○米内山
委員 幸いに、
長官はあの
地域の状況を一応御存じであるからありがたいことだと思うが、実は、去年の秋に雨が少し降り過ぎたんです。そのために、下北半島では、あの温泉のある下風呂まで、うしろの
国有林が、山が荒れたせいでしょう、伐根が流されてくる、土砂が流れてくる、家屋が倒壊するということで、人間の死ぬという事故も起きたのです。これは責任は雨だと言えばそれまでだが、うしろの山が荒れていた証拠だ。さらには横浜、あの下北線の鉄道の長大なところ、あそこはあの鉄道が通ってから五十年余りになりますが、地震で故障を起こしたことはあるけれども、いまだかって雨で故障を起こしたことはない。それがしかも、その不通期間は百五十日にも及んだのです。これはみんなうしろの山が荒れたからだ。山が十分なときには、雨が降っても水がじゅうじゅうと流れる。山が裸になって、しかも伐根の処理が不十分なために、水と一緒に伐根が流れてきて、鉄道線路をくぐっている小さな暗渠にそういうものがひっかかる。そうして、鉄道のすぐ片側は海でしょう。上全体が湖のようになる。どこか決壊する。その決壊場所が十カ所以上も出る。これは
国有林の上だけに降った雨じゃないけれども、いずれにしろ、こういうふうな被害が出ると、あの
地域では、これはあげて
国有林のせいだと言う。評判がよくないわけです。これじゃ、ぼくが考えるに、青森県の場合には、
森林面積の六割、七割を持っている営林行政をやる上において、住民が不便なばかりでなく、あなた方もやりづらい点がこれから拡大していくと思うのですが、そういう点で、地元
対策と申しますか、これは当然義務としてやらなければならない。昔の地主でも、これくらい圧倒的な地主は、食えない者には食わせるくらいのめんどうは見たものです。人間だから、それは出かせぎをしても何をしても死にはしませんけれども、しかし、発展がないのです。そういう点で、くふうすればやり方は幾らもあると思うのですよ。
林産物の加工というものもあると思うし、あるいは
造林というものを大幅にふやして、あるいは
造林地の保護にしても、地元の
雇用を営林局の
仕事そのものの中に拡大することもある。さらにこまかいことならば、ワサビをつくる。根ワサビ田ぐらいはつくれる場所は
国有林以外にないのですから、そういうことをやっていくと
かなり緩和すると思うのですが、こういうことがないのだからね。
青森県では、これまで政治家で
国有林開放ということを言わない政治家はなかったのです。みんな一応は、おれが代議士になれば
国有林を取ってくれるという意味の開放を言ったのですが、しかし、これは成功したことはわずかです。これはあとでひとつ追跡調査をしていただきたいが、戦後、町村合併の時代から、そういう名目で山を取ればいいという意味の開放、
国有林を奪い取ればいいというような意味の政治運動が起きたのです。その中には、買った次の日に山を坊主にして、その銭で株式を買って、その会社がつぶれてしまって、そうして木も植えないで、木も植わらないうち、あるいは成長しないうちに金利に追われているという、そういう
森林の開放もある。
それから、いまのむつ小川原の農地の大部分は
国有林を開放したものです。これに世銀の融資が加わり、あるいは農林省の開拓事業が加わって、約二十数年たって、本州では一番りっぱな酪農地帯になったのです。ところが、その次に来るのがこの
開発なんです。いわゆる狂
乱開発です。しかも、畑の場合は六十七万円なんです。林地でも六十万なんです。それに立木の補償がつくのです。水田は七十八万。それが十俵も十二俵もとれるならば別ですが、五俵もとれば豊作だという低収穫地帯にこういうふうなことで買い占めが始まるのです。そうすると、二十年前の
国有林の開放というのは、住民から見ると、単に札のかたまりになっちゃっている。農業じゃないのです。国民に食糧を供給することとは別になるのです。だから、やはり、こういうものは農業
政策と密着してやらないならば必ずこういう結果を繰り返すと私は思うのです。
だから、今後の
国有林の活用ということについては、それは
仕事の
条件によっては所有権の移動も必要としますけれども、主として農山村において
国有林を活用する場合は、所有権とは別個に活用という道を開くと資本の負担も楽になるのですよ。
国有林の安い料金の借地であれば、売る不自由さはあるでしょうが、しかし、この活用の目標というものは生きていくわけですから、私は、そういうことを主張したいと思うのです。そのかわり、この活用は徹底的にやる。特に、こういうふうな狂乱時代ですし、金を持った者は気違いみたいに乱暴する世の中では、そうでもしない限り、開放というものは、数年は
条件がつくかもしれないが、それが済んだあとでは保証の限りではないと思う。この点は意見として申し上げておきます。
それから、山を見れば国を見るということを私ははっきり言いました。実は、これも四、五年前の話だが、私は北朝鮮へ行ってみて驚いたのは
——その六、七年前にも行きました。戦後二度朝鮮民主主義人民共和国へ行ったのですが、山の一番の頂まで全部植林が済んでいるのです。これは、あなた方のやっている実績から見ると信用できないでしょう。あそこは別に経済大国でもない。だが、山に苗木を整地して植えるぐらいのことは、やろうと思えばできることだと思うんだ。ぼくは、経済力の問題じゃないと思う。やる気があればいい。ただし、営林署や
林野庁だけではさか立ちしてもだめでしょう。国民と一緒に山をつくろうということで適当な
政策を立てれば、これだけ人間が余って、失業保険でめしを食っている農山村ですから、こういうふうな考えに立てば過疎の問題だって緩和するはずだし、山は、一定の
計画で、五年
計画ぐらいで、十年も立たないうちにやろうと思えばできるはずです。できないということは、そういうふうな観点がないからだ。やる気がないからだ。だから、私に言わせると、
日本の
森林を荒廃させ、これを困難なものにしたのは
林野庁で、
林野庁がマツクイムシの一番の親方じゃないかと実は私は思っているわけだが、
政務次官、これに対しては、とにかくやろうと思うことが大事なんです。やる気がないからいつまでもはかどらない。そうして、そのうちに荒れるほうが勝っていくでしょう。切るほうが先まっていますからね。いまのままだとおそらくイタチごっこみたいなものだ。
それから、もう
一つは、
木材関係のことは増産だけじゃ片づかないだろうと思うのです。ただし、
日本で木がなくなればフィリピンに行って山を坊主にしているが、これはいつまでも続くものじゃないから、やはり、
日本の山の生産を高めると同時に、増産と節約ということを両立てにしないと山の経済問題というものは片づかないのじゃなかろうか。
そこで、節約の問題なんですが、これは
考え方の問題だと思うのです。朝鮮の話を重ねてしますが、あの木のないところで、国家が農家の住宅も
——これはアパートじゃないのですが、全部、一〇〇%完了しましたね。それはみんな個人住宅ですよ。それから、大部分はれんがあるいはブロックです。かまちとか、そういうものは木を使っていますが、そういうふうに節約をしながら山を気長に育てるという二つの態勢がないとだめじゃないかと思う。あなた方はちょっとしか役人をしていないけれども、山というものは五十年、百年から、もっと寿命の長いものなのでして、
法律もいいのですが、この辺の基本の
考え方をひとつ改めてもらいたいということを私は要望したいのですが、
政務次官、いまの政治体制は、その
考え方に立ちがたいものでしょうか。