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森山国務大臣 私は先ほどの
質問の御
趣旨が、この両三年中ぐらいにおいて、現在建設中の原子炉の完成できるところで、大体年度末に幾らぐらいになるかというようなことの御
質疑かと思いましたものですから、そこまでこまかく計算したものを
手元に持ち合わせませんので、黙っておったわけでございますが、しかし大筋、昭和四十七年の
原子力委員会の長期計画、五十五年三千二百万キロワット、六十年六千万キロワットという従来の計画がございます。そしてだいぶ世の中が昨年来、中東紛争に基づく石油
事情等も変わってまいりましたし、またかつは、ここ二、三年来における
原子力界の動向についても注目すべきものがございますから、私の責任で、稲葉
原子力委員に
——まあ
原子力委員と申しますよりは、この種の問題について長年御勉強になられた稲葉先生に、御検討方をお願いいたしまして、まあこういう非常に動いている時代ながら、腰だめ的な
考え方をひとつまとめて対処しなければならぬということで、いわゆる稲葉私案を御作案を願い、またすでにこの
委員会を通じて発表もいたしたわけでございます。これは第一次私案でございますから、第二次私案にもなり、またこれは科学技術庁あるいは
原子力委員会としても、少なくもここにつくりました案は単なる案にとどまらず、それは昭和五十年以降の予算要求等のベースともいたしたいと
考えておるわけでございます。
これと相呼応してと申しますか、ここで一石を打ったものですから、通産省のエネルギー
調査会でも、全体的な見地もかねて、エネルギー問題全体を
考えまして、中間報告を六月ごろ出されるものだというふうに、私
どもは予想をいたしておるわけでございます。しかし、これは稲葉先生御
自身も、そのエネルギー
調査会
原子力部会にも御参加でございますから、その通産省のエネルギー
調査会の
意見と、科学技術庁並びに
原子力委員会としての
原子力発電に対する
考え方というものは、ほぼ平仄が合った形において進んもまいるものだ、実際問題として、そう
考えておるわけでございます。
しかし、ここではっきり言えますことは、五十五年三千二百万キロワットという当初の予定は、昭和四十七年六月の電調審で、新規増設一基というような数字でございまして、四十八年はゼロでございますから、今日まで約二年間、新規の発電所の申請がないという状況を
考えまするときに、これは三千二百万キロワット、昭和五十五年に期待するということは、私ははなはだ困難だというふうに
考えております。
したがって、先ほど
井上委員からも
お話がございましたし、この稲葉私案によりましても、あれは第三案で、まあ
努力して実現可能なる目標からいたしますならば、数字はたぶん二千八百万キロワットぐらいではないかというふうに記憶いたしております。それも実現は可能であるけれ
ども、しかし
努力が必要だということで、
努力の中身につきましては、先ほど
井上委員から
お話があったとおりでございます。そういうことで、私
どもといたしましては、できるだけの
原子力発電を実現しなければならないと
考えておるわけでございます。
それができるかというお尋ねがございましたが、御案内のとおり、今日のエネルギー
事情から申しまして、これは、昔のように安い電力が好きなだけ入ったという時代と、時代が一変したわけでございますから、そしてそういう時期において、わが国のみならず、世界各国において、このエネルギー対策というものを、それぞれの国の
実情に応じて立てておるわけでございまして、アメリカは申すまでもございませんが、石炭はあれだけふんだんにあり、油は一九六〇年代まで自給自足をやっておる、こういう国におきましても、このたびのエネルギー自給計画であるプロジェクトインデペンデンスによりますれば、支出百億ドルのうち四〇%、核融合を入れますと五〇%に近い額というものが
原子力発電に投ぜられておるという
実情から見まして、すなわち、アメリカのような国でも、現在発電しております
原子力発電は、現に稼動中のものが四十三基二千五百万キロワット、わが国の総発電量のおよそ三分の一がすでにアメリカでは実用になっております。そして五十三基が現在建設中であるわけでございます。フランスにおきましても、これからつくるものは全部
原子力発電だということを言明しておる。単に紙に書いたのを言うのではなくて、私
自身は、ワシントンでフランス
政府の代表者から、あれだけ、あのワシントン
会議いやだいやだと言っていたフランスの代表から、そういう意思を聞いておるわけでございますし、またドイツも同様でございます。
ということは、これはもう当面のエネルギー
事情を解決するためには、これは資源がある国でも
原子力というものと取り組まなければならない。いわんや資源のない国においておや。エネルギーの多角的な利用ということは、これはもろちんやらなければなりませんけれ
ども、その国その国の
実情に応じて、いろいろ問題があっても、その問題を克服していくということになってまいりますれば、その本命は
原子力発電であるということはもう間違いございません。
私は、その
意味において、わが国の少なくも今世紀におけるエネルギーの新規の方向といたしましては、これは
原子力が主軸になるものであるというふうに
考えておるわけでございます。これなくして、いかにしてこれからのわが国の経済成長と国民生活の安定をはかることができるのか。私は、昔のようなあの十何%なんという経済成長は
考えておりません。五%から六%の地味な経済成長、その程度のことをやらなければ国が立っていきません、
人間がふえていくわけでございますから。また、きょうよりはあすが少しでもいいということが
人間の希望でございますから、そういう
意味において、きわめてつつましやかなる経済成長を
考えましても、それを充足すべきエネルギーには限界があり、そのエネルギーの限界を維持すべき大きな責任のあるものが
原子力になっておるわけでございますから、これは、それができるかできないかより、やらざるを得ないということが一つになるわけでございますし、それからまた、
安全性の問題、いろいろ
お話がございますが、前々から申し上げますように、社会の通念といたしましては、現在の軽水炉発電というものは、
安全性について私は心配はいたしておりません。ただ施策といたしまして、テクノロジーアセスメントという方向の上に立っておるわけでございますから、念には念を入れて、
安全性の確保につとめるとともに、従来の施策の足らざる面といたしまして、これから御
質問もあるでございましょう廃棄物の再
処理とか、廃棄物の
処理問題等について、そういう点で、従来の施策としてまだまだ充実させなければならない面に、これからの重点を移していくべきものであるというふうに
考えております。
そういう
安全性に基本的に心配があるものなら、何で一体、あれだけの資源を持っておるアメリカが、現に二千五百万キロワットも発電し
——これは四十三基でありますが、五十三基というものを建造するか。そんなにあぶないものだったら、なぜフランスがやるのだ、なぜドイツがやるのだ、日本だけがなぜあぶないのかという議論があるのか、そういうところに、私は問題点があると思っておるわけでございまして、そういう
意味で、どうかひとつ、前々から申し上げますように、国会においていろいろ御論議のあります点は、もうとにかくやはり
人間というのは、いろいろ叱吃御激励を受けませんと、つい
人間はなまけものでございますから、やはりときどきいろいろ言われなければだめだ。だから私は、先生からいろいろな御
批判があって、
意見は違うことがずいぶんありますけれ
ども、しかし、それはそういうことを気にしてやらなければ、進歩がない、前進がない、ぼやぼやしてしまう、そういうことがないようにということで、先生のいろいろの御
質疑、御説示にも耳を傾けておるわけでございますが、基本的には、軽水炉の発電は、社会の通念としては心配がない。しかし、
安全性確保のためには、さらに念には念を入れ、また施策の足らざる面については、その足らざる面に施策の重点をこれから向けていこうということには、私は全く異存がないわけでございます。しかし、だからといって、
安全性に疑念ありとは、社会の通念としては、いささかも思っておらない、そういうふうに
考えておるわけです。
そこで、当面の例の法律の問題も、きのうも先生と御論議申し上げたわけでございますが、そういう点に議論があるから、あの電源施設周辺整備法で、地元に対してお金を出すということが、何か、
安全性に疑問があるから、札びらでほっぺたをひっぱたいて黙らせるというような、そういう印象を受けさせるようなものでは全くないのである。
安全性の問題は、当然その前提として
考えなければならないけれ
ども、あの法律自体の目ざすところのものは、せっかくつくった電力が、地元には格別のありがたみはなくて、町場の工場や町場の住民の人
たちが電力の恩恵を受けるわけであります。
たとえば、栃木県は私の出身地でありますが、今日、総電力量の四分の一は、福島の
原子力発電所からその電気が参ります。電気にしるしはございませんから、石油発電だか
原子力発電だかわかりませんけれ
ども、それはもうそのありがたみは受けておるわけでございますけれ
ども、肝心の、やっている福島県の地元は、そう格別の
開発利益の恩恵を受けておりません。でありますから、そういう
開発利益を地元にも均てんさせるという、そのつり合いをとるという、
開発利益の還元という
意味において、あの法律があるわけでございまして、決して、
安全性の問題とからめて、ああいう法律がつくられたわけでは全くないのであります。
それから、
石野先生から、きのう、美浜の問題、それから敦賀の問題の御
指摘がございましたところ、きょう敦賀と美浜の市
会議長が私のところへ参りまして
——きのうの御
質疑を、あの現場で聞いておったそうでございますが、
自分たちはこの今回の電源周辺地域整備法の成立を一日も早かれとこいねがっておるのであって、何かそういう点に御疑念があるというような
お話だそうでありますが、敦賀の市長も美浜の市長も、この法律の成立を一日も早かれと祈念はいたしておっても、これに対して別の
考え方をいささかも持っておらないのだということを、けさこちらへ参ります際に
——先生のきのうの御
質疑を傍聴席で聞いておって、それで
大臣である私に対して、とにかくあの美浜や敦賀の市民は決してそう
考えてないということで、両方の議長が私のところへ参りました。でございますから、それはいろいろな
意見の方はあります。しかしあの法律の
趣旨はそういうことである。きのうもお願いをいたしためでありますが、
石野委員は、
原子力の
事情に一番詳しい、いわば国会における長老でございます。そして、時代の変化がこれだけあるということについても、十分御
理解がある。そしていろいろわれわれに御
指摘がある点は、そういう点をよく御
承知の上で、大局的見地からいろいろ御
指摘があるものだと、私は
理解いたしておりますから、この席でも、
石野委員のおっしゃることについては、なるほどということについては、一緒にやりましょうと、私は申し上げておることもあります。しかし、中にはそうではない問題もございます。しかしこういう問題は、
開発利益の還元という
意味において、
政府が
考えておることは、
安全性とからめて、
安全性についていろいろ問題があるのを、札びらでほっぺたをひっぱたくなんという、そういうひきょうな
考え方はいささかもしておらないことを、どうかひとつ御
理解を願います。よくおわかりになっておるものだと、私は確信をいたしております。そういうことを言う人はあります。言う人はありますが、そういう
考えの人
たちに対して、
政府は大まじめな、この
開発利益の地元環元のために、今回の法律案をつくったのだということを、どうかひとつ御
理解を願いたい、こういうふうに
考えておる次第でございます。