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受田委員 きわめて短時間で
質問をさせてもらいます。
いま
大出議員からも
お話しのように、
小野田元少尉が
ルバング島から無事に帰還をしてくれることになりました。われわれ、
生存者を救済するという
意味において、
政府が力をいたされたことにつきましても、また
国民がこれに
あと押しをしたことについても、ほんとうにありがたいことだと思っております。
ただ、ここで特に指摘したいことは、この生存未帰還者というもの、生命をいま保っておるというのが明確になった場合には、大いに総力をあげてその救出をはかるということは、これはたいへん大事なことなんでございますが、もともと、このフィリピンの
ルバング島の元
日本兵につきましては、すでに赤津一等兵が投降し、さらに島田伍長戦死という時点から、
ルバングに
生存者がおるということがはっきりしたし、それは
小野田元少尉であり、小塚一等兵であるということもわかっておる。
そこで、
昭和三十四年の二月二十七日、第三十一
国会で比国
ルバング島の元
日本兵の生還を期する決議、これが当時、
海外同胞引揚特別
委員会というのがありまして、私、ちょうど
昭和二十二年からまる十二年間、この
委員会へずっと連続
構成員としてつとめておりましたが、この生還を期する決議案ができて、この特別
委員会は、任務を完了したというので、一応取りやめになった
委員会であります。そして、この戦後十二年間その責務を尽くした
海外同胞引揚特別
委員会の
最後の決議案は、
「戦後既に十四年、今なお東南アジア諸
地域の一
部に少数の同胞が生き残っていると伝えられることは、人道上まことに遺憾にたえない。
政府は、この際あらためて
関係諸国の協力を求め、その所在に関し、
調査の徹底をはかり、特に比国
ルバング島の元
日本兵については、ただちに適切な
措置を講じ、その生還の万全を期すべきである。
右決議する。」
これは、党派をこえて
国会の決議となった記録があるわけです。私もその
提案者の一人として、この決議がようやく実を結んで、今日きょう、
小野田さんが無事に生還されたことは祝福にたえない。けれ
ども、いま
大出さん指摘のように、小塚さんを生存のままお帰しできた道もあったと私は思うのです。まずかったと思う。きょうお二人が御一緒に帰れれば、どんなにうれしいことであったかという感じが脳裏を去っておりません。私、その
意味で、せめて、
小野田さんが無事にお
帰りになったこの機会に、長い間御苦労されたことに対して、
国民がこれをあたたかく迎えるということにおいては、これは心から賛意を表する次第です。
同時に、この問題を契機に、いろいろ諸問題の解決が、この時点でなされなければならぬことが幾つもあるわけです。第一に、戦後三十年間もジャングルの中に生き抜いてこられた
小野田さん個人に対しては、私、おとうさんの
小野田種次郎さんと長い間おつき合いをしておりまして、東京へ来られるたびに、私の部屋へも寄っていただいておったし、また、たびたびお手紙も、
ルバング島へ行かれた当時の、
現地で土を手に入れて、もう
捜査したけれ
どもわからない、死亡と認めるという悲壮なお手紙も、十四年前のお手紙もいま思い起こすのです。「十分の
捜査と
調査を頂きまして、何も思ひ残すことはありません。島の小石に宿らせて持ち帰った
ルバングの霊は、十五日にもみぢ散りつぐ故郷の山に埋めました。六年間もジャングルに迷った霊も、安らかに眠ると思へば私共も心安まります。」という
意味の、これは十五年前のお手紙ですが、この私にとって、いま非常になつかしい手紙が出てきたわけです。その後も幾つもいただいているお手紙がこれにあります。親の気持ちと、なかなかよくできた御家庭であるという感じをしみじみ持つものでございますが、きょうこの御両親が、せめて八十六と八十八のお二人が生きておってよかったと思うのです。このお二人が故人となっておったら、どんなにさびしい
小野田さんの帰国であろうかと思いますと、御両親が健在でお子さまを迎えるということを、私は祝福したいと思っております。
同時に、
小野田さんが祖国へ帰った後に、あまりお祭り騒ぎでなくて、静かに故国へ帰られるように、静かにこれからの人生を考えるようにしてあげるよう配慮をされる必要がある。
政府自身も、その点を心してもらいたい。しかし、
小野田さん自身の、
現地で軍人として
最後まで使命に生きたというこのすなおなお気持ち、これは軍国主義につながるという
意味でなくて、すなおな気持ちで上官の命で任務に服したという
意味で、こっちへ帰られたこの機会に、陛下の軍人として生きてきたという気持ちも、きっとおありだと思うのですが、あまりむずかしいことを考えないで、天皇陛下御自身にお会いしたい気持ちがあれば、すなおに宮内庁も、これをお認めになられていいことだ。横井さんのときには、それが実現できなかった。いろいろと当たりさわりがあるような話でございましたが、このたびは、フィリピンのマルコス大統領も、元首としてのマルコス大統領さえも、
小野田さんに会っておるのです。
こういう
意味で、
日本へ帰られて、フィリピンの国が協力してくれた、それに対しての感謝をあらためて認識すると同時に、
日本においても、大統領さえも会って御苦労さんだと、ある
意味においては、憎しみを感ずる者が、恩讐を越えてこの気持ちを示してくれているフィリピンに対しても、われわれはまた、祖国へ帰られて陛下御自身にお会いになりたい気持ちがあるときは、ぜひこれを実現させてあげるようにすべきだと思うのですが、宮内庁、何かそういうときに制約でもあるのでございますか。
陛下もきのうは、非常に喜んでおられる談話を、宮内庁長官されておるようでございます。お祭り騒ぎというのじゃなくて、すなおな
意味でこの問題の処理に当たっていく上で、陛下への御対面というようなことがそうむずかしいことではないと私は思うのですが……。