○戸
叶武君
田中総理大臣が身をもってタイなりインドネシアで学生集団の激しい抗議を受けたので、先ほど若干の弁解もありましたが、
一つは、学生集団の新しい目ざめというのは、自国における政治腐敗とまっこうからぶつかっていけないから、敵は本能寺にありで、これを政治腐敗の根源は
日本の
経済進出にあり、
日本の帝国主義の復活だという形において
田中さんにぶつかった面も確かにあると思いますが、このことを私は軽視してはいけないと思うのであります。
ちょうど一九一七年に、ロシア革命が起きたあの年に、
中国の周恩来氏は二十でございました。
日本にあこがれて留学したのです。一年半滞在しました。私は、ちょうど一九六〇年安保闘争のさなかに、安保条約阻止国民会議の訪中代表団の団長として北京に行きまして、
田中さんがつくり上げた
日中国交正常化の
基本となるような共同声明をつくり上げましたが、
中国の考え方と若干調整しなければならない点もありましたので、十一月三日人民大会堂で午後八時の調印を、朝の二時までがんばって合意を得たのですが、そのとき人民大会堂で周恩来さんが、私と廖承志氏と三人で印刷ができるまで待ちながら話したとき、あのときわれわれは
日本にあこがれて行ったのだ、ところが
日本は、二十一カ条によって、第一次戦争のどさくさに
イギリスやドイツがやったような形において祖国
中国の分割を企てた、帝国主義的侵略である。これに対してわれわれは抵抗を行なった。そして来たらんとするベルサイユ会議に呼応して、
中国における民族的自覚の先頭切って留学生が東京やパリで騒ぎ出した。警視庁の弾圧によって、ちょうど西神田の蓬莱軒で会合したときだと思います。検挙されたり、ぶたれたりして屈辱を受けて、そうして泣く泣く祖国へみんな集団的に帰った。そして周恩来は天津、また湖南の毛沢東は図書館の雇いをしながら北京に、こういう連中が起こしたのが五・四
運動で、あれから五十年の間に
中国革命のにない手はその五・四
運動の中から発生したと言ってもいいようなことなんです。
今度のインドネシアの学生の集団的な抵抗、政治家も軍隊も、国の中枢にいる者がみな腐敗してしまってどうにもならぬから、われわれが民族の憂いを代表して抵抗しようというところに、タイでもインドネシアの学生
運動でもあの弾圧の中をくぐってだから、
日本のかっこうのいい、あるいはニヒリスチックな抵抗
運動と違って、民族的な目ざめの先頭に立って戦っているという
印象を、素朴ながら私たちは受けざるを得ないのです。しかし、
日本は金がある、留学生の
めんどうを見よう、船に乗せてやろう、いろいろないいことをやっているようだが、新しい祖国の近代化のにない手になろうという青年たちに、ほんとうに魂を与えているであろうか、あたたかい気持ちで遇しているであろうか、私はこの留学生の支配復活を、
経済セクショナリズム
——これは文部省だ、あれはこっちだ、
経済関係の協力の問題もばらばらだが、留学生の取り扱いもヤマタノオロチです。みんな
役所のセクショナリズムで、そうして
中心がない。こんな形で、ほんとうに
日本に学び、
日本人を尊敬し、
日本人と親しみ、そうして帰っていくであろうか。
中国の留学生、朝鮮の留学生は憤りをもって
——もちろんそれが新しい祖国の復活の原動力になったということにおいては、皮肉にも
日本が養成機関であるからそれはそれでいいとして、それと同じような結果を生んだらどうか。
イギリスにおける留学生に対する配慮というものは、各家庭において、たとえば、たいしたごちそうはしないが、午後三時なり四時のティータイムには家庭に留学生を呼んで、そうして軽いティーパーティーをやる。テニスをやって、そしてテニスの後のお茶をやり、ダンスをやる。そういう形においていろいろな家庭でもって一受けとめて、ああ
イギリスに留学してよかったという、ひとつの
感謝なりプライドを持って学生
生活をエンジョイすることができるような
関係になっているが、
日本に来て、軽べつされ差別されていって、魂を与えられないで、船に乗せてやる、りっぱな建物に入れてやるというけれども、そこに籠城して抵抗しなければならないような状態がいつ生まれないともわからないようなものなんじゃないか。お
役所仕事というのは万事こうだ。そうかといって、請負
仕事になれば、ボスがそれを食いものにする。こういう点に、何か心なきひとつの
日本の教育に対する取り組み方というものを
——このことは、
外国の事情はよくわかっているのだから、
外務省あたりの人がほんとうに骨を折ってもらいたい。それから
外務省の先輩というものが、相当の能力があっても若くしていろいろな企業に吸収されたり、もう
外務省はばかばかしいというのでいろいろにしたり、あるいはゆうゆう自適する人がいろいろあるけれども、もっと国際的な話し合いのできる場をつくっていく。現役から離れると収入はないけれども、そういうものにやっぱり
経済的援功なり何なりして、やはり私は
人間を育てる教育技術の場をつくり上げてもらわないと困るのじゃないか。
それと同時に、私はデンマークに行きまして、コペンハーゲンの東海大学の
文化センターが意外な効果をあげているのも、あそこに茶室をつくり、やっぱり
役所仕事でなくて、窮屈でなくて、そして自然な形で人々を迎える態勢をつくっているからである。ソ連圏の模範生であるブルガリアのソフィアに行ったら、
日本の教育に学びたいというと、古い
体制の
人たちはあの教育勅語だ、そんなばかげた錯覚じゃないのだ。近代化に行く過程の
日本の
努力を新しい意義づけにおいて学びたいというのが、イデオロギーの違う、
国家体制の違う国においても、後進性のある発展途上国のブルガリアやトルコにおいても盛んであります。そういうものを受けとめて、
日本でいまさら教会をつくり、大学をつくり
——なかなか骨折れると思うけれども、やはり
外務省は
外務省の中に有能な人もいるし、非常な
秀才な人の集りでもあるし、またそういうことに非常に関心を持っている者もあるのだから、どういう形でもいいが、この
機会に私は教育
文化センターみたいなものを
一つ一つどういう形においてもつくって、そういう活動の中からさらに人材をつくるというのでなければ、お
役所仕事だけで、エスカレーターに乗ってデパートを見物してくるというやり方では、私はほんとうの
外交官をつくれないんじゃないかと思うのです。これは今度の特に
——私はもう時間がありませんから結論にしますが、やはり
日本憲法を十分
理解した上で、われわれは武力によって、暴力革命によって変革を企てようとするのではない。激動変革の
時代にわれわれは軍国主義の復活を阻止し、そして平和憲法にのっとって、われわれは
日本の持っているものを世界の人々に貢献するのだ。ギブ・アンド・テークで、われわれもいただくものはいただきたいが、幾らでも役に立つことは役に立ちたいのだと、
大平さんは先ほど言いましたが、それをもっと具体的に実践してもらいたいので、よその国に行って要らぬことを言って、イランの王国と
日本の王制は同じだ
——ばかな。だれがいったってそんな非近代的な、
国家性格を誤解させるような
発言は一国の
大臣がやってはいけない。
大臣あたりでは、
中曽根君あたりは未熟者だからまあいいとして、それを吉國君あたりが、一部の憲法学者がこう言っているなんて参考意見で助け船を出すと、いきなり
田中さんが、無教養のいたすところか知らぬが、それにかぶりついて、
日本は王制だと、こういう憲法解釈の問題においても一国の
総理大臣の言動というものは軽率であってはいけない。ほんとうを言えば、あそこから引きずりおろして、
日本憲法を
理解しないこの大ばかものめぐらいのことを言ってやっても、懲罰になってもそのほうが薬になるので、私の先輩
田中正造が生きていれば、
中曽根、
田中、何を言うか、といって必ず私は罵声を浴びせて引きずりおろしたと思う。
田中正造は、ちょうど明治三十六年二月十二日、私の生まれた翌日に牢屋から出て、牢屋に入ったのは直訴したためじゃない、直訴は半分精神病者だといって、まあ侮辱した話だけれども、牢屋に入れなかった。ただあとで、
田中正造は牢屋には入れなかったが、渡良瀬川の農民が鉱毒問題で戦ったときに、みんなふん縛られて牢獄に入れられたので、それを弁護しようと思って裁判所に行ったら、金ぴかの紋章の中で、天皇の名によって冷酷な裁判官が人民を裁いている。その現状を見て痛憤にたえなくて、うっかりしたことを言うと不敬罪に問われるから、
田中正造はうまく生理的な現象として両手を高くあげて、わあっとあくびをやった。あくび事件という、それで牢屋に入れられた。あくびもうっかりやれなかった。生理的現象で、おならなら取り締まられないが、あくびなら取り締まられるというので牢屋に入れられて、牢屋から出たとき彼は痛憤して、バイブルを読んで、
日本の国だけでなく世界は軍備を全部なくさなければだめだ、陸海空を廃棄しなければだめだ、それでなければ道義的な
国家というものはつくれないという、反戦反軍備のいまの憲法のような
発言を予言者ヨハネのような声でもって叫び上げたのですが、私はいま
日本において、いいかげんなごまかしで、なしくずしにおいて憲法をくずしてみたり、政治
責任を持てない形において
責任をとらせないように民族統合の象徴としたのは、聖徳太子の十七条憲法以来の政治を執行する者は
責任をとらなくちゃならない、だれだって。天皇でも殺された人はずいぶんいる。
イギリスでもチャールズ一世は断頭台に上げられた。フランスでも、ロシアでも。そういうことのないように平和憲法はつくり上げられているのに、明治憲法の弱点を知らないで、自衛隊を復活するのには、天皇制を復活して統帥権を置かないとまずいといって、カイゼルに指導せられて伊藤博文という学のない政治家が、世界の大勢を知らない政治家がつくり上げた明治憲法への思慕を依然として残していこうというような
体制は許しがたい。これは私は今後における国会において、物価の問題だけで、現象面だけで戦うのでなくて、
日本の国民が武力でなくて、ほんとうにわれわれは教育の力、
経済的な運用、技術協力、マクロをもって世界の人々に当たっていくのだということを、特にまあ通産
大臣ぐらいはしかたがないとして、
外務大臣なり一国の
総理大臣たる資格を持つ者は、あなたもそろそろ資格も持つのだが、やはりそういうことを堅持しないと今度のような、もう幾ら失敗をやったかわかりゃしない、軽率では済まないことになるから、もし政治的な利用と思われるような
印象のもとにおいて、天皇が
アメリカに行って万一のことでも起きたときに、だれが一体
責任を持つのだ、そういう
責任の所在も明らかでなくて、私の不徳のいたすところでは済まぬ。こういうふうに憲法における解釈と運用の問題がきわめてデリケートな段階において、こういうものに触れるとあぶないというタブー化されてきている間に、おそろしい底流が
日本の中に生まれないとも限らないので、軽々率々に私は軽率のことわりでは済まないような言動は慎んでもらいたい。
ちょうど時間ですから集約してくださいということですので、これをもって私は結ぶ次第でございます。