○受田
委員 委員長の答弁、一応了承します。
長官、まだ時間もあるわけでございますが、次の
機会も残しておかなければいかぬけれども、
総理府設置法の中に、
国賓を迎える問題があるわけですから、これから何回かに分けてこの問題を扱うことにしますが、最後に、
陛下のお立場が、あらひと神としての
陛下から人間天皇に変わられた、
陛下御自身の姿は、著しく変わられたけれども、その周辺を取り巻いている官僚機構は、一向に変わっていないじゃないかという世論があるわけなんです。
つまり、戦前の
陛下も戦後の
陛下も、
陛下御自身の平和主義に徹せられている点においては、私は、一貫しておられると確信をしております。けれども、戦前の
陛下を築き上げた官僚機構というものが、戦後の人間天皇になられた現在の
陛下に対して、国民との間の融和をはかることを怠って、依然として天皇の独特の
位置を、権威あらしめるほうへ力を入れられて、国民統合の象徴としての立場のほうを軽やかにされておる危険はないか。
陛下御自身は、われわれ何回もお目にかかって、ああして生物学の研究にも御熱心なお方だし、また非常に愛情の豊かな方であることもよくわかります。その
陛下御自身が、国民と接触したい――物価の問題等についても、気にしておられると思うのです。
そういうときに、
陛下御自身が、お買いものに出られるような行事をつくってあげる、つくられた行事になると思いますけれども、デパートなどを
陛下御自身が、商品の並んである場所をながめて歩かれる、そして買いもの客にことばをかけられる――二十一代の雄略天皇、万葉集の古歌の第一巻にあります。「籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち 此の岡に 菜採ます子 家告らせ 名告らさね そらみつ大和の國は おしなべて吾こそ居れ しきなべて吾こそ坐せ 吾にこそは告らめ 家をも名をも」かごを持ち、へらを持ってこの岡で菜をつんでいる娘さん、私は、日本を治める天皇よ、あなたの家はどこですか、あなたの名は何ですかと、雄略天皇が、野べで菜をつんでいる娘さんに呼びかけておられる風景などは、これは、上代の風景として、まことに目を見張るようなものがあるのです。
お嬢さんのお名前は、何といいますか、おうちはどこですか、こういう天皇になっていただく。私は、そういう
機会を国民に与えていただくことによって、国民を、また憲法第一条を守る日本国としての立場が立つと思うのです。それを、いま、あばれ者がときにおって、飛びかかるような者がおれば、これに対して、われわれ十分の、国民的な規模での擁護を申し上げることにやぶさかではありませんが、何か一方で、警戒のことも大事でございますと同時に、そうした庶民の中へとけ込む
陛下という立場、皇后さまも同様ですが、いかがでしょう。
こういうことについて、官僚機構が、戦前も戦後も、一貫して、天皇さまを中心に取り囲んでおいでになるというにおいを、時代が変わったのだという形に切りかえる努力を、
瓜生さん御自身が、そのお地位にあられるわけですから――特に、いま、さっきから問題になっているが、宇佐美
長官が、ここに御
出席になっていない。十五年前までは、宇佐美
長官みずからが、ずっとここへ出ておられた。
都合の悪いときに、
次長がおいでになっておられたのですが、その後、
長官が貫禄を示してここへお出にならなくなったのです。これは、たいへんな古い時代に、
宮内庁が後退しつつあるということが言えないことはないと思います。
美智子さまが皇太子妃になられるころには、宇佐美
長官御自身が、ここへひんぱんに出ておられた。それで、たまに
瓜生さんがおいでになっておられた、これは御記憶のとおりです。私は、長い間、この
委員会に席を置いている
関係で、今昔の感にたえない。宇佐美
長官が
原則で出られて、
瓜生次長さんが代理でちょいちょい出られる、こういう形が、私は、ほんとうだと思うのですが、きょうも、何かおありかどうかですが、これは、もうどこかに、
宮内庁自身があとすざりをしておるのじゃないかという印象を受けるのです。御答弁を願いたいです。