○
佐々木静子君 この
じん肺の問題とは少し離れますが、これがまたたいへんに危険なおそろしい
作業であるということを、これは保線、検査
作業に従事している人たちからいろいろと聞くわけなんでございます。これはやはり
列車がうまく通過できるかどうかということを検査するわけでございますから、線路の中にあるいは線路のすぐそばを歩いて見回りをしなければならない、ところが過密ダイヤとなって次から次へと
列車が運行される、ちょっとした油断もできない、二分に一回ぐらい
列車が来る、それからスピードが非常に早くなっているので、気づいたときにはもうそこまで来るというふうな
状態で、全く命がけの仕事である。まあこういうふうなことも、これはしかしそういうふうな、もう少し機械化された
——このような命を投げ出してのこの検査掛の犠牲の上にいまの
新幹線というものが運行されているという現実を考えますと、何とかほかに
方法はないのかと思うわけですけれ
ども、この
労働者の
方々の
お話によると、自分たちはいつも死と隣合わせの
状態で働かなければならない、そうして特にトンネル内における検査
作業というものはたいへんに危険を伴うもので、たとえば
六甲トンネルの中においては六十センチあるいは七十センチぐらいのみぞが上り下りの線路の間に掘られてあって、
列車が来るとなるとそこへうつぶせになって地面に、穴の中に飛び込んで伏さなければならない、それが二分に一回ぐらいの
状態で
列車がやってくる、二百十キロというスピードは全くジェット機がすぐそばを通り抜けたようなスピードであって、ちょっとでもそのときに一分の秒差があっても
新幹線に触れて触死してしまう、もうただぶつかって死ぬというだけでなくって、それだけのスピードのある物体に当たった場合はあっという間に人間はミンチになってしまう、
あと、その死体の取り片づけば、それこそ水を流すだけで死体は取り片づけられるような
状態にまでも場合によればならなければならない、そういうふうな危険の中に自分たちは四六時中さらけ出されて、
新幹線が間違いなく運行できるように働いてきているわけです。そのことに対して、あまりにも
国鉄当局はもう自分たちの
労働者の犠牲の上にあぐらをかき過ぎているんじゃないか、そういう事柄に対するいろんな訴えが出てきているわけなんです。
私も実はこれほどまで原始的な、あぶない
方法がこの検査
作業にとられているということは十分に知っておらなかったわけでございまして、いろいろと詳しい事情を聞いたり、図解もしていただいたり、あるいはできるだけ注意を払って観察しているわけなんでございますが、まことにこれはたいへんな問題、人権上の問題じゃないか。特にトンネル内で上り下りがすれ違ったようなときは、それこそこれで命が終わるのではないかと思うような
状態が毎度あって、一日に何回かそれに遭遇しなければならない。また、雨でそのみぞがぬれているとき、あるいはこれはトンネル内ではそういうことないと思いますが、雪でひどいときなどは、
列車がくるのでみぞの中に飛び込んで下に伏せたりしたような場合は、もうどろどろになってしまって衣類もねれて、からだもぬれる、こういうふうな
状態の中で検査
従業員が働いている。こういうふうな事柄に対してあまりにも危険じゃないか、あまりにも原始的じゃないか、人命軽視じゃないかと思うんですけれ
ども、
国鉄当局とすると、この検査の実情、このままで放任しておいていいとお考えですか、どうですか。