○青木公述人
財政経済に関しまして、あまたの学識経験者がおられる中を、本日は、私ごときをお呼び出しになりまして、おかげをもって、平生いささか抱懐しております
意見をここに申し上げる機会を得ましたことは、私のきわめて欣快とするところでありまして、
予算委員会の皆さまに対し、深甚なる感謝と敬意の念を覚えるものでございます。
貴重な持ち時間でありますので、直ちに本論に入らせていただきますが、この
昭和四十九年度
予算は、昨年の十二月二十一日、閣議決定による
予算編成方針が確立されまして、当面する難局を打開し、
経済の正常化をすみやかに達成することをもって最大の課題となし、
政府は総力をあげて総
需要の
抑制をはかる必要があるという大方針のもとに、歳入歳出とも、十七兆九百九十四億円に圧縮し、前年度当初
予算に対し一九・七%、昨年十二月十四日に成立しました補正
予算を加えた後の前年度
予算に対しまして一二・〇%の増となり、国民総生産に対する比率を一三・〇%となるよう見込んでありまして、内外情勢の激変に即応して、昨年八月下旬以降、与党・
政府間の緊密な連絡のもとに案画中でありました高度
成長持続
予算の原形を、各部にわたって、完膚なきまでとは申しませんけれども、かなりあちこちに斧鉞を加えて、極度に圧縮した点は、御苦心のたまものとして、これを高く評価するところであります。
特に、総
需要抑制の見地から、
財政投融資計画について厳密にその
規模を
抑制して、総額七兆九千二百三十四億円とし、前年度計画の六兆九千二百四十八億円と比較しまして、増加額九千九百八十六億円、伸び率を一四・四%に押え込んだできばえは、福田
大蔵大臣の、いわゆる
物価政策における短期決戦方針を具現した転換構想のあらわれでありまして、国民生活の安定と社会福祉の充実に特段の配慮を払いつつ、
景気過熱をできる限り迅速に冷却せんとする
財政上の手配りと私は受けとめておりまして、数字上のまとめ上げにおいては、さすがな手腕であると感心するのにやぶさかではありませんが、軍事作戦上の用語といたしましては、古往今来、決戦と申しますのは短期があたりまえでありまして、長期の決戦というのはあまり聞いたことがありません。したがって、短期にやらねばならぬことはあたりまえであります。
孫子の兵法にいう、「兵は拙速を聞く、いまだ巧みの久しきを見ざるなり」と申しますのはこの謂でありまして、田中総理大臣は、
物価は四月から六月の候へかけて安定すると、公約的な談話もしくは答弁をされており、福田
大蔵大臣は、
物価はがらがらと音を立てて落ちるであろうと確約されております。がらがらというか、ざあっというか知りませんが……。
この際、
景気の過熱を冷却するのに急なるあまり、企業の倒産、新就職者の家庭待機、これはだいぶあちこちに起こっております、いわゆるレイオフ、失業の増加、勤労大衆の生計困難など、各種の副作用を生ずることは当然の成り行きでありますから、四十九年度
予算の実行にあたっては、社会不安から起こる人心の動揺を招かないように、
所得税の一般
減税一兆四千五百億円という空前の大
減税を
景気冷却作用の緩衝帯——何か緩衝帯がありませんと、こういう際には、冷える力が働く方面だけ極端に冷えてしまうということがありますので、いわゆるクッションとして、柔軟性のある
財政並びに税制上の運用を希望してやみません。
およそ、一方へ巻いてまるめ込んだ紙な平らにして平面状態に直しますには、幾たびか強く反対方向に巻き直しませんと平らにはなりません。西洋のことわざにも、「かんなをかければかんなくずが散る」という言い方がありますし、わが国でも古来、「良薬は口に苦し」と申しますが、この
予算は、本年の後半は確実でありますが、おそらく部分的には、お花見が済んで葉桜となり、晩春ごろから、国民に対し、かなりの苦痛を与えるものになると私は予想しております。
すなわち、この
予算によって
景気過熱の冷却作用が手ぎわよく進行すればするだけ、その次の段階は、
景気の冷やし過ぎを懸念しなければなりません。ちょうど焼きどうふをつくるときの反対のような手順でありまして、こういう際には、やはり、仏教のことばで申します大慈大悲という心がまえで、
財政当局は小さなことにも気を配っていただきたい。
わが国は、元来、
昭和三十五年秋の国民所得倍増計画以来、比較的、波はありましたが順調にやってきておりますから、国民の精神的な不準備があります。現在、五十歳以上六十歳ぐらいの人になりますと、あれほどの大戦争をくぐっておりますので、少しぐらい事が起きても騒ぎませんけれども、戦後に育って、そろそろ四十歳ぐらいから半ばになってくる勤労者の若いほうの半分あるいは六割ぐらいの人たちは、ただこういうふうに
経済成長するのはあたりまえだという、超完全雇用の世界に育っておりますので、わずかの冷やし方でも驚きますし、ことに、
景気の冷やし過ぎに対する国民生活の反応が、あるいは種々の論判を生むことになると思いますので、
財政当局の手腕を特に要望いたしたいと思います。この点、
予算についての数字上の手配りについては、賛成申し上げるものでございます。
本日の午前中の公述人お二方の御
意見を悉皆承っておりませんから、どういうことをお述べになったかわかりませんけれども、おそらく、お二方からるるその御卓見を述べられたのは
石油問題だと思います。私からは、重複を避けて詳細には申しませんが、この
予算で、資源エネルギーの安定確保が四本柱の一本になっておりますことは、
経済企画庁当局の説明で明らかであります。
わが国のエネルギー構造は、第一次エネルギーの全
供給量の中で
石油が七〇%を占めており、その
石油の輸入依存率は九九・七%でありまして、その中の八二%は中東方面から来る。しかも、そのOAPECの分が四〇%であります。だから、OAPECのごきげんをそこねますと、何べんでも
石油ショックがやってくるということになります。何べんでも押え込みされる。何べんでも頭にターバンを巻いた人を招いて、何かごちそう政策かなんかでもって、ひらにひらにとやらないと、ごきげんを結べないということになります。一度やって過ぎれば、これでいいということでは困るので、何べんやられてもだいじょうぶだというエネルギー政策を立てなければならないのに、この
予算は、あまりそこまで考えていない。
これに比較して、アメリカは
石油の割合が、第
一次エネルギーの中で四〇%であります。輸入分は二五%。彼らは、ガルフからも実はまだずいぶん出るらしいのだけれども、隠しておる。中東の分はわずか六%でありますから、
石油産出国の
石油戦略を食らっても、
日本に同情して、驚いたような顔をしているんです。しかし、そのわりに実は腹の中は驚いていない。むしろ
日本の腰の抜かし方を見て、ざまあ見やがれ、とは言わないけれども、何だ、あの
程度かなあと言って、ちょっと笑っている空気があるような文章が、ずいぶんジャーナリズムに出ております。
イギリスは、年間一億トンの石炭、を使っておる。しかも、デンマークの鼻っ先にあります北海油田を掘り当てましたから、これはことしの末、来年ぐらいから、どっくんどっくんと音を立てるかどうか知りませんけれども、出てきますので、たいして騒ぐほどのことはありません。
OECD諸国の
経済成長が、昨年度六・八%から一九七四年度四・二五%に低下するというのは、やはり
石油が来なくなったからで、いや、主ないだけじゃなく高くなったからでありまして、目下フランス系のやみ
石油が、あのアラビア一帯に非常な勢いで出回っておるというか、タンクに隠してあるのを、伝票のような書きつけで、船があちこちに回って積んでくるというようでありまして、やがてこのフランス系のやみ
石油の問題が大きくなると思いますが、これはわが国の
予算には直接関係——関係ないことはないけれども、
予算に対する公述としては余談でありますから、省きます。
大体、わが国以外の国は強気でありますが、去る一月九日に開かれましたOPECの会議で、昨年十二月二十三日にきめた一バーレル十一・六五一ドルの原油、これをどうするのか。下げたいと思うとか下げてもいいとかいうことを、ヤマニさんという
日本に五度目とか六度目とか来ているなかなか親日家の
石油大臣が申しておりますけれども、そうはいかない。今年四月一日まで据え置くというのでありますから、この高い
石油でいま
日本の工場は操業しており、一月下旬から入ってきておるバーレル当たり十一・六五一ドルの
石油で、いま末端製品ができております。こうなると、輸出
価格が上がってくる。それを引き受けるほうの開発途上国が苦しまぎれになってしまって、ドルがありませんので、エジプトまでが、産油国は利潤本位だと言って公然と非難しておる。これを受けてアメリカのニクソン大統領が提案したのが、目下ニュースがどんどん新聞社あたりへ入ってきますが、
石油消費国会議であって、これは御高承のとおりであります。
元来、
石油戦略は、いまになって騒ぐのは、私はおかしいと思うのです。昨年二月にソ連から、アラブは戦場における戦争だけではなく、世界の弱点を握っておる
石油を振り回して、
石油戦略をやるべきだという公開論文がどんどん出ておる。これは
日本にも翻訳されて出ておるのだけれども、わが国ではあまりこれに重きを置かなかった。第四次中東戦争が起きようが起きまいが、早晩今回の
石油ショックはやってきたのです。
その対応策を見ると、どうもどろなわ式の感を免れない。
昭和五十五年、一九八〇年度に、アメリカは
石油需要が十二億トンになる見込みだったのです。わが国は、これが六億トンの見込みであったのです。だから、アメリカと
日本と足して、今回の
石油ショックがなければ、
昭和五十五年には十八億トンの
石油をのみ込む必要があったのでありますが、この場合、OPECが輸出向けに出せるのは、日米だけじゃなくて世界じゅうに出せる
石油が、十二億トンしかないということがちゃんとわかっておったのでありますから、どこかこの辺で年度計画を立てて、エネルギーのコペルニクス的転換をするはずであったのでありますけれども、わが国がだいじょうぶだろう、だいじょうぶだろうというのでやってきたのが、こういうことになったのであります。
資源エネルギー庁の
予算には、総額五十七億九千万円を計上して、地下資源対策費として二十二億六千九百二十六万円を充当しております。これはまことにけっこうでありますけれども、地球全体の
石油の埋蔵量は、幾ら延ばしても今世紀をもって終わりになる
見通しは明らかであります。また、早く使ってしまえと申しましても、ジャンボジェット機を一千機同時に飛ばしますと、地球のまわりの酸素がなくなって、酸欠状態になって人類は死にます。だから、燃すことよりも、資源に使うことを考えないといけない状態になってきておるのです。わが国は、ここで意を決して、石炭政策へ転換する必要があると私は信じます。
わが国の石炭埋蔵量は約二百億トンで、かりにイギリス並みに一億トンを使っても二百年はもちます。二百年やっているうちには、地球上の生活は何とかなるであろう。むしろ、地球の国家を全部統一するなんというほうが早くなってくる。アメリカにおいても、モートンという内務長官が論文を発表しまして、アメリカは、石炭に転換すれば四百年持続できると言っておるのであります。アメリカは四百年、
日本は二百年、ツルカメ千年に比べれば短いけれども、この際、石炭をまじめになって掘る必要がある。
特に、海上自衛隊の艦艇などは、潜水艦や軽艦艇のほかは石炭だきで十分活動も作戦もできるのですから、ぐずぐずしないで石炭だきに切りかえる必要がある。海上保安庁の巡視船などは石炭だきでいいのであります。
国鉄につきましては、別に述べたいと思いますが、蒸気機関車をまるでやめてしまえということは愚の骨頂でありまして、災害や停電に関する予備として、金がかかってもいいし、採算が悪いことはわかっておるのでありますから、蒸気機関車の存続に関する法律案というような法律をつくって、この際、単独で動力を創成できる蒸気機関車を二千両くらいとっておかないと、いざという場合には、後悔のほぞをかむことになります。
しかも、わが国はうまいことに、年間六千億トンの雨水と雪解け水があるのでありますから、建設省の利水長期計画を見ますと、工業用水、農業用水に重点があるのでありますけれども、むしろこの雨水を動力に使うことも考えねばならぬし、動力に使ったからといって汚染するわけじゃないのですから、水力電源の開発、再興についてはもう少し熱意をもって、
昭和四十九年度からでもおやりになるのがあたりまえと思っておりますけれども、まあ、総論賛成で、各論には少し批判をしておきます。
現在の国民大衆を苦しめておりますのは、せんじ詰めますと、通勤と住宅と
物価と定年であります。この四つについて、国会の各
委員会、
予算委員会等の議事録を拝見しましても、何か高等なことを口にしていなくちゃ、どうもばかにされるというような空気がありまして、高等用語症という病気にかかっていまして、評論家でも議員でも、通勤と住宅と
物価と定年をきちんと質問した議事録を、いまだかつて見受けないのは非常におかしいと思います。
朝夕の通勤輸送は、乗客を砂利か、まきみたいに車内に押し込んで、都市化の進展に伴って次第に通勤距離が長くなって、勤労大衆の苦痛ば言語に絶するものがあります。これについて、マルクス主義者あたりの大学教授が質問も要望もしたことがない。苦しませておけば、革命エネルギーがうっせきするだろうというような考えであります。
いままで、自動車で走れとか自転車で走れとか申しておりますけれども、やはり一人の運転士が十両も十六両も引っぱって走る通勤電車が、一番いい解決であります。元来、人間を運ぶには〇・三五平方メートルあればよろしいのです。先生方のおいすは、たしかその寸法になっておりまして、〇・三五平方メートルで一人前は十分すわれるはずであります。相撲取りでもくればまた別でありますけれども。その〇・三五平方メートルで運べばよいものを、幅二メートル、長さ五メートルの乗用車で十平方メートルも使って道路で運ぶのですから……。タクシー、ハイヤーを使っても、平均一・七人しか運べないのです。こういうことをすれば、やがて困ってくるのはあたりまえであります。
元来、乗客の座席定員輸送を命ずる法律は、明治時代から制定されております。これは鉄道営業法第二十六条といいまして、明治三十三年三月十六日法律第六十五号でちゃんときめてある。乗客をしいて定員をこえ乗り込ましめておるときは二千円の罰金と書いてあるので、ほんとうならば、あれは、藤井元総裁も前の磯崎総裁も全部、毎日毎日二千円ずつ罰金を取られなくちゃならぬ。それというのは、明治三十九年に鉄道が国有になってから、この鉄道営業法の規則を無視してきたものですから、
経済成長期へ突入して、一ぺんにこの方面の物理的構造において致命的な弱点を露呈したものである、私はそう考えます。七十年間の勘定書が一ぺんにいま来ているということであります。
政府は、新幹線に非常な熱意を注ぎ、四十九年度国鉄工事費六千八百億円のうち、山陽新幹線一千三百五十四億円、東北新幹線一千二百億円、整備新幹線五十億円、在来線には四千百九十六億円を充てる予定でありますが、在来線工事費といっても、この中には車両費を含んでおって、その車両費の中には、新幹線の電車も含んでおるのであります。新幹線の福岡開通に要する新造電車も、この中に入っておる。
今年十二月に、岡山−福岡間の新幹線が開通することは御同慶の至りでありますが、福岡で一たんとめてしまいますと、実は交通政策上あまりうまみがない。あれはもう一歩進めて熊本まで延ばしますと、熊本空港は実は健軍から移すときに、国際空港規格にいっでも簡単に改造できるような仕事をしてあるのでありますから、東京−熊本間の新幹線と、熊本へ国際線が若干でも入りますと、連絡できることになるのであります。
それで、通勤輸送の解決はできないという人が多いが、私はできないことはないと思う。現在ある線路を急行、普通の並列四線に増強しますと、線路は二倍になるだけでありますけれども、実は、輸送力は四倍にもなるのであります。これがなかなかわからない。これを詳しく説明しておると、貴重な持ち時間、いま十二分ばかり使いましたが、どんどん食ってしまいますので、はなはだ残念ですけれども、要するに、線路を四本にすると、いま運んでいるものの四倍運べるんだということを、ほんとうなんだと考えてもらわぬと困るので、それはうそだというんじゃ困るので、ほんとうであることを私は十分説明できます。
鉄道関係の専門家なんていうのは実際あさはかなものだし、いないので困る。運輸省にも国鉄にもいない。——いやいや、差しさわりがあっては悪いけれども、この部屋の中という
意味じゃないです。国鉄、私鉄につとめている人の中で……。東京帝国大学でも鉄道の運転は教えません。経営とか土木は教えるが、運転は教えないから、運転がわからない人は鉄道がわからない。飛行機を飛ばせる話では、源田先生が一番えらいという。源田先生は、空将でもってジェットを運転できるからえらいのであって、運転ができない人には鉄道はほんとうはわからないのです。わからないけれども、わかったように取り扱っているだけの話なんで、現在ぎゅうぎゅう詰めで効率二八〇%、三〇〇%。夏なんか、薄い着物の若い婦人なんかのところへ若い男がくっついていって、あまりいいものではありません、このぎゅうぎゅう詰めば。これを四倍にすると、四で割りますから、七〇%から七五%になるので、これでもって通勤輸送は、この生き地獄の惨状は解決であります。
そのためにはどうしたらいいかというと、通勤輸送力の増強に関する緊急措置法という法律をつくれば、東京から二十四線が放射状に走っております。国鉄十線、私鉄十四線、これを全部四線化する。これはどのくらいかかるかと試算しますと、四カ年計画を二回、八年でできます。大体五年目か六年目で目鼻がつきます。費用は一兆円と見ますと、単年度平均一千二百五十億円ですから、これで永久的に解決してしまう。こんなことをこんなりっぱな国が、永久的に解決できないということのほうがおかしいので、解決できないと考えている頭がほんとうはおかしいのですから、こんなことは何でもないことであります。
上尾事件を見たって、通勤輸送という問題はすでに、ちょっと窮屈なのをがまんすればいいという問題ではないです。社会思想の問題になってくる。五万三千人の乗客が上尾の駅であれだけ騒ぎをしたけれども、幸いにして職業的なアジテーターがいなかったから済んだのです。五万三千人といえば、女も入っていますけれども、陸軍の兵力なら三個師団です。その兵力を巧みな扇動隊がいて扇動して、あれがわいわいあばれ回ったらたいへんなことになる。暴動革命の端緒になり得るエネルギーでありますから、通勤輸送ぐらいはもう解決しなければなりません。一千二百五十億円を単年度につぎ込むということは、ちょうど、先ほど申し述べましたこの東北新幹線や上越新幹線というのを、スローダウンすれば十分やれる仕事であります。
大体、新幹線は博多か熊本まで行けば黒字ですけれども、あとそれ以上延ばしても赤字です。私は断言する。東北だって盛岡まで、一生懸命乗れ乗れといって、小学生の修学旅行まで新幹線ぐらいにして無理に乗せてやっと黒字になるぐらいで、自由
経済にまかせておけば、建設費に見合うだけの旅客収入なんていうものは当分の間ありません。だから、この際、新幹線をスローダウンしても在来線を増強する必要がある。
住宅は、その快適な通勤鉄道の沿線に、人口十万人
程度の都市群を建設すれば、大体合計三万軒ぐらいを三十四、五都市として、関東平野の中だけでも百万軒は十分
供給できる。しかも一方、東京湾だけで、水深七メートルから十五メートルぐらいの埋め立てが、何でもないというところが三億坪あります。この坪というのは、失礼だけれども、坪が一番わかりやすいから言いますが、三億坪あります。いま東京の二十三区の面積が一億七千五百万坪なんだから、大体その二倍に近い面積が水の下にちゃんとあるのです。手近な方面でも一億坪はすぐやれる。一億坪を藤田観光の小川栄一さんにやらせますと、木更津沖合いのときだって一日に一万坪をやってしまって、百万坪を九十日間でやってしまった。何でもないことです。この何でもないことをなかなかやらないのがいまの政治で、ふしぎな話だ。そのうち、七千万坪を平均七十坪の小住宅に割りますと、一挙に百万軒が
供給できる。
大体、わが国の住宅問題は、首都圏で二百十三万軒
供給すれば終わりになるという目安が立っておるのですから、十三万というはしたはありますけれども、鉄道を強化して、栃木県の鹿沼あたりからでも楽に通勤できるようにして百万軒、東京湾の水の上に百万軒、これで大体五年か八年間で解決してしまうのです。解決しないから、いつまでたっても
政府を呪詛し、憎悪するような思想がはびこり、拡大する一方であります。
物価騰貴の原因は、各方面の専門家の
意見でもなかなか正体をつかめない。
日本という国は合併症でのたうち回っていて、そこに学位とか学歴のぴかぴかした医者が集まっているけれども、病巣とか病源とか、患部がさっぱりわからない。私も一個の町の、「大菩薩峠」に出てくる道庵先生みたいなへぼ医者として、
日本国の病気を見立てる医者として診断しますと、これは鉄道が悪いのであります。鉄道がけたはずれに悪い。イギリスが五千万人の人口で八万両の客車を動かしているのに、
日本は一億の人口で一万二、三千しか動いていない。イギリスの鉄道は貨物を運ぶ貨車、あれが百二十万両あったのが、このごろ九十六万に減らした。それを私のところに、鬼の首でも取ったように言ってくる国鉄の人がおるので、冗談言うな、イギリスは減らしているぞといばるけれども、実はボギーにしておるのです。二軸の単車を切りかえてボギーにして九十六万にしているのだから、輸送力は従来の三倍ぐらいになっておる。そういうのに、
日本は貨車は、過去十数年間十三万両しかありません。そしてトラックに奪われましたなんて、貞操か何か奪われたみたいなことを言っている。そうじゃない。窓口で全部追っ払っている。荷主が行って貨車をくださいと言うと、追っ払っちゃう。これではしようがない。こういうことをやっておるのではどうにもならないのであります。
そこで、貨物線を幹線に全部つけまして複々線にしますと、これは、貨物列車をそんな高速運転しなくて済みます。国鉄は苦しまぎれに、軽量貨物列車の高速運転というのをやっている。軽い貨物列車を高速で走らせて、それで
経済成長をになっていこうというのだから、これはどこでもぎくしゃくするのはあたりまえであります。
国民所得倍増計画の中の交通計画では、ここも長く話すとどうも蛇足になりますけれども、非常に鉄道が縮小すると書いてある。あれは石川一郎という人が名義人ですが、私は、
昭和三十五年十一月に公開論文を発表して、「国民所得倍増計画と鉄道輸送力」という論文で、こんなことをすると、いまに手のつけられない大混乱になって、国家の存立があぶなくなるぞということを、その論文で私は発表しておる。今日からちょうど十五年前であります。その論文の中に、「かくなり果つるは理の当然」という芝居のせりふを引用してある。それは、寛政十一年初演の「絵本太功記」十段目に、夕顔だなのこなたよりあらわれ出たる武智光秀というので、「ひっきょう久吉、このうちにひそみおるとは最必定」と言って、竹やりでもってぶすっと入れると、その中におっかさんの皐月がいて、皐月というおっかさんの横っ腹へ武智光秀の竹やりが入ってしまう。皐月は苦しい息の下から、「嘆くまい、嘆くまい、内大臣春永という主君を害せし武智が一類、かくなり果つるは理の当然」と言った。
経済成長政策のときに、鉄道をどんどん縮小する、やめてしまえ、やめてしまえという人の議論が強い。私は面罵されたことが何べんかある。あなたは古い、あなたみたいなことを言ってはしようがない。けれども、面罵された私の予言が現在当たったではありませんか。
日本国は鉄道輸送力が貧弱だからかくなり果てつつあるではありませんか。私は何の配剤か、ここに呼ばれたことは非常にいいことだと思って、これだけは言いたいと思って出てきた。
経済成長政策をやるのに、商品の大量生産をするのに、輸送が二トンか三トンで、おとなが三人も乗っかって、大垣あたりで厚いビフテキを食って、あそこにはいろいろなモーテルができており、ああいうところで遊興飲食して運んでいるのだから。そして浜松でまたウナギを食って飛んでいく。
物価が上がるのはあたりまえですよ。たった一人の機関士と機関助士が、大きな機関車でもってもっともっと輸送は増強できる。いまあるのは三百トンか四百トンだけれども、ほんとうに運べば一万トンぐらい運べるのです。かくなり果つるは理の当然。ほんとうに困る。こういうことで、軽量貨物列車の高速運転ということを国鉄はやっているので、このためにコストが上がっている鉄道で——まだあと十一分ばかりありますな。一トン一キロ当たりどのぐらいコストがかかるかと申しますと、トラックで運ぶと十六円二十七銭かかるのです。いま一トン一キロ十六円二十七銭かかる。いまじゃないです。これは
石油ショックを食らう前の、去年の七月ごろの計算であります。そのとき鉄道は六円八十五銭であります。三分の一近い。なぜ鉄道で運ばぬか。だから東海道、山陽、山陰、鹿児島、日豊、長崎、東北、高崎、常磐、上越、信越、奥羽、羽越、北陸、北海道と、ああいう幹線を全部貨物線を別にしまして、このばかげた軽量貨物列車の高速運転という世界に類のない愚かなことをやっている学歴制国鉄官僚を、全部追っぱらうなりしかりつけるなりして、そして重量貨物列車の中速運転、大体六十キロくらいで一万トン引っぱるというのを、貨物線を分流させれば旅客列車とぶつかる心配も何もありませんし、静かに運転するのです。だから東京−大阪の二大都市間に早く五百キロくっつけて、そして十五分に一回ずつ一万トンを動かすと、一日に九十六万トンの貨物が動きます。二百万トンの貨物が大体一日上下動けば、
物価は多少静かになります。これをやらないからだめなんです。
ドイツが、第一次大戦後にレンテンマルクをやったときにも、ドーズ案が当たったとかヤング案が当たったとかいいます。レンテンマルクが当たったなんという。あれは違う。カール・フォン・ヘルフェリッヒという
大蔵大臣をもう一回引っぱり出してきて、そのヘルフェリッヒ蔵相が国鉄の大改革をやったのです。国鉄の改革をやったからドイツは立ち直った。それを鉄道屋の人が言うと、それを我田引水みたいに受け取って、そんなことはあるものか、それはレンテンマルクがと言うけれども、そうじゃない。あれは鉄道を改革したのです。
去年死んだイスメット・イノニューというトルコの大統領——あれは陸軍大将でしたが、ケマル・パシャの命令でトルコの鉄道を改革したのです。トルコも
インフレでだらしがなくて、夕方四時ごろお日さまが沈んでくると、みんな鉄道がとまっちゃって、長い文句を唱えて地面にひれ伏して、二時間くらい祈祷しておる。これじゃとてもたまらない。それでこのイスメット・イノニューが改革したのです。それでイスメット・イノニューという陸軍大将は、つんぼで非常にぐあいがいい。何かものを命ずることは言うけれども、人が言う苦情は自分に聞こえないのだから。このイスメット・イノニューはその手柄で大統領になりました。この間死んだばかりです。私はまだ香典を持って出かけていないけれども。トルコを立て直したのは、イスメット・イノニュー大統領が二代目であります。
私は、一貫して重量貨物列車の中速運転をやれと言っているので、これをやらないことには、とても、高等用語症にかかった評論家や学者を集めて法規令達や公開市場操作、いろいろ言っている、あるいは心がまえなんということをわが国は盛んに言う、心がまえなんというもので
インフレもデフレもなおるものじゃない。社会の構造は、精神的構造があると同時に物理的構造ですから、物理的構造のほうを直さないで、精神的に心がまえを直せと言ったって無理です。
これは住宅政策でもわかりますが、イギリスの住宅は、玄関の前のほうが大体低いかきねがきれいに並んでおる。うしろは少し高いかきねが並んでおる。イギリスの国民は品性が高い、キャラクターが高いから、みんな共同して同じ高さのかきねを並べて、バラの花が咲いていてきれいだということを
日本の評論家はみんな言う。私は、英国だってどろぼうもいれば海賊もいるんだから、品性がいいからかきねが並ぶということはあるまいと思って、不動産協会の欧米不動産事情視察団のときに、たしかウェルウィンかヘンメル・ヘムステッドという小都市視察のときに、向こうの理工系の案内人の人が来たから聞いてみた。そうではないのです。それは心がまえじゃないのですよ。イギリスではかきねが、玄関の前を向いては高さが四フィート、背中のほうは七フィートだということになっているのです。いつからなったかというと、その人は六十くらいの人だけれども、私が小さいときに、もうこうなっておった。エドワード七世よりも前くらいのときに建築基準法できめたらしい。ローだかアクトだかもうわからない。イギリスじゅうさがしてもかきねの寸法は材料がないのです、四フィートか七フィート以外には。だから立つのです。バラの花なんというのは、隣のつるが伸びてくれば咲くので、品性が悪くたって、どろぼうだって、悪いやつだって、四フィートと七フィートしかない。
日本人はちょっと見て、品性とか品格とかすぐ言いたがる。物理的な結果には物理的な原因があるのです。いま
物価が上がってどうにも困る、腹下ししたり熱が上がるというのは、物理的な原因があるのです。
イギリス本国は、いま機関車二万八千両、客車が大体六万七、八千両、ボギーにした貨車が九十六万両。
日本はこれに比べて、機関車なんというのは、ほんとうに動いているのは三千九百くらいしかいやしない。貨車なんというものは、過去五十年間くらい十万両ですよ。客車は九千八百で騒いでいたのだが、やっといま一万三千、これじゃこんでこんで、殺人的にこむのはあたりまえだ。だからみんなが
政府を恨むのです。論より証拠、東京から神戸までの通勤輸送のこむところに限って、マルクス主義革命論者の首長が出ているじゃありませんか。マルクス主義者は喜んでいるけれども。
路面電車を全部廃止してしまって、安い役務を廃止すれば
物価は上がりますよ。私は、自民党の先生方にこの点は声を励まして忠告したいのだ。なぜ路面電車をつぶしてしまったのだ。あれをつぶしたのは、警察庁の交通局長の富永某、それから警視庁交通課長の内海某、これは東京帝国大学法学部の俊秀だ。こういう俊秀がわいわいわいわい、あれを早くなくさないと外人さんに笑われます、なんということを言って、くどいて回る。それでもって自局党の先生方はころりころりとだまされる。
昔の封建時代には、各藩に諌争役というのがいたのです。ものを干す役ではありません。いさめて争う諫争役。私は諫争役のつもりで、そういうことをしようという議員に「しばらくしばらく。」と言ってそでをとめたけれども、「そのほう下がっておれ、黙れ。」なんと言って、だまされてやってしまう。だから、路面電車からおりたいわゆる低所得層の市民は、今度はタクシーをつかまえて、路面電車みたいに安く走れということを言うのだから、これは大体無理ですよ。だから、タクシー運転手も苦しいし、お客の人たちも苦しいんですよ。みんな苦しいんだ。みんな苦しいことは、どこから始まっているかといえば、この部屋の中にいらっしゃるえらい人たちが、少しは御関係のある方面で始まったことなんです。
昔の天正三年の五月の三州設楽原長篠合戦のときに、自重して退却するほうがいいと馬場美濃守あたりがみな言ったのに、武田勝頼に突進論を言ったのが跡部大炊助、長坂釣閑という二人ですよ。これをかわいがったものだから、突進して、織田方三千、徳川六百丁、三千六百丁の鉄砲を三段繰り回しで甲州軍四万が全部死んでしまう。武田の家は滅びてしまう。だから、ああいう家来がかわいいと思うときは、ろくなことは言わないのです。だから、路面電車をやめてしまえと言うと、かわいいかわいいで、それらがいまどこに立身出世しているか私は知りませんけれども、とんでもない人たちなんだ。
ヨーロッパでもって路面電車がみんな走っております。コペンハーゲンが四十八円、アムステルダム五十円、ブリュッセルが五十円、ハンブルクが七十三円、ウイーンが九十円、チューリッヒが四十三円、ローマが三十円、ミラノが四十三円。ローマは三十円のわりに、何かのら犬なんか乗っていてきたない。ローマ以外の市電は全部きれいです。三両連結、五両連結。きのうの朝だかに、今度のアレクサンドル・ソルジェニツィンが着いたフランクフルト・アム・マイン、あの町なんか、路面電車をいま拡大しておる。地下鉄と路面電車とを兼用する五両連結の電車を、去年の三月つくったばかりです。こういうことは、運輸省の役人なんか高価な出張費を取って、一体何をのぞいて帰ってくるのだ。そういうむだな出張をする役人に出張させることは、実際は損なんです。こういうふうに、大事なものをやめちゃって、要らないものをどんどんつくるのだからまことに困ったものだ。
時間があと五分ぐらいありますが、もうちょっといただいて、
物価問題の中で、生活用品の宣伝にスターや芸人が出てくる。これは
物価上昇の原因であります。これを、たとえ一時なりとも郵政大臣が厳命を下して、それをつくっている会社の社長とか社員が出てくればいいじゃありませんか。三十秒の間に一軒美邸が建つような金をとっていくくだらぬ芸人がおる。こんなことを野放しにしておくから
物価が上がるのですよ。これをなぜ郵政大臣はやれないかというのです。もっとも、そういう芸人を、選挙のときに応援に頼もうなんていう考えもあるかもしれませんが、しかし、それはほどほどに……。この放送の改革については述べたいのですけれども、時間が惜しいので、ちょっと先へ進みます。
大学の進学率が非常に多くなったことも、実はこの席で申し上げるのもなんですが、小売り店の子供なども、昔は小学校だけときめておったのが、いまはほとんど大学に行く。大学に行くために、カボチャとかキュウリとかの値段にどんどんぶちかけておる。一昨年、読売新聞の投書欄で、八百屋のおやじがゴルフをするから
物価が上がるという投書の論争がありましたけれども、私は、そう冗談にしてはいけないと思う。大学へ行くために実は
物価が上がるのです。裏口入学の三百万とか五百万という金をかせぐにはたいへんだから、それを店頭
価格へぶっかけるのです。だから店頭
価格が上がるのです。そう見てみると、そういう家の子供がみな大学へ行っておる。
このためには、学校教育法の第五十四条の二を改正すればいい。学校教育法の第五十四条の二は何と書いてあるか。「大学は、通信による教育を行なうことができる。」と書いてある。ソ連の大学生は四百三十万人おりますけれども、四五%、二百万人は実は通信教育課程であります。革新系の議員さんがモスクワ大学を見てもそれがわからない。モスクワ大学は、学生三万五千人ですけれども、二万八千人ぐらいは実は通信教育なんだ。それがわからない。だから、ベリヤエフという大佐が宇宙玉に乗って地球を回ったときに、
日本の新聞では航空通信の専門家と書いてあったのです。これはロシア語の誤訳です。昔の
日本でいう陸軍大学校に匹敵する空軍大学校の通信教育課程に、四十八歳のベリヤエフ空軍大佐が在学中であるという説明が向こうから来たのです。それを
日本では、通信教育を知らないものだから、航空通信の専門家なんていっている。大学と大型研究所の分離についても述べたいけれども、あと四分しかないので先に進みます。
申し述べたいことはるるありますが、人間の社会の構造は、精神的構造であると同時に、物理的構造であります。だから法規令達や公開市場操作、心がけなんかやったって、一面において物理的構造を改善し、増強しなければ、社会的な疾患を直すことはできないのであります。法令が雨のごとく下っても、
経済現象には、一定の物理的条件に従って作用する原則性がありますから、それを、ただああせいこうせいと言って、わかったわかったと言ってどなってもだめなのであって、物理的構造のほうを充足しなければなりません。その点について、私はいささか存念があってふだん調べていることがあるから、お呼び出しもあったのだと思います。
結論的に、世界情勢の一端に関連して、防衛問題に言及したいと思います。
今年の元旦、わが国の隣の中華人民共和国におきましては、人民日報、紅旗、解放軍報の三つの最も強力な機関紙誌共同論説をもって、「国際情勢はたいへんすばらしい状況である。天下は大いに乱れておる。まさに山雨至らんとして風樓に満つ。」ということをちゃんと発表しておる。これは七億の人口、字の読める人は全部読んでいるはずです。天下が乱れているといったって、まさか中国大陸が乱れるわけじゃない。これは地球上が乱れておるということを、わが国にとってというのは、中華人民共和国にとってすばらしい情勢である。それから孔子崇拝思想を打破する。秦の始皇帝がやった焚書坑儒は非常によいことである、改革であるといって評価している。強烈なる宣伝を展開しておる。まさに、わが国にとってぼんやりしていてはならぬ時期であります。もっとも、先生方がぼんやりしているとは私は申しません。しかし、三十秒ぐらいのカレーライスか何かの広告で家がどんどん建つなんというギャラを出しているということは、ぼんやりしている証拠であります。こんなことは禁圧すべきです。
果然、イギリスの雑誌ミリタリー・クォータリーは今年の夏、いま二月ですけれども、夏に中ソ国境戦闘が起こる確率が高まりつつあるということを発表しておる。しかも、材料を思い出してみますと、アメリカで昨年小麦の作付制限をしておったのを、減反しておったのを解除しております。中ソ両国ともに一千万トンから二千万トンに及ぶ食糧を買い込んでおる。
日本の鼻先に来て魚をとって、かん詰めをどんどんつくっておる。
日本人の漁師の網なんかみんなぶっ切っちまえという勢いである。けんか腰である。何かこれは差し迫っているのではないか。わが国はいかような異変が発生するとも、事態を静観して沈着、事に処し、いやしくも第二次大戦のような、バスに乗りおくれるなといって、大急ぎで片方の戦争する側、交戦団体にくっついていくようなことをしてはならぬと思います。その態度は、いわゆる
日本は、自分はどう表現しても武装中立、これはアームドニュートラリティーというのでありますが、この武装した中立を維持することが常識でありまして、したがって、防衛の比重は次第に重くなります。
中立といいますと、ただ中立を宣言していれば何もされないか。されないと言っている人が多いけれども、決してそうではありません。中学校や高校で女学生などが、いいわよいいわよ、私、絶交だわよなんと言うと、それきりで済むけれども、国家の間の中立なんというのは、女学生の絶交なんというものとけたが違う。
昭和十六年三月八日にアメリカの上院を武器貸与法、レンドリース・アクトが通りまして、イギリスを助けるアメリカの船団は、続々とアメリカの港を離れてイギリスに向かう。それをドイツ潜水艦は、当時少将であったカール・フォン・デーニッツ指揮官の命令でどんどん攻撃する。だから大西洋においてはアメリカは中立であったけれども、このHR一七六六という法律によって、援英船団を送り出せば出すほど、ドイツの潜水艦は攻撃する。しまいには撃沈されて、ルービン・ジェームズなんというのはアイスランド沖で撃沈されて、乗り組み員九十九人がみんな氷の海の中に落っこちて死んじゃった。それでもアメリカはドイツに宣戦布告ができない。なぜできなかったかというと、あのときのフランクリン・デラーノ・ルーズベルト大統領が、前の年の選挙のときにアメリカ全国を演説して回って、私が大統領になっておれば、してくだされば、皆さんのむすこさんを戦線には送らないという公約をしたのです。ああいう高い地位の人が選挙のときに公約するなんというのは、民主主義体制になった
日本のいまではわかるのですけれども、そのころ
日本はわからなかった。どこかの国がしかけてくれればいいなと思っていて、つり出しにかかったのがコーデル・ハル国務長官で、うまくつり出されたのが、きわめて正直いちずの
日本だったということになるのでありまして、
日本は宣戦布告したのは十二月八日でありますから、ちょうど三月から、くしくも同じ日取りの八日で十カ月間、アメリカは中立だけれども船団は攻撃されたのであります。アメリカは中立を守るにはそのくらい苦労しておる。中立というのは、金がかかるし、非常に
努力しなければならぬのです。
遠くは、ナポレオン戦争のときの一八〇一年、これは享和二年でありますが、四月二日コペンハーゲン沖の海戦のときに、デンマークは武装中立を宣言しておったにもかかわらず、フランスは攻撃しなかったのに、イギリス海軍は公然と攻撃しておった。これはハイド・パーカーという大将が指揮してデンマークの海軍をぶち破って、デンマークが持っている商船、帆前船ですけれども、一千六百そうもぶんどってくるという作戦を始めた。そのときにデンマーク海軍も反撃したから、イギリス艦隊が負けちゃって退却する。ハイド・パーカー提督が退却信号を出して退却する。そのときネルソンが偵察艦隊司令長官でおった。ネルソンの幕僚が、長官、長官、退却と言ったんです。そのとき、ネルソンは片目がない。アブキールの海戦で片目がなかった。あのころの望遠鏡は、いま小学生が持っている長いやつ、単眼ですが、その単眼望遠鏡を見えないほうの目にあてがって、プッディング・ヒズ・テレスコープ・オン・ヒズ・ブラインド・アイと、見えないほうの目にあてがって、ぼくには見えぬぞと言って突進して、命令に違反して突進して、デンマーク海軍を大いに破って、その商船隊を駆逐したことがある。中立というのはこういうことですよ。交戦国がいつどなり込んでくるか、ぶちかけてくるかわからない。それを、私は中立ですよと言えば、もう無風で何にも攻撃されなくて、交戦国の両方へ即席ラーメンでも売ればもうかるなんということを言っている人がいる。冗談じゃない。中立というものは非常に金がかかるものであります。
これは結論でありますが、このときに及んで、自衛隊は違憲であるという判決がさきに出ました。これは憲法前文の読み違えをしている人が多いからこういうことになる。
委員長、あと三分ぐらいありますので……。
憲法前文に、「
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」し、と書いてあります。あれは十五年も戦争が続いたから、カール・フォン・クラウゼヴィッツのフォム・クリーゲ、クラウゼヴィッツの「戦争論」ぐらい、みんなああいう人たちは読んでおったから、ああいうことをちゃんと楽々と書いてあるので、あれは「
政府の行為によつて」という「て」のところへ点を打って読んでいる中学校、高校の先生が多いのであります。
政府が戦争を防止すべきだ、
政府の行為によって戦争を防止するんだ。その
政府が自衛隊を持っていることは違憲じゃないかというのです。そうじゃないのです、これは。
政府の行為によって突如として始まるそういう国民不在の形態の戦争、これを主権在民の体制で防止するんだという宣言なんです、あれは。
そうすると、そんなややこしい、
政府の行為によって始まる戦争なんというものがあるのかという質問があるのですが、あるのです。これはクラウゼヴィッツ将軍の「戦争論」を初めだけ読んだんじゃだめなんで、終わりまで読むと、第八章にちゃんと詳しく書いてある。封建時代、中世紀の戦争はいきなり始める戦争で、国民は何にも知らずにいて、お城の中で始まる。やってみようか、じゃ、おやりになるのがよろしゅうございましょうというので、こういう戦争を内閣戦争というのであります。デア・カビネーツクリーク、英語ではキャビネッツウォーというのであります。東京裁判でもニュールンベルク裁判でも、満州事変以後の戦争の
やり方を、カビネーツクリークであると連合国側は認めているのです。日露戦争のことはカビネーツクリークであるといってないのです。満州事変以後のやつをそう認めておるんです。だから、ああいう戦争犯罪ということも、向こうの検事の論告がるる述べておるので、あんなもの、どうせ縛り首になっちゃうんだから読んだってしようがないなんということを言わないで、あれは綿密に読んでみないといけない、ああいう彼らの言い分というものを。わが国の憲法に関係あるのですから。クラウゼヴィッツ将軍の戦争進化論でいいますと、中世封建時代の内閣戦争の次には国民戦争という段階があるんだ。国民が全部合意でやるのだ。これはデア・ナチォナールクリークであります。ナショナルウォーであります。その次にクラウゼヴィッツ将軍は、もっと工場から農場から全産業を総動員する戦争になるのだ。これはデア・トターレクリークというやつで、トータルウォーだから国家総力戦であります。国家総力戦は、その後いみじくも
日本が明治維新で
近代国家になる直前、アメリカの南北戦争のときに北軍がやったのが国家総力戦の萌芽形態であります。戦争進化論というのをマスターしておかないと、
日本の現憲法の前文がわからない。わからない人が、「
政府の行為によつて」というところへかってに点を打って解釈するから、自衛隊が違憲だという。長沼判決の福島重雄裁判長なんかも、そういうロマンチックな誤読をされた方であるといって、私は、半ば尊敬、半ばマイナス尊敬をしておるのでありますが、当時のドイツ、オーストリアの軍隊が、中世の封建時代の内閣戦争に合致する軍隊であったのが、何となく戦場に出てみたならば、ナポレオン一世の指揮する国民戦争形態に合致する鉄血無比のフランス軍であったために、こっぱみじんに粉砕されたというのがイエーナの合戦であります。こういうことは、ちゃんと記録に残っているのだから、よく参考にせねばならぬということであります。
だから、自衛隊は違憲でもなければ、日陰者でも何でもない、威風堂々たる正規の武装部隊でありますから、歴代防衛庁長官が、おまえたちは日陰者だと言われているけれども、まずまずなんということを言わないで、正々堂々たる正規軍に準ずるものでありますから、いかに
予算を圧縮するからといったって、これをあぶなくしては困る。さきに、海上自衛隊の艦船などもずいぶん石炭だきで間に合うということを申し上げましたが、近来、野戦の様相は、立体機動のヘリボーン形態に重点が移っております。世界空軍の順位で、第一位がアメリカ空軍であります。第二位がソ連空軍、第三位がどこだかわからなかったけれども、統計をとってみて、おととしわかったのが、五千機のヘリコプターを持っておるアメリカ陸空軍であります。アメリカ陸軍航空部隊が世界第三位である。第三位が、ヘリコプターを持っておるヘリボーン兵団が時代の歩みである。陸上自衛隊には、現在木更津に第一、第二ヘリボーン部隊がおりますが、これは装備、訓練とも世界一流であるけれども、ヘリコプターの音がやかましいから海上へ行けなんていわれている。ヘリボーンというものは、ヘリコプターの上から地面の様子を見て、祖国の山河を暗記するところに強さが出てくるのに、やかましいから海の上へ出て、海の上で飛んで弁当を食っているのではヘリボーンにならない。それで、世界軍事界の進運が、陸空軍のヘリボーンに重きを加えつつある時期でありますから、四国、九州方面にもヘリボーンの増強が必要であります。
先ほど、通勤、住宅、
物価、定年と申しまして、定年も、ヨーロッパあたりでは六十五歳、七十五歳があたりまえでありますから、定年に関する法律というものをつくって、三千二百万世帯みんなを安心させることを述べたかったのでありますが、そこは省略しましたけれども、特に自衛隊の将校の定年が、いま大将相当官で五十五歳であります。一体世界じゅうの軍隊で、大将になった人を五十五で追っ払ってしまうという軍隊はありません。だから、大佐とか中佐とか少佐とか、その辺の連中が、先の身の振り方が心配でおちおち安心して隊務に精励できないという状態で、五十五歳定年制は
日本の国防力の精神的な面を非常に弱くしておるのでありますから、まず、自衛隊の人件費二千八百七十九億円に私は異存がありませんけれども、将官の定年は六十五ぐらいまで延期して、落ちついて隊務に精励できるようにしなくては、みんなそわそわ、ここをやめたら何とか重工業、ここをやめたら何とか兵器へ行こう、行こうというので、そればかり考えておる。ある陸上一佐、陸軍大佐に相当する人が、まだ就職しないうちから、専務とか常務とかいう名刺を刷って振り回して、この間、首になったのがあるじゃありませんか。あんな心配をかけることはかわいそうである。お互いに核武器を使わないという相互保障が成立した時期が、実は戦争があぶない。第二次大戦も毒ガスを使う、使うといったけれども、お互いに使わないという保障がついたときに、毒ガスを使わない戦争が始まった。だから、核戦争でどかんとみんな死んじゃう、人類絶滅なんということはありません。
日本沈没なんということはありませんから、映画をつくっているばかがおるけれども、この夏にイギリスのミリタリー・クォータリーの予言するような戦争が始まりますと、それは非核であります。ずいぶん長くなると思うので、私は、この動乱が今後大体二十年は続くと思うのです。
そこで、政治の世界においても、いままでのような調子で、先ほど申した、路面電車を廃止しろなんといって、気違いのように騒ぐような官吏を、かわいい、かわいいといって登用するようなことでは悔いを千載に残しますから、風雪をしのいで神経衰弱になんかならないような神経の太い、知謀神算わくがごとき人材を集めないと、
日本国は二十年の動乱をうまくくぐって、武装中立状態のままで向こう岸に行くことが困難になります。
明治天皇の御製は五万首あるのですが、その中に、「かくばかりことしげき世にたへぬべき 人をえたるがうれしかりけり」というのがあります。これはあまり有名な御製じゃない。たいてい景色をよんだ御製なんぞを民間では非常に有名にしてありますけれども、これは、日露戦争の直前に対露作戦計画をやっておった、山梨県出身、いま信玄といわれた田村恰与造参謀次長がぽっくり病気で死んだので、その後任に困った。明治天皇が実際に困った。そのときに、内務大臣をしておった児玉源太郎将軍が内務大臣をやめて、大山参謀総長の下に参謀次長でにこにこしながら平気で入っていった。これでもって国民は緊張したのですが、このときによまれた歌ではないか。入江侍従の家あたりに行かないと、いつごろよまれた歌かわからない。もう一つは、外債を募集するために、金子堅太郎——呼びつけにしては悪いけれども、金子堅太郎伯と高橋是清さんと、この二人を英米両国へ派遣するときに、よい人物がおったのうと仰せられてよんだ歌であるというふうになっておる。どちらでもよろしいけれども、「かくばかりことしげき世にたへぬべき 人をえたるがうれしかりけり」そういう御製を口ずさんで、おれもそうやっているぞといえる政治家がいらっしゃればよろしいけれども、まわりには洋服を着た太鼓持ちのような、明くればゴルフ、暮れれば宴会、イモの煮えたも御存じなくというような、そういう役人、芸人、遊び人、そんな者を集めていい気持ちになっていると、いまに大鉄槌が下ります。
私は、四十九年度
予算、もう少しアクセントのある——まだそのときはイギリスの雑誌の論文が出ていないし、
石油ショックだけで、こいつはいけないというので、
石油ショックを克服することだけにみんなわあっと頭がいっちゃって余裕がないものだから、今回、膨大なる印刷物になっております
予算のようなことになったと思うけれども、あれでは、ことしの下半期あたりから起きてくる内憂外患こもごも至る情勢に対処していく——すわっていて茶の間でテレビを見ているという
程度の生活なら、あの
予算でまずよろしいけれども、風まじりの雪が降ってくるなんというときになりますと、少しなまぬるいと思いますので、この辺は若干の批判を持っております。
各論には少し批判がありまして、鉄道政策についてもコペルニクス的転換をしなければならない時期と思いますものの、総論につきましては賛成の意を表しまして、公述を終わらしていただきます。(拍手)