○渡部(一)
委員 ことばがむなしい感じがしてしかたがないのですけれ
ども、お話が空転しているような感じがいたします。というのは、あまりにも程度がひどいからです。
ことばのわからない者同士がおつき合いをするのではしようがないというので、
ことばを両方でわかるようにまずしましょうというようなことを早急きわまる対策にしなければならないと思う。そうしたことについて
最初の手が打たれないで、三木特使の持っていったものは現金であり、ダムであり、道路である。こういうやり方の
外交をすると次に受けるショックというのは何かというと、エコノミックアニマルとしての
日本というものしかクローズアップされてこない。だからこそ、人間の心をとらえる
外交という基礎的な姿勢をまずやってこなければいけないと私は思うのです。それがなくて、三木さんが油ほしさにおじぎして歩くというようなニュアンスを与えたとしたら、それは私は
日本外交にとってはマイナスと言うしかないだろうと思うのですね。だから文化
関係の問題について、私は何回か申し上げたのですけれ
ども、
一つの数字を申し上げておきたいと思うのです。
文化政策
関係費として組まれている予算が
日本は大体少な過ぎる。
国連において、文化
関係予算というのは国家予算の一%にしようという案が後発の国からすでにあったのですけれ
ども、
日本は〇・一%にすぎない。イギリスですら〇・三%、フランスでは〇・五%、これは一九七三年時でありますけれ
ども、西ドイツにおいては一・〇%、一%をこしておる。ソ連においては一九七一年〇・九六%。ところが
日本は〇・一%、 ソビエト、西ドイツに比べれば割合にして十分の一ですね。そういう程度の文化予算であります。
しかも文化系予算の中でいやになりますのは、このいわゆる文化交流基金というものの正体というものが、その重点というものがかかっておりますのがほとんど人件費であり、実際にはもう十億円も使えないような
状況で予算が組まれている。先日、田中総理、
大平外務大臣が訪米されたときに、あるいはヨーロッパへ行かれましたときに、多少文化基金として積み上げられた特殊なお金を加えたとしても、その
内容というのはまことに微々たるものであります。
アメリカが各種
機関で出すものを加えれば八百億というような金額を出してくるのに比べて、
日本の文化
関係に対する費用がいかに少ないかおわかりいただけるだろうと私は思います。
そこで申し上げるのですけれ
ども、アラブ
外交の基礎をやるにあたって、まずその辺を明確にしなければいかぬと思います。
それから、時間がなくなりましたから、私はいま共産党の方が言われましたもう
一つ前のところを、これはこの次の宿題にして考えていただきたいと思うのです。というのは、私は何から言おうとしているかというと、アラブ
外交の一番先、
わが国がアラブ
外交で明確であり続け得なかったのは、もう
一つ前の原因があったと思います。それはイスラエル国家の建設のときにさかのぼって、
わが国はイスラエルとアラブの紛争、数千年以前から今日に至るこの紛争に対してどういう感覚を持っているか。それに対して明快なる
判断というものを持っていなければいけないと思うのです。それが不明確であり、そこへもってきて今日の紛争が重なり、それがまた不明確である。どちらが侵略ともいえないような
状況になってしまう、どちらが正義かもいえなくなってしまうという
状況については、それはむしろ現
段階でのみ
外交を考えるためであると私は言いたいわけであります。
どうかその辺の根本的な問題からもう一回考え直されて、少なくとも直ちに自主
外交をとれとは私は自民党内閣に
要求するつもりはない。しかし、
判断と計算と評価について自主的な
外交というものはとり得るのではなかろうか。そういう
意味でもう少し研究されて、対策をお立てになったらいかがか。口はばったいようでありましたけれ
ども、これを申し上げておきたい。いかがでございますか。