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大出分科員 たいへんおそい時間なので、かえって恐縮でございますけれ
ども、この
文部省通達をめぐりまして、ある町を二分する傷害事件まで起こった争いがなお続いております。子供に与えるたいへん大きな影響も一面ございますので、きょうは短い時間ではございますが、
文部省の責任というものを明らかにしていただきたいという
観点で、御質問をいたします。
場所は、山梨県の県境にきわめて近い、もちろんこれは神奈川県でございますが、津久井湖を囲みまして、裏丹沢に広がっております藤野町という町がございます。ここには三つの中学がございまして、藤野中
学校という中学がまん中にありまして、両方に佐野川、牧野という中学がございます。
ところで、問題の発端は、四十六年の三月にこの藤野町の町議会が、
文部省通達を受けまして佐野川、牧野両中学を藤野中学に統合する。統合する限りは、もとの佐野川、牧野両中学は廃校になるわけであります。ここで、つまり藤野町の町議会が統合に関する条例を強行して
成立をさした。もちろん、この背景には、県当局を通じて統合促進を強く町の
教育委員会にものを言っている背景がございます。これは御存じだろうと思っております。
そこで、四十六年三月以来、反対派、賛成派に分かれまして、特に反対運動が起こりましたのは藤野中学の学区の中であります。ふしぎなことに、両側の佐野川、牧野の中学の学区で起こったんじゃないのであります。統合して一緒になるまん中のこの藤野中
学校の学区の中で、藤野町を明るくする会という会ができまして、ここが統合反対の急先鋒になりまして、町じゅうに広がっていったわけであります。そして、反対派の方々が最初は勝ちを占めまして、四十六年九月の町長選でございますが、反対派の森下健治さんという方が町長に当選をいたしました。また町議
会議員選挙でも、反対派が、一名でございましたのが七名にふえました。そして佐野川、牧野の両校を分校として残すということで、一時まとまるかに見えた時点があったわけであります。
ところが、いろいろな圧力がまた上からかかってまいりまして、町の
教育委員会は何べんか町民との約束を、つまり反対派の方々が、統合反対の方が町長になり、町議が七人もふえたわけでありますから、約束をしては破り、また約束をしては破りということが続きました。この中で、条例をたてにとりまして賛成派の方々が、警察の機動隊に守られて藤野中学へ強行就学をする、こういう事件が実は起こりました。さらに町の
教育委員会が、藤野中学への入学通知書の発送をした。反対派の方々は、就学通知の無効と執行停止を求める裁判を起こす、こういうことが重なってまいりました。さらに、この統合賛成派の方々が、執行停止処分の上に立って、逆に町長のリコール運動をやったわけであります。そこで議会が解散をされまして、町を二分する争いが起こりました。リコール合戦の結果、今度は統合賛成派が勝利を占めまして、足かけ二年間にわたりました、傷害事件まで起こしているこの問題の決着がつきかかった。
ところが、さてここで、
文部省から昨年、四十八年十月二日でありますけれ
ども、新通達が出されてきたわけであります。この通達を、私も何べんも読み返してみましたが、どう
考えても前の通達とは全く違う趣旨のものであります。念のために読んでおきますが、旧通達、これは三十一年十一月十七日に、
文部省が各都道府県
教育委員会あてに出している通達であります。中心だけ読みますと、「小規模の
学校では、一般に
教員の適正な配置や施設設備の
充実を図ることがむずかしいため、
教育効果の向上を図ることが困難であるばかりでなく、」まずここには、一つの物質的な面と精神的な面がありまして、はたしてこの表現が妥当かどうかという問題もあります。だが、「
教育効果の向上を図ることが困難であるばかりでなく、」と書いてある。「
学校経費も割高となっている。この問題の重要性にかんがみ、中央
教育審議会に諮問し、別紙のような答申を得た。
学校統合の意義に十分の考慮を払い、
地方の実情に即し答申の趣旨を参考として、」明確にここに「統合の推進を図るとともに、」こう書いてあるわけであります。「市町村に対して趣旨の徹底をお願いする。」つまり小規模
学校の統合の推進をはかる、これが主題になっているわけであります。別紙がございまして、中教審の答申が載せられております。その中心の一は、「国および
地方公共団体は、
学校統合を奨励すること。」これが正面にうたわれているわけであります。そしてただし書きがつきまして、「ただし、単なる統合という形式にとらわれることなく、
教育効果を考慮し、土地の実情に即して実施する。」実施するというのは、
学校の統合を実施することです。それから二番目に、「住民に対する
学校統合の意義についての啓発にはとくに意を用いること。」統合がこれまた中心であります。三番目に、「統合する際の規模は、十二学級−十八学級を標準とする。」四番目に、「通学距離は、小学生四キロ、中学生六キロを最高限度とするのが適当と
考えられるが、各
教育委員会は、さらに地域の実情に即した通学距離の基準を定めること。」こうなっていますね。あくまでもこれは統合の促進であります。
ところが新通達、四十八年十月二日であります。各都道府県
教育委員会あてであります。「公立小・中
学校の統合は、
昭和三十一年の通達によって市町村への指導を願ってきたが、その後の実施状況をみると、なお下記のような
事項に留意する必要があると
考えられるので、市町村の指導について一層の配慮をお願いする。一、
学校規模を重視する余り、無理な統合を行い、地域住民等との間に紛争を生じたり、通学上著しい困難を招いたりすることは避けなければならない。」たいへんこれは変わっているわけであります。「また、小規模
学校には
教職員と児童・生徒との人間的ふれあいや個別指導の面で
教育上の利点も
考えられるので、」まるっきり違うわけであります。私が指摘いたしましたが、はたして
教育というのは何なのかという点が問われなければならぬ重大な問題が前の通達にはございます。小規模
学校では、
教育効果の向上をはかることが困難だというわけだ。
教員の立場からすれば、
教育効果の向上というのは一体何だということになるわけでありますが、あとの通達では、特に、「小規模
学校には
教職員と児童・生徒との人間的ふれあいや個別指導の面で
教育上の利点も
考えられるので、総合的に判断した場合、なお小規模
学校として存置し
充実する方が好ましい場合もあることに留意すること。」この新通達が出まして、これは町当局などにすれば、また今度は、逆に賛成派の方々にすれば、にっちもさっちもいかないことが実はでき上がっておりますね。
これは、一片の画一行政に基づくたいへんな、これは市町村民のみならず、特に幼い
小中学校の学童も、道を歩っても口をきかない。私も小
学校へ行って聞いてまいりましたが、全くもってそれは人間的に耐えられぬ争いが二年間続いているんですね。一体、これはだれが責任を負うのだということになる。
しかも、時間がありませんから言ってしまいますけれ
ども、とうとうこの通達が出て、町長を反対派がとったり、賛成派がとったり、その間に機動隊が入ったり、傷害事件が起こったり、子供同士のけんかがあったり、こうなっているわけでありますが、こういう二年間のたいへんな血で血を洗う争いが起こってしまって、おそらく、どっちになるにしたって、大きなしこりがこの町には孫子の代まで残る。
教育どころじゃない。それこそ憎しみ合いの醸成でございます。そういうところまでやって、その上に、小規模校のいいところを今度の通達は指摘している。特に特記している。
先生と生徒の人間的な触れ合い、こういうことでございますから、それならそれで、新聞にございますように、この通達で補助金を出すというわけで、補助金をもらってたいへんりっぱな校舎ができた。校舎はりっぱになります、特別教室もりっぱなものができます、体育館もできます、全村の生徒がここに集まることは仲間もふえるんです、なんということが、このときに一ぱい書いてある。
ところが、丹沢山の裏地でほんとうに貧乏町ですからね。それで
学校へ通うといえば、佐野川、牧野の両方からこの藤野町に通うのには、交通機関を使うなら、山梨県まで出てバスに乗らなければ行けないんですよ。隣の県へ行くのですよ。だから、このまん中の藤野中学へ行くのには、遠い所の人は十五キロかかる。しかも、丹沢の山を越えて行かなければならぬ。そういうばかげたことをあえて統合促進でやったって、そんなことはできはせぬ。だから反対運動が起こる。それで今度は、両方もとのままにしたり、ただこれはとりあえず分校にしておくより手がない。もとの佐野川、牧野は分校、とにかくそういうことにするならば、今度は
文部省は、それは統合ではないから補助金はやれないというわけです。
こんな貧乏町が、こんな争いまで起こして、町当局は一生懸命——町の
教育委員会は
文部省の意に沿わなければならぬ、県の
教育委員会の意に沿わなければならぬ、促進しろというんだから。一生懸命やった結果、せっかくいいものが建った。だが、争いが二年続いてあとの通達でもとに戻る。そうすると、さあ困ったのは新築した校舎の補助金、これらのものはくれないという。一体この責任はどこにあるか。あまりといえばこれはひど過ぎる。
この種の争いは、私は調べてみましたら幾つかある。神奈川県の松田町、これは四十三年、統合計画への反対が起こって、町長のリコールに発展して町長が辞職して、統合計画は白紙になった。栃木県の田沼町、山の中の中
学校五校を一校に統合するというんですね。四十五年十一月、二地区の住民から猛反対が起こって、独立校の復活を要求して生徒の同盟休校まで起こっている。四十八年六月、去年の六月ですが、三年間に限って両地区に分教室を置くということで、とりあえず休止している。休火山みたいなものですけれ
ども、またこれは爆発します。茨城県関城町では、小
学校二校を統合して一校にするという計画に、住民の反対運動が起こって、四十六年十二月、統合条例可決をきっかけに同盟休校、四十八年六月に、四年生以上は統合校舎へ、三年生以下は旧校舎へ、こういう分離統合の妥協案がまとまった。これはまとまったって、その間に起こる、こういう統合を主張する地域でございますから、それは生徒に与える影響なり両親に与える影響なり、違った
意味の住民感情がありますね。こういうふざけたことが世の中にあっていいはずがない。私はたいへんな義憤を感じている。
これで、時間がありませんから、私のほうから全部申し上げたのですけれ
ども、
大臣、いま私が申し上げたことに誤りがあればおっしゃっていただきたいのですけれ
ども、そうでないとすれば、これは一体、私は画一行政の
国民に対するたいへんな、
文部省にあるまじきことであると思いますので、念のために申し上げておきますが、おたくの課長さんが、前の通達とあとの通達、変わったことはない。変わったことはなくはない、全く変わっている。変わったことがなければ、住民なんというのははだでみんな感じるのですから、読めばわかるのですから、この問題の決着について、泣くに泣けない町の
教育委員会ですが、こぼしはしませんですよ。この辺のところについて、まず
文部省としてはどういう責任をおとりになろうとしておるのか、まず承りたい。間違いがあればお答え願います。