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1974-04-02 第72回国会 参議院 内閣委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年四月二日(火曜日)    午前十時三十四分開会     —————————————    委員異動  三月二十八日     辞任         補欠選任      長屋  茂君     重宗 雄三君      中村 利次君     田渕 哲也君  三月二十九日     辞任         補欠選任      重宗 雄三君     長屋  茂君      金井 元彦君     今  春聴君      木内 四郎君     田中 茂穂君      岡本  悟君     玉置 猛夫君      沢田 政治君     上田  哲君      田渕 哲也君     中村 利次君  三月三十日     辞任         補欠選任      玉置 猛夫君     岡本  悟君  四月二日     辞任         補欠選任      田中 茂穂君     中村 禎二君      源田  実君     高橋 邦雄君      今  春聴君     竹内 藤男君      中村 波男君     前川  旦君      岩間 正男君     小笠原貞子君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         寺本 広作君     理 事                 岡本  悟君                 鈴木  力君     委 員                 楠  正俊君                 高橋 邦雄君                 竹内 藤男君                 中村 禎二君                 長屋  茂君                 星野 重次君                 上田  哲君                 戸叶  武君                 前川  旦君                 宮崎 正義君                 中村 利次君                 小笠原貞子君    衆議院議員        内閣委員長代理  加藤 陽三君    国務大臣        法 務 大 臣  中村 梅吉君        国務大臣        (総理府総務長         官)      小坂徳三郎君    政府委員        内閣法制局長官  吉國 一郎君        内閣総理大臣官        房総務審議官   佐々 成美君        宮内庁次長    瓜生 順良君        皇室経済主管   野本 松彦君        法務大臣官房長  香川 保一君        建設省都市局長  吉田 泰夫君    事務局側        常任委員会専門        員        相原 桂次君    説明員        宮内庁長官    宇佐美 毅君        宮内庁長官官房        参事官      石川 一郎君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○法務省設置法の一部を改正する法律案内閣提  出、衆議院送付) ○皇室経済法施行法の一部を改正する法律案(内  閣提出、衆議院送付)     —————————————
  2. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る三月二十九日、金井元彦君、木内四郎君、沢田政治君が委員辞任され、その補欠として今春聴君田中茂穂君、上田哲君が選任されました。  また本日、田中茂穂君が委員辞任され、その補欠として中村禎二君が選任されました。     —————————————
  3. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) この際、去る三月二十九日の委員異動に伴いまして、理事に一名の欠員を生じましたので、その補欠選任を行ないたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事岡本悟君を指名いたします。     —————————————
  5. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 次に、法務省設置法の一部を改正する法律案議題といたします。  まず、政府から趣旨説明を聴取いたします。中村法務大臣
  6. 中村梅吉

    国務大臣中村梅吉君) 法務省設置法の一部を改正する法律案につきまして、その趣旨を御説明いたします。  この法律案改正点の第一は、東京法務局に、民事行政部にかえて民事行政第一部及び民事行政第二部を設置しようとするものであります。  法務局民事行政部では、登記戸籍国籍供託等事務を所掌しておりますが、近時の社会経済情勢を反映して、登記事務をはじめ、これらの事務は増大し、かつ、複雑多様化しております。これに対処し、事務処理体制を整備するため、特にこの傾向の著しい東京法務局について、民事行政部事務二つの部に分割して所掌させようとするものであります。  なお、民事行政第一部においては、登記等事務を、民事行政第二部においては、戸籍国籍及び供託事務を所掌させることといたしております。  改正点の第二は、入国管理事務所出張所名称及び位置法務省令で定めることとしようとするものであります。  入国管理事務所出張所は、出入国港等に置かれ、主として外国人に対する出入国審査事務庁行なっておりますが、その約七割は職員が二人たいし三人程度の小規模庁であります。ところで、出入国港事務は、内外諸情勢の推移、貿易の消長、出入国船舶増減等の影響を受けて、繁閑を生ぜざるを得ないのでありますが、これに対処し、限られた予算と人員を有効適切に利用して用入国港における事務円滑化をはかるためには、出張所の新設、廃止、位置変更等を臨機に行なうようにすることが強く要請されております。そこで、同じく港関係行政機関である税関の支署、出張所等の場合と同様、出張所名称及び位置を省令で定めることとするものであります。  なお、この改正に関連し、附則におきまして地方自治法第百五十六条第七項について所要の政正を行なうことといたしております。  改正点の第三は、北海道亀田市の函館市への編入に伴い、函館地方法務局管轄区域の表示を改めようとするものであります。  以上が法務省設置法の一部を改正する法律案趣旨であります。  何とぞ、慎重御審議の上、すみやかに御可決いただきますようお願いいたします。
  7. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 引き続いて、本案衆議院における修正部分について説明を聴取いたします。衆議院内閣委員長代理加藤陽三君。
  8. 加藤陽三

    衆議院議員加藤陽三君) ただいま議題となりました法務省設置法の一部を改正する法律案に対する衆議院修正につきまして、その趣旨を御説明申し上げます。  政府原案では入国管理事務所出張所名称及び位置法務省令で定めることとしておりましたが、これを現行法どおり法律で定めることとし、これに伴い、福岡入国管理事務所伊万里出張所設置法律に明記することとするとともに、昭和四十九年四月一日から施行することとしている東京法務局の組織の改廃に関する改正規定を公布の日から施行することに改めた次第であります。  以上が修正趣旨であります。
  9. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 以上で説明は終わりました。  本案審査は後日に譲りたいと存じます。     —————————————
  10. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 次に、皇室経済法施行法の一部を改正する法律案議題といたします。  本案につきましては、すでに趣旨説明を聴取しておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  11. 戸叶武

    ○戸叶武君 皇室経済法施行法の一部を改正する法律案審議を行なうにあたり、私はまず、小坂総理府総務長官及び瓜生宮内庁次長から、日本国憲法天皇との関係について政府側の御見解を承りたいと思います。  日本国憲法の第一条には「天皇は、日本国象徴であり日本国民統合象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民総意に基く。」と明記されております。そうして、これを受けて第三条には「天皇国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」、また第四条には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」としるされておりますが、政府日本国憲法のこの見解を忠実に堅持しているでしょうかどうか、これを承りたいと思います。
  12. 小坂徳三郎

    国務大臣小坂徳三郎君) 戸叶委員にお答え申し上げます。  私はじめ政府は、天皇地位につきましては、ただいま仰せられたような日本国憲法第一条に明確に規定してあるとおりでありまして、象徴としての天皇というふうに、はっきりと考えております。また、第四条におきまする問題等におきましても、そのとおり実践をしているわけでございます。
  13. 戸叶武

    ○戸叶武君 瓜生宮内庁次長は、天皇訪米に関し、宮内庁としては、昨年の夏、田中総理ニクソン大統領が会われた後に共同声明が出ていますが、それによると、アメリカ大統領から天皇、皇后をアメリカに招待したいということを再確認し——再確認しですよ、それは近い将来、双方都合のよい時期に来ていただきたいと表明されて、田中首相はそれに謝意を表しておられる——謝意を表しておられるんですよ。このことが運ばれたのは、事前宮内庁のほうとも意見を確かめて決定したことであります、この点の意見そごはありませんと答弁しております。そごは、はたしてなかったのかどうか、瓜生宮内庁次長に承りたいと思います。
  14. 瓜生順良

    政府委員瓜生順良君) 昨年の夏、田中総理アメリカへ行かれてニクソン大統領と会われることになりました。その出かけられる前に宮内庁のほうと一応御連絡、お打ち合わせがありまして、その結果、その共同声明にありますような表現になっておる次第でございます。
  15. 戸叶武

    ○戸叶武君 瓜生さんはまじめな方だから、正直にものを言っているんだと思いますが、それだと、大平外務大臣は正直でないのでしょうか。大平外務大臣は、あなたが衆議院内閣委員会答弁したその前日の二月二十日に衆議院外務委員会で、天皇訪米は時期だけでなく、訪米自体白紙に還元したと答弁しています。白紙還元というものは白です。白か黒か、この点ははっきりさせる必要がありますが、白紙還元に至るまでの経緯ですね、問題は。宮内庁政府から、事前あるいは事後、白紙還元に至るまでの間に十分な打ち合わせを行なっているかどうか、それを承りたいと思います。
  16. 瓜生順良

    政府委員瓜生順良君) 大平外務大臣が御訪米のことに関して白紙というような表現がおありだったようでありますが、これにつきましては、要するに昨年の夏の共同声明にありますような線で、お互いに日本アメリカも、それから日本国内内閣側宮内庁側も了解をしているわけであります、が、しかし、そこにありますように、近い将来双方都合のいい時期に訪米をすることを希望するというような表現があるわけであります。近い将来というのはいつかということもわかっておりませんし、双方都合のいい時期というようなのも、まだいつにするかというような具体的な話は全然出ておりません。したがって、外務大臣は、その問題についてまだ具体的な話が出ていないから、そこで白紙というふうに表現されたのではないかと思っております。
  17. 戸叶武

    ○戸叶武君 覆水盆に返らずということばがありますから、既往のことをやたらにほじくってもしかたがありませんが、重要なポストを占めている人の言動は、もう少し慎重に行なってもらいたいと思います。日本語はなかなかむずかしいといって外国人からも言われておりますが、近い将来都合のよいとき、それは具体的にはどういう内容ですか。
  18. 瓜生順良

    政府委員瓜生順良君) 近い将来というのは、時間的に言いますと、ほんとうに言いますと、ずっとこれから先、ある程度の遠くない近い時期というので、たとえば何年とか確定するのはむずかしいというのが普通の解釈のようでございます。常識でまあ判断をするということだと思います。  それから双方都合のいい時期というのは、双方大統領、それから天皇陛下の個人的にからだのあいておられるということの御都合のほかに、両国の国内のいろんな情勢なども都合がいいというようなことも含まれるというふうに考えられております。
  19. 戸叶武

    ○戸叶武君 いまあなたの言う、ある程度の遠くないとき、常識的判断、これは日本語としては非常に都合のよいことばですが、ある程度というのは、遠くないときというのは、具体的にはどのくらいのことを言うのですか。常識的判断というけれども、あなたの常識と私の常識では尺度が少し違う場合があるんで、日本人外国人に会ったときに通用しないことばがこのとおりです。筑波山はどれだけある、いや相当遠いところにあります。高さはどのくらいあると彼らは聞きます。日本人は答えられる人がないんです。何メートルというのを記憶していないんです。相当の高さで関東平野では高いほうです——これがいいかげんと言うんです。もうグローバルな時代だから世界に通用するような常識尺度に切りかえてもらいたいものです。あなたのような宮中に仕えているような人は、よいかげんというのは善意ですが、庶民の間でよいかげんというのはいいかげんというやつです。よいかげんか、いいかげんかわからないじゃありませんか。暑いも寒いも彼岸までといえば、彼岸という線で切れているんです。あなたたちはどこまでの距離があるのかわからないけれども、今後、ものの考え方、尺度のはかり方をもう少し常識内容プラクティカルにきめてもらいたい。やはりコモンセンスはいい。イギリスのコモンセンスというのは非常にプラクティカルです。具体的です。具体性のない表現というものが多くあやまちを起こすのですが、次に入ります。  田中首相は、昨年訪米の際に日米共同声明の中で天皇訪米をうたっております。これはきわめて具体的です。共同声明政治的な声明であります。これも常識的な判断です。天皇政治的に利用するのはいけないというのは宇佐美さんもあなたもわかっていると思います。その天皇の進退、それが田中ニクソン共同声明によって明文化されており、天皇訪米大平発言において、錯覚かどうか知らぬが、白紙還元ということになっているんです。この一つ具体的段階を追うてみるならば、論理として一つも構成されない、あなたから見ればよいかげん、私らから見れば、庶民尺度から見ればいいかげん、ちゃらんぽらんだということになるんです。俗のことばは正直ですが、この間のちぐはぐなできごとはどこから起きているとあなたは推定しますか。むしろ、このことは小坂国務大臣から先に答弁してもらったほうがいいでしょう。政府宮内庁、われわれ庶民との間にこれだけのギャップがあるんです。
  20. 小坂徳三郎

    国務大臣小坂徳三郎君) 私は、ニクソン大統領天皇陛下がアンカレッジで会われたときにどのような話があったか全く存じませんが、そのときに何かニクソン大統領訪米の招請をしたというふうに新聞では伝えておりました。また、その後の田中ニクソン共同声明におきましても訪米のことが触れてあったと思います。私は非常に率直に申し上げますが、われわれは、天皇陛下の現在の身分と申しますか、地位と申しますか、先ほどお答え申し上げたとおり、憲法上の象徴としての天皇というぐあいに、具体的にかつ明確にわれわれは認識をしておりますが、一方、アメリカ側から見た場合には、こうした国民総意に基づくところの象徴としての日本天皇のポジションといいますか、それに対してやや明確な概念を欠いているのではないかというふうに私は推測いたします。そのとこら辺から、一つの元首とじての天皇というものをイメージとして持って、そしてそれが招待につながり、それが共同声明の中にも一、二流れ込んできておるというふうに私は想像をいたしておりますが、しかし、この問題に対してのわが方のたてまえは、あくまでも憲法に定める天皇であって、国事行為としてのものは明確に四条に規定されるとおり、また外遊ということについては純粋に親善を目的にしていただくということで、われわれは公的な天皇行為として、それを親善ということの一点に限定してこれを認めたというふうに考えるわけでございます。
  21. 戸叶武

    ○戸叶武君 いまの小坂国務大臣答弁は名回答です。私はこの問題を研究するために国会関係の全速記録を読みましたが、日本国憲法に対する正しい解釈をしていると私が思われるのは、小坂総務長官ただ一人です。残念ながらただ一人です。  そこであらためて今度は、瓜生さんが悪いと言うのじゃないのですけれども、瓜生さんに重ねて御質問いたしますが、日本天皇のことをいま小坂さんが触れられましたから、小坂回答において一つのあるけじめはついておりますが、外国では元首相当というふうに見ている、それは憲法第七条で外国の大使、公使を接受し、信任状を受けられているからだ、儀礼的ですけれど外国からは日本の国の最高の人として日本天皇を見られる、外国国王なり大統領は自分と対等の地位天皇がおられると考えている、という答弁をあなたは衆議院段階国会答弁しております。あなたのいまの答弁と、率直に言って、小坂国務大臣答弁とを比較するならば、私は小坂さんに百点をあげれば、あなたには六十点くらいしかあげられません。私も大学国家学政治学を講義していた関係がありますので、点が少しきびしいかもしれないし、あなたの置かれている立場がやはり宇佐美さんを弁護しなければならない、政府とさからってはいけないというところにとらわれ過ぎているので、すまじきものは宮仕えで、心ならずもそのようなとにかく発言をしているのだと思いますが、いま私はあなたを追及しないが、いま小坂国務大臣発言したような内容日本国憲法天皇位置づけを明確化してもよろしいのじゃないかと思いますが、あなたは異論がございますか。
  22. 瓜生順良

    政府委員瓜生順良君) 私は、先ほど小坂総務長官がお話しになりましたと全然同じ意見を持っておるものであります。で、いま先生がお読み上げになりました衆議院での私の答弁の要旨でありますが、外国がどういうふうに見ているかというようなことからその話が出てきておりまして、そこであるいはその点数の悪い点が出ているのかと思いますが、外国人には何かわかりにくいものですから、そういうようなふうな見方をしているということを申し上げたのだと思います。しかし、これは日本憲法において、天皇象徴であられるということをはっきり書いてあります。主権の存する国民総意に基づくものであって、国政に関する権能を有されないというような点も十分承知をいたしまして仕事を進めておるつもりでございます。
  23. 戸叶武

    ○戸叶武君 やはり瓜生さんは宮仕えしているだけに、すなおです。これ以上は追及しませんが、瓜生さんが間違いで、以上の間違いを中曾根通産大臣は行なっております。私は衆議院内閣委員会に傍聴に行って、はなはだ残念だと思いましたが、またそのときに、田中さんはしろうとだけど、法制局長官は頭のいいのじゃ有名な兄弟の一人で、私は田中さんの足りないところを助ける人と思っておりましたが、やはり法制局長官という身分御用学者というのじゃないが、政府立場法律的に若干の詭弁を用いても弁護しなければならない法律的技術のベテランだけに、言っていることを全部するとなかなかそつがないけれども、やはり法制局長官の言うことなら間違いないというあさはかな錯覚をもって——中曾根さんは幾らかてれてきたが、田中さんはそれを堂々と衆議院においても放言しているのです。総理大臣を演壇から引きずり落とすこともできないから、私はまあ、中曾根さんが衆議院内閣委員会でやったと同じような、イラン国王日本国王が同じであるような、イラン国王制であり、日本王制であるというような、げすの勘ぐりかもしれないけれども、どこかのいなかなら通用するような軽率な言動を少なくとも参議院において行なったら、私は引きずりおろしてやろうと思ったんですが、身変わりの早い中曾根さんは、さらりと参議院の本会議では率直にあやまっている。あやまった人をとがめる必要はないが、田中さんは依然としてそのままです。やっぱり私らの言動よりも法制局長官の明敏な頭脳による解釈のほうが正しいという錯覚を、早合点の田中さんですから、のみ込んでいると思うんです。  そこで、私は法制局長官に承りたいのであります。あなたは先ほど小坂国務大臣答弁された内容をお聞きでございましたでしょうか。——聞いてない。それじゃよろしゅうございます。  いま国民の大多数の人が心配しているのは、最近の田中首相並びにその側近の二、三の幕僚の言動です。日本国憲法をゆがめた解釈、明治の帝国憲法への逆戻り、憲法改正の布石を打っているのではないかという警戒が国民の間にほうはいとして起きております。御承知のように、自民党大会では、すでに日本国憲法改正の決議を行ない、田中首相はその自民党総裁でありますから、自民党に忠実ならば憲法改正への道を強引に歩むということもやむを得ないでしょう。しかしながら、田中首相総理大臣位置につけたのは、どれだけの金を使ったか知らないが、自民党総裁を勝ち取ったときに自動的に総理大臣位置づけられたという錯覚でなく、手続的にはこの国会芽通じて総理大臣は生まれたのであります。国会の場をはずして、論議を無視して、田中さんの最近における独走というものは許しがたいものがあります。この際、私は、九日の予算委員会の総括においてあらためて田中さんと対決しますが、自国党総裁としての田中か、内閣総理大臣としての円中か、この点を明確にしなければわれわれはこの日本国憲法を守ることはできないのでありまして、内閣総理大臣というものは、天皇それ自身すらも日本国憲法において規定されておる以上に、行政府最高機関であって、国会が国の最高機関であります。国会を無視した独走を続けるならば、自民党総裁に戻って、私は内閣総理大臣としては資格はないから辞表を提出したほうがよいとすら思っているんですが、これはあらためて中中さんに言いますが、ここで問題なのは、田中角榮さんという、とにかく本人自身木下藤吉郎から豊臣秀吉、ナポレオンぐらいに思っているかもしれませんが、この天才的なひらめきと無教養と思われる、二つのものを備えた政治家日本の今日を指導しているということは残念です。もう少し内閣総理大臣たるものの国会内における言動は、特に憲法上の問題において、内閣総理大臣国会でこう言ったという記録は裁判や何かのときには必ず問題になります。そのときに、われわれ国会議員としてそれを黙認したとするならば腹切りものです。命がけで私たち田中さんと日本国憲法を守るために戦ってみせます。  憲法前文の精神、これは、フランス革命やあるいはドイツのワイマール憲法以上に、国家学者最高政治学者でなければ書けない前文です。日本憲法学者というものは、およそ伊藤博文の魔術にごまかされて、プロシア的な憲法の流れを継承している官僚の手によって、ああでもない、こうでもないと解釈される解釈学であって、近代政治学としての、近代国家学としての国家基本法をつくるだけの能力を具備した者がほとんどないのです。美濃部憲法でも、社会科学の学問的なものとしては外国に示すのが恥ずかしいのです。私の恩師大山郁夫先生は、終戦のまぎわ、農水産大学の図書館にかくまわれていたときに、マッカーサーの憲法顧問で来たコールグローブ氏に、アメリカの国務省から美濃部憲法翻訳を頼まれたが、翻訳をしなかった。不肖の弟子が早稲田大学で後日それを訳したというが、ぼくは訳した政治学博士に気の毒と思っている。国際的な場に出して、日本という十重二十重にゆがめられた科学のない世界においてつくられた折衷学説を、奇形児を、なぜ国際的な学界に——まあ資料として出すのはいいだろうが、恥ずかしいものを出したかということでありますが、そういう意味において、このいまの日本憲法が完ぺきなものとは思いませんが、明治憲法と比較するならば、世界のどこに出しても恥ずかしくない憲法としてのものを具備しております。  そういう点におきまして、天皇または国務大臣国会議員は、いまの日本国憲法を尊重し護持する義務を負うという規定が憲法前文にもあるいは憲法の中にもなされているのに、自民党の党議というものに縛られて憲法護持の憲法上の規定を守らないという点は、この日本の今日における奇怪な政治行動でありますが、このギャップをどういうふうに、与党の一つの知識人としての小坂さん並びに法制局長官——これは小坂さんよりも法制局長官のほうがいいと思いますが、法制局長官並びに政治的な面においては小坂さんの答弁をお願いします。
  24. 吉國一郎

    政府委員吉國一郎君) 憲法第九十九条は「天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と規定してございますのは、日本国憲法最高法規であることにかんがみまして、公務員はその実効性を保持することに努力をしなければならないという趣旨を厳粛に定めたものであると思います。その他の政治的な問題については私がお答え申し上げる限りではございませんが、先ほど憲法改正に関して御発言がございましたので、念のため申し上げておきますが、田中内閣総理大臣は、就任以来、憲法改正の問題に関して国会で御質疑があった場合には、憲法改正は考えておりませんということを何回も明言をいたしております。  その例として申し上げまするならば、衆議院内閣委員会におきまして、昨年の六月七日でございますが、「私はいま憲法改正問題を考えておりません。特に、憲法がどのような状態になろうとも、これは国民総意の、国民の大多数というものが賛成をしないような場合に改正はできないわけであります。」云々ということを述べております。また、参議院内閣委員会におきましては、同じく四十八年の九月十七日に、「現在、改憲の意思はありません。これは明確にお答えをいたしておきます。改憲という問題は、これは民族的、国家的な問題でございまして、国民の成熟を待ってわれわれが動くべきものであるというふうに考えております。」と、また同年の六月十三日には、参議院の本会議におきまして、「憲法改正の問題は、国民総意のおもむくところに従うべきものであり、政府としては、現在、憲法改正を取り上げる考えはありません。」ということを明言いたしております。
  25. 小坂徳三郎

    国務大臣小坂徳三郎君) ただいまの法制局長官の御答弁で私は政府としての姿勢は尽きていると思います。私も閣僚になったばかりでございますが、閣僚就任以来、田中総理が公的に、また私的にも、ただの一度も現行憲法改正を口にしたことはございませんし、また、そのような雰囲気は何ら私自身は感じておりません。また同時に、憲法改正は現時点においては私はなすべきでないという考え方を持っております。ただ自民党におきまして、憲法改正ということが一つのスローガンに載っておりますが、これはやはり敗戦によって与えられた憲法であるという一つのいまだに抜きがたいイメージと現実が残っておる、やはりそうした問題に対しての一つのレジスタンスとして、われわれはその程度として考えておるのであって、こうした問題については、やはり日本人としては日本人なりの一つの考え方もあるし、感覚もあるし、感情もあるわけでありまして、そうした占領軍及び敗戦によって与えられたという一つの現実、こうした問題をただ目をつぶっていくというわけにはいかないという一つのきわめて素朴な政治的な感覚ではなかろうか。それからもう一つは、憲法改正すると言っておりますが、何をどのように変えるかということについてはまだ公表されておりません。その点についても戸叶先生は十分御理解いただけるのではないかというふうに考えます。
  26. 戸叶武

    ○戸叶武君 これまた名答弁です。あまりほめ過ぎちゃ悪いですが、まあ名答弁です。  安川駐米大使の錯覚発言、あるいは法眼外務事務次官の首切り、すべてこの天皇訪米の問題をめぐって真相というものが密室の中に葬り去られておりますが、きょうの宮内庁当局並びに小坂国務大臣法制局長官等の率直な答弁によって、あるところまで私たちはわかったような気がします。  そこで、今度は角度を変えて、あらためてお尋ねしますが、天皇訪米というような場合に、一、天皇の御意思によってこれを決定するのか、二、内閣の助言によってそれを決定するのか、その意思決定の手続についてお尋ねします。
  27. 瓜生順良

    政府委員瓜生順良君) 天皇陛下が御訪米になるというような問題について、どういうふうに決定するかという手続上のことでございますが、これはいわゆる天皇陛下象徴としてのお立場で公にアメリカを御訪問になるということでありまするので、この皇室に関する国家事務を扱うわれわれとしては、公的なこととしていろいろ検討をいたします。その上部機関内閣がございますから、内閣のほうでもそういう点はいろいろ研究をされるということであります。  なお、一方、天皇陛下の御意思の関係でありますが、これは実際上おもむかれますのは天皇陛下でありますから、御意思を無視するということは、これはこういう事柄の性質上よろしくないことでありますから、そういう点も勘案いたしまするが、しかし、そういう点を勘案しながら最後的にきまりますのは内閣できまるわけであります。形式を申しますると、閣議の決定という形でき生るわけであります。それまでの間にいろいろの関係方面が協力したり、打ち合わせをしたり、連絡したり、いろいろ進んでいくということはございますが、最後的には閣議できまるわけであります。
  28. 戸叶武

    ○戸叶武君 これも明快答弁です。そういうふうに国民にはっきり順序なり手続を示して、やはり天皇の御意思というものを尊重するにしても、宮内庁内閣と十分な打ち合わせをやり、最終的においては内閣の責任で問題をきめるというようなけじめをはっきりしないと、田中さんのような人は動物的直観でばっと動いちゃうから、あとでは間に合わない、あとではみんながこれを言いわけするほうに回るからものごとが乱れちゃうので、やはり一部隊の武将ではあるが、天下の宰相たる資格を少し欠いているやに私は思われる節があるので、やはり輔弼の責任は重大であるから、あなたたちはもっとふんどしを引き締めて、田中さんを、群馬を御していかなければいけないと、私はこう思います。  ところで、いま御承知のように平時ではないです。狂欄怒濤の時代であります。福田さんですら狂乱物価と言いますが、政治世界日本だけでなく世界的な狂乱状態におちいっております。こういうときに天皇外国へ行かれるなどということは、慎重の上にも慎重を要さなければ、問題が起きたとき一内閣の責任だけでは済まない場合があると思うのであります。そこで、田中さんは経験があると思うんですが、外国を方々歩いた、この間のタイで起きたできごと、あるいはインドネシアで起きたできごと、まあ何か起きるかもしれないけれども、田中さんのあれはいいところだが、田中さんだからあれで済んだけれども、天皇の場合は、あれはどうなったでしょう。私は、いまの情報というものを、大体宮内庁でも内閣でも外務官僚だけにたよっているが、外務官僚は、やはりなるたけ責任をかぶらないようにという、今度のあの錯覚発言においても見られるように、だれが責任をとったのかわからないような御殿女中的な処理方式をやっております。それは近代政治においては非常に遺憾です。やっぱり、いい悪いは、人間だから間違いがあるんで、間違ったらあやまる、責任をとると、もっと淡白にやるべきであって、陰湿な面があるが、一つは、外務省においては、アメリカやイギリスやフランスなんかを比較してみても、問題にならないほど過労で、小人数で、情報キャッチなどというゆとりはないんです。  私は、この際、田中さんだけの問題じゃないです、石油ショックでもニクソンショックでもドルショックでも、みんな一部の者で、ドルショックがあれば柏木さんと鳩山さんが論争をやって、何が何やらわからない、日本は、二千億か三千億か、わけわからないうちにアメリカに義理立てして金が吹っ飛んじゃった。外国じゃたいへんなことです。こういうことがすべて不問に付せられる。ここに非近代的な日本のガバメントの欠陥がある。こういう点から、特に私は、情報室というものは内閣直属か、まあいまのところ総務長官なんかなら感覚がいいから、あそこいらにするか、あるいは外務省にするか、やはり在野の新聞記者なり評論家なり学者なり実業家なり、とにかく一芸にひいでた者を在外公館の中に、独立した機関としてもいいから、情報室は——情報化時代なんです。旧式なコンピューターじゃだめなんです。やっぱり情報化時代にふさわしい正確な動きというものをキャッチしてないと、政治、経済、何にでも私は立ちおくれると思うんです。火事が起きてから、それ消防ポンプだ、拍子木だと言うのと同じだと思うんです。  このことはすでに戦時中に、近衛ブレーンであった私の先輩の緒方竹虎さんなり、あるいは共同通信、時事通信の先輩であった古野伊之助氏らが進言したが、戦争中であるから変なスパイ活動でもされてはという点もあり、うやむやにされましたが、緒方さんにしても古野さんにしても、国際的な感覚を持った稀世人であって、そんなけちなことは考えてなかったと思いますが、いまこそ私は——宮内庁だってそうです。いつもとにかくこれは、いまの外務省から情報を取ったんでは大体間違いにいきます。違うほうへ張ったほうが安全です。そういうことになって責任は全部宮内庁がとらせられたんじゃたまったもんじゃない。まあ田中さんだからよかったけど、そういう点で、この機会に一つの記念事業としてでも、少し政党政派や位階勲等や官僚的なシステムにこだわらない、アメリカでキッシンジャーを活用したような形、キッシンジャーだけじゃない、ライシャワーでも活用したように、もっと人材を生かして、古ぼけた官僚組織の中に凍結しないように、ひとつガバメントの運営の面をもう少し直していってもらいたいと思うんですが、これは小坂さんだけの力じゃなかなかできないと思いますけど、内閣の閣議で問題を提示するぐらいなことは小坂さんは勇気があるからやってくれると思うんですが、御見解を承っておきます。
  29. 小坂徳三郎

    国務大臣小坂徳三郎君) ただいまの戸叶委員の御発言は全く私は同感であります。同時にまた、現在の日本をめぐる世界情勢のみならず、国内におきましても、これは異常な事態であると考えるわけでありまして、そうした面から見ますと、国内はさることながら、国外におきましても、石油関係はじめ、現在の米ソの関係あるいは中国の関係等も考えただけでも、実に激動やむところを知らないような状態でございまして、こうした情勢に対処するのには、御指摘のとおり、正しい情報、正確な情報、しかも価値のある、精度の高い情報が絶対に必要であると思いますが、そうしたことに対してのかまえが、あるいは現時点において幾多の反省すべき点があることを私も痛感をいたすわけでございまして、機会を見ましてそのような努力をいたしたいと思います。
  30. 戸叶武

    ○戸叶武君 これは小坂さんだけに重荷をしょわせておいちゃいけませんが、瓜生さんにお尋ねします。  日本天皇外国の皇帝及び王とは、置かれている地位及び立場が異なっておるのであります。前に小坂さんが述べられ、あなたも賛意を表したように、外国人は、日本憲法にしろ、天皇のあり方にしろ、これを理解するのは一朝一夕には困難だ。困難だからまあわかりやすくというのが間違いのもとで、イソップ物語もやはり子供にわかるように書いたんでも、子供にはわからない面があるんですから、いわんや日本国憲法のような遠大の夢を将来に託した憲法外国でわからない場合もあると思いますけれども、日本国憲法の中における天皇位置づけ、主権者としての国民の責任——行政官庁としての内閣が思い上がって、主権者としての人民すなわち国民なり、民族統合の象徴としての天皇をないがしろにして、蘇我入鹿やあるいは弓削道鏡や徳川幕府のようなおごりをやると、昭和維新というものの中においては大化の改新や明治維新よりもきびしい制裁を受ける怒りが国民の中に秘められているということを心して、やはりまつりごとをとる者は考えてもらいたいと思うので、そこで、あまり窮屈なことばかり言いませんが、現実に国連加盟の国家の中においても、この一、二年の間に王制の国家が二つほど変更を見ております。ギリシアやタイやエチオピアにおいても深刻な紛争が起きております。先般タイが、あの田中さんが行った前後におけるようなあらしの中に置かれたときに、あの危機を調整したのはタイの王さまであります。たいしたものだと言われておりますが、それは海外を放浪して苦労を重ねたからあの難局に対処できたのであります。天皇や皇太子だけじゃなく、側近にある人も、瓜生さんあたりも、もう一つ感覚をやはり変える意味において、タイなりいまのエチオピアなり、その他の国がどういうふうになっているか、たとえばトルコの近代革命をやったアタチュルクのケマル・パシャが、宗教と政治を分離し、あれほど王さま崇拝の絶対君主国においてイギリス帝国主義のかいらいたる王をマルタ島に追放せざるを得なくなった五十年前の革命というものは、日本の明治維新を学んで明治維新以上に前進しなければならなかったという点は那辺にあるか、日本の技術で、石川島播磨の技術と西ドイツの協力でイスタンブールにおいて今度東西の橋がかけられて、四月あたりにたしかその祝いがあるが、そういうふうな機会にでもひとつ行って見てごらんなさい。中近東で物の面の油だけをさがしているんじゃ、油のみでは国盗り物語の主人公にはなれるかしらないが、日本国民の心を復活することは私はできないと思いますので、そういう点において、グローバルな時代にもっと——あんまり窮屈な、天皇がせっかく、おれは人間だ、窮屈なことはいやだと言って宣言を発したのに、またもう一度冷凍倉庫の中に入れるようなことはしないように、もっとおおらかな精神というのが私は日本精神だと思うんですが、これはあなたの意思いかんを問わず、いまのような、宮中がだんだん甲らをかぶって、そしてあの排気ガスの中心に閉じこもっているような形ではいい考えは起きませんよ。私は、そういう意味において、まだ天皇にもお子さんもいるんだし、もっと身軽な人なり何なりに解放して、タイの困難を救ったあの王さまぐらいな役割りはできるぐらいの人物を、少し骨太の人物をやはりつくってもらいたいと思いますが、どうでしょうか。
  31. 瓜生順良

    政府委員瓜生順良君) いろいろ御貴重な御意見を拝聴して感謝いたしておりますが、外国の皇帝、国王日本天皇は非常に違っておられる点も十分承知していないといかぬと思っております。タイの国王のことについてはいろいろお話がありました、またエチオピアの皇帝のことについてもお話がありましたが、やはりそういう方は主権を持っておられる方でありまして、そういう点は、日本天皇のように象徴であられて、国政に関する権能を有されないというのとは、だいぶ違っておられますので、そういう点は違いを十分承知しながら、しかし人間的な点、そういう点で参考になる点はわれわれとしてもその点を十分参考にして、いまおっしゃいましたように、お若い方について人間的にりっぱに伸びていかれるように考えるというふうに努力をしなければいけないと思っております。で、いまの天皇陛下は、われわれから見て人間的に非常に敬服いたしておりますが、さらにお若い方にも、それに劣らないように、また新しい時代に即応した、また別の意味のりっぱな人間として成長されまするように、われわれも陰ながらできるだけの御奉仕をしたいと思っております。
  32. 戸叶武

    ○戸叶武君 そういう意味において、日本国国民主権者であります。問題は、日本主権者が民主政治を確立するためにもつと責任を持てるような民主的基盤をつくり上げることが今日の急務であって、一内閣なり一天皇なりが、この日本の民主国家、平和国家としての基盤を自分にまかせろとというような田中的暴走は許しがたいところにまで来ているんでありまして、そういう意味において、私は、日本天皇というものは国民統合の象徴であるが、その象徴というふくらみを持ちながら、権力を持たないで、徳をもりて、謙虚な形で国民の動向を察知して流れを停滞させないような潤滑油的な役割りをすることが必要で、これが一番私はとうとい仕事ではないかと思うのですが、それを、後醍醐天皇の失敗も、建武中興の失敗は我慾にとらわれたからだといって、あの当時の歴史家というのはきびしく、北畠親房の歴史観でも、梅松論でも、遠慮会釈もなく歴史はこれをさばいておりますが、やはり私は、いまの宮内庁には若干の改革が必要だと思う。  明治天皇がよかったのは、若くして——おとうさんは病気で死なれたんだろうが、あのずるい権謀術策のマキャベリストのお公家に毒殺されたのではないかという風説まであったが、徳川家のために忠勤を励んだ山岡鉄舟のような硬骨漢を側近に置いて、相撲が好きで、相撲をやろうといえば腰が抜けるほどぶち投げられた、こういう硬骨の士が天皇側近にいたことが、私は明治天皇には幸福だったのじゃないかと思う。いまあんまり、はれものにさわるようにしていったら、ろくなものは育たぬと言っちゃいけませんけど、ひ弱い、もやしみたいなものばかりが育ってしまう。私は、天皇も人間なんだし、皇太子も人間なんだし、やっぱり人間として一つの欠けたものができ上がるのじゃないかと思うのです。率直に言って、私は、宮内庁あたりはもっと、たとえば天皇が生物なり植物なり、そういうものの研究が盛んだとすれば、世界に類例のないような微生物の研究なり、プランクトンの研究なり、そういうものをすべきだし、皇后が画が好きだというならば、やっぱり庶民の中に天才は埋もれているんです。そういう人たちの画を、天才をどうやって見出すかということをすべきだし、また、三笠宮のように紀元節に反対だというような歴史観を持ってオリエントの古代史を研究する人も皇室の一部にいるということは存在の意義があるのです。そういう多彩な、バラエティに富んだ日本の皇室というのはおもしろいなと。問題は、魅力がなけりゃ、存在の意義はないのです。そういうものに私はさせたいと思うのです。  そこで私は、天皇というものを日本憲法だけで拘束するだけでなく、みずから——この狂潤怒濤の時代において東西南北の十字路に日本は立たせられているのです。十字架を帯びているんです。その中において私たち日本の進む方向を方向づけるためには、日本憲法に盛られている、こうぞと思われる理想をほんとうに守って具現するものはたれか。もう日本国民だけを従えてたんじゃ日本の国はもたないのです。世界の人々の心を打つようなミリタントなヒューマニズムというものが日本の中に流れなければ、普通な形の多神教的な日本の宗教から見ても、キリスト教やフイフイ教のように、一神教がすぐれているといいながら、アラブ、イスラエルのあの残酷な、二千年以上にわたる争いを見るならば、宗教というものがいかにはかないかということをわれわれは感じさせられる。もっと私は常識的な、日本の英知に訴えながら、世界を救う、宗教とか権力とかというものでなくて、人々の心を打つような道義的な力というものがやはり世界の人々を納得させるような時代が来る、そういうことに確信しておりますので、あまり小さな尺度でもってはかって、当座間に合うような、天皇を引きずりおろして政治的に利用することだけはごめんこうむりたいと、こういうふうに思いますので、特に国際紛争の中には絶対に巻き込まれないようにさせてもらいたいと、この一点だけを小坂さんに答弁願います。
  33. 小坂徳三郎

    国務大臣小坂徳三郎君) 全く仰せのとおりだと私思います。国際紛争の中に天皇を巻き込ませて、それが日本のみならず世界じゅうのために役に立つということはあり得ないわけであります。特にそうした点について慎重にわれわれといたしましては考えなければならない。また、御外遊につきましても、やはりむしろ平和な時期を選び、平和な時点に、特に私などの個人的な見解でございますが、憲法九条を持つような国の象徴天皇という方が、実際人間としての息づかいをしながら世界じゅうを歩いていただくということはすばらしいことだと私は思うのでございまして、そうした意味での御外遊ということには積極的に私らは考えてまいりたいと思いますが、いま御指摘のような、国際紛争の中の最も熱いクリを拾うような場所に陛下に出ていただくことは慎むべきだというふうに考えます。
  34. 戸叶武

    ○戸叶武君 それでやっと少し安心しましたが、しかし、自民党の中にはいろいろな人があって、元気なのは石原慎太郎なんて方が、あの青嵐会の幹事長ですが、なかなか、統一された哲学はないけど、ひらめきはやっぱり戦後派のおもしろさがあるんですが、彼が雑誌「自由」の四月号にこういうことを書いています。「日本の道義」です。その論文の中に、石原慎太郎さんは、「私は天皇は、新憲法発布の際、或いはサンフランシスコ条約が締結され日本が再び独立国として出発した時、自ら退位されるべきであったと思う。」——天皇退位説をぶっているんです。そのあとで、風聞すれば天皇は退位を望まれたが新しい憲法の制約でそれを許されなかったと、問題を投げかけております。さようなことがあったかなかったかは、一番知っているのはやはり宮内庁瓜生さんと思いますが、この間の消息はいかがなものでしょうか。
  35. 瓜生順良

    政府委員瓜生順良君) まあ、石原さんがどういうような資料でそういうふうにお書きになっているか、ちょっと存じませんのですけれども、想像しますと、天皇陛下が終戦後、昭和二十年の秋、連合軍司令部のマッカーサー元帥を御訪問になっております。その際に、この戦争に関して自分は、責任を十分とっていいと、自分の身はどうなってもよろしいというようなことをおっしゃったというのが出ております。これは、幣原さんがマッカーサー元帥をその後訪問された際にマッカーサーから聞いたということで、雑誌なんかに紹介されておる記事があります。それを私が存じでおります。そういうようなことを、あるいは石原さんは、もとにしてそういうふうに書かれたんじゃないかと思いますが、しかし、新しい憲法ができます際、これは当時まあ占領下でありましたが、まあ民主主義、平和主義というものを十分含んだ、これを将来に保証できるような新しい憲法をつくるということで、まあ司令部側の意向もありましたし、日本側もいろいろ研究して、新しい憲法ができました。その新しい憲法の中で、天皇の問題につきましては、「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」というふうに条文がありまして、皇室典範におきましてはこの皇位世襲のことをきめております。その際に、この皇室典範の第四条には、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」とのみ定められまして、退位をされるということは認められないというような規定になっております。要するに終身天皇であられると、もしも心身に重大な故障があられれば摂政を置かれるということであって、終身天皇であられると、退位というのは認められない規定になっております。これはやはりその当時いろいろ検討されて、先ほど申しましたような新しい憲法をつくるという精神も基本に置きながら考えられたものが、こうした結論を出されたものと私は存じております。で、こうしたたてまえは現在においても尊重すべきものであるというふうに考えております。石原さんの御意見は御意見として、そういう御意見の方もまた相当あるのかと思いまするが、しかし、私たちといたしましては、この新憲法並びにこれに基づく皇室典範のこの精神を尊重したいと思っております。
  36. 戸叶武

    ○戸叶武君 それで、石原さんが問題を提示した天皇退位説と、石原さんはその次に摂政の問題にも触れておりまして、「もし天皇が退位され、幼い皇太子が誰か摂政をつけて即位されていたなら、幼い新帝を擁立し日本人の多くが、新しくより強い連帯感で戦後を開き、新しい天皇の年令が新しい日本社会の」云々というふうに述べておりますが、これは参考だけで、石原さんと私は見解を異にするし、あなたも見解を異にするからこれ以上追及しませんが、そこで、終身天皇、摂政ということのあり方もわかりましたが、ここで私は一つ新しく問題を提起します。  皇太子がことしの正月に不惑の年に達したという御心境を述べられました。不惑の年というのは四十に達したという感想かと思います。日本国憲法八十八条によりますと、「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。」ということになっておりますが、ここで皇室に関する経済の問題に入るにあたって、皇室経済法は第三条に、予算に計上される費用は、内廷費、宮廷費、皇族費と三つに分けられていますが、内廷費は天皇、皇后、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃——現在七方でありますか。
  37. 瓜生順良

    政府委員瓜生順良君) 七方でございます。
  38. 戸叶武

    ○戸叶武君 そこで、天皇国民の一人でございますが、われわれ一般国民の家庭においては、長男が四十歳ぐらいに達した場合には、大体三十前後から独立の生計を営むというような形において、経済的にも独立した家計の運営を行なっているのが通例となっていますが、国民一般の基準を皇室に当てはめることはどうかと思いますけれども、皇室では、不惑の年に達した皇太子の皇室における家族七人のうち、天皇、皇后を除いたほかの五人までは皇太子の一般的な通念で言うならば家族ですが、大家族においてはもちろん両親というものも含まれていますが、そこいらの関係はどうなっておりますか。
  39. 瓜生順良

    政府委員瓜生順良君) この内廷費は、先ほどもお尋ねがあって申し上げましたように、天皇、皇后両陛下、それから皇太子、同妃両殿下、それから浩宮さま、礼宮さま、紀宮さまと、七方の私的な面の日常の諸経費ということになるわけであります。それで、皇太子殿下のほうの御一家の分もその中に一緒に含まれておりまするが、しかし御生活は東宮御所と、別途のところで御生活になっておりまして、その内廷費のうちでお内輪的に予算を立てる際に、皇太子殿下のほうの必要なのはこれぐらいという大体の計算はいたしておりまして、いわゆる部屋住み的になっておられる生活をなさっているというようなことではないのでございます。
  40. 戸叶武

    ○戸叶武君 私が心配したのは、一番最後のところのどうも居そうろうとか部屋住みというのはつらいから、そういう生活をされていちゃ気の毒だと思いましたが、そうでないというから、これ以上問う必要はないと思いますが、そこで、天皇、皇后が先般金婚式をお迎えになった。銀婚式までは簡単にいくが、なかなか金婚式までいく人は少ないので、皇室においても前例がなかったなどと新聞は報じておりますが、前例はあったんでしょうか、いままでになかったのでしょうか、瓜生さんどうですか。
  41. 瓜生順良

    政府委員瓜生順良君) 歴史家に調査をしてもらいましたところ、現職の天皇、皇后両陛下のようなお立場におられて金婚式を迎えられた方は、日本の皇室の歴史にはないわけであります。
  42. 戸叶武

    ○戸叶武君 これは、いまの天皇が狂潤怒濤のあらしの中にあって無心で謙虚で、政治的な何らの野望を持たない権力欲のない方だから、そういう非情な——政治というものは非情です。大平さんが、これはほんとうかうそか知らないが、あるところで、おれがもう少しりこうだったら政治家にならなかったんだがなといって漏らしたのを週刊誌か何かに書いてありましたが、冷酷非情の世界です。日本の皇室を見ても、おそらくはいまの天皇が初めて——ずいぶん殺されたり何かして、ひどいものです。あの梅原猛さんの「隠された十字架」の「法隆寺論」の研究を見ればわかりますように、聖徳太子一家なんかは、山背大兄皇子が天皇、皇后にかつがれたばっかりに、一家族十七人まで土地着きの閥族勢力によってせん滅されております。最近井上さんが書かれた「後白河院」を見てもわかりますように、保元、平治の乱のあさましい修羅の世界というものは、白河天皇、後白河法皇、鳥羽上皇、崇徳天皇をめぐる血で血を洗うようなあさましい姿というものは、皇室をめぐっての政治権力の争奪戦というものがあのような世界を生み出したんで、あんな世界にいてはとてもかなわぬというので逃げ出したのが西行ですが、武門の名門に生まれながら、藤原秀郷の九世か十世ですが、二十三歳の有能な人物が早もう窒息するような世界から逃げ出すような息苦しい時代がいまの日本を襲うていると思います。教育の場と政治の場が日本民族をささえる二大支柱でおるが、金がなければ大学にも入れない。権力を持っていれば金が集まる。どんな悪いことをしても、大きな悪いことをしたんならふん縛られない。法律などできめられているが、今度の参議院選挙では市川さんあたりの調べによると、自民党ではおそらく一億円、二億円ぐらいかかるんじゃないかと、こんなことが平気で行なわれている。よほどずうずうしいやつか押しの強いやつでなければ政治世界には生きていけないようなものが出てきている。これはこんなことがいつまでも続きっこないです。だから、石原慎太郎君の発言で、私は石原慎太郎君というのはずいぶん右だと思ったが、右か左かわかんなくなっちゃったと思ったら、よく見たら、われわれと違って、私なんかは明治の生まれで、しかも明治三十六年二月十一日という昔の紀元節に生まれたんだが、小学校のときは神武天皇の落とし子だなんかとひやかされましたが、(笑声)それほどじゃありませんが、やはりこの石原慎太郎君の生まれた昭和七年の年は日本のファシズムの台頭期です。  昭和五年にあれほどまじめな浜口さんがデフレ政策をやったばかりに右翼に殺されています。昭和七年二月九日には井上準之助が殺されている、ドル買い。また、その後団琢磨が殺されています。血盟団事件、五・一五事件というものが——私は大学へ戻るのがいやで、緒方さんにおだてられて朝日新聞の社会部に入っておりましたが、何にも仕事はしなかったけれども、間違って井上準之助が殺されたときに特だねを取って、特だねを取ると中の新聞記者からあとでつきあいがされないから黙っていましたけれども、私は現場を踏んだからあれがわかったんで、まさかあのときに無名の青年が選挙の立ち会い演説会場で前大蔵大臣の井上準之助を殺すとは思わなかった。こつ然として起きたんです。尾崎行雄と同じく憲政の神とまでうたわれた犬養毅が首相官邸において、話せば、語ればわかると言ったことが間に合わないうちに軍部に射殺されておる。起きてからではすべて間に合いませんが、昭和七年からことしは幾年ですか。一九二九年の世界経済恐慌と一九三二年の世界金融恐慌の時代、あのあらしの時代私はヨーロッパにおり、日本にも帰ってきましたが、多くの人は非常に身近な危機感だけをつかまえて、石油の問題はメジャーとうまく裏でキッシンジャーとニクソンも話しているだろうからこれは片づくよと、石油の問題は片づくでしょう。日本の円の問題は、なに隠しドルが七十億や八十億あるし、外国にもずいぶん投資してあるんだから、それほど心配しなくても通貨の安定はできる、これはおとなの経済学者の言っていることでしょう。しかし、おさまらないのは人心の荒廃です。物の面からだけ見ているとたいへんだが、やはり田中さんでもストレス解消の意味において寒風でもってゴルフをやったけれど、あの寒風に当たるというのが人体には悪いんです。それで口がひん曲がってしまったんです。神経痛というのはこれは無知からくるんです。やはりこういう形でいま私は非常に危機を感じているんです。  問題は、金婚式に戻りますが、金婚式の問題はまあそっとしておいて、要するに元号の問題が、改元の問題がやはり取り上げられております。これも天皇一代という元号制が確立していると見ますから、やはりいままでどおりに、次の天皇になられても元号というものを設けて西洋暦と併行していくつもりですか。どういうふうな段取りになっていますか。これはなかなか小坂さんか瓜生さんでも答えられないかな。まあ小坂さんはじょうずだから……。
  43. 小坂徳三郎

    国務大臣小坂徳三郎君) 現状と同じような——私のまだ個人的な見解でございますが、元号は将来とも存続すべきものであると。したがいまして、現在と同様に国際関係の文書、歴史の教科書等には当然西暦が併用されるという形で、現状のままで進むのがよいのではないかと考えます。
  44. 戸叶武

    ○戸叶武君 まあ、そういうところが常識的なお考え方のようです。  日本国憲法天皇位置づけについてもっと突っ込んで私心配があるので質問しますが、これは田中総理大臣に質問するのが本格的な質問と思いますけれども、田中さんのこの間の発言の中において、われわれ野党が——これは社会党だけじゃないです。野党こぞって——田中首相は最近「日の丸」の国旗掲揚、「君が代」の斉唱を法律で定めて規整する、教育勅語を復活するというふうに強調しております。現代の道義的な規範というものをどうして明治の日本帝国憲法的感覚で教育勅語にまでさかのぼらなければできないのかどうか。どうもあの人はやはり小学校時代の秀才だったから、あの時分の教育からいまだ解放されていない。もの覚えがいいほうなんだそうですが、解放されていないから、こういう不可解な言動をするんだと思いますが、田中首相国会発言は、あの人だけの例によっての思いつき発言かと思ったら、彼がこの間国会において、文部省や総理府とも打ち合わせた上で発言したと言うので、これは内閣全体の責任だと思うんですが、小坂さん、このことは私は相当きびしいですよ。ひとつ答弁願いたい。
  45. 小坂徳三郎

    国務大臣小坂徳三郎君) 田中首相の「日の丸」と国旗のことについてのある程度のコメントは、先般の参議院予算委員会のときに私も出席しておりましたので聞きました。それは事実でございますが、教育勅語のほうのことは全く私は存じておりません。と同時に、ただいまお話がございましたが、総理府と文部省等と打ち合わせをして発言をしたと言われたそうでありますが一私自身にはこの国旗の問題並びに国歌の問題等についての総理からの積極的な意思表示はいまだ一回も聞いたことがございません。また、事務当局におきましても、聞きましたが、そうした事実はなかったという答えでございます。何かの間違いではないかというふうに思います。
  46. 戸叶武

    ○戸叶武君 これまた名答弁ですから、それ以上追及しません。しかし、私は小坂さんの言うことは信ずるが、田中さんの言うことはあぶなくて信じられない。どうもやはり身びいきで、小坂さんも憲法改正発言はしていないと言うが、小坂さんが国務大臣になってから気をつけているのかしれないが、去年あたりからの田中さんの暴走ぶりを見ていると、一昨年のとにかく日中国交正常化まではなかなかやるわい——われわれはずいぶん苦労して、中国を除いてアジア問題の解決はないという形で若いときから中国問題に腐心してきたが、トンビに油あげをさらわれるように、あれよあれよという間に田中さんは問題を片づけていったが、あれに、調子に乗ってかどうか、去年のころから小選挙区制を強行する。あのやり方は、だれが見ても、小選挙区制によって外堀を埋めなければ憲法改正はできないという着想から、憲法改正の外堀を埋めるための小選挙区制度だというので、野党こぞって——野党にもなかなか、野党ほど個性が強いので一致団結できないが、田中さんのおかげで野党が護憲勢力という形において昨年から結集して、いまだくずれずその体制を何とか維持しているのですが、これは私はこの打ち出し方を見るとただごとではない。国民全体が、どこへ行っても聞く、田中さんは少しどうかしちゃったんじなやいかと言うから、うん、あんまりつまらないこと言うんで口がひん曲がったよとは言っていますけれども、これは口がひん曲がった程度では片づかない。これは田中さんと——まああなたに言っても、あなたは承知しないんだからしかたがないから、吉國さんだって相談にあずかっていないだろうが、とにかく国会における言動、異常です。あれ、病院にでも入れなきゃだめです。  日教組攻撃、共産党攻撃、「日の丸」の国旗掲揚、「君が代」の斉唱、教育勅語、まあ気のきいた右翼でもこれはこっ恥ずかしくて言えないようなことを平気でやっているが、これは何か私は右翼の一部から強圧を受けて心が乱れたんじゃないかなというふうにそんたくする面もあるんです。台湾あたりにしきりに右翼の大ものが往来しておりますので、国際情勢の中には非常にきびしいものがありますが、一国の総理大臣となったならば、天皇自身ですらも日本の将来のためならば命も要らない、何にも要らないというふうにからだを投げ出しているような時世に、自分の政権を維持するために、自分の命ほしさに心の乱れを起こしているような人物は一国の宰相たる資格は私はないと思います。このようなことは日本国民だけではない。タイ、インドネシアであれほどひどい目にあっているから反省したと思ったが、あれはエコノミカルアニマルの経済人がやったことだと彼は思っているんでしょうが、諸外国日本の近代国家をつくり上げた偉業及び最近におけるこの経済大国になった、よい悪いにしても実績というものを踏まえて、日本から学ぼうとする面と、もう一つ日本の軍国主義の復活、帝国主義の復活というものに対して神経質なほど神経を痛めているときに、田中さんのような総理大臣が暴走に暴走を続けておるならば、この駻馬に主権者である国民も落とされ、場合によっては皇室も迷惑を受けるというような事態が起きてからでは間に合わないから、自民党の中にも少しは気のきいた人間があるんだろうから、これはやはり田中さんにきびしい忠告を、一人の重盛ぐらいの常識を持った者はいると思いますから、やらないと、いまのような国会発言をやれば、国会の中で、決議で首を取りますよ。  かつて憲政の神とまであがめられた尾崎行雄先生が、大正二年、あの二個師団増設の問題や何かをめぐって軍部が政権をとり、明治天皇がなくなられて大正に改元するどさくさに、府中から入って政権を握った桂内閣に対して、尾崎行雄さんは帝国憲法の時代に、「彼らは忠君愛国を自分の一手専売のごとく唱えておりますが、そのなすところを見れば、常に玉座の陰に隠れて政敵を狙撃するがごとき挙動をとっているのである。彼らは玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸にかえて政敵を倒さんとするものでないか」と演説しております。あの明治憲法の制約の中にあってすら自由民権の伝統の中に育った尾崎さんはこれだけのことを言っています。これはやはり私は心しなければならない。絶対主義的な国家体制をつくらんとするものと、民主的国家、平和国家を維持せんとする護憲勢力が、いまのままでいけば激しい激突を起こすことは火を見るより明らかであります。  私は、いま時間を少し引き延ばしているのは、何とかの都合宮内庁長官が午前中信任状捧呈式が二件ありますので、十二時二十分ごろ出席するというので、五分なり何なり締めくくり質問したいと思って待っているのですが、こういうふうに、田中さんは心得てないかしれないけれども、民心は荒廃し、国会の二十数年にわたる政権を壟断ずるという例は、南北戦争以後におけるアメリカ、イギリスの近代議会政治に転換する前のウォルポール政権以外にほとんど例を見ないのです。いま自民党幕府の政権たらい回しの政権によって、日本の国は柳沢、田沼の悪政以上にとにかく腐れただれておる。大石良雄でなくても台閣の悪政に対して一撃を加えなきゃならぬという者が輩出しないとも限らないのです。大石良雄の行動は王陽明学を学んだやつです。ただ単なるかたき討ちではありません。庶民がこれをもてはやしたのは、悪政に対する庶民の怒りを代表して突破路を、権力に与えた一撃であるところに忠臣蔵がもてはやされたのであります。近代資本主義が生まれる前におけるうつぼつたるこの徳川幕府の時代における変革のきざし、これと同じようなものが昭和元禄の底流にも流れているということを私たちはここで考えなきゃならないと思います。  いま、委員長に、いろいろこまかいこともありますが、宇佐美さんが来るのは十二時二十分ですから、二十分に来たら五分で私はやめますが、それまでやっていてよろしゅうございますか。——それでは、実際は、私は宇佐美さんが早く来ることを一日千秋の思いで待っているのですが……。  それは、日本の平和憲法といわれる現行憲法の源流は、聖徳太子の十七条憲法の和の哲学から発しているというかたい信念を私は持っているのであります。このことを佐藤内閣の末期に、私はちょうど三年前の七月二十二日に、予算委員会でもって一部分、二、三分引用したら、引用が足りないので、歴史学の権威者和歌森太郎君、あのくらいならわかってもらえると思ったら、和歌森太郎だったよ。あの人に次元が違うというような誤解を受けて、毎日新聞で聖徳太子のことをけなして彼が書いているときで、私までついでにやり玉に上げられましたが、聞き違いであったというので、あとは訂正しておりますけれども。  聖徳太子の置かれた時代は、いまよりいやな時代だったのです。現に天皇が二人も殺されている。天皇の後継者になる者が片っ端から殺されていくという時代でありますが、彼が三十一歳かそこらの若さであれだけの憲法がつくれるはずはありません。高句麗の高僧の慧慈なり、百済から来た五経博士の==なり、海外から日本に渡ってきた、あるいは亡命してきた学者を集めて、彼らから学んで、そうしてつくり上げたのがあの十七条憲法であり、十七条というものは維摩詰の十七カ条になぞらえたものであって、聖徳太子の根底にある思想というものは——お釈迦さんが、坊さんにならないけどえらいやつがいるといって、市井の中にいた徳行を積んだ維摩詰を高く評価しておりますが、あの維摩詰の維摩経に触れて、維摩詰と釈迦の弟子の文殊菩薩との問答の中にある梵の哲学を把握したゆえに、あれほどエリート中のエリートでありながらも、エリートという観念を捨てて、庶民とともに日本の和を保とうという精神をぶち込んでいるものです。十七条憲法の第一条に「和をもって貴しとなす」と、和の政治哲学の基本理念を明示し、これに「さかろうことなきをむねとせよ」とさとし、その次に、しかしながら「人みな党ありてさとれるもの少なし」と、いまの日本と回しです。自民党だ、社会党だ、公明党だ、共産党だ、民社党だ——立場立場によってみんなそれぞれの立場を主張しております。当時はもっと素朴でひどかった。当時の人々が飛鳥朝時代の豪族連合体制、国家体制のもとにあって、おのおのそれぞれ徒党を組んでいる現状認識の上に立って、「しかれども 上やわらぎ下むつびて事を論ずるにかなえば 則ち事理おのずから通じ 何事か成らざらむ」と断定しております。これはコミュニケーション、ディスカッション、対話を通じて平和裏に変革は行なわなけりゃならないというあの革命期における彼の哲学の見解だと思うんです。  彼が摂政になって九年目のときですか、神武紀元をつくり上げたときも、周易を研究した上、変革の時代に直面している、武力革命が行なわれるであろうという予感におののきながら、六十年の二十一回転した千二百六十年前に、西暦六〇一年よりさかのぼった千二百六十年前に神武即位の日を決定した。こういうふうな形において武力革命の、大陸の武力的な相克の時代、国内の閥族の相克の時代のまっただ中に立って、そうして彼が、憲法十七条の十条、これが中心ですが、「いかり(念)を絶ち」——心の怒り、「いかり(瞋)を棄てて」——目の怒り、「人のたがうを怒らざれ 彼れ是なれば即ち我れ非なり 我れ是なれば即ち彼れ非なり 我れ必ずしも聖にあらず 彼れ必ずしも愚にあらず 共にこれ凡夫のみ 是非のことわり たれか能く定むべけんや 相ともに賢愚なること わ(鐶)の端なきが如し これをもって彼の人いかるといえども かえって我が失を恐れよ我れひとり得たりといえども衆に従って同じくおこなえ」。これだけの謙虚さを持って——時代は違います。時代は違いますけれども、自分の意見に従えというのではない。大衆とともに論じ、論じ合って、そうして問題を片づけようというこれだけの謙虚さを持って彼が和の哲学を説いたのであって、法律でもって人を押えつけようなどという下賤の徒の考えるようなあさましい考え方は一つも持ってないのです。賢人政治家であった聖徳太子の偉大さ、「我れ必ずしも聖にあらず彼れ必ずしも愚にあらず 共にこれ凡夫のみ」、ここに力点を置いております。  そういう意味において、われわれは今日のときに、ギリシア以来の哲学上の課題はデモクラシーかあるいはオルガニキー史哲人政治か民衆政治かという課題を掲げて今日まで歩きながら考え、考えながら歩んできておりますが、この辺で私たちはほんとうにこの民主政治というものの基盤をつくらなければ、田中さんがいかに力んだって政治はよくなりません。大衆がすべて私は決したときに一つの真の民主政治が起きるんだと思いますが、そういう意味において、田中暴走、民衆をして激発せしめて真の民主政治をつくり上げたという歴史がつくられることも興味があると思いますが、やはり十七条の最後に、これが……。ここでやめて、宮内庁長官がおいでになったと言いますから、宇佐美さんに質問します。  宇佐美さん、あとで速記録を読んでください。重ねて多くのことは申しませんが、もうこれで承って集約にしますが、海外に兵を出して大陸半島の禍乱の中に日本が入っていくか、国内の閥族政治天皇をも殺していくというようなあさましい時世に、ここで武力的な革命を起こすか、たいへんな絶体絶命の中に置かれて、不和の世界で和の哲学を説いていった聖徳太子の十七条憲法の中心は十条であり、それを包むのが一条と十七条ですが、十七条において和の政治哲学を総括してこういっています。「大事は独り断ずべからず必ず衆とともによろしく論ずべし 小事はこれ軽し必ずしも衆とすべからず ただ大事を論ずるにおよびて もし失あらむことを疑う故に衆とともに相弁ずるときは ことば則ちことわりを得む」。これは、これより六百十一年以後にできたイギリスの大憲章といわれるマグナカルタの中に流れている思想よりもはるかに高貴な精神によってつくり上げられております。時代は違います。同じとは言いません。しかし、いまから一千三百七十年前にこの極東の島国において、苦悩の中からこれだけの英知のひらめきがひらめいているのに、あまりにもものにとらわれて、物価だ、石油だ、円だ、ドルだ、すべて重要な問題がありますが、何か非常にたいへんなときが私は来ているような気がするので——あなたは信任状捧呈の式に出て、出られなかったのだと思いますが、あなたを補佐する瓜生さんがまああなた以上の弁護論を展開して、総務長官に匹敵するような名答弁を出してくれましたが、ここで私は、ほんとうに宮内庁は、まああなたは瓜生さんにまかせるようなときをねらっているのかもしれませんけれども、もっとやはり庶民と触れ合っていかなければだめですよ。雲の上におったのでは、人間天皇を宣言した天皇の補佐はできません。文明史観と哲学を持たない、未来を開く創造の意欲を持たない民族は滅びるんです。これは天皇たりと内閣総理大臣とを問わず容赦ありません。一九七〇年代は世界的規模の激動変革の時代です。東西の対立、封じ込めの冷戦時代は去って、東西の障壁は打ち破られましたが、もうイデオロギーと武力だけでは問題は解決できない時代に立っております。日本政治家なり指導者なりの置かれている地位は、東西南北の十字砲火を沿びながら、十字路に立たせられているような立場に置かれているということをゆめゆめ私は忘れてはならないと思うのであります。  そういう意味において、自民党田中内閣、もう相当なことはやっているようですが、やっぱりアメリカニクソン、キッシンジャーのコンビ、日本田中、大平、中曾根——もう一人だれかいたっけな、三木さんか、ああいうコンビも非常にやはりバランスがくずれてきていると思います。日本の中枢がないんです。国民主権者だから国民にまかせりゃ安心ですが、この過渡的な時代に、日本憲法というものをほんとうに理解して、天皇が身をもって——戦争の責任をだれも負う者がなくて、おもちゃのピストルで東条も自殺をはかるなんていうあさましい時代に、天皇みずからが一切のはずかしめを受けてマッカーサーと対決したじゃないですか。八月十五日に私はあの放送を聞いて、いなかで、ほんとうに泣けて泣けてしょうがなかった。日本の国にだれもまずいときには責任を負うやつがいない。しかし、殺されてもいい、国民に捨てられてもいい、何とかして日本の未来を救うために役に立とうというあの飽くなき人のよさ、無心ないまの天皇というものは、世界の私は王さまの歴史の中において比類のない人だと思うんです、そういう意味において。私はいまの憲法を守りたいんです。そういう意味において、私は、国内の政争なり、国際的な紛争なりの中に、あれだけ身を殺して仁をなすということを実践した人はいないんだし、それからしかも憲法の詔勅、いまもう時間がないから引用しませんけれども、天皇みずからの責任で日本国憲法はつくり上げたんじゃないですか。いろいろな知恵が、マッカーサーのいろんなものがあります。けれども、流血の惨を見ずして憲法改正なかなかできないんだ。敗戦という悲劇の中から、悲しいかな近代国家としての憲法の体制をつくり上げたわけです。ワイマール憲法よりも、その中には日本の歴史がこもっている。私は、そういう意味において、いまの平和憲法の源流は聖徳太子の和の哲学から発していると言うんだ。しかし、道義的な国家をつくり上げようとするならば、さかしらの者どもがじゃまにして聖徳太子一家をせん滅するような悲劇をあえて行なう。こういうときに私は、皇室を守る人として、宇佐美さん、やっぱりあなたのほんとうの決意を承りたい。  そうして皇室の中にもっと新鮮な血と——美智子さんなんか入ったこともいいことです。イギリスじゃ、カンタベリー物語も——ああいうことはありますけれども、やっぱり粉屋のお嬢さんが天皇家に入ったなんというのはけっこうなことです。同族結婚は滅びるんです。それは血だけじゃありません。精神的にも、山岡鉄舟のような硬骨漢を宮内庁に入れて、そうして皇孫なり何なりでも、相撲でも取ったら地べたへたたきつけて、ぎゃあぎゃあ泣くぐらいな、気骨を発揮する者があり、また天皇の側近にあって歴史を書く者が、司馬遷が史記を書くように、自分の大切なところを抜かれても自分の真実を歴史に残そうというだけの気魂のある、御用学者じゃない、茶坊主じゃない者を集めたり、そういうもっとおおらかな一つ日本の皇室にしないと、あまりしゃっちょこばってしまって、あなたも国会にも出ない。まあ宇佐美さんは、瓜生さんといういい子分があるから、あれで間に合うという程度で済ませるんでしょうが、またそれ以外に、天皇のそばにいていろいろな用事があるのはこれは重々わかります。もっと雲の上から地上に、人間であるならば天皇はおりてこなけりゃ、屈託なく世界も歩けるように、アメリカがもっと平和になってワシントンの——屋敷にある桜以上にポトマックの花がもっときれいに咲くようなとき、あるいはアメリカの建国二百年祭が間もなくある。それまでに、アメリカのインテリは、おそらくはニクソンがかわるだろうと言いますが、人のことまでよけいなことを言いませんけど、こういうふうに世界じゅうが大きな変革を期待しているようなとき、一つの皇室を守るんだというしゃっちょこばったかみしもを着ないで、どうぞ心して、一つの側近者として、十分世界の動きを見詰め、国内の動きを見詰めて善処しないとえらいことになりますよということを私は警告したかったんだが、宇佐美さんというのは聡明な人で、やはりものごとは心得ていると思いますが、瓜生さんからあとでよく聞いていただきたい。  いまのいろんな問題が皇室をめぐってやはり問題になったから、私は皇室の問題に触れるのいやだったけれども、そっとしておきたかったんだけれども、田中さんのほうから挑戦を受けちゃったんで、やはりわれわれはけんかっぱやいから、売られたけんかなら買って出ようという形で出たんですが、どうぞあなたのいまの皇室のあり方に対する御見解を承りたい。
  47. 宇佐美毅

    説明員宇佐美毅君) いま仰せのとおり、ちょっと公務がございまして、たいへんおくれましていまの御熱心なおことばも終わりのほうしか伺っておりません。したがって、どういうふうに申し上げていいか、いささか迷うところもございますが、お話のとおりに昨今の情勢というものは簡単なものでないことはわれわれとしてもはっきりとわかっているつもりでございます。ただ、私どもの任務は、あくまでも皇室をやっぱり守るということはどうしても私どもの使命でございますし、しかし、その守るということがいたずらに旧慣にとらわれるという意味でないこともこれもわかっているつもりでございます。  ただ私は、いつも思いますことは、皇室というものは国民全部によってその象徴たる地位に立っておられます。したがって、常に国民のまん中に立っていらっしゃると私は思います。ですから、あまり先頭を切っていく立場でもございませんし、おくれてもいけない立場であるということを常に考えております。したがって、社会の進展、変化に伴いまして、皇室がとまっていたらおくれてしまいますし、進み過ぎてもいけないということは確かにあると思います。これを具体的にどういうふうにあらわしていくかということは、何も議論をするんでなくて、日常のことで示していくべきものであろうというふうに私どもは考えております。私どもは、おしかりを受けるとどうかと思いますが、天皇陛下は常に雲の上においでになるとも思いません。私どもは常に国民のほうを見ていらっしゃると思いまして、国民とともに歩むというお気持ちはおありだと思います。ですから、私どもはそういうことで具体的な場合にどれをどう表現するかということを常に、まことに不敏でありますが、考えているつもりでございます。そういうわけで、今後世の中がどう変転するかしれませんけれども、私どももおそばにおる者としては重大な決意を持って進みたいと考えております。  まあ、どういうふうに具体的に申し上げていいか、いろいろ仰せがございましたが、結局民主主義というものは、仰せのとおり、非常に和というものが根本であるということは私も常に思います。ですから、ただ議論ばかりに走ると、イデオロギーだけで進むということでなくて、議論はすべきでありますが、きめるときには和をもってきめるということにならないとうまくいかないと思います。ただ一人の人とか若干の組織とかいうだけでは守り切れないことであろうと思います。私どもはそういうつもりで外に対しても内に対してもつとめていきたいというふうに思います。たいへん抽象的でございますが、私どもも仰せのような重大な時期にあることを頭に持って進んでいきたいと存じます。
  48. 戸叶武

    ○戸叶武君 時間が来たから結びたいと思いますが、きょうは四月二日です。去年の今月のきょうは、私は参議院の交通安全対策特別委員長として大阪の交通事情を調べに行きまして、そのついでに金剛山の下の南河内の弘川寺に西行がなくなっているので、あそこの山桜を見に行きましたら、ちょうどきのうから桜が咲いたというところでした。非情な世界をのがれた、あの人の歌った歌の中に、辞世といわれていますが、「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」という歌がありますが、定家卿や、東大の植物学の権威である名誉教授の本田正次博士も桜の歌を歌ったと言っておりますが、あれは桜じゃありません。「そのきさらぎの望月の頃」ですから二月です。二月十五日はお釈迦さんがなくなった仏滅の涅槃の日です。眠るがごとく大往生をあの戦乱の時代に遂げた、その翌日の十六日に西行は死んでいるんですから、おそらくは自分で座禅を組んで、そして自分の安楽死をやったのかもしれませんが、やはり聖徳太子でも、西行さんでも、あるいは水戸黄門でも、みんなそれぞれの時代に苦悩し、模索して、庶民と接して、庶民の心をくみ取って生きたので、単なる歌よみでもなけりゃ単なる政治家でもなかったのだと思います。どうぞ天皇を補佐するというところにだけ力点を置かないで、もっと自由に、屈託のない、やましい心を持たないで、自然に伸び伸びといけるような——教育というのは、教育しないことなんです。押しつける教育をしないことです。法というものは、法を乱発しないで、鎌倉時代、法三章で治めたいと言ったように、いまのように何でも権力と法でふん縛って、抜け道はありますよというやり方が道義の退廃の根源です。  そういう意味において、私は本居宣長が、「敷島の大和心を人間はば 朝日に匂ふ山櫻花」と歌っているのは、花だけじゃないんですよ。山桜というのは花と一緒に浅緑の葉が出てくるんです。あそこへ朝日がぱっと来たところはすばらしく美しいと、変なぎこちない武士道を歌っているんじゃないんです。おおらかな雅やかな心を歌っているんです、歌の中に心ありで。どうぞそういう意味において——大体皇室を追っ飛ばされた私生児みたいな形で、天皇家の出であっても逆境で育った人は、一体にしても、あるいは佛国国師にしても、すばらしいやっぱり天才的な存在ですが、一体の歌に、「年ごとに咲くや吉野の山櫻 木を割りて見よ花のありかを」——庶民の心に触れれば、すばらしいものが宿っているんで、どうぞ、そういう地下水をくみ上げるような一つの役割りを果たしていってもらいたい。  これをもって私の質問——言いたいことはありましたが、時間がありませんし、ほんとうに言いたいことは、九日の予算の総括の際にあらためて田中さんとあなたには申し上げることにします。  これをもって終わります。
  49. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 本案に対する午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時三十分より再開することとし、休憩いたします。    午後零時三十六分休憩      —————・—————    午後一時三十六分開会
  50. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、皇室経済法施行法の一部を改正する法律案議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  51. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 私はすわったままで質問をいたしたいと思いますので、どうかそのままでお答え願えればよろしいかと思いますので、よろしくお願いいたします。  桜の花はいま日本全国に咲き始めて、花の四月だと、自然界では非常に美しいそのときでございますが、人間界のほうでは、狂乱物価の再開発の月だともいわれておるわけですが、こうした中で、先ほど宇佐美長官もおっしゃっておられたようでございますが、昨今の情勢は簡単ではないというふうに御答弁の中にございました。そのとおりだと私は思うわけでございますが、百円ガソリンの登場ということになりましたし、ガソリンを取り上げてみましても一年前の約二倍に値上がりをしておりますし、新学期から給食費も学用品も大幅に値上げをしていくという時代、百八十万人以上といわれているそのお子さんをかかえられた親御さんはたいへんな新学期を迎えられるということになるわけでありまして、またもう一面考えてみますと、きょうの新聞等でもにぎわしております飼料の高騰から加工原料が値上がり、牛乳やバター、チーズ、育児用のミルクの値段も、これは一応は凍結品目ということになっておりますが、メーカーはこの値上げに踏み切らざるを得ないだろうというようなかまえも見せておりますし、こういう先ほど申し上げました狂乱物価の再開発の月と、これからどんなふうに行き先がなっていくやら、春闘を踏まえてのまことに緊迫した憂うつな人間界の今日の情勢だというふうに見るのは私だけでないと思います。  このときにあたって、いま審議をいたしております皇室経済法施行法の一部を改正する法律案、この予算措置は、お考えのときの予算編成の時点というものはいつの時点でおやりになったのか、またこの先わからない物価高騰に対する考え方が織り込まれて予算措置をされたのかどうか、まずその点を宇佐美長官のほうから御答弁を願いたいと思います。
  52. 宇佐美毅

    説明員宇佐美毅君) すわったままと仰せになりましたが、立ったほうがお答えしゃすうございます。  ただいま提案いたしております、御審議を願っております内廷費、皇族費の計算は、昨年の予算編成のころから検討をいたしておるところでございます。この内廷費、皇族費の増額というのは、昭和二十二年に初めて内廷費が八百万円、それから皇族費の定額の基礎になりますのが十五万円ということであってからすでに十五回たぶん改正になっておりますが、いずれもそのときの物価の上昇並びに人件費の上昇の率をかけて今日に、大体そういう方針で来ているわけでございます。  二、三年前の国会におきましても、何かもう基準をつくってはどうかということから、そういう御発言がございましたので、皇室経済会議議員の方を中心に懇談会を開いて御検討願いまして、結局この計算の中に一応一〇%の予備的な経費を毎年でございます。これをこえた場合には出す、提案をするということで方針をきめていただきまして、それにのっとって最近は大体一年おきということでございます。で、一昨年増額をお願いいたしましたが、もうことしはその限度に参りまして御提案申し上げているわけでございますが、その後の上昇率というものは予想以上に大きいというふうに思います。どのくらいになるかわかりませんが、節約を加えまして、いま申し上げました一〇%の余裕の範囲内でおさまればよろしいと思いますが、いまわれわれの心配しておりますのは、もう二年は待てないぐらいに騰貴をしているというふうに考えております。いま提案しておりますことでは、ことし一ぱいぐらいはどうにかやっていけるという一応の見込みは持っておりますが、今後の推移いかんにもよります。そういう状況でございます。
  53. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 そうしますと、一年ぐらいは見通しができるけれども、そのあとは見通しがつかないというお答えですね。もう一回確認をしておきたいと思います。
  54. 宇佐美毅

    説明員宇佐美毅君) いまお答え申し上げましたとおり、最近の物価上昇が非常に激しゅうございまして、この趨勢がだんだん落ちつくかどうかということでございますけれども、現状から考えますと、なかなか、毎年お願いするような状況になるのか、あるいは将来どうなるかということのちょっといま見当がつきかねます。大体私どもは、内廷費、皇族費というものは法律できまった額でございまして、これは一種の定額的なものであって、そうしょっちゅう変えるという精神では立法の当時はなかったんじゃないかというふうに思います。ただ、イギリスのように二十何年間も据え置くというようなことは無理かと思いますけれども、しかし、最近のような激しい変転がございましてはそうはいかないというふうに考えております。
  55. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 念のために、四十九年度の本案の策定のために物価指数をどのように押えておられたのか、その点も伺っておきたいと思うんです。
  56. 宇佐美毅

    説明員宇佐美毅君) ちょっと経済主管のほうから申し上げます。
  57. 野本松彦

    政府委員(野本松彦君) それではお答えいたしますが、物価指数につきましては、前回四十七年度に定額改定いたしておりますので、四十七年度改定以来四十八年の十一月までの物価指数の上昇率を見ますと、物件費につきましては一六・五%上がっているという状態でありますので、その数字をとって改定の計算をいたしております。
  58. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 そうしますと、四十七年が一一一・四%と物価指数をしておりますね。今回は一六%の上昇率だといいますと、そうするとどういうふうになるんでしょうか。
  59. 野本松彦

    政府委員(野本松彦君) 四十五年を一〇〇といたしますと、四十八年の一月から十一月までの平均が一二三・六になりまして、四十六年の一月から十一月の平均が一〇六・一になりますので、この二年間をとりますと、四十七年の改定時期を基礎といたしまして一一六・五になりますので、一六・五%のアップ率をかけております。
  60. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 宇佐美長官が、一〇%を基準にして予備費の経費を取っておいて、これでまかなっていこうという先ほどの答弁から考えますと、だいぶん低く見られているんじゃないかというふうに心配をいたしますが、この点どうなんでしょうか。
  61. 野本松彦

    政府委員(野本松彦君) 内廷費の定額の改定におきましては、内廷費の使途といたしまして物件費のほかに内廷職員等の人件費の部分もありますので、物件費の部分につきましては、いま申しました二年間の一六・五%という率をかけまして、それから人件費の分については、国家公務員の給与改善率、二年間の改善率をかけまして出しておりまして、それを総合したものについて一〇%の臨時的あるいは予備的経費といいますか、見たものを合計いたしまして算定しております。
  62. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 それでいいのかどうなのかということを聞いているわけですが。
  63. 野本松彦

    政府委員(野本松彦君) そういうふうにして最近改定の率を出しておりますが、物価の上昇、人件費のアップ率が急激になってまいりますと確かに非常に苦しい面もありますけれども、一〇%増額見込みまでの間は何とか人件費、物件費の関係——物件費の部分は物件費に使わなければならぬとか、人件費の部分は人件費に使わなければならぬということではありませんので、全体の定額の中で弾力的に運用して一〇%のアップの間は何とかやりくりしていく、まかなえるということで見込んでおります。
  64. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 一面では、非常に多額じゃないか、多額な予算を組まれているんじゃないかという声もなきにしもあらずでございます。いま御答弁のように、宇佐美長官も、一年ぐらいまでは自信が持てますが、あとはこの異常な物価状態の中では非常に困難だというふうなお話だった。したがいまして、この辺を私は明らかにしておかなければいけないんじゃないかと思うわけです。それで質問をしているわけであります。  そこで、皇室経済法の第二条のこの点について具体的にひとつ説明を願いたいと思います。第二条、私が申し上げることもありませんが、「左の各号の一に該当する場合においては、その度ごとに国会の議決を経なくても、皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が財産を譲り受け、若しくは賜与することができる。」——一、二、三、四とございます。この一、二、三、四号の内容について御説明を願いたいと思います。
  65. 宇佐美毅

    説明員宇佐美毅君) この条章は憲法第八条に対する一つの何と申しますか、取り扱い上の限度をきめた規定でございます。憲法では、皇室のほうから下さるとか、あるいは一般国民から受けるという場合は一々国会の議決を経なけばならない。厳格に申しますと、菓子折り一つでもという議論も出てくるわけであります。それではとても日常生活上非常にむずかしうございますので、一定の範囲をきめまして、その間までは国会の議決を一々要しないという精神の問題でございます。  ただ、ここにございますように通常の対価に基づく私的経済行為、これは物を買う場合とかいうことでございますが、これが正当の値段のものであるならば議決を要らないと、あるいはこれが贈与を非常に含んだような価格になると問題があるという意味だろうと思います。  それから外国交際上の儀礼上の贈答という場合でございます。例を端的に申し上げますと、たとえば外国に皇太子殿下がおいでになって、どこかの元首から記念品をいただかれると、これは一体幾らでございましょうかとかいろいろやるわけにまいりませんので、こういう問題につきましては、公の交際としてこれはよろしいという精神でございます。  それから第三号は「公共のためになす遺贈又は遺産の賜与に係る場合」、これがあとで追加になっておるんでございますが、これは具体的に申し上げますと、貞明皇后がおなくなりになりましたときに、御遺産をいまのらいのための藤楓協会に寄贈されるということでございますが、それがいまの制限額をこえる問題がございましたので、これを一々国会を経てそれから下さるというようなことになるわけでございます。それでこういった公共のためにする遺贈というものは一々国会の議決は要しないということをそのときから入っているわけでございます。  それから個々の場合を除きまして、総額が一年間に一定の限度、別に法律できめます限度をこえるまでの間はそれは議決を要しないということでございまして、現在におきましては、内廷費におきましては九百九十万、それは贈与をなさる場合、それから一般から受けますほうはその三分の一の三百三十万という規定でございます。これは最初から物価の騰貴もございまして、一度御審議を願って増額になっておるわけでございます。最初はたしか百五十万と二百五十万だったと思います。
  66. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 いま御答弁がありました、その「一定価額に達するに至るまでの場合」というのは、施行法の第二条の御説明のいまございました分ですね。要するに施行法の第二条、「法第二冬第四号の一定価額は、左の各号による。」ということ、「天皇及び法第四条第一項に規定する皇族については、これらの者を通じて、賜与の価額は九百九十万円、」——答弁、これでございますね。それから「譲受の価額は三百三十万円とする。」と、なお二号としては、「前号以外の皇族については、賜与及び譲受の価額は、それぞれ九十万円とする。ただし、成年に達しない皇族については、それぞれ二十万円とする。」というこの施行法でございますね。これに順じてやるということなんですが、いま御答弁がありましたように、最初は昭和二十二年、内廷におかれては最初は百一十万円、これを見てみますと、改正されているのが大体約三年おきぐらいになっているように思えるのです。といいますのは、二十七年の二月に三百七十万になっております。それからさらには三十九年には六百五十万というふうになっております。それで四十七年には九百九十万という形になっておりますね。さらにもう一つ、その皇族のほうの面を見てみますと、やはり同じように約三年ぐらいの間に幅が設けられてそれぞれ引き上げられてきております。二十七年十五万円、最初が十五万円ですね。それから六十万円、それから四十七年の四月には九十万円というふうになっておるように私は資料を見て言っているわけですが、この形態の状態と、先ほど御答弁ありましたように、一年半ぐらいずつでこの内廷費、皇族費の面は引き上げられているという点ですね。なぜこちらの法第二条第四号についてのきめられているものを変更していけないのかということ、まずお伺いします。
  67. 宇佐美毅

    説明員宇佐美毅君) 最初に、先ほど改正がたしか一度と申し上げましたのは思い違いでございまして、いま仰せのとおり三回改正になっているわけでございます。  まあ、いろいろ考え方もあると思いますけれども、とにかく憲法自体におきましては、一々議決を経ろという基本的な問題がございます。ですから、そういうような賜与が多く行なわれるということはあんまり予想してないんじゃないだろうかという感じもするわけでございます。で、私どもといたしましても、たとえば内廷費は日常必要なる経費となっておりますから、非常に余裕があっていろいろ下さることが楽にできるというような感じをあまり出したくないと。ですから、非常に物価が上がりますと苦しくなりますが、最初百二十万でございまして、その後非常に贈与のほうについて苦しくなりまして、その当時、毎年特別な議決案をお願いして金額を少しよけいにしたという記憶がございます。しかし、それも、そればかりでもいけませんので、ときどき法律そのものを改定していただいたわけでございます。いまのところ特にいろいろ下さるという方面も——災害だとか、何かのお見舞い金とか、何かいろいろそういうのが入ります。これも災害が少ないとそう多く出ませんし、いろんな点がございまして、いまのところすぐお願いしなくてもいいんじゃないか、もう少し情勢を見てからという考えでいまおるわけでございます。
  68. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 それはそれで、それなりに非常にいいと思います。ですから、私が心配するのは、長官も御答弁の中で、昨今の情勢では簡単ではない——その簡単ではないということばの短い中にいろんなものが伏在されていると思うんです。意の中のことを全部おっしゃられないで、ただ単なる簡単でないということば表現をされたと思うんですが、いま賜与の問題につきましても、相当な貨幣価値といいますか、それが低下してきておる。一説では一万円が四千八百十五円ぐらいじゃないかなんというようなことまでいわれているぐらいの時代。やはりそういう面からこうずっと考え合わしてみましても、御遠慮しながら御答弁があったようですけれども、やはりそういう異常な物価高というものを踏んまえての中で今回の法案も改正されたということになれば、順序とすれば、当然施行法の第二条の面につきましても一考すべきじゃなかろうかなと思ってよけいな心配をしたわけですが、いま御答弁がありますようならば私はいいと思うんです。  そういうこと等を考え合わせまして、次にお伺いをいたしたいのは、内廷費の定額及び皇族費の算出基礎となる人件費という、先ほど野本経済主管の御答弁がありました、物件費と人件費という面の二手に分けられてありまして、人件費のほうは公務員並みの考え方で進めておくということなんでございますが、あまり立ち入ってはどうかと思いますが、行政職のあの給与法から見て大体不自由ないというふうに考えてよろしゅうございますか。
  69. 宇佐美毅

    説明員宇佐美毅君) これはもう過去を顧みますと、いわゆる内廷に属する人あるいは皇族費に属する職員というものは一般公務員に追いつかない時代が相当ございました。しかし、これは同じように働いている人たちにまことに気の毒でございますので、現在では公務員と同様に扱っております。ですから、公務員よりも高いこともございませんが、低くないということでございます。退職金等も内廷でございますとか皇族費から出さなきゃなりません。これは非常に一時にまとまる数字でございまして、この問題については、ときにややこしい問題も出ますんでございますけれども、近ごろはそれもいろいろそういう準備金的なものを置きまして、普通の公務員までの退職金を出すというような方向でやっておりまして、この点について一般に不服はないはずでございます。  ただ、違いますのは、いわゆる昔の恩給とか年金制度がないわけでございます。これも非常に人数が少数でございますので、特別のあれを立てるということはなかなか困難でございます。ただ、保険会社の年金とかいろんなものを利用しまして、なるべく不利にならないように努力しておりますが、そういうわけで、近ごろもう公務員が上がりますと同時に上げなきゃならないということでございますので、私的経済のほうでもそれだけの準備をしておかなければならないどいうことでございます。
  70. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 内廷職員は何名ですか。各宮家の職員は何名なんでしょうか。
  71. 石川一郎

    説明員(石川一郎君) 内廷の職員は掌典とか神事のことを扱う方、あるいは生物学の御研究、そうした関係の仕事に携わっている方、その他もろもろの方がおりまして、全体では二十五名ということになっております。それから各宮家につきましては、宮家によって数が多少違いがございますが、総体では三十一名でございます。これは宮家限りの職員でございます。
  72. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 宮家限りとおっしゃいましたけども、そのほかにどういう人がおいでになるんですか。
  73. 石川一郎

    説明員(石川一郎君) 宮家でも公の仕事がございますので、その面につきましては国家公務員の職員が配置されておるわけでございます。
  74. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 先ほど御答弁ありましたけど、人数が少ないから恩給または年金の制度というものがない。それから退職金の規定もないわけですね。退職金に対する規定、そういったようなものもあるんでございますか。それもないんでございましょう。
  75. 宇佐美毅

    説明員宇佐美毅君) 規定はございませんが、大体公務員の計算方法に準じているということでございます。
  76. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 いずれにしましても、いろんな事情をお伺いしようと思いますんですが、これはまああまり深く入ってもしようがないと思いますので、この程度でやめますけれども、将来これはまた恩給とか年金とかというふうなことを、ちゃんとしたものをやはり法制化していくとかというような考え方をもっていくようにしていかなきゃいけないんじゃないかと思うんですが、この点どうでしょうか。
  77. 宇佐美毅

    説明員宇佐美毅君) 公務員でございません私的な使用人でございますので、法制的にこれがやれるかどうかはよほど研究してみなきゃなりませんので、非常にむずかしいんじゃないかなという感じがいたします。しかし、何とかその方途を立ててやりたいとは思うんでございますが、そういった非常にまたそのために多額のものが毎年出ていくということになると、いろいろまた財政的な基礎的な準備が必要じゃないかというふうに思います。
  78. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 私もそれはわかります。非常にむずかしいということはわかってきますけれども、これは例にはならないだろうと思いますが、参考に申し上げてみますと、炭鉱なんかで働いている組夫という人たちがいるわけですが、これは労組に入っていないんです。非常に不利な条件のもとに仕事に携わっているという、一番危険なまた作業をやっているのがその人たち、最先端に立って石炭を掘っているわけなんですが、その人たちというのはやはり労組からも相手にされていないような形になっております。それも組に雇われて流動的な面があるから、組合の中にも入れられないんだなというような考え方もあるようでありますが、いずれにしろ、少数な人だからというふうなことでなく、何らかの方法を将来は考えられていくのがいいんじゃないかと、こう私は思いましたのでお伺いしたわけですが、そういうことをひとつ踏んまえられて将来の考え方というものをおきめになっていったほうがいいんじゃないかという、これは私の意見でございますけど申し上げておきたいと思うわけです。  それから課題を変えまして、建設省の方はおいでになっていますか。——吉田都市局長さん。この風致地区の法の精神といいますか、その風致地区という法の精神というものをどういうふうにおとらえになっているか伺っておきたいと思うんです。
  79. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) 風致地区は都市計画法の制度の中に取り入れられているわけでございますが、これは都市の風致を維持するための制度、一口に言えばそういうことであります。したがいまして、現在風致のよろしいところ、公園とか、社寺院とか、あるいは水辺とか、樹林地とか、眺望のいいところとか、そういうところが大体指定されておりまして、具体的な風致の維持のための制度としましては、各県の条例をもっていろいろな風致を破壊しそうな行為についての制限が行なわれておる。要するに、知事等の許可を要することにして極力風致を維持しようという制度でございます。ただ、町中で指定されていることが多いわけでありまして、そこにはいろいろ都市的な土地利用というものが数多くあるわけでありまして、そういうものとこの自然的景観、この調和というものをはかりつつ、いわば受忍の限度内で規制していこうというものでありますので、他のたとえば緑地保全地区とか、国土保全の特別指定地区のような非常に厳重な規制というわけにはまいらない、そこにおのずから限度があります。しかし、法の趣旨としては、そういう調和点を見出しつつ極力風地の現状を保存したい、こういう趣旨の制度でございます。
  80. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 そうしますと、いまの答弁を詰めまして確認をするわけですけれども、町の中にあって調和をはかっていくために、限度内の規定の中でやっていくことであり、したがって、厳重なことができないというふうな御答弁もありましたけれども、これを極力風致地区の考え方、精神に沿ってやっていこうというふうな御答弁だと受け取っていいですか。
  81. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) そのとおりでございます。
  82. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 そこに、あいまいな、厳重なことができないというようなことから、現在の風致地区、東京都の全体の風致地区の実情というものを掌握されておられますか、監督行政の上からいきまして。私もこの地図をいただいておりますが、これを私が広げて見せるまでもございませんけれども、こんな大きな地図がございます。こういうふうに色分けが全部してございますが、この実態を、今日の実態というものを局長は御承知ですか。
  83. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) 東京都内にも数としては十五地区ぐらいの風致地区が指定されておりまして、東京都の条例によって、先ほど申し上げましたような内容による規制が行なわれているわけでございます。場所によりまして風致地区による規制の限界もありますから、次第に建築物が建蔽していくというような実態もあるわけでございまして、これは必ずしも東京に限らず全国そういう点はないわけではございません。しかしながら、とにかくも許可制をもって極力押え、あるいは相談にあずかりつつ指導するというようなことによりまして、風致地区をかけない場合と比べればそれなりの目的は果たしている。規制内容をあまりきつくいたしますと、これはその点では非常にいいのですけれども、何ぶんにも民有地が非常に多いわけでありまして、あまりにも厳重にすれば、ひいては指定自体がしにくいという逆な面も出てまいりますから、私どもとしては、風致地区の制度自体は、従来からあるこういったことで満足せざるを得ない。もしもっと厳重に一切建築を押えるというようなことであれば、そのための別の制度もあるわけでございますから、しかし、そのためには買い取り請求に応じたり、補償したり、そういったことも必要になってきますし、またそういうことがあるにしても私権の制限は非常にきびしいものになりますから、どの程度大幅に指定できるかという問題もありますが、一応政府としては別途のものに切りかえるということが必要だろうと思います。
  84. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 これは民有地が多いから、もしそれを厳重に規制するようだったらば別の法律でやらなければならないというような御答弁ですけれども、何のためにこの風致地区という法律をつくられたかというこの基本精神の上から考えていきますと、だんだんと風致地区が侵されながら放任をされていくという形は、先ほど来の御答弁があるように、厳重なことが一面ではできないからというふうなことでくずされていっているというふうな私は現状じゃなかろうかと思うのです。そういうことをゆるめておけば風致地区なんか必要なくなってぐると思う。それ、必要ないんです。現にこわされてきているところがあるように私は見受けるのです。で、私は資料としてこれをいただきました。地図をいただきましたけれども、この地図はいつごろの地図かわからないのですけれども、いまそちらへ行ってお見せしましようか。今後お伺いしなければならないものはお見せして……(資料を示す)これは私が説明申し上げるまでもなく、これが弁慶橋の地区ですね、ここのこのかどのほうですね、この面通りでないように私は思うのです、すでに。この辺も、この辺も……。この図面がいつごろの図面なのか、与えられた図面を見まして、ちょっとわからないのですが、この点についてひとつ。
  85. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) ただいまお示しいただいたのが弁慶橋の地区の風致地区でございますが、この地区には風致地区の中にホテルなども建っておりまして、できるだけ大きな建築物を押えようというような、そういうことによって風致を保全したいという趣旨から見れば、必ずしも満足すべき状態に現在保全されているとは言いがたいという点は御指摘のとおりだと思います。しかしながら、風致地区の制度があったからこそ東京都においてもホテル建設の際にいろいろな条件を示し、話し合いを経ましてこれを許可しているわけでありまして、もしその風致地区の規制がなければ、もっと樹木も破壊され、あるいは別途の土地利用になっていたかもしれないということを考えますと、私は、はなはだ手ぬるいようではありますけれども、風致地区の制度としては、もともとそういった補償とか買い取りの制度なしの受忍義務というものにささえられた制度でありますのでやむを得ないんではないかと——やむを得ないという意味は、完全には保全しきれないけれども、そのかわり相当大幅に指定できるということであります。しかし、そんなに大幅に指定できなくても、ここぞというものを守らなきゃならぬという場合には、たとえば前国会通過いたしました都市緑地保全法による緑地保全地区、これは風致地区でも核となるような場所などにつきまして指定要件にも合致すると思われますから、そういうものにあえて指定することによって、その後現状凍結的に保全するということを考えることが妥当ではないかと、こう思います。     —————————————
  86. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) この際、委員異動について御報告いたします。  本日、源田実君、今春聴君、岩間正男君が委員辞任され、その補欠として高橋邦雄君、竹内藤男君、小笠原貞子君が選任されました。     —————————————
  87. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 それから先ほどの図面のことについて御答弁なかったんですが、これは建設省じゃ都から毎年この実態というものを、図面と同時に掌握されておられるんですか。都のほうの責任でやっていると言われますけれども、建設省としては当然知らなければならないし、また図面上においてもどの程度に変革されてきているのかということも承知しておかなきゃならないんじゃないかと思うんですがね。この点どうなんですか、御答弁なかったんですけれども。
  88. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) 前にお手渡しいたしました図面そのものが、いつ現在のことが記入された、地図の上に緑で区域を表示さしてもらったのかちょっと私直接に存じませんけれども、風致地区はこの地図の上でどの範囲にどういうふうに指定されているかということは間違いないはずでございまして、その中がどういうふうに建物が建っていくかという条件については、必要に応じ私どもも都から取り寄せて掌握いたしておるわけでございます。
  89. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 一応この際どんなふうに変わってきているかということを、総点検と言えば大きいことばでございますけれども、それぐらいのことをやって、そして先はど御答弁にありましたような緑地地区の緑地の保全地区というものをきめていかれるという見地の上からでも、これは当然やっておかなきゃいけないんじゃないかと思うんですが、この点どうでしょう。
  90. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) 風致地区の最近の土地利用の変動状況につきまして早急に調べたいと思います。
  91. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 調べたものをひとつ御提出願うように、委員長、お願いしたいと思います。
  92. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 資料として提出できますか、ただいま御要求の。
  93. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 時間がかかるだろうと思いますが。
  94. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) 少しお時間をいただきまして概要提出できると思います。
  95. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) それじゃ委員会に資料として提出くださるようにお願いします。
  96. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 東京都の風致地区の条例というのも私参考にいただきました。それによりますと、第一種、二種に分かれているように見えるんですが、この風致地区の法律の面からいきますと、第三条の一項の二に該当するところだけが分かれているように思うんですが、これはどうなんでしょうか。分けられたあとは、その辺どうなんですか。——私の質問の中でそういうことを前もって言っておりませんものですからね、いまお調べになっているだろうと思いますが、それはあとにしましてけっこうです。  なぜこういうことを私が伺っているかと言いますと、皇居を中心にして、皇居をずっとめぐっていきます堀の問題につきましても問題点がありますしそれから皇居前広場のほうの問題もございますし、そういうことを煮詰めながら、風致地区ということもあわせながら、また緑地保全というものをあわせながら質問をしようと思っているから申し上げているわけです。  まず、これは建設省もそうでありますが、宮内庁として、お堀のしゅんせつということ等、せきを一定に切りまして、しゅんせつするという年次計画か何かお立てになって、美しいきれいなお堀にするというような考え方をお持ちかどうか、この点どうなんでしょうか。
  97. 宇佐美毅

    説明員宇佐美毅君) 皇居のお堀と申しますと、外から見まして大きな土手までの水というのは、大体いま宮内庁の所管から離れておりまして、皇居の中のお堀だけが宮内庁でいたしております。だんだん場所によりましてヘドロがたまりまして、いままでも計画的にしゅんせつしたことがございますけれども、しかし、ヘドロを簡単に取るということが、かえって水を浸透させてしまうという議論も実際もございまして、一昨年からこのほうの専門家の方に調査をしてもらいまして、お堀の水をどうしたらばきれいにたたえるかという基本的な調査をしてもらっているわけでございます。大体のことが調査が済みまして、今後それではどういうふうにして水が減るのを防止するかということを実際問題として研究するということで若干ずつ予算をいただいていま始めているところです。これはなかなか大きな仕事になりまして、たとえば大きな石がけの下からもぐるという問題もございます。これ、しかし、どうしたらば一体これをとめることができるかというような問題もたくさんかかえておりまして、私どもとしましては、中の問題については科学的な調査を大体済まして、いまその対策についての検討をし、ぼつぼつ始めているところでございます。外堀のほう、日比谷でございますとか外のほうのお堀についても、最近私どもが聞くところによりますと、これをある程度きれいな、何か非常の際にはこれをこしても飲める程度にしたい。それから水の量もたたえたいということで研究を始められたそうでございまして、まあ相当のやっぱり日数を要する問題かと思いますが、みんな気がついて調査をいたしておることだけは申し上げたいと存じます。
  98. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 専門家に調査をさしておやりになっているということは私も聞いてはおります。どの程度に進捗したのかというふうな考えも含めてお伺いしたわけですが、一巡をしてみました、非常によごれております、内堀も。そういう面から見まして非常に私も心配をしたわけです。したがいまして、このせきを、小範囲ずつせきを切りまして、そして年々計画を、年次計画というものを、どれぐらいできるものかやってみていったほうがいいんじゃなかろうかというふうな考え方をしたものですから申し上げたわけなんです。と申し上げますのは、建設省のほうに伺うんですが、プールなんというのはやはり緑地とみなすんですか。
  99. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) お堀のことをプールとおっしゃった……。
  100. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 プール。
  101. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) プールですか。
  102. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 ホテルのわきにプールなんかつくっているでしょう。
  103. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) はい。緑地というのは非常に広い意味でございまして、緑の土地とは書きますけれども、まあ緑がなくても緑地という概念にはなるわけで、したがって、水辺地とかお堀とかそういうものは当然緑地という概念に入りますが、人工的なプールそのものは、私どももそのもの自体で緑地という意味じゃない。しかし、そういうものも配置され、全体として緑地と、つまり環境のいいオープンスペースというような感じのものがあるかというような意味で判断しているわけでございます。
  104. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 なぜそういうことを聞くかと言いますと、先ほどのこの図面の中の一部分の中に、オリンピックを目がけてホテルの建設をして、それでその風致地区の一部が侵されてきたと。それからまた、自分のところだから自分でかってにやっていいんじゃないかというふうに言われればそれっきりなんですか、そのわきにプールを堀っていったと。それもひっくるめていまのような青地といいますか、緑地ど言わないで青地の中に入るかどうかというような疑念がありましたからお伺いしたわけなんですがね。そういうふうにして、いつの間にか風致地区として限定されているものがこわされてきているということ。個人の持っている所有物だから個人が自由にしてもいいという、そういう考えの上でやっていく。しかも四〇%というのを三〇%に制限したんだから、許してやったんだということになる。それが増築を今度はするようになってくるということになると、またこれは趣が変わってくるようになるわけですが、いずれにしましても、そういう形態で侵されてきているということを非常に心配するわけなんです。したがって、さっき申し上げたように、この風致地区がどのような形態であるかということを私どもも知りたいし、また当然建設省としてはそれを掌握していかなければならないから、そうであるということを申し上げているわけなんですが、この点よろしゅうございますか。はっきり御答弁願いたいと思います。
  105. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) 御指摘のように、風致地区は一般的にいって規制力の限界がございますので、土地利用の激しい場所では間々侵されがちでございます。もう少し市街地から離れたような場所であれば、たとえ規制内容が比較的ゆるやかであっても土地利用のほうもそう激しくありませんので、現況のままで保たれているところも多いわけですけれども、いま御指摘のような東京のどまん中ということになれば、なかなか思うようにいかない。その点は残念でございますが、私どもは風致地区の整備としてはまあこの辺が妥当なところではないか。どうしても保全したいところは別の制度でいくべきだ、こういうことであります。御指摘のような現状の把握につきましては十分今後注意いたしていきたいと思います。
  106. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 これは総理府長官に直接なことじゃないと思うんですが、小坂長官にお聞きしたいんです。これは私の提案もあるんですが、あれは晴海通りといいますか、晴海通りから祝田橋を越えて大手門ですね、内堀通りといいますか、これを日曜日、祭日ですね、ガソリンが云々されて非常にたいへんな時期なんですから、日曜日、祭日は交通規制をして、この皇居前広場全体を、外堀の内側から大手門まで、祝田橋から大手門までの間、皇居前広場として祝祭日に国民の広場としてひとつ開放するように、いかがでしょうか。  そしてもう一つは、東京駅から和田倉門を経て千代田通りですね、あの通りをずうっと歩行していけるように、あっちこっちで歩行者天国というものを制定して、そして国民の人たちが喜んでいるという今日の形態から考えていって、あの皇居前広場を国民の広場というような考え方をして、日曜、祭日にはあのコンクリートになっている道路なんかはネットを張ってバレーボールでもいいでしょう、スポーツをやる者に開放するとか、あの松の広場なんかは日曜、祭日ぐらい排気ガスにおかされないような考え方ということも私はいいんじゃないかと思いますし、いま皇居そのもの全体が排気ガスに包まれているという形態から考えていきましても、私はこういうふうに考えているんですけれども、長官、どんなふうにお考えになっておられますか。
  107. 小坂徳三郎

    国務大臣小坂徳三郎君) いまのお話のような自動車をとめて人間が歩くということはたいへんいいアイデアだと思いますし、またそうした試みが町のあちこちで行なわれて非常に成果もあがっているし、またそこには生活環境の中の一つの新しい潤いとして、私は非常にいい市民的な効果をあげていると思います。そうしたことをただいまの御提案のようにもっと大規模に大きくやってみたらどうかというような御提案でございますが、それはひとつわれわれのほうとしても考えさしていただきたいと思って、相談をしてみたいと思います。  それからもう一つは皇居前広場でございますが、これは環境庁が所管していることになっておりますので……。
  108. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 はい、承知しています。
  109. 小坂徳三郎

    国務大臣小坂徳三郎君) そうした面もございますから、一度ただいまのような日曜、祭日の自動車規制と市民の健康と、それから皇居を何と申しますか、公害からもう少し守るというような、そうしたようなことを一連の問題として関係の方面と打ち合わせをしてみたい、そのように考えております。
  110. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 私のこれから言おうとすることが適切であるかどうかわかりませんけれども、先ほど建設省の吉田都市局長とお話し合いをしているわけですが、この風致地区の中にも、御答弁の中にありましたように、ホテルと答弁ございましたね、高い建物、それからあの皇居前にできた、あれは何ですか、海上ビルですか、高いのが建ちましたね、今度。あれなんかも東京都ではだいぶん論議をされたということなんですが、あの建築については、ということは、一面からいえば皇居の中が見えるのじゃないかというようなこと等も考えられて論議をされたと私は思うわけです。  私どもがいま、私なんか宿舎生活で清水谷の宿舎におりますけれども、ちょうど宿舎から下を見ますと、二階建ての建物が、民家があるわけですが、私たちの側のほうはこのごろはベニヤ板を張って、二階の窓に、それからカーテンはおろしっぱなし、あけたことのないような姿を見受けまして、早く言えば私どもが見おろすという立場になるわけですから、その付近の住民の人たちは見られているという形になるわけです。いつもいつも見られている。中を見通されているというような、いやな気分でいるわけです。そういう人道上の、人の心というものを暗くさしていくという一つの問題もございますし、また大きな高い建物が建てば、テレビのいままで何でもなかったことが衝撃を受けて電波がこわされていくという形態もありますし、風の向きがまた変わってくるというので与えられるものもあるわけです。したがって、そういうものを勘案して、風致地区内の建築物というものに対してよほどの私は思い切った規制をしてもいいのじゃないか、このように思うわけですが、この点どうでしょうか。
  111. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) 御指摘のように、風致地区の規制の内容としては、条例等におきましても、まず高さの制限、建蔽率の制限、それから建物の壁の面を敷地境界線から後退させる、そういうことによってそこに緑化するような余地を建物の外側に保全しておく、こういったことが主たる内容になっているわけでございまして、中でも高さの制限ということは、風致地区の制度でも相当ウエートをもって考えておるわけでございます。したがいまして、一般的には、高さはたとえば十五メートルを限度とするというようなことが条例等で書かれておるわけでございまして、通常はそれが守られておって、たとえ建物が建ちましてもそう高い建物は建たないということが原則的には守られている。いまおっしゃったような、間々例外的にいろいろな条件を勘案いたしまして、非常に高い建物まで許可するという例もないわけではありませんが、一般に言えば高さの制限というものは風致地区でも相当程度考えておる、こういうことでございます。
  112. 宮崎正義

    ○宮崎正義君 いま御答弁にありましたのは第三条に出ておりますから、これは当然のことだと思うのです。ところが、現にそういうので、ある種の被害を受けているということですね。よく日照権等の問題でわれわれは論議いたしましたけれども、そういう問題等も加味してくるわけでありますが、どちらにしましても、この本委員会で迎賓館の問題のときにも私はこの種の質問をしたことがあるのです。総理府長官も答弁がありました。迎賓館が見おろせるようなところにあるということに自分も気がついたというふうに御答弁があって、また角度によっては私は中が見通せるのじゃないかというようなことも質問をしましたけれども、それと同じようなことがこの皇居の中にも言えるのじゃないかと心配をしているわけです。それで質問をしたわけであります。言うならば、きのうの新聞、夕刊でしたか、朝日新聞等にも出ておりました、あの小野田元少尉は皇居前へ行ってそして深々と頭を下げている、一方では高いビルの上から望遠鏡で見ているというふうなこの二つの面、そういうふうな面等を考えてみたり、あるいは諸外国の人たちがあの皇居前、二重橋等をみな見学に行く、そういう面等々を考え合わせながら、公園地帯というものと、公園都市というものと、それから風致地区というものと緑地地帯というものの考え方というものを取りまとめながら都市計画というものをしていかなければならないのじゃないか、こう思うわけなんです。どうでしょうか。     —————————————
  113. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) この際、委員異動について御報告いたします。  本日、中村波男君が委員辞任され、その補欠として前川旦君が選任されました。     —————————————
  114. 吉田泰夫

    政府委員(吉田泰夫君) まあ、市街地は非常に都市活動が激しく行なわれる、いわば土地として利用価値の高い場所で占められているわけでございますので、一般的にはその土地の立地にふさわしいような高度利用というものも当然はかられなければならないということでありますが、同時に、相当の規模の公園緑地、こういったものを配置いたしまして、片一方では高い建物が建つけれども、全体としての建物の容積というものを薄めるとか、むしろ立体化することによって新しいオ−プンスペースを生み出していくという配慮が当然必要であると思います。これは風致地区などは特に現状保全を本来はかりたい場所でありますから、なおのことでありまして、私どもは都市計画のあり方として、まず積極的な公園緑地という公共施設としてのオープンスペースの整備、これを中心といたしまして、しかし、それだけでは十分でありませんから、民有地のまま保全していく地区として一番ゆるいものはこの風致地区でありますが、さらに強いものとして古都保存の地区であるとか、あるいは首都圏の近郊緑地保全地区であるとか、あるいは都市緑地保全法による緑地保全地区とか、こういった民地のままでの保全地区というものをこれに加え、さらに都市の再開発などによって生み出される私的な空間も、できるだけ公開されたような形で周辺の住民の方々あるいは都市生活の方々のいこいの場所に使えるようなこういった都市計画がなければならない、こういうつもりでおる次第でございます。
  115. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 他に御発言もないようですから、質疑は終局したものと認めます。  それではこれより討論に入ります。御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べを願います。なお、修正意見のある方は討論中にお述べを願います。
  116. 岡本悟

    岡本悟君 私は、自由民主党を代表して、ただいま議題となっております皇室経済法施行法の一部を改正する法律案に対して、修正案を提出いたしたいと存じます。修正案はお手元にお配りしてございますので、それで御承知を願うこととし、朗読は省略させていただきます。  修正趣旨は、原案の施行期日である四月一日がすでに経過しておりますので、これを公布の日とし、四月一日にさかのぼって適用することに改めようとするものであります。  右、修正部分を除く原案に賛成いたしまして、私の討論を終わります。
  117. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 他に御意見もないようですから、討論は終局したものと認めます。  それではこれより皇室経済法施行法の一部を改正する法律案について採決に入ります。  まず、岡本君提出の修正案を問題に供します。  岡本君提出の修正案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  118. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 多数と認めます。よって、岡本君提出の修正案は可決されました。  次に、ただいま可決されました修正部分を除いた原案全部を問題に供します。  修正部分を除いた原案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  119. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 多数と認めます。よって、修正部分を除いた原案は可決されました。  以上の結果、本案は多数をもって修正議決すべきものと決定いたしました。  なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  120. 寺本廣作

    委員長寺本広作君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時五十二分散会      —————・—————