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参考人(森茂君) 私は、
電力産業に働く労働者で結成しております
全日本電力労働組合協議会の事務局長をしています。実はこの
原子力問題ないしはそれにからむ
発電用施設周辺地域整備法案と非常に深い関連を持っておるわけなんで、これは私ども自身の問題と、それから
電力産業がいわゆる
原子力公害をまわりに振りまいていくその問題をどうするかということで、
国民に対する責任を私たち
電力労働者は負っておると思うのです。そういう意味で、過去にも、またこれからも
原子力問題について海外の文献をはじめ、国内でいろいろな議論があります、そういうものには常に検討を加えてきているのですが、そういう
立場から、結論的に申し上げれば、
発電用
周辺整備法案については、反対の
立場から
意見を若干申し上げてみたい、こういうふうに思います。
第一点は、この
周辺整備法が出された背景というのは、先ほど
参考人の方からも申されましたが、最近
発電所の
立地条件がたいへん
住民運動やあるいは労働組合等の反対で計画が推進しにくくなっている。そういうことで、火力にしても、あるいは
原子力もそうでありますが、
発電所をつくろうとすると必ず
住民や労働組合の抵抗にあっている。一昨年あるいは昨年、計画の着工ができないというのが実情になっていると思うのです。昨年で着工したところでいいますと、たとえば北海道の伊達火力、これは機動隊を導入して着工するというような非常に暴力的なやり方での着工になっている、こういうふうに思うわけです。特に
原子力発電所につきましては、これは私どもはいままでにない新しい
公害が今後起きてくる。
御承知のとおりに、
発電所の
公害というのは歴史がございます。たとえば、
発電様式が時代とともに
変化をしてきました。最初の石炭火力の場合は、これはまつ黒な煙が最初は出ていたわけです。最近の技術でいきますと、電気集じん機等々で集じんをいたしますれば、目に見えないものになってきますけれども、しかし、とにかく当初の段階では、まつ黒な煙を出しておった。非常にわかりやす、わけです。その次は、石炭火力の
発電所になって、この石炭火力の
発電所というのは、これは黒い煙を出しません。煙突はありますけれども、ほぼ煙は白い煙がときたま見えるという
程度でしかありません。しかし、これは亜硫酸ガスやその他のバナジュームなど重金属までも振りまいているわけで、たいへんいま問題になっているところなんですね。
ところが、
原子力発電所になりますと、いよいよそういう測定すら普通の人にはむつかしいというような状況のものになってくるわけです。いわゆる放射性物質が、煙突とは言えない排気塔から出てくるわけなんですが、全くこれは測定も非常に科学的にやらなければ、機器を使ってやらなければできないという状況のものになってきている。しかも、それにちょっと触れたからといっても、大量の
放射能なら別として、少量の
放射能に触れたからといって、いま直ちに被害が出てくるというものではありません。しかし、それが十年や十五年そういうあとの世代に非常におそるべき遺伝障害となってあらわれてくる。こういうところに大きな
原子力公害の問題があるだろうと思います。
いま政府筋でも、あるいは
電力会社でも、
石油発電を
原子力発電に大きく切りかえていこうという政策が推進されているようです。いわば石炭から
石油に
発電様式を変えた、それ以上の第二次の
エネルギー革命といってもいい状態が展開されていると思うのです。ところが、先ほど申し上げましたように、そういう状況の中で火力
発電、あるいは
原子力発電、こういうところが
立地に関してはものすごい抵抗を受けている。そういうところから、その
関係住民にこういう
周辺地域の
整備法でもって見せかけの
住民福祉をやって、そうして、いわば非常な危険性を金で買おうというような
法案ではなかろうかと私は思うのです。
なるほど
過疎化が進んでおります。もちろん
過疎といっても、
日本のような狭いところの
過疎でありますから、
原子力規模で
原子力公害という観点から
考えますと決して
過疎ではないんですが、
一般的に見る目でいう
過疎というのは確かに進んでおります。そこにたとえば一年間に五億円の金を投入する、三年間投入すれば十五億円であります。そういうものでりっぱな学校ができたり、あるいは保育所ができたり、いろいろ
公園ができたりするということは、それは
住民にとっては非常にだまされやすい。特に
原子力公害が、目の前というよりか、むしろ遺伝にからむ重要な問題をはらんでおりますので、将来のことになるものですから、非常にだまされやすい性質を持っているのじゃないか。そういう意味では、まずはやはりこの
原子力公害の問題をこの
商工委員会でも十分検討していただきたい、こういうふうに私は思うわけです。
現在、
電力会社の安全なんだという
論理の中ではどういうことが柱になっているかと申しますと、たとえばバックグラウンドの天然放射線量は、大体世界的に見て年間百ミリレムから百五十ミリレムぐらいだと、こういうことを言われております。平均すれば、大体百十ミリレム前後ではないかと、こう言われています。ところが、それも年度によって違う。プラス・マイナス大体一〇%ぐらい年度によって違いがある。一〇%の違いといえば、大体十ミリレムから十五ミリレムということになります。もうこのバックグラウンドのプラス・マイナスの範囲内ぐらいに放出される
放射能を押えるならば安全なのではないか、安全なんだと、これが
電力会社の
論理になっている。
しかし、ここで
考えなければならないことは、こういうことが言えると思います。それは、このバックグラウンドの
放射能自体が無害であるという前提にこれは立っているんじゃないんだろうかと思います。ところが、今日われわれが受けている自然放射線量によって、白血病だとか、あるいはガンだとか遺伝障害を受けております。これは学者はだれでも異論のないところです。したがって、かりに非常に微量な放射線であっても、明らかにこの自然
放射能の上に上積みされることになります。当然にも、白血病だとかガンだとか、あるいはさまざまな遺伝障害だとかいうものが上積みされるということになるわけです。そういう意味では、全くごまかしの
論理だと私どもは思うわけです。
それから、さらに申し上げてみますと、上積みされる分というのは、これは原発だけではありません。原発だけを自然
放射能に加えておるということになるかと思うのですが、それだけではありません。今日、レントゲンその他で医療用の放射線が使われております。この放射線量は、世界の学者の話によると、大体年間三十五ミリレムぐらい医療用の放射線を人体は平均的に浴びていると、こういわれております。これは東大の秋田先生あたりも明らかにされているところです。ところが、この医療用放射線の問題が、アメリカをはじめ世界でいま問題になっております、これはかけ過ぎなのではないか、これはたいへんなことなんだと。で、合衆国の遺伝
委員会の六人メンバーが計算したところによりますと、現に使っている医療用の放射線で、大体一世代について、次の時代に五十万人の具体的にあらわれる欠陥児、これを生み出しているのではないか、こういう計算をアメリカ合衆国の遺伝
委員会の六人メンバーが計算をしております。
この合衆国の遺伝
委員会のメンバーの話によりますと、大体次の時代に子供が一億人生まれてくるというのですね。その一億人生まれてくるうちに、生まれた直後か、もしくは成人するまでに明らかに欠陥と認められる、たとえば精神障害だとか先天性奇形だとか、あるいはつんぼだとかめくらだとか、さまざまな障害が一億人生まれてくる次の世代の子供のうちに二百万人いるといわれます。そうすると、その中には医学用のレントゲンによって、医学用の放射線によって出てくるのが約五十万人含まれているということになる。非常に微量な今日の医学用の放射線すらいま問題になっている。なるべくレントゲンにはかからないようにしよう、しなきゃならぬということが盛んに言われるようになってきているというふうなことであります。そういうふうに
考えてみますと、わずかな量の放射線が
環境に放出される——
一つ一つの
発電所をとって見ればあるいはわずかかもしれませんが、たいへんなことになるのじゃないかというふうに
考えます。
それからさらに、三番目に申し上げてみますと、この相乗効果が
考えられるわけです。たとえばこの放射線が、単に自然
放射能、あるいは医療用、その上に積み重ねられるだけではなくて、
放射能が
環境に排出されることによって、
かなりな相乗効果を生むという研究がアメリカでやられております。これは、ウラン鉱で働く鉱夫の死亡の
原因と、それから放射性物質との
関係を十数年にわたって研究した結果として、最近の科学雑誌の道家さんの論文に載っております。それによりますと、たとえばウラン鉱で働く鉱夫の死亡率をとってみると、これは、たばこをのみますと一定
程度呼吸器ガンの発生率が見られる。たばこによる呼吸器ガンの発生率は、たばこをのまない人の場合は一万人に一・一人だと、ところが、たばこをのむ場合には一万人に四・四人だといわれております。そういう統計があるそうです。ところが、ウラン鉱に働く人々がたばこをのみ、かつ、そういう放射線を沿びることによって非常に呼吸器ガンの発生率が高まってきております。
たとえば、たばこをのまない人がウラン鉱で働いている場合は、先ほどの一・一人の発生率が七・一人にはね上がります。いわば六人だけウラン鉱に働いて、ウランの
放射能によってそれだけのものが倍加されたのです。ところが、たばこをのむ場合はどういうことになるかといいますと、たばこをのんでいる人の場合は四・四人、先ほどのウラン鉱に働かない場合はそういうことですが、ウラン鉱による
放射能による呼吸器ガンの発生率がいま申し上げたように認められるとすれば、この四・四人に六人を足せばよい。大体十・四人呼吸器ガンが出るはずなんです。ところが、それが四二・二人という膨大な量にあがっている。いわば四倍近くの発生率が生まれてきている。これは
放射能の害というのは、いろいろなものに相乗効果を及ぼしていくということを示しているのではないかと
考えられるわけです。
それから、特に私どもの問題ですが、
電力会社やあるいは
原子力機器製造メーカー、これは補修なんかも受け持ちますから、こういったものは請負と
電力会社のほうでは言っておりますが、請負業者とか、請負労働者とか呼べると思いますが、
電力会社の正社員や、あるいは
原子力機器製造メーカーの維持補修に当たる労働者、これの被曝はたいへんな問題だと思います。国際放射線防護
委員会の規制、これはどういう数値になっているかといいますと、御承知のとおり、公衆の中の個人の場合は、年間五百ミリレムとなっている、職業人の場合は五千ミリレムと、こうなります。で、わが国の公衆の規制は、大体国際放射線防護
委員会の年間五百ミリレムで規制しているようです。
ところが、アメリカにおきましては、ゴフマン、タンブリンの公衆に対する線量の限度がおかしいではないかという論争の中から、最近に至り、公衆の中の個人については年間五ミリレムと、一挙に百分の一に下げざるを得なかった。で、公衆の、中の集団に至っては、これは遺伝因子と
関係があるわけですが、一ミリレムと、その五分の一になっている、こういうところに規制値を落としたわけです。ところが、われわれ労働者の場合、先ほどの国際放射線防護
委員会の場合は十倍の規制値を設けている。ところが、
電力労働者にしろ、あるいはそういう機器メーカーの労働者にしても人間にかわりはないわけなんです。何も十倍の被曝量を受けて安全だということは絶対にないのです。まあ、そういう意味ではたいへん問題があるところだろうと思うのです。
現実に、たとえば労働者の被曝を見てみますと、敦賀の
発電所の場合、年間平均七百ミリレム受けているわけです。これはアメリカ
原子力委員会の公衆に対する個人の規制値からいきますと、いま申し上げた年間五ミリからいきますと、百八十倍に相当するものを現実に受けております。美浜の場合が六百ミリレムです、百二十倍です。福島の場合も出ておりますが、非常に多くの被曝が出ております。そして、たとえば東京
電力の火力
発電所の職場で、
原子力発電所に配置がえだという話が出てきますと、子供をもちあげていかなければたいへんだという話が出ます。本人はそれでいいかもしれませんが、今度は子供を連れていくわけですから、子供だって将来大きな被害を受けるというふうに
考えていいと思います。これは社員の場合です。それから実際に
地元から雇う、たとえば燃料冷却槽の掃除をやったり、いろいろする雑役夫を
地元から雇ったりします。この被害はもっと大きな
放射能を浴びるという傾向にあるというふうに申し上げておきたいと思います。ともあれ、平常運転時にそういったような被害を受けるわけです。
事故時の場合はもっと大きな被害を受けるということは明らかです。
事故は何重にも安全にしてあるのだからないのだと、こうおっしゃるのですが、化学工場がそうです。最近爆発が相次いておりますが、これは何重にもやはり装置がしてあるのです。してあって、なおかつ爆発が起こるわけです。それから、われわれが現場で働いている場合にいろいろ
事故を、たとえば労働災害が起きます。死亡
事故が年々数十人にのぼっているわけです、
電力産業で。その死亡
事故を起こったやつを見ますと、絶対に
考えられないような
事故の
原因が
幾つも一時に重なっておる。そんなふしぎなことがあるだろうかと思えるような偶然の
事故が五つも六つも重なって、そしてああいう死亡
事故になっている。その死亡
事故は年間相当な数にのぼっているわけです。そういう
事故の実態です。
したがって、そういうところから類推をいたしましても、
原子力発電所は必ず危険な
事故が起こる、その徴候はすでに関西の美浜一号機では蒸気発生器に起こり得べからざる
事故が起こっておる。あるいは、同じ美浜の二号機にしても燃料棒が曲がる、そして、その
原因を追究することなく単に燃料棒をかえればいいと、こう言っているんですね。ところが、また同じ
事故が起こって燃料棒が曲がって、その力で炉心を
破壊したらたいへんなことになります。これはもうものすごいものになりますし、それから、そういう曲がりが出てきますと、かりに接触しなくても制御装置が動かなくなる、もうそうなれば緊急冷却装置も何もあったものではない、こう思うんです。そういう意味では、すでに
事故の徴候は、各
発電所で大小さまざまな形で今日
事故の状況が、まあ大
事故を予言するような非常に重要な
事故が今日起こってきている。
しかも、今後の
開発計画ですが、六十年に六千万キロワット稲葉試案が出されております。これはたいへんなことだと思うんですね。そして、単に
原子力発電所やその
周辺に働く、あるいは
周辺の
住民の
公害だけではなくて、これは
周辺の野菜だとか、動植物だとか、魚介類を
汚染していきます。複雑な食物連鎖を通じて
日本国民の中に
原子力公害を次第次第に広げていく、こういう性格を持っているものであり、まだいまなら私はおそくないと思うんです。いま
原子力発電所というのは、まだまだ実験研究の域を出ていないと思うんです。
安全性は決して立証されておりません。そういう意味では私は、
原子力発電所に対して将来とも
建設してはならぬなんと言うつもりはありません。やはり将来は、もっと進んだ形の
原子力を使う
発電様式が出てくるだろうと思います。しかしながら、現時点では非常に危険なんですから、これはぜひもうやめていただいて、実験研究をさらに積み重ねる、そのためには、どうしても営利会社である
電力会社にこういうような
原子力開発をまかせるということ自体が、たいへん問題があるというふうに
考えるわけであります。
そういう意味では、やはり国家がもう少し
ほんとうに責任を持たなければならない、そういう意味では、いま審議なさっていらっしゃいますこの
発電用施設
周辺整備法案というのは、非常に重要な問題を含んでいるんじゃないだろうか。特に田中総理は、道徳教育の高揚論者であり、道徳教育の
立場から
考えても、非常に危険だということで直感している
住民の反対を札たばでほっぺたをたたいて、そしてそういう危険を金で買うような、そういう
法案じゃないかと私は思うんです。その他、たとえば
発電の今後の
発電力の増強の問題や、あるいは温排水の問題等々、いろいろ問題あります。しかし、時間もやや超過いたしましたので、以上のような点で
陳述を一応終わりたいと思います。