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1974-03-12 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年三月十二日(火曜日)     午後一時二十二分開議  出席委員    委員長 徳安 實藏君    理事 加藤 陽三君 理事 中山 正暉君    理事 野呂 恭一君 理事 服部 安司君    理事 上原 康助君 理事 大出  俊君       赤城 宗徳君    大石 千八君       笠岡  喬君    近藤 鉄雄君       竹中 修一君    旗野 進一君       三塚  博君    吉永 治市君       横路 孝弘君    吉田 法晴君       和田 貞夫君    瀬長亀次郎君       鈴切 康雄君    受田 新吉君  出席国務大臣         外 務 大 臣 大平 正芳君         厚 生 大 臣 齋藤 邦吉君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      小坂徳三郎君  出席政府委員         総理府総務副長         官       小渕 恵三君         内閣総理大臣官         房総務審議官  佐々 成美君         宮内庁次長   瓜生 順良君         厚生大臣官房長 曾根田郁夫君         厚生省環境衛生         局長      石丸 隆治君         厚生省援護局長 八木 哲夫君  委員外出席者         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の移動 三月九日  辞任         補欠選任   横路 孝弘君     湯山  勇君   鬼木 勝利君     岡本 富夫君 同日  辞任         補欠選任   湯山  勇君     横路 孝弘君   岡本 富夫君     鬼木 勝利君 同月十一日  辞任         補欠選任   安里積千代君     受田 新吉君     ————————————— 三月十一日  国家公務員災害補償法等の一部を改正する法律  案(内閣提出第七四号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  総理府設置法の一部を改正する法律案内閣提  出第一六号)  外務省設置法の一部を改正する法律案(第七十  一回国会閣法第一四号)(参議院送付)  厚生省設置法の一部を改正する法律案(第七十  一回国会閣法第九号)(参議院送付)      ————◇—————
  2. 徳安實藏

    徳安委員長 これより会議を開きます。  総理府設置法の一部を改正する法律案議題といたします。  本案につきましては、去る七日、すでに質疑を終了いたしております。  これより討論に入ります。  討論申し出がありますので、順次これを許します。大出俊君。
  3. 大出俊

    大出委員 総理府設置法につきまして、実は反対をしたいわけなんでありますが、皆さん出し方がたいへん巧妙でございまして、迎賓館にかかわる問題とあわせまして、同和に関する提案を抱き合わせておいでになるわけであります。同和問題も、実は後期の五カ年計画に入る時期でありまして、これは、この委員会各党満場一致賛成で、各党代表がその趣旨を述べて、まとめた法案でありますだけに、むしろ、なぜもっと金も使い、いたすべきことをいたさないかという意味で、同和問題は、政府のしりをたたきたいわけであります。  したがって、結果的に、万やむを得ず、抱き合わせでございますので賛成をすることにいたしましたが、第一の迎賓館というのは、外務大臣おいでになりますけれども、まことにけしからぬ。初代館長というのも、これが外務省の長老でございます。いまは内定というわけであります。ところが、ホテル・オータニだとかホテル・オークラだとか帝国ホテルだとかいうホテル業界には、いずれもこれは、最近、牛場さんあたりまでホテル関係おいでになりますが、外務省OBがみんなホテルの会長をやっておったり、そんなことです。したがって、外国からお客さんが来て迎賓館に泊まる、その料理はわがほうでという、つまり、あるホテルにすれば迎賓館御用達、こういうことになるでしょう。だから、えらい騒ぎであります。大きな利権もからんでいる。結果的に四つのホテルが、一緒に迎賓館のお出入りを認められるという。だから、てっぺんは全部外務省OB初代館長外務省の先輩、こういうことをやっておったんじゃ、何と言われても納得できない。  しかも予算内容は、営繕費だ云々だと言いますけれども修理ではない。五億円かけて新しい日本風のものをちゃんと建てている。修理という名前のもとに新しい建物をつくっている。これまた断じて認めがたいところであります。  さらにもう一つ建物をつくってから、あるいはまた修理をしてから、さて法律出してくる。この手続きもさることながら、さらに問題になりますのは、官僚のたいへん都合のいいポストをつくるというねらいがある。迎賓館館長というのは、相当な俸給、相当な地位であります。将来得がたいポストになってまいります。このことを事務当局に聞きましたら、いや先生、実はそのことを正面の理由にはいたしません、こういう答弁がはね返る。全くもって看過しがたい経過でございます。  まして百億からの金を使うのであるとすれば——極端な物価狂騰、インフレの中で、各施設に収容されている方々にしても、母子家庭にしても、身障者の方々にしても、そういった谷間にしわが寄るのはあたりまえであります。春闘共闘委員会が、国民春闘の名のもとに政府に回答を求めたわけでありますが、わずか一人当たり二千円の一時金であります。総額百二十億足らず、迎賓館に百億からの金をかけるということならば、ほかにやらなければならない筋道は、一ぱいあるわけでございます。  したがって、この迎賓館にかかわるこの問題については、てっぺんから下まで全くもって反対であります。ただ、皆さんがたいへん巧妙な出し方をされ、同和対策とあわせて出してまいりましたので、その意味では、やむを得ず法案全体として賛成態度をとりますが、このことについては、後々のことがございますので、私ども態度を明確にさせておいていただく次第であります。  以上で終わります。
  4. 徳安實藏

  5. 瀬長亀次郎

    瀬長委員 私は、日本共産党革新共同代表して、本法案に対し賛成討論を行ないます。  特に本法案に示されました同和対策協議会を五年間延長することは、同和対策事業特別措置法昭和五十四年三月三十一日まで有効であることから見て、これに合わせることは当然であり、当面、必要な措置であります。ただ、日本共産党革新共同は、今回の法改正と関連して、若干の問題を指摘し、その改善を要求するものであります。  その第一は、学識経験者十名と関係行政機関の職員十名、計二十名で構成される同和対策協議会のその構成に関してであります。  たとえば同協議会構成メンバー学識経験者十名中、全日本同和会代表二名、部落解放同盟代表二名となっていますが、部落解放同盟正常化全国連絡会議代表は一名も加えられておりません。部落解放運動が複雑な状況にあり、部落解放同盟部落解放同盟正常化全国連絡会議が現実に存在している状況のもとで、一方の組織代表のみが代表同和対策協議会メンバーとすることは片手落ちであり、公正とはいえません。政府が公正な同和行政をいうのであるなら、現に十一都府県に組織をもっており、同和行政の公正、民主的実施のために活動している部落解放同盟正常化全国連絡会議代表を、その構成メンバーに入れて、公正を期すべきであります。それこそが未解放部落住民要求でもあります。  第二の点は、以上の構成メンバーの不公正と関連して、同和行政が必ずしも公正に進められていないことであります。たとえば地方自治体における同和行政の窓口一本化や、大阪羽曳野市及び兵庫県西宮市等に特徴的にあらわれているような、部落解放同盟朝田善之助一派による暴力的蛮行を容認するという不徹底さを持っていることであります。  これらは、同和行政公正化に反するものであり、未解放部落住民意見要求を正しく反映していないといわざるを得ません。  日本共産党革新共同は、同和対策協議会同和行政推進に一定の役割りを果たしていることを評価し、本法案賛成するものですが、あわせて同和対策協議会民主化と、同和行政の公正な推進を強く要求するものであります。  以上の点を表明して、賛成討論とします。
  6. 徳安實藏

    徳安委員長 これにて討論は終局いたしました。  これより採決に入ります。  総理府設置法の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案賛成諸君起立を求めます。   〔賛成者起立
  7. 徳安實藏

    徳安委員長 起立総員。よって、本案原案のとおり可決すべきものと決しました。  なお、ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  8. 徳安實藏

    徳安委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————   〔報告書附録掲載〕      ————◇—————
  9. 徳安實藏

    徳安委員長 次に、内閣提出参議院送付外務省設置法の一部を改正する法律案議題といたします。
  10. 徳安實藏

    徳安委員長 本案につきましては、さきの第七十一回国会におきまして、本院において議決せられ、参議院において継続審議となり、去る六日再び本院に送付してまいったものであります。したがいまして、その趣旨はすでに十分御承知のことと存じますので、この際、提案理由説明は省略いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  11. 徳安實藏

    徳安委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————
  12. 徳安實藏

    徳安委員長 本案に対し別に質疑申し出もありませんので、直ちに討論に入ります。  討論申し出もありませんので、直ちに採決に入ります。  内閣提出参議院送付外務省設置法の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案賛成諸君起立を求めます。   〔賛成者起立
  13. 徳安實藏

    徳安委員長 起立総員。よって、本案原案のとおり可決すべきものと決しました。  なお、ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  14. 徳安實藏

    徳安委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————   〔報告書附録掲載〕      ————◇—————
  15. 徳安實藏

    徳安委員長 次に、内閣提出参議院送付厚生省設置法の一部を改正する法律案議題といたします。
  16. 徳安實藏

    徳安委員長 本案につきましては、さきの第七十一回国会におきまして、本院において議決せられ、参議院において継続審議となり、去る二月二十二日再び本院に送付してまいったものであります。したがいまして、その趣旨はすでに十分御承知のことと存じますので、この際、提案理由説明は省略し、直ちに質疑に入りたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  17. 徳安實藏

    徳安委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————
  18. 徳安實藏

    徳安委員長 これより質疑に入ります。  質疑申し出がありますので、順次これを許します。大出俊君。
  19. 大出俊

    大出委員 昨年、この委員会審議をいたしましたときにも、二、三申し上げたのでありますが、また今国会予算分科会におきまして、質疑申し出をいたしましたが、理事方々の御判断で、この法律が衆議院に回付された際に、そこでやっていただけぬかという実はお話がございまして、私、了承いたしましたので、三十分程度の時間で質問をさせていただきます。  その前に、一つ承っておきたいのですが、ルバング島から小野田さんがお帰りになる。無事にお帰りになるということで、たいへん私も人一倍うれしいわけであります。実はあの方は、私と同年輩でございまして、豊橋の第二予備士官学校の御出身でございます。私は同じ時期に、第一予備士官学校におりまして、すぐそばでございますが、校舎が違いますので、お目にかかったことはございませんが、そういった意味でも、人一倍うれしく感じるのであります。それだけに、新聞を見ておりまして、私の判断誤りで、たいへん皆さんに御迷惑をかけたということを小野田さんが申しておられますが、これに対して、新聞で町の方々の御意見が出ておりますが、判断を誤ったのは、小野田さんではなくて、時のこの国の政府指導者判断誤りではないのかと、こういう論評が出ておりました。私は、まさにそのとおりだと思うのでありまして、したがって、どうかこれは、ばか騒ぎだけはしていただきたくないという気がいたします。三十年間の空白を静かに御自身が考える時間を、そういった環境をつくってあげる必要がまずあるのではないかという気がするのであります。  あわせて、一つだけ承っておきたいのでありますが、いままで厚生省は、各地域、つまり南方地域なんか特にそうでありますが、生存者がなおおるという情報をお持ち帰りになった方々がいたわけでありまして、そこらの問題を収録した資料を、お持ちになっているはずなんでありますが、だいぶ前でありますが、私が一ぺん承ったことがありますが、お出しになりませんでした。したがって、今日、引き揚げてこられた方々の口伝えなり、あるいは情報なりで、なお残っている方々があるというそういう資料を、おまとめであるはずだと思うのでありますが、そこら資料を実はお出しをいただきたいのであります。  もう一点、小野田さんの今回の問題をめぐりまして、国としてどのくらいの費用をこれに費やしておられるのか、それはまた、どういう費目でお出しになっているのか、あとのことがありますから、あわせてお答えをいただきたいのであります。  もう一つの問題は、白骨兵団などという名がつきまして、つまり南方の戦地、つまりルバングだけが戦場じゃございませんで、至るところに日本軍が当時おったわけであります。ところが、全滅をいたしまして、一人も生存者がいない、そういう部隊もあります。かくて白骨兵団などという名がつけられた時代がありました。ところが、この方々に対する遺骨収集ということについて、厚生省あるいは政府は、昨年、厚生大臣に私、こまかく承りましたが、まことに不十分なことしかやっておいでにならない。  そこで四十八年、さらに四十九年の、このことに関する予算というのは、結果的にどういうことになっているのか、三点合わせて、ひとつお答えをいただきたいのであります。
  20. 八木哲夫

    八木政府委員 お答え申し上げます。  第一点は、特に南方等におきまして、元日本兵が残留しているのではないかという点につきまして、いろいろな情報について、どういうような措置をとっているかというような御質問だろうと思いますけれども、私ども外務省あるいは商社あるいはいろいろな旅行者、さらに最近では、海外旅行が非常に多くなっておりますし、それから私どものほうの遺骨収集でございますとか、あるいは戦友会慰霊墓参とかいろいろな形で南方等へ参っておりますので、いろいろな生存情報というものがございますと、これにつきましては、一つ一つ調査するというような方向でやっているわけでございます。中には未確認の情報等もございますけれども、特に有力な情報等につきましては、厚生省から人を派遣する、あるいは外務省に依頼するというような形でやっているわけであります。  最近までございました例といたしましては、つい最近の例で申しますと、四十七年の三月、それから四十八年の十一月に、グアム島で日本兵がいるんじゃないかというような、特に日本兵らしい者を見たというような情報が幾つかございまして、これの調査をやっております。それからカロリン諸島のエンダベリー島におきまして、昭和四十七年十月にそういうような情報がございましたので、昭和四十七年の十月に、これも人を派遣しております。それからソロモン諸島セントジョージ島には、昭和四十八年五月、それからフィリピンのミンダナオ島につきましては、昭和四十八年十一月、いずれも調査団を派遣いたしました。  それで、これは単独の調査団の場合もございますし、それから遺骨収集等がございましたので、その機会に調査をするというようなことで、いずれにしましても、かなり有力な情報等につきましては、一つ一つ調査して、その実態を明らかにするという方法をとっておるわけでございますが、いままで具体的な、ただいま申し上げました調査によりますと、いずれも元日本兵残留資料は得られておりません。  それから特に、セントジョージ島におきましては、具体的な調査をいたしました結果、全員死亡というようなことで、戦没地点も確認したというようなことで、これらの方々の御遺骨収集するというような状態でございます。もちろん今回のルバング島につきましては、何回かにわたります調査団を派遣しております。  なお、そのほかの地域につきましても、有力な情報ではございませんけれども、何らかの情報があるという際には、南方地域におきます遺骨収集を、昭和四十八年、さらに来年度におきましては、従来に比べましてかなり大がかりにやるということにいたしておりますので、そういう際にも、できるだけ調査いたしたいと思っておりますし、さらに今回、ルバング島におきまして、小野田さんが救出されたというようなこともございますので、従来以上に外務省とか商社等連絡をとりまして、情報収集につとめたいというふうに考えておる次第でございます。  それから御質問の第二点で、今回の小野田元少尉の救出工作にどのくらいの経費がかかっているかということでございますが、現在の関係は、派遣団がまだこちらへ帰っておりませんので、まだ確定した内容を申し上げる段階ではございませんけれども、一昨年の十月から昨年の四月にかけまして、半年近い大がかりな捜査をやったわけでございますが、これに要しました経費は九千六百万円でございます。その大部分は、政府派遣団の旅費とそれから現地におきます航空機でございますとか自動車の借り上げ料とか人夫賃等でございます。  それから第三点の遺骨収集の問題でございますけれども遺骨収集につきましては、戦後、いろいろな形で政府として実施いたしておった次第でございますけれども、決して十分ではないわけでございまして、国会等の御論議におきましても、十分でないというようなおしかりをいただいておりますし、来年、昭和五十年は戦後三十周年になるわけでありますから、戦後三十年を迎えても、まだ海外遺骨が残っておるということでは、申しわけないわけでございますので、昭和四十八年度から、従来政府だけである程度の人数でやっておりましたのを、むしろ民間戦友団体でございますとか遺族会等のような、民間団体代表の御協力もいただきまして、かなり大規模な調査を実施する。したがって、戦後三十年でございます昭和五十年を目途としまして、遺骨収集の大筋につきましては、何とか完了したいという方向で努力をいたしておる次第でございまして、昭和四十八年度におきましては、従来一千万円台程度でありました遺骨収集予算につきまして二億二千万円、それから昭和四十九年度におきましては、二億五千万円という予算を予定しておる次第でございます。
  21. 大出俊

    大出委員 私も、去年の国会で、齋藤さんおいでになりましたが、予算を削りなさんな、あなたがんばって削っちゃ困りますよと実はあれだけ申し上げたのです。というのは、四十八年の要求額は三億九千八百三十三万円です。そうでしょう。私は去年いろいろ申し上げましたが、これを見ればわかるんですが、昭和四十二年から国が予算を組んで始めた。四十二年が千三百七十八万円、四十三年が千五百九十五万円、四十四年が千九百七十二万円、四十五年が二千二百三十五万円、四十六年が二千一万円、四十七年が四千六百八十万円、こういうわけです。これは二十年が終戦だとすれば、二十二年もたってしまってから初めて遺骨収集予算を組んだんですね。それが千三百七十八万円から始まって六年目で四千六百八十万円、だから、六年間の総計一億四千万円しか国は出していない。そうでしょう。  いまお話を聞いてみると、小野田さんの捜査だけで九千六百万円だというんです。そうすると一億でしょう。今度は特別機を派遣したとかいろいろなことがございますでしょう。そうすると、これは一つ間違えば、一億四千万かかっちゃうじゃないですか。(発言する者あり)これは一つ間違えば、うしろから声がありますが、二億ぐらいの金はかかりゃせぬかと思う。何と昭和四十二年から四十七年までの六年間で一億四千万しか使っていない。ばかな話であります。だから、白骨兵団鬼哭啾々と泣いておりはせぬかと去年私は言った。私も硫黄島に見習士官を連れていって、最後輸送船で帰ってきた。それも爆撃をされている。だから、私はめったにこの委員会からの視察旅行には行かないんですけれども硫黄島と条件つけたら、それじゃあということになったものですから参りましたが、長崎から行った輸送船団全部やられて、最後に一隻だけ残った。たまたま命があるわけです。だから、しみじみと感ずるわけです。靖国神社どころじゃないですよ。  オーストラリアの例ですけれども、第二次大戦オーストラリア国民方々が四万人戦死している。日本戦死者のわずかに五十七分の一ですよ、人口も少ないわけですけれども。だが、戦争が終わった後、二年間で一挙に三億円の金をかけて一体残らず全部収集をして、しかも、その地に全部りっぱな墓をつくった。遺言のある人は遺言を、妻に言い残すことばがある人はことばをということで、全部碑に刻んで、りっぱな墓が全部できてしまっている。これは、おそくなればなるほど収集が困難になるのはあたりまえです。こういうばかげたことをやっておって、三十年苦労された小野田さんがお帰りになるとなると、ばか騒ぎが始まるということでは、私は筋が通らぬという気がする。  そこで、念のために承りたいのですが、私の手元にある資料からすると、なくなった方々は、まだたいへんたくさん残っている数字になっているのですけれども遺骨収集ができないで野ざらしになっている遺骨というものがたいへんたくさんある。あらためてここでひとつ、一体戦死者が幾らあって、遺骨収集は幾らできて、幾ら残っているのか、はっきりしていただきたい。
  22. 八木哲夫

    八木政府委員 お答え申し上げます。  戦没者概数でございますが、さき大戦におきます戦没者概数は約二百四十万でございます。それから、そのうち部隊復員等の際に送還いたしました御遺骨が約百七万でございます。それから、いままでの遺骨収集によりまして送還された数が約十五万でございます。そこで、あとどの程度の御遺骨が、今後の遺骨収集で完全な収集ができるかということでございますけれども先生からも御指摘ございましたように、すでに三十年近くもたっておるわけでございますので、現地状況等によりまして、その後、河川のはんらん等があるとか、あるいは爆弾の直撃を受けて粉砕したとか、あるいは海没したというようなことで、どの程度収集できるかという見通しが非常にむずかしい問題であるわけでございますが、さらに戦争直後、米軍等によりまして、ある意味での戦場整理等も行なわれたというようなことで、すでに送還しました遺骨あるいは遺骨収集で持ってまいりました御遺骨、その差引がこれから残っております御遺骨の数ということには直ちにならないわけでございますが、私どもいろいろの情報をさぐりまして、あとどの程度どういう地域にあるかというような形で、残りの地域につきましての御遺骨収集を達成したいというふうに考えておる次第でございます。
  23. 大出俊

    大出委員 四十八年一月四日の新聞ですが、「沖繩戦跡に遺骨野ざらし 人家近くの丘で三百体系満郊外で旧日本兵放置され荒れ果て」というので写真まで載っているわけですね。何と私の行った豊橋予備士官学校十一期というのは、実は三百六十七名ばかり、関東から行った人間の九割まで沖繩で死んじゃったんですよ。私と一緒に士官学校を過ごした人たちです。この沖繩でさえ、上原さん、ここにおいでになるけれども、こういう状態でしょう。いかにずさんであり、いかに不熱心かということが、私は目に見える気がする。いまお話がありましたが、はっきりしない。私がずっと当たっていった限りでは、約二百四十万の方々が戦死されている。そうしてわずかしか予算を組んでおりませんから、ほとんど遺骨収集民間団体がやっている。それも学生さんが非常に多い。わざわざアルバイトで金をつくって行っているわけです、みんな。そうでしょう。ほとんど民間まかせ。  そして大騒ぎして、ばか騒ぎして行った政府収集団なんというのは、ほとんど収集できやしない。まず体力がない。学生さんが山に登って全部調べた。だから、小野田さんの捜索だなんていって、こんなに金を使ったって、何をやったか、さっぱり疑わしいと私は思う、遺骨収集がそうなんだから。政府がやったやつは、ほとんど収集していやしない。現場の学生なんか逆におこっている。民家を借りて、ほんとうにアルバイトの金で行ったのだから、金を使わぬで、魚を突いて食ったりして、収集しているのがたくさんあります。ところが、政府から行ったのは、ホテルや何かに泊ったり、りっぱなところに泊まったりしている。そしてろくな収集をしていない。  そこで収集し切っているのは、みんな持って帰ったものです。中国大陸なんかは、持って帰ったのがたくさんありますよ、帰還された方々で。蒋介石の軍隊だって、みんな持たして帰しているんです。たいへんに親切にしております、調べてみますと。だから、私は在外財産問題のときも調べたんですが、いま私の手元にある資料によれば、二百四十万の方の中で百四万八千八百三十七体、これが収集されている。そうすると、収集されないで野ざらしで残っているほうが多い。百四万柱しか収集していないので、百三十五万一千百六十三柱残っている。こんなふざけたことはないですよ。  しからば遺族の人たちは、小野田さんがお帰りになるのをながめて、どう考えているか。私の同期にも遺骨のないのがたくさんいる。だから、小野田さんの同期の方にだって、遺骨がわからないのがいっぱいいる。そのことについて、この機会に政府は一言も融れようとしない。特別機を派遣して小野田さんを連れてくる。それは世間に対しては、かっこいいことになるけれども、あの時期に玉砕をした白骨兵団で残ったままになっている、これらの問題については一言も触れない。  しかも、さっき私が申し上げましたように、いままでかけた費用だって、六年間で一億四千万しか使っていないでしょう。四十八年は——まだ四十八年度ですよ、三月末までは。まだ使い切っちゃいないでしょう、年度でいえば。一億四千万しか使っていない。小野田さんの今日までの捜査段階で九千六百万使っているじゃないですか、あなた方は。今度は一切がっさい入れたら、一体幾らになるんですか、小野田さんの救出問題で。これはあとお答えいただきたい。だから、こういうものの考え方では相ならぬ。この際、このことを契機に、もっと積極的に——残存している日本のかつての兵隊の方々おいでになるのかならぬのか。情報がある、しからばどこまで的確にお調べになったのか。これは、いまの答弁だけでは疑わしい。  しかも小野田さんの問題だって、ルバングおいでになることは早くからわかっていた。じゃ、どこまで一体親身の調査をしたのか。二十八年か九年でしょう、島田さんという伍長の方が撃たれてなくなったのは。小塚金七さんという一等兵の方は一昨年でしょう。もし、もっと早く手をつけていたら、せっかく生き残ったその二人の方も一緒に、三人一緒に帰ってこられたかもしらぬのですよ。そうでしょう。私は、オーストラリアの例を、さっき申しましたが、オーストラリアは、人口の少ない国ですよ。だが、戦争が終わったら、すぐこれに立ち上がって、二年間で日本の円に換算して三億もかけているんですよ、日本の五十七分の一の戦死者に対して。そういうことを適確に何もやらぬで、今回のような騒ぎをしてみたって、私は意味がないと言うのだ。  だから、鬼哭啾々たる方々はたくさんいるんだから、南方に百三十万からいるんだから、その意味で、私は、どうしても政府主導型のばか騒ぎはしていただきたくないのです。これは大臣に御回答いただきたいのだが、先ほどのと二つお願いします。
  24. 齋藤邦吉

    齋藤国務大臣 今回、小野田元少尉が無事帰ってこられる、そのこと自体は、私は喜ばしいことだと思います。しかし、その陰に子供さんをなくされた遺族の方々、あるいはまたルバングで申しますれば、ごく最近まで一緒におられた小塚一等兵——一昨年の十月まて一緒におられたわけでございます。そういうふうな人たちの気持ちを思えば、私は、暗い気持ちを持っておられる方がたくさんおられると拝察をいたしております。したがって、私は、そういう背景というふうなことを十分頭に描いておりますので、実は、今回、小野田さんがお帰りになるにあたりましても、静かにお迎えをしてもらいたい、これが私の心からなる心境でございます。  それにつけましても、いま大出先生からお話がありましたように、遺骨収集がおくれておることは、私は、政府としてまことに申しわけない次第だと思います。今日までのいろいろな数字をおあげになりましての御質問でございますが、まさしく遺骨収集は、四十八年度から二億台になった程度でございまして、その前までは、お述べになりましたように、一千万、二千万程度であった。しかもお述べになりました、沖繩の糸満においてまだ残っておるという話も、実は新聞でこの前、私も見まして、復帰した沖繩ですら、このような状態かということで、私もほんとうに申しわけないと思っております。  なお、沖繩の問題については、私もその記事を見まして、非常に胸を打たれましたので、来年度の予算の執行にあたりましては、冒頭に沖繩の県の御当局とも十分相談しながら、この復帰した沖繩ですらという気持ちで、まずこの辺をまっ先に取り上げていかなければならぬだろうと思います。  それから、サイパンその他についても、昨年わが党の方々が行って見てまいりましたが、まだ残っておるという御叱責をいただきました。これなども一つの例でございます。今日までの数字をあげての御質問、私、ほんとうにそのとおりで、何のことばも返す道はないと思います。今後とも私は、こういうふうな事態に満足するところじゃなくて、もっともっと真剣になって考えていかなければならぬと考えておりますので、そうした気持ちで、今後一そう努力をいたしてまいる考えでございます。
  25. 八木哲夫

    八木政府委員 今回のルバング島におきます救出経費でございますが、最終的に、まだ帰ってきておりませんので、詳しい数字等はわかりませんけれども、今回の救助につきましては、昨年から一昨年にかけて行ないましたのと違いまして、非常に短期間でございます。そういうことで、こちらから参りました職員、あるいはお願いしました民間方々の旅費が大部分だろうというふうに思われます。  それから、きょう帰ってまいりますけれども、この飛行機につきましては、特別にチャーターしたということではございませんので、今回帰ります際に、新聞記者の方等、報道関係者がたくさんおられまして、御一緒に帰られるということでございますので、日航のほうで臨時便を出していただきまして、それに乗っていただくということでございますので、特別に、政府として、そのための費用を出しておるということではございません。
  26. 大出俊

    大出委員 この遺骨収集であるとか、あるいは残存しておる方々があって、やっと救出——救出というのは、筋が違うと思いますけれども、お帰りをいただくということである限りは、思い切ってやはりできるだけのことは、この国に政府がないわけじゃないのですから、やっていいわけでありまして、そのことをとやかく言っているのじゃない。つまり一人の方にお帰りいただく努力をするだけで、これだけ金がかかるわけでありますから、したがって、南海の果てに朽ち果てんとする遺骨収集するとなれば、なまはんかな金ではできないということを申し上げておるのです。二億とは何だと私は言いたいのですよ。  さっきから何べんも例をあげているように、終戦後、二十一年、二十二年というこの二年間で、オーストラリアでさえ、あれだけの国で邦貨に換算して三億円の金を使った。いま終戦後、何年たっていますか。当時の金でしょう、この三億円というのは。いまの日本の立場からすれば、何百億もの金をかけなければならぬ筋合いですよ。そうでしょう、貨幣価値からいったって。一つも金かけないで収集できるはずがないじゃないですか。ほかに使う金は山ほどある。ならば、こういうけじめはきちっとしなければならぬですよ、筋道として。  だから、去年も、要求した予算額というものは、削らせなさぬなと私は大蔵省にも当時言いましたが、そうしなければ納得しかねる、これは日本人として。そういう言い方を去年私はしたんですが、あのときには、各党でひとつそろって、遺骨収集のことを政党段階でも考えようじゃないかという提案までしたことがあります。したがってこれは、ぜひひとつ、これだけの金でできやせぬことはわかりますけれども、いまさら、予算審議されているときに、どうこう申してもしかたがありませんから、あらゆる手段方法に訴えて、せめてどこにどのぐらい残存の日本兵がおるという問題について、情報のある限りは、それこそ草の根を分けてもさがすというところまでこれはやってほしい。  私は、さっきから申し上げているように同期ですから、顔見たことありませんけれども、人一倍うれしいわけですから、決してそのことをけなしも何もしませんけれども、この機会にそうしなければ国の行政として片手落ちではないか、そう言っているわけです。だから、そこのところを、政府がきちっと明らかにしていただく。そのことがこの際——帰ってきた方のことが新聞に載れば、年寄りで自分のむすこの戦死を考える人は山のようにいるんだから、そこらのところは、ひとつきちっとしていただかぬと困る、こう言っているわけでありますので、御了解をいただきたい。大臣、もう一言ひとつお答えください。
  27. 齋藤邦吉

    齋藤国務大臣 大出先生のおっしゃったこと、私、非常にごもっともなことだと考えておりまして、私もそうした気持ちで臨みたいと思います。今後とも生存その他の情報等がありますれば、草の根を分けてもさがすという努力、最大の努力をいたす考えでございますし、遺骨収集についても努力をいたしたいと思います。
  28. 大出俊

    大出委員 一言だけ最後に申し上げますが、引き揚げてきた方の、厚生省が合計六十万人分以上の引き揚げ者名簿をおなくしになった。  そこで、一つ例をあげて申し上げますと、仙崎に帰ってきた人で、これは韓国からの引き揚げでありますが、石田照雄さんと申します。これは具体的な例でありまして、新聞にも出ましたが、朝鮮から釜山経由で仙崎に帰ってきた、昭和二十二年に。在外財産がございまして、現金もございます。現金が当時二十八万円、これを、みんな取り上げられたわけであります。それで税関で証明書をいただきましたが、このとき引き揚げたのは三人ばかりで、一緒に帰ってきております。この人は、横浜市南区井土ケ谷中町七十番地、電話が(七四一)五二〇二、こういうわけであります。ところが、この人が鶴見で火災にあいまして、もらい火で全部焼けてしまった。あわせて証明書をなくした。  そこで、在外財産問題だとかいろいろな問題が、その後出てまいりまして、証明書をもらおうと思って、引き揚げ者名簿があるはずでありますから、厚生省へ行ったらないと言う。どうしてないんだと言ったら、わからぬと言う。で、いろいろやりとりをしたんだが、ないものはしかたがないと頭を下げられて、にっちもさっちもいかない。  結論を先に言いますが、そんなに過去の苦しい時代、引き揚げてくる時代のことにうそはない。これは明らかに責任の所在は厚生省だと思うんですが、まず責任の所在を明らかにしていただいて、うそはないんですから、やはり克明に本人を呼んで聞いてみて、六十万人分皆さんがなくしているんですから、泣き寝入りをした人はほかにもいるんですから、しかも、これは永久保存になっているんですから、やはりその記録を全部おたくのほうでおとりになって、必要なんだから、できる限りの措置は確認の形でしてあげていいんじゃないかと私は思うんですよ、これは終戦処理の一つなんだから。そうでしょう。  皆さん、いま小野田さんのことだって二億も金かけるんでしょう。それならば、これは昔の金なんですからわずかな金ですよ。その辺のことは、ないからしかたがありませんたって、じゃ責任はどこにあるのだということになる。だから、そこらが明確にされて、本人から克明に聞いて、認定できる範囲のものを認定する措置をとって、それだけのことはしてあげる誠意があっていいと私は思う。そこのところはいかがでございますか。
  29. 八木哲夫

    八木政府委員 第一点の仙崎引揚援護局の引き揚げ証明の問題でございますが、先生御指摘のとおり、まことに申しわけないわけでございますけれども、現在、厚生省のほうにその書類が引き継がれてございません。まあ引き継がれておりません理由というのは、非常に昔のことでよくわかりませんけれども、終戦後の非常に困難時であったというようなことと、それから、この仙崎の引揚援護局というのが、一年間の短期間で閉局されているというようなこと、おそらくそういうような事情もございまして、当時の現地の事務体制というものが不十分ではなかったのかというふうに考えられますし、さらにまた当時、将来の、引き揚げ者に対しますその後できました給付金の制度でございますとか、あるいは特別交付金の制度というようなことも予想されなかったというような事態等もございまして、永久保存もされておらなかったということで、閉局の際に廃棄処分にしたのではないかというふうに考えられるわけでございまして、この点につきましては、昔のことではございますけれども、私どものほうへ引き継がれておりませんので、まことに申しわけなく思っておる次第でございまして、こういう面で引き揚げ者の方にいろいろ御迷惑をかけております点につきましては、深くおわびを申し上げたいと思うわけでございます。  なお、現実に、しからば引き揚げ証明がないという場合にどうするかという第二の点でございますけれども、私どものほう、あるいは総理府のほうで、その後行ないました——厚生省関係では引揚者給付金がございますし、それから、その後、総理府の関係では引揚者特別交付金の制度がございますが、これの対象になります引き揚げ者の方々の中には、やはり引き揚げ証明がないという方もあるわけでございますので、そういう方々につきましては、一緒に引き揚げてこられた方々の証言でございますとか、あるいは何らかの補強証明、市町村役場とかそれから現地のいろいろな証明でございますとか、何らかのそういう補強証明というものを基礎にいたしまして、証明書がなくてもできるだけ御便宜をはかりたいというふうにやっておる次第でございます。
  30. 大出俊

    大出委員 大臣、これで終わりですが、これは、やはり片手落ち行政なんですよね。だから、連絡とってやっていただきまして、この種のケースはほかにもある、しかし数はそう多くはない、だから、認定できる範囲でこれは認めてあげるという立場が必要だと思うんですよ。だから、多少そのワクがラフになっても、その辺のことがとれるような措置をお考え願いたいのですが、大臣いかがでございましょうか。
  31. 齋藤邦吉

    齋藤国務大臣 本人等から、いろいろ事情を聴取いたしまして、本人の希望も十分考えて善処いたします。
  32. 徳安實藏

  33. 受田新吉

    受田委員 きわめて短時間で質問をさせてもらいます。  いま大出議員からもお話しのように、小野田元少尉がルバング島から無事に帰還をしてくれることになりました。われわれ、生存者を救済するという意味において、政府が力をいたされたことにつきましても、また国民がこれにあと押しをしたことについても、ほんとうにありがたいことだと思っております。  ただ、ここで特に指摘したいことは、この生存未帰還者というもの、生命をいま保っておるというのが明確になった場合には、大いに総力をあげてその救出をはかるということは、これはたいへん大事なことなんでございますが、もともと、このフィリピンのルバング島の元日本兵につきましては、すでに赤津一等兵が投降し、さらに島田伍長戦死という時点から、ルバング生存者がおるということがはっきりしたし、それは小野田元少尉であり、小塚一等兵であるということもわかっておる。  そこで、昭和三十四年の二月二十七日、第三十一国会で比国ルバング島の元日本兵の生還を期する決議、これが当時、海外同胞引揚特別委員会というのがありまして、私、ちょうど昭和二十二年からまる十二年間、この委員会へずっと連続構成員としてつとめておりましたが、この生還を期する決議案ができて、この特別委員会は、任務を完了したというので、一応取りやめになった委員会であります。そして、この戦後十二年間その責務を尽くした海外同胞引揚特別委員会最後の決議案は、  「戦後既に十四年、今なお東南アジア諸地域の一  部に少数の同胞が生き残っていると伝えられることは、人道上まことに遺憾にたえない。   政府は、この際あらためて関係諸国の協力を求め、その所在に関し、調査の徹底をはかり、特に比国ルバング島の元日本兵については、ただちに適切な措置を講じ、その生還の万全を期すべきである。   右決議する。」 これは、党派をこえて国会の決議となった記録があるわけです。私もその提案者の一人として、この決議がようやく実を結んで、今日きょう、小野田さんが無事に生還されたことは祝福にたえない。けれども、いま大出さん指摘のように、小塚さんを生存のままお帰しできた道もあったと私は思うのです。まずかったと思う。きょうお二人が御一緒に帰れれば、どんなにうれしいことであったかという感じが脳裏を去っておりません。私、その意味で、せめて、小野田さんが無事にお帰りになったこの機会に、長い間御苦労されたことに対して、国民がこれをあたたかく迎えるということにおいては、これは心から賛意を表する次第です。  同時に、この問題を契機に、いろいろ諸問題の解決が、この時点でなされなければならぬことが幾つもあるわけです。第一に、戦後三十年間もジャングルの中に生き抜いてこられた小野田さん個人に対しては、私、おとうさんの小野田種次郎さんと長い間おつき合いをしておりまして、東京へ来られるたびに、私の部屋へも寄っていただいておったし、また、たびたびお手紙も、ルバング島へ行かれた当時の、現地で土を手に入れて、もう捜査したけれどもわからない、死亡と認めるという悲壮なお手紙も、十四年前のお手紙もいま思い起こすのです。「十分の捜査調査を頂きまして、何も思ひ残すことはありません。島の小石に宿らせて持ち帰ったルバングの霊は、十五日にもみぢ散りつぐ故郷の山に埋めました。六年間もジャングルに迷った霊も、安らかに眠ると思へば私共も心安まります。」という意味の、これは十五年前のお手紙ですが、この私にとって、いま非常になつかしい手紙が出てきたわけです。その後も幾つもいただいているお手紙がこれにあります。親の気持ちと、なかなかよくできた御家庭であるという感じをしみじみ持つものでございますが、きょうこの御両親が、せめて八十六と八十八のお二人が生きておってよかったと思うのです。このお二人が故人となっておったら、どんなにさびしい小野田さんの帰国であろうかと思いますと、御両親が健在でお子さまを迎えるということを、私は祝福したいと思っております。  同時に、小野田さんが祖国へ帰った後に、あまりお祭り騒ぎでなくて、静かに故国へ帰られるように、静かにこれからの人生を考えるようにしてあげるよう配慮をされる必要がある。政府自身も、その点を心してもらいたい。しかし、小野田さん自身の、現地で軍人として最後まで使命に生きたというこのすなおなお気持ち、これは軍国主義につながるという意味でなくて、すなおな気持ちで上官の命で任務に服したという意味で、こっちへ帰られたこの機会に、陛下の軍人として生きてきたという気持ちも、きっとおありだと思うのですが、あまりむずかしいことを考えないで、天皇陛下御自身にお会いしたい気持ちがあれば、すなおに宮内庁も、これをお認めになられていいことだ。横井さんのときには、それが実現できなかった。いろいろと当たりさわりがあるような話でございましたが、このたびは、フィリピンのマルコス大統領も、元首としてのマルコス大統領さえも、小野田さんに会っておるのです。  こういう意味で、日本へ帰られて、フィリピンの国が協力してくれた、それに対しての感謝をあらためて認識すると同時に、日本においても、大統領さえも会って御苦労さんだと、ある意味においては、憎しみを感ずる者が、恩讐を越えてこの気持ちを示してくれているフィリピンに対しても、われわれはまた、祖国へ帰られて陛下御自身にお会いになりたい気持ちがあるときは、ぜひこれを実現させてあげるようにすべきだと思うのですが、宮内庁、何かそういうときに制約でもあるのでございますか。  陛下もきのうは、非常に喜んでおられる談話を、宮内庁長官されておるようでございます。お祭り騒ぎというのじゃなくて、すなおな意味でこの問題の処理に当たっていく上で、陛下への御対面というようなことがそうむずかしいことではないと私は思うのですが……。
  34. 瓜生順良

    ○瓜生政府委員 小野田さんが無事にお帰りになることは心からうれしく思っております。  いまの天皇陛下との拝謁の関係でございますけれども、これは戦争犠牲者の方いろいろな方があられまして、いままでその方々に個人的に、個々にお会いになりましたという前例は全然ございませんのです。遺族の方の府県代表とかいうので、ある程度団体でお会いになっていることはございます。そのこと、それから今度、小野田さんがお帰りになる際に、静かにお迎えしたいというようなお気持ちもありますし、全然前例のないようなことはやらないでお迎えをされるほうがいいのじゃないかというふうに、事務を扱っておるわれわれとしては考えておる次第でございます。  なお、陛下の拝謁のことにつきましては、昨年もいろいろ国会で議論がございましたですが、この範囲をあまり広げないように慎重にするというようなことが必要だという御意見もあったりしまして、われわれとしては、この問題については慎重に考えたいというふうに思っております。
  35. 受田新吉

    受田委員 非常に慎重に考えて、方針としてこの問題は非常に慎重に御処理されておるようなことでございますが、現地で恩讐を越えてマルコス大統領さえも会見しておるのです。これは、ちょっといままでと違った一つ意味があると思いまして、この点、あまりむずかしく、陛下とお会いする人々を、そんなに制約されるようなことは、逆に陛下が雲の上に押し上げられるようなことになる危険があるので、民衆の中に溶け込まれる陛下という立場からいえば、この機会にぜひこれが実現されるよう配慮してもらいたい。(発言する者あり)こういうように、いまの予算委員会ががんがん言うという形で、私の、いまあわせて質問しようということまで、発言を押えようということになるようですが、もう一度ひとつその点……。厚生大臣は一体どうですか。(「所管外だ」と呼ぶ者あり)あなたは、所管外だけれども、個人の情において……。
  36. 齋藤邦吉

    齋藤国務大臣 受田委員のお気持ちは、十分宮内庁にも連絡をいたしたいと思います。
  37. 受田新吉

    受田委員 それから、この問題とあわせて、いま大出さんも指摘されたことですが、私、もう一つ思い切った——中国も今度国交を回復した。中国の各地にある遺骨収集、墓地、そういうところでの英霊にこっちへ帰っていただく広範な地域を、全面的な外交交渉ですっかり成功せねばいかぬ。それから沈船、船で沈んだ英霊、この沈船引き揚げ、「陸奥」が、ようやく引き揚げが完了して、あそこの七百名の遺骨が引き揚げられた、英霊が。他の各地、南方地域には、沈船で、五十メートルぐらいの水深のところへたくさん沈んでおるのでありますが、これが中においでになる、わかっている英霊、これに思い切って予算をとる。それから遺骨収集団、ちょうど私がお尋ねしたいことを、大出さんが言ってくださったのですが、私、何年も学生の遺骨収集団に関与しているから、学生のあのすなおな気持ちなどへ、もっと国家が予算を振り向けてやってもらいたいなと、いままで歯がゆかったのですか、この機会に大幅な予算を組んで、あらゆる手段を尽くして全面的な遺骨収集、墓参団もあわせてやる、こういうことで厚生大臣、ひとつ勇気を持って当たってもらいたい。  それから、長田玉枝さんという神戸のお方が、これも私、長いおつき合いをしているが、御自身の子供が戦時死亡宣言で処分されるべきじゃない、必ず子供は生きておると言うて南方まで行かれた、こういう未確認の方々、未帰還者というものに対して、もっと行き届いた対策を、この際とっていただきたい。これは時間の都合で、総括的に質問しましたが、お答え願いたい。
  38. 齋藤邦吉

    齋藤国務大臣 遺骨収集等につきましては、従来のようなことではなく、思い切った大規模なものにいたすように、今後とも努力をいたしますし、未帰還者の方々につきましては、その心情に思いをいたし、努力をいたしたいと思います。
  39. 受田新吉

    受田委員 では終わります。
  40. 徳安實藏

    徳安委員長 これにて本案に対する質疑は終了いたしました。     —————————————
  41. 徳安實藏

    徳安委員長 これより討論に入るのでありますが、別に討論申し出もございませんので、直ちに採決に入ります。  内閣提出参議院送付厚生省設置法の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案賛成諸君起立を求めます。   〔賛成者起立
  42. 徳安實藏

    徳安委員長 起立総員。よって本案原案のとおり可決すべきものと決しました。  なお、ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  43. 徳安實藏

    徳安委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————   〔報告書附録掲載〕     —————————————
  44. 徳安實藏

    徳安委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。    午後二時二十三分散会