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杉山善太郎君 まあ
審議官は予想どおりの答弁でありますけれども、なるほど歴史の
流れと具体的なカレンダーの上にマークすれば、ことしは七四年、昨年は七三年でありますけれども、この
日本の
港湾のあり方というものと、それから
港湾の労働事情の経緯、推移からいけば、長年に
港湾労働者が未組織の段階からつくってはこわされ、つくってはこわされ、まずく言えば、
日本の有数の暴力団の
資金源という形で手配師というものが
港湾に横行しているような中から、国際的に踏んまえて
日本は貿易なり、あるいは
港湾なりに、そういう立地というものを活用していくよりほかに
日本国は呼吸していく道はないんだと、歴史的にいけばいいけれども、マークすれば、これは昨年ですけれども、新しいからまだまだというような、そういうことは、そんなものは聞かなくてもわかっていることですよ。聞かなくてもわかっておりまするけれども、そういう過程で、別にあなたに対してここで問答していると先が詰まっちゃいますから言いませんけれども、そういう点について、この条約案が採択された過程については、あなたのほうの課長がこれの専門的というとおかしいですけれども、非常にたんのうだが、扱っておる課長が行って、
相当に勉強しておって何もかも身につけておって、現に全
港湾を主軸とする
港湾労働組合全国協議会ともいろいろな日常の中のことばのやりとりは、これはとにかくたてまえはどうあっても実際は、
日本の実情は急ぐ必要があるのだというとらえ方をしておってもらうべきであるし、それはそうしなければならぬという、そういう問題であると思います。
これは昨年のことであって、まだ勧告がどうだ、批准がどうだというような紋切り型じゃ済まされない問題だと思いますし、これは労働省所管でありますけれども、運輸
大臣もよくこの
港湾においては十分歯どめがかみ合った態勢でひとつ前進的に扱って、この
港湾労働者のあり方というものが大型化や
機械化やサイロ化によって、労働権がどうなってくるんだというところまで落ち込んでしまえば、これは実もふたもありませんから、そういう点について、これは先へ進めますが、そういうことですから、
審議官ひとつ頼みます。去年のことだからまだいいよ、これからやりますなんということはたいへんなことだと思います。
カーフェリーの問題について、これはひとつ運輸省と、労働省のほうにも
関係があると思いまするけれども、全
日本港湾労働組合で、この
カーフェリーの足が長くなって長距離化してきております。いままでは
カーフェリーが瀬戸内を便宜的に歩いているうちはそれでいいのでありまするけれども、非常に長距離化してきますというと、
最初の時点がトラックで
貨物を積んできて、そしてそこでトラックを船に積んでいって、これは一つの橋だわいというふうに考えておったわけです。港から次の港まで、そこで受け渡しをする橋だと、たいして神経とがらす必要はないということになりまするけれども、今度
カーフェリーが非常に長距離化してきますというと、太平洋水域から
日本海水域、しかも北海道の苫小牧だとか小樽だというところに無人トラックが行くということになると、いままで
港湾で働いておった
港湾労働者というものはお茶をひいちまうというような
かっこうで、背に腹はかえられないということで、この
大阪の
埠頭で三千人が
カーフェリーを巻いて、そこで背に腹はかえられないから、いわゆる
カーフェリー公社であるとか
港湾協会というものが出てきて、そしてやはり近畿海運局だとか
神戸海運局であるとか、市の労働基準局
関係者も集まって、ともあれ問題を、お茶を濁すという形ではなくて、可能性を追求しながらその処置をしようという
経過処置は踏んまえておられると思いますが、その問題の扱いについては、それは
大阪地方のできごとであっても、全体として先ほど申し上げたとおり、近代の海運の事情というものは、大型化、
機械化でなくて、
カーフェリーのつまり航行の距離というものが中距離から長距離化してきておる。したがって
港湾荷役作業の
状態というものに大きな変化が来ておるというような、かいつまんで
経過的な処置と、ついこの間でしょう、
港湾労働組合の代表者と具体的な問題の扱いについて、これは海運局、
港湾局ですか、折衝しておられると思いますが、時間がありませんから、ひとつ大体私の言わんとすることを踏んまえて、ずばりでひとつお答えいただきたいと思います。