○玉置和郎君 あのね大臣、私はマナーだけじゃないと思うんです、これは。私は現在の国府それからインドネシア、特に仲よくしておりますタイ、フィリピン、マレーシア、シンガポール、このようなASEAN五ヵ国との動き、われわれはわれわれなりに連携をもっておるわけです。そうしたときに、一部の新聞では、国府系の華僑が騒いでおると、こう書いておりました。私は先日台北に行きまして、重大なことを発見したのは、たまたま私の知っておるシンガポール、マレーシアの両国国籍を持つかなりの実力者です。彼に会って、おまえ何しに来たのだと聞いたら、やっぱり国民党の中央部の指令を受けに来ておるのです、これは。それで彼は彼なりに判断をしておるのは、タイ国についてもわれわれと同様なことがやっぱり考えられると、そうして彼が最後に私に言い残したことばは、
日本は中国大陸で戦争しておって、勝った勝ったまた勝ったと言って喜んでおったとき、はっと気がついたときにもう周囲が敵だらけだったじゃないかと、
アジアの諸国はそういうことにならぬように玉置君ひとつ気をつけろよと、国民党の党員が
アジアの諸国に潜在的にあるということです。こういう点についてももう少し私は的確な情報というものを
外務省はつかんでもらいたい。こういうことをつかまなかったら、何のために
在外公館を置いておくのかわからない。われわれはそういうための
予算、これは大臣も努力しておられますが、そういうふうな
予算というものは大いにつけて、そしてうわべだけの、薄皮だけの情報ではなしに、
ほんとうに深く入った根のある情報というか、そういうものを的確につかんで
アジア外交を展開していくということ、これは非常に大事だと思うんです。
で、もう
一つ言いますと、私は地図を見るたびに思うのですけれ
ども、台湾とフィリピン、これは非常に近い。現在国府はフィリピンに対してあらゆる友好
関係を結んでおります。努力しております。たいへんな努力です。たとえば水害があったときに、
日本がフィリピンに対して行なった援助よりも国府がフィリピンに対して援助した額というのはこれはもうたいへんなもんです。それだけに、この一例をもっても現在の台湾とフィリピンという
関係は深まりつつあると私は見ております。ともに中華人民共和国、中国大陸の脅威を感じておる点においても同じです。私はこの二つの国が、またインドネシア、これも非常に反共色の強い国です。こういった三つの国が連合して手を握って、ひとつ台湾海峡、バシー海峡それからロンボク海峡、こういうところを締め上げてやろうじゃないかと言ってやり出したら一体どうなるのか。私は大臣が北京と交歩を開くために政治生命をかけられたこと、わかります。しかしその陰にあって、私たちはそういう事態が起こらないように懸命な努力をしてきたのです。驚いたことには、私はこの九月二十九日の前、椎名さんがちょうど入ってきたときです。あの当時向こうも、宣伝に使うのかどうかわかりませんが、二億二千万トンの
日本の油の入ってくる積み出し国を全部調べて、そうして北京と国交を開いておる国から積み出してくるタンカーについてはこれはチェックしよう。
自分たちと国交を開いておる国はマルをして、そしてそれは通そう、仕分けまでして持っておった。その当時の油の備蓄量は四十日だった。今日五十日あります。その当時の鉄鉱石の備蓄は三十六日であった。今日では四十日ぐらいですか。われわれはそういうことをやられたらこれはたいへんだと、特に陸、海、空軍が二十四時間の戦時態勢に入っておりましたよ。私は空軍の友人を持っておりますが、奥さんがやってきて、なぜ主人が帰れぬのか、なぜ主人が私の家に帰ってこれない、これは玉置さん、あなたわかりますか。奥さんは
日本留学生です。私は知らぬと、
日本がこうしたんじゃないですか、主人の安全を祈って毎日油断ちをして、そうして拝々しておるんだと、こう言っておるんです。現実私たちはそういう姿を見てきて、これはやられるかもわからぬ、やられたらたいへんだというので、あらゆる努力を払ってきた。そしてインドネシアへ飛んで、そしてロンボク海峡でも通してもらわなければいかぬというので、ウイットノー将軍に私はバンドンまで飛んでいって会いに行った。そうしたらウイットノーは何と言ったか。台湾がやり切ったらたいしたものだ、あれ、ようやらぬだろうが、やり切ったらたいしたものだ、われわれはかつて共産主義者にもういじめ抜かれたんだと、死ぬ思いをしたのだ、同僚が全部死んだ、それだけに、私たちは中華人民共和国の脅威というものを身をもって感じておるのだと、
日本は甘い、
日本は一体何を考えておるんだ、それだけに、もし台湾が四十日バシー海峡、それから台湾海峡で封鎖をするなら、われわれはプラス二十日
——六十日手伝う用意があると、こう言っておる。また、その上の要人も言った。それは名前は言いませんが、これがインドネシアの有力な国
会議員であり、軍人である人の代表的意見であった、当時は。当時、スジョノさんもこちらに来ておった。スジョノさんはそういう訓令を確かに受けたはずです。それだけに、私たちはこういうことを考えてきたから、こういう
状態がまた起こらないという保証が一体どこにあるのかということを考えるのです。起こらないようにしなければいかぬ。
どうか、大臣もそういうことは十分おわかりになっておられると思いまするが、ニューヨークタイムズの論説のようなことは私は二度と起こらぬと思う。ニューヨークタイムズの論説はあなたは読まれたと思いますが、
日本はなかなかうまいことをやっておる、左手で北京と手を握り、右手でもって台湾をうまく頭をなぜて、
日本の政治家にニクソンの周辺は学ぶべきであるということを書いておる。しかし、こんなのは二回はありませんぜ、曲芸みたいなことは。どうですかひとつ、もうそれはうなずくだけでけっこうですよ。もう
答弁の必要はありませんがね。私は、大臣、これは
ほんとうにわれわれは心配しておるから日華議員懇談会があるんですよ。日華議員懇談会というのは、いまやっておる中心のものを見てみなさい、大臣。みなわかっておるんですよ。すっかり世代がかわってしまっておる。台湾で、それは先輩もみなそうだったと思いますが、われわれはいま台湾で何の便益を受けたことがありますか。ないのです。ないのだけれ
ども、しかしこれはやらざるを得ない、だれかがやらなけばならぬというので、一生懸命になってやっておるのです。
まあ、あと、あと地の問題と航空協定に入りたいと思います。