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長谷川国務大臣 その前に、先ほど枝村さんが、こういう大きなときには人間
関係が必要だ、こういう
お話がありましたが、私は、実を言いますと総理が、
皆さん御
承知のように施政方針演説の中においても、春の
賃金改定のときに労使の円満な解決を主張されている演説も拝聴しましたし、さらにはまた労組の幹部の
方々と総理
大臣が、これは
春闘の問題とか全然切り離してお目にかかる、そういうふうに拝承しておって、去る二月の二十一日に御
承知のとおり総理官邸の懇談会で、労働四
団体の
方々と総理はじめわれわれ閣僚が全部御懇談申し上げ、そしていろいろ話をし、さらにはまたその
あと各
関係閣僚が一人ずつ、ときには労働四
団体の方、あるいはまた各それぞれの御希望の
組合の
方々にお目にかかったようなことでして、ずっとそういうふうな積み上げといいますかリレーションというものは、どういう形においてでも私は続けていきたいという
気持ちを持ってやっておりましたことを御理解いただきたいと思います。そうした中から、国会でも御
審議がありましたが、御主張もありましたが、
社会保障の問題、底辺の問題等々は非常に
皆さんも御力説があり、また政府のほうも
皆さん方の御主張、あるいはまたそういう
団体の
方々にお会いしたときの
お話等々も含めまして、先日底辺の
方々に百三十億という金を出したというふうな形になっておるわけであります。そういう御報告を私が申し上げる中に、実は三月一日の問題についてもぜひひとつ御
配慮をお願いしたいということを申し上げたことでございます。
いずれにいたしましても、私は
労働省というだけでなくして、こういうときにやはり話し合いをし、パイプを通じていくということが労使とも
ども、政府、
組合の問にも大事なことではなかろうか、こうつとめておりますことをまず御理解いただきたいと思います。
それから三月一日に、散歩がてらという方もございますけれ
ども、前の晩は一時半に役所に帰りまして、普通ならみんな眠いわけでございますけれ
ども、私は七時に家を出まして新宿駅に行ったわけであります。何さま前々から計画されたことでもあり、しかも私の母校早稲田大学が心配でございましたから、七時二十分に早稲田大学の
先生に電話をしたら、もうすでに七時半までに大学に行くということで家を出たということでございました。そういうふうに受験生が心の中に受ける影響というものは、だれかかれかとにかく試験を受ければ入ることは入ると思うのですけれ
ども、非常に感じやすい諸君が非常なショックじゃなかろうかという、これは私
自身の
気持ちでございますから、大学に連絡をしたり、駅ではずっと三、四十分歩いてみました。あのときは私鉄が動いておりましたから、私鉄のほうからあふれるように来る諸君が、国電が全部休みでございますから、八時から解除になるところの都営バスに乗ろうとする諸君、あるいはまた地下鉄に乗ろうとする
方々、さらにはまた企業、会社が持ってきたバスに乗ろうとする
皆さん方、それをまた混雑しないように誘導しようとする人々の
努力。駅に行って駅長さんにお目にかかって話を聞いたり、あるいはまたそれを警戒している警察官の
方々が、駅員のかわりにマイクを持って、こちらのほうを静かに通ってくださいという話などを聞きながら、もうここに来たならば、
ほんとうにトラブルなしにきょう一日過ごしてもらいたいという
気持ちで、東京駅もまた見ようと思いましたけれ
ども、何さまもう自動車とバスが込み出しましたものですから、東京駅には参らずに国会のほうに出てきた次第でありまして、ああいうストライキが行なわれましたけれ
ども、まずまずトラブルがなくて、
社会的混乱がなくて済んでよかったということと、早稲田大学から私には、五十名遅刻をいたしました、しかしながらこれはちゃんと受けるようにいたしましたという話な
どもありましたし、女の大学も、何かそういうふうなことでありましたが、受けられるようにしたということで、
ほんとうに一年に一ぺんあるいは二年、三年浪人したような諸君が、いなかの者であればあるほど、土地不案内の東京で、受験の悩みとそういう道不案内の悩みで苦しみながら、とにかく受験場に入ったんだなということで私は評価したようなわけでございます。
散歩がてらと表現をする人もあるでしょうけれ
ども、私とずればまず懸命な自分の
気持ちをかきたてながら歩いたという
気持ちでございます。