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山田(耻)
分科員 そういう慰霊などをおやりになっているということについてはまた論点が別になるわけですけれども、私は、召集をし入隊をさせた国の責任というのが、三十年近くも全然放置をされておってその死体の追跡もされないまま、いま
局長のおっしゃっていたように放任をされていた、全く放置をされていた、しかも草ぼうぼう、樹木がはえるにまかせるままの
状態に置かれていた、しかも、この死体を焼いて始末をするということで一メートル半くらいの円形の穴を掘って焼いていたけれども、焼けなくなったので、しまいにはその中にけ込んで、そしてそのままどろをかぶせてしまった、こういう事実が明らかになってきているわけですよ。私は、遺族にとっては、内外地を問わずたいへんなショックだと思うのです。しかも、この収骨の作業に私も被爆者ですから従事をいたしましたが、掘ってみますと、白くなって焼けた骨の収骨はできないのです。みんな茶褐色になったなまの骨が出てくるわけです。これはほんとうに悲惨だな、しかもこのように放置をされていた責任というものは一体だれなんだ、こういう気持ちを私は強く抱いたものです。
厚生省からもお見えになりまして、あとまたその骨を火葬場に移して焼いてもらって、
厚生省に持ち帰って安置室に安置をしていただいたのですけれども、当時現地の人もいろいろな苦しみもあったようです。それは、その骨をあばくことによって、終戦直後ですから金冠を拾ったりしたというような事件もあったようですが、それが、事件がこのように深く隠されていった理由の一端にもなったのだろうとも思いますけれども、いずれにいたしましても国としての責任は免れられない。だから、いま団地になっておりますけれども、そこの
人たちがそこの下の道を通るたびにいま一本木が建てられて、その碑の銘が書き上げられておりますけれども、いま線香とか花輪の絶え間がないのです。しかも、その共同墓地の一角は、やはり霊を慰めてあげたいということで、いま被爆者
団体の皆さんたちが金を出し合ってその土地を買いまして、そこにいまの一本の柱の慰霊碑を建てておるのですけれども、何とかしてこれは国にお願いをして、ほんとうに心のこもったものでけっこうだ、形は貧しいものでいいから、国としてささやかな慰霊碑というものを建てていただけないか、こういう気持ちが強く出ているわけです。私は無理からぬことだと思う。三十年近くも放置されていたし、参る人もいなかったし、遺族も知らなかった。まあ、私もここに席を置きまして前後十五年近くなりますけれども、広島の原爆の被災者一般人に対しては、ああいうふうな平和公園などをつくりまして、毎年八月六日慰霊の祭りを行なっておりますが、いまの山口の
人たちは、これは山口の兵隊さんではないわけです。全国各地からお集まりになっていた人ですし、しかも、遺骨を持って帰られた家族はほんとうに少ないのですね。あとの人は遺骨の引き取り手もなかった。しかも、この中には――当時朝鮮は
日本の国民としてあずかっていたわけですから、朝鮮の人もいるのじゃないか、そういうことに議論が発展などをいたしたりしまして、いまカルテの追跡調査なり分析が行なわれておりますけれども、山口県の人でなかったということも含めて、かなりいろいろな議論が巻き起こされております。県も市も全然知らぬ顔もできないということでいろいろ協議はしておるようでございますけれども、この遺骨を収骨するときのいろいろな作業
計画の中でも、
厚生省に戦後処理としてその責任があるのだから、
厚生省の方針明示の中で県や市がお手伝いをすることはできるだけいたしますと、責任の主体を
厚生省、国にかけておるわけであります。ところが、いまのような事情、背景にありますこの問題につきましては、やはりささやかな慰霊の碑でも建てて、そうして山口県の
人たちも通りすがりにお祈りをしてあげたい、冥福を祈ってあげたいというために、しるしを残す慰霊碑に対しても、県も市も、主体は国がめんどうを見てほしいのだ、こういう
立場にどうしても立つわけです。
そこで私はお伺いをいたしましたのは、外地の
関係に対しては、四十八年で二億三千万、四十九年で二億五千万経費がかけられて収骨の作業なり、あるいは多くの経費をかけてのいろいろな諸
措置なり、具体的にはサイパンに四十八年につくりました一千五百万かけての慰霊碑なり、私はそういうりっぱなものをつくってほしいとは思いませんけれども、本島だから、内地だからどういう事情があってもそれはできません、千鳥ヶ淵に無縁の人は慰霊をする
措置がございます、こういう言い方だけでは、何だか、憲法のたてまえからいう平等の権利をささえてあげるという
立場から見たら、私はさびしい気がいたします。外地でなくなった
人たちも、当然その慰霊は国の行事としてするわけでしょうから、それはそれと同じものであります。しかし、いまのこの山口県で起きたこの案件については、やはりそういうふうな諸
措置を行なっていくということが、つめあとを深く残していった大東亜戦争のあと始末をするという
立場に国が立たなくてはならないのですから、その
立場に立って
措置をしていただくということに、
大臣いかがでございましょうか、なっていただけないものでしょうか。ひとつあなたの考えをお聞かせいただきたいと思うのです。