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参考人(板倉哲郎君) 板倉でございます。
電源開発促進対策特別会計法案と、それから
電源開発促進税法案の件に関しまして、私の
意見を述べさせていただきます。
世界的に見まして
エネルギーの
増加というものは、特に高度の
産業政策ということ等は抜きにしましても、人口の増大あるいは
産業からフィードバックされます民生の向上ということについて、これは世界の全人類がすでに合意を得ている
一つの
考え方であると私は考えます。この
エネルギー源としましての
電力の需給ということにつきまして、需給の想定につきましては、数値的にかなり大きな数値が出る場合もありますし、あるいは
産業構造そのものについての修正その他ということについて見直しがしばしば行なわれているわけでございます。かつての十年ぐらいにつきましては、皆さん御
承知のように、
わが国におきます
電力の伸びというのは、十数%という大きな伸びを示していることもございましたが、つい最近二、三の見直しが行なわれておりまして、現在ほぼ八・数%あるいは九%ぐらいに、
産業構造そのものの見直し、民生に対する
重点ということによってすでになされているわけでございます。この見直されました八・数%あるいはほぼ九%というような
電力の
必要性ということから考えまして、現在進められています
発電計画というものが、実質的には近い将来
電力の不足を来たすことは、見通し上指摘がされているわけでございます。そういう点につきまして、
一つの、何といいますか、重
工業の推進ということを抜きにいたしまして、
日本につきましては、
日本国民の福祉
生活を、現在の状態を維持する上においても、さらに
電力の
需要というものは
増加しているわけでございます。これを広く世界的に見ますれば、まだ
開発途上国、そういう国々ということを、世界人類を平均して考えますときには、さらに世界的にも
電力あるいは
エネルギーというものの
需要というものは、ますます増大せざるを得ないわけでございます。
で、この
電力を何によってまかなうかということにつきましては、現在は火力、水力、ごく一
部分原子力が行なわれているわけでございますが、きれいな
エネルギーを得るということについての
技術開発は大いに進められております。私は、
原子力発電というものは、きれいな
エネルギーを得る
一つのきわめて有望なものと考えております。もちろん、遠き将来に核融合、さらには太陽
エネルギーの直接利用という点の
技術開発を大いに進める必要はあり、それを期待するものではありますが、現在のところ、核融合にいたしましても、あるいは太陽
エネルギーのかなり直接的な利用にいたしましても、
一つの実験室的な小規模の実験段階であり、あるいは
技術者の望む
一つの将来の姿でありますが、これらのものがここ数十年間に実用的になる見通しは全く立っておりません。しからば、私たちがこの
国民生活を保つために、ここ五十年間ぐらいの
電力というものを何にたよらざるを得ないかといいますことは、何も
わが国日本だけではなくて、世界各国とも、
原子力発電にたよらざるを得ないという考えが固着しております。よくアメリカの例にならって
日本が
原子力発電を推進しているんだというお話を端的に話される方がございますけれ
ども、世界におきまして、自由
経済の国もあり、あるいはそれと違った
経済機構を持っている国々もあるわけでございます。ソビエトにつきましても、すべに百十万クラスの
発電所が昨年から稼働しております。あるいは北欧圏の国々についても、
原子力発電の推進は行なわれておるわけでございます。スウェーデンについては、
原子力発電を禁止するという話がきめられたかのごとく話もされることがございますが、確かに議会で、
原子力発電に対して、これを禁止すべきかどうかという案が上程されたことはありますが、スウェーデン自身につきましても、この案は否決され、国の方針として
原子力発電の推進が行なわれております。これは何も単に
原子力発電を推進するということだけが
目的ではございません。この
目的と申しますのは、どこまでも
国民の豊かな
生活を保つために
エネルギーが必要であると、この必要な
エネルギーを何によって得るかという点をいろいろ模索、さがした上において、世界的に、ここ数十年間は
原子力にたよらなければ、われわれの
エネルギーは得られないという点で行なわれているものでございます。ところが、
原子力発電と申しますと、これは皆さん御
承知のように、
原子力自身は、潜在的には危険性を持ったものでございます。もし
エネルギーが全く潜在的の危険もないものによって十分得られ、われわれの
生活が行なわれ得るならば、
原子力にたよらなくてはならないという話はないわけでございます。しかし、ここできわめて重大なことは、潜在的に危険であるから、すなわちそれが危険であるという、非常に短絡した、単純な
考え方が行なわれるのが、きわめてものの誤った考えと私は考えます。
たとえば、非常に卑近な例で恐縮でございますけれ
ども、青酸カリというものはきわめて危険なものでございます。しかし、その青酸カリがきわめて厳重な管理のもとに、たとえば厚い鉄の溶接された容器の中に入って置かれているといった場合に、潜在的に危険であるかどうかということは、中に青酸カリが入っているという
意味においては、潜在的に危険でございます。しかし、厚い鉄の容器で、しかも溶接され、そういう状態で置かれ、しかもそれを十分国の管理のもと、あるいは国際的の管理のもとにおいて、言いかえますと、それに番人もつけ、人がそれに近づくこともできないという十分な管理のもとに置かれているというときを考えますと、はたしてこれを危険と直結して考える人はないと私は考えます。
原子力発電の
安全性につきましては、
技術的にきわめてこまかい、あるいは
技術的に難解な点がございますので、いろいろ
安全性について疑義がもたらされていることはいなめない事実であります。こういうものについて、
国民あるいは世界の全人類に対して、これらの同意を得てこれを
開発するという必要は、十分われわれも認識しているものでございます。
で、私自身が
原子力の安全の
専門家でございます。そういう
意味で、この
法案に関連しまして、皆さんがこの
原子力を推進するためにこれが出、しかも、その
原子力の安全を、たとえば地域に対する金でもって解決するのではないかというようなことを考え、あるいはそういう
意見が出るということも事実だと思います。したがいまして私は、ここで少し
原子力の
安全性のことについて時間を拝借して述べたいと思います。
根本的に申しますと、潜在的に危険であると申しますのは、原子炉の内部に多量の放射能を内蔵しているということでございます。で、これを二つに考えますと、
一つは、日ごろの運転中にわずかながら放射能が
発電所から
環境に放出されるかどうか。第二は、大量にたまっています放射能が、原子炉の事故によって
環境に放出されるかどうかという二点によると思います。
まず第一に、平常の日ごろの運転のときに、放射能が
環境に放出されるかどうかという点につきましては、量的なことを除きまして、絶対論で申しますと、放出はゼロであるかということに対しまして、私は、放出はわずかながら行なわれておりますと。そこで、きわめて大事なことは、量というものの解釈ということが必要だと思います。世の中に絶対というものはないわけでございます。その量によってわれわれはそれが安全であるかどうかを
判断するのが当然のことでございます。
発電所から
環境に放出されます放射能というものにつきましては、実質的あるいは
一般常識的にいいますと、これは放出されていないと申す表現もあるかと思います。と申しますのは、私たちが住んでいます自然
環境あるいはこの部屋におきましても、非常に多くの放射線があるわけでございます。人間、われわれ、ここに立っております私自身あるいはここにいらっしゃいます先生方のからだ自身の中にも放射能は入っております。それによって皆さんは放射能を受け続けているわけでございます。放射能の一部は空からまいります。一部は土からまいります。あるいは建物の構築物からもまいります。そういう点で、世界各国のほぼ平均の値といたしますと、ある単位で申しますと、約百という単位の放射能をわれわれは受け続けているわけでございます。約百という単位の放射能を受け続けながら、われわれ人類は進化し
生活をし続けているわけでございます。いま申しました百という値は、ところによってはこの値が七十ぐらいのところもあり、ところによっては百五、六十というところもあり、
日本国内でもかなりの違いがあるわけでございます。
一般に関西地方は多く、百五十ぐらいのところも多く、関東地方は土質の
関係で少ない。一年間に七十ぐらいというところが多いわけでございます。そういたしますと、その差が八十ないし七十というのが、
わが国においても十分あるわけでございます。これをさらに広く世界的に見ますと、いまの違いどころではなくて、自然についても、百に対してその十倍以上のところもあり得るわけでございます。で、そういう地域に住んでいた人々、たとえば
わが国におきまして関西地方に住んでいた人と、あるいは放射能の少なかった関東に住んでいた人において、はたして現実的に放射能の害が出ているかどうかという点かち御
判断いただけるのが一番よいと思います。で、一方、
発電所から放出されます放射能というものを学問的に申しますと、ゼロではありませんと申しておりますけれ
ども、敷地の境界で一番高いところにおきましても、自然であります値の約百分の一、百分の幾らという点でございます。自然自身が、同じ場所にいましても一年間に一割あるいは一割五分の違いがございます。そういう自然の変動よりもさらに低いということが
原子力発電所ではすでに達成できているわけでございます。
で、第二番目に、原子炉の大きな事故によって放射能が外に出るかどうかという点につきましての
安全性ということと、よく
一般にいわれます事故というもの、同じ事故という
ことばでございますけれ
ども、原子炉事故ということで私たちが気をつけなければならないのは、大量の放射能が
環境に出るものに関連する事故であるかどうか。
発電所もいろいろ小さな機械をたくさん使っております。そのために当然いろいろな小さな故障、あるいはそれを事故と呼んでも、
ことばの用語でございますけれ
ども、そういうものはこれはどうしても避けられないものでございます。できるだけそういう小さな故障もなくするように努力はすべきでございますけれ
ども、これまで
原子力発電所で大量の放射能が
環境に出る原因になったような事故は、世界各国
一つも起こっておりません。軍事用の特別のものとか、そういうもの以外、いわゆる
原子力発電所というものについてはそれが起こってないということが何よりのそれが実証でございます。
で、時間もございませんので、あまり詳しいことは省略いたしますが、以上の点から、
原子力発電所を置きましても、それによってその周辺に危険を及ぼすということは全くないと私は考えております。しかし、起こしました電気というものは、その地元だけではなくて、
わが国におきますと、
日本国民の福祉のために使われる
エネルギー源となるわけであります。そういう点につきまして、置かせていただく地元に対して、その地元を税制面その他、地元の
整備面ということで、これを優遇していくということは当然行なわれてしかるべきものと考えます。私から考えますと、このような
法案が現在出ましたことがすでにおそきに失している感を持つものでございます。
で、以上のような点から、私はこの
法案に賛成の
意見を持っているものでございます。