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参考人(
若松栄一君)
日本公
衆衛生協会というのは、実は昨年、九十周年の創立記念をやりました。したがって本年、九十一年目になるわけでございますが、名前は実は三回変わっております。変わっておりますが、最初のころから九十一年目ということで、最初は明治十六年に大
日本私立衛生会という名前で発足しております。
明治十六年でございますから、わが国がまだいわゆる発展途上国みたいな
状態にあった時代、そのころに医学の先覚者が、欧米等に比べて
日本の医療事情は非常に悪いということで、民間においてもこれを大いに改善する必要があるということで私立の衛生会、つまり民間団体として公衆衛生の仕事、いまで言えば公衆衛生の仕事をやっていこうというのが出発でございます。したがってその当時は、そういう古い時代でございますから、官民の最高の権威者が集まって実際には組織しております。したがって会長は当時は佐野常民
先生、つまり大蔵卿をやられ参議をやられた方が会長、そして副会長には長与専斎
先生というような形で、官民の総力結集という形で発足しております。したがってその当時の目的は、現在でいう公衆衛生、あるいは産業衛生、学校衛生、軍人衛生まで含めまして、あらゆる衛生問題をやっていこうという姿勢でございました。
それが出発でございますが、その後、
昭和六年に財団法人
日本衛生会というものに衣がえをいたしております。これは時代の変遷で、公益法人としてやっていくということで法人に衣がえをしております。しかし性格的には大きな変化はしておりません。主としてこのころは伝染病予防という問題に主力を注いでおったようであります。それが
昭和二十六年までで、終戦後でございます。
それで
昭和二十六年に、
財団法人日本公衆衛生協会という近代的な名前に衣がえしたわけです。しかし実質は、明治十六年以来ずっと事務所その他も続いておるわけです。
そういう
関係で、保健衛生
関係のあらゆるものを担当する民間団体でございましたけれ
ども、世の中がだんだん進歩してまいりますと、たとえば伝染病予防の問題の中でも、結核に関しては結核予防会ができる。らいに関してはらい予防
協会ができる。あるいは性病に関しては性病予防会ができる。最近は成人病等については成人病予防
協会とか、あるいはガン予防
協会というものができまして、個別の予防事業がどんどんそれぞれ分家して独立していくという形になりまして、現実に現在の公
衆衛生協会というものは、独立していった分家の残りをやっている。ということは、結局は個別の縦割りの事業はそれぞれの団体ができましたので、横割り的なことをやっているというのが実情でございます。したがって、横割り的のものといいますと、衛生教育であるとか、あらゆる分野に関する衛生教育であるとか、あるいは広報
活動であるとか、あるいはもう
一つ一番大事なことば、衛生
関係の
方々のコミュニケーションの中心であり、いろんな衛生
関係の団体の連絡調整、世話をやるというようなことになります。
したがって現実の問題といたしましては、たとえば衛生部長会というものがございます。各都道府県の衛生部長の集まりがございまして、衛生部長が自主的にいろいろなことを
討議し
検討していく場合に、事務所がないと困りますので、われわれがその事務所を引き受けております。
また、公衆衛生学会というものはあらゆる部面の公衆衛生の仕事、学問をやっておりますけれ
ども、この世話をするものがおりませんので、私
どもが
日本公衆衛生学会の世話をいたしております。しかも
日本公衆衛生学会というものは、
昭和二十六年の財団法人に改正になって以来、
日本公
衆衛生協会になって以来、私
どもの公
衆衛生協会の
一つの事業として公衆衛生学会をやってまいり、法人の一事業としてやってまいりました。しかも、これも二年前に独立いたしまして、
日本公衆衛生学会というものが独立いたしまして、私
どもは現在その協力的な立場に立って、公衆衛生学会の事務局はやっております。しかし学会は独立した。そういうような
関係で、私
どもの団体が現実には衛生
関係の、都道府県の衛生行政に従事している方たちの中心になり、また公衆衛生学会を長年主催してまいりました
関係上、公衆衛生
関係の学者の
方々の集まりの中心あるいはコミュニケーションの中心というようなことになってまいっております。
そういう
意味で、私
どもの現在の一番大きな特徴といいますのは、そういう衛生
関係のあらゆる現場の行政官あるいは学者という
方々と非常に昔からの連絡連携があって、そういう
意味で、たとえば今度のような
神通川あるいは各
鉱業所等の
調査研究などをいたします場合に、私
どもが呼びかけますと県当局も率直に協力していただけますし、また学者の
先生方も長年のつき合いでいろいろ顔見知りもある。したがって、どういう方がどういうところにどういう仕事をしているというふうなことがよくわかっておりますし、お互いの気持ちも通じておりますので、私
どもが主催をしてお世話をすると、学者の
先生方あるいは県の
方々との協力
関係も非常にスムーズにいくというようなことで、こういうような
研究をお引き受けして世話をするということになってまいったわけであります。
そして第二番目の、一体いままでにどんなふうにやってきたかということでございますが、
公害問題の
研究は非常に新しうございますので、
公害関係では四十年度から実施しております。四十年度に
鉱山廃液中の微量重金属が人体に及ぼす影響というようなことと、大気中の
汚染物質の人体に及ぼす影響というようなことから委託
研究を始めております。それから四十一年には一件だけ委託
研究をやりました。四十二年から五件の委託
研究、その中にはイタイイタイ病の
研究がございます。そういうことで重金属
関係あるいは大気
汚染、さらに振動というような
公害関係の
研究を順次委託を受け、それが最近の事情と並行いたしまして、だんだん数が多くなってきているというのが実情でございます。