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1973-04-09 第71回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年四月九日(月曜日)    午前十時六分開会     —————————————    分科担当委員の異動  四月九日     辞任         補欠選任      和田 静夫君     鈴木  強君      田中寿美子君     瀬谷 英行君      神沢  浄君     西村 関一君      西村 関一君     横川 正市君      渡辺  武君     星野  力君     —————————————   出席者は左のとおり。     主 査         川上 為治君     副主査         横川 正市君     分科担当委員                 小笠 公韶君                 塩見 俊二君                 玉置 和郎君                 細川 護煕君                 米田 正文君                 西村 関一君                 瀬谷 英行君                 三木 忠雄君                 星野  力君    分科担当委員外委員                 楠  正俊君    国務大臣        外 務 大 臣  大平 正芳君    政府委員        内閣総理大臣官        房広報室長    松本 芳晴君        防衛庁参事官   長坂  強君        法務省入国管理        局長       吉岡  章君        外務大臣官房長  鹿取 泰衛君        外務大臣官房会        計課長      梁井 新一君        外務省アジア局        長        吉田 健三君        外務省アメリカ        局長       大河原良雄君        外務省欧亜局長  大和田 渉君        外務省中近東ア        フリカ局長    田中 秀穂君        外務省経済協力        局長       御巫 清尚君        外務省条約局長  高島 益郎君        外務省情報文化        局長       和田  力君        大蔵省理財局次        長        小幡 琢也君        運輸省航空局次        長        寺井 久美君    説明員        防衛庁装備局武        器需品課長    蔭山 昭二君        防衛施設庁施設        部連絡調整官   大池 金二君        外務省大臣官房        領事移住部長   穂崎  巧君        大蔵省主計局主        計官       禿河 徹映君        厚生省援護局庶        務課長      河野 共之君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○昭和四十八年度一般会計予算内閣提出衆議  院送付) ○昭和四十八年度特別会計予算内閣提出衆議  院送付) ○昭和四十八年度政府関係機関予算内閣提出、  衆議院送付) ○副主査補欠選任の件     —————————————
  2. 川上為治

    主査川上為治君) ただいまから予算委員会第二分科会を開会いたします。  昭和四十八年度総予算中、外務省所管を議題といたします。  議事の都合により、政府側説明は、これを省略し、説明資料は本日の会議録の末尾に掲載することといたしたいと思いますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 川上為治

    主査川上為治君) 異議ないと認め、さよう決定いたします。  それでは、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  4. 西村関一

    西村関一君 まず初めに、外務省の四十八年度予算案の中で、在外子女教育充実についてお伺いしたいと思います。  これについては、すでに資料等によって、担当この予算が拡充されていることは承知いたしておりますが、大体いま海外子女教育充実強化の問題につきましては、どのような状態になっておりますか、そしてまた、問題点になっているところはどういう点でありますか、お伺いしたいと思います。担当の方。
  5. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 子女教育手当につきましては、従来外務省が長いことかかってその実現につとめてきたわけでございますけれども、来年度予算からそれが認められることになりまして、来年度につきましては、さしあたり九ヵ月分の予算といたしまして四千六百八十七万二千円が計上されているわけでございます。この子女教育手当積算の基礎となります在外職員が同伴している子女の数は、全部で四百三十四名、これは昨年七月現在におきます小、中、高生徒の数でございます。で、この教育手当をどういう基準で支給するかにつきましては、いろいろ検討したわけでございますけれども、われわれといたしましては、外国におきます経費と、当然日本にいましても払うべき経費との差について、比較的単純な平均した数でもって支給することにしたわけでございます。
  6. 西村関一

    西村関一君 在外公館に勤務している外交官にとっての悩みの一つは、子女教育の問題だと思うんです。これは、それぞれその派遣されている地域の国の学校に入れるということが多いようであります。それも語学等の点から将来有利な点もありますけれども、また、日本人子女としての教育に欠けるところがあると思います。外交官子女は、日本人でもなければ外国人でもない、中途はんぱな人間ができるというような傾向がなかったとは言えない、こう思うのでありまして、この点に対する配慮がいま官房長説明の中にも出ておるというふうに受け取るのでありますが、しかし、まだまだこれは十分じゃないと思うのでございますが、その点につきまして具体的に、日本語教育日本人としての教育、つまり、全日制日本人学校の問題、あるいは日本語補習学校問題等について、現状どうなっておりますか、どなたからかお答えを願いたい。
  7. 穂崎巧

    説明員穂崎巧君) 昭和四十七年現在で、海外に勤務しております者は約八万四千人おります。その子女が大体九千人と推定されておりますが、これらの子女教育につきましては、主としてアジア中近東、アフリカ、中南米その他ヨーロッパにもございますけれども、各地に日本人学校というものをつくりまして、日本におきます全日制教育と全く同じ方針教育を進めております。これによって推定しております子女の数が大体二千九百人。学校は、昭和四十七年度現在で三十校でございますが、四十八年度予算で三校お願いしておりますので、それができますれば三十三校になるわけでございます。そのほかに、土地によりましては現地アメリカ糸イギリス系あるいはフランス系学校に入れておりまして、ただ、日本に帰ってきて、日本学校に入るのに困らないようにということで、補習を受けております。いわゆる、補習校がございます。これは、現在約二十八ございますが、四十八年度でさらに二校お願いしておりますので、それができますと三十校になります。それに推定しております児童が約二千八百人ぐらいだと思います。残りの人数は、これは結局、補習校も全日制学校もないわけでありまして、現地学校に入っておりますけれども、これは御承知のように、海外子女教育振興財団というのがございまして、ここで通信教育によりまして、できる限り日本に帰っての教育に困らないようにということでやっております。これが現状でございます。
  8. 西村関一

    西村関一君 全日制学校が三十校、さらに三校ふえて三十三校、それから補習学校が二十八校、それになお若干申請が出ておるからふえるということですが、まだまだそれでも足らないということは、数字の上で明らかなんです。この点は、足らないところは通信教育で補っておるということでありますけれども、実際問題として、これでは私は不十分だと思うんです。  一つは、この日本語学校も、全日制学校に派遣するところの教師、または補習学校には、これは日本から派遣しないと、補習学校では現地で採用するということですし、全日制の場合は、派遣教員の旅費及び手当ても日本政府が出す、しかし、この補習校については現地で採用する、現地日本人会その他が自主的にまかなっているというふうになっているようです。こういうことでは十分に目的を達することができないと私は思うんですが、足りないし、また実際上、この教育に当たるところの教師問題等から考えて、とてもこれでは十分に目的を達成できないと思うんです。その点いかがですか。
  9. 穂崎巧

    説明員穂崎巧君) 御指摘の点はなるほどそのとおりでございます。ただ、海外の全日制学校補習制学校、いずれも日本とは違う外国で行なわれるのでありまして、これは現地におきます父兄総意と申しますか、総意によりまして、そういう全日制学校をつくってもらいたい、あるいは補習制学校をつくってもらいたいというところから学校の設立がスタートするわけでございます。それで、父兄の中にもいろいろ考えの違いがございまして、特に東南……、そういういわば発展途上の国にありますところでは、学校が非常に十分でないというような事情から、つとに全日制学校をつくってくれという要望が非常に強いわけでございます。したがいまして、そういう父兄の強い要望にこたえまして、政府はこれに金を出しまして、両方の金で全日制をつくっておるわけでございます。しかもこの全日制学校は、日本に帰ってすぐ相当学年に入るということを目標にしておりますので、われわれとしましても、先生につきましては、新進気鋭日本からの先生を派遣するということに重点を置かざるを得ないわけでございます。それから補習学校のほうは、いまのような、同じような状況で、父兄総意によって希望があればつくっていくということでございますが、これは現地学校教育を受けながら、他方、土曜日に補習的に教育を受けるということでございまして、全日制学校よりは課目も少のうございます。社会とか国語、いわば日本に帰ってすぐ困るようなものを主としてやっております。したがいまして、スタートから日本から先生を派遣するというようなことをやっておりません。しかし、最近、われわれ、いろいろ皆さんから話を伺いますと、やはり現地学校先生だけでは不十分だということで、日本からも先生を派遣してくれという要望が出ております。われわれとしましても、補習学校は、これらの人々が帰って日本学校に入るわけでございますから、たとえ時間が足りないにしてもできる限りのことはしなきゃいかぬということで、この問題については真剣に取り組みたいというふうに考えております。いま申し上げましたようなことで、先生日本から行くか行かないかによっていろいろな違いができておりますけれども、その他の点につきましてはできる限り日本学校に近い教育をしたい、このように考えております。
  10. 西村関一

    西村関一君 そのできるだけ考慮していきたいということは、全日制のみならず、補習的な学校にも日本から送るように配慮していきたい、予算的にも措置をしていきたいという意味ですか。
  11. 穂崎巧

    説明員穂崎巧君) これは先生だけに限らない、いろんな要望が出ておりますので、先生だけを強化するというふうには申し上げかねると思いますけれども、その場所場所要望に従いまして、とにかく現在以上に何らかの手を打たなきゃいかぬということでございまして、そのように考えていきたいと思います。
  12. 西村関一

    西村関一君 それはそれぞれの地域事情によって違うことはわかりますけれども、しかし、これはやはり外務省が指導的な役割りをとらなきゃいけない。もちろん文部省とも連絡をとって、現地要望だけじゃなくて、むしろ指導的な、大所高所に立ってこうあるべきだというものを出していかなければならない。特に私が問題にしておりますのは、在留邦人の問題もさることながら、外交官子女の問題、この点について欠くるところがあってはならないという配慮から申し上げておるので、時間の関係がありますから詳しいことは伺いませんけれども、その点、さらによく検討していただきたいと思います。そしてまた、前向きに処理していただくように進めていただきたいと思います。その点はもう、さらに御答弁は要りません。  それからその次は、在外勤務外交官待遇の問題でございますが、これは漸次改善されておるというふうに承知いたしておりますが、私は毎年の予算委員会で、諸外国の、特に先進国外交官待遇と、わが国在外勤務外交官待遇とを比較していつも伺ってまいりました。漸次これは前向きに、よくなっておるということは私は認めておるのでございますが、今年度の予算におきまして、どういうふうになっていますか、官房長どうですか。
  13. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 先生指摘の点につきましては、従来からわれわれが重点を置いて改善につとめてきたわけでございますけれども、今年度の予算におきましては、在外給与改善といたしましては、先ほど申しました子女教育手当新設したことと、それと同時に住居の、住居手当基準土地事情に応じて改定いたしました。この二点に重点を置きましたために、在勤手当そのものについては、ことしは特に手を加える機会はなかったわけでございます。御承知のとおり、在勤手当そのものにつきましては、昨年度の予算改善を見ましたので、今年度におきましては一応情勢を、物価情勢為替情勢その他をまだ調査中でございまして、今年度におきましては、先生指摘のような措置というものはとられなかったわけでございます。
  14. 西村関一

    西村関一君 給与法の改正については、子女教育手当を増していこうということが衆議院内閣委員会にかかっておると承知しております。これは月額一万二千円アップするという改正案の内容のようであります。外務省はこのくらいのアップでいいというふうに考えるのですか。
  15. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 先ほど申しましたように、子女教育手当は今年度が初めての、新設でございまして、一万二千円というのは、新設の額として一人一月分ということで、新しく認められた額でございまして、今後いろいろな経験、それから資料に基づきまして改善すべきところは改善すべきでございますけれども、特に新設当初としては、私どもはこれは適当な額と考えているわけでございます。
  16. 西村関一

    西村関一君 一万二千円では、実際一人一万二千円ではえらいと思うんですね。これはいつでも外務省予算要求は控え目、控え目、これは外務省の従来のいい点でもあるが、また悪い点でもあるというふうに私は考えるのですが、実際初年度としてはこれでやむを得ないと、こういうふうに官房長は言っておられるのですけれども、これではしかし子女教育手当としては、せっかくつくんだから、これはもう少し要求してしかるべきじゃなかったかと思うのですが、その点、御答弁は要りませんけれども、私は率直にそういうふうに感じますので、申し上げておきます。  それから、住居につきましてはどうですか。
  17. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 住居手当の限度につきましては、先ほど答弁いたしましたとおり、今年度の予算におきましても、住居手当改善すべき地域に限りましてでございますけれども改善をはかっております。特に来年度におきましては、住居の値上がりの激しい香港とか、あるいはアメリカの西海岸とか、そういうところの住居手当値上げ要求に入れているわけでございます。
  18. 西村関一

    西村関一君 その手当値上げもさることながら、住居そのものを国で買い上げるという計画があるんでしょう。その点、予算に出ておるでしょう。
  19. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 先生指摘のとおり、特に来年度の予算からは、いわゆる開発途上国でない文明国館員宿舎の買い上げの予算を初めて計上しております。これは、従来は特に発展途上国の、住宅がそもそもないところに館員宿舎を買い上げるという費用は予算に計上していたわけでございますけれども、来年度からは、いろいろ見ておりますと、大都市の土地、それから家屋が急激に上昇しておりますので、従来の考え方を改めまして、国費でもって館員宿舎を買っておくということに構想を新たにいたしまして、新しく予算を計上した次第でございます。
  20. 西村関一

    西村関一君 それは何戸ぐらい、総額幾らぐらい……。
  21. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 一応来年度は三十戸を予定しております。
  22. 西村関一

    西村関一君 総額……。
  23. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 総額九億円でございます。
  24. 西村関一

    西村関一君 これは総額九億円、三十戸というと、十万ドルそこそこですよ、一戸。そんなことでできるんですか。
  25. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 一戸十万ドルという見当ではじいております。
  26. 西村関一

    西村関一君 それで、まあこれもいままでなかったことを始めるということで、外務省としては画期的だと思うんですが、事実、在外公館勤務外交官住居に非常に困っている。たまたまいい住居を借りることができても、家賃に非常に困っているというのが現状だと思うのでございますが、これをせっかく手がけられたんだから、大蔵省もいろいろ都合があるでしょうけれども、これはやはり国費で買い上げていくという方針を進めていただきたい。  それから、まだ在外公館そのもの国有財産になっていない、大使公邸をはじめ、公館そのもの借家であるというところがだいぶありますが、これはどういう方針ですか。
  27. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 在外公館大使とか公使、館長の公邸、それから事務所につきましては、できる限り国有化を進めるという方針で現在までも来ておりますけれども、今後ともその方針をさらに推進していく所存でございます。しかし、土地によりましては購入できないところもございますので、われわれといたしましては、一応長期的な計画を立てまして、それに基づいて、また事務的な能力の可能な範囲内で、できるだけ早く国有化を進めていくという方針でございます。
  28. 西村関一

    西村関一君 現在、在外公館のうちで国有財産になっているのは何%ぐらいですか、全体の。
  29. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 約三三%でございます。
  30. 西村関一

    西村関一君 その他はまだ借家であるということですね。
  31. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) そのとおりでございます。
  32. 西村関一

    西村関一君 その借家として払うところの借家料等年額相当多額にのぼると思うんですが、そういうことからいっても、できるだけ早く国有化してもらいたい。それから秘密保持在外公館借家であるということでは、ちょっと困るということもおそらくあり得ると私は考えるんですが、そういう点からも、できるだけ早く、できるだけ他の六七%の在外公館国有化するという方針で御努力を願いたいと思いますが、いかがですか。
  33. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) まさに先生指摘のとおり、秘密保持その他、在外公館の業務をやっていきます場合には、国有財産であることに越したことはないわけでございまして、したがいまして、先ほど申し述べましたとおり、可能な範囲国有化するという方針でございまして、幸い大蔵省も非常に理解がございますので、われわれとしては事務能力の許す限りその推進につとめたい所存でございます。
  34. 西村関一

    西村関一君 それから、在外公館に勤務しておられる外交官給与の問題ですが、これは第一、第二——第五次まで改定がありましたですね。改定があって漸次よくなってきておるんですが、四十七年度によりますと、かなりこれも——昨年私もこの分科会で問題にしたんですけれども、上に薄く下に厚いという傾向をたどっておることは、私はそれは実情に合致しておると思うんでありますけれども、しかし、この場合、全体を見てみるというと、中ぐらいなところ、一等書記官とか、二等書記官クラス人たちが、これもこの表で見まするというと、私の手元にいただいておるアメリカの場合でありますが、これはやはり下のほうの若い外交官は二六%アップになっている。上のほうの大使級は一二%のアップということで、下のほうが非常に厚くなっているということは、数字にあらわれておりますけれども、中くらいのとところ、中堅のところがやはりまだ十分だとは言えないと思うんであります。実際仕事をしているのは、もちろん大使を中心として、中堅の幹部、一等書記官、二等書記官クラス人たちが活躍している。これはただ、住居の問題も大事ですけれども、実際、自動車をはじめ私費でまかなっている部分が相当あると思うんです。また、外交官としての活動——同じクラスの多くの外交官自分のうちへ招いたり、自分が招かれたり、そういう形の活動が相当ひんぱんに行なわれておると思うんです。また、それをやらなければほんとう外交活動はできないと思うんですが、そういう点で、実際中堅クラス現地外交官財政状態経済状態は必ずしも楽ではないというふうに、私は別にどこの大使館で、どういう方からどういうことを聞いたということはありませんけれども、私の受けた感じ、私の観測ではそういうふうに思うんでありますが、事実それがないと、私はほんとう外交活動が十分できないと思うんです。で、その点どうでしょうか。官房長、どういうふうに見ておられますか。
  35. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 先生指摘の点につきましては、私どももいろいろ考えて検討しているわけでございますが、たとえば昨年の四十七年の改定につきましては、平均いたしますと約一三%のアップになったわけでございますが、その場合、一番若い八号俸あたりの人は二六%の値上げになっておりますし、また一番上の大使につきましては、一%でございますが、いわゆる中堅、一号俸、三号俸あたりは一六%の値上げになっておりまして、大使よりはいいわけでございますけれども、一番下のクラスに比べれば上がり幅が少ないということでございまして、これも横に——たとえばドイツとかイタリーの外交官のワシントンにおける一等書記官、二等書記官給与を比較いたしますと、確かに先生指摘のような、われわれは中だるみと読んでおりますが、そういうような傾向が若干ございます。しかし、われわれとしては、大体下のほうのクラスの方が生活費もつらいということで、特にそこに重点を置いて四十七年の改定をしたわけでございまして、中堅につきましても、一応去年の時点におきましては、大体各国と比して遜色のない程度にまで値上げをしたわけでございますけれども、今後さらにわが国の積極的な外交ということを考えます場合には、中堅階級の活躍にまつわけでございまして、われわれとしては、将来の方針といたしまして、先生指摘の点を十分念頭に入れて改善をはかっていきたいと思います。
  36. 西村関一

    西村関一君 次に、在外公館に付設されております文化センターの問題でありますが、これは非常に大事な仕事だと思うのでありまして、地域によりましては十分な活動ができていないというふうに思われます。その点につきまして、在外公館文化活動につきまして、私は予算の面においてかなり問題があるのじゃないかというふうに思うのですが、その点いかがですか。どなたか担当の方おられますか。
  37. 和田力

    政府委員和田力君) 在外文化広報センターというのがただいま二十四公館に置いてございまして、何ぶん、御承知のとおり、若干経費の面で制約がございますものでございますから、全在外公館百数十公館のうちでまだ二十四公館にしか付設してございません。年間一公館ないしは二公館分だんだんふやしてまいっておるわけでございますけれども、その点で非常に制約がまだございます。
  38. 西村関一

    西村関一君 これは和田局長担当だからよく御承知だと思いますが、非常によくやっておられる。予算等関係人等関係から十分にできないというところが、私はどことは申しませんけれども、あるようであります。これは非常に大事な仕事だと思うのであります。これが日本外交を進めていく上におきまして与える影響は非常に大きいと思う。今後その点についてもより前向きに進めていただきたいということを希望いたしておきます。時間がございませんから個々の問題については申し上げません。  次に、外務省担当の主計官来ておられますか。——ただいま私が質問をいたしておりますように、主計官もよくお聞きくださったと思うのです。そしてまたよく御承知のところです。やはり在外公館をお回りになっていらっしゃると思いますし、各方面の事情をお調べになっていらっしゃると思うのでございますが、いま私が、在外公館に勤務しておられる外交官の処遇の問題在外邦人の子女教育問題等を中心に質問をいたしましたが、外務省としても限られた予算の中で一生懸命やっておる、なお、この予算大蔵省も了解をしておられるから、十分に所期の目的に向かって今後も努力していきたいという御答弁がございました、お聞きのとおり。大蔵省としてはこの問題についてどういうふうにお考えでございますか。
  39. 禿河徹映

    説明員禿河徹映君) 先生指摘のとおり、在外子女教育の問題とか、あるいは在外勤務の職員の環境整備の問題、その他まだまだ私ども決して十分御満足いただけるものとは考えておりませんけれども、本年度四十八年度の予算、ごらんいただきましたとおり、在外子女教育の問題につきましては、対前年度比五〇・八%という大幅な増、あるいは在外公館宿舎の取得等につきましては、前年度比八七%増、特に在外公館国有化につきましては、昨年度の補正予算におきましても、大幅に国有化を推進するということで、多額の金額を計上いたしております。そういうことで、私ども、外務当局とも十分相談しながらそれの拡充強化につとめてまいったつもりでございますけれども、今後とも現地の実情等に即応いたしまして、先生の御指摘を頭に置きながら十分検討してまいりたいと、かように考えております。
  40. 西村関一

    西村関一君 先ほど一つ質問することを忘れましたが、在外公館勤務外交官、また在留邦人の問題もですが、医官の問題、病気にかかった場合の問題です。これが非常に困っているように思うんです。向こうで病気になるというと、在外各地で病気になるというとばく大な費用が要る。そういうことについて、外務省から医官をときどき派遣しておられるんですが、何名ぐらいの医官が、どのくらいの程度で各地を回っておられますか、その点伺って、まずその効果について、ひとつちょっとおっしゃっていただきたいと思います。
  41. 鹿取泰衛

    政府委員鹿取泰衛君) 在外公館館員という資格で派遣しております医務官は——医務官という公の名称を与えておりますけれども、現在たしか五、六名になったと思います。主としてこれは、未開発地域であって非常に衛生環境が悪い、さらにその土地の医療施設が劣っているところに派遣しておりまして、その公館館員ばかりでなく、その付近の地域館員、さらに出張、駐在しておられる商社その他の方々の衛生状態の維持につとめているわけでございます。今後われわれとしては、この医務官制度をさらに拡充していく所存でございますが、まあいろいろな都合がございますので、毎年一、二名ずつふやしていくというような方針でございます。それからそのほかに、日本から看護婦さんを連れて各地を巡回する医療団——医療団という名称はこれは正確な名称ではございませんけれども、そういうミッションを在外に派遣しております。これは年約二回、これも主として未開発地域に巡回をしておりまして、この場合も、大使館にその土地におります在留人の皆さまを集めまして、健康管理、衛生の相談に応じている次第でございますが、この制度につきましても、いろいろの経験をもとにして改善強化につとめていきたいと思っております。
  42. 西村関一

    西村関一君 次に、外務大臣にお伺いいたします。  私は最近アラブ・イスラエル紛争の地域を回ってまいりました。その一番先鋭化しているアカバ湾の北端のエイラトまで参りました。これは私の見るところなかなかむずかしい問題で、アラブはイスラエルという国の存在を認めないという方針で今日まで来ております。若干最近は平和共存ということを考える向きも出てきておりますが、七つ八つと言われておりますアラブのゲリラ組織などはまっこうからこれを抹殺してかかろうという考えでおる、こういう状態でありますが、これに対して日本政府としては、両方の側に外交関係がある。大臣としては、このインドシナ紛争、インドシナ戦争は、一応パリ和平協定ができてベトナムとの間の協定ができた、ラオスとも双方の協定ができたということで、一応平和解決への緒についたのであります。アラブ・イスラエルについては、まだどういうふうになっていくかわからないという非常にきびしい状態の中にあるわけであります。大臣としてはどういうふうにお考えになっていらっしゃいますか。
  43. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) こういう問題に対処する場合における日本政府の立場でございますが、少なくとも内外にわたって御理解をいただける立場に終始しなければならぬと思うんでございます。それで、そのことにつきましては、すでに御案内のように、わが国といたしましては武力によって国際紛争を解決するということは、第一国連の精神に反しますし、わが国の憲法もそれを否定いたしておりまするし、そういうことは第一われわれは反対しなければならぬと思うんです。当然のことといたしまして、武力によって版図を拡大した、その版図を認めるというわけにはまいらぬと思うんでございまして、国連の決議が、御承知の二百四十二号ですか、そういう精神は明記されておるわけでございますので、両当事者側におきまして、この精神を軸にいたしまして、この決議を軸にいたしまして、問題が武力によらないで平和的に解決されるということをわれわれは期待いたしております。したがって、われわれは具体的にいろんなケースが出てきた場合に、そのかがみに照らしましてわれわれがなすべきこと、なしてはならないことを心がけていかなければならぬと思うんでございます。御指摘のように紛争の状況はたいへん複雑でもございますし、その解決の前途が必ずしも明るいものではないことはよく承知いたしておるんでありまするが、それだけに、やっぱり踏まえるべき原則はちゃんと踏まえておくことが大切だと思うんでございます。今後も、両当時国はもとよりでございますが、国連等におきましてこの問題が取り上げられる場合におきましては、そういった立場で対処してまいりたいと考えております。
  44. 西村関一

    西村関一君 いま大臣のお話しになりましたとおり、私も、アラブ側もイスラエル側もこの問題の解決のためには苦悩している、非常に深い苦悩に包まれているというふうに受け取っておるんであります。また関係諸国、たとえばイギリス、アメリカ、さらに国連も手をやいている、解決の方途をつかみ得ないという状態であります。この問題に対しましても、われわれも、両当事国、当事諸国との問題をそれぞれ踏まえながら、いま大臣のおっしゃったような方向で平和裏に解決がつくように 日本政府としてもさらに検討を続け、またしかるべき手を打つべきときが来たならば打ってもらいたいということを希望いたしておきます。  次に、私はインドシナ問題について、特にベトナムの問題について一つお伺いをいたします。  最初に、大臣御承知のとおり、問題が、一応和平への協定ができて、ベトナム等関係諸国及び諸団体との間にできまして、鋭意その問題の処理に当たっているんでございますが、わが国にとって一つ気になりますのは、いまだに行くえ不明を伝えられております、インドシナ戦線において行くえ不明を伝えられておりますところのプレス関係日本人不明者の問題、これに対して外務省はどういう手を打っておいでになりますでしょうか。
  45. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) ベトナムにおきましては、一九六八年に二名、日本人ジャーナリストが戦乱によりまして死亡いたしまして、行くえ不明はおりません。しかし、一九七〇年にカンボジアにおきまして八名の日本人ジャーナリストが行くえ不明になっておりますことは御承知のとおりでございます。で、政府といたしましては、まずあらゆる方法を通じて、行くえ不明者についての情報の収集、捜索のための可能な努力を続けてまいりましたのでございますし、今後もこの方針で参らなければならぬと思っております。しからばどういうところにどういう連絡をしたかでございますが、まずカンボジア大使館を通じまして、同国政府に対しまして、これら邦人の捜索とこれに関する情報収集、情報の提供を常時要請してまいりました。カンボジア大使館よりは、あらためて、今回の和平協定成立後におきましても、行くえ不明者のリストを大使館より同国政府にお渡しをいただきまして、再度要請をいたしたのでございますが、カンボジア側は最大の協力を惜しまないというお約束をちょうだいいたしております。それが一つであります。  それから北越政府に対してでございますが、昨年の二月、外務省の三宅課長がハノイを訪問いたしました際、並びに昨年四月北越の経済視察団が来日いたしましたときに、同様に行くえ不明のリストを手渡しまして調査を依頼いたしました。先方の反応は、カンボジア王国民族連合政府大使館を通じて要望を伝える旨約束をされました。  それから第三に、アメリカに対してでございますが、和平協定成立後直ちに、ベトナムの和平協定三章八条に基づき、北越より提示される捕虜リスト中に邦人が含まれているか否か、情報の提供方を求めますとともに、今後とも邦人行くえ不明者の情報収集に協力方を申し入れたのであります。その結果、北越に民間抑留者が二十七名おるということでございます。その中に日本人はいないという返事でございました。このカンボジア内の行くえ不明者に対しましては、アメリカ側の情報網にはまだかかっていないということでございます。  それから、一九七〇年の第二十五回国連総会の際、当時のウ・タント国連事務総長に、同様行くえ不明邦人釈放のアピール発出方を要請したのでございます。国際赤十字社に対しましても——これはジュネーブにありますが——に対しましても、事件後直ちに協力を依頼いたしておるのでございますが、いずれの側からもまだ実のある反応を見ていないというのが今日の現状でございますが、今後一そうわれわれは精力的にアピールを続けてまいりまして、情報の収集、捜索に努力したいと思っております。
  46. 西村関一

    西村関一君 もう私の時間がありません。もう一問だけお伺いしたい。  先般の参議院予算委員会におきまして、田英夫議員から質問がありまして、南ベトナム臨時革命政府のパリ会談の副首席といいますかね、グエン・バン・チエン、現在チエン氏はハノイに駐在しているところの南ベトナム臨時革命政府の代表部の首席ということであった。最近の情報では、国連駐在の国連連絡所の首席としてニューヨークに行くことにきまったということが言われておる。私もグエン・バン・チエン氏にはパリで二回会いました。それからまた、先般この二月には、ローマで、ローマのベトナムに関する国際緊急会議に彼は首席代表として参っておりましたので、親しく会いました。で、この間の予算委員会の質問では、彼を日本に入れたいということに対して政府の所信を田君が聞かれたようであります。それに対しまして政府答弁は一転、二転、三転したようでありますが、最終的には統一見解としてお出しになった。私はその当時の事情は間接にしか聞いておりませんけれども、一応そのことについては、北に対しても南に対しても同等に日本政府としては協力援助をしていこうということで、そういうことで来られる場合であるならば、これは拒むことがないというような御答弁であったように聞いておるのですが、しかし来るか来ないかわからない。こちらが要請してもチエン氏が来ると言うか言わないかわかりませんが、私どもとしては、やはりベトナムの和平を考える上に、南の新しい政権を考える上に、あるいは北と南の最終的なベトナムの統一ということを将来の目標として考える上に、彼の入国は非常に大事な問題を持っていると思うのです。日本政府としてはサイゴン政権と外交関係がありますから、慎重に取り扱われるということは私もわからぬじゃございません。しかし、問題がすでに出た以上、これを前向きに検討していただきたいと思います。たとえば北と南は一つだという立場に立って、どういう形の旅券で来られるかはわかりませんが、いずれにしても合法的な旅券で来られるという場合に、日本政府としてはこれを拒む理由はないと思うのです。その点、いかがでしょう。
  47. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 田さんの御質問に対して政府答弁が二転三転したかのような印象を与えたとすればたいへん申しわけないのでありますが、そうではない、実態はそうではないのでありまして、いろいろな人の発言が十分意を尽くしていなかったということだと私は思うのです。というのは、それはどういうことかというと、パリ協定というものを今後のインドシナ政策のベースにいたしますということを政府はたびたび宣明いたしております。そうして、これは日本政府ばかりでなく、世界全体が、せっかくでき上がりましたパリ協定というものを尊重して、その履行を通じてあそこに平和を定着させたいという願いを持っておることも御案内のとおりでございます。そういう大前提は動かないわけでございます。したがって、御指摘の入国問題にいたしましても、援助問題にいたしましても、私どもは、この和平協定というものを軸に考えていきたいと思っておるわけでございます。そうしてその和平協定には、南ベトナムにおける両当事者−サイゴン政府と、それから臨時革命政府というのがあるわけでございますが、これが第三勢力も加えて和解評議会をつくって、南ベトナムの政治形態というものをつくっていこうということに相なっておるわけでございますから、そういう状況にあり、和解を通じて南ベトナムにおける民族自決権を実のあるものにしていこうという両当事者でございまするから、そういうことを十分了解の上、日本政府に御相談があるんならば、私どもは異存がないわけでございます。そうでなくて、まだそういうところまでいっていない状態でございますならば、しばらく御遠慮していてもらいたいという態度をとっておるわけでございまして、これは日本政府が一貫してとっておる立場でございます。関係者の御発言が、大前提になるパリ協定を抜きにして議論しておったものだから、はたから見ると、何か非常に二転、三転したような印象を与えたと思うのでございます。そういう気持ちであるということをひとつ御了承いただきたいと思います。
  48. 西村関一

    西村関一君 それから後段の問題。
  49. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 技術的な問題でございますので、私からお答えいたしますが、北ベトナムにいたしましても、南臨時革命政府にいたしましても、日本と国交のないそういうところの旅券というものは、日本の立場から見ると、有効な旅券ではないわけでございまして、これは技術的には、どちらの旅券ということはあまり問題にしないわけでございまして、いずれにしても、渡航証明書というものを日本政府としては、入国ということになれば、発給いたしまして、その渡航証明書でおいでになる、こういうことでございますから、おいでになる人、その用向き、いま大臣が申し上げられたような幾つかの条件を備えておれば、旅券のいかんにかかわらず入国は可能であろう、かように考えるわけでございます。
  50. 西村関一

    西村関一君 その点、確かめておきますが、大雨が言われたような、パリ協定の条項、精神にのっとっての民族和解政府というものが南にできるということの前提に立って、そういう前提に立って来られるならば、入国もあえて拒否しないと、こういうふうに受け取ってよろしいと思いますが、その場合には、国交がない国からではあるが、渡航証明書ということで入国をすると。ただしかし、これはアジア局長御存じだと思うんだが、ベトナム民主共和国の旅券で来ておる例があるのですよ、いままで何件か。向こうの旅券で日本政府は入国を認めておるのです。向こうの経済代表団、その他文化代表団、あるいは平和活動家等々を入れておるんですよ、日本政府は。ですから、ベトナム民主共和国の旅券で来ている例がいままであるんですよ。それははっきりしておかぬと困るね。
  51. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) いまおっしゃいました経済使節団その他、御当人たちは北ベトナム発行の旅券を持っておったことは事実でございますが、日本政府は、法律上国交のない国の発行しております旅券は日本では有効な旅券と認めないという原則は変わっておりませんし、これについての例外はございません。ただ、そういう人が日本においでになったことは事実でございますが、その際には、先ほど言いました渡航証明書というものを発給して、これを持って日本に入国しておられる、こういうことになっております。
  52. 西村関一

    西村関一君 いずれにしましても、その北のベトナム民主共和国の旅券で来ていなさる例がたくさんあるわけです。それを日本政府としては、国交がないからというので、渡航証明審というもので入国を認めている。それは日本政府の立場です。それはそれとして、事実上そういう形で入国している例が多々あるということを私は指摘しただけのことです。そういう点、大臣の御答弁、了解いたしました。  以上で終わります。
  53. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 与党でありますが、質問を許していただきましたことを心から感謝いたします。  大臣、私は去年予算の総括をやらしてもらったんです。そのときに、昭和十五年から日本が戦いに敗れるまでの国会の会議録、これをずっと詳細にわたって、約三週間かかって調べ上げた。それから新聞論調も調べたわけです。そうしますと、非常に貴重な意見を出しておられる国会の先輩がおられるわけです。しかし、それが日がたつに従って色あせていくんです。だんだんだんだんそういう発言がなくなっていくんです。そしてついに、新聞論調とともに日本が敗戦のうき目をみるんです。私は、この厳粛なる事実、これを私自身が体験をいたしましたので、この際に、やっぱり党内の論議だけでなしに、われわれの思うこの心情というものを国会の会議録の中にとどめたいと、こう思いまして、今日ここに質問に立ったわけであります。ことに、中華民国との国交が断たれて以来、わが参議院におきまして、台湾問題を中心にした自由アジアの立場という問題、こういった論議がほとんどなされていないんです。こうしたことにも触れて、ひとつ大臣の見解をこの際ただしたい。そうして、わが国が誤りなきようにしたいというのが私の本旨なんです。  先に結論から言っておきます。いま三極の中の国際政治だとかなんとか言われております。これは、御承知のとおり、米国、ソ連、中華人民共和国、この大国というのは、いずれもかなり自分かってなことを考え出し、また、やっております。その谷間にはさまれておる日本というもの、これは一体どうしたらいいのか。こういう大国のエゴの中で日本がどう生き抜くべきかといった問題をわれわれは真剣に模索し、また、われわれなりに真剣に、またそれの対策を考えてきておるんです。そこで、ぼくは、これはもう長年の持論でありまするが、こういう大国のエゴの中にある日本の立場というものは、アジア太平洋州の共同体、ことに豪州、ニュージーランドというのは、これは日本の基幹産業を動かすところの基礎原料を持っておる国であります。鉄鉱石、原油、ボーキサイト、また食糧の問題にしてもそうです。穀物、肉、こういった太平洋州を日本と直線的に結ぶということ、そのまわりにある、輸送路のかたわらにある国、これと常に友好関係、平和関係を保つということ、これが日本の私は根本の国際政治に処すところの姿勢じゃないかというふうに考えております。その際に、やっぱり何としても日本アメリカとの関係を基軸にしなきゃならぬ。アメリカとの関係の摩擦ができた場合に、日本がやはり亡国の道を歩んでおるんです。こうしたことから、私は以下数点について御質問を申し上げて、最後のところは、楠君がここに出て来ますから、楠君と連合軍で、あなたに対して、このあと地の問題、航空協定の問題、摩承志さんが来られる問題、こういった問題に触れてみたいと思うんであります。  まず第一でありますが、日中共同声明、これはあなたが締結されてきたことであります。日中共同声明で、日中はアジアで覇権を求めない、こううたいあげられております。ところが、米中共同声明ということになりますと、これは新聞の注釈でありまするが、ここに新聞の注釈を持ってきておりますが、「新しい米中協力」、これなんか読んでまいりますと、三極外交の中で、米中共同声明のこの本旨というものは、米中が協力して、そしてアジアで主導権を確保するものだというふうに書かれておるんです。これについて、まずお伺いします。
  54. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 日中共同声明に盛り込まれました、アジアにおいて日中両国は覇権を求めない、第三国が覇権を求めることにも反対であるという趣旨のものは、いま御指摘のように、米中の間に結ばれた上海コミュニケに盛られたままの表現でございまして、私どもが対中国交渉の場面におきまして、先方から提案があったことでございます。日本としても、これに対して別段異議を差しはさむ思想ではないわけでございまして、アジアにおきましてそれぞれの国が、国の大小にかかわらず主権が尊重されて、内政が不可侵の状態においてアジアの将来が形成されていくということは望ましい方向でございますので、私どももそれに賛意を表したわけでございます。米中が協力して覇権を求めるものであるというようなのは一つの曲解でありまして、私どもはそのようには考えていないのであります。
  55. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 そうしたら、大臣の答弁を聞きますと、大体米中共同声明と日米安保との関係は、そうたいした大きな問題がないという御見解にとっていいですね。
  56. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 日米安保……。
  57. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 日米安保との関係
  58. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) いや、あなたの御質問は、覇権を求めないというくだりですね。日米安保につきましては、玉置さんがいまも前置きで言われたように、私は日本外交一つの基軸といたしまして、これを堅持していくという立場を貫きたいと思っております。何となれば、言いかえれば、貫くという意味は、われわれが対ソ外交をやる場合も対中外交をやる場合も、これを是正してこなければ相手になれないというのであれば、やむを得ない、相手になれないと思うんです。われわれはこのほうが軸だと思っておるわけでございます。けれども、私がたびたび申し上げたように、一九五六年の日ソ共同宣言も、今度の去年の日中共同声明も、安保条約と全然かかわりなく結んだということでございます。安保条約はそのために何らそこなわれることなく維持できるという前提で結んでございますことは重々御承知のとおりでございます。
  59. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 そこで、大臣に端的に聞きますけど、この日米安保に支障があるというふうなときには、日中の正常化というか、そういう問題は後退もやむを得ないと理解していいですか。
  60. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 私はそういう事態を想定したくないんでございます。
  61. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 いや、それは現実の問題としてありますよ、それはやっぱり。
  62. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 何が大事かと聞かれたら、みんな大事でございますけれども、とりわけ日米関係は大事だと考えております。
  63. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 大臣、私はこの前の総括でもやりましたが、国民は迷うのですよ。これは清朝の末期の柱石といわれた曽国藩の著書の中にあるのですが、黒白弁じがたきときは亡国の兆であると、こう書いてあるんです。ものの白黒がわからぬとき、これは一つの国が滅びていく徴候である、こう書いているんですね。いま日本国民は、この問題について、さだかな自分たちの認識というもの、これはなかなか確立はできない。というのは、自由民主主義を標榜するところの政府自民党の首脳、こういうものがどうもやっぱりはっきりしない。どうも白か黒かわからぬじゃないかというふうなところ、これは私は非常に重大な問題だと思うんです。そこで、私は、外交においてもみんなと仲よくする、みんなと平和関係を結ぶということは、それはわかるんです。しかし、おのずから第一義のものは第一義にするという、これは当然あってしかるべきだと思うのです。その辺をもっとはっきりさせなかったら、国民はどこへついていったらいいかわからぬ。その点、もう一回お聞きします。
  64. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) わが国の憲法は自由民主主義をベースにしてあると私は存じております。そして、われわれ政府は自由民主党政府でございます。自由民主党の党是は自由民主主義を軸に行なわれておるわけでございまして、この姿勢は寸毫も変わらないわけです。ただ、あなたも御指摘のように、外交というのはいろんな国との交際でございまして、世界にはしからざる体制、しからざる思想、信条を持っておる国々も多いわけでございまして、そういう国とも日本は交わりを持っておるわけでございまして、そのこととわれわれが立っておる思想、信条というものとは、これ、おのずから別でございまして、その間に私どもはちゃんとけじめをつけておるつもりでおります。
  65. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 そこで、大臣、最近リチャードソン国防長官が国防白書を発表しましたね。あれは、私は昨年のニクソンの平和戦略、それとほとんど変わらないものだと思うんです。これについての認識はどういうふうにされておりますか。
  66. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) リチャードソンの証言は遠からず国防白書の姿で集大成されて発表されると思います。あれは大体その骨子を述べたものだと了解しております。したがって、あなたの御理解のとおり、アメリカ政府の首脳の考え方を端的に述べたものと私は了解しております。
  67. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 大臣ね、そんなことを、失礼ですが、聞くかといいますと、外交というものはやっぱり私は安全保障戦略、この上に立って考えていかにゃならぬと思うのです。それがやっぱり日本外交は、どちらかというと、はなはだ失礼なことですが、ムード的な、雰囲気的な、こういうふうな傾向がありはしないかと心配するから言うのです。このリチャードソンの国防白書を見ますと、ニクソンの平和戦略というものは非常にきびしい現実の上に立っておる。三つからなっております。力、協調、交渉、この三つからなっています。そして、交渉というものはあくまでもやっぱり力と協調。力というのは一体何かと言ったら、やはり核、それから現実的な抑止戦略、そういうものを含めた力、そういうものを力に、背景にして、そしてさらにまた適切な援助の提供をしていくとか、また条約上の公約は必ず堅持する、信義を守るというふうなこと、それを含めて力と協調と、こうなっていますね。その上に立って初めて交渉というものが可能なんです、交渉というものが初めて力が発揮できるのだという、こういうふうに私は理解しておるのです。そのことを考えますと、日本外交というのは、どうもやっぱり甘いんじゃないか、甘ちゃん過ぎるのじゃないか。これはもう大臣、失礼な話ですけれども、きょうは思っておることだけを言いますから、お許しをいただきたいと思いますが、私はそういうふうに思うのです。
  68. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) それでは、どういう点が甘いのか、それをひとつあなたに御質問したい。御提示いただければ、私は答えますよ。
  69. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 私は、まず第一に国際信義というもの、これは一体大臣はどう考えますか。
  70. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 非常に大事だと思います。
  71. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 大事だと思うでしょう。そうしたら中華民国というものに対してあなたがとった措置、これは正しいと思いますか。
  72. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 中国と私がやったことは、中国との外交関係をどう取り結ぶのが正しい道かということを考えてやったわけでございます。すなわち、まず前提として、中国という一つの国と日本の国との取り組み方が、過去においてこうであった、で、それは私どもが選択をいたしましたような方向にやってまいることは当然の道行きとして日本が考えるべき道行きであろう、外交的道行きであろう、という考えでやったわけです。そのことが国際信義にもとるというように私は考えないわけでございまして、言いかえれば、日本は正しい道をやっぱり選択する権利が日本にあると思うのでございます。で、長い苦悩の末、この問題は戦後の外交案件の最大の問題でございましたが、この時期においてこう選択いたしますことは正しい道である。中国に対して国際信義にもとるものというように私は理解していないのであります。
  73. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 大臣にお聞きしますがね。そうしたら、いまこの台湾の一千五百万の島民の中で、国民の中で、こういう議論があるのですよ。この前大臣にちょっと私、お話ししましたが、日本が戦いに敗れたときに、なぜ大陸におった二百万の日本軍、また数十万の在留邦人を帰したんだ、あれ、帰さなかったらいいじゃないか、帰さなくて、あの武力をもって八路軍と戦わしたら、現在の中華人民共和国なんてなかったじゃないか、ことに、あの軍隊の中に田中総理が、あのとき何か上等兵だったそうだか知りませんが、私ははっきりしません、さだかじゃありませんが、おったじゃないか、あれ、帰さなかったら田中内閣はなかった、大平外務大臣はなかったじゃないか——そのかわり、また、大平外務大臣が総理になったかもわかりません、それは。そういう議論が出ておるのです。なぜ帰したんだ。また、終戦直後の分割当時の話が出たときに、なぜ中華民国は九州を占領しなかったのか。そういうことについて、常に日本の立場でもってものを言った何応欽将軍、張群前秘書長、こういう者は全く中華民国にとって道を誤らした元凶じゃないかといって、中央委員会なんかで締め上げられておるのです、現実。あちこちにそういう話が出てきておるのです。頭をかかえ込んでおるのです、これは。私たちはその事実を知っておるのです。これについて大臣、どう考えます。
  74. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 私は、いつも考えなきゃならぬことは、申し上げておるとおり、日本の持っている力というものを間違って使ったらいかぬと思うのです。これを間違えることは、非常に重大なあやまちをおかすことになると思うのです。  で、たいへん失礼でございますけれども、戦前の日本の指導者というのは、この力の行使を誤ったと思うのです。それはどういうことかと申しますと、中国大陸に武力の干渉という姿においてやったことが日本としての大きな誤りをおかしたことになっておるのではなかろうかと思うんです。私どもは、他国、中国の内政に——中国の運命をきめるのは中国人でございまするから、中国の内政にああいう姿において干渉を試みたということは、やっぱりぬぐいがたい間違いであったのじゃなかろうかと思うのでございます。で、平和日本はやっぱり今後そういうことは絶対に慎まねばいかぬのじゃないかという考えでございまして、中国という大きな国、歴史のある国、誇り高き国、この国はやっぱり中国の方々が形成されて、未来をつくり上げられるわけでございますので、それは中国人の仕事である。われわれといたしましては、この中国という国とどう交わるかということを考えることがわれわれの任務である。しからば、今日中国というものを代表する資格のある政府はどういう政府であるかという選択をめぐって、戦後長い間の苦悩が続いたわけでございますが、私どもは、中華人民共和国政府というものは中国を代表する政府と認めるべきであるという選択を行なったわけです。それにはいろいろな議論があると思うのでございますけれども、そういう選択を日本が行なった以上は、その基本のラインに沿っていささかも狂いのないようにやってまいりますことが、やっぱり私はあなたの言われる国際信義というものだろうと考えております。
  75. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 いま大臣、私の聞きたいところの答弁ははぐらかされたと思うんです。これはいいです。これはもう、言っておって、それは大臣もやっぱり良心の苛責というものは私はあると思うんです、日本人なら。やっぱりそれは、そこを苦しみながらやってこられたと思うんです。私はようわかります。ようわかりますから、これ以上それはもう聞かない。聞かないが、やっぱり大臣、どこかで、自分の気持ちのどこかで、うずくもの、これを出してもらいたい。そのために私はあえてこういう失礼なことを聞いたんです。  もう一つお聞きします。
  76. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 私は、内政の場合も、外交の場合も、毎日、あなたも同様だと思いますけれども、戦争の傷あとというものが大きくうずいて、口をあけてうずいておるという姿において、私どもは内政、外交をやっておると思うんでございます。このことをさらっと割り切って忘れてしまって、それで片々たる理屈で私は政治がやれるなんて思っておりませんのでございまして、そのことは、あなたも私もやっぱり共通のうずくつめあとを、傷あとをじっとかかえてやっておるんだということは、私は同じだと思いますね。
  77. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 そこで、方向を変えて聞きますが、近い将来、日中間で友好条約が結ばれると聞いておりますが、これはどういうことなんですか。
  78. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) これは、共同声明で締結交渉をしようという約束をいたしておりますので、いずれ遠からずそういう段取りにいたしたいと思っております。この内容をどうするか、いつごろから始めるか、そういうことにつきましては、まだ打ち合わせをいたしておりません。
  79. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 ソ連との間の平和条約はやっぱり結ぶという方向で努力されておるんですね。そういうふうに理解していいですね。
  80. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) これも、日ソ両国とも平和条約を締結しようじゃないかということで合意を見て、第一回の交渉をすでに始めておるわけでございます。今後引き続きやってまいります。
  81. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 そこで、私は、いまここに外務省、あなたのほうのところからも資料をもらったんですが、私も国会図書館で調べてみたら、大体この資料と同じことなんですが、共産主義体制を目ざす社会主義国家、現在世界各国ありますね、との友好条約というものには、平和条約というふうな、こういうものはほとんどと言ってよいぐらい攻守同盟的な性格を持っておりますね。これはもう、ここにもちゃんと書いてあります。あなたの資料にもちゃんと書いてある。平和の脅威が発生した場合には双方の立場を調整するため接触する、これは書いてあります。現実にまた軍事同盟的な性格のものをはっきりうたい上げてもあります。  そこで、私は、これは非常に大事なことなんですが、日米の関係を基軸にしていくということは大臣が先ほどおっしゃられたとおりなんです。その中で、日中の間で友好条約、また中華人民共和国と激しい対立関係にあるこのソ連とまた平和条約、私は非常にむずかしいと思うんですよ。米、ソ、中という、この、一番先に言ったのはそれなんです。黒白弁じがたきときは、というその発想は、私はその辺から出てきておるんです。この辺を国民の前にはっきりさしてもらわないと、何が根本か、何がもとになるのか、何が枝葉末節になるのか、第一義のものは何か、第二義のものは何か、第三義のものは何かという、非常に私は表現はむずかしいと思います。むずかしいと思いますが、そういうふうな、国民が理解のしやすいような方法、これはないものか。私は、大臣と日中正常化のあのときに二回ほど大臣室へお伺いして忌憚のない意見を交換しました。大臣が悩まれておりましたあの苦悩の姿というものを私もよく知っています。よく知っていますだけに、これまた非常にむずかしい答弁だと思います。そこで、もうあえて、これはおれにまかせろと言うのであれば、私は、これ聞きません、聞かぬほうがいいと思いますから。これは私の意見として、十分配慮してやっていただきたい、こういうことをひとつお願いしておきます。
  82. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 一つは、平和条約を、どういう平和条約あるいは平和友好条約を結ぶかという問題は、まず第一に、日本の憲法下でやるわけでございまして、攻守同盟的な条約ができるとは私は考えません。そういうことはできないわけでございます。そういう前提に立ちまして、どういう内容のものがどこまで盛り込めるか、これはこれからの交渉の問題だと思いますけれども、日ソ共同宣言、日中共同声明でこれから両国が尊重しなければならない基本的な原則は私は合意しておると思うんです。あれで必要にして十分な精神は生かされておる。内政不可侵にいたしましても、主権の尊重にいたしましても、相互不可侵にいたしましても、これはうたわれておるわけでございまして、そういうものを条約的な形でもっと安定した、ちゃんとしたものにしようじゃないかということが精一ぱいのところでございまして、あなたの言う攻守同盟なんということは向こうも考えていないだろうし、私どもも毛頭そんなことはできる立場でないと考えております。
  83. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 いや、大臣、それを答えなかったら私はこんなこと言わぬのですけれども、あなたの答弁ではっきりしてきたんですよ、これは。日米の間は安保条約ですよ、これは。これは攻守同盟です、これは言うなら。
  84. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) いや、攻守同盟ではないんですよ。
  85. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 どうして……。それは野党にひとつ——これはこれ以上聞きません。これは、これ以上聞いたらおかしいことになる。これ、簡単に言うと、日本が外敵の侵害を受けた場合には、そうでしょう、アメリカ日本を防衛をするために力をかそうというんでしょう、これは。
  86. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) そういうことですが、アメリカが侵された場合に日本アメリカを防衛する義務は持っていないんです。
  87. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 その辺は私は訂正しますよ。訂正しますけれども、しかし、日本の立場から見ると、これは、日本が攻められた場合にはアメリカはやってきてくれるというんでしょう。
  88. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) そうそう。
  89. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 それで、はっきりしたんですよ。だから、それが第一で、そういうことになりますわな。あとは憲法の条項に従ってそういうことはできないということですから、これでいいんです。それで、もうはっきりしたから、それは私はいいんです。  そこで、次にお伺いしますが、私は、最近、外交論議を国会の中で聞いていまして、安全保障戦略と外交戦略というか、こういう問題がどうもやっぱり一線に並べてというか、同じ次元で論議をしておる傾向が非常に強い。大臣とも見解をまた異にするかもわかりませんが、そういうことからすると、台湾というふうな問題はそうたいして問題にならないんです。しかし、私たちは、これは大臣と見解を異にするかもわかりませんが、少なくとも、われわれの同志の諸君の中の何人かは、台湾というもののこの戦略的価値というか、これをやっぱり非常に重要視しておるんですよ。それはなぜかと言ったら、東海、南海、フィリピンの海、ちょうど中間に台湾がある。そうして日本とフィリピンの中継地でもある。また北米、ハワイ、マリアナ諸島から中国大陸にわたる太平洋横断路線の要衝でもある、西部太平洋における交通線の管制の要衝でもあるということ。一番最初私が申し上げたように、やはり日本の基幹産業をずっと国内で維持していくためには、太平洋州との連携が必要である、そういうことになってきますと、台湾というこの地勢的な位置、これは非常に重要だと思うんです。ことに、あすこに約五十万の軍隊がおります。これ、なかなか精強な軍隊です。この軍隊は自由諸国家内で第二の地位です。中央アジアの諸国を旅行してみまして、いろいろ指導者の連中と話をかわした中で、国府の持つ五十万の軍隊というこれは、共産主義者たちの浸透に対してかなり歯どめを果たす役割り、これをまあやっておるということを評価するんですね。こういうことを考えていったら、私はやはり台湾というものの位置づけというか、日本の国際政治における位置づけというもの、非常に私は重大だと思うんです。これについてどう考えますか。
  90. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 日本のいまの立場は、安保条約を堅持していくという立場でございまして、安保条約は二つの目的がありまして、一つ日本の安全を守るということでございます。もう一つは、極東の平和を守っていくために協力するということでございまして、そのために米軍の基地を許しておるわけでございます。その極東の安全ということについては、いまあなたの御指摘の、台湾並びにその周辺というのは非常に大事だと思っておるわけでございまして、日本政府の立場は、安保条約を堅持していくということ、したがって、その関連取りきめも全然そこなわずに維持していきましょうという立場でおるわけでございます。そういう日本の立場を理解して、これに触れずに日中共同声明ができたわけでございます。私どもの立場ははっきりしておると思うんでございまして、ただ私どもの希望の表明といたしまして、あの地域が平和であって、武力紛争が起こることがないように念願しておるわけでございますけれども田中政府になりまして、そういった姿勢が出ずに改変が行なわれたわけでも決してないわけでございまして、そのことは十分御理解をしておいていただきたいと思います。
  91. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 大臣のいま言われましたこの台湾周辺というものは、日米共同の防衛的拠点であると、こう判断をしているというふうに理解していいわけですね。  それと、次に、最近アメリカと中華人民共和国との間で、相互に連絡事務所が設置されて、正常化へ踏み出した模様でありますが、これは高度でしかも巧みな外交の展開と見るべきであって、アメリカはこの正常化にあたって、中華民国を切り捨てることなく、中華人民共和国との交渉のとびらを開いているんです。これはもう、まただいぶ前の話になってきますが、私たちは大臣に、なぜ台湾を切り捨てるのかと、切り捨てないでやれるじゃないかと、こういうことを迫りました。そうしたら、小坂さんのほうも、また大臣のほうも、それは一つの中国なんだということであったと思うんです。われわれは、一つの中国といったって、現実、これは二つの政府があるじゃないか、同時に外交関係を持つ可能性はないのかということをただしていったわけですね。それだけに、いま過去を振り返ってみまして、まあ何か知らぬ、こう、残念に思えるような気持ちもするんです。二十七年にわたって友好関係を続けてきた中華民国を一方的な宣言だけで抹消していいのかどうかという疑問の解明、これがまだなかなかなされてないという私たちは見解をとっております。まあ、同じ党内にあって残念なことですが、少なくともわれわれの懇談会はそういうふうにとっておるんです。
  92. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) われわれ、一つの中国であって、その中国を代表する政府の選択をやったわけでございまして、それだけのことなんでございます。アメリカの場合も、二つの中国というところまでは行っていないと思うんでございまして、アメリカアメリカで行き方があり、日本には日本で行き方があって悪いというわけのものでは私はないと考えておりますが、たびたび申し上げておりまするように、台湾との外交関係を維持しながら、北京との外交関係も設定するというような離れわざは、私にはもうできません、私には一つしかできないと思いますんでということは、たびたび協議会でも私は申し上げたところで、それはよく御了解いただいておると思うんです。
  93. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 まあ大臣、これは党内でずいぶん長いことやりました。しかし、ここで、一番最初申し上げましたように、記録にとどめておくということなんで、こういう意味もありますんで、私はいまずっと、自分の考えておることを速記してもらいます。  ただいまの大臣の御答弁にありました、中国は一つということばであります。戦後の歴史を振り返ってみるまでもなく、国府は常に一つの自由中国を主張し、北京は一つの共産中国を主張してまいりましたが、現実の問題として、ここ二十数年間、それぞれ異なる土地と国民を支配する二つの政府が存在してきておるのであります。したがって、中国とは単なる地名であります。これは去年、私は予算委員会の総括でも言ったんです。私、北京の学校に入学するために行ったときに、北京駅に着いたら先輩がやってきて、玉置君、一番最初注意しておくが、この北京へ来たら、おまえ、シナと言うなよ、「チョンクオ」と言えと、中国と言えと、こう言って注意されました。だから、これは一つの地名であり、また文化等を呼称するときに使うんですよ、中国というのは。これはもう御承知のとおりです、これは。で、政府やマスコミの中でも中国と言われるが、中国という呼称を持つ国家は、はたしてどこに存在するのでありましょうかということです。中華人民共和国とか、中華民国といった国家の存在はあっても、一つの中国にいわれるところの中国という国家は地球上に存在しないのであります。もし存在するとすれば、この際御教示をいただきたいのであります。政府は、ありもしない一つの中国ということばのマジックにとらわれて、その中国というフィクションを相手に外交関係を結ぼうとしてきた、ここに私たちは第一の誤謬を生じたと思うんです。  もし、中華人民共和国政府が、一つの中国はフィクションではない、現実の問題だというのであったならば、たとえば台湾地区への旅行者は、今回設置された中華人民共和国大使館に対して入国査証を申請しなければならないわけでありますが、現在も毎日二千名近くの民間人が観光、商用等で訪台しておりますが、これらの人々が中華人民共和国大使館に対して入国査証を申請したという話を残念ながら一度も聞いておらないのであります。中華人民共和国政府は、一つの中国に固執する以上、その政府が入国を許可した旅行者に対して台湾地区をも自由に、かつ安全に旅行させる義務を持っているわけであります。しかし、これはできません。もしそれができないならば、一つの中国はあくまでも、両政府の理想であっても、現実にはフィクションであると言わざるを得ないのであります。これはもう大臣、答弁必要ないです。私の見解をはっきり言っておきますからね。  次——答えられてもいいんですよ、もうやってきましたものね、これは。
  94. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 私は、中国に二つの政府があるということを否定しないわけであるわけでございます。私どもがやった仕事は、そのいずれが中国を代表する資格のある政府として選択するかという問題をわれわれはやったということでございます。問題は、あなたの言うように北京政府の支配が台湾に及んでいないことは私も承知いたしておるわけでございます。しかし、その地域との間のいろんな関係があるわけでございますので、それを可能な限り埋めていくということは現実にやっていかなければならぬことでございますが、たてまえは、私どもは北京も台北もいずれも、中国は一つであると言っておられるわけでございまして、それにことさら異を立てる必要は、私はないと考えております。
  95. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 そうしたら、もう一つお聞きしますが、中華民国、ないしは国府という略称は国際的に通用する固有名詞ですか、これは。私はそう考えています。これを別のことばにかってに置きかえることは全く不可解なことであるにかかわらず、いま日本では、すべて中華民国ないしは国府という正しい表現を使わずに、台湾、全部台湾で片づけておるわけですね。これは、外務大臣、はなはだ失礼ですけれども、端的にわかりやすいために失礼を許していただきたいと思いますが、ある日突然、大平さんというのを、ダイヘイさん、ダイヘイさんと言われたら、大臣、あまりいい気持ちしないでしょう。先祖代々から伝わってきて、そしてその血を受け継いで、りっぱに認められておる大平という名前が、ダイヘイさん、ダイヘイさんと言われたら、私は決していい感じはしないと思うんです。これは人間として、この気持ち、どうですか。
  96. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) それは、あなたのおっしゃるとおりだと思います。ただ、それは中国を代表する政府を北京政府として選択した結果として、中華民国あるいは国府という表現を差し控えておるわけでございまして、これを受けるほうの側から見れば、それが不愉快であることは私もよく承知いたしております。
  97. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 だから、大臣ね、この辺からほんとのことを私は北京に言ってあげたらいいと思うんです。これは日本の国民の中で、なぜそうなったのかということについて疑問を持っておるのがたくさんおるんです。というのは、まだ中華人民共和国と国交を開かぬ前に、国会で中共ということばを使う人もあったが、大かたの方は中華人民共和国だとか北京政府だとか、ちゃんと私たち呼んでおったんですよ。それがいつの間にか、台湾の場合は、国府とも呼ばないで台湾と呼んでしまう。それだけに、国民の間では、力の強い北京にだけ気がねし過ぎるんじゃないか、こういう声がたくさん出てきておるのです。ことに、私ども非常に残念に思いますのは、私たちがつくっております日華関係議員懇談会、この日華関係議員懇談会というのは固有名詞です。それを訂正せよとかなんとかいって強圧的な態度に出るというのは、これは一体どういうことなんですか。われわれは北京に対して、大臣が、そういうことに対してあまりがたがた言うと、日本国民というのは非常に自由な言論をとうとぶ国民なんだ。かつて日本の暗い時代に強圧的に言論の自由を圧迫したために、そういう苦い経験を持っている日本人だから、あなたのところはあまりそんなことに気を使わずに、大らかな中国人本来の姿でやったらどうなんだ、こう言って私は助言をしてあげるのが親切だと思うのですよ。これはどう考えますか。
  98. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 政府といたしましては、国交正常化前、北京政府の呼称については非常に用心してやっておったわけであります。いよいよ末期になりまして中華人民共和国政府と言った例があったように私は思いますけれども、この呼称については非常に神経質にやっておったわけであります。今度、立場が逆転いたしまして、相手側の呼称について神経質になっているというので、政府といたしましては、その態度を二にして追随していっているつもりはないのです。ないのですけれども、一般の国民の方々が何か割り切れないお気持ちでおられることは、よく私ども理解できないわけじゃないわけでございます。
  99. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 次に、大臣、前にじかにお話ししたことがありますが、タイ国でのああした問題、バンコク中心で起こりましたですね。あれはどのように理解しておりますか。日本の品物を排斥するとか、学生が排日運動の火をつけたですね。
  100. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) もともとタイ国は、日本の資本の進出ということを先方が希望されてきたわけでございます。私はタイ国の戦後の経済復興というものに対して日本もある程度寄与できたと思っております。ただ、そのやり方がタイ国の民衆に刺激的に映ったということが、マナーの問題としてたいへん残念に思うわけでございまして、日本が、これはタイ国ばかりじゃございませんで、どこの国に対しても経済の交流をやっていく場合に、やはりわれわれが順守しなければならない目に見えないコードというか、そういうものを踏まえてやらなければならぬものと思うのであります。ただあの案件につきましては、その後いろいろ実態を調べてみたわけでございますけれども、その後私もタイ国の政府首脳の方々にもお目にかかりましたけれども、全部が全部そのように考えているというわけではなくて、一部の方々のマナーがたいへん刺激的に映ったということでございますので、日本のやり方として非常に気をつけなければいけないものと私は思っておりますが、日タイ関係それから日タイ経済関係そのものはたいへん大事でございます。両国にとって大事でございますので、正しいマナーの上で拡大充実していくことを私は希望しております。
  101. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 あのね大臣、私はマナーだけじゃないと思うんです、これは。私は現在の国府それからインドネシア、特に仲よくしておりますタイ、フィリピン、マレーシア、シンガポール、このようなASEAN五ヵ国との動き、われわれはわれわれなりに連携をもっておるわけです。そうしたときに、一部の新聞では、国府系の華僑が騒いでおると、こう書いておりました。私は先日台北に行きまして、重大なことを発見したのは、たまたま私の知っておるシンガポール、マレーシアの両国国籍を持つかなりの実力者です。彼に会って、おまえ何しに来たのだと聞いたら、やっぱり国民党の中央部の指令を受けに来ておるのです、これは。それで彼は彼なりに判断をしておるのは、タイ国についてもわれわれと同様なことがやっぱり考えられると、そうして彼が最後に私に言い残したことばは、日本は中国大陸で戦争しておって、勝った勝ったまた勝ったと言って喜んでおったとき、はっと気がついたときにもう周囲が敵だらけだったじゃないかと、アジアの諸国はそういうことにならぬように玉置君ひとつ気をつけろよと、国民党の党員がアジアの諸国に潜在的にあるということです。こういう点についてももう少し私は的確な情報というものを外務省はつかんでもらいたい。こういうことをつかまなかったら、何のために在外公館を置いておくのかわからない。われわれはそういうための予算、これは大臣も努力しておられますが、そういうふうな予算というものは大いにつけて、そしてうわべだけの、薄皮だけの情報ではなしに、ほんとうに深く入った根のある情報というか、そういうものを的確につかんでアジア外交を展開していくということ、これは非常に大事だと思うんです。  で、もう一つ言いますと、私は地図を見るたびに思うのですけれども、台湾とフィリピン、これは非常に近い。現在国府はフィリピンに対してあらゆる友好関係を結んでおります。努力しております。たいへんな努力です。たとえば水害があったときに、日本がフィリピンに対して行なった援助よりも国府がフィリピンに対して援助した額というのはこれはもうたいへんなもんです。それだけに、この一例をもっても現在の台湾とフィリピンという関係は深まりつつあると私は見ております。ともに中華人民共和国、中国大陸の脅威を感じておる点においても同じです。私はこの二つの国が、またインドネシア、これも非常に反共色の強い国です。こういった三つの国が連合して手を握って、ひとつ台湾海峡、バシー海峡それからロンボク海峡、こういうところを締め上げてやろうじゃないかと言ってやり出したら一体どうなるのか。私は大臣が北京と交歩を開くために政治生命をかけられたこと、わかります。しかしその陰にあって、私たちはそういう事態が起こらないように懸命な努力をしてきたのです。驚いたことには、私はこの九月二十九日の前、椎名さんがちょうど入ってきたときです。あの当時向こうも、宣伝に使うのかどうかわかりませんが、二億二千万トンの日本の油の入ってくる積み出し国を全部調べて、そうして北京と国交を開いておる国から積み出してくるタンカーについてはこれはチェックしよう。自分たちと国交を開いておる国はマルをして、そしてそれは通そう、仕分けまでして持っておった。その当時の油の備蓄量は四十日だった。今日五十日あります。その当時の鉄鉱石の備蓄は三十六日であった。今日では四十日ぐらいですか。われわれはそういうことをやられたらこれはたいへんだと、特に陸、海、空軍が二十四時間の戦時態勢に入っておりましたよ。私は空軍の友人を持っておりますが、奥さんがやってきて、なぜ主人が帰れぬのか、なぜ主人が私の家に帰ってこれない、これは玉置さん、あなたわかりますか。奥さんは日本留学生です。私は知らぬと、日本がこうしたんじゃないですか、主人の安全を祈って毎日油断ちをして、そうして拝々しておるんだと、こう言っておるんです。現実私たちはそういう姿を見てきて、これはやられるかもわからぬ、やられたらたいへんだというので、あらゆる努力を払ってきた。そしてインドネシアへ飛んで、そしてロンボク海峡でも通してもらわなければいかぬというので、ウイットノー将軍に私はバンドンまで飛んでいって会いに行った。そうしたらウイットノーは何と言ったか。台湾がやり切ったらたいしたものだ、あれ、ようやらぬだろうが、やり切ったらたいしたものだ、われわれはかつて共産主義者にもういじめ抜かれたんだと、死ぬ思いをしたのだ、同僚が全部死んだ、それだけに、私たちは中華人民共和国の脅威というものを身をもって感じておるのだと、日本は甘い、日本は一体何を考えておるんだ、それだけに、もし台湾が四十日バシー海峡、それから台湾海峡で封鎖をするなら、われわれはプラス二十日——六十日手伝う用意があると、こう言っておる。また、その上の要人も言った。それは名前は言いませんが、これがインドネシアの有力な国会議員であり、軍人である人の代表的意見であった、当時は。当時、スジョノさんもこちらに来ておった。スジョノさんはそういう訓令を確かに受けたはずです。それだけに、私たちはこういうことを考えてきたから、こういう状態がまた起こらないという保証が一体どこにあるのかということを考えるのです。起こらないようにしなければいかぬ。  どうか、大臣もそういうことは十分おわかりになっておられると思いまするが、ニューヨークタイムズの論説のようなことは私は二度と起こらぬと思う。ニューヨークタイムズの論説はあなたは読まれたと思いますが、日本はなかなかうまいことをやっておる、左手で北京と手を握り、右手でもって台湾をうまく頭をなぜて、日本の政治家にニクソンの周辺は学ぶべきであるということを書いておる。しかし、こんなのは二回はありませんぜ、曲芸みたいなことは。どうですかひとつ、もうそれはうなずくだけでけっこうですよ。もう答弁の必要はありませんがね。私は、大臣、これはほんとうにわれわれは心配しておるから日華議員懇談会があるんですよ。日華議員懇談会というのは、いまやっておる中心のものを見てみなさい、大臣。みなわかっておるんですよ。すっかり世代がかわってしまっておる。台湾で、それは先輩もみなそうだったと思いますが、われわれはいま台湾で何の便益を受けたことがありますか。ないのです。ないのだけれども、しかしこれはやらざるを得ない、だれかがやらなけばならぬというので、一生懸命になってやっておるのです。  まあ、あと、あと地の問題と航空協定に入りたいと思います。
  102. 川上為治

    主査川上為治君) この際、おはかりいたします。  分科担当委員外委員楠正俊君から発言したい旨の申し出があります。これを許可することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  103. 川上為治

    主査川上為治君) 御異議ないと認め、発言を許します。楠君。
  104. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 先に私がやりましてから、あと関連で……。  お伺いします。大臣がですね、これもなかなか仮定の問題で失礼だと思いますけれども、わかりやすくするためにお聞きするのですが、大臣がかりに旅行中、あなたの家のかぎを知人に渡して、そして管理を頼んだとします。その留守中に管理を頼まれた家を他人に渡したとしたら、平気で、しかたがないとあきらめることができますか、ということです、これは。こんなばかなことはなかなかできません。そこに何らかの理屈があるはずです。私たちは、先般外務省が中華民国大使館あと地を中華人民共和国政府要求に応じて大使館として使用させることにしたのはこれと同じことでありますまいかという見解をとっております。これはあとで大臣の見解を聞きます。  今度吉田さんに聞きますから……。いま、かぎはどこに置いておるの。だれが持っておるの、吉田さん。
  105. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 外務省の中国課で預かっております。
  106. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 どのような経緯でかぎが渡ったの。
  107. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 中国大使館が、前の、旧国民政府大使館が撤収いたしましたときに、あと、だれもおりませんので、そのかぎを置いて帰ったと、こういうことでございます。第三者にこれが渡って、外国の財産でございますが、それに問題が起きてはいけないという外交上の配慮から、外務省は管理義務はございませんが、保全上の目的でこのかぎを預かったということでございます。
  108. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 そうすると、その前に鈕公使がこの書面を持ってきましたね、これ。これはコピーですが、書簡をもって啓上いたしますという、これね。法眼さんのあとに持ってきたやつですよ、これ。これはどうしたの。これをどこで受け取ったの。
  109. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 旧国府大使館が引き揚げますときに、先方の見解を外務省のほうに申し述べていったということであります。わがほうはその時点におきましては国交がございませんでしたので、これを外交文書もしくは向こうの正式の政府レベルの見解としては受け取らず、また、この内容についてもわがほうはこれに同意しないということをはっきり先方に伝えて、先方がこの書面を置いていかれた、こういう経緯でございます。
  110. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 あのね、吉田さん、そんなことになっていないんだよ。この証言記録があるんだ。これはあなたも知っているように、橋本課長のところへ来たんだろう、鈕公使が。橋本課長にちゃんと渡したんだろう、鈕さんの証言記録、ここにあるんだよ。読もうか。
  111. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) これを受け取ったのはだれであるかというのはちょっと機微にわたりますが、橋本課長ではなくて、もう少し上のほうでこの書面が置いていかれたと、かような関係になっており、わがほうはこれに対して正式の書面としての受領書も——また先ほど言いましたようなコメントをつけて先方に帰ってもらった、こういう経緯がございます。
  112. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 いや、ここに、この照会は橋本課長が中国課で親しく受け取ったもの云々と書いてある。うそなの、これは。
  113. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 橋本課長が受け取ったという点に関しましては、私は事実に多少反するのではないかと思います。
  114. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 そうしたらね、あなたは、かぎは置いていったと言ったね。
  115. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) そのとおりであります。
  116. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 置いていったのに、何で、若山喬一君がなぜ領収書を出すんだい。
  117. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 領収書の経緯は私知りませんが、先ほど言いましたように、第三者に外国の財産のかぎが渡りまして、これが盗難とかその他財産保全上問題が起こっては困るという配慮から、外務省でそのかぎを、置いていかれたものを、確かにその意味で預かっていたということであろう、かように了解いたします。
  118. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 あなたね、そんなうそばっかり言うからだめなんだよ。わしらにも、あとで言いますが、うそついたんだよ。ここにちゃんとあるじゃないか。「受け取り證 もと中華民国駐日本大使館及び大使官邸の鍵九十四本を確かに受け取りました 昭和四十八年一月三十一日午後九時受け取り人・・財団法人交流協會、若山喬一」、ちゃんとあるよ。彼、署名しておるじゃないか。英語でも署名しておるじゃないか。これはどういうことなんだ。これは、若山さんというのはね、ちょっと大臣御承知ないかもわかりませんが、中国課から出向しておる人ですよ、これは。この若山さんという一事務官がこんなことできるはずないです。だれかの指示を受けておるのです。もうこれ以上聞きません。これ以上聞くと、われわれも与党で、あいつは何じゃということになるからこれ以上聞きませんが、あんまりいいかげんなことを言わぬほうがいい、吉田君。  もう一つ、それなら一ぺん聞きますよ。あなたはヒルトンホテルの四百一号で私を含めた先輩の方々六人ほどと話をしたことあるでしょう。その記憶あるでしょう。
  119. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) ございます。
  120. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 あのときに、あなたは何と言った。
  121. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 旧国民政府大使館のあと地の問題に関しましての経緯の非公式な報告を申し上げたということでございます。
  122. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 吉田さん、あのときあなたは、もうたいへんな苦労だが、ひとつこの問題については、まあいろんなこともこれあり、と言って、渡さないように努力をするということよりも、もっと突き進んで、渡しませんと、こう言ったようにわれわれ理解しておるのですがね。
  123. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 私の正確な発言は私もちょっと記憶ありませんが、当時非常にむずかしい状況の中で、私たちとしては全力をあげてこの問題の円満な解決をはかっていた。私の個人的な気持ちとしては、何とかしてうまい方法がないだろうか、そのための努力をいたしますという所存であったわけでございます。
  124. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 吉田さん、それからいま水道料金、電灯料金、ガス料金、国府のほうで払っていますわな、まだ。これどうするの、処理は。ここに領収証あるよ、ここに。
  125. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) ちょっとその支払いの関係は私実はつまびらかにしませんでしたので、さらに調べてから御返事申し上げたいと思います。
  126. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 いや、われわれ調べて——そんなあとで別に返事要らぬのですよ。こういうことになっておるのだよ、ね。ちゃんとここに中華民国大使館と書いていますよ。これなんか読んでみなさい。大臣、このとおりですよ。これは水道料金の請求書、中華民国大使館、まだいまだにこうなっておる。これは水道料金、それから電気料金もガス料金もそうです。
  127. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) おそらく、私の想像では、先方の大使館が正式に閉鎖し、その後もちろん事実問題として若干の物品が残っておりましたので、それの完全な撤収、引き揚げ作業が行なわれておったわけでございますが、その時点までの電気代とかガス代とか水道料というものはおそらく今日の時点で支払いが請求されておるということであろうと思いますが、撤収後は電気も切れておりますし、ガスもとまっておりますし、水道も使われていないと、かように了解いたしております。
  128. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 何言っているのだ、あなた。これ三月七日よ、みなこれ、三つとも。見せてあげてください。
  129. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) いや、私の申し上げました私の推量でございますが、使用しておった時点までのものを、おそらくこういう代金は後日になって昔の代金を請求してくる、その期日の関係ではなかろうと……。
  130. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 ノーノー、ノーノー、それは違う違う。それは一月、二月のやつだ。それはいいわ。それは調べてもらったらわかります。私はうそ言っていないです。  そこで吉田さん、あんたがこう言ったでしょう。何で渡したんだと言ったら、外交財産だという見解をとりましたね。外交財産だと、これは。
  131. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) そのとおりであります。
  132. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 外交財産というのは一体どんなものか、聞かしてください。
  133. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 外交財産という説明をある場所にもう使ったことがございますが、これは厳格な法律的用語ではございませんが、国際法の現在の事実問題といたしまして、国家の公的な外交活動を行なうに密着しておる必要な国家財産を通常外交財産という概念で使用されておると、こういう趣旨で申し上げたわけでございます。
  134. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 そのときあなたは、外交財産というものはどういうふうな立場でものを言うんだと言ったら、ウイーン条約を引っぱってきたわね、ウイーン条約。
  135. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) ウイーン条約の中には外交財産ということばは使われておりませんが、いわゆる外交財産というものが、普通の国家財産以上に特別のある国の外交機能を行なうための財産としての立場上丁重に取り扱わなければならない、その意味において外交財産ということばが国際概念上使われておると、かような意味でございます。
  136. 楠正俊

    分科担当委員外委員(楠正俊君) ちょっと関連で。  大臣がたいへん御苦心をしておられるということはよくわかるのでございますが、ただいまウイーン条約の話が出ましたので教えていただきたいのですが、ウイーン条約の、ウイーン外交関係条約第四十五条、そこでは、二ヵ国間で外交関係が断絶した場合、使節団の公館は保護しなきゃいけないということが書いてあるんですね。外交関係が断絶した場合には公館を保護しろと書いてある。ところが、外務省の立場は、外交関係が断絶したんじゃないと、こう言っておられると思います。ところが、その外交関係が断絶するということはどういうことかということを調べてみますと、どういう状態になったらその外交関係が断絶するのかということを調べてみますと、二ヵ国間の双方もしくは一方が外交関係を断絶するということを意思表示をすれば外交関係の断絶ということは成り立つわけなんですね。そうじゃないでしょうか。そうしますと、中華民国が外交関係断絶を九月二十九日にしているんですよ。これは公式の文書じゃございませんが、「中華週報」という中華民国のほうで出しております、これは政府関係の新聞じゃございませんが、そういう新聞に出ておる、全文が。その中には「中華民国政府は、日本政府のこれら条約義務を無視した背信忘義の行為に鑑み、ここに日本政府との外交関係の断絶を宣布する」と書いてあるんです。そうすると、日本外交関係断絶を宣言しないけれども、中華民国側は外交部が断絶を宣言しておる。そうすると、このウイーン条約でいう外交関係が断絶したということは成り立つわけです。そうすると、ウイーン条約を守ろうとするならば、この使節団の公館というものは保護しなければいけないというのがウイーン条約の精神。今回の措置が、あれは保護したことになるんですか、外務大臣。
  137. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) 大臣がお答えする前に、私、ちょっと条約上の問題でございますので、お答えさしていただきます。  外交関係に関しますウイーン条約第四十五条をいま先生指摘でございます。この外交関係ウイーン条約の全体の趣旨は、要するに、通常の国と国との間の外交関係に関しますところのいろいろな法律的な問題点を整理した従来の慣習法を条約としてまとめたものでございまして、私どもこの条約を国会の御承認を得て運用いたしております。いま御指摘の第四十五条は、ここに書いてございますとおり、二ヵ国間で外交関係を断絶した場合というこの意味でございますが、私ども、前々から申しておりますとおり、中華民国という国及び中華人民共和国という国、二つの国が現在あるという立場をとっておりません。先生方の先ほどからの御質問によりますと、非常に御反対かもしれませんが、私ども抽象的に、やはり中国というものがございまして、中国という名の国があるというわけでは決してございませんけれども、従来、中華民国政府あるいは中華人民共和国それぞれが、中国を代表するものであるという立場をそれぞれの政府がとっておりまして、この問題がそういう立場から国際連合でもって長い間争われてまいりました。したがって、当事国政府及び国際社会全体が、要するに中国というものが一つであって、この一つの国を代表するものがどちらであるかという問題が従来長く争われてまいりまして、昨年、私どもはこの中華人民共和国政府を、国連の決議の趣旨に従いまして、中国を代表する政府として、承認を転換したわけでございます。従来中華民国政府を中国を代表する政府としてとっていた態度を切りかえたわけでございまして、そういう意味で、私ども日本と中国との間には外交関係は断絶しておらないという立場を従来とっておりまして、いまでもそのような立場でございます。
  138. 楠正俊

    分科担当委員外委員(楠正俊君) いままで日本外交関係を結んでおった国はどこですか。
  139. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) 去年の九月二十九日以前におきましては、中華民国という名前の国でございます。
  140. 楠正俊

    分科担当委員外委員(楠正俊君) その中華民国という国が外交関係の断絶を宣言しているんですよ。そうすれば、二ヵ国間でこの外交関係が断絶したというそのことは成り立つじゃないですか。中国という国と外交関係を結んでおったんじゃないでしょう。中華民国という国と外交関係を結んでおって、その中華民国が外交関係の断絶を宣言したんですよ。
  141. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) 中華民国政府は、中国を代表する正統政府であるという立場をいまでもとっておりますし、私どもは、昨年の九月二十九日まではその中華民国政府の立場を支持してまいりました。そのような中華民国政府の立場といいますのは、やはりあくまでも中国を代表する政府としての中華民国政府、そういう政府としてその国名を中華民国というふうに称しておるというふうに考えております。
  142. 楠正俊

    分科担当委員外委員(楠正俊君) 九月二十九日までの時点で、それまでの時点で変わったんでしょう、選択をしたんでしょう、中華人民共和国に、政府を。しかし九月二十九日以前は、日本はどこと外交関係を結んでおったかというと中華民国なんですよ。その中華民国が国交の断絶を宣言したんだから、そこで外交関係が断たれたということは成り立つじゃないか。そうすれば、ウイーン条約のこの条項によると、公館を保護しなければいけないというのがウイーン条約の精神なんだから、それは論理的に合わないですよ、あなたのおっしゃることは。そのあたり御苦心しておられるから、これ以上私も関連質問で、御迷惑かけますから申しませんが、これは納得しませんね、だれも、あなたの説明では。外務大臣、じゃ最後にお答えいただきまして、関連でございますから、遠慮いたします。
  143. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 私も条約の専門家じゃございませんですけれども、従来一国一政府というたてまえで国際関係が動いてきたわけでございますが、第二次世界大戦で、不幸にいたしまして一つの国に二つの政府ができるというような事態が発生いたしまして、それで従来の国際法上の概念でもう律し切れないような現実が出てきたわけでございます。したがって、このいまあなたが御指摘の問題につきましても、従来のウイーン条約締結当時から申しますと、楠さんがおっしゃるとおりだと思うんです。ところが、第二次世界大戦後の事態というのは、これで律し切れない事態が中国において、あるいは朝鮮において、あるいはドイツにおいて、あるいはベトナムにおいて起こってきたという事態が出来してまいりましたので、私ども政府としては、国交の正常化並びに一連の措置は、国交の正常化という姿においてとらえて、中国は一つであって、それを代表する政府は何かというたてまえで終始してきておりますので、承認の転換であって、中国という国との外交関係の断絶というふうには受けとっていないという意味の説明を申し上げたと思うんでございます。いずれにいたしましても、現実がたいへんむずかしい現実でございまして、これをどのように論理づけるかについてはいろんな説があろうかと思いますけれども政府としては、条約局長が御説明申し上げましたようなたてまえを貫いておるわけでございます。
  144. 楠正俊

    分科担当委員外委員(楠正俊君) 委員長、ちょっと一つだけ。  そのウイーン条約でいう公館を保護するということは一体どういうことなんでしょうか、保護する……。
  145. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) 先ほどアジア局長からもちょっと御説明ございましたけれども、その外国国有財産のうちで、特に大使館あるいは領事館というようなものは、その国の威厳を代表し、その国の外交活動の基地となるものでございますので、普通の国有財産以上に特別な保護を与えなければならないという趣旨をうたったものかというふうに考えております。
  146. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 いまの、大臣ね、楠先生のお話を聞かれて御理解をいただいたと思いますが、そこで、われわれはよけい疑問というか、疑いを持つんですけれどもアメリカがやったこと、あれはどうだろうということと、それから、一つのドイツだとか、一つの朝鮮だとか、それから一つのベトナムだとか言いながら、東西ドイツと外交関係を設定している国、これは六十ヵ国ありますね、いま。それから、南北朝鮮と外交関係——これは外交関係設定の合意を得ている国も含めて現在十六ヵ国あります。さらに、南北ベトナムとの外交関係、これも領事代表部の関係を含めると二十五ヵ国に及んでおるんです。この辺の疑問、なかなかこれ、すっきりとしないんです。ことに、条約局長がいま国連尊重なんて言いましたけれども——私はあとで参考資料をそこに配っておきますからね。国連尊重の——これはあとで参考書を読んでください。私のこの別紙を読めば、国連尊重というのはそんなものじゃないですよ。ちゃんとここに書いていますよ。それはあとで読んでもらったらいいと思います。  もう一つ、現実の問題として、現在国府のほうは、旧日本大使館の公邸、これを、条約局長がいま言うように、よけいしっかりした警備をして、前の道路の清掃なんかも、前より増して国府のほうが力を入れてやってくれておるんですよ。そして、現在公邸を交流協会に使わしておるんですよ。日本人会が使うと言ったら、いつでもどうぞ使ってくださいと言って使わしておるんです。それに、日本のほうは、これだけのしっかりした申し入れもあって、鍵の受け渡しもこういうようにしながら、一片の通告だけで渡してしまうという、こういうことについては、やはり国民はすっきりしないんです、これは。何でこれ、北京だけに弱腰を見せるのだろうなという——大臣は、おれは弱腰ではないと、こう言うかもしれませんが、国民はやっぱり素朴なそういう疑問を起こしておるのです。  私は、そこで最後の結びとして言いますが、共同声明に約束した範囲以外の事柄については、日本は自由に行動する国際法上の権利を持っており、日本政府は、日本の国家利益を守るためにも、また今後日本外交を推進するに際しても、この自由行動の権利を忠実に実行する義務を国家、国民の前に負うものであると考えます。ことに、日中国交正常化の効果として、北京政府が本件不動産について所有権の行使ができるというのは論理の飛躍です。私たちはこう考えております。法規を無視した暴論であると思います。  これで、あと地は終わります。  次に、航空協定です。これも時間がありませんから、大体おもな点だけは読み上げておきます。巷間うわさされているように、航空協定問題までもが北京政府の圧力によって屈するような事態になれば、うっせきした不満不信が爆発し、わが国が最悪の事態に追い込まれることは火を見るより明らかであります。これはわれわれはいまの馬樹礼代表と、ずっと交渉を持っておりますが、かなり強い姿勢です、航空協定に対しては。もしここで——これが最後のとりでだと、日本と国府の最後のとりでが航空協定だというように、もう執拗に彼らは主張しております。私もそうだと思います。  そもそも航空協定に関しては、昨年、交流協会の締結調印に際し、協定文書第十二条に航空路の円滑な維持がうたわれ、二階堂官房長官と沈外交部長がそれぞれの立場で、これは民間協定であっても政府は支持し、協力すると声明されているものであります。最近の両国の民間交流は、断交以前の二倍近い千五百名から二千五百名が毎日往復しておりますが、この人たちは政治性を持たない人たちであり、北京政府に何ら気がねをする必要のない性質のものであります。  さらに、北京側のいう、同じ空港に二つの国旗をつけた航空機が並んでとまるのは困るという意見もおかしい。すなわち、十年前から横浜、神戸では中華民国の旗を立てた船と中華人民共和国の旗を立てた船とが同時に停泊しているが、これについて両国とも何ら文句をつけておらないではありませんか。さらにまた、二十年前に中華人民共和国を承認した英国の統治している香港には、中華民国の航空機が発着しているではありませんか。  中華民国が、一方的断交宣言というわが国の暴挙に対しても、怨に報いるに徳をもつてすという温情をもって、報復手段に出なかった点を十分に配慮し、この問題の解決を誤ることのないよう、慎重な措置を要請するものであります。航空協定問題は、世界の不信を買いつつある日本が、アジアの孤児となるかならないかの最後のとりでであります。  同時にまた、失礼でございますが、大臣が政治家として、人間としての、先ほど言いました、うずきを表明するよい機会ではなかろうかと判断をするものであります。  そこで、心配される具体的な問題について、すでに新聞等でも報道されています数点についてお伺いいたします。  航空協定は、政府間協定であっても、自由社会の体制を持つ国々では実務的なものとして取り扱い、あくまで国民の便を中心にして考えていくべきであるとしているが、——これは、運輸省来ておりますか。まず運輸省の見解を聞きたいと思います、その点について。
  147. 寺井久美

    政府委員(寺井久美君) 日中間の情勢が変わりまして、航空協定といいますか、取りきめ、政府間の取りきめは、台湾との間になくなったわけでありますが、日本と台湾の間に実務的な関係が続き、人の交流が、あるいは物の交流が行なわれる以上、これに必要な輸送力としての航空手段を提供していきたいというのが政府の考えでございます。
  148. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 現実、台湾に断交前より二倍近い人々が出かけているのでありまして、そのために、日航が週三十七便を十月三十一日まで決定したわけであります。これは私たちの感覚では、ふえさえすれ、減ることはまずないと思われます。で、聞くところによりますと、北京からの減便の要求がありと聞いておりますが、それこそわが国民の自由な行動に北京政府が足かせをはめようとするものであり、かえってわが国に反北京の国民感情をかもし出すのではないかというふうに考えておりますが、大臣、どうですか。
  149. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 私としては、いま航空当局からも言われましたように、実務協定、民間レベルのそれにまつものでございますけれども、十分の理解を持ってやっていかなければいかぬと思っております。同時に、たびたび申し上げますように、日中間の理解と信頼をこわさないようにしてまいらなければならぬわけでございまして、その間、慎重に配慮していきたいと思っております。
  150. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 北京のほうは北京−東京、それから上海−大阪、上海か広州か知りませんが、福岡と、週一便ずつぐらい考えているという説が流れております。この乗り入れてくるために、なぜ毎日二千人からの人々が往復する台北−東京、台北−大阪、台北−福岡を変更しなきゃならぬのか。また、経路変更の要求もあると聞いております。たとえば東京−台北−香港等について、台北で打ち切れというようなことを言っておるというのは聞いておりますが、とても北京の言う航路は、専門家に言わすと、採算に乗るようなものじゃないと。それだけに、そう、いまは北京も言うことだけ言うが——というのは、これは踏み絵的な問題だ、気象だとか、あるいは漁業交渉に入る前の、日本政府というのは一体どこまで考えておるのかという踏み絵だというふうなことを言っておりまするが、そういうことのために、実際動いている、実際便利を受けている国民、これを犠牲にしていいのかどうか。私はこの辺をもっと北京に説明する必要があるのじゃないか。こんなことをしたら、よけい北京に対して国民は、ああけしからぬことをする、何とまあ北京政府というのはものわかりの悪い政府だなあというふうにとられても、私はいたしかたないと思うんです。さらに、北京のほうも、六月にボーイング707が入るというようなことを聞いております。また、二年後にコンコルドが入ってくるということも聞いています。そのときに、日本からの以遠権を北京のほうも確保して、アメリカに、中南米に、現在航空協定を持っておるカナダヘと結びたいという希望を持っておると聞いておりまするが、それならよけいに——日本はやっぱり世論政治ですよ。国民の間にこうした問題について、北京のやり方はどうも横車を押す、けしからぬと言っているこの空気を率直に伝える、私はそれが政治家としてやるべき立場じゃないかと思うんです。幸い廖承志さんが来られて、何か総理にも、大平大臣にもお会いになるということも漏れ承っておりまするが、そういうときにこそ、私はしっかりした日本の国民の声というものを伝えていただきたい。これはぜひひとつお願いしたいと思います。  もう一つ言っておきまするが、もし航空協定で現状を変更するような場合には、今度こそ必ず報復措置をとると言っているこの国府側の意見、これについてどのように理解を示しておられるか。
  151. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) いま、御承知のように、日本と台湾との間の航空路の問題は、民間レベルの協定で運営されておるわけで、直接政府はタッチしていない形をとっておるわけです。空港に入ってくるときに運輸大臣の許可が要るということにおいて、政府関係ができてくるわけでございます。で、今後もそういう姿でいかざるを得ないと思うのです。航空協定上は、どこにもこの路線は出ないわけでございます。事実上の民間の間の話し合いでやってもらうという形式をとらざるを得ないと思うわけです。その限りにおきましては、従来と変わりはないわけでございます。ただ、現実にどういう空港を使うか、何便運航をするか、そういった問題は、まだいまいろいろ技術的に検討中でございまして、私のところまでまだ上がってきておりませんけれども、当初申し上げましたように、この実務の関係はできるだけ円滑に維持していかなければいかぬ。今日まで維持してきたわけでございますし、今後も維持してまいりたいと考えております。同時に、これは今日までのことについて北京も何らクレームもつけてきておるわけじゃないので、北京側も一応の理解を持ってくれていると私は思います。先方の理解と、民間関係の両会社が十分な信頼をもって運航に当たらなければいかないので、そのあたりを実際上支障がないように、どうしたらやっていけるかという点、十分配慮していきたいと思っております。
  152. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 いま大臣の手元に要図を差し上げましたが、見ていただいたらわかりますが、いまの国府のほうは、もし航空協定で——大臣は民間だと、国府、台湾との間はもう民間だとこう言っていますが、私が先ほど読み上げましたように、あの交流協会ができたその日に、二階堂官房長官が、これはたとえ民間であっても政府はこれを支持するんだ、そうして海と空のこの路線というものは円滑なる維持をやるんだということを保証しておるわけですね、あの声明で。それだけに私は重大だと思うんですよ。そこで、もしそれが後退するようなことがあったら、こういうことになるんです。これは、私たちのあくまでも想定ですが、台湾防衛警戒区域というのがあるんです。これはずっと線を引っぱっております。これは香港のところまで行っています。上は舟山の近くまで行っていますが、この間を飛ばさないということになりますと、東京を飛び立った航空機は、フィリピンに一たん入って香港に入らなけりゃならぬ、また、サイゴンに行く場合も、シンガポールに行く場合も、これはフィリピンに一たん入って、そうして出ていくということになる。そうすると、香港に行く場合は約千キロ近くオーバーすることになります。いまよりよけい飛ぶことになります。また、シンガポールの場合も——これはたいしたことないな。とにかく香港に入る場合は千キロばかりオーバーする、このようになりますと、運賃がやっぱり二五%以上になると思うんです、私は。こんなんで飛行機に乗ってくる人ありますか。運輸省の人、どうですか、航空局の方。
  153. 寺井久美

    政府委員(寺井久美君) ただいまのように、台港のADIZを通れませんと、香港に行く場合に非常に大回りになるというのは、確かにそのとおりでございまして、その場合に航空運賃が高くなるかならないか。これは、国際航空運賃はIATAできめておりまして、日本の飛行機は通れないけれども日本以外の飛行機は従来どおり飛ぶといたしますと、日本がひとり上げたいと言っても、簡単にほかの航空会社が上げるということにはなりませんので、これはIATAの会議で上がるか上がらないかは最終的にきまるものだと思います。しかしながら、日本航空にとっては非常に不利になるということは事実でございます。
  154. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 時間がおくれることは間違いないですね、これは。
  155. 寺井久美

    政府委員(寺井久美君) おくれます。時間は、千キロ飛ぶ分ですから約一時間程度延びます。
  156. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 そうすると、日本の飛行機に乗らないということは当然あり得るわけですね。
  157. 寺井久美

    政府委員(寺井久美君) 日本の航空機に乗るお客が減るということはございます。
  158. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 大臣、もうこれで終わりますが、このように、航空協定一つとりましても、やっぱり私たちは検討しなきゃならぬ問題がたくさんあると思うんです。廖承志さんが日本に来られたその直後に、北京のほうでいつも大きな問題が起こっておるんです。しかも、いままでは不幸な問題が多かった、日中間に。今度は廖承志さんという、日本のことをよく知っておられる方、また向こうでもかなりの実力者の方がおいでになるわけです。それだけに、この際に、やはり日本側のこうした深刻な実情というものについてはとくとお話しを願いたい。そうして、向こうがあえてそれに無理を言うのだったら、私は国民の世論に訴えるべきだと思う、これにはおそらく報道機関も私は協力してくれると思います。そんなに報道機関がいつまでも、北京がこう言ったから、ああ言ったからとといって、私は従うものじゃないと思います。第一線の報道機関の人たちも、最近は歯ぎしりしておるということを聞いております。それは日本の道義に対する復元力なんです。そうして正常なことに対するマスコミ人の私は良心だと思うのです。報道の自由というものを確保したいという若者の記者の私は気持ちだと思う。これをやはり政府が代弁をしてあげる必要がある。こういうことを考えましたときに、あえて私はぶしつけを顧みずに大臣にいろいろな点を質問してまいったのです。どうかそういう意味を理解をされて、がんばっていただきたい、こういうことを申し述べまして終わらせていただきます。     —————————————
  159. 川上為治

    主査川上為治君) この際、分科担当委員の異動について御報告いたします。  本日、和田静夫君、西村関一君及び田中寿美子君が委員を辞任され、その補欠として、鈴木強君、横川正市君及び瀬谷英行君がそれぞれ選任されました。  午後一時四十分から再開することとし、休憩いたします。    午後零時五十三分休憩      —————・—————    午後一時四十一分開会
  160. 川上為治

    主査川上為治君) ただいまから予算委員会第二分科会を再開いたします。  休憩前に引き続き、外務省所管を議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言をお願いします。
  161. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 先般、フィリピンのラグナ州カリラヤ公園で、フィリピン戦没者の慰霊碑の除幕式が行なわれたということでありますが、この新聞報道によりますと、「現地民の不満残し除幕式」と、こういうふうに報ぜられているわけです。今後の問題等もあるわけですから、現地民の不満を残した除幕式というのはちょっとひっかかるわけですけれども、この碑の文面ですね、どういうかっこうになっているのか。それから現地の新聞の論調等はどういう書き方をしているのか、それらの点について御報告を願いたいと思います。
  162. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) カリラヤにおきます慰霊碑の問題は、一方において、フィリピン側の国民感情というものを十分考慮いたす必要があるわけでございますが、他方において、日本側の遺族の方のお気持ちも十分配慮して、その結果でき上がったわけでございます。除幕式にあたりまして、フィリピン側はこれを日比共催ということで、大統領みずから花輪をささげ、慰霊碑は日比両国連帯の象徴であるという旨の演説も行ない、またフィリピン在郷軍人会も花輪を贈呈したり、追悼の辞を述べたりいたしまして、まことに和気あいあいとした雰囲気のもとに式典を終えることができたというふうに承知しております。  御指摘の、わが国の新聞記事の一部に、現地民の一部に割り切れぬ感情がなかったとは断言し得ないということでありますが、少なくともフィリピンの新聞にはそのような批判は出ておりませんようでございますし、私たちといたしましては、無事に除幕式が終わったことを喜びまして、今後さらに慰霊碑のまわりに慰霊園というようなものを完了して、その美しい日本式庭園が、両国国民の間の友好のきずなとして、フィリピン側にも喜ばれるように取り運んでいきたいということを念願いたしておるわけであります。
  163. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 四月一日の朝日新聞の解説によると、斎藤特派員の報道で、現地のフィリピン人の中に 「楽しいことではない」とか、「釈然としない」といったようなフィリピン人がいたと、それから「マルコス大統領の演説はフィリピン国民への説得と、日本国民への新たな連帯の呼びかけに終始した」、そしてフィリピン側の「マルキング准将は日比戦没者に対する一分間の黙とうであいさつをしめくくった。」と、こういうふうに書いてあるわけですね。これらの問題は日本側として見のがしてはならないことではないかという気がするわけです。なるほど、除幕式は無事に済んだと、無事に済んだからあとは心配ない、こういうふうに言ってしまえるかどうか。この点は大臣としても相当慎重に考慮しなければならないことじゃないかと思うのですが、大臣はこの新聞報道等をお読みになったかどうか。もしお読みになったら、それらの点についてどういうふうにお感じになるか、その点をお伺いしたいと思います。
  164. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 仰せのとおり、表に出た現象ばかりでなく、目に見えない国民感情の反応というものに対して終始注意を怠らないで外交を進めてまいらなければならぬと思います。で、この案件につきましては、先ほど局長からも御説明申し上げましたとおり、そういう観点に立ちまして、遺漏がないかという点十分確かめてやったわけでございますが、先般の予算委員会におけるあなたの御質問に対しましてお答え申し上げましたように、大統領御自身先頭に立ってやっていただいておるし、私どもの懸念に対しましても、そういうことを心配するに及ばないという、そういうお話もございまして進めてまいったわけでございます。完全にそういった痕跡がなかったなどと私は強弁するつもりはないのでありまするけれども、本件につきまして、御指摘のような点についての一応十全な配慮はいたしたわけでございますので、これが日比の親善の増進に役立つと思いますが、同時に、これが日比の親善に亀裂をもたらすようなことにはままなるまいというように私は感じておるのであります。しかし、この種のことにつきましては、仰せのように十分以上の配慮を加えてまいらなければならぬことは当然の責任でございます。
  165. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 この前予算委員会で私が質問したときば、この除幕式の前だったのですがね。除幕式が無事に終わったということは、それはそれでけっこうだと思うのです。で、本院からも矢山社労委員長も出席をしておりますが、やはり現地の感情とすれば、必ずしも割り切れないものがあるということです。つまり、われわれが考えてみても、たとえば沖繩に米軍の慰霊碑が建てられるということになると、やはりこれは割り切れないものが出てくるんじゃないかと思うのですね。だから、遺族の感情をおもんぱかった場合に、日本軍の戦没者の碑としたいということは私らもわかりますけれども現地に建てた碑が、日本文の場合には比島戦没者の碑ということであれば、日本軍であるのかフィリピン人であるのか、いずれとも明記してないわけだから、解釈のしようによっちゃフィリピンでなくなった人の慰霊碑である、こう解釈できるわけです。問題は、英文でもって解説をどういうふうにしてあるかなんですね。英文の解説が、最初のときのお話のように、明確に日本軍の戦没者の慰霊碑であるということになっておりますと、問題が出てくるおそれがあるんじゃないかという懸念があるわけです。したがって、現地人に対する解説というものはどのように行なわれているのかということをお聞きしたいと思います。
  166. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 現地につくりました碑の英文によります記載は、コンストラクテッド・バイ・ザ・ガバメント・オブ・ジャパン・ウィズ・コオペレーション・オブザ・ガバメント・フィリピン、すなわちフィリピン政府の協力を得て日本政府がつくったという文句で結んでございまして、別に詳細をそこのところに書いてないという配慮がなされておるわけでございます。
  167. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 いま小野田少尉の捜索に厚生省から出向いているわけですね。その小野田少尉の捜索に対するフィリピン側の協力というものはかなり手厚いものがあるように聞いておるんでありますが、それらの問題、今後の問題とも関連いたしますので、その点もこの機会に御報告願いたいと思うのですが。
  168. 河野共之

    説明員(河野共之君) ルバング島の小野田少尉の捜索の件でございますが、御承知のように、昭和四十七年十月十九日に事件が発生いたしましてから、厚生省としましては、救出捜索派遣団を現地に派遣いたしまして、第一次の捜索期間といたしまして十月二十二日から十一月三十日まで、第二次の捜索期間といたしまして十二月一日からことしの昭和四十八年二月五日まで、在マニラ日本大使館、それからフィリピン側の協力を得まして、鋭意捜索いたしたわけでございますが、何らの手がかりを得ることができなかったわけでございます。  厚生省といたしましては、さらに第三次の捜索といたしまして、従来の第一次の捜索及び第二次の捜索の経験を生かしまして、心理学者の方々、その他関係方面の意見を勘案しまして、組織的かつ最も効果的な救出工作を行なうべく準備を進めておったのでございますが、本年の二月上旬以降、厚生省の職員、警察庁職員、元戦友、友人、山岳会及び家族など、延べ八十余名を現地に派遣いたしまして、日本大使館とフィリピン側の協力のもとに、小野田元少尉に対する呼びかけと説得、それから重要地域につきましての綿密な捜索を現在実施中でございます。去る七日、土曜日には、小野田種次郎氏、小野田寛郎少尉の実父でございますが、現地に派遣いたしまして、呼びかけをいたすことにいたしております。  この第三次の捜索は、四月中旬まで実施いたすことにいたしておりますけれども、現在までのところ、ヘビ山と呼ばれる付近におきまして、不特定者、これは小野田少尉たちの痕跡とははっきりいたしませんが、居住跡一ヵ所を発見いたしたのみで、救出につきましての手がかりはつかめておらないわけでございます。  なお、この捜索の過程におきまして、フィリピン空軍はじめ現地の住民、関係者等から、全面的な協力を得ているわけでございます。
  169. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 まだいまわからないということなんですが、たとえばルバング島を幾らさがしてみても、ルバング島で見つからない。船でもって近隣の島に渡ってしまうというようなことは可能か、不可能かということですね。そうすると、そういうことがもし可能だとすると、近所の島へまた渡っているかもしれないということもあるわけです。そういうことも想定するならば、ルバング島だけを幾らさがしても、これはしょうがないということになるわけなんですが、そういう可能性というものはないのかどうか。それからまた小野田少尉以外にも、残存している元日本軍というものはいないものかどうか。現地民の中に溶け込んでしまったといったような人がいるのかどうか。何しろ五十万からのたいへんな戦死者を出した地域となれば、そういったような特別なケースが相当考えられてもいいんじゃないかという気がいたしますが、その点はどうですか。
  170. 河野共之

    説明員(河野共之君) お尋ねの点でございますが、われわれもルバング島の事件が起きましたときに、ルバング島から他の島に移動したのではないかというようなことも一応考えてみたわけでございます。島といたしましては、ルバング島の東北のほう約二キロの海を隔てまして、アンビル島というのがございます。それから東南方約二キロにゴロ島、西北方約四キロにカブラ島という三つの島があるわけでございます。で、私ども政府の捜査団が現地に参りまして、現地関係者、それからフィリピン空軍等につきまして、この点確認をいたしたわけでございますけれども、いずれも二キロあるいは四キロというような海を隔ててのことでございまして、この間の潮流がきわめてはげしいということと、それからその場合にもちろん泳いで渡ることは不可能であり、住民たちの小舟を使うというような方法があるわけでございますが、住民の小舟がなくなったというような情報もないわけでございます。しかもアンビル島、ゴロ島というような島につきましては、食糧になるものが非常に少ないということが一つ、それからカブラ島でございますが、これは島が農耕地ばかりで、隠れることができない。こういうようなことから考えまして、現地の空軍、それから現地の住民というようなものから聞きましたところ、まず他の島に移動しておる可能性はないであろう、こういうふうな話でございました。この点につきましては、現地に渡りました政府の派遣団及び戦友、学友というような者の意見も徴したわけでございますが、いずれもちょっとほかの島への移動は考えられない、こういうことでございます。したがいまして、現在捜索といたしましては、ルバング島につきまして綿密な捜索を実施する、こういうことでやっておるわけでございます。  それから、他の島嶼を含めまして、生存者がほかにもいるのではないかということでございます。先生も御承知のように、フィリピンにつきましては七千以上の島嶼がございますので、しかも、五十万という戦没者もおるわけでございまして、私どもとしましても、他の島につきましても日本兵の捜索というようなことに留意してまいっておるわけでございます。具体的には、昨年、ミンダナオ島の山中に元日本兵が残留しているというような情報がございましたので、八月に政府職員を派遣いたしまして、情報の収集を行なうとともに、ビラ等を散布したわけでございますが、その結果でも、日本兵が生存残留しているというような確証は得られなかったわけでございます。  なお、昭和四十八年度におきまして、フィリピン地域の遺骨収集を実施いたす予定にしておりますので、その際、情報の収集と確認の調査を実施してまいりたいと、かように考えておるわけでございます。いずれにしましても、フィリピンにおきまする生存者の捜索につきましては、外務省にも十分お願いをいたしまして、その捜査あるいは救出等に遺漏のないようにいたしたいと、かように考えております。
  171. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 慰霊碑の建設の問題と、フィリピンの小野田少尉の捜索の問題、これらの問題は切り離してはいけないことのような気がするんです。まだ日本軍が残っている可能性は十分にある。となると、フィリピン政府の協力を得て捜索をしなければならない義務が日本政府にはあると思うんですね。なくなった方の慰霊碑もちろん大事でありますけれども、生き残っている人間がいるとすれば、これらの生き残っている日本軍を救出するということのほうがもっと大事なことのような気がいたします。したがって、今後の問題を考えたならば、フィリピン政府の協力を要請しなければならないし、フィリピン政府の協力を求めるためには、慰霊碑等の問題についても、現地の国民の間に物議の種にならないような配慮が必要だろうと思う。このカリラヤに慰霊碑は建てた、しかし、戦跡はそれこそ七千の島に及んでいるわけだから、今後もミンダナオ島はじめ幾つかの島嶼、幾つかの戦跡に慰霊碑を建てるという問題が生じてくると思うんです。バギオのほうにも碑が建てられたという記事が載っておりましたけれども、このバギオの場合は、やはり政府のほうではなくて、民間の形になっておるようでありますけれども日本の将兵ばかりではなくて、戦禍に巻き込まれて命を落とした多くのフィリピン国民の冥福をも祈り、あわせて両国の友情と兄弟愛を誓うシンボルというふうに、このバギオの慰霊碑は説明をされているということですね。これはこういう説明が行なわれれば現地の住民も納得すると思うのです。また、そういう説明が行なわれたことによって、日本の遺族が墓参に行って不満を感ずるということはなかろうと思いますね。したがって、もしもカリラヤの慰霊碑、あまり多くの文句がまだ書かれてないということであれば、慰霊碑の性格というものを、たとえばバギオで説明をされたように、戦死をした日本軍だけではなくて、戦禍に巻き込まれて命を落した多くのフィリピンの国民の冥福をも祈るものだと、こういうふうな説明現地語でもって行なうという配慮があってしかるべきじゃないかという気がするわけです。大臣のほうの見解もお伺いしたいと思うのですよ。別に金のかかることじゃないし、それからまた日本の国民の気持ちを、遺族の気持ちを傷つけることでもない。それでいて現地の、フィリピン人の気持ちをも満足させる、こういう方法がとれれば、今後の碑のあり方として、そういうバギオにおけるような解説を加えていくということはやっていいことじゃないかという気がいたします。大臣の見解をお伺いしたいと思います。
  172. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 最初に私から技術的な点でお答えいたしますが、御質問のフィリピンのほかの島々にも、まあ何しろフィリピン全島で五十万に及ぶ戦没者がおられるわけでございますが、今回、カリラヤにつくりました戦没者の碑は、全フィリピンでなくなられた方を慰霊する意味でつくった碑でございまして、政府といたしましては、一応これで政府側のつくるような慰霊碑という問題は考えておらない次第でございます。ただ御指摘のように、遺族の方とか、あるいは地方の公共団体等で、その御発意によって、どこかの拠点にあるいはそういう種類の慰霊碑をお建てになることもこれはあろうかと思うのでございますが、そういう際には、いま御指摘になったような現地人の感情というものを十分尊重して、フィリピン側の政府と緊密な連絡をとって、問題のないように、そういう慰霊碑がつくられるように私たちとしては行政的な面から応援していきたい、かように考えておるわけでございます。
  173. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) いまアジア局長から御答弁したとおりでございまして、本件は本件として一応落着を見たわけでございますが、今後どういう企てが——政府としてはございませんけれども、民間レベルでございますような場合、御注意の点につきましては十分心して対処したいと思います。
  174. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 じゃ、フィリピン関係についてはこの程度で、次に移りたいと思いますが、南北朝鮮の問題ですけれども、これは出入国法案といったような問題は、問題の基本は国交の正常化というところで解決できる問題のような気がするのですがね。なかなか現在のように南北関係が複雑になっておると、どうしても日本にいる朝鮮の国民の中にも、韓国と朝鮮民主主義人民共和国というふうな分かれた立場があるわけですから、そこからいろいろな問題が派生してくると思うのです。しかし、この在日朝鮮人総連合会及び東京の華僑総会等からそれぞれ要請がわれわれのところへきているわけですけれども、その要請としては、出入国法案についてたいへんな心配をしているわけですよ。したがって、これらの心配を日本政府としてはどのように受けとめて、どのように解決をしようとしているのか、こういう問題についてもこの機会にお伺いをしたいと思います。
  175. 吉岡章

    政府委員(吉岡章君) いま御質問の点につきましては、われわれが今国会に提出いたしました出入国法案は、御承知のとおり、現行出入国管理令が昭和二十七年ポツダム勅令によってできたものでございますし、当時におきましては、日本に入ってこられる外国人の大多数は船で入ってきておったわけでございますが、その後、航空機の発達によりまして、飛行機で入ってくるという人が大多数になりまして、この一事をもって見ましても御理解いただけるかと思いますが、非常に日本に出入国する外国人の形態が変わってまいりましたので、出入国管理令を改めまして、出入国法案を提出した次第でございます。したがいまして、私のほうといたしましては、日本に入ってくる外国人たちは一様に取り扱っておりまして、どこの国籍であるからどうであるというような差別待遇は、一切この法案のたてまえからいたしておりません。ただ、御承知のとおり、わが国には戦前から朝鮮半島の出身者及び台湾からの日本に在住しておられた多数の方がございますので、この今度の出入国法案につきましては、そういった方々の、日本に生活の本拠が定着しておるであろうという事実を踏まえまして、そういった方々に対しましては大幅な適用除外例を設けておる次第でございます。
  176. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 この適用除外例を設けているということなんですけれども、たとえば東京華僑総会からは、台湾の小民とそれから中国関係と区別をしているんじゃないかと、こういう指摘等が行なわれているわけですね。大陸出身者と台湾出身者とを区別しているじゃないか、こういったような声明があって、これは日中の共同声明とは相反するんじゃないか、こういったような意味の主張が行なわれている。それから朝鮮総連のほうからは、朝鮮民主主義人民共和国等の人間とそれらの人たちの在留活動を政治的に規制しようとするのじゃないかと、こういう懸念が行なわれておるわけです。それらの懸念を、いま説明お聞きしますと、きわめて事務的のように受け取れるわけですけれども、それらの懸念というものがあってはやはり物議をかもすということにもなると思うのですが、そういう点についてどうでしょう。
  177. 吉岡章

    政府委員(吉岡章君) 御指摘の在日中国人につきまして、大陸糸と台湾系との間に区別があるのではないかという御質問かと思いますが、これに関しましては、御承知のとおり、戦前から日本に在留しておりました台湾系の人たちは、平和条約が締結されますまでは日本国籍を保有しておったわけでございまして、平和条約が発効した時点におきまして、本人の意思にかかわらず、外国籍に変わったということでございますし、大陸から日本に見えております方は、大多数の方々が、もちろん戦前から外国籍でございましたが永住権を持っておられるということで、おのずからその間に取り扱いの区別がございまして、台湾から戦前日本に来て在留しておった、しかも日本国籍を持っておられた方々は、昭和二十六年でございますか、法律一二六号に基づきまして、日本では在留資格なしに、しかも在留期間を定めずに在留することができるという法律がございまして、それの規定を受けておる次第でございます。したがいまして、こういった方々もほとんど永住許可を受けたと同じような取り扱いを現在受けておるわけでございます。それから、朝鮮半島出身の人に関しましても、われわれといたしましては、先ほど申し上げましたように、戦前から日本に在留して、日本国籍を持っておって、平和条約の発効と同時に外国籍になられたということでございまして、大多数の人々は法律一二六の適用を受けておりますし、その中で、これは概数を申し上げますと六十万ございますが、その中で、日韓の会談が成立いたしまして、日韓の法的地位の協定に基づきまして協定永住をとったという方が約三十五万ございます。残りの二十五万が、先ほど申し上げました台湾の方と同じように、法一二六の適用を受けておりまして、在留資格なしに、在留期限なしに在留できるということになっております。今度提出いたしました法案につきましては、そういった方々の政治活動というものは規制外ということになっておりますが、これは私どものPRの不足もあるかと存じますが、何しろ法案の成文を得まして直ちに国会に提出したということでございますので、その間、そういった関係者の方々に対するわれわれのPR不足もございましたが、今後われわれといたしましては、そういった面での誤解から生ずる反対がないようにつとめていきたいと存じております。
  178. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 法律そのものについては、これはやはり関係者と話し合いを持ってみる必要があると思うのです。反対運動というものが非常に盛んになってくるということになると、これはどう解説をしてみても、日本政府が故意に朝鮮なりあるいは中国なり、これらの人たちに対して意識的な作為でもって何かを考えているんじゃないかというふうに誤解をされるということは、ばかばかしいことじゃないかと思うのですね、もしそういう気持ちが政府にないとすれば。ありとすればこれまた問題になるということなんですから、いずれにしても、これらの問題は法律の問題として白黒をはっきりさせる必要がある。日本の国民には直接関係ないかもしらぬけれども、それらの関係者に対しては少なくとも理解を得るという努力をする必要はあるのじゃないか。これはPRの不足とかなんとかという問題じゃないと思うのです。宣伝の問題じゃないのですからね、これは。法律となると、これははっきりしている問題ですから。そういう努力を今後しなければならないし、誤解を一掃するということができるならば、それはやるべきじゃないか、こういう気がしますが、いまの点について。
  179. 吉岡章

    政府委員(吉岡章君) 瀬谷先生の御指摘の点は、まことにわれわれも全くそのとおりだと存じておりますし、私がPRという簡単なことばで申し上げましたことは、概念的に多少正確じゃなかったかと存じますが、そういった点で関係者の方々の誤解をつとめてなくしていくということにつきましては、われわれといたしまして全力をあげて努力したいと存じます。
  180. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 問題の根本は、やはり朝鮮なんかの場合は、南北朝鮮に対する日本政府の態度の違いというところからいろいろ問題も派生をしてくると思うんです。いままでは、とにかく韓国を朝鮮半島における唯一の合法政府と認めてきたということなんですが、これは現実にはそぐわないわけですね、実際問題として。今日、大陸の支配者が台湾政府の支配者ではないということは、もう世界で周知のことだし、日本も無理なことはできなくなってきた。そこで北京政府を承認せざるを得なくなってきたという経緯があります。しかし、朝鮮半島の場合は性格がちょっと違うのでありますけれども、北に朝鮮民主主義人民共和国というものが存在をしておるという事実を否定するわけにはいかないだろうと思う。しかも、その北の朝鮮に対する承認国がだんだんふえてきておる。こういう事態を考えたならば、日本政府としても、韓国に対する行きがかりだけで事を処するわけにいかないんじゃないかという気がするんですね。その点は、日本外交方針というものがアメリカの後塵を拝するということでない、独自の立場に立つものであるということならば、日本政府なりに考えるべきじゃないかと思うんですが、その点はどうですか。外務大臣にお伺いしたい。
  181. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 世界が一つで、すべての国と外交関係を持ってまいるということが一番望ましい姿でございます。そして、一つの国に政府一つあって、そして世界が一つになっておるという姿が一番いいのですけれども、戦後の事態というのはたいへんいびつな状態でございまして、一つの国に二つの政府ができた。俗にこれを分裂国家ということで——あるわけでございますが、ドイツ、ベトナム、中国、朝鮮という国々が分裂的な状態になりまして、これが一つになり、あるいは二つに固定していった場合に、日本が初めて国交の手を差し伸べるということができれば、それも一つの方法だと思うのでございますが、この問題は、中国をめぐっての、講和条約当時、国会でも大いに議論されたところでございまして、とりあえずまあ政府は単独講和の道を選んだわけでございまして、一つの国にある二つの政府のうち一つを選ぶということでやってまいりました関係上、他を、もう一つのほうを選ぶわけにいかなくなったということで当面まいったわけでございます。けれども、その後の事態の発展は、ドイツにおいてそうであるように、東西両独が話し合いがつきまして、ドイツは二つのオーソリティーを持つということで一応の了解ができたようでございますので、われわれは遠からず東独とも国交を結ぶということにいたしておるわけでございます。いまモスクワで国交再開の交渉を行なって、近く妥結を見る手はずになっております。  ベトナムにおきましては、平和協定におきまして、究極の目標はベトナム、全ベトナムの統一でございますけれども、経過的には南ベトナムの民族の自決権を尊重するということで、南越の存在、北越の存在というものをそれぞれ認めてまいっておりまするので、われわれは、こうなってまいりますと、北越政府との国交を持つことに大きな支障がない事態が展開されてきたのではないかということで、先方との接触を持つ手はずをきめておるわけでございます。  中国との間におきましては、御案内のように、国交の正常化を遂げたわけでございまして、二つの政府とつき合うということは断念いたしたわけでございます。  残ったところは朝鮮半島でございますが、朝鮮半島は全くわが国外交にとりましては最重要な問題の一つでございます。私ども、これに対する取り扱い、対応のしかたにつきましては、非常に苦心をいたしておるところでございまして、端的に申し上げますならば、他の三つの分裂国家において、それぞれ多少のニュアンスは違いますけれども、事態が発展してまいりまして、日本政府が決断をして措置いたしましても、大きな変化を、御迷惑を与えないというようなことになってまいった。そういう事態が朝鮮で起こってまいりますならば、われわれといたしましても対応のしかたがあると思うんでございますが、まだ朝鮮における事態はそのように熟した事態ではないように思うのでありまして、いましばらく、南北の会談が始まっておるわけでございますので、これを注視させていただきたいと、こう思っておるわけでございます。言いかえれば、いまのままですぐ北鮮との国交というようなことになりますと、そのこと自体が、この地域におきまして新たな問題を生むおそれもございますので、いましばらく南北の話し合いを、進展というものを見させていただきたいと、そう考えておるわけでございます。究極におきまして、私ども、世界は一つであって、すべての国と交わりを持つことを望んでおるわけでございまして、そういう状況が、そういう条件が育成されてまいりますことを望みまするし、日本はそういう条件ができてまいることをじゃましたらいかぬし、そういう条件のでき上がることについてできれば力をかしていかなければならぬ、そのように私は考えております。
  182. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 ベトナムにおいて、ドイツにおいて、それぞれの主権を認めるようになったと。中国は国交回復をする。残るのは朝鮮半島だけだということになっていることは、いま大臣からも説明がございましたけれども、南北朝鮮の場合は、やはりそれぞれの国の友好の度合いということを考える必要があると思うのですね。たとえば韓国は、先般の質問のときにも私は申しましたけれども、竹島を不法に占拠しておる。これは決して友好的な態度じゃないと思うわけです。もっと厳密に言えば、自衛隊は日本の領土等が侵害をされた場合には出ていかなければならぬということになる。そういう自衛隊法のきまりに忠実であれば、竹島に出動しなければならぬということにもなるわけです、理屈の上から言うと。つまり、これはきわめて重大な敵対行為というふうにみなさざるを得ないわけです。これは弁明のしようがないでしょう。こういう非友好的な態度をとっているという現実がある以上は、南北朝鮮のいずれが日本に対してより友好的な態度をとる可能性があるかということを、こちらのほうで、やはり日本日本の立場で考える必要があるのじゃないかと思うのです。南北朝鮮が話し合いでもって一つになればそれはけっこうなことだけれども、そういうふうな可能性は簡単にはないと見なければいかぬでしょう。それはまた朝鮮民族できめることであって、日本人がとやかく言う筋合いのものじゃないと思うのです。現実の問題として二つの政権が存在をするということだけは今後しばらくは認めなければならない。その場合に、日本が、何もその友好的でない態度をとっている韓国に対して、いつまでも気がねをする必要は毛頭ないじゃないか、こういう理屈になるのじゃないかと思うのですが、その点はどうですか。
  183. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 韓国が日本に対して友好的であるかないかという、竹島等の例に徴して必ずしも友好的と言えないじゃないかという御批判でございます。その限りにおきまして、私も瀬谷さんのおっしゃることを拝聴しておきたいと思います。ただ、先ほどあなたも御指摘になりましたように、わが国には六十万の朝鮮人が在住いたしておるわけでございまして、この方々もみな一致していないわけでございまして、それぞれの御主張があるようでございます。国外におきましては南北で話し合いが進んでおるという状況、それからその他の国々では、いま韓国を承認いたしておる国が八十六あります。北鮮を承認しておる国が五十あります。五十のうち、韓国を承認している、両方やっているのが十六ございます。仰せのように、決して事態が一ところにとどまっていないで、いろいろ相当その事態は流動的であることは、私も認めるにやぶさかでないわけでございます。内外にわたりまして事態が熟してまいりまして、われわれが北鮮と国交を取り結ぶことで大きな余震が起こることがないような事態、内外に。そういうようなことは政治家として私ども考えておかなきゃならぬことだと思っているわけでございますが、いま、少なくともまだ十分熟し切っている事態とは思えないのでありまするので、まあ私は南北会談の行くえをいましばらく見さしてくれというようにお願いをいたしておるのが現在の心境でございます。
  184. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 少なくも、公平な立場を日本としてはとる必要があると思うんですね、南北に対して。いままではとにかく韓国に対して比重がかかり過ぎておったということは言えると思うんです。しかし、原則とすればやはり公平な接し方をする必要があると思います。で、そういう公平な態度をとって臨むということは、これはそのイデオロギーの問題じゃなくて、近隣の国としては当然のことじゃないかと、そういうことで、この南北朝鮮の問題に対しても、特に北の立場に対してももっと思い切った踏み込みを日本政府としてはする必要があるんじゃないかという気がいたします。それを外務大臣に特に要望したいというふうに思います。これは社会主義国であるからどうといったような問題を抜きにしてもそうすべきじゃないか。  それからもう一つ、最後に、北方領土の問題について、これは何回国会でやってみましても、判で押したように同じようなことをやりとりをしているわけです。しかし、実際問題として、向こうは解決済みの問題である、日本は固有の領土である、そんなことを言ってみたところで事態は進展しないと思うんですよね、一向に。だから、事態を進展させるためには、具体的に、国後なり択捉なり、これらの島々に対して日本の漁船の寄港を認めさせるとか、あるいは樺太に対してもそういったような便宜をはからってもらうとか、漁業交渉の際にもこのそれぞれの島嶼の利用といったようなことを考えて、そしてそれを向こう側にも認めさせるというところから入っていくべきじゃないでしょうか。一がいに返せ返さないと言うだけじゃ、これは水かけ論に終わっちまう。だから、そういうことじゃなくて、着実に問題を煮詰めていくというためには、具体的な小さな問題から積み重ねていくという努力が行なわれなきゃならぬじゃないか。返さなければ一切話にならぬということだけでは、問題が進展しないんじゃないかという気がいたします。だから、北方領土問題等の交渉については、そういう白か黒かというやり方じゃなくて、具体的な問題でもって、一つずつ実績を積み重ねる方法でもって折衝をするという努力も必要ではないかという気がいたしますが、政府としてそのような方法は考えておられるのかどうか、その点をお伺いしたいと思います。
  185. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 去年の一月にソ連の外務大臣が訪日されて、十月に私が訪ソをいたしたわけでございます。で、その間北方領土問題が進展したとは言えないわけで、御指摘のとおりでございまして、双方の主張は御指摘のように平行線をただいまのところたどっているというのが正直な告白であると私は思います。  ただ、日ソ両国とも、平和条約の締結をやろうと、平和条約の締結を通じて日ソ関係を安定した軌道に乗せようじゃないかということにおいては一致しているわけでございます。で、平和条約を先方が締結を熱望されておる。わがほうも平和条約の締結ということが懸案になっておるわけでございます。平和条約にかける思いが、双方、呉越同舟的でないとは言えないと思うのでございますけれども、かすかながら、平和条約という共通の土俵をつくり上げようじゃないかということにおいては一致しているわけでございますが、この交渉を本格的にやろうじゃないか、それで私の訪ソをもって第一回の交渉にしようじゃないかということに対しまして、先方もそうだということになりまして、第一回の交渉をモスクワで終えたばかりでございまして、第二回は同じくモスクワでことしやろうじゃないかということにも合意を見ておるわけでございます。したがって、まずそういう基本的な合意を土台にいたしまして、あなたが言われたことはそれからのことになるわけでございまして、それから第二段のアプローチをどうやってまいりますか、これは私ども責任者といたしまして、これからいろいろ考えていかなければいかぬ課題であろうと思うのでございまして、国会内外のいろいろな御意見も十分拝聴しながら、これに対処する対応策をいまから編み出していかなければならぬと、せっかく考えておる道程にあるわけでございます。
  186. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 外務大臣に、基地問題を中心にしてお伺いしたいと思います。特に先般、在日米大使館の高官筋の発言によりますと、これまでの日米安保協議会では、沖繩基地全体の整備縮小に関して日米間で討議したことがないと、日本側から具体的な提案もなかった、こういう発言がされておるわけでありますけれども、この問題については、政府の見解は、どうお考えになっておりますか。
  187. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 私はそのように全然考えていないのでございます。サンクレメンテにおける日米首脳会談におきましても、また、ことしの一月二十三日の安保協議委員会、私も出席いたしましたが、その協議委員会におきましても、内地、本土を含めまして、今後の基地の整理縮小の問題につきましては、日米で協議していこうという基本的な合意があるわけでございます。問題は、比較的固まってまいりましたのが関東平野計画でございます。第二に、いまから具体的な個所につきまして相談を進めてまいらなければならぬのが沖繩空港、那覇空港周辺の問題でございます。で、おそらく私は、あのテレビのニュース記事を見ながら感じたのでございますが、あれはおそらくそういう具体的な話についてはまだ協議は始まっていないということをアメリカ側でおっしゃったのではないかと理解しているのですが、そうだとすれば、そのおっしゃり方は間違いでない。四月十七日に安保運用協議会を持ちまして、話を始めていこうといたしておるわけでございますが、いま始めていないことは事実でございますから、その点は間違いでないように理解しております。
  188. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 そうしますと、まあ確かに那覇空港とか、沖繩基地の問題に限定しますと、那覇基地の問題とか、一部普天間等の問題についてはいろいろ議論の問題になったかもしれませんけれども、この沖繩返還後、もう一周年を迎えようとしているわけです。この間に、具体的にこの沖繩の全体計画について、基地の整理縮小、こういう問題については、安保協議会等においても、あるいは今日まで具体的な努力は政府はやられなかったと、こう解してよろしいですか。
  189. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 先ほど申しました基本的な合意はあるわけでございますけれども、具体的にやや具体化にかかったのが那覇空港問題でございます。それも、P3その他を嘉手納に移すとか、まあ牧港の住宅地区の幾むねかをどこへ移すとかいうようなことがきまっておるだけでございまして、まあそれに関連した一連の工事計画というようなもの、まだ具体的な折衝に入っていませんから、そういうことまでしか、まだできていないということでございまして、いわんや琉球列島全体につきまして全体の計画をお互いに持ち寄っておるというようなことではないわけでございます。ただ、日本には沖繩の開発計画というものが練られておるようでございますし、近くは海洋博もやろうというようなことでございますので、これはどうしても基地問題をはずして、こういうことができるはずはないわけでございますので、私はたいへん心の中にあせりを感じておるんでございますが、できるだけ早目に日米折衝を持って糸口をつくっていかなきゃならぬのじゃないかと考えております。
  190. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 まあ、外務大臣、率直な話、意見を聞いたんですけれどもね、やはり私は、いままで沖繩問題等でもいろいろ見てきた中にあって、沖繩の基地の整理縮小の問題については間もなく一年を迎えるわけでありますけれども、ほとんど具体的な積極的な返還交渉、基地の縮小計画はやってなかったと、私はこう解しているわけです。まあ、昨年の衆議院において国会決議をしても、すでに一年をたとうとしているけれども、沖繩の基地が具体的に返還になったという事例は少ない。こういう問題について今後——まあ、いままではいままでの問題としまして、私、沖繩の県民が一番やはり基地の整理縮小というものを待ちわびていると思うんです。この問題について積極的に、基地縮小に対する、沖繩基地に対する政府の具体的なスケジュールをどのように持っていくか、その考え方を聞いておきたいと思うんです。
  191. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) P3等の那覇空港からの移転に関連いたしました一連のもの、そして四百四十万平方メートルの返還という問題は、明後年の海洋博の開始を目安にいたしまして、それまでの間に進めなければ申しわけないんじゃないかと一応考えておるわけでございますが、工事の、どういう施設をどうつくっていくか、その施設のつくり方等につきまして、またその予算につきまして、まだ日米間の協議が行なわれていないわけでございまして、これからさっそく始めようと思っておるわけでございます。その他の地区の問題につきましては、まだどういう段取りでやっていくかについて、正直に言って、私はまだ計画を持っておりません。この四月に行なわれる安保運用協議会で一応どういう段取りで進めるかにつきまして、双方の意見を一ぺん出して相談させてみたいと考えておるわけでございます。いま国会で御報告するような固まったものというものは、私はまだ持っていないわけでございます。
  192. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 そうしますと、たとえば一例は、沖繩の土地が買い占め問題で非常に騒がれておる。すでに北谷村なんかは、学校へ通うにも隣の村に通っておる。これはなぜかといえば、六七%か七〇%までが基地で占められているわけです。したがって、公共用地を取得しようと、あるいは学校をつくろうとしても用地取得は困難であるし、せめて基地が縮小されれば、基地が返還されればそこに公共用地を取得することができると、こういう点から考えましても、私はやはり、この沖繩の基地の縮小計画というものを明確に早く具体的なスケジュールを示すべきじゃないかと思うんです。これがやはり沖繩振興開発計画とマッチしていくんじゃないかと思うんですが、この点については、外務大臣、どうお考えになりますか。
  193. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 私、全く同感に思います。
  194. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 まあ同感なんですけれども、外務大臣なかなか——いつも同感で、これ、一年間たっているけれども沖繩の基地の縮小は具体的には進まない、現地はもう一年たっても何ら変わらないじゃないか。まあ実態を一つ一つ外務大臣がお聞きになれば、ほんとうに沖繩県民の苦悩というものは、私ははっきりわかると思うんです。こういう点について、やはり米軍に対しても具体的に、日本政府がこういう計画を持っているんだ、こういうふうな地域は縮小すべきだという、こういう具体案を日本側が示さないで積極的な運用は行なわれないと思うんです。したがって、この四月十七日に運用協議会が開かれるといわれている、あるいは基地の縮小の第二弾として日米安保協議会が年内に開かれると、こういうような話は新聞等で承っておりますけれども、それを開くための具体的な日本側のスケジュール、あるいは日本側の意見というものは全然つくられていない、あるいは実態すら掌握されていないと言っても過言じゃないと思うんです。この点についてはどうお考えになりますか。
  195. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) 今後の沖繩の施設区域の整理統合を進められるにあたりまして、まず施設区域の実態の把握ということから当然始まらなければいけないと存じまするけれども、その点につきましては、沖繩返還交渉当時以来政府としてその実情把握につとめてまいりましたし、その後も引き続き、そのための努力を進めているわけでございまして、外務省といたしましては、防衛庁並びに施設庁と密接な連絡をとりながら、その問題についてのまず基礎的な実情把握、これにつとめまして、それをもとに今後米側と具体的な整理統合の計画について話し合いを進めてまいるという方針でございますが、そのために、先ほど大臣から御答弁がございましたように、十七日に予定されておりまする安保運用協議会の第一回会合におきまして、今後の沖繩を含めた日本全体の施設区域の整理統合についての基本的な話し合いを進めてまいりたいと、こういうふうに考えておるわけであります。
  196. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 この基本的な話し合いをすると言うけれども日本側の意見が明確じゃないんですね。アメリカの言われるままに運用協議会を開いているような感じを私は受ける。  じゃ、次に防衛施設庁に伺いますけれども、沖繩の基地の実態調査はどのぐらいに進んでおりますか。
  197. 長坂強

    政府委員(長坂強君) 防衛施設庁の長官が来ておられないようでございますので、かわりましてお答え申し上げますが、実情の把握といたしましては、ほぼ完了をいたしております。
  198. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 そうすると、まあこれは、おたくのほうの実情調査は自衛隊の使用のほうを主力に置いて実情調査が行なわれているんじゃないかと私は思うんです。具体的に、不用基地あるいは日本側として要求すべき、返還を要求すべき基地はどういうふうになっておりますか。
  199. 長坂強

    政府委員(長坂強君) そのどの程度遊休であるかとか、あるいはこういう基地はきわめて重要な基地であるとか、そういうような選別は、おおむねいたしてきておるつもりでございます。これは庁内におきましてでございますけれども、先ほど来外務大臣あるいはアメリカ局長からお話がございますように、この基地の取り扱いについては十分に外務省側に対して御協力申し上げるという姿勢で作業をいたしておるところでございます。まだ具体的な結論というところまではいっておりませんけれども、大体実情を把握しておると感じておりますので、その面から外務省御当局にも十分御協力申し上げたいというふうに感じております。まだ、なお時間はやはり少しかかるであろうと思いますけれども、私どもとしては、実情を踏まえまして外務省に十分御協力を申し上げることができるというふうに感じております。
  200. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 外務省として、この防衛施設庁の調査、これは私は、いろいろされていることはもうすでにわかっていますけれども外務省としては本気になってこの沖繩基地の整理縮小というものについて、具体的なスケジュールに乗せようという考え方は私は非常に甘いんじゃないかと思うのですね。これは毎回毎回いろいろ各委員からも言われてきた問題でありますけれども、まあ海洋博のめどだとか、あるいはいろんなめどが言われるけれども、全然この沖繩基地の整理縮小の着手は進んでいない。施設庁は具体的にこの調査も終わっているのであれば、もっと積極的に安保運用協議会においても議題に乗せていくべきではないかと思うのですね。この点についてはどうですか。
  201. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) 先ほど御答弁申し上げましたように、施設区域の整理統合の問題に取り組むにあたりまして、防衛庁並びに施設庁等関係の当局と十分相談をいたしながら、まず、日本側の内部におきましてどういう方針で取り組んでいくかということを固めた上で米側と話を進めてまいりたい、こういうふうな基本的な考え方を持っておりまして、沖繩の施設区域の整理統合の問題につきましては、一月二十二日の安保協議委員会におきまして、那覇周辺の施設区域の整理統合について若干の進展が見られたわけでございますけれども、今後ともこれを第一歩として、第二段、第三段の整理統合の計画を進めてまいりたいというのが考え方でございます。
  202. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 外務大臣に伺いますけれども、ことしじゅうに——まあ報道等によりますと、第二段の縮小計画は沖繩だと、こういう計画はことしじゅうにその問題が具体的なスケジュールに乗り、あるいは日本側の具体的な案をつくって、この沖繩基地の整理縮小が——この日米協議委員会が年内に開かれて、具体的な問題が沖繩の基地の整理縮小だと、こういうふうに解釈してよろしいですか。
  203. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) 安保協議委員会は一月に開かれまして、この次の安保協議会をいつ開くかということについては、まだ日米で全く話し合ったこともございませんし、したがいまして、具体的な計画を持っている状況ではございませんけれども、いずれにいたしましても、この十七日に予定しておりまする運用協議会の場で話し合いをすることを手始めに、今後あらゆる場を利用いたしまして基地の整理統合の問題について話を進め、できるだけ早い時期にまとまったものを、あるいは具体的なものを発表できるように鋭意努力してまいりたいという考え方を持っております。
  204. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 日本政府だけでできることでございますならば、一応の目安を自身を持って申し上げられるのでございますけれども、この基地の整理問題というのは、まず第一にお考えいただきたいのは、日本側が要望していることなんでございます。日本側のアメリカに対する注文でございます。アメリカとしては、せっかく確保しておる基地につきましてこれを開放してまいるということに対しては、どちらかというとリラクタントな態度でおるわけでございますが、日本側のたっての希望だからそういうわけにいかぬというので、まあ関東平野計画から那覇空港周辺の問題とかいうようなのに手を染めてきておるわけでございます。その場合、アメリカ側に十分同調していただかなければならぬというのが一点でございます。  第二点は、その場合に、アメリカから当然、これはしからばあなたのほうの御要望に応じたい、しかしこの施設はこちらにそれじゃ移設してくれ、そういうことを希望するとか、そこにどういう施設をつくってくれということを希望するとかいうような希望がまた出てくると思うんです。ところが、それがまた日本のそれを受ける地域で合意というか了解がないと、むやみにやれない性格のものでございまして、私といたしましては、三木さんがおっしゃるように、できるだけ早く、何月ごろまでには一応の計画を出したいというようなことを御答弁したい気持ちはやまやまですけれども、一応そういう点をこれから手始めに、向こうとの接触を始めようということでございますから、しばらく時間をかしていただきまして、それで大体の見当が、まず間違いなかろうというような見当がつきましたころは国会を通じてまた御報告申し上げたいと思いますが、できるだけ精力的に早くやりますということ以上に、きょうお答えできないことはたいへん残念に思いますけれども、お許しいただきたいと思います。
  205. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 意図はよくわかりますが、やはり沖繩の県民の基地に対する考え方というものは外務大臣十分おわかりになっていると思うんです。こういう公共用地の取得すらなかなか困難な実態、それは基地があるために非常に困惑をしているという、こういう問題をどうかくみ取っていただいて、早目にこの基地の撤去、縮小という問題について積極的な態度を示していただきたいと思うんです。  それから、私、基地の返還問題で予算委員会に提出された資料をいろいろ分析をしてみたんですけれども、四十年から四十五年ですか、この基地返還の実態を分析してみますと、自衛隊の使用が、面積にして返還基地の約八六%を占めているんですね。確かに基地の返還にはなってきておるけれども、本土の基地の八六%が自衛隊の再使用という形になっているわけです。こういう問題については、これはなかなか考えなければならない問題点がいろいろあるんじゃないかと思うんですが、この点について、外務大臣、どう考えますか。
  206. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 基地が返還になりますと、それは大蔵省の普通財産になるわけでございまして、これは国有財産の管理をどうするかということで審議会にかけたりなにかいたしまして、最も適切な活用の方法を考えてまいるわけでございます。だから、私がいまこの立場で、将来返還になるであろう基地についてこうするというようなことを申すのは非常に越権でございますので、まず、われわれとしては、第一段返還に努力するということでございまして、その次の処置につきましては、自衛隊の使用も含めまして政府のそういう手順を踏ましていただきたいと思うのでございます。  ただ、問題は、自衛隊がわがもの顔に当然のこととして返還基地については優先権があるというような考え方は防衛庁もお持ちでないと思いますけれども、もしお持ちであるとすれば、それは御遠慮いただかなければならぬと思いますが、私は、そういう横着な気持ちは防衛庁にないと思います。
  207. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 しかし、返還以前から自衛隊がすでにもう内密にいろいろ交渉し、引き続いて使用するための日米共同使用の既成事実をつくる。たとえば立川みたいな例があります。そうして返還後も自衛隊の居すわりを容易にするようないろんな布石を打っている。こういう問題については、外務大臣の立場、いろいろあると思いますけれども、この基地返還の問題と防衛庁との関係の問題については、もっとあからさまに、あるいは、あとで国有財産の問題でも聞きたいと思っておりますけれども、もう少し総合的に政府としても考えるべきじゃないかと思います。すでに返還の前からもう自衛隊の内密、こういう問題が進んで、地域住民に対しても非常に反発を招くような問題が数多くあるということは、もっと政府としてのとるべき態度を改めていくべきじゃないか。なかんずく、基地の優先利用ということは毛頭考えてないという意見でありますけれども、私たち住民側にとってみれば納得のできないような事実が数ヵ所あらわれているわけですね。こういう問題に対して政府の姿勢をもう少し明確にしていくべきじゃないかと思います。この点について、どうお考えになりますか。
  208. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 自衛隊にはそういうお気持ちはないと思いますけれども、いまあなたが投げられました御注意は十分私ども考えて処理に当たらなければいかぬと思います。     —————————————
  209. 川上為治

    主査川上為治君) この際、おはかりいたします。  委員の異動に伴い、副主査が欠けておりますので、その選任を行ないます。  選任は、投票によらず、主査の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  210. 川上為治

    主査川上為治君) 御異議ないと認めます。  それでは、副主査横川正市君を指名いたします。     —————————————
  211. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 大蔵省に伺いますけれども、返還された基地のうち、国有地はどの程度あるのか、あるいはまた、返還されてまだ国有地が未利用のままになっている実態はどうなっているか、これについてお答え願いたいと思います。
  212. 小幡琢也

    政府委員(小幡琢也君) 返還されました提供財産のうち国有地はどれくらいあるかという御質問でございますが、昭和四十三年度から昭和四十七年度まで最近の五ヵ年間の累計でございますが、全体で四十一件、国有地の面積が三千三百十三万二千平方メートルでございます。このうち、未利用の国有地はどれくらいあるかという点につきましては、四十三年、四十四年、四十五年ごろの返還になりました国有地は、ほとんど公園とか住宅、防衛施設、港湾施設等の施設に転用されておりまして、ほとんどございませんが、ただ、最近の昭和四十六年度に返還になりました大口のあと地がかなりございます。たとえば北九州の山田弾薬庫のようなものでございますが、こういったものが、面積にして相当ございますので、それが四十六年度は七件、約五百万平方メートルございます。四十七年度に返還になりましたあと地につきましては、これはまだ最近のことでございますので、まだあまり利用されてはおりません。  以上でございます。
  213. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 まあ、何件かの国有地の返還された基地の中に、国有地との問題もあり、あるいは武蔵野パークみたいな、ああいういろんな問題点を含んだ土地もありますけれども大蔵省として、大臣がいらっしゃれば大臣の意見を聞きたいと思ったのですけれども、この返還基地のあと地利用について、周辺住民との摩擦を少なくするためにも、国有財産審議会だけでなしに、もっとあと地利用の審議会か委員会か、住民代表等も加えた、もう少し具体的なその地域の意見が聞かれるような委員会をつくるべきじゃないかと思うのです。国有財産審議会のいろんなメンバーを見ましても、実質的に審議できないようなメンバーばっかりそろっているわけです。これでは具体的にこの返還基地の利用計画等については話が進まないと思うのですね。どうお考えになりますか。
  214. 小幡琢也

    政府委員(小幡琢也君) 最近返還されますあと地でございますが、何ぶん都市の周辺でございますし、また、規模も従来に比べまして格段と大きくなっておりますので、こういったものの処理につきましては従来よりも一そう体制を整備いたしまして、慎重に取り組みたいと思っております。具体的には、現在考えておりますのは、従来はそのあと地の所在いたします国有財産地方審議会に諮問いたしまして処理をするという方式をとってきたわけでございますが、今後におきましては、これを別個の審議会に付議するのが適当ではないかと思っておるわけでございますが、その方法といたしましては、やはり国有地の処理でございますので、中央に国有財産中央審議会というのがございます。ここに、たとえば返還財産処理小委員会というようなものを設けまして、たとえば関東地方宵議会の委員の方あるいは民間の学識経験者の方、こういった方々に来ていただきまして、この小委員会で専門に審議する、そういうことをさっそくやりたいと考えておるわけでございます。それからまた、事務局のほうも充実する必要がございますので、実は省内にこういった返還財産を専門に処理いたします対策室というようなものでも至急設けまして、その事務処理につきまして十分慎重に配慮してまいりたい、かように考えております。
  215. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 それは具体的にも、もうすぐに発足するわけですか、それから住民サイドの意見ですね、学識経験者あるいは大蔵省関係の、いわばそういう人たちばかりが入ってくるような委員会では、これはもうあと地利用についてたえずトラブルが起こってくると思うのです。やはり広く国民の意見を聞くような、そういう住民代表か、市民の代表というものもやはりそこに加えて、合理的なあと地利用についての、まさしく自衛隊優先というような感じのあと地利用ではなしに、国民の声が反映できるようなあと地利用の委員会を私はつくってもらいたいと思うのです。この点について、どうお考えですか。
  216. 小幡琢也

    政府委員(小幡琢也君) その点に関しましては、実は、この四月の下旬に国有財産中央審議会を開く予定になっておりますので、そこにこの小委員会の問題を付議して、それが固まり次第、至急発足したいと思っております。それから地方の意向を反映させるべきだという問題につきましては、これは審議会のメンバーとして利害関係者を直接に入れることはいかがかと思いますので、実は参考人といたしまして地方団体の関係者をお呼びいたしまして、いろいろ御意見を聞くとか、あるいはこの小委員会の幹事会のようなもので事務的な詰めをいろいろやるとか、かようなことを考えまして、できるだけ地元の意向を反映するような方法をとりたいというふうに考えております。
  217. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 もう時間があまりないので、最後に施設庁に伺いますけれども、四十八年度中に日本側が負担すべき施設の移転代替を含めた金額の総ワク、それと、特に岩国あるいは三沢が四十八年度の予算の中で施設提供整備費という形で計上されているわけです。これは私は新しい整備費の計上のしかたではないかと思うのです。この点についての説明を伺いたいと思うのです。
  218. 大池金二

    説明員(大池金二君) お答えいたします。  四十八年度のリロケーションのための費用といたしましては、一般会計と特別会計と両方ございます。一般会計では、八戸とか山王とか、そういったもののリロケーションとして八億三千七百二十七万円、それから特別会計では、グランドハイツの関係、それから関東計画関係など、そういうものでトータル百九億一千二百四十四万八千円というふうになっております。三沢、岩国につきましては、両方合わせまして十億円を新規提供等の工事費として計上しております。
  219. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 したがって、この岩国あるいは三沢というのは、いままでの提供施設等整備費の問題と新たな形でこれは計上されたんじゃないかと思うんです。いままでこういう計上のしかたは、したことはないと思うんですね。この点についてはどうですか。
  220. 大池金二

    説明員(大池金二君) こういう形の予算の計上は、いままで確かにやっておりません。岩国、三沢問題につきましては、一月二十三日の安保協議委員会でそういうような方針がきめられまして、それを受けまして施設庁としては要求しているわけでございます。
  221. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 時間があればこまかく詰めたいんですけれども、外務大臣、こういうふうに新しい形の提供費ですね、これは、先般の予算委員会の総括質問でもいろいろ論議されましたけれども日本側の負担の増大についての歯どめを、たとえば面積でいろいろ意見が出ましたけれどもほんとうに二十四条の拡大解釈をされるおそれが多分にあるんじゃないかと私思うんですね。これは岩国、三沢だけの問題ではなしに、今後嘉手納にP3が移ってくる、こういう問題になってくると、具体的に本年度三千八百万の調査費がついておるけれども、これは三十八億の普天間から回ってくるだけの費用ではまかない切れないと思うんです。おそらく膨大な予算になってくるんではないかと思うんです。こういう点をいろいろ考えますと、地位協定の関係条文の解釈はどうもなかなか納得できないような問題があるんじゃないかと思うんです。こういう点についてやはりもう少し明確にしてもらいたいことと、やはり拡大解釈されるおそれが私は多分に出てくると思うんです。したがって、今後基地の集約化あるいは強化に連ねられて、日本の側の新しい防衛分担金みたいな形で相当負担が増大してくるんじゃないかと思うんです。これに対する歯どめをしっかりする意味においても、やはり対米折衝、地位協定の解釈の問題に関して対米折衝すべきじゃないかと思うんです。そうして、国民のわかるような、負担があまりにも増大してくる、何の歯どめもないという形になってくるんでは、これは国民は納得できないと思うんです。この点についての対米折衝をする考え方があるかどうか、この点についてお伺いして、私の質問を終わりたいと思うんです。
  222. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 仰せのとおりでございまして、政府としても、これはまず地位協定を踏まえて、それからはずれないように、まずやらにゃいかぬと思います。  それから第二は、地位協定を拡大解釈してという御指摘でございますが、地位協定をことさらに拡大解釈してまでやろうと思いません。これは、解釈のしかたで、地位協定の規定のしかたが、まず——私もずいぶん勉強してみたんでございますが、明確な日米間の負担区分は書いてないわけでございまして、したがって、地位協定のでき上がり方が、そうあまり上等にできてないとぼくは思うんです、あれ。それで、だからといって、それを拡大解釈して、うまいことやろうというようなことは毛頭考えないわけでございまして、うしろのほうに大蔵省の方々もおられますけれども、なかなかここの方々も渋いんで、われわれ米側と大いにやりますけれども、同時に、財政当局とも逐一案件ごとにこまかく詰めて、冗費を使わぬようにやらなきゃならぬと思っております。  それから第三に、私が御理解いただきたいのは、いままでのリロケーションもそうでございましたけれども、一方を十やめまして、こちらを二つつくるとか三つつくるとかいうようにしてあるわけです。十こちらの代替施設をつくるんだから十でいいんじゃないかというんでないんで、最小限度にとめてあるつもりでございます。いままでの経過をずっとレビューしていただければわかると思うんでございますが、そのように心得ておるわけでございます。ただ、御了解を得ておきたいのは、このリロケーション、この基地整理計画というのは、先ほども私があなたに申し上げたとおり、日本側が要求していることなんでございまして、したがって、日本側としては多少経費はかかりますけれども、このことを大胆に進めたほうが国益のためだと私は判断しておるわけでございまして、こういう土地経済が緊張を呼んでおるときでございますので、基地は最小限度にしんぼうしてもらって、これを開放してまいる方向に大胆に進めることが大きな国益であろうと思うわけでございます。しかし、その場合、同時にアメリカ側を納得させないかぬわけでございます。したがって、いま三沢、岩国のケースもございましたように、大体老朽の建物の改築なんということはいままでなかったことなんで、非常に野党側のかんにさわったこと、私よくわかっているんです。だけれども、それは基地協定上許されないんだったら、ぼくはそんなことやりません。しかし、地位協定上それは許容されることでございまするし、同時に、長い間たった老朽施設を改築して提供するというようなことも、安保条約を堅持しておる立場から申しますと、当然われわれの義務にもなりますので、アメリカ側を納得させるということをやり遂げなければ実現しないわけでございますので、その点、われわれがあんまり消極的でありますと、これ、なかなかできませんので、そういう、できるだけ大胆に、できるだけ広範囲にやってやろうというような気持ちで、地位協定を踏まえた上で財政当局と十分の打ち合わせをしてやっておるんだということを御了承いただいておきたいと思います。
  223. 星野力

    星野力君 政府は一月二十七日のパリ協定を尊重するということをしばしば言明されておるんでありますが、私は主としてパリ協定との関連で、インドシナの問題について政府の御見解をお聞きしたいと思うんであります。  まず、カンボジアでございますが、カンボジアでは依然としてアメリカの戦争行為が行なわれております。B52を大量に動員して、すでに一ヵ月も連続して爆撃がやられておりますし、F4とかF111のような戦闘爆撃機も使用されておりますし、また、空軍の援護のもとで、空から、あるいは南ベトナムからメコン川を通じて武器弾薬をプノンペンに送り込むための強行作戦もやられておる。こういう事態はパリ協定が禁じておるところの内政干渉であると私思うんでございます。また、カンボジアの独立と主権尊重をうたったパリ協定の違反でもあると思うんでありますが、アメリカのそうした行為を合法化する根拠があるとお思いになるかどうか、まず、大臣にお聞きしたいんであります。
  224. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 法的な問題でございますので私から最初御返事申し上げますが、米軍によるカンボジアの支援爆撃の法的根拠ということにつきましては、米政府はまだ公式に明らかにいたしておりません。カンボジア紛争の当事国ではございませんし、また、パリ協定の起草に関してどういうふうな経緯があったのか、直接わが国といたしましては関与いたしておりませんので、米軍によるカンボジア爆撃の法的正当性ないしは法的根拠というものにつきまして有権的な説明または解釈を行ない得る立場にはない、かように考えておる次第でございます。
  225. 星野力

    星野力君 アメリカ政府がどういう見解、根拠づけを発表したかどうかという問題でありませんで、私冒頭にも申しましたように、パリ協定の観点に立って、こういうことが許されることかどうか。パリ協定では明らかに内政干渉を禁止しております、カンボジアに対しても、ラオスに対しても。また、それらの国に対して軍事行動をやってはいけない、こういうこともはっきり規定しておりますが、このパリ協定の観点からしましてどうかということをお聞きしておるんです。
  226. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) もちろん、わが国といたしましては、インドシナ全域、カンボジアを含めまして、一日も早く和平が回復されることを念願しておるわけでございまして、現在のカンボジアにおける事態というものは、これは非常に深く憂慮しているものでございます。米側と北越側とが、このパリ協定の先生指摘の条項に関しまして、どういうふうな話し合いになっておったかというようなことは私たちはつまびらかにできない立場にある、かように申し上げた次第でございます。
  227. 星野力

    星野力君 アメリカの当局者が、この問題について、たとえば北ベトナムの軍隊がカンボジアにおるとかなんとかというようなことも理由づけの材料にしようとしておると新聞報道なんかにはあらわれておりますが、アメリカがカンボジアで猛烈な軍事行動をやっておることは、これは非常にはっきりしております。しかし、北ベトナムが軍事行動をやっているとみなす根拠がはたしてあるのか、アメリカがそう言っている以外にあるのかどうか。また、かりにベトナム民主共和国とカンボジア間に問題があったとすれば、これはパリ協定の第二十条(D)項ですか、インドシナ当事者によりそういう問題は解決されなければならぬ、こうもなっておるんでありますから、当事者でないところのアメリカが介入してきた、しかも武力を行使するという根拠はないと思うんでありますが、どうでしょうか。
  228. 吉田健三

    政府委員(吉田健三君) 御指摘のパリ協定の二十条では、確かに、諸外国のラオス、カンボジアにおける軍事活動の禁止等規定いたしておりますが、本条の解釈につきましては、どういうふうな経緯でどういう了解があって、当事者がどういうふうなものとしてこれをとらえているか、実は私たちつまびらかにできないということで、ただいまの御指摘の点につきましては、私たちもはっきりわからない点が多いわけでございます。
  229. 星野力

    星野力君 大臣 どうでしょうか。現にカンボジアで、パリ協定から二月半もたつ現在、ああいう激しいアメリカの軍事行動が行なわれておる、たくさんの犠牲者も出ておると思うんでありますが、このことをどうお考えになるか。
  230. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) たいへん不幸な事態だと考えています。
  231. 星野力

    星野力君 日本政府がベトナム民主共和国と国交樹立を目ざして話し合いを進めるということは大臣からもしばしば言明されております。しかし、パリ協定以後もインドシナのいろんな問題をめぐって日本政府とベトナム民主共和国との間には大きな見解の違いがあると思われるのであります。たとえば、ベトナム民主共和国も南ベトナム臨時革命政府アメリカのカンボジア爆撃を激しく非難いたしております。三月二十九日には、ベトナム民主共和国外交部の声明も発表されております。一方、日本政府は、アメリカのカンボジア爆撃を支持するとは私申し上げませんけれども、どうも弁護する側に回りたがっておる、そういう印象を受けるのであります。これは一つの例でありますが、こういうようなことでは、なかなか国交樹立といっても前途が多難ではないかと思うんであります。ベトナム民主共和国も、南の臨時革命政府も、アメリカ日本から南ベトナムへ弾薬その他の武器輸送をやっているのに抗議し、それに協力をしておる日本政府を非難しております。今後は、日本から南ベトナムへ弾薬その他の武器が輸送されるということ、こういうことはもうない、こうとってよろしいでしょうか。
  232. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 今後そういうことがあるのかないのか、それ、いま私には予想がつきません。安保条約のたてまえから申しますと、米軍が日本において補給活動をやることは許された活動なんでございます。で、もし日本側でアメリカにクレームをつけられる根拠があるとすれば、あなたの御指摘のように、パリ協定、双方とも、日本も尊重しなければならない。アメリカも当事者で、尊重する義務を持っておるわけでございますので、それとの関連におきまして一体クリアランスが得られるものかどうかということが問題のかぎになるのではないかと私は了解いたしておるのでございまして、いままでに呉あるいは沖繩等からの積み出しがあったわけでございますが、それに対しましてアメリカに照会いたしました結果につきましては、すでに予算委員会でも外務委員会でも御報告を申し上げたとおりでございます。すなわち、まだ国際管理監視委員会なるものが十分機能していない段階にある、しかし、南越の政府も、あるいは臨時革命政府も、どこから武器の入れかえをやるかという、引き揚げ地と申しますか、通過地点と申しますか、そういうものを指定しておるということでございまして、けれどもまだ十分国際管理監視委員会が機能できない段階にございますけれども、それが機能できた段階におきましても、いままでアメリカがやったことにつきましては十分クリアーする自信がありますと、それだけの要件を備えたものしかわれわれは実行していないわけでありますと、なるほどアメリカのそういう軍需品の輸送について非難の意見が出されておるということも承知しておる、しかし、国際管理監視委員会自体には正式なアピールはない、ということでございまして、私は、今度のパリ協定自体が、アメリカ、北ベトナムが中核になりまして、せっかく書き上げた協定でございまして、両者の間にはたび重なる折衝の間に接触を通じてでき上がった協定でございまして、このパリ協定の問題につきましてはアメリカとか北ベトナムがよく承知しておる、日本政府よりよく承知しておるはずだと思うのでございまして、その間にどういう了解があるのか私はさだかにわかりませんけれども、一番大事な当事国であるアメリカがそのように言明いたしておる以上、われわれといたしましては、それは間違いないようにやってくださいよと言うこと以上に出しゃばる余地はないのじゃないかと思っておるわけでございます。今後そういうことが起こり得るか起こり得ないかは、さだかに、まだ向こうから要請をいま持っておりませんから、お答えのしようがございません。
  233. 星野力

    星野力君 大臣は、安保条約からして、この米軍の補給活動には協力しなければならぬ、こういうことを言われておりますが、私がお聞きしておるのは、今後日本から米軍が南ベトナムへ武器弾薬を輸送するようなことはないのでしょうねと、こうお聞きしておるのですよ。と申しますのは、南ベトナムにはもう米軍がおらないのですから、補給の必要はこれはないわけなんです。そういう点からは、もう考えられないのじゃないでしょうか。
  234. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) 安保条約第六条によりまして、米軍が日本の施設・区域を使って行動する目的は、日本の安全及び極東の平和及び安全の維持に寄与するということでございまして、したがいまして、施設・区域の使用目的がそのような目的である限りにおいて、ベトナムに米軍が必ずいなければ補給活動できないということではないというふうに思います。従来、もちろんベトナム戦争進行中におきましては、ベトナムにある米軍に対する補給が主たる補給行動のパターンでございましたけれども、これは安保条約第六条の規定上、必ず日本にある米軍から極東にある米軍、あるいは極東の周辺にある米軍にのみしか補給できないという意味ではないというふうにわれわれ考えております。
  235. 星野力

    星野力君 いまの御発言は、これは重大なことになるのじゃないでしょうか。そうしますと、安保条約なり地位協定なりの解釈をうんと拡大していくと、こういうことになるのじゃございませんでしょうか。たとえば、いまの問題にしても、米軍でなく、明らかにサイゴン軍のための兵器、軍需物資、そのために日本の施設・区域を提供するということ、これはいままでは、そういうことはやれないんだと、こういう御解釈じゃなかったんでしょうか。
  236. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) いままでそういう事態は起きませんでした関係もございまして、私どもそういう補給活動というのは、すべて実際にはベトナムにある米軍に対する補給だという説明をしてまいりました。しかし、第六条の趣旨はあくまでも、米軍が施設・区域を使って、しかも極東の平和及び安全の維持に寄与するという二つの条件しか課しておりません。それ以上の条件はないのでございまして、一般的に米軍が日本の施設・区域を使っての行動というのは、補給活動だけでございませんで、たとえば戦闘作戦行動というのもございまするけれども、これはたとえば一つの例でございまするけれども、朝鮮において、もし将来米軍が活動する場合に、朝鮮に米軍がいなければ戦闘作戦行動もできないという意味では決してございませんで、要するに、日本の施設・区域を使っての行動という内容は、その目的が極東の平和及び安全の維持に寄与するというものであれば、安保条約上は差しつかえないということでございます。
  237. 星野力

    星野力君 私はそれは納得できないんです。米軍というものがあって、日本の安全であり、極東の平和と安全と、こういうことになると思うのですよね。米軍を除外して、どこへでも極東の平和と安全ということで日本の施設・区域が使えるということになったら、これは私たいへんだと思うのであります。この問題、私、納得しませんが、私ももっとよく調べて、さらに質問いたしたいと思いますので、その点はきょう留保いたしますが、パリ協定からいいましても、アメリカが南ベトナムヘチュー政権のために武器、弾薬を送り込むことは、これは禁止しておりますですね。その点はどうお考えになりますか。
  238. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) 先生のおっしゃったのは、パリ和平協定の第七条第一項の意味でございますか。
  239. 星野力

    星野力君 第七条。
  240. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) 第七条第一項は、先生のおっしゃるとおり、この南ベトナムの両当事者は、停戦後外国から武器、弾薬の補給を受けてはならないという原則を定めております。ただし、その第二項におきまして、一対一の取りかえは許されるということでございまして、ただ、その取りかえにあたりまして、国際管理監視委員会の監視のもとでなければならないということになっておりまして、その第七条全体の構成が、そういう原則と例外の両建てになっておるというふうに解釈しております。
  241. 星野力

    星野力君 この第七条の一対一の交換という問題にしましても、サイゴンの軍隊の使用するための武器、弾薬、これの一対一の交換にしましても、これを日本の施設・区域を使うということは、これは安保条約の行き過ぎだと思う。やるんだったら、アメリカは本国からでも持って行ったらいいんじゃないかと思いますが、どうですか。
  242. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) これは先ほど申しましたとおり、要するに安保条約第六条の解釈、あるいはもっと大きくいいまして、安保条約に基づく米軍の施設・区域の使用の権限というものから由来するものでございまして、私どもはただいま申しましたとおり、そのような補給活動は極東の平和維持に関係があるというものである限りにおいては、米軍が日本の施設・区域を使っての補給活動は可能であるというふうに考えております。
  243. 星野力

    星野力君 先ほど来のこの条約局長の御答弁、大臣としてもそのように御解釈なさいますか、お認めになりますか、念のためにお聞きしておきます。
  244. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 安保条約の解釈といたしましては、高島君が述べたとおりと私は思います。
  245. 星野力

    星野力君 米軍が使用するものでなくても、極東の平和と安全という名目がつくならば、日本の施設・区域を使わせると、それができるのだと、こういう外務大臣の御理解だというふうに承って先へ進みます。  四月三日の外務委員会で私質問いたしました。そのときに、相模補給廠からの戦闘車両類の国外搬出についてお聞きしたのであります。調べてからということでございましたが、今年に入りましてから、相模補給廠からどういう車両類が、どのくらいの数量、どこへ送り出されたか、お答えいただきたいと思います。
  246. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) 本年に入りましてから、相模補給廠から搬出されました戦闘車両類という御質問でございますが、四月の一日にM48戦車が十台、四月の二日にM48戦車が十二台、これが相模補給廠から搬出されまして、横浜のノースピアへ移され、これがその後米本国へ輸送されているというふうに承知いたしております。したがいまして、本年に入りましてから搬出されましたのは、M48戦車合計二十二台でございますけれども、ノースピアから相模へM48戦車が四台搬入されております。
  247. 星野力

    星野力君 私の質問が悪かったかもしれませんが、戦闘車両類というのは、M48戦車だけでなしに、装甲輸送車とかジープとか、そういうものも含めてお聞きしておるわけでございます。
  248. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) 答弁漏れまして失礼いたしましたが、兵員輸送車につきましては、一月の十六日に六台、二月十六日三台、二月十七日二台、二月二十日十三台、三月十四日十台、三月十五日十台、三月二十六日十台、三月二十七日十台、こういう数字が出ております。行き先については資料を持ち合わせておりません。
  249. 星野力

    星野力君 ジープはどうですか。
  250. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) ジープについては、相模の補給廠から搬出されたという数字を持ち合わせておりません。
  251. 星野力

    星野力君 私のほうの資料では、装甲輸送車、それからジープにしましても、もっと数字が多いのでございますが、ジープなんかずいぶんたくさんの多い数字になっております。  一つお聞きしたいんですが、三月二十八日、ノースピアから出たコメット号というのはどういう船か、何を積んでおるか、お調べになっておられるでしょうか。
  252. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) その資料をちょっと手元に持ち合わせておりませんので、お許し願いたいと思います。
  253. 星野力

    星野力君 これはすぐ調べればわかることでございますね。
  254. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) 調査してみたいと存じます。
  255. 星野力

    星野力君 調べていただきたいと思うのでありますが、こういうものを送り出すときは、日本側の機関ですね、たとえば法務局というのですか、ああいうところに、船の行き先、積み荷の行き先というのは届けることになっておりますね。
  256. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) 米国の艦船、公船、これが入港いたします際には港長に届け出ございまして、入港の際に届け出があると同時に、出港の予定、それから出港先、この予定も通報ございますけれども、積み荷については必ずしも通報はございません。
  257. 星野力

    星野力君 これはあとで御答弁のように調べていただきたいと思うんでありますが、このときの船は、西ドイツのブレーメルハーフェンが目的になっておりますけれども、その途中で装甲輸送車六十台ぐらいをサタヒップでおろしているというふうに私は聞いております。四月三日の外務委員会でも私少し触れたのでありますが、装甲輸送車やジープが大量にサタヒップに送られて、そこ経由でカンボジアに持ち込まれておるということでありますが、もしそういうことが事実であるということがはっきりしますと、これはパリ協定違反、そして日本政府がそれに協力したということにならぬでしょうか。
  258. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) 三月二十八日にコメット号が横浜から出港してハンブルグへ向かう途中、サタヒップに寄った、そこでジープその他をおろしたという事実につきまして、承知いたしておりませんので、調査いたしたいと思います。
  259. 星野力

    星野力君 これまでもお聞きしたことなんですが、相模補給廠はどういう状態になったら閉鎖あるいは大幅に縮小されるのか。たしか大臣は、残存の車両類の修理が終わった時点で、これが閉鎖なり大幅縮小になるんだと、こう御答弁になったと思うんでありますが、残存というのは、現にあの工廠に入っておるところの車両類がなくなったときというのか、あるいは私、自衛隊に貸与されているジープ類などが相模のあの工廠に送り込まれて、それが修理されて海外に出ていっておるということも聞いておるんですが、そういう国内にある米軍の車両類、それが破損することが続く限りあそこの機能が続いていく、こういう意味ですか。その残存というのがどうもはっきりしないんです。
  260. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) 昨年の十一月に米側と了解されました相模補給廠の戦闘車両類の修理機能につきましては二つございます。まず第一が、現にその補給廠にあります戦闘車両の修理は継続されるが、新規の搬入は原則として禁止されるということがございまして、原則としてと申しますのは、たとえば沖繩にありまする海兵隊が使っている戦車類は、これは搬入されることがあり得るということを物語っておるわけでございます。  それから修理済みの車両の搬出を終えた段階で、相模の補給廠にありまする戦闘車両修理機能は大幅に縮小するということでございまして、昨年の秋に相模の補給廠にありまして、その後修理を待っておりまするこれら戦闘車両類が修理済みの段階で、その修理機能は大幅に縮小されるということでございます。しかも、昨年の秋以来、政府は、修理機能の大幅縮小については一両年を目途とするということを申しているわけでございまして、現在相模の補給廠にございまするM48の戦車、これが台数は十一台と聞いておりますが、そのほかにありまする兵員輸送車等、約数百台まだあるというような話でございますが、こういうものの修理が終えた段階で、修理機能の大幅縮小という段取りになってくることかと思います。
  261. 星野力

    星野力君 M48十一台を修理するのに一両年かかるということにも聞こえたんでありますが、それではちょっとつじつまが合わないのじゃないかと思いますが。
  262. 大河原良雄

    政府委員大河原良雄君) M48十一台の修理に一両年かかるということはあり得ないわけでございます。これの修理については、そう長い日子は必要としないであろうというふうに考えられます。私、一両年と申し上げましたのは、なおたとえば兵員輸送車等数百両まだ残っておりまして、こういうものの修理が行なわれる必要があるわけでございまして、そういうものの修理、それから搬出というものが終わりまして、そういうものをすべて含めまして一両年、昨年の秋以来一両年を目途として修理機能の大幅縮小、こういうことを申しているわけであります。
  263. 星野力

    星野力君 私まだ安心できないので念を入れてお聞きするんですが、防衛庁の方おいでになりましたら。自衛隊がアメリカから借りておるそういういま言われたような戦車、装甲輸送車、ジープ、こういう車両類はどのくらいございましょうか。それはもしあるとしたら、どういうふうに返還の予定になっておりますか、お聞かせ願いたいと思うんですが。
  264. 蔭山昭二

    説明員(蔭山昭二君) お答えいたします。  ただいま御指摘の戦車、装甲車、まあジープと申しますと、私どもでは四分の一トントラックと称しておりますが、これらは供与の時期はおおむね昭和二十七年から昭和三十三年の間でございますが、昭和二十九年の五月一日に発効いたしました日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定、これに基づきまして米国から供与を受けております。戦車は総体で約千両でございます。それから装甲車は約三百両でございます。四分の一トントラックは約四千百両でございます。で、この返還につきましては逐年、まあ原則といたしましては、たとえば四分の一トントラックで申し上げますと、経年期間約十四年以上もうすでにたっております。それから走行キロも約二十万キロに近い走行キロを示しております。したがいまして、数量的に四十五年度あたりから返還が始まっておりますが、この返還の手続といたしましては、ただいま申し上げました相互防衛援助協定、これの第一条の三項に返還の規定がございますが、これのいわゆる解釈規定といたしましてやはり米側との間に取りきめがございます。その取りきめの手続に従って返還をいたしております。その返還をいたしました昭和四十七年度末までの実績を申し上げますと、戦車約七百両、装甲車約五十両、四分の一トントラック——いま先生指摘のジープでございますが、約千三百両を返還しております。ただこの中には、すでに書類的に私のほうが返還の通告をいたしましたもので、まだ米側が受領していないというのも若干入っております。  以上でございます。
  265. 星野力

    星野力君 外務大臣は、ベトナム戦争はベトナム民主共和国の南への侵略が原因だという考えをいまでもお持ちでございましょうか。
  266. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 私は裁判官でないので、この問題につきまして、どちらがどうであったというようなことを私の立場で申し上げるのは、差し控えさしていただきたいと思います。
  267. 星野力

    星野力君 大臣、これまではこの問題についてお聞きした場合に、アメリカ政府の主張を紹介する、述べるという形で、いま私の申しましたように北側の侵略ということを言ってこられた。この国会の冒頭の衆議予算委員会における大臣の答弁の中にも、私はそういうことがあったように記憶いたしておりす。よろしゅうございます。ここに三月一日付の「時の動き」というのがございますが、この中に「ベトナム和平と今後の展望」という題で、京都産業大学の入江通雅教授でございますが、書いております。大臣、この論文お読みになったでしょうか。
  268. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) まだ拝見しておりません。
  269. 星野力

    星野力君 私は、大臣にお聞きしたいからと、こう言っておったんで、外務省の人には大臣に読んでいただくようにという、こういう意味だったんですが、お読みになっておられないとするとはなはだ残念ですが、ちょっと私読んでみますと、「一九七三年一月二十八日午前九時、共産側の力による南ベトナム奪取を一応諦めさせた形で、この長かった悲惨なベトナム戦争に一応の終止符が打たれたことを、まず心から喜びたいと思います。」、こういう書き出しで始まっております。そして、その中には、「この戦争のために、みずから人命、戦費、国内分裂など多大の犠牲を払ったアメリカ、この和平協定達成までよくがんばり抜いたニクソン、キッシンジャーの努力を多としたいと思います。」と、こういう調子で書かれておるんです。中には、北ベトナム共産党だとか、ベトコン共産党とか、そんなものはございませんが、そして、一貫して北からの侵略という立場でベトナム問題というものを見ておる。これは政府の役人じゃございませんから、どういう見方をし、どういうものを書こうと、それはかってでありますが、それはどっか民間の雑誌か何かならそれでいいと思いますが、パリ協定が出た後、大臣も非常に答弁を慎重にされておる、いまのように。そういう時期に総理府編集の雑誌がこういう論文を載せたことについて、大臣どうお思いになりますか。
  270. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) これは総理府が編集されたもののようでございますが、外務省のほう、御相談をちょうだいしてないわけです。どういう趣旨でお載せになったのか、まだ総理府のほうから聞いておりません。
  271. 星野力

    星野力君 それならどういう御趣旨か、広報室長がお見えになっておりますね。この「時の動き」、どういう目的の雑誌であり、どういう趣旨でもってこれをお載せになったか、お聞きいたしたいと思います。
  272. 松本芳晴

    政府委員(松本芳晴君) この雑誌、「時の動き」は、政府の重要施策や各省庁の行政施策をやさしく国民に知らせる。そういうのが中心的な役割りでございますが、そのほかに内外の情勢に関する資料あるいは評論等を掲載いたします。そして国民の判断を仰ぐ、そういう形で発行されているものでございます。大体一ヵ月半ぐらい前に発行されるものでございますが、編集実務を日本広報協会というところに委託してございます。そうして編集のための連絡会議をその広報協会の担当者と、それから私ども、それから発行先である大蔵省の印刷局、これらの連中が集まりまして、テーマだけをきめるわけでございます。この時点でこのテーマを取り上げることは、きわめてタイムリーであるというふうに判断したものでございますが、だれにその執筆を依頼するかについては、実はそのときはきめられませんでした。というのは、この種の外交問題については、外務省に相談しまして、そうして書いてもらうのが通例でございますが、このときはたぶん外務省はたいへん忙しくて、この問題については書けないというような答えを受けたということでございます。それで大体第三者で、普通そういう場合には第三者に委託して書いてもらうのですが、入江さんはたまたま数人あげた候補者のうちの一人でございまして、入江さんは初め、これは編集の実務委託者の方が非常に面識があったと思うのです。書いていただきました。そうして私どものほうに届けられたわけであります。実際問題として、書いてもらったものについては、なかなか訂正してもらったり何かすることができないのが実情でございます。
  273. 星野力

    星野力君 重ねてお聞きしますが、私たちこれは三月一日に、一ヵ月半前に受け取ったわけではありませんで、パリ協定が締結されたあと、おそらく三月に入ってから受け取ったのではないかと思いますが、そういう時点で、これは出されておる雑誌に、こういう論文が載ったということを現在どういうふうに、これはよろしかったと、こうお考えになっているか、まずかったとお考えになっておられますか。
  274. 松本芳晴

    政府委員(松本芳晴君) 先生指摘の点で、表現上、政府の雑誌としては多少問題があるかと思いましたが、実際問題として、いろいろな考えの人がおるわけでございまして、私どもまあ頼んでしまったことについては、いろいろ責任を感じておりますが、その人の書く内容についてはなかなか干渉できないということでございます。
  275. 星野力

    星野力君 大体内容を大臣おわかりだろうと思いますが、こういうものが出まして、こういう時期にこういうものが出まして、これは時宜にかなったものが出たとお考えになりますか、迷惑なやつが出たと、こうお考えになりますか。
  276. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) ベトナムの戦争というものは、いろいろの問題を含んだ人類の歴史の上から申しましても大きなイベントであったと思うのです。これに対していろいろの見方があり得ると思うのでありまして、また、あってしかるべきほどのイベントであったと私は思うのでありまして、一つのベトナムの問題に対する入江さんの見方というものはありましても、それはそれ自体として、いま総理府からの御答弁のように、国民が主体となって御判断をされることでありまして、別段支障はないと思います。
  277. 星野力

    星野力君 大臣は、これで支障はないと、こう言われますけれども、これはやはり影響を持ちますですよ。政府が幾ら、また外務大臣が幾らベトナム、パリ協定を尊重すると言われても、政府の編集している雑誌で、パリ協定を歪曲し、時間がないから詳しいことは申し上げられませんが、まことにこれは時宜に適さないことを私は載せたものだと思うのです。また、そう見るのが当然だと思います。何も大臣、これを弁護する必要はないんです。私は大臣も外務省もこれは被害者じゃないかと思う、こんなことを発表されて。政府方針にも私は反しやしないか、こういう事態に関して何らかの御処置をおとりになったらいいと思いますが、時間がないそうでありますから、それだけ申し上げて、きょうは終わります。
  278. 川上為治

    主査川上為治君) 他に御発言もなければ、外務省所管に関する質疑は終了したものと認めます。     —————————————
  279. 川上為治

    主査川上為治君) 以上をもちまして、本分科会担当事項であります昭和四十八年度一般会計予算、同特別会計予算、同政府関係機関予算中、防衛庁、経済企画庁、外務省大蔵省及び通商産業省所管に関する質疑は終了いたしました。  これをもちまして本分科会の審査を終了いたします。  なお、審査報告書の作成につきましては、これを主査に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  280. 川上為治

    主査川上為治君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  これにて散会いたします。    午後三時五十八分散会