見込みました場合には、製紙メーカーの出荷価格というのは赤字でございますが、これを継続するように強要しておるところでございます。  その他こまかいのは若干ございますが、おもな点二点あげさしていただきました。
  64. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 そういうことを還元ということばで言うんじゃないのですよ。事実ここにもうけたことは先ほど言った記録があるんですから、還元したということばで言うということは文化性がありませんね。ことばをちゃんと選んでください。それよりも子供のざら紙をちゃんと渡して文集ができるようにしてください。それ重要なことなのよ。王子製紙で売り上げ高七百九十億円、去年の九月にもうけているんですから。そのあくる月から便所の紙がなくなったんだから。大事なことは、子供の紙が与えられるかどうかということなんですよ。幾ら赤字を出したって生徒にはざら紙を不自由させない。これだけもうけているんだから。十月ですよ、大阪の紙のおかあさんたちの「大騒動」新聞に出たのは、九月の利益決算したあとに。大阪の住民の一人が通産省に電話をしているじゃありませんか。私はその人から陳情受けましたから知っていますよ。そうしたら、あなたたちはどうしたかというと、静岡県の富士製紙からトラックで紙を送りましたね。トラックで運んだのですから、あるということですよ。ちゃんともうけの価格はいま言ったように、幾度も言いませんよ、それがあって、そしてその次の月にちり紙がなくなった、トイレットペーパーがなくなったと。そして大阪では大騒ぎになったときに、大阪の私の知っている人ですが、通産省へ電話をかけたら静岡の富士製紙からトラックで運びました。これは新聞に出ています。何が還元です。還元というのはもう一つ裏側に奉仕というものがあるから還元と言えるんです。漠大にもうけておいてそんなことしちゃ困りますよ。ですからはっきり子供にざら紙を出しなさい。重要なことなんです。ざら紙一枚をばかにして、そして富士製紙や他の製紙会社が七百九十億円ももうけて、そして九月その決算が終わったところで、紙不足というふうに言ったでしょう。それをトイレットペーパーへ集中さしたでしょう。そして国民の目をそこへ向けといて、子供の肝心なざら紙や必要なものを与えていないということは、一体これはどういうことなんですか。その総合的なことを言ってください。
  65. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) まず第一点の、ざら紙をいかなる辺地の学校であっても潤沢に届けろという御趣旨、全く同感でございます。私どももそのようなつもりでいたします。  それから第二点の、トイレットペーパーの問題でございますが、これはたしか大阪で起こりましたのが十一月だったかと存ずる次第でございますが、私どもといたしましては、全力をあげてこのトイレットペーパーの不足問題に対処したつもりでございます。緊急輸送、あるいは安値販売というようなことを大阪でやらしていただいたわけでございまして、いろいろ力及ばず皆さま方に迷惑をかけたことは深くおわび申し上げますが、当時の状況下において最大限の努力をしたということは、申し上げることができるのではないがと存じます。
  66. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 いまざら紙のことを例に言いながら行政的な問題を言っているのです。業者七社と相談してざら紙のことやりましたね、通産省、文部省と。相談して指定店をきめ、ざら紙も一カ月一人十枚ときめましたね。紙がないことも、利益をよりあげるために業者がかってにやっているんだということを、新聞やテレビで宣伝していたことを、学校生徒一枚のざら紙が証明したわけです。すべて政府は大手業社と相談してやっているんじゃないですか。だから、業者がただかってにもうけているんじゃなくて、話し合った上で——そんなことは初めからわかっていますよ。でも発表のしかたが、紙を節約するように注意を施しているんだと、注意を施しているのなら、初めから子供に紙がないことを大手業社に注意を施すべきであって、政府と大手業者が相談してやっているということが、子供の一枚のざら紙が証明したということなんです。  もう一つお伺いしますよ。紙の海外進出があるでしょう。そういう計画、計画じゃなく調印しているでしょう。私たちの生活の中では、紙がない、倹約しましょうと、こう言っているわけですね。まあ木材のこともあるから、海外進出をしなきゃならないと、それは発展するという意味ではとてもいいんですけれど、時期が紙の節約とぶつかり合った中でやっているからお伺いしたいのです。外国へ製紙の進出をしているのはどこですか。
  67. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) 原料面で進出している事例は幾多もございます。海外の森林資源を獲得するために行っている、あるいはさらにパルプまでつくって、これを日本に輸入しようと、こういう意味での海外進出はございます。なお、この製紙段階にまで発展をいたしましたケースというのは、現在ではないのではないか。今後は、おそらくいろしろ海外資源保有国の立場もございますので、資源の輸出面におきまして付加価値を高めるという方向に、資源保有国の政府は対処しておりますので、今後の問題といたしましては、海外で紙までつくって日本に輸入してくる、こういうケースもあるのではないか、かように存じております。
  68. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 あるのではないかじゃなくて、調印しているのだから、あるでしょう。どこと調印しているんですか。
  69. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) これは個別企業と海外の企業との間でございましょうか、紙をつくるという問題でございますか。
  70. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 会社をつくる……。通産省だからすべて詳しいんでしょう。そのぐらいのことはわからないわけはないんでしょう。
  71. 村岡茂生

    説明員(村岡茂生君) 最近、政府もかなり関与した形で調印いたしましたのは、昨年の十一月だったと存じますが、ブラジルのリオ・ドーセという国策会社がございます。その会社と日本の製紙会社、おもな企業全部網羅いたしました共同会社とが、ブラジルの森林資源の獲得について調印したケースはございます。この内容は、ブラジルのミナスジェライス州及びエスピリトサントと、この両州にわたりまして、ユーカリの木を植えまして、植林いたしまして——これは七年間で伐期になります非常に成長性の高い材木でございますが、これをブラジル国におきましてチップ及びパルプまで製造いたしまして、その半分はチップのまま、残りの半分はパルプに現地で生産いたしまして日本へ輸入する、こういう計画で調印したケースがございます。御指摘の点あるいはそれではないかと存ずる次第でございます。
  72. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 そうです。わからないようにあいまいに言わないでくださいね。そして公害があるからとか、そういうようなことだけはっきり言うという、そういうやり方をしないようにしたほうがいいんですよ、そんなことはわかっているんですから。私は幾度も言いますよ。だれがわからしたかというと、子供の一枚のざら紙ですから。だから一枚のざら紙を大事にしたほうがいいんですよ。それが人間に、教育にかかわることなんだから。一枚のざら紙を大切にすることは、子供を大切にすることです。こんなもうけているようなことを、そんなインチキな技術的なことばを弄して国民をだますようなことはしないほうがいいですよ。  いま、ブラジルは——去年の十一月とあなた言ったけれども、去年の六月です。去年の六月に調印を済ませた。総投資二千五百億円、大規模なものです。それは政府によってプロジェクトされている。製紙会社——王子、十条、本州の旧王子系、伊藤忠が中心となってつくられた。文字どおり官民資本をあげての共同投資計画で、ブラジルの現地資本と合併会社をつくっている。いまあなたのおっしゃったことに補足さしていただきます。  私は、これからまた、次回も続けてやりますから。この大資本の計画と、子供の文集を出すということの重みは同じですからね。日本の発展のためにどちらも同じです。  次、続けてやります。
  73. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 午前の会議はこの程度にとどめ、午後一時再開することとし、暫時休憩いたします。    午前十一時五十九分休憩      —————・—————    午後一時二十分開会
  74. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、教育文化及び学術に関する調査中、文教行政基本施策に関する件を議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は御発言を願います。
  75. 小林武

    ○小林武君 文部大臣にお尋ねいたします。田沼町学校統合問題について御存じですか。あまり詳しく御存じでなければ局長からでも。
  76. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 昨年来国会でもしばしば取り上げられた問題でございますので、大体の経過は存じております。大臣も御承知でございます。
  77. 小林武

    ○小林武君 御存じならば、この処理について、まだ反対運動もたくさんあることだし、何か考えていますか。
  78. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 昨年の六月十九日に関係者の間におきまして協定書ができております。協定書に従って今日までまいったわけでございますが、最近に至りまして関係者の間でさらにこの紛争が再燃をしておるというふうなことを聞いておりますが、この協定書の八にもございますように、「再び紛争が生ずることのないようにするため、甲乙」と申しますのは、町当局とそれから関係の住民でございますが、「双方は誠意をもって解決にあたり、本年七月以降に発生する諸問題」については、「第一段階として甲乙が協議して定め、甲乙の協議がととのわない場合は、丙丁の定めるところに従う」、こういう条項があるわけでございます。したがいまして、最近甲乙間に再び紛争が起こっておるということでございますので、栃木県の教育委員会に問い合わせをいたしましたところ、この協定書にございますように丙丁、丙と申しますのは、県議会の議長以下県会の関係者、丁と申しますのは県の副知事、総務部長、教育長等でございますが、その関係者がこの問題の解決に乗り出されたということでございますので、私どもは、その関係者の御努力に期待をして、この問題が円満に解決されるよう願っておるということでございます。
  79. 小林武

    ○小林武君 奥野文部大臣になってから通達が出ましたね。私は、あの通達というのはまことにりっぱな通達だと思うんです。それは、前のことにあまりこだわることなく実情に即した考えであると思っておるのでありますが、それでもなおあの通達が出てからこの種の問題が全部そう急にとはいかないまでも、やっぱりだんだん解決をしていくということがこれはやっぱり文部省のやるべきことだと思うんです。ただ私は、やり方の問題ですけれども、教育委員会に号令かけるとか、何とかという意味でなくて、たとえば田沼町の問題にいたしましても、もっといまの管理局長の話からいえば積極性を持って、そしてやはり問題の解決やるべきだと思うんです。なぜかというと、私はもうはつきりその事実がわかっているわけですね。これがどっちの話も五分と五分のような話ならなかなかむずかしい。しかしながら、これが事実であるとすれば、私が事実であるとするならばというようなことを言ったのは、何もこの町民の皆さんの考え方が間違っているとか何とかというようなことを言っているわけでも何でもない。ほんとうなのか、うそかわからぬと、こういうことを言っているのじゃないのです。やっぱり反対も賛成もあるわけですから、そういう意味で公平な立場で見た場合には確かめてみなけりゃならぬことですから、中身のことを。これは西中学校という中学校を建てるために国庫補助金は六千五百万出したということは間違いないですか、これはどうですか。
  80. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 合計七千百七十万でございまして、四十五年度に二千四百八十一方六千円、四十六年度に三千六百九十三万円出しまして、さらに四十六年度屋体分といたしまして九百九十五万四千円を補正をいたしております。合計七千百七十万出しております。
  81. 小林武

    ○小林武君 いま言ったのは、みんな建物のためのものですね。それが七千何ぼになりましても、七台のスクールバスを使って、そうして登校させているわけですね。そして、そのスクールバスの運行費というのはいままでどのくらい使ったか知っていますか、この五年間に。
  82. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 聞いておりません。
  83. 小林武

    ○小林武君 八千万使っていると、こういうのですね。ただし、私はそこへ行って調べてきたわけじゃない、八千万使っていると、こう言う。八千万使ってすでに一千五百万円の足を出している、こういうわけです。私は、八千万であったなら、七千何百万出したところで中学建設費を上回る足代、これから何ぼでも続くわけですね、幾らでも続くわけです。もうそんなばかな金、使うことは要らぬからやめろと、こういうなら、これは通えなくなるわけです。まあ中には通えるところも多少あるか知らないけれども、一番遠方のところですと私はまあ通われないと思う。この地図を見ればまあかなりこれは困難です。そうすると、そういうことは無理だということがわかっている。もう通達の中にちゃんと書いてある。これが一つありますよ。あなたのほうで八千万なら、これは五年間で目の子勘定で割ってみれば一千六百万ですね、スクールバスに対する費用というのは。一千六百万ずつこれから百年でも二百年でも続けていくという考え方は、そもそもやっぱりこれは間違いです、私に言わせれば。この点はどうですか、文部大臣、七千百万円出して学校をつくって、いや、私も書類を見るというと、なかなか建築についても吟味して東京の何とかに頼んだとか、いろいろなだれだれに設計を頼んだとかいうようなことがありますから、いろいろやったと思いますけれども、その学校のりっぱになることはけっこうだけれども、無理して一千六百万出している、これから今度石油の値段は上がりますから、いままでもすでに上がっているし、そういうやり方をやって、なおかつ、やつ。ばり頑張っていくというようなことは、これは経済上からいったってあまりりこうな手じゃないです。そこまできていたら、あなたたちはこれが事実であったらどうしますか。
  84. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 確かに小林先生のおっしゃったような問題もあると思いますが、御承知のとおり、この学校につきましては、田沼町の議会におきまして成規の手続を経て統合が決定されておるわけでございますし、また、その統合に対しまして文部省も、当時はこうした紛争がなかったわけでございますから、ただいま申し上げましたような補助金も支出した、その後、こういった紛争が起こったということでございます。この事態をどう解決するかということ、その問題点の一つといたしましては、小林先生御指摘のような例もあるわけでございますが、その辺、全体をどう総合判断するか、取捨選択するかということは、これはやはり第一次的には当該の教育委員会の判断でありあるいは町の判断であり、あるいは議会の判断である。したがいまして文部省は、先般の通達に示しましたような、一般的な方針をとっておるわけでございますが、これを具体のケースにどう適用していくかということは、やはり、町当局自身が第一次的に判断すべき事柄であると、具体の案件をつかまえて、しかも、その町村内部の問題をつかまえて、文部省が具体的な指示、指導をするということは、やはりこの際は適当ではないと思います。さっき申し上げましたように、町村内部の問題ということが、第一次的な事柄でございますけれども、さらに、県段階における調整も現在行なわれ始めたわけでございますので、むしろ、その方々の御努力に期待をいたしまして、この件が円満に解決されることを願っておると、こういうことでございます。
  85. 小林武

    ○小林武君 いわゆるお役人の答弁なんですね。私は、しかしわからぬことないですよ。あなたが答弁するときに、あまり私が言うようなものの言い方答弁したら、あとで問題になったら困るというのは、これはわかります。わかりますけれども、いま具体的例を示したでしょう、七千万円の学校を建てて、そして五年間に八千万の足代を使っている。これは、もう奥野文部大臣になってから出された通達の中にもあるように、通学に無理なことがあったり、そればかりでなく、むだな金を使っているというようなやり方をやるならば、私は考慮すべきだと思う。しかし、冒頭に言ったように、ただしそうは言っても、これは頭から押えるというような問題じゃないと思う。私はこの間、事情を説明に来られた方にも話したのですが、私がこれを委員会で取り上げるというときには、どっちが悪いとかいいとかという問題でやって、騒ぎを大きくするような気持ちでは絶対やりませんよ。私はやっぱり文部省には文部省立場があり、文部省がいたけだかになって、こんなぶざまな計画をやったから、直ちに撤回せいというようなことを言うなんということは、これはいまの制度の中でやっていけないことになっているのだ、そういうことをやれとは言えない。ただ、文部省も、ここまで来たら、具体的な問題に目を向けて、そして誠意をもってそれに当たれば必ず道は切り開かれる問題だ、そのことを私は委員会の中でお尋ねしようと思うのだ、それでよろしいかというように代表で来られた方にも話した。私はここでこれをかれこれ議論して、お互いに非をつつき合うなんというような気持ちありません。しかし、いまの話じゃだめなんです。あなた、町当局あるいは知事当局もそれに対していま調整をしている、こうおっしゃった。それでよろしい。それでは、あなたの具体的な考え方としては、どういう結果になることを望むという態度がなければいかぬです。そうでしょう、具体的な問題が出てきているわけですから。そういうことの不合理というものを解消するような立場でやっぱり解決してもらいたいとか、何とかいう気持ちがなければならぬはずでしょう。これはやはりあなたでは言いにくいだろうから、私は文部大臣にお尋ねしたいが、それも文部大臣立場としてなかなか言いにくいところがあっても、どうですか、これ、文部大臣は地方自治のあれについては練達の士だし、言うならば、最高の知識を持っているのだけれども、七千万かけて統合やって、そして五年間に八千万も使って、まだ足を出しているなんというようなそういう無理な統合というものは、地方財政の立場からいっても、どんな形式にせよ、国庫から金をもらえばいいとか、そういうやり方で処理すべき問題ではないということになると、やり方にはいろいろ細心の注意を払って、地方自治体の立場教育委員会等の立場も考慮しながらも、どうなければならぬかというような考え方はおありだと思うが、文部大臣ひとつこの点についてはどうですか。
  86. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 昨年もかなりこの問題をめぐりまして議論のあったところでございまして、その後、幸い話がまとまったということを聞いて喜んでおったわけでございますけれども、また、再燃してきている。私として申し上げ得ることは、どのような結論が出ましても、まとまったことについては、文部省として最大の協力を惜しまない、まとまったところに従って御協力を申し上げたいと、こう思います。
  87. 小林武

    ○小林武君 どのような結論が出ても、というのは、これは文部大臣からすれば、言わなければならぬことでしょう。私がかりに立場をかえてそこで答弁してもそう言うからね。どのような立場が出ましてもやるということですね。しかし、平たくお互いの気持ちになってみれば、このことは、金の問題だけじゃないわけです。あなたの出された通達というものの中に、やっぱりはっきり書いているわけです。教育というものは、単なる、通学の問題も一つある、しかしその中で、地域住民との紛争を生じたりするような——これが、何か意図してやるような紛争ならばともかくも、いまのような通学上の無理ということが一つあるでしょう。もう一つは、私は地図の上で見たんですけれども、あなたたちは、地図見てよく調べていますか。この一番遠いところの通学地のところは、れっきとした昔は村だった、その手前のほうももう一つは村だった。そしていわゆる一つ学校をりっぱに守っていて、地域の住民のつながりというようなもの、教育に対する一つの地域の責任というようなものを感じているところですからね。私は、そういうことを全然無視してしまったような教育なんというものは、これはあり得ないと思うわけです。文部大臣もその点は認めていると思う。  そこで、この問題について、結果待ちということですか、さっきから言っていることは。このことに終始注意を払って、そうして文部省としては、一日も早く結論を出すようにするというそういう考え方なのかどうか。これについては文部大臣としてはどう考えられますか。
  88. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 先ほど管理局長から申し上げておりますように、やはり町なり県なり、現地においていろいろ御苦労も願っておるわけでございますので、やはりその御苦労の成果を期待をしていくということだと思います。文部省が具体の問題について入っていきますと、かえって混乱するんじゃないだろうかと、従来の経過から見ましても、そんな心配を持っているところでございます。したがいまして、せっかく小林さんからいろいろなことをお尋ねいただいていますのに、ずばり御満足いただくようなお答えができない、それはそういうことに由来するわけでございまして、その点はひとつ御理解をぜひお願いをしておきたいと思います。
  89. 小林武

    ○小林武君 私はあまり理解しないですよ。なぜかというと、筑波のときはあなた相当なことをやったからね。何でもかんでもそれで通しているなら、私はあまり言わないんだけれども、自分でやるときは相当なことをやっておいて、この場合だけは、というようなことを言うと。ただし、それも政治の中に起こったことだから、あなたばかり責めるわけにはいかない、そういう場合もあるかもしれない。しかし、事実はちゃんと見なければならぬ。これは管理局長どうです。あんた、こういう事実は知っているのかね。自主通学を認めた時期というのは知っていますか。それから昭和四十八年の六月十九日、分教室として三カ月間存続するという県教委仲介の仲裁案で事態をまとめたという、こういう事態の物語っていることを、管理局長としては、あなたはこれ、大臣と違ってやたらにやめたりなんだりする人じゃないんだから、長いこと文部省の中で重要な仕事をやっていて、どうなんですか。あなた、こういう事態のあれを、どう進展さしていったらこれは解決するというようなことについてあなた何にも考えない無心の状態におるわけですか、どうです。
  90. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 当初は統合計画に従いまして、一挙に統合をしようと、こういう動きがあったわけでございますが、紛争が起こり、それから自主的ないわゆる分教自主教育が行なわれるといったような紛争を契機といたしまして、関係者があっせんに入りまして、まとまった。その結果は一経過的にその分教室を設けて、逐次統合校舎に生徒を通学させるという経過措置をとったわけでございます。私は、こうした経過的に逐次統合をしていくということは、これはやり方といたしましては、まあ苦心の結果であって、適当な方法であろうと思います。現に経過的に統合するという案につきましては、関係の住民の方々も町当局も賛成をして了承をされたわけでございますから、そうした経過措置に従ってこの問題が時間をかけて解決されるという形は、これは適当な方法であろうと思います。
  91. 小林武

    ○小林武君 あなたの考え方では、経過的になしくずし的に、いわば泣き寝入りをさせる形で持っていくということですか、いまの話は。それならあなた、さっきの話、違うじゃないですか。
  92. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 泣き寝入りということではございません。経過的に……。
  93. 小林武

    ○小林武君 経過的にということはどういう、ことですか。
  94. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 逐次新校舎に統合していくという考え方について、これは私がそれが適当だということを積極的に申すわけじゃなくて、そういう内容について、昨年の六月に合意があったわけでございます。ですから、その合意の内容については、私は、これは一つの妥当な解決方法であろうと思うわけでございます。昨年の夏、六月に行なわれた関係者の合意を得た、その方式に従って事柄が処理されるということは、これは現地の解決案でもあり、私どもも、それは適当な解決案であるというふうに考えておったということでございます。一部の方々を押えつけて、そして泣き寝入りをさせることがいいということを申し上げているわけではございません。つまり、合意が去年あった、その線に従って処理されるということは、これは処理の方法として私も適当だと思うと、こう申し上げておるわけでございます。
  95. 小林武

    ○小林武君 あなたの話は、てんで理屈に合ってないよ、合意に達したという、その合意に達したというのは何の証拠があるわけですか。何も文句なく全部がそこで合意に達して、これからそうしますと、何カ月たったら、もうこれは全部中学のほうへ通うんですと、こういうあれですか、そういうことを約束したというんですか力そういう証拠ありますか。私の聞いたところでは、そんな証拠はないんですよ。そんな証拠があって、きちんとした話し合いがついているならいまごろ問題が起こるはずがないんですよ。だからあなたの言っているのは、非常に通り一ぺんの話なんです。1いやいや何か疑義があるような顔しているけれども、どういう証拠があるなら持って来てくだざい。
  96. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 私は、先ほど申し上げました「田沼町立西中学校通学に関する紛争解決のための協定書」というものを持っておるわけでございますが、その二項によりますと「甲は、乙の希望により、旧新合中学校及び旧飛駒中学校跡に、西中学校新合分教室・西中学校飛駒分教室を設置するものとする。」、三項といたしまして「前項による分教室の設置期間は、昭和四十八年七月一日から昭和五十一年三月三十一日までとする。」という協定書が取りかわされたというふうに私は承知をいたしております。その写しはここにございますが。
  97. 小林武

    ○小林武君 写しあるのですか。
  98. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) はい。
  99. 小林武

    ○小林武君 ちょっと持ってきてください。——これはそうすると、その後の紛争というのは、全部解決したという考え方にあなたは立っているわけね。紛争は、その後、これを出してからは一切解決したという立場をとっているわけですか。
  100. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) これは、昨年の六月十九日に署名されたわけでございますから、六月十九日以降におきましては、これが紛争といたしましては解決をしたというふうに理解をいたしておりますが、ただ、最近さらに、この問題が再燃をしたということでございますと、先ほども申し上げましたように、第八項がそうした事態に該当するかと思いますが、その昨年の七月以降発生した諸問題は、第一段階としては「甲乙が協議して定め、甲乙の協議がととのわない場合は、丙丁の定めるところに従う」と、これは協議するというこtではなくて、丙丁におまかせするというふうに私は読めると思うのでございますが、もし紛争が、もしと申しますか、紛争が再燃し、現にそれがあるということでございますれば、甲乙が協議して、そして協議がととのわなければ丙丁にまかせるということで、先ほども申し上げましたように、その丙丁のあっせんがただいま進行中だというふうに聞いておりますので、それの御努力に期待をしているということでございます。紛争が、何と申しますか、一たんはおさまったと、ところが再燃したと、再燃した事態にどう対処するかということは、やはり八項を適用して処理すべき事柄でおろうというふうに申し上げておるわけでございます。
  101. 小林武

    ○小林武君 あなたの言うとおり八項ですね。しかし八項は、これはあれでしょう、甲乙の協議がととのわない場合は、丙丁の定めるところによる、そうでしょう。丙丁もまた、これに対して誠意をもって解決することができなかったらどうなるわけですか。このことについては、この飛駒と新合と、この両方のほうから再三の申し入れをやったということは何かというと、この同意を得て実施すべきこの条項、こういう問題を、統合上のいろいろなその約束というものが、「五カ年間も何もしないで権力行政に住民は合法的にあらゆる運動を、して参った」と、こう言っている。こういう条項が何ら実施されないという場合、一体、この丙丁も甲乙もさっぱりこれに反応がないということになると、あなたどういうことになりますか。八項を守らないということになる。それはあんたたちのほうでどういう状況がどうなっているかということ知っていますか、それじゃ、具体的に。あなたたちのほうはただそれだけの話で、先ほどの話を聞くというと、何かこれいま始まったことじゃなくて、文部大臣も知ってるんだね、こり前にもどこかでこういう質問があったことは。こういうことになっているけれども。その後の詳細なことあんた知っていますか。それから、たとえばさっきも言っている八千万の問題、こういう事態もあなた一体税金使う役所のたてまえとしてあたりまえのことだと思ってますか。もういままごまごしているけれども、もう一つ学校建てられるね。これから十年たったらどのぐらいになるか。諸物価上がったとしても十年たったらどういうことになる。まだ学校建てられる。そういう問題をかかえていて、さっぱり、合意に達した中でも、その中で両方の一つが合意の上に立って、ここで了解したというようなことが守られているわけでもないようだね。だから新たに問題が起こったわけでしょう。それと、一つは、やっぱりいろいろ話を聞いてみますというと、文部省から出たこの通達を見て、学校統合というものは、こういう角度でなさるべきものだということをほんとうに文部省の通達を見て感じたということはこれもあると思うんです、この間から聞いているというと。われわれのときに、こういうような配慮を文部省がやってくれればとにかくこんな問題は起きなかったという気持ちはあります、正直に言って。その意味文部省というものに対する非常な期待を持ったことも間違いないと思う。しかし、私はそう言ってもなかなか文部省立場というのは、先ほど言ったとおり上から号令をかけるわけにはいかないわけだから、また、われわれもまたそういうことを望んで、そんなときにはとにかく一括してやつちまえということは言えないわけだ。だからみんなにとにかくこれは話を持っていって、そうして最もあるべき姿に返してやるということが一番郷土のために必要なんだということになる。私がいまここで飛駒の問題だけやっていますけれども、同じ時期にとにかくやってきたのがこの秋田県の問題。これもあなたのほうは知っているでしょう。そのとき秋田県の新聞の社説に書いている。これ何新聞というのか知らぬけれども、秋田と書いてある。「学校統合は慎重に」とこういっている。そうして一体、ぼくらもこれはまあ全然知らぬことではありませんけれども、昭和三十四年からの間に秋田県でもうこの統廃合されたものを書いていますが、十四年間に二百一校の小学校が八十三校になった。二百三校の中学校が八十三校に統合されている。五十三年になったら中学校が三十六校になる、こういういき方。秋田県というところも私は相当知っている、歩いていますから。そういうふうになれば、同じ問題がこれから起きるから、これはそこの地元の新聞の社説は「学校統合は慎重にやれ」ということを、「住民とよく話し合え」というような表題がついている。だから、私はまあ何とかこの間に話し合いができるならば、これはおさめる、多少それは不満があってもおさまるほうがたいへんしあわせだと思う。五年間もこんなことをぐずぐず争いがあるんじゃたまらぬからね。しかし、あなたこれひとつ大臣この地図見てもらいたい。(地図を示す)あなたがこれ具体的に見たらどのくらいあるかということがわかる。
  102. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 速記とめて。   〔速記中止〕
  103. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 速記を起こしてくださ  い。
  104. 小林武

    ○小林武君 それは何キロあるか、一番遠い所。
  105. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 田沼西中と新合分校間の距離は七・五キロでございます。新合分校と飛駒分校との間の距離は八・四キロでございます。したがいまして、飛駒分校から田沼西中までの距離  は十五・九キロということになります。
  106. 小林武

    ○小林武君 あなた自分子供ならどうですか、通わせますか。これなかなか足がじょうぶになるからよろしいと、こう言いますか。それに私は、これその分校から分校ということでは距離はわからぬですよ。家から分校までがあるわけですからね。私はもう二年間、深山幽谷までとはいかぬけれども、だいぶ奥の学校にいたことありますからね。それはもうとにかくたいへんなもんだ。で、私はそれだからこそ、五年間に八千万もかかったわけですよ、自動車の運行費がね。だから私は、そういうことのもっと税金使うほうの帳面づら合わせるとか、とにかくいいかげんなところで妥協して、世の中金幾らかかってもいいんだと、よくやじって親方日の丸だというような、その日の丸式のものの考え方でやるということは、私は問題だと思う。だから、もし文部省がやるならば、この点は一体どういうことだというようなことを意見を提示したところで、私はこれ非民主的でも何でもないと思うんです。こうやりなさいなんていうようなことを言うということは、これは問題が多いと思うけれどもね。だからもうそれはそれ見たらあなた、それとそれからいま自動車のこの運行費というようなものを見たら、これはあなたまかせのような話でもだめだし、もう一つは、あなたがたった一つよりどころにしているこの協定書だか、申し合わせ書だか何とかいうものも、十分に納得しているような形でやられているんなら、これは起きない問題ですよ。甲乙丙丁とかいろんなこと言っていますけれども。これについてあなたのほうで十分にいったという調査だれがやったんですか。協定どおり実にうまく進んでおりますということを調査したのはだれです。五年の経過を経て問題が起こったと聞いたときに、はっきりこれがうまくいっていますということを調査したのはだれですか。
  107. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 私、最初にこの経過はまあ大体存じておりますと、大臣も御存じですと、よけいなことを申し上げたかと思いますが、私が経過を存じておりますと申し上げましたのは、いま小林先生に御指摘を受けますと、はなはだ舌足らずだったと思います。昨年のいまごろ、つまりこの協定書ができる前後までの経過は、大体私存じておったわけでございます。それから協定書ができたという報告も受けております。そしてその後、何ら紛争が起こったというような情報にも接していなかったものでございますから、田沼の問題は、協定の線に従って処理されておるものと私は思っておりました。したがいまして、どこからもこういう問題があるという情報に接しなかったものでございますから、特にその後この問題についてフォロ−するということは実はいたしておりませんでした。何もその情報がなかったものですから、スムーズに進んでおるものとばかり実は思っておったわけでございます。ところが、今回こうした問題が委員会でもお取り上げになるということを聞きまして、栃木県当局に問い合わせて、そういうことがあったのかということを知ったという状況でございます。したがいまして、ごく最近の事情というものは、これは遺憾ながらつまびらかにはいたしていないということでございます。
  108. 小林武

    ○小林武君 ごく最近ということばがぼくは引っかかります。ごく最近じゃないんでしょう。私に言わせれば五年間の経過です。そして、その中に協定書が結ばれてそしてうまくいっているかということと、もう一つ、あなた、毎年一千六百万使っている、これがだんだん積んでいったら一体これ、教育費の中にもしこれが回されていった場合に、たとえ三分の一でも、これは国の費用というようなものがそういうところに使われたら非常に有効だと思うんだけれども、結局足をもって通うのを車に乗せたと、しかし十何キロもあるところからだからこれ乗せなきゃならぬけれども、足で通えるところに学校を置いてそしてやるということが、大体考慮の中に出てこなきゃならぬはずです。私はそういうことを考えますと、住民の不満というようなのはあるだろうし、それからこれは協定に結ばれたことがうまくいっておったらこんな問題起きるわけはないんですよ。私はその点にも、たとえばこれは同じことだと思うんです。県の教育委員会といえどもこれなかなかおそろしくって、中に入っていかれぬということであります。入っていったらこれどういうことになるかわからぬということなんです。知事だって次の選挙のときに困ると思ってやらないというようなこともあるかもしれない。なかなかこれ言えぬということですね。これなかなかむずかしくて、なかなか言えない。それはぼくらのようなもう関係のない者だからね——関係ないって全然ないことはないけれども、わりあいに直接のあれに接しないから、だからある程度公平なこと言えると思うんです。だから私はやっぱりこの問題の五年間の経過、それから金の問題を考えてください。こんなむだなことをやるなんということは私はいかぬと思いますよ。こんなものがよくも、ほんとうによくわからないから決算委員会も何も文句も出ないで通ったんだと思うんですけれども、こんなこと全国でみなやられてごらんなさい。私は統合の実態を調べて、ぼくらも一生懸命になってスクールバスがどうとか、スクールボートどうとか言いました。もうやれ買いなさい、やれ買いなさいというようなわけでやったんだから責任は大いにある。あるけれども、そうしなかったらだめなんであるのか、適当な場所学校を置けばよかったのかどうかという問題を考えると、これはやっぱり何といっても、私はあとから出た通達というものは、そういうものに対してひとつやはり大きな反省のあれをつくったと思うんです。私は、だからそれについてこの問題が起こってからでなくて、あのときたいへんもういいことをやはり文部省は言ってくれたと思ったんです。しかし、急速にそれでもって片っ端からこうこうやるということができない理由も知っているから、何でもかんでも一挙にやれなんという考えは持っていない。しかし、事が起こったら、やはりそれについて文部省は先ほどから言っているように、大臣がおっしゃるように、いろんな点を配慮しながら問題の解決に手を伸ばさにゃいかぬでしょう。そういう点のあれがないということはちょっとそれは管理局長、私はあなたが誠意ないとか何とかいうことじゃないんです。そういうことじゃなくて、見落しやすい事柄だから、だから私はこの問題にひとつどうです、管理局長としても、見のがしていてうまくいっているだろうとこれから押し通すわけにはいかぬでしょう。どうですか、その点。
  109. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 確かに小林先生おっしゃいますように、従来の統合のやり方につきましては問題が多かったと思います。そういう点の反省に立って先般の通達が出たわけでございますし、また、私どもも府県の教育長会あるいは施設の所管課長会議等におきましても、やはり学校統合というのは、その教育的な効果をあげるということが第一義であって、決して経費の負担軽減ということでやってはいけないということをやかましく申しております。なおまた、ちょつと余談かとも思いますが、従来学校統合がかなり無理な形で行なわれた一つの理由には、危険改築の補助率が三分の一なわけでございますが、過疎地域におきましては、学校統合をすると三分の二の補助がもらえたというようなことがございまして、それで、統合というふうに傾きやすかったと思いますが、本年度からは過疎地域における改築費の補助率を三分の二にすることにいたしております。したがいまして、そういった実際上の配慮と申しますか、裏づけを片やしておるわけでございまして、そうした施策と相まって、今後こうした過疎地域等における統合というものはよほど合理的なものになっていかなければならないし、また、いくと思っておるわけでございます。  この具体の問題につきましては、結局先ほど申し上げたようなことになるわけでございますが、私は、小林先生のおっしゃる問題は確かにそのとおりだと思います。が、その辺のところを含めてやはり総合判断をし、事柄の選択をするということは、第一次的にはやはり教育委員会を含めた町当局の判断の問題であり、第二には、やはり県の指導なり、個々の立ち会い人という方々の良識の問題であると思います。で、私どもは、そうした方々が大所高所に立ってと申しますか、総合的に適切な判断をお出しになることを期待をしたいと、大臣がおっしゃいましたように、結論はいずれになりましても、文部省としては異議はないということであるかと思います。
  110. 小林武

    ○小林武君 最後のところは、文部省はどうだということですか。
  111. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 文部省としては、それでけっこうであるというふうに考えております。私どもといたしましては、これは、といって、けっこうであるといって何もほうっておくということではございませんで、これは県教育委員会を通じてさらに積極的な解決に努力をするように助言もしたいと考えております。
  112. 小林武

    ○小林武君 いまの最後のことばで、やはり積極的な助言もしたいというところで私はいいと思うんです。その際、積極的な助言をするということになりますと、基準になるのは何といっても、あとから出た学校統合に関する通達なんです。これは何か文部省の役人がどこで言ったのか知らぬけれども、あの通達と前の通達と何も変わってないというようなことを言ったという話もあるけれども、だれだれさんが言ったなんといっておるけれども、私は、そんなはずがない。日本語で読んでみればどんな頭の悪い者でもあれは違っておるということになっています。むしろ、私は文部省としてはあれは誇りに思ってもらいたいんだ、教育というものをちゃんと見詰めた一つ発言です。だから私は、ああいういいことを言ったときに、それを否定するようなあとの答弁はいかぬと思う。しかし、それが文部省立場があって、直ちにそれを具体的な問題でこうやれというようなことはできないということは私はよくわかる。また、やってもらったら困ると思うんです。そういうことをやれば、おさまることもおさまらぬ場合もありますから、だから私はなかなか出場所がむずかしいと思うけれども、いま言ったようなことでやってもらいたいと思う。私は、やはり町当局の中でこれは児童福祉施設だとか消防施設なんというのは、国は三分の二やると、こういうけれども、教育施設になるというと、統合したときだけが三分の二、そうでしょう。違いますか。統合したときだけが、統合のときの有利さというのはあったはずですよ。統合したときは、有利だということがあるから、これはたいへんに統合に一生懸命力入ったということも無理ないし、かりにぼくらが何かやったときに、統合ならそれ都合いいようになりますがなんてなことも言わぬこともないから、それはお互いにそういうことをやったと思う。やったと思うけども、悪いとなったら、私はひとつちゃんとあとの通達があるわけでありますから、いまお話になったように、最後の、県の教育委員会にも積極的に助言をするというようなことで、この問題が地域住民の争いにひとつならないようにしてもらいたいということが一つと、もう一つは、さっき言った飛駒というところと、新合の問題ですけれども、特に私は飛駒のことを考えますというと、どう考えたって、あそこに学校をつくったほうがいいと思う。私は七台の自動車の運行というのが、七台からずっと減ると思うんですよ。減るようなやり方考えるんですね。  それは私は通学が不便、どうしても無理だというようなところには、国から自動車を出してやったらいいと思うんです。しかし、七台も出しておいて、一千六百万も使って、五年たったらもう新しく学校を建てるよりまだひどくなる、金かかっているというようなことになる。それが今度、学校の場合ならかなり耐用年数があるからいいですけどね、片っぽのほうはもう何べんでも、何ぼでも続いていくわけでしょう。そういうことを考えましたら、やっぱりあなた、金というものの使い方の問題もありますから、ひとつそういうふうにしてやってもらいたいと思う。まあこれ速記録にも載ったことですから、それから文部大臣もひとつ格段のひとつ、ああいう名通達を出したわけでありますから、この解決にはどうぞよろしく御尽力のほどをお願いを申し上げます。御異議ございませんね。
  113. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) いかがでございますか。
  114. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 先ほど申し上げましたように、いずれの結論が出ましても、文部省としては最善の努力をしたいと思いますし、また、管理局長が申し上げましたように、県の教育委員会に対しまして、紛争について必要な助言を惜しまないということでございます。  なお、一言つけ加えさせていただきますと、あとの通達、いろんな紛糾を重ねてくる現状から、あの通達を出したわけでございますけれども、通達を出すことによって統合が進行している地域に悪影響を与えるんじゃないか、混乱を与えるんじゃないかという心配も、実は悩んだものでございまして、同時にまた、従来から十二学級ないし十八学級が適当だと、こう言っている、それはそれでいいじゃないかと、こう考えるわけでございます。しかし、それ以下だから悪いというわけじゃないんであって、教育的な効果、人と人との触れ合い、児童と先生の触れ合い、そういうことも十分考えなければなりませんよという式のことを申しておるわけでございまして、そういう意味において、前の統合を撤廃して、新しい通達にかえたわけじゃない。そういうことだから、ひとつ事務当局も、こういう新しい通達を出しなさいよということで、あの通達を出していただいたわけでございますので、その点はひとつ御理解を願っておきたいと思います。
  115. 小林武

    ○小林武君 これで、その問題についての私の発言は終わりますが、私は、前の通達というのが全部悪いとは思っておらぬし、統合という問題も、やっぱり教育的にも配慮すべき部面があった、しかしながら、やはり先ほどもちょっと、秋田の新聞の社説を読んでみても、かなりのテンポで進んでいった、ちょっと早過ぎますね。それともう一つは、やはり金がよけいもらえるというようなところから、地方自治体としては、統合のあれを利用したということもあるんです。だからそういうことが少し無理が重なってきた。  こういうことと、それからもう一つ、統合に目を奪われて、地域と学校との結びつきというものが全然忘れられたところに問題がある。私は話を聞いてこの間こられた方に言ったんですが大体一学級三十何人か四十人ぐらいで三個学級あるということになると、一年一学級でしょう。私が教員ならその学校でやってみたいねと、言ったです。これは冗談でないです。私は複式もやりましたし、三個学年の複式やったことがある。これは中学でありません、小学校ですけれども。これはなかなか容易じゃないです。しかし、まあ一個学年ずつの中学というのは、これもなかなかおもしろい。それが二個学級ぐらいの六学級の学校でもなかなかおもしろい。十何学級でなければだめだという理由はないんです。私が話を聞くというと、飛駒ですか、新合ですか、どっちの中学だか忘れましたけれども、県内で野球の大会やれば、そのぐらいの学校ですけれども、県の大会でなかなかいい成績をとるという話も聞いている。小さい学校必ずしも悪いとは私は思われない。だからそういう意味で、教育を忘れたやっぱり統合というのはまずいということもありますから、やはりあとの通達というものは、前の通達を否定してどうこうという問題ではない。前の通達をさらによくするという意味があるから、その立場に立って、いろいろ教育というものを直していく。教育一つ改革ですからね。そういう意味で非常に評価していいんでないかと思っておるわけでございますから、管理局長の言われた積極的なひとつ助言を行なって、そうして部落の人たちの間に問題が起きないようにひとつやってもらいたい。  その際、もう一つ秋田のこれもなかなか読みにくいんだけども、真中というところですね。真中地区の統廃合ですけど、これも同じ内容の問題ですから。これはひとつ時間の関係上省略いたしますけれども、これはどうでもいいということじゃありません。また、この二つだけでもないんです。問題があったら、やっぱり文部省はそれを積極的に取り上げて、先ほど言ったような助言をしていただきたい。この中学、小学校の統廃合の問題につきましては、これで終わります。  次に、大学局長にちょっとお尋ねいたしますが、旧制師範学校から、学芸大学並びに教育大学にかわった、これがタコの足みたような分校を持った形になった。そういう事例からいって、それに対していわゆる教員養成大学の運営上、タコの足のようなものを整理して、まとまった地域に置こうというようなことを考え出したのは、これは大学側から出てきたのか、文部省側がそうあってほしいということであったのか、ごく初期のころどうでしたか。全国にはあまりたくさんないかもしらぬけど、二つ三つあったところがあると思うんです。これはどうでしょう。
  116. 木田宏

    政府委員(木田宏君) ケースによっていろいろではなかっただろうかと思うのでございます。私も、統合の初期の事情については、いまつまびらかにいたしてございませんけれども、幾つかの教員養成系の大学を第一師範、第二師範のありますところを、統合するように持っていきたいという機運が、文部省の側にもあったと思いますし、現地の大学側にもあったかと思います。そうして現在では愛知教育大学、それから福岡の教育大学等一つ学校にまとめ終わったものもございますし、まだ北海道教育に見られますように、その問題がずっと長く継続中である、これはほかにも大阪教育大学、あるいは新潟大学の教育学部等、懸案の課題として今日なお残っておるところもある次第でございます。文部省のほうも、できることならばまとめたほうがいいという気持ちで見守ってきたというふうに考えておりますし、学校自体も、そのほうが積極的に教育活動をあるいは研究活動を充実できるという気持ちで推進しておられる、このように考えておるのでございます。
  117. 小林武

    ○小林武君 北海道教育大学の場合は、これはどうなんですか。
  118. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 御案内のように、北海道は、札幌、函館、旭川、それに釧路の分校と、そして岩見沢の分校と、五つに分かれておるわけでございます。そのうち、札幌と岩見沢の両校につきましては、昭和三十年代に入りまして統合・整理という声が学内にも高まってきたようでございますが、具体的には、昭和四十一年になりまして、第三の土地にひとつ適地を求めて札幌分校と岩見沢分校とを合体しようというような動きになって、その後の進展を見ないまま今日に至っておるというふうに見ておる次第でございます。
  119. 小林武

    ○小林武君 そうすると、あれですか。北海道教育大学の場合は、これは、文部省の側から統合が望ましいというようなことは出たことはないわけですか。
  120. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 北海道につきまして、函館、旭川等の分校がすべて一つにまとまるというような現実的なこととは考えておりませんから、そういう意見を文部省が持ったことはなかろうかと思います。しかし、岩見沢の札幌につきましては、非常に近接しておるということ等がございまして、しかも、札幌自体の現在おります校地の問題その他もあるものでございまするから、せっかくならば、合体して両分校が一つになるほうが双方の分校のためにいいのではなかろうかという考え方は、私どもまた、持つ次第でございます。でございますから、できることならば、そういう方向関係分校の間で話が進むことが願わしい、こういう気持ちでこの問題を見ておることは間違いなかろうかと思います。
  121. 小林武

    ○小林武君 私がこの問題を知ったのは、この文教委員会でした。その知ったのは、当時、札幌分校をつぶすべきだという、ごく一部の議員の口から漏れてきたことが、何といいますか、一つの運動みたいになりまして——こういうことがあったことは耳にしているでしょう。それで、ここの委員会の中で——あなた、そのときおいでになったかとうかしらぬけれども——米田勲君という、いまなくなったけれども、議員とぼくが、ある政党の考え方で大学がつぶされるとか、つぶされないとかいうようなことを言うのはおかしいじゃないかというようなことを委員会で言ったこともあると思うんです。これは、おそらく、文部省内部のことを考えますというと、これは公然として、だれが言ったかなんということもわかっているだろうと思うんです。それは迷惑をするとしないとに限らず、そういう声があったということは間違いない。そういうものが一つ付録としてついたことが、私は非常に問題であったと思うんです。  そこで簡単に言えば、いまのところは岩見沢と札幌の場合は統合したほうがよろしいと、こうお考えになっておると、こう判断してよろしいと思いますが、私も見ているというと、あれ全部が統合するということはとても不可能だ、それにまた将来のことを考えますと、私は私なりにあの大学がまだ地方との結びつきをして別の幾つかの学部を持った学校に発展するかもわからぬし、いろいろなことが考えられるし、あれを一つにすることは不可能であろう、しかし、あのわずかな距離の間にあるものであるならば、一緒にしようという気持ちの起こるのも当然かもしれない。そういう意味で私もいいと思っておりますが、この際に、これは文部省が統合というようなものをとにかくまずやれるならやったほうがよろしいという程度の考えのようにも聞こえますが、そうなりました場合に、一体、統合というものはやられれば当然考えなければならぬことは位置の問題がどこでも起こるわけです。これは二つの師範学校のあったところには、二つ以上のところはほとんど起こっておると思うんです。そうなりますと、政治家で一番よく言うのは、大体足して二で割ったような話、私も社会党員なんですけれども、そのことになると足して二で割ったやり方、それが一番片づけやすいということを考える、そういう声が出てから十年たったんですけれども、   〔委員長退席理事内藤誉三郎着席〕 北海道教育大学の当該二つの分校というのは現状一体どう見ていらっしゃいますか。教員養成大学というものは非常に大事だとおっしゃる文部省方針の上に立ってこれをどうごらんになりますか、いまの状況を。
  122. 木田宏

    政府委員(木田宏君) やはり現在、両分校に問題がありますことなどもからみまして、昭和四十年代に入りましてから、その新しいところへの整備ということを前提にして、ほとんど四十年代当初からの現状のままで今日にきておる、この状態はたとえば大阪等もいま一生懸命一緒になる努力をしておられるのですが、その際のいろいろな考え方などを聞いてみまして天王寺と池田の現在の大きさでもまだ十分でない、だから何とか一緒になって充実したものにしたいというような片一方の事例のお話などを伺っておりますと、今日の状態のままで、それぞれに将来の見通しが立っていないということは非常に困った状態である。そうして、そのこともからむわけでございますが、施設にいたしましても非常に困った事態に立ち至っているということを私どもも痛感いたしておるのでありまして、一刻も早くその方向が出ることが望ましい、こう考えております。
  123. 小林武

    ○小林武君 その点は全く局長と同じなんですが、見るも無惨というあれです。これは文部大臣ごらんになったらほんとうにこういうことでは一体どうなるかということをお考えになると思いますが、これは見るも無惨な、大学なんというものじゃない。とにかく建築が旧制師範学校の古い建築であるところにもつてきて、ところがやはり統合というようなことを考えるものだから修理そり他やはり手控えになる、こういう状況に置かれておりますから、私は教育上の非常に大きな問題だ、この間十年間と言えば、大学一年に入って卒業するというのを二回りやってもまだ余るくらいかかっておる。だから新たな施設はできないわということになっておりますから、私はくどくど申し上げませんけれども、かなりこれはやはり急を要する問題だと、こう思う、放置しておくというわけにはいかないと。これは両方ともそうだ。両方とも中途はんぱだ。片方は二年生のままの課程の中にあって、岩見沢の場合は、そして四年生をやっているというような変則なあれをやっている。だから統合をやるということになる。そうすると、これはさっきの話みたいになりますけれども、この統合というものは、私は何といっても、大学の意思で決定するということは、これは文部大臣も、多少筑波のときなんかは、大学の意思ということについて私と文部大臣とでは考え方がちょっと違う見方をしておりましたけれども、しかし、これは大学の意思で決定しなきゃならぬということだけは間違いない’大学の意思で決定すると。だから、大学の意思で決定するということについては、筑波の場合は、かなり果断な処置をやったと思う。かなり接近したあれで、反対があろうが何があろうが、これは全部一緒にしようと、こういうやり方をやった。その点では、北海道の場合は、なかなか、きちんと一致しなきりゃやらないということ、そういう態度をとってきたことでやっぱり長くなったし、私はそのことは尊重しなきゃいかぬと思うのです。悪いことをやったとは何も思わない。大学が一生懸命になって、なかなか一致点がないものを一致点を見つけようとして一ないのじゃなくて、ありかかってもいろいろな事情でこわれていく。  そこで、私は、この一致点を見出すため、統合の意思統一をやるということについては、文部省の協力が必要だということを考えます。ある話ですけれども、何だかいいところまでいったときに、文部省のほうの側から、多少何か意見らしいものが流布された。文部省の意向は、そうじゃないというようなことが流布されておる。このことで、まるでいまや寸前までいったという時期にこわれたことがあるんです。ただし、これは私は真偽のほどは、何も当事者でないから、これは間違いありませんなんということは言いません。言いませんけれども、そういうあれだった。私はこれはそういう話でなかったかと思うんでありますが、文部省の協力としては、とにかく大学が意思決定しなさい、したら、話はもう直ちに進んでいきますというふうに十年間何も変わらないで進んできたというふうに見てよろしいですか。
  124. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 十年間の間に学長も何代かかわられました。三代前ぐらいの学長からいろいろとこの話が進んでおるかと思います。そのときにそれぞれの動きがあった。そしてその動きが最終的にはまとまらずに今日にきておる。いろんな場所の選び方にいたしましても、その間、経緯があったと私どもも考えておりますので、全部同じ状態のまま十年間動きがないというふうには考えておりません。それぞれの御努力がありながら実ってないというふうに考えております。
  125. 小林武

    ○小林武君 それでどうですか、文部省は先ほど私が言ったのは、そういう十年間の経過を見れば、いろんなことがあったと、しかし、もうここまできたらどうにもならぬというような容易ならぬ事態に大学の状態がなっているということは、局長も認められた。すると、大学の意思決定について、文部省はとにかくすみやかに意思決定がなされるのを見守っておるんだというふうに、いわば協力体制を持っているんだというふうに、こう理解してよろしいですか。
  126. 木田宏

    政府委員(木田宏君) そのとおりでございます。
  127. 小林武

    ○小林武君 たいへんはっきりした答えでございますから、よかったと思うんですが、そこで、土地の問題が出てくる問題ですが、これも何だかいろんなことが言われているんですね。  いま土地を、大学の敷地にするというようなものを買うというようなことになると、非常に問題が多いんですね。とにかくこれは大臣もよく御存じだと思うけれども、いかなる土地も、羊蹄山の、水が全然出ないような山のあれまで、頂上までとは言いませんけれども、山ろく地帯の羊蹄山のいわゆる山という部分のところまで買い占めが上がっているんですよ。こうなれば、北海道のいわゆる札幌を中心にした岩見沢との間の中間地域とかなんとかいうのは、みな買い占められておる。しかし、そういうところの土地を買わなければ建てられないわけですね。しかし、買うのは、これはあれでしょう、何も大学の人間がそこに行って買うわけでもなく、そういうものの処理というのは、文部省が入っていってやるわけでしょう。どうですか、その点は。
  128. 木田宏

    政府委員(木田宏君) その大学の土地につきまして、第一次的には大学の学長、事務局の関係者、その大学の関係者がいろいろと職務に従って事務を進めてくれるわけでございます。もちろん、国有財産にわたることでございまするから、文部省もまた大蔵省等関係のところとも相談をして最終的には事を運ばなければなりません。しかし、大学の関係者がやはり第一次的にはお骨折りをしている、こういうことでございます。
  129. 小林武

    ○小林武君 それは当然ですね。大学が、これがたいへん適地である、適当な土地であると考えて、しかし、それは大学側の単独でやることじゃないので、文部省がむしろ国という立場で、国の財産ですからね、そういう立場でやる。だから、私はその間において一番問題を起こさないのは、あれのようなことやっちゃいかぬと思うのです。この委員会でも議論になった横浜国立大学のとき、いろいろ何だかいわくがあって、最近も何かそれが国会の中にばらまかれる新聞の中にまた書かれている。ずいぶんもういまごろ死んでしまって幽霊みたいなものが出てきたりするほど、これはやっぱり尾を引くものですから。だから、私は慎重には慎重を期さなければならぬということはわかりますけれども、そういう土地を得るということもこれも大事なことでございますから、これは文部省も厳重にひとつよくお考えいただいてやっていただかなければならぬと思うのです。  いままでいろいろな御質問いたしましたけれども、私も、この問題はそろそろ解決点に向かおうと努力している、いまのところは非常に一生懸命になっていると思うわけでありますが、文部省のいまの御答弁を聞いて私も非常に安心した、そうあるべきだと思うのであります。ここへいろいろなものが入り込んでくると、ろくなことがない。政治家がくちばしをいれたり、同窓会なんというものだって私はけしからぬと思っている。そういうものも入っちゃいかぬと思うのです。そういうものがあるから、いままでだってうまくいかぬところがずいぶんあった。そのおそれが全然ないかというと、あると思う。もう一つ、北海道の特殊事情ということを考えますと、分校があまり多過ぎますからね。それぞれの分校の主事、これは札幌分校だって主事がいる。みんな主事がいるわけです。しかしその中で、何といっても、大学の学長というものが中心になって大学の意思をまとめるというそういうルールにしてもらわぬというと、かってなことをやって、文部省へかけめぐってみたりするようなことをお互いにやるようになると、これは話がおかしくなる。われわれ教育関係のある者なんというのは、特にそういうときには慎重を期して……、私もそう思っている。事大学自体の問題についてくちばしをいれるというようなことをはやるべきじゃない、そういう自戒の気持ちを持っているわけでありますが、どうぞそういう意味で、文部省といたしましても、十年間、大学が立ちぐされになるぐらいぺンペン草がはえるということがありますけれども、ややぺンぺン草がはえるぐらいまでになった現状を、一日も早く打開するように、ひとつ文部省としてできることを、またいわゆる文部省の仕事の一面としてのものをお果たしいただきたいと念願するものであります。  私の質問、これで終わります。
  130. 志村愛子

    ○志村愛子君 きょうは、私は、二つの問題をお伺いしたいと思います。  戦後、日本が非常に大きく変わりまして、その変わってまいりますうちに、大事な日本古来のいいものも欠けてしまったり、忘れてしまっている面が多いと思います。そういう中にありまして、特に青少年問題その問題の中に、やはりこれは大切な問題ではないだろうか、取り戻さなくちゃならないんじゃないかと思われる面があろうかと思いますが、そういういろいろな心配をしておりますさなかに、最近目立って、新聞にも報道されておりますが、中学生、高校生、この中高校生の爆弾事件、それからもう一つは少年犯罪の激増、この二点について御質問したいと思うわけでございます。  で、新聞の報道をちょっと思い起こしていただきますと、二月十七日に、栃木県真岡警察署で起こった爆弾事件、これは犯人は十七歳の高校生五人。そしてまた、三月の十三日、国鉄小倉駅のコインロッカー爆発事件など、これは北九州市内で起こった爆弾事件七件でございます。この場合、犯人は十四歳の中学二年のクラスメート三人。そしてさらには、三月二十四日、大阪市内の公園の公衆便所で起こった爆弾事件、犯人は十七歳の高校生三人。まあ最近のものを拾ってみましても、こういうふうに中学生、高校生の爆弾事件が相次いでいるようなわけでございます。そこで、こうした大阪、北九州、あるいは栃木で起こりました中高校生による爆弾事件が、中高校生の興味本位から簡単に爆弾が製造できる、そしてまたそれが使用できるという、簡単につくられて使用しているという点を非常に警察庁が重く見ているわけでございます。だから警察庁は、生徒が危険な行動に走らぬよう平素の指導を強化してほしい、それから教材用の劇毒物の管理の徹底をしてほしい、それから保護者の注意の喚起、さらには、今後の連鎖反応防止について文部省に協力を申し入れております。こうした警察庁が文部省に平素の指導強化、これを要請しておりますことに対して文部省の指導方針、そういったものをお聞かせいただきたいと思います。
  131. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 御指摘になりました点、私たちもたいへん驚きますと同時に憂慮いたしている問題でございます。警察庁から七つの事例をあげて文部当局の善処方求められてまいりました。ある意味においては恥ずかしい感じもいたしております。その原因を見ますと、過激な思想影響されたと見られるものもございます。また、怨恨による仕返しと見られるものもあるわけでございますが、同時に、爆竹等を用いて安易な気持ちで爆発実験をしたと見られるもの、これも案外多いようでございます。こういうところを見てまいりますと、やっぱり教育の面においても配慮しなきゃならない点が多々あるように私にはうかがえるわけでございます。また、そういうこともございまして、年来、学校教育というものは知育ばかりじゃなしに、体育、徳育、これを重視すべきだということで、教育課程の改善をいたしますと同時に、学校当局に対しましても注意、そしてまた、先生方の講習などについても意を用いてまいったわけでございまして、ある意味においては教育課程の精選を行なう、反面、体育の時間をふやしましたり、あるいはクラブ活動を必修にいたしましたりしたわけでございますし、また、三十三年来は道徳の時間が設けられまして、その充実にも鋭意努力を続けてきているところでございます。やはりどちらかといいますと、戦後の教育というものが、戦前教育の行き過ぎの是正、反省の上に立っているものですから、また逆な意味のまあ行き過ぎということばは悪いんですけれども、配慮が足りないものも出てきているのじゃないか、かまうに考えるわけでございます。戦前国家社会全体のことに最大の重点が置かれた、戦後はやはり個人の充実ということに力点が置かれたと思います。それはそれなりに意味のあることなんですけれども、他人のことを考えない姿が強くなってきているんじゃないだろうかと、利己主義的に走っているんじゃないだろうかと、だから、自由の問題にしても、自分の自由は主張するけれども、相手の自由は尊重しないというような弊害がいろいろ見られたりもしているわけでございます。いずれにいたしましても、人それぞれにもつと潤いのある人柄をつくり上げていくという努力、これは大切じゃないかなあと、かように考えているわけでございます。警察庁から御注意をいただいて、たいへん恐縮しているわけでございますけれども、今後一そう教育の面につきまして、いま申し上げましたような点の配慮を徹底したいと思います。同時にまた、いろんな危険物の処理、これにつきましては、他人に迷惑をかけないという意味におきましても、特段の注意をもって生徒児童も当たらなきゃならないというような運営のしかた、やっぱりまだ欠けていたところがあるんじゃないかなあと、こういうふうに思うわけでございまして、さらに一そうの善処方に配慮をいたしてまいりたいと思っております。
  132. 志村愛子

    ○志村愛子君 大臣のおっしゃるとおりだと思います。特に、いまのお話にございましたように、人に迷惑をかけてはいけない、そういう気持ちは本人たちもわかっておるそうなんだそうですけれども、人に迷惑をかけなきゃ何をしてもいいだろうと、これがまた最近の子供一つの新しい風潮だそうでございまして、たとえば、平気で遅刻をしてくる。で、遅刻は自分のことだけど、そしてもう授業が始まっておりましても、ほかの生徒の前を平気で横切る。そうした他人に迷惑をかけていないと思っている。この辺の考え方も、もう少し教育の面で徹底させなくちゃいけないんじゃないか。まあガムをかんだりする子供とか、先生に見つからないでうしろのほうでお弁当を食べてしまうとか、これはまあ昔も、多少中には、いかにうまく食べてしまうかというようなことを聞いたことはありますけれども、その昔のただ単なるお茶目なこととは違って、何か別なまた最近は気持ちでそういうようなことを平気でやるというようなことも聞いております。まあいずれにいたしましても、最近のこの犯罪少年の激増というのは、こういった社会的背景とか、あるいは教育あり方学校の体制の問題、そういったことを少し深く考えてみたいと思うわけでございます。  そこで、警察庁のこのまとめを調べてみますと、四十八年度、つまり昨年は、四十七年に比べて少年犯罪が非常にふえているというデータが出ております。刑法の犯罪で補導されたその犯罪少年は十万六千六百五十七人にのぼって、これは四十七年度よりも七%もふえているそうでございます。特に低年齢化が目立っている。非常に年齢層が低くなっている、それが目立っているといいまして、十四歳の場合は二万一千七百一人、それで一七・四%もふえている。十五歳は二万二千百十一人で、=丁四%の増、十六歳は二万九百四十九人で、七・四%の増、十七歳は一万七千四百八十一人で、四・九%の増、いずれにいたしましてもこういうふえ方をしておりまして、特に十三歳未満の触法少年、これは三万八千五百五十四人で、七・一%の増加と、こういう何か寒くなるような数字が出ておるわけでございます。で、この少年犯罪のうちに占めますところの小中高校生の割合は、小学生が一二・九%、中学生は三五・九%、高校生は二四・四%、合計七三・二%という、こういうたいへん多いパーセンテージを占めているわけなんです。このように、小中高校生が非行少年の七三・二%も占めているということは、少年の非行防止対策はもう警察の力だけではどうにもならないところにきているということを物語っているわけでございますが、次代をになう青少年をつくる立場から、特に文部省責任として、非行防止を文教政策の一環としてお考えになるというようなことはございますでしょうか。
  133. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) たいへん重要な問題点の御指摘をいただいたように思います。非行防止ということ、文教政策の面においても十分配慮しなきゃならないことだと思います。同時に学校教育だけでそれがうまくいくかどうか。社会教育、家庭教育全体を通じて考えていかなけりゃならない課題のように思うわけでございます。情報化社会と言われておる際でございますだけに、もっと子供さんたちが情報の取捨選択、理解、こういう点について指導さらによろしきを得なきゃいけないんじゃないかなあとこう思いますし、このごろはテレビの影響が非常に多いようでございますし、字を読むよりも絵を見る。動いている絵を見ていますと考えない。だから考えない子供が多くなってきている。情報化時代だし、考えないしということになってまいりますと、非行に走る心配が一そうあるわけでございます。社会全体を潤いのあるものに持っていかなきゃなりませんし、同時にまた思慮調密、小さいときでもものの是非善悪、これを考える児童生徒に育てていかなきゃならない。いまのように読書する時間が大体テレビを見る時間の五分の一か六分の一じゃないかと、こう言われておるわけでございまして、そうしますと、テレビの報道内容なんかについても、この及ぼしている影響は非常に大きいわけでございますだけに、やはり教育的な配慮を各放送局にお願いをしなきゃいけないんじゃないかなあと思ったりしているところでございます。たいへん重要な問題を御指摘いただきましたので、文部省といたしましてもさらに一そうこういう問題についての検討を進めるようにさせていただきたいと思います。
  134. 志村愛子

    ○志村愛子君 私もマスコミのあり方にはたいへんいろいろと注文があるわけでございますが、特にこのように最近非常に小学生、つまり低年齢化してまいったというこの非行に対してはやはりすみやかにそういったことを考えなくちゃいけないと思いますが、困ったことにかれらは犯罪の意識がない。悪いことをしたとは思っていないということですね。そういったこともやはり考えなくちゃいけないことだと思うんです。最近特に非行の中で目立つのが盗みだそうですね。スーパーなんかで万引きをする、それから自転車を盗む、あるいはオートバイを盗む、こういった犯罪がふえているんだそうです。いわゆる凶悪犯ではないので、たいした罪ではないというような甘えから周囲もかなりその点に対しては比較的あまりしっかり指導もしていない、忠告もしていないというように聞いておりますけれども、ただ、スリルがあったからとか、金を払わなかっただけだと、盗んだという意識ではなくて金を払わなかったんだと、そういうようなことを言ってるんだそうでございます。自転車とかオートバイはちょっと借りてきたんだと、そういうようなことを言っているという。このやっぱり最初申し上げた犯罪意識がないということに対して、これもやはり教育の欠陥が出ているんじゃないだろうかと思うわけでございます。それにはもちろん家庭のしっけ、これも最初に私が申し上げて昔からおりますことなんですけれども、やはり家庭だけではなく、当然家庭教育学校教育、社会教育のやはり学校教育あり方に特に私はもう一ぺん目を向けていただきたいと思うわけなんでございます。で、非行意識が薄いというのは、学校のほうで、たとえば最近は学校側ではきぎしさがないと言われております。あるいは先生、教師もきびしさが欠けていると言われているんですけれども、かって紛争で学校なり教師なりの既成の権威がなくなってしまった、引っくり返されてしまった、そのまま教師のほうが引っ込み思案になってしまっているんじゃないか、こういうような意見も出ているようなわけでございます。そういうことだとなりますと、ますますもって教師の立場、だからこそ先生のお立場をもっと考えていただくための人確法案などをつくったわけでございますけれども、いずれにいたしましても、・今日の学校教育あり方についてもう一ぺんこの辺でひとつ文部省の態度を再度私はお聞かせいただきたいと思うわけでございます。
  135. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) いろいろ御指摘いただきました点そのとおりだと私も思っているわけでございます。従来でございますと、家庭でかなりのしつけが行なわれた。おじいさん、おばあさんもおられて家の伝統というものもありましたし、また、おじいさん、おばあさんが社会の伝統というものをお孫さんに伝えていくということもあったと思います。家庭の中でおのずからしっけが行なわれていた。今日、核家族化しているわけでございます。昔はやはり兄弟でもかなりな人数があったわけでございますから、家の中での子供の社会というものもあったと思うのでございます。いまはそれもなくなっちゃった。弟が兄にぶんなぐられてなるほどなあと、おのずから自覚をしていくというようなケースもあるわけでございますけれども、そういうこともなくなっちゃった。そこへもってきて、都会が交通ふくそうする、遊び場がなくなっちゃった。一そう小さい子供、大きな子供、一緒に遊びながらそこでおのずからいろいろな道義感が自覚されていくというようなことも少なくなってきている。これが現実でございますだけに、やはり学校においてそういう点についての配慮がさらになされなきゃならない。ようやく三十三年から道徳という時間が週一時間行なわれるようになったわけでございますけれども、この授業に反対の先生方かなりいらっしゃるわけでございます。一生懸命努力してだんだん充実してきておりますけれども、必ずしもまだ十分だとは言い切れないかもしれません。しかし、今後も努力を続けていきたい、こう考えるわけでございます。  同時に、昨年の十一月から小中高一貫の教育課程審議会、これを発足さしていただいたわけでございます。その中ではやはり学校におきましてよき社会人をつくる、よき日本人をつくる、人柄を育て上げていくんだということにいま一段の配慮を願えないものだろうか。そういう意味においては何もかも覚え込むということじゃなしに、いろいろな変化に耐える力をつちかうところだと、そういう学校だという認識のもとに思い切って精選してくれませんか、重複も省いてくれませんかと、こんなお願いをひとつしているわけでございます。同時にまた、学校教育だけじゃなしに、学校教育と社会教育との体系的な結びつきを考えてくれませんでしょうか。よき社会人を育てる場合に学校だけでうまくいかない面もある。社会教育の面でそれをつちかっていく。両々相まってりっぱな社会人を育て上げていくんだという配慮もしてくれませんか、とかいうようなことをお願いしているわけでございます。まあ二年ぐらいで結論は出していただきたいものだと、こうも申し上げているわけでございまして、お気持ち私たちも全くそのとおりだと思っておりまして、いま申し上げておりますような方向努力をしたいと思います。  同時に、社会教育とは簡単に言いましても、それなりに施設も整備していかなけりゃなりませんし、指導者も養成していかなけりゃなりませんので、御承知いただいておりますような方向で現在そういう面につきましても努力を続けているところでございます。
  136. 志村愛子

    ○志村愛子君 そこで大臣学校が終わって終業ベルが鳴ってそれぞれみんな家に帰る、あるいは途中、つまり学校を出てから校外指導、こういうことについて私なりにちょっとお願い、気持ちをお聞きいただきたいと思うのですが、たとえば私自身は東京府立第五高等女学校という学校を卒業しまして、学校自身が新宿のどまん中にございました。非常に環境からいきましたら最悪の環境にあったわけです。新宿駅前の食道横丁をくぐり抜けまして、いまの何か劇場の中心地のようなところでございました。そういうところに学校がありましただけに、学校と家庭との密接に絶えず連関を持っておりまして、学校の帰りにはまっすぐに家に帰らなくてはいけないという一つの規則がございました。制服でもって喫茶店に入るとか、あるいはもちろん映画館に入るということは全く許されなかった。そうしてたまたま親のほうから、せっかく学校場所がそういう便利なところにあるならば三越デパートも近いから買いに行ってくれないかとか、買いものを頼まれますときには、通知簿というのに親元からかくかくしかじかの事情によってきょうは使いを頼むという許しを得たものです。そうしますと、また、それに対して何時に学校を下校したと、担任の時間と判をいただいて家に帰って見せる。そうして家に帰った時間をまたしるして翌日担任に見せる。非常にいまからは想像もできないようなきびしさがあったわけです。そういうことが私はいま本人の自主性を認めるということと何か放縦とはき違え過ぎてはいないだろうか。要するに、一人前の自分の行動に責任がまだ持てない年代なんですから、やはり早く糸を離せばあの糸を切ったたこのようにどこへふわふわ飛んでいくかわからない子供たちですから、それなりのリモコン操作というのは必要だと思うんです。そのリモコンとは、やはり正しい方向への一つの導きではないだろうか。たとえば男の子たちを見ていましても、中学生がこっそり隠れてたばこを吸っているとこを見つかって退学処分になったというような話も聞いております。そういったきびしさというものを昔のあり方そのままいまにあてはめよということではございませんけれども、つまり校外指導ということに対して今日どのように考え、どのようなまた実績をあげておるところがおありになるか、そういうことなども具体的にお聞かせいただければと思うわけでございます。
  137. 今村武俊

    政府委員(今村武俊君) 校外指導という仕事が、昔のような関係学校の先生が行なうということはだんだん少なくなっております。しかし、PTAなどにおきまして、地域の環境浄化、あるいは地域における非行防止等の関係でPTAの役員あるいはメンバーの方々がそういう仕事に当たっておられるところもございますし、また、社会教育関係の方々が青少年補導員とか、PTAの方とか警察の方とかというのが、その補導の何ですか、非常勤の職員としての組織をつくって当たっておられるところもございます。しかし昔に比べて、私どもの若いときに比べれば確かにその傾向は格段の差で、情勢の違いと申しますか、外部的に形式的にきつくしつけていくという傾向はずいぶん薄くなっているように概観いたしております。
  138. 志村愛子

    ○志村愛子君 結局、学校を出てからというものは先生に責任がないとは言い切れないと思うんです。また、日ごろの先生の教育あり方というものが校門を出てからむしろ私ははっきり出てくるんじゃないだろうか、そう思いますと、やはりこの校外指導も一つの形としてもう一ぺんこの辺で何か打ち出していただきたいと思うのが私の願いでもあるわけでございます。  それからもっと家庭と密接に関係をお持ちになっていただきたい。持っていらっしゃるようでございますし、PTA活動も盛んなようでございますけれども、いろいろの問題が起きておるのを見ますと、はたしてどういう持ち方をしているからこういう結果になったんだろうかと思われるようなこともあるわけです。たとえば、爆弾事件の子供たちを見ましても、自分の勉強部屋の中に、あるいは自分の部屋に閉じこもってそうしたものをつくったりそういうことをしていることを家庭でも知らない、あるいはまた子供の態度が最近変わってきたということも意識しない親、そうして、それと同時に先生方のほうでもやはり一人一人の子供を十分に見ておられれば、ちょっと最近様子がおかしいとか、あるいは内向性になってきたとか、授業の態度にその違いが出てくると思うんです。そうしたことなどがまだまだ私は非常に放任という形で、自由と放任とをはき違えているんじゃないかと思われるようなことが多いんでございますけれども、最近のPTA活動というのは、どのような状態になっておりますか。どちらでもけっこうです。
  139. 今村武俊

    政府委員(今村武俊君) PTAは戦後できた組織でございますが、つい最近までは学校の備品その他経費の不足を補うための後援団体的な性格としての運営を諸般の情勢上やむを得ずやってまいっております。しかし、ここ数年の間だいぶ情勢も違ってまいりまして、PTAの会員相互の教養を高めるとか、あるいはPTAの会員相互の間で現在の教育を理解するとか、あるいは校外補導の仕事をやるとかといったようなことがやや活発に行なわれるようになっております。と申しますのは、県の教育委員会等で各単Pの幹部の毎年所定の研修会をやるようになっておりますし、また、PTAも自分の県内のPTAだけでなくて、よその県の優秀なPTA活動を視察する等のことまでやるようになりましてだいぶ活発になっておりますし、また、PTAが何らかの主催事業を持とうというような動きがPTAによりましてはだんだん活発になってきております。全体としては上向きの傾向にございますが、何と申しましても、全国千三百万人の会員を持つ大きな組織でございますので、その動きは非常にスローであり、本来の姿を実現しようとお互いに言い合いながら、一こう本来の姿に近づかないというようなもどかしさを感じております。
  140. 志村愛子

    ○志村愛子君 大臣いかがですか。
  141. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) いまお話いただきましたこと、やはり戦後の日本混乱がまだ残っている、そういう点にも一つの原因があるんじゃないかと思うんでございます。戦後のことを振り返ってみますと、自由とか平等とかいうことが強調されました。自由は秩序ある中で初めて真の自由を味わうことができるわけでございまして、規律のないところ、秩序のないところには私は自由はない、こう思うわけでございますけれども、御指摘のように放任的な問題がございます。あるいは平等が強調される。しかし、やはり教師は教師として児童生徒から仰ぎ見られるだけの内容を持っているものだと思うんでございまして、それなりに権威というものがあるはずだと思うのでございます。権威のないような先生なら私は先生としての資格がない、こう思うわけでございます。先生が情熱のほとばしるあまりときにはおしりに手が出る場合もある、一種の体罰ということになりますと、逆にいろんな人たちが騒ぎ立てて先生はけしからぬとなじるような風潮もございました。私はこれは行き過ぎておった、こう考えるわけでございます。また、先生方につきましても教師は労働者だ、時間さえ働けばいいんだという気持ちが私はそういうことばからかなりの人たちに出てきていると思うのであります。やはり物をつくるのじゃなくて、人を育てるのですから、使命感に徹して情熱あふれる先生になってもらわなければならない。そうなりますと、私は校内校外を問わず、児童生徒がどう育っていくかということについて先生が非常な関心を持ってくださるはずだ、こう思うわけでございまして、先生のあり方につきましても、今後いろんな点について自覚を求めていく必要があるんじゃないかなあ、こう思います。先生のあり方につきましても、社会のあり方につきましてもやはり戦後の混乱をそのまま持ち続けてきている点があるんじゃないだろうか、こう思うわけでございます。やはりこの辺で戦後三十年の教育あり方、社会のあり方を振り返ってみまして今後のよい道を求めていかなきゃならない時期にきているのじゃないだろうか、こう思っているところでございまして、全く同感でございます。
  142. 志村愛子

    ○志村愛子君 たいへん大臣のおことば聞いて私もうれしく思うわけでございますが、せんだって、東南アジア五カ国を回られて帰られました総理が昔の日本人といまの日本人と違うというお話をされ、しかも、東南アジアの人々に言われたという帰国談ございました。その中にいまさら修身復活ということを言うわけではないが、やはり戦後の教育をここでもう一ぺん見直さねばならないというお話をしておられました。そういうようなお話をほうぼうで私も聞かされるのでございますけれども、たまたまソ連の生徒守則、心得、これをある人が話したことによりますと、日本教育勅語どころではない、たいへんなきびしい条項になっております。そのきびしさというものをもう少し皆さまも御存じでいらっしゃるかどうか。私は、これを知らせたらよろしいんじゃないか、日本がこんな状態でもって、あのソ連のような国でさえもこういう子供に対して次代をになう青少年、人づくりに対しては非常にきびしい態度で臨んでいるということをもっと知らしめたいと思うんでございますけれども、そういったことはいかがでございましょうか。
  143. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) そのとおりだと思います。中華人民共和国にいたしましても、ソビエト連邦にいたしましても、それぞれ学校守則、児童生徒の守るべき規範というものを明確に示しているわけでございます。また、そういうこともございますので、ようやく三十三年になりまして初めて道徳の時間を設けた、学習指導要領でどういう点を体得していかなければならないかというような事項についても示しているわけでございます。こういう点につきましてさらにみんなで知恵をしぼりながら、より以上の充実をはかるような努力をしていかなきゃならないと思います。やはり昨年の石油危機以来の経済混乱、あるいはまた、総理が東南アジアを訪問されて、東南アジアの人たちが抱いている感情、こういう問題になってまいりますと、ほんとうにわれわれは考え直さなきゃならない、世界からも信頼される日本人になっていくためには、どのような欠陥を自覚し、今後どう進んでいかなきゃならないか、それを教育の上にどう生かしていくか、非常に重要な問題だと考えるわけでございまして、幸いにして、りっぱな先生方教育界に導き入れるという意味で、処遇の改善ということにつきましては、国会においても御賛成をいただきまして、一歩前進さしていただいたと思います。また、資質の向上につきましても、いろんな手立てを講じさしていただいているわけでございますけれども、あらゆる面においても、今後、先生方が安心して教育にあたっていただける、そうして先生方が社会から信頼される、先生を信頼する社会というようなかっこうで、まず、そこから充実をはかっていかなきゃならない、かように思うわけでございます。  いずれにいたしましても、きょうのいろんなお話教育の面に生かしますように、今後も研究努力を続けさしていただきたいと思います。
  144. 志村愛子

    ○志村愛子君 ありがとうございました。  三十分の予定でございますのでこれで終わります。
  145. 内藤誉三郎

    理事内藤誉三郎君) 本件に関する質疑は、本日はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。午後三時十二分散会      —————・—————