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佐藤参考人 長崎県庁で当面の
担当をやっております
保健部の
環境保全局長の
佐藤達夫であります。
三月の八日に
新聞で初めて私たちも知りました。まさに降ってわいたようなというのが、そのときの実感でございますし、非常に驚き、かつ半信半疑という面もございました。
そこで、これはさっそく
現地についてよく聞いてみょう、どういうことなのかということで
現地へ参ることに私はいたしました。翌九日の朝の便で
対馬へ渡りました。御承知のように、
長崎から
対馬へ出ていきますには、まず博多へ出まして、博多から船で五時間かかって
対馬の
厳原に着くわけでございます。それで三月九日の土曜日の午後、
現地厳原町に着きまして、町長はじめ皆さんとともに、当の対州
鉱業所へ参りました。
所長さん、
担当の方に会い、こういうふうな
新聞が出たが、君たちは知っておるのか、あるいはどうなんだということを聞きました。
対馬は、もちろん船便の悪いところでございますので、
新聞そのものは一日おくれると申しますか、少しおくれてまいる。そのときの
印象と申しますか感じから申しますと、
所長さんもたいへん周章ろうばいというか、もう何をしていいかわからないというところでございました。
私
どもは
現地の
所長に対して、ひとつあなた方のほうでしっかりした、自分でこうだったということを
調査する窓口をつくりなさい、だれが
担当か何かさっぱりわからぬじゃないですかということで、
担当の窓口をつくってください、こういうことをお願いをまずいたしました。それから、その土曜日の晩、
現地の
鉱業所の近くにございます小茂田というところの公民館に、地元の
方々に御参集をいただきまして、その中にはたんぼがよごれて、もう農業のできなくなった人、あるいはもと
鉱業所につとめておいでになった方もいらしたようでございますが、ともかく
被害者と申しますか、地元の
方々とお会いをいたしました。私
どもがねらいましたのは、その皆さん方の中に、
会社のほうではいろいろ工作が行なわれたが、皆さん方のほうでも何かそういうことを知っておることがあるならば、ひとつ教えてください、いわゆる証拠固めというと、ことばが過ぎるかもしれませんけれ
ども、情報をいただきに行ったわけでございます。
ちょっと話がもとに返るかもしれませんが、このいろいろな
調査の中の
データに捏造があった、工作があった、それについて、感情的には、われわれはたいへんびっくりし、たいへん失敬なことだ、言語道断だ、けしからぬということを感情的には持ちましたが、事務的には、一体どの
データがよごれておるのか、どの
データが間違っておるのか、それによって判断が違ってくるのか違ってこないのかということが、私
どもとしては一番の関心事でございました。どの
データが曲がっておるか、曲がった
データをさがしたい、どれとどれなのか、というのがわれわれ仕事をする上においては一番の最大の関心事でございます。でございますので、当面の現場の
所長にも聞き、それを裏づけするために地元の
方々の御協力ということを求める、こういうことをひとつということでまず考えたわけでございます。
しかし、たいへん残念でありましたことには、われわれ行政に対して、いまや非常な不信が地元の
方々にある。いまこのことで御協力をお願いしたい、こういうふうなことをお願いしましたが、もう根っこから、君たちは大体いままで
企業べったりではなかったかということで、ごうごうたる御非難をここでいただいたわけでございます。ついにその証人を得るといいますか、そういうふうな私
どもがねらった目的を達することはできませんでした。
その後、こういうことをいろいろ考えてみますと、私
ども行政としての
責任、そのことを非常に私
どもはいま痛感をいたしております。まことに申しわけないと、われわれ
自身もそういうことを思います。たとえそこで捏造され、擬装をされたとはいえ、擬装をされるだけのすきを私
どもが与えた、そういうすき間が事実存在しておったということについて、たいへん遺憾でございます。
われわれ県が、どのようにこれにいままでタッチしておったか。それは先ほど
重松先生からもお話がございましたが、
昭和四十三年に
厚生省が
日本公衆衛生協会に御委託になって、いわゆる
環境汚染の
研究をなさる、そのときにわれわれ県の者が
班員として、あるいは
サンプルの水をくむ、そういう作業のお手伝いをするというふうな
意味で参加をいたしております。それが四十三年でございます。四十四年には、同じく
厚生省が
日本公衆衛生協会に御委託になって、これらの
地域の
カドミウムの摂取と蓄積に関する
研究、それにわれわれ県が
班員として御加勢をしておる、こういうことでございます。それから
昭和四十五年には、経済企画庁が県へ直接御委託になった佐須川、椎根川の両方の河川の水質基準の
調査ということを、われわれ県のほうで
担当をいたしております。
昭和四十六年以降は、県は国の補助を得て水質
環境の監視、測定という作業を実施いたしております。
いずれにいたしましても、第一線のわれわれのところで非常に不手ぎわがありまして、たいへんなことになりました。私
どももたいへん
責任を痛感いたしておるようなわけでございます。
以上、御
説明を申し上げます。