○戸
叶武君 これまた名
答弁ですから、それ以上追及しません。しかし、私は
小坂さんの言うことは信ずるが、
田中さんの言うことはあぶなくて信じられない。どうもやはり身びいきで、
小坂さんも
憲法改正の
発言はしていないと言うが、
小坂さんが
国務大臣になってから気をつけているのかしれないが、去年あたりからの
田中さんの暴走ぶりを見ていると、一昨年のとにかく日中国交正常化まではなかなかやるわい
——われわれはずいぶん苦労して、中国を除いてアジア問題の解決はないという形で若いときから中国問題に腐心してきたが、トンビに油あげをさらわれるように、あれよあれよという間に
田中さんは問題を片づけていったが、あれに、調子に乗ってかどうか、去年のころから小選挙区制を強行する。あのやり方は、だれが見ても、小選挙区制によって外堀を埋めなければ
憲法改正はできないという着想から、
憲法改正の外堀を埋めるための小選挙区制度だというので、野党こぞって
——野党にもなかなか、野党ほど個性が強いので一致団結できないが、
田中さんのおかげで野党が護憲勢力という形において昨年から結集して、いまだくずれずその体制を何とか維持しているのですが、これは私はこの打ち出し方を見ると
ただごとではない。
国民全体が、どこへ行っても聞く、
田中さんは少しどうかしちゃったんじなやいかと言うから、うん、あんまりつまらないこと言うんで口がひん曲がったよとは言っていますけれども、これは口がひん曲がった程度では片づかない。これは
田中さんと
——まああなたに言っても、あなたは
承知しないんだからしかたがないから、
吉國さんだって相談にあずかっていないだろうが、とにかく
国会における
言動、異常です。あれ、病院にでも入れなきゃだめです。
日教組攻撃、共産党攻撃、「日の丸」の国旗掲揚、「君が代」の斉唱、教育勅語、まあ気のきいた右翼でもこれはこっ恥ずかしくて言えないようなことを平気でやっているが、これは何か私は右翼の一部から強圧を受けて心が乱れたんじゃないかなというふうにそんたくする面もあるんです。台湾あたりにしきりに右翼の大ものが往来しておりますので、国際
情勢の中には非常にきびしいものがありますが、一国の
総理大臣となったならば、
天皇御
自身ですらも
日本の将来のためならば命も要らない、何にも要らないというふうにからだを投げ出しているような時世に、自分の政権を維持するために、自分の命ほしさに心の乱れを起こしているような人物は一国の宰相たる資格は私はないと思います。このようなことは
日本国民だけではない。タイ、インドネシアであれほどひどい目にあっているから反省したと思ったが、あれはエコノミカルアニマルの経済人がやったことだと彼は思っているんでしょうが、諸
外国は
日本の近代国家をつくり上げた偉業及び最近におけるこの経済大国になった、よい悪いにしても実績というものを踏まえて、
日本から学ぼうとする面と、もう
一つは
日本の軍国主義の復活、帝国主義の復活というものに対して神経質なほど神経を痛めているときに、
田中さんのような
総理大臣が暴走に暴走を続けておるならば、この駻馬に
主権者である
国民も落とされ、場合によっては皇室も迷惑を受けるというような事態が起きてからでは間に合わないから、
自民党の中にも少しは気のきいた人間があるんだろうから、これはやはり
田中さんにきびしい忠告を、一人の重盛ぐらいの
常識を持った者はいると思いますから、やらないと、いまのような
国会発言をやれば、
国会の中で、決議で首を取りますよ。
かつて憲政の神とまであがめられた尾崎行雄
先生が、大正二年、あの二個師団増設の問題や何かをめぐって軍部が政権をとり、明治
天皇がなくなられて大正に改元するどさくさに、府中から入って政権を握った桂
内閣に対して、尾崎行雄さんは
帝国憲法の時代に、「彼らは忠君愛国を自分の一手専売のごとく唱えておりますが、そのなすところを見れば、常に玉座の陰に隠れて政敵を狙撃するがごとき挙動をとっているのである。彼らは玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸にかえて政敵を倒さんとするものでないか」と演説しております。あの明治
憲法の制約の中にあってすら自由民権の伝統の中に育った尾崎さんはこれだけのことを言っています。これはやはり私は心しなければならない。絶対主義的な国家体制をつくらんとするものと、民主的国家、平和国家を維持せんとする護憲勢力が、いまのままでいけば激しい激突を起こすことは火を見るより明らかであります。
私は、いま時間を少し引き延ばしているのは、何とかの
都合で
宮内庁長官が午前中
信任状捧呈式が二件ありますので、十二時二十分ごろ出席するというので、五分なり何なり締めくくり質問したいと思って待っているのですが、こういうふうに、
田中さんは心得てないかしれないけれども、民心は荒廃し、
国会の二十数年にわたる政権を壟断ずるという例は、南北戦争以後における
アメリカ、イギリスの近代議会
政治に転換する前のウォルポール政権以外にほとんど例を見ないのです。いま
自民党幕府の政権たらい回しの政権によって、
日本の国は柳沢、田沼の悪政以上にとにかく腐れ
ただれておる。大石良雄でなくても台閣の悪政に対して一撃を加えなきゃならぬという者が輩出しないとも限らないのです。大石良雄の行動は王陽明学を学んだやつです。
ただ単なるかたき討ちではありません。
庶民がこれをもてはやしたのは、悪政に対する
庶民の怒りを代表して突破路を、権力に与えた一撃であるところに忠臣蔵がもてはやされたのであります。近代資本主義が生まれる前におけるうつぼつたるこの徳川幕府の時代における変革のきざし、これと同じようなものが
昭和元禄の底流にも流れているということを私
たちはここで考えなきゃならないと思います。
いま、
委員長に、いろいろこまかいこともありますが、
宇佐美さんが来るのは十二時二十分ですから、二十分に来たら五分で私はやめますが、それまでやっていてよろしゅうございますか。
——それでは、実際は、私は
宇佐美さんが早く来ることを一日千秋の思いで待っているのですが……。
それは、
日本の平和
憲法といわれる現行
憲法の源流は、聖徳太子の十七条
憲法の和の哲学から発しているというかたい信念を私は持っているのであります。このことを佐藤
内閣の末期に、私はちょうど三年前の七月二十二日に、
予算委員会でもって一部分、二、三分引用したら、引用が足りないので、歴史学の権威者和歌森太郎君、あのくらいならわかってもらえると思ったら、和歌森太郎だったよ。あの人に次元が違うというような誤解を受けて、毎日新聞で聖徳太子のことをけなして彼が書いているときで、私までついでにやり玉に上げられましたが、聞き違いであったというので、あとは訂正しておりますけれども。
聖徳太子の置かれた時代は、いまよりいやな時代だったのです。現に
天皇が二人も殺されている。
天皇の後継者になる者が片っ端から殺されていくという時代でありますが、彼が三十一歳かそこらの若さであれだけの
憲法がつくれるはずはありません。高句麗の高僧の慧慈なり、百済から来た五経博士の==なり、海外から
日本に渡ってきた、あるいは亡命してきた学者を集めて、彼らから学んで、そうしてつくり上げたのがあの十七条
憲法であり、十七条というものは維摩詰の十七カ条になぞらえたものであって、聖徳太子の根底にある思想というものは
——お釈迦さんが、坊さんにならないけどえらいやつがいるといって、市井の中にいた徳行を積んだ維摩詰を高く評価しておりますが、あの維摩詰の維摩経に触れて、維摩詰と釈迦の弟子の文殊菩薩との問答の中にある梵の哲学を把握したゆえに、あれほどエリート中のエリートでありながらも、エリートという観念を捨てて、
庶民とともに
日本の和を保とうという精神をぶち込んでいるものです。十七条
憲法の第一条に「和をもって貴しとなす」と、和の
政治哲学の基本理念を明示し、これに「さかろうことなきをむねとせよ」とさとし、その次に、しかしながら「人みな党ありてさとれるもの少なし」と、いまの
日本と回しです。
自民党だ、
社会党だ、公明党だ、共産党だ、民社党だ
——立場立場によってみんなそれぞれの
立場を主張しております。当時はもっと素朴でひどかった。当時の人々が飛鳥朝時代の豪族連合体制、国家体制のもとにあって、おのおのそれぞれ徒党を組んでいる現状認識の上に立って、「しかれども 上やわらぎ下むつびて事を論ずるにかなえば 則ち事理おのずから通じ 何事か成らざらむ」と断定しております。これはコミュニケーション、ディスカッション、対話を通じて平和裏に変革は行なわなけりゃならないというあの革命期における彼の哲学の
見解だと思うんです。
彼が摂政になって九年目のときですか、神武紀元をつくり上げたときも、周易を研究した上、変革の時代に直面している、武力革命が行なわれるであろうという予感におののきながら、六十年の二十一回転した千二百六十年前に、西暦六〇一年よりさかのぼった千二百六十年前に神武即位の日を決定した。こういうふうな形において武力革命の、大陸の武力的な相克の時代、
国内の閥族の相克の時代のまっ
ただ中に立って、そうして彼が、
憲法十七条の十条、これが中心ですが、「いかり(念)を絶ち」
——心の怒り、「いかり(瞋)を棄てて」
——目の怒り、「人のたがうを怒らざれ 彼れ是なれば即ち我れ非なり 我れ是なれば即ち彼れ非なり 我れ必ずしも聖にあらず 彼れ必ずしも愚にあらず 共にこれ凡夫のみ 是非のことわり たれか能く定むべけんや 相ともに賢愚なること わ(鐶)の端なきが如し これをもって彼の人いかるといえども かえって我が失を恐れよ我れひとり得たりといえども衆に従って同じくおこなえ」。これだけの謙虚さを持って
——時代は違います。時代は違いますけれども、自分の
意見に従えというのではない。大衆とともに論じ、論じ合って、そうして問題を片づけようというこれだけの謙虚さを持って彼が和の哲学を説いたのであって、
法律でもって人を押えつけようなどという下賤の徒の考えるようなあさましい考え方は
一つも持ってないのです。賢人
政治家であった聖徳太子の偉大さ、「我れ必ずしも聖にあらず彼れ必ずしも愚にあらず 共にこれ凡夫のみ」、ここに力点を置いております。
そういう意味において、われわれは今日のときに、ギリシア以来の哲学上の課題はデモクラシーかあるいはオルガニキー史哲人
政治か民衆
政治かという課題を掲げて今日まで歩きながら考え、考えながら歩んできておりますが、この辺で私
たちはほんとうにこの民主
政治というものの基盤をつくらなければ、
田中さんがいかに力んだって
政治はよくなりません。大衆がすべて私は決したときに
一つの真の民主
政治が起きるんだと思いますが、そういう意味において、
田中暴走、民衆をして激発せしめて真の民主
政治をつくり上げたという歴史がつくられることも興味があると思いますが、やはり十七条の最後に、これが……。ここでやめて、
宮内庁長官がおいでになったと言いますから、
宇佐美さんに質問します。
宇佐美さん、あとで
速記録を読んでください。重ねて多くのことは申しませんが、もうこれで承って集約にしますが、海外に兵を出して大陸半島の禍乱の中に
日本が入っていくか、
国内の閥族
政治の
天皇をも殺していくというようなあさましい時世に、ここで武力的な革命を起こすか、たいへんな絶体絶命の中に置かれて、不和の
世界で和の哲学を説いていった聖徳太子の十七条
憲法の中心は十条であり、それを包むのが一条と十七条ですが、十七条において和の
政治哲学を総括してこういっています。「大事は独り断ずべからず必ず衆とともによろしく論ずべし 小事はこれ軽し必ずしも衆とすべからず
ただ大事を論ずるにおよびて もし失あらむことを疑う故に衆とともに相弁ずるときは
ことば則ちことわりを得む」。これは、これより六百十一年以後にできたイギリスの大憲章といわれるマグナカルタの中に流れている思想よりもはるかに高貴な精神によってつくり上げられております。時代は違います。同じとは言いません。しかし、いまから一千三百七十年前にこの極東の島国において、苦悩の中からこれだけの英知のひらめきがひらめいているのに、あまりにもものにとらわれて、物価だ、石油だ、円だ、ドルだ、すべて重要な問題がありますが、何か非常にたいへんなときが私は来ているような気がするので
——あなたは
信任状捧呈の式に出て、出られなかったのだと思いますが、あなたを補佐する
瓜生さんがまああなた以上の弁護論を展開して、総務長官に匹敵するような名
答弁を出してくれましたが、ここで私は、ほんとうに
宮内庁は、まああなたは
瓜生さんにまかせるようなときをねらっているのかもしれませんけれども、もっとやはり
庶民と触れ合っていかなければだめですよ。雲の上におったのでは、人間
天皇を宣言した
天皇の補佐はできません。文明史観と哲学を持たない、未来を開く創造の意欲を持たない民族は滅びるんです。これは
天皇たりと
内閣総理大臣とを問わず容赦ありません。一九七〇年代は
世界的規模の激動変革の時代です。東西の対立、封じ込めの冷戦時代は去って、東西の障壁は打ち破られましたが、もうイデオロギーと武力だけでは問題は解決できない時代に立っております。
日本の
政治家なり指導者なりの置かれている
地位は、東西南北の十字砲火を沿びながら、十字路に立たせられているような
立場に置かれているということをゆめゆめ私は忘れてはならないと思うのであります。
そういう意味において、
自民党の
田中内閣、もう
相当なことはやっているようですが、やっぱり
アメリカの
ニクソン、キッシンジャーのコンビ、
日本の
田中、大平、
中曾根——もう一人だれかいたっけな、三木さんか、ああいうコンビも非常にやはりバランスがくずれてきていると思います。
日本の中枢がないんです。
国民が
主権者だから
国民にまかせりゃ安心ですが、この過渡的な時代に、
日本憲法というものをほんとうに理解して、
天皇が身をもって
——戦争の責任をだれも負う者がなくて、おもちゃのピストルで東条も自殺をはかるなんていうあさましい時代に、
天皇みずからが一切のはずかしめを受けてマッカーサーと対決したじゃないですか。八月十五日に私はあの放送を聞いて、いなかで、ほんとうに泣けて泣けてしょうがなかった。
日本の国にだれもまずいときには責任を負うやつがいない。しかし、殺されてもいい、
国民に捨てられてもいい、何とかして
日本の未来を救うために役に立とうというあの飽くなき人のよさ、無心ないまの
天皇というものは、
世界の私は王さまの歴史の中において比類のない人だと思うんです、そういう意味において。私はいまの
憲法を守りたいんです。そういう意味において、私は、
国内の政争なり、国際的な紛争なりの中に、あれだけ身を殺して仁をなすということを実践した人はいないんだし、それからしかも
憲法の詔勅、いまもう時間がないから引用しませんけれども、
天皇みずからの責任で
日本国憲法はつくり上げたんじゃないですか。いろいろな知恵が、マッカーサーのいろんなものがあります。けれども、流血の惨を見ずして
憲法改正なかなかできないんだ。敗戦という悲劇の中から、悲しいかな近代国家としての
憲法の体制をつくり上げたわけです。
ワイマール憲法よりも、その中には
日本の歴史がこもっている。私は、そういう意味において、いまの平和
憲法の源流は聖徳太子の和の哲学から発していると言うんだ。しかし、道義的な国家をつくり上げようとするならば、さかしらの者どもがじゃまにして聖徳太子一家をせん滅するような悲劇をあえて行なう。こういうときに私は、皇室を守る人として、
宇佐美さん、やっぱりあなたのほんとうの決意を承りたい。
そうして皇室の中にもっと新鮮な血と
——美智子さんなんか入ったこともいいことです。イギリスじゃ、カンタベリー物語も
——ああいうことはありますけれども、やっぱり粉屋のお嬢さんが
天皇家に入ったなんというのはけっこうなことです。同族結婚は滅びるんです。それは血だけじゃありません。精神的にも、山岡鉄舟のような硬骨漢を
宮内庁に入れて、そうして皇孫なり何なりでも、相撲でも取ったら地べたへたたきつけて、ぎゃあぎゃあ泣くぐらいな、気骨を発揮する者があり、また
天皇の側近にあって歴史を書く者が、司馬遷が史記を書くように、自分の大切なところを抜かれても自分の真実を歴史に残そうというだけの気魂のある、
御用学者じゃない、茶坊主じゃない者を集めたり、そういうもっとおおらかな
一つの
日本の皇室にしないと、あまりしゃっちょこばってしまって、あなたも
国会にも出ない。まあ
宇佐美さんは、
瓜生さんといういい子分があるから、あれで間に合うという程度で済ませるんでしょうが、またそれ以外に、
天皇のそばにいていろいろな用事があるのはこれは重々わかります。もっと雲の上から地上に、人間であるならば
天皇はおりてこなけりゃ、屈託なく
世界も歩けるように、
アメリカがもっと平和になってワシントンの
——屋敷にある桜以上にポトマックの花がもっときれいに咲くようなとき、あるいは
アメリカの建国二百年祭が間もなくある。それまでに、
アメリカのインテリは、おそらくは
ニクソンがかわるだろうと言いますが、人のことまでよけいなことを言いませんけど、こういうふうに
世界じゅうが大きな変革を期待しているようなとき、
一つの皇室を守るんだというしゃっちょこばったかみしもを着ないで、どうぞ心して、
一つの側近者として、十分
世界の動きを見詰め、
国内の動きを見詰めて善処しないとえらいことになりますよということを私は警告したかったんだが、
宇佐美さんというのは聡明な人で、やはりものごとは心得ていると思いますが、
瓜生さんからあとでよく聞いてい
ただきたい。
いまのいろんな問題が皇室をめぐってやはり問題になったから、私は皇室の問題に触れるのいやだったけれども、そっとしておきたかったんだけれども、
田中さんのほうから挑戦を受けちゃったんで、やはりわれわれはけんかっぱやいから、売られたけんかなら買って出ようという形で出たんですが、どうぞあなたのいまの皇室のあり方に対する御
見解を承りたい。