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奥野国務大臣 たいへん恐縮でございました。
御
指摘のと
おりに私も
考えておるわけでございまして、戦前の
教育の反省の上に立って戦後の
教育が行なわれてきた。戦前の
教育の反省の上に立ってということになりますと、超国家主義の
教育が行なわれておった、その反省の上に立って戦後の
教育が行なわれてきた、こう
考えるわけでございます。そういう戦後の
教育をどういう
ことばで表現するかはいろいろ
議論があると思いますけれども、ある
意味においては超個人主義の
教育、こう申し上げてもいいのじゃないか。私は、これからは過去三十年近い超個人主義の
教育の反省の上に立って新しい
教育を編み出していかなければならない、こんなことを言うておる人間でございます。やはり戦前の
教育の反省の上に立ちまして、個人の充実が大切だと強調されてまいったと思います。それはもちろんそのと
おりだと思うのでございますけれども、個人は
社会の中にあっての個人でございますので、
社会全体が充実しなければ個人も充実しない。にもかかわらず、国家とか
社会とかという問題に触れることをことさら避けてきた。そして個人の充実を説いてきた。個人の充実が、そういうことでありますので自然利己主義に走ってきたというようなきらいが多分にあった。したがってまた、国家
社会に関するようなこと、国旗でありますとか国歌でありますとかというようなことをことさらにないがしろにしてきた。こんなことが言えるのじゃないか、私はかように
考えるわけでございます。
一昨年の五月に沖繩が日本に復帰しました。それを記念いたしまして体育
大会が沖繩で持たれたわけでございます。私も沖繩に参ったわけでございましたが、そのときに、沖繩の
教職員組合の方々が、競技の開催されます各市町村に対しまして、国旗の掲揚
反対ですよ、国歌の斉唱
反対ですよ、そういうことをされる市町村には競技の
運営に
協力しませんよと、こんな申し入れをされたわけでございまして、日本が
独立を回復した当時の前後とよく似ているんじゃないだろうかという
感じも持ったわけでございまして、その後に沖繩の県
会議員の方々、各党派を網羅して
東京に来られました。私はこの話を持ち出しまして、この話を聞いたときに私には沖繩の
皆さん方が日本人になるのはいやだと言っておられるように聞こえましたよ、こんなことを申し上げたわけでございまして、そうしましたら、帰りがけに二、三の方々が、たいへんよいことを言うてくれましたと言われた県
会議員の方もいらっしゃいました。やはり超国家主義の
教育の反省の上に立つことは必要だけれども、また、そのことが逆に国家、
社会を忘れてもいけないという反省をいま私たちは持たなければいけないのじゃないだろうか、かように
考えているわけでございます。
日教組の
皆さん方につきましても、いま申し上げましたような気持ちをひとつ反省していただきたい、かような念願をするものでございます。