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松永忠二君 そこで
大臣にひとつ、また、
文化庁の
長官にも伺いたいのですが、私は
高架事業が
文化財保護に優先されているということについて、私の言うことでもう一つ御返事をいただきたい。
いま、御
承知のように、都市計画で認められた関連
事業ですよ、都市計画は、ここの高架のここの線だけを認めている。(資料地図を示す)ほかのところは何も認めちゃいない。ただこの
高架事業をするについては、いわゆる電留区——電車をとめておく場所が関連
事業として予算化がされているわけです。その予算化されたものは予算としてこの
高架事業と一緒に建設省に出している。それはそうでしょう、
高架事業をやる場合には電留区がなければ困るから、電留区をどこにつくるかはわからぬが、電留区の予算が
高架事業にくっついて届け出が出ている。だから関連
事業として都市計画に認められているのはこの
高架事業なんです。これはもう何回も予算
委員会なんかで私はやったんだけど、この前もそうなんです、これなんです。ところがその関連
事業として当初ここをやりたいと、
伊場遺跡をやりたい、
伊場のところをやりたいというのが県の、
国鉄の
考え方であって、ところがここが言うとおり、こういう
史跡があるというようなことでまあ問題になっているわけですけれ
ども、しかし関連
事業として認めたのは、この六車線と引き込みの二車線だけなんですよ。いわゆる国が、建設省が都市計画
事業として認めた、都市計画第十八条三項の規定による認可というのは、ここの高架と関連の
事業としてそういうことをやると。その関連
事業としては六車線とこの二車線を認めたんです。ほかのところは認めてはいないのです。それはもうこの前の
委員会でもちゃんと
国鉄の
内田理事も言っているし、これは明らかです。それじゃ、この六車線と二車線だけつくって、
あとここはそのままにして
保存したらどうかというのが、私
たちがせめてここぐらい
保存したらどうだろうと、私個人も
考える。それから学者の中にも——この
高架事業をやるのにいわゆる電留区をつくらにゃできない、それが国が認めているのはこの六車線と二車線であるならば、ここだけはせめて
高架事業をやることも必要だから認めてもいいじゃないか。ただ、しかし、認めていない、何も認可もしていないこの場所を電留区にしてしまってやっていくということになれば、結局
高架事業ばかりが優先して、いわゆる
文化財保護は全く
あとに全部退いちまうじゃないですか。国が認めているのは——六車線と二車線だけですよ。何も国が認めていないのに、この前、
内田理事が言っているように、将来の交通事情から
考えて、もっとここへひとつ線を引っぱらなければ将来困る、困るというので、ここへ、ここまで全部をやりたい。で、これをやるにはここがひっかかるから、そこで
解除をする。そうしたら今度は、ここの
工事を認めたということによって、この
史跡を
解除し、それだからここを交換の対象だといって交換しちゃって、そしてこの
高架事業はここへもどんどんやるということになっちゃっている。これじゃ、
高架事業、
開発だけが優先して、
文化財保護は全部後退しちゃっている。言うとおり、ここを残してといったって、これは何も
遺跡に直接
関係のないところでしょう。これからも、言うとおり、表土を取ったけれ
ども、表土を取って一年くらいたたなければ、実はどこにどうというようなことは、酸化した現象を見てやる。ここは何もそれ以上
調査をしているわけじゃないのですから、ただ表土を取っただけなんです。だから、国が認めた
高架事業の関連
事業の範囲にとどめて、
あと、ここの大事なところは
保存をしていくというのが
文化事業といわゆる
開発事業の並行的な
措置でなきゃできぬ。ところがそうじゃなくて、将来ここが必要だ、将来ここへも電留区をつくらにゃいかぬからといって、それを含めて市と土地を交換しておいて、そうして建設省はここに認めた六車線と二車線と
工事協定をしたんだと言っているけど、それをしている以上もういいんだという——
伊場の
評価はきまったんだといって、ここをもう
解除しちゃって、今度はこの
工事をこれから
国鉄がやる。やるときに協議をするといったって、そんなものはもうここできまっている以上、やるのはきまっちゃっているでしょう、
伊場の
遺跡は
評価はし済みだと、こう言っている。しかし、
大臣いまお聞きになったとおり、学者によっていろいろでしょう。そして、まだ諸説紛々もあるし、はっきりしないけど、なお
調査しにやわからぬ。結論ははっきりは言えぬ。たとえば国の津だと言っているのに、
竹内先生は、それは浜松というところこそむしろ国府の津であって、それがつぶれたから今の浦というところをつくったんだろうと言われているわけです。
坂本先生は、今の浦というところがもとからの津だ。しかし津というのは、国の津にかかわらず、機能を発揮していたことは事実なんです。しかも駅家であり、うまやであるということはいろいろ
木簡なんか出ている、そういうことからも、墨書土器からも明らかだということになる。一度埋めてしまえば二度取り返しがつかぬ。しかも、学問は進歩してるんだから、いまの
段階でそうだとしても、なおそれが今後
研究していけば
評価が高くなるし、疑問のときにはもう一度
研究もできる。それだからそのままにしておいたらどうだろうという、こういう学者の
意見というもの。私
たちはどっちかといえばもう国が
高架事業として認めて、関連
事業ここだけ認めたんだから、そこだけをやって、
あとはだめですよと、
あとはもうほんとにやるならもっと
調査しなきゃいかぬし、徹底的にやらにゃいかぬ。それに、どっちかといえばせっかく
史跡も
指定したことだし、言うとおり
文化価値も何も減ったとは言わぬ。国が
指定するにはぐあいが悪いと言ったけど、県が
指定して悪いなんて
理由はどこにもない、そういうふうに
文化庁も言ってるじゃない。国の
指定としては云々と言って、史的価値がなくなったとは言っちゃいない。そうなってくれば、ここを
保存して、国が認可したところだけはやってもやむを得ないだろうと、しかし、その
工事はこういうふうにやってもらいたいと言うならこれは並行してるんだというふうに思うけれ
ども、いまのようなやり方で、いま認可されたところでないところを、将来輸送事情を
考えて、そうして問題がある場所を全部そんなことをやっていくというやり方は、これはもう
高架事業が
文化財保護に優先してるじゃないですか。それでも優先していないと言う
理由は一体
文部大臣、どこから出てくるんでしょうか。
文部大臣お答えできないですか。いままでのお聞きになって、この前もおいでになったし、私はあなたとしての御判断は——もちろん
文化庁の
長官の御判断ももちろん聞くけれ
ども、
大臣として御判断ができるはずだというふうに私は思うんですがね。まず
長官から答えてから……。