○国務大臣(
田中角榮君) 成長率は、先ほど申し上げましたとおり、二十九年から三十九年までは一〇・四、三十五年から四十五年までは一一・一と、これは非常に高い成長率であった。これは高い成長率でございましたが、その間において卸売り物価は、先進工業国九カ国平均よりも少なくてあって、半分ぐらいであって、それで給与も上がってまいりましたし、完全雇用を達成した。国際競争力は全世界から指弾を受けるほどになった。
アメリカに対して単年度で四十二億ドルの黒字ができて、これが正常にならなければ、
日本商品のボイコットだというところまでいったメリットはあったわけです。ですから、四十七年の下期からずうっと、去年の石油問題が起きないで済めば、これは口では何とか言っても、とにかく
数字が示すとおり戦後の
日本の経済運営はうまくいってきたと、こう言えるわけです。ところが、まさに九仭の功を一簣に欠くように、去年の十一月、十二月から、ばばっばばっということで、ほんとうにあやまりにばかり回っておる、こういうことでございまして、ある人は、商社が三十年近く国民のためにやってきて、わずかなところでもって、社会悪だと、こう言われて、自民党またえらいなという同情の声もございますが、ほんとうにそういうことを私も考えておるわけでございます。
ですから、成長率というものが何%でいいのかということは端的に申し上げられないのです。これは
経済社会基本計画の中で、年率九%
——それは前半はもっと高いのですが、後半は七・五か八に落ちるということですから、それを五十二年度以降に後段の数値そのままで伸びていくのか、平均値九%で伸びていくのかは、これから四十八年から五十二年を見なければわかりませんと、こういうことを前提にしております。それはそうでしょう。それは先ほど申し上げたとおり、国民の要求である社会保障の拡充という問題が大きくありますし、
日本のような状態の中では、公害問題は世界の基準よりももっときびしくしなければいかぬ、狭いところですから。そういうことで、
企業の
負担というものや、
企業のコストがどうなるのか。賃金は世界並みではいかぬので、
西ドイツ並みにするには、少しずつよけい上げていかなければならない。そういう賃金水準を何年間で達成するか。もう
一つ、社会保障の長期
計画というものを何年間で達成するかということから逆算しまして、そして成長率をほぼ算定できるだろうということで、いま作業をやっているところです。ですから、いま作業が終わらないうちに、
経済社会基本計画を変更しますと言ったって、それは全く架空なことであって、何のために一体変えるのかということになりますから、これは五十二年までの間でも、年次
計画よりも、ことしはうんと落としているわけですから、それは社会情勢の変化に対応して、五年間でこれだけのものができるのか、石油事情が起こりましたので七年半かかるのかという問題は、これから国民的にやっていかなきゃなりませんし、それから
企業全体が、重化学工業から知識集約化へ
——知識集約といっても、一体何を知識集約ができるのかという問題もあります。石油の情勢や、原子力とか、クリーンエネルギーが、年次的にどう間に合うかという問題もございます。そういうような
意味で、にわかにきめられるものではないということは
理解いただけると思います。ただ、九%、一〇%というものがノーマルに六十年まで伸びていくということはむずかしい。しかしこれは、完全に
日本人の英知で、五十年−五十二年ごろにいまのスイスの工業のように、ざあっと転換できれば、それは一〇%成長できるかもしれません。しかし、そういうことを考えることは無理だ。これだけの大部隊が、これだけの厚みと、幅の広いものが、一ぺんに二年や三年で、知識集約的な、いわゆる
イギリス型の工業からスイス式の工業に切りかえられるかどうかということは非常にむずかしい問題でありますので、やはりこの成長率というのは、これからの社会保障の長期
計画の年次割りをきめて、それには、国民
負担がどのくらいになるか。さっき言ったように、二四・一%、社会保険料が四・八%というものが、一体どの
程度上がっても、国民の重税感はなくて
——その中で自動的に税制もちゃんと出てくるわけです。そういうことから逆算しなければ、ただ、成長率を何%ときめて、社会主義経済のようにして押し込んでいくというわけにはまいらぬ。ただし、九%というような高いことを、維持するということ自体は、やっぱり改めて、安定成長と
——これは観念的な議論ですが、安定成長というのは、国民にいろいろなプラスもあったじゃないか、マイナスもあったじゃないか。マイナスを与えないで、納得できるものが安定成長ということですから、そういうものは、これから皆さんの御
意見も聞きながらやってまいりたい。ただ、十年かかってやれる社会保障を、三年でやれなんて言われますと、それは高度成長をやらなければできませんよということにもなりますので、そこらは皆さんの御
意見を十分承りながら、ひとつ結論を出してまいりたいと思います。
税制改正を来年度やれということは、これはまあ東畑さんの議論も私も拝見しております。おりますが、来年度二兆円減税平年度化するわけです。ことしこんな物価が上がって、月給三万円上げろと、春闘でもってやっているときに、二兆円減税はやめなさいという議論もあったわけですが、この間も
衆議院の集中審議では、よくもまあこのときに、夏まで物価を押えますといいながら、二兆円減税に踏み切ったことは多とすると、こういう、まあそれに近い御発言の評価をされたわけでございまして、それはいま腹背に敵を受けているわけですよ。物価も押えなきゃいかぬ、春闘はある、石油問題起こっている、ここへとにかく私鉄の問題、電力問題がきておる。そこへもってきて、二兆円減税をやるというんですから、四月一日から。ですから、これはもう来年度考えてみても、これはたいへんですよ。たいへんですがね、国民の求める
方向に沿いながら、政策は進められなければならない、こういうことで、まああえて苦難の道を選んだわけであります。その上になお、なおというとなかなかまたたいへんです。たいへんですが、しかし、たいへんですけれ
ども、これはやはり税制というものは国民が常に
検討して、納税者が
理解ができるような税制、理想的な税制をつくるということが望ましいことであって、いま五十年度に付加して二兆円減税の平年度と同時にまたやりますということを申し上げられません。しかし、やらないということも申し上げません、これは。いま
指摘されるようないろんなものがあるわけですから。そういう問題に対しましても、いろいろひとつ
検討してまいりたい。ただ先ほど申し上げましたように、土地の税制をここで考えろと、こういうことでございますが、これはひとつ国総法の中などで十分
検討していただきたいんです。確かに誤りありましたよ。これだけ、五カ年間にわたって五%、一〇%、一五%、二〇%でやるなら、個人に分譲した場合にだけこの税は適用すべきであった。これを何もそこまでやらないで、ただ持っている人が、土地を放して需要者に提供すればいいと、これはまあ少し拙速だったと思うんですよ。そうしたら、
企業がみんな買っちまった。
企業が買ったから、
企業が買う過程においては、一兆円
税金が納まったことは事実なんです、これ。一兆円
税金が納まって、それでもって減税もできたことは事実ですが、ただ今度それを吐き出させなきゃいかぬ、そのために今度二〇%重課をやった、あの
税金も私は完ぺきな税制と思っていないんですよ。税まければ安くやりますがね、税をかければ
税金分が付加されるのはあたりまえの話です。ここらはもう
一つ考えて、四月一日から実施をされることですが、個人に、個人の住宅用にこれを分離した場合は、この税は除外をするという
程度のことをしないと、これは売りませんよ。売らないから今度貸した金でしぼっていこうというわけです。金融でも今度しぼっている。土地を売らなければ営業用の手形金融はしませんよと、こう言って銀行は金融押えるのをやっているわけですから、そこらを十分考えて、土地税制というものをどこでもって切りかえるのかということを考えなきゃならぬと思います。
もう
一つ、分離課税をやめますと、今度土地は売りません。売らなければどうするかと、死ねば
税金取ってくださいと、財産税で取れますから。だから、いまの
制度は売ったときに、売買利得税を所得税として総合課税せよという議論ですから、それは売りません。せめて売っても、親子代々持っていたものを売らぬ、めし食わぬでも売らぬ、こうなりますよ。そのときに問題があるんです。それを国総法の中で
指摘しているわけですよ。売らなかったら、それは憲法の有する権限だから、私権だから制限できない。ただしその
利用権はこの
法律でもって制限しますよと、こういっているわけです。ですから、土地のレンタル
制度とか、地上権を明治、大正、
昭和の初年のように、地上権が大衆の利便に供されるような
制度を誘導政策としてとらない限り、分離したら土地は高くなるし、売りません。これは事志と違う。これはいまの市街化区域の線引きと同じことであって、絶対売らない。どんなあめをもっても、むちをもっても売らない。そこらをやはり
制度上考えなきゃいかぬ。そこらで国総法をひとつ御議論いただきたいと、こう言っているわけですから、ここらはひとつ十分お考えいただきたいと思います。それらとあわせればいろんな問題が、まあ結論が出ると思います。
利子・配当の問題は、私がやったと言うのですが、これは五万円を十万円にしてやったり、これは将来、
昭和二十年代、三十年代のような気持ちではなく、結局少額非課税
制度を拡大してきて、三十年たった、退職、自分で貯蓄をしたものは非課税二千万円
程度、それからもう
一つは、労働者財産形成が二千万円
程度までやりたいと、保険も二千万円ぐらいやりたいと、その上になお、自分の退職料は自分の会社の資金でやりたい。いま千万円まで無税なものはこれ六十年には大体二千万円まで持っていきたい。それはいまの月給だけでやっていますからそうですがね、これから二〇%ずつ上がることを考えたら、四年たったら月給倍になっちゃうんですから、世界最高なんですから、六十年たたなくたって。名目所得だけでなります。そのときに
アメリカがやっている政策と同じ財産の運用が
日本人ができないということはない、これは算術計算ですから。そういう場合を前提としながら、誘導政策としてあの政策をとったわけですから、税の公平論という立場からだけ、分離課税とか、こういう特別な非課税
制度、少額非課税
制度をやめてしまうということは、惰民政策につながるおそれがあって、これは非常にむずかしい問題で、そうなると、今度若い人たちは五〇%まで
税金とあれを
負担して、五十五歳になればとにかくみんな年金でもって食わせなきゃならぬという、現にそういう先進工業国がいっぱいあるのですから、そういうような道を選ばないようにしなきゃいかぬという、多方面からやっぱり考えるべきであります。
それからもう
一つは、一番最後は、税制の中では妻の座とか、それからいまのいろんな問題があるが、妻の座ぐらいは、これはこの間申し上げたように、これは私は、夫婦別産制をとっている以上ね、おかしいと思うんですよ。実際非常におかしいと思います。これは少なくても、均分相続制でもって三分の一妻だと、しかし、死んだ場合には、夫婦両方が死ぬ場合でなかったら、税はかけないような方法を考えればいいんじゃないかと思います。私は、まあこれはしろうと論というよりも、税をうんと、二十年も研究してきた結果ですから。これは自分の子供が車で事故を起こすと、親は黙って罰金を払ってやるわけです。罰金でも、それから補償金も払ってやる。さすがに国税庁も、それには
税金かけませんよ。親に贈与税をかけてない。しかし、財産を分けるとかけるんですから。しかし、それじゃおかしいのであって、それはやっぱり妻の手取り額というものが二〇%あろうが、三〇%あろうが、別産
制度をとっている限り、これは法定をする必要がある。これはほんとうに中小
企業の妻と、そのいまの税法上の
事業主との間には不公平がある。こういう問題に対しては十分勉強してまいります。
あとの千七百ないし千八百億の今度の特別会社税、これは議員立法でございますし、まだ両院を通らないうちに政府がその使途などを申し上げられるわけはありません。