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山中国務大臣 まあ、施設庁
長官に
答弁させておったわけでありますが、この法案を公害法のジャンルに入れるのか入れないのかという議論は、実はそういう角度からこれを考えていませんので、そういう議論をしたことはありません。
私は、いままで
基地の既存法は、運用によって生ずる障害ということをいっておりましたので、それは運用だけでは問題がある。たとえば、いつも例をあげて部内では話をしておったのですが、三沢というところに広大な飛行場がある。ところが一方、賛否は別ですが、むつ小川原湖開発という巨大な国家の開発計画というものを、地元市町村では歓迎しておられる。そうすると、なかなか言い回しがむずかしいのですが、三沢市だけは、その計画の中にぽっかりと空白をつくらなければならぬ。それは
基地があるからだ。そうすると、
基地の存在そのもので、三沢においては国家的なビッグプロジェクトの中に入れない部分を持つ、そういう大きなデメリットになるのじゃないか。またなるだろう。あるいはまた、部市周辺における宅地化その他も含めますが、横田に象徴されるように、出ていってもらい、返してもらう
基地は、けっこうであるけれども、そこに集約される
基地というものは、これは先ほども、ちょっと言いましたけれども、自分たちの周辺でもって相当部分の、国民のための存在とするならば、それの負担を自分たちだけがさせられるという問題重みがいよいよ加わるという問題がある。さらに沖繩の嘉手納飛行場等に見られるように、
行政区画の八割、七割、六割というものが
基地の中に入ってしまうと、もうその町村は、都市計画はおろか、その村のあらゆる計画というものが立案できない。居住する場所さえやっとである。北谷村のごときは、自分の村の敷地内に自分の義務
教育の小学校すらつくれない、こういうようなことは、これは運用によって生ずる弊害の除去、デメリットをゼロにするという、そういうことではとても対応できない。やはり設置そのもの、存在そのものがとらえらるべきである。
したがって、そういうことを、例として二、三あげたわけでありますが、そういうことを前提にして、現行法が
昭和四十一年に国会で制定されました際、衆参両院の内閣
委員会における附帯決議、これは現行法をもっと研究して、地元の要望にこたえる努力をしろとか、事こまかに、参議院ではもっとこまかに、いろいろな
内容の附帯決議がつきました。それを踏まえながら、現行法で
行政を今日までやってまいったのですけれども、やはり因果
関係の問題とか、そういうような問題で限界がありますし、また、それをやろうにも、明確に対象事業の範囲外である等の問題については、どうしても現在の
法律では対応できない。こういう実態に対して、反面、市町村長さん、知事さん方は、新しい
法律をつくって
——われわれは
基地をなくすることを望む、望むが、どうしても必要であるということならば、その
基地について、国は、われわれ市町村周辺の者の迷惑に対して、もっと積極的な
姿勢を示す、あるいは
行政を展開できる
法律をつくりなさいという御要望を、私、野におりましたけれども、政策審議会等におりまして、よく聞いておりました。
でありますから、そのような背景をもって、その御要望等も踏まえながら、新しい考え方を持ち込んで
基地というものを考えていこう、対策を考えていこうということであります。そこで
基地の確保、恒久化ということに直接につながり得ないのは、
自衛隊の
基地については、これ以上巨大なる
基地を取得する理由、そういうようなことも大体考えられませんし、また
自衛隊の
基地を日本の国土からなくしてしまうというのには、私たちは、応分の
——憲法の許容する範囲内の非核三原則を踏まえた自主防衛の努力は放棄しないのだ、こういう方針をとっておりますから、
自衛隊の
基地をなくすることはできない。であれば、いろいろの御意見があっても、
基地があることについての、周辺に対するできる限りの努力を展開する義務がある、
責任がある、そう思っておるわけであります。
他方、もう一方のほうは、安保条約に基づいて日本が提供しておる施設、区域、こういう
基地があります。これは沖繩に象徴されるのですが、これは先ほども議論いたしましたように、日本本土から陸上等は引き揚げていきつつある、ほとんど引き揚げたということの変化等が示しますように、やはりその態様を改めてもらって、アメリカ側の最低の極東戦略と、そして日本側との間に結ばるべき安保条約の範囲の中において、アメリカ側の許容できる範囲、そして私どもが、またそれを認め得る範囲というものまで
——少なくとも沖繩においては、あの一番利用しなければならない土地が全部
基地である。
基地の中にある沖繩という感じの沖繩本島を中心に、極力努力をして米側の理解を得て、そして、これを縮小する努力をしなければならぬ。このような二つに分けて考えておるわけでありまして、沖繩の場合はなるべく
基地を減らす、そして米側との間に粘り強い折衝をするということで今日までもまいっておりますし、これからもまいるわけでありますが、粘り強い交渉をしても、なおかつ一ぺんにはなくなりませんし、あるいは嘉手納空港
一つをとってみても、嘉手納がここ二、三年のうちに返されるであろうという見通しはなかなか立てにくい、私どもですらそう思います。そう思いますと、やはりその存在しておる
基地について、周辺の方々に、私どもは、できるだけの配慮をしてあげる義務があるのではないか、こういう気持ちでおるわけであります。
取りまとめて、私の新
法律案に対する考え方というものを申し上げました。