○沖本
委員 いまおっしゃっておられますことは
徹底をはかっていきたいということであり、企業の担当者を呼ぶなり何なりして、いま申し上げたような
内容でさらに
徹底をはかるということなんですけれ
ども、そのために、企業の
姿勢が完全に改まっていくまでの間は、この種の事件が幾らでも起きてくるわけなんです。
現実起きておるわけなんです。いま会合をやったというのは七一年なんです。現在までの間、この問題をここで取り上げるまで、取り上げた問題が労働省のほうで検討されて、どういう形になるかわかりませんけれ
ども、それが
徹底されていくまでの間同じことが行なわれているわけなんです。ただ表に出ているか出ていないかということだけです。そういうふうなこと自体は、そこにかかってくる人権という問題がどれくらい重いかということを、やはり人の問題を扱う労働省ですから、十分
考えていただかなければならないことだと思うのですね。最近の風潮というのは、結局、おかあさんが生まれた子供をすぐ火のついたドラムかんの中にほうり込んでみたり、駅のロッカーの中に捨て子をやってみたり、とにかく
考えられないようなことが起きているわけです。生まれてオギャアといったら、当然その子自身に
一つの人権が生じているわけなんですね。そういう問題が全然
考えられていないというところに、人権問題の大きな社会的問題がいま起きてきていると
考えられるわけです。
そこで、なぜ日本名を使わなければならないかということはお互いに重々承知しているつもりなんですけれ
ども、ここで一、二の例を取り上げて申し上げてみます。
これは法務大臣にもお
考えいただきたいわけなんですけれ
ども、変なことを申し上げるとまた今度出入国管理法にひっかかってきてほかの方向に取り上げられそうな傾向もあるわけなんですけれ
ども、「外国人登録証明書においては氏名欄に「通名」が依然存在し、一たん記載した「通名」の抹消を
当局が拒否する事実が完全になくなったわけではない、戦後は日本名を名乗らないと生きていけないという状況がより強まったといえる。このような同化と排斥を一貫してなし続けた日本社会の中で、同化された在日朝鮮人にあっては「日本名」という感覚ではなく「自然な名前」「自分の名前」として意識され、又民族的自覚にめざめた在日朝鮮人にとっても、又そうするより生きてられないという極限状況の中で生きる為に用いられる名前であって、いずれにしても「偽名」の使用などという意識とはおよそかけ離れたものである。「偽名」などという否定的価値判断を日
本人がする資格はない。」こういうことを述べている。全くこれはこのとおりだということが言えるわけです。「自分に誇りをもてる人間になるべく、たえまない、血のにじむ努力が続けられたのであるが、いかにせん自分達の子供を教育する機関は、日本の学校しかなくなってしまったのであった。その日本の学校のなかでは、圧倒的多くの日
本人教師は、朝鮮人を日
本人と同じに教えること、が
差別でない
行為と「確信」し、朝鮮人の名前を「日本名」にしむけることになんの疑いももっていない、という状態が、今日まで続いている。原告の高校の担任の教師も、またその例外ではなかった。他の日
本人とてまったく同じことである。一方には、民族
差別による生活苦があり、他方には、同化を強要する日本社会の厚い壁がある。戦後、新しい「同化」の過程が顕在化してくる、きわめて深刻な事態にたちいたったのであった。」「このような歴史と
現実の過程で、日本の学校で教育をうけた朝鮮人青少年が、いいかえるなら、相対的に日
本人化した青少年が、自分が日
本人ではなく、朝鮮人であることを、いや応なしに痛恨の思いをもって、知らされるのが、進学
差別の体験であり、就職
差別の体験なのである。」「「これは想像に余ることで当然絶望するわけです。……日本の社会が日
本人らしく装って日
本人らしくすることがいいことだと教えたのですから。子供達はそのように努力してきたんです。子供達は、今度社会に出ようとするとつっぱねられる。だから実際に死んだ子がたくさんいるんですよ。優秀な子が自信をなくしたり意志の薄弱な子は遊び歩く、それで、反逆的な気持が募るから、暴力を振うようになるんですよ」」「在日朝鮮人の場合には、大企業に就職している者が皆無であるといえることは、全ての証人が共通して証言するところである。例えば、住民二〇万人の約三分の一が在日朝鮮人である大阪市桃谷では、いわゆる企業のサラリーマンとなっている在日朝鮮人はおらず、零細な家内工業の下で働いているのに比して、同地の日
本人の場合は全くその逆である。その他の地域の場合においても同様であり、中小企業にも至らない従業員四、五人程度の零細企業・個人経営者の下に働いている在日朝鮮人が殆んどである。」こういうことなんです。結局、長々言えませんけれ
ども、戸籍謄本を出すということになると困るということで、会社を
幾つ受けても、どの会社も謄本を要求されるということをおっしゃっているわけなんです。ということは、どの会社もいま言ったようなことの
内容があるということになるわけです。それで、戸籍謄本の始まりというのは、いま御
指摘があったとおりいわゆる部落民の
差別の問題からいろいろ問題をかもし出してきたということで、身分的な
差別をしてはならない、同和対策特別措置法もできた
関係から、特に労働省のほうが力を入れ出したということになり、結局謄本をとるという根本的な問題あるいは
家庭なり家族
関係を調べていくというようなことは、そういうふうなものの
内容を調べようとし、調べて事実があればそこから採用しないというところにつながっているというところに問題があるわけなんです。そういうものを企業はずっと変えていないということなんですね。これはもう重大な問題だといえるわけです。この点について労働省のほうはどういうふうにお
考えになり、どう改めようとなさいますか。