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板川委員 どうもこれはどろなわよりも実はひどいような感じがしますが、これはいずれまた他の議員からこの問題については追及もあるだろうと思います。
次に、私は
大臣と議論してみたいと思ったのですが、この統制という問題ですね。この統制は、
国民の合意といいますか、
国民の協力がなければどんなにやっても絶対に成功するものじゃない、これは原則だ、こう思うのです。実はわれわれのほうの仲間でも、統制の是非というものについてるる議論があります。たとえば、
価格は元売りから卸から
小売りまで全部統制しておかないようにしろ、こういう
意見があると同時に、また一面、
官僚統制はいかぬ、こういう議論がありまして、統制というものについてどうもいろいろ感じ方が人によって違う。まあわれわれも聞いた話でありますが、西欧のほうでは、この統制というものに
国民的なコンセンサスができ上がっておる。そして、たとえば
石油がこのように三割近く激減するような場合には、これはお互いに公平を守るために統制してもらって、そうして公平を保っていこう、こういうようなことで統制というものがわりあいにすなおに受け入れられるということのようであります。それはある
意味では私は政治に対する
国民の信頼というものがあるからだろうと思いますね。政治に対する
国民の信頼があるからそういう統制についても一時がまんしようということだろうと思うのです。ところが、どうも
わが国には、この統制というものについて
国民的な合意がまだでき上がっていない。交通が
混乱したならばお互いに交通整理をする、交通のルールをつくって守るということはお互いの利益だと思うのですが、なかなか戦時中の統制のイメージも残っておりまして、その統制に対する
考え方の
混乱がお互いにあるようであります。
そこで、やはり根本は政治に対する信頼だ。だから
大臣がたとえば
灯油は三百八十円、必ずそれで売ります、
確保いたしました、約束もしましたと言っても、実際町に行ったならばどこにも売ってくれるところがないということでは、私はほんとうの信頼というのは生まれてこない、こう思います。ですから言ったことは必ず守ってもらいたいと思うのですが、しかし、物がこういうふうに、
石油が二割近く削限をされる、あらゆる物資の
生産が激減をする、こういう状態になってまいりました際に、どういう統制が一番いいのだろうか、こう
考えてみますと、
一つは、きのう学者先生なども盛んに言っておりましたが、
価格メカニズムを通じて適正な配分をはかる、こういう方式が
一つあります。これはアメリカがいまそういう態度をとっておりまして、
石油の
価格なんかも、ちょっと見ましても大体このところ一・八倍くらいに上がっております。
日本でこの
価格メカニズム、自由な
価格制度の中でやったならば、
公取は弱いし、独禁法の姿勢というものも弱いものですから、結局買い占めや売り惜しみが行なわれ、そして金持ちだけに物が入る、貧乏人には入らないということになるだろうと思います。
次に、統制の方法のあり方としては、これは
産業界の稲山鉄鋼連盟の会長などが盛んに主張しております
産業界のいわゆる
価格カルテル、これは
産業界が上から下へ垂直的なカルテルで
価格を安定しよう、こういう方式がいわれております。しかし、これもこういう方式が実現をしますと、結局独占大資本だけが太って、
国民はやせ衰えてしまう、結論としてはそういう形になります。
いま言った一と二がだめだとすれば、残されているものは何か。これは国の統制によるほかはないのじゃないか。ところが、国の統制というのは、わがほうの中にも
官僚統制けしからぬ、こういう声もありますし、各党にもそういう感触を持って発言する人もあります。それでは他に方法があるかというと、どうしても他に方法がないとすれば国の統制以外にないが、
官僚統制が悪口を言われるのは、官僚と産業、民間とが癒着をして
国民の方向を向かない、こういうところに
官僚統制の弊害ということを
指摘されているのだろうと私は思うのです。だから統制のあり方としては結局国の統制によるが、
国民の監視機構を設ける。
官僚統制といわれるものと同じような統制のしかたをするかもしれませんが、その上に
国民の監視機構をつくる。ですから、民主的な国の統制ということでなければならない、こういうふうに感じます。
この
石油需給適正化法案が成立をして、そしていろいろの点で、いわば官僚の統制といわれるものが経済の仕組みの中に、生活の仕組みの中に入っていくわけでありますから、そういう面では、安全装置をつけた車を走らせる、この安全装置とは
国民の監視機構である、そして
国民の監視機構ということは、これはすなわち国会である、最高の監視機構としては国会である、こういうふうに感じますが、
大臣の見解はいかがですか。