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1974-05-17 第72回国会 衆議院 文教委員会 第28号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年五月十七日(金曜日)委員会におい て、次の通り小委員及び小委員長選任した。  文化財保護に関する小委員       上田 茂行君    塩崎  潤君       楢橋  進君    羽生田 進君       林  大幹君    深谷 隆司君       山崎  拓君    木島喜兵衞君       小林 信一君    嶋崎  譲君       栗田  翠君    高橋  繁君       安里積千代君  文化財保護に関する小委員長  塩崎  潤君 ――――――――――――――――――――― 昭和四十九年五月十七日(金曜日)     午前十時三十八分開議  出席委員    委員長 稻葉  修君    理事 松永  光君 理事 森  喜朗君    理事 木島喜兵衞君 理事 嶋崎  譲君    理事 山原健二郎君       有田 喜一君    上田 茂行君       河野 洋平君    床次 徳二君       楢橋  進君    羽生田 進君       深谷 隆司君    三塚  博君       山崎  拓君    吉永 治市君       勝澤 芳雄君    小林 信一君       長谷川正三君    栗田  翠君       高橋  繁君    安里積千代君  出席国務大臣         文 部 大 臣 奥野 誠亮君  出席政府委員         文部政務次官  藤波 孝生君         文部大臣官房長 井内慶次郎君         文部省初等中等         教育局長    岩間英太郎君         文部省体育局長 澁谷 敬三君         文化庁長官   安達 健二君         建設省道路局長 菊池 三男君  委員外出席者         建設省道路局高         速国道課長   山根  孟君         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ――――――――――――― 委員の異動 五月十六日  辞任         補欠選任   有島 重武君     浅井 美幸君 同日  辞任         補欠選任   浅井 美幸君     有島 重武君 同月十七日  辞任         補欠選任   深谷 隆司君     吉永 治市君 同日  辞任         補欠選任   吉永 治市君     深谷 隆司君     ――――――――――――― 五月十六日  学校給食費国庫補助増額に関する陳情書外一件  (第五六  六号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  小委員会設置並びに小委員及び小委員長選任  の件  文教行政基本施策に関する件      ――――◇―――――
  2. 稻葉修

    稻葉委員長 これより会議を開きます。  この際、小委員会設置に関する件についておはかりいたします。  先ほどの理事会の協議により、文化財保護に関する調査のため、小委員十三名よりなる文化財保護に関する小委員会設置いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 稻葉修

    稻葉委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  なお、小委員及び小委員長選任につきましては、委員長より指名いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 稻葉修

    稻葉委員長 御異議なしと認めます。  それでは小委員に    上田 茂行君   塩崎  潤君    楢橋  進君   羽生田 進君    林  大幹君   深谷 隆司君    山崎  拓君   木島喜兵衞君    小林 信一君   嶋崎  譲君    栗田  翠君   高橋  繁君    安里積千代君 以上十三名の方々を指名いたします。  なお小委員長には塩崎潤君を指名いたします。  なお、小委員、小委員長辞任の許可及び補欠選任につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 稻葉修

    稻葉委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。      ————◇—————
  6. 稻葉修

    稻葉委員長 文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。羽生田進君。
  7. 羽生田進

    羽生田委員 私は学校保健の問題につきまして文部省考え方あるいは文部大臣からの所信をお伺いしたいと思うのですが、私自身約四十年間にわたりまして学校医を実際にやってきております。その間におきまして子供たちの親とも常に会い、親の気持、意見等も聞いておりますけれども、どの親にしても、少しぐらい成績が悪くてもとにかくじょうぶな子供に育ててほしい、こういうことです。からだはどんなに弱くても成績を上げてくれという親はないのです。これはもう教育基本問題だと私は思うのですが、学業とあるいは保健というような問題で大臣はいかがにお考えかをまずお伺いしたいと思うのです。
  8. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 御指摘の問題、まさにそのとおりだと考えておるわけでございまして、そういう見地も踏まえまして現在小・中・高一貫の教育課程審議会を発足させていただきまして、昨年の十一月以来二年を目途に御検討をいただいておるわけでございます。少なくとも小学校教育課程などを考えてまいりますと、やはり知、体、徳といわれているけれども、知育に片寄った姿になっていないのだろうか、むしろ小学校からだをきたえ徳性を養う、そういうところに力を入れるべきじゃないか、思い切って教育内容を精選したらどうであろうか、こういう考え方もあるわけでございます。多くの方々がそういう御心配のもとにいまの小学校教育内容をもう一ぺん見直したらどうであろうかというような御意見になってきているのじゃないだろうか、かように考えるわけでございます。幸いなことに体格としては二年くらい早く成長してきているようでございますが、残念なことに体力がこれに伴っていないというようなこともあるわけでございまして、知、体、徳一体として調和のとれた人間をつくっていかなければならない、特に小さい間は体力を築き上げていかなければならない、体力さえできてくればいろいろなことを積極的に覚え込むこともできるのではないか、こういう問題にもなろうかと思うのでございまして、基本考え方については全く同感でございます。
  9. 羽生田進

    羽生田委員 その点は当然そういうお答えをいただけると思っておったのですが、実際問題として、文部省自体のいままでの戦後の施策やいろいろな点を見ますと、保健体育という問題があるわけなんですが、その保健重点を置いているのか、あるいは体育重点を置いているのか。それはもちろん大きな体育の中に保健も包含されることはわかりますけれども、いま大臣の言われた、昔の知育徳育体育というような体育時代には保健ということなんか全然問題視されておられなかった。そういう時代体育だと思うのですが、明治時代病気になるのは精神力が足りないのだ、たるんでいるから病気になるのだというような考え方体育というような考え方になっておると思うのです。ところが、現在、生命尊重時代になってきますと、いわゆる保健のために体育というのはやるべきで、やはり何といっても健康を保持増進させて、生命尊重、長生きをするということが人間最大のしあわせなんですから、そのためにはいろいろなことをしなくちゃならない、こういうことなんですが、どうもいままでの戦後のいろいろなことを見てまいりますと、体育優先保健軽視、こう私は感ずるのですが、その点に関してひとつお答えいただきたいと思うのです。
  10. 澁谷敬三

    澁谷政府委員 体育といいます場合に、広義で使います場合と狭義で使います場合とございます。現在、新しい学習指導要領が一昨々年小学校、一昨年中学校、昨年高等学校から実施されておりますが、そこで総則編に初めて体育ということが出てまいります。従来は学習指導要領総則編教育課程一般、つまり各教科のことと道徳教育、いわゆる知育徳育、この二つだけが触れられておったわけでありますが、現在の指導要領では第三体育と申しましてさらに体育ということが述べられております。そこでいいます体育広義体育意味に使われておりまして、片や保健・安全の問題、それから片や栄養の問題、それから体育スポーツ、この三位一体による健康の保持増進体力向上、そういう意味で使われておるわけでございます。狭義体育は、運動経験なり実践を通しまして健康の増進なり体力向上をはかる、そういう意味に使われておるわけでございます。そういうわけで、私どもも、広い意味体育という場合でもまず保健・安全ということが基礎になる、そういうふうに考えておるわけでございますが、それに栄養とそれからスポーツ運動経験実践を通します体育スポーツ、その三者三位一体による健康の保持増進体力向上ということであろうかと思いまして、いずれが大事でいずれが大事でないということはなく、そういうふうに心得ておる次第でございます。
  11. 羽生田進

    羽生田委員 私はそこのところは、もちろん全部同じだと思うのですけれども、考え方がどうも三位一体、みな同じなんだという考え方であってはまずいのだと思うのです。何をおいてもやはり生命というものを最大考えなくちゃいけない。その生命をあるいは健康を保持増進して延長する、このために栄養も問題になるし、安全も問題になるし、体育も問題になるのだ、保健のための手段である、私はそう考えておるのですが、どうも三位一体だというのでなく、やはり保健が優先すべきで、その手段として体育、安全、栄養というようなことがあるのではないだろうか、こう思うのですが、もう一ぺんそこのところをはっきりひとつお答えいただきたいのですが。
  12. 澁谷敬三

    澁谷政府委員 いまもちょっと申し上げましたが、三位一体という前に、保健とか安全という生命尊重といいますか、それがもとになりながら三位一体、そういうふうに申し上げたわけでございますが、やはりそういう保健というのが基礎をなすものだと思います。
  13. 羽生田進

    羽生田委員 そこらはむずかしいところなんですけれども、そこで話を進めますけれども、学校教育法施行規則小学校中学校高等学校というところの教科課程の中に、小学校においては体育というのがあるのです。保健というのがないのです。それから中学校においては保健体育と入っているのですね。順序保健とそれから体育とこういう順序で入っている。それから高等学校の部には、教科としては保健体育、各教科に付属する科目としては体育保健、これは逆に書いてあるのですね。そこらのところが、どういう観点からか小学校には体育だけで保健は要らないのだ、要らないというと少しことばが過ぎるかもしれませんが、中学校では保健体育だ、保健のほうが優先的な順番ですから、そういうふうにも感じられます。高等学校へきても、教科としては保健体育であるけれども、属する科目となると体育保健と逆になっておるのですが、そこらのところが保健体育との考え方がどういう形でそういうふうになっているのか、ひとつ御説明をいただきたいと思うのです。
  14. 澁谷敬三

    澁谷政府委員 御指摘のとおり、小学校におきましては教科としては体育と言っております。中学校高等学校保健体育と言っておるわけでございますが、これは一つ沿革もあったかと思うわけでございますが、ずっと伝統的に、小学校では教科としての体育運動経験とか実践を通しての教育重点が置かれておりまして、保健あるいは衛生、安全という問題は、一教科としてでなく、学校教育活動の全体といいますか、特別活動あるいは学校行事、そういった教育活動学級指導とか、そういう全体で一年生からいろいろ指導をするということになっておったわけであります。それが昭和三十三年の学習指導要領改定におきまして、初めて小学校におきましても第五学年と第六学年におきまして、保健に関する初歩的な知識を教えるということになったわけでございます。そういう関係小学校教科としての体育は、先ほど申し上げました広義の、広い意味体育、それに照応するようなことば体育ということばが使われております。  中学校高等学校になりますと、中身が、かなり領域が明確に区分されまして、かなり専門的に近い知識等も教えるということになっておりまして、その中の保健領域といわゆる狭義体育領域がかなり明確になっておりますので、保健体育というふうになっておるわけでございます。  いま御指摘の、高等学校教科の名称は保健体育で、その中身を見ると体育領域が先に出ており、保健領域あとになっておるという御指摘でございましたが、たしか私もそういうふうになっておるのを見て、ちょっとおかしいのじゃないかと思ったことがございますが、これは授業時間その他中身がいわゆる狭義体育のほうが多いためにあるいはそうなっているのかとも思いますが、やはり順序としては、もしそうなっておるとすればちょっとおかしいのじゃないかとは思います。
  15. 羽生田進

    羽生田委員 いま小学校の五、六年に保健教科を入れるように指導要領でやっているというようなお話なんですが、現実小学校の五、六年、確かに保健——小学校ですから体育ということになっておりますけれども、その時間が百五時間というふうに別表に書いてあるのですが、その中で五、六年生に保健学習としてやっている、与えられている時間が十一時間。ところが、実際に十一時間をほんとう保健学習をやっているかと現場を聞いてみると、全部体育技術指導という方面にとられてしまう。要するに体育教師から養護教諭のほうに向かって、その時間をおれのほうへよこせ、くれないかというようなかっこうで、現実には保健学習なんかほとんどやっていない、こういうことなんです。私は、これは現場で聞いてみたことなんですが、特に五、六年になりますと初潮も始まってまいりますし、すでに小学校の高学年で妊娠したというような事例もないではないのです。それらに対して保健指導がほとんどやられないという現実なんです。しかも養護教諭というものが非常に軽視されておるというような関係で、体育教諭からせっかく与えられた十一時間をも奪われる、強奪されておるような状況なんですが、そこらのところ、実際に御存じかどうか、それに対してどういうお考えを持っておられるか、ひとつお伺いしたいのです。
  16. 澁谷敬三

    澁谷政府委員 いま先生保健体育授業時間に小学校五年、六年で教えますこの保健領域を、養護教諭が受け持つところを時間を奪われているのじゃないかというような御指摘でございましたが、教科につきましては、これはやはり一般小学校におきましては受け持ち先生が教える問題でございまして、その受け持ち先生が教えるにつきまして、養護教諭がいろいろな御協力をされることは当然でございます。それから、その他の教科の場以外で、いろいろその養護教諭生徒と直接接しあるいは指導ということはあり得るわけでございますが、本来養護教諭が受け持つべき授業時間が奪われているということはないわけでございますので、その点は念のため申し上げておくわけでございます。  いずれにいたしましても、小学校は、伝統的に、入ってきました一年生からずっと、教科としてよりも、そういう学校教育活動の全体といいますか、朝礼の時間とか学級指導とか、そういうところで身近なことをとらえてやってきたという長年の沿革もございまして、ただそれでは十分でないということで、小学校昭和三十三年の改定で、五、六年生で、ある程度初歩的な知識を系統的に教えるということになったいきさつがございますが、いまいろいろ先生から御指摘いただきましたように、そういう長年の沿革の上に立っておりますこともございまして、現場では確かに先生指摘のような必ずしも十分でない、不十分であるという実態がかなりあるのが事実ではなかろうかと推察はいたされます。
  17. 羽生田進

    羽生田委員 いまの問題ですが、確かに養護教諭授業を受け持つというようなことはないとは思いますが、現実には性教育その他保健学習として一般教師がやる能力を全然持っておりません。また、全部それを養護教諭に頼む、こういうかっこうでやらせているのが実態なんです。したがって、一般教員がそれをやらない以上、養護教諭がやらざるを得なくなるのです。したがって私は、むしろ養護教諭にそういう時間を当然与えて、文部省から指導してほしいと思う。五、六年生に対する性教育なり保健教育養護教諭がやれというような指導をむしろ積極的にしていただいたほうがいいと思うのですが、その点いかがでしょうか。
  18. 澁谷敬三

    澁谷政府委員 教科としてはやはり教職員免許法等によりまして教える先生がきまっておるわけでございますが、ただ、現実の問題といたしまして、いま先生指摘のように、教科の時間以外にも学校教育活動というのはいろいろあるわけでございますから、そういう学校教育活動全般の中で、養護教諭先生がいろいろな指導的な役割りを持っていただくということはきわめて望ましいことでございますので、そういう考え方を持っております。
  19. 羽生田進

    羽生田委員 ちょっとくどいのですけれども、簡潔にひとつ答えていただきたいのですが、養護教諭にそういう教科を与えるということについては、文部省反対だということなんですか。そこのところをちょっと……。
  20. 澁谷敬三

    澁谷政府委員 反対というとちょっと困ってしまうのでございますが、いわゆる教科を受け持つ先生は、教員免許法によります免許を持っておられる先生がおやりになるたてまえになっておりますから、そういう意味で申し上げたわけでございまして、ただ、学校教育活動というのは、そういう教科授業時間だけではなく、特別活動その他いろいろな領域があるわけでございます。朝礼の時間もございますし、学級指導といったような時間もございます。あるいは生徒会児童会というような時間もあるわけでございますから、そういうところで養護教諭先生がいろいろ御指導をしていただくということは、きわめてむしろ望ましいというか、けっこうなことではないか、そう申し上げたわけでございます。
  21. 羽生田進

    羽生田委員 それでは先に話を進めますが、学校保健法の第十五条に「都道府県教育委員会事務局に、学校保健技師を置くものとする。」ということになっておるのですが、現実学校保健技師養成も非常に手ぬるいような関係で、都道府県にも現実にいなくなってきた。特に文部省には一体学校保健専門技師というような人は何人くらいいるのですか。学校保健の一番本元である文部省は、一体それらに対してどういう考えか、そこをお伺いしたいのです。
  22. 澁谷敬三

    澁谷政府委員 文部省学校保健課は現在課長以下十一人職員がおるわけでございます。庶務係保健係、それから安全係とございまして、専門員及び専門職員が含めて三人おります。医学博士資格を持っております人が一人、それから薬剤師資格を持っております専門員が一人、それから現場で校長その他教育委員会保健担当指導主事を長らくやりまして文部省に来ております専門職員が一人、そういうことで医師薬剤師、それからずっと保健を担当しておりました長らく指導主事をやっておった、そういう専門職員が三人おるわけでございます。  なお、本年度の予算で、これは初めてとれた定員でございますので九カ月予算になっておりますが、養護教諭方々が全国に三万人前後おられます。そういう養護教諭方々に対しましていろいろ指導助言をするといいますか、お互いに研修をするといいますか、そういう意味合いで養護教諭関係担当専門職員定員が一名本年度の予算で計上されております。
  23. 羽生田進

    羽生田委員 それから、戦後の教育行政一般行政と分けて、教育委員会というのが各県にあります。それができた当時は、教育委員会の中に必ず学校保健課というのが全部できました。課長医師である保健専門技術屋がなった。ところが、だんだんそれが保健体育課になり、しまいには体育保健課になりあるいは体育課になって、保健課は全然なくなってしまったというところもあるし、体育課保健課が別々になっているところもあるという現状で、特に医師である保健課長なんかいる県は私はほとんどないと思うのです。これはあるいは医師のなり手がないというお答えをするかもしれませんが、文部省自体学校保健に対して一つ魅力のある仕事をしない、ほっておいたって子供は育つのだというような考え方で、医師自体が情熱を持って学校保健と取り組もうというような意欲がなくなってしまって、みんなやめていってしまうのではないか、こう思うのですが、そこらのところの反省なり御感想なり、また現実に各都道府県にそういう保健課として独立して、医師保健課長を置いて、ほんとう学校保健を一生懸命やっている県というのが一体どのぐらいあるのか、ちょっとお聞かせいただきたいのですが、あんまり時間がないので、まだまだうんと聞きないことがあるので、ひとつ簡潔にお願いします。
  24. 澁谷敬三

    澁谷政府委員 現在、医学博士なり医師資格を持ちまして、保健課長なり保健体育課長をやっております県は、五県でございます。
  25. 羽生田進

    羽生田委員 反省なり御感想なりというところをひとつ。
  26. 澁谷敬三

    澁谷政府委員 戦前は各都道府県学校衛生技師というのが必ずおられたわけでございます。戦後、昭和三十二年でございましたか、学校保健法が制定されました際に、その戦前制度を復活いたしまして、学校保健技師という制度法律上明らかにいたしたわけでございますが、端的に申し上げまして、医師資格を持っておられます方の採用がきわめて困難でございます。ただ、都道府県教育委員会仕事行政でございますので、必ず医師資格を持った方が課長でなければならないということはないと思うわけでございますが、少なくともそういう専門的な学校保健技師法律上も置くことになっておるわけでございますので、医師なり歯科医師なり薬剤師なり、そういう専門的な資格を持った方が学校保健技師として各都道府県にいるべきなのでございますが、現実問題として、医師資格を持った方の公務員への採用行政職への採用はきわめて困難でございます。  そこで、県によりましてはいろいろくふうをいたしまして、非常勤でそういう資格を持った方々の専門的な御協力を得ておるというのが実態でございます。
  27. 羽生田進

    羽生田委員 いま私が申し上げたように、医師のそういう専門職課長がいない、あるいは学校保健技師のようなものがいなくなってきたということは、医師職業柄学校保健に対して魅力を感じていない、どうもいわゆるスポーツのほうが重点的にされておるために、学校保健行政というものがおろそかにされている結果ではないかと私は思うのですが、その御反省をひとつ伺いたいというお願いをしたのですが、その事例は幾らもあるのです。それは時間がかかってしまって申し上げられないぐらいあるのです。スポーツのために生命を失っている。マラソン中に倒れて死んだ生徒もおりますし、あるいは山へ登って、この間の朝日連峰でしたかの高校生遭難、これはクラブ活動だから引率先生には責任がないのだというので、第一審では禁錮八カ月という判決を受けたのが無罪になった。クラブ活動だから引率先生責任はないという。これなど私は文部省の見解をお伺いしたいのですけれども、あまりに生命軽視に過ぎるのではないか。それらの問題、あるいはウルトラCを一生懸命やって、この二年間でウルトラCのために十人が死んでおる。こういうふうな事例とか、スポーツ偏重のために生命を落としている事例学校内においてたくさんあるのです。これらはどうしても学校保健軽視で、狭義体育スポーツ優先です。私も学生時代からスポーツをやりましたから、スポーツをうんと考えてもらうことはけっこうで大いに賛成なんですけれども、やはり生命尊重のほうが先ではないかと思うのです。そこら文部省考え方を根本的に直していただかないことにはこういう事例あとを絶たないと思うのです。そこのところ、ひとつ大臣いかがですか。
  28. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 羽生田先生たいへん専門的な知識を豊富にお持ちいただいておりますので、御見識を伺わせていただいたわけでございます。いまいろいろお述べになりましたことを文部行政の上にも生かしていかなければならないと思います。またさきに御助言をいただきましたので、体育局長がお答えいたしましたように、全国の養護教諭方々指導的な役割りを果たせる人を文部省定員として加えることにすることができたわけでございます。同時にまた、私たち、新しい意味体育大学、体育研究所をつくりたい、こういうことでいま鋭意努力しておるわけでございますけれども、そういう場合の体育というのはまさに御指摘になりましたような保健体育保健もあわせ考え体育の大学であり、また体育の研究所であるという意味で検討しておるところでございます。学校保健の問題を教育の上でもっと重視するようにいろいろな形において研究を進めさせていただきたい、また御助言もいただきたいと思います。
  29. 羽生田進

    羽生田委員 時間がないのであと二つ、簡単に端的に率直にお答えいただきたいと思うのです。  二十八条で養護教諭を全校に置かなければならないというかっこうにきめながら、百三条で「当分の間、」置かなくてもよろしい。当分の間といったって、これは専門的に一体何年ぐらいのことを当分の間というのですか。もう二十年以上たっているのですが、これでもやはり当分の間なのでしょうか。先ほど来、四十九年度から五十年度にかけて養護教諭の七割を必置するとか、あるいはまた先日法案として学校教育法の関連法案が通ったときの附帯決議等に、養護教諭をできるだけすみやかに置けというような附帯決議がされておって、非常にありがたいのですけれども、当分の間というのが二十何年間もただずるずるとそのままにして、行政責任ということは、そこらに何かないのでしょうか。お考えはないのでしょうか。それが一つ。  それから、学校において養護教諭の地位も非常に必要でございますけれども、現在保健主事というものが当然必要になってくる。保健主事という制度ができた当時は、校長にかわるような者というようなことで、大体教頭が保健主事になるような風潮だったわけですが、だんだんと格が落ちるというとことばが悪いかもしれませんが、教頭以下ずっと新しい人がなるような関係になってくる。特に教頭法というものができるようなことになりますと、保健主事の地位というものが非常にあやふやになってくるわけですが、しかし学校保健子供たちの健康保持ということを考えた場合に、保健主事というのは非常に重要な役割りを持たなければなりませんので、保健主事の任命制なりあるいは法制化でしょうか、格づけというようなこと、この二つについてひとつ簡単にお答えいただきたいと思うのです。
  30. 澁谷敬三

    澁谷政府委員 養護教諭につきましては、いま先生指摘のとおり、先般の法案で全国的に七割が置けるようになるわけでございますが、文部省といたしましては、次の標準法改正の機会に各校に置くということを目途に最善の努力をいたしたいという考え方でございます。  保健主事につきましては、現在、学校教育法施行規則に定められておるわけでございますが、学校における保健管理に当たる者といたしまして教諭をもって充てるということで、これは現在、市町村の教育委員会が任命をすることになっておるわけでございまして、いま御指摘のように非常に重要な職務でございますので、保健主事の方が仕事をしやすいように、いろいろ校長さんに学校の中での御配慮等も願っている次第でございます。
  31. 羽生田進

    羽生田委員 最後に、これはお願いでございますけれども、いま局長さんのお答えの中に、文部省にも学校保健専門技師として今年から養護教諭資格ある者を入れるというようなお話があったのですが、それは体育局の保健課というのも一つ考え方でございますが、先ほど来申し上げましたように、保健教育の重要性ということを考えますときに、初中局に置くということも考えられないかどうか、これは要望申し上げるわけでございますが、大臣、ぜひその点もお考えいただきたいと思います。  それから、先ほど申し上げました学校教育法の一部改正その他についての附帯決議の中に「養護教諭及び事務職員」こう書いてあるのですが、私は養護教諭をまず全校配置をしてから事務職員のことは考えていただきたいと思う。事務職員ということも必要ではございますけれども、学校というのはやはり子供たちの健康教育ということに主眼を置くべきなんで、その必要な意味におきまして養護教諭のほうこそ絶対全校配置で、それができ上がった後に事務職員。事務職員の事務というのは子供たちの事務ということではないと思うのです。大体が教師あるいは学校全体の問題で、やはり学校というのは子供のためにあるのですから、まず子供のことを考えるということから、養護教諭の全校配置ができた後に事務職員考える、こういう気持ちでぜひひとつお願いしたいことを最後に要望いたします。  なお、実はもう少し質問申し上げたいことがあるのですけれども、これは次の機会にお願いいたしましてこれで終わりますが、最後の要望をひとつよろしくお願いいたします。たいへんどうも失礼いたしました。
  32. 稻葉修

    稻葉委員長 吉永治市君。
  33. 吉永治市

    吉永委員 当委員会におきまして本日文化財保護委員会の設立が決定されました。その際、お許しを得まして、私の郷土熊本の貴重な文化財の保護に関して質問を申し上げますことをしあわせに存じます。  このことは、かつて予算分科会におきまして前後二回にわたりまして論議されました熊本県下益城郡城南町塚原の古墳群の遺跡に関してでございます。今日まで県あるいは県議会、地元の町、塚原古墳を守る会、肥後考古学会、熊本史学会、日本考古学会、文化財保護委員会等五十余の団体が一体となって、朝野をあげて、与野党を問わずにこの塚原古墳群の文化財保護、史跡指定ということを目標に邁進しておるという次第でございます。かつて文部大臣、建設省、文化庁長官等のお答えがありました予算分科会以後の発掘調査が進むに従いまして、その文化財としての価値はきわめて高く、全国的にも類例を見ない重要なる学問的成果をあげて、存続の要望が各界こぞって、ほうはいとして起こっておるというのが現況でございます。  つきましては、今日までの論議や質問応答等で、この古墳群の文化財、遺跡に関しまして文部大臣がいかようにお考えになっておるか、また直接の責任者である文化庁長官がどのように考えておられるか。特に現在、工事の中断をして、この問題の解決を待っております建設省、道路公団がいかような状態にあるか。九州縦貫道路と文化財保護関係との間にかなりしこりのようなものも見えますけれども、そうした差し迫った状況下にあります現時点で、いま一度、順序として、文部大臣をはじめ各責任者の方々の現時点のお気持ち、御見解を確認をしておきたいと思っております。  まず文部大臣にお伺いを申し上げます。  分科会におきまして馬場委員、瀬野委員等の質問に対しまして、そのときの記録を拝見しますと、文部大臣は、埋蔵文化財の保存について国民の関心が非常に高まってきたことはうれしいことである。しかし、日本に現在遺跡として確認されておる数は大体十四万カ所ぐらいだと判断をしておる。将来はあるいは三十万カ所くらい、もしくはそれ以上にふえるかもわからない。ただ、文化財を守るということは文部省だけの力ではどうにもできない。けれども、これから文化財調査のための調査員をふだんから十分に養成をしていきたい。要すれば、四十九年から埋蔵文化財センター的なものをつくっていきたい。塚原古墳群は重要な遺跡である点から、工事のほうも中止していただいて、鋭意調査を続けておるところである。調査が進むにつれて、ますます貴重なものが発見されてきておるので、文化庁としては将来りっぱに残す方向で考えるべきものではなかろうかと思う。そうなった場合に、貴重な史跡ということになり、史跡指定ということにもなるわけでございます。この貴重な文化財が埋蔵していたために、最初の間にはこのことがわからなかったことで、結果的には今日道路公団にたいへん迷惑をかけておるなと思っておる。しかしながら、一度文化財をこわしてしまったら取り返しのつかないことになるので、建設省、公団とも十分な協議を尽くして成果のあがるようにしたい。  このようなお答えがあったと記憶をいたしますが、文部大臣いかがでございましょう。
  34. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 お話しのとおりでございます。そして古墳群及び方形周溝墓、たいへん貴重なもののようでございまして、いずれ国として史跡指定という段階に来るのじゃないだろうかというような推測をいたしておるところでございます。
  35. 吉永治市

    吉永委員 そのおことばから推察をいたしますると、この埋蔵文化財を史跡指定にして、でき得べくんば原形のまま存置して、貴重な文化財として後世に残したいという御判断であろうというように推測をいたしますが、よろしゅうございますか。
  36. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 どの範囲をどういう形で残すかというような問題はございますけれども、いずれはそういうことになってくるのじゃないだろうか、かように考えておるわけでございますが、具体的な問題につきましては、文化庁長官が参っておりますので、お答えをさしていただきたいと思います。
  37. 吉永治市

    吉永委員 文化庁長官にお伺いします。ただいま申し上げましたように、ただいままでの意思発表としてなさったことを一応集約をして、確認する意味でてまえのほうから申し上げます。  文化庁長官の談話として、塚原古墳群は、弥生時代から古墳時代にかけた遺跡であり、現在まで検出された遺構は、方形周溝墓二十五基、円墳三十四基、石棺十七基、別に一基等があり、遺跡としては非常に重要な価値を持っていると思う。私どもとしては、塚原古墳群が保存できるような方法でお考え願い、道路公団にもお願いし、積極的に前向きでこのことと取り組んでいきたい。しかしながら、今度、用地買収それから設計施工等が起きた、実働に入った時点でさらに重要な文化財が発見されたということは、今度の問題は宿命的なものだと思う。何とかひとつ路線変更はできないものかと公団にお願いしておる。さらに国の史跡に指定するためには、文化財保護審議会、さらにその下の専門分科会で十分検討された結果にまつものであるけれども、塚原古墳群はこの線に沿って積極的に前向きの姿勢で対処してまいりたい。ついては、右のような機関にかける条件あるいは必要な措置として、第一、保存の方法がある程度明確にならないとできかねる。第二、道路公団と十分な話し合いをし、土地その他の問題に見通しを立てたい。第三、県あるいは町と十分な意見調整が必要であると思う。  このようにお述べになっておる。そのような御見解であると了知しておりますが、よろしゅうございますか。
  38. 安達健二

    ○安達政府委員 先ほど来大臣からもお話がございましたように、また私が先般の予算分科会で申し上げましたこと、ただいまお話しのとおりでございます。  この遺跡の価値につきまして、実はその後四十九年三月末までの調査によりまして、その遺跡の数は従来よりさらに増してまいりました。方形周溝墓は三十七になりました。それから前方後円墳が一、円墳が三十九、それから石棺が十九、それから石蓋土壙が一、こういうことで計九十八の遺跡等が発見されておるところでございます。  それからその保存の問題につきまして、この予算分科会後、文化庁の吉久文化財保護局長が日本道路公団のほうに参りまして、この保存につきましていろいろお願いをいたしたわけでございまして、その第一といたしまして、予定路線の変更ができないかということをお願いをいたしておるところでございます。その後また、県の議会、熊本県の松岡議長の名前で意見書が出ておりまして、塚原古墳群の保存について万全の措置を講ぜられたい、塚原古墳群を国の史跡として指定されたい、こういう意味意見書が提出されておるところでございます。それで、この指定の問題につきましては、先ほどお述べになりましたように、保存の方法があるいは土地についての見通しというものがつくということがやはり前提であろうと思うわけでございまして、幸いにして県当局も、また城南町のほうも非常に御熱心でございますので、今後の保存あるいはこの利用ということから考えまして、現地との間に十分なる意見の一致を見ることが必要である、こういうように考えておるわけでございますので、現段階におきましては日本道路公団との話し合い、それから地元の県と町との間の意見の調整、こういうことをいま努力いたしておるところでございます。
  39. 吉永治市

    吉永委員 ただいま文化庁長官から、その後の新たに検出されたものということでお申し出ございましたが、私、五月十日にまた現地へ参りまして、地元の町長の案内でくまなく巡歴をしてみたわけでございますが、もう少し出てきてまいりました。その後の調査で新たに検出されました円墳が別途に三基、計三十七基、方形周溝墓が別途に十五基、計四十基、石棺が別途に二基、計十九基で、総計七十基になってまいりました。これが幅六十メートル、長さ五百六十メートルの塚原台地に現時点に現存している姿を私は見てきたわけであります。御承知のように、ただいまおっしゃいましたように、この塚原古墳群は、弥生時代の墓制の特徴である方形周溝墓から古墳時代の高塚古墳へと発展していく過程を示す四世紀末から六世紀にかけての古墳群で、日本でもほかに一つも類例のないきわめて重要な遺跡であるということは長官御指摘のとおりでございます。九州中部の肥の君豪族の本拠だといわれる何ものにもかえがたい歴史的な文化財でございます。  ここでさらに長官にお尋ね申し上げますが、質疑応答の際のお気持ちとしてそんたくをしておるわけでございますが、この塚原古墳群を国の史跡指定にするためには、先ほど申しました文化財保護審議会と専門分科会にかけなければならない、そのためには、先ほど申し上げましたが、保存の方途がある程度明らかにされなければ困る、このようなことをおっしゃいました。長官がお考えになります保存の方途で一番望ましい方途はどういう方途であるか、率直に御見解を御回答いただきたい。
  40. 安達健二

    ○安達政府委員 最も望ましいのは、その縦貫自動車道路の予定路線が変更されまして、その部分が現状のまま保存されるということがまず第一点。それから、それが将来の人たちに十分周知できるような形で整備される、たとえば石器公園と申しますか、そういうような形で整備されることが最も望ましい、こういう意味でございます。
  41. 吉永治市

    吉永委員 これは建設省、道路公団側からする見解のように思いますが、ただいま保存の方途について一応の種類としてあげられておるもの、その第一はルートの変更、すなわち迂回の方式でございます。それから第二はトンネルの方式、第三は高架、大きな橋をかける方式、それから第四番目は盛り土の方式、第五番目は復元の方式、六番目は記録保存の方式というようにあげておるようでございますが、公団は、事前に昭和四十二年に文化庁と意見書の交換をしておるようでございます。そして県及び地元、教育委員会等の意見を聞きながら路線決定の基準にしたということのようでございます。  その一つの基準は、最も重要な地点が路線からはずれるようにしたいということ、第二は、高架かあるいはトンネルで現状保存を何とかやってのけたいということ、第三番目は、発掘調査し、これを別個に存置する方向あるいは記録だけを残す方法、そういうことを事前に地元、県あるいは文化庁あたりと十分相談をしておる、いわば周到な準備があったと言えないことはないというようなことでございます。  これは後ほど建設省、道路公団にも詳しく伺いますが、長官、このルート変更がどうしてもできない場合、このような場合はどのような方向が望ましいか、あるいはもうこれ以外ないか、その辺のことをいま一度お願いいたします。
  42. 菊池三男

    ○菊池政府委員 ただいまの塚原の古墳の問題につきましては、実は高速道路等の道路事業をやりますときに、ルーティングのときに一番問題になる問題でございます。実はこの地区におきましては従前から塚原第二古墳群があるということがわかっておりましたので、事前に熊本県の専門委員会のほうと十分連絡をとりまして、そのときには非常に重要な、たとえば琵琶塚とかあるいは石の室あるいはもう一つ三段塚ですか、そういうものはぜひはずさなければだめだということで、そういう重要なものは、事前からわかっておりましたものははずしてルートはつくってございます。  そしてその後四十六年に実は用地の取得が終わったわけでございますが、その後四十七年度、八年度と二年にわたりまして、その地区の道路にかかりますところの発掘調査をして資料の保存をするということをやっております。そのために約二千五百万ほどのお金をかけてございます。そしてやっておりましたところが、最近になりまして方形周溝墓という非常に貴重なものがまた出てきたということがわかりまして、地元のほうからもできるだけこれを保存してほしいというお話があったわけでございます。  私ども建設省といたしましても、やはり文化財はできるだけ残しながらいく、これはそういう考え方を持つのは当然でございます。したがいまして、できるだけそれを保存する形で今後進めていかなければならないと思います。そのためには、先生のいまおっしゃいましたように、ルートを変えるとか、あるいはそこを橋にするとか、トンネルにするとか、いろいろな考え方がございます。私どもも、県の教育委員会あるいは地元の方とも御相談しながら、現在もまだ最終的な結論に至っておりませんけれども、ルートを変更することは非常にむずかしいと思います。これはもうすでに現地の用地の取得を終わっているところでございますし、また、これがルートを動かしますと、その前後から相当な距離で動かさなければなりません。そういたしますと、ここでまた新しい土地の地主さんの方々との問題が起こるわけでございます。用地につきましては、これはほんとうに一戸一戸それぞれの考え方が違いますので、もう一度用地買収がされたところと別にまたルートを変えるということがそういう意味では非常に問題でございます。それもありますし、またもうすでにそういう用地買収も進んでおるところでありますので、文化財をこのまま残す形で工事ができないか、新しい最近の工法も進んでおりますので、いまそういう点を詰めております。ただ、トンネルにすることもその一つでございますが、これは地質の問題やら、あるいはトンネルにしますときには、土かぶりが薄いもので、一度オープンカットしてから、そこへトンネルをつくって、また復元する形になりますので、どうしても物が一度こわれる、そして復元という形になりますので、非常に重要なものについてはそれもできない。それではそういうものを残したままトンネルを掘れないかということで、いま新しい技術で、土かぶりが薄くても、ある程度その土質を固めまして、下をトンネル式に抜くということもできます。ただ、これはあまり長い距離になりますと、何百メートルにわたるというようなことは、まだそこまでできませんが、たとえばいまの方形周溝墓というものが出ているとすれば、そういうところはそういう方法で抜き、また場所によっては一度カットして、そのまままた復元するというようなこと、あるいは、これはみぞでございますので、そこら辺の土を固めまして、何かようかん切りのような形でそっくり横へ持っていってまた戻せないかとか、いろいろな技術的な工法の検討をしながら、できるだけそれをそのまま残す形で工事を進めていきたいというふうにただいま考えております。そしてこれは県、地元の方、それから文化庁と十分お打ち合わせをしながらやりたいと思います。現在、工事をそこの区間は中止しておりますけれども、すでに前後のほうも発注が進んでおりますので、私どもとしてはなるべく早くきめて、また工事のほうを再開したいと考えております。
  43. 吉永治市

    吉永委員 ありがとうございました。  建設省の局長の御意見はもう一つ聞くといたしまして、その前に文化庁長官、先ほどの続きでございますが、保存の方途が判明してからでないと何とも史跡の指定はいたしかねるということでございます。これはまことにごもっともな話でございますが、史跡指定に該当するものであるならば、もちろんこのような貴重な文化財、これはたいへん貴重な埋蔵文化でありまして、史跡指定に該当することは必定でございましょうけれども、史跡指定という意思決定が先にならないから、どうもそういうところにもやもやが出てきて、順逆がちょっとおかしなかっこうになっておる、そうお思いになりませんか。国の史跡指定の意思決定が先であるのではなかろうか、このことは地元の城南町の岩永町長とか県関係、文化人関係意見として非常に強うございますが、いかがなものでございましょうか。
  44. 安達健二

    ○安達政府委員 先に指定があって、それからそれの保存の方途として現状変更について規制を加えるということは、いまお述べになりました順逆といいますか順序という意味では、もっともな御意見ではあろうかと思います。ただ私ども、いま行政を進める場合に、たとえば私有地等でございまして、その私有地を、私の個人が持っている私有地を指定する場合でございますと、やはり御本人の同意と申しますか、お気持ちを十分そんたくしませんと、いきなり指定をするというわけにはいかない。法律上はそういう同意がなくしてできるということになっておりますけれども、具体的な問題として、これを完全に保存していくという面から言いますると、十分な同意と申しますか、了解を得た上で進めていくように私どもやっておるわけでございます。したがいまして、理論的な面からすれば、おっしゃいますようなことも、こもっともだとは思うわけでございますけれども、実際の手続から言いますと、やはり両者が並行していくというのが実際のわれわれのやっておるところでございます。  それから、この部分の史跡の指定ということになりますると、その方形周溝墓は最大級のものでございまして、それは事実でございますが、それではその方形周溝墓だけを残せばはたしてそれだけで指定にたえるかということになりますと、これについてはなお意見がございます。先ほど来お話ございましたように、方形周溝墓それから前方後円墳あるいは円墳、そういうものが一体的にあるというところがやはりこの古墳群の意味でございます。そういう意味でございますると、方形周溝墓だけというと、やはりその指定についてはいろいろな議論が出ますので、全体的として指定をするということになりますると、はたしてそれがどのようにして保存の可能性があるかという見通しがございませんと、先に指定をしてあとでいろいろ混乱を起こしてもどうだろうかということで、私どもといたしましては、道路公団、熊本県、城南町、こういう間と私どもとの間で意見の一致したところでこの保存の方途がきまり、それに応じて私どもの指定なども進めるべきものである、かように考えておるところでございます。
  45. 吉永治市

    吉永委員 長官のそのことに関しましては最後にまたお伺いするとしまして、先ほど建設省の菊池局長からお話がございましたが、その前に、建設省の現時点までの考え方ということで、こちらで確認をしておきたいことがございますので、簡単に申し上げます。  建設省の意図として、保存の方法がきまるまでは工事を差し控える。それから、現在すべて用地買収は完了しておる。その後教育委員会に委託調査の結果現在のような段階になっておる。ルート決定の経緯としては、琵琶塚古墳、三段塚古墳等に触れないルートを慎重に選んで選定をした したがって、現在の路線上においてどのように保存の方法を考えていくか、その考え方でまいりたいと思う。それだけに文化財を全く無視するという考え方は建設省としては全然していない。あくまでも文化庁の指導を受けながら万全の処置を講じていきたいと思う。路線を決定する前の段階として、右のような配慮の問題、それから路線発表、用地取得をして、さらにその後いろいろな調査をする。そのような配慮に基づいて四十三年三月六日整備計画を発表、同時に日本道路公団に施行命令を出した。路線発表を四十四年十二月六日に出したのは、これまでの間文化財古墳等の調査を県教育庁に委嘱し、その結果一応の合意を得て、四十六年度一ぱいかかって用地の取得をした。非常に周到に準備をしたつもりである。よって、四十七年度、四十八年度にわたって発掘調査を行なってきたのが現状の実情である。以上のようなことが大体今日まで建設省がとってこられた態度だろうと思いますが、菊池局長、いかがでございますか。
  46. 菊池三男

    ○菊池政府委員 ただいまの先生のお話のとおりでございます。
  47. 吉永治市

    吉永委員 ここでお伺いしますが、路線の変更、ルート変更と申しておりますが、これはどうしてもできないものであるか、このことをお伺いしたい。これは担当の方にお伺いをしたいのですが、御承知の塚原古墳群の北のほう約一キロの沈目という部落、そこに浜戸川という川が流れて、そこのま正面に塚原古墳群を見る道路公団の大きな橋ができております。これができた時点でこの問題が起きて、工事が中止になっておる。あるいはこの問題が起きてもある程度続行されたか、その辺よくわかりませんが、現在はその工事は中止をされておる。その橋から迂回路、新しいルートに持っていくことが技術的に可能であるかどうか、このことが一つ。  それから新しい路線を、その水田地区、いまの道路地区を今度は東側に変更する場合に、水田を買収できる。これは地元の町長は言っております。岩永町長がはっきり私に言っておる。県もそのように言っております。それを買収できるとするならば、これはルート変更ができないこともなかろうじゃないか。  さらに第三番目には、用水の池があります。これは約千二百坪、四反くらいの面積でございますが、その用水の取得は現況においてはさほど困難ではない、私はこのように思います。それから、その新しいルートになるとすれば、三軒の家屋移転をしなければならない。これは私が直接聞いてみたわけでございますが、今日までそういう交渉もあっていないようでございます。  さらに最後の問題として、古墳群のまん中を通ります塚原台地、その土地と、新しい迂回路をつくるとするならば、その道路用地の買収は町で責任を持ってもよろしいということを言っておりますが、実際そういうことまで御調査なすったかどうか。このような点で、これは担当者からお伺いを申し上げます。
  48. 山根孟

    ○山根説明員 お答え申し上げます。まず第一点の、技術的に可能であるかどうか、こういう点でございます。先ほど先生指摘の、現在圃場整備をしてございます北側の橋梁の部分から塚原台地を迂回をいたしまして南下をいたします東側を通るルートが可能か、こういうことでございます。これは高速道路そのものの規格、平面線形、縦断線形、それから高速国道としての安全性を確保するという観点から、やや前後にわたった線形上の調和の問題がございます。こういった観点からいたしますと、いま懸案となっております区域以上の区間についてかなり全面的に検討をし直さなくちゃいけないという問題がまず第一点出てまいろうかと思います。また、かりにそういたしますと、より大きな問題になってまいりますので、これは一応対象からはずすといたしまして、いま先生の御指摘の区間だけについて申しますと、線形上の問題ひいては安全性その他の問題からいって、技術的に非常に適切な線形が得られないというぐあいに考えております。  それから第二以降の問題でございますが、これはかりにルートを変更した場合に、具体性ないし妥当性があるのか、こういう御指摘であろうかと思います。圃場整備の問題につきましては、四十六年度に用地買収をいたしました段階から、たくさんの関係者の方々の御協力のもとに、現在の高速道路の敷地をいわば生み出していただいたという経緯があるわけでありまして、これを東側にルートを変更いたしますとすると、四十六年までに路線発表いたしましてから用地買収をいたしますまでの間の努力を、さらにこれからいたさなければならなくなるわけでありまして、これには非常にたくさんの方々の御協力をあらためて得なければならない、こういう問題が出てまいるわけでございます。  第三に、池の問題がございました。この池をどうする。この点につきましては、すでに土地改良等が進んで、一部には、この用水池そのものはすでに機能を果たしていない、こういうようなお話を承っておりますが、やはりこの用水、いわば用水の池と申しましても、消防用水その他いろいろな観点からの利用もあろうかと思いますし、そういった点の調査につきましては、現在いたしておりませんが、この点につきましては、むしろこの用水池そのものがいわばあの地域の自然景観の一つをなしておるといった観点から、われわれとしましては、現段階においてこの池をつぶすという案には、いささか大きな疑問を感じておるところであります。  第四の、この東側に接続のルートの問題としては、家が三軒ばかりかかる、こういう問題がございます。実はこの家屋並びにこの周辺には森が残されておるわけであります。したがいまして、家を含めた塚原台地の東側に展開をいたしておりますいわば自然環境の問題が新たに出てくるわけでありまして、これにつきまして、これはいろいろな評価の問題もあろうかと思いますが、当初路線選定をした趣旨から申しますと、そういった点を勘案をして路線を設定をいたしたという事情がございますので、われわれとしましては、これまた大きな問題が残されておるというぐあいに考えております。  最後に、用地の単価の問題がございました。単価の問題に、用地の買収を新たにするとしても、四十六年度時点と現在の時点とのいろいろな差額の問題があります。一体どういうぐあいに負担をしてまいるかといったこともあろうかと考えるのであります。  以上、圃場整備の問題、用水池の問題家屋移転の問題用地取得の単価の問題といったことを勘案をいたしますと、これは現時点でこの具体性がどうか、こういう判断になりますと、非常に至難のわざではなかろうかという判断をいたしておるわけであります。城南町長さんは、これがある程度のめどがついておるというお話があったのでありますが、われわれこの付近の事情から推察をいたした限りでは、かなり生活環境の問題その他用地の移転等々の問題がございまして、当初用地の取得をいたしましたとき以上の非常に大きな問題が派生をしてまいるという危惧を実は持っておるわけでございます。  こういったような観点から、高速国道の路線を、現在路線発表いたしました中で変更したという事案はないわけでありまして、先ほど局長から答弁申し上げましたように、現在の路線でどう保存の方法等を考えていくかということを第一義として検討をいたしておるところであります。
  49. 吉永治市

    吉永委員 ただいまの第五項目、既買収の塚原台地と、それからルート変更をもし予定するならば、その交換分合と申しますか、その塚原台地の用地は、現在御承知のように六十メートル幅で五百六十メートルの長さに及ぶが、補償額を含めて十アール当たりの土地購入費は約百二十万円であって、総額三千万円を要したと思われておる。  なお工事費は、緑川左岸から松橋インターの間約九千メートルの間を十七億の工事費の予定であるので、換算すると一メートル当たり約二十万円、これから換算をすると、この台地の区間の工事費は約一億円前後になる。そうしたら、いわゆるルート変更ということがもしできるならば、さして費用の格差というものはないのじゃないかというような見解もありますが、いかがなものでございましょうか。
  50. 山根孟

    ○山根説明員 昭和四十六年度時点の用地費単価と現時点での単価は、実はその後非常に全国的に見て一般的に上昇をいたしております。したがいまして、かりにルート変更するといたしましても、先生指摘のようなことではまいらない、相当巨額の費用を要するものと推算をいたしております。
  51. 吉永治市

    吉永委員 ところでシールド工法、この工法について昨今建設省、道路公団から新たな提示がなされておりますが、その概要を御説明いただきたい。
  52. 山根孟

    ○山根説明員 この工法は、先ほどシールドと先生指摘あったわけでありますが、通常のシールドはかなり地下を深く参る工法でございます。現在この塚原台地において考えております工法は、いわば学術的には明確な定義がなされておらない新しい工法であります。これは方形周溝墓等のございます表面部分から三メートルないし五メートルの下にトンネルをつくる、こういう工法であります。この考え方は、地表から三ないし五メートルのところに、道路の縦断方向にパイプをいわば水平に打み込みまして、これにセメントミルクを注入するということでまず地表の上層部を固めるわけであります。固めておきまして、今度は通常のトンネルのように、道路の下面の部分の、われわれ側壁と呼んでおりますが、両側の部分から二メートル五十ずつ、基礎の部分から逐次二メートル五十四方のいわば坑道をつくりまして、一応セメントミルクで固めておりますそれにささえられながら、逐次それを上がっていってその固めてあるところに到達をする、これで柱ができ上がるわけであります。この柱ができ上がりますと、この柱と柱を、つまり車道の両側になりますが、その車道の両側の柱と柱を結びつけるためのはりをこのセメントミルクの下に施工をする。このやり方も、やはり下から上がっていく場合と同様に、ステップ・バイ・ステップに掘り刻みながら構造物をつくってまいる。つまりそういたしますと、道路の縦断方向に向かいましてこれまた二メートル五十ずつ掘り進むわけでございますが、この技術が最もみそになるところであります。つまり、セメントミルクで固められた下を少しずつ掘りながら、柱と柱を結びつけていく。それで上方に全く影響のないような工法で車道空間を地中の中に残していくというやり方をとるわけであります。つまり、鉄筋コンクリートの構造物を上部とは全く無関係につくる、こういうことであります。この工法は、実は中国道の有安古墳で試みられて成功をいたしております。  先ほど局長が申し上げましたように、この方法そのものがどこまでいけるか、これは限界があるわけでありまして、われわれとしましては、この有安古墳の場合には四十メートルそういう工法でできました。つまり二十メートルずつ両側からやっていった、こういうことでありますが、これをどの程度技術的に延ばし得るかという点を現在いろいろ検討をいたしておるところであります。
  53. 吉永治市

    吉永委員 四月の二十日に、熊本県の知事以下県議会総務委員会その他各種団体の長が、建設省あるいは文化庁、公団等に陳情に上がって、そのあと三十日の午後二時に、現地城南町の役場で関係者が会同いたしました。その際の一つの結論的な問題でございますが、文化庁の古村記念物課長、この人の見解でございますが、トンネル案をシールド工法で実施するか、迂回案でいくか、二案のうち一つで、ぜひ国指定史跡として保存したい、後述の公団案が国指定史跡となるかについてはいまお答えはできません、このようなことを申しておられるようでございます。  それから建設省の国道第二課長が、路線変更は現在のところ考えておらない。  公団の三野理事さん、この人も、路線の変更は非常に困難である、費用はどんなにでも惜しまないつもりで、最高の技術を投入して御期待に沿うようにしたい。一番重要なところはシールド工法でトンネルにする、そのトンネルの長さは少なくも百三十メートルぐらいにはしたい、こういうような意思。第二番目に重要なところは合成樹で固め、その部分を移動して、そのあとでき上がったときに復元をする。三番目に重要なところは必ず復元をする。  このようなことが各人から会同の席で意見が開陳をされたようでございます。熊大の松本教授をはじめ、このことについては現在学者陣、専門家相寄って打ち合わせておるということでございます。  ここで最後にお尋ねを申し上げたいことは、シールド工法、この工法で塚原の埋蔵文化財を正しく保存できるか、その保証の有無、これを山根課長とそれから先ほど文化庁の立ち会われた課長さん、御意見を聞かせていただきたい。
  54. 山根孟

    ○山根説明員 まず、シールド工法、われわれがいま考えております特別なトンネル工法でありますが、これにつきましては有安古墳の経験を持っておりますので、これは上方に対して地表面付近にございますものを全く現状のままでできるという確信を持っておるわけであります。ただ、ようかん切りにして再びこれを原形に復旧する、こういう工法につきましては、土質の問題がありまして、これをうまく固め得るかどうか、こういった点もございますので、なお具体的な方策につきましては検討をする必要があろうかと考えております。
  55. 吉永治市

    吉永委員 文化庁長官にお伺いしますが、長官の部下の古村記念物課長は、先ほど申し上げましたように二案のうち一つでぜひ国指定史跡として保存したい、そういう意思表示をしておりますが、長官の御意見を承りたい。
  56. 安達健二

    ○安達政府委員 私どもの遺跡の保存といたしましては、古村記念物課長が申し上げたように、道路を変更していただくか完全トンネルか、いずれかであるという意見がわれわれとしては正しいと思うわけでございます。道路の変更は非常にむずかしいということはよく私どももわかるわけでございますけれども、ごく最近におきまして沖繩の仲泊貝づかにつきましては道路の変更が決定されようとしているような事態もございます。それから平城宮跡の東院あとが四十一年に出ましたときには道路の変更もございました。しかしいずれにいたしましても道路の変更がむずかしいことはよくわれわれも理解できるわけでございますが、史跡の保存、少なくとも国の史跡として指定するようなものといたしますれば、やはり完全トンネルが望ましいと私どもは考えておるところでございます。
  57. 吉永治市

    吉永委員 先ほどのシールド工法によって生じる障害と申しますか、われわれの考え方ではこの塚原の埋蔵文化財を正しく存置し保護し、後世に残したい、その気持ちだけでございますが、このシールド工法によって文化財の保護がどの程度完全にできるのか、あるいは国の史跡指定としてどの程度支障があるのかないのか、その辺のことで文化庁と道路公団、建設省とお話し合いになりましたか。それともこれからお話し合いなさる確約か何かがございますか。長官にお伺いします。
  58. 安達健二

    ○安達政府委員 建設省なり道路公団のほうも、この保存について最善の努力をいたしたい、こういうお話でございますので、私どもといたしましてはひとつ十分相談をいたしておきたい。ただ、私どもの望ましい態度は先ほど申し上げたとおりでございますけれども、われわれといたしましては、御相談をいたしまして、十分御熱意のあるところをくみつつ、完全な正しい保存ができますようにお話し合いを進めてまいりたい、かように考えておるところでございます。
  59. 吉永治市

    吉永委員 この問題に関しましては、先ほど申し上げましたように、県はじめ各種団体が総力をあげてこの実現に邁進しておるわけでございますが、この二十三日にもまた文化庁はじめ長官あたりに、全部いろいろ御相談に上がるということのようでございます。この問題の極点は、この工事によって国の史跡指定がくずれたらたいへんだということ、ここに尽きるわけでございます。その辺をよく御了得をいただきたい。つきましては、各団体の長が上京して陳情しておりますが、一度文部大臣の御指教を仰いで、熊本県の現地で文化庁の責任者、道路公団、建設省の責任者の方々が、県下のそうした各種団体の長も漏れなく集まって、納得のいく協議をなさったらどうだろう。これは道路公団も、先ほどの沈目の部落、松橋の町、その間だけがぽつんとあいておって、両側で非常に積極的に工事が進められておる。これは工事として一刻の遅滞を許さないような状況でございます。民心の帰趨もそのようなことでたいへんあせりを見せております。これは必要でございましたらどんなにでもお手引きをいたしますので、大臣のあれでひとつ現地で、現物について、特に工事技術の問題も現地についてよく御了得になって、早急な解決をお願いしたい。東京で図上でやるということは一応極点にきたようでございます。もう現地について現物についての確約、確認、そういうことがどうしても必要な段階になっておる、このように感ずる次第でございます。  重ねて申し上げますが、この塚原古墳群の保存計画として、地元城南町、県教育委員会その他朝野をあげて、各政党もこぞって、史跡公園あるいは火の国の丘または風土記の丘というような永遠に保存できる国指定の歴史公園とするために二十七ヘクタール、この全地域を買収して、推定される五百個の古墳群、これを太古よりの原形のまま存置する、三千個にのぼる土器も全部復元をして、この類例のない民族的文化財を永遠に保存し、後世に残したい、また残さなければならない、そのようなことで必死になって真剣でございます。どうか文部大臣、おくみ取りいただきまして、いろいろな御指示、御指教のほどを特に切望いたします。最後に大臣の御意見を承りまして私の質問を終わります。
  60. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 埋蔵文化財のために道路建設に御迷惑をかけておることは事実でございます。またあまり長くこれを引き延ばしておきますことはいろいろな支障がそこに加わってくるだろう、こう思うわけでございます。たいへん重要な御提案をいただいたわけでございます。建設省、文部省両者よく話し合いをいたしまして、事前の打ち合わせを十分重ねた上で御提案のような方法をとることが必要ではなかろうか、こうも思われるわけでございますが、十分検討させていただきたいと思います。
  61. 吉永治市

    吉永委員 終わります。
  62. 稻葉修

    稻葉委員長 次回は、来たる二十二日開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後零時十九分散会