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1974-01-18 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年一月十八日(金曜日)     午前十一時二十五分開議  出席委員    委員長 徳安 實藏君   理事 加藤 陽三君 理事 小宮山重四郎君    理事 大出  俊君 理事 中路 雅弘君       赤城 宗徳君    大石 千八君       竹中 修一君    丹羽喬四郎君       箕輪  登君    吉永 治市君       川崎 寛治君    吉田 法晴君       和田 貞夫君    鈴切 康雄君       受田 新吉君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 山中 貞則君  出席政府委員         防衛政務次官  木野 晴夫君         防衛庁参事官  大西誠一郎君         防衛庁参事官  長坂  強君         防衛庁長官官房         長       丸山  昂君         防衛庁経理局長 小田村四郎君         防衛庁装備局長 山口 衛一君         防衛施設庁総務         部長      安斉 正邦君         防衛施設庁施設         部長      平井 啓一君         環境庁大気保全         局長      春日  斉君         外務政務次官  山田 久就君         外務省欧亜局長 大和田 渉君  委員外出席者         防衛庁長官官房         防衛審議官   伊藤 圭一君         外務省アメリカ         局外務参事官  角谷  清君         大蔵省理財局国         有財産第二課長 川崎 昭典君         大蔵省理財局国         有財産審査課長 佐藤徳太郎君         運輸省航空局技         術部長     中曾  敬君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ――――――――――――― 委員の異動 昭和四十八年十二月十五日  辞任         補欠選任   東中 光雄君     中川利三郎君 同日  辞任         補欠選任   中川利三郎君     東中 光雄君 同月十八日  辞任         補欠選任   東中 光雄君     紺野与次郎君 同日  辞任         補欠選任   紺野与次郎君     東中 光雄君 同月二十日  辞任         補欠選任   近藤 鉄雄君     床次 徳二君 同日  辞任         補欠選任   床次 徳二君     近藤 鉄雄昭和四十九年一月十六日  辞任         補欠選任   野間 友一君     木下 元二君   東中 光雄君     瀬長亀次郎君     ――――――――――――― 昭和四十八年十二月十四日  非核原則立法化等に関する請願瀬野栄次  郎君紹介)(第二号)  同(荒木宏紹介)(第五一号)  同(諫山博紹介)(第五二号)  同(梅田勝紹介)(第五三号)  同(金子満広紹介)(第五四号)  同(栗田翠紹介)(第五五号)  同(小林政子紹介)(第五六号)  同(庄司幸助紹介)(第五七号)  同(田中美智子紹介)(第五八号)  同外一件(多田光雄紹介)(第五九号)  同(寺前巖紹介)(第六〇号)  同(中川利三郎紹介)(第六一号)  同(中島武敏紹介)(第六二号)  同(中路雅弘紹介)(第六三号)  同(野間友一紹介)(第六四号)  同(林百郎君紹介)(第六五号)  同(東中光雄紹介)(第六六号)  同(正森成二君紹介)(第六七号)  同(山原健二郎紹介)(第六八号)  同(米原昶紹介)(第六九号)  同(諫山博紹介)(第一六七号)  同(津川武一紹介)(第一六八号)  同(中島武敏紹介)(第一六九号)  恩給共済年金受給者処遇改善に関する請願  (園田直紹介)(第五〇号)  非核原則立法化核兵器完全禁止等に関す  る請願紺野与次郎紹介)(第七〇号)  同(増本一彦紹介)(第七一号)  同(諫山博紹介)(第一四六号)  同(多田光雄紹介)(第一四七号) 同月二十日  旧軍人恩給等改善に関する請願宇田國榮君  紹介)(第二〇一号)  同外二件(前田正男紹介)(第二〇二号)  恩給共済年金受給者処遇改善に関する請願  (武藤山治紹介)(第二七六号) 昭和四十九年一月九日  非核原則立法化等に関する請願和田耕作  君紹介)(第五六七号) 同月十七日  金鵄勲章受章者処遇に関する請願福田篤泰  君紹介)(第六三八号)  非核原則立法化等に関する請願津金佑近  君紹介)(第六八四号)  北海道八雲町のナイキ基地設置反対に関する請  願(塚田庄平君外二名紹介)(第八二三号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 昭和四十八年十二月十九日  旧軍人恩給等改善に関する陳情書  (第一号)  同和対策事業費国庫負担増額に関する陳情書  (第二号)  看護職公務員給与改善に関する陳情書外十七  件  (  第三号)  公務員綱紀粛正に関する陳情書  (第二〇号)  旧軍人恩給等改善に関する陳情書  (第五五号)  恩給共済年金改善に関する陳情書外一件  (第五六号)  自衛のための戦力保持に関する陳情書  (第五七号) は本委員会に参考送付された。     ―――――――――――――本日の会議に付した案件  国の防衛に関する件      ――――◇―――――
  2. 徳安實藏

    徳安委員長 これより会議を開きます。  この際、山中防衛庁長官及び木野防衛政務次官から発言を求められておりますので、これを許します。山中防衛庁長官
  3. 山中貞則

    山中国務大臣 皆さん承知のように、先般の内閣改造で再び防衛庁長官として留任をいたしました。よろしく皆さま方の御教導のほどをお願いいたします。
  4. 徳安實藏

  5. 木野晴夫

    木野政府委員 防衛政務次官木野晴夫でございます。委員会の諸先生方には何かとお世話になると思いますが、よろしくお願い申し上げます。      ————◇—————
  6. 徳安實藏

    徳安委員長 国の防衛に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大出俊君。
  7. 大出俊

    大出委員 長官、これは十分事情は御存じのとおりでございますが、厚木における海上自衛隊航空集団司令部強行移駐、まさに文字どおりこれは強行移駐である、こういうふうに私どもは考えておりますが、これをめぐる問題につきまして、長官考え方を明らかにしていただきたいのであります。  これは前例がありまして、立川のときに佐藤総理に、当時私は、二回当委員会に御出席をいただいて、強行移駐ということは、自衛隊本来の性格、また歴代の防衛庁長官総理答弁をし続けてきておりますように、あるべき姿ではないということを力説いたしました。これは当時、予算委員会で問題になりまして、立川強行移駐をめぐってストップをした場面もありまして、予算理事会がこの扱いをきめるということで、その際に内閣委員会事後処理を願いたいということになりまして、当時大きな論争を呼んだわけであります。だから、総理に前後二回も御出席をいただいたわけであります。  地元との話し合いをつける、その上で実施をしたい、これが総理最終答弁で、予算理事会が付託をいたしました内閣委員会責任を果たすことにしたわけであります。したがって自今そういうふうなことはしない、そういうことで各党が質問を集中したわけでありますが、総理以下そういう答弁を当時していたわけであります。  ところが、どうもそういう形のことがまたまたここで行なわれる。言うなれば県民、市民あるいは町民の意思をさかなでをする。大和石井市長あたり綾瀬町長さんとともにハンストをやる、こういうふうなことまで実は起こりまして、たまたま皆さんのねらいが、暮れの二十四日に文書通告を一方的にしたといういきさつがありまして、当時私に長坂さんから連絡をもらったのは、四時過ぎでありますから、実は何とも委員会開催運び等ができません。年が明けまして、地元は新しい打ち合わせを方々で始めております。相当大規模な反対闘争が巻き起こる、そういう雰囲気にいまあります。  それだけに、この問題についての防衛庁側の、地元皆さんを納得させ得るものの考え方が出てこなければならぬ筋合いになっておりますが、二年間の期間を置いたという言い方が片やありますけれども、それなりの問題があったのでこうなったわけでありますから、なぜ今回抜き打ち通告——まさにこういう抜き打ち通告でありますから、なぜ一体こういうことをおやりになったのか、その真意のほどをとりあえず承りたい。
  8. 山中貞則

    山中国務大臣 これは二年の歳月の間に、ただじんぜん日をむなしゅうしていたわけではありませんで、直接間接あらゆる立場からの話し合いは続けておったわけであります。ただ最後に残りましたのは、合意と申しますか了解を得ました文書中の「等」ということばの中に、それは司令部が入っていると解する、あるいは司令部は入っていなかったと思っていたというようなやりとりがずいぶん続いたわけであります。  しかしながら、私どもとしては、厚木移駐ということは、すでにその航空機五十機、二千名ということについての一応の了解地元に得ておりますので、集団司令部機能並びに四十名というものが、地域皆さま方に、そのことだけでそう御迷惑をかけるというものではございませんので、したがって、そのような判断のもとに、形は抜き打ちといわれるような形になったわけでありますけれども、実際の推移は、それぞれ市長さん、町長さんにもお会いをいたしておりますし、いろいろな話し合いもいたしておりまして、そういうことにならざるを得ない。しかし私たちは、それについては抵抗姿勢をとるということ等も十分お互いにわかっていてやったわけでありまして、しからば、地元は最終的に了解をしていないのにやったのだから、やはり一方的な防衛庁の都合による、国防という名における地域住民を無視した強行移駐ではないかという点については、私どもは、そういうふうに形の上においてとられるようになりましたことを遺憾に思いますけれども、しかし実際においては、それがほんとうの意味においての抜き打ちではなかったのだということにおいて最善を尽くしたつもりであります。  しかし、大和市長綾瀬町長さんも、それぞれお立場が、責任者として地域住民の最大多数の人たちのためを思う行動をされる立場におられるのでありますから、話し合い内容とは別にそういうお姿勢をおとりになること、これまた私たちとしても当然そのお立場了解しなければならない。  それについて、私たち国のやることと国民である地域住民との間の問題で、中間にはさまった市長さんや町長さんの立場を苦しめるようなことにしないようにということでもって一生懸命やってきたつもりでありますが、事ここに至りましたので、今後についてもなお市長さん、町長さんのお立場地域住民に対するお立場を考え、議会の御意向等承知いたしておりますから、それに沿うべく努力をいたしたいと思います。
  9. 大出俊

    大出委員 異なことを承るわけですが、そうすると、直接間接大和石井市長なり綾瀬佐竹町長なりと話し合いをしてきた、だから、これはよく了解しているはずだ、ただ立場があってわれわれは抵抗姿勢をとる、これは国との間にはさまって、国と町民あるいは市民との間にはさまって市長なり町長なりはそういう姿勢をとらざるを得なかった、こういうことなんだ、そう理解をしていいんですかな。
  10. 山中貞則

    山中国務大臣 これは非常に微妙な表現をしなければならないと思いますが、私どもとしては、機数兵員数、こういうものについては、これはすでに話し合いで御了解を得たと思っております。また事実そのような事実がございます。  しかしながら、その文章の中の解釈で「等」とあるは、司令部を含むのか含まないのかという問題等について論議がかみ合わないまま、お互い了解をとり得ないまま——たちとしては、それは航空機五十機並びに人員二千名の中に当然の機能として入っておるものでありますが、しかし、われわれはそういうことは認めないというようなこと等で御了解をいただけなかったということでありますから、最後に申しましたように、町長さん、市長さんにこのようなことで御迷惑をかけるということについて全く忍びない思いがいたします。  しかし、私たちとしては、施設局長段階あるいは本庁の段階、ときには私もいろいろと御意見を伺って、そしてやむを得ないということで移駐をいたしたということであります。
  11. 大出俊

    大出委員 どうもそこは、ただで聞いておくわけにはまいらぬわけでありますが、石井大和市長なり佐竹綾瀬町長なりが、航空集団司令部移駐が「等」の中に含まれているということで反対をされておられる、私は、一貫して反対をしてこられていると理解をしているんですが、いまの話は、反対という態度をとらざるを得ない市長町長立場がある、国と町民の間あるいは市民の間にはさまって。したがって強行移駐をする、われわれは抵抗姿勢をとるということで、これはわかっていたんだ。そうならば、態度はこうだけれども強行移駐暗黙のうちに認めたことになる、綾瀬佐竹町長大和石井市長が。だということになると、これは重大な問題で、ただで聞き捨てはできない。  はっきり言ってください。石井市長佐竹町長暗黙のうちに了解したがごときことを長官がおっしゃられた。真にそうであればそれでいい。そうでなければ、これは市民に対する重大な市長町長責任問題です。これは明確にしてください。
  12. 山中貞則

    山中国務大臣 賛成という意味ではないんです。法律用語了知ですかね。要するにそういうことは、たとえば四十七年二月の大和市における広報紙の中でも明確に市民に知らせるべく書かれてあるわけです。ですから、その内容その他については了知されておる、そしてその趣旨については理解をしておられる、しかしながら、司令部まで移ってくるということについては、われわれは、それは司令部は入っていないものと思うというような見解の相違等があって、最初から内々で御賛成であって、そして表面をつくろって反対姿勢をとるんだ、そういうことをやっていらっしゃるということを言っているわけじゃないんです。むしろ、そういう市長さんや町長さんに御迷惑を——要するに国防責任町村長は持つわけではありませんから、そういう人たちに御迷惑をかけることになったということについて、私はたいへん申しわけなく思っておるということを言っているわけであります。  ですから、そのように、心ではいままでは賛成で形は反対にするんだというふうに受け取られるとすれば、私の、だから、微妙な表現で申しますがと言いました言い方が誤解を招いた。したがって、そういう事実はありません。
  13. 大出俊

    大出委員 了知していたと、こういうわけですね。それはあなた方が、集団司令部が入っている、「等」の中に入っていると言う、そんなことはないと言う、そういうやりとりがあったんだから、その限りではそれは知っているでしょう。知っているということと明確に反対だということは違う。  あたかも、いまの話を聞いていれば、十二月二十四日に一片の文書通告をあなた方がなさった、抵抗姿勢をとるということで、市長町長は百もそんなことは承知で、了知していた、こういうことになると、これはまさに重大な問題です。わいてしまいますよ。両市町は大騒ぎになっちまう。それじゃ抜き打ちじゃない、これは。「抜き打ち通告反発」と、こう書いてあるけれども、それは抜き打ちじゃない。了知済み通告反発をしたんだということです。つまり了知済み通告だと、こうなるとすると、これはわれわれがつんぼさじきにいただけのことです。  神奈川県知事津田さんが、県の委員会の中で、全くもって抜き打ちだ、完全なつんぼさじきだと、かんかんにおこっているのです。いまの話で言っている、了知しておられるはずだ、賛成反対別だ、ということになっているんだとすれば、これは重大な問題です。一体だれが、どこでどういう了知をさしたんですか。
  14. 山中貞則

    山中国務大臣 あとで具体的な事実関係は参事官から説明させますが、四十六年十二月に地元市長町長に対して通知をして、その了承を得た文書というものが「当該飛行場基地)における部隊編成については、厚木航空基地分遣隊のほか、現在、下総航空基地にある部隊の一部(第四航空群等)を漸次移転し、最終的には航空機約五十機、人員約二千人をもって構成する計画である。」、その他、若干の例示的な部隊名等も掲示してあります。
  15. 大出俊

    大出委員 これは四十六年十二月二十日の文書をさすのですか。いかがですか。
  16. 山中貞則

    山中国務大臣 四十六年十二月二十日でございます。
  17. 大出俊

    大出委員 四十六年十二月二十日の文書は、ここにあります。私、持っている。共同使用をきめた四十五年、共同使用をきめておりますのは、四十五年十二月二十一日ですが、これ以降今日までの文書のほとんどが私の手元にございます。  そこで、四十六年十二月二十日の文書、この文書の中に「補遺」というのが一番最後にある。この文書の一番最後の「補遺」、ここに「部隊編成について 当該飛行場における部隊編成については、厚木航空基地分遣隊のほか、現在、下総航空基地にある」、これは「現在」と入っておる。「現在、下総航空基地にある部隊の一部」、そして「一部」で切ってカッコが入っている。「(第四航空群等)を漸次移転し、最終的には航空機約五十機、人員約二千人をもって構成する計画である。」、こういう説明が「補遺」に行なわれている。これを、あなたはさしているんでしょう。  ところで、いまの問題の焦点は、これじゃないのです。この中にある「等」なんです。「第四航空群等」、この「等」の中にあなた方は集団司令部が入っている、こういう解釈をおとりになる。この文書をつくったときには、町長町民も、市長市民も夢にも考えていないこと、あなた方はあとになって、この中に集団司令部が入っていると言う。ふざけたことを言うなということに市議会だって町議会だってなった。とんでもない話だ。厚木基地の唯一の、三十五年以来のポイントは何かといえば、恒久基地にされては困るということなんです。この一点なんです。集団司令部性格上、恒久基地になってしまう、断じてこれは譲れない、これが基本線ですよ。大和石井市長にしたって、綾瀬佐竹町長にしたって、これが基本線です。だから「等」の中に集団司令部が入っているとかいないとか、解釈の問題じゃない。集団司令部というものが入ってくるということは、恒久基地化される、だから、断じて認めがたいという基本線がある。あるはずなんだ。だから、この点は一貫して反対で今日まできているはずなんだ。  ところが、あなた方は、市民町民と国の間にはさまった市長町長は、いまのあなたの答弁でいけばたいへんお困りになっている、したがって、あらかじめ了知をしている——了知をしているということになると、決してこれは抜き打ちじゃない。抵抗姿勢をとると言っていた、それをあなた方は強行移駐をする。市長はあらかじめ了知の上で抵抗姿勢をとります、こういうことであなた方は強行移駐をやったというさっきのあなたの答弁です。  それならそれでいいです。事がはっきりすればいいのです。私ども、それならそのようにものを考えながら進めていかなければいけません。民主主義というのは、ゲバ棒をふるうのが能じゃないんだから、話し合いをしなければいかぬのだから、はっきりしていればいい。そこまでのあなた方は努力をなさった、こういうことですね。そうですか。
  18. 山中貞則

    山中国務大臣 でありますから、その集団司令部というものについては了解しがたい、その点については、初めからずっと言っておられるわけであります。しかし私ども部隊機能としては、位置の問題と、あるいは通信その他の指揮系統機能の問題、部隊だけが移駐して、集団司令部が別にいるというのは、やはり二千名の中でもありますし、それによって機数がふえるわけでもありませんし、どうしてもそれは機能として一体のものでなければならぬという、これは私ども立場からのまた基本線があります。  これについて了解を得ていたとは断じて申しません。ですから、了解を得られなかった点について、これは本来、国が国民地域住民に対して責任を全部負うべきものを、中にはさまって市長さんや町長さんが苦労されたという点について、私どもは申しわけないと思っているわけであります。ですから、この司令部に関する限りは、あるいは地元意向に反して私どもが入ったということについては、認めざるを得ません。
  19. 大出俊

    大出委員 この二十日の文書をあなたはお取り上げになって、「等」の中に集団司令部が入っている、いないの論争になった。だから、集団司令部が入っているという解釈防衛庁厚木に持ち込むことについては、最後まで了解は得られなかった、これは、そこまではそういう答弁ですな。−だが、事のいきさつ了知をされている、最後まで相手は了解はしなかった、だから、抵抗姿勢をとる、つまり国町民あるいは市民の中にはさまって、町長さんあるいは市長さんが、その間の事情承知である——これを、あなたは了知とおっしゃっている。だから、御迷惑をかけないようにあなた方は文書通告をして入った、こういうわけですね。  そうすると、そのことは、あらかじめ了解点には達しなかった、反対のままである、迷惑はかけたくない、一方的にあなた方は入ろうとする、向こうは抵抗姿勢をとる、こういうことであった。だから、そのことをもってあなたは冒頭に、了知をされていたと言う。そうならば、反対態度はとっているけれども石井市長さんにしても、佐竹町長さんにしても、防衛庁立場反対ではあるけれども、これはわかっていた、だから、あなた方は強行移駐をした、市長反対態度をとった、こういうことなんだという、かみ分けて言えばこういう言い方になる。だから、それならそれで、私もはっきりしておけば、それでいいんで、そう了解をしていいか、こう念を押しているわけですから、そこをはっきりしておいてください。
  20. 山中貞則

    山中国務大臣 大和市長さんは、御老齢と申しては失礼でありますが、私どもより大先輩でありますが、その年齢の方がハンストという手段にまで出られる。しかも施設局長の部屋にすわり込まれた。これは、やはり異常な決意であります。したがって、われわれは誠心誠意それに対しては対処いたしましたが、事柄としては、御高齢の市長さんがハンストまでされたということについては、私ども集団司令部というものが、どうしても御了解を得られないで移駐したということについては、私は遺憾の意を表していいと思うんです。表します。しかし、その前の問題については、機数人員数については、おおむね地元との間の了解は、数次と申しますか、十数回以上の話し合いを、それぞれの段階で持っておりますから、一応その内容はおわかりになっておるし、全部賛成だというお話を得たというふうに私は言っておりませんが、内容承知しておられたが、集団司令部だけは困りますよということについて、最後の御了解を得られずに、たいへん申しわけのない、ハンスト手段にまで出られたことに対して、市長さん、また綾瀬町長さんに対してもすまないことをした、そういう気持ちはございます。  しかし、かといって私どもとしては、やはり先ほど申しました二千名、五十機の新しい部隊というものがあります場合に、そこで位置から考えても機能通信その他から考えても、集団司令部というものが別の遠いところにおっていいというのには、あまりにも部隊編成上おかしなことになりますので、これだけはぜひ御了解を賜わってから行きたいと思ったのですが、御了解は得られそうにないということで、その四十名に関する限りは、確かに御指摘のとおり、あるいは強行という表現になってもしかたがない入り方をしたということは、言えると思います。
  21. 大出俊

    大出委員 これは集団司令部の問題が唯一の論点なんですよ。しかも事の性格上、これは、また最大のポイントなんですよ、恒久基地とみなすかみなさぬかの問題になるんだから。そうすると、ほかの数云々じゃない。集団司令部というものが「等」の中に入ってきているという解釈をとり、しかも、それを厚木に入れるというんだから、一貫して反対してきたはずなんだ。だから、石井市長さんとやりとりをした方々の話を聞いてみると、事、集団司令部に関する限り、いろいろ言ってきたけれども、追い返した、そんなことは初めから断わった、話し合いをしていない、そんなことはだめだ、一切乗っていない、こういうふうに市議会筋でも言っているわけだ。ところが、あなたのいまの話を聞いていると、反対立場、すなわち抵抗姿勢をとる、しかも、あなたのほうは、国と市民町民の間にはさまった市長町長には御迷惑はかけたくない、だから、一方的に入る、そのことは了知している、ここまで言うことになると、これは石井さんも、あるいは佐竹さんも反対態度を一貫してきた、きたが、お入りになるならかってにお入りなさいと、暗黙了解をしたことになっておる。あなたのほうの言い分はそうなりますよ、いまの話は。  だから、あなたのほうが、そういうふうに理解をしておると言うなら、それで私はいい。あなたの理解なのだから。暗黙のうちに了解していて入ってきた、抵抗姿勢をとってみせた、みせたが、それはもうしかたがないと腹の中では思っていたと言うのなら、私は石井さんと佐竹さんに直接聞いてみますよ。御本人たちの口から間接的に伝わる話としては、そういうことではないと私は思っているのだが、あなたのほうが、当の折衝の相手方なのだから、どういう場面でどういう話を佐竹さんと話し、あるいは石井さんと話したか、それは私にはわからぬ。わからぬ限り、あなたたちの言うておることを、ぼくはこの場では否定のしようがない。だから、残念ながら、それは了知済みであるということを、立場は違っても、町長さんや市長さんは町民市民、国との間にはさまってたいへんお困りだった、御迷惑はかけたくない、だから、一方的に入る、抵抗姿勢をとる、これはやむを得ない、そういう話で進んだのだということになるとすれば、これは、それなりにまた考えなければいかぬですよ。  だから、あなた方がそういうふうに了知済みだという解釈で入ったのだと言うならば、ほんとうのところ、一体市長町長はどうお考えになったのか承っておきたい。もしそうでないとすれば、私は次の委員会で、いまのあなたの冒頭からの三回、四回にわたる発言はお取り消しを願いたい。いま、この席では黙って聞いておきます。
  22. 山中貞則

    山中国務大臣 これは、だからかみ分けてお話しいたしておりますように、四十六年十二月の航空機五十機、人員二千名ということについては、たびたびの折衝の結果、その内容については了知しておられる、しかし集団司令部については賛成をされなかったということを言っておるわけでしょう。だから、町長さん、市長さんがおっしゃっておることは、そのとおり正しいのであって、私たち賛成を得ることができなかった、誠心誠意やってみたのですが、やはり集団司令部については御異論があって、よろしかろうと暗黙了解も与えておられません。  でありますから、それに対しては市長さんが、高齢を押してハンストにまで入られたという点がありまして、そのことについては、私は集団司令部解釈をめぐって、「等」という表現であったことが、このような累を及ぼしてしまったということで、本来、国が責任を負うべきものを市長町長さんを巻き込んでしまって、議会の立場市民町民立場等に対して言っていらっしゃることは、間違いじゃありませんで、そのとおりでありますから、集団司令部の問題について御了解を得られないまま入った点を、私としては申しわけないと思っているということを言っているわけであります。だから、あなたのおっしゃっていることと私が言っていることとは違ってはいないのです。
  23. 大出俊

    大出委員 私は、くどいようだけれども、一つのやはり町なり市なりの責任を持たれる行政長官というのは、やはり市民あるいは町民の意思を代表されておるわけです。だとすれば、冒頭に私が立川の例を引いて、佐藤総理もあのときに、自今こういうことを起こさないようにしたいと言っていたのに、また強行移駐というのは何事だ、とるべき筋でないのではないか、総理あるいは歴代の防衛庁長官が口にしてきた自衛隊性格、ここからいって筋が通らぬじゃないか、何でまたこういう強行をなさるのかと言ったら、あなたはそうではないと言う。これは、間接的に、あるいは直接的に再三話し合ってきたのだ、だから、十分了知をされているのだ、法律用語で言えば。抵抗姿勢をおとりになる、だが、事のいきさつ了知をされている、こういうふうにあなたはおっしゃる。  そうだとすれば、反対だ、抵抗姿勢はとる、おまけれ町民市民と国との間に町長さんや市長さんが入っていて御迷惑をかけたくない、ないから、あなた方の意思で入ったのだ、もちろん、これは集団司令部に関する問題ですが、その点は遺憾だ、だがしかし、間接的に、あるいは直接的に話し合ってきたことなのだから了知済みのことなのだ、抵抗姿勢をとる、それもあなたのほうはわかっている、だということになると、これは抜き打ちでも何でもなくなる。ことしの暮れ、押し迫ったところで入ってくる、そのことを了知したということになる、冒頭のあなたの答弁からすれば。私はそのはずはないと思っているんだが、しかしあなたのほうがそう言うならば、それは市長町長に直接聞いて妻以外に手がない、私が話したんじゃないんだから。防衛庁のどなたかが、佐竹町長なりあるいは大和石井市長なりとお話しになったんだから、それ以上のことは、私は言う理由はない。これは、あらためてやります。  ただ、私どもからすれば、これは明らかに、ここにこの見出しに書いてありますように、各新聞が取り上げておりますように抜き打ちであり、一片の一方的通告によって強行移駐をなさった、事、集団司令部に関する限りは。しかも、かってのこの四十六年十二月二十日の文書によっても、「等」という解釈をとったときに、あなた方から、集団司令部は「等」に入っていますなんという説明は一ぺんもないんだ、私もこのときのいきさつよく知っているけれども。この表現、あなたあらためて読んでごらんなさい。「厚木航空基地分遣隊のほか、現在、下総航空基地にある部隊の一部」となっているんです、これは。「現在、下総航空基地にある部隊の一部(第四航空群等)」、第四航空群というものは、これは逆に集団司令部傘下にある。そうでしょう。集団司令部傘下に第四航空群があるんでしょう。てっぺんの集団司令部が、その傘下の第四航空群のしまいのほうの「等」の中に入っている。そんな解釈町民だって市民だって一体できますか。  そこで承りたいんだが、第四航空群というものの編成は、今日どうなっておりますか。
  24. 丸山昂

    ○丸山政府委員 第四航空群は、司令部厚木にございます。その隷下の部隊といたしまして第三航空隊、これはP2V7十一機、それから第十四航空隊、S2F1が十三機、メンター一機、それから第十四支援整備隊、厚木航空基地隊、それから硫黄島の航空基地分遣隊、南鳥島の航空基地分遣隊、以上でございます。
  25. 大出俊

    大出委員 もう一つ承っておきますが、航空集団司令部傘下で、第一航空群というのは鹿屋ですな。中身は詳しく申し上げません。第二航空群、これは八戸ですな。第四航空群はいままで下総におったわけですな。第二一航空群、これは館山ですな。第三一航空群、これは岩国ですね。それから航空集団直轄の形になっておりますのが五一航空隊、六一航空隊、これは今度かわりましたが、四十八年五月段階では、臨時沖繩航空隊が入っておりましたな。これは那覇です。これが航空集団傘下でしょう。間違いございませんな。
  26. 丸山昂

    ○丸山政府委員 ただいま先生のおっしゃいましたのは、ほとんど間違いございませんが、現在、厚木にございます航空管制隊という二十人で編成されておる部隊がございます。これは航空機は持っておりませんが、これがございます。
  27. 大出俊

    大出委員 そうすると、この航空集団司令部の傘下に第一航空群鹿屋、第二航空群八戸、第四航空群、いままでは下総、二一航空群館山、三一航空群岩国、これに五一航空隊、六一航空隊、当時は臨時沖繩航空隊、その他厚木にいまの管制隊、これは別な編成です。  つまり、これの一番てっぺんに乗っかっているのが航空集団司令部でしょう。そうでしょう。以上申し上げた五つの航空群は、この傘下でしょう。これが直轄するんでしょう。この司令部を一体何で「第四航空群等」ということで、この「等」に入れなきゃならぬのですか。どういう解釈ができるのですか。日本語というのは、そう簡単な解釈をされては困る。「(第四航空群等)」、「等」といえば第四航空群に付随するもの。それが自分の頭に乗っかっている。航空集団司令部というのは、第四だけじゃない。第一、第二、第二一、第三一がある。こうなっているのを、あなた方は、まさか大和市民にしろ、あるいは綾瀬町民にしろ、あの周辺の市町村民にしろ——これは新聞に出て公になっているのですから、この「(第四航空群等)」の「等」の中に、海上自衛隊の航空集団全体を統括する司令部が入っているなんてことは考えようがないじゃないですか。考えられぬじゃないですか、こんなばかみたいなことは。  そういうことを、もしあなた方が承知してやったのならば、これはペテンですよ。インチキです。うそとペテンとインチキで町民市民をだましたことになる。けしからぬ。
  28. 長坂強

    長坂政府委員 事実関係につきまして、お答えを申し上げたいと思います。  この四十六年の十二月二十日の文書に至るまでの間に、防衛庁といたしまして、集団司令部を移したいという明確な意思表示をしてあります文書と申しますか、印刷物、そういうものは、実は二つございます。  それで、四十六年の五月に、神奈川県庁におきまして、当時の横浜施設局長以下と、それから大和市長綾瀬町長、そういういわゆる地元の方々に対しまして、近く合同委員会の決定、それから閣議の決定を経まして、厚木に下総から第四航空群及びその傘下の部隊、それから冒頭に、集団司令部約四十人を移す、そういう表示をしましたプリントを用いまして説明会を行なっております。  それから、その六月に、やはり関東地方の国有財産の地方審議会におきまして、国有財産の使用を認められたわけでございますが、その承認文書の中には、集団司令部以下五十機、二千人というものが、この厚木航空基地を使いたいということで、その使用承認を進めることがよかろうという決定をいただいておるわけでございます。したがいまして、地元には、冒頭から集団司令部が参りますということを申し上げておるわけでございます。  そして、この四十六年十二月の文書におきましても、その表示をどうするか。それは、騒音等のいわゆる実害といいますか、司令部の四十人というものは、これは、いわゆる司令部でございますから、中枢機能でございますから、騒音等の物理的な障害というものを地元に与えるものでない、そこで当時の横浜局長たちに聞いてみますと、そういう実際に飛行機を持っておる部隊を例示としてあげようじゃないか、そのときの一番代表的なものが、第四航空群等という実際に実動していく部隊である、だから、それ一つをあげて、いろいろな部隊名を列記するのもわずらわしいから、それをもって例示しよう、それから事後の話し合いにおきましても、集団司令部は移したいということを、ずっと一貫して言っておるわけでございます。  それで、その第三の文書的な資料としましては、四十七年の二月に、大和市の広報紙、市役所が出しております広報紙におきまして、四十六年の十二月移駐後におきましては、これは三月までには云々ということで、最終的には五十機、二千人になるのだということを、広報紙「やまと」という二月一日付の広報で一般市民にお知らせをしておりますが、その中には、やはり海上自衛隊航空部隊と、さらに「四十七年度以降、海上自衛隊航空集団司令部、第四航空群司令部などが来て、最終的には人員約二千人、航空機約五十機になる模様。」ということを書いてございますが、これは四十六年の十二月の、私ども横浜局の文書がやはり地元の中に受け入れておられたということを示すものであるというふうに感じております。  なお、残っておるかと思いますが、一応……。
  29. 大出俊

    大出委員 「等」の説明には、何にもならぬじゃないですか。むだな答弁だ、そんなものは。広報「やまと」に書いてあったって、そんなものは、あなた方が言っているから、言ったのを書いただけでしょう。地元了解しなければ、これは何にもならぬじゃないですか。  長官がさっき例に引いた四十六年十二月二十日の文書、この文書の中には、「現在、下総航空基地にある部隊の一部(第四航空群等)」、こうなっている。じゃあ、この「等」の中に、いまの答弁からすると、集団司令部が移ってくることについて、あなたのほうは、横浜の局長と相談をして、騒音だ、障害だという問題があるから、それを列記する、列記なんかしちゃいない。「下総航空基地にある部隊の一部」としか書いてない。列記も何もしていないですよ。  そして、この司令部は、そういう実害がないから「等」に入れておく、横浜の局長とあなたは相談したという。その相談したことを、当時この文書にするときに、大和市側——大和市長あてになっていますから、大和市長了解しているんですか。大和市長了解して、この「等」の中には集団司令部が入っているのか。あなたが横浜の防衛施設局長と相談したように、騒音等の障害を与えない、司令部の四十人だから、飛行機を持っているわけじゃないから「等」に入れておく、わかりましたと、こういうことになって、この文書はできたのですか、どうなんですか。
  30. 長坂強

    長坂政府委員 その当時、一応五十機、二千人、第四航空群等ということで了解はされておる、つまり大ワクは了解されておる、しかし四十人の集団司令部については、どうもいろいろと御意見があるようであるということで、私どもも昨年、市長にもお会いしております。そして一体、御反対の理由は何であるかということも聞いております。話を詰めておるつもりであります。
  31. 大出俊

    大出委員 もう一ぺん言うから、答えなさい。詰めているんじゃないよ。  私の聞いているのは、あなたは、横浜の局長と騒音等の障害がないから、集団司令部というのは、この「等」に入れておくんだと相談した、そういう文章の表現にする、そしてそれを大和市長あてに出しているが、この文書大和市長は認めているのかとあなたに聞いているんだ。それだけ答えればいいんだ。よけいなことを言うな。
  32. 長坂強

    長坂政府委員 当時、大和市長それ自身は入院中であって、助役以下が了解しておるというふうに私は聞いております。しかし、その後なお御疑問があるようであるので、去年さらに話を詰めておる、こういうふうに申し上げておるわけでございます。
  33. 大出俊

    大出委員 市長が入院していたって、死ぬか生きるかじゃないのだから、助役以下が了解していれば、市長に話さぬできめることはないでしょう、そんなことを。はっきりしてください。助役以下とは、どこまで以下か知らぬけれども、助役以下ははっきり了解していたんだな、それじゃ。もう一ぺん答えてください。
  34. 長坂強

    長坂政府委員 了解していたと聞いております。
  35. 大出俊

    大出委員 聞いているとは、だれに聞いた。
  36. 長坂強

    長坂政府委員 横浜局長から聞いております。
  37. 大出俊

    大出委員 当時の横浜局長はだれですか。
  38. 長坂強

    長坂政府委員 四十六年当時は、高村清でございます。
  39. 大出俊

    大出委員 じゃ、高村君がそういうふうに話をして了解はしてあった、だから、市長了解しているはずだとあなたは言うんですな。そこのところは、どうですか。
  40. 長坂強

    長坂政府委員 組織的には、そのとおりだと思います。
  41. 大出俊

    大出委員 そうすると、これは解せないことができ上がるんだが、市長以下が全部了解をして、組織的にはそのとおりというのだから、市長も助役も、横浜防衛施設局長高村君と話をして、この「等」の中には、集団司令部が入っているんだ、厚木に来るんだと全部了解していたと、あなたはここで断言しますな。
  42. 長坂強

    長坂政府委員 と聞いております。
  43. 大出俊

    大出委員 聞いておるなんという逃げ口上、何でそんなことを言うのですか。あなた、自信たっぷりさっきしゃべったでしょう。あなた、そこははっきりしてください、ポイントなんだから。了解していたならしていたと、はっきり言ってください。
  44. 長坂強

    長坂政府委員 そこで疑義が残っておるようなので、去年話を詰めたと、こういうふうに申し上げておるわけです。
  45. 大出俊

    大出委員 だから、どっちなんだ。市長が入院していて、助役以下は了解しているはずだ、だから、組織的には市長了解したはずだとあなたは言うのでしょう。横浜防衛施設局長高村君は、あなたの傘下でしょうが……。高村君が了解をとっておるんならば、組織的には市長以下が了解したと認めているんだから、あなた方も組織的に認めていた、了解を求めてあったと断言できるじゃないですか。なぜ、それをしないのですか。
  46. 長坂強

    長坂政府委員 そういうふうには聞いておりますが、それであるならば、横浜局長は、その後、そういう了解に達したあとで、市長が病気がなおってきてから、あれこれ言うことについて押えることができたであろうと思いますけれども、その間のことは、あるいは市長と助役との間においても、意思の疎通が十分であったのかなかったのか、そういうような点もありますので、それらには触れずに、疑義のある点については、去年さらに話を詰めていくことにした、こういうことでございます。
  47. 大出俊

    大出委員 そうすると、どういうことなんですか。あなたの言っていることは、さっぱりわからぬのだが……。私も、そう頭の回転が鈍いほうじゃないんだけれども、あなたの言っていることはわからぬ。了解していたと聞いている、いよいよ詰めていって、なぜ断言をしないのか——高村君はあなたの傘下なんだから、そうでしょう。断言しないかと言ったら、どうも疑義があるようだ、疑義があるのなら、了解したことにならぬじゃないですか。了解していないことになるじゃないですか。了解したのかしていないのか、どっちなんですか。はっきりしなさいよ。
  48. 長坂強

    長坂政府委員 五十機、二千人ということについては、完全に了解している。(大出委員「そんなこと聞いてやせぬ、集団司令部だよ」と呼ぶ)それについては、先ほどから申し上げているように、市長の病気がなおってきてから、とかくの議論がありましたので、さらに昨年、私は市長との間に話を詰めておる、こういうことでございます。
  49. 大出俊

    大出委員 それでは、あなた、了解していなかったのか、どっちなんです。了解していないんだとすれば、あなたのさっきの話は、一方的な話じゃないですか。何か疑義があったようだというなら了解していない。どっちがほんとうなんですか。大事なところだ。
  50. 長坂強

    長坂政府委員 助役以下は、了解していたと私は聞いております。  それで、その後、市長が病気がなおって出てきてから、いろいろおっしゃるので、去年話を詰めた、こういうことになります。
  51. 大出俊

    大出委員 いいですか、この文書は、助役あてに出ているんじゃないんですよ。横浜防衛施設局長から大和市長殿になっているんですよ。市長了解していなければ、了解していないじゃないですか。行政長官というのは、市長だけだ、そんなこと言ったって。山中防衛庁長官というのは、行政長官ですよ。行政長官反対だと言うものは、だれが何と言ったって、そんなものは通りゃせぬじゃないですか。だから、この文書は、大和市長あてになっているんじゃないですか。ごまかしなさんな。疑義があったというならば、了解していないんじゃないですか。了解していないからこそ、今日まで反対しているんじゃないですか。市長ハンストをやっているんじゃないですか。了解したかのごとく、あなたこの席上でごまかしてもだめですよ。したならしたと言い切りなさい。どっちなんですか。
  52. 長坂強

    長坂政府委員 何回もお話ししておりますように、当時、市長は入院中であって、助役以下との話が行なわれたわけでございまして、その助役以下と横浜局長との間では、話は詰まっておったというふうに私は聞いておりますが、あと、四十六年の移駐も済みまして、年が明けて退院後、そういうような話が出てきた、いろいろ疑義が出てきた、そういうことで今日に至っておるわけです。
  53. 大出俊

    大出委員 疑義があったんなら、了解していることにならぬじゃないですか。何が了解なんですか。組織的には了解していたとあなたは言うが、そんなものは取り消しなさい。  それならば、「第四航空群等」の「等」について、集団司令部が入ることを市長了解していなかったことになるじゃないですか。どうですか、長官。あなたはこっくりされたから、それでいいのですか。あっさり言いなさいよ、時間ばかりかかるから。
  54. 長坂強

    長坂政府委員 昨年の十一月に市長と会いまして、話したときには、了解はしておりません。
  55. 大出俊

    大出委員 さっきあなたは、組織的にはそういうことを了解しているということになりますと言った。助役以下は了解したと高村君は言っている、したがって、組織的には大和市は了解していた、こういうことになりますと、あなたは言ったじゃないですか。今度は、了解していなかったと、あなた言うじゃないですか。どっちなんですか、一体。どっちがほんとうなのか。了解していなかったのだな。
  56. 長坂強

    長坂政府委員 市長は、その当時、不在でありましたので、市長自身としては、やはり了解していなかったというふうに推測すべきであろうと思います。
  57. 大出俊

    大出委員 それでは、先ほどの、組織的には了解しておったというあなたの答弁は、誤りだったということになりますな。いいですな。  それならば、これは了解していない。了解していないで今日まで反対を続けてきたことになる。かくて二年間たったことになる。そうすると、これは明らかに強行移駐であることになる。長官どうですか、間違いないですな、集団司令部に関しては。
  58. 山中貞則

    山中国務大臣 集団司令部に関しては、御了解を得られないまま推移したということを、私はたびたび申し上げております。しかし私たち機能としては、集団司令部がいない移駐というのはおかしいということで、先ほどから申し上げておりますとおり、集団司令部というものを移すことについての御了解を得られないまま入ったということは、その点について、強行と言われてもいたし方ないし、かといって、いま市長了解していたとかいないとかということをやりとりしておりますが、私たちは、市町村長さん、あるいは市議会の皆さん、そういう方々は市民の代表でありますから、国の責任において国民である周辺地域の市町村民に直接責任を負うべきものを、市長さんや町長さんが苦しまれるようなことに追い込んではならないということを、絶えず留意いたしておりました。  しかしながら、結果として抗議の意思を、ハンストをもって表明されるようなことに立ち至ったことについて、遺憾であるということを申し上げておるわけであります。集団司令部について、そのような点は申しわけなかったと思っております。
  59. 大出俊

    大出委員 強行移駐立川で行なわれて、自今そういうことはもうしない——当時は江崎防衛庁長官でございました。これもずいぶんいいかげんな話が当時ありまして、通告をした八日の日に入るのが前の日に入っちゃって、大騒ぎが起こった。そうしたら江崎氏は、何と答えたかというと、練馬から立川に向かっていった、夜間でございまして、交通が非常に少なかったので、すいすい行っちゃった、しかも下りでございましたから、少し早く着き過ぎちゃった、そこで中に入っちゃいました。現地に行って、香月さんという先遣隊長に会って聞いてみますと、練馬から立川に向かっては下りで、たいへんえらく早く着いたそうですねと言ったら、とんでもございません、練馬から立川は逆に上りでございまして、私どもは練馬を何時何分に出発せよという命令しかもらっておりません、出発して一生懸命来たら着いたから入った、何時に入れなんて命令はいただいていないと、そういういいかげんなことまでおっしゃった。これはあとで取り消してあやまられましたがね。  だから、そういういきさつの上に立って、強行というような市民感情をさかなでするようなことをすると自衛隊の本旨にもとる。このことは、いつまでたってもきずになって残る。だから、そういうことがあってはならない、御指摘のとおりそうだと総理もお認めになった。まことに遺憾である、どんなに骨が折れても、話し合いをつけてやらなければならぬ、今回の問題も、私は地元の諸君と話し合いをつけます、こういう言い方をされた。  だが、再びこれがあった。だから、今回も、これは予算委員会等で問題になります。おそらく防衛庁関係の問題も、この問題があるので、そう簡単に進まないと思う。現地は、これからまた騒然としてきます。そういう性格を持っています。  いまの騒音の状態その他あとから申し上げますが、こういう中で住民の方々は納得していない。市長自身だって、五項目云々という問題がありますけれども、納得されておらないようであります。だから、こういう争いをまた次において長く続けることは好ましくない、したがって私は、地元との話し合いの上で、この集団司令部に関する限りは、一ぺん原状復帰をして、つまり前の状態にこれを戻して、その上で話を詰める、これはそういう筋合いのものだ。  長官、これは、あなたの政治力をもって、集団司令部に関しては——さっきいろいろ、妙な答弁をされたけれども、これは長官が、あとから長坂君に説明させるとおっしゃったが、聞いてみたが、さっぱりわけがわからぬ。そういうことでやったのでは、このしこりというものは、永久に残りますよ。だから、一ぺん集団司令部は下総に返して、その上であらためてひとつ市のほうと話し合う、そうしてください。いかがですか。
  60. 山中貞則

    山中国務大臣 裏は、いろいろありまして、ピクニックエリアの問題とかあるいはイーストキャンプの問題とか、地域の関係の問題等が、国有財産審議会等で十二月の初めにおおむね片もつきましたし、いろいろと裏はございました。しかし、少なくとも集団司令部について了解をされたということは、私も言っておりませんから、したがって、了解してない以上は強行移駐である、その点も認めざるを得ない。  しかし、その集団司令部、それをもとの線に戻して引き揚げろということについては、これは、私どもやはり集団司令部機能しない状態に置かれるということになりますから、それはできないと思いますし、やれません。また、かりに、おっしゃるとおりに集団司令部四十名を原状回復して、もとに戻したとしても、では、入れてくださる日が、相談の上であるのかといえば、ここまできた以上、おそらく賛成はされないだろうと思います。  しかし、われわれは、皆さんがお認めになる、ならないは別にして、一応の、それぞれの陸海空の部隊の指揮系統その他、やはりきちんとしたものを持っておらなければなりませんから、集団司令部が離れたところにいるということは、この際できませんので、残念ながら、ただいまの御提案は、現時点においてお受けいたしかねるということであります。
  61. 大出俊

    大出委員 そういうことになると、これは津田知事の県会の委員会における答弁ですが、文民統制がこういう形で乱されることはがまんがならない、文が武を制するという戦後の行き方を、このことによってくつがえされた、そういう意味でまことにがまんができない、こう答えているのです。この委員会は、わが党の委員長ですけれども、実は、ここで強硬な案件採択をしようとしていたのだけれども、知事のこういう表現で、せっかく知事がそこまでの意思表示をなさるので、あとのところは、知事にまかせようということになっておる。知事もこの考え方は変わっていない、いまだにそう言っている。まさに権力指向型のこのやり方には、がまんができないと言い切っておられる。  だから、事と次第によっては、十二月二十七日の答弁ですが、警察渉外委員会ですけれども自衛隊のすべてについて、神奈川県は協力いたしません、そのことは、米軍基地についても全く同じ考えですというようなことまでつけ加えておられる。県知事以下、県民の意思を代表していると見なければなりません。  あげてこういう態度になっておるところで、武力集団である自衛隊強行移駐をした。しかも司令部を入れた。その司令部は、海上自衛隊の航空集団編成の全体を統括する集団司令部である。それが厚木に置かれたとなれば、これは明らかに恒久基地である。三十五年以来たいへんな苦労をされて、当時の爆音防止期成同盟なり、渉外知事といわれた当時の神奈川県知事がずいぶん苦労された。今日、防衛施設周辺整備法という法律がありますが、この方々が当時、基地安定法という案文をつくってお出しになった。神奈川県知事が、これを国に持ち込んだ。そのことが、最終的に国の取り上げるところにならざるを得なくて、防衛施設周辺整備法ができた。歴史があるのです。  それで、皆さんがようやくほっとしているところに、四十五年の共同使用、四十六年の自衛隊移駐という問題が出てきたわけです。このときだって、了解をしていないのに入れてしまった。やむなくあとから条件を七つ八つつけて、その話し合いをした。その結果、いまの問題になっておるわけです、歴史的に。これは了解できるところじゃありませんよ、地元は。私どもは、この点については、あくまでも撤回を求めて、あらゆる手段を講じます。  そこで、少し詳しく承っておきますが、あと下総には何と何が残っているのですか。
  62. 丸山昂

    ○丸山政府委員 下総に、四十八年末現在、つまり三月末でございます。現在でもけっこうでございますが、五一航空隊がございます。それから教育航空集団の司令部がございます。それから下総の教育航空群、これがございます。この司令部が、計画によりますとことしの二月に新編をされます。それから第二〇五教育航空隊、これは現在鹿屋にございますけれども、これが、やはり司令部の新編の際に鹿屋から移動いたします。同じく第二〇一支援整備隊、これもこれについて参ります。それから現在、下総の航空基地隊は第四航空群の隷下にあるわけでございますが、これが下総教育航空群が新編された際に、この隷下に入ります。それから横須賀地方隊の下総航空工作所、そのほか移動通信隊、下総警務分遣隊、第三術科学校、こういったものでございます。
  63. 大出俊

    大出委員 そうすると、先ほどの四十六年十二月二十日の文書、四十六年十二月二十日という時点で下総におった部隊というのは、一体何と何があったのですか。
  64. 丸山昂

    ○丸山政府委員 昨年の十一月までに移動しておりました第四航空群の隷下の第一四航空隊、それから厚木の航空基地隊、第六一航空隊、航空管制隊、厚木の警務分遣隊、九百人、二十機でございますが、これは厚木警務分遣隊を除きまして、いずれも下総におったものでございます。それから今回移動いたしました約六百人、十五機、これも、その当時、下総におった、こういうことになるわけでございます。
  65. 大出俊

    大出委員 そうすると、おかしなことが幾つかあるので、順次聞いていきますが、これは厚木にほとんど移ってしまったのですな、下総は。宇都宮その他から移ってくる教育航空隊その他は別として、これは新しいのですから、当時、この四十六年の十二月の文書、ここに「現在、下総航空基地にある部隊の一部」と、こうなっている。当時、下総におったものは、みんなこっちに来たのじゃないですか。何が残っているのですか。
  66. 丸山昂

    ○丸山政府委員 当時おりましたもので、第三術科学校、それからただいま申し上げました五一航空隊、四十六年十二月現在ということになりますと、そういうところでございます。
  67. 大出俊

    大出委員 五一だけでしょう。六一なんというのは、新編じゃないですか。四十六年の十二月二十七日にこれはつくった。この文書は四十六年十二月二十日だ。十二月二十日の文書で「現在、下総航空基地にある部隊」、こういう限りは、これは六一は入ってない。六一は四十六年十二月二十七日に新編成されている。そうすると、当時残っている部隊というのは五一しかない。  そうすれば、どういうことになるのですか。この文書では「現在、下総航空基地にある部隊の一部を漸次移転」、一部どころではない。ほとんど全部じゃないですか。下総にある部隊全部、五一が残るだけ。そうすると、この五十機、二千名と言ったのは、何が一体二千名なんですか。
  68. 丸山昂

    ○丸山政府委員 今回までに移駐をいたしまして、現在千五百人、三十五機ということになっておるわけでございますが、このほかに五一航空隊を入れて計算をしてございます。
  69. 大出俊

    大出委員 これは五一航空隊を入れれば二千名こえちゃうじゃないですか。五一航空隊は、私の手元には、これは防衛庁、おたくが出した資料ですが、四十八年五月三十日、防衛庁がお出しになった資料、海上自衛隊航空集団編成表、その中に第五一航空隊P2J等約二十機、人員七百人。七百人入れてごらんなさい、こえちゃうんじゃないですか。そこはどうするんですか。
  70. 丸山昂

    ○丸山政府委員 どういう資料を差し上げましたか、現在……。
  71. 大出俊

    大出委員 ちゃんとおたくがここに書いているじゃないですか。
  72. 丸山昂

    ○丸山政府委員 五一航空隊は、四百名でございます。いや、六百名でございます。
  73. 大出俊

    大出委員 どっちがほんとうなんですか、一体。
  74. 丸山昂

    ○丸山政府委員 六百名でございます。七百名と申し上げておるのは……。
  75. 大出俊

    大出委員 申し上げてじゃない。書いてあるんだ。あなたのほうが印刷したんだよ。
  76. 丸山昂

    ○丸山政府委員 七百名と申し上げておりますのは、岩国の航空分遣隊の数が入っていると思います。   〔中路委員「ここには四百人とある」と呼ぶ〕
  77. 大出俊

    大出委員 これははっきりしてくださいよ。五一航空隊、下総とちゃんと書いてある。岩国なんて書いてないでしょう。七百人。あなた方が出した資料じゃないですか。いいかげんな資料を出すのですか、あなた方は。ちゃんと御丁寧に「衆議院大出俊議員要求資料」と書いてある。四十八年五月三十日。じゃ、私だけに別な資料をくれたのですか、あなたたち。あなたのは四百か——人によって数を変えているのですか。それはペテンとインチキでだまくらかして、迷惑千万じゃないですか。何がほんとうなんだ。
  78. 丸山昂

    ○丸山政府委員 五一航空隊のところに、下総と書いてございますのは、司令部の所在地をそこへ書きました。したがって、その中に岩国の分遣隊も入っておる、こういうことでございます。
  79. 大出俊

    大出委員 岩国は何名ですか。
  80. 丸山昂

    ○丸山政府委員 岩国は約百六十名でございます。
  81. 大出俊

    大出委員 そうすると、七百名のうち百六十名なら、数字上残りは五百四十名じゃないですか。何が正しいのですか、一体。さっぱりわけがわからぬじゃないか。   〔委員長退席、小宮山委員長代理着席〕
  82. 丸山昂

    ○丸山政府委員 したがいまして、いまの百六十名を引きました約五百四十名というのが、いま申し上げたとおり五一航空隊のあれになります。
  83. 大出俊

    大出委員 それでも、これを持ってくれば、二千名こえちゃうじゃないですか。
  84. 丸山昂

    ○丸山政府委員 ただいま申し上げましたのは、現在の数で申し上げてございます。当時の試算では、これを入れまして約二千名、こう考えておったわけでございます。
  85. 大出俊

    大出委員 そこで、念を押しておきますが、あと、そうすると五一航空隊は、厚木に持ってくるのですか。
  86. 丸山昂

    ○丸山政府委員 当初の計画では、五一航空隊を厚木移駐するという考え方を持っておりまして、現在も、そのつもりでございます。
  87. 大出俊

    大出委員 そうすると、この石井市長に出した文書というのは、五項目というのはペテンであり、うそであり、でたらめであったということになりますね。「防衛庁側は、五十機、二千人の規模について検討を開始し、その結論を得るまでの間約三十五機、約千五百人の規模は拡大しない。」、これは市長は千五百人でとめてくれるのだと思って帰ってこられたですよ。あなたのほうは、いまから二千入れるとおっしゃる。五一を持ってくるという。何も変わっていないじゃないですか。とりあえずハンストをやめてくれというので、こう言ったというだけですか、これは。
  88. 丸山昂

    ○丸山政府委員 ただいまのその覚え書き、申し合わせ事項の趣旨もございますので、先ほど私、申し上げましたように移駐を考えておりますけれども、現在は、正確に申し上げますと、検討中であるというふうに申し上げたほうがいいと思います。
  89. 大出俊

    大出委員 これは中路用があり、大出用があり、石井市長用がありなんということになるのじゃないですか。石井さんにはこう言った、だけれども、いま私がぽんと聞いたら、あなた持ってくるつもりですと言う。これは、さっきの話と全く一緒じゃないですか。「等」なんて書いてあるが、了解しているのかと言ったら、組織的には了解していた。いよいよ聞いてみたら、どうも疑義があった。疑義があれば、これは了解じゃない。そうでしょう。七百人と書いてあると思えば、今度は百六十人引くのだという。中路君のは四百だと書いてある。これでは、まるっきり見当つかぬじゃないですか。  そうすると、あなたのほうは検討中だと言うが、さっき私に答えたのは、持ってくるつもりだったとちゃんとおっしゃった。じゃ、市長との約束は、これはどうなったんだと言ったら、いや、市長とのそういうのもありますから、検討中でございます、どっちがほんとうなのか。あなた、さっき私には、五一持ってくると言い切ったじゃないですか。そういうのを二枚舌というのです。どっちかの舌にしてください。
  90. 丸山昂

    ○丸山政府委員 あとで申し上げたほうが正確でございます。
  91. 大出俊

    大出委員 二枚のほうのあとだというのですけれども、いよいよ一枚にはなったが、検討中がくっついているのですが、検討の結果、入れるのですか入れないのですか。
  92. 山中貞則

    山中国務大臣 これは、そういう申し合わせもされましたので、防衛庁としては、そのような既存の方針のもとに約二千名と言っております、また五十機と言っておりますが、今後どうするかについては、最終的には私が判断をして決定をいたします。
  93. 大出俊

    大出委員 あなたはどう判断をしたいのですか。
  94. 山中貞則

    山中国務大臣 地元の御意向を全く無視するようなことのないような方向で、わがほうのまた部隊展開のためにどの程度ならばできるか、どこまでならばそれが捕捉できるかという問題等について、両方の要請の一致する点を発見するために努力しますということです。
  95. 大出俊

    大出委員 全く無視するわけにはいかぬということになると、少し顔を立てればいいということに、逆にいうとなるんですね。いまの答弁では、はたしてこの一項というのは守られるかどうか、全くわからぬということになる。あなたの胸先三寸だということになるかしらぬ、しかし問題は、防衛庁の機構の問題でしょう。部隊編成の問題でしょう。五一航空隊というものが、どういう任務を持っているかということも、私は知らないわけではない。厚木に何で集団司令を持ってきたかということも知らないわけではない。そう簡単に、これは口の先で済む問題ではない。  そうすると「防衛庁側は五十機、二千人の規模について検討を開始し、」、いまごろ検討を開始するのはおかしな話です。「その結果を得るまでの間」ということなんです。結果を得るまでの間というわけだ。「三十五機、約千五百人の規模は拡大しない。」、これはまさにナンセンス。だから、官房長は持ってくるつもりですと、こうはっきりおっしゃるわけです。ああ、しまった、五項目あったなということになるから、あとのほうがほんとうですと、こういうことになる、当面は。まことにこれはふざけ切った一項です。  二項目の「大和市の廃棄物処理センター」、この「隣接の国有地利用については、大和市の要望に沿うよう努力する。」、これは、いまに始まったことじゃない。こんなことは、あたりまえのことです。前の共同使用のとき以来の懸案です。しかも、これは努力するとしか書いてない。これは、どうなんですか。  三番目、「ピクニック・エリヤ六万平米及び基地内体育施設の共同利用については、綾瀬町の意向を尊重して米軍と協議の上実現を計る。」、これも先の見通しは……四、「その他施設周辺の民生安定事業については、地元市、町の要望を尊重し、その実現に努力する。」、これは一体何をどう努力するのですか。五番目、「厚木飛行場における現行飛行規制については、これを遵守する。」、これにもいろいろ問題がある。話をしても、なかなかそのとおり順守しない。  一体、あなた方のほうは、どういうつもりでこの申し合わせ事項というものを提起されたのですか。これじゃ、さっぱり、どれを見てもあたりまえのこと、いままで話をしてきたことばかり。一だけが少し変わっているのだけれども、これも本心は入れようとおっしゃるのだから……。そうすると、この申し合わせ事項というのは、何ら意味をなさぬことになるじゃないですか。念のために聞いておきたい。いかがでございますか。
  96. 長坂強

    長坂政府委員 この申し合わせ事項五項目というのは、二十五日の晩に、横浜局長室で大和市長、横浜局長、それから神奈川県、私どもで話し合った結果をまとめたものでございますが、この第一項目は、当初、市長のほうからは、集団司令部四十人を原隊下総へ帰してくれないかという話がございまして、いや、それはできないと防衛庁側としてはお断わりいたしました。そういうことで、話は当初の一番初めに戻って、最初了解をされていた五十機、二千人という規模について、騒音その他の関係もあるから、規模を縮小して住民のためになるようにしてくれないか、そういう市長としての要望がございまして、それを一面入れまして、本庁とも協議いたしまして、こういう申し合わせにしたわけでございます。
  97. 大出俊

    大出委員 これは一項を除いては、当然やるべきことは皆さんがやるべきなんであって、特に変わったことじゃない、いままで話し合われてきたことだらけであります。そうだとするとこの一だけ。そうすると、この申し合わせ事項というのは意味をなさない、こう申し上げておきます。  そこで、もう一点承っておきます。今回の、この四十八年十二月二十四日の文書によりますと、論点が二点ございますけれども、何で一体、航空集団司令部を入れてきたか。ここに理由が書いてあるが、「本州中央部に位置することが望ましく、」、厚木基地というのは、本州中央部に位置している、これが望ましい。「かつ、指揮通信機能を確保する関係上、通信能力の高い航空群の基地に置くことが必要であります。」、このような理由から、山中さん、あなたは今回の措置をおとりになった、こういうことですね。  これは、当時、第一次の移駐のときのいきさつがある。私も当時、質問いたしております。何で一体、厚木に持ってくるのだ、共同使用にした厚木に持ってくる——じゃ、大臣、薬の時間でございますから、この一問で時間を置きましょう。これだけ聞いておきます。  このときに、成田空港ができるから、第四航空群の訓練空域がなくなる、これはブルー14がありまして、横田エリアがあります。したがって、ブルー14の東の空域を、いままで羽田の民間航空と下総の第四航空群が使っていたが、しかし成田ができると、民間に明け渡さざるを得ないことになる、したがって、ここに移してもらいたい、こういう当時の主張だったわけであります。  ところが、今回は、ぬけぬけとほんとうのことを言っておるんですね。あのときは、それならばブルー14の再検討をさせればいいじゃないか、やってもらいたい、当時はこうなった。ところが今度は、はっきり本州中央部に位置することが望ましい これは全く恒久基地考え方だ。航空集団の中心的な司令部、頭脳を置く、こういうわけであります。通信能力が高い航空群の基地通信能力があるからという。だけれども、本来、あなた方はグランド・コントロール・アプローチ、誘導装置にしても新しいものをおつくりになった、通信機能を高くして。さらに航空センターの集約計画、新増設、あるいは格納庫をつくるなど、幾つもあなた方はやっておられる。これは機能を高めておいて、そういうところが必要だといまになって言う。これは前の言い方とたいへんな違いがあります。  これまた率直のところ、私を含めてあなた方にみごとにだまされた。初めからそういう意思があって、そのことを別な方向からものを言って、言うならば市民町民の目をごまかして入ってきた、こういうかっこうにならざるを得ない。ここでうたわれているこのこと、これがあなた方の本心だとするなら、これは明確に恒久基地ですね。間違いございませんか。そこを明らかにしてください。
  98. 長坂強

    長坂政府委員 第四航空群を四十六年に移した当時から、その恒久性の問題ということに関連して申し上げますならば、防衛庁としては、長期継続的に厚木基地を使用しようという意思は当然持っていたわけでございます。したがって、集団司令部、四十名を移すことによって、恒久性に影響があるものとは考えておらないわけです。第四航空群を四十六年に移す当時から、長期継続的にこれを使用しようという意図でございました。  それから、成田空港との関連での理由づけでございますが、事実そのとおりの背景が現在もございます。ただ集団司令部移駐に関する理由というものを、四十八年の十二月二十四日の文書の中に横浜局長がうたいましたのは、これは何回もの話し合いを通しまして、どうもそこに地元市長町長の疑問がまだあるらしい、そこで防衛庁立場とか考え方を明らかにする意味で、これをつけ加えたものでございまして、別に成田空港との関連の必要性というものは、今日でもまだ消滅しているものではございません。  以上であります。
  99. 大出俊

    大出委員 長官の時間でございますから、これで切りますが、ほんとうならば、当時からこのことは明確にすべきだった。この期に及んで中央に位置しなければならぬとか通信機能がどうだとか、当時、あなた方は一つもそういうことを言わない。成田空港で押し出されたのだ、これしか言わない。やむを得ないから入れてくれ、いまになって居すわってしまった。開き直って中央に位置することが必要だ、通信機能をかってに高めておいて、高いところが要るのだ、そういうやり方が、地元の諸君の感情をさかなですることになるのです。  それでは、ここまで言って、これは打ち切ります。休憩にしてください。長官の関係がありますから、それが終わったあとでやります。
  100. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長代理 速記をとめて。   〔速記中止〕
  101. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長代理 速記を始めて。
  102. 大出俊

    大出委員 じゃ、精力的に進めます。  さすがに、この十二月二十四日の文書を見ますと、あなた方のほうも、たいへん内心じくじたるものがあるような受け取り方になる。「特に、都市化地域に航空基地があることに伴う種々の問題につきましては、当方としても十分に認識いたしております。」、こういうふうに書いてあります。都市化地域に航空基地があることについて、これに伴ういろいろな問題がある、これは防衛庁もよく認識している、こう言っているんですね、あなた方のほうは。認識しているなら、なぜ入れたか。  これは中曽根防衛庁長官の時代から、立川であるとか、あるいは厚木であるとか、こういう首都圏の中にある地域、その中心にすわっている基地、こういうふうなものについては見直しが必要である、そういう意味で、自衛隊基地全体をこの際見直したい、これが当時、中曽根氏の言い分であります。江崎防衛庁長官のときに、立川問題とからんで、駅から五分、七分というところに基地がある、そのためにたいへんな交通渋滞になっている、これは当然、市民感情というものを考えなければならぬ、そういう情勢にある、したがって、一年間という期限を切って、防衛局長を長にするプロジェクトをつくって基地の見直しをやる、当時、政務次官の野呂君等が提案をしておりました。、  防衛庁は、それをやると言い切られた。こういうことになっているやさきに、その結果も詳しく聞いていない、報告もされていない、かれこれ一年たとうとしている、そういう時期に、百も承知で、この認識を持ちながら入れたということについて、これは、まことにもって心外であります。  さらに、この中には、「ご迷惑を極力緩和し、軽減するため、従来から種々御協力申し上げてきたところであり、さらに基地地域社会との一層の調和をはかるため、」云々と、こうなっているのです。強行して入れておいて、調和をはかるためなんてあとから言ったって、けんか過ぎての棒ちぎりということばがあるけれども、だれも聞きやしません、そんなことは。こういう文書をうたっているとすれば、それなりの真情が長官になければいかぬと私は思う。地域でいろいろな問題が起こるのは当然ですよ、あなた方も百も承知で入れているのだから。  そのことが、がまんがならぬと神奈川県知事は言うのですよ。耐えられぬと言うのです。百も二百もわかっていて強行するというふざけた話があるかと言う。それでは基地問題を含めて協力はできぬぞという気になる。耐えられぬと言う。がまんならぬと言う。あたりまえです。われわれもがまんがならぬ。地域住民の方々はなおがまんがならぬ。今度は、たいへんな発着回数に今日なっている。  先ほども、実は、きょう地元からお見えになった方々に実情を承ってみたのです。それぞれ口の端にのぼることがあります。能勢さんとおっしゃる大和の鶴間の駅のすぐそばにおいでになる御婦人がきょうお見えになっている。この方とさっき下で話しておりましたが、まさにたいへんな騒音に悩まされ続けてきた一生だったと言う。そこで飛行機ぶ飛ぶ、屋根に白い液体がさあっと落ちていく、これはすぐかわいてしまう、だから、写真にとりたくてもなかなかとれない、そのことは肉体的にたいへんに障害がある、最近しばらくそれがなくなって、どうやら肉体的にも元気になったような気になっていたところへ、またこれだ、この方のここのところを通らなければ飛行機は飛べないのですから。  また、爆音防止期成同盟以来、苦労されている真屋さんも、きょう来ておられますけれども、また彼のうちの上を飛ばなければ飛べないのです。   〔小宮山委員長代理退席、委員長着席〕 だから、一日家にいる者にとっては、たいへんせつないことだと言っておられますが、そういう現状に戻ってしまった。黒煙を上げて飛ぶ飛行機、この黒い排気ガスその他は、庭の木を枯らしている、今日、こういう状態にある。だから、返してくれるということで、先般、ほんとうに返してくれるのだと思って喜んだ。ところが広大なこの厚木基地のうちのほんの爪のあかほどのところを返すという。何ともせつない限りだとおっしゃっておる。こういう現実が現にある。  あなた、これは百も承知なはずだ。だとすると、このままで居すわって、集団司令部は強行と言われてもいたしかたない、この点は迷惑をかけたと思っている、これだけで事が済む筋合いじゃないでしょう。ここらのところを振り返って、どういうふうにお考えになりますか。
  103. 山中貞則

    山中国務大臣 でありますので、申し合わせ事項というものについては、十分にこれから私どもは配慮を加えていく。  第一項は、ナンセンスだとおっしゃったのですが、実はナンセンスではないのでありまして、そういうことをもって合意したわけでありますから、私たちは、それにどこまで沿い得るかということで、当初の約二千人、五十機というものについて再検討を加える作業を始めておるわけでありますので、これも含めて、周辺の大和市からは、具体的にそうあまりないのですが、綾瀬町からは、こまかに数多くの要求がございまして、こういう問題が現行法もしくは新しくまたお願いする新法等によってどこまで御協力ができるものか、こういうものも具体的に、個別に、件数ごとに、道路も四本なら四本含めて全部すでに検討も開始いたしておりますので、誠心誠意やっていくつもりでありますし、航空機騒音等についても、それらの一環として、地域の住民の方々は、飛行機がいなければそれにこしたことはないわけでありますけれども、また私たち立場からする国防という意味からいえば、どうしてもやはり飛行機のない国防というものも考えられませんし、最大限の地元の方々へのわれわれ国としての誠意ある行動を、これから具体的にとっていきたい、そういうふうに考えます。
  104. 大出俊

    大出委員 あなた方のほうでは、ミッドウエーの艦載機と合わせまして、現在、厚木の飛行場の発着回数というのは、大体どのくらいになっているとお考えですか。
  105. 大西誠一郎

    ○大西政府委員 四十八年の四月から十一月までの一日平均管制回数で申し上げますと、自衛隊機が二十七回、米軍機が六十六回、民間機が約二回、合計九十五回となっております。
  106. 大出俊

    大出委員 いま、ちょっと聞いていませんでしたが、これは、たいへんな数ですよ。九月の二十八日、二十九日、三十日、十月一日、二日、三日、四日、五日、六日、七日、八日、九日、十日、十一日、十二日、ずっと今日まで地元の方々が発着回数を全部調べている。百二十回こえますね。これは、たいへんに多い日がある。十月の十二日は、なんと九十三回。それに協定違反の深夜飛行回数が二回。もう一つ、こっち側に米軍と両方ありますから、ミッドウエーのやつがありますから二十五回。これは百二十回こえているんですね。実はたいへんな発着回数になっている。  そして着艦訓練なんというものは、一切しない約束になっているのだけれども——三百メートルというふうに限って、やっていないのだから、着艦訓練じゃないと言い抜ける。この着艦訓練というものは、非常に大きな騒音を与えるんですね、甲板から飛ぶんですから。実弾を積んでいる場合が大多数なのだけれども、そうでなくても、それなりの重量を持たせなければ着艦訓練になりませんから、特殊な訓練です。それを幾ら言っても履行しない。相変わらずやる。それを言えば、三百メートルということに限って、やっているわけじゃないから、これは発着訓練だ、こういう言い方をする。これは外務省なんかにも、何べんか地元の方々が行ってものを言っているけれども、やろうとしない。  さらに、このミッドウエー関係でいえば、大和石井市長のところに皆さんが出かけていって、暮れに、正月元日以降、ここのところ飛ばさないでくれという話をしに行った。大和市長は、米軍の基地の司令官に電話をかけて、正月なんだからやめてくれといって要請をしている。また外務省に皆さん出かけていって、外務省にもものを言っている。ところが元日からファントムは平気で飛んでいるんですよ。私も現地に行って、いろいろ皆さんと話してみましたけれども、ちっとも地元のことは配慮しない。まことにこれは私も腹に据えかねるわけでありますが、そこら一体、防衛庁、外務省ともにどう考えておられますか。
  107. 角谷清

    ○角谷説明員 ただいま厚木の飛行場の米軍の訓練につきまして御質問がございましたが、実は外務省といたしましては、ミッドウエーの艦載機が三沢の飛行場に行って訓練いたしておりまして、三沢のほうで、十二月三十一日も含めまして一日は休み。ただ二日、三日、日本でいえば正月でございますけれども、これも訓練をやりたいという話がございまして、それは困るという地元のお話もございまして、それを受けまして、米側のほうへは、これはやめてくれという申し入れをいたしたわけでございます。三沢のほうは、それで訓練というものは中止いたしました。  厚木のほうにつきましては、私、ちょっと、そういうような話があったということは、実は承っておらないのでございまして、あるいは私の不注意かと思いますけれども厚木につきましては、そういう話は伺っておりません。
  108. 大出俊

    大出委員 これは、厚木地元の団体の方々が、暮れに外務省をおたずねをして、参事官でございましたか、お目にかかって話をした。で、米軍側にそのことをよく伝えて、正月にそういうふうな訓練が行なわれないようにするということを話をされたそうです。あなたが知っていないというのは、どういうわけですか。
  109. 角谷清

    ○角谷説明員 私自身といたしましても、あるいは担当の課のほうといたしましても、厚木の方がお見えになって、そういうお話をなすったということは聞いておりません。
  110. 大出俊

    大出委員 じゃ、もう少し言いましょう。外務省の一等書記官、どなたか名前を覚えておられませんでしたか。行った人は、地元の真屋さんと、それから反安保関係をやっておられます牟禮さん、この方々が代表で行っております。正月は飛ばさない、そして大使に話して善処する、こういう回答をいただいて帰ってきた。  ところが、念のために、さらに石井市長に二十八日に、現地の米軍司令官へ電話してもらって話もしている。元日、いきなりファントムが相変わらず飛んでいる。そして四日、この四日は、たいへんな訓練であります。こういうことを平気でやられるということは、これは外務省の姿勢の問題ともからむと私は思う。
  111. 角谷清

    ○角谷説明員 ただいま一等書記官と仰せになりましたので、あるいは東京にありますアメリカ大使館においでになったのではないかと思います。つまり一等書記官と申しますと、通例大使館の構成員でございますから、あるいはこれは私の予測でございますけれども、アメリカ大使館においでになって、その一等書記官なりにお話になって、それがあるいはアメリカ大使のほうに通じたというお話ではないかと思います。  もちろん、外務省といたしましては、先ほど申し上げましたとおり、三沢の件につきまして、直接お話を伺いましたので、これは申し入れまして、その飛行を取りやめさせた経緯がございます。  ただ厚木の件につきましては、実は恐縮でございますけれども、われわれといたしましては、直接伺っておらなかったというのが実情だろうと思います。
  112. 大出俊

    大出委員 さっきも、お話がありましたが、あなたに話さぬで、ほかの人が出てきて会うという場合が年じゅうあって、そこに話したら、その人限りであなた方のところに伝わらぬというのじゃ、これは組織的に問題があると思う。  これだけ地元が大騒ぎしていて、市長反対運動をやっていて、それが、あなたのほうに伝わらぬというばかな話はないじゃないですか。当時、行った方々がきょう来て、傍聴されている。それじゃ、あとであなた方、地元の諸君のお話を聞いてください。  ここで、もう一点確かめておきますが、一一一という航空隊はいつくるのですか。
  113. 丸山昂

    ○丸山政府委員 計画では、今年度、つまり四十八年度中に、五一航空隊から分離をいたしまして、新編するということになっております。
  114. 大出俊

    大出委員 さっき、私は六一に触れましたが、六一も、これは新編ですね。
  115. 丸山昂

    ○丸山政府委員 厚木におきまして、新編をいたしました部隊でございます。
  116. 大出俊

    大出委員 これは「航空情報」の去年の八月号ですが、新編の関係は、全部ここに載っている。去年の八月に全部明らかになっている。新編されるものは、これに全部書いてある。「一一一航空隊(厚木)六一航空隊(厚木)」厚木関係二つがこれに載っている。  そこで、これは当時、六一でも、そうでございますけれども、四十六年十二月二十日の文書によれば、あくまでも、これは「下総航空基地にある部隊の一部」と、こうなっておりますね。そして著しい変更については、これは「一飛行隊」云々と、こうありますけれども、名目はどうでもいいんですが、この場合には、地元とよく話し合うことになっている。少なくとも「現在」と書いてあるんですから、この現在時点では、六一航空隊を編成するに足る機数はなかったはずです。新しく機数がふえて、六機なら六機になって航空隊をつくったわけですから、だから新編なんです。そうなると、このときのやりとりからすれば変更なんですよ。  そうだとすると、六一を新編する、あるいは一一一を新編するという場合に、地元に無通告で、つんぼさじきでかってにやるというのは、いままでの話の経緯からいって、これは不都合だという気がする。ずいぶんまたこれは親切げがないことになる。  そこらのところは、この四十六年の十二月二十日の文書等からいって筋が通らぬことになるが、そこらのところは、いまどうしていますか。
  117. 長坂強

    長坂政府委員 当時、四十六年十二月にさかのぼります四十六年の五月、神奈川県庁におきましての大和市、綾瀬町、横浜防衛施設局との会合におきまして、集団司令部もその五十機、二千人の中に入っておる、五一航空隊も入っておる、その他の部隊というようなことで表示をしておりまして、そのとき以来の四十六年十二月に至るまでの地元話し合いの中では、五十機、二千人というところに主力がありまして、五十機、二千人に至るまでは、もう了解が済んでおる、こういうふうに考えておるわけでございます。
  118. 大出俊

    大出委員 そんなことを言ったって、あなた、この文書には何と書いてある、「現在」じゃないですか。「現在、下総航空基地にある部隊の一部」、こうなっている。「現在」というのは、いつが現在ですか——四十六年十二月二十日現在ですね。四十六年十二月二十日以後に新編するというのは、機数がふえているじゃないですか。この文書の「現在」に入ってないじゃないですか。そんなつまらぬ理屈は通りませんよ。  この文書の「補遺」には、「現在、下総航空基地にある部隊の一部」、この「現在」とは、四十六年十二月二十日じゃないですか。それ以後に新規編成をされている、機数がふえている。これは、このときの約束からいけば、新しいものじゃないですか。五十機、二千名のワクに入る、入らぬは別問題です。やはりそういうものは——あなた方は、今日のようなことをなさる、地元の感情というものがたいへん大きなものになっていることは知っているはずじゃないですか。当然ここらのところは、あらかじめどういう方法でもいい、地元のほうと話し合う必要があるじゃないですか。それは長官、ひとつやってください。
  119. 山中貞則

    山中国務大臣 これは五十機、二千人のワクについての了解をいただいて、さらに著しく変更する場合というのは、一飛行隊以上ということで了解を得ておりますから、ただいま言われたものは、五十機、二千人の中の部隊の組みかえであるということでありまして、今後ともその一飛行部隊というようなものについては、当然、これは相談をしていくことにおいて変わりはありません。
  120. 大出俊

    大出委員 時間がありませんから、こまかいところは省いていきますが、これは念を押しておきますが、長官地元に騒音のためにたいへんな被害を与えておることは、お認めになっておるのだから、やはり自衛隊が滑走路あるいは管制塔などの管理権を持っているわけですから、外務省だけにさせずに、やはり皆さんのほうも、二4(b)というのは、管理権はわがほうにあるのだから、当然、これは米軍の側とも話して、地元にそういう迷惑をかけぬように、きちっとやっていただかぬと困る。これは、あなたのお答えをいただいておきたいのであります。
  121. 山中貞則

    山中国務大臣 私としては、よその役所のことは言いたくありませんが、三沢は、陳情があったから外務省としてやった、しかし厚木は、陳情がなかったからしなかったということは、ミッドウエーの艦載機の日本国土における飛行状況について、わが国が配慮すべき問題としては、あまりにもミクロ過ぎるのじゃないかという気がします。  ただ、私たちは、率直に言わしてもらうと、ミッドウエーの横須賀母港化、あるいはその後の厚木、あるいはまた演習については三沢飛行場、そして天ケ森射爆場等について、いわば俗っぽく言えば、私どもは全部しりぬぐいをするわけであります。これは、しかし政府ですから、責任お互いに分担をしなければなりませんから、私どもとしては、えらい苦労しておりますし、ことに三沢等においては、アメリカの空から海に移ったことによって——私は率直に言えば、アメリカの海軍のやり方は少し乱暴だと思うのです。  そういう気がしまして、たとえば天ケ森の射爆場についても、よけいなことかもしれませんが、ナパーム弾をまたやらしてくれと言ってきたのですが、もう断じて承服いたしかねるというようなこと等で、さすがに向こうも、じゃ、日本でナパーム弾はやりませんと、こういうことを言っておりますが、私としては、地域住民に影響を与える範囲は、わが自衛隊の使用するものだけの範囲に責任を持てばいいとは断じて思っておりません。そういう基地があることによって、二4(a)、(b)と俗に言っておりますが、いずれにしても、お互いに使うという場合において、アメリカの使い方等についても、私どもは十分な配慮もしておりますし、それについて、目に余るものについては、これはルートとしては、外務省を通じてやりますが、時には、私自身が、在日米軍司令官に対して直接に要請することもやっております。  十分な配慮はいたしてまいりますが、やはり優先するものは外交交渉において、われわれの苦衷も察してもらって、私ども努力をしますが、そういうことで一体としてよく相談をしてまいりたいと思います。
  122. 大出俊

    大出委員 あわせて列挙的にずっと聞いてまいります。なるべく時間を倹約いたします。  このイーストキャンプを、市に学校用地その他を含めまして使ってもらう、こういうことが論議をされてきているわけでありますが、これは、どうもそのほうを先に処理をしたから強行をすると、こういうかっこうになっているんですね、この文書の出し方から見ると。イーストキャンプというのは、一体、具体的に言うと、どういうことになりますか。
  123. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 イーストキャンプにつきましては、御存じのように、あのイーストキャンプの一部建物の移設工事を完了いたしまして、イーストキャンプは、すでに日本側に返還になりました。  あと、この国有財産である土地をどう処分するかにつきましては、防衛施設庁から、その土地を大蔵省のほうに移しまして、現在、大蔵省のほうでその処分の処理を進めておられると聞いております。
  124. 大出俊

    大出委員 そうすると、これは地元にちゃんと返すわけですな、約束どおり。いいですか、そう理解して。
  125. 川崎昭典

    川崎説明員 地元の御要望に沿った線で転用するということで決定いたしておりますが、返すという言い方は、適当でない場合もあろうかと思います。
  126. 大出俊

    大出委員 これは、やれ市街化地区の公園二分の一確保だ云々という、いろいろな問題がありますね。これは、そこらの問題等の一切の処理が終わって、この処理ができた、こう理解をしていいのですか。  本来ならば、イーストキャンプについても、市の側と全部話がきまって、きちっとして、その上でということでなければ筋が通らぬ。前のいきさつからすれば、集団司令部は別として、五十機、二千名のワク内でいえば。ところが何か前に文書が一つ出ていて、ここにあるけれども——ざっくばらんに申し上げて、そうすると、イーストキャンプは、市の要望にこたえてそのとおりにいたしますと言い切れるわけですな。
  127. 川崎昭典

    川崎説明員 大蔵省としましては、四十八年の十二月の四日に、関東地方国有財産審議会というものに御審議を願いまして、イーストキャンプ地区を大和市へ公園として無償貸し付けするとか学校として減額売り払いするということで御決定をいただいております。今後は、その処分の手続を進めるという段階に入ると思います。
  128. 大出俊

    大出委員 そこでひとつ、長官に申し上げておきたいのですが、イーストキャンプというのはこれです。   〔大出委員、書類を示す〕 このイーストキャンプのここが、学校用地に予定しているところですが、これは前から話し合いをずっと続けているわけですね。それも市の要望に従って処理をする、こうなったわけですね。  そうすると、この地域は、至るところ、地下はたいへんな防空壕なんです。だから、ここへ学校を建てるとすれば、このままならば、防空壕のないところのボーリングをしながらやらなければならぬ。これを埋めるといったら、たいへんな防空壕で、とても市では出せません。しかも、これは厚木海軍航空隊の時代からです。中には知っている人もいる。  そうすると、ここで一つ問題になるのは、この防空壕は、国に埋め戻しの責任がある。これは私、かつて前国会で、この委員会できわめてこまかく法的なことに触れた。ここにございますが、簡単に言ってしまえば、海軍、陸軍が防空壕の埋め戻しの通達を戦後出した。ところが海軍、陸軍は解散してなくなってしまって、建設省の前の建設院が、設置法にうたって埋め戻しの仕事を受け取った。それが建設省になるときに、それを削ってしまった。何で削ったかと言ったら、もう仕事がないはずだからという。ないはずはない。山のように、そこらじゅうに防空壕がある。これは、まして当時の海軍がつくった防空壕なんです。これを返還をする。  だが、しかし、防空壕は市町村で埋めろと言われてみても、これはまことに困る。だから、これは当然、国の責任で埋めなければならぬ筋合いです。一般の場合もそうなんで、当時、消防団の方が来て、ここへ防空壕をつくれと言ったから、しようがないからつくった、それを埋めろというわけですから。防火用水をここへ掘れ、この前の国会で、私、質問しましたが、これの埋め戻しも国の責任でやる。ところが、いま所管がない。官房長官が出てまいりまして、建設省と農林省と分けて、市街地は建設省がやる、いなかは農林省がやる、これが適当だと思いますとお答えになった、こういういきさつがある。  だから、私が指摘したところについても、建設省も調べておられて、その方向に進めておられる。とすれば、当然、これは私は国の責任であろうと思うが、そこのところは、いかがでありますか。市は、たいへんな心配をしている。これは、このまま返されてやれと言われると、たいへんな金がかかってしまう、べらぼうな防空壕ですから。これを、ひとつお答えいただきたい。
  129. 山中貞則

    山中国務大臣 それは、そのような事実もありますから、したがって大蔵省の関東地方国有財産審議会においては、その払い下げをきめると同時に、大蔵省の理財局としては、その防空壕というものの存在を認めて、払い下げ価格においてそれを配慮するというふうにやってくれるということを聞いておりますから、大蔵省から答弁させます。
  130. 川崎昭典

    川崎説明員 ただいま大臣が御答弁になりましたように、国有財産を払い下げる場合に、瑕疵があるということで価格を引き下げるという方向で考えておりましたのですけれども、防空壕の話が、全国的に建設省、農林省を通じまして話題になりましたので、国有地内に現在残っておる防空壕につきましては、場合によっては、国において埋め戻すこともあるという前提で調査を始めまして、現在、このイーストキャンプ地区には、大体延べにしまして六千メートルないし一万メートル程度の穴があるということしかわかっておりませんので、今後、詳細調査をいたしまして、地元話し合いをいたしまして、場合によったら、国自身で埋め戻しの上で処理をするということもあり得ると考えております。
  131. 大出俊

    大出委員 これは、ぜひそうしてください。いまでも、真屋さん、ここに来ておられるのだけれども、彼の周辺で家を建てた、落っこっちゃった、玄関が。知らないで建てたら防空壕があった。これは一体、だれが責任を負うんだということなんですね。個人でこの責任を負ったら、たいへんなことですよ。どろを持ってくるといったって、ちょっと簡単にはいかぬですからね。だから、ここで子供でもけがしたらえらいことですよ。知らずにボーリングしていって、防空壕のないところだと思ってやった場合に、市は金がないですから、こういうので学童がけがでもしたら、えらい責任になります。そこらのところは、十分御配慮願いたい。これはお願い申し上げておきます。  それからもう一つ、厚木海軍飛行場周辺における航空機騒音の軽減に関する規制措置について、三十八年九月十九日、日米合同委員会合意、これが、この規制措置について、やむを得ない場合は別に定める、日曜日の飛行訓練は、最小限にとどめるとかいろいろあるのですけれども、やむを得ない場合は、別に定めるところによるというかっこうで逃げられると、元日に飛ぼうと何をやろうと、さっきの話の、元日にがたがた飛ぼうと、四日に飛ぼうと、やむを得ない場合だという逃げ方をされると、これは何をやったって自由だということになっちゃう。まして海軍は先ほど言ったように乱暴。だから、とんでもないことが起こって、ミッドウエーが入ってきて、二回も人身事故が起こっておる、こういうわけです。  だから、やむを得ない場合というものを、限定的な解釈をさせる方法を考えていただきたい。やむを得ない場合というのは、一体どういうときなんだということを。そして、そのための査察制度式なものを——あるいは委員会が必要かもしれません。何かを考えてもらわぬと、住民はあれよあれよという間に幾らものを言ったってかってにやられる。これでは事故でも起こったら、たいへんなことになる。  だから、そこらのところを——これは旧来は、離陸して右に回り、左に回るということで、右に回れば人口密集地、右に回る場合には計器飛行に限るなんてなことをやったわけです。ところが左も右も全部家になってしまっているわけですから、当時とは違う。密集地です。だから、なおのこと事故というものを考えなければならぬ。  だとすると、そこらのことを、つまりベトナム戦争等に参加したミッドウエーが来るのですから、そうすると、何でもかんでも強引な着艦訓練をやって、三百メートル区切ってやったんじゃないかというような調子のことをやられると、何が起こるかわからぬ。だから、そういうやむを得ざる場合の限定解釈をする方法、そして、それをどこかでチェックできる方法、機構、そういうものを長官、ぜひ考えていただきたい。  集団司令部は帰れと、こう言っていますが、五十機、二千名というのは地元の合意。しかし縮小しろ、こういう意思になっている、地元は。だから、そうなるというと、まず、これらのことを皆さんがおやりいただかなければ、地元の感情というのはますますここでエスカレートすることになる。いかがでございますか。
  132. 山中貞則

    山中国務大臣 一応は、日米合同委員会の合意で内容承知されておるような各種のいわゆる規制措置が施されております。その場合のやむを得ない措置というものは、どういうものかということを限定することがはたして可能なのか、あるいは逆にまた、そうでなくて、やむを得ない措置というものは、おおよそもう考えられないようなふうにこの規制の具体化をさらに広げ進めていくべきか、いずれにしても、そのような問題は、少し検討の余地があるかもしれない、そういう気がいたしますので、少し私のほうで勉強してみます。
  133. 大出俊

    大出委員 この騒音対策委員会というものをつくって、どのくらいの騒音があって、どういうふうに影響を与えているか、さっき御婦人の能勢さんの例をあげましたが、そこらの問題。  それから規制の上の特別措置というのですから、規制措置履行の監視委員会というか査察委員会というか、何かそういうものをつくって、かってなことをやってもらっては困るという、そういうふうなチェックのできることを、ひとつぜひお考えてただきたて。  少し検討してみるという長官の御答弁ですから、ぜひひとつお願いをしておきたい、こう思います。  それから、現地に会いに行きまして、肥田さんという海将の司令官に、二十人ばかり行って会わせろと言ったら——四団体の代表、社会党、共産党、公明党、地域の団体、こういう方々、です。ところが、これは、いすが四つしかないから、四人しか会わない、それ以上というのはお断わりする、ぽおんと、こういうことです。腹が立って、それならかってにしろということになってぶち割れた。この司令官は、記者会見の席上では、胸を開いて話し合うなんということを言っているわけです。これは、またやり方が——行った方々は、それぞれ各党を代表して行っているんですからね。私のところの参議院議員竹田四郎さんまで行っているのですが、かんかんにおこって帰ってきた。全く問答無用に近いものの言い方です。いすは四つしかないから四人以上はだめだ、こう言う。そういうふざけたことを、なぜやらせるかということです。もってのほかです、これは。一体、こんなばかな話があるか。  これは、言いわけを聞きたいのです。だれだって、あなた方の文章だって、迷惑をかけることをなんて書いてある。記者会見でもそうなっている。じくじたることがないわけじゃないのです。にもかかわらず、何を言ったか。いまの、いすが四つしかないから四人しかだめだという調子の、そういうばかげた話はないです。何としても、これは不可解千万だと私は思うのです。これは一体どういうことなのかということ。  あわせて、私は、私どもにこの基地の視察をさせていただきたい。自衛隊なんですからね。米軍の場合でも、手続きをとって、それで池子弾薬庫まで私どもは行って入って調べている。これは、あなた方、地元の方何人か代表を入れていただいて、私どもも参りますから、一ぺん、こういうことになったわけですから、中を見せていただきたい。どういうふうにおやりになっているのかお話をお聞きしたいのです。  立川の場合でも、前後三回、私どもはお伺いして、直接承っておる。どうもけんもほろろ、とりつく島がないことを言われて、みんなシャットアウトされたんじゃ、やっぱり反基地感情というものは高まるだけです。ここのところは、いかがですか。
  134. 山中貞則

    山中国務大臣 第一点の問題は、社会党、共産党、公明党の皆さんが、私とお会いになって、そういうことを言われましたので、すぐに調べたのですが、事実関係は少し違うようであります。しかし、このような場合に、基地司令というものは、私は、いつも外に対しては謙虚にやれということを言っておりますし、それについては、大ぜいで取り巻いて、部屋を占領してというようなやり方は、今後、やはりお互いが自粛するとしまして、これはお会いして、いろいろ意見を聞いたほうがいい、こういうことにさしております。  事実関係について、どうしても解明しろということであれば、説明をいたさせます。  第二点の基地調査は、国会議員は国政調査権を持っておられますから、これは申し出があれば、いつでも応ずることにいたします。
  135. 大出俊

    大出委員 ちょっと関連がありますから、いまの問題で……。
  136. 中路雅弘

    中路委員 十二月二十日に、私は、厚木基地を視察に、自衛隊管理のもとで入ったのですが、いま大出さんの発言と関連して一言発言したいのです。  大出さんも、地元の問題もありますし、関連が大きいから、少なくとも関係のある地元の代表者を含めて視察をしたいというのが、いまの大出さんの発言ですが、私の視察のときは、国会議員に限ると——最近みんなそうですが、ということで、現地の市議会の基地対策特別委員会委員をやっている私どもの議員、少なくともそういう議員は、直接この問題と関連があるから、一緒に同行させてもらいたいという要請を出したのですが、これも防衛庁は断わられた。  私は、いまの大出さんの発言と関連して、無制限に入れろというわけじゃないのです。国会議員と、しかも、いまの厚木のように、地域の住民と最も関連があり、そして皆さん地元と協議するという地元の代表、その代表者を、少なくとも視察の場合入れなければ、問題もはっきりしないと思うのですが、大出さんの発言と関連して、その点、もう一つ確認しておきたい。
  137. 山中貞則

    山中国務大臣 私は、国会議員の国政調査権というものは、自衛隊基地であっても、最大限に尊重すべしということで通しておりますし、秘書さんについても、いろいろ随行で身の回りの世話、その他あるでしょうし、正規の秘書については、それをお認めいたします。しかし視察のつどに、秘書さんがぐるぐる変わっているようなことは、ちょっとおかしいと思いますから、そこらは良識をもって処理していただきたいと申し上げておりますから、その基本線において変わりはありません。  しかし、たとえばピクニックエリアの払い下げで、一応返還をいたしました残りの部分についても、市民に利用させろ、あるいはスポーツ施設を利用させろ、こういう意見等がありましても、やはり米軍と協議をして、その了解を取りつけなければならない立場もございます。  一方、自衛隊基地だけならばいいではないかと申しましても、共同使用の部分等もございますし、一般の方々、どうぞ毎日見学においでくださいというふうに、オープンにはなかなかいたしかねます。  したがって、私どもとしては、原則として国会議員であり、そして正規の手続を経た秘書さんということに、いま限定をいたしておりますが、何か問題がある、そして基地とどうしてもこの問題について、もちろん、それは騒音その他たくさんあるわけですから、責任者と会って話をしなければならぬという場合等においては、常識の範囲において、地元のしかるべき市議会の方なり、あるいはいろいろな運動をしていらっしゃる指導者の方なり、そういう方とは、むしろ積極的にお会いするようにするよう計らいます。
  138. 大出俊

    大出委員 中路さんがいま言いましたことと、私の言っていることは同じなんですけれども厚木基地平和利用実現住民連合というのがございまして、眞屋さんが代表、鈴木さんが議長になっておりますが、小柳さんという副会長さんもおいでになりますが、こういう方々は、いずれも昔の厚木基地の時代から、自衛隊共同使用のはるかいにしえから、三十年代から、爆音防止期成同盟を知久さんがおやりになるころから、一緒にずっとこの厚木の問題で苦心惨たんしてきている方です。  だから、基地周辺安定法なども出てくるわけですが、こういう歴史的に二十数年もこの問題に携わっている、しかも自分の頭の上を二十何年間飛行機が飛んでいる方々——この間、私、眞屋さんに聞いてみたら、大出さん、ぼくは一ぺんも実は厚木基地内に入ったことはないと言う、断わられてしまった、何も、どこをぶっこわすわけでも何でもないでしょうけれども。二十何年も一生懸命基地と取り組んできている、少しでも騒音を減らしたいと思ってやってきた人間をなぜ入れないか、言われてみると、まことにごもっともなわけですよ。だから、私は、やはりこういう歴史的に続いてきている団体の方々を一ぺんも入れないなどという——自分の頭の上ばかり年じゅう飛行機に飛ばれて、そういう被害ばかり受けているという方々、そういう方々が集まった団体でしょう。だから、やはりそういう方々を入れる気持ちにならなければ、基地地域社会との調和などとうたい文句にうたったって、三文の価値もない。  だから、ぜひここらあたりは、長官は配慮をされて、長らくやっていてよくわかっているのですから、ここで撤回を迫る、私どもは、そういう基本線です。だが、それはそれとして、できるだけこの住民の被害というものを小さくしていこうという基本線を、もう一つ持ってやっているわけですから、そこで私のような質問が出てくるわけですから、そこらのところを、やはり話し合いの中で漸進的にいいほうに持っていくという努力の積み重ねがなければ、住民との話し合いというのは、うまく進みませんよ。  そういう意味で、二十何年も一生懸命に団体の長としてやってきて、一ぺんも入れないというばかなことは、私はないと思う。だから、そういう意味で、ぜひその点は、おたくのほうで御配慮をいただきたいと思います。くどいようですが……。
  139. 山中貞則

    山中国務大臣 いや、くどくはないので、私、おっしゃることはわかります。私もまた、その方にたしかお会いしましたが、それはりっぱな方のようですし——りっぱ、非りっぱと人を分けるわけではありませんで、私も人柄はわかります。かといって、そのお方にどうぞという場合に、いや、私たちは、この問題に関連をして十幾つかの団体があります、したがって、それらの者全部を入れなければ、私一人が会うわけにはいかぬのだとおっしゃると、これは、また私どものほうも、じゃ皆さん全部というのには、ちょっと私ども自衛隊立場からいえば、困る点もございます。  したがって、良識上、ただいまおっしゃった方等が、まあ、目的をはっきりしてもらわぬと困りますが、話し合いをしたいとか、基地をちょっと見せろというような場合については、常識の範囲内でそれをお認めするように配慮をいたします。
  140. 大出俊

    大出委員 ぜひ、それは今後話し合いをしていただきまして、いい方向に持っていっていただきたいということをお願いいたしておきます。  そこで、環境庁に一つ承っておきたいのですが、環境庁が、この間、公害対策基本法に基づきまして「航空機騒音に係る環境基準について」、これを告示なさいましたですね。この告示をなさいました中に、どうもさっぱりはっきりせぬのがございます。第2の「達成期間等」、いつまでにやるかということですね。この環境基準の中で、これが1ですが、この中の既設飛行場という欄の一番最後に、「第一種空港(新東京国際空港を除く。)」などと書いてありますが、「十年をこえる期間内に可及的速やかに」、十年をこえる期間内に可及的すみやかにというと、これは十年をこえる期間だから、十年から先だというわけですね。十年から先、可及的すみやかにということ、この真意は一体どこにあるのですか。どういうことなんですか。  それから、ここにWECPNLというのを幾つも使っておりますが、これをちょっと説明願いたい。  それから特に大きな問題は、備考の中の2に、「自衛隊等が使用する飛行場の周辺地域においては、平均的な離着陸回数及び機種並びに人家の密集度を勘案し、当該飛行場と類似の条件にある前項の表の飛行場の区分に準じて環境基準が達成され、又は維持されるように努めるものとする。」、こうなっておりますね。3のところには、「極力環境基準の速やかな達成を期するものとする。」、そしてこの前に、「環境基準が達成された場合と同等の屋内環境が保持されるようにするとともに、」なんて書いてありますが、これは自衛隊との関係は、一体どういうふうに受けとめればいいのですか、この環境基準というのは。  あわせて、これは防衛庁に伺っておきたいのですが、新整備法というものの考え方がある。これは、かつて私が高松前施設庁長官のときに質問をいたしまして、防衛庁側に新整備法なるものの考え方があることが明らかになった。今回も、個人家屋の防音装置一億、その他五億というような予算がついておりますね。この問題と関連をいたしまして、ここらのところを、一体どう基準というものと関連をして受けとめればいいのか。何かどうも少し、自衛隊だけ備考にくっついて、へっぴり腰ですけれども、ここのところは、一体どう考えるのかという点をはっきりしていただきたい。
  141. 春日斉

    ○春日政府委員 お答え申し上げます。  「航空機騒音に係る環境基準について」と申しますのは、公害基本法の第九条に基づいて定められた環境基準の、いろいろございますが、そのうちの一つでございますから、当然、これは特定の公共用飛行場についてのみ適用されるものではなくて、自衛隊等の使用する飛行場にも適用されるものであることは、言うまでもございません。  それからもう一つ、WECPNLとは何ぞやということでございますが、これはジェット機特有の金属音と申しますものは、われわれが騒音を測定するときに、通常用いておりますホン、このホンでは正確に評価できないわけでございまして、航空機騒音をはかるときに、まあ、国際的に最も適当であろうということで、諸外国とも使いつつある新しい単位でございます。  それからWECのECということばでございますが、これは空港周辺で航空機が一日に何十回あるいは何百回と飛ぶときは、一機ごとの騒音レベルをはかるだけでは不十分でございまして、その回数が、あるいはうるささや障害の程度に相関してまいりますので、一回ごとの騒音と一日の回数から騒音曝露量を計算して、これを平均してその地点の評価量とするわけでございまして、なかなかむずかしいけれども、要するに最も真実に近い評価の方法である、かようにお考えいただければ幸いでございます。  なお、先ほどお尋ねのように、既設飛行場の第一種空港及び福岡空港の達成期間でございますが、「十年をこえる期間内に可及的速やかに」というのは、意味がわからぬとおっしゃる、確かに役人用語で、まことに恐縮でございますが、これは、もちろん十年以内に達成できれば、それにこしたことはない、しかし、いろいろなことを考えてみますると、なかなかむずかしいので、十年をたとえこえても、できるだけ早くやれということでございまして、そのかわり、五年目標値、十年目標値というのをつくっておるわけでございまして、やみくもに最初から五年でやれと申しましても、現在の技術レベルにおきまして、これは不可能なゆえに、こういう階段的というものを書いておるわけでございます。  これは、役人である私どもが、かってにやったわけではございませんで、中央公害対策審議会あるいはその専門委員会の学識経験者によっていただいた答申に基づきまして、かようなことをやっておるわけでございます。  なお、自衛隊の用いられております飛行場につきまして、へっぴり腰であるというお話でございますが、さようなことはございません。ただ、一般の公共用飛行場と違いまして、用いている飛行機の機種あるいは飛行回数がレギュラーではない、イレギュラーな点がございます。したがいまして、同じように、これは福岡空港相当分とかあるいは広島空港相当分であるというふうにきめつけるわけにはまいりませんので、まことに恐縮でございますが、かような告示の文言となっておる次第でございます。
  142. 大出俊

    大出委員 そうすると、これは自衛隊の場合も、この環境基準のワク内に入るのですか。
  143. 春日斉

    ○春日政府委員 そのとおりでございます。
  144. 大出俊

    大出委員 だとすると、これは施設庁に承っておきますが、やはりこれは五年目標とか十年目標という目標に合わせて検討して方策を講ずる、こう理解できますか。
  145. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 「航空機騒音に係る環境基準」につきまして、ただいま環境庁のほうから御答弁がありましたように、昨年の十二月末に告示が行なわれまして、したがって、われわれもこの告示の線に沿いまして、ただいまも環境庁のほうから御説明がありましたように、自衛隊等の飛行場の騒音の分布の状況等は、民間航空飛行場とやや形を異にしている面もありますが、そういった特殊性も踏まえながら、この環境基準に準じた調査をこれから行なっていく、そういう姿勢でございます。  また、先ほど御質問のありました、新しい周辺整備法の取り組みの問題でございますが、この中におきましても、自衛隊等の飛行場の周辺におきまして、第一種区域、第二種区域、第三種区域というふうに、このWECPNLの環境基準に従った音の分布の状況によって地域を分けて、それぞれの地域におけるたとえば個人住宅防音の対策だとか、あるいは集団移転の対策だとか、あるいは音の障害の緩衝地帯をつくるための緑地化対策とか、そういった面も新法の中に盛り込んだ構想で考えているわけでございます。
  146. 大出俊

    大出委員 承りたいことは、たくさんございますが、時間がありませんから、これはその辺にいたしまして、あらためて承ります。  外国の例なども、なくはないわけでありますけれども、時間がありませんから、ほかの問題に移りますが、ここで外務省に、一つお答えいただきたいのですが、二4(b)を適用している滑走路あるいはその周辺、二4(a)を適用しているところ、二1(a)のところ、こう三つに厚木基地は分かれている。この二4(b)を適用しておりますものは、四十六年七月六日の告示で、これによりますと、厚木の海軍飛行場、ここは「滑走路部分等を海上自衛隊の管轄管理する施設とし、合衆国軍隊に対しては昭和四十六年七月一日から地位協定第二条四項(b)の規定の適用のある施設及び区域として一時使用を認める。」、こうなっているんですが、この限りでは何のことかこれはさっぱりわからぬ。  で、時間がありませんから、私のほうから先に言いますが、このことは地位協定二条四項(b)の表現とからんでどういうふうに受け取ればいいのですか。この表現で見る限りは、いつからいつまでという限定もなし、全くもってこれは、この二4(b)なる表現からいけば、えたいの知れぬかっこうになっている。いつまでということもない。そうすると、この限りでは永久に二4(b)なんですね、これは。ということになるとすると、これは常時いかなる形でどう使おうと、かってだということになる。  これは、いままで中曽根防衛庁長官と私がこの席でやりとりをして以来、何年にもなりますが、また予算委員会でやったこともありますけれども、どうもこういう形の書き方というのは——飛行場はたしか三つあります、二4(b)は。硫黄島のものもあります。こっちから言ってしまいますが、ロランCの基地が山の上にある。その目的で私も行ってみたこともありますが、出入権などということを一面言いながら、分遣隊はあの滑走路を使っているわけですね。そこらの問題とからんで一体これをいつまでどういうふうにするのか。この告示の中身で全くわからない。  長坂射撃場の例もある。富士の場合もそうです。限定的でない。しかも一時使用という表現を使う。これは一体どういうわけで、こういうことにしたのですか。おそらく外務省と防衛庁と統一見解の上でやったのでしょうけれども、いかがですか。
  147. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 地位協定二条四項(b)の「一定の期間」という条約上の解釈問題は、外務省のほうの御担当だと思いますが、たまたま具体的に厚木の海軍飛行場に関する告示に関連しての御質問でございますので、告示を行ないました私のほうの立場で、まず御答弁させていただきます。  厚木基地を、昭和四十六年の七月一日から二条四項(b)で滑走路部分を米軍に使用させるということを規定いたしました告示には、確かに先ほど御指摘のとおりのような表現がございますが、地位協定二条四項(b)で、「合衆国軍隊が一定の期間を限って使用すべき施設及び区域」のあり方について規定をされておりますが、その「一定の期間を限って」という態様につきましては、ただいまも御指摘がありましたように、たしか昭和四十六年でございましたか、当時の中曽根防衛庁長官から、一つの政府の統一見解という形で四つの形を御説明申し上げております。  一つは、「年間何日以内というように日数を限定して使用を認めるもの。」、これが第一でございます。次に第二番目の形としては、「日本側と調整の上で、そのつど期間を区切って使用を認めるもの。」、第三番目には、「米軍の専用する施設・区域」、これは二4(b)の施設、区域におおむね隣接してございますが、そういう「米軍の専用する施設・区域への出入のつど使用を認めるもの。」、それから第四番目には、「その他、右に準じて何らかの形で使用期間が限定されるもの。」、一番はっきりした形としては、何月何日から何日までというような例も過去にはございましたが、一応整理いたしますと、以上四つの形になるわけでございます。  厚木飛行場に関しましては、第三の形で、隣接します米軍の専用する施設、区域への出入のつど、運用の必要性に応じて使用するという形での一定の期間を限って使用する施設、区域だ、そういうふうな解釈で告示をいたした次第でございます。
  148. 大出俊

    大出委員 ちょっと待ってください。もう一ぺんいまのを聞いておきたい。  平井さんに聞きたいのですが、この形は、硫黄島の例がそうですね。あとございますか。
  149. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 あとは、板付の飛行場の滑走路が二4(b)でございます。それから南鳥島にもその例がございます。それから沖繩の那覇海軍航空施設のいわゆる滑走路部分、これも厚木と同様の形になっております。
  150. 大出俊

    大出委員 外務省に承りますが、ところで、これも時間がありませんから、あまり突っ込んだ議論ができません。一応承るだけにしておきますが、ミッドウエーというのは、母港化というわけですが、どのくらい横須賀にいるのですか。
  151. 角谷清

    ○角谷説明員 ミッドウエーが全体どれくらいということになりますと、大体三年程度というように了解いたしております。
  152. 大出俊

    大出委員 それは、どこで、だれが、いつきめたのですか。
  153. 角谷清

    ○角谷説明員 それは、ミッドウエーが日本の横須賀へまいりますにつきましてのいろいろな話の過程におきまして、アメリカ側がそういうように言っておりまして、われわれもそのように了解いたしておるわけでございます。
  154. 大出俊

    大出委員 何か取りきめの文書、その他ができておりますか。
  155. 角谷清

    ○角谷説明員 特にその期間について取りきめの文書というようなものはございません。
  156. 大出俊

    大出委員 ところで、ミッドウエーはどのくらいの期間でアメリカへ帰ったりするのですか。
  157. 角谷清

    ○角谷説明員 どのくらいの期間でアメリカへ帰るかというような点につきましては、必ずしも明確ではございません。ただ、一年のうちに半年程度は洋上にいるであろうというようなことはいっております。したがいまして、ときどきまた日本に帰ってくるということになると思います。
  158. 大出俊

    大出委員 いままで何回入ってきて、何回出ていきましたか。
  159. 角谷清

    ○角谷説明員 一番最初のは、たしか昨年の十月五日であったかと思いますが、それから約十日ほどで出まして、それからまた十月の二十日過ぎに、たしか二回目帰ってまいりまして、十一月半ば過ぎ出港し、次いでクリスマス前に入港し、それから本年の一月十一日に出ております。したがいまして、三回になっております。
  160. 大出俊

    大出委員 十月に入ってきて、十日間いてすぐ出て、またすぐ入って出て、クリスマス前に入って一月までいて、また出ていった。またやってくる。そうなると、これは四六時中いるわけですね、出たり入ったりしているわけですから。十月にいて、十一月にいて、十二月にいたことになる。  ところで、こういう形になるとすると、いまの話の過程からすれば、三年程度というのだが、それは協定ができておるわけでも何でもない。向こうがそう言った、ああ、そうですかになっておる。だから、三年が四年のものやら、五年のものやら、十年のものやら、それもわからぬ。出入りは自由であって、出たり入ったり常時している。それをトータルすると、一年のうち半年ぐらいいなかったことになる、そういうものだ。そうだとすると、ミッドウエーの艦載機が、ミッドウエーの入るたびに厚木のこの滑走路を使う。これは、そのつどというけれども、向こうから入港します、艦載機が飛んできます、そういうだけのこと。  そうなると、ここでいうところの、二4(b)の「合衆国軍隊が一定の期間を限って使用すべき施設及び区域に関しては、合同委員会は、当該施設及び区域に関する協定中に、適用があるこの協定の規定の範囲を明記しなければならない。」、限定しなければならぬ、こうなっておるが、厚木の滑走路の二4(b)というのは、限定のしようも何もない。二4(b)に関していう限りは「合衆国軍隊が一定の期間を限って使用すべき」と、一定の期間を限る。ところが、この告示のほうは、「一時使用を認める。」、「一定の期間」と「一時使用」は明確に違う。  二4(a)と二4(b)は、だから別な表現になっておる。この二4(b)に「一定の期間を限って」と明定されているのに、告示のほうは「一時使用を認める。」、これは一時的にどんな使用だってかまわないということだ。これは二4(a)の表現だ。(b)には「一定の期間を限って」とあって、しかも使用すべき施設区域に関しては、合同委員会は規定の範囲を明記しなければならぬと、こうなっておるのに何もない。一体、こういういいかげんな二4(b)の運用があっていいんですか。これじゃ、まるっきり二4(b)もへちまもないじゃないですか。  いまのミッドウエーの入り方、三年、それもわからない、そのまま、来るたびに、かってに通告して、かってに使っている。これじゃ、こっちに返った理由にはならない。(「専用だ」と呼ぶ者あり)全くもって専用だ。こういうでたらめなことをやっておって、自衛隊自衛隊集団司令部まで持ち込む。こういうことを事、厚木基地に関してやるということを、周辺の住民に納得しろといったってできやしません。われわれ全く納得できない。これじゃ二4(b)じゃないじゃないですか。地位協定違反だ。  中曽根防衛庁長官は、私の一番最初の質問に答えて、共同使用とは何か、それはアメリカの都合で肩がわりをさせる、きょうの神奈川新聞の社説にも書いてありますよ。これは、あとで承らなければ、いかぬけれども、相模原の補給廠で、日本人従業員三百四人を四月十五日で解雇する、こう言ってきておる。これをめぐる新聞の社説を見ると、神奈川新聞ですが、これは全く無系統に、基地の肩がわりを自衛隊にどんどんやらせている、かってにアメリカが出てきて使う、こういうかっこうが次々に出てくるというのは、まことに遺憾なことで、それで済むはずはないと書いておる。  済むはずがない、そんないいかげんなやり方で。何のための地位協定ですか。これには明確に限定しているでしょう、二4(b)「合衆国軍隊が一定の期間を限って使用すべき施設及び区域」と。ところが限っていない。これは違法です。それから「当該施設及び区域に関する協定中に、適用があるこの協定の規定の範囲を明記しなければならない。」とある。しかし「一定の期間」という表現をしてないで、「一時使用を認める。」と、こういうふざけた告示、これまた違反だ。これは一体、どうお考えでございますか。
  161. 角谷清

    ○角谷説明員 期間の点につきましては、先刻、平井部長よりお話がありましたとおり、昭和四十六年の二月の予算委員会におきまして、中曽根防衛庁長官より御発言がございましたが、それにおきまして、いわば四つの形態というものを、長官より御説明があったわけでございまして、その第三番目といたしまして、「出入のつど使用を認めるもの。」ということを言われたわけでございます。  それで、本件厚木の飛行場の使用形態も、これに該当するということでございまして、その御説明で御了承を得たいと思うわけでございます。
  162. 大出俊

    大出委員 そんなもの了承できるはずがないじゃないですか。これは硫黄島だって返還協定で、あれは五年と限られたのです。限定がある。これじゃまるっきり、何年先まででもかってに使ってくれということですから、専用じゃないですか。  しかも、これは何で一時使用を認めたのですか。「一定の期間を限って」と、ここに書いてあるじゃないですか。「一時使用」じゃないじゃないですか、二4(b)というのは。何が「一時使用」ですか。これは、どういうわけですか。
  163. 角谷清

    ○角谷説明員 ただいまお話し申し上げましたとおり、出入のつど使用を認めるという形態におきまして、厚木は該当するわけでございまして、その出入のつどという限定がついておるわけでございます。
  164. 大出俊

    大出委員 これを説明してくださいよ。二4(b)のほうには、「一定の期間を限って」と、こうなっておる。この告示のほうは、「一時使用を認める。」といっておる。これは同じ解釈ならば、二4(a)も二4(b)も同じでいいんだ。日本に返ってきた基地だからこそ、「一定の期間を限って」となっているのです、管理権はこっちにあるんだから。  「一時使用」と「一定の期間を限って」とは、どう違うのですか。何で二4(b)のほうに、「一定の期間を限って」と書いてあるのに、告示のほうに、「一時使用」と書かなければいかぬのですか。二4(b)には、「一定の期間を限って」としか書いてないでしょう。「一時使用」というのは何ですか。
  165. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 先ほども答弁しましたように、告示は防衛施設庁として行ないましたが、この告示におきまして、「一時使用」という用語を使いましたのは、先ほども答弁いたしましたように、二条四項(b)における「一定の期間を限って」の一つの態様として、出入のつど一時的に使用するという意味で「一時使用」という用語を使ったわけでございます。
  166. 大出俊

    大出委員 二4(b)には、「一時使用」なんて一言も触れていないじゃないですか。あくまでも一定の期間を限ることしかないのだ。「一時使用」なんか認めていないのです。明らかに「一定の期間」じゃないですか。それしか書いていない。二4(b)に「一時使用」なんて書いてないですよ。「一定の期間を限って」と書いてある。かってにあなたのほうで、「一定の期間を限って」と書いてある地位協定を、文言を変えて「一時使用を認める。」、そんなでたらめなことは、全くあなた方のかってな解釈だ。これは明らかに違反だ。長官いかがですか、防衛庁が告示をしたのだから。
  167. 山中貞則

    山中国務大臣 私も地位協定は、よく読んでおりますし、二4(b)の頭書きは、あくまでも「一定の期間を限りて使用」ということになっておりますから、その点について、さらにこれの解釈について調べましたところ、四十六年の二月二十七日の衆議院予算委員会に、答弁者は中曽根長官であっても、何か政府の統一見解みたいな形で出されたように聞いております。  したがって、この条項をずっと読んでみますと、この条項は、二4(a)と異なり、何らかの形で限定されるものであるケースの中に今回はおさまるものであろうということで、私としても納得をしたわけであります。
  168. 大出俊

    大出委員 あなたは納得したって、片っ方は協定でしょう。協定の表現でちゃんと「一定の期間を限って」となっているものを、かってに「一時使用」なんというようなことを、あなた方はどうして言えるのですか。そういうのは、あなた、えてかってな解釈です。全くもって、これはお話にならぬ。  しかもミッドウエーは、三年と向こうさんが言っているだけだ。協定もなければ何もない。そうなれば、これは全く専用じゃないですか。ミッドウエーは何年いるかわからない、全くもっていまのところは。毎月入ってきている。そのたびにかってに使っている。そのことを認める。そんな二4(b)はないですよ。時間がありませんから、あらためてやりましょう。  長官、あなたが就任されて間もなく、私、ここで質問いたしましたが、沖繩のP3Cオライオン、例の玉突き云々の問題、これが、那覇空港返還との関係等がございまして、当時の目玉、こうなっておった。これは、あなたは、あのときに、海洋博まではということばを使われたりいろいろしましたが、私は責任を持ってこれはどけます、こう何べんか言い切った。幻想を与えられちゃ困る。一体、これ片づくのですか、P3は。
  169. 山中貞則

    山中国務大臣 もちろん片づきますし、海洋博は、若干延期されましたけれども、しかし、われわれとしては海洋博の予定の日にちでありました前日までにはどけるということで、四十八年度の、いわゆる四十九年に入る三月三十一日ですね、こういうことで進めてまいりましたが、沖繩における工事がいろいろおくれておりますから、予算の中では、若干ずれ込み得る可能性のあるものを考えまして、国庫債務負担行為に一部残してありますが、しかし、これは海洋博の期限ということとは切り離して、私の胸算用では、おおむね、ずれ込んでも、飛行機そのものは三月中にいけるだろう、しかしながら、少しずれ込んだとしても、それはいろいろの付帯工事の分が一カ月ぐらいというつもりで、若干の余裕を見て、国庫債務負担行為に少し落としたということだけでありまして、既定の方針に何ら変わりはありません。
  170. 大出俊

    大出委員 おおむね三月という時点でこのP3はどく、そう考えてよろしいですね。いいですな。  そうすると、今度は、どいて、先はどこへ行くのですか。普天間補助飛行場ですな。どういうことになりますか。
  171. 山中貞則

    山中国務大臣 嘉手納飛行場に移りまして、P3の飛行の場合に、悪天候その他不時着等を必要とせざるを得ない場合における補助飛行場が一つ要りますから、その意味において普天間空港の、これは滑走路のかさ上げ、その他のいろいろ議論がありましたが、若干の補修を滑走路について行なうということで、普天間にはP3は常駐いたしません。したがって嘉手納に参ります。普天間をなぜやるかということは、まさかの場合の補助飛行場に、那覇空港を再び使用することはないということを担保するものであります。
  172. 大出俊

    大出委員 長官は、沖繩現地の、皆さんの党を含めて、嘉手納に移る、普天間を補助飛行場にする、このことについて反対の意思表示をされていることを御存じですか。なぜかといえば、それは当時のいきさつからすれば違反である、つまり、それは基地の再編強化という形にしかならない、こういう反対地元の意見が、皆さんの党を含めてあることを御存じですか。
  173. 山中貞則

    山中国務大臣 承知いたしております。まず、まっ先に移駐常駐を余儀なくされる嘉手納村、これにおいては、村長、村議会議長以下、議会においては移駐反対の決議もいたしておりますし、また嘉手納村の議長は、個人的な問題を言う必要はありませんが、私のかけがえのない戦友であります。そういうこと等もありまして、日夜心胆を砕いて、嘉手納側から移駐やむを得ないとするならば、まず嘉手納村から見て第一、第二、第三、第四という候補地をあげて、ここならばがまんができるということで、私のほうも現地に人を派遣し、よくその言い分を聞いて、米側も立ち合わして調べてみたのでありますが、最終的には嘉手納村の皆さんも、一、二、三の候補地についてはなかなかむずかしいなということは納得いただきました。したがって第四の候補地は、嘉手納が万やむを得ない場合においてしかたがないという意味の第四でありますから、そこについて駐機させる場合におけるサイレンサーの設置その他も合意いたしまして、少なくとも成田新空港でつくられているような大型機のサイレンサーをつけるということ等も条件にいたしまして、ようやく、賛成はいたしてもらっておりませんが、やむを得ないことである、沖繩全体の立場からやむを得ないことであるという空気になっております。  なお、普天間の市長その他の方々については、これは市長さんはたしか革新系だと思いますが、もちろん保守系も議員におります。そういう皆さんも一時、三十八億が普天間空港ということで、P3が本拠地として来るんじゃないかということで騒がれました。しかし、その後嘉手納に移ったことによって、ほっと一安心、ところが、その一部がまた補助飛行場ということでありますけれども、滑走路のかさ上げに予算が回る、それはP3が来るんだ、事実来たんだという話もありましたが、調べてみると、実際は行かなかったようでありますが、そこらの問題があって、直接お会いしまして、絶対にメーン空港にするわけではありません、悪天候その他不時着等の場合において、一つほかにP3のおりられるところがないと困りますので、那覇空港は今後使わせないつもりでありますから、常駐はあり得ませんということをはっきり明言いたしまして、その後、一応その問題については、普天間にP3機は常駐しないということは、長官の口から明確になったということが、関係者にも市民にも伝わりまして、それについての、なおかつ補助飛行場にも反対であるという意見は、いまのところ上がってきておりません。
  174. 大出俊

    大出委員 きょうは、地元から代表の方々が出てこられておいでになるようでありますから、そこらのところ、私も一ぺん現地にお伺いしようと思っておりますけれども、なお意見を十分聞いていただきたいと思います。
  175. 山中貞則

    山中国務大臣 承知しました。
  176. 大出俊

    大出委員 もう一つだけ、この際申し上げておきますが、沖繩の駐留軍に働く皆さんのたいへん大量な首切りが、いま表へ出てきております。一千四百名ぐらいになると思うのでありますが、これは基地機能を縮小しないままに首だけ切っていくということは、旧来、ところによっては、わざわざ人を集めて、来てくれと言って働いてもらった方々もたくさんいるのですから、これは、またずいぶんえてかってな話でありまして、基地機能が縮小された、あるいは基地が減ったということになれば、これは当然出てくるのは、わかりますけれども、そうではないのに、えてかってに首にするというのは、生活権にかかわりますから、これを日本政府の側が放任はできないはずだと私は実は思っておるわけであります。だから、もし、そういうことをあえてやるというならば、米軍のモータープールだとか修理工場だとか、これは返せといって返さして、離職者その他の職場というものをそこにつくってあげなければならぬ。  さっき、長官がいないところでちょっと申し上げましたが、相模原の補給廠もそうです。ここで、また四月というのを目途に相模原補給廠、これが千百七十五人解雇する、こう言っているわけであります。第一次の予告が出てまいりました。これは三百四人、四月十五日でございます。相模原補給廠も、これだけ広大なもので、相模原市にとっては、市再建の中心的なところであります。  これなんかも、やはりそういうあと地の問題も考えた上で、政府側は先取りしてものを言っていかぬというと、ここだけ石油パニック云々のかっこうで、じゃ、どこへつとめるといったって、特殊な勤務条件におった方々ですから、そう簡単にいきません。年齢的にもいろいろ問題があります。よほど、そういう面で親切な対処をしなければ、これはたまったものじゃない。これまた生活権の問題です。  そういう意味で、沖繩の問題相模原補給廠の問題、共通する面が一面ありますから、そこらのところを、もっと積極的に、首切るというならば施設を返せ、職場をつくってあげるという形のものを、あわせて考えていっていただかなければならぬ筋合いだと私は思いますが、そこらのところ、いかがですか。
  177. 山中貞則

    山中国務大臣 私も同感であります。たとえば、ちょっとさきに横田で大量の解雇がありました。横田といえば、人も知る関東集約の——いわゆる集約で集まるところなんですね。そこでなぜ解雇が出るんだという疑問をまず持ちましたし、数が多過ぎる。私は一件の解雇でも、毎日でもいいから報告をさしておりますから、見のがしてはおりません。そこで詳しく——百名をこえる人たちが、予算削減のためという一片の理由書によって、長年の職場を中高年になってから去らなければならない、しかも横田は集約予定地なんだ、集約するところなんだ、集まるところなんだ、納得がいかないというので調べましたところ、どうも私も最後には、やはり予算削減の影響だとしか思われないように、各部門ことごとく一名、二名というふうに、ぽつりぽつりと整理しているわけでございます。  そこで、それならば、やはり予算削減という理由も当てはまるかなという気持ちでおりますが、なお最近、一月の元日に、三カ月前の予告であるから、一月元日だということでありましょうが、これとても、さっきの厚木の元日から三日間のファントムと同じように、われわれ日本人が、一月の一日を、悲しむべき人生の刻みの日と思う人はあまりないので、その日に解雇通知を出すという無神経さも私にはかちんときましたけれども、しかしながら、いかんせん、やはり調べてみますと、そういう予算上の——アメリカに大部分を占められている、それが世界各国に散らばっておる国々のひとしくこうむっている予算上の人件費の削減、そういう関係があるように見受けられる背景は確かにあります。  そこで、これらの問題については、やめてしまったあと、めんどうを見たってやめてしまったことに変わりはないじゃないかということで、いわゆるこれは、おくれた措置でありますけれども、しかしおくれたにしても、これは、まことに気の毒であるということで、本日の閣議で決定をいたしましたが、来年度予算に定めました駐留軍の解雇者等に対する特別給付金のかさ上げに対する八割、本年度の予算で申しますと、約三〇%アップというものを、昨年の四月一日にさかのぼって、以降の解雇者に全員支給するということをきめてまいったばかりであります。  これは、やめた者に対して、涙銭ほどの愛情しか示さないと言われれば、それまででありますが、しかし、おそらくあなたも御承知のように、いまごろ去年の四月にさかのぼって大蔵省が、しかも足らなくなった分は、予備費まで出してということは、実は相当な苦労をしなければできない異例の措置と私は言っていいと思うのです。自画自賛しているわけじゃないのですが、それだけの誠意は一生懸命尽くしております。  そこで、沖繩のほうに限って言いますならば、待望の離対センターも、去年法人認可されて、予算にはありませんでしたが、発足早々から運営費も出るようにという配慮もして、市川さんなんかと相談して、運営費の補助もいたしましたし、また今回は、新しくセンター等もつくりまして、離職者の方々が、相当米軍の各種特殊技能分野において技能を持っておられますから、これらの人々に、ぜひとも独立し、あるいは退職金その他を集め合って、みんなが共同で営業を営むような、そういう御指導をどうしてもわれわれの立場からもしなければなるまい。これは開発庁とも相談をして、今後やむを得ず解雇になった人々については、何ともいたし方がなかった者についての事後処置については、決してそれをほうり出すようなことはしない、最後までめんどうを見られるような努力をいたします。
  178. 大出俊

    大出委員 これは、もうたび重ねて本会議で質問まで私いたしまして、いままでやってきたことですから、ぜひひとつ、今後、ますます世間一般の情勢はきびしくなりますので、行き届いた御配慮をお願いいたしておきたいと思います。  あと二件、簡単にして終わりますが、これでおしまいでございますけれども、どうも納得できないことが私の地元にあります。  一つは、防衛庁にかかわる問題でありますが、横浜市中区西竹之丸というところがありまして、この百十一番地でございますが、住友不動産が住友西竹之丸ハウスというマンションを建てようとした。そうしたところが、五階建てでありますから、大蔵省の関東財務局横浜財務部長増川さんから横浜市に反対の陳情が出てまいりました。いろいろなことを省略いたしますが、もっと向こうに建てろというんですね。それで五階を減らせという。市も中に入って、いろいろ苦心をしたようでありますが、三階に切ってもらう。  この過程で、いや実は、この土地は防衛庁に移管をいたしました、窓口は引き続き大蔵省横浜財務部がやります——百十二番、百十三番、百十四番、百三十一番、百三十番という広い土地であります。切らせて、こっちへ行けといってやらせて、土地を、隣接は国有地でありますから、これを防衛庁に移管した。  さて、これを何するんだ、防衛庁が何かここに住宅をつくりたい、どなたを入れるのかわかりませんけれども。それなら、そうと最初から、そういう話なら、これは、またふしぎには思わぬのですけれども、どうもちょっと、これはどうなっているのか疑義を感じます。ここのところを、まず明らかにしていただきたいのであります。  何を建てる、どのくらいのものを何階と。聞くところによると、四階だというが、片方の民間の建物を三階に削らせて、おれのところは四階建てる、これもまた、どうもえてかってな話でしてね。そこら納得のいく説明をいただきたい。  それからもう一つ、これは外務省の方々にも承りたいのですけれども、横浜にアメリカの領事館がございました。このアメリカの領事館を、神奈川県も横浜市も、特に神奈川県に強い要望があったようでありますが、英国なんかも横浜市に払い下げたりいたしております。この米領事館は、横浜市中区山下町六の一、これは山下公園の前であります。このあと地は、国有地なんですね。国有地を無償で貸していた。ところが横浜市にも、神奈川県にも払い下げるどころではない。いつの間にか日航ホテルが、ここにホテルを建てる。地下二階、地上十三階、高さ四十五メートル、たいへんなものだ。そうすると、この国有地は、米領事館が長らくあったあと地は、国は日航ホテルに払い下げたことになる。  何で一体、アメリカ領事館のあと地を——長年国が無償で貸してきた。横浜市の中心的なところであります。あるいは神奈川県にとっても、同様であります。何で一民間企業に払い下げなければいけないのか、どうも私どもは納得できない。  そこへもってきて、今度は、別な横浜の千代崎町というところ、横浜市中区千代崎町二丁目、ここに大蔵省は公務員宿舎を建てる。二棟六十戸、鉄筋コンクリート五階建て。ところが、この建物が、風致地区の隣なんですね。そこまで風致地区なんです。そこで住民からいろいろ反対が出てまいりまして、説明をするということになった。ところが説明会の席上に、日航ホテルの大将が一人出てきた。  何で一体、中区千代崎町二丁目というところに公務員宿舎を建てるのに、日航ホテルの人が出てこなければならぬのかという問題が出てくる。住民にすれば、ふしぎな話であります。そうすると、どうもこの公務員宿舎を建てるところと、アメリカの領事館のあと地というのと、日航ホテルというものを中心にして関係があるのじゃないか。これまた、ふしぎな話であります。  神奈川県知事が、アメリカ領事館あと地を県にと横浜市長にも相談をした。市長さんも、それじゃひとつ、県のほうでと、県が申し入れをした。ところが、それはナシのつぶて。日航ホテルのほうに、いつの間にか十三階のホテルを建てさせる、片方、千代崎町のほうに公務員宿舎を建てようということで、こちらにもいろいろ問題が起こって、風致地区の隣だからということで、住民が騒いで、日航ホテルが説明者の中に入って出てくる。これは、ちょっと納得できないですよ、住民の側からすると。何でこういうことが起こるのですか。防衛庁、外務省、両方からお答えいただきます。
  179. 安斉正邦

    ○安斉政府委員 一番初めの御質問についてお答え申し上げます。  横浜市の中区西竹之丸というところに国有地がございます。これは大蔵省普通財産でございます。防衛施設庁におきましては、東京局、本庁、横浜局、まあ、京浜に住んでおります独身者が、約五百名おるのでございますけれども、百三十名ばかりの者が、住居に困っているという実情にありますので、かねてから、独身寮をつくりたいということで、どこか適当なところはないかということで、いろいろ大蔵省にお願いしておったわけでございます。  たまたま、ここの場所が、千六百平米ばかりでございますけれども、適当なのではなかろうかということで、私どもとしては、非常に強い希望を持ちまして、大蔵省の出先の横浜の財務部のほうにお願いをしておったわけであります。現在もお願いが続いておるわけでございまして、所管がえを受けておりません、実現をしておりませんけれども、そういう希望を持っております。  そして、そのときに、昨年の六月の時点でございますけれども、住反不動産という会社が、マンションを建てたいということで、横浜市に建築の確認書を出した。その場所が、たまたまこの国有地の隣であったわけでございますが、そこで当時から、日照の問題というのが非常にありまして、そこでいろいろお話し合いを、財務部のほうと私ども横浜の防衛施設局と、ともども相手の方とお話を、数次にわたって行ないまして、そしてお話し合いの末、こういう形ではどうかということで、日照について御理解をいただいたわけでございます。  現在、聞くところによりますと、その建築が進められているようでございますが、その先ほど申しました土地、これは、また私ども施設庁としては、非常に強く希望しておりますが、まだそのままの状態でございます。
  180. 角谷清

    ○角谷説明員 横浜にございました米国領事館のあと地につきまして御質問でございますが、横浜市の山下町にございました米国の領事館でございますが、これは明治の初年以来、米国が領事館を設置いたしておりまして、ずっと戦後に及んだわけでございます。戦後、借料——これは無償ではございませんで、当然借料を払わしておるわけでございますが、この借料の改定という問題につきまして、なかなか話が合わなかった経緯がございまして、昭和二十年以降は、その借料の未払いという問題はございましたが、昭和四十六年の十一月に至りまして、米国政府と横浜の日航ホテルの間に借地権の譲渡の契約が締結されまして、その結果、本件は横浜日航ホテルに移るということになった次第でございまして、われわれの了解いたしておりますところ、この譲渡は、昭和四十七年六月二十九日の第九十回国有財産関東地方審議会というものの審議、御承認を得て行なわれたというように伺っております。  なお、その借料の点につきましては、これは、やはり当然改定に応ずべきだという態度で話が進められまして、近々借料の点は合意に達して、支払いも進んでおると了解いたしております。  なお、本件の詳細につきましては、あるいは大蔵省のほうからお話しいただいたほうがよろしいのではないかと存じております。
  181. 佐藤徳太郎

    ○佐藤説明員 ただいまの外務省の御説明を補足いたしますと、いまお話のございましたように、四十六年の十二月一日付で領事館の事務がアメリカ大使館に移管されるということになったわけでございますが、一方、日航ホテルのほうでは、海外観光客等が非常にふえるというようなことで、その建設用地として領事館のあと地をほしいという御希望がありまして、領事館側も、これを認めてもよいという意向を示したものでございますので、すでに借地権が、先ほどお話のございましたように、明治初年からということで借地権が確立しておるというようなことから、国としても両者の希望を認めたわけでございます。  一方、横浜地区につきましては、公務員の宿舎の用地がたいへん不足しておりまして、われわれとしては公務員宿舎用地をぜひほしいということで、前々から考えておったわけでございますが、その横浜日航ホテルへの貸し付け地となりましたその借地権つきの土地を相手に渡しまして、それで別に、新たにさら地の新しい公務員宿舎用地をわれわれが得たい、こういうぐあいに考えておりましたところ、横浜市中区所在の日航ホテルの所有地というのがございまして、これが公務員宿舎用地として適当でありますので、われわれとしては、この交換が国のためにもよろしいということで、四十七年の六月二十九日開催の国有財産関東地方審議会に付議しまして、これをお認めいただく答申を得まして、昨年の暮れに交換契約を結びました次第でございます。
  182. 大出俊

    大出委員 時間がありませんから、多く言いませんが、県だって市だってかんかんですよ、これは。国と国との間の関係で、アメリカの領事館に国有地を貸していた、借料を上げろったってだめだというので、長らく上げない、払っていない、法律の面では。あとになって払ったんだから、払っていないことになる。それで長く貸していたからというので——日航ホテルは大きな企業かもしらぬけれども、民間企業ですよ。民間企業に借地権が生じているからというので、アメリカの領事館が借地権を譲渡する、そのことをまた国が認める。全くこれは何をやっているんだということになる。県知事だってかんかんですよ。  こういうことを、ぬけぬけとやっているのですね、皆さんは。民間の会社に貸したんじゃないんですよ。アメリカの領事館ですよ。しかも山下公園のまん前に。こういうことを、あなた方はぬけぬけとやって、平気でいるところの神経が私にはわからぬ。  時間がありませんから、あらためてやりますが、こういう——しかも、その間に、どういう、日航ホテルの偉い人と国との間にあったかどうか、それは私は知らぬが、いろいろなうわさが飛ぶのも無理はない。  事情はわかりましたから、やめますが、こういう不愉快な——これは、あとであらためて、国会が始まりますから、そこで質問させていただきますが、横浜市にしても、神奈川県にしても、全くこれについては大反対、不納得、何と言われても了解できない、こういう態度であることだけ申し上げまして、終わります。
  183. 徳安實藏

  184. 中路雅弘

    中路委員 きょうは、厚木航空基地に関する問題に限って御質問したいと思うのですが、一番最初に長官にお尋ねしたいのは、防衛庁は、立川の場合もそうですが、絶えず地元と協議するということを文書の中に入れておられるわけですが、私たち理解では、協議するということは、話し合って円満に解決するというふうに解釈しているのですが、防衛庁は協議するという場合に、どうもこのことばの解釈が違うらしいと思うのですが、協議するという約束をされている場合は、協議する中身はどういうことなんですか。
  185. 山中貞則

    山中国務大臣 これは、解釈は違っておりませんで、立川の場合は、私、ちょっと責任者じゃありませんでしたので、つまびらかにしませんが、要するに、文字どおり、協議するというのは、御相談を申し上げるということでありますから、何のために相談するんだといえば、円満に話が合意点の見出せるように努力をするということだと思うのです。  あとのこまかな、具体的な例については、いまから聞かれるでしょうから、だから、円満に事柄が、こちらの希望、相手側の考え方というものとが、なるべく意を尽くし合って、了解を得るまで努力をするということが前提であることは、これは、もうことばの解釈で違いは、防衛庁といえどもありません。
  186. 中路雅弘

    中路委員 今度の移駐について、これは移駐したあと文書ですが、周辺の四市一町ですね、藤沢市、大和市、海老名市、座間市、綾瀬町と、関連の四市一町は全部、これは抗議文ですけれども、二十五日の移駐が、全く地元了解を得ずして一方的に強行されたということで、これに対して厳重に抗議するという文書を採択されているわけです。  一部に反対があるということではなくて、地元の関係の市町村全部が、これは保守、革新を問わず、この一方的な強行に反対をしている。了解を得ずして強行したことに反対している。  これは、いまおっしゃった協議するという精神と全く反対じゃないですか。協議するといままで絶えず防衛庁は言いながら、全くその反対なことをやっている。これだけ地元反対があるというのに、なお強行される。これは防衛庁の協議するということは、一片の通告で強行する、どんな反対があっても強行していく、こういうふうに理解せざるを得ないんじゃないですか。この点はどうなんですか。
  187. 山中貞則

    山中国務大臣 私どもは、防衛庁とは、広く国民理解を得る、まずこの姿勢が前提であります。そうして基地に関しては、これはなるべく基地近傍あるいは都道府県、こういうものも含めて御理解を得たい、こう思っておりますが、しかし、さしあたり移駐なり新設なりいたします場合は、その基地に直接関係のある、今回であれば、厚木に関しては、大和市と綾瀬町という方々とは、これは双方とも熱心に協議は重ねてきておりまして、先般来のやりとりのように、集団司令部だけが合意しなかったということでございますが、その周辺の方々が、基地に直接は行政区域としては関係してない、しかし、われわれも人ごととは思えない 音だって境界線を越えて聞こえるのだということはよくわかります。  しかし、それはどこまでが相談をすべき相手なのかという問題になりますと、さしあたりは、やはりその基地に関係をしております市町村の方の間との協議を進めていって、了解を得るということに努力をせざるを得ないのでありまして、これは私も決議文、反対文等はもらいました。ですけれども、これは、やはりある意味では、神奈川県は、県下全体の県民の立場からも、地域も考えて配慮しておられるわけでありますし、県知事ともお会いをいたしましたし、町村を限って、とこのあたりまでならば、何キロまでならば、協議の対象の町村とするとかという、そういうような考え方を実はしておりませんでした。  ですから、基地と関係のある町村ということで、今回の場合は、大和綾瀬町ということにしたということであります。
  188. 中路雅弘

    中路委員 いま私があげたのは、この四市一町で厚木基地対策協議会というのをつくっているんですね。これは騒音の問題を含めても、全部関連のある町村です。それがあげて反対している。  もう一つ、お尋ねしますけれども、これは四十六年七月一日の大和市長にあてた施設局長文書ですけれども、その中に、「都市化傾向の著しい大和市の事情を十分に理解し、極力その基地の整理縮小に努力する。」ということが第一項に書かれております。そして、また同じ七月の文書ですけれども、確態事項というのを出しておりますね。この確認事項の中に、飛行場の整理縮小について、「「飛行場の整理縮小」とは、「飛行場の移転を含め整理縮小」と解する。」ということを確認事項にして、わざわざ施設局長の名前で大和市長に出しておるわけです。基地の、飛行場の移転ですよ。縮小だけではなくて、「移転を含めて極力整理縮小に努力する。」ということを確認事項にまでして約束されている。  集団司令部だけまだ了解してなかったとおっしゃいますけれども集団司令部に現地が反対しているのは、まさにこの確認事項と関係して言われているわけです。集団司令部が、あなたもさっきの答弁で、臨時に行くんじゃない、これは相当継続的にこれからも使用する、そのために行くことは事実なんですね。これが基地の恒久化につながる。しかも、あなた方が約束している、これからはこの厚木基地の「移転を含めて整理縮小に極力努力する。」という約束から見れば、まるっきり反対です。表向きは、整理縮小に移転を含めて協力すると言いながら、やっていることは、ますますその反対の、基地を恒久化していく、強化していく、こういうことをやっている。  この不信が、関係の全住民、市をあげて抗議をしている理由なんです。集団司令部だけということじゃなくて、ここにいま問題があるわけです。この問題を協議しないで、話し合い解決をしないでやる。今度の事態が強行、一方的な移駐だ、これは当然のことなんです。この「移転を含めて基地の整理縮小に極力努力する。」、これは本心なんですか。
  189. 長坂強

    長坂政府委員 四十六年の七月一日の文書は、海上自衛隊共同使用を開始するにあたりまして、地元に横浜防衛施設局の態度を申し上げたわけでございますけれども、その第一項は「滑走路の新設、延長等飛行場の拡張は行なわないし、又、客観情勢に対応し、極力その整理縮小に努力する。」ということでありまして、これはピクニックエリアの返還とか、それからイーストキャンプの返還とか、十万平米の返還とか、そういうことが、ここで頭の中にありまして、そういう整理縮小について努力しておるということで、これは、そのときの言明どおり、今日に至るまでその努力は続けてきておるわけでございます。  二は「綾瀬町が当該飛行場西南地区ほぼ十万平米の返還及び返還あと地の公共施設用地としての利用を強く要望し、かつ、その必要性について米軍当局の了解を得ていることを理解して、速やかに米国側から返還を受けるものとし、」ということで、これも、十万平米ではございませんけれども、八万五千平米の返還を受けまして、これを地元の学校用地その他に充てているところでございます。  概略、そういうことでございます。
  190. 中路雅弘

    中路委員 質問していることと全然違うことを言っている。
  191. 長坂強

    長坂政府委員 移転ということは、ここに出ておらないと思います。
  192. 中路雅弘

    中路委員 この文書、これは「確認事項」、一「移転を含め整理縮小する。」、二「ターボジェット発動機をおもな動力とする航空機を使用しない。」、それから三は、「イーストキャンプ地区の」云々ということですね。四までありまして、「この覚書は、厚木飛行場を海上自衛隊共同使用することについて効力を有するもので、いわゆる民航問題は、本覚書とは当然別問題であることと理解する。」という文書があるのです。これは横浜防衛施設局長大和市長にあてた文書です。これが覚え書きの第一に入っています。そうじゃないのですか。
  193. 長坂強

    長坂政府委員 その確認事項というのは、手元にございませんので、ちょっと調べましてから、お答えいたします。
  194. 中路雅弘

    中路委員 これは大事な問題なんですよ。恒久化の問題とまるっきり逆のことです。  長官、ちょっと抜けなければいけないから、もう一言聞いておきましょう。  さっきの協議するということですね、これは先ほどの大出委員の質問の中で、集団司令部を、これは不当であるにしても、最初含んでいた、そのことは、わかっているわけですけれども、こういう約束をしているのです。これは厚木基地の問題で、四十七年の四月に、現地で連絡協議機関をつくるということで、厚木飛行場周辺住民安全対策等連絡協議会が設けられた。この定例の会議の席上、これはアメリカの基地司令官も、自衛隊の現地の航空基地司令、当時、分遣隊司令ですが、小島司令、あるいは市町村の代表、それから横浜防衛施設局長、神奈川県の渉外部長、こういった者も参加していますが、この席上で、厚木基地への移駐計画について質問されて、関係者が答弁しているのが、これは神奈川新聞の四十八年三月八日の記事ですけれども、出ています。これを見ますと、当時の小島司令は、この移駐計画について、こう説明している。  第一は、第四航空群ですね。「同航空群部隊は四十八年度中には移駐したい」、そして第二に、「集団司令部移駐したいが、」確かに希望を言っているのです。「移駐したいが、その時は地元話し合い円満に解決したいと説明した。」と出ている。だから、確かに「集団司令部移駐したい」という、先ほどの答弁のように、皆さんのほうは、現地にはいろいろ話しておられるわけです。  しかし、ここでも現地の司令官がはっきり言っているように、この集団司令部については、これを航空群と分けていますよ。航空群の中に入れているわけじゃない、皆さんの言うように。その中に含まれてない。「集団司令部移駐したいが、その時は地元話し合い円満に解決したいと説明した。」となっている。  だから、航空群のさっきの覚え書きが了解されたから、集団司令部も入っていたんだ、市長あとからそれについていろいろ意見を言ったので、疑惑を解かなければいけないという問題ですね、これは、この説明を見ても、はっきり分けて説明している。そういうことを含めるということは、あとから移駐したときにつけ加えてやったごまかしじゃないですか。
  195. 長坂強

    長坂政府委員 先ほど来、私どものほうとしては、集団司令部は最初からお話をしておりましたということを申し上げましたけれども、しかし問題は、昨年の時点において、やはり集団司令部が第四航空群等の中に入っているかいないかというような問題がありましたので、私どもとしては、市長さんにも、町長さんにも、なぜ御反対をなさるのですかということで話を詰めておるわけです。  その五十機、二千人ということは、四十六年十二月当時において、これは完全に了解されておる。今度は、その中へ飛行機を持たない、騒音も出さない、四十人が入っているか入ってないかは一応別として、市長さん、それが入ってはいけないんですか、なぜお困りになるのですかと聞いておるのですよ。  そういたしましたら、市長さんは、それは恒久化につながるんだとおっしゃるので、それは市長さん、お話が違うんじゃないですか、第四航空群は、長期継続的な意思を持って入っておるんですよ、そのことが、もう前提になっておるので、この四十人が加わろうと加わるまいと、恒久化、長期継続の問題とは違うじゃありませんかというふうにして、ついに市長さんも、町長さんも答えがなくなっちゃったんですよ。そういうところまで話を詰めておりますよ。  ですから、それはいろいろな経過があります。四十六年以来の経過を見ますと、市議会においても、四十六年の年末においては、もうこれでわかったという決議もいたしておる時期もございますよ。いろいろ幾変遷しておりますから、その事態をとらえて、ここで反対しておった、ここで賛成しておったということは、あまり論議しても意味がないかと思いますけれども、昨年の市長町長との話し合いの中では、私どもとしては、十分誠意をもって話し合いを詰めておるということだけは、強調しておきたいと思います。
  196. 中路雅弘

    中路委員 いつも、この前、私たちが抗議に行ったときも、そうなんです。長坂参事官は、ただ四十人だとか騒音を出さないとか、こういうことで現地をごまかそうとしておるのだけれども、問題になっているのは、さっきも論議になっていますけれども、この集団司令部が、どういう機能を持っているか、航空群の中にとうに入れられるようなものでもとうていない、この集団司令部が移ってくるということは、この集団司令部の持つ機能からいって、どういう重大な意味を持っているか、これを皆さんが隠蔽しているから問題になっているのであって、この点は、やはりはっきりしなければいけないと思うのですが、さっきの文書、まだ出てませんか。わかりませんか。移転を含めたという文書わかりませんか。——じゃ、あとで、このことはもう少しやりたいと思うのですが、集団司令部の人数だけで、四十人の人数ということで絶えず問題にされるわけですけれども、幾つか、これと関連して私はお聞きしたいのです。  たとえば厚木に、去年の十月六日、航空管制隊というのが編成された。もちろん。これは二千人、五十機の中に入ってない、新設ですね。この航空管制隊は、それではどういう任務を持っているのですか。機能を持っていますか。
  197. 丸山昂

    ○丸山政府委員 航空管制隊は、そのいまの二千人の中よってないということでございますが、そうではございません。これも含めてということで、当初の計算の中に入っているということであります。
  198. 中路雅弘

    中路委員 これは新設部隊でしょう。
  199. 丸山昂

    ○丸山政府委員 新設部隊です。そういう性格のものでございます。航空管制隊は、航空集団の直轄部隊でございまして、海上自衛隊の使用いたします航空機に対しまして航空情報の通報、それから運航管制に関します教育指導、それと航空交通の安全に関します調査研究、これを行ないます任務を任務としておる部隊でございまして、これは二十人で構成をされております。
  200. 中路雅弘

    中路委員 この航空管制隊というのは、厚木航空機の離発着に関する業務ですね。管制業務は直接行なえないわけですね。
  201. 丸山昂

    ○丸山政府委員 離発着に関します業務は、この基地隊の中に運航隊というのがございまして、それがやっております。したがいまして、直接これには関与しておりません。
  202. 中路雅弘

    中路委員 だから、たとえばこの航空管制隊が新設される、これはいま言ったように、この隊は、厚木の航空基地の直接の管制業務に関係ない部隊ですね。集団司令部の直轄でしょう。だから、集団司令部が移ってくるということは、こういうふうに厚木基地の管制業務に直接関係のない部隊も当然新設されるし、ここにつくられる。だから、集団司令部が、ただ四十人で移ってくる、四十人だ四十人だ、二千人のうちの四十人だと、あなたたちは言うけれども集団司令部が移るということは、それに関連したこういう部隊が新設される、配置される、こういうことも全部これから起きてくるわけですね、集団司令部機能からいって。これもお認めになるでしょう。  また、さっきの答弁でもありましたけれども集団司令部が移ってくることになれば、他の航空群に対する指導、指揮をやらなければならない。館山にもある、岩国にもある、そういうことになれば、当然、これから通信連絡機構もつくっていかなければならない。軍事的な司令部として持つ位置を考えた場合に、当然のことだと思うのですが、今後、厚木に独自のこういうマイクロ回線、連絡回線を設ける計画はありますか。
  203. 大西誠一郎

    ○大西政府委員 昭和四十八年度に、高周波数帯域回線を整備することを計画いたしております。これは現在進行中でございます。通信関係の設備といたしまして、おもなものは、いま申し上げました一件でございます。
  204. 中路雅弘

    中路委員 通信問題にしても、そうでしょう。集団司令部移駐するということによって、新しくいま計画がある、こういう新しい通信連絡の機構もつくる、これも新設ですよね。皆さんは、施設の新設は、地元と協議してからやるのだということを約束されている文書もありますけれども集団司令部が四十人来た、当然、ここには新しいマイクロ回線もつくらなければいけない、施設も新設するということも起きるわけです。また騒音や公害を出さない、ただの四十人だというお話ですけれども、この点でも、出先の各航空群の航空集団司令部としては、連絡も密にしなければならない。ヘリコプターをはじめとした連絡機の発着回数も当然多くなってくる。だから、騒音を出さないというが、この点だけでも、集団司令部が移るということによって、全国の航空群に対する指導、連絡、そういった点からも、当然、航空機の離発着も多くなる。航空機を持たない四十人、そんなことじゃないでしょう。この点は、どうですか。
  205. 大西誠一郎

    ○大西政府委員 航空集団司令部が、集団隷下の部隊の指揮をする機能を持っております関係上、通信その他の手段部隊の連絡をはかることは当然でございます。しかしながら、これが直ちに、非常に多くの航空機の運航を招くということにはならないと思います。
  206. 中路雅弘

    中路委員 いま二、三例をあげましたけれどもただの四十人と絶えず言われる、集団司令部移駐するということが、現地の住民の人たちや市町村が言っているように、基地の恒久化ということだけではなくて、基地性格にどれほど大きな重要な変化をもたらすかということを、あなた方はごまかしていこう、そのために四十人だから、航空群の中にとうに入っているのだ、こういうことで欺瞞しようとしていられるわけですが、私は、もっと重要なことは、この集団司令部移駐して、じゃ、どの施設に入ったのですか御存じですか。
  207. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 航空集団司令部移駐後入りました建物は、厚木飛行場の中にあります第五十九号建物の一部でございます。
  208. 中路雅弘

    中路委員 その建物は、地位協定のどの条項の建物ですか。
  209. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 これは、昭和四十六年七月一日から、厚木飛行場を二条四項(a)地区、二条一項(a)専用地区、二条四項(b)地区と分けました中の二条四項(a)地区で、米軍の管理のもとに自衛隊共同使用している地域で、建物もその性格に属するものでございます。
  210. 中路雅弘

    中路委員 私も、現地に行って、どこに集団司令部が入るのだと聞きましたら、いまおっしゃった二4(a)の施設に入る、あの建物の中の、正面を入った左の、それの五割、六割を使う。先ほども問題になりましたが、地位協定のこの二条四項(a)というのは、「合衆国軍隊が施設及び区域を一時的に使用していないときは、日本国政府は、臨時にそのような施設及び区域をみずから使用し、」ということがありますね。臨時に使用するわけです。アメリカが一時的に使用していないときに臨時に使用するということになっているわけですが、この集団司令部が二4(a)の施設を使用する、これについての協定はありますか。合意はどこでやられたのですか。
  211. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 この建物に集団司令部が入るというような合意ではございませんが、昭和四十六年の六月二十五日に日米合同委員会共同使用に関する合意が成立し、七月一日から発足したわけでございます。個々の建物及び面積につきましては、合意の内容に記載されておりますが、その建物の個々の共同使用の取りきめにつきましては、現地において日米間で取りきめるということになっております。
  212. 中路雅弘

    中路委員 その取りきめの文書というのはありますか。二4(a)に対して集団司令部が入る、使用する、その使用についての現地の取りきめの協定書というのはありますか。
  213. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 個々の建物にどういう部隊が入るとか、どういう使用をするとかいうような取りきめは行なっておりません。どの建物、あるいはどの建物のどれだけの部分を自衛隊が二条四項(a)で使うか、それから、そういうことに使うことによりまして電気、水道、ガス等、もし経費分担等の必要があれば、その分担の方式はどうするか、そういうことを、現地協定で取りきめるたてまえになっております。
  214. 中路雅弘

    中路委員 集団司令部というのは、性格は最高の指導組織ですね。皆さん厚木移駐するというのは、今後、永続的に継続的に長期にこれを使わしてもらいたいということで入るわけですね。集団司令部は、そういう意図で入るということは、皆さん答弁からはっきり出てきているわけです。この集団司令部は、これから継続して長期に厚木に居すわる、この司令部が、一時的にアメリカが使用してない施設を、しかも臨時に使用すると規定にある二4(a)のこの施設へ入る、これは地位協定からいって、全く解釈できないできごとではないですか。この点は長官、どうですか。
  215. 山中貞則

    山中国務大臣 ただいまのような考えから、地位協定を厳密に解釈いたしますと、先ほどの大出委員と議論しました二4(b)の議論とは、やや性格を異にいたします。  そこで、これは解釈上、やはり問題がありそうであるということで、私どもとしては、これの返還を受けて、そして正規の自衛隊専用施設として、地位協定から見ても、合理的で一点も問題はないという措置をとるのが妥当であろうということで、その線で協議中であります。
  216. 中路雅弘

    中路委員 この地位協定の二4(a)の施設に集団司令部が入るということは、この地位協定の解釈からいっても不当だ、どんなに拡大解釈しても、これは、ちょっといかぬということはお認めになった。将来返還を受けて専用にしたいと、いまお話になった。  しかし、いま現に、集団司令部は入っているわけです。地位協定でも違反するような入り方で入っているのだから、これだけでも、少なくともいますぐ一ぺん退去しなければいけない、戻らなければならぬ。こういう法に違反して建物に集団司令部が入る、入ったまま協議するということは許されないでしょう。やはり集団司令部は、この点からも一度下総に引き揚げていくのが当然ではないですか。これは地位協定の解釈からいっても、いま長官の言われた点でも当然じゃありませんか。地位協定の上でも、法に違反した形で集団司令部が入り込んで、そのままこれからアメリカとどういう使用形態にするか協議する、こんなことは許されないと思うのです。
  217. 長坂強

    長坂政府委員 地位協定の二条四項(a)には、米軍が使用していないときには一時的に使用することが許されるわけでございますので、当面といたしまして、先生御指摘のような地位協定上不適当ではないかという御指摘は、実は当たらないのではないかと思います。  しかし、航空集団司令部というような、いわゆる継続的な使用をしていくであろうというような性格のものでございますので、これは先ほど長官から御答弁がありましたように、この部分は国に返還を受けまして、そして自衛隊の専用施設として手続をとるほうが、今後においてはよろしいであろう、こういうことでいま手続を進めておるわけ、でございます。
  218. 中路雅弘

    中路委員 私の言っておるのは、この集団司令部は、性格がはっきりしているわけでしょう。臨時に行くわけじゃないのですよ。これからずっと厚木に長期に居すわる、継続して向こうを使用する、そういう性格をはっきり持った集団司令部集団司令部機能だとか性格からいって、そういう部隊でしょう。それが臨時に使わしてもらう。  これを、もっと正確に言えば、アメリカのほうでは、きょうでもちょっと必要だから出ていってくれといえば、出なければならない、そういう性格のものでしょう、二条四項(a)というのは。そこに入る。またアメリカのほうも、集団司令部は、そういう性格を持ったものだということを知って入れてしまう。この使用については、両方が違反しているわけですよ。  あなた方、四十人、四十人と言うなら、二千人の中の四十人ですよ。航空群の司令部も移っているのだから、四十人だったらあの司令部の中に入れるでしょう。なぜ、わざわざ航空群司令部から——先ほど長官は、集団司令部と航空群とは一緒にいなければ困るということを盛んに言われた。だから移る、現地に行ってみたら、まるっきり離れているじゃないですか。航空集団司令部と航空群の司令部とまるっきり離れている。アメリカの司令部のある建物の中へ、この四十人の集団司令部だけどうしてあれだけ離れたところに入るのですか、しかも地位協定にも解釈のできない形で。
  219. 長坂強

    長坂政府委員 私も、最近、現地に行って見てまいりましたけれども、ちょっと小高いところにございまして、いわゆるこの場所は、司令部としてふさわしいというふうに考えるのは当然であろうと思います。  ただ、いま私は、当面のことと今後のことに分けてお答えをしているわけでございまして、当面のこととしては、地位協定上不適当なというわけにはまいらない、しかし今後のことにおいて、これは、やはり長期、継続的使用ということを考えておるわけでございますけれども、これは米軍ともしっかり話し合って、返還を受けまして、自衛隊の施設にいたしたいということでいこうと思っておりますので、これでよろしいのではないかと思います。御理解をいただきたいと思います。
  220. 中路雅弘

    中路委員 分けることができないのですよ。集団司令部そのものが、長期に継続して使用するということを、機能からいっても、性格からいってもはっきり持っている集団司令部なんですよ。そういうことがはっきりしている。それに対して臨時に提供する、アメリカのほうも、それを貸すのはおかしいし、また臨時にしか入れないところへ入っていく。当面も長期もないじゃないですか。  これから話し合うわけでしょう。長期にいたいと思っても、アメリカのほうが困るといったら、どうするのですか。返還しないといったらどうするのですか。
  221. 長坂強

    長坂政府委員 場所は、そういうかっこうの場所でございますので、意を尽くして米軍にも話をすれば、これは人間同士のことでございますので、米軍のほうに格別の支障があるというならば別でございますけれども、ひとつ了解を得るようにつとめてまいりたいと思っております。  それから、もっと先にそういう解除の手続をすればよかったのでございましょうから、急いでこれは返還の手続を受けたい、こういう態度でおります。御理解ただきたいと思います。
  222. 中路雅弘

    中路委員 長官、これは地元が全部あげて反対している、しかも了解なしに移駐してきた、強行したのです。防衛庁のほうは、地元と協議するということがたてまえなんだということをいままで言ってこられた。この点でも、先ほど大出議員が言ったように、一ぺん引き揚げて地元と話をしなければいけない。しかも、その強行の抜き打ち移駐が、いま言ったように、地位協定でも皆さんのほうも解釈に困るようなところへ入り込んでいる。だから二重、三重に——今度のこの移駐については、三十分もあれば帰れるのですよ、ヘリコプターで。一ぺん引き揚げて、もう一度地元とこの問題について話し合う。これはだれが考えても当然のことじゃないですか。法でも説明できないようなところへ、しかも一方的に強行して入る。そのまま居すわってしまう。そしてアメリカとこれから交渉して、いつになるかわからない、返還を受けて使うのは。こんなむちゃなやり方は許されないじゃないですか、どうですか。この点でも、一度集団司令部を引き揚げて話をする。  皆さんの言うように、返還してもらいたいならば、その交渉をやって合意を得る。使用の形態については、合同委員会を通じて日米の両方の間で合意された場合に限るとなっているのです、使用のいろいろのこの形態については。この手続をきちっと踏むべきじゃないですか。
  223. 山中貞則

    山中国務大臣 これは、抜き打ちとおっしゃいますけれども、私がさっきから言っているのは、もうすでに少しずつ入っていることも、地元で認めているわけでありますから、集団司令部そのものについて、実は合意に達する見込みがなくなった、したがって引き揚げて、さらに相談してみろとおっしゃっても、おそらくうんとおっしゃらないでしょう。われわれとしては、その点は結果的に抜き打ちといわれても認めますが、万やむを得ませんでした。しかし、これは政党によって違いますから、私たち立場では、やはり集団司令部というものは、あそこに置かなければならないという編成上の立場は捨てることはできません。  さらに、地位協定の問題で二4(a)から解釈して問題があるとおっしゃるならば、私たちも、その問題については、研究をして返してもらおうということをやっておるわけでありますから、返してもらうまでの間一時的にという、これは何も詭弁ではなくて、そういう方法で使っておりますが、それをしも、米側が使うことを認めない、すなわち、その後段の米側に支障があるというようなことでありますなら、これは私たちは、厚木基地内のほかの場所に移してでも司令部はやはりあの基地内に置かなければならぬ、そう思っております。
  224. 中路雅弘

    中路委員 たとえば、いま置いてもらわなければ、ほかの基地にも移さざるを得ないという話もありますけれども、そういうところへまず入ってくるという中に、今度の移駐の問題の非常に隠された大事な問題があるんじゃないか。この厚木の航空基地に、アメリカの太平洋艦隊の航空司令部があることも御存じだと思う。  結局、航空集団司令部移駐によって、しかも同じ建物の中に、二4(a)の中に入れさせてもらう。日常的な幕僚の間の協議も行なわれる。いわゆる日米の共同作戦といいますか、そういう体制が、ここで日米の海軍の共同作戦の体制の根拠地がつくり上げられる。だから、アメリカのほうも、こういう協定があっても受け入れて、二4(a)の施設へ集団司令部を入れる。あんな離れたところでも受け入れる。  こうして厚木基地が、ミッドウエーの艦載機の母港化とも関連して、日本とアメリカの海軍の航空部隊の両方の一大根拠地にされる。これが一そう基地の強化あるいは恒久化につながる。これを皆さんが心配して、おそれて、いままでその集団司令部移駐については反対してこられたわけですね。だから、私は、集団司令部のこの移駐が、わずか四十人だとか騒音をまき散らさないとか、絶えずこういうことで、防衛庁がこの移駐の重要なほんとうの意図をごまかそうとしておる、これは許せないことだと思う。  重ねて言いますけれども、こういう地位協定上も問題がある施設に、しかも一方的に強行で入ってきている、この集団司令部は一度引き揚げる、これは、もう当然のことだと私は思いますけれども、いま長官は、なかなかそのことについては承知をされない。  論議をしながら続けていきたいと思うのですが、いまの移駐後の状況を資料でいただきましたが、千四百八十人と三十五機、先ほど大出委員も取り上げました二十五日の申し合わせ事項の中に、「防衛庁は、五十機、二千人の規模について検討を開始し、その結論を得るまでの間約三十五機、約千五百人の規模は拡大しない。」というのがありますが、このあと残っているのは、五一航空隊というお話だったですね。この五一航空隊は、どういう任務を持っているのですか。
  225. 丸山昂

    ○丸山政府委員 五一航空隊は、航空集団直轄の航空部隊でございまして、海上自衛隊航空機の運用についての調査研究、試験、それから航空部隊の教育訓練、指導、こういったのが任務でございます。
  226. 中路雅弘

    中路委員 いま言われたように、これはパイロットの教育訓練を行なう部隊ですね。実戦部隊じゃない。実戦部隊と中枢機能はもう全部移っちゃった。五一航空隊が残っておりますが、地元市長を先頭にして反対があるから、この三十五機、千五百人に一応とどめて検討するんだ、この前長官に会ったときもそういうお話だった。しかしこの五一航空隊は、将来移りたいと先ほどお話になりましたけれども、四十九年度の業務計画を見ますと、五一航空隊は、四十九年度にはまだ厚木に移る——これは去年の八月につくっている計画ですね。四十九年度のこの計画の中にはない。移る計画がないんじゃないですか。そうでしょう。
  227. 山中貞則

    山中国務大臣 四十九年度中の計画にはございません。
  228. 中路雅弘

    中路委員 だから、初めから去年の八月に立てた計画の中に、五一航空隊が四十九年度に厚木へ移る計画はないのですよ。初めからないんです、四十九年度に。それを市長がすわり込んで抗議をした。毛布を持ってすわり込んだから、あたかもそういう地元反対があるから、二千人、五十機だけれども、このいま入った千五百、三十五機に一応とどめて協議をします、検討しましょう、こういう申し合わせをつくって、市長ががんばったから防衛庁も配慮したんだと言わんばかりの申し合わせをつくっている。初めから四十九年度にこの五一航空隊が行く計画は、いまおっしゃったようにないのでしょう。だから、今度入ったのは、計画の中枢部隊と実戦部隊は全部行ったんですよ。抗議があったから一部移駐をとどめた、そういうものじゃないのです。  この申し合わせは、明らかにその点では欺瞞じゃないですか。二枚舌使っているんじゃないですか。初めから四十九年度に計画のないものを、それを、あたかも抗議があったから先へ延ばしたんだ、検討するんだ、これは全く長官も、長坂参事官もペテンを使っているんじゃないですか。
  229. 山中貞則

    山中国務大臣 それは違うんであって、その後、申し合わせについては、四十九年度中にふやさないとか、そんなことは書いてありません。これは最終的に約二千名、五十機ということについて検討しようというんでありますから、申し合わせをした以上は、検討いたしますから……。その検討の対象は何かといえば、それは四十九年度に予定していようといまいと、最終的な五十機の総機数と、それから約二千名のその数というものについて、地元の御意向をよく拝聴して、そしてできるだけの検討を加えてみましょう、こういうことでありますから、市長さんをペテンにかけたって、それはものの一週間も発覚しないで済むわけないんで、私が先ほどから言っているように、国の問題で、国民との間の問題に、たまたまそこに基地があるから、市町村長さんが巻き込まれていくということを最大限避けなければならぬと思っていますから、ましてや市長さんをペテンにかけるような気持ちなども、あるいはその文章の行の間にもペテンにかける意思などは全く入っていないということは、信じてもらいたいと思うのです。
  230. 中路雅弘

    中路委員 もう少し聞きますが、下総の基地、これは先ほど答弁もありましたけれども、鹿屋の教育航空群も移駐しますね。宇都宮も移る。だから、下総基地というものは、いわばこれから教育訓練の部隊の中枢になっていく。たとえば戦時中の霞ケ浦、そういう基地として使用されるのではないかと私は思うのです。  この五一航空隊というのは、先ほどお話しのように、パイロットの教育訓練を行なう部隊ですし、厚木の場合は、米軍機を含めて文字どおり実戦部隊基地ですから、この実戦部隊と教育訓練の部隊が同居するというとは、軍事的なあれから見ても、基地の使用形態からしても、むずかしい問題もあるのじゃないか。  この五一航空隊は、むしろ下総に置いたままで、下総を全体として教育訓練の部隊の中枢にしていく。いま送らないとか検討中だとか言っていますけれども、それに反対があったから、これは思いとどまると言われるかもしれないけれども、初めから下総については、そういう基地として使用していこう、五一航空隊もその一環として置いておこう、そういうお考えもあるのじゃないですか。これはどうですか。
  231. 丸山昂

    ○丸山政府委員 確かに五一航空隊は、教育訓練の指導というのを任務にしておりますけれども、同時に、航空機の運用について調査研究、あるいは試験をする。つまり航空集団として必要な機能をあわせて持っておるわけでございます。  したがいまして、ほかの航空隊と違いまして、五一航空隊には、非常に種類の違う、各種の航空機が配備になっております。いま、おっしゃるように、確かに下総は、教育航空集団が今度移りまして、これからは海上自衛隊の航空のパイロットの養成の中枢ということになる、これはもう間違いございませんけれども、五一航空隊は、ただいま申しましたように、航空集団直轄の部隊でございます。いま申し上げましたような機能がございますので、行く行くは、やはり厚木のほうに移したいというのが、私ども事務レベルでの考え方でございます。
  232. 中路雅弘

    中路委員 先ほど、この五一航空隊の編成についても、数字の食い違いがいろいろ問題になりました。あるいは二千人、五十機は、当然あとにもこの中に含まれていなかった、去年の十月六日に新設の航空管制隊も、現地に置かれているというのを見た場合に——この二千人、五十機というのは、二千人、五十機の内容が明確にされているのではなくて、将来の増強も見込んで二千人、五十機という一つのワクをきめた。いま移る部隊という五一航空隊は、将来の問題として検討しているとすれば、いま、移りたいと考えていた中枢機能部隊と実戦部隊は、全部移っちゃっているわけですから、いま移るにしても三十五機、千五百人しかないわけですよ。初めから二千人、五十機といっても、現在、厚木に移るのは一部じゃない、全部移っちゃって、それだけ。だから、この二千人、五十機というのは、さらにいろいろ将来の航空機も含めて増強のワクを考えて、そして地元にぶつける、こういう数字ではないかと私は思うのです。  だから、部隊の中身がいろいろ違っちゃうわけですね。これは約束のとき、実際はどういう人員で、航空機はどうだったのかということを質問されても、ばらばらの数字しか出てこない。こういうふうに将来の見込みまで置いて、現在は一部じゃない、もう全部移って、それだけしかない、しかし将来の増強も考えて二千人、五十機というのを出されたのではないか、こういうふうに思うわけですけれども、この点は長官、どうですか。
  233. 山中貞則

    山中国務大臣 これは当然二千人、五十機というものは、積算の基礎があってのことでありますが、先ほどから申し合わせをしておるではないかということは、そういう予定でおりますが、しかし移駐に際しての地元市長さん、町長さん等の御意向あるいは地元市議会等の御意向もありますから、それらの規模については、地元の御希望をくみながら、反映しながら検討してみましょうということを申し上げているのであって、ただ当てずっほうで二千人、五十機ということを言っているわけではないわけであります。
  234. 中路雅弘

    中路委員 当てずっぽうではなくて、現在、移駐するのは全部なんですね。いま移りたのは全部なんですよ。そうですね。千四百八十人、三十五機というのが全部なんですよ。一部を移して、いろいろ抗議もあったから、あと部隊はまあ検討しましょう、そうではない。いま移したのは、全部移っている。二千人、五十機というのは、将来の増強も見込んで立てられている。  正確に言いますと、それについては、検討しましょうというこの申し合わせなんですね。市長さんなんかがすわり込んだから、防衛庁長官も配慮してくれて、一応いまのところでとどめる、そういう理解で書いておるわけですね。これは全く私は地元をごまかすものだと思うのです。現在、移りたいのは全部移っちゃっている、このことは、はっきりさせておかなければいけないと思うのです。  もう少し進みますけれども、先ほども読まれましたけれども、この中に「将来、大幅な増強のため、今回の自衛隊の使用計画を著じるしく変更し、当該飛行場内諸施設の新設若しくは拡張又は隊員及び航空機の増強を大幅にはかるときは、あらかじめ大和市に協議する。」というのがあります。いま言いましたように、二千人、五十機というのは、現実にそれだけ移る部隊ではない。千四百八十人と三十五機、これがいま移りたい全部だということが確認されるとすれば、二千人、五十機ということで、あくまでワクがあるから、これまでは協議しなくてもいいんだということではなくて、いま千四百八十人、三十五機、しかもその中に地元反対している集団司令部も入っているという状態ですけれども、これの将来大幅な増強をはかるというのは、二千人、五十機という現実にいままだない部隊だが、移ることがはっきりしている、そういう対象を含めて考えるのじゃなくて、そこのところは明確にしておく必要があるのじゃないか。二千人、五十機まではどんどん増強できるんだ、これでは困ると思うのですが、その点はどうですか。
  235. 山中貞則

    山中国務大臣 厚木基地機能としては五十機、二千名というものを考えております。しかしながら、今回の移駐は、三十五機の千五百人弱である、このことは事実であります。  しかし、これからは、部隊の再編、整備というのは絶えずやってまいりますので、機能の向上その他——たち立場からは、純粋にそういう意味で系統の再編成とか部隊の新編とかがあります。そういう意味で、厚木基地としては、最終的に約二千名の五十機という規模のものにしたい。これは四十六年において、その限りにおいては合意に達しておる。  しかし、いま移っておる残りについて、これをいつまでに、どれぐらいのものでということを、あくまでも五十機、約二千人に固執するかしないかという問題で——市長さんたちの御意向というものを反映しながら、それについて検討をしてまいりましょうというのでありますから、ペテンにかける気持ちなどは、さらさらございません。
  236. 中路雅弘

    中路委員 こういう約束をされていても、現実に、私は十二月二十日に、自衛隊管理のところだけですけれども、視察をさしてもらった、現地を見てみると、皆さんが約束されていること、あるいは地位協定できめられていること、これから見ても、驚くようなことがいろいろあるのです。  ここに施設の新設のときは、地元と協議するというのがありますが、その一つでお尋ねしますけれども、いまつくられている計器誘導着陸装置というのがありますね。これは明らかに新設でありますけれども、この計器誘導着陸装置、新設のGCAですね、これは地元と全く協議されてないですね。これは、どういうことですか。
  237. 長坂強

    長坂政府委員 四十六年の十二月二十日の文書をよく読んでいただくと、おわかりいただけると思いますけれども、五十機、二千人に伴いますところの施設というものについては、もう了解に達したわけでございますので、それについては、別段あらためて協議をしようなどということは書いてないわけです。  それ以上、将来にわたって五十機、二千人以上に今度は規模を、いわゆる著しい変更をする場合ですね、一飛行隊以上の増強の場合、そういうことに伴ってのものは、協議いたしましょうというふうに書いてあるわけでございます。その点ひとつ、誤解のないようにお願いいたしたいと思います。
  238. 中路雅弘

    中路委員 いま聞いたのは、そうじゃないんだ。施設の話をしている。ここに、四十六年七月一日、横浜防衛施設局長大和市長に出した文書ですが、いまの部隊の問題について、先ほど長官に聞きましたけれども、その中で、たとえば「諸施設の新設」というのがありますね。これも「あらかじめ大和市に協議する」となっているのです。三項目。
  239. 長坂強

    長坂政府委員 これを、よくひとつお読みいただきたいと思いますけれども、「将来、大幅な増強のため、」とあるわけですね。これは、このときに申し上げました五十機、二千人の文書じゃないのですよ。将来、五十機、二千人をこえて大幅に増強するとき……。(中路委員「それは一飛行隊以上とあなた言っているでしょう。いまは新設の話をしている。」と呼ぶ)そのために「当該飛行場内諸施設の新設若しくは拡張又は隊員及び航空機の増強を大幅にはかるときは、あらかじめ大和市に協議する。」とあるのです。これは四十六年の当初からやっておりますので、いろいろないきさつがございます。あるときは、要望書の中にも、こういうことは非常に問題であるけれども、こういう自衛隊等の使用ということは、市民としては絶対容認しがたいのだ、よって政府におかれては、予測される市民との衝突を避け、本市の協力を求めるのならば、こうやってもらいたいというようなことまでも二月ごろに出ているわけですね。  だから、そういう過程があるものですから、この文書だけを単に読むと、これは何をさしているかおわかりにならないかもしれませんけれども、市との間では、これは五十機、二千人以上を、さらにこえる場合のことをいっているんだということになっているわけでございます。
  240. 中路雅弘

    中路委員 私の聞いていることは、具体的な施設のことで聞いているのです。現地で見てきた計器誘導着陸装置ですね。これは新設じゃないかということで、市議会でも問題になったのです。この施設についてどうかということを言っている。
  241. 大西誠一郎

    ○大西政府委員 着陸誘導装置についての経緯を申し上げますと、厚木基地海上自衛隊が移りました時点において、米軍はGCAの器材を撤去いたしました。自衛隊は徳島からGCAの器材を持ってまいりました。その器材が古い器材でございますので、その更新をはかるために、四十七年及び四十八年度の計画をもって新しい器材を入れ、かたがたターミナルレーダー管制業務を行ない得るように、その他の器材を若干追加いたしまして、現在、その機能の整備をはかっているわけでございます。
  242. 中路雅弘

    中路委員 古いものを新しいものにかえた、そんなものじゃないのです。計器誘導装置の機能、これは、もう皆さんも御存じのとおり。  私のほうから、時間を節約する意味で言いますけれども、いままでの管制は四十キロ、大体半径四十キロ以内のもの、これが今度のつくられている計器誘導着陸装置は半径九十キロ、拡大されている施設です。相模湾一体までカバーできるわけですね。  これは結局ミッドウエーの艦載機用ですね。ミッドウエーの艦載機やこの艦載機の作戦行動能力、これを大幅にアップする、そういうことを含めて新設されているのです。これは現地へ行って調べても明確なことなんです。しかも現地で聞きましたら、いままで使っている古いのと併用するというのです。古いのを新しいのに切りかえたのじゃないのです。いままでのやつは、そのまま使うのです。それに加えて、この九十キロ半径を持つ新しい計器誘導着陸装置をつくるわけですから、明らかにこれは新設なんです。単に古いのを少し新しいのに切りかえようじゃなくて、機能からいっても、これからの使用のやり方から見ても、これは新設であるということは明確じゃないですか。
  243. 大西誠一郎

    ○大西政府委員 問題が二、三ございますが、順序を追って御説明申し上げますと、まずGCAの器材と、それからこれから計画をいたしておりますターミナルレーダー管制用の器材は、レーダーにつきましては、性能の少し高いものと普通のものということがございますけれども、ほぼ同じであります。  現地で御説明を申し上げましたレーダーの到達距離は、GCAの業務をやる場合の機能と、それから同じレーダーを用いまして、ターミナルレーダー管制をやる場合の機能の相違を申し上げたわけであります。つまり現在、相模湾のふちまで厚木から約十七ノーチカルマイル、約三十キロございますが、これは従来GCAによって飛行機を着陸誘導する場合の用いている距離でございます。それから今後、タミナルレーダー管制業務、ラプコンによって航空機の出発、進入のレーダー管制をやる場合には、グリーン4のふちまで、つまり六十ノーチカルマイルぐらいまでの空域について管制を行なう、そういう趣旨でございます。  それから第二点は、更新ではないという御指摘でございますが、これは私、正確に確かめておりませんけれども、従来のGCAに用いておりましたレーダーをアルタネートとして置いている、そういうふうに理解しております。  第三番目、米軍の艦載機の厚木の使用に関連をした計画ではないかということでございますが、もともと海上自衛隊の用いております航空機は、低空で海上のほうに進出していくわけです。約五千フィート以下で相模湾方面に進出をいたしますが、従来は横田の広域管制を受けて厚木の飛行場は離発着をしておる。ところが、そういう低い高度の離発着については、十分でないということで、わざわざ厚木ではレーダーのアンテナを二十五メートルに上げて、十分低いところをカバーできるような方法を考えてやっているわけでございまして、もちろん厚木に出入りする米軍機が低い高度で入ってまいります場合には、その装置の適用を受けるわけでございますけれどもただいま申し上げましたように、艦載機のためにやっておるわけではございません。
  244. 中路雅弘

    中路委員 これは、あとでまた御質問しますけれども、滑走路の使用も七割、八割が米軍機なんですよ、実際には。ミッドウエーの艦載機を含めての機能アップですね。作戦能力を高めるということも含めて自衛隊がこの新しい装置をつくった。しかも、それは現地で私自身が確かめてきたのです。併用だということですから、これは明らかに新設なんですね。だから、ここにこういうように一つずつ約束をされていても、全くこの約束が守られていない。先ほど一番最初にお話ししたように、協議するということは、あくまで一方的な通告、それでどんどん進めていくということしかないわけです。  もう少し現地を視察したことに基づいてお聞きしたいのですが、先ほど大出議員が二4(b)の問題について幾つか質問されました。  最初に一つ管制塔の問題で聞きたいのですが、滑走路、管制塔、格納庫、こういった点は二4(b)になっているわけですね。管制塔も中に入って見てみましたけれども、これは二4(b)の施設ですが、この管制塔を見ますと、管制塔の四階は、標識も出ていますけれども、米軍専用の部屋になっていて、アメリカ軍が常駐している部屋であります。話を聞きますと、ミッドウエーが来て、艦載機が来て以後——それまではアメリカ軍は常駐していなかった。ときどき来ていたが、それ以後は、専用の部屋になって専用の提供した施設というような状態になっているわけです。  これは四階で見たのですが、この四階の部屋は、米軍が何をやっている部屋なのか、また米軍専用に四階の部屋を使用しているわけですが、これは二4(b)のどういう使用の形態なのか、いつの合同委員会でこういう使用がきめられたのかということをお尋ねします。
  245. 長坂強

    長坂政府委員 いま御指摘の管制塔の、米軍が使用いたしております個所は、正確には二階だと思います。それで先日、先生に年末にお会いいたしましたときに、この点に関する御指摘がございましたので、私、実情把握のために、実はせんだって行ってまいりまして、よく見てまいりました。  それで、この部屋は、タワーに直接くっついております建物がございまして、その二階が、かなり広いところでございますけれども、そこが自衛隊の気象室になっております。気象の観測データを集めくいる部屋でございます。その観測データを受けまして、その米軍の気象室、これは大きさは大体四十平米から五十平米くらいの大きさの部屋になりますが、机などがありますので、案外小さく見えますけれども、これが当日、飛行いたします米軍のパイロットに対しまして、米軍の担当者が、日本の全国の気象状況及び飛来しようとする方向の気象状況をパイロットにブリーフィングをするわけでございます。これは航空機の安全上必要であるからということで——これは確かに米軍としても必要でございましょう、そういうための部屋は。  それで、これは、まさに先生御指摘のような地位協定上の取り扱いについて、私どもも疑義を感じております。したがいまして、これは米軍側としても必要、しかし、これはあくまでも気象上の情報を得、これをブリーフィングするところという航空安全上の事柄でありまして、それ以外のことはやっておりませんので、これは、やはり二1(a)の米軍専用の部屋として認めていったほうが、私はいいというふうに判断をいたしております。  それで、この四十六年当時、そこまでのきちっと、こまかい一室でございますので、閣議決定までも出ているわけではございませんが、それを施設委員会、合同委員会及び閣議報告というような形で、米軍専用の四十平米あるいは五十平米というような面積をきちっといたしまして、専用の部屋にむしろしたほうがいいのではないか、そのほうが航空安全の目的が果たせるのではないか、こめように考えておるわけでございます。御指摘のとおりでございます。
  246. 中路雅弘

    中路委員 今度は、そっちから、いまの使用はまずいということを言い出されたのだけれども、さっきの二4(a)もそうです。二4(b)のこと一つを聞いても、みんな地位協定の解釈でまずいということになってきている。  今度の場合でも、明らかにこれは、いま言ったように米軍のほとんど専用なんです。専用の施設なんです。これを二4(b)で提供することは、全く不当なことですね。   〔委員長退席、小宮山委員長代理着席〕  そこで、米軍が、しかしそういう使用形態をとっているわけですから、それは、いまおっしゃったように地位協定からいってもまずい。使用の形態を変えるというならば、それまでこういう不当な入り方をしている米軍は一ぺんどいてもらう、出てもらう、これが当然じゃないですか。さっきと同じように、不法な使用の形態をみんなそのまま許している。  私が半日見ただけでも、厚木の使用形態なんというものは、いまの地位協定上みんなめちゃくちゃなんです。二4(b)も二4(a)も全く混同してしまって、まるっきり日米共同使用、費用だけ日本が負担している。経費だけ全部日本が持って、アメリカが専用で使っている。この二4(b)は、自衛隊の管理でしょう。経費は全部自衛隊が持つというより、国民の血税で持っているわけだ。それでアメリカが専用で使っている。これが厚木の実際の、私が行って見た実情なんです。  それで、質問したら、最初に、いやまずいのだ、自分も見に行ったが、まずいのだ、まずいのだったら、米軍をどかさなければだめです。それからの話でしょう、どういう使用をするかということは。すぐ撤去させますか。
  247. 長坂強

    長坂政府委員 先生の御指摘の点につきましては、もろもろの点につきまして、私ども考えているところはこうだというふうに申し上げているケースもございますけれども、この管制塔につきましては、先生の御指摘のとおりである、すなおに私ども改むべきものは改めたい、こう考えておりますが、現地におきましては、いろいろな、実は米軍のほうとの現地における取りきめと申しますか、こまかい部屋の割り振りなどについては、なかなか正規の閣議決定まで上がらないようなものもございますので、それは米軍の退去を求めるよりは、早くこの二1(a)の確認の手続をとりたい、それで決着をつけたい、こういうふうに考えておるわけでございます。  しかし、大体におきまして、いわゆる二4(a)、二4(b)の基本線というものは、私はやはり守られているものであって、これは一つ特別のケースであるというふうに受け取っております。  以上でございます。
  248. 中路雅弘

    中路委員 守られていないのですよ。もうごちゃごちゃになっているのです。混然一体なんです、厚木の航空基地は二4(a)も二4(b)も、さっき言ったように。  それで、アメリカの施設の中に、臨時に使うということが明記されている中に、恒久的に永続的に居すわる部隊が入ったり、あるいは日本のほうが全部費用を負担しなければいけない。滑走路もそうです。四十六年から相当な費用を使っているでしょう。この滑走路や管制塔あるいは格納庫、これに四十六年から四十七年、四十八年、どれぐらいの経費が使われているのですか。また四十九年度は、どれぐらいの予算が組まれているか。いますぐでなくてもいいですけれども、わかればちょっと総額でも言ってくれませんか。
  249. 長坂強

    長坂政府委員 詳しくは、また後ほど資料を整えまして、お届けいたしたいと思います。
  250. 中路雅弘

    中路委員 これは、私が見たところでは、相当な費用がかけられているわけですね。そして滑走路にしても、実際に、先ほど大出委員も言いましたけれども、七割、八割まで、皆さんの出した資料でも、米軍専用にひとしいような使い方もしているわけです。そして管制塔も二4(b)の中に専用の部屋まで与えて、全部費用を日本が見ている。  地位協定というのは、経費も管理権も明確にして、経費をごちゃごちゃにしない、これの目的があってつくられたと思うのですけれども、これがまるっきりやられていない。  しかも、この二4(a)を見ても、この使用については「合同委員会を通じて両政府間に合意された場合に限る。」ということが書かれてあるわけですから、いま言いましたように、アメリカに出ていけと言うのはどうか——どうかというが、法にはっきり、解釈においても違反しているわけですから、まずそういう違反した使用については出てもらって、それからあと協議する、これが、先ほど言ったのも同じですけれども、二4(b)の場合も当然ではないですか。どうして地位協定にもないような使用をさせておる部屋を、出ていってもらうということが言えないのですか。
  251. 長坂強

    長坂政府委員 よく現地における取りきめも、消防のことに関してはどうするとか、警備のことについてはどうするとか、経費の分担のことについてはどうするとか、いろいろやはり現地で取りきめがございます。その取りきめの中で、米側としての意思としては、当初から、気象のブリーフィングということについては、やはり自分のほうで残しておきたいということは明確に出ておるわけでございます。  ただ、それが閣議決定というような大きな書類になりますというと、そういう微細な点まではうたわれていない。合同委員会においても、そういう微細な点まではうたわれていないということから、つながりが必ずしも明確になっていないので、そこで、つながりを確認する意味の手続を私はとりたい、こういうふうに考えておるわけです。御理解をいただきたいと思います。
  252. 中路雅弘

    中路委員 滑走路や管制塔が、この二4(b)に使用転換になりましたね。このときの協定書というものは、当然ありますね。使用の目的について協定がありますね。この厚木基地の、少なくとも滑走路、管制塔、格納庫、この施設についての、四十六年七月一日のときの合意した協定書は出していただけますか。
  253. 角谷清

    ○角谷説明員 合同委員会の合意書というものは、通例お出しできないことになっております。ただ、まあ前例等を見ますと、要旨等は出している例もあるようでございます。その辺は、アメリカ側の意向もございますので、検討させていただきたいと思います。
  254. 中路雅弘

    中路委員 いま私は、現地を見た事実でお話ししておるわけで、明らかに地位協定にも違反するような使用がやられておるということで、きょう質問しておるわけです。その点で、この二4(b)に合意をされた使用目的等についても、協議されているわけですから、そういう意味で、この協定書を、どういう協定書がつくられていたのかということも見なければ、一そうはっきりしないという点がありますので、一般的に協定書は出せないというお話ですけれども、いま質問しておる問題と関連があるわけですから、ひとつこの点については、厚木のいま言いました施設についての二4(b)の使用についての協定については提出してもらいたい、このことを重ねてお願いしたいのですが、委員長のほうでも計らってもらえますか。
  255. 角谷清

    ○角谷説明員 御答弁といたしましては、先ほど私が申し上げたような次第でございまして、できるだけお話しの趣旨に沿うよう努力したいと思いますけれども、何ぶん他国政府との関係もございますので、その辺をひとつ御了解ただきたいと思います。
  256. 中路雅弘

    中路委員 これは、あらためてまた質問もしたいので、ぜひ提出するようにしていただきたいと思います。  あと、まだ三人質問者があるので、そう時間をとれないのですけれども、この滑走路の問題も、もう少しやりたかったのですが、大出委員が先ほど滑走路の問題を取り上げました。滑走路についても、これは二4(b)ですが、皆さんから出された資料を見ても、この滑走路の使用は、七割、八割が米軍機が使用しているわけです。  しかも、先ほどの質問にもありましたように、ミッドウエーの母港化と関連して、ミッドウエーの艦載機は、明らかに皆さんの拡大解釈ですけれども、統一見解といわれている二4(b)の使用について、専用施設の出入りのつど、これから見ても、出入りのつどだけじゃないのです。事実上、滑走路を使って発着訓練をやっている。横須賀がミッドウエーの根拠地だとすれば、まさに厚木の航空基地の滑走路は、ミッドウエー艦載機の訓練基地あるいは集結基地として事実上専用基地化している。  これは、専用施設への出入りのつど、たとえば航空母艦が横須賀に寄港するときに、その艦載機が修理や何かのために厚木の飛行場へ来る。そのときに専用施設に出入りのつど使うというのと違って、このミッドウエーの艦載機などは、この滑走路を専用して使っているということも事実はっきりしています。出入りのつどという、この解釈では済まされない事態だと思うのです。七、八割まで米軍が使っていますけれども、この二4(b)の使用について、期間だけじゃなくて、自衛隊が管理しているわけですが、この量的な規制、頻度、こういう問題は、規定の中にはないのですか。二4(b)使用についての量的な規制というのはないのですか。
  257. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 厚木の場合に関しましては、離発着の量的規制というものは、特に規定の中には設けておりません。
  258. 中路雅弘

    中路委員 私は、この点でも、きょう法制局がお見えできないということなので、地位協定上の問題は、またあらためてやらなければならないのですが、厚木の滑走路の使用についても、いまの二4(b)の解釈からいって、明らかにこれでは説明がつかない使用状態なんですね。  この点についても、やはり先ほど大出委員が質問していましたけれども、明確にアメリカへの滑走路の二4(b)提供だとすれば、使用について少なくとも制約を加える必要がある。一定の期間あるいは専用地域への出入りということ、いまの使用形態については、はるかに説明がつかないわけですから、これについて厳格な、検討をして規制をすべきじゃないかというふうに思うのですが、この点はどうですか。
  259. 角谷清

    ○角谷説明員 もちろん協定等は正しく適用されるべきものでございます。  そこで、御指摘の出入のつど云々でございますけれども厚木の飛行場の適用の形態といたしましては、先ほど来御説明申し上げましたとおり、かつての中曽根大臣の言われました形態の中の三番目、出入のつどというように観念いたしておるわけでございます。  したがいまして、もちろん主たる米軍の航空機、艦載機の滑走路の使用ということは、修理、補給等、別途米軍専用地域がございますから、それへのアクセスという面が主であるということは、これは言うまでもないことであります。  ただ、しかしながら、やはり補給とか修理というようなことになりますと、それに伴いまして、やはり若干の飛行活動というものは当然考えられるわけでございまして、そういう意味におきまして、飛行活動というものもあり得るということは、申し上げておきたいと思うわけであります。
  260. 中路雅弘

    中路委員 できるだけ急ぎますが、この使用については、地位協定上の問題だけじゃなくて、たとえば、先ほど引用しましたけれども厚木基地安全対策等連絡協議会、この席上、ミッドウエーの母港化の直前ですけれども綾瀬佐竹町長から質問されている。それについて、アメリカのバーカー司令官が答えたのが、やはり神奈川新聞の四十八年三月八日号に出ていますが、「母港化されても厚木基地での米軍の飛行は過去一年間の状況以上には悪化しない」ということを答弁しているんです。ミッドウエーが入ってきても、アメリカ軍の厚木基地の使用はほぼ変わらないのだということを答弁していますけれども、十月に入ってきてからの皆さんのほうから出した——皆さんが管制しているわけですから、出した資料を見ても、十月からアメリカの航空機は一カ月間五百機ずつふえているじゃないですか。皆さんの出した資料にありますね。五百機ずつ十月からは使用がふえている。そして八割近くの使用になっているわけです。  現地へ行きまして聞きますと、ミッドウエーが入ってきた十月の上旬の三日間をとっても、通常の発着回数の二・五倍から三倍の発着回数になっている。九〇%以上がジェット機です。基地周辺の騒音も、百三十ホン以上をこえている、ふだんの三倍以上の騒音になっているというところから、この騒音あるいは墜落の不安、そういうものが住民の間に一そう広がっているということは事実なわけです。実際に、ミッドツエーが入ってきても、騒音やあるいはそういうものはふえないのだ、使用の回数もあまり変わらないと言いながら、事実は毎月五百機ずつふえている。しかもその滑走路の使用も、いま言われましたように二4(b)からいっても、非常に問題がある使用をやっている。  こういう点で、私は、ミッドウエーの艦載機の使用にづいて制限を加え、あるいはこれを取りやめるということについて、外務省を通じて話してみる、アメリカと交渉する、このあれはありませんか。いま長官いないので、どなたに答えていただくか……。
  261. 角谷清

    ○角谷説明員 ただいま、特にミッドウエーの寄港を取りやめるというようなことを申し入れるというような考えはございません。  もちろん、厚木地方の、たとえば航空の騒音であるとか、その他現地の方々に御迷惑をおかけするようなことは、できるだけ避けたい。その趣旨で、必要あるごとに、これは実際上アメリカ側にも申し入れしてございますし、また今後とも、そういう趣旨で、迷惑は最小限にする、かからぬように努力するということ、これは、もちろんわれわれとしても十分気をつけてやってまいりたい、このように考えております。
  262. 中路雅弘

    中路委員 長官がちょっと五分ぐらいということで出ていって、戻ってこないのですけれども、先ほどの私の出した文書について、これは協議の途中の文書ですか。
  263. 長坂強

    長坂政府委員 その当時の事情は、横浜局から施設本庁に、そういった印刷をした紙で相談をいたしましたことは、事実ですけれども、それが正式の決裁を経て、大和市長のところへ行ったり、綾瀬町長のところへ行ったりした事実はございません。したがいまして、発刊番号も、四十六年の七月というところまでは、数字が入っておりますけれども、何日という数字は入っておりませんし、それから発刊番号も入っておりません。そういうことでございます
  264. 中路雅弘

    中路委員 そうすると、飛行場の移転を含め整理縮小と解するというふうに現地へ出せば、あまりにもうそが見え透いているから、これはやめておこう、そういうことですか。
  265. 長坂強

    長坂政府委員 行く行くは、四十六年の十二月二十日に文書が出るわけでございますけれども、その中に整理縮小ということばで表現を見るわけですね。それで、移転というようなことばを使うことは、いかにいろんな将来を見通しても、局長なり施設庁なり、あるいは防衛庁の担当者としては、そういうことは、この段階で言うべきことではないであろう、やはりその努力のできる限界というものもあるであろうという見地から、整理縮小ということばになっておるわけでございます。
  266. 中路雅弘

    中路委員 実際に現地の皆さんは、整理縮小だとか、あるいはある一時期には、移転まで含めた整理縮小に努力しますというふうな、表向きはそれをやろうとされながら、実際は集団司令部を移す、強行するということで、ますます厚木基地機能を強化し、恒久化して居すわっていく、この意図は、二枚舌——先ほど出ましたけれども、二枚舌ははっきりしているじゃないかと私は思うわけです。  その整理縮小にしても、実際に、いまの厚木のイーストキャンプの返還というものがありますけれども、数字をあげてみても、一割どころじゃなくて、何分かしか、一部しか返ってないじゃないですか。数字的にもそうでしょう。極力努力しますというようなことは、全くないじゃないですか。
  267. 長坂強

    長坂政府委員 数字的な資料は別としまして、このイーストキャンプ、それからピクニックエリアの返還ということについても、局長以下、担当者以下それ相応の努力は払ってきたわけでございまして、それ自身も私どもにとっては、たいへんなことであったというふうに実感をいたしておるわけでございます。
  268. 中路雅弘

    中路委員 たとえば、これも現地で見てきたのですが、二4(a)の施設で、ゴルフ場がありますね。現地で聞きますと、この二4(a)の施設、アメリカ管理の施設ですけれども、このゴルフ場で日本人だけが使ってやっているという場合がある。おそらくアメリカの招待か何かと言われましょうけれども、話を聞きますと、三沢では同じようなこういうゴルフ場を、クラブをつくって、金まで取ってやっているということもあったという話を聞いていますけれども、この二4(a)の施設としてアメリカが管理しているところで、ゴルフ場として日本人の使用しているというような、これも実態を明らかにしていただきたいのですけれども、少なくとも広大なこういうゴルフ場の地域が、軍事的基地機能とどういう関係があるのか。少なくとも必要でないところは返還を要求すべきじゃないか、こういうことも現地を見て痛感したわけです。  きょう、いろいろ現地で実際お聞きしたことを、一つ一つお尋ねしたいと思ったのですが、一時間半ぐらいという約束時間も過ぎていますから、たとえばこのゴルフ場の問題、この点についてどうですか。
  269. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 米軍の地位協定上の施設、区域の中にゴルフ場があるということは、そのゴルフ場が米軍人・軍属等の福利厚生施設ということで、地位協定の十五条の施設として該当するものとして認められるべき施設であろうかと思います。  ただ、そのゴルフ場の運用につきましては、たとえば米軍人・軍属だけではなくて、日米親善というような趣旨から、米軍の招待を受けて、日本人がそこでプレーをするというような実態もあるわけでございますが、しかし、あくまでそれは米軍人・軍属の本来の厚生施設であるというたてまえをくずさない範囲において運営されるべきでありまして、一時期、この点国会で御指摘を受けた事情もありまして、アメリカ側に対しても、強くそういった運営についての留意方を申し入れて、十分改善された運営が行なわれているものと私どもは思っております。  また、こういった施設、ゴルフ場というものが、不要の施設であるかどうかということは、あくまで——ただいまも御答弁しましたように、福利厚生施設としての必要性があるわけでございます。ただ、何ぶんにも広大な面積を有しておりますので、そういったものについても、返還の可能性のあるものについては、やはり日本の国土の有効な利用という見地からも、返還を要求する場合もあり得るわけでありまして、たとえば昨年の六月に返還になりました朝霞の南キャンプにありましたゴルフ場部分、百万平米をこえるものも返還を要求して、その実現を見たわけであります。  ただ厚木のゴルフ場に関しましては、先般、現地をごらんになって御理解ただけると思いますが、滑走路部分と兵舎、宿舎地区との間に介在しまして、いわば滑走路の一部着陸帯部分にもかかる保安的な地域でもありますし、立地条件上から、この部分の返還を直ちに求めるということはむずかしいのではなかろうか、そういうふうに考えます。
  270. 中路雅弘

    中路委員 私は、防衛庁や施設庁がいろいろ現地に対して約束をしておられる、そういうことが非常な、ある面ではごまかしのような、実際には基地機能を強化するための表向きの看板のようになっているということを、現地に行っても痛感したわけです。  そして、先ほど長官も言っていましたけれども、たとえば正月の飛行ですね、アメリカ軍に正月の飛行を取りやめてもらいたいということについて外務省に行かれたけれども防衛庁のほうは何か強腰で、外務省が弱腰のように長官は言っていましたけれども、平井部長知っているように、この厚木基地の正月の飛行の問題を中止させるということについては、去年の暮れに私があなた自身に会ったでしょう。二時間にわたって話したじゃないですか。その中の一項目なんです。そして、あなたは、外務省を通じて話をしますということを約束したでしょう。そういうことを防衛庁は全然やってないですか。いろいろの要求について、交渉すらできないというような状態なんですね。  それで、一方で集団司令部移駐させる。いまお話ししましたように、実際に現地に行ってみますと、二4(b)も二4(a)もない。こん然一体とした共同使用ということで、重要なところは、金のかかったところは全部二4(b)、基地の管理や維持の責任を日本が持って、そして日本側の税金を使って、しかしアメリカは、事実上従来どおり、滑走路でも七割、八割までアメリカ軍が使用するというのが、いま厚木基地の実態なんです。  私は、こういう基地の使用は、全国的にもそうたくさんないと思いますけれども、このような厚木基地の使用の形態について、やはり根本的に検討しなければいけないと思いますし、先ほど言いましたように、あなたたち自身が、地位協定からいってもまずい、返還してもらって入らないとまずいと言っているところへ集団司令部が入った。  だから、直ちにこういうところは引き揚げて、地元でもこの集団司令部移駐については、強い抗議の声があるわけですから、当然引き揚げて、使用形態も法的に違反しているわけですから、引き揚げて、地元とあらためて協議をするということを再度要求して、長官が五分と約束して行ったのだけれども、戻ってこないし、あとの質問者もあるし、地位協定の問題は、あらためてまた御質問しますけれども最後に、このことを強く要求しておきたい。長官がいないから、皆さん答弁していただいても、この問題はしようがないですから、これで質問を終わりたいと思います。  このあとで、もう一度地位協定の問題は、機会を見て御質問したいと思いますので、重ねて言いますけれども、協定書については、これは前例もあるわけですね。部分的に、使用の協定書について、すべて出していないというのでなくて、国会でも提出されている、出している前例もあります。私たちの岩間議員が要求して、一部出たところもありますね。そういう点で、ぜひともこれは、論議の対象になっている問題ですから、提出していただきたいということをあわせて申し上げて、終わりたいと思います。
  271. 丸山昂

    ○丸山政府委員 先ほど大出先生並びに中路先生の御質問に関連いたしまして、当方で提出をいたしました五一航空隊の人数の問題でございますが、これが非常にまちまちのような御印象を与えておるのでございますが、これは御要求の時点がそれぞれ違いますので、そういうかっこうになりましたので、全部まとめて申し上げますと、七百という数字は五一航空隊の全体の数字でございます。七百二十でございます。先ほども申し上げましたように、このうち岩国の分遣隊が百六十でございます。したがいまして、現在下総におりますのが五百六十でございます。この五百六十のうち……。
  272. 中路雅弘

    中路委員 私が五百六十と言ったのが、当たっておったんですね。
  273. 丸山昂

    ○丸山政府委員 それは当たっております。五百六十のうち、先ほど四百という数字が……。
  274. 中路雅弘

    中路委員 いや、その五百六十のうち百六十はヘリコプターのほうでしょう。
  275. 丸山昂

    ○丸山政府委員 そうです。百六十がヘリコプターで、四百がそのまま残る、こういうことでございます。以上です。
  276. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長代理 鈴切君。
  277. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 防衛庁長官、私は政治に一番大切なものは、やはり信頼関係だ、そのように思うわけであります。信頼があればこそ、そこに話し合いがなされ、そして協議がなされるわけであります。協議がなされることによって、いわゆる合意に達していくということは、これはすべて政治の常道であります。  そういう意味からいいますと、やはりいろいろ協議をされたことが再び問題になるということになると、これはたいへんなことでもあるので、結局は、しょせんは、お互いがその経過を踏まえながら、いろいろ書類を取りかわしながら今日までずっときている、その経過というものは、厚木基地の問題については、かなり長い期間にわたってなされてきていると私は思うのです。  そういう意味において、いろいろ取りかわされたいわゆる書類というもの、あるいは公文書というもの、これは、すべてその内容を把握している、そう思うわけであります。それ以外のものがもしあるならば、それは、言うならば、全く密約的な問題であって、実際はそこで判断をしなければならない問題である、私は、そのように思うのですが、いかがでございましょうか。
  278. 山中貞則

    山中国務大臣 具体的な問題としてではなくて、一般論でありますれば、私もそのとおりだと思います。
  279. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 そこで、実は先ほども中路さんが問題にした書類の件でございます。大和市長は、昭和四十六年七月十二日付Fナンバー〇〇六という書類で、防衛庁のほうの考え方を聞いておきたいということで照会をされております。その内容は、「厚木海軍飛行場の海上自衛隊共同使用に関する条件について」ということで照会がありました。それについて防衛庁といたしましては、少なくとも公文書にする前の段階内容まで検討されて、それがどういうふうな状態で公文書にならなかったかは私はわかりませんが、しかし、この回答として大和のほうに、公文書にするわけにはいかないけれども、こういうことなんだといって出されたのが、実は先ほど中路さんが示されましたそういう内容であります。  ゆえに、大和市民は、公文書でないにしても、少なくとも、それだけの形態を備えたものが、大和市長あてに渡っているという問題については、これを信じざるを得ないわけです。そういうことについて、いま私一人ならず、中路さんも同じく持っている書類であるとするならば、これは重大な問題であると同時に、これが少なくとも大和市民の中においては、言うならば、こういうふうな回答なんだ、意味合いなんだということになっているわけです。  これについて、先ほどお話がありましたように、第一に参照文書記一中、「極力同飛行場の移転につき努力する。」、こういうふうな語句について、これは、どういうことなのかということで、大和市長がそれに対しての照会を出した。それについて、「極力同飛行場の整理縮小に努力する。」に改めていただきたい、こういうふうな内容になっております。  それから第二番目は、同文書記五中、「中学校敷地の譲渡をも合めた確約書を大蔵省から提供させることとする。」を、「中学校敷地の譲渡を含め国有財産の処理について関係機関との調整をはかり、実現を期するものとする。」、こういうような実は内容であります。そして、それについて確認事項として、「飛行場の整理縮小」とは、「飛行場の移転を含め整理縮小」と解する、こういうふうな内容が、実は大和市長のほうに手渡っておるわけであります。  それが私どもの手元に来ているわけでありますけれども、それと先ほど御答弁になられました、この基地を恒久化するという内容とは、全く異なるものであるわけでありますが、その点はいかがでしょうか。
  280. 山中貞則

    山中国務大臣 私は、自分が在任中でなかったことについて、責任を逃げようという気持ちを持っていないことは、たびたび申し上げております。  ただ、もちろん四十六年でありますから、そのときに、どういうことでそんなやりとりがされたのか、うちのほうにいま聞きますと、そういう文書を発した覚えはない、こういうことを言っておりますし……(鈴切委員「私のところにあるんだ」と呼ぶ)あるんですか。——というふうに、うちのほうは言っておりますし、したがって、そこらのところは、具体的に事務当局から事実関係について説明をいたさせます。
  281. 長坂強

    長坂政府委員 これは、普通役所の文書は日付が入ります。ところが、これは日付は、四十六年七月とまで書いてありますけれども、何日とありません。それから、発刊番号というやつがありまして、たとえば横浜局で出す文書は、「施横第何号」という番号が入りますけれども、この番号が入っておりません。これは、先ほど中路委員にもお答え申し上げましたように、施設局が施設本庁に下相談をしたメモでございまして、それで、その相談の結果、これは先ほどもお答えいたしましたように、四十六年十二月二十日の文書になって出てくるわけですけれども、その中に、「整理縮小に努力する。」ということでとどめておるわけでございまして、先ほどお答え申し上げたとおりでございます。  したがって、これは内部では、まあ廃案といいますか、外へは出ていないものでございます。公文書としてのものではございません。
  282. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 外へ出ていないものが、こうやって各党全部、しかも大和市の市議会議員全部に渡っているのは、どういうわけですか。
  283. 長坂強

    長坂政府委員 私も直接そのところにおりませんでしたので、いまどういうわけであるかと言われると、つぶさにお答えできませんが、いままで、中路委員から御質問がございましてから現在までの時点で、局と施設本庁、それから防衛庁の間で連絡をとりながら確かめましたところでは、以上お答え申し上げたとおりでございます。
  284. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 公文書にならない、いわゆる下相談の内容が、大和市のほうへ渡って、これが、大和市としては、防衛庁考え方であるというふうに、少なくとも市議会議員は全部これを持っていますよ。この責任をどうするのですか。
  285. 長坂強

    長坂政府委員 責任はどうするかとおっしゃられても、その間の事情が、実は現在時点まででははっきりしておりませんので、いかんともお答えようがないわけでございますけれども、その公文書ではないということだけは——それは責任を生ずる問題ではないように私は現在感じておりますが、また事情を調べまして、つぶさにお答えする時期がくるだろうと思いますが、ちょっとこれは即答はいたしかねます。
  286. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 防衛庁長官、これは少なくともそういうことで検討されたのが、大和の市議会議員に全部渡っておるわけてあります。となりますと、まさか大和のほうから、防衛庁へこれを盗みに行ったわけではないでしょう。照会に対するところの返事として、公文書では出せないけれども、少なくとも私ども考え方はこうなんだといって出された書類なんです、これは。  となりますと、少なくともここにあります内容については、防衛庁としても、当然、検討をされたことではあるし、こういうことで地元を説得されてきた証拠じゃないですか、これは。「飛行場の移転を含め整理縮小」するんだというのですよ。それがいま、いわゆる恒久の基地にならんとしている状態とは、まるでうらはらじゃないですか。そういうようなことを常日ごろ行なわれているということは、これは、私は重大な問題だと思うのですがね。大体、これも、まだ公文書にならない前にこういうふうなものが出てきたという経緯をお調べになってください。
  287. 山中貞則

    山中国務大臣 もちろん調査します。しかし、施設局の地方の出先の長が、わが自衛隊編成あるいはまたその果たすべき任務、位置、そういうものについて自分でかってに判断をして、そしていずれ飛行場は移転しますよというようなことを、自分でかってに判断できるような能力もありませんし、そういう権利も与えてありませんし、権限もありません。  したがって、いかなるいきさつでそういうものが市長及び市議会のほうに渡っているのか、だれが渡したのかという問題はもちろん調べます。しかし、そのような権限は出先の局長にはありません。
  288. 大出俊

    大出委員 ちょっと関連。  いまの文書は、私も持っておりまして、前に取り上げたことがございます。これは昭和四十六年七月の二十三日です。あるいはおたくの持っている文書には、日にちは入っていないかもしれません。これは七月の二十三日です。これは時の横浜の防衛施設局長が、ちゃんとした印刷したものをもって大和市の各市議会議員に全部渡して、こういうことでまとめたいということを申し出たわけです。これは時の横浜防衛施設局長の意思なんです。明確になっているのです。これは。  だから、日にちを申し上げておきますが、七月二十三日です。あなた方は、そういう逃げ方をするけれども、そういう相談がずっとあって、さっき私が取り上げた二十日の文書にまとめていったいきさつがあるのです。その間に七月一日のものがあり、七月二十三日のものがあり、十二月十七日のものがありと、こう順番がある。一々これを追っても、どうせ逃げるに違いないから、言わなかっただけであって、だから、私はペテンであり、ごまかしであるということを言ったのです。  いまになって初めて、昨年、四十八年十二月二十四日文書で、日本の本州の中心的な位置にあるから、通信機能が高いから、だから、そこにすわるんですということを初めて表に出した。だから、いままでやってきたことは、全部あなた方はごまかし、ペテンだ、インチキじゃないかとさっき私は申し上げた。そのインチキの中にこれは入っている。言わなかっただけですよ。そういう逃げ方をしてもだめです。長坂さん、あなた方は、そのときにはいないのです。そういうことを言ってもだめです、それは。はっきりしてください。
  289. 山中貞則

    山中国務大臣 私自身が、ペテン師であり、インチキ師であることは断じてありませんし、私は自分の下僚を信頼しております。その下僚が私に誤った事実を述べておるとすれば、処分いたします。
  290. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 少なくともそういう経過、いま大出さんが言われた経過を経て、地元人たちは、これだけの文書、公文書でなくったって、これだけの文書が渡れば、市議会議員が来れば、ああそうか、飛行場の整理縮小とは、飛行場の移転を含めて整理縮小するのだ、そういう方向にいくのだということをみんな考えるのは、これはもうあたりまえじゃないですか。それが十二月の二十四日、一片の通告をもって、二十五日、急遽、航空集団司令部厚木強行移駐をするということに及んでは、もはや信頼関係なんて失われていると同じじゃないでしょうか。  いま、ちまたに言われていることは、魔の十二月ということばがささやかれている。それは十二月だ、何か防衛庁は住民の意思に反して強行する手段を必ず十二月に求めている、そういうふうなことが言われている。たとえていうならば、立川基地移駐にしたってそうです。あれは十二月の二十七日でした。そして今度も二十五日です。結局は、お正月を過ぎてある程度日にちを経過させれば、それで何とかなるであろうかという、そういう意図が含まれているから十二月を選ぶんです。確かに立川と今度の厚木の場合においては、全部が全部同じだとは私は申し上げません。  しかし、昭和四十六年の十二月に、受け入れ側の大和市と綾瀬町との間に立って防衛庁が協定を結ばれた。その結ばれた中に、「下総基地の第四航空群等厚木基地に暫時移駐する。」、こういうふうな内容が実はあるわけであります。その「等」という問題の解釈であります。これは、いろいろ解釈ができるといえば、それまでかもしれませんけれども、少なくとも日本語の常識として、私は「等」というものに対して、それが防衛庁が考えていることが正しかったか、あるいは地元の考えていることが正しかったかということについて判断をする以外にないわけです。「等」というのは、御存じのように「など」というふうに読みます。結局は、その主体のものに付随をするというのが「等」というものの私は解釈だと思うのですが、その点はいかがでしょうか。
  291. 山中貞則

    山中国務大臣 一般論としては、そうでありますが、この場合においては、「等」という字を挿入したことについても、いろいろと裏に話し合いがあったようには聞いておりますが、私、その当時おりませんので、具体的な事実は事務当局より説明させます。
  292. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 まあ、「等」というのは、一般的にはそうであるというふうな常識的なお話になりました。それは当然です。たとえば、きょうの内閣委員会防衛の審議をする、山中防衛庁長官等の関係者が出席をして審議をする、こういうふうになった場合、これは山中防衛庁長官がその長である、そしてもろもろの局長がそれに付随をする、これはもう常識です。それが、山中防衛庁長官等ということが、急に今度田中内閣総理大臣が出席をされるということはあり得ないことです、実際には。田中内閣総理大臣がもしも出席をされるというならば、田中内閣総理大臣並びに山中防衛庁長官出席をして、きょうの審議が行なわれるというのが、これは当然じゃないですか。いかがでしょうか、その点は。
  293. 山中貞則

    山中国務大臣 一般論としては、まさにその通りであります。
  294. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 どうしてその一般論で常識的なことを破って、そして航空集団司令部地元の、言うならば了解なくしてここへ移したかということなんです。その点はどうなんでしょうか。
  295. 長坂強

    長坂政府委員 これは非常に長い経過がございまして、この四十六年の十二月の当時、いまから年数にすると、ちょうど三年前になりますけれども、そのときには、最終的には五十機、二千人になるんだという規模を示すことを主目的にしたあれは表現でございました。  それで、その当時の関係者に、それでは「第四航空群等」という表示は、どういうことでやったんだということをよく尋ねておるわけですが、それは規模の最も大きい部隊、それから現地の市町村との関係では、騒音等の関係を生ずる部隊、そういうものを、一つ例示をしただけにすぎないのだ、それで、その集団司令部のことについては、もう四十六年の五月のときに、県庁で、県側も市長さんも町長さんも来てもらって、横浜局から表をもって示して、集団司令部四十人を入れて合計五十機、二千人になるんだという表を配って説明してあるのだ、こういうことでございまして、一般的な理解からは少し遠いのですけれども、そういうことで例示としてやってあるだけであって、その後、集団司令部防衛庁側で入れないんだということは、一回も言っていないということでございます。  それからさらに、そういう誤解あるいは理解の食い違いがあってはいけないので、昨年、私も市長さん、町長さんに会いまして、そういう行き違いはあっても、集団司令部が移るということは、どこがまずいのであろうかということを市長さん、町長さんとも話し合っております。それで五十機、二千人という実態からいけば、これが最終的に了解を得たものであって、それに市長さんのほうは、基地の恒久性ということを言われるけれども、それは第四航空群を移すときから、長期継続的な意思を持っているのであって、この集団司令部が入る、入らないは、その恒久性の問題には直接の関係はないじゃないかというようなことも話し合っているところでございます。
  296. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 いわゆる集団司令部が、集団司令部の実際の公式な公文書として出てきているのは、いわゆる四十八年の十二月二十四日、この公文書だけじゃないですか。大和市長にあてて、集団司令部がこういうふうにして移りますというふうに言われたのは。これが要するに一つの証拠じゃないですか。あと何か大和市長に、集団司令部が移りますということを、あなたが公文書で出されてありますか。
  297. 長坂強

    長坂政府委員 公文書としては、横浜局長からは出てないわけですけれども、説明会を実際に重ね、あるいは国有財産の地方審議会における答申書、そういうものは、全部、集団司令部が入って五十機、二千人になっております。ですから、地元の方は、四十六年の移駐が済んだあとも、大和市の広報「やまと」というものにも、今後は集団司令部が来るんだということを書いてございます。したがって、もう話は前から出ておるわけでございます。
  298. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 だから、先ほど私が申し上げましたように、話はいろいろ出ているにしても、結局、公文書とかあるいは書類に残したとかそういうものがない限りは、信用できないのですよ、実際にこういうふうな微妙な解釈の違いがありますし。あるいは「等」という中にそれは含まれているなんという、これは大和市民は、つゆ知ろうはずが実はないわけです。だからこそ、そういう問題について、明確にこうなんだというふうに、あなたのほうで公文書を出されたというならば、それに対して、大和のほうだって当然、回答もするでありましょうし、意思も表明するわけです。だから、そういうことを、この二十四日の日、突如として集団司令部を移すということは、こういう意義づけがあるんだということを言われても、大和市民綾瀬町民は納得のいける問題ではないわけです。  だから、こういうふうな強行移駐をして、いま防衛庁長官は、申しわけなかった、ほんとうにこういう強行移駐をしたことについて、大和市長は、老齢であるにもかかわらず、ハンストしてそれに抗議をされた、申しわけがなかった、申しわけがなかったならば、申しわけがなかっただけの、それに対する責任と、それからどういうふうにするかということについて、はっきりしていただかなくちゃならぬ。それは私は、言うならば集団司令部を当然、下総のほうにもう一度白紙撤回をして移すということが、これが申しわけないというあなたのことばに対するところの行動が伴ったものであるというように私は思うのですが、その点、いかがでしょう。
  299. 山中貞則

    山中国務大臣 私が申しわけないと申し上げておるのは、市長さんがハンストまでせざるを得ない、そういうことになったことを申しわけないと言っているのであって、四十六年からの五十機、約二千名というものについては、了解を得ているわけでありますから——ただ集団司令部について、明確に賛成と言ってもらえない、あるいはまた、それに対して意見が一致しない、かといって、それだけでもって、いつまでもそれをやらないというわけにもいかないということで、やった結果、そういう事態が起こった、だから、市長さんのそういうようなお立場というものに対して申しわけないと言っているのであって、私どもの行為が、四十六年の合意事項を破って、そして申しわけないという意味で申し上げているわけではないのです。
  300. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 私は、そういうふうにして立川移駐とは違う方式で今日まで話し合われてきたときだけに、市民のショックもかなり大きいものがあろうかと思います。となると、少なくともやはり話し合いの場所を続けるという意味においても、やはり一度下総に撤回をされて、そして再び話し合いの中から、そういう道を開くというのが、私は、話し合いの常道だと思うのですが、その点どのようにお考えですか。
  301. 山中貞則

    山中国務大臣 私たちは、国民理解並びに基地においては、それぞれの駐とん地その他基地周辺の住民の方の御理解、そしてでき得べくんば、御支援というものをこれから得るために、一生懸命、まずみずから外に対して謙虚に、そして使命感を充実させて前進しろということを言っておりますが、しかし私たちとしては、党が違いますので、御異論はもちろんあるわけでありますけれども、わが国の国防を、自衛隊という憲法に許された範囲内で、九条の範囲内で私たちがやっていきます場合に、最も能率的に、組織的に管理された集中的な運用というものを、少数精鋭でしなければなりませんので、したがって、では四十名だけなんだから、一ぺんもとに戻ってみろ、そして話をしてみろとおっしゃっても、いままでの長い経緯から見て、この問題は、もう二年越し、三年越しの議論として集団司令部の議論は詰まっていないわけでありますから、もとに戻してみても、集団司令部の移転をよろしいとおっしゃる日はないだろうと思うのです。  ならば、集団司令部を移転しないでいくかと言われれば、私どもは、やはり一方、地域住民の全員の御理解を賜わりたいと思いながらも、われわれの本来の任務遂行上のあるべき機能というものはやはり持たしていただきたい。したがって、まことに恐縮でありますが、御提言に対して、この場で私が集団司令部をもとに戻すということについて、承知いたしましたと言いかねる点が、ここにあるわけでございます。
  302. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 集団司令部の問題については、これからかなり大きな論議を呼びながら、地元のほうにおいても、その問題について納得がいかないという立場においての運動が行なわれることは間違いないと思いますけれども、それはさておいて、言うならば厚木基地が約五十機、二千名の陣容を整えて、そして飛び石的に移駐がなされたわけでありますけれども、そういうふうになった戦略的、戦術的な意義というものは、どのようにお考えになっておりますか。
  303. 丸山昂

    ○丸山政府委員 厚木への移駐は、おっしゃいますように、四十六年から昨年の十二月までにかけまして、数次にわたって逐次増強されてきておるという過程を経ておるわけでありますが、結論的には、先ほどからの御説明でも申し上げてございますように、航空集団の司令部と、それからその隷下の第四航空群の主力を主体とした部隊厚木に配備されるということに伴いまして、海上自衛隊の航空集団の全国的な体制と、それから、もちろん地域的な問題もございますが、この整備をはかっていくということにあったわけでございます。  飛び石的にということになりますが、これは、それぞれの部隊の受け入れ体制のほうの問題、それから移ります部隊の都合、こういうものが、結局そういろ結果をもたらしたというふうに考えておるわけでございます。
  304. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 いま、御説明になったことくらいは、私はよく知っているわけでございます。厚木に、このようにして五十機、二千名の範囲内で、しかも航空集団司令部を置いてやるという、いわゆる戦略的、戦術的という立場に立つならば、それが意味するところは、かなり大きい問題じゃないかと私は思うのです。ただ、そういう通り一ぺんの御説明でなしに、もう少し詳しく御説明願いたい。
  305. 丸山昂

    ○丸山政府委員 これは、多少先生のおっしゃる趣旨と違うかと思いますけれども、問題は、下総に集団司令部と第四航空群がいままであったわけでございますが、下総の周辺区域が過密になって、あそこへ実戦部隊が配備されるということが不適当になってまいったということで、比較的航空事情のよろしい厚木移駐するということで、四十六年度から逐次移ってまいったということでございます。  これは、成田の空港が運用開始になれば、過密化の傾向がさらに激化されるという見通しもございますので、このことからも厚木への移駐が絶対必要であるということでございます。
  306. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 私は、そういうことをお聞きしているわけではないわけであります。いわゆる新東京国際空港ができて過密になってくる、そういう意味において、もしニアミスとかそういう問題が起きたらいけないということであるならば、なぜ、それじゃ鹿屋のほうから教育航空群が下総に移駐されたかという問題も起こるでしょう。なお新東京国際空港の問題から言うならば、やはり百里基地の問題も出てくるでしょう。  私は、そういうふうな問題ではなくて、やはり戦略的に、戦術的にもっともっと深い意味があってそういうふうにされたのではないかと思うのですけれども、その点をお聞きしているわけです。
  307. 山中貞則

    山中国務大臣 下総の教育隊のほうになりますと、実戦部隊でありませんので、民間航空機の離発着あるいは航路、そういうものに対して、その間隙を縫いながら離陸し、あるいは着陸させる、そういうことが、本来的に教育訓練だけやるわけでありますから、可能になるわけであります。その意味では、下総は教育専門の飛行隊にするということで、その空中におけるコントロールが本来の機能として可能である。しかし実動部隊というものは、実際にはあいた時間、あいた時間だけに飛び立ったり、飛びおりたりするというのを原則としてやるわけにはまいらない、そういう違いは出てまいります。
  308. 丸山昂

    ○丸山政府委員 基本的には、ただいま大臣が言われたとおりでございます。ただいまの下総の基地が、陸上の中に深く偏しておるということによりまして、御案内のように、艦隊と共同いたしまして掃海あるいは対潜水艦の作戦を展開するというのが、作戦部隊の主任務でございますが、その海域に出ますまでの時間が非常に長いということで、すぐ即応できないということが在来からの悩みであった、したがって、この厚木基地から太平洋の南のほうに展開するということを、かねがね念願しておったわけでございますけれども、そういった趣旨で厚木のほうに部隊移駐したということでございます。
  309. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 私の本来お聞きしている内容とは、ちょっと違うわけでありますけれども厚木基地機能性格というものは、いまどうなっているか、米軍というのは、厚木基地においてどういう使用状況をしておられるのか、自衛隊は、今後どういう使用関係をそれに加えられるのか、また、その他管理の状況として二4(a)、二4(b)との関係については、地位協定上、いわゆるどういうふうな仕分けがなされているのか、その点についてお伺いいたします。
  310. 大西誠一郎

    ○大西政府委員 厚木における米軍の使用状況をまず申し上げますと、御承知のように、昭和四十六年に厚木自衛隊に使用転換になりましたときには、米軍の部隊は、西太平洋艦隊航空部隊司令部——修理、整備機能がおもでございますが、その司令部、そのほか若干の第七艦隊、その他の部隊の小さい分遣隊が派遣をされておりました。その後、御承知のように、昨年十月、ミッドウエーが横須賀に入港するようになりましてから、入港のつど二十五機ないし五十機程度、厚木に飛来してまいりまして、そのうち十機から二十機が交代で三沢に参りまして、艦載機としての本来の訓練をやっておる、そういうような状況でございます。
  311. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 ただいまは、厚木飛行場の米軍の運用の面から見た状況でございました。それを施設、区域の面から態様として申し上げますと、まず昭和四十六年の七月一日に、この姿に日米で合意をしたわけでございます。米軍の専用しております区域、いわゆる二条一項(a)の区域、これが約百三十六万平方メートル、それから二条一項(a)の施設ではありますが、海上自衛隊が二条四項(a)で共同使用しております施設、区域の面積が約百十四万平方メートル、それから、これは主として滑走路部分を中心とした部分でございまして、海上自衛隊が管理しながら、二条四項(b)に基づきまして米軍が使用しております区域の面積が約二百六十万平米、そういう状態になっております。
  312. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 今後の防衛力の増強というのは、海上自衛隊に力を入れるというふうになっておるわけでありますけれども、そうなりますと、四次防における海上の防衛力増強の具体的な内容は、どういうものになっているのか。たとえば艦艇あるいは航空機の増強計画についてはどうなんでしょうか。
  313. 丸山昂

    ○丸山政府委員 四次防では、護衛艦DDH、ヘリコプター搭載艦でございますが、これが二隻。それからDDG、誘導弾を載せます護衛艦でございますが、これが一隻。それからDDA、これは艦対艦誘導弾を載せます護衛艦で一隻。それからDDKが三隻。それからDEが六隻。その他潜水艦五。補給艦一。それから支援船の小さいものでございますが、これが三十五で、総数五十四隻、トン数で六万九千六百トン、これを整備するということになっております。  それから海上の航空機は、対潜機、これはP2Jが四十三。それからPS1が九機。HSS2というヘリコプターでございますが、これが三十四機。小型の対潜ヘリコプターが一機で、合わせて八十七機。その他掃海用ヘリコプター五ということで、九十二機を整備することになっております。
  314. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 海上自衛隊の主力というものは、自衛艦隊であると私は思うのですけれども、自衛艦隊の主力は、護衛艦隊とそれから航空集団が主力になるわけであります。  となりますと、今後の増強の方向は、護衛艦隊と航空集団の増強が推定されるのではないかと思うのですけれども、自衛艦隊の任務、そして行動範囲、編成内容、それと航空集団の編成内容、任務は、どのようになるのでしょうか。   〔小宮山委員長代理退席、委員長着席〕
  315. 伊藤圭一

    ○伊藤説明員 御説明申し上げます。  いま先生がおっしゃいましたように、自衛艦隊というのが海上自衛隊の主力部隊でございます。自衛艦隊は四つの群、これは護衛艦の群でございますが、この四つの群がございます。それから航空集団のほうは、三つの対潜哨戒機の部隊と、それからヘリコプターの部隊とそのほか五一航空隊その他ございますが、この航空集団の飛行機と、それから護衛艦隊の護衛艦とで、地上と水上と連携をとりながら対潜作戦、潜水艦に対する作戦をやる能力を高めております。  任務といたしましては、御承知のように船団を護衛したり、あるいは周辺海域の防衛に当たったり、上着陸してくる侵略部隊に対して攻撃をしたりというような任務を持っております。
  316. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 現在、防衛庁計画している厚木配備の最終計画は、どのようにお考えになっているかということですが、先ほどから論議されているのは、飛行機が五十機、それから総体的人数は二千名だというふうにいわれているわけでありますけれども、私は、この厚木が、今後かなり重要な恒久的な基地としてどんどんエスカレートしていくような感じを受けるわけでありますけれども、そういう意味において、どういうふうにお考えになっていましょうか。
  317. 伊藤圭一

    ○伊藤説明員 先ほど来の先生の御質問でございますが、海上自衛隊といたしましては、いま御説明いたしましたように、地上から飛び立ちます対潜哨戒機と艦艇とで対潜作戦をやることになっておりますが、その基地といたしまして、一番最初にできましたのが鹿屋の第一航空群でございます。これは南のほうの海域の哨戒、索敵に当たるということで設けられたものでございまして、その次にできましたのが、八戸でございます。  その間、関東地区に、一つの航空群を持つ基地を持ちたいということでさがしておりました。ずいぶん以前のことでございますけれども、鹿島神宮のそばにございます旧海軍の神ノ池航空隊、あるいは当時の厚木基地、そういうところに実施部隊としての一群を置く基地を置きたいということでさがしておったわけでございますが、そのときに自衛隊として使えるようになりましたのが、下総基地であったわけでございます。  しかしながら、先ほども官房長から御説明いたしましたように、下総基地は、哨戒をする海域あるいは訓練をやる海域に対しましては、厚木や先ほど申し上げました神ノ池なんかに比べまして少し奥まっております。だから、訓練をやる上にも、いわゆる実戦訓練という面でも不自由があったわけでございます。しかし、当時は、そういうことで下総に置かれておったわけでございますが、厚木が使用できるようになった時点におきまして、作戦をするにいたしましても、平時の訓練をするにいたしましても好都合だということで、一群を置く基地というふうに考えたわけでございます。  したがいまして、その三つの群ができた時点で、その航空部隊を統轄する集団司令部というものを、航空群のある基地であります下総に置いてあったのを一緒に厚木のほうに移駐させていただいたということでございます。
  318. 徳安實藏

    徳安委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  319. 徳安實藏

    徳安委員長 速記を始めて。  鈴切君。
  320. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 十二月二十五日に申し合わせ事項をされたわけでありますが、「防衛庁側は、五十機、二千人の規模について検討を開始し、その結論を得るまでの間約三十五機、約千五百人の規模は拡大しない。」、これは申し合わせをしなくとも、初めから五十機、二千名の規模ということについては、協定の中に一応あるわけであります。  そうなった場合に、結局は、これは強行移駐をしたその言いわけに、少なくともしばらくの間、このような状態で申し合わせをしていこうということに一応合意したにすぎないわけであって、結局しょせんは、少なくとも五十機、二千名の規模にこの厚木航空基地を持っていくという意図が、これは初めからあるわけでありますし、そういう意味において、実際に防衛庁としては、前の五一航空隊も含めて、そして強化をしていこうという考え方は、いまだって捨てていないわけでしょう。
  321. 山中貞則

    山中国務大臣 そういう方針を持っておりますが、約二千名、五十機というものについての合意は得たにしても、集団司令部移駐をめぐってトラブルが起こりました。したがって、その現実のトラブルの処理のためには、現地側の御意向というものを、集団司令部に関連をしながら、やはり最大限の御理解を得る努力をしなければならないというのが、その申し合わせになったわけでありますし、いま、その第一項を取り上げられておるわけでありますが、したがって、私どもは約二千名、五十機というものを予定しておりました、したがって、どう違うのだ、いままでやってきたことと、今回申し合わせの一に入れなくても、実際は変わらなかったのじゃないかということは違いますので、意見が分かれたのは、集団司令部でありますから、残り二十機、約五百名余りというものは、事前の御相談をしなくとももう入れるわけであります。  しかし、今回申し合わせをしたことによって、その残りを、二十機あるいはまた五百名余りというものを入れるに際しても、相談をして、どこまで地元の御要望に沿い得るか、そういう検討をいたしましょうというのですから、その申し合わせによって既定方針とは大きな変化が生じたというふうに私どもは受け取っておるわけであります。
  322. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 あと予算委員会等でも、いろいろお聞きしますので、基本的な考え方だけちょっとお聞きしておきますけれども、実は日米事務レベル協議会が十四日にワシントンで開かれたわけでありますけれども、もうすでに日米事務レベル協議会における内容等が煮詰まっていると思いますけれども、どういう内容が話し合われたか、長官としては、その報告はどのようにお聞きになっておりますか。  また、沖繩の那覇軍港が全面返還をされるというふうにいわれているわけでありますけれども、それには、やはり代替地の問題等もかなり条件として入っているのではないかと思いますし、あるいはそれに対するいわゆるタイムリミットといいますか、期限というものが明確にされてない点もあります。それからまた、沖繩の那覇市における自衛隊基地の移転も、しょせんは早晩検討に入らなくてはならないというふうに昨年答弁があったわけでありますが、その点について、どういうふうになっているかお伺いいたします。
  323. 山中貞則

    山中国務大臣 まず、ワシントンにおける日米事務レベルの会合の結果でありますが、これは、もちろん私は詳細に承知いたしておりますが、しかし、これから決定をいたしますのは、日米安保協議会の、私が出席した場において行なわれるわけでありまして、その間は、これは両者とも外に漏らさないということになっておりますから、新聞の報道がかりにありましても、それは私どものだれかがその取材に応じたものではない。応じたものは、ちゃんと応じた者の名前で、その範囲内で発表がされておるわけであります。  したがって、私はその内容承知いたしておりますが、しかしながら、この内容についての私の感触はとおっしゃいましたけれども、私はきわめて不満であります。これに私が当初から満足をしておりましたならば、日米安保協議会はすでに昨年十月末に開くことが可能でありました。しかしながら、沖繩の現地をあまりにも知っておる自分として、このような内容のものに合意して合同委員会を開く気になれないし、また自分は応ずる意思がない、したがって、外務当局もはなはだ迷惑であったと思うのですけれども、今日まで遷延せしめておる責任は私にございます。  しかし、それは沖繩の人々のために、また日本国民のためにやっておるわけでありまして、場合によっては——私は一月中にと思っておりましたけれども、この日米安保協議会は、当分延期されてもいたし方がないというような気持ちでおりまして、現在の事務レベル会合の結果について、満足をいたしておりません。  ただ、相手側の言い分も、出発前よりか、よく私も了解をいたしました。しかし承服するところに、まだまいっていないという点がございます。しかし、その内容の詳細については、残念ながら外交の進行中の交渉事項でありますから、省略さしていただきます。  なお、わが自衛隊の那覇市に隊舎を持っております問題は、これは私の考えとして、陸上自衛隊がかりにおるにしても、あのような引き続きホイールエリアと呼ばれておるような場所にいるのが是か非かについて、かといって引き揚げるというわけにもちょっとまいりませんし、それならば代替地が、どこらが適当かということで、少なくとも那覇市や、あるいは普天間やコザや、そういうような中部の、返還をされたなら、いわば最も利用度が高いだろうというようなところを、なるべく避けた場所をさがすことはできないだろうかという気持ちでおりますが、いま具体的にどこというところには、これは、しょせんやはりアメリカの現在、基地に使っております場所のどこかということにも、結果的にはなるわけでございますから、まだ御言明申し上げるところまでまいっておりません。
  324. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 山中防衛庁長官は、かねてから、基地の縮小整理ということについては、前向きに取り組んでいくということを明らかにされてきております。そういう意味において、いま明らかにすることはできないというお話がありましたけれども山中防衛庁長官のまたさらに感触をたどってみますと、やはり基地の縮小整理のほうがあまり進まないというようにしか、私は感じられないわけでありますが、その感触はいかがでしょうか。
  325. 山中貞則

    山中国務大臣 あくまでもアメリカの立場からする極東戦略の基地としての沖繩という意味から見ますれば、相当に今回は私は進んでいると思います。全体としては、おおむねこのあたりで、一応の交渉の第一段階としてはよろしいのではないかという感触を持っております。  しかし場所について、私、自身の納得できない場所があるということであります。それ以上は申し上げられません。
  326. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 それでは、そのほうは……。  陸上自衛隊ですが、十三個師団を再編成するというようなことを検討されているという話でありますが、具体的にはどういうことでしょうか。
  327. 山中貞則

    山中国務大臣 これは、実は、私が現在の自衛隊の充足状況を踏まえ、それから過去の充足状況の推移、将来の大学進学率、高校進学率、そういうものを踏まえて、将来の充足率の展望はいかにということを考えますと——せっかく、賛否は別として、国会であれだけの御審議をいただいて、陸上に関する限り十八万名の定員をいただきました。しかしながらその十八万名の定員は、いざというときのこれは定員でありまして、それに対する装備、編成その他がなされていなければなりませんが、肝心の動かす人というものが、全面的に、九千人師団も七千人師団も、全部が慢性的に人数不足であって、しかも、それが曹、士のところにしわが寄るというような状態等を知るに至りまして、やはりこの際、いろいろ考えておるのですが、九千人フル編成の師団を何個師団か持ち、あとは一応七千名師団であっても、それは主として基礎演習、訓練その他のための師団というような形にしたほうがいいのか、あるいはもっと実際に近代戦に、急迫不正の侵害にたえ得るような世界一流の機械化師団、そういうようなものに整備をして、その残りは全面的に汚くするか、ここらのところは、いまのところ検討中でございまして、まだ完全に私どもの内局あるいはまた関係のある統幕議長、陸上としては陸上幕僚幹部、こういうところと具体的に意見が詰まっておるわけではございませんが、このままで推移するよりも、何らか具体的な現実に合う、しかも合わせたほうが、結果としてよかったと思うものは実現したいという気持ちで、大体そういう気持ちになってくれておるようでありますので、できればそういう方向への実現に向かって努力してみたいという程度の段階でございます。
  328. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 いずれにしても、きょうはお聞きする程度にしておきますけれども防衛庁のほうは、例の来年度予算に対しまして、主要装備を含め繰り延べ、削減の方向で概算要求を、みずから削減の方向を打ち出されたわけでありますけれども、四十九年度の防衛方針及び計画をどのようにお考えになって、そのようにされたか、こういうことについてお伺いします。
  329. 山中貞則

    山中国務大臣 防衛方針ということになりますと、四次防の方針は、既定方針は変えないということでございます。しかし四十九年度予算編成にあたって、私どもは閣僚として、閣議で大蔵大臣の、来年度予算における最も重点である総需要抑制と物価抑制ということに対して、公共事業費を、総需要抑制に最も貢献するものとして、予算では金額で対前年伸び率ゼロ、人件費、物件費の値上がり等を見越せば、実質四十七年度予算の事業量というようなことを提案されて、私も含めてみんな了承をいたしたわけであります。  その方針を了承いたしまして、私自身の考えてみたことでありますけれども、道路、港湾あるいはまた治山治水、漁港その他の五カ年計画、こういうものは、これは地方自治体や一般国民にも、それぞれその予算が影響のある問題であります。しかし私たち防衛庁自衛隊というものは、目に見えない、一般国民に対する影響が、通常の状態においては、存在しておるにすぎない存在であって、しかも国の自衛権の目に見えるそのものはわれわれ防衛庁である、そして自衛隊である、とするならば、閣議においてそのような方針がきまったときに、国自体がとるべき措置はもうきまった、それならば大蔵省は、たとえばどのような予算編成方針をとるであろうか、国民の税金を集めて、編成権を持っているからといって、大蔵省が、そのようなきびしい中で、あとで指摘をされて赤面するような我田引水の予算を組んだことは、大蔵省はない、みずからをまずきびしくいたします、それと同じ姿勢は、国の自衛権の目に見える存在である、国そのものである防衛庁に要求されている姿勢ではなかろうか、そのように考えました。  したがって、戦車四十両を一応四十九年度に立てました以外は、一〇五ミリ自走りゅう弾砲も、あるいはDDH、五千トンをこえる初の一隻も、あるいはまたFST2改二十二機についても、全部翌年度送りにいたしました。そのための総需要に対する国家要請への貢献度は、一千八十八億になりました。  私は、そういう姿勢を四十九年度予算において示したというだけでありまして、これが四次防を実質上変える、あるいは変える方針をきめたんだというような気持ちでやったのではありません。
  330. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 いわゆる四次防に対して、ことしはもういわゆる三年度になるわけでありますが、そういうことになりますと、やはり現時点において四次防というものがどうあるべきかということは、当然、これを検討しなくてはならないのではないか。それでは一千数十億を繰り延べしたから、来年度そのすべてを満足させるような状態にしていけば、結局、しょせんは同じことであって、ただ、ことしのすべての国際情勢とかあるいは国内情勢を踏まえたというだけにすぎないわけであります。  そういう意味において、国防会議議員懇談会において、そういう方向を打ち出されたというわけでありますけれども、私は少なくとも、国防会議において四次防自体を一応検討してみる必要があるのではないかと、そのように思うのですけれども、その点はいかがでしょうか。
  331. 山中貞則

    山中国務大臣 四次防は変更しない前提において、来年度の緊急な、わが国の未曽有の難局に処するための防衛庁姿勢を示しました。しかし昭和五十年度予算編成時期に立ち至ったときに、いまと同じような状態が続いているとするならば、これは、また考えなければなりませんでしょうが、そこまでまいりますと、実質上四次防というものは繰り延べになってまいるでしょう。  しかし、私たちは、国の財政をあずかる政府として、少なくともこの国際的な状況ではあっても——原料難その他原料の価格とか、国際的にひとしき苦しみを味わう点もあるわけでありますから、その中で日本人の英知で切り抜けていって、安定成長への道に乗せることが可能になるならば、あるいは一転して、その新しい体質のもとに、初めて日本が戦後踏み出す財政体質のもとで、昭和五十年度予算は、今度は公共事業費も対前年度比三〇%以上の伸びになるとか、予算の規模も、またそれだけ大きくなるということでありますれば、これは、われわれもその姿勢を、いままでの一年延ばしたものを、そのまま三年間の間に取り戻していけばよろしいわけでありまして、そういう事態になるであろうことを願っております。そうならなかった事態は、これは国全体の問題でありますから、そういう意味で、現時点においては、そのような考え方を持っておるということであります。
  332. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 最後に、お聞きしますが、四次防というもののワクは変えないのだ、いわゆる四次防で考えたものは、一切それを頭に入れて、本年度は五十年度に繰り延べをしていくという考え方に立っての予算編成だ、こうおっしゃるわけでありますけれども、現在の物価高騰の中において、どんどんと物価が上がってきているわけであります。となりますと、物価、人件費等を含めて、しょせんは防衛庁が起算をされた四次防から比べますと、かなり大幅な数字になってしまうのではないか。  たとえて言うならば、六兆円台にいくのではないかとまで言われているわけでありますけれども、そうなった場合において、一応四次防の装備、そしてまた金額等は、ワクはきめられておるわけでありますけれども、そういう事態になった場合においては、どのようにお考えになりましょうか。
  333. 山中貞則

    山中国務大臣 約四兆六千三百億、これにはベースアップ等の人件費は含まないということでありますから、現実の予算は人件費を含んで出てまいりますので、当然、それはおっしゃるように五兆円をこえるものに、四次防の展望そのものでなるわけであります。  そうすると、いまおっしゃったように、諸物価、資材、人件費その他等が上がっていくという場合に、それではとてもいまの予算考え方ではやっていけないだろう、まさにそのとおりであります。たとえば来年度、私たちは油を八十三万キロリットル予算要求をいたしておりました、これは艦艇がふえ、航空機がふえ、あるいはまたファントムのような燃料消費量の大きい飛行機が就役する、こういうことで当然の自然増として要求をいたしておりましたが、しかし、これまた同じように、われわれもできるだけのしんぼうをする、図上訓練なり、あるいはまた陸上も海上も空も、一刻も休めないものを中心として、そこを重点化しながら、周辺のほうは徐々に難難辛苦に耐えていこうということで、昭和四十七年度の実績である六十四万トンを、五千トン切り込んで六十三万五千トンということにいたしましたし、予算も百二十二億ということで、実際上は単価としては、はたして買えるかどうかわからない単価ということでありますが、われわれは、それでしんぼうしていこうということでやっておりますので、われわれは国民に対して先憂後楽である、しかし与えられた使命を完全に遂行するだけの努力は、瞬時も練度の向上を怠らないというぎりぎり一ぱいの状態をいま頭に描きながら、四十九年度一ぱい乗り切ろうといたしております。  その残りの問題について、いまから四次防の総額は一体幾らぐらいになるかは、これは道路五カ年計画についても、その他についても、一体幾らになるかはみんなわからないというのと現時点においては、同じことではなかろうかと思います。ただ、私は国民の税金がどのように分配をされるかという予算の中の——予算の中に占める防衛費の比重、すなわち、学校教育とか社会福祉とかあるいは社会資本の充実とか、そういうものに防衛費がじゃまになって、それが思うように近代化ができないような防衛費であってはならぬ、諸外国との比較も十分念頭において運用してまいりたいと思います。
  334. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 経団連の防衛委員会が、このところ、このような物価上昇では、とてもいわゆる防衛産業は成り立たないということから、装備に対する発注は、物価にスライドをしてやってもらいたいということを強く役員会において決議をし、また政府に迫るという、そういう態度でありますが、基本的に、防衛庁長官は、そのことについては、どのようにお考えでありましょうか。
  335. 山中貞則

    山中国務大臣 私は、迫られたことも、陳情書を受けたこともありません。しかし防衛産業だけは、原料の鉄鋼やその他のものが、人件費が幾ら上がっても、単価は据え置くのだということも言えない。かといって、どのような意味においてスライドといわれるのか、その内容も、自動的に物価指数でスライドしていけなどということでは、私たちは承服できませんし、したがって、そういう意見の違いが、遺憾ながら——自衛隊の実情を申しますと、下期には順調に調達できるはずであったはずのものが、いまだに調達できないものが押せ押せで一ぱいたまっております。  しかし、何とかそれらのものは長期的な展望に立って、赤字受注であると言っている会社も、新聞その他で見ますけれども、しかし、やはり日本の国の会社であるならば、われわれとしては、協力できるところは願いたい、でなければ、われわれは安いものがあるなら、外国からこれを買ってくるというほうが、よっぽど国民に貢献すると考えております。
  336. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 以上で終わります。
  337. 徳安實藏

    徳安委員長 受田新吉君。
  338. 受田新吉

    ○受田委員 できるだけ要約して質問します。要約してお答えを願いたいと思います。  きょう論議されている事件に関係する問題を取り上げまして質問いたします。  去年の一月二十三日、ちょうど一年になるわけですが、第十四回日米安全保障協議委員会で、日米間の合意を見た在日米軍基地の整理統合をはかる問題でございます。この一年間に在日米軍基地の縮小の具体的な事例をおあげいただきたい。
  339. 平井啓一

    ○平井(啓)政府委員 最近、一年間の数字、ちょうど私の手元にございます数字では、四十七年の十月一日以降の数字が、たまたま年末までの数字がございますので、それでお答えいたしますと、まず本土と沖繩に分けまして、在日米軍施設で本土分で全部返還になりましたのが九施設、一部返還二十五施設、合わせまして三十四でございますが、面積にいたしまして約三千九百万平米。それから沖繩は、全部返還になりましたのが九つの施設、それから一部返還になりましたのが二十の施設、これはいずれも面積は比較的小そうございますが、合計いたしまして四百七十二万平米でございます。  この中で、本土におきまして代表的な返還施設といたしましては、水戸対地射爆撃訓練場、それからキャンプ朝霞の南地区の大部分、ジョンソン飛行場の大部分、立川飛行場の一部あるいはグラントハイツの住宅地区、こういったものが入っております。また沖繩におきましては、比較的大きな面積といたしましては、天願通信所とトリー通信施設、この二カ所が比較的まとまった面積で返還になっております。
  340. 受田新吉

    ○受田委員 その中で——われわれ野党から強い要望もあったわけで、沖繩返還協定の際にも政府に強い要請決議案も採択されている。つまり基地の縮小にあたりまして、われわれの要望である、返還されたものは、国民の要請にこたえて民間あるいは公共目的に使う、こういう方針にどのようにかなっているか。
  341. 山中貞則

    山中国務大臣 これは沖繩においてと思いますが、沖繩においては、返還されたものは、ことごとく個人の地主に私有財産として返っていくわけであります。本土のほうは、国有財産が多うございますから、それは大蔵省の特別会計の歳入と見合いながら、また地域市町村の要望と見合いながら、大蔵とわがほうと地域との間の話し合い等によって、最終的には、大蔵省が審議会において決定をしていくというケースをとっております。
  342. 受田新吉

    ○受田委員 これは、まだお答え残りがあれば、ちょっとお答え願いたい。
  343. 山中貞則

    山中国務大臣 失礼。一言取り消します。レーダーサイトについて、自衛隊で使わしてもらった点がございます。
  344. 受田新吉

    ○受田委員 この基地の返還にあたっては、沖繩も本土も、私は区別しなくていいと思う。本土においても、それが国民のために使われること、防衛目的に偏する形が是正されなければならないということにおいては同様である。国民感情をすなおに受けて措置されることを要望しておるのですが、なお、これから遠からず、この基地返還の目標にかなうような形の計画があれば御答弁願いたい。
  345. 山中貞則

    山中国務大臣 これは鈴切委員にお答えいたしましたが、沖繩を中心とする相当な面積あるいは基地の中のパーセントというものが予測されます。  なお、私どもの方針で、アメリカ側に相談を持ちかけておりますのは、関東計画みたいなものを、アメリカの陸の基地についても、相談をそろそろやろうじゃないかというようなことを言っておりますが、これは、まだ具体化しておるわけではありません。
  346. 受田新吉

    ○受田委員 少し質問を進めます。  いま鈴切さんからもお尋ねのあったことで、関連をしますので進めますが、私、あえてこの機会に、現在の世局と日米安保体制の立場を比較検討して、政府のお考えを承ってみたいのであります。  日米安保体制が今日まで堅持されてきたわけですが、このことに対して、最近の石油危機と、つい、きょう総理も、記者会見でお話のあったような、この間からの東南アジアの総理訪問、それに対する反日的なあのきびしい態度、こういうものを見ると、日米安保体制、つまり安保繁栄論を固執してこられた従来の行きがかりに、新しい展開を来たすべき時期が来ておるとお考えではないか。長官から……。
  347. 山中貞則

    山中国務大臣 これは、もうすでに日米間においても、安保条約には経済条項もありますが、日米間の貿易収支のアンバランスあるいは日本の貿易の自由化の態度その他によって、すでに経済的には、アメリカとは安保関係の友好どころか、相当な冷戦体制に入っておるわけであります。  それが今回は、日本が対岸の火災どころか、夜空の遠い火事であると見ておった中東紛争も、わが日本に油の問題でこのようにまともな衝撃を与えてくるという、日本はもうすでに国際社会において自分一人だけのわがまま、一人合点でいくことは許されないときが来ておる。  私は、防衛庁長官に就任したときの最初の訓辞で、今日の防衛は、外交、経済と一体となって考えられなければならぬという訓辞を登庁初日にいたしました。このようなことを、先見の明を誇って言うわけじゃありませんが、まさにそのような時代が参っておりまして、したがって、われわれは、東南アジアには軍事的にはいまさら何も関係すべくもありませんが、できないことでありますが、経済問題であっても、かっての日本の軍国主義のイメージというものが、今度は経済的な支配者、侵略者としてのイメージに置きかえられつつある、この事態をわれわれいまさらのごとく知らされておりますから、私は経済担当大臣でありませんが、これは安保条約の円滑なる運用のためにも、私たちは、アメリカとの間だけで考えればいいということではなくて、われわれは国際社会の中のよき社会人として、あるいは東南アジアのよき隣人として、どのような国でなければならないかということを、私も閣僚でありますから、政治家の責任ある地位にある者ひとしく深刻に考えなければならない時期に来ておる、このように、たいへん大ざっぱな話でありますが、考えております。
  348. 受田新吉

    ○受田委員 外交政策においても、外交当局からの御見解が一つあると思うのですが、従来の安易な日米安保体制を礼賛する動きに、いま防衛庁長官は新しい展開を求める発言があったと私は了解します。  外務大臣としても同様の見解でいらっしゃる——副大臣としては、従来にない大もの政務次官が誕生されている。一流の大使の経験を持った、外務大臣としても人後に落ちない人材の山田先生がおられるわけですから、あなたの御答弁がりっぱにできれば、今後、外務大臣は呼ばぬでも、あなたに御苦労願って、すべてあなたに言ってもいいぐらいの気持ちです。御答弁ただきます。
  349. 山中貞則

    山中国務大臣 たいへん恐縮ですが、ただいまの御質問を聞いておりますと、誤解を受けたようであります。というのは、いわゆる俗にいう軍事的な面における日米安保体制というものは、やはり先般の米ソ核不戦条約においても、既存の二国間もしくは多国間のワク組みを含めて核は使わない、こういうことも言っておるのでありますから、そのことについて考え直すときが来たと言ってはおりませんので、その点、あしからずお許し願いたいと思います。
  350. 受田新吉

    ○受田委員 了承しました。
  351. 山田久就

    ○山田(久)政府委員 ただいまの受田委員の御質問でございますが、現在、安全保障というものの考え方は、非常に総合的な形において自国の平和安全というものを考えていかなければならない、単なる一つの軍事的な面あるいは片寄った特定の国をどうのこうのという問題ではなくて、総合的な形において、しかも根本的には外交、政治、特に相互理解ということを根幹にした総合的な形において、この安全保障というものを考えていくべきものである、こう思います。  従来から決してこの点について、特に片寄った——これはいろいろな見方があろうかと思いますけれども、必ずしもそうではなかったと考えておるものでございますけれども、そういう新しい体制において、かつ考えていかなければならぬが、しかしながら、同時にまた、総合的な形で考えていかなければならない時代に入ってきた。まあ、ちょうど今回の石油問題に関連してのお話がございましたが、アラブ諸国とこの点についても、国家間の関係が、非常に相互的な関係が密になったという角度で、いろいろ対日問題というものを考えておりますので、われわれとして忌憚のない相互理解の面で今度話し合ったわけでございますけれども、しかしながら、先般の話し合いの中で、特に、たとえば日米安保条約というようなものが、その議題として指摘されてきたというような点は、必ずしもそういう点ではなかったということを、ここでつけ加えさせておいていただきたいと思うわけでございます。
  352. 受田新吉

    ○受田委員 私、ここで、せっかく石油問題をお取り上げになったが、ちょっとこれに関連してお尋ねしておくのですが、総理も訪欧の際、首脳部間の話し合いの中で、おそらくチュメニ油田の問題をお出しになったと思うのですが、これは一体、どういう関係、ソ連にしてみれば、日本に対する期待がどういうふうになっているのか、情勢が変化しておるのかどうか、ちょっとお触れ願いたいのです。政務次官であるがゆえに、気楽にお聞きします。
  353. 山田久就

    ○山田(久)政府委員 日ソ間の相互的な経済協力というものも進めていく、その中において、シベリア地区、ことに重要な資源というものを対象にして、それでいろいろ協力の具体的な方途を発見していくということは、特に、ここ二、三年来、いろいろな話が行なわれてきたところでございます。  ことに石油資源という問題になりますと、御承知のように、これはいろいろな観点から、やはり供給地というものの分散というようなものがもたらす安全性という考慮もございますし、また隣邦ソ連との間において、そういう具体的な形においていろいろな話を詰めていくということが、やはりこの隣邦との平和的な、あるいは友好的な関係を進めていく上に必要だという、そういう観点もございまして、むろん総理が行かれたときも、そういう点をお話しになられましたし、またその後においても、引き続きそういう話が行なわれていることは、御承知のとおりでございます。  まあ、あれはなかなか複雑な、いろいろな要素を含んでおりますので、テクニカルの点からも、急に煮詰まるというところまでいっていませんけれども、しかしながら、遠からず一つの具体的な結論に到達できるのじゃないか、こういう状況だと判断いたしております。
  354. 受田新吉

    ○受田委員 もう一つ、チュメニ油田の問題にもつながる、わが国の石油問題解決のかぎにもなると思うのですが、お隣の中国には、大慶油田その他いろいろなところに埋蔵量豊かな資源があると伝えられておるわけですが、わが国の一番お近くの隣邦として、この距離の近いところで日本の技術協力は惜しみなくお手伝いしますが、いかがでございましょうかという、正式の外交ルートを通じての石油問題の解決への貢献を、外交努力で実を結ぶことはできませんかね。お伺いしておきたいと思うのです。
  355. 山田久就

    ○山田(久)政府委員 受田委員のいまのお話、そういうような油田に関してのいろいろな情報、われわれも承知しておりますし、また受田委員が言わんとしておられるいろいろな真意も、私にはわからぬわけではないわけでございますけれども、御承知のように中国は、自主独立、自力更生と申しますか、とりわけ天然資源の開発ということについては、これは全く自主的にやっていきたい、そういう態度をとってきておることは、御承知のとおりでございます。  したがって、合弁というようなことはやらない、借款も受けないというようなことで進んでおるようでございますけれども、しかしながら、必要な範囲においての技術あるいは施設というようなものについては、むろん、そういう協力を得るに必ずしもやぶさかでないというようにもわれわれ了解しておりますので、これは今日まで、すでにいろいろな機会において、中国側のそういうあれがあれば、わがほうとしては、十分これに応ずる用意があるということは、先方に伝わっておりますので、受田委員のお考えのようなことは、これはもう何回かそういう形のことが言われておりますので、先方としても、そういう点は、やっぱり腹の中に了承しておるものであると考えております。
  356. 受田新吉

    ○受田委員 私は、そのことを、正式の外交チャンネルといいますか、外交ルートを通じた形で実行に移していただく、つまり技術協力には、いつでも応じますという非常に謙虚な——こちらは投資、こちらは中近東のような考え方でおもむこうとする国情でないことは、われわれよく知っているだけに、よけい正式の外交チャンネルにこれを取っ組ませるような方法で外務省としては乗り出すべきではないか、つまり、いつでも技術協力には応じます、もちろん合弁その他経営上の問題にはタッチはしませんという、深い敬意を払った形の外交チャンネルをここにおしきになっては、どうかということです。
  357. 山田久就

    ○山田(久)政府委員 これはひとつ、ダイナミックな外交的なアプローチをというお考えだろうと思います。これは、いろいろなやはり情勢判断もあろうかと思いますけれども、中国は、この資源開発の自主性というようなことについては、他国にもそういう点を非常に強調している、ことに低開発国に対しても。そういうような点で、いろいろちょっと考えるところがあるのじゃないかということもあるものでございますから、したがって確かにそういうダイナミックな気持ちはわかりますけれども、すでにいろいろ先方に伝わっておるのですけれども、その点について、どうじゃというようなお話もまだ出てきておりませんので、いずれまた時期を見て、そういうことを考えてもいいかと思いますけれども、ここのところは、ちょっとそういう点のやっぱり動きを見ながらやるほうが、むしろ適当じゃないかというふうに私は——これは、ちょっとそういうものについての、いつそういうあれをやるか、どういう方法かということについて、私どもの長いいままでの感じからいって、ここは先方の出方というものを一応受けて待つというような形でいかがかというふうに考えておるような次第でございます。
  358. 受田新吉

    ○受田委員 委員長、吉田さんが六時までにやむを得ない御用ですから、私、もう十分ばかりあるのですが、吉田さんに先へやっていただいて、そのあと六時を過ぎて——いま吉田さんが六時までに退出するので、私の質問を中断して、吉田さんにお譲りして、そのあとまた私がやらしてもらうことにします。吉田さんどうぞ。
  359. 徳安實藏

    徳安委員長 吉田法晴君。
  360. 吉田法晴

    ○吉田委員 時間がございませんから、私も簡単に個条をあげてお聞きをいたしますから、答弁もなるべく簡単にお願いします。  第一点は、岡垣の対地射爆場問題でございます。詳しくは述べませんが、四十七年十一月七日、楢崎弥之助議員が予算委員会防衛施設庁長官に質問をいたしましたところが、五年経過後、その後の使用については関係町村長と協議をすると答弁をされました。ところが四十八年九月十九日、農林水産委員会で多賀谷真稔議員が質問をいたしました際には、櫻内農林大臣は、「事の重要性にかんがみて、閣議で、関係省庁の間で十分な認識の上に立って今回の作業許可になった、こういうことから、移転先の有無にかかわらず、五年後には返還されるべきものと思います。」、こう答弁をされている。  私が入手いたしました覚え書きには、「使用期間は使用開始後五年の間とし、防衛庁はその期間内に当該射爆撃場を他に移転するものとする。」と書いてありまして、この文章によると、櫻内農林大臣が答弁されたように聞こえますけれども、しかし実際にはどうなのか。かわりを見つけるようさがしたけれども、板付の基地移転問題ではございませんが、かわりが見つかりませんでしたから、引き続いて使用さしてもらいたい、こういうことになるのかどうか。  もし本気で、五年といいますと、去年からですから、四年と幾らさがさなければ、かわりは見つからないと思うのでありますが、実際に五年たったらやめられるのか、かわりが見つかると見つからないにかかわらず、返還をするのか、その辺を防衛庁長官に承りたいと思います。
  361. 山中貞則

    山中国務大臣 使用期間五年間、その五年を経過したら、必ず使用中止と申しますか、やめます。そして代替地を取得する、しないのいかんにかかわらず、五年後にはやめます。使用いたしません。五年間です。  現在のところ、その代替地が見つかっておるかという御質問であるならば、いまのところさがしておりますが、残念ながら見つかりそうにありませんということであります。見つからなくとも、五年後には使用はやりません。
  362. 吉田法晴

    ○吉田委員 西日本新聞の十二月十日の記事によりますと、米軍から岡垣射爆場の共同使用について申し入れがあったと報じておりますが、そういう事実がありましたかどうか。  それから、それに対する正式な防衛庁長官としての意図を承りたいと思います。
  363. 山中貞則

    山中国務大臣 新聞記事で、私もちょっと見たのですが、調べましたら、そのような事実はございません。
  364. 吉田法晴

    ○吉田委員 事実がなかったわけではなさそうでありますが、正式には防衛庁は否定をしておられると、その記事にも書いてございます。  ただ、その中に、断わられた理由として、国内民間機の航路に接近をしている、それから航空機、これは民間航空機だと思うのですが、航空機のダイヤが非常に過密である、第三には、自衛隊機は緩降下訓練をしておる程度だが、米軍の実戦訓練には無理だ、こういう理由があげられている。  この中の国内民間機との航路の接近問題でありますが、これは何人かからも取り上げられましたけれども、その答弁をしさいに見ておりますと、訓練飛行は三千フィート以下を飛行することという条件がついておりますけれども、G4、グリーン4の安全最低高度は五千フィートと書いてある。場合によっては、この五千が七千とか幾らとかになっておりまして、その差は、距離は数千メートルしかございません。  まあ、これは、どなたも御経験があろうかと思いますけれども、日航機にしましても、全日空機にいたしましても、板付に入りますときに、関門海峡を渡る前後から下降に入ります。そうすると、一万二千フィートで定められておるというのが、その一万二千フィートがだんだん下がってまいる途中にございます。それだけに危険がございますが、これらの点については、これは防衛庁としてどういうぐあいに考えておられるか。それからこの危険性の程度についてはどういうぐあいにされるか。これは、運輸省も来ておられると思いますが、簡単に伺いたい。
  365. 山中貞則

    山中国務大臣 まず第一点の、そういう米軍の申し入れば、米側からないわけでありますから、回答もいたした覚えはございません。  第二は、グリーン4との間の間隔は、グリーン4のいわゆる安全帯の外縁から安全距離と高度とが運輸省との間に合意されておりますし、また板付飛行場への進入路については、運輸省のほうと相談の上、運輸省が進入経路を少し北に振っていただきまして、そして高度、距離、安全を完全に確認した上で合意に達しております。詳細は事務当局に説明させます。
  366. 大西誠一郎

    ○大西政府委員 ただいま大臣から御説明がございましたように、グリーン4については、北の端から約二キロの間隔をとった位置に、飛行経路のパターンを定めております。それから玄海のアライバルルート、つまり福岡空港に入る進入の経路につきましては、その場所の空域を、高度一万一千フィートを制限空域にいたしまして、民間機は一万二千フィート以上で運用する、ただ自衛隊の使っていない場合につきましては、空港事務所と連絡をとりまして、運輸省のほうでそれを確認した上で、八千フィート程度で運用する、そのほか運輸省のほうでは、ルートそのものについて少し手直しをするということを考えております。
  367. 吉田法晴

    ○吉田委員 時間がございませんから、岡垣のほうは、その程度にとどめます。  築域の飛行場にF4EJを配備する予定だということでございますが、これはいつから配備されるのか。それからF4EJを配備するについては、滑走路のかさ上げをしなければ、発着できないということで、滑走路のかさ上げが実施されておるようでありますが、地元の話によりますと、基地の拡張が行なわれるのではないかということで、相当の確率性を持って言われております。あるいは土地の買収が行なわれたり、住家の移転等が行なわれておりますが、それは拡張に関連があるのでありましょうか、それともそうでないのでありましょうか。
  368. 山中貞則

    山中国務大臣 これは移駐計画、配備計画がございませんし、将来、滑走路その他を拡張する計画もございません。またかさ上げも補修かさ上げでありまして、したがって、四十九年度予算では要求をいたしておりません。
  369. 吉田法晴

    ○吉田委員 築城のF4EJの配備計画はない、こういうことですか。
  370. 山中貞則

    山中国務大臣 未定であるということであります。
  371. 吉田法晴

    ○吉田委員 未定であるということならば、その築城の飛行場のかかっております築城の町には、反対期成会があり、あるいは二つの地区労にわたりまして反対の、これは闘争委員会等がございますが、しばしばいままで問題になりましたし、地元のこの空気等を反映して、F4EJの配備はやめられたと解してよろしゅうございましょうか。  聞くところによりますと、F86Fが配備してありますが、それが古くなったら、F4EJに配備がえをされるのは当然かのように承知をしております。また内閣委員会の記録の中にもこれはあったのではないかと思います。昨年の十一月二十一日のこの委員会での報告の中には入っておったように思うのですが、いかがですか。
  372. 山中貞則

    山中国務大臣 それは、たぶん楢崎委員が、実に巧妙な質問をされまして、うちの久保防衛局長が、ずっと先の先のことまで何かそうなるような話をしたときに、たまたまその話が含まれていたのじゃないかと察しますが、未定であるということは、絶対に配備しないということにはならないことは、もちろんでありますが、しかし築城にきめるかということについては、これは築城も含めた配備上の問題として考量する、検討するということでありまして、いまだ全然、そういう具体的な検討に入る段階には入っておりませんし、またそうなりましても、滑走路の拡張、延長その他はやりません。
  373. 吉田法晴

    ○吉田委員 時間がございませんので、楢崎君の質問の際の話でなくて、内閣委員会から現地に調査に参りましたその第一班の報告の中で、築城に関連をして四次防の中で云々ということを読んだから、私はお尋ねをしたわけでありますが、地元の空気等もございますから、私から言いますと、配備がされなければこれに越したことはないという立場でお尋ねをしたのであります。  時間がございませんから、最後に、防衛庁長官、それから外務政務次官がおられますから承りますが、緊張緩和、特に日中国交回復の際に、日中共同声明が出されましたが、その中における平和五原則は、日中関係だけでなくて、これからのアジア、アフリカあるいはラテンアメリカ等も含めます外交の基本原則でなければならぬと思うし、また安保条約、安保体制に変わって、これからの日本の国内外における政策の基礎になるべきだと私は信じております。  ちなみに申し上げますけれども、私は、バンドン会議にも、その前のアジア諸国民会議というものにも出席をして、その感を深くしているところであります。今度の石油問題、それから東南アジアの首相訪問の際のタイあるいはインドネシアその他での情勢は、このことをはっきり物語っておると私は思います。思いますが、安保条約の再検討という問題を、いまの二つの基地に関連をして申し上げますと、幾つかの基地が西部にはございます。全国の問題については、私、いま言いませんけれども、中国との国交回復をしたら、中国に対して安保条約で予定しておりましたものはなくなった。それからまた、西日本の大部分の基地、あれは、いわゆる大東亜戦争の末期における特攻基地としてつくられた。それを安保体制の中で整備をして、そして実際にはいわゆる朝鮮戦争のときに相当使われた。もし、もう一度ああいう事件を起こそうというなら、別問題であります。  私は、妙義山の高岩の訓練学校をつくられるときに、時の鳩山総理に言って、やめてもらったことがあります。もう一ぺん朝鮮戦争を繰り返そうというなら別問題だけれども、金剛山でゲリラにやられたからといって、山岳訓練をやる必要がどこにあるかと言って、やめてもらったのです。  そういうことで、今日の緊張緩和あるいは日中国交回復の情勢の中で、防衛庁長官の言われるように、経済的にもかつてのような方針や経済的な侵略と考えられるようなことは考えられない、あるいはそういう疑問を、私のほうで再検討すべきだというならば、マラッカ海峡防衛論も、あるいは今日のアジアの反日運動に対する邦人保護論なんというものもあり得ぬことで、そうすると政治、外交の方針について、先ほど言われたように再検討せられるとするならば、私は、西日本の基地の問題についても再検討されるべきだと思います。  基地の再検討、それから整理縮小という議論が起こっております中で、これが一人の人間あるいは特定の政治的な人たちが言うというなら別問題でありますが、市をあげて、あるいは町をあげて、その地域をあげてやはりいろいろ出てまいりますものは、これは政治的にもやはり検討すべき時期に来ておるということは言えると思うのであります。  東南アジアだけではございません。この再検討をし、あるいはやめるべきものがあるということについてはお考えをいただけるかどうか、防衛庁長官と、あわせて、外務政務次官がおられますから、承ることができれば幸いであります。
  374. 山中貞則

    山中国務大臣 おっしゃるように、なるほどマラッカ海峡防衛論なんというものは、まさにナンセンスでありまして、そういうことは考えてもいませんし、不可能でありますし、できっこないわが国の自衛力であります。また憲法上も疑義があります。  でありますが、かと言って、安保条約を見直して、日中国交回復があったから、少なくとも安保条約をやめろとおっしゃったわけではないのでしょうが、西日本の基地は、お話によれば、中国に向けてあるのだから、そこはやめたらどうかというお話のように受け取れないこともなかったのですが、しかし、なるほどいまソ・中というものは、雲行きは険悪でありますが、かと言って、両国の間の条約である、日本を明らかに念頭に置いたと思われる両国間の相互安全保障条約と言っていい条約は、いまだに残っております。  要するに、私たちは、仮想敵国は持ちません、しかし日本に対して、現在敵でないと絶対に考えられる国があるとすれば、それはただ一つ、アメリカであります、何とならば、それを信頼して安保条約を結んでいるからであります、ということしか言えないのでありまして、日中の国交回復があったから、日米の安保体制下におけるわが国の自衛隊の布陣に変更を来たすべきであるということは、もともと、仮想敵国で、どこの陣地はどこをねらったというふうに配置して考えたつもりはありませんので、そのような考え方によって西部方面の基地についての観察を、また別にするという気持ちはございません。
  375. 吉田法晴

    ○吉田委員 これで終わりますが、岡垣の射爆場問題については、しばしば他の議員からも取り上げられましたから、若干は御存じであろうと思いますが、大きい議論は抜きにしまして、あそこに米軍が射爆場をつくりましたときに、三里松原を切った。その三里松原を切って、そしてそのために農作物の被害が、芦屋、岡垣等、相当の町村にまたがってございました。その被害補償を求める中から、内閣委員長をされた三原議員も政治家として登場してきたという経緯もございます。  したがって、いま、射爆場があるために、あの辺の町村がたいへんな迷惑を受けていることも事実ですし、岡垣町の海水浴場も使用できない。返還されてきた間の、わずかに去年、おととしという間に海水浴場やら、あるいはキャンプ場やら、いろいろございましたが、また射爆場を再開いたしますと、その岡垣の発展というものが阻害されることも事実であります。  したがって、町長が、射爆場をやめるということを約束して町長になった、それを条件つきにするということによって、かろうじていまの町長が誕生したという経緯も御存じだと思う。したがいまして、真剣に射爆場を取ってもらいたいということは、これは町民の共通した意思ということが言えます。  それだけに、五年後にはという話でありますが、五年を待たずに、五年以内に廃止云々ということがございますだけに、この町民の意思というものを尊重されますように御努力を願いたいということだけを申し上げて、質問を終わります。
  376. 徳安實藏

    徳安委員長 受田君。
  377. 受田新吉

    ○受田委員 いまの時間では、相当電力も消費されることですから、非常に熱エネルギーに弊害を与えておりますから、私は、わずかで、先ほど御質問したくらいで終わります。  長官、先ほどの質問に返るわけでございますが、日米安保体制に対する転換期が来たのではないか。日米安保体制は崩壊せしむべきであるというような声さえあるようなこの段階で、日米安保体制に対するすなおな意味の再検討に迫られておると、私は私なりに判断しておるのです。  そこで、あなたにちょっと伺いたいのですが、中曽根防衛庁長官が、御在任中にこういう発言をしておられる。つまり国防の基本方針第四項といえば、外部の武力攻撃があったときに対処する対処のしかたがうたってあるところですが、これに対して中曽根構想は、外部の武力攻撃があったときには、日本が国をあげて、打って一丸となってこれを排除し、必要があれば、アメリカの協力を求めるというような形にすべきだという構想を持たれた。  これは、その前に、かつて有田防衛庁長官が在任中に、私から質問をして、国防の基本方針の中にある日米安保体制を基調として、そして自衛隊を補完とするようなことは、いかにも自主性がないではないか、自主防衛、専守防衛という意味からは、自衛隊そのものを、もうちゃんとした実力を持った形に考えて、必要によって日米安保条約を補完として考えていいじゃないかという逆の考えはどうかと言ったときに、有田さんが、それは非常にいい御意見だと言って、これに賛成をされたことがある。  その後、いつの間にか、またそれがもとへ戻って、さらに中曽根長官がそういう発言をして、日米安保体制を基調として、そして自衛隊を補完とするというあの国防の基本方針の第四を変えて、日米安保体制は補完である、日本の自衛隊が基調であるという形に考えたいという構想を示されたわけですね。それが破れて、第四次長期防衛力整備計画の中には、国防の基本方針が、また日米安保体制を基調として自衛隊を補完とすると戻っているのです。非常に二転、三転、四転しておる。  この問題は、日米安保体制にきびしい批判が出たこの時点で、このあたりで日本の自主性、専守防衛の基調に立ち、国民合意の上における外交、防衛というような形を御採択に相なって、山中長官は、再びいまの日米安保体制に対するきびしい批判が出てきた時点では、中曽根構想なるものは適切な構想である、こういうお考えはないか。  私たち野党の側で、こういうことを質問するのは、いささか越権になるかと思うわけでありますが、しかし、われわれの党も、そういう意味で専守防衛であって、最小限の自衛措置を認めている党でありますがゆえに、日米安保体制の上に乗っかかって、自衛隊は補完などというような、現在の国防の基本方針というのは、これはおやめになってはどうか。このあたりで明確なる御答弁を願います。
  378. 山中貞則

    山中国務大臣 防衛庁長官は、中曽根君ばかりではなかったわけでありまして、中曽根構想というのは、いろいろずいぶんありまして、途中で消えてしまったものもあるようでありますから、別段だれがどう言ったということでなしに、いまおっしゃったような補完とか何とかということばは、あまり関係がないのじゃないかと実は私は思うのです。  これは、また新しい山中長官は、こういうことを言ったがということにあと残るのかもしれませんが、要するに日本の防衛というものは単独ではなし得ない。これは、われわれが第二次大戦の末期にあれだけの全力をふるって、沖繩の人の多大な犠牲の上に立ってだめだったのですから、ましてミサイルが大陸間弾道弾として飛びかう時代において、単独でできるわけがないし、そういうばがなことをやれる憲法も持っておりませんから、そうすると、私たちは、やはり二国間の安全保障として、国連憲章を踏まえた精神のもとに、アメリカとの安保体制というものを基調としていかなければ、自衛隊というものの存在そのものがナンセンスである。  しかし自衛隊を基調として安保条約で補完するというのは、これは基調、補完ということばで言うと、おかしなことになりますので、日本がとても持ち得ないようなもの、いわゆる象徴的なものは、核抑止力とか、あるいはまた戦略的には非常に守るに弱い列島を、われわれが単独で守りおおせない、そういうときには、安保条約を、相手方を信頼して結んだのでありますから、向こうさんが、それぞれの近代兵器を駆使して守ってくれるであろう、そういう信頼というものがありますから、ここで新しく唇歯輔車というような間柄であって、初めて日本の自衛隊というものが、現実にある意味において、外国が日本に手を出すのをちゅうちょするという存在になり得るのではないか、だから、そういう意味では、閣議決定の安保体制を基調とするということが、やはり自衛隊が存在して役に立つということの出発点にはなっておる、まあ、そのように思います。
  379. 受田新吉

    ○受田委員 日米安保体制に対するきびしい批判が出て、東南アジアの諸国があれだけ強烈な抵抗をし、また中近東にきびしい批判が出ておる時点で、日米安保体制が経済協力、安全保障体制の結びつきに対する批判ということで、その背後に大きな陰として落とされておることは、われわれは率直にこれを認めておるわけであります。したがって、そのあり方を、これらの国々に暗い陰を落とさぬように変えていく必要があると思うのです。  私たちは、いま一挙に日米安保体制をくずせと言っておるわけじゃない、大きな方向転換をすべきときである、こういうことを言うのである。私は、あなたが依然として日米安保体制を基調とするという発言をされたことに、古いタイプの政治家であると規定せざるを得ないことを、たいへん痛恨事に感じておるわけです。日米安保体制というものは、集団安全保障体制です。これを基調として、そして自主防衛は、その背後にちょっと引っ込んでおるというかっこうになるよりは、祖国はわれわれで守るのだ、それに、必要によって集団安全保障体制を考えていくという考え方が、独立国家の防衛庁長官としては筋が通るじゃないですか。日米安保体制の陰に自主防衛が小さく隠れるような防衛庁長官構想というのは、この時点ではさびしい。  もうわが国は独立国である。アメリカや日米安保体制を基調として、自主防衛が陰に隠れてはいませんですか。われわれは、そこに集団安全保障体制、そして個別的な安全保障の関係、自衛権というものが、どういう形になるにせよ、やはり形態としては、自主防衛、自国にある自衛権というものが基調となって、そしてそれに自衛権の裏づけとしての自衛隊を、それの集団安全保障体制が補完業務、補完任務を果たしてくるという見方のほうが、独立国家として筋が通る。  この議論は、時間がありませんし、どんどん電力のメーターが上がるから、ここでこの問題はやめますが、もし私の意見に多少でも共鳴、歩み寄りなさる御意見があれば、一言御答弁を願いたい。
  380. 山中貞則

    山中国務大臣 私は、同感なんですよ。同感なんですが、基調と補完ということばで、原則と何かそれを補っていくような存在としてそれを言えとおっしゃるから、そうではないのだ、もちろんわが国の平和と安全、国民の生命財産、これは私たちが守る、しかし、とてもいまのこの世界的な武力の均衡の関係では——まさに恐怖の均衡でしょう。その中で日本がそれだけであったならば、日本に手を出すものがいないとは限らぬ。そのために安保条約というものがある。だから、ある人は、安保条約を、その意味では補完的だ、いわゆる主体性はどっちかといえば、日本ですよね。しかし、実際上の能力はどっちかといえば、日本のみではどうにもならないときには、アメリカの抑止力がありますからということで、日本はこの程度で、国力、国情に応じて、国民の生命、財産はわれわれの手で守る、それは、もうおっしゃるとおりで、古い体質、新しい体質よりも——同じです、変わってはいないのです。表現を変えるかと言われるから、これは閣議決定だから、それを変えるような、基調と補完というとらえ方でない言い方で私が言おうとしたのが、あるいはおまえは古い、こう言われたかもしれない。
  381. 受田新吉

    ○受田委員 閣議決定を変えるのが、あなたの任務です。国防の基本方針の第四項を変えればいいのです。中曽根氏を単に例示しただけですけれども、彼は勇敢にこれをやったですよ。しかし、それは最終的に、他の閣僚の了承が得られなかったが、あなたのような優秀な閣僚が、この機会に、やはり自主防衛、自衛力を先頭に立てて、日米安保体制は補完的な任務を果たすというかっこうに変えれば、ほんとうにいまの日米安保体制に対するきびしい批判に、日本は防衛庁長官がこういう考えでおるのだという新しい夢がこれらの国々に持たれると思うのです。  その旨を私は言うておる。ちゃんとこの「国防の基本方針」に書いてあるのだから。はっきりと日米安保体制が基調、それで自衛隊を補完、いかにも補いをつけるのに自衛隊——日本の自衛隊の人々が、われわれはこのような補完の任務をしているのだと感じるのと、われわれが国防の基調になっているのだと感じるのと——どっちが基調になっているか、何ならそこをちょっと読んでください。
  382. 山中貞則

    山中国務大臣 「国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行なわれるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある。この目的を達成するための基本方針を次のとおり定める。一、国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する。二、民生を安定し、高揚し、愛国心を国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。三、国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。」、こういうふうにきちっとしてあるわけですよ。「四、外部からの侵略に対しては、将来、国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。」ということですから、これでちっともおかしくない。
  383. 受田新吉

    ○受田委員 おかしいでしょう。そう書いてある。だから、日米安保体制を基調にするのでなくして、自衛力を基調として日米安保体制を集団安全保障体制として補完的に考えていけばいい。だから、基調は日米安保体制が基調になっている。おかしいでしょう。それだから、日米安保体制に対する批判がいま出てきておる段階で、われわれの自主防衛を基調にしていくべきじゃないか、独立国としての。これはさびしいですよ、日米安保体制を基調とするということばがあっては。長官、今晩一晩ゆっくり考えていただくことを要望しておきます。  もう一つ、私、この際外務省の政務次官、あなたにちょっとはっきりした見解を表明していただきたいことがあるのです。東南アジアの、インドネシアの今度の事件、中近東のああした石油についてのわが国に対するきびしい抵抗、こういうようなものを見るときに、マレー語とかアラブ語とかいう専門の外交官があまりに少ない。これらの人は理事官として現地採用みたいなかっこうでいくのか。あるいは参事官とか書記官とかいう形でない、格式の低いような印象を与える理事官が、このことばの専門家として活動しておる。これをこの際、アラブ諸国に対して兼任大使などを一切やめて、堂々たる大使、有力な大使を派遣し、そしてりっぱな、これらのアラブ語とかマレー語ができる参事官、書記官を任命して、これらにりっぱな対等の交渉をさせるようにして、このへこんだ後進国というような関係で、粗末にした外交官の布陣を根本的に変えて、小国たるといえども侮らず、大国たりともおそれざる、りっぱな外交布陣をやる決意があるかどうか、外務大臣にかわる副大臣のあなたの考え方を聞いておきたい。
  384. 山田久就

    ○山田(久)政府委員 いまのお話、全く同感です。何といっても、特に国家の関係では、その根本では、やはり人間関係というものの結びつき、これが非常に大事である。これについては、やはりその土地を知り、語学を知りというそういう人間、しかも有能な人が大いにその衝に当たることの必要、今日までそういう面で欠けている点があった点は、大いにこれを直していくことの必要性、これは同感であります。  ただ、かつてよりも、実は相当な人材をアラブ語に、高文の連中も、そういうほうに入れてやりだしてきておることは事実でありまして、まあ一般の人についても、優秀な人を将来の希望の持てるような形において大いに活用して、当面の外交の機能を発揮せしむるように留意すること、尊敬すべき受田先生の御発言に対して賛意を表する次第でございます。
  385. 受田新吉

    ○受田委員 いまの賛意を表することを具体的に、すみやかに、人材を民間からも簡抜するなど、大使の任命も全面的にやっていく、外務省のキャリアだけに大使の道を開かずに、ノンキャリアの中からも優秀な人材をこれに採用する。そしてマレー語、アラブ語、こういうものにも力を入れる。世界のすべての国との平和外交の典型的な国家をつくろうじゃないですか。勇気をもって実行してもらいたい。  あとの質問は一切中止、御協力して御苦労さまと申し上げて質問を終わります。
  386. 徳安實藏

    徳安委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後六時二十六分散会