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1974-02-14 第72回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年二月十四日(木曜日)     午前十時一分開議  出席委員    委員長 荒舩清十郎君    理事 井原 岸高君 理事 櫻内 義雄君    理事 澁谷 直藏君 理事 正示啓次郎君    理事 細田 吉藏君 理事 小林  進君    理事 田中 武夫君 理事 林  百郎君    理事 山田 太郎君       上村千一郎君    植木庚子郎君       大野 市郎君    北澤 直吉君       黒金 泰美君    笹山茂太郎君       塩谷 一夫君    瀬戸山三男君       田中 龍夫君    田中 正巳君       塚原 俊郎君    灘尾 弘吉君       西村 直己君    根本龍太郎君       野田 卯一君    藤井 勝志君       前田 正男君    松浦周太郎君       松岡 松平君    松野 頼三君       湊  徹郎君    渡辺 栄一君       安宅 常彦君    赤松  勇君       岡田 春夫君    多賀谷真稔君       辻原 弘市君    楢崎弥之助君       美濃 政市君    八木 一男君       湯山  勇君    青柳 盛雄君       荒木  宏君    増本 一彦君       岡本 富夫君    安里積千代君       小平  忠君  出席公述人         総合政策研究会         理事長     土屋  清君         東海大学教授  大門 一樹君         本州四国連絡橋         公団審議役   青木 慶一君         中央大学教授  丸尾 直美君  出席政府委員         内閣官房副長官 大村 襄治君         総理府総務副長         官       小渕 恵三君         行政管理政務次         官       小澤 太郎君         防衛政務次官  木野 晴夫君         経済企画政務次         官       竹内 黎一君         環境政務次官  藤本 孝雄君         沖繩開発政務次         官       西銘 順治君         法務政務次官  高橋文五郎君         外務政務次官  山田 久就君         大蔵政務次官  中川 一郎君         大蔵省主計局次         長       長岡  實君         大蔵省主計局次         長       辻  敬一君         文部政務次官  藤波 孝生君         厚生政務次官  石本  茂君         農林政務次官  渡辺美智雄君         通商産業政務次         官       森下 元晴君         運輸政務次官  増岡 博之君         郵政政務次官 三ツ林弥太郎君         労働政務次官  菅波  茂君         自治政務次官  古屋  亨君  委員外出席者         予算委員会調査         室長      野路 武敏君     ————————————— 委員の異動 二月十三日  辞任         補欠選任   安里積千代君     池田 禎治君 同日  辞任         補欠選任   池田 禎治君     安里積千代君 同月十四日  辞任         補欠選任   中澤 茂一君     美濃 政市君   田代 文久君     荒木  宏君   松本 善明君     増本 一彦君   鬼木 勝利君     矢野 絢也君 同日  辞任         補欠選任   美濃 政市君     中澤 茂一君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和四十九年度一般会計予算  昭和四十九年度特別会計予算  昭和四十九年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これより会議を開きます。  昭和四十九年度一般会計予算昭和四十九年度特別会計予算及び昭和四十九年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を行ないます。  この際、御出席公述人各位にごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。この際、各位の有益な御意見を拝聴いたしまして、今後の予算審議の上におきまして貴重な参考といたしたいと存じます。  何とぞ昭和四十九年度総予算に対しまして、それぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいとお願いを申し上げる次第でございます。  次に、御意見を承る順序といたしましては、まず土屋公述人、続いて大門公述人順序で、お一人約三十分程度ずつ一通りの御意見をお述べいただき、その後委員各位から質疑を願うことといたしたいと思います。  それでは、土屋公述人お願いを申し上げます。
  3. 土屋清

    土屋公述人 四十九年度予算案についての私の意見を述べさせていただくことは、非常に光栄に思います。  明年度予算案が何を目ざすかと申しますと、これは何と申しましても、インフレ抑制と、それから、インフレによって生じたひずみに対する補償、この二つだろうと思います。これは、過去二、三年間福祉を中心に予算が編成されたのに対しまして、非常に大きな重点の違いである。もっぱら目前のインフレ現象をどう押えるか、それに対する補償をどうするか、いわば守勢の立場に立った予算だというふうに考えられます。  そこで、インフレ抑制ということになりますと、まず問題になるのは、予算規模であります。過去二年間をとってみますと、福祉予算ということで予算規模が非常に拡大いたしました。すなわち、四十七年度は前年度に対して二一%、四十八年度は二四%と、それぞれ一般会計は拡大しております。財政投融資に至りましては、四十七年度が三一・六%、四十八年度が二八・三%、たいへんな膨張であります。  これには、それぞれその時点における必要があったと見られますけれども、結果的には、過去二年間予算膨張が、インフレを大きく刺激したということは否定できないと思います。これは、金融政策の誤謬にももちろん無関係ではございません。財政金融が一体になって総需要をふくらませた。その結果、昨年以来展開しているような激しいインフレを招いたというように考えられます。したがって、明年度予算におきましては、過去二年間傾向と違いまして、予算規模圧縮して、いわゆる総需要抑制を行なうということが必要であります。  昨年の夏以来、予算編成が進行している過程で、私は非常に心配いたしましたのは、過去二年間予算の惰性を打ち切ることが困難である、そうして財政当局からは、幾ら削っても二三%以下には削れない、こういうような声が出たことであります。二年間予算が拡大して、たいへんなインフレを起こし、そして三年目に圧縮しなければいけないのに、二三%以下には削れないというのは、何ごとであるかと言って私は心配していたのでありますが、昨年の十一月末に至りまして、大蔵大臣が更迭されて、その結果でありましょうか、予算規模圧縮ということが精力的に努力されまして、その結果、一般会計は一九・七%、財政投融資は一四・四%と、過去二カ年間に比べればはるかに圧縮された予算案ということになったことは、一応総需要抑制という見地から見て成功だと言えると思うのであります。ただし、これは一般会計、二三%以下にはできないと言っていたのを二〇%を切るという意味成功だというだけのことでありまして、実は、明年度経済見通しと対応するときは、どうもやはり相当大き過ぎるということをいわざるを得ない。  政府の発表いたしました経済見通しによりますと、明年度実質で二・五%、名目で十二・九%の経済成長ということになっております。十二・九%の名目成長に対しまして、一般会計が一九・七%の膨張でありますから、これでは、お義理にも適正な規模だということはできないことになるのであります。ただし、私はこの二つの点において、この二〇%以下に切り下げた一般会計予算規模というものは、そう過大でもないという見方が成り立ち得るというふうに考えております。  それは、第一は、明年度経済見通しが、政府の推定で過小に過ぎるというふうに考えるからであります。あとから申し上げますように、明年度経済見通しは、石油供給量によって決定されますが、政府の見積もりは少な過ぎるのでありまして、政府の予定よりはもう少し石油の確保ができる。   〔委員長退席井原委員長代理着席〕 したがって、あとから申し上げますように、私見によれば、経済成長率実質五%くらいは可能である、名目で一五、六%くらいに達するのではないか。そういうことになりますと、いま申しました一般会計が一九・七というのはそれほど過大ではない、なお努力を要しますけれども、一応そういうことが言える第一の理由がございます。  それから第二でありますが、第二に、一九・七%の膨張でありますけれども、その内容を見ますと、景気に対して一番刺激的と見られる公共事業費が、かなり圧縮されているということであります。すなわち、公共事業費は二兆八千四百億円で、前年度予算に対しまして七十九億八千万円の減少であります。これに対して社会保障費が二兆八千九百八億円でありまして、七千七百六十三億円の増、すなわち三六・七%の増であります。  申すまでもなく、公共事業費というのは、かなり、景気刺激に対しては大きな影響を与えますが、これに対して社会保障費は、いわゆる移転的支出でありまして、右から左へ支出が移転する性格のものである。この公共事業費圧縮され、前年度と絶対額で同額である。これは物価騰貴を考慮に入れますと、おそらく予算規模としては三〇%減ぐらいになるものと見られるのでありますが、そういうことを考えますと、予算規模がふくらんでいるが、その中は、インフレに対する補償的な意味を持つ社会保障費の増額が大きくて、一般的な景気刺激作用を持つ公共事業費支出横ばいである。実質は三割も減っているということを考えますと、この点から、第二に、予算規模がまず納得できる程度であるということが言い得るのじゃないか、こういうふうに考えるのであります。  この予算規模関係がありますのが、減税国債発行の問題であります。減税は、所得税が初年度一兆四千五百億円、若干の増税がございまして、結局減税規模が一兆二十億円ということになっております。これがはたして景気抑制、総需要圧縮という見地から見て、妥当かいなかということであります。  言うまでもなく、現在のインフレ下におきましては、物価騰貴に対する調整的な意味減税が必要であることは否定できない。特に、中小所得層に対する減税ということが重要な意味を持つことは明らかであります。ところが、他方において、減税というのは、その一部は貯蓄に回りますけれども、おそらく七割、八割、八〇%前後は消費購買力として発散する。そうすると、総需要抑制といいながら、減税でそこに相当消費購買力の増大をもたらすということは、総需要抑制インフレ抑圧という目標と逆行するのではないか、こういう問題が出てくるのであります。  これまで所得税減税というのは、大体三千億円ないし五千億円見当行なわれておりまして、必ずしもこれはそう多いとは言えなかったのでありますが、それを今回減税するとしても、いままで五千億円見当減税として、それを一挙に三倍規模の一兆四千五百億円まですることが適当であるのかどうか、この点が問題であります。私は、物価騰貴に対する調整意味において、減税賛成であります。しかし、その規模は、まず五、六千億円の程度にとどめておいて、あと減税幅を縮小して、その分だけ国債発行減額に回すべきではなかったかというふうに考えております。  また、その減税やり方の問題でありますが、今度は基礎控除引き上げる、これは私も賛成でありますが、その基礎控除やり方といたしまして、基礎控除配偶者控除扶養控除の三つを、一律二十四万円まで控除額とするということになっております。しかし、基礎控除配偶者控除扶養控除を一律に二十四万円にまで引き上げるということは、私は必ずしも適当と思いません。課税最低限引き上げるために控除をふやすということであるならば、基礎控除一本にしぼるべき問題である。それが一番税負担者に対する公平の原則を貫くゆえんでありまして、基礎控除を大きく引き上げる、そうして、その他の配偶者控除あるいは扶養控除は、若干の調整を加えるという程度にとどむべきだと考えます。それを、三控除一律に二十四万円に持っていくというのは、いかなる理論的な根拠に基づくのか、私には納得できない点であります。  以上のように、私は、減税は、物価騰貴調整する基礎控除引き上げ明年度はとどむべきだと考えるのでありますが、その減税を小さくすることによって生じた余裕は、国債発行額減額に充てるべきだというふうに考えております。  今度は明年度予算において、国債発行減に多大の努力財政当局が行なったということは一応認められます。すなわち、国債発行額は二兆一千六百億円でありまして、これは国債依存度一六・四%が十二・六%へ下がっておる。それだけ努力したことが認められるのでありますが、しかし、それでもなおかつ私は、この際国債減額に対する努力が足りないというふうに考えます。  数年前には、国債依存度をじりじりと引き下げてまいりまして、三年前ですか、たしか五%というところまで引き下がりました。私は財政制度審議会関係しておりますが、そこでは一応国債依存度を五%とすべきである、臨時緊急の場合は、その依存度を上げるということは好ましいが、一応五%まで下げなければならぬ、そういう答申を出したことがございますが、たしか三年前か四年前かにその五%まで下がりました。それが過去二カ年の間にずるずるとふくらんで、一六%も依存するというような程度に達したことは、これは明らかに過大であります。したがって、やはりこれは五%を目ざして、財政規模圧縮するというときであれば、国債依存度を下げていかなければならない。それには減税の幅を縮めることによって、依存度を減らすということでなければいけないんじゃないか、こういうふうに考えます。  以上が、大体今年度の予算について、総需要抑制並びにインフレ補償意味で私がまず考えていることでございまして、総需要抑制方向努力したことは非常に認められる、しかし、その努力がなお十分であるとはいえないというところに、若干の問題点があるんではないかというふうに考えております。  次に、この予算の執行並びに運営に関連のある明年度経済問題点について、申し上げたいと思います。  まず第一は、最初に申し上げました明年度経済見通しでございますが、これは石油供給量によって経済見通しが変わることは、昨年秋以来の新しい現象であります。これまでは、石油が豊富低廉な上に乗っかって経済の拡大が行なわれましたが、それが石油というもので足を引っぱられる情勢になったことは、日本経済成長を見る上に全く新しい情勢であります。  政府見通しは、二億七千万キロリットルの石油といたしまして、そして実質二・五%というふうにそろばんをはじいておられます。ところが、アラブ側の態度によって、日本は必要とするだけの石油供給する、まず昨年の九月水準石油は確保する、こういう言明が得られました。昨年の九月水準ということになりますと、大体月二千四百万キロリットルでありまして、年間で二億八千万キロリットルであります。大体四十八年度の石油の量は、二億八千万キロリットルぐらいだと私は考えております。四十九年度におきましては、この二億八千万キロリットルを最低として、それに若干積み増しをするぐらいの石油供給が必要ではないか。  どの程度積み増しをするかと申しますと、私は、経済成長率を五%にするというぐらいの目標を立てて、若干の積み増しを行なうべきだと考える。と申しますのは、二・五%の成長ということは、戦後前例がございません。大体わが国で不況という場合でも、五%見当成長はしている。これは遠い将来になれば別でありますが、日本経済の体質として、一〇%でまず好況、五%では不況ということが、急には直らないようになっております。過去の例を見ますと、大体五%でも相当不況でありまして、昭和四十年あるいは四十五年、いずれも五%見当であります。そういうことから申しまして、明年度経済としては、やはり五%ぐらいの成長に向かって努力する。それには、石油供給量を、四十八年度の二億八千万キロリットルに、五百万キロリットルなり、あるいは一千万キロリットルなり上積みするということが要請される。これに要する外貨は、おそらく百六十億ドル見当になるものと見られます。  これは、四十八年度の七十億ドルに比べれば、百億ドル近い増加になるのであって、これがはたして、日本外貨準備並びに国際収支状況からいって、可能であるかどうかという新しい問題が出てまいりますが、いま申しましたように、五%ぐらいの成長はさせなければならないということから考えまして、他の輸入品目を削ってもこれだけは調達する、あるいは、日本外貨準備相当減らしても、この程度のものは確保するという努力が四十九年度は行なわれるべきであり、またおそらくそうなると思うのであります。そうなりますと、経済成長率は、年間を通じて実質五%ということで考えられるわけであります。ただし、これは前半と後半ではかなり違っておりまして、前半は、この一月から三月、いわゆる一−三月の経済危機の延長とずれ込みで、かなり景気は沈滞する、そうして、後半に至って、若干輸出の増加をきっかけとして景気が上向く、こういう形、そして年間を通じては五%ということになると思います。  五%ということは、繰り返して申しますが、決して好況ではございません。不況であります。不況であるけれども、それは油の制約を受けてやむを得ないところでありまして、したがって、これを大きく上回るような急激な需要増加が起これば、そのときには、財政並びに金融を引き締めて、弾力的に対処してこれを押え込む、そうしないと、インフレが激化いたします。その反対に、前半沈滞期において、景気需要の減退によって大きく落ち込むという場合には、需要の追加、たとえば公共事業促進等を行なって、そうして五%の成長は確保する、こういうような弾力的な予算運営を確保するということが必要である。これは、財政のみならず、金融においても、絶えずそういう配慮を行なうということが必要になってくると思うのであります。  そこで、第二の問題は、予算の目的であるインフレ抑制で、この物価動向がどうなるかということでございます。  前半は、先ほど申しましたように、経済成長横ばいで、景気が沈滞する、この時期において、私は、かなりいままで蓄積された物資が放出されて、物価高が訂正される傾向があらわれると思っております。  昨年の十二月は十一月に対して七%、それからことしの一月は五・五%と、驚くべき卸売り物価騰貴でありまして、これは、十一月に明らかになった石油危機によって、企業並びに消費者動向が一変したことによるものであります。つまり、石油供給が減れば、物不足物価は激騰する、それなら、物を上げて、あるいは買いだめしたほうが得だということで、一斉に売り惜しみ買いだめ便乗値上げが始まりました。それが十二月に七%、一月に五・五%と、驚くべき物価騰貴が起こった理由でありまして、この間において、諸外国はどうかと申しますと、十二月、一月、いずれも卸売り物価は一%から二%の騰貴であります。近代国家ですね、西ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス等、いずれも一%から二%の騰貴であります。日本は、それなのに、その四倍、五倍という騰貴をしたということは、日本石油依存度外国より大きいという事情もございますが、やはりいま申しましたような売り惜しみ買いだめ便乗値上げというこの現下の三悪ですね、これがたまたまここでもって極度に露呈した結果ではないか。  こういう思惑的な暴走インフレですね。私は、十二月以来の現象をいわゆるギャロッピングインプレ——ギャロップというのは馬の暴走ですが、ギャロッピングインフレ経済学で言われている現象に該当すると思うのでありますが、その暴走インフレが漸次訂正される方向にある。というのは、先行き石油が足りない、物が不足する、だから値は上がるというので、わっと便乗値上げが起こったのでありますが、先行き石油供給が、私の申しましたように、四十八年度より若干ふえるんだ、そうして物はそう不足しないということが明らかになれば、在庫をかかえていたのでは損をしますから、一どきにその放出が始まる。すでにそれが、灯油のような一部石油製品やあるいは繊維製品等にあらわれておりますが、そういう現象が、四十九年度の前半においては相当あらわれて、一たんこの暴走インフレ訂正安ということが起こり得ると思うのであります。  もちろん、元に戻るという意味ではございません。しかし、この暴走インフレが訂正されて、そのまま安値水準に安定するかというと、必ずしもそうとは思われません。それは、石油価格引き上げによる石油製品価格値上げと、それに伴う電力その他の各物資値上げが行なわれるからであります。  石油原油騰貴に伴う製品価格値上げは、昨年の秋に一回行なわれましたが、一月以降二倍以上に原油価格が上がった、その値上げはまだ行なわれておりません。これはおそらく三月、四月と、だんだんその原油騰貴状況が明らかになるにつれて、それが石油製品価格に転嫁され、そうしてそれが電力料金その他のエネルギーコストに響いて、各商品の価格を上げるという、訂正高作用が始まる。つまり、一方においては、暴走インフレ訂正安になり、他方においては、原油価格騰貴によるエネルギーコスト訂正高が始まる、そこで、明年度前半の間に一つの新しい価格水準が模索されるということであります。  この物価の動きに対応して、この際、財政上並びに金融上に配慮すべき点が多々あると私は考えております。  まず第一は、公共料金の据え置きについて、国の負担し得るものは国が負担して、できるだけその引き上げを延ばすということが正しいと思います。今度の予算案におきまして、国鉄運賃が三月三十一日から、消費者米価が四月一日から上げられるのが半年間延期されまして、これに伴う国の財政負担は千数百億円であります。私は、これは非常によかったと考えております。いま物価がそういったような非常なこんとんたる情勢で、まだ暴走インフレの機運も必ずしも全部なくなっていないその段階において、物価基本である公共料金基本である消費者米価国鉄運賃が上がるということは、たいへんな悪影響をもたらしたと見られる。したがって、これを半年間延期したということは、一つの英断であって、これは大きく評価されなければいけないと思います。できるなら、今年いっぱいこの国鉄運賃消費者米価値上げを延期して、物価がある程度鎮静に向かう、新価格水準の形成に向かうときに、無用の刺激を加えないようにする配慮が今後とも必要かと思うのでありますが、これは妥当な措置であります。  ただ、公共料金と申しましても、電力料金のようなものは、国の企業ではございません。私企業でありますから、私企業電力料金を、いつまでも赤字のままに放置するということは許されない。しかし、これに対して、国が補給金補助金を出すということになれば、私企業というものに対して非常にうまく合わないということもございますし、非常な財政負担になって、とうていそれはたえ得るところではございません。したがって、同じ公共料金であっても、電力料金のごときものは、早晩その改定を行なわざるを得ないというふうに考えております。  そうして、この石油の製品の価格引き上げ電力料金値上げ、それが各基礎原料の値上げになるのでありますが、これが、昨年の秋において企業の自由にゆだねられたために、たいへんな暴走インフレを起こしたということを考えますと、この第二回の石油製品価格値上げ電力料金値上げ、原料価格値上げについては、いままでのように、自由企業で、企業価格決定にゆだねるというわけには、どうもいかなくなってきたと私は思います。  私は、自由企業で自由価格であることが、資本主義の前提であり、好ましいと考えております。しかし、昨年の秋以来の価格の動きを見ますと、今度それをやったのではたいへんだ、それこそ社会的な糾弾も鋭くなるし、何よりもまた暴走インフレを起こさないとも限らない。したがって、今度の場合においては、その自由価格に対する社会的な監視、あるいは社会的な介入ということが必要である。これを、政府とその関係業界との間で一体どう調整していくのか。いわゆる指導価格だと思いますが、そういうたてまえで考えるのはやむを得ないところだと考えております。  その暴走インフレに伴って生じた超過利得というものがございますが、これは当然、何らかの方法によって取るべきだと私は考えております。その取り方、いろいろむずかしい問題がございますが、結局、そういうことをしても、もうけにならないんだという一つの警戒心を起こさせるという意味においても、超過利得の徴収ということは、この際考えられるべきだと思います。  最後に、金融の引き締めの問題でありますが、これは、いま申しましたような暴走インフレ訂正安が起こる、その段階において、いまの九%というような異常な公定歩合は、一応ある程度引き下げる。ただし、全体として景気不況で推移する。五%の成長というと不況ですから、そこに大きな金融需要が起こるということになれば、またこれは名目的なインフレが進展するだけであります。やはり金融の基調としては、いまの異常な公定歩合の高いのは引き下げますけれども、全体として引き締めの基調を堅持する、そういう形で進み、財政と相まって、経済情勢に応じて弾力的に措置するということが大切ではないか、このように考えるのであります。  これをもって終わります。(拍手)
  4. 井原岸高

    井原委員長代理 どうもありがとうございました。  次に、大門公述人お願いいたします。
  5. 大門一樹

    大門公述人 いつも国会のテレビ中継を見まして、そこで拝見しているお顔をたくさんまたここでなにしまして、そんな前で、私のような者が話をするなんというようなことは、もう大それた話でありますが、一庶民としまして、私もずいぶん長く消費者運動なんというようなことに関心を持ってまいりました。予算の問題ということになりますと、たいへん弱いのでありますけれども、どういうふうに予算問題をなにいたしますにしましても、現状認識ということ、現状をどう認識するかということで、予算の問題の解決が変わってくるのではないかと思いますので、何かこれが盲点になっておるのではないかと思われるようなことにつきまして、一つ二つお話ししたいわけであります。  去年の石油で騒ぎましたときに、庶民が石油がないと言って騒いでおりましたときに、これはあちらこちらであったわけでありますが、一例は、大阪で、主婦が百数十名ゼネラル石油の工場に押しかけまして、副所長さんですか、その人を何時間にもわたって台の上に乗っけて、いわゆる団交ということで、つるし上げのような形で、とうとう安い値段で放出させました。そのときに、会社側は、こんな形で交渉なんというようなことは、と言って神経をこわばらせましたし、石油連盟の幹部の方たちは、こんなことが飛び火すると、社会秩序があぶなくなる、こういうふうに言われたことを東京新聞だの読売新聞に書いておりました。  そこで社会秩序、きょう申し上げたいことは、先ほど来の暴走物価、そういうことばの中にありますものは、企業政府一つになって社会秩序を乱した、それは国民に対して大きな被害を与えました、といったような意味の社会秩序の破壊と、それからもう一つは、民間の側の社会秩序破壊であります。これも社会秩序を破壊いたしました。そういうことからくる国の秩序破壊が、どのような犠牲をどこに残し、そしてまた、あとにどのような影響を持ってくるか、こういうところを見詰めることが、当面の対策に終始することで忙しくなってわりあいに、忘れられておるのではないか。実際は、こういうところを踏まえて予算の問題などが具体的に論議されるべきじゃないかと思われるわけであります。  まず、その企業側の——私もこの秩序破壊は、大企業が中心になりまして、犯罪構造がそこにあったというふうに思うわけであります。にせの情報、つくり上げた情報ですか、誤った情報ですか、そういうことでもって、国民の、産業の死命を制するような油の輸入、それを通産省が確かめもしないで、もうすでにその前に、アメリカではニクソンとエクソンの共同謀議で、国際石油資本の謀略によってつり上げをなにしておるのだというようなことが、もうその数カ月も前からいわれておるような状況の中で、そういうことがありました。それから、財界が一つになって危機を宣伝するということ、それからやみカルテルでつり上げるといったようなこと、これはもうはっきりした犯罪でありまして、そこで、国民は不安にかられて、物不足で入手に奔走しまして、買いだめだ何だと騒ぎました。そして高い生活品をつかまされました。こういう黒い手口で国民に被害を与えたということは、犯罪以外の何ものでもありません。  この間、地方の何県でございましたか、警察の刑事課長さんが自殺をなさいました。それは窃盗犯の検挙能率が悪かったのを苦にしたのだというようなことが新聞には載っておりましたけれども、いま窃盗は約百万件といわれております。私は二百万件ぐらいと思っておりますが、それにしましても、その被害の高は、日本の一世帯について千円ぐらいなものです。ところが、この狂乱物価で、大企業はじめ便乗値上げということによる被害は、おそらく窃盗百万件の百倍以上あるでしょう。そして、一世帯当たり千円ぐらいの被害じゃありません。おそらくそれの百倍以上の被害を国民に与えておるのじゃないか。しかも、そういう被害が黒い手口で犯罪、この犯罪だということについては、もしまたお尋ねでもありましたら少し詳しくお話ししたいと思いますが、とにかく隠匿自由、つり上げ自由、自由経済だ、つまり犯罪自由だということになります。  電気や水道のようなものでも、売り手が売り買い自由の社会であるからということで値段をつり上げまして、そうして、その値段でいやなら電線を切ってしまうというようなことを昭和の初年に名古屋でやったことがありました。値上げをしまして、不払い運動だと市民が言いますというと、それじゃ、いやなら、売り買い自由だということで、ぷつんぷつん各戸の電線を切る。そのとき、豊橋でしたね、豊橋の市民たちは、一斉に、それじゃ電気を送ってこなくてもいいということでもって、豊橋全市暗黒の中でがんばるといった当時の新聞記事がありますが、そんなふうな社会的な破壊、社会秩序の破壊といったようなことにつながる。ですから、売り買い自由なんというようなことは、あらわれ方で全くの犯罪でありますが、その犯罪をもののみごとにここに演出してしまったのが、この数カ月の日本のあれであります。犯罪集団の暴力攻勢、それに振り回された。こういうふうなことで、社会秩序、経済秩序なんていうようなものじゃありません。これで約千万人ぐらいの困窮者が、日本ではいろいろな状況から千万人ぐらいの人たちが、たちまちこのような痛手を受けておるわけでしょう。  低所得層の問題でありますけれども、小指の痛さは全身の痛さでありまして、神奈川県の青少年センターが、この間調査いたしましたところが、青少年の約七割が、社会が悪いということをアンケートの中にはっきり書いてきております。もうハイジャック、赤軍、そんな問題よりも、もっともっとこわいのは、こうした目の前に毎日、新聞で書かれるような企業政府一緒になっての犯罪行動でありますが、国民の側の秩序破壊、これもまたたいへんなことになってまいりました。先ほど申しましたように押しかけて、石油を、灯油を強談して放出させる、これはもうないからやむを得ないというわけでありますが、そういうようなことがいろいろある。洗剤の場合にも、姫路地方で、これも数十名の消費者が市価より安く取ってきた。取ってきたということばが当たるぐらいひどいあれでありますが、これもやむを得ないことでありましょうが、そういう状況になってきました。こんなことは、日本では戦後ほとんどなかったわけです。  もう時間の関係で、私はそんなことを幾つも例を並べることもできませんが、スタンドでも、もう警察のほうが何か異常はありませんでしたかといって、去年の暮れあたりはスタンドを注意して回る。一宮市なんかでは、市民が灯油を買える買えないで、市役所を焼き討ちしろなんというようなことで騒いでいる。そして、ときどき警察を呼んで、やっとその騒ぎをおさめている。墨田区で、洗剤を並べておる店へ客がやってきて、それをくれと言った、ふりの、客には売らないと言ったところが、この店は売り惜しみをしておるといって、その客が騒ぎ出しますと、たちまち十数名の主婦が集まってきまして騒然となって、警察に通報して押えてもらったといったようなことも新聞に報道されましたが、こういうことも以前の日本にはなかったことであります。  生活協同組合は、会員のためにいろいろなものを調達するわけでありますけれども、もう生活協同組合は安く売るからというので、メーカーのほうや何かは出しません。そうしますと、この間も、この間といいましても一月もなりますが、神奈川県の生協がたくさんの会員、主婦を連れていきまして、そして灯油の工場に、出せ、出さないのなら、君たちがいろいろな方面へ出荷する、それを阻止するぞというかまえをもって放出を迫ったので、とうとう放出した。また洗剤も、出さなかったときに、洗剤工場にすわり込んでしまうというような形でやろうとしました。  これは当事者から聞いた話でありますが、こんなふうに、もう買うんじゃなくて奪ってくるということばに近いようなことになってまいりまして、また摘発——隠しておるということで、政党員の方たち、それから地方自治体の方たち、あるいは労組員が、主婦たちと一緒になって押しかけて摘発するといったようなこと、団体交渉の力で倉庫に立ち入ったといったようなことがあります。この間も横浜のはしけ問題、これも荷役人夫の組合の方が、はしけを見せなければもう荷役拒否だなんというような、実力行使でもってやるといったようなことであります。  私は、去年の秋といいますか冬といいますか、そのころに「物価暴動を起こそう」という本を出版いたしまして、そんな変な名前の本でありますから、違和感を覚えて、この前に「原価の秘密」という本を書きましたときも、二年間ほどは、もうマスコミからシャットアウトされまして、島流しみたいな目にあいました。今度もそうなるだろう、しかしこれはもう必ず暴動は起きる、そういう私は予想を持っておりましたので、書かずにおれないような気持ちで書いたわけでありますが、しかしそのために、こんなことを書いた以上は、もうほうぼうからきらわれて、また島流しにあうということを覚悟しておりましたところが、意外に、これが島流しにあわないで、あちらこちらから講演しろとか、テレビも暴動のことを言えといって、二回も言ってこられた。講演も、暴動の講演をしろと言ったり、朝日ジャーナルなどが言ってきたので、暴動はもう起きているというようなことを言いましたところが、今度は兵庫県の労働部、県に労働部というのがあるそうで、そこから、あれを全面転載して、二千カ所、いろいろな機関に送っておる印刷物に載っけるからなんていう、そういうことがありました。  これはもう人々の心の中に、暴動でも起こさなければ物価はおさまらないといったような気持ちが起きているのじゃないか。石油、洗剤を、押しかけて、突き上げて取ってくるというような気持ちが、国民の中に実際行動となってあちらこちらにあらわれておるが、全般的にこのような気流が国民の心情の中に流れておるのじゃないかというようなこと。ここで、物は出てまいりましたけれども、値段が高い、今後も高値に対して、物不足の場合のような行動が出るおそれもあるわけであります。ここで政治の対策がどういうふうに出てくるのか。物価引き下げに直接、間接影響するいろいろな対策、これは予算に限って申しましても、そのような状況である。  そこからすぐに出てきますようなことは幾らも問題がありますが、たとえば公正取引委員会といったようなものが、やみカルテルの限りでは、非常に活動したりいたしましたし、その他、企業の犯罪行為に、高橋さんは、これはもう犯罪だという認識を強めなければいけないということをきっぱりと言っておられたようでありますが、しかし、公取が発動すると申しましても、あのわずかな人数でどうすることもできないのが現状であります。何年ぐらい前ですか、佐藤首相の時代でありました。ジェット機一台の費用があれば、公取はかなり活動が活発になるのだがと言った議員さんの質問に対しまして、そういうことは認めないというようなことで、予算をふやすというようなことにはならなかったのでありましたが、いま公取などを強化するといったようなことが必要ではないのか。これは直接の、たくさんの中の一つのことを申し上げました。  少し時間が短くなりましたが、また質問のときに、何かありましたら申し上げることにします。(拍手)
  6. 井原岸高

    井原委員長代理 ありがとうございました。     —————————————
  7. 井原岸高

    井原委員長代理 これより両公述人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出の順序に従ってこれを許します。大野市郎君。
  8. 大野市郎

    ○大野(市)委員 土屋さんにお尋ねをいたしたいのでありますが、時間もたくさんないようでありますから、ほんの二、三点だけ承りたい。先ほど承りまして、実はその骨格、お考え方は、私などまことに一々ごもっとも、同感でございましたので、その意味では異論を申し立てるのではございませんが、その点に対して、多少こんな点はと思うのが一、二ありましたので、お伺いしたいのであります。  先ほどの予算の骨格に対して、目玉は総需要抑制である。これは私どもも共通でございまして、それに対してインフレの補正、これが加味されておる。特に減税の問題で、原理あるいは原則、理論的に言うならば矛盾するけれども、インフレ抑制策として取り入れたものであろうからというようなことで、御寛容な原則に対するアローアンスをお示しになりました。この点に対して、余裕が出たものは国債に回すのが原則である、これも自然に受け入れられる。  ただ、私がここでお聞きをいたしたかったのは、今回は、御承知のように、社会資本の充実ということが、もうずっと続いて述べてこられた自民党の政策であり、政府の政策であったわけなんです。そのうちで、こういう総需要抑制になったからといって、その従来からの路線が百八十度の転換でいくのがいいことかどうか、この点に、実は非常に問題点を政治家の一人として抱いておるものですから、お聞きするのですが、社会資本といいますけれども、お話の中にもありました社会福祉のようなのは、右から左への肩がわりである、これもよくわかるのです。その意味で、公共的な道路とか港湾とか、従来の社会資本の中核体をなしたものにはストップをかけられた。ただ今回は、社会福祉関係ですね、そういう社会施設、社会福祉関係公共事業関係は、予算をごらんいただくとわかるのですけれども、相当見てあるのですね。そこに私どもとして、政治の進路に対しては、百八十度の転換云々というのは非常に心配なのであって、その間にやはり中道を行くような移り変わりがないと、角をためて牛を殺すということにならないか、こんなような考え方がありましたので、社会施設の充実、これがやはりテーマとして重要なことじゃないかと思いますので、この御感触を承りたいのが一点です。  それからもう一つは、今度は骨格でなくて、ギャロップ値上げのお話がございましたので、このたいへんな物価の変動期にあたって、社会的介入が必要であるというテーマでございます。同感でございます。この中で、方法論として、流通機構の問題というのが、実は具体的な方策になると、非常にこれが問題じゃないかというふうに私、考えますので、短いお時間ですから、お考えの中にありながら触れることができなかったのだろうと思いますので、特にこの物価対策の中において、犯罪行為的な意図を持った悪徳商人のばっこ、これはもう論外でございます。これはもう糾弾せられるのが当然だろうと思いますが、いわゆる機構といいましょうか、からくりといいましょうか、仕組みの中での改善点は、流通の部分が取り残されておるのじゃないかというふうに思われますので、この先ほどの社会施設関係公共事業なり、それからいまの流通関係、これに対してのお考えがございましたら、承りたいと思います。
  9. 土屋清

    土屋公述人 お答え申します。  第一点の社会資本の充実でございますが、つまり、過去二カ年間予算編成の眼目が、社会資本の充実と社会福祉の強化にあったと私は考えておりまして、なかんずく社会資本につきましては、四十七年度が二九%の増加——公共投資ですね。それから四十八年度が実に三二・二%の増加ということになっている。これはこの二年が社会資本の強化に置いたので、こういう著しい増額があったと思っております。ただ、その結果、どうしてもわりに公共投資の波及効果が大きいものですから、それが総需要の増大に拍車をかけて、インフレ一つの大きな原因になったということと、現実に資材不足のために、鉄鋼、セメント、木材が手に入らないためにその公共事業の執行が困難になるというような状況が生じております。  御承知のように、昨年の半ば以後から公共投資の繰り延べが行なわれた。これは一般会計、地方会計、特別会計合わせまして、総額で一兆円に達する公共投資の繰り延べであります。なぜそういうことをしなければならなかったかというのは、それは総需要抑制ももちろんそうでありますが、現実にそれだけの、国、地方を通じて一兆円の投資をやろうと思っても、もうそれ以上は、鉄も手に入らぬ、セメントも手に入らぬということで繰り延べざるを得なかった実情だったと思うのですね。その点から申しまして、過去二カ年間、社会資本の充実と社会福祉の強化に重点を置いたのは正しかったと思いますが、現実の情勢から見ると、もうすでに行き過ぎであったということになる。そうなりますと、今年度において、一応社会資本の充実という看板は引き下げる。これは撤回することではないんでして、ただまっ正面に持ち出してこない。社会資本充実の強化が必要なことは、もう申すまでもございませんが、いまの経済情勢からいって、一応予算の重点としては、それは引きおろすということにならざるを得ないんじゃないか。ことしは、先ほど申しましたように二兆八千四百億ですか、大体横ばい実質は三割減ということになっている。ただ、前年度からの繰り延べ分がございますから、これは中央、地方を通じて一兆円ですけれども、一般会計で数千億円だと思いますが、その繰り延べ分がございますから、それと合計して考えれば、必ずしもそう少ないものではないというふうに私は見ております。  したがって、やはり経済情勢の推移いかんを見るほかない。経済情勢が過熱ぎみになお推移するならば、予算の執行は押えていかなければいかぬ。しかし、前半で大きく落ち込むようであれば、繰り延べ分を先立ちにして、景気を若干引き上げるというやり方をしていくということでいかなければいけないのじゃないかというふうに考えております。  それから、第二の流通機構の点は、まことに御指摘のとおりでありまして、日本の場合は、それがインフレに非常に大きな関係を持っている。つまり、かねがね、日本の流通機構というものはかなり前近代的なものがあり、非常に複雑なわけです。そこへもってきて、新しいスーパーマーケットとかチェーンストアとかいう非常に近代的な、大量資本を動員するような仕組みが入ってきて、いよいよその複雑さが増大しておるということになっているんじゃないかと思います。  それで、日本の中小企業問題、特に中小商業の問題というのは、十年、二十年、あるいはそれ以上も前からの問題でございまして、なお十分の成果をあげていない。しかし若干、各段階の圧縮であれ、系統化であれ、それが進んでいるようでありますが、今度の場合には、まだその前近代的な非常に複雑な流通機構の矛盾が一度に露呈した。全体が暴走する雰囲気の中で、必ずしも流通業者だけは責められないと思いますけれども、そういう弱点が露呈したということではないかと思うのですね。ただ、その中にあって、つまり近代的な新しいスーパーとかチェーンストアというものが、ある程度鎮静的な役割りを果たしたということは大きく評価されるわけでありまして、したがって、今後の流通機構の問題としては、古い流通機構をどう一体整理、系統立てていくか、そして新しい流通機構を、それをよき刺激としてどう取り入れていくかということが、物価政策上重大じゃないかというふうに考えております。
  10. 大野市郎

    ○大野(市)委員 そこで、先ほどの社会施設の問題に対しまして私が申したかったのは、わが党が出しまして、政府が提案しておる予算でございますから、私ども自由民主党の所属議員としては、これを協賛するのが当然でありますけれども、私見を申しますと、いわゆる公債を削減するほうに急いで使うよりも、やはりこういう情勢下においても、社会福祉関係の施設の充実には金を惜しんではならないのではなかろうか、こういう考え方があるものですから、この点、御見解を承っておきたかったわけです。  それからもう一点は、流通政策の立ちおくれに何か御案がございますかと伺ったのですが、寡占の問題は、やはり時間の関係でお触れがありませんが、私どもも、今回のこの大事件を契機にしまして、その禍根は寡占の問題であろう、したがって、現在の資本主義経済社会の今後の発展の進路に対して、私は本来運営の問題だというふうに見ておりますので、イデオロギー論的には何ら微動だにいたしませんが、その運営論の中で、寡占論というものの取り上げが非常に少ないと思うので、私は時間がたくさん許されていないようでありますが、せっかくの機会でございますので、これに対する御意見を承りたいと思います。
  11. 土屋清

    土屋公述人 お答え申し上げます。  御質問の要点が、国債減額よりは、むしろ、余裕が出たらば、社会福祉の強化に回すべきじゃないか、こういうことでございまして、それは私どもよくわかります。今度の場合も、インフレ調整意味で、かなり社会保障関係、三六%ですか何かふえているわけですね。ですからそれは、いま申しましたように、インフレ下において社会保障的なことに使う、こういうことだと思うので、その方向としてはけっこうである。ただ、その国債減額の問題は、これは国民には何も関係がないように見えますけれども、やはり相当重大な問題である。国債が五%まで減ったのが、依存度がまた一四、一六というふうに上がりまして、これはちょっとほかの国にも例がないことでありまして、やはりそういうことに対して不感症になってはいけないと思うので、国債発行額は極力健全でなければいけないのであって、そういう意味でもって国債減額に向けたほうが好ましい、こういうことを申し上げているわけであります。  それから、第二の寡占の問題ですが、御指摘のとおり、これは非常に重大な問題ですね。現行の独禁法が十分だとは必ずしも考えておりません。たとえば、いまの独禁法では、巨大企業の分割はできないわけですね。ある業界のごときは、三社くらいの寡占状態である。そのうちの一社が特に強大になって、もう他の二つが束になってもかなわぬ。その巨大企業がますます巨大化してどうにもならぬという状況になっている。こういうのに対しては、巨大企業がある限度に達したならば、やはり何かの形でそれを分割するというようなことも考えざるを得ないのじゃないかと思いますね。  そういうことを含めまして、やはり寡占政策というものは、資本主義の健全な機能を発揮するために、法律の改正を含めて、今後とも十分検討しなければいけない問題だ、こういうふうに考えております。
  12. 大野市郎

    ○大野(市)委員 ただいまの公債の保有量の問題に対しての土屋さんのお話、数字の問題で、私の記憶では、世界各国の国債保有量と、その国の予算規模とか国民総生産、そういうものとの比較に対しては、わが国の国債保有量は、そうたくさんでないというふうに私は記憶しておりましたので、これは数字の問題ですから私も勉強してみたいと思いますが、私の記憶では、日本は少ないほうだというふうな記憶があるものですから、これは問題点を保留させていただきますが、お聞きしたいことはそれだけでございますから、これで終わります。
  13. 井原岸高

    井原委員長代理 多賀谷真稔君。
  14. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 土屋先生にお伺いいたしますが、先ほど、最近二、三年は福祉中心の予算であったというようにお話がありましたけれども、私は必ずしもそうでないと思うのです。  先ほど大野委員の質問の中にもありましたが、社会資本ということばで、それは福祉政策だという。しかし、私どもは、道路や港湾というのは、必ずしも即生活関連とは考えていない。これはやはり産業優先の政策だと考えておるわけです。そうして、日本には、先ほど御指摘がありましたように、世界に類を見ない第二予算という財投というのがある。そして郵便貯金だけでなくて、各種の、厚生年金、国民年金がみな運用部資金の財源になっておる。ですから予算はふくれ、財投はふくれ、公債はふくれておる、こういうのがここ四十六年、四十七年、四十八年の予算であった。ですから、単なる予算規模だけでなくて、さらに財投を加え——公債は予算規模に入りますけれども、そういうのが、財政的に見ると、ただ予算規模だけでなくて、財投を含めて考えると、著しく大規模になっておったのではないか、これは御指摘のとおりであります。  しかし、ちょっとひっかかりましたのは、福祉中心とおっしゃいますけれども、御存じのように、日本の社会保障の予算における比率というのは、ずっと一四%台にきて、やっと四十九年度において、総需要が押えられましたから一六%台になっておるのです。しかし、国民所得に占める率は依然として六%、こういうことでありまして、これは、今日のインフレで不公正の拡大を是正する意味からも、むしろ足りないのではないか。社会保障費が足りないのではないか。そうして、従来、日本経済が非常にいいときですら、パイは大きくなったけれども、お返しがなかったのではないか、こういうように思いますが、これが第一点の質問であります。  それから第二点は、長期的に考えますと、今度の石油ショックというのは、日本国民に大きな警告になったと思います。  そこで、これを契機にして、やはり日本経済の行き方というものを反省しなければならぬ。ところが、先ほどもちょっと大野さんの意見にも出ておりましたけれども、これはやはり短期決戦であって、そして、港湾とか道路というのは一時押えるけれども、やがてそれはやはり必要で、もとへ返すのだ、これは田中総理もおっしゃっておる。だから、港湾計画にしても、道路計画にしても変更がないわけであります。短期決戦で一時引っ込むだけで、やがてまた膨張してくる、これでは私はもとのもくあみではないかと思うのです。ですから、やはりここで産業構造を変え、福祉に転換するチャンスではないか。そういう意味においては、むしろこの芽が出かかっております四十九年度の予算を、ひとつ、そのパターンというものを、かなり恒久的に持っていかなければならないのではないか、こういう点、これをどうお考えになるか、お聞かせ願いたい。  それから、不公正拡大の面からいって、減税問題で、今度の減税、さっき先生は、基礎控除扶養控除もそれから配偶者控除も一緒に、三つとも減税しておる、こうおっしゃっておる。やはり私は、その意味においては、インフレに対する考慮があったのではないかと思うのです。  そこで問題は、便乗の減税があるのです。それは、いままでの給与所得控除最高限度、これを野放しにしております。それから三千万円までの所得に対して、累進課税の率を変更しておる。これは明らかに便乗減税ではないか。あるいは、配当所得の不申告も五万円から十万円に上げておるのですね。ですから、今日、御存じのように株式はだんだん法人に移っておるわけですから、こういうところも、やはり便乗減税を行なったのではないか。ですから、インフレ調整減税として考えるべきではなかったか、こういうふうに考えます。これが第三点。  それから第四点は、これは、長い間石炭に御苦労なさったわけで、先生は、第一回の石炭調査団、それから審議会委員としてずいぶんお骨折りいただいたのですが、御存じのような、率直にいって失敗だったというようにいま皆さんがおっしゃっておる。新春の新聞社の放談の中で、ある有力な財界人が、少なくとも五千万トンの石炭が維持できておったら、電力にそれが使われておったら、こんなに大騒ぎをすることはなかった、こういう発言をなさっておるのですね。  先生も各国のエネルギー事情をずいぶん視察になったわけですが、イギリス、西ドイツ、フランス、ここの石炭は安定しているわけですよ。いまストライキをやっておりますけれども、これは別問題として。そうして電力用炭に、大体イギリスだって西ドイツだって七二%、電力のカロリーで計算した石炭の使用量が七二%を占めておる。日本は九%しかない。一体、これはどういうところからこういうような問題に落ち込んだのであるか。長い経験から、これを現在どう考えておるかということをひとつおっしゃっていただきたいと思います。
  15. 土屋清

    土屋公述人 お答え申し上げます。  第一点は、社会福祉へ社会保障がもっと予算の中で大きくなるべきであり、かつまた、GNPに対してもその割合が大きくあるべきじゃないか、こういう御趣旨だと思います。  私はそれはまことに賛成でありまして、だから、情勢を見ながら——一ぺんに飛躍することは、予算というのは、ほかとのバランスの問題がございますから、急にふやすということにはできないでしょうけれども、継続的に、今後のあり方として、社会保障、福祉に持っていくということは大賛成です。  ただ、ここで社会保障の中身ですね、この点のほうがむしろ問題なんです。ワクもございますが、ワクはだんだんにふやすとして、中身は、日本の社会保障の半分は医療保障です。それで、この医療保障が、私は中医協の委員もして若干関係しているのですけれども、実に不合理ですね。この点をむしろ是正する。日本の社会保障のGNPに対するワクであっても、そのワクの中で、半分が医療保障だといったようなあり方をやめて、もっと老人保障であるとか、その他の保障を強化するということにすべきであって、いまのような非常にゆがんだ医療保障のもとにおいては、幾らワクをふやしても、それは医療保障に吸い取られて、実際の社会保障には役に立たぬということになりやせぬか。ですから、ぜひとも合理的な医療保障の体制を整備するほうが急務じゃないか、こういうふうに考えております。  それから第二の、社会資本の点、今後も復活するかということでありますが、ここは多賀谷さんと私と、ちょっとその感覚が違うのでして、私は、社会資本の充実ということは、まず産業優先だ、それは民生、生活関連とは関係ないのだというふうには考えていないのです。社会資本の充実の中にも、これは非常に多くの部分——港湾と道路をおっしゃいましたが、港湾と道路は何も民生に関係ないかというと、直接ないにしても間接的には大いに関係があるわけでして、社会資本の強化が、大資本のためのものだというふうには考えてない。その社会資本の中で、直接産業に重点があるものと民生に重点があるものと、おのずから若干の差別はあると思いますが、社会資本の強化は、それは産業優先だ、そう単純におっしゃらぬと思いますが、そういう考え方はしていない。どうも今度の石油危機でもよくそういうことを感じさせられたのですが、何か産業関連と民生関連とを峻別しまして、たとえば灯油は民生優先だから、これはもう雷が鳴っても上げないぞ、そういう努力政府が払う、ところが、それでは灯油をそういうふうにくぎづけにすれば、ほかのガソリンとかあるいは農民用の軽油とか、そういうものの値段はよけい上げなきゃならぬわけなんですね。ですから、灯油が民生用であることは、これは確かだが、その他の産業用のものも、結局、ひるがえっていけばこれは民生用なんですね。たとえば、石油の配給が十分でなくて民生物資の生産が困難になったら、たちまち、民生を害する、こういう議論がわきあがってくると思いますね。したがって、ある程度の民生用とそれから産業用との区別をするのはいいけれども、それを峻別して、道路、港湾は産業用だから押える、民生用、生活関連は伸ばす、こういう考え方は、私はしていないということだけを申し上げたいと思います。  それから第三に、インフレ調整のための減税、それに便乗があるんじゃないかというような御指摘で、私は先ほど申しましたように、物価調整のための減税に主眼を置けば、そうすれば五千億か六千億だと思うのです。それが一兆四千五百億という減税になったのは、この時期にインフレ調整の名のもとに、ふだん財務当局がやりたがっていることが、全部ごそごそと出てきたんじゃないかというふうに考えている。私は、税率調整、実は持論としては大賛成なんです。いま、特に中堅所得層は非常に税率がきびしくて、一番社会的にも支出の多いときに、かなり中堅層は痛めつけられていると思うので、これはいつの日か、できるだけ早い機会に直すことが必要だと思うのですが、ただ、ことしというか、明年度のようなときにそこまで広げるのはどういうものであろうか。やはり物価調整減税ということであれば、基礎控除引き上げを中心にして、それで五、六千億円というぐらいのところがよかったんじゃないか、こういうふうに考えております。  それから、最後の石炭問題は、これは長年の多賀谷さんとの因縁がございますが、私は、日本の石炭政策、五千五百万トンから、いまのように二千五百万トン前後まで、あるいは二千万トン近くまで下がったということは、過去十年間において失敗だとは思っておりません。  それは、日本の石炭は、大体コストが非常に高いですね。これは欧米と違って、炭層の条件が悪いし、非常にコストが高くなるということがございまして、それはアメリカ、ヨーロッパのようにとてもそろばんがとれるものじゃなかったと私は考えています。五千五百万トンをこの十年間維持してきたとすれば、そのための財政負担は、おそらく何兆円、計算してみたこともございますが、たいへんな負担で、それだけの金を出すことを国会が御承知になったかどうか、私は非常に疑問だと思いますね。たいへんな負担がかかる。現に、いま炭価が五千円ぐらいとして、一トンについて千五、六百円も赤字を出している。そのほかに、国の財政支出でもって、石炭対策費を一トンについて千円、あるいはそれ以上行なっているような状況なんですね。ですから、過去十年間において五千五百万トンを二千五百万トンまで減らしたことは、私は決して失敗だというふうには考えておりません。今後においても、いままでよりは、石油の値段が四倍になりましたから、石炭は新しい展望が開けてくると思います。またそうなることを望みます。  特に北海道とか九州とか、山元で発電を行なうことは、電力業者にとっても必要だと思いますね。そういうことで、若干需要がふえて、それだけ増産になるということは好ましいことだというふうに考えておりますが、しかし、だからといって、日本の石炭の賦存の状況、条件からいって、それが五千万トンにも五千五百万トンにも戻るというふうには考えていないのでございます。
  16. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 石炭の問題は、西ドイツだって電力用炭が七千二百円ぐらいしていますよ。日本の場合は揚げ地で五千四百円ぐらいですよ。積み地では二千円台ですから、やはりものすごく差がある。しかも、電力用炭は安く売っても、電気代は下がらないわけです。ですから、ここに問題がやはりあったのではないか。きょうは、別の機会に論争する機会があると思いますので省略しますが、日本はいま、必ずしも高いというより、むしろ欧州に比べて安い、そういう実情になっているということを申し上げておきたいと思います。  そこで最後に、このインフレですね、私はいろいろ調べてみましたら、明治元年から昭和二十年までの間に、アメリカやイギリスは卸売り物価が変わっていない。ことに、一番卸売り物価経済が安定しております昭和九年から十一年、これは世界的に不況から脱して、第二次世界大戦に入る前ですが、明治元年を一〇〇としますと、大体アメリカで七五ぐらい、イギリスで八〇ぐらいです。そうして、第二次世界大戦の終わりの昭和二十年にアメリカがようやく明治元年と卸売り物価が同じぐらいになっている。日本は、昭和九年から十一年ぐらいまでに五倍上がっています。それから戦争に入って三倍上がって、十五倍ぐらいに上がっているわけです。日本はまだ産業革命というものができていなかったから、私は過去のことは言わないわけですけれども、しかし、第二次世界大戦後において、池田内閣時代、卸売り物価は安定しておるというけれども、異常な経済情勢、戦争か何かない以上、卸売り物価は、あれだけ日本は生産性が向上したのですから、本来下がっていかなければならないわけです。この点が不問に付されておったというのがやはり問題点なんです。ですから、結局、低賃金であった、生産性の低かった中小企業とかサービス業が上がる、ですから消費者物価が上がっていく、こういう形になったんだろうと思います。ですから、その点から考えれば、やはり卸売り物価を下げるべきだ、こういうように思います。  そこで、現在の状態ですが、ことしに入りましてから、各国とも、ほとんど二けた台に卸売り物価が上がっておるのです。アメリカが前年同月比で、十二月が一八・二%、英国が一〇・二、それから西ドイツが八・五ですけれども、フランスが一五・八、イタリアが二二・二、日本はこの一月に三四、特別に上がっていますけれどもね。やはりケインズ理論といいますか、そういうのが導入されて、資本主義各国とも、このインフレというものは宿命的なものになっているのじゃないか。ですから、かなりインフレ問題は構造的な問題じゃないか、こういうように思うわけです。  それから、日本のさっきお話のありました売り惜しみ、買い占め、便乗値上げ、これは特殊な状態、それから金融政策の失敗というのは田中インフレといわれるような、また特殊ですけれども、しかし、全体的に資本主義国家の宿命的な病ではないか、こういうふうに思うのです。これについてどういうようにお考えですか。それから、そういう場合における預金者保護をどういうようにお考えであるか、これをお聞かせ願いたい。
  17. 土屋清

    土屋公述人 お話しのとおり、世界的にいま卸売り物価が上昇しておる。この一、二年その傾向が顕著だと思いますね。  これはいろいろ原因がございまして、各国の景気の上昇がこの一、二年、期せずして全部上昇過程に入った、アメリカ、ヨーロッパ、日本と。それが卸売り物価をつり上げた一つの原因だと思いますね。それから第二は、これは多賀谷さんよく御存じだと思いますが、やはり賃金の上昇、それが価格に転嫁されている、いわゆるコストインフレという傾向が各国生じておる。それから第三に、そこへきて最後にとどめを刺したのが石油インフレだと思いますね。石油価格が一年に四倍に上がる、それが転嫁されている。  この三つの原因が、この一、二年圧縮的に出てきたためにこういうような状態になったので、私は、したがって、構造的ということばがいいかどうかわかりませんが、いまのこのインフレ、七〇年代の世界経済の最大の問題はインフレである。一九三〇年代に世界経済の大問題がデフレであって、これは戦争ということで解決がついたわけですね。それに対して七〇年代は、いまやインフレとの戦いだ。各国、残念ながら、これに対する有効な手段をまだ見出してない状況で、非常に憂慮すべき事態である。特に石油インフレに始まるこの資源インフレですね。今度は石油を上げることがうまくいった、それじゃ今度鉄鉱石も上げよう、銅も上げようというような、後進国がそういう動きになりましたら、ほとんど対処するすべがないのじゃないかと思います。この状態、非常に重大視しております。  それから、こういうインフレの中で、預金者の保護をどうするかということでありますが、私は、まず日本の場合、基本的に金利というものは体系をなしていますから、全体として預金金利を上げれば、貸し出し金利も上がる、こういうことになって、そう預金金利だけを特別に優遇するということは、一般的に困難だと思います。  そこで、申し上げたいのは、日本の場合は、公定歩合が上がっても、預金金利の引き上げがなかなか行なわれないですね。これは、やはりルールをつくる必要があると思います。大体、公定歩合が上がれば、貸し出し金利がそれに応じて上がる、その場合に、預金金利は——貸し出し金利が大体半分ぐらい上がります。公定歩合が二%上がれば、半年ぐらいのズレをもって貸し出し金利が一%ぐらい上がる。そうすると、その貸し出し金利を標準にして、預金金利を公定歩合の半分ぐらい上げるというようなルールを確立することが急務だと思いますね。公定歩合の上げ幅に応じて貸し出し金利が半分上がる、そうすれば預金金利は幾ら上がるというようなルールをつくれば、預金金利の引き上げがおくれることによって、預金者が受ける弊害というものは除去できるのじゃないか。イギリスなどでは、公定歩合が上がれば、自動的に預金金利まで上がった時代がある、最近は、それをやっていませんけれども。そういうことを参考にして、何らかの預金金利引き上げのルールを考えて、できるだけ預金者の利益を擁護すべきだと思いますね。  それと、もう一つ、最近の預金金利引き上げ論というのは、無理からぬ点があるので、それは預金者が損しているじゃないか。預金者というのは、買いだめもしないで貯金をしているので、きわめて善良な国民ですね。それに勲章をやってもいいと思うのに、逆に、物価の値上がりで預金者は損しているじゃないか。これを何とか補償する方法はないかという、そういう議論だと思いますね。私は、ある程度それは考えていいと思います。  つまり、一般の金利体系としては、そう十分のことはできない、これはもう明らかでありますが、特定のものについて預金金利を優遇するということは、いまのような暴走インフレの状態のもとにおいては、非常に考えなければならぬところだと思います。最近も、昨年暮れのボーナス期をねらって特別の預金金利を設定したということが行なわれました。近くまた、一割ぐらいの金利の特別定期預金を考えようといったような動きも出ています。あるいは富くじでやろうというような案もある。それには、いろいろ技術的に問題がありますから、どれがいいのか、これは十分検討しなければいけませんけれども、一般的な預金金利の問題は、先ほど申しましたように、ルールで慣行化してやるのとは別に、いまの異常な事態に対する預金者の優遇ということは考えてしかるべきじゃないか、こういうふうに考えています。
  18. 井原岸高

    井原委員長代理 八木一男君。
  19. 八木一男

    ○八木(一)委員 両先生に簡単に御質問をいたしたいと思います。  まず、土屋先生にお伺いをいたしますが、先ほど超過利得について課税をすべきであるという御意見を伺わせていただきました。課税をして、それが国に入ったものは、この超過利得と称するものによって、たいへん打撃を受けた国民に還元をされるべきものであると私どもは考えているわけでございますが、この点についてお聞かせをいただきたいと思います。  時間の関係で、続いて大門先生にもお伺いをいたしたいと思うのであります。  大門先生は、先ほど物価暴動を起こすべきであるというような思い詰められた国民の気持ちを代表して、公述をしていただきました。その点について、私どもたいへん同感でございます。先生は、大資本を中心とするいろいろな会社の買い占めや売り惜しみ物資の隠匿や物価引き上げ、そういうことは、まさに犯罪的行為であって、そういう連中は犯罪集団だというふうに、きわめてきびしく極言をもって批判をされました。私ども全く同感でございます。まことに目に余るものがあると思うわけでございますが、この犯罪とまで指摘をされました実態について、もう少しその間の事情を伺わしていただきたいと思います。特に具体例がありましたら、ぜひお聞かせをいただきたいと思うわけであります。  さらに、大企業の悪質なやり方を規制するためには、どのような対処をすべきであるか、御意見があったら、ぜひ伺わしていただきたいと考えております。  さらに、大門先生は、消費者運動の点についてお触れになりました。あのようなことで、消費者消費者運動で生活を防衛しようといたしております。このことは当然のことであると思いますが、もっとほんとうに組織的に消費者運動が組織をされて、このような悪徳な商法が行なわれないように防衛をする体制をつくる必要があろうと思います。それで、私どもは、消費者の運動に対して、政府から、運動が拡大し、前進をするように援助をすべきであるということを要求してまいっておるわけでございますが、ただいままでの対処は、ほとんどそういうことが対処されておらないと思うわけでございます。大門先生は、今後政府として、消費者運動についてどのような対策をとるべきかという御意見があったら、ぜひ伺わしていただきたいと思います。  それから、もう一点でございますが、このように悪徳な経済行為に対して追及をしていく、消費者運動で守っていくということが大切でございますが、現に、国民生活がこうした状態の中で猛烈に圧迫をされ、生活が破壊をされているわけでございます。この状態に対して、特にその中で一番打撃を受ける、生活保護を受けておられる方々なり、施設に入っておられる方々なり、あるいは失対労働者なり、あるいは重い難病の方々なり、原爆の被爆者なり、そういう方々の問題に対して、政府は、当然、十分な対処をして、その生活を守っていかなければならないと考えるところであります。  ところで、政府のほうは、たとえば、その一例として生活保護費を四十九年度予算で二〇%上げたということで対処をしたように言っているわけでございますけれども、この二〇%上げた状態で、昭和二十六、七年の、あの占領行政からそうでない状態に変わる時点の一般の消費生活に対する比率は一〇〇対五四でございましたが、この二〇%を上げても一〇〇対五一にしかすぎないわけでございます。このように何らか対処をしたように見せて、実態は対処をしていないというようなこの政府の方針。予算案に対して、これは一例でございますが、全部にそういうところがあらわれておりますので、こういうものは直していかなければならないと私どもは考えているわけでございますが、それについてひとつ、御意見を伺わしていただきたいと思います。
  20. 土屋清

    土屋公述人 超過利得税の税収を、犠牲になった者に還元すべきではないかという御趣旨と伺いますが、実は、それは的確に、それじゃどの部分にどう使うかということになって、なかなかむずかしい問題になるのじゃないかと思います。やはり一般会計の中の税収として、そうして一般の予算を通じて国民に報ゆるといいますか、国民のために使うということ以外に、超過利得税を取ったからそれを消費者に還元する、どういう形で還元するのか、そのことがなかなか見当がつきませんので、私は、やはり一般会計に入れるのが妥当じゃないかというふうに考えております。
  21. 大門一樹

    大門公述人 犯罪のことでありますが、悪いとかひどいとかいうようなことは言うけれども、犯罪とまで言うのはどうかというようなことに、実は疑念を持つ方がありまして、きょうも、これから小さい研究会へ行こうと思っておりましたわけですが、私は、国民にひどい被害を与えて、そうして黒い手口でこのさなかに隠匿、それは犯罪であり、つり上げ、それも犯罪であるというふうに考えるわけでありますが、日本人のあれとしまして、法律に触れない、そして触れて有罪宣告されないと犯罪と感覚しない。これは長い間、国民が権力教育によりまして、法律には従わなければならないという観念に機械的に飼育されまして、それでは法に違反していなければ正しい、犯罪ではないという錯覚を持っておる、こういう一般的な状況から、違反でも——この場合に、買占め売惜しみ防止法なんというのは、あるわけでありますけれども、それは実際には動いておらない。  それから、何を犯罪とすべきか。社会が制裁すべきものだというふうな世論が起きておるような場合には、それは犯罪である。法に関係なく、社会が制裁をすべきだというような行為は、それは……。  ところで、カルテルのようなものは、いままでほとんど勧告というようなことで、罰せられておらない。あるいは形式的にありましたが、いままで何百件ですか、実際は何千件ですか。公々然と、この高度成長の過程で、家庭電器などはもう独禁法を無視してまいりまして、国民に高いあれを押しつけてきたわけでありますが、これはアメリカでも、現行法では、カルテルで巨万の利益をあげたような会社の重役に六週間の禁錮を言い渡すということは、非常にむずかしいことで、公衆電話の料金箱を盗んだ者を五年の懲役にするというようなことのほうが、ずっとやさしくなっておる、そういう法律の状況だというようなことがいわれております。  しかし、アメリカでも、数年前に電器メーカーがやみカルテルをいたしました。そのときには、FBIなどが活躍いたしまして、やみ協定をする側は、島で会合してみたり暗号を使い、または電話をかけるときには、会社へはかけないといったふうに厳重にやりました。そんなふうにやりましたけれども、FBIが隠しマイクや盗聴器、尾行など、テレビドラマのスパイ作戦式に活躍いたしまして、とうとう事実をとっつかまえまして、ウエスチングハウスだとかゼネラルエレクトリックなどという大会社の副社長級七人を、じゅずつなぎにして刑務所にほうり込んで、一カ月の体刑、それに億単位の罰金を科したというような実例がありましたし、新聞も、犯罪としてきびしくやみカルテルは追及しているわけであります。そういうふうなことはありますが、大体、そういったふうにむずかしいことになっておりますけれども、そういう事実上のそれが罰せられない。  それから、これはラルフ・ネーダーという、消費者運動の、アメリカで非常に支持されている方でありますけれども、社会がそういう犯罪者を犯罪と見ない。水俣の場合など、ひどい被害を受けた人たちは、会社を加害者であるということで、もう彼らを殺人者であるとか、そういうふうな目で、実際感情でもって見ておりますけれども、しかし、公害の被害の圏外にある一般国民は、そういうことを、いろいろとひどい事実を聞かされましても、そこまでの感情は出てまいりません。そのラルフ・ネーダーは、われわれが湖水に小便をすると、おまわりさんに引っぱられていく、ところが大会社が悪水を湖水に流し込んでも、ちっとも罪にならないということを申しまして、そういう企業の犯罪、犯罪者たち、そういう人たちには、町のどろぼうを見るような目で見なければ、市民運動は盛り上がらないんだということを力説しております。  しかし、日本でもだんだん、公害をきっかけにいたしまして、公害企業を犯罪者と見る傾向も出てまいりまして、刑事罰も設定されるようなことになってまいりましたが、一方で、そういうことでありますから、民間の側でも、われわれが生活を防衛するためには、法律にこだわる必要はない。いま交通問題で市民がいろいろと動いております。その人たちの集まりで言うのを聞いておりますと、法をこえてというようなことばをよく使います。法をこえて、もうあれこれの法律なんというものにこだわる必要はない、そうやっておれば、われわれは身を守ることができないぞといったようなことに——これは、そういうふうな法律ということに対する反射のしかたになっておりますが、公害Gメン、いま東京都で働いておられるのですか、田尻さん、公害企業は犯罪者という認識を持たなければならないんだ。水俣では、魚だけでなく人間まで殺してしまった。そのチッソがなぜ刑事責任を問われないのか。ですから、そういう法律がなくたって、これはもう犯罪じゃないかというようなことであります。ですから、国会に証人か参考人かというような問題が出てきておりますが、冗談じゃないと国民は思うわけでしょう。  そういうふうなことでありまして、消費者運動のことのお話がございました。この荒れ狂う悪性インフレの前に、いままで消費者運動、消費者団体なんというものがありましたが、手も足も出なくなって立ちすくんだような様子であります。かつては不買運動、私も長い間不買運動を提唱してまいりました。長い間そういう団体ともつき合ってきたわけでありますけれども、もうどうすることもできないというような——それは一面において、そういう消費環境がひどくなってきたと同時に、そういう消費者団体の持っておった内面的な脆弱性がここにぱっとあらわれてきたと見ることもできるわけでありまして、ここで、この数カ月の間に、日本消費者教育であるとか消費者団体であるとか消費者運動なんというものは、すっかり洗い出されて落第点をつけられた。政府も、毎年ある程度の金額を出して、消費者教育というようなことには非常にあれしてこられたようでありますが、この買いだめ騒ぎの、このインフレ対処の三カ月、四カ月の間にそんな教育はむだだった、むだ金を使ったといわざるを得ないような感じであります。  また、消費者団体も、いままでは幹部がおりまして、手足は、会員の数は数百万というような、あるいは数十万、幹部のほうは社会的地位も高くやっておりますけれども、実際にはこの短期間において体質を露出してしまったわけでありますが、いま消費者運動とか消費者団体というものは、三極分解の時代になってきている。  一つは、いままでのいわゆる大団体が、もう陳情だとか、デモだとか、告発だとかやってみたところで、それがどうにもならないほどの日本になってきておる。そうすれば、それらの人たちは、一般消費者に、消費者団体が活躍して、物価を下げてくれはしないかといったような幻想を抱かせるようなことはもうやめて、一つの批判団体ぐらいなものに限局してくる。それから今度は政界、財界主導型の消費者団体、これは行儀のいい消費者団体、これから騒然たるインフレ時代に対して、消費者の意識をなだめるためのような団体、それからもう一つは、先ほど来お話ししましたように、事態に困って、運動でも何でもない、暴動的に物をよこせといったふうな——生協でも、生協は物を仕入れてきては、あるいは自分らでつくっては会員に分けておったわけであります。ところがいまや、商品担当者というものがあって、それをやるわけでありますが、窓口がある、もうそんな窓口で幾ら努力したって、物不足で物は手に入らない、それだから、会員も千万人ぐらいおるでしょうが、それぞれの地域で消費者パワーを糾合して、押しかけていって、メーカーの出荷を阻止するとか、すわり込みだとかいうことで物を取って、会員に分けるといったような直接行動のような、消費者運動といえば運動、暴動といえば暴動が今後出てくるのではないか。それほどきびしい、いいかげんなことではどうにもならないような環境になってきておるというわけであります。  ですから、もし消費者運動を、今後政府がもっと助力しようとするならば——いままでは著しく官庁、政府のひもがついておった。いまは全国に三千数百の小団体がありますけれども、大半が官庁主導型でありまして、賢い消費者、行儀のいい消費者ということであります。ところが、そのお行儀のいい消費者も、もう洗剤がなくなる、何がなくなるとなると、行儀を忘れちまって、買いだめに走り出すというようなことでありまして、そういう官庁主導型の消費者教育などということは、ここではもう考え直さなければいけないというわけでございます。そして、あまりにもちょっぴりしか出さなかった、中央から出て、地方自治体がまたそれに幾らかつけ加えまして、それがいろいろと——消費者団体のアキレス腱といいますのは、資金がないということであります。資金がないので、いいと思っても、これはやらなきゃいけないと思っても、それができない。消費者はまたお金を出しません。なかなか百円、二百円の会費も出さない。アメリカとそこが違う。ネーダーという一人の熱心な、正直な方が運動に踏み切りますと、たくさんの市民が集まってきて、それを支持するというので、実り豊かな消費者運動もできるのですが、日本はそういう地盤がないものですから、つい暴走的になってくるのもやむを得ないことでありますから、これは今後、消費者運動を育成していくというときは、ひもつきにしないということ、お金は出すが口は出さないといったようなことが望ましいわけであります。いま、あまりにもにおいがぶんぶんするわけであります。一応……。
  22. 八木一男

    ○八木(一)委員 土屋先生にお伺いします。  先ほど、超過利得に課税をしたものは、一般財政でやっていいのではないかというふうにお答えになりました。先生は、経済学の御専門でいらっしゃいますから、いまの国民生活と、また産業を通じての将来の国民生活ということを視点としてお考えになって、そういうお答えが出たのだろうと、かってながら推察をするわけでございます。  そこで、その前にインフレを抑止しなければならないということが、いまの国民的なみんなの気持ちになっておるわけであります。インフレを防止するということは、インフレということば、インフレという状態だけではなしに、それ以上に、インフレによって国民生活が抑圧される、破壊される、そうでなしに、インフレを直して国民生活を確立しなければならぬということが、大前提でなければならないと思うわけでございます。そういう意味インフレの問題をお考えになっておられると思うわけでございますが、長い目で見たものは、たとえば総需要抑制というものについていろいろな方策が考えられており、さらに考えておらなければならないわけでございますが、現時点で超過利得税というものは——いまの狂乱物価といわれる状態を生み出しまして、いま国民生活を圧迫しているわけであります。  総需要抑制という観点でいえば、ほかの点で、法人税をもっと増徴するなり、あるいはまた、交際費に課税をするなり、たとえば防衛費を削減するなり、いろいろな方法があるでございましょう。もちろん、公債の問題や金利の問題、いろいろな問題があるでございましょうけれども、いまの超過利得税というのは、いま急激に起こった、けしからぬ行動によって超過利得を得ている、それに対して課税をして入ったものは、そのけしからぬ行動で直接に被害を受けた国民に還元されるべきものであると私は確信をするものであります。国民への還元のしかたがむずかしいということで、そういうお答えがあったと思いますが、そこのはっきりしているものがあるわけでございます。  たとえば生活保護を受けている人とか、あるいは施設に入っておられる方々とか、あるいはその他ボーダーライン、特に年金の生活者が、物価の高騰によって実質的に生活を切り下げられるとか、被害を受けておることが明らかな人がたくさんあるわけであります。そういう人たちには少なくとも還元をされなければならない。そして、捕捉せられないものについては、総体的な政策に、その超過利得を吸い上げたものを活用してやらなければならないというつもりでお伺いしたわけであります。  その点で私は、捕捉をし得る国民の損害に対しては、この超過利得に課税した財源は、それに断じて即時に振り向けられなければならないと確信をするものでございますが、それについて、さらにお答えをいただきたいと思うわけでございます。その同じ問題について、大門先生のひとつお考えを伺わしていただきたい。
  23. 土屋清

    土屋公述人 御質問の趣旨は、私にもよくわかりますし、適当な方法があれば、決してそれは反対ではないのですが、ただ、いまおっしゃったように、たとえば預金者が損害を受けるからそれを補償するとか、あるいは老人、生活保護者が困るから還元するとか、そういうことになりますと、結局、それは一般会計を通じて配分することになる。ですから、それは、その超過利得を見合いとする一般会計の歳出を、どれだけそういうインフレ犠牲者に振り向けるか、こういう問題で、そうおっしゃることと違わないのではないかというような気がいたします。
  24. 大門一樹

    大門公述人 先ほど御質問いただきながら、お答えするのを忘れました。  インフレで浮上していく階層と沈んでいく階層が、格差が非常に大きくなりつつあります。それをひどく感じておるものでありますが、この間も経済企画庁、国民生活センターの方とお話ししまして、一体こういう人たちの数がどのくらいあるかと私は自分で概算をいたしまして、つまり最低所得の方、所得というより、もう所得にも値しないようなものですけれども、生活保護を受けておる方とか、高齢者ですとか、年金に主として依存する方、そのほかに中小企業などで最低賃金のベースアップなどもできないような方、あるいは自由職業で、これもベースアップなど望めないで非常に困っている方も多いようであります。私は、概算しまして、千万人ぐらいはそういう方がおるのじゃないか。経済企画庁あたりでもそういう数字はないようでありますけれども、非常に捕捉しにくい。それはそうでしょう。でも私たちとしては、官庁統計式にきっちりとできなくても、概算はつけなきゃならない時期でありまして、先ほど申しましたように、小指の痛さは全身の痛さであります。  そういう人たちの苦しみが大きな社会的な亀裂、この問題に噴出してくるという地盤になっておるということになりますというと、単に春闘、ベースアップだけの問題では片がつかない、ほんとうにそれは何とかしなければならない問題であります。これに対しては、全くどしどし——予算を見ましても、こんなものなくたっていいじゃないかと思われるようなものは、いつも指摘されておりますように、幾らもあるわけであります。そういうことを思い切ってやるべきときではないでしょうか。  福田蔵相が、物価は、物価といったようなものじゃない、相場だと言った。そんな相場の中で私たちは狂奔させられている。まだいいのですけれども、実際、私も非常にインフレで沈下している人の実情をほんの少しばかりでも見て回りましたが、言語に絶するような、お話にならない状況に置かれている方が数十万や数百万ではないということをここで言うだけの能しかありませんけれども、申し上げたいわけであります。
  25. 井原岸高

    井原委員長代理 増本一彦君。
  26. 増本一彦

    増本委員 お二人の先生に御意見を伺いたいと思います。  超過利得税につきましては、すでにわが党のほうでは法案要綱を発表しておりますので、ひとつ、それも御検討をいただくことにしまして、主として国民の生活に必要な物資を安定的に供給する、そして、上がった価格は引き下げて物価を安定させる、これが物価政策の眼目であるというように私たちは思うわけです。  そういう立場から見ますと、昨年の秋以降の事態から私たちはしっかりと教訓をつかまなくちゃいかぬ。石油危機以降、いわゆる物不足が起き、現象としては、店頭からトイレットペーパーも砂糖も小麦も洗剤も消える。ガソリンスタンドでも灯油はなかなか入ってこない。非常に深刻な事態になりました。このような状況が一体なぜ起きたのか、その原因は一体何なのかということを、やはりはっきりさせる必要があると思うわけですね。その点で、この原因について、まずどのようにお考えになっているか、これが一点。  それから、もうこのような事態を二度と起こさないようにするには、どういう手だてをとらなければならないのか。いろいろ私たちも政策を出しておりますけれども、この対策、政策についての先生方の御見解を伺いたい。  それから三番目に、国民に安定的に物資供給し高値安定をなくして、価格を引き下げる、こういう手だてをとっていく上で、この四十九年度予算案予算措置は、これで十分だと言えるのかどうか。目玉といえば、経済企画庁に今度五十億円の対策費がくっついたぐらいだ。専任の価格調査官をふやすということになっているけれども、それについての予算措置も決して十分でない。そういう個別の物価対策を進めていく上での予算措置について、どのようにお考えになっておられるか。  それから四番目の問題は、こういう高値安定をやめさせるには、いまアメリカの議会ではメジャーを呼んで、いろいろ超過利得や不当なもうけ、その他石油危機にまつわる諸問題を究明しています。かつてはキーフォーバー委員会が、独占価格について同じようなアプローチをしました。それと同じように、日本でも国会にこういう常設の調査機構をつくる、必要な場合には証人喚問もして実態をしっかりつかむ、そういう中で、寡占価格、特にその原価をやはりはっきりさせる、不当なもうけがあれば、やはり削らせていくような手だてもとっていく必要があるのではないか。そういう点で、先生方はどのようにお考えになるか。この四つの問題について、ひとつ御見解を伺いたいと思います。
  27. 土屋清

    土屋公述人 インフレの原因でありますが、私は、昨年の秋までのインフレ財政金融政策の誤りによるものだと考えています。それが、昨年の秋、石油危機が勃発することなかりせば、おそらく昨年の秋の終わりから、ある程度落ちつく方向に向かっていたように判断しています。ところが、十月に石油危機が起こりまして、落ちつくものが、むしろ先ほど申しましたように暴走する、ギャロップする結果になった。ギャロップしたのはなぜかというと、これは売り惜しみ買いだめ便乗値上げ、この三者によるものだ。日本騰貴率がほかの国に比べて異常であるということは、明らかに、いま申しました三悪が露呈したのじゃないかというふうに考えています。  この対策は、先ほど来るる申し上げましたように、やはり基本的には、財政金融政策で総需要抑制を行なっていく、それが根本だと思います。個別の対策はもちろん必要で、そのために物価調査官をふやすというようなことももちろん必要だろうと思いますが、基本はやはり財政金融政策である。特に、四十九年度については、石油をある程度安定的に確保しないと、また同じような間違いが起こりますね。それで私は、先ほど来二億八千万キロリットル以上の石油を、他の費目の外貨を削っても、確保することが大事だ、その石油供給が確保される、したがって生産が低下しないということになれば、先ほどの売り惜しみ買いだめ便乗値上げという悪循環が避けられるのじゃないかというふうに考えています。まだ第二次の原油価格値上げを、どういうふうに石油製品価格並びに他の物資に波及させるかという問題が、電力料金を含めまして残っておりまして、これについては、前回の失敗にかんがみまして、それこそ社会的な監視が必要だ、そのための具体的な機構については、また別個に考えなければいけないと思っています。  それから国会にキーフォーバー委員会のようなものを設置するというのは、これは国会のおきめになる問題だと思いますが、国会にもすでに物価対策特別委員会がおありのようですし、その活動がいよいよ公正に発揮されて、国政調査権を活用することができれば、物価安定にも大きな効果があるのじゃないかというふうに考えております。
  28. 大門一樹

    大門公述人 なぜこうなったか、それは、先ほど来申しましたように、間違ったのか間違わせたのかわからないような情報をもとにして石油危機が起こり、それに便乗しまして、政府も財界も一体になって危機感をあおりたて、そして隠匿し、つり上げるといったようなことを大企業率先してやりました。そういうことでこうなってきたのじゃないかと思います。  どうすればということになりますと、これはそういうことをやめさせればいいわけでありますが、それには、次の、方法の具体的なこと。先ほどもキーフォーバー委員会——ああいうものは日本でこそ必要であります。ああいうものが出るということ自体でもって、あまり悪いこともできなくなる。出たって、アメリカでは非常に悪いことがいっぱいありますけれども、日本の場合は、ああいうものができることによって非常に有効であろうと思われるわけでありますが、なかなかそういうものをつくらない。とすれば、もう暴動よりほかしようがないというような結論が出ざるを得ないわけでありますけれども、そういうものをつくっていただきたい。  それから、寡占価格のことがありました。これは、インフレの主犯は寡占価格だ、寡占体制だというふうなこともいわれております。これはもう経済の論理でなくて、私もよく申しましたが、百円の原価でつくったものを千円で売るといったような寡占価格、化粧品でも薬でも電気機器でも、その他いろいろなものが、消費財に限っていいましても、百円あるいは五十円の原価のものを千円に売るといったような価格構造を持っておりまして、それが主として寡占企業がやっておる。  なぜそういうことがまかり通れるかということになりますと、いまのようなやみカルテルはもちろんのこと、その製品が高くても売れるような欺瞞的な消費者操作を非常にうまくやります。ですから、それに対する批判が起きてきまして、広告費に税金かけろなんというような議論も出てまいりました。過大な広告、諸外国から見ましても、ほとんど類例のないような大きな広告をする。そういうことに使うとか、リベート、マージンでありますとか、政治献金も含めまして、そういうことでもって非常に高い価格の幻想、それでもほしいと思わせるような欺瞞、それから、それに対して消費者団体などが異議を申し立てまして抗議をする、抗議をしても応じない。そうなると、実力行使とか直接行動でもって、この寡占価格、寡占企業に迫っていくわけでありますが、その場合には、すぐに国家実力が飛び出してくる、排除する。すわり込めば、排除というような国家の暴力と、そして大企業の欺瞞、これによって寡占価格というものが成立しておるわけでありまして、これがインフレの行く非常にスムーズな通路になっておるわけであります。そうなりますと、経済政策といったような問題じゃなくて、その基礎になる欺瞞と暴力をまかり通らせないようなところにまで手が伸びてこなければ、こうしたインフレなんというようなものはおさまらないというふうに思われます。
  29. 増本一彦

    増本委員 土屋先生に、あと、在庫の放出を進めていく上で、いまの金融の引き締めのしかたですね。たとえば商社は在庫の積み増しをしている、手元の資金がまだ潤沢な企業がほかにもある、こういうところは、在庫を積み増して、いつまでもあれしているから、だんだんと放出していけば訂正安になっていくというお話もありましたけれども、いまのような金融政策ではなかなかまだそこまでいかぬというような状況もあるのじゃないかとか、あるいは石油をさらにふやしていく上で、外貨をどうしていくかというような問題等、議論をし、先生の御意見も伺いたいと思いますけれども、私に与えられた時間が来ましたので、次の委員のほうから、その問題についてはお尋ねさせていただきたいと思います。
  30. 井原岸高

    井原委員長代理 林百郎君。
  31. 林百郎

    ○林(百)委員 時間の関係で、まとめて土屋先生にお尋ねしたいと思います。  先生の御意見は、昭和四十九年度予算について、主として金融の側面でインフレをどういうように鎮静さしていくかということに重点が置かれた御構想が述べられたと思うのです。ただ、われわれ国会議員としては、やはり国民がいま一番、このギャロップ的なインフレによる物価の値上がりを何とか抑制し、さらには、正常な状態に戻したいということを望んでいると思いますので、若干、国会議員として、行政的な措置を政府にどうとらせるかというような、あるいはわれわれ自身もどういう対策を講ずべきかというようなことについても、せっかくの機会ですから先生にお伺いしたいというように思うわけであります。  今日のこの物価高の状態は、やはり何としても、一つは、人為的になされたカルテル——これは現在の独禁法では許されないわけでして、いわゆるやみカルテルといっているわけですけれども、先ほど先生方お二人の御意見の中で、石油危機に乗じた便乗値上げというおことばがあったので、それはたぶんこのことをさしていると思いますが、この人為的になされたカルテル、実際物が不足しているのではなくして、物が不足しているんだという意識的な宣伝を利用した人為的なカルテルによる物価の値上がりということが、非常に重要な要因になっているのじゃないかと思うのです。これに対して、どういう行政的な措置をとって物価を鎮静させ、さらには、あの人為的になされた物価引き上げ以前に引き下げるというか、正常な価格ですね。ばく大な、対前年度比、あるいは対三月決算期に比較して何倍というような利益をあげている、そういうものを抑制して正常な価格にどういうように戻させるか。それについては、先ほどわが党の増本委員からも、国会の調査権を十分発動して、原価等の調査もして、政府に行政的な措置を迫る必要があるのじゃないかという意見も出ましたが、これについて、先生から御意見を伺いたいと思うわけです。  先生の御意見の中で、このためには、需要を一方で押えて、実質的な成長を五%ぐらいにする、そのためには、石油の輸入を二億七千万キロリットルに、一千万キロリットルから五百万キロリットルぐらいを上積みすることによって、とにかく実質成長を五%ぐらいと見る、そうすると、実質的な生産の成長があり、一方では需要ですね、公共的な事業も含めて需要を押えていくということになれば、自然に物資が放出されて、価格の引き下げ作用を及ぼしてくるのじゃないか、こういう御意見があったと思うのです。  そこで、そういう構想の中で、私たちが先生にお聞きしたいのは、二億七千万キロリットルの石油を一千万キロリットル、あるいは五百万キロリットル上積みするという保証ですね、これが今日の石油輸入のいろいろの諸情勢、消費国会議もありますし、あるいは産油国のほうからのいろいろの関係もございまして、こういう保証があり得るのかどうかということが一つ。  それから、そのためには、先生もお触れになりましたけれども、外貨が何としても百数十億ドルぐらい必要だと思いますが、いま御存じのとおり百二十億ドルぐらいかと思いますが、これで、値上がりした石油を、先生のおっしゃるような量だけ入れるだけの外貨の手持ちの保証が、いまの経済見通しの中からあるのかどうか、この点をちょっとお聞きしておきたいと思います。  それから第三は、やはり四次防の問題ですね。  私たち野党ですから、何としてもこれは、その対象になる物資が市場に出て国民の消費物資になるわけじゃありませんから、これがやはり約一兆円をこえまして、絶対額からいえば相当の大きな額になっておりますので、インフレ金融あるいは財政の面から抑制していくということで、この点に何らかの措置をとる必要はなかろうかということが第三点。  それから第四点として、日銀も含めまして、銀行の貸し出し、これが大銀行あるいは日銀のオペレーションによって、手持ちの資金が相当ある大企業相当な資金が流れていく、そのことが、通貨量を多くするという一つ作用になっているのじゃなかろうか。まあ中小企業は別ですけれども、日銀をも含めて、この大銀行の大企業への貸し出しを民主的にコントロールしていく必要はなかろうか。そのような点をひとつお聞かせ願いたいと思います。
  32. 土屋清

    土屋公述人 まず第一は、石油を私の申し上げるように二億八千万キロリットルを上回る水準で確保できる保証があるかどうか、こういうお話だと思います。  これは先般、ヤマニ・サウジアラビア石油大臣が来たときも私一時間ばかり対談いたしましたところが、昨年九月の水準は保証します、そして、それ以上は日本経済協力の程度です、こういうお話なんです。昨年の九月の水準というと、大体二千四百万キロリットルですから、一年で二億八千万キロリットルになるわけなんです。それから経済協力をこれからやるということであれば、それの見返りで、若干、五百万キロリットルか一千万キロリットルの積み増しは困難ではない。そして、アラビアの石油の産出の状況、最近のニュースですとそう悪くないようですから、まず向こう側に妨害要因はないと思います。  問題は外貨でして、これはおっしゃるとおり非常に重要であります。それでまあ私は百六十億ドルぐらいと見ておりますが、いま手持ちの外貨が百二十二億ドル、それに帳簿外の外貨、これが九十億ドルあったのが、若干減少して六、七十億ドルではないかと思います。ですから、合計いたしますと百八十億ドルぐらいになるんじゃないかと思います。  問題は、明年度国際収支で一体黒になるのか赤になるのか、この見通しが実はたいへんつきがたいのでありますけれども、どうも日本は、やはり輸出マインドに向かえば、しゃにむに輸出が伸びるという傾向がいままである。いいか悪いかは別です。それで、一月の信用状の状況を見ましても、異常な伸びを来たしておるということであれば、おそらく明年度国際収支は、輸出の伸びによって案外そう悪化しない。それに、いま申しましたように百七、八十億ドルの帳簿上の外貨あるいは帳簿外の外貨ということがありますと、明年度の私の言う百六十億ドルぐらいの石油の入手は困難でない。もしも困難な場合は、他の輸入物資を削る以外にないですね。やはり相当不急不要の輸入が行なわれておりますから、それをどういう手段で削るかは問題ですけれども、ほかのものを押えても、必要な石油だけは供給する。それが物資の需給見通しにからんで、インフレを鎮静させる前提ですね。石油が来ない、また物不足だということになったら、それはもう押えようがありませんから、石油優先でそういう政策をとればいいし、そのことは十分外貨的にもやれるのじゃないか、私はこういうふうに考えております。  それから第三の防衛費の問題ですが、私は、ことしの防衛費はそうふえているとは思いません。お話は、減らせということのようですけれども、私は防衛はやはり最小限度はやらなければならぬというたてまえをとりますので、現在以上に減らせという御意見には、必ずしも賛成じゃございません。ただ、防衛費のふえるのはできるだけ押えていくということは、いまの段階では特に重要だというふうに考えております。  それから、最後の銀行の貸し出しの問題ですが、これはいまも大口の融資規制の問題が起こっていますけれども、私は金融制度調査会に長いこと関係したときも、大口融資の規制を、答申としてもうすでに決定したことがあるのです。ところが、決定して、それじゃそれを大蔵省がやるかというと、実行の段階でうやむやになっている。非常に遺憾だと思います。  そのときの問題の取り上げ方は、銀行経営の安全性のために、一つ企業に片寄った大口の融資はいかぬ、こういう観点から、その融資を分散するということになったのです。いまはその見方が変わりまして、商社その他、好ましからざる方向にその大口融資が使われてインフレを激化する、それを押えるというふうにねらいが違ってきていると思います。私は、大口融資の規制はもちろんやるべきである、いろいろな抜け穴がありますから、それを押えながらやるべきだと思います。  それと同時に、やはり銀行の預貸率の改善ということが、基本的に急務だと思います。つまり、預金に対する貸し出しの比率がこのごろふえて、一〇〇%を上回っている銀行が少なくない。そのふえているのは、全部が不急不要とは申しませんけれども、中には相当好ましからざる方向に行っている金も含まれているわけなんです。預貸率をきちんとして、預金一〇〇に対して貸し出しは七〇とか八〇とか、そういうちゃんとした基準を設けておけば総体の貸し出し量が減りますから、どうしても緊急必要なものは優先的にやらざるを得ないということになると思います。ですから、大口融資の規制と並んで、預貸率の確保ということをぜひ銀行行政において、はっきりさせることが必要だというふうに考えております。
  33. 林百郎

    ○林(百)委員 もう一つ、カルテルですね、これが横行しておりますが、これに対して、行政的な措置としてどういう手立てが……。
  34. 土屋清

    土屋公述人 これはお話のとおり、やみカルテルまで追及するというのは、実は非常に困難なわけですね。電話で話したって用は足りるわけですね、業界同士の話が。ですから、実際上値上げというのは、私は業者の談合によっている部分が多いと思います。ただ、それをあまり露骨に大っぴらになされないために、公取の強化も必要ですし、何よりもやはり社会的な監視ですね。今度の場合でも、結局石油の第一次値上げに伴う軽金属とか石油化学製品、あれだけ上がったということが新聞その他で暴露されて、それでアルミの値下げ、あるいは石油化学製品の値下げになっていると思います。  ですから、やみカルテルに対する当局の法的な取り締まりはもちろん強化する必要がありますし、それと同時に、一般的な社会的監視を強くする。先ほど来申しましたように、外国が一、二%しか上がっていないのに、日本は七%も上がる、これはどう考えても便乗が相当入っていると思われる。そういうことについての追及をきびしくしなければいけないのじゃないかというふうに思っております。
  35. 林百郎

    ○林(百)委員 けっこうです。
  36. 井原岸高

    井原委員長代理 土屋大門両公述人には、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  午後一時三十分より再開することとし、暫時休憩いたします。    午後零時三十分休憩      ————◇—————    午後一時三十二分開議
  37. 井原岸高

    井原委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、御出席公述人各位にごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。この際、各位の有益な御意見を拝聴いたしまして、今後の予算審議の上において貴重な参考といたしたいと存ずる次第でございます。  何とぞ、昭和四十九年度総予算に対しまして、それぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと願う次第であります。  次に、御意見を承りまする順序といたしまして、まず青木公述人、続いて丸尾公述人の順序で、お一人約三十分程度ずつ一通りの御意見をお述べいただき、その後、委員から質疑を願うことといたします。  それでは、青木公述人、お願いをいたします。
  38. 青木慶一

    ○青木公述人 財政経済に関しまして、あまたの学識経験者がおられる中を、本日は、私ごときをお呼び出しになりまして、おかげをもって、平生いささか抱懐しております意見をここに申し上げる機会を得ましたことは、私のきわめて欣快とするところでありまして、予算委員会の皆さまに対し、深甚なる感謝と敬意の念を覚えるものでございます。  貴重な持ち時間でありますので、直ちに本論に入らせていただきますが、この昭和四十九年度予算は、昨年の十二月二十一日、閣議決定による予算編成方針が確立されまして、当面する難局を打開し、経済の正常化をすみやかに達成することをもって最大の課題となし、政府は総力をあげて総需要抑制をはかる必要があるという大方針のもとに、歳入歳出とも、十七兆九百九十四億円に圧縮し、前年度当初予算に対し一九・七%、昨年十二月十四日に成立しました補正予算を加えた後の前年度予算に対しまして一二・〇%の増となり、国民総生産に対する比率を一三・〇%となるよう見込んでありまして、内外情勢の激変に即応して、昨年八月下旬以降、与党・政府間の緊密な連絡のもとに案画中でありました高度成長持続予算の原形を、各部にわたって、完膚なきまでとは申しませんけれども、かなりあちこちに斧鉞を加えて、極度に圧縮した点は、御苦心のたまものとして、これを高く評価するところであります。  特に、総需要抑制の見地から、財政投融資計画について厳密にその規模抑制して、総額七兆九千二百三十四億円とし、前年度計画の六兆九千二百四十八億円と比較しまして、増加額九千九百八十六億円、伸び率を一四・四%に押え込んだできばえは、福田大蔵大臣の、いわゆる物価政策における短期決戦方針を具現した転換構想のあらわれでありまして、国民生活の安定と社会福祉の充実に特段の配慮を払いつつ、景気過熱をできる限り迅速に冷却せんとする財政上の手配りと私は受けとめておりまして、数字上のまとめ上げにおいては、さすがな手腕であると感心するのにやぶさかではありませんが、軍事作戦上の用語といたしましては、古往今来、決戦と申しますのは短期があたりまえでありまして、長期の決戦というのはあまり聞いたことがありません。したがって、短期にやらねばならぬことはあたりまえであります。  孫子の兵法にいう、「兵は拙速を聞く、いまだ巧みの久しきを見ざるなり」と申しますのはこの謂でありまして、田中総理大臣は、物価は四月から六月の候へかけて安定すると、公約的な談話もしくは答弁をされており、福田大蔵大臣は、物価はがらがらと音を立てて落ちるであろうと確約されております。がらがらというか、ざあっというか知りませんが……。  この際、景気の過熱を冷却するのに急なるあまり、企業の倒産、新就職者の家庭待機、これはだいぶあちこちに起こっております、いわゆるレイオフ、失業の増加、勤労大衆の生計困難など、各種の副作用を生ずることは当然の成り行きでありますから、四十九年度予算の実行にあたっては、社会不安から起こる人心の動揺を招かないように、所得税の一般減税一兆四千五百億円という空前の大減税景気冷却作用の緩衝帯——何か緩衝帯がありませんと、こういう際には、冷える力が働く方面だけ極端に冷えてしまうということがありますので、いわゆるクッションとして、柔軟性のある財政並びに税制上の運用を希望してやみません。  およそ、一方へ巻いてまるめ込んだ紙な平らにして平面状態に直しますには、幾たびか強く反対方向に巻き直しませんと平らにはなりません。西洋のことわざにも、「かんなをかければかんなくずが散る」という言い方がありますし、わが国でも古来、「良薬は口に苦し」と申しますが、この予算は、本年の後半は確実でありますが、おそらく部分的には、お花見が済んで葉桜となり、晩春ごろから、国民に対し、かなりの苦痛を与えるものになると私は予想しております。  すなわち、この予算によって景気過熱の冷却作用が手ぎわよく進行すればするだけ、その次の段階は、景気の冷やし過ぎを懸念しなければなりません。ちょうど焼きどうふをつくるときの反対のような手順でありまして、こういう際には、やはり、仏教のことばで申します大慈大悲という心がまえで、財政当局は小さなことにも気を配っていただきたい。  わが国は、元来、昭和三十五年秋の国民所得倍増計画以来、比較的、波はありましたが順調にやってきておりますから、国民の精神的な不準備があります。現在、五十歳以上六十歳ぐらいの人になりますと、あれほどの大戦争をくぐっておりますので、少しぐらい事が起きても騒ぎませんけれども、戦後に育って、そろそろ四十歳ぐらいから半ばになってくる勤労者の若いほうの半分あるいは六割ぐらいの人たちは、ただこういうふうに経済成長するのはあたりまえだという、超完全雇用の世界に育っておりますので、わずかの冷やし方でも驚きますし、ことに、景気の冷やし過ぎに対する国民生活の反応が、あるいは種々の論判を生むことになると思いますので、財政当局の手腕を特に要望いたしたいと思います。この点、予算についての数字上の手配りについては、賛成申し上げるものでございます。  本日の午前中の公述人お二方の御意見を悉皆承っておりませんから、どういうことをお述べになったかわかりませんけれども、おそらく、お二方からるるその御卓見を述べられたのは石油問題だと思います。私からは、重複を避けて詳細には申しませんが、この予算で、資源エネルギーの安定確保が四本柱の一本になっておりますことは、経済企画庁当局の説明で明らかであります。  わが国のエネルギー構造は、第一次エネルギーの全供給量の中で石油が七〇%を占めており、その石油の輸入依存率は九九・七%でありまして、その中の八二%は中東方面から来る。しかも、そのOAPECの分が四〇%であります。だから、OAPECのごきげんをそこねますと、何べんでも石油ショックがやってくるということになります。何べんでも押え込みされる。何べんでも頭にターバンを巻いた人を招いて、何かごちそう政策かなんかでもって、ひらにひらにとやらないと、ごきげんを結べないということになります。一度やって過ぎれば、これでいいということでは困るので、何べんやられてもだいじょうぶだというエネルギー政策を立てなければならないのに、この予算は、あまりそこまで考えていない。  これに比較して、アメリカは石油の割合が、第  一次エネルギーの中で四〇%であります。輸入分は二五%。彼らは、ガルフからも実はまだずいぶん出るらしいのだけれども、隠しておる。中東の分はわずか六%でありますから、石油産出国の石油戦略を食らっても、日本に同情して、驚いたような顔をしているんです。しかし、そのわりに実は腹の中は驚いていない。むしろ日本の腰の抜かし方を見て、ざまあ見やがれ、とは言わないけれども、何だ、あの程度かなあと言って、ちょっと笑っている空気があるような文章が、ずいぶんジャーナリズムに出ております。  イギリスは、年間一億トンの石炭、を使っておる。しかも、デンマークの鼻っ先にあります北海油田を掘り当てましたから、これはことしの末、来年ぐらいから、どっくんどっくんと音を立てるかどうか知りませんけれども、出てきますので、たいして騒ぐほどのことはありません。  OECD諸国の経済成長が、昨年度六・八%から一九七四年度四・二五%に低下するというのは、やはり石油が来なくなったからで、いや、主ないだけじゃなく高くなったからでありまして、目下フランス系のやみ石油が、あのアラビア一帯に非常な勢いで出回っておるというか、タンクに隠してあるのを、伝票のような書きつけで、船があちこちに回って積んでくるというようでありまして、やがてこのフランス系のやみ石油の問題が大きくなると思いますが、これはわが国の予算には直接関係——関係ないことはないけれども、予算に対する公述としては余談でありますから、省きます。  大体、わが国以外の国は強気でありますが、去る一月九日に開かれましたOPECの会議で、昨年十二月二十三日にきめた一バーレル十一・六五一ドルの原油、これをどうするのか。下げたいと思うとか下げてもいいとかいうことを、ヤマニさんという日本に五度目とか六度目とか来ているなかなか親日家の石油大臣が申しておりますけれども、そうはいかない。今年四月一日まで据え置くというのでありますから、この高い石油でいま日本の工場は操業しており、一月下旬から入ってきておるバーレル当たり十一・六五一ドルの石油で、いま末端製品ができております。こうなると、輸出価格が上がってくる。それを引き受けるほうの開発途上国が苦しまぎれになってしまって、ドルがありませんので、エジプトまでが、産油国は利潤本位だと言って公然と非難しておる。これを受けてアメリカのニクソン大統領が提案したのが、目下ニュースがどんどん新聞社あたりへ入ってきますが、石油消費国会議であって、これは御高承のとおりであります。  元来、石油戦略は、いまになって騒ぐのは、私はおかしいと思うのです。昨年二月にソ連から、アラブは戦場における戦争だけではなく、世界の弱点を握っておる石油を振り回して、石油戦略をやるべきだという公開論文がどんどん出ておる。これは日本にも翻訳されて出ておるのだけれども、わが国ではあまりこれに重きを置かなかった。第四次中東戦争が起きようが起きまいが、早晩今回の石油ショックはやってきたのです。  その対応策を見ると、どうもどろなわ式の感を免れない。昭和五十五年、一九八〇年度に、アメリカは石油需要が十二億トンになる見込みだったのです。わが国は、これが六億トンの見込みであったのです。だから、アメリカと日本と足して、今回の石油ショックがなければ、昭和五十五年には十八億トンの石油をのみ込む必要があったのでありますが、この場合、OPECが輸出向けに出せるのは、日米だけじゃなくて世界じゅうに出せる石油が、十二億トンしかないということがちゃんとわかっておったのでありますから、どこかこの辺で年度計画を立てて、エネルギーのコペルニクス的転換をするはずであったのでありますけれども、わが国がだいじょうぶだろう、だいじょうぶだろうというのでやってきたのが、こういうことになったのであります。  資源エネルギー庁の予算には、総額五十七億九千万円を計上して、地下資源対策費として二十二億六千九百二十六万円を充当しております。これはまことにけっこうでありますけれども、地球全体の石油の埋蔵量は、幾ら延ばしても今世紀をもって終わりになる見通しは明らかであります。また、早く使ってしまえと申しましても、ジャンボジェット機を一千機同時に飛ばしますと、地球のまわりの酸素がなくなって、酸欠状態になって人類は死にます。だから、燃すことよりも、資源に使うことを考えないといけない状態になってきておるのです。わが国は、ここで意を決して、石炭政策へ転換する必要があると私は信じます。  わが国の石炭埋蔵量は約二百億トンで、かりにイギリス並みに一億トンを使っても二百年はもちます。二百年やっているうちには、地球上の生活は何とかなるであろう。むしろ、地球の国家を全部統一するなんというほうが早くなってくる。アメリカにおいても、モートンという内務長官が論文を発表しまして、アメリカは、石炭に転換すれば四百年持続できると言っておるのであります。アメリカは四百年、日本は二百年、ツルカメ千年に比べれば短いけれども、この際、石炭をまじめになって掘る必要がある。  特に、海上自衛隊の艦艇などは、潜水艦や軽艦艇のほかは石炭だきで十分活動も作戦もできるのですから、ぐずぐずしないで石炭だきに切りかえる必要がある。海上保安庁の巡視船などは石炭だきでいいのであります。  国鉄につきましては、別に述べたいと思いますが、蒸気機関車をまるでやめてしまえということは愚の骨頂でありまして、災害や停電に関する予備として、金がかかってもいいし、採算が悪いことはわかっておるのでありますから、蒸気機関車の存続に関する法律案というような法律をつくって、この際、単独で動力を創成できる蒸気機関車を二千両くらいとっておかないと、いざという場合には、後悔のほぞをかむことになります。  しかも、わが国はうまいことに、年間六千億トンの雨水と雪解け水があるのでありますから、建設省の利水長期計画を見ますと、工業用水、農業用水に重点があるのでありますけれども、むしろこの雨水を動力に使うことも考えねばならぬし、動力に使ったからといって汚染するわけじゃないのですから、水力電源の開発、再興についてはもう少し熱意をもって、昭和四十九年度からでもおやりになるのがあたりまえと思っておりますけれども、まあ、総論賛成で、各論には少し批判をしておきます。  現在の国民大衆を苦しめておりますのは、せんじ詰めますと、通勤と住宅と物価と定年であります。この四つについて、国会の各委員会、予算委員会等の議事録を拝見しましても、何か高等なことを口にしていなくちゃ、どうもばかにされるというような空気がありまして、高等用語症という病気にかかっていまして、評論家でも議員でも、通勤と住宅と物価と定年をきちんと質問した議事録を、いまだかつて見受けないのは非常におかしいと思います。  朝夕の通勤輸送は、乗客を砂利か、まきみたいに車内に押し込んで、都市化の進展に伴って次第に通勤距離が長くなって、勤労大衆の苦痛ば言語に絶するものがあります。これについて、マルクス主義者あたりの大学教授が質問も要望もしたことがない。苦しませておけば、革命エネルギーがうっせきするだろうというような考えであります。  いままで、自動車で走れとか自転車で走れとか申しておりますけれども、やはり一人の運転士が十両も十六両も引っぱって走る通勤電車が、一番いい解決であります。元来、人間を運ぶには〇・三五平方メートルあればよろしいのです。先生方のおいすは、たしかその寸法になっておりまして、〇・三五平方メートルで一人前は十分すわれるはずであります。相撲取りでもくればまた別でありますけれども。その〇・三五平方メートルで運べばよいものを、幅二メートル、長さ五メートルの乗用車で十平方メートルも使って道路で運ぶのですから……。タクシー、ハイヤーを使っても、平均一・七人しか運べないのです。こういうことをすれば、やがて困ってくるのはあたりまえであります。  元来、乗客の座席定員輸送を命ずる法律は、明治時代から制定されております。これは鉄道営業法第二十六条といいまして、明治三十三年三月十六日法律第六十五号でちゃんときめてある。乗客をしいて定員をこえ乗り込ましめておるときは二千円の罰金と書いてあるので、ほんとうならば、あれは、藤井元総裁も前の磯崎総裁も全部、毎日毎日二千円ずつ罰金を取られなくちゃならぬ。それというのは、明治三十九年に鉄道が国有になってから、この鉄道営業法の規則を無視してきたものですから、経済成長期へ突入して、一ぺんにこの方面の物理的構造において致命的な弱点を露呈したものである、私はそう考えます。七十年間の勘定書が一ぺんにいま来ているということであります。  政府は、新幹線に非常な熱意を注ぎ、四十九年度国鉄工事費六千八百億円のうち、山陽新幹線一千三百五十四億円、東北新幹線一千二百億円、整備新幹線五十億円、在来線には四千百九十六億円を充てる予定でありますが、在来線工事費といっても、この中には車両費を含んでおって、その車両費の中には、新幹線の電車も含んでおるのであります。新幹線の福岡開通に要する新造電車も、この中に入っておる。  今年十二月に、岡山−福岡間の新幹線が開通することは御同慶の至りでありますが、福岡で一たんとめてしまいますと、実は交通政策上あまりうまみがない。あれはもう一歩進めて熊本まで延ばしますと、熊本空港は実は健軍から移すときに、国際空港規格にいっでも簡単に改造できるような仕事をしてあるのでありますから、東京−熊本間の新幹線と、熊本へ国際線が若干でも入りますと、連絡できることになるのであります。  それで、通勤輸送の解決はできないという人が多いが、私はできないことはないと思う。現在ある線路を急行、普通の並列四線に増強しますと、線路は二倍になるだけでありますけれども、実は、輸送力は四倍にもなるのであります。これがなかなかわからない。これを詳しく説明しておると、貴重な持ち時間、いま十二分ばかり使いましたが、どんどん食ってしまいますので、はなはだ残念ですけれども、要するに、線路を四本にすると、いま運んでいるものの四倍運べるんだということを、ほんとうなんだと考えてもらわぬと困るので、それはうそだというんじゃ困るので、ほんとうであることを私は十分説明できます。  鉄道関係の専門家なんていうのは実際あさはかなものだし、いないので困る。運輸省にも国鉄にもいない。——いやいや、差しさわりがあっては悪いけれども、この部屋の中という意味じゃないです。国鉄、私鉄につとめている人の中で……。東京帝国大学でも鉄道の運転は教えません。経営とか土木は教えるが、運転は教えないから、運転がわからない人は鉄道がわからない。飛行機を飛ばせる話では、源田先生が一番えらいという。源田先生は、空将でもってジェットを運転できるからえらいのであって、運転ができない人には鉄道はほんとうはわからないのです。わからないけれども、わかったように取り扱っているだけの話なんで、現在ぎゅうぎゅう詰めで効率二八〇%、三〇〇%。夏なんか、薄い着物の若い婦人なんかのところへ若い男がくっついていって、あまりいいものではありません、このぎゅうぎゅう詰めば。これを四倍にすると、四で割りますから、七〇%から七五%になるので、これでもって通勤輸送は、この生き地獄の惨状は解決であります。  そのためにはどうしたらいいかというと、通勤輸送力の増強に関する緊急措置法という法律をつくれば、東京から二十四線が放射状に走っております。国鉄十線、私鉄十四線、これを全部四線化する。これはどのくらいかかるかと試算しますと、四カ年計画を二回、八年でできます。大体五年目か六年目で目鼻がつきます。費用は一兆円と見ますと、単年度平均一千二百五十億円ですから、これで永久的に解決してしまう。こんなことをこんなりっぱな国が、永久的に解決できないということのほうがおかしいので、解決できないと考えている頭がほんとうはおかしいのですから、こんなことは何でもないことであります。  上尾事件を見たって、通勤輸送という問題はすでに、ちょっと窮屈なのをがまんすればいいという問題ではないです。社会思想の問題になってくる。五万三千人の乗客が上尾の駅であれだけ騒ぎをしたけれども、幸いにして職業的なアジテーターがいなかったから済んだのです。五万三千人といえば、女も入っていますけれども、陸軍の兵力なら三個師団です。その兵力を巧みな扇動隊がいて扇動して、あれがわいわいあばれ回ったらたいへんなことになる。暴動革命の端緒になり得るエネルギーでありますから、通勤輸送ぐらいはもう解決しなければなりません。一千二百五十億円を単年度につぎ込むということは、ちょうど、先ほど申し述べましたこの東北新幹線や上越新幹線というのを、スローダウンすれば十分やれる仕事であります。  大体、新幹線は博多か熊本まで行けば黒字ですけれども、あとそれ以上延ばしても赤字です。私は断言する。東北だって盛岡まで、一生懸命乗れ乗れといって、小学生の修学旅行まで新幹線ぐらいにして無理に乗せてやっと黒字になるぐらいで、自由経済にまかせておけば、建設費に見合うだけの旅客収入なんていうものは当分の間ありません。だから、この際、新幹線をスローダウンしても在来線を増強する必要がある。  住宅は、その快適な通勤鉄道の沿線に、人口十万人程度の都市群を建設すれば、大体合計三万軒ぐらいを三十四、五都市として、関東平野の中だけでも百万軒は十分供給できる。しかも一方、東京湾だけで、水深七メートルから十五メートルぐらいの埋め立てが、何でもないというところが三億坪あります。この坪というのは、失礼だけれども、坪が一番わかりやすいから言いますが、三億坪あります。いま東京の二十三区の面積が一億七千五百万坪なんだから、大体その二倍に近い面積が水の下にちゃんとあるのです。手近な方面でも一億坪はすぐやれる。一億坪を藤田観光の小川栄一さんにやらせますと、木更津沖合いのときだって一日に一万坪をやってしまって、百万坪を九十日間でやってしまった。何でもないことです。この何でもないことをなかなかやらないのがいまの政治で、ふしぎな話だ。そのうち、七千万坪を平均七十坪の小住宅に割りますと、一挙に百万軒が供給できる。  大体、わが国の住宅問題は、首都圏で二百十三万軒供給すれば終わりになるという目安が立っておるのですから、十三万というはしたはありますけれども、鉄道を強化して、栃木県の鹿沼あたりからでも楽に通勤できるようにして百万軒、東京湾の水の上に百万軒、これで大体五年か八年間で解決してしまうのです。解決しないから、いつまでたっても政府を呪詛し、憎悪するような思想がはびこり、拡大する一方であります。  物価騰貴の原因は、各方面の専門家の意見でもなかなか正体をつかめない。日本という国は合併症でのたうち回っていて、そこに学位とか学歴のぴかぴかした医者が集まっているけれども、病巣とか病源とか、患部がさっぱりわからない。私も一個の町の、「大菩薩峠」に出てくる道庵先生みたいなへぼ医者として、日本国の病気を見立てる医者として診断しますと、これは鉄道が悪いのであります。鉄道がけたはずれに悪い。イギリスが五千万人の人口で八万両の客車を動かしているのに、日本は一億の人口で一万二、三千しか動いていない。イギリスの鉄道は貨物を運ぶ貨車、あれが百二十万両あったのが、このごろ九十六万に減らした。それを私のところに、鬼の首でも取ったように言ってくる国鉄の人がおるので、冗談言うな、イギリスは減らしているぞといばるけれども、実はボギーにしておるのです。二軸の単車を切りかえてボギーにして九十六万にしているのだから、輸送力は従来の三倍ぐらいになっておる。そういうのに、日本は貨車は、過去十数年間十三万両しかありません。そしてトラックに奪われましたなんて、貞操か何か奪われたみたいなことを言っている。そうじゃない。窓口で全部追っ払っている。荷主が行って貨車をくださいと言うと、追っ払っちゃう。これではしようがない。こういうことをやっておるのではどうにもならないのであります。  そこで、貨物線を幹線に全部つけまして複々線にしますと、これは、貨物列車をそんな高速運転しなくて済みます。国鉄は苦しまぎれに、軽量貨物列車の高速運転というのをやっている。軽い貨物列車を高速で走らせて、それで経済成長をになっていこうというのだから、これはどこでもぎくしゃくするのはあたりまえであります。  国民所得倍増計画の中の交通計画では、ここも長く話すとどうも蛇足になりますけれども、非常に鉄道が縮小すると書いてある。あれは石川一郎という人が名義人ですが、私は、昭和三十五年十一月に公開論文を発表して、「国民所得倍増計画と鉄道輸送力」という論文で、こんなことをすると、いまに手のつけられない大混乱になって、国家の存立があぶなくなるぞということを、その論文で私は発表しておる。今日からちょうど十五年前であります。その論文の中に、「かくなり果つるは理の当然」という芝居のせりふを引用してある。それは、寛政十一年初演の「絵本太功記」十段目に、夕顔だなのこなたよりあらわれ出たる武智光秀というので、「ひっきょう久吉、このうちにひそみおるとは最必定」と言って、竹やりでもってぶすっと入れると、その中におっかさんの皐月がいて、皐月というおっかさんの横っ腹へ武智光秀の竹やりが入ってしまう。皐月は苦しい息の下から、「嘆くまい、嘆くまい、内大臣春永という主君を害せし武智が一類、かくなり果つるは理の当然」と言った。  経済成長政策のときに、鉄道をどんどん縮小する、やめてしまえ、やめてしまえという人の議論が強い。私は面罵されたことが何べんかある。あなたは古い、あなたみたいなことを言ってはしようがない。けれども、面罵された私の予言が現在当たったではありませんか。日本国は鉄道輸送力が貧弱だからかくなり果てつつあるではありませんか。私は何の配剤か、ここに呼ばれたことは非常にいいことだと思って、これだけは言いたいと思って出てきた。  経済成長政策をやるのに、商品の大量生産をするのに、輸送が二トンか三トンで、おとなが三人も乗っかって、大垣あたりで厚いビフテキを食って、あそこにはいろいろなモーテルができており、ああいうところで遊興飲食して運んでいるのだから。そして浜松でまたウナギを食って飛んでいく。物価が上がるのはあたりまえですよ。たった一人の機関士と機関助士が、大きな機関車でもってもっともっと輸送は増強できる。いまあるのは三百トンか四百トンだけれども、ほんとうに運べば一万トンぐらい運べるのです。かくなり果つるは理の当然。ほんとうに困る。こういうことで、軽量貨物列車の高速運転ということを国鉄はやっているので、このためにコストが上がっている鉄道で——まだあと十一分ばかりありますな。一トン一キロ当たりどのぐらいコストがかかるかと申しますと、トラックで運ぶと十六円二十七銭かかるのです。いま一トン一キロ十六円二十七銭かかる。いまじゃないです。これは石油ショックを食らう前の、去年の七月ごろの計算であります。そのとき鉄道は六円八十五銭であります。三分の一近い。なぜ鉄道で運ばぬか。だから東海道、山陽、山陰、鹿児島、日豊、長崎、東北、高崎、常磐、上越、信越、奥羽、羽越、北陸、北海道と、ああいう幹線を全部貨物線を別にしまして、このばかげた軽量貨物列車の高速運転という世界に類のない愚かなことをやっている学歴制国鉄官僚を、全部追っぱらうなりしかりつけるなりして、そして重量貨物列車の中速運転、大体六十キロくらいで一万トン引っぱるというのを、貨物線を分流させれば旅客列車とぶつかる心配も何もありませんし、静かに運転するのです。だから東京−大阪の二大都市間に早く五百キロくっつけて、そして十五分に一回ずつ一万トンを動かすと、一日に九十六万トンの貨物が動きます。二百万トンの貨物が大体一日上下動けば、物価は多少静かになります。これをやらないからだめなんです。  ドイツが、第一次大戦後にレンテンマルクをやったときにも、ドーズ案が当たったとかヤング案が当たったとかいいます。レンテンマルクが当たったなんという。あれは違う。カール・フォン・ヘルフェリッヒという大蔵大臣をもう一回引っぱり出してきて、そのヘルフェリッヒ蔵相が国鉄の大改革をやったのです。国鉄の改革をやったからドイツは立ち直った。それを鉄道屋の人が言うと、それを我田引水みたいに受け取って、そんなことはあるものか、それはレンテンマルクがと言うけれども、そうじゃない。あれは鉄道を改革したのです。  去年死んだイスメット・イノニューというトルコの大統領——あれは陸軍大将でしたが、ケマル・パシャの命令でトルコの鉄道を改革したのです。トルコもインフレでだらしがなくて、夕方四時ごろお日さまが沈んでくると、みんな鉄道がとまっちゃって、長い文句を唱えて地面にひれ伏して、二時間くらい祈祷しておる。これじゃとてもたまらない。それでこのイスメット・イノニューが改革したのです。それでイスメット・イノニューという陸軍大将は、つんぼで非常にぐあいがいい。何かものを命ずることは言うけれども、人が言う苦情は自分に聞こえないのだから。このイスメット・イノニューはその手柄で大統領になりました。この間死んだばかりです。私はまだ香典を持って出かけていないけれども。トルコを立て直したのは、イスメット・イノニュー大統領が二代目であります。  私は、一貫して重量貨物列車の中速運転をやれと言っているので、これをやらないことには、とても、高等用語症にかかった評論家や学者を集めて法規令達や公開市場操作、いろいろ言っている、あるいは心がまえなんということをわが国は盛んに言う、心がまえなんというものでインフレもデフレもなおるものじゃない。社会の構造は、精神的構造があると同時に物理的構造ですから、物理的構造のほうを直さないで、精神的に心がまえを直せと言ったって無理です。  これは住宅政策でもわかりますが、イギリスの住宅は、玄関の前のほうが大体低いかきねがきれいに並んでおる。うしろは少し高いかきねが並んでおる。イギリスの国民は品性が高い、キャラクターが高いから、みんな共同して同じ高さのかきねを並べて、バラの花が咲いていてきれいだということを日本の評論家はみんな言う。私は、英国だってどろぼうもいれば海賊もいるんだから、品性がいいからかきねが並ぶということはあるまいと思って、不動産協会の欧米不動産事情視察団のときに、たしかウェルウィンかヘンメル・ヘムステッドという小都市視察のときに、向こうの理工系の案内人の人が来たから聞いてみた。そうではないのです。それは心がまえじゃないのですよ。イギリスではかきねが、玄関の前を向いては高さが四フィート、背中のほうは七フィートだということになっているのです。いつからなったかというと、その人は六十くらいの人だけれども、私が小さいときに、もうこうなっておった。エドワード七世よりも前くらいのときに建築基準法できめたらしい。ローだかアクトだかもうわからない。イギリスじゅうさがしてもかきねの寸法は材料がないのです、四フィートか七フィート以外には。だから立つのです。バラの花なんというのは、隣のつるが伸びてくれば咲くので、品性が悪くたって、どろぼうだって、悪いやつだって、四フィートと七フィートしかない。日本人はちょっと見て、品性とか品格とかすぐ言いたがる。物理的な結果には物理的な原因があるのです。いま物価が上がってどうにも困る、腹下ししたり熱が上がるというのは、物理的な原因があるのです。  イギリス本国は、いま機関車二万八千両、客車が大体六万七、八千両、ボギーにした貨車が九十六万両。日本はこれに比べて、機関車なんというのは、ほんとうに動いているのは三千九百くらいしかいやしない。貨車なんというものは、過去五十年間くらい十万両ですよ。客車は九千八百で騒いでいたのだが、やっといま一万三千、これじゃこんでこんで、殺人的にこむのはあたりまえだ。だからみんなが政府を恨むのです。論より証拠、東京から神戸までの通勤輸送のこむところに限って、マルクス主義革命論者の首長が出ているじゃありませんか。マルクス主義者は喜んでいるけれども。  路面電車を全部廃止してしまって、安い役務を廃止すれば物価は上がりますよ。私は、自民党の先生方にこの点は声を励まして忠告したいのだ。なぜ路面電車をつぶしてしまったのだ。あれをつぶしたのは、警察庁の交通局長の富永某、それから警視庁交通課長の内海某、これは東京帝国大学法学部の俊秀だ。こういう俊秀がわいわいわいわい、あれを早くなくさないと外人さんに笑われます、なんということを言って、くどいて回る。それでもって自局党の先生方はころりころりとだまされる。  昔の封建時代には、各藩に諌争役というのがいたのです。ものを干す役ではありません。いさめて争う諫争役。私は諫争役のつもりで、そういうことをしようという議員に「しばらくしばらく。」と言ってそでをとめたけれども、「そのほう下がっておれ、黙れ。」なんと言って、だまされてやってしまう。だから、路面電車からおりたいわゆる低所得層の市民は、今度はタクシーをつかまえて、路面電車みたいに安く走れということを言うのだから、これは大体無理ですよ。だから、タクシー運転手も苦しいし、お客の人たちも苦しいんですよ。みんな苦しいんだ。みんな苦しいことは、どこから始まっているかといえば、この部屋の中にいらっしゃるえらい人たちが、少しは御関係のある方面で始まったことなんです。  昔の天正三年の五月の三州設楽原長篠合戦のときに、自重して退却するほうがいいと馬場美濃守あたりがみな言ったのに、武田勝頼に突進論を言ったのが跡部大炊助、長坂釣閑という二人ですよ。これをかわいがったものだから、突進して、織田方三千、徳川六百丁、三千六百丁の鉄砲を三段繰り回しで甲州軍四万が全部死んでしまう。武田の家は滅びてしまう。だから、ああいう家来がかわいいと思うときは、ろくなことは言わないのです。だから、路面電車をやめてしまえと言うと、かわいいかわいいで、それらがいまどこに立身出世しているか私は知りませんけれども、とんでもない人たちなんだ。  ヨーロッパでもって路面電車がみんな走っております。コペンハーゲンが四十八円、アムステルダム五十円、ブリュッセルが五十円、ハンブルクが七十三円、ウイーンが九十円、チューリッヒが四十三円、ローマが三十円、ミラノが四十三円。ローマは三十円のわりに、何かのら犬なんか乗っていてきたない。ローマ以外の市電は全部きれいです。三両連結、五両連結。きのうの朝だかに、今度のアレクサンドル・ソルジェニツィンが着いたフランクフルト・アム・マイン、あの町なんか、路面電車をいま拡大しておる。地下鉄と路面電車とを兼用する五両連結の電車を、去年の三月つくったばかりです。こういうことは、運輸省の役人なんか高価な出張費を取って、一体何をのぞいて帰ってくるのだ。そういうむだな出張をする役人に出張させることは、実際は損なんです。こういうふうに、大事なものをやめちゃって、要らないものをどんどんつくるのだからまことに困ったものだ。  時間があと五分ぐらいありますが、もうちょっといただいて、物価問題の中で、生活用品の宣伝にスターや芸人が出てくる。これは物価上昇の原因であります。これを、たとえ一時なりとも郵政大臣が厳命を下して、それをつくっている会社の社長とか社員が出てくればいいじゃありませんか。三十秒の間に一軒美邸が建つような金をとっていくくだらぬ芸人がおる。こんなことを野放しにしておくから物価が上がるのですよ。これをなぜ郵政大臣はやれないかというのです。もっとも、そういう芸人を、選挙のときに応援に頼もうなんていう考えもあるかもしれませんが、しかし、それはほどほどに……。この放送の改革については述べたいのですけれども、時間が惜しいので、ちょっと先へ進みます。  大学の進学率が非常に多くなったことも、実はこの席で申し上げるのもなんですが、小売り店の子供なども、昔は小学校だけときめておったのが、いまはほとんど大学に行く。大学に行くために、カボチャとかキュウリとかの値段にどんどんぶちかけておる。一昨年、読売新聞の投書欄で、八百屋のおやじがゴルフをするから物価が上がるという投書の論争がありましたけれども、私は、そう冗談にしてはいけないと思う。大学へ行くために実は物価が上がるのです。裏口入学の三百万とか五百万という金をかせぐにはたいへんだから、それを店頭価格へぶっかけるのです。だから店頭価格が上がるのです。そう見てみると、そういう家の子供がみな大学へ行っておる。  このためには、学校教育法の第五十四条の二を改正すればいい。学校教育法の第五十四条の二は何と書いてあるか。「大学は、通信による教育を行なうことができる。」と書いてある。ソ連の大学生は四百三十万人おりますけれども、四五%、二百万人は実は通信教育課程であります。革新系の議員さんがモスクワ大学を見てもそれがわからない。モスクワ大学は、学生三万五千人ですけれども、二万八千人ぐらいは実は通信教育なんだ。それがわからない。だから、ベリヤエフという大佐が宇宙玉に乗って地球を回ったときに、日本の新聞では航空通信の専門家と書いてあったのです。これはロシア語の誤訳です。昔の日本でいう陸軍大学校に匹敵する空軍大学校の通信教育課程に、四十八歳のベリヤエフ空軍大佐が在学中であるという説明が向こうから来たのです。それを日本では、通信教育を知らないものだから、航空通信の専門家なんていっている。大学と大型研究所の分離についても述べたいけれども、あと四分しかないので先に進みます。  申し述べたいことはるるありますが、人間の社会の構造は、精神的構造であると同時に、物理的構造であります。だから法規令達や公開市場操作、心がけなんかやったって、一面において物理的構造を改善し、増強しなければ、社会的な疾患を直すことはできないのであります。法令が雨のごとく下っても、経済現象には、一定の物理的条件に従って作用する原則性がありますから、それを、ただああせいこうせいと言って、わかったわかったと言ってどなってもだめなのであって、物理的構造のほうを充足しなければなりません。その点について、私はいささか存念があってふだん調べていることがあるから、お呼び出しもあったのだと思います。  結論的に、世界情勢の一端に関連して、防衛問題に言及したいと思います。  今年の元旦、わが国の隣の中華人民共和国におきましては、人民日報、紅旗、解放軍報の三つの最も強力な機関紙誌共同論説をもって、「国際情勢はたいへんすばらしい状況である。天下は大いに乱れておる。まさに山雨至らんとして風樓に満つ。」ということをちゃんと発表しておる。これは七億の人口、字の読める人は全部読んでいるはずです。天下が乱れているといったって、まさか中国大陸が乱れるわけじゃない。これは地球上が乱れておるということを、わが国にとってというのは、中華人民共和国にとってすばらしい情勢である。それから孔子崇拝思想を打破する。秦の始皇帝がやった焚書坑儒は非常によいことである、改革であるといって評価している。強烈なる宣伝を展開しておる。まさに、わが国にとってぼんやりしていてはならぬ時期であります。もっとも、先生方がぼんやりしているとは私は申しません。しかし、三十秒ぐらいのカレーライスか何かの広告で家がどんどん建つなんというギャラを出しているということは、ぼんやりしている証拠であります。こんなことは禁圧すべきです。  果然、イギリスの雑誌ミリタリー・クォータリーは今年の夏、いま二月ですけれども、夏に中ソ国境戦闘が起こる確率が高まりつつあるということを発表しておる。しかも、材料を思い出してみますと、アメリカで昨年小麦の作付制限をしておったのを、減反しておったのを解除しております。中ソ両国ともに一千万トンから二千万トンに及ぶ食糧を買い込んでおる。日本の鼻先に来て魚をとって、かん詰めをどんどんつくっておる。日本人の漁師の網なんかみんなぶっ切っちまえという勢いである。けんか腰である。何かこれは差し迫っているのではないか。わが国はいかような異変が発生するとも、事態を静観して沈着、事に処し、いやしくも第二次大戦のような、バスに乗りおくれるなといって、大急ぎで片方の戦争する側、交戦団体にくっついていくようなことをしてはならぬと思います。その態度は、いわゆる日本は、自分はどう表現しても武装中立、これはアームドニュートラリティーというのでありますが、この武装した中立を維持することが常識でありまして、したがって、防衛の比重は次第に重くなります。  中立といいますと、ただ中立を宣言していれば何もされないか。されないと言っている人が多いけれども、決してそうではありません。中学校や高校で女学生などが、いいわよいいわよ、私、絶交だわよなんと言うと、それきりで済むけれども、国家の間の中立なんというのは、女学生の絶交なんというものとけたが違う。  昭和十六年三月八日にアメリカの上院を武器貸与法、レンドリース・アクトが通りまして、イギリスを助けるアメリカの船団は、続々とアメリカの港を離れてイギリスに向かう。それをドイツ潜水艦は、当時少将であったカール・フォン・デーニッツ指揮官の命令でどんどん攻撃する。だから大西洋においてはアメリカは中立であったけれども、このHR一七六六という法律によって、援英船団を送り出せば出すほど、ドイツの潜水艦は攻撃する。しまいには撃沈されて、ルービン・ジェームズなんというのはアイスランド沖で撃沈されて、乗り組み員九十九人がみんな氷の海の中に落っこちて死んじゃった。それでもアメリカはドイツに宣戦布告ができない。なぜできなかったかというと、あのときのフランクリン・デラーノ・ルーズベルト大統領が、前の年の選挙のときにアメリカ全国を演説して回って、私が大統領になっておれば、してくだされば、皆さんのむすこさんを戦線には送らないという公約をしたのです。ああいう高い地位の人が選挙のときに公約するなんというのは、民主主義体制になった日本のいまではわかるのですけれども、そのころ日本はわからなかった。どこかの国がしかけてくれればいいなと思っていて、つり出しにかかったのがコーデル・ハル国務長官で、うまくつり出されたのが、きわめて正直いちずの日本だったということになるのでありまして、日本は宣戦布告したのは十二月八日でありますから、ちょうど三月から、くしくも同じ日取りの八日で十カ月間、アメリカは中立だけれども船団は攻撃されたのであります。アメリカは中立を守るにはそのくらい苦労しておる。中立というのは、金がかかるし、非常に努力しなければならぬのです。  遠くは、ナポレオン戦争のときの一八〇一年、これは享和二年でありますが、四月二日コペンハーゲン沖の海戦のときに、デンマークは武装中立を宣言しておったにもかかわらず、フランスは攻撃しなかったのに、イギリス海軍は公然と攻撃しておった。これはハイド・パーカーという大将が指揮してデンマークの海軍をぶち破って、デンマークが持っている商船、帆前船ですけれども、一千六百そうもぶんどってくるという作戦を始めた。そのときにデンマーク海軍も反撃したから、イギリス艦隊が負けちゃって退却する。ハイド・パーカー提督が退却信号を出して退却する。そのときネルソンが偵察艦隊司令長官でおった。ネルソンの幕僚が、長官、長官、退却と言ったんです。そのとき、ネルソンは片目がない。アブキールの海戦で片目がなかった。あのころの望遠鏡は、いま小学生が持っている長いやつ、単眼ですが、その単眼望遠鏡を見えないほうの目にあてがって、プッディング・ヒズ・テレスコープ・オン・ヒズ・ブラインド・アイと、見えないほうの目にあてがって、ぼくには見えぬぞと言って突進して、命令に違反して突進して、デンマーク海軍を大いに破って、その商船隊を駆逐したことがある。中立というのはこういうことですよ。交戦国がいつどなり込んでくるか、ぶちかけてくるかわからない。それを、私は中立ですよと言えば、もう無風で何にも攻撃されなくて、交戦国の両方へ即席ラーメンでも売ればもうかるなんということを言っている人がいる。冗談じゃない。中立というものは非常に金がかかるものであります。  これは結論でありますが、このときに及んで、自衛隊は違憲であるという判決がさきに出ました。これは憲法前文の読み違えをしている人が多いからこういうことになる。委員長、あと三分ぐらいありますので……。  憲法前文に、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」し、と書いてあります。あれは十五年も戦争が続いたから、カール・フォン・クラウゼヴィッツのフォム・クリーゲ、クラウゼヴィッツの「戦争論」ぐらい、みんなああいう人たちは読んでおったから、ああいうことをちゃんと楽々と書いてあるので、あれは「政府の行為によつて」という「て」のところへ点を打って読んでいる中学校、高校の先生が多いのであります。政府が戦争を防止すべきだ、政府の行為によって戦争を防止するんだ。その政府が自衛隊を持っていることは違憲じゃないかというのです。そうじゃないのです、これは。政府の行為によって突如として始まるそういう国民不在の形態の戦争、これを主権在民の体制で防止するんだという宣言なんです、あれは。  そうすると、そんなややこしい、政府の行為によって始まる戦争なんというものがあるのかという質問があるのですが、あるのです。これはクラウゼヴィッツ将軍の「戦争論」を初めだけ読んだんじゃだめなんで、終わりまで読むと、第八章にちゃんと詳しく書いてある。封建時代、中世紀の戦争はいきなり始める戦争で、国民は何にも知らずにいて、お城の中で始まる。やってみようか、じゃ、おやりになるのがよろしゅうございましょうというので、こういう戦争を内閣戦争というのであります。デア・カビネーツクリーク、英語ではキャビネッツウォーというのであります。東京裁判でもニュールンベルク裁判でも、満州事変以後の戦争のやり方を、カビネーツクリークであると連合国側は認めているのです。日露戦争のことはカビネーツクリークであるといってないのです。満州事変以後のやつをそう認めておるんです。だから、ああいう戦争犯罪ということも、向こうの検事の論告がるる述べておるので、あんなもの、どうせ縛り首になっちゃうんだから読んだってしようがないなんということを言わないで、あれは綿密に読んでみないといけない、ああいう彼らの言い分というものを。わが国の憲法に関係あるのですから。クラウゼヴィッツ将軍の戦争進化論でいいますと、中世封建時代の内閣戦争の次には国民戦争という段階があるんだ。国民が全部合意でやるのだ。これはデア・ナチォナールクリークであります。ナショナルウォーであります。その次にクラウゼヴィッツ将軍は、もっと工場から農場から全産業を総動員する戦争になるのだ。これはデア・トターレクリークというやつで、トータルウォーだから国家総力戦であります。国家総力戦は、その後いみじくも日本が明治維新で近代国家になる直前、アメリカの南北戦争のときに北軍がやったのが国家総力戦の萌芽形態であります。戦争進化論というのをマスターしておかないと、日本の現憲法の前文がわからない。わからない人が、「政府の行為によつて」というところへかってに点を打って解釈するから、自衛隊が違憲だという。長沼判決の福島重雄裁判長なんかも、そういうロマンチックな誤読をされた方であるといって、私は、半ば尊敬、半ばマイナス尊敬をしておるのでありますが、当時のドイツ、オーストリアの軍隊が、中世の封建時代の内閣戦争に合致する軍隊であったのが、何となく戦場に出てみたならば、ナポレオン一世の指揮する国民戦争形態に合致する鉄血無比のフランス軍であったために、こっぱみじんに粉砕されたというのがイエーナの合戦であります。こういうことは、ちゃんと記録に残っているのだから、よく参考にせねばならぬということであります。  だから、自衛隊は違憲でもなければ、日陰者でも何でもない、威風堂々たる正規の武装部隊でありますから、歴代防衛庁長官が、おまえたちは日陰者だと言われているけれども、まずまずなんということを言わないで、正々堂々たる正規軍に準ずるものでありますから、いかに予算を圧縮するからといったって、これをあぶなくしては困る。さきに、海上自衛隊の艦船などもずいぶん石炭だきで間に合うということを申し上げましたが、近来、野戦の様相は、立体機動のヘリボーン形態に重点が移っております。世界空軍の順位で、第一位がアメリカ空軍であります。第二位がソ連空軍、第三位がどこだかわからなかったけれども、統計をとってみて、おととしわかったのが、五千機のヘリコプターを持っておるアメリカ陸空軍であります。アメリカ陸軍航空部隊が世界第三位である。第三位が、ヘリコプターを持っておるヘリボーン兵団が時代の歩みである。陸上自衛隊には、現在木更津に第一、第二ヘリボーン部隊がおりますが、これは装備、訓練とも世界一流であるけれども、ヘリコプターの音がやかましいから海上へ行けなんていわれている。ヘリボーンというものは、ヘリコプターの上から地面の様子を見て、祖国の山河を暗記するところに強さが出てくるのに、やかましいから海の上へ出て、海の上で飛んで弁当を食っているのではヘリボーンにならない。それで、世界軍事界の進運が、陸空軍のヘリボーンに重きを加えつつある時期でありますから、四国、九州方面にもヘリボーンの増強が必要であります。  先ほど、通勤、住宅、物価、定年と申しまして、定年も、ヨーロッパあたりでは六十五歳、七十五歳があたりまえでありますから、定年に関する法律というものをつくって、三千二百万世帯みんなを安心させることを述べたかったのでありますが、そこは省略しましたけれども、特に自衛隊の将校の定年が、いま大将相当官で五十五歳であります。一体世界じゅうの軍隊で、大将になった人を五十五で追っ払ってしまうという軍隊はありません。だから、大佐とか中佐とか少佐とか、その辺の連中が、先の身の振り方が心配でおちおち安心して隊務に精励できないという状態で、五十五歳定年制は日本の国防力の精神的な面を非常に弱くしておるのでありますから、まず、自衛隊の人件費二千八百七十九億円に私は異存がありませんけれども、将官の定年は六十五ぐらいまで延期して、落ちついて隊務に精励できるようにしなくては、みんなそわそわ、ここをやめたら何とか重工業、ここをやめたら何とか兵器へ行こう、行こうというので、そればかり考えておる。ある陸上一佐、陸軍大佐に相当する人が、まだ就職しないうちから、専務とか常務とかいう名刺を刷って振り回して、この間、首になったのがあるじゃありませんか。あんな心配をかけることはかわいそうである。お互いに核武器を使わないという相互保障が成立した時期が、実は戦争があぶない。第二次大戦も毒ガスを使う、使うといったけれども、お互いに使わないという保障がついたときに、毒ガスを使わない戦争が始まった。だから、核戦争でどかんとみんな死んじゃう、人類絶滅なんということはありません。日本沈没なんということはありませんから、映画をつくっているばかがおるけれども、この夏にイギリスのミリタリー・クォータリーの予言するような戦争が始まりますと、それは非核であります。ずいぶん長くなると思うので、私は、この動乱が今後大体二十年は続くと思うのです。  そこで、政治の世界においても、いままでのような調子で、先ほど申した、路面電車を廃止しろなんといって、気違いのように騒ぐような官吏を、かわいい、かわいいといって登用するようなことでは悔いを千載に残しますから、風雪をしのいで神経衰弱になんかならないような神経の太い、知謀神算わくがごとき人材を集めないと、日本国は二十年の動乱をうまくくぐって、武装中立状態のままで向こう岸に行くことが困難になります。  明治天皇の御製は五万首あるのですが、その中に、「かくばかりことしげき世にたへぬべき 人をえたるがうれしかりけり」というのがあります。これはあまり有名な御製じゃない。たいてい景色をよんだ御製なんぞを民間では非常に有名にしてありますけれども、これは、日露戦争の直前に対露作戦計画をやっておった、山梨県出身、いま信玄といわれた田村恰与造参謀次長がぽっくり病気で死んだので、その後任に困った。明治天皇が実際に困った。そのときに、内務大臣をしておった児玉源太郎将軍が内務大臣をやめて、大山参謀総長の下に参謀次長でにこにこしながら平気で入っていった。これでもって国民は緊張したのですが、このときによまれた歌ではないか。入江侍従の家あたりに行かないと、いつごろよまれた歌かわからない。もう一つは、外債を募集するために、金子堅太郎——呼びつけにしては悪いけれども、金子堅太郎伯と高橋是清さんと、この二人を英米両国へ派遣するときに、よい人物がおったのうと仰せられてよんだ歌であるというふうになっておる。どちらでもよろしいけれども、「かくばかりことしげき世にたへぬべき 人をえたるがうれしかりけり」そういう御製を口ずさんで、おれもそうやっているぞといえる政治家がいらっしゃればよろしいけれども、まわりには洋服を着た太鼓持ちのような、明くればゴルフ、暮れれば宴会、イモの煮えたも御存じなくというような、そういう役人、芸人、遊び人、そんな者を集めていい気持ちになっていると、いまに大鉄槌が下ります。  私は、四十九年度予算、もう少しアクセントのある——まだそのときはイギリスの雑誌の論文が出ていないし、石油ショックだけで、こいつはいけないというので、石油ショックを克服することだけにみんなわあっと頭がいっちゃって余裕がないものだから、今回、膨大なる印刷物になっております予算のようなことになったと思うけれども、あれでは、ことしの下半期あたりから起きてくる内憂外患こもごも至る情勢に対処していく——すわっていて茶の間でテレビを見ているという程度の生活なら、あの予算でまずよろしいけれども、風まじりの雪が降ってくるなんというときになりますと、少しなまぬるいと思いますので、この辺は若干の批判を持っております。  各論には少し批判がありまして、鉄道政策についてもコペルニクス的転換をしなければならない時期と思いますものの、総論につきましては賛成の意を表しまして、公述を終わらしていただきます。(拍手)
  39. 井原岸高

    井原委員長代理 どうもありがとうございました。  次に、丸尾公述人にお願いをいたします。
  40. 丸尾直美

    ○丸尾公述人 なかなかおもしろいお話を聞かしていただきました。私のはちょっとおもしろくないかもしれないので、その点はお断わりしておきますけれども、まず、昨年に引き続きましてこういう機会を与えていただきましたが、今回は実はピンチヒッターでありまして、準備が若干不足でありますことを申し上げておきます。  昨年来の私の経験から見ますと、大体、公聴会で話すことは、その年の予算にはほとんど影響はない。そういう点では失望ですけれども、一年おくれで若干の影響があるのではないかというような感じを持っております。そういうことも考えますと、若干、ことしのことからさらに来年への要望という基本的なところまでお話ししてもいいのではないかと思っております。  私が強調したいことは、一つは、予算のつくり方自体を、福祉の指標と参加のシステムをもとにして、もう少し考え直す必要があるのではないかということ、それから第二番目は、いろいろな社会的アンバランスというものを、そういう福祉の指標から見てそれを是正していく、それから第三に、分配の不公正というもの、これが非常に人々の不満をかき立てる要因に最近なっておりますけれども、これを是正するような政策をとるということ、それからさらに、国民生活の安定という点、さらには生活の質の向上、こういう点を目標としてやっていくべきである。その内容をいまから具体的にお話しいたします。  いま言いましたようなことは、福祉経済学、一九二〇年にアーサー・セシル・ピグーが打ち立てましたような非常にクラシックな原則であるわけですけれども、そういう原則を近代にどのように生かすかということを考えてみたいと思います。  まず、予算の決定。これはもう国会がありまして、非常に慎重審議されて、こういう公聴会もありまして、つくられていくわけですけれども、やはりもう少し客観的な指標が確立されるべきである。一つは、福祉指標といいますか、社会指標ともいうべきもの、これはいま政府がつくっておりますけれども、これをはっきりつくって、そして、相対的にほかの国に対しておくれているものは何かということをまず確認するということ。そうしますと、たとえば一人当たりの公的な基礎年金が非常に低いとか、公的なヘルパーが非常に少ないとか、奨学金が少ないとか、あるいは資本利得が不当に大きいとか、いろいろな問題が浮かび上がってきます。そういうような客観指標でまず確認しておいて、もう一つは、アンケート調査、意識調査、福祉意識の調査を徹底的に行なうということ。これは、昨年国民選好度調査でやられまして、一応やられていましたけれども、いつもやっていますけれども、どうも成果が十分に生かされていない。これを生かすためには、各客観指標をがっちりつくって、それぞれの項目について意識調査をやる。そうしますと、何が不満かということがはっきりと浮かび上がってくる。そして、国民が、こういうことが不満であるとか、あるいは、こういうことをやってもらいたいという、そういう意識が非常に強くて、そして先進諸国と比べて、客観指標で見ても非常におくれている、そういうようなところをまず優先的に考える。それを基礎にして、委員会や国会でもやっていく。いまのところ、庶民のほうから見ていきますと、どうも何か圧力が強くなくてはだめだ、そして一生懸命陳情もしなくてはならない、そうして何かこう、政治献金もかなり関係があるのではなかろうかというような、いろいろな疑惑があるわけです。そういうことが一つの不満になっていますけれども、やはりそういう客観指標というものをもとにして優先度をきめていく方針というのを、もう少しつくる必要があるのではないか。大学なんかにおきましても、昔は裏口入学があったり、学校へたくさん寄付金をすれば何となく入学できるということもあったのですけれども、最近は、私の大学なんかは、かっちり成績だけできめていきますけれども、その中に客観指標があるということは納得性があるわけです。予算におきましてもそれが一つ大切であるということ。  それからもう一つは、国会がありますし、いろいろな審議会もありまして、公聴会もありまして、人々の意見を聞く機会というのはいろいろあるわけですけれども、どうもやはり労働組合などの観点から見ますと十分でない。そこで春闘で、本来は労働条件を戦うときに、そうでないものまでやらざるを得なくなってくる。そういうことになるのは、一つは、やはり労働組合、消費者等の予算の編成等に対する参加のシステムがまだ不十分であるということを物語っています。やはりこの辺は考慮に入れて、もう少しそういう意見を直接に聞くルートを確立していくということが必要だろうと思います。具体的には、審議会をもっと、予算関係できるようにいろいろな形で強化していく、そうして労働組合の代表等々をもっと積極的に参加させる、それをより吸収するというような方向をやっていく必要があるのではないか。  こういうように、福祉の指標と、それから参加のシステムを発展させるということが、予算編成を国民の福祉改善に役立つようにするために、まず基本的なことではないかということを申し上げたいと思います。  それから、第二番目は配分の問題といいますか、社会的なアンバランスの問題と不公正の問題。  最近、私は幾つかの世論調査に関係しまして調べてみたのです。特に勤労者の意識調査を見たのですけれども、不満足度が非常に高いものは何かといいますと、予想どおり、物価上昇が第一である。それから税負担の不公正、それから地域社会の公共施設のおくれ、社会福祉のおくれ等々、そういうものが出てくる。これは、たいていどこでやっても、似たようなものがだんだん浮かび上がるようになってきておる。  で、それは平凡なことですけれども、一つはっきりしていることは、不満が多いという人は、絶対水準に不満ではないんですね。絶対水準で見る限り、日本人の生活水準は絶対的には、平均的には上がっているということ、これはもう明白なことであるわけであります。ですから、それがわかるようなしかたでアンケートしていけば、絶対水準が上がっているということは、だれも否定できない。ただ相対的に、これも豊かになったかもしれないけれども、非常に他方に不平等がある。あるいはもう一つの問題は、私的な生活では、賃金とかそういう点では豊かになったけれども、それだからこそ、かえって社会福祉のおくれとか、社会的な公共的な施設のおくれとか、そういったものが目立つし、通勤地獄もおそらくよけい目立つようになる。そういうような社会的なアンバランスというもの、こういう相対的な面での不満というものが、不満度全体に非常な寄与をしているということが、数量的な分析で明らかになっております。  そして、これはむしろ保守党の方に非常に有益なことでしょうけれども、革新度あるいは急進度、より急進的な政党を支持する傾向と不満度との相関を見てみますと、要するに、自分が不公正に扱われているという、そういう感じを持っている人ほど革新的であるわけです。ですから、不平等さということが非常に革新度に影響する、ということは、その不平等を是正すれば、より極端な急進性というものは若干緩和されるということであろうと思います。そういう世論調査の結果から一つ示唆されることは、その分配の構成を直し、そしてその社会的な資源配分のアンバランスを是正するということ、これが非常に重要であろうと思います。  したがいまして、抽象的なところを申し上げていきましたけれども、少し具体的に申し上げますと、配分の問題、社会的なアンバランスの問題は、昨年も非常に強調したわけでして、日本の場合に、福祉の面でのおくれがあるということは御承知のとおりです。  今回の予算は、率直に言いまして、公的な投資を押えたりして、全体として予算を二〇%以内に押える、それのわりには福祉関係をふやしたということ、これは別に保守党でなくとも一応は評価していいと思います。ただ、よく言われますように、相対水準が低いために、ほかの国の福祉費用などと比べますと、非常にまだおくれが目立つ。これは前回繰り返しやりました、一人当たりの年金にしましても、今度七千五百円になる基礎年金にしましても、あるいはヘルパーの数等も、ことしは飛躍的にふえましたけれども、そういうものにつきましても、いまでも言えることであると思います。もう一度その点は、ことしから来年にかけましては、一そうのそういう点での前進を期待したいと思います。  それから、その配分の問題で非常に問題になるのは、ある面では日本は非常に豊かである。ギャンブル関係で使われる金は数兆円に及ぶ、あるいはキャバレー、バー等々の享楽産業では、やはり両方入れますと数兆円に及ぶ、国家の社会保障予算相当するぐらいがそういうところへ出ている。しかし、いざ社会保障とかそういうときになりますと、なかなか財源がない。そういうようなアンバランスがあるわけですけれども、そういうアンバランスを是正するために、来年は一そうの力を入れていただきたい。  それから、分配の面につきましては、最近非常に分配に対する感応度が高くなってきている。それは、一つには意識がそうなってきたわけですけれども、事実の面でも分配の不公正が大きくなっている。前にも少し申し上げたかもしれませんけれども、勤労者の平均所得に対する最高の所得者の所得との格差というものが、一九六〇年代の半ばから最近までにかけまして、おそろしく伸びている。勤労者の平均賃金に対する一番金持ちの五十人の倍率が、一九六〇年代の半ばごろには二百六、七十倍ぐらいから、一ころは九百八十倍まで上がった。そういうようなことがありましたけれども、これは最近政府も調査されて、もっと相応に、たとえば二万人ぐらいにとってみても、一万人ぐらいにとってみても、やはりそういう点での不公正が非常に大きくなっているということが裏づけられている。こういう不公正がどこから来ているかといいますと、おもに資本利得と超過利潤から生じているわけです。  ですから、この辺のところに思い切った税制を一方で導入する。他方で庶民のほうは、同じ財産を持っていても、貯蓄しかできない人はインフレでもって非常に減価している。ですから、たとえば土地を持っている人は、黙っていても、その価値が二〇%ぐらいどんどんふえてくる、他方、貯金だけ持っている人はどんどん減価してくる。格差がますます大きくなってくるわけですけれども、この格差を是正するための税制の導入ということを非常に期待したわけです。  いま、たまたま利潤に関しては超過利潤税が制定されようとしていますけれども、これを何とが導入していただきたい。技術的にいろいろ問題がありまして、たとえば数年間の実績でやると、数年間非常に悪かったところは非常に不利になるというようなことがありますけれども、そういうのは、最低規定を設けて、一定の率以下の場合、過去三年間の平均利潤率が一定水準以下だった場合には、そういうことがかからないようにすればいいわけで、技術的には決して解決できない問題ではない。超過利潤税を技術的な理由であきらめるというようなことが、絶対ないようにしていただきたい。  それから、わが国では資本利得に対してきわめて寛容であったということ。資本利得というのは、資産価値の値上がりによる利得で、土地の値上がりや株式の値上がりですけれども、この二つが、諸所得のうちで伸び率が、長い間にわたって見ますと、一番大きいということがはっきりと立証されておるわけです。  ですからこの二つの資本、これは非常にフロー的な性格が強いわけですから、あらゆる点から見ましても、抑制の最重点項目になるべき施策だ。土地につきましても、段階的に土地譲渡税が上がってきまして、最終二五%までなることになっていますけれども、これも先進国の水準から比べますとまだまだ低いし、日本の土地政策の重要性を考えますと、これを二五%で終わらせることなく、だんだん高めていって、将来は少なくとも六〇%くらいまでは上げていくような、そういう措置を続けていただきたい。  それから、株式の資本利得に関しましては、技術的な理由でこれが困難である、資本利得税をやろうと思えば、税務署員を一万人くらいふやさなくちゃいけないとか、いろいろなことがいわれますけれども、資本利得税はほかの多くの先進国ではやっているわけです。日本だけが技術的な理由でできないというようなことでは、私、納得いきませんし、資本利得の所得額自体が、的確につかまれていないということが非常に問題であるわけです。この点を明確にして、資本利得、キャピタルゲインですね、キャピタルゲインと超過利潤に対してきびしい政策をとるということを期待したいと思います。  それから他方、所得の低いほうには、先ほど言いました社会保障と、それからわれわれ非常に期待していましたことは、低所得者あるいは勤労者に対する財産形成貯蓄に対して、プレミアムをつけるということ、これは最後に予算折衝のところで、自民党政府の目玉としておそらく出してくるのじゃないかとひそかな期待を持ったのですけれども、とうとう出なくて見送りになってしまったのですけれども、ことしできたらもちろんいいのですけれども、来年に何とかプレミアム制を実行する、あるいは臨時的な形でも、何とか、資本の減価を補うために、ことしから直ちに、貯蓄の減価を、一定額の少額貯蓄の減価を相殺するようなプレミアム制をつけるということ、これを非常に強く要請したいと思います。これは審議会でも方向が出ていることですし、この辺のところがやれないということになりますと、政府に対する信頼というものはかなり——いまもかなり落ちていますけれども、もっと不満度も高まりますし、問題があるのではなかろうかと思います。  それから今度は、社会的なアンバランスと分配とあげましたけれども、福祉経済学といたしますと、三番目は安定の問題ですけれども、安定の問題につきましては、一つは、制度的に半自動的な安定装置を導入するということ、これを今度こそもっと真剣に導入を考えていただきたい。  これは前から私、言っていることですけれども、要するに、いまでも安定装置は政策的にはあるわけですけれども、これを半自動的に、もっと早く安定化する。一昨年の終わりからことしの初めにかけてのように、年率経済成長率が、瞬間では一五%から一八%も上がる、そうして、とたんにゼロ成長にまで急降下するというような、飛行機の空中ショーのような曲芸をしているような経済では、決して国民経済の安定は得られない。日本経済の体質は、非常に急成長して需要が大きくなれば、これは需要インフレが生じます。他方成長率がある一定率以上低くなりますと、今度はコスト高からコストインフレになる。ものすごく成長したときはインフレ、下へ下降したときはインフレ、両方インフレ。ですから、それが適正な成長のところに維持されているだけでも、日本経済物価上昇率はかなり落ちつくわけですね。こういう急上昇、急降下を押える、そのためには半自動的な安定装置、これは、たとえば北欧でやっておりますような公共準備金制度とか、投資基金制度とか、その他金融面での半自動的な安定装置を導入するということが必要ではなかろうかと思います。  それから、同じようなことですけれども、物的な面でも、もう少し安定装置をつくる必要がある。それはどういうことかと言いますと、やはり需要が余っているようなとき、ことしはちょっと無理かもしれませんけれども、余っているようなとき備蓄をしておくということですね。たくさんの備蓄をしておいて、そうして足りないときに放出するという政策、これをもっと制度化していくということが重要ではなかろうかと思います。  物価安定に関しましては、業界の自粛とか、あるいは政府の行政指導とか、いろいろいいますけれども、どうもそれほどの効果はありそうもない。そういうことになりますと、やはり対抗力政策でなくちゃならない。対抗力ということは、要するに、同じようなものを安く売るとか、あるいは消費者やそういった組織を育成するとか、そういうようなことで対抗力をつくらなければ、どうもうまくやれないように思います。そういう意味で、公的備蓄というのは、一種の対抗力政策であり、同時に、一種の安全政策でもあるわけです。この辺もやる必要があるのじゃなかろうかと思います。  それから安定の面で、雇用がことし、もう少したつと非常に悪くなるのではないか。事実、公共職業安定所などで職を得られない人がだいぶ出てきたりしていますけれども、こういう問題に対して、緊急的な措置と恒久的な措置をつくる必要がある。特に日本の場合、長期的には、高齢者とか身障者、そういった雇用困難者が非常に雇用ができないという困難な問題がある。  それから、もう一つ予想されることは、今度の資源不足、石油の値段の上昇によって、ちょうど労働力不足経済に転じたとき産業構造が急転換していく、それと同じような構造変化が生じておりますから、これに対応するために、思い切った労働力市場政策ともいうべきものを導入する必要がある。これをやることによって、産業構造の転換を円滑にする、そして同時に、雇用困難者を吸収していく、そういう形で労働力を転換したり、あるいは転換するためには職業訓練などが必要になりますけれども、そういうことをやることに思い切って政策的な努力をし、金を使うという発想がまだ弱いように思いますけれども、その辺のところに資源を投入するということは、非常に効率的であると思います。  そして、たとえば日本の場合、先ほど言いましたように、ヘルパーが多少ふえたとはいえ、公的なヘルパー、身障者とか重身障者とか寝たきりの老人に対するヘルパーが非常に少ないとか、あるいは福祉施設の人々が不十分で労働が苦しいとか、いろいろな問題がありますけれども、そういうところに労働力を配分するためには、非常に有利な形で職業訓練をやって、そして不況のときは、失業者がそういうところに半分ぐらいは吸収できるようにする。そして、そういうところで職業訓練して新たな方向にやっていく。日本の産業の中で、福祉産業といいますか、福祉部門というのは、これからのたいへんな成長産業であります。ですから、先ほど言いました享楽産業や、そういったところには、日本は若い労働力がたくさんあります。その労働力を、福祉産業に転換させるような政策的な措置が要る。それは他方には、享楽産業にはきびしい税を課していく、他方福祉産業あるいは自然保全等々に有利な、生活の質を高めることと福祉を高めることに有利なほうには、税制の面でも財政支出の面でも優遇をしていく、そういうような形によって、財政あるいは経済の流れを変えるということが非常に重要ではなかろうかと思います。  そして、生活の質の向上ということからいきますと、そういう配分を変え、分配を変え、安定をしていきますと、生活の質が向上していくわけですが、それに加えて、より高次の生活の質である芸術の助成とか、文教関係の考慮とか、そういう点での配慮が必要だろうと思います。  文教関係に関しましては、先ほど、あまり大学に行き過ぎるのもよくないというようなお話がありましたけれども、ここでちょっと私、前に提案したことがありますけれども、一つは奨学金を、国際的な意味においても水準が低いですから、思い切ってふやすということ、それから奨学金とは別に、奨学ローンという制度を導入することを提案したいと思います。  これはどういうことかといいますと、要するに奨学ローンというのは、大学へ、自分で金を借りて行きたい人は借りて行ける。奨学金がそうじゃないかといいますけれども、もっと気軽に借りれるようにする。しかし、そのかわり、返すにはちゃんと利子をつけてきびしく返す。スウェーデンの場合には、利子をつけて、しかも物価スライドで返しますから、返すには非常に負担が重い、しかし、行こうと思えば必ず貸してくれる、そういうような形にしておけば、教育の機会の均等が得られる、自分自身の教育に投資することができるわけですね。それがいやだと思う人は、自分の選択で行かないわけですから、窓口は開いておいて、行こうと思えば行ける、しかし負担は重い。そういう形で奨学ローン制度を非常に拡大するということが、教育問題での不満に対する一つ方向ではなかろうかと思います。  それから、最後に、一つの制度として、物価に対しても公害に関しても、あるいは誇大な広告とか、そういったものに対しても監視する機構として、何かいままでのシステムでは不十分である。最近、北欧、イギリス、アメリカ等々に拡大してきているオンブツマン制度といったような制度を導入することを検討する時期ではなかろうかと思います。  オンブツマン制度といいますのは、準司法的な機関で、ちょうど行政と法律とのみぞにあって、どちらでも扱えないような問題に対処する非常に有効な方法であるわけです。日本でも、物価Gメンがあったり、あるいは警察に知らせたり、あるいは、場合によってはNHKに知らせたりして、いろいろな通報をしたりしますけれども、ああいうやり方ですと、非常に何か、全国民告発主義みたいになってしまいますし、あるいは警察が直接介入しますと、非常にいやな感じもします。官僚が直接でもそうです。そこで、オンブツマン制度というのは、そういう制度ではなくて、準司法的な性格の一つの独立の機関である。しかし、非常に権威が高い、そして調査権も持っている。しかし、処罰権は必ずしもなくても、その監視されるということでもって、物価問題、公害等々に非常に有益な効果がある。いまあるいろいろな国民の不満を聞いたり、あるいは告発を聞いたり、そうするのを一つの制度に統一して、オンブツマン制度としてやっていくことが有効ではなかろうかと思います。  それから、これから賃上げが出てきますけれども、私は、賃上げを押える上でも、予算というのは非常に有効であると思う。賃上げを押えるために、所得政策とかいろいろなことを言いますけれども、考えてみますと、賃上げを押えるには五つ六つの方法があります。  一つは、非常に極端な自由主義者が言うように、労働組合が独占的だから労働組合の力を少なくさせ、労働組合の組織をもっと解体させよというような極端な議論もあります。あるいは、失業をふやして、不況にして失業を多くすれば自然に賃上げが少なくなるというような、これも保守主義者がよく言う議論があります。第三番目は、価格や利潤を押えれば、それに応じて賃金も上がりにくくなるという議論があります。それから第四番目には、インフレを押えさえすれば、自動的に価格は上がらなくなるという問題があります。第五番目には、これは強調したいのですけれども、社会的なアンバランスとそれから分配の不公正、これが人々の不満をかり立てる。ところが、分配の不公正とか社会的なアンバランスは、個人では解決できないし、労働組合単位でも解決できない問題。ですから、解決しようと思えば、本来は社会保障とか勤労者住宅とか公園をふやすとか、そういうようなことをやってもらいたいんだけれども、個人では解決ができない。ただ、金さえあれば、何とかそれにかわるものをやることができる、結局賃上げだということになるわけです。最近の勤労者の意識構造を分析しますと、そういう傾向が非常にあらわれるんですね。社会的不満、それから分配に対する不公正、その不満の解決を大幅賃上げに求める、そういう社会的な悪循環というものがあるわけです。  賃上げをすると、自分の賃金は相対的に上がる。そうすると、社会的な政策に対するアンバランスが一そう大きくなって、ますます相対的に社会的な面がおくれているように思います。ですから、その不満を、また次は賃上げにしていくというような悪循環が起こるわけです。ちょうど賃金と物価の悪循環があるのと同じような悪循環がある。そういう悪循環をここで断ち切るためには、所得政策とかそういうことを言う前に、まず財政面で思い切って勤労者に有利な政策をとる、そしてそういう政策に労働側を参加させて、そして、そういうことによって賃上げの節度を求めるというようなことをまずやってみるべきではないか。それをやることによって、結果的にはその社会的な悪循環からくる物価上昇を若干押えることができる。  もう一つは、インフレによる悪循環を押える方法として、よく閾値協定ということがいわれます。閾値協定というのは、政府の、たとえば物価上昇率、いま九・六%ですか、ああいうものを一つの閾値として、それを賃上げのときには織り込む、そして実質賃金にその上昇分を加えて賃上げにする、しかし、それ以上に物価が上がった場合には、これは政府の責任であるし、あるいは商社、企業等々の責任である、だからその分はあと払いするというのが閾値協定です。そうしますと悪循環を断つことができるわけですし、実質賃金の着実な上昇を期待できる。これはイギリスのTUCが提案した方式でありますけれども、いまの日本の現状ではちょっとまだ無理ですけれども、公的部門とか若干の部門で考えられない方式ではないと思います。  要するにそういう社会的な面からの悪循環、アンバランスと不公正からくる悪循環と、賃金、物価の悪循環、これを押え得なければ、もちろん青木先生言われましたように、通勤地獄を直せば、通勤とか交通面を直せば物価安定にかなり影響あるでしょうけれども、やはりそういう悪循環を直していかないと、日本の、あるいは世界のどこの国の物価問題も、長期的な解決はないのではなかろうかと思います。  時間が来ましたようですから、これで私の意見の公述を終わらしていただきたいと思います。(拍手)
  41. 井原岸高

    井原委員長代理 ありがとうございました。     —————————————
  42. 井原岸高

    井原委員長代理 これより両公述人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出の順序に従ってこれを許します。多賀谷真稔君。
  43. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 時間の関係で、丸尾先生からお伺いいたしたいと思います。  先生はスウェーデン経済、北欧経済、非常に勉強されておりますし、いわば権威者であります。そこで、福祉指標というお話がありましたけれども、日本は国民所得が一人当たり二千七百ドルぐらいになっておる。そういう状態にもかかわらず、まだ実質的に社会保障給付が非常に低い。制度はいろいろできておるわけですけれども、スウェーデン等の北欧は、どのぐらいの国民所得のときに現体系ができたのか。これはイギリスあるいは北欧、いろいろ例があるでしょうが、ひとつお知らせ願いたい。それで、日本経済の場合でもそういうことが、今日のような国民所得やGNPが伸びておるときは可能ではないか。まあ急速に一年でやるということは、それは混乱が起こりますけれども、少なくとも五カ年計画ぐらいでは可能ではないか。こういう点、どういうふうにお考えになるか、お知らせ願いたい。  それから、日本の年金が成熟していないということが、社会保障給付の割合が少ないということが盛んにいわれておる。しかし、日本は厚生年金ができまして、御存じのように、もう三十一年になるわけです。それから国民年金の場合でも、いわば福祉年金というのができたわけです。この制度ができますときに、私的保険のように、過去の、その年齢に達しない人は全部切り捨てていくという、こういうものの考え方ですね、二十年かけないと資格がないという。しかし、アメリカやオランダやその他のように、制度がスタートするときから完全年金でスタートする。こういうことを考えますと、福祉年金は、単なるお小づかいをやるというのではなくて、少なくとも国民年金の本則に書いておる——これはやはり当時経過的な年金としてスタートしたのではないか。またそうでなくても、現在はそう見るべきではないか。ですから、十年年金と当時福祉年金の老齢者の千円というのは同じなんだ。千円で発足して、十年年金の場合も千円であったわけです。ところが今日、十年年金は一万二千五百円になっております。福祉年金は五千円である。こういうおくれですね、これをどういうふうに解決するか。ですから、先生おっしゃるように、基礎年金がないというところに一番の欠陥があるのではないか、こういうように思うのですが、まずその二点をお聞かせ願いたいと思います。
  44. 丸尾直美

    ○丸尾公述人 おっしゃるとおり、所得水準から見ますと、為替レートをどれくらいに見るかによって違いますけれども、二千七百ドルから昨年は三千ドルぐらいになっております。そのくらいの所得水準に、スウェーデンがいつごろあったかといいますと、ほんの三年か四年前です。スウェーデンは、いまアメリカと並んで所得水準は世界一高い国ですけれども、日本の一人当たり所得での名目値でのおくれは、最も進んだ国に比べて三、四年であるということ、この事実は非常に重要であると思います。ですから、フローに関する限り、日本も数年間で、最先進国並みの福祉政策をやる余力はあるはずだということが言えると思います。  具体的に言いますと、一人当たりの基礎年金ともいえます最低保障をする、ナショナルミニマムを保障するという考え方、これが日本にはないわけですね。口ではいろいろありますけれども、実際の実行としてはないわけです。そして七千五百円の福祉年金がその一種のナショナルミニマム、保障にかわるものであり、それ以外に生活扶助があるわけですけれども、近代の社会保障の考えは、生活扶助というような屈辱的なやり方ではなくて、年金でもって、権利として最低生活を保障するという考えになっているわけです。これが福祉国家の出発点であり、その上に分配の公正が積み重なるわけです。  一人当たりの年金で見ますと、いま日本が、御承知のように最低限で七千五百円になる。スウェーデンがいまどれくらになったか。物価スライドで、物価が三%上がりますと、一年待たないでどんどん上がっていきますから、いまどれくらいか、ちょっとはっきりわかりませんけれども、月額四万円から四万五千円ぐらいの間にあると思います。所得水準の格差は、いま日本が、為替レートを多く見て三千ドルであり、スウェーデンが四千五百ドルぐらいだと思います。そういう格差から見まして、最低保障が非常に違う。イギリスは、所得水準では日本に追い越されていますけれども、そういう最低保障が、ちょっと私も一番新しい数字はわかりませんけれども、おそらく二万四千円はこしていると思います。そういうことから考えますと、最低限の底上げをするというのが非常に緊急的に必要であるし、国民も望んでいると思います。  そしてこれは、この面に関しては私は賦課方式でいいと思うのです。私は、すべてを賦課方式にせいと言っているのではない。それ以上の面に関しては積み立て方式で考えていく、これが基礎的な必要に関しては賦課方式的にやって、それ以上の拠出というか、貢献に応じた分に関しては、積み立て方式なり能力原則でやっていくということで、その組み合わせをしていけば問題は解決できると思う。  それから、年金水準が年齢構成によって低いということをよくいいますけれども、それによって説明できる分は、全体の比重としてはわりに少ない。たとえば、確かにスウェーデンは六十五歳以上の老齢が一三%台、日本が七%台。それがありますから、もし同じだけ年金をやったら、GNPに占める比重だったらスウェーデンのほうが倍近くなることは、それは話はわかるわけですね。しかし、日本の場合は、倍というようなものではなくて、どれくらいになりますか、スウェーデンと比べましても五、六倍になるでしょう。だから、倍以上の面は、年齢構成では説明できない。そこはやはりナショナルミニマムの保障という考えがないからだ。これを早急にやるということは、きわめて緊急的に必要であろうと思います。
  45. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 ちょっと私の質問のしかたが悪かったのですが、スウェーデンやイギリスは、現行制度ができたのはどのくらいの国民所得のときですかというのが一つ。  時間がありませんから、もう一点新しく加えまして、先生、キャバレーやその他の職場と、福祉産業、要するに社会施設等につとめるところの職場、すなわち労働者のいわば配分といいますか、これは先生、雇用税のようなのが想定されるわけですか。そういう享楽産業の場合には雇用税をかけろ、こういうことが前提なんですか。この二点……。
  46. 丸尾直美

    ○丸尾公述人 どれくらいの所得水準のときどうなったかというのは、物価水準があまりに違いますから、それほど意味がないと思いますけれども、ナショナルミニマムを保障するという制度がスウェーデンで導入されたのは一九五〇年代ですね。イギリスはもう少し早くて、ビバリッジのときですから四十七年ぐらいですか。それからナショナルミニマムの上にさらに上積みしていくという制度が導入されましたのが、スウェーデンでは一九六〇年です。そして、さらに最近では、その最低基礎年金に加え上積みをして、さらにその上にまた一割ぐらい、企業レベルの年金を全国的にやるということになって、だんだん発達してきたわけです。  それから、雇用税でやるか、あるいはほかの方式も考えられるでしょうけれども、雇用税というのは、イギリスの経験からいいますと、非常にやっかいなものでありますね。ですから、理論的には雇用税が非常にいいと思いますけれども、便宜的には産業別に売り上げ税とか、あるいは物品税とか、あるいは法人税とか、どの方式がいいかについては、もう少し技術的に検討をしてみる必要があると思います。  一般的に言って、生活の質を考える場合には、もう少し傾斜が必要であると私は考えるのです。たとえば、芸術とか、非常に文化的な価値のあることに関しては思い切って補助をする。他方、社会的に国民があまり発展させるのは好ましくないという産業に関しては、かなり重い税をかけていくという、そういう思い切った傾斜をしていくということが、生活の質を高めるような方向への税政策のあり方ではなかろうかと思います。
  47. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 ありがとうございました。
  48. 井原岸高

    井原委員長代理 増本一彦君。
  49. 増本一彦

    増本委員 丸尾先生に一点だけお伺いしたいと思うのです。  日本では、憲法二十五条がちゃんとあるのに、ナショナルミニマムもしっかりしてない。そういう面と同時に、現在の異常なインフレーションのもとで、見せかけの福祉自身が完全に破産してしまっている。こういう点考えますと、今日の福祉政策を前進させていく上でも、現に進行している深刻なインフレーションを、やはり押えていく手だてを十分にとっていくということが、何といっても大前提だし、出発点である。そして福祉政策の中でも、そこの面の十分な配慮というものが必要であるというように思うわけですが、今日のこの事態の中で、先生のおっしゃる福祉政策を前進させていく上で、いま当面のインフレーションを押えていく手だてについて、どのようにお考えになっておられるか、物価対策としてどのような手だてをいま現に必要としているのか、御所見をいただければ幸いだと思うのです。
  50. 丸尾直美

    ○丸尾公述人 いまのインフレーションにつきましては、すでに大体の定説的なものは、一部はあると思います。前からの累積した過剰流動性に対する対策がおくれたこと、それから昨年に、そのことがわかっていながら、むしろ需要を大幅に拡大する政策をとってそれを加速化したということ、それにいろんな便乗値上げインフレマインドに促されて便乗値上げが行なわれたり、さらに石油危機で悪化したというのが、一番常識的な見方であろうと思いますけれども、その初めの二つ金融政策財政政策に対しては、ある程度対策は打たれたわけです。  ですから、あと非常に重要なのは、やはり先ほど言いましたような便乗値上げとか買い占めとか等々による、本来の需給関係以上に物価が上がることを監視するため、先ほど言いましたオンブツマンに関しましては、これは一種の機構ですけれども、そういう制度をがっちりと固めるということ、公正取引委員会はありますけれども、それを補完する意味でそういうのをつくるということが、一つは重要であろうと思います。  それから、先ほど言いました備蓄政策は、生鮮食料とかその他筆につきましても、ある程度やれるわけです。そういう公的備蓄政策、これは確かに経済的には、それ自体では採算が合わないようにも短期的には見えますけれども、長期的には非常に有効な政策であり、場合によっては、不況で値段が下がり過ぎるときはそれを備蓄するわけですから、公的な備蓄ということに思い切って政策的な手段をとるということは、一つの対策になると思います。  それから、先ほど言いました景気変動の波の急上昇、急降下を阻止する、そして安定の軌道路線を堅持するということ、これが長期的には最も基本的であろうと思います。  いまのところ、そういうことと、それから、私が大体申し上げてはいるわけですが、超過利潤、あるいは資本利得に対する規制とか、そういうものをまずやる。それから、分配の面とか社会的アンバランスを非常に規制する政府の姿勢を見せることによって、ある程度労働側にも節度を求めるということが将来は必要になるのでしょうけれども、今回の場合には、すでに節度を求めるには時期がおそ過ぎる。政策がそれだけ打たれていない。ですから来年度は、すでに、げたといいますか、物価水準自体が去年に比べて上がっていますから、物価上昇率は、いろいろな点から見ましておそらく昨年度並み、一四、五%ぐらいになる可能性は十分あると思います。ですから、この一四、五%というのを政府が一〇%以内、九・六%ぐらいに押えるというのは、正直言って非常にむずかしいと思います。物価対策は、むしろことしから制度をつくって十分準備して、そして、とにかくことしは、去年より数%下げることができればかなり評価していいのじゃないかと思いますが、再来年へと、だんだん下げていってやっていくより道がないのじゃないか。非常に悲観的ですけれども、物価に関しては、すでに、げたといいますか、上がっちゃっているわけですから、それを暴落さして下げるというのは、非常に社会的混乱を招きますから、私は、すばらしい名案、ことしの物価上昇率の五%か六%、これをもとの数字に戻しますということは、正直言ってできないと思います。これは月平均上昇率ですよ。年間を通しての平均上昇率はそれぐらいにおさめることは十分できると思います。だから、それを一生懸命やるということ、いま言いましたようなことをやるということが、やはり基本ではなかろうかと思います。
  51. 増本一彦

    増本委員 時間ですので、終わります。
  52. 井原岸高

    井原委員長代理 林百郎君。
  53. 林百郎

    ○林(百)委員 私も、丸尾先生に三点ほど御質問申し上げたいと思います。  先生のおっしゃられました資本利得、それから超過利潤の吸収に対して超過利潤税をかけるというお話、先生はキャピタルゲインと言われましたが、この資本利得ということの概念ですね。資本は、当然利潤が予想されて資本というものがあるわけなんです。しかし、先生が言われているのは、今日のこの異常な事態だと思いますが、先生が規制しなければならないとお考えになる資本利得というのは、どういう事態で、どういうものを言うのかということですね。  それから超過利潤税で超過利潤を吸収するということ、これはわかりますが、しかし、資本が集中して、寡占が進めば進むほど、そこから超過利潤が発生してくるわけなんですけれども、それを押えるということは全く当然のことだと思いますが、その超過利潤というのをどの程度のところを、たとえばどの程度の資本の集中で、あるいは年間の利潤が資本に対してどのくらいのものを、われわれは税として吸収すべきではないかというような、もし具体的なお考えがありましたら御説明願いたいし、もし、それは非常に政治的なスタビリティーのある問題だから、それは具体的にはまた政策的に考えられてしかるべきだということになれば、これはまたわれわれ考えなければならない。むしろわれわれの責任の問題になると思います。もしおわかりでしたら、その点を御説明願いたいと思います。  それから先ほど、うちの増本議員も聞かれましたけれども、先生の安定の問題、半自動的な装置というのはわかりますけれども先生も言われていますように、日本の国の経済状態が、生産が上昇したときも生産がダウンしたときも、いずれのときもインフレーションが発生してくるんだ、こういうお話があったわけですね。そうすると、何か体制的なものの中にインフレーション政策があるのではないか。要するにはっきり言えば、経済の高度成長政策というか、いままでの自民党の政策の中にインフレーション政策というものが織り込まれているのではないかということも考えられるわけですが、そこまで先生はおっしゃらなかったし、あるいは私と先生の考えの相違かもしれません。インフレによって実質的な賃金を切り下げる、あるいは独占の超過利潤をそこから発生させるということも出てくるわけなんですが、インフレを前提としての安定の問題が、いまのこういう事態には最も必要な施策ですけれども、もっと根本的に、先生は、生産が上がったときにも下がったときにもインフレーションが生ずるという日本の特殊な経済現象ということを説明されましたが、これは何か体制的なものの中にそういうものがあるなら、それを剔抉して直さしていかなければいけないと思うのですが、その点はどういうお考えなのか。  それからもう一つ、大体の概念はわかるのですが、福祉産業をもっと発展させる必要があるのではないかという、この福祉産業という概念ですが、これはどういうものなのか、また、どういう概念に対して福祉産業という概念が考えられるのか、この点、御説明願いたいと思います。
  54. 丸尾直美

    ○丸尾公述人 資本利得といいますのは、経済学的にいいますと、要するに、要素所得の分配国民所得に入っていない所得なんです。そして資産価値の値上がりによって得られる利得ですね。   〔井原委員長代理退席、櫻内委員長代理着席〕 ですから、いわゆる経常的な利益とは違うわけですね。本来の生産活動によって得られる利益ではなくて、要するに土地を持っている、あるいは株をいま企業が持ち合いをやっていますね、その株を持っている、あるいは自分の株もある、そういうものが値上がりによってそこに利得が発生します。一億の土地が税を別にして二億で売れれば、一億利得になる。これは資本利得です。そういう純粋な資産の値上がりによる利得であって、場合によっては、おそらくその辺は御承知のとおりで、境界線的なものがあるわけですが、たとえば商品なんかは一種のストックです。資産みたいなものです。これをずっと持っていたら、それが値上がりしちゃってもうかっちゃった。その辺のところは、資本利得的性格があるわけですね。ですから、これを資本利得税でやるか、あるいは超過利潤税でやるかという問題になるのですけれども、そこはやはり境界線を引いて、資本利得は土地と株式ぐらいに限ってもいいと思うのです。そしてゴルフの会員権とか在庫、そういうものは別にしてい特に重点は土地と株式に対してやる。  それから、超過利潤税というのは、資本利得ではなくて企業の純利益率ですね。分子と分母を何に置くかということが非常に問題でしょう。ほんとうにごまかしとかなんとか、そういうものがなければ、理論的には資本金純利益率か自己資本純利益率を基準にする。そして三年間とか十年間とか、どっちかの平均を選ぶとか、そういうことにする。場合によっては、短くとれば、ある会社なんかのように、三年間、公害問題か何かでいろいろなことがあったりして利益が非常に低かった、そういうのを基準にすると困っちゃうところがありますから、そういうところは最低基準をつくっておいて、ある資本利益率以下になった場合には、たとえ三年間の平均に比べて、かなり多くてもそれはかからない。だから、最低基準をつくれば、技術的に解決できる問題ですね。  そこで、最低が何かということになりますけれども、やはり利益の収益性体系ともいうべきものがあるわけですね。危険度と期間によってきまってくる収益性体系があるわけです。ですから、非常に安定度が高いものほど収益性は低いということになってくる。それを考慮に入れて、やはり全国銀行貸し出し平均利子率というのは最低の最低ですよね。それに危険度を織り込んで一つの試案をつくっていくということは、私は技術的に十分可能であると思います。可能でないのは、それについての合意を得るということであって、論理的に合理的なものをつくるということは、私は十分可能であると思います。ですから、技術的にできないということではなくて、多少欠陥があっても、何とか制度を出発させる、そして、それは臨時的なもので、将来修正して改善するということですね。ぜひとも発足さしていただきたいと思うわけです。  それから、超過需要になっても不況になってもインフレになる、これは日本だけではなくて、先進資本主義国すべてそうなってきています。ですから、不況期にかえって物価が上がるということがあり得ますね。日本でも昭和三十七年、昭和四十年、昭和四十五年、いずれも不況のとき物価上昇は非常に大きかったわけです。そして他方、瞬間経済成長率が一五%にもなれば、当然需要インフレ物価は上がります。なぜそうなるかというと、一つには、いろいろな説がありますけれども、寡占というものが一つ組み込まれてしまった。だから、どんなときであっても値段を下げないんだということが一つあります。他方、賃上げ率あるいは賃上げ水準、少なくとも賃上げ額に関しては下方硬直的になっている。これは事実として否定できないと思いますね。そういうことがありますから、生産性の伸びがぐうっと下がっても、そっちのほうは下がりませんからね。それから大企業は、寡占力があると同時に、非常にたくさん資本をも使っていますし、その固定コストもありますからね。その寡占力と固定コストが一緒になってなかなか値段を下げないし、かえって不況期のほうが売り上げ高当たりのコストは高くなる。それが転嫁されるわけです。これを体制的なものというかどうかはいろいろな見方があるんでしょうけれども、寡占体制的になっているからそうなっているということが言えると思うのです。  それから、労働側に関しては、やはり分配の不公正が非常に顕著であると思う限り、賃上げは青天井ですよ。幾ら上げても上げ過ぎることはないですね。この不満感を是正するような措置を少しずつとっていく、それによって賃上げに節度を持たしてやっていく、それをやっていくうちに、制度自体がより平等なものになっていくということになるんじゃなかろうかと思います。ですから、体制的な欠陥ではありますけれども、そうして是正を先手を打ってやっていけば、体制自体が改善されていく、よりよくなっていくということになるんじゃないかと思います。それを期待するわけです。  それから、福祉産業と言いましたのは、これは一種の比喩的に申し上げたのであって、狭くは、いまの社会福祉関係の事業ですね。それから公的なヘルパー、ケースワーカーその他のソーシャルワーカーですね。そういった人々の比重というのは、日本の場合非常に低いわけです。特に福祉社会といわれる国に比べまして非常に低い。もしスウェーデンやイギリス並みにそこに労働力を配分するとしますと、百万ぐらいの労働力が直ちに必要になってくる。これは一つは、日本は老人がまだ少ないということもありますけれども、それと同時に、やはりそういうところに労働力を配分していない。他方、キャバレーとか、そういったものの発展は世界最高ですよね。ですから、その辺の配分を今度変えていくということになると、福祉部門は成長部門だということになる。政府がそこに力を入れればですね、国民もそれを望むようになるでしょうし、それから人口の老齢化が進むでしょうし、そういうことを考えますと、そういう福祉産業というのは発展産業だ。もう少し福祉の産業といいますか、部門を拡大すると、福祉雇用ですね、身障者でも高齢者でもやりがいある仕事をやれるようにする。そのためには、かなり金をかけて職業訓練をしたり、職を与えたりしなければならないですね。そういうことがあります。それから、さらにもっと拡大すると、自然保全のための施設とか、そういったようなものも入ってくるでしょう。そういうような部門というのは、これからの発展産業であるし、そうあるべきである。政府がそういうところに思い切って金を使っていけば、やはりそういうところは発展していくわけですね。金が導入されなければ発展しないし、労働力も配分されない、それを誘導していくのは、政府財政予算だということになると思います。
  55. 林百郎

    ○林(百)委員 それで大体わかりました。  超過利潤税については、わが党も臨時超過利潤税を徴収するようにという具体的な対策もあるわけです。この際、私のほうの党としては、これは、やはり大企業に集中的に超過利潤が出てくるわけですし、そこから徴収する必要があるんじゃないか、したがって、資本金は通常十億以上の企業にして、あるいは資本金十億でなくても、年間の経常利益が五億なら五億以上ですね、そういうものに対しては累進的にかけていく、こういうようなことも考えているわけですが、やはり一定の大企業、そして、かりに資本金が大企業のカテゴリーに入らなくても、先生のおっしゃる通常の利潤率よりはなはだしく超過しているようなものには徴収するのだという、そういうことで、やはり中小企業と区別して——もちろん中小企業が超過利潤税をかけられるような利益を生み出すようなことはないと思いますが、そういう一定の限界を設ける必要があるんじゃないかというように思われます。これはもうわかりました。  結局、インフレーション問題ですね。安定問題と半自動的な装置をする立法を考えるべきじゃないか。これは、高度に発達した資本主義国ならば、生産が上がり、あるいは生産が下がる、あるいは不況下におけるインフレということもあり得るので、日本だけの特殊な状態じゃない。要するに、寡占が進んでおる発達した資本主義国には、どこでもある現象であって、そこから根源が出ておるのだ。それに対して対策を強めていくことによって、また寡占に対する民主的な規制もできるのだ、こういうことなんですね。そうすると、最初の超過利潤について、一定の何かワクが必要ではなかろうかということについてはいかがでしょうか。
  56. 丸尾直美

    ○丸尾公述人 先ほど申しましたように、中小企業と大企業では、一つは安定度というのが違うと思いますね。ですから、大企業ほど安定性が高いのだから、超過利潤となるべき時点の利益率というのは、相対的に低いであろうということが考えられます。それから日本の場合には、特殊事象としまして、中小企業がいろいろな点で不利な面もあるというようなことも考えられますし、それから行政上、大企業のほうが、数が少なくてやりやすいということもありますから、大企業を中心にやる。大企業の社会的責任が大きいということを考えますと、私は、最小限だったらそれでいいと思います。それから二段階にやるとしたら——差があるということは、安定度が違います。危険度が違う場合には、若干収益性が高くなるということもあり得る、落ちることもあり得るわけですから、そこで格差があるということは、合理的に納得できるであろうと思います。
  57. 林百郎

    ○林(百)委員 けっこうです。
  58. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長代理 丸尾公述人には、長時間にわたり貴重な御意見をありがとうございました。  湯山勇君。
  59. 湯山勇

    ○湯山委員 私は、青木公述人にお尋ねいたします。  先ほどは、たいへん該博な御識見を御披露いただきまして、われわれに対する御叱正も含めていろいろ御公述いただきまして、たいへん感謝しております。非常に広範囲にわたられましたので、お聞きしたいことはたくさんあるのですけれども、時間的な余裕もございませんので、しぼってお尋ねいたしたいと思います。  なお、御公述の中に、たとえば通信教育について、ずいぶん議員たくさんおるのに、一向取り上げないじゃないかというようなおことばもございましたが、実は通信教育につきましては、私どもも非常に大事だと思いまして、いろいろやってまいりました。しかし、いま制度の上ではありますけれども、国立の通信教育施設というものがないんです。こういうことは非常に遺憾なことであって、現在、大学の場合は、全部私学に寄っかかっているということなので、私学はかってにやめられますから、それじゃ通信教育という制度がなくなるというので、いろいろこの問題も取り上げておりますが、一番大きい障害は、通信教育にはどうしてもスクーリングが必要でございます。年間一カ月というスクーリングが、いまの制度では、大体年間有給休暇二十日というものが公務員その他慣例になっておりまして、そのスクーリングをどうとるかというようなことについても、いろいろ文部省なり労働省から各企業お願いもするというようなことでやっておりまして、おっしゃるように、そういう制度は、早くもっと充実しなければならないということでやっておるということの御理解もいただきたい。  それから、違憲判決につきまして、これは新学説でございますか、御意見の御開陳がございました。まあ、これはほんとうをいえば、ここでいろいろお聞きしたい点が多いんですけれども、おっしゃるような御意見もありますけれども、私の知っておるのでは、中学の教師ですけれども、これはもう中学一年の生徒に、憲法の中にあるというのはほとんど知らなかったそうですが、これについて、あの文を国語の問題として、日本は軍隊持ってもいいか、国を守るためなら持ってもいいか、あるいは持ってはいけないかというようなことでマルをつけろというのをやったそうですが、国語が正しく読める子供は、みんなやはり持っちゃいかぬというところへマルをつけておったというようなこともありまして、まあこれは、そういうことがあったということだけにとどめます。  石油の危機というのについて、早くからわかっていながら、日本政府のとった対策というものは、非常にどろなわ式であったというようなこともございました。また、公共事業抑制、あるいはこの予算全体について、総論には賛成だが、各論には問題があるというようなこともございましたので、実は今回お見えいただく公述人の方々で、今度の公共事業抑制ということについて、どなたかから御意見をお聞きできるだろうかと思って期待もしておりましたし、また公述人の現在の役職が、こういう本州四国連絡橋公団の審議役というお役目でございますから、あるいはこの本四連絡橋公団の、先ほどお話しになった諌争役と言われましたですか、公団の諌争役のようなお役目じゃないだろうか。  そこで、この公共事業抑制のしかた、それからアクセントの置き方、こういうことについてお聞きもしたいし、また今度の公共事業抑制というのが、先ほどありましたように、十二月に大綱がきまって、急に押しつけてきたというようなことからずいぶんごたごたもした。これも、さっき非常に興味深くお話しくださいましたので、ついでに、私のほうもそういうことで申し上げます。  たとえば昨年末に、この本四連絡橋の着工式をやるというので、初めは田中総理が見えるということでしたが、総理は見えない。建設大臣が見えるといっていたのが、建設大臣も見えない。三木副総理が見えるというようなことで、地元ではアーチもつくったり、それのタオルもこしらえたり、それから専売公社はたばこも、たしかつくっておったはずです。ところが、それが中止になったのでたいへんだったというような、さっきのお話じゃないが、ほんとうにどろなわ式のがございましたので、これらに対しての対応のしかたというものは、相当公団のほうでもむずかしかったのじゃないか。これは単に公述人の公団だけじゃなくて、事業の繰り延べ、抑制というものが、こういう公団関係全体、それにそんなような動揺を与えたのじゃないか。それに対してどう対処していかれるか。一体、このインフレの中で、公団の予算も大体昨年並み程度とすれば、事業量はどの程度に下がるか。二〇%下がるか三〇%下がるか、相当事業量が下がるのじゃないか。そうすると、従来の計画をどうやっていくか、それに対してどういう対処をなされるか、こういうことをお尋ねいたしたい。それがおもな点でございます。  なお、それと関連して、私ども社会党は、実は四十八年度予算のときに、もうすでにインフレ傾向がありましたから、むしろ四十八年度予算段階で総需要抑制ということをやるべきではないかということを政府のほうへは申してまいりましたが、残念ながら四十八年度は、ああいう調子で、むしろ刺激型の大型予算になったわけですけれども、今度抑制するにしても、抑制するのには、それぞれポイントがあるのじゃないか。  その一つとして、つい先日、私は、これももう公述人はよくおわかりでしょうが、何といっても、今世紀末の重要課題は、食糧の問題だということをいわれておりますが、いま食糧生産の基盤整備は、ほとんど昨年並みです、予算は。そういうことでは、いかにも先見の明に欠けるではないかということを、私もここで取り上げたりいたしました。そうすると、総需要を押えるとすれば、一律にというか——まあふえた分もありますけれども、それらも結局、財投一四・四のワク内ですからたいしたことありません。二〇%程度の伸びというのは、結局、実質事業量からいえば、やはり後退だということになりますが、そういう中でも伸ばさなければならないものがきっとあるはずです。無理してでも伸ばさなければならないものがある。とすれば、それはどういう点か。さっき国鉄で中速の列車をたくさんつくるとかいうようなことや、軌道を再認識せよというような、確かに肯綮に値する御意見もございましたが、大きいワク全体から見て、一体どういう公共事業にポイントを置くべきかというような点について、もしお考えがあれば伺いたいと思います。
  60. 青木慶一

    ○青木公述人 先ほどは、とにかくまとまったことだけ言ってしまおうと思ってまくし立てた勢いで、まことにお聞き苦しかったかと存じまして、どうも恐縮であります。おわび申し上げます。木曽川下りか球磨川下りで、少しよどみに入ったような調子でゆっくり——ゆっくりじゃありませんけれども、もう少し調子を下げますが、お時間も大事ですから、順にやります。  最初の大学通信教育の問題ですが……(湯山委員「もうそのほうはけっこうです」と呼ぶ)そうですか。私は、簡単に言いますと、法律でやってしまえというのです。湯山先生がおっしゃるように、官立でやらないなら、供手とか袖手傍観していてやらない。やらないんなら思い切って、議員が学校教育法の一部を改正する法律案というので、さっきの五十四条の二を直してしまえば、それで済むのじゃないかということです。日本全国の大学が、いまアベレージ七千人の通信教育の学生を引き受けますと、大学の義務教育が成立するのです。そうなると、どろぼうも巡査も波止場人夫も全部大学出になるんです。そういうこともやれますから、待っていてああだこうだ言うよりかは、法律でやってしまえというのが、私の議論ですから……。  それから、前文についても、簡単に申し上げますと、あのころ、芦田均さんにも、私は新聞記者だから伺いましたけれども、集まった人全員が、自然自然に十五年間の戦争でクラウゼヴィッツの「戦争論」を読んでおったのです。野坂参三さんも読んでおったのです、みんな。その概念で、あれは内閣戦争で、さっきるる申し上げましたが、ああいう中世期の封建諸侯のような寝耳に水の戦争を、今後は、こういう委員会があって、政府の行動を監視して防止するぞということがテーゼであるということで、二十何年たってしまいますと、戦争の話をしなければ平和が来るのだというような、病気の話をしないでいるとじょうぶになるのだというような、そういう考えになるものですから、つい遠ざかりますが、あのころ憲法の関係で集まった方は、全部戦争進化論を、あのとおりに解釈して、まさか、あの前文の中に、ドイツの将軍フォン・クラウゼヴィッツの言うとおりなんて書きませんけれども、そういう意味でありますので、どこの中学校の先生がそういう試験をしたか知りませんけれども、言って聞かせば、子供はあそこに点を打ってはいかぬのだなということはわかるのでありまして、あそこへすぽんとかってに句読点を打つもの、だから、そういう解釈が成立するから、そこのところは、ちょっと意見が違うということだけで、きょうは平行線で前進していけばよろしいと思います。  石油についても、よろしいということにして、私は、確かに本州四国連絡橋公団につとめていますが、何というか、さっき日本の病気を診断するへぼ医者だというような意味で、私は個人というような比重が強くて本日ここへ出されたものでありまして、本州四国連絡橋そのものは、これは総裁もおれば副総裁もおる、建設委員会もあれば、運輸委員会もあるということで、それは建設大臣も運輸大臣もおられるところで、私が特にここでまかり出て何か説明するという意味じゃありませんが、十一月二十五日の着工式、これは予定しておりました。確かに仰せのとおり、何かだいぶ記念品なんかをおつくりになったそうです、地元では。湯のみ茶わんをつくるとか、花火なんかも、このくらいでいま五万円ぐらいするらしいが、やったそうです。それが廃止ではなく、延期になった。これは政府御当局の意思決定で、デシジョンメーキングがあるべきものとして、公団は負け惜しみや何かで言うのではなくて、おや、という程度のことで、全般の景気動向はわかっておるのですから、決して動揺もいたしておりません。  ただ、湯山先生は、それが展開されて公共事業全体がどうだろうということになりますと、これは一々尋ねてみないとわかりませんけれども、たとえば資材がどんどん値上がりしていく状態があるのに、手付工事、契約は済んだけれども、待てと言われても困ると思うのです。それからまた卑近な話、セメントなんぞは、いきなり、何にも客がいないのにキルンを回したって固まってしまうから、お客がいるというところで工事量を見計らって、秩父でも宇部でもキルンを回すのですから、これは、やはり流れ作業でいかないと困るので、そういう点でやはり困ると思いますね。その点、どうするかということは、ここで簡単には申し上げられませんけれども、鉱工業生産が一%しか伸びないということですね、さっきの予算は。一・〇%というのは、ずいぶんふるった、はじき出したものですけれども、ああいうふうに縮小して何か相当な効果があるだろう。劇薬を飲ませて、一ぺんに下剤をかけたというような調子にして、それから三分がゆか何か、おかゆを食わせてやっていくということらしい、この予算は。ここで、早く帰りたいからとおっしゃったさっきの先生、丸尾先生、あの先生は、そうじゃなくて、じりじり物価が下がるほうがよろしいとおっしゃるけれども、それは御意見であって、あの予算案そのもののイデオロギーというか、出されたものは、この際、非常に高熱を発しているんだから、三日や四日は昏睡状態になるようなやつを打っちゃえというので、よく南方軍で悪い性病、淋病なんかをしょってきた兵隊に、わざとマラリアを入れて、マラリア療法でもって淋菌がみんな死んでしまうというようなことをやった軍医がいるのですが、そういうような療法だと思って、長い歴史のうちには、こういうやり方もあるのではないかと思うので、湯山先生のおっしゃることは、ちょうど丸尾先生が言ったみたいなふうに下がってくれればいいけれども、案外ドカ貧のようになって、資材も人手も下がるのなら、その時点において工事を始めようと、また、かえって去年の暮れのような、日一日とは上がらないけれども、こう上がっては困るといって、マンションなんか建ち腐れるのがずいぶんありましたが、あれよりかは、かえって気を取り直して、かくてはならじという気が起きてきて、何らかの効果が出るのであろうか、私もそう見ております。  公共事業は、まずマスコミ関係で散見するところによれば、六カ月くらいでと言っておりますが、六カ月といったら、やはり四月−六月、物価が安定の徴候を見せてきたころということになるのでしょうが、それも、やはり傾斜方式で、どんなものでも公共事業を片っ端から一斉に休んでおいといて、一斉に始めっと言うわけにもいかぬと思うのです。ですから、私は、やはり四千億円くらい投入しておるような国鉄の在来線なんかやらなくては、短期的にも長期的にもまずいというふうに、非常な——私は、国鉄ばかりに話をもっていくのではなくて、私が考えているような経営をしてくれれば、私の予言も当たるということはないのですが、それが、まるで脱線した経営をしているものですから、だから、はなはだ困ったものだなという批判を持っておるのでありまして、公共事業とか農業の基盤整備については、私は、農林の方面の専門家じゃありませんけれども、そうあわてるほどのことはないという議論も出てきておりますね。豪州大陸なんかも五億人くらいは楽に入れるというのです。アフリカなんかは、いまの地球の人口全部がアフリカ大陸に入っても、楽にやっていけるということを言う議論もあるのであって、あれは国連の食糧機構の公式表明ではありませんので、学者が売名的にいろいろなことを言いますから、だから、一々それを取り上げるわけにいきませんけれども、とにかく、早急に食糧問題が、まるで平安朝の、枯骨が加茂川原に散乱しておったなんという時期のようには、そこまではちょっとまだほど遠いかと思うのです。  御心配の点は、総合経済的な意味からよくわかります。それは、いまのインフレーションというのは、さきへ戻しますと、やはりデューセンベリーがこう言っているとか、ガルブレースがこう言っているとか、それは学理的には、田中内閣総理大臣がそのくらいなことはと言いますが、そのくらいなことは大体みんな知っているのです。ここで経済原論みたいなことを言ったってしようがないのですが、どうもそうじゃない、何か日本的な別な原因があるのだろう。  私、百貨店のたたき上げの役員に聞いてみると、百貨店がこむときは物価が上がるそうです。なぜ物価が上がるかと申しますと、こんでくるときの客は、早く買いたい心理で飛び込んでくるから、比較的高いものを最前列に出すのだ、高いものを第一に出せば、高いものをつかんで、客は帰っていく、だから、物価は自然に上がるのですよ。ところが、わが国の政治では、社会党の先生方も、そのほか野党の先生方も、自由民主党の先生方も、この点は共通して、百貨店は小売り店をいじめるというイデオロギーを持っているのです。だから、百貨店法でもってうんといじめておこうというので、百貨店が、池田内閣が経済成長計画に取っかかるときに二百五十店しかなかったものが、いまでも実際二百五十しかないのです。国民所得が倍増になれば、百貨店は五百になっても八百になってもかまわないのですよ。だから、アメリカあたりは、たたき上げの小学校しか出ない、中学校しか出ない百貨店王というのがおりますけれども、日本ではみんなりっぱなゼントルマンが、たいてい官僚の天下りか何かでずっと並んでいないと、百貨店は面積の増設もできない。百貨店が大混雑を呈していることも、やはり物価が上がるのだと思う。これは私、ちゃちな著述を数冊出したことがあるのですが、その中に、これを十年ぐらい前から分析しまして、世界じゅうの経済学者はそう言っていないけれども、私は、ある意味では、これはどうも混雑インフレーションだと思うのです。だから、物価は上がってみんな苦しい、これはクラウドインフレーションだ。テキサス大学のある教授にこれを話したら、彼は、政治学の教授だけれども、そう言っては悪いが、ここで自慢するのもおかしいけれども、感心しておりましたよ、非常におもしろい理論だと言ってね。  どうも、北欧諸国の物価が安定して社会保障がいいといったって、一般に混雑していないですよ。混雑している国というのは、必ず物価が上がって生活が苦しい。日本の混雑状態というのは、にぎやかでいいなんていうから、後進国の、最低後進国状態なんですよ。何かもちをまいたり、ミカンをまいたり、豆をまいたりして、わいわいわいわいやる。ああいう地面にはいつくばって、ミカンなんかのきたないものを拾うなんていうことは、法律か何かでやめたらいいと思うのです。あれをやらせるものだから、非常に物価が上がるということですね。  こういう、ある項目に限っては、非常に金持ちになっているという認識でもってやらせてある、ある項目に限っては、非常に貧しいという方式でやらせてある。相続税なんかは、いまは、もう売らなくては実際払えない。それは、もうみんな困っております。これなんかも何とかしなくてはならない。おとうさんが死んで、相続税を払うために、兄弟三人、男の子が集まって、みんな払えないから、その家を小さく三つに切って、それを売り払った金でもって相続税を払って、みんな深編みがさでもって、さらば、さらばということで、一家離散をするということをやっている。こういうことがありますので、政治を、もう少し物理的に分解しませんと、お互い政治家と評論家と学者とぶつかって、いつまでたっても、福田徳三ではないが、経済原論ばかりやっておったりするものだから、ほんとうに八公、熊公はどうなっているかということがどこかへいっちゃったんですね。そのほうの物理的な取り扱いが、ほんとうは政治なんですよ。徳川時代にも北町奉行所、南町奉行所があって、若年寄がいてやったのですからね。こうなってしまっては、国民との距離が与野党ともに離れてしまうので、こういうことをお考えになってもらわぬと困るのです。  各項目別に、ちょっとお答え申し上げましたけれども、公共事業というのも、いつこれのフローズンを解くかということは、これは、やはり田中内閣総理大臣、福田大蔵大臣あたり、それにこの部屋の中でいろいろ御質疑がありまして、何かよい答えが出てくると思うので、拙者ごときは、本四公団のまだまだ上役ずらりときら星のごとく並んでいるところでもって、意見はちょっと申し上げられません。  そういうことでございます。
  61. 湯山勇

    ○湯山委員 終わります。
  62. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長代理 青木公述人には、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  次回は、明十五日午前十時より公聴会を開会いたします。  本日は、これにて散会します。    午後三時五十六分散会