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栗田委員 豊かな一般教養を与えるために
設置基準を上回る十二人の教官を配置したとおっしゃいました。しかし、いま豊かな一般教養を与えるという立場から
考えるならば、総合
大学の
一つの
学部として置いたほうがはるかに豊かな教員、そして専門的な方たちの
教育を受ける機会が得られると私は思います。静大の場合を調べますと、こうなっております。まず一般
教育の科目ですと、人文系列、哲学、倫理学、宗教学、日本史、東洋史、西洋史、国語学、国文学、外国文学、漢文学音楽、美術、これだけの講座がございます。社会系列で申しますと、法学、政治学、経済学、社会学、地理学、心理学、
教育学、これだけがございます。自然系列を見ますと、数学、物理学、化学、生物学、地学、統計学、これだけがあるわけです。その他外国語でもその文
学部もありますので、外国語の専門の教授が多数おられますし、保健体育の先生方もいらっしゃる。こういうふうになっているわけです。この数だけ見ましても、はるかに十二人を上回るものだし、講座の
内容は実に豊富な中身になっておりまして、一般
教育、外国語、保健体育の専任の教官数だけで五十三人います。こういう総合
大学の中の
学部として置かれたならば、その一般
教育を受ける場合に実に選択の範囲は広く、しかも専門家が十分に配置されているという状態になるわけです。やはり
学校をつくっていく立場で
考えていったら、ほんとうに
教育の
目的、新制
大学であれば、その
大学の理念を貫けるような状態に置いておくということ、そこのところにまず中心を置かなければいけないと思いますが、これだけ豊かな教官陣があって、そこへ
学部として置かれたならば、十分な選択の範囲を持って一般教養を受けることができるのに、わざわざこれを
単科大学にして、ふやしたといったって十二人しか配置されていない。こういう状態のところに置かれるわけなんです。一体この二つを比べてみた場合に、どちらにしたほうが豊かな一般教養が保証できるとお
考えでしょうか。