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大野(市)
分科員 そうですね。したがいまして、比率でいうと、百万からの全
法人の中で九十九万二千が同族会社ですから、これは
大蔵大臣もお聞き取りをいただきたいのですが、九割六分五厘というものが同族会社なんです。ですから、先ほど申し述べられたように、同族会社は、特定の個人が会社の意思決定を左右し、税負担を不当に減少させる可能性があるという立法趣旨であったと
思います。
そうなると、この
実態からいうと、同族会社というのは
法人だと言っていいことになるのですよ。こと
ごとく
法人だと言っていいわけです。しいて言えば、一億円以上の全
法人九千のうち同族会社が六千ですから、一億円以上になると、六割五分が同族会社というような比率に下がりますけれ
ども、ほとんどすべての
法人は同族会社です。これに御留意をいただきたいのです。
そうなると、最初のように、四万四千あったうちで保全会社が九百だ。これは有価証券と
不動産の運用収益によって得た利益、これを逃げようとするのを押えるんだというような形で大正十二年に始まったものが、今日に至りますと、ほとんどすべての
法人は、税務署長に白紙委任を渡しておる税の運用だということになったのです。これに着眼をしていただきたい。それが
一つ。
それから、
あとでまた時間があると、詳しくその理論の基礎を申し上げますが、第二点は、立法趣旨で端的に述べられた、それに対する全く逆の反論が用意してある。これを御判断いただきたい。すなわち、そのような形での立法趣旨は、はたして同族会社だけなんだろうか、この疑問を持ってみたわけです。そうすると、非同族の会社、その数はわずかに三・五%です。百万の
法人のうちの三・五%しか残っていない非同族会社であっても、自分の株主の租税負担の軽減ということであるならば、非同族会社でも、多数株主の意見が一致する可能性は大いにあると断言できる。あるでしょう。これがもし違ったら、後ほど違う理由を述べてください。それが
一つ。
第二、非同族の大
法人を考えましょう。一億円以上、その非同族の大
法人では、
企業を系列化している場合には、その系列下の会社相互間や、会社とその株主、役員との間での意思の疎通は容易である。不当な税の逋脱が行なわれる蓋然性も高いと見るのが間違っておりましょうか。そして、さらにそれを裏づけるものとして、同族会社であればあるほど、その会社の財産の保全ということは命がけですよ。経営と所得の分離といいましょうか、新しき株式理論に基づく、経営と所得の分離のこの理論に基づいて、擬制的に先ほどのような議論が成り立つんだと、あるいは当局はお答えになるかもしらぬけれ
ども、それらの会社の中では、多数の一般大衆株主は、経営自体には無関心です。一部の株主が経営をやっておるのが
実態ではありませんか。これに反論があるなら反論をお聞きいたしたい。そしてしかも、それらの経営者は、実はお雇いマダムなんですよ。そうなったら、その同族会社が倒れたり同族会社がなくなるということになったならば、その
企業の大きな株主は路頭に迷うわけです。だから大事にします。
したがって、国が徴税の根源として育てるべき、租税の源であるそのプールは、池は、豊かに水をたたえて、長く国家が租税収入を獲得することも可能でありますが、そのお雇いマダムの無責任な実例が、このごろは非常にたくさん新聞紙上に伝えられておるではありませんか。このような形になったときには、これらの諸君は、その会社やめたら無
関係なんですよ。膨大なる退職金を取って、それでさようならなんですよ。
このような形で、日本の国の
企業の安全、発展をはかるという別な
政策目的、立法目的を考えたときには、同族会社の運営などといって、それらのものが、特定の個人の恣意的な意思によって租税回避をはかるものである。そういう前提自身が、国民に対するはなはだしい冒涜であると私は言うていいと思う。しかも、全
法人の九割六分五厘、これだけの
人たちを、みんな不正画名だという前提で国の政治がとられていいものでしょうか。私はこの点を主張いたしたいと
思います。
そういうようなことがありまして、これは
あとで反論があればお答えをいただきたいが、つまり、大正十二年の時代とはもう違っちゃった。もう全然違っちゃった。そして、会社というなら、同族のほうがあたりまえになっちゃった。
もう
一つ言いますというと、今度は社会問題です。今日の同族会社、八百屋のおかみさん、魚屋のおかみさんが会社の専務です。社長さんは多少元気がいいが、専務さんはおかみさんなんだからして、ほとんど知らないところへ――直
税部長は見えましたか。――これはいけないよ。だって、このことを言うてきたら、税の徴収の問題に必ず触れるんだからね。直
税部長に問いてもらわなければかないませんよ。
大臣が一々お指図なさるたんということは、われわれはそんなことは
要求しませんよ。国税庁長官はかぜ引きだからしかたがないが、しからば直
税部長が来なければ困る。主査、これはひとつやはり御注意願います。
そこで、そういった場合に、税務署長に権限をまかしたというけれ
ども、どういうことをやっているか。これを言ったって、主税局長じゃどうしようもないが、与党でありますから、それは御注意を申し上げて次へ進みますが、これは税務署長に白紙委任だといったって、この連中は、同族会社は行為、計算否認はできるんだぞと言ったって、中身は知らないのですから、あんた、何か言ったってそれはやられるんだよというようなことを言われたら、びっくりしちゃって、とにかくなるたけ税金が少なくなればありがたいかなというような話が、民商をばっこせしめる根本になっておるのです。
ですから、法理論的にいえばこういうことになるんですね。租税
法律主義というのがございます。この租税
法律主義に基づいて、課税要件等法定主義の原則があるはずです。それによって、納税義務者、課税物件、課税標準、税率、納付、徴収の手続などにつき、
法律によってできるだけ詳細に規定するのが原則とされておるはずです。
第二には、税務行政の合
法律性の原則が定説となっておりますから、これに基づけば、税法に従って厳格に租税の賦課徴収をすべきであります。これを裏づけるものは、御承知のように、憲法三十条の納税の義務、「
法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」八十四条の課税で、
法律または
法律の定める条件によって租税を課せられるという憲法の原則からこれが出ております。これが理論根拠です。
しかるに、問題点は、いかなる行為または計算が、いかなる基準で否認され、その結果いかなる課税がなされるか、行為、計算も、基準も課税も、具体的に記載のない
法律なんですね。ですから、これはどうも封建的、官僚的色彩が濃厚である。これは見直すべき時期が来たのでなかろうか、こういうのであります。そして、こういうようなものであるために、国民の租税負担義務の発生は、税務署長の裁量に白紙委任的にゆだねられておる。法的安定性を害しておるのだ。つまり、発生すべき税法上の権利義務
関係の
予測がつかないために、納税者の地位がきわめて不安定である。いわゆる、法的安定性を阻害するということは、税法を見直すときの大きな根本指針だと思うのです。
この問題がございますので、言うなれば、国税の不服審判所があるではないかという説があるかもしれませんけれ
ども、これは事後救済にすぎないわけです。ですから、その他の
法律では全部
あとでやることはないので、民法でも刑法でもストップはかけられるのですよ。刑の執行がないのです。こういうような点が、非常に重要であろうと
思います。
私は、結論を答えていただく時間がないようでありますから、結論を急ぎますが、要するに、そういう主張の上から、やはりこの際、いかなる要件で、いかなる行為が否認され、その結果どのように課税をするか、具体的に規定をされるようになさっていただいて、同族会社なんということばを抜いてしまうべきです。九六・五%なんですからね。
あと三・五%が残るだけだから、同族会社なんて言わないで、会社はでけっこうだ。会社はでけっこうで、こと
ごとく証拠で立論をすべきである。税の負担を不当に減少する結果を招来するとするならば、その証拠を示されて、そして証拠主義によって課税を具体的にされるべきである、こういうふうにすべきです。
私は、それで現行法を云々だけしておるわけにいきません。私は、この新しき時代において、この民主社会に変化された時代において、「
法人税基本
通達の制定について」という前書きを、私は高く評価しておりますから、
大臣にもその意味合いにおいてはお願いをし、御期待を申し上げても、それは御理解がいただけると信じてこの発言を続けておるのです。ですから、「
法人税基本
通達」をやっていただくなら、民主的な
税制であり、国民全体のために必要のあるお金を使うために出していただくお金だから、快く協力をしてもらいたいということが、これを読むとわれわれは理解できるので、最後にこれをちょっと、この部分はよかったと思うことを申し述べさせていただきます。
それは、その一部だけでありますが、「
通達の個々の規定が適正な
企業会計慣行を尊重しつつ、個別的事情に即した」この「個別的事情に即した」がたいへんいいことだと私は思う。「弾力的な課税処理を行なうための基準となるよう配慮した。」こういうのです。たいへんいいことだと
思います。
あとは中略しますが、「従ってこの
通達の運用に当たっては、法令の規定の趣旨、制度の背景のみならず、条理、社会通念をも勘案しつつ、個々の具体的事案に妥当する処理を図るよう努められたい。いやしくも
通達の規定中の部分的字句について形式的解釈に固執し、全体の趣旨から逸脱した運用を行なったり、
通達中に例示がないとか
通達に規定されていないとかの理由だけで、法令の規定の趣旨や社会通念等に即しない解釈におちいったりすることのないように留意されたい。」と結んでおられるこの
通達は、近来にない、非常に実情に合った、国民の協力が得られるに違いないと思う行政府の意思表示であると思って、高く評価を申し上げます。
どうか、この評価以上に、ただいまの同族会社を、ただ
法人と読みかえることに対して、政府は前進のお気持ちがおありになるかどうか、
大臣からお答えをいただきたいと
思います。