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1973-03-30 第71回国会 参議院 予算委員会公聴会 第2号 公式Web版

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  1. 昭和四十八年度一般会計予算(内閣提出、衆議 院送付) ○昭和四十八年度特別会計予算(内閣提出、衆議 (会議録情報)

    昭和四十八年三月三十日(金曜日)    午前十時七分開会     —————————————    委員の異動  三月二十九日     辞任         補欠選任      小柳  勇君     前川  旦君      野末 和彦君     喜屋武眞榮君  三月三十日     辞任         補欠選任      藤原 房雄君     三木 忠雄君      星野  力君     岩間 正男君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         大竹平八郎君     理 事                 上田  稔君                 佐藤  隆君                 高橋 邦雄君                 西村 尚治君                 米田 正文君                 森中 守義君     委 員                 小笠 公韶君                 梶木 又三君                 川上 為治君                 木村 睦男君                 楠  正俊君                 熊谷太三郎君                 小山邦太郎君                 古賀雷四郎君                 塩見 俊二君                 竹内 藤男君                 中村 禎二君                 長屋  茂君                 林田悠紀夫君                 細川 護煕君                 山崎 五郎君                 山内 一郎君                 吉武 恵市君                 上田  哲君                 川村 清一君                 小林  武君                 瀬谷 英行君                 前川  旦君                 安永 英雄君                 塩出 啓典君                 藤原 房雄君                 三木 忠雄君                 矢追 秀彦君                 木島 則夫君                 中沢伊登子君                 喜屋武眞榮君    政府委員        大蔵政務次官   山本敬三郎君        大蔵省主計局次        長        吉瀬 維哉君    事務局側        常任委員会専門        員        首藤 俊彦君    公述人        経済評論家    稲葉 秀三君        NHK解説委員  三神  茂君                 大山 綱隆君                 桑名 貞子君        法政大学教授   力石 定一君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○昭和四十八年度一般会計予算内閣提出衆議 院送付) ○昭和四十八年度特別会計予算内閣提出衆議  院送付) ○昭和四十八年度政府関係機関予算内閣提出衆議院送付)     —————————————
  2. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  公聴会の問題は、昭和四十八年度予算についてであります。  この際、公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中にもかかわりませず本委員会のために御出席をいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  それでは、議事の進め方につきまして申し上げますが、お手元にお配りいたしました名簿の順に従いまして、お一人三十分以内の御意見をお述べ願いたいと存じます。お二人の公述人から御意見をお述べいただきました後、委員皆さまから御質疑があります場合は、お答えをお願いしたいと存じます。  それでは、稲葉公述人から御意見をお述べいただきたいと思います。(拍手
  3. 公述人(稲葉秀三君)(稲葉秀三)

    公述人稲葉秀三君) 本日、公述人として昭和四十八年度予算案に対しまして見解を申し上げる機会を与えていただきましたことを厚く御礼申し上げたいと思います。  さて、予算また財政につきましては、いろいろな検討点があると思いますけれども、きょう私は、一般経済動きとの関連ということに焦点を当てまして、四十八年度予算案についての私見を提示をさしていただきたいと思います。  まず、第一点として申し上げたいのは、この予算編成方針前提といたしまして、ことしの初めに政府経済見通しと、また政府経済運営に対する基本方針、また、それを踏まえまして四十八年度予算編成方針というものが公表されたわけでありますが、その中の昭和四十七年度経済実績見込みというものにつきましては、まだ三カ月弱しか経過をしておりませんけれども、当初予想された事態と最近の事態との間には大きな変化が起こっていると、このようなことを指摘をしたいのであります。その一つといたしまして、昭和四十七年度日本経済につきましては、景気回復が特に去年の秋から急速であったという点があげられます。そして、昨年の十−十二月期におきましては、実質経済成長率は一五%強という水準に達しており、また名目経済成長率は二一%ぐらいの速度だと思われます。そして、これを瞬間風速だと言ってしまえばそれまででございますけれども、実は、ことしの一月以降の日本経済の動向というものを見ておりますると、二月の鉱工業生産は前年同月に比べまして一八・四%、出荷はさらにそれを上回りまして一九%、民間建設受注は同じく前年同期に比べまして五二%、造船を除きまする機械の受注高はこれまた前年同月に比べまして四四・三%と、いずれも大きな伸びを示しているのでございます。このようなこともございまして、物価上昇率政府予想を大きく上回っております。二月では、卸売り物価が前年同月に比べまして九・二%、消費者物価は七・二%アップということになっております。そして、これらの傾向などをもとにして、この一−三月期についての日本経済の姿というものを推定をしてみますると、私は、十−十二月期よりもさらに一−三月期はやや経済発展速度が高くなりそうだと。的確であるかどうかということにつきましては自信はございませんけれども、私個人は一−三月期の実質成長率は二八%、名目成長率は二二%ないし二三%ぐらいの拡大となるのではなかろうかと思います。政府経済見通しによる実績見込みは、昭和四十七年度につきましては、個人消費支出伸び一四%強、民間設備投資伸び一〇%、これに対し、鉱工業生産一〇%、農林水産四・四%、また卸売り物価上昇率は前年度に対しまして二・二%、消費者物価上昇率は五・三%と見込まれており、経済成長率実質一〇・三%、名目一五.七%となっているのでございますが、二カ月もたたないうちに経済推移は相当違った局面に来ていると、このように判断せざるを得ないのでございます。そして、ここから言えることは、四十八年度上昇傾向も、これをある推移にまかしておきますると、また、この予算案がそのまま可決され実行される、このように考えますと、少なくとも上期におきましては政府見通しよりはより高くなり、そのことが物価上昇により拍車をかけていくと、このようなことになるのではなかろうかと判断をいたします。  一言にして申せば、最近の日本経済は、消費伸び予想よりはやや高くなってきた。財政支出の増加が経済を相当上向かした。これらにつけ加えまして、民間設備投資が活発化してきた。在庫投資もふえてきた。そして、これらに即応するように、政府資金民間資金供給というものがより大きな形で行なわれた。現に、二月の日本銀行券平均発行高は、前年の同期を二六%も上回っている次第でございます。そして、そのような結果として、一般的に経済活動上昇し、もとより輸入物価上昇による物価上昇ということもございますけれども、やはり国内的ないろいろな原因ということもございまして、やはりこのところ急速に経済の変貌が行なわれつつあるのではなかろうかと思います。最近は、ことに建設関係の仕事が活況でございまして、そのために、半年前、一年前と相当趣が変わりまして、鉄が足らない、セメントが足らない、人が集まらない、こういったようなことになりまして、景気が行き過ぎだとは申しませんけれども、安定成長路線以上の拡大と、それから来る波及効果というものが、どうもいま現実進展をしているということは否定できないように考える次第でございます。  さて、そのような観点に立ちましてこれからの経済の展望ということを申し上げますけれども、明後日から新しい年度に私たちは入ります。そして、私たち予想では、やはり財政面からの景気上昇作用というものは依然として続いていく。そして、社会保障社会資本充実というものが、過去一年に引き続きまして今後も継続して進展をしていく。そして、国際均衡との関連ということもあって、円の再切り上げを回避をして、鉱工業生産を一二%アップ経済成長率年度間を通じて実質一〇・七%アップ名目成長率を一六・四%アップ、そして四十七年度実績見込みよりもやや高いところに景気を持っていこう、これが政府運営方針であり、見通しであるように思われるのでございますけれども、どうもそのようなところに、自然の推移にまかせんか、必ずしも経済が進んでいくというふうには思われない次第でございます。  さて、皆さま方がいま御審議をされておりまする昭和四十八年度予算案は、国の一般会計予算は、公債二兆三千四百億円の発行を基礎といたしまして、十四兆三千億円となり、四十七年度当初予算に対しまして二四・六%、補正後の予算に対しましては一八%アップ。また財政投融資計画では六兆九千億円となりまして、そして前年度当初計画に対しまして二九%アップ。特に、その双方を通じまして、社会保障費は前年度当初予算に対しまして二八・八%アップ社会資本充実は三二・二%アップと、このように組まれている次第でございます。  さて、最近の諸情勢発展推移というものを見ておりますると、二月十二日のアメリカの一〇%の平価切り下げというものに端を発しまして、日本変動相場制に移りました。そして、当面一ドル二百六十円ないし二百六十五円の相場が現出しつつあります。そして、どうも諸般の事情を考えますと、固定相場にはいずれ復帰をするでしょうけれども、その期間は予想よりももっと長くなっていくと、このように考えられる次第でございます。しかし、実質的に円の再切り上げが進行しているという事実は否定をすることはできません。そして、これらの条件を今後私たちは頭に入れ、さらに、皆さま方もう御存じのように、日本銀行金融引き締め政策がこの四月に入りましてから登場してくるというふうに予想されまして、本格的に景気抑制政策金融面からとられると、このように考えられます。そして、これらのことから予想いたしましても、本来ならば、経済成長率はこれらの影響を受けて、もっと鈍化していくだろう、物価上昇経済見通しよりは低下をしていくということになるはずでございますけれども、どうも現実日本経済は、当面やや過熱ぎみ推移をしていくと、このように勘案せざるを得ない次第でございます。  そこで、私の個人的な予想というものを御報告いたしますると、今回の事態展開で、その一つといたしましては、対前年同期比に対しまする経済成長は、この一−三月期よりも四−六月期、七−九月期におきましてはやや低下をしていくだろうと思います。決して、どんどんどんどんこれからも進んでいくだろうとは思いません。ですけれども、上期におきましては、どうも実質一ないし二%、名目一八ないし二〇%というところではなかろうかと思う次第でございます。このことは、依然として内需の活況というものにささえられまして、当分高い水準動きがこの日本に起こってくる。そして、そのような結果といたしまして、物価上昇は、政府経済見通しによりますると、年度間を通じまして、卸売り物価は二%、消費者物価は五・五%と、このように推定をされているのでございますけれども、私は、レートの再切り上げ効果金融引き締め政策効果をもってしても、どうももっと高いところに物価が進んでいくということは避けられないように考える次第でございます。  その二つとしては、ただし、秋以降、日本経済はやや鎮静化をしてくるのではなかろうかと思われます。私は、一応実質九ないし一〇%ぐらい、名目一四ないし一六%ぐらいに、前年同期比でなっていくのではなかろうかと、このように思う次第でございます。  さて、これらを勘案をいたしまして、来年度予算案に対しまする私の見解というものを提示をさしていただきたいと思います。  日本列島改造国土総合開発ということは、それ自身きわめて望ましいことだと思っております。ですけれども、この実現というものはそう簡単にできるものではないのであります。つまり、国民みんながそういったような気持ちになっていくということが必要でございましょうし、また、政府の各省もばらばらでなくて、どうしても、何年、何十年かかってこれをやっていかねばならないと、こういったようなことをやはり背景にして一歩一歩進めていくというものでなければならないと思います。つまり、前提条件整備が必要であり、もっとどっしりかまえた計画的な国土の改変ということが必要ではなかろうかと思っております。私は、少なくとも十年、二十年かかって日本をよくするということに対しまして、各党、各派、さらに政府行政機関がもっと熱意と総合性展開をしていただきたいと思う次第でございますが、そのためには、財政編成のしかたも、一挙ではございませんけれども、やはりそれに即応して根本的に漸次やりかえていく、このような必要があるのではなかろうかと思っております。で、昭和四十八年度予算は、いままでと違いまして、その意味におきましては新しい方向に一つ日本を向けていこうという萌芽が入っているということを私は否定はいたしません。つまり、社会保障費が増額をされたり、さらに、社会資本充実につきましてさらに画期的な方策がとられていると、このようなことに対しまして、その意味を私は高く評価をするにやぶさかではございません。しかし、国民負担との関係経済全体との関係ということを考えますと、一たんきまった予算が毎年ふえていくといったような仕組みや、また惰性的なあり方というものは、漸次これを直していくということを、どうしてもこれからやっていかねばならないと思います。そして、比較的そういう目的に不要不急なものは、思い切ってこれをやめてしまう、このようなやり方もとっていただかねばならないと思います。そして、そのための準備を、四十八年度、四十九年度、五十年度についてどのように展開をしていくのかということが大切だと私は思っておる次第でございます。  そして、当面のところ、この予算案についてお願いをしたいことは、この予算案は、編成方針にもあらわれておりまするように、社会福祉社会資本充実という要素を含んでおり、そして、そのような形で日本をこれから持っていかねばならないということは、どうしてもこれを推進をしていかねばならないと思うのでございますけれども、へたをいたしますると、この面からのプラスと、他方におきまする逆効果、逆福祉型といったようなことも出てこざるを得ないという状態に、いまあるのではなかろうかと思います。つまり、賃金上昇物価上昇は依然として引き続いていくということになりますれば、国民の間の不安感はさらに加重されるでございましょう。それに基づくいろいろな波及効果というものが起こってくるでございましょう。また、せっかく社会資本充実につとめましても、最近にあらわれておりまするように、単価がどんどんどんどん上がってしまいまして、そして、結局実際の計画が進行しないと、このようなことにもなりかねないと思うのでございます。  したがって、片や、中期的、長期的に、財政編成の気がまえということにつきまして、国民の良識の府としての参議院の皆さま方は、どのような根本的なやりかえをすべきかということについて突っ込んだ御検討をしていただくと同時に、私は、当面政策といたしましては、金融政策をさらに強く強化をされていく必要がある。そして、過剰な流動性を追い落としていくという必要があると思います。できるならば、二六%も前年同期よりも日本銀行券発行されているという事態を、少なくとも一六%ないし一八%ぐらいの線に落としていただいて、そして、投機やいろいろなことが起こり得ないような情勢というものを整備をしていくということに対しまして御努力を願いたいと思います。  そして、私は、四十八年度予算案につきましては、これを否定をしようとは思っておりません。しかし、この実行にあたりましては、次の御配慮をしていただきたいということを皆さま方お願いを申し上げたいのであります。  それは、この項目のうちで、社会保障関係費はやはりこれを実行していただいてけっこうでございます。しかし、公共事業社会資本充実計画というのは、ちょうどいままでの財政執行と反対に、下期以降−上期は、やや速度が大きくなる、物価上昇もある。下期はある程度鎮静化するということを考えれば、いままでとは逆に、下期以降にこれを繰り延べをすると、こういうことによりまして、日本経済路線というものがより安定的、長期的に進んでいくということに対しまして、何とか積極的な御配慮をするように、皆さま方から政府に対しまして見解を御提示をしていただきたいと、このように思う次第でございます。  時間の関係もございまして、一応私の公述は以上の点にとどめますけれども、あとで御質問がございましたら、喜んで答えさしていただきたいと思います。  どうもありがとうございました。(拍手
  4. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) どうもありがとうございました。     —————————————
  5. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) 次に、三神公述人お願いいたします。(拍手
  6. 公述人(三神茂君)(三神茂)

    公述人三神茂君) 農業について意見を申し述べさしていただく機会を得ましてありがとう存じます。  申すまでもなく、今日さまざまな農業の困難、課題というものが山積をいたしておりますが、そして、このことは単に日本だけにとどまりませず、先進国、ヨーロッパ、アメリカ、その他ことごとくの国々が、ほぼ同じような性質、性格の問題をかかえておると、これまた御承知のとおりでございます。きょうはたくさんの時間でもございませんので、これら、農業問題といわれますものをどのように私どもが理解をしておるかというようなことにつきまして、概括的にお話しをさせていただきたいと思います。  冒頭、やや結論めいた感想を申し上げるのでありますけれども、どうも今日農業あるいは林業、いずれも戦前戦後を通じまして、やはり日本の特殊な歴史的、伝統的な姿で発展をしてまいっておりますが、ようやくにして、戦後の農林業その他の産業部面におきますような、いわば革新的な、みずから革新を要するような転機に来ておるのではなかろうか、そういう感じがしておるのでございます。  この農業問題と申しますものを、その問題の所在というものを尋ねます場合に、私は二つの現象と申しますか、側面という点からその所在を尋ねてみたいわけでございますが、一つは、農業——きわめて当然といえば当然でございますが、国民食糧供給すると、そういう産業であるのでありますが、にもかかわらず、その食糧供給という産業機能が、今日、あるいはその役割りが十分に果たされていないという点。いま一つは、農業は、そこで働きますいわゆる従事者に十分な所得を与えるということが産業一つの基本的な条件でございましょうが、にもかかわらず、年々その農業従事者所得の場所として非常に不十分になってきつつあるという点でございます。このいわば産業的なサイドあるいは農業従事者所得の場としてのサイド、この両面から農業問題というものを感じ取っておるわけでございます。要約いたしますと、食糧供給機能が停滞をすると、あるいは所得チャンスを与える就職の場所としてそこがあり得ないと、すなわち農業というものが産業としての存立条件を欠きつつあるということになるのではなかろうかと、こういう感じを持っております。  第一の、もう少々食糧供給機能が必ずしも十全でないということについてふえんを申し上げすするというと、いわゆる国民食糧供給、需要に対応してバランスのとれた供給が行なわれていない、いわゆる短期的あるいは長期的に見ましてバランスを失しておる、需給の均衡がとれておらないという点でございます。農産物季節の豊凶というものの支配を非常に受けまするので、若干の季節変動というものは容易に避けることがでにきくい性質を持っておりましょうけれども、たとえば御案内のとおりの、最近の季節季節に吹きまする野菜の価格の乱高下でございますとか、あるいは牛乳の消費の停滞、もしくは不足というようなことでございますとか、あるいはこれは必ずしも短期的と言えないかも存じませんけれども、前年に比べて昨年来のミカンの大幅な過剰でございますとかいうような現象が一方にございます。るる説明を要しない点かと思いまするけれども、より基本的には今日の農業の体制では、より長い、五年、十年という将来にわたりまする国民食糧、必要な食糧をとうていまかないきれないのではなかろうかという感じを持つのでございます。それはどういうことかと申しますと、たとえば四十六年度農林省調査によりますと、農業生産生産額四兆三千億円と、そのうちに国民に直接に食糧として供給した食用農産物は四兆一千億である。つまり、農業生産の中の大部分のものが食用農産物であるということでございますが、一方で、四十六年度中に国民飲食費として消費をいたしましたものは十四兆円余、十四兆二千億円おおよそ三〇%弱のものを国内において直接食糧品として日本農業供給しておるということでございます。今日のようなこの程度の、現在程度農業食糧供給役割りというものを、かりに五年後なお維持をするんだと、これ以上に食糧供給という機能を低下させないんだというふうに考えまして、五年後を一応モデル的に予測をいたしますと、たとえば政府長期見通しによりますと、昭和五十二年度におきまする国民食糧消費支出は、飲食費の支出は、四十六年度十四兆円に対して二十六兆六千億円にふくれ上がる。したがって、今日程度の、つまり価格を一つの指標といたしまして機能を果たすという仮定でものを考えまする場合には、つまり、今後なすべき農業役割りというものをはかりまするというと、おおよそ八兆円。もちろん機械的にこの三〇%の役割りというものをすぐさま金額で五年後に引き伸ばすということはなかなかむずかしゅうございましょう。当然、その生産、流通、加工に至ります過程でいわゆる付加価値部分というものが当然にふえてまいりまするから、相対的に農業生産の寄与の割合というものは低くならざるを得ないということはございまするけれども、ごくモデルとして考えました場合には、五年後の五十二年において、農業生産額は、あるいは食用農産物供給額は八兆円前後、つまりほぼ今日の倍程度にその供給能力を増加させていかなければこれは国民食糧は足りませんと、こういうかっこうになってくるかと思うのでございます。農業基本法にも指摘をされ、すでに十年余以前に食糧生産の増大ということがその法律の大前提、目標として掲げられておるわけでございますけれども、そういう食糧供給食糧需要の増大に対応する供給がなかなか今日の状態ではできにくいであろうということでございます。とうてい今日までの、年率、過去数年間六%程度農業生産の増加テンポでは、倍増する需要に対応することはできにくいだろう、こういうぐあいに考えるのでございます。  いま一つは、その需給のアンバランスという点について、たとえばこの四十六年度農業生産のあげました食糧農産物の金額四兆一千億円のうちの一兆五千億円というものが米であったわけでございます。残る二兆六千億円程度のものが米を除くところの畜産物、果樹、蔬菜、こういうことになります。かりに、五年後、八兆円前後の食糧農産物供給が必要であるとして、米はすでに現在程度でよろしいのだということになりますというと、米以外の農産物の増産と申しますものは、少なくとも二倍程度では済まない。二倍、三倍あるいはそれ以上に米以外農産物供給をふやすのでなければ、現在程度農業の寄与というものを維持することは困難だと、こういうことになろうかと思うのでございます。食糧の需要が非常に増大するであろうと、こういうことを申し上げますと、ややもすれば、むしろ今日、農産物は部分的に大幅なもしくは構造的な過剰時代に入っておるのではなかろうか。これは農業生産者の方々からもしばしばそういう疑問を提出されることがございます。ただ、私どもの感触といたしましては、全国の今日国民食糧消費水準と申しますものは、先進欧米諸国に比べまして決して高いものではない。あるいは勤労者あるいは全国世帯の平均の月々の食糧消費額などを見まするというと、驚くほど非常にその水準は低いということになろうかと思うのでございます。  先ほども稲葉先生からお話がございましたように、今後相当に経済発展テンポは高いものが見込まれ、おのずから一般国民所得も増加をし、当然消費支出も年率およそ一二%程度ずつは発展していく。所得の増加に伴ってその消費水準が上がることはまことにけっこうでございますが、そういう食糧消費の増加に対応し得るような供給体制にただいまなっておらない。私どもは今日の農業生産体制、経営体制というようなものがそういう発展の能力に欠けておるという感じがいたします。  さて、一体ではそういう産業的な機能役割りが低下するに至りました要因というものはどういうことかと考えますと、日本の国土狭小ということがやはりまず第一に農業の環境として取り上げられてよろしかろうと思います。つまり、農用地が狭い。おおむね今日五百七十四万ヘクタールというのが農林省調査によりますところの耕地面積ということになっておりますが、この五百七十四万ヘクタールによって、一億国民に相当程度増加していく食糧供給するというについては、資源的にそもそも制約があるということがございましょう。  いま一つは、この土地資源の中で、四十七年度生産調整が行なわれました水稲、米の作付面積の実績をみまするというと、これは二百六十四万ヘクタール、こういうことになっておりますので、つまり、農用地資源のおおよそ四五%が、米生産のための、そうしてそれによって単年度需給を保ち得ますための面積である。残るところの五五%の土地資源を活用することによって、そこに畜産物を供給をし、あるいは果樹、蔬菜を供給をし、それぞれ増大する需要に対応しなければならないということがありますわけで、やはり国土資源の制約というものは農業供給力に一定の限界を画する、こう考えてよろしかろうと存じます。  その次にもう一つ、資源的といいますより、むしろ経済社会的な供給能力の不足、低下という要因は、これはやはり米が戦前戦後非常に不足でございましたが、しかし、その食糧としての価値がきわめて高いということによって、この水田面積が国土面積のほぼ半ばに達するということは、貴重な、有益な、有効な米という食糧資源を生産いたしますために、もっぱら土地もしくは経営というものの仕組みが米生産のために編成をされる、そういう努力が戦前、戦後半世紀、一世紀傾けられてきたというところからやはり生じておろうかと思います。半世紀、一世紀の歴史的な農業構造というものをにわかに転換をし、他作物の供給力を一挙に増大をさせるということは、農業本来の性格からいって、そうたやすいことではなかろうということが考えられます。そしてまた、いわゆる米の生産の仕組みというものがきわめて、冒頭に「伝統的」と申しましたけれども、同時に、本来全体として狭い農用地が、これが多数の零細な保有者、数多くの農家によって、それも実に分散的に保有をされておるというところに、やはり生産力を拡大いたしますための阻害要因があろうかと、こう考えます。  いささか卑俗な比較を試みますというと、今日、一戸当たり農用地面積は農家にとって一ヘクタールということはどなたも御承知のことでありますが、この一ヘクタールの面積というものは、決して先進諸国と比べて大きくない。ヨーロッパ、ECにおきまして最もその経営面積の少ないといわれる西ドイツにおいて十一町、十一ヘクタール、あるいはオランダ、ベルギーなどにおいて十七、八ヘクタール、あるいはフランス等の平均面積がおおよそ二十四、五ヘクタール、日本の農家経営の単位面積は戸当たり一ヘクタール、しかも、これは一戸当たりそれでは平均的に何枚の田畑を持っているか、こういうことになりまするというと、十六枚に区分をされておる。つまり農用地総面積五百七十万ヘクタール、六百万ヘクタール弱のものは、田畑枚数にしておおよそ一億枚というふうにこま切れになっておる。なお今日、全国に構造改善事業はすでに十年を経ておりまするのに、こういう状態であるということ。そして、この状態は、これは東畑精一先生がお書きになられておる古い書物、おおよそ三十年あまり前、昭和十五年当時御調査になった資料から拝借いたしますと、おおよそ当時の人口七千万人、農用地六百万ヘクタール、農家六百万戸、そしてその平均面積はしたがって一ヘクタール、その田畑の筆数は九千七百万筆、すなわち、一戸当たりの保有面積一ヘクタールは十六枚に分かれておる。半世紀を経て、なお今日、田畑の個々の農家の農家経営といわれまするものの保有状況というものは少しも変わっていない、どこに構造の進歩発展があったかと思わせるほどに。そういう資料もございますわけです。つまり、そのようにして、どうも、こういうことがございまするというと、たとえば個々の農家が些少の面積でそれぞれ多様な作物をつくります場合には一おそらく恣意的、気ままと言うと語弊がございましょうが、恣意的にならざるを得ないでございましょうし、おのずから季節変動を多からしむるということにもなりまするでしょうし、また豊凶、自然の気象の影響を受けることも大きいということになろうかと思います。つまり、こういう状況がやはり農産物のより大きな供給力を造成いたしますためのいわば社会的あるいは自然的要因であろうと、こういうふうに私どもは考えておるわけでございます。  次に、もう一つ農業問題、いわゆる雇用側面といいますか、農家の所得サイドといいますか、そういうところから考えまして、どうも農業というものが今日働き手の十分な職場となり得ないという現象がございます。そして農業所得を得まする場所として年々これは低下をしていくという困った現象があるわけでございます。たとえば、昭和四十六年度農家所得は百六十万円、そして農業所得は五十万円ということになりますというと、農家所得の中の二八%——この二八%、五十万円と申しますものも、実はこの生産調整の休耕奨励金を含んでおるもので、それらは農業所得から除外をするという計算をいたしますと、二六%ということに、はなはだ低いものになる。昭和四十年当時はなお四〇%、四二%、四十四年には農産物価格の値上がり等もございまして、特に米価の引き上げ等もございまして、農家所得の中で四割五分というのが農業所得でございましたが、以来年々低下をして、四十六年度においてはこういう状態であるということでございます。  そして、この農家所得百六十万に対しまして、では勤労者の世帯所得、世帯の実収入は何ほどか。勤労者世帯では、まあ働き手も違いますし、農家において二・六人、夫婦に年寄り、あるいは子供というかっこうになるでありましょうか。勤労世帯では二人、その世帯の実収は百五十二万円ということで、いわゆる農家所得と勤労世帯所得を比較いたしますならば、ほぼ均衡あるいは若干農家所得が上回るという姿になっておりますものの、農業所得は先ほどのように五十万円であるということでございます。で、農業基本法の中では、一つの農政あるいは農家の努力目標として、少なくとも農業所得において勤労世帯所得に均衡し得る、それによって勤労者生活水準と農家生活水準とが均衡し得るということを一つの目標としておったわけでございまして、そういう農家をいわゆる自立経営農家と、こう言っておるようでございますが、今日では、そういう勤労者世帯実収入百五十万円というものをあげておる農家、戸数五百七十万戸の中で何ほどあるのか、四・四%と、こういうことになっております。つまり、ごく俗に言えば、農業で食い得るというのは数百万の中のきわめて微々たるものにすぎない、こういうことでございまするし、また、実際に皆さん方が実感なさいますいわゆる二町百姓というのは、少なくとも日本の農民の感触から申しますと、かなりの大百姓ということになるでございましょうが、この全国農家のたかだか四・四%にすぎない、ほぼ専業的な二町以上の農家においても、その平均世帯所得は百十八万円であって、これははるかに勤労者世帯所得に及ばない、こういう状態があるわけでございます。農業でなかなかに家計は成り立ちにくいということでございます。  一方、将来この所得の方向はいかがであろうかと考えまするに、政府のいわゆる長期計画によりまして、昭和五十二年におきまするところの目標をおおよそ推測いたしますと、勤労者の所得伸び年率一二%ということになりますと、四十六年を基点にいたしまするならば、六年間でちょうど倍になる、こういう形、かっこうになるでございましょう。つまり百五十二万円という実収入は五年後、五十二年において三百万、これが勤労世帯の平均所得であるということになるでございましょうし、一方、農業によってそれを得ようといたしますならば、経営面積が大幅に拡大をするか、その土地の面積当たりの収穫量が大幅にふえるか、さもなければ農産物価格が相当程度上がる、あるいはそれらが並行するということでなければ、なかなかその実現は困難でございましょうけれども、まず、これら農産物価格が大幅に上がることも望み得ますまいし、いわゆる土地規模を拡大しますることはきわめて今日困難でございます。いわゆる農業所得、勤労者世帯所得の格差は、今後かなり大幅に開いていくでございましょう。そして、現状のままにしてありますならば、かなり開いていくでございましょうし、おのずから、そこで働きます従事者に応分の所得、世間なみの所得を与えるような場所とはならない、なりにくいということがあろうかと思うのでございます。  では、そういう要因、あまりくどくど御説明を申し上げる必要もほとんどないかと思うのでございますが、一つには、やはり勤労者の実収が向後五年間少なくとも年率一二%程度ずつ上昇していくことが見込まれ、あるいは過去五年間一〇ないし一五%前後ずつ勤労者の名目所得上昇してきたというような実勢は、先進諸外国に比べて、おおよそ、かなりに距離を持った高さであるわけでございまして、一方、農業の世帯所得の増加、年率六、七%前後というものも、先進諸国に比べますればかなり高いにかかわらず、農業の外部経済発展テンポが非常に激しいために、農家の所得もその開差を縮めることができない、むしろ、その開差が拡大をしていくという理由が当然考えられるわけでございますが、いま一つ農業の中にも、規模を拡大することが困難である、経営の零細性を克服することが困難である、こういう事情があろうかと思うのでございます。  御参考までに、この経営零細性、先ほど来一軒の農家平均一町と、こういうことを申しておりますけれども、もう少々いわゆる農家経営規模というようなところに立ち入ってみまするというと、三反以下、三十アール以下の農家戸数は総農家戸数の三割、三〇・六%ある。五反以下を含めまするというとほぼ半分、四七・六%である。あるいは今日、一町、一ヘクタール以下、この一ヘクタール農家の中にも、いわゆる第二種兼業農家というものは非常に多うございますが、これら主として農業の外の収入所得に依存をする農家は七二%ある。こういう形になっており、そして、この第二種兼業農家と申しますものは五八%ということになっております。約六割弱は、農業であるよりも、むしろ農業外の賃金、俸給等の収入を生活のささえとしておるということになります。また、こういう第二種兼業農家、六割の兼業農家が農用地五百七十万ヘクタールのうち四〇%を保有しておる。三反、五反という形で保有しておるということでございます。  つまり、これらの農家は、その農用地面積を、資産約保有、財産として持っておる、土地を管理しておると、こういうふうに言われまするけれども、これらの兼業農家が主として米を作目として、米の生産額のおおよそ四〇%をこれら第二種兼業農家が持っておる。手間がかからぬ。米をつくっておる分には、まずまず、政府が買い取り、その価格は安定しておるという形、米をつくることによって財産的な農用地を管理しておるという形が出てまいり、おのずからその用地はなかなか流動化をしない。また、二種兼業農家の耕地利用率は、そういうことでございますので、一〇〇%利用されず、生産調整ということもございまするけれども、九四%程度日本の六百万ヘクタールの農用地がフルに活動いたしまして、たとえば裏作に、なたねを植える、麦を植えるというような時代には、おおよそ一二〇%、一三〇%程度の耕地の利用率があったのでございますが、今日平均的には一〇四、五%、兼業農家においてはその利用率は下がる、こういうかっこうになっております。  これらは、つまり農業所得を維持いたしますための、まず経営の基盤というものがきわめて零細であるということでございますが、別にこれは今日珍しいことではない。戦後新たにそういう状態になったわけでもない。戦前戦後、日本の農家経営は、米をつくる、水田を次々開発をする、米をつくるためには水を流すというような形で、むしろ耕地は細分をするという形に年々なってまいったものでございましょうし、いわば米作というものを中心にした日本農業一つの特質ということになるのかもわかりません。しかし、戦後四半世紀を経、米がいわゆるその生産力として相当に過剰であるということが言われ、生産調整に入りまして数年を経ておりますが、今日なお、その農用地の構造と申しますものは、戦前と、半世紀、一世紀以前と、ほとんどその姿を変えていないということがあるわけでございます。一口に申しますと、ますます、日本農業経営の基盤、その零細のものが、日本農業所得の源泉として、あるいは従事者の活動の場所として、就職の場所として、きわめて不十分であるということであろうかと思います。  以上は、はなはだ断片的な農業産業としての食糧供給機能がはなはだ停滞的である、その要因には、農業の経営構造という問題があり、同じ問題が、やはり一方では、所得の場所としての農業の雇用吸収力の低さというものの大きな要因でもあろうではないか。職場のチャンスとして、若い青年に魅力を持たせ得るような場所として、はなはだ今日の実情は貧しいと、こういうふうに考えられるというわけでございます。つまるところは、最もその産業の存立いたしますための基本条件であるところの、その産業役割り、そこに働く者に所得を与え得るような所得の源泉という条件を二つながら備えておらない、逐次それらの機能は低下をしておる、ということがあろうかと思うのでございます。  さて、こういう零細経営、伝統的あるいは歴史的な零細経営もしくはその基盤というものが、ではどのように由来をしておるのか、あえて申す必要もございますまいけれども、先ほど来、実は米を中心にした日本の農政がつちかってきた、それは一つの経営、生産の仕組みであろうというふうに私申しましたが、同時に、戦後におきましても、戦前的なその仕組みが変わらない。変わっておらぬためには、やはり戦後におけるおおよそ四半世紀の期間の米不足という事情があったであろうことが考えられるわけでございます。  少し脱線をいたしますけれども、少なくとも戦後二十年代から昭和四十年に至りまするまで二十年間、戦後の二十年間は、米のいわゆる絶対的な不足期間、そして一方では、米と申しますものは、単位当たりの収穫量あるいはたん白生産量というものが非常に豊富である、あるいは、米をつくることが最も農家の所得に実りを与える、あるいは米を国民食糧といたしますことが最も家計にとってコストが安いというようなさまざまな美点があり、戦前戦後を通じて、戦後もやはり米増産ということが日本の農政のほとんど唯一の目標であったと言ってよろしかろうと存じますし、それはまた正しかったというふうに言えようかと思いまするけれども、遺憾ながら、そういう伝統的な米の生産経営構造と申しますものは、今日以降の増大する米以外のその他作物の供給力を大幅、急速に伸ばしてまいりまするためには、なかなか対応しにくい状況にある。  もう一つ、こういう、いわゆる戦前以来から零細である、過小である、あるいは分散的であるという、さまざまな呼び方で言われてまいりました日本農業経営の構造と申しますものは、実は戦後二十六年の農地法によってこれが一つの原理、原則、日本農業体制の原理、原則になっておるということであろうかと思います。農地法は、家族経営、あるいは小農経営、そういう制度を原則としておる。その裏に流れておるものの考え方は自作農主義である。家族みずからが土地を持ち、働き、そこに家族の預貯金、資本を調達をして、主として米を生産するという家族の小農経営というものがいわゆる自作農主義と言われるものであろうかと存じますが、そういうものが農地法によって制度化されている。そして四十五年の農地法の一部改正に至りますまでは、農家が持ってよろしい農用地の面積の上下限が限定をされておる。今日上下限はそれぞれ一応改正によりまして取り払われたことにはなっておりますものの、しかし、その農家の保有面積は、制度的には家族の働き得る範囲の面積というところにおおよそ、ものの考え方がある。つまり、全国平均一町歩と申しますのは、戦後の農地改革の結果、農民の土地所有ということで均分をされました。その姿が制度として今日まで四半世紀一貫して固定をされておる。それを売買、賃貸することはきわめてきびしい制約の中にある。農地法は今日なおその精神において厳存をしておるということになりますと、どうも規模拡大ということと、家族の小農経営を原則とするということとは、なかなかその趣旨が結びつきにくいのではなかろうか。  農業基本法の中では、総生産の増大ということを目標とし、生産性を高める農業の組織をつくる、そのために構造政策が必要であり、作物の選択が必要である、構造政策の眼目は規模の拡大である、それによって、いわゆる自立経営を育成をし、いわゆる生活水準の均衡をはかる、こういうことになっておりまするけれども、どうも、いわゆる企業的農業育成というふうに言われておりまする基本法の原理、原則と、農地法の、今日の農業のございまする日本の秩序というものとは、にわかに結びつきにくい。矛盾するとはあえて申しませんが、相当程度飛躍をしておるのではなかろうか。今日以後、もしもその農地法というものが有形無形に農民に、もしくは農政推進上の一つのネックということがありとするならば、農地法はすみやかに改正をしていただくということが将来への展望の道を開くのではないか、かように私どもは考えておるわけでございます。そして、少なくとも零細経営というものから脱皮をするということが必要ではなかろうか。  しばしば、この零細経営から脱皮をする、農用地を拡大をする、集団化をするというようなことが言われまするについて、それは当然、一方に犠牲者を伴う、いやおうなく農業から離れなければならぬ犠牲者を伴うのではないか、こういう批判が起こり得ます。ただ、しかし、今日非常に農業、農村というものの変貌は著しく、たとえば四十六年度、対前年に比べますというと、農業の働き手は一挙に一〇%弱、九・八%も減少する、そして相当程度戸数の減少も年々拡大をしてきておる、増加してきておるという状況がございます。四十五年のいわゆる世界農林業センサス、日本で行なわれました四十五年調査によりまするというと、農林省調査によりまするというと、いわゆる農村と言われますものは、全国町村およそ三千百と、こう言われておりまするが、その三千百ないし三千町村ほとんどが農山村地域ということになりましょうが、その農村における集落は十四万一千あるそうでございます。そうしてこの十四万一千の集落の平均世帯数は八十二月ということが報告をされております。では、その農村の集落部落の中の八十一戸の農家と言われるものは何ほどあるか。非農家五十五戸、専業と言われる農家二戸ということでございます。つまり、全国平均ということでは必ずしも実態に沿わないかと存じまするけれども、農村と言われるものが、今日実はその部落の大半は非農家であり、そうして専業、産業にその収入のささえを得ておるという農家はたかだか二戸である。その他はいわゆる兼業農家である、こういうことになっておりまするわけで、したがって、農業外の他の施策と相まって一やはり農業生産力、農山地域の生産力、あるいは産業的な機能の復活ということを考えてまいりまするためには、ここに相当程度の、農業の内外からいたしまするところの施策を施すことが必要ではなかろうか。やはり今日の農業、いわゆる農業体制と言ってよろしい日本農業秩序、農地法改正ということと、それと表裏いたしますところの村落の再認識、それに対するところの施策というものを、私どもは、ぜひ政治、政策の段階でお願いをいたしたいと、こう考えるわけでございます。  農業問題というものをどんなふうに考えておるかということをについて、われわれの感触を御披露いたしましたわけで、お話はかなり抽象的なお話になったかと存じます。  一言申し添えたいと存じますことは、今日、御承知のように、いわゆる世界の食糧と申しますものが、前年来、短期的に非常に不安定でございます。あるいはまた、国際機関の調査によりまして、長期の見通しも必ずしも将来明るいということにはなっておらないようでございます。特に最近、海外農産物の価格の変動というようなものが、直接国民生活に強い影響を及ぼすということでございますので、どうやら今日、一方では国際分業というものについて、原則は原則として、あらためて、より緻密な再検討を要するのではなかろうかということが一つございましょう。と同時に、先ほど来、需要が増大をしてまいりまする国民食糧に対応するだけの能力自体が、今日そういう体制になっておらないということ。内外ともに国民の最も基本的な生活の手段であるところの食糧供給能力というものに、どうも欠くるところがあるという点で、農地法もさることながら、より高いレベルで、政治、政策の中で農業というものを産業としてどのように位置づけるかというお立場で、あらためてこの政策上の御検討をお願いしたいと、かように思うわけでございます。  なお、いろいろ御疑問、論点がございましょうと思いますが、若干具体的なお話は、もし御質問がございましたらば、お答えいたしたいと思います。(拍手
  7. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) どうもありがとうございました。     —————————————
  8. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) それでは、公述人の方に御質疑のある方は順次御発言を願います。
  9. 米田正文君(米田正文)

    ○米田正文君 きょうはたいへんお忙しいところをおいでいただき、稲葉先生にはたいへん要領よく短時間におまとめをいただいて、御所見をいただいてありがとうございました。  私どもも、大体において稲葉先生のお話と同感でございます。御承知のように、ことしの予算編成の方針は、ニクソンのドルショック以来の世界情勢も踏まえて、そうして昨年は大型の補正予算まで組んでこの対策を進めてきて、一連のものをやってきたわけでございますが、そういう一つのやはり対策としての方針はこの中に盛っておると思います。が一月から今月にかけての景気は、お話のように好況を示しておる。セメントも足りない、鉄鋼も足りないという国内的な状況も出てきておるのはお話のとおりであります。  そこで、これは、ことしはこの予算の骨格としては、まあ福祉元年というような銘を打って出てきておりますし、福祉関係は、これはますます充実をしていかなければならぬ第一の問題だと思う点については、先生もそうおっしゃられておりましたからあれだと思いますが、もう一つは、俗に言う日本列島の改造をやろうと。過密過疎の問題の解決としてこれはもう根本であるというようなことで、それの関連の一連の法律案等もずっと進めておるのは御承知のとおりであります。  で、ことしの予算も、そういう公共投資、社会資本充実という面の予算がかなり組まれております。  そこで、私が一つお伺いをしたいのは、この公共投資の資金を建設公債という形で公債を出しておるわけで、二兆三千四百億を出しておるわけですが、私はこの制度について、制度というよりも、この問題についていろいろお話、御意見をあちこちでお伺いしますと、これに非常に賛成の方は、もっとやっていいんだと、こういうお説だと思うわけです。それから、国の健全財政という立場から言うと、少し多過ぎるんではないか、も少し引き締めてやるべきではないかという御意見もあります。  で、この点はちょっとお触れにならなかったので、その点をちょっとお伺いしようと思って立ったわけですが、先生はどちらの説をおとりなのか、お伺いをいたします。
  10. 公述人(稲葉秀三君)(稲葉秀三)

    公述人稲葉秀三君) 私が本日皆様方に述べさしていただきました意見を、別の観点から、米田先生のおっしゃったことと関連をして申し上げますと、これから日本はやはり産業構造をどのように改変をしていくか、地域構造をどのように改変していくか、それをやはり五年、十年、二十年かかってやっていくという課題に直面をしており、それから過去におきましても、何とか私たち社会資本充実を、経済安定の中で推進をしたいと思っておりましたけれども、経済拡大をいたしますとどうしても民間設備投資というものが大きくなってまいりますから、自然、予定のように社会資本充実ができない、おくれてしまう。そしてその中にアンバランスが起こると、こういうことになりますと、私は、基本的な配慮といたしましては、社会資本をどのようにうまく進めていくか、こういったようなことがこれからの経済政策の基本的な問題でなければならないと思います。  まあ終戦以来、私はほとんどの政府経済計画に参加をさしていただいた次第でございますけれども、特に最近になって感じますることは、やはりそういった意味の軌道修正をしていかねばならない。環境の問題ということに対する長期的な配慮をしていかねばならぬということが、私たち民族の将来に非常に大きなものだと思います。そこから言えますことは、私は、やはり建設公債的な配慮というものをしていただく、そして、先ほど申し上げましたことをやや具体的に申し上げますと、できれば単年度予算主義ではなくて、社会資本充実につきましては、まあ三年あるいは五年ぐらいのワクをつくっていただいて、そして、やはり弾力的に経済動きと結びつけた配慮をしていただく、ただ、私も、自分の時間の半分ぐらいはガバメントサービスをいたしまして、いろいろな各省の審議会に参加をさしていただいてまあ御協力を申し上げている次第でございますけれども、率直に申しまして、単年度主義をオーバーをしていくと、需要そのものが非常に強いんだから、結局インフレになってしまうおそれがある、それではやはり元も子もなくなるということでございますから、私のリコメンドしたいのは、ほんとうにここで日本を改造していこうというこれであれば、やはり建設公債のワクをつくっていただいて、そしてときには締め、ときには大きくしていくという要素を貫いていただく、やはりそこにも歯どめが必要ではなかろうかと思います。で、ことに最近の経済認識が相当食い違いをいたしましたのは、やはり去年の秋から予想以上に経済活動が上向きまして、そして、ややそれよりも低くなるであろうという民間設備投資が上回ってきた。特に、先ほど私申し上げませんでしたけれども、個人住宅投資というのもいろいろ進んできておるということからいたしまして、民間設備投資が大きくなっていくということでございますから、やはりこの際は繰り延べをしていただいて、そして次の段階においてやっていくという弾力的な配慮をでき得るような仕組みを何とか御考慮していただきたい。したがって、どうもこれからのあり方を考えますと、社会資本の有効利用をどのようにしていくのかというふうなことが、これからの日本のあり方を決定する大きな要素ではなかろうかと、このように思う次第でございます。
  11. 佐藤隆君(佐藤隆)

    ○佐藤隆君 農業問題についてちょっとお尋ねをいたしたいと思いますが、わずか三十分かそこらの時間ですから、おそらくおっしゃりたいこともまだおっしゃらずにということかと思いますが、いま農地法の問題を結びの中でおっしゃいました。農地法の改正、何とかしなければならぬということで、検討政府も進めているようでありますが、いろいろ戦前からずっと長い歴史の中で、零細小農主義、自作農主義というやり方で来て、これを経営規模拡大をいかにするかということになると、いろいろあるでしょうが、一番大事なのは、やはりいま一般土地政策としても問題が提起されておる所有権と利用権、使用権との分離の問題、これを特に農業の場合は相当積極的に織り込んだ形での農地法の改正、過去にはこういう議論をしていくと、小農切り捨てとか、いろいろな議論がございましたが、まあしかし、いまの時代ではそういう議論はもうなくなりつつあるのではないか、そういう意味では、勇敢に、ひとつ農地法の改正の中で、所有権と利用権の分離というものを明確にしていくべきではないか。そして、いまの一般土地政策の中で提起されておるそうした問題にむしろ先鞭をつけて、農業問題の中での農地政策の中でひとつそれを進めていくべきではないか、こういうふうに私は考えるわけでありますけれども、農地法改正必要だとおっしゃいましたが、より具体的にお話を承りたいんですが、時間の都合もございますから、柱としてはやっぱりそんなところかなということなのかどうか、それをひとつお尋ねいたしたい。  それからもう一つ、しいて申し上げたいのでありますが、世界の食糧不足の問題、非常に不安がいろんなムード的にもあるし、実態においても、地域的に見れば国際的にいろんなことがいまいわれておる。もちろん国内では、政府は、食糧の自給体制ということで、安易なコスト計算だけによる国際分業というものは、これはひとつ避けなければならない。しかし、政府部内においても、議論としては国際分業というものを進めるべきであるという議論も一部にはある。しかし、総体的にいえば、これは農業というのは国民に大事な食糧供給するその使命を持っているわけであります。しかも、安定的に供給する使命を持っているわけでありますから、そういう意味においては、安易なコスト計算による国際分業、それを理論だけの点で政策がそれについていくというような形では非常にいけないのではないかと私は考えておりますが、先生は国際分業ということについてお触れになりましたが、時間もなくてちょっと触れられただけなんで、いま私が申し上げた考え方について、どうお考えであるか、一言だけひとつお聞かせいただきたい、これが第二点であります。  そして、それに関連して、いま申し上げた食糧の自給体制ということに関連して、食糧の備蓄問題というものが非常にいま大きく取りざたされております。私は四十三年だか四年の予算委員会関連質問でも備蓄問題を取り上げたことがあるんですが、まあまあということで議論は進まなかったんですが、私はやはりいまの食糧の、たとえば米は計画的には百万トンの繰り越しが即備蓄であるという考え方にはいささか批判的なんです。見通しを言えば、ことしの四十七から四十八米穀年度への繰り越しは三十万トンとかなんとかといわれておりますが、とにかく計画百万トンの繰り越しが即備蓄であるという考え方には私は批判的なんです。そういう考え方を私持っておりますので、いまのような国際的には、あるいは国内的にもいろいろ商品投機まで申し上げますと非常に問題が大きくなりますから、時間もございませんから話はしませんが、備蓄ということについてお触れになりませんでしたが、そのことについて御見解をひとつ、特に食糧、米を中心とする主要食糧だけではなしに、えさ問題についても相当積極的に取り組むべきであると思うので、まあ政府筋ではこれから前向きにやっていくんだという、そういう姿勢はちらほら出始めたという程度でありますが、専門のお立場で、主要食糧並びにえさ、飼料等についての備蓄というものをどう考えておられるか、それをお聞きしたいわけであります。  あと、農村社会等の環境問題、集落問題、触れられましたが、どうも時間がございませんから、その二点をお尋ねいたしたいと思います。
  12. 梶木又三君(梶木又三)

    ○梶木又三君 関連。  いまの農地法の撤廃の問題なんですが、先ほど先生触れられましたが、いまの土地政策、土地問題、いまの状況ですね。それからまた、先ほど三神先生おっしゃいましたが、一戸当たり十六枚も持っておるという農地の、農地自体の物理的な条件ですね、いまの零細な。こういう条件を克服せずに、農地法撤廃を、あるいは改正をいたしますと、さらに農業というものを惨たんたる方向に追い込むんじゃないか。だから、先生のおっしゃいましたように、私も農地法が経営規模の拡大に非常にネックになっておるということは理解できるんですが、条件を、いまの条件の解決のほうが先じゃないだろうか。こいつをやりませんと、むしろ兼業農家とか、あるいは脱落をしていく、また土地もむしろ虫食い状態で売られていく、こういうふうになるんじゃないか。だから、大きくたんぼをつくる、それから土地問題をもっともっと計画したものに解決していく、このほうが農地法の撤廃よりも先のような気がするんですが、その点につきまして、まあ同じ質問ではありますが、関連してお伺いしたい。
  13. 公述人(三神茂君)(三神茂)

    公述人三神茂君) 御質問の趣旨、方向に全く同感でございます。  まず、第一点のお話は、まさに関連でお尋ねございましたとおりに、やはり農地政策全体の中でバランスのとれたいわゆる経営拡大のための施策を講ずべきだということ、同感でございます。そこで、たとえば具体的にいかような手段が幾つか考えられるかということを個条書き的に申しますと、一つは、おそらく所有、経営の分離ということになりますと、賃借料というところに焦点がしぼられる。その小作料水準というものは、なかなか相対で格差がございましょうし、できにくかろうと存じます。しかし、その点の小作料水準の貸し手、借り手との調整ということは、それだけを取り出します場合にははなはだ困難ではありましょうけれども、それも、より広い農地法の立場で、たとえば今日の農振法というような、いわゆる領土宣言といわれる農業地域の線引きがございます。これはしかしほんの概略が示されておるだけで、そこに、いかほどの生産力を、どういう主体が、どのような計画で分担、温存すべきかというような一つの、国に当然生産目標といわれるものも一応の試案がございまするし、地域の分担使用も示されておりますので、そういうものの中で、もう少しく農用地というものの公共性を重視する。今日、基盤整備事業というものについては、国、府県、あるいは団体ということになりますると、相当額の公的資金によってそれが調製をされておる、基盤整備事業が行なわれておるわけでございますから、それらと含めまして、おのずからそこに形づくられる、生産力に対応し得るようなそういう投資と、それに伴うところの小作料水準との関連ですね、そういうものを考慮しつつ農地法の改正を考えていく。  で、いまございました、その零細地辺を一挙的にそれを拡大するということがむしろ混乱を招く、あるいは都市政策の逆行というお考え、そのとおりでございましょうし、かつて三十九年以来、土地改良の十カ年計画というものがあり、さらに昨年秋以降、さらにこれを改定されて十カ年計画というものがある。しかし、これに対する用の投資額も相当に巨額なもの、十年間に十三兆田というような巨額なものが計上され、これ自身は前進ではございましょうが、いかにしても十年というタイミングは非常に長きに失しはしまいか。おのずからそれをいたしまするについて、その進度というものには法律制度と一体的な進み方というものがあるのではなかろうか。まずもって私申し上げたかったことは、やはりその日本の現行秩序、いわゆる体制というものに自己開発的な一つのアプローチが、生産者、個人、団体がまずもって必要であり、それなくして国が何かを行なうということになりますれば、それは権力統制ということになりかねないのではなかろうか。まず、農用地の所有者、生産者がそういう一つの発議をしていただきたい。加うるに、政策で誘導をしていただきたいと、こういうふうな趣旨でございます。  備蓄問題につきましては、先般FAOの事務局長のパーマさんという方が政府当局にその備蓄身要請されてきた。そのとき私はお目にかかりましてお尋ねをしたのでございますが、それは日本国民負担でやるのか、備蓄と海外協力というものは国民負担でやるのか、こうお尋ねをしたときに、それは国際的なひとつ機関の中で、受益国と援助提供国とが十分に話し合いをし、一定の機関というものを通じてそれは行なう手段があると、こういう話がございました。えさ、その他を含めての備蓄ということについて、六百万ヘクタールの有効利用というものはなかなか困難であり、今日おおよそ一千万トンのえさが輸入されているとすれば、そのえさ面積は主としてアメリカによっておるというような形になりまするので、なかなか一定のそれは備蓄なり、あるいは生産力の増強と申しましても限度があろうかと、こういうことを感ずるわけでございますが、いずれにせよ、その備蓄問題の当面問題点となっておりますのは、その負担をどこがするかということで一つはあろうかと、備蓄に伴いまするところの財政負担というものをどういう形でそれをするのかという点が、一つの問題点ではなかろうかということを感じておるわけでございます。
  14. 佐藤隆君(佐藤隆)

    ○佐藤隆君 国際分業とのかね合いでそれができるのですか、国際分業とのかね合いで。
  15. 公述人(三神茂君)(三神茂)

    公述人三神茂君) 当然、とりわけアジア諸地域との交流関係については、もっぱら援助を提供する、ものをやる、生産力の余剰部分で協力するというだけでなしに、逆に開発輸入という方式があろうかと存じます。ただ、その開発輸入をいたしますについては、現地のいわゆる農産物市場というものとの調整の中で、やはり日本の負担すべきものを負担し、開発すべきものを開発するというような形で、それぞれの他国問との利害調整の上で、一定の計画に基づいてやっていくということが必要になるのではなかろうか。はなはだ抽象的でございますけれども……。
  16. 森中守義君(森中守義)

    ○森中守義君 三神参考人に二、三点お尋ねします。  ここ数年というよりも、かなり長期にわたって、わが国の一次産業がはたして独自性を持っているかどうか、あるいは持たされているかどうか、これが一つの問題だと私は思っております。むしろ、私は全く独自性はない。むしろ二次産業によって、その補完部門あるいは補完産業、少なくても強烈なる抑制を受けている。こういうことについては、一体どういったようにお考えなのかということが第一点であります。  それと、先ほど、国際的にも確かに食糧事情は不安定である、こういう御指摘でしたが、FAOの発表等によってもそのことを否定いたしません。そこで、昨年でしたか、アメリカあるいはカナダでは、在来の生産性をもっと高めにやならぬということで増産に踏み切った。そういう状態の中から、日本の場合にもそろそろ五十年の初期段階には、おそらく赤ランプがつくであろう。そこで再び増産体制に切りかえなくちゃならぬという意見もそろそろ出始めたようでありますが、問題は、先ほど御指摘のように、農業基本法による長期需給見通しというものが、中間においてしばしば見直されておる。これは、一体、見通しを正確に農林省が持っていながら、客観情勢というものが、持ないような情勢に私は追い込められたんじゃないか、こういう見方をするんですが、これについてどうお考えなのか。  それと、先ほど、決してそういう意味じゃなかったと思うのですが、与えられた課題の一つとして、農地法をどうにか直さなくちゃならぬ、こういう御指摘がありました。私は、今日の日本農業の零細化あるいは低収益性、こういうものが農地法の制約にあると思っていない。したがって、農地法問題になると、いま少し私どもとしては慎重に扱う必要がある。むしろ、農地法の前に何かやることがある。その何かというものが、いま手抜きになっておるのですね。むろん数多い今日の関係諸法、こういうものを、正確に作動しているかどうか、これを見直す必要があるのじゃないか、農地法の前に。たとえば、制度金融がおおむね十六種類ぐらいあります。この制度金融をいま少し集約化する。少なくとも、自作農創設維持資金におおむね準じた制度金融に改善をしていくならば、いま少し農業というものは変わってくるのじゃないかということを考えておるのですが、この制度金融についてはどういうお考えなのか。  それと、いま一つ価格の決定権だと。他の二次産業の製品等が、すべからく生産者によって価格が決定をされながら、ひとり一次産品に限っては、ほとんどと言っていいくらいに価格の決定権が生産者にない。むろん主食にしても、雑穀にしましても、あらゆるものが他の人の手によって価格の決定が行なわれる。よって、価格の決定権を生産者みずからの手に私は保持させる必要がある、こういう見解を持つのですが、この点についてはどうなのか。  それと、最近どこへ行きましてもしきりに指摘をされるのは、非常に生産費が高い。農機具、農薬、肥料、少なくとも省力化の時代ですから、これはもう絶対必要です。ところが、農業収益に目をくれないで、いたずらに商業ベースでそれらのすべての生産財が決定をされる。むしろ、こういうことからいくならば、生産費の抑制ということが、何かの方法で、相なるべくは立法手段において抑制の方向に向かうべきだと思うのですが、どうですか。  それと、最後に、これから流動する経済情勢の中で過疎問題がはたして歯どめになるのか、あるいは都市に集中した農村人口というものが還流の方向に向かう可能性があるかどうか、この辺の見通しはどのようにお考えでしょうか。  以上、数点をお尋ねをいたします。
  17. 公述人(三神茂君)(三神茂)

    公述人三神茂君) 第一点について、政府農産物長期需給見通しというものが、これはむしろこの見通しそのものがいささか抑制的に作成をされたのではなかろうかと、こういうお話ですか。——  なかなかこの見通しそのものが、そのときどきの経済情勢を十二分に予見をして的確であるかないか、なかなかお役所の作業に私どもそんたくが下し得ませんけれども、私自身のたとえば米についての需給バランスいかがかと、こういう感想を申し上げますと、いわゆる三十年代ということばがございまして、三十年以降、戦前を回復し、いわゆるその千二百五十万トンという生産量を、およそ当時の三百六十万ヘクタールの水田面積から得ておるということがございます。以降、連年の豊作が続き、そして三十七年には千三百万トンをこえる、四十二年に至りまして千四百万トンをこえる、こういう一つのの推移を経てきておる。  一方、その消費量はどうかと申しますと、まず三十八年より四十年までは、食糧の需給表によりまするというと、終始単年度絶対的不足と、こういう形になっておる。おおよそ五年ないし十年、あるいは二十年を経まして、千二百万トン台が三百万トン台、四百万トン台に至りまするについては、それぞれ技術の飛躍的な、たとえば早植え、台風を避けまするところの早刈りというような技術、あるいはその他薬剤、さらには三十五年以降になりまするというと、水の管理、基盤整備の増収効果というようなものがようやくその発現をして、実力千四百万トン程度になっておると、こういうふうに過去の実勢を見て理解をするわけでございます。したがって、三十六年に制定をされた基本法当時、その見通しの中では、つまり三十七年以降の見通しの中では、まずまず向後十カ年およそ一〇%程度の増収があれば、それで米は足るというふうな見通しであったかと存じまするけれども、三十八、九、四十年は緊急輸入、三十九年百万トン、四十年なお五十万トン弱、配給米用として近辺の諸国から輸入をするというようなこともございました。これらを含めて、私どもは、四十年に至りますまで米は絶対的に不足であり、四十年以降、その潜在能力が千四百万トン前後にほぼ達しておると、かように考えるわけでございます。  したがって、たとえば今日行なわれておる生産調整について幾つかの議論を私ども伺っております。しかし、千四百万トン台の米の実力は、その国内需要を相当程度上回るものについて、これを備蓄とすると、そうして国際間における需給の備蓄とするというような新たな観点の、すなわち農業政策のらちを越えた、より高いレベルの観点が出てまいりますれば、これは別でございますけれども、外交政策であるか、その他の財政政策も伴う国全体の政策であるかないかというような観点に立てば別でございまするけれども、当面の状況の中では、やはり能力として、これは過剰であるというふうに私どもは理解をいたしております。で、この過剰であるということは、一方ではつまり消費者需要の変化、消費者の食糧需要構造の変化ということをあわせ考えるということでございますので、たとえば今日国民一人当たりが二千四百七十七カロリーというようなことになっておるようでございますが、その中で、主として所得の増加に伴って国民がより多く必要とするものは、むしろ、でん粉たん白でありまするよりも動物性たん白であろうと、畜産あるいは魚介類といわれるところにより高い嗜好が出てくるであろう。また、そういう方向が実は先進国型であろうということで、おのずから日本人の食生活の一つの慣習というものはございますでしょうけれども、なお今日食生活全体が相当程度水準にあると私ども実感をしておりますので、そういうところから考えまするというと、向後およそ五年ないし十年前後の食生活の動向は、いわゆるでん粉たん白から動物たん白へというような形で、総体的に米の消費量の停滞低下というようなことがあり得るのではないか、かように考えるわけであります。  農民の価格交渉力ははなはだ薄弱ではないかと、こういうようなお話がございました。これは私ども、まさにそれはそのとおりのように理解をいたしますけれども、今日ただ、これはお答えには必ずしもならぬと思いまするけれども、およそ二十数万の農業生産者は、代表者を持っている、全国の代表機関を持っている。そこでは十二分の経済事業が——十二分というとやや語弊があるかもしれませんけれども、と申しますのは、相当の資金力を持っている、全国に相当のネットを持っている、そして日々活動をしておる機関がございます。こういう機関が今日のいわゆる経済社会の中でもっと、何と申しますか、そういう価格機能に参与する機会なりがあり得るのではないか、そういう感触を持っております。そして、これらはつまり国によりまするところの価格政策ということの以前に、もっともっと価格形成のための農民のヘゲモニー、支配力というものを有利にする方向があるのではなかろうか。単に私は、これは今日の個別経営の個々の販売ということ、その延長で申し上げておるということではないのでございまして、やはり今日以降のいわゆる産業組織としての農業生産経営組織というものを前提に考えまする場合には、これはおのずから別途の農産物価格のさまざまな機能農業生産者側の働きかけ、アプローチというようなものがあり得るのではないか。これはまた少々どうも抽象的なお答えになりまするが、一定の経営組織と一定の生産組織、あるいはそれがさらに加工流通にまで発展をして、そこにおのずから応分の経済過程の中での付加価値を農業生産者の側におさめるということがあり得るのではないか、そういう方向につまり今後の農業全体が動いていってほしいものだということを考えるわけでございます。  Uターン現象について。山村振興の審議会のお仲間入りをして、およそ十年になりまするが、たくさんの時間もございませんけれども、やはり農山村の、一つには、大部分その産業資源というものは森林でございましょう。まず、産業の開発さるべき資源というものがもし潜在をしておる、あるいは死蔵されておるなら、それは十二分に開発をすべきであるし、それがどうもまだ行なわれておらぬ、そしてそういう地域の産業資源の開発を伴わないところには、なかなかUターン現象はあり得ないだろう。レジャータウンをつくるとか、あるいはその他、国民のための休養地域を設定するとか、あるいは道路網を整備して工場を誘致するとかいうようなことが幾つか断片的にございましても、基本的に農山村部分は、その緑野、牧野というようなものに、いささかでもその経済能力を開発していくということがまず必要なのではなかろうか、そのためには、なすべきことはまだまだ数多くあるという感じを持っております。地域地域の産業開発がまず前提にあって、そこに住民定着の機会が生じてくるのではなかろうか、そういう考え方を持ちます。で、あまり時間がございませんので、はしょって申しわけございませんけれども、たとえば先ほど来、農用地の所有、経営の分離ということがございましたが、切るべき木があるなら、そこは切り得るような状況というものが出てくるということは、やはり大きな一つの眼目ではないかという感じがいたします。
  18. 森中守義君(森中守義)

    ○森中守義君 制度金融。
  19. 公述人(三神茂君)(三神茂)

    公述人三神茂君) どうも農用地を金融によって、売買というような形で経営拡大をし、それが今日の二町農家が四町農家になるということだけでは、それは長期的な発展のエネルギーにはなかなかなりかねるのではなかろうか。やはりそれは一般の企業がそうでございますように、他人の金を借り、他人の土地を借り、かつはまた他人の労力を雇いというような、そういう一つの組み合わせ、組織というものの前提の中で、それが融資であるか、あるいはその融資の条件であるかということが議論になるのではなかろうか。いささかまた話題を少し根本的なところへ戻すわけでございますが、どうも私どもには、当然そういう規模拡大のための諸制度、諸施策というものがございまするけれども、前提には、やはり個別経営、過小農経営というものに対する一つの基盤が、反省というものが土台にならぬと、なかなかものごとは発展しにくいのではなかろうか、こういう感じを持っております。
  20. 西村尚治君(西村尚治)

    ○西村尚治君 もう時間ですから、やめますか。
  21. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) では簡単に願います。
  22. 西村尚治君(西村尚治)

    ○西村尚治君 せっかくの機会ですから、ちょっと質問させてください。  稲葉先生に一つだけお尋ねいたしたいと思います、時間がありませんようですが。  お話しのように、昨年秋以来、景気の回復も非常に好調に進んでおりまして、いまや過熱ぎみである。ですから、四十八年度予算の執行にあたっては公共投資の執行はできるだけ延ばして下期に繰り延べる、こういうお話はよくわかるわけでありますが、前段にございました、この下期には景気鎮静化するというお話、これはおそらく、いま日銀、政府がとっております金融引き締めの効果、さらには、四月には公定歩合の引き上げもあるだろう、こういう一連の金融政策効果をそのころにはあらわしてくるであろう、さらに、切り上げの問題もそのときには結果としてあらわれてくるであろう、そういうようなことからおっしゃったものと理解してよろしいものかどうですか。そこら辺の御説明がなかったものですから、その辺を、できましたら、ちょっと解明していただいて、もう一つ、それから、いま日本経済にとりまして何と申しましても最大の急務は、インフレの本格化を未然に防止することだと思うわけでございますが、これにはどういう的確なきめ手があるものか。数兆円にのぼる——銀行によりますれば七兆五千億もあるといわれるような過剰流動性の吸い上げ、これはもちろん大事でございますが、それから財政インフレ化の伸長に手心を加える、こういうことも大事だと思いますけれども、輸入インフレの影響というものは非常に大きいように思われる。そのほかいろんなことを考えまして、この際インフレマインドというものを弱めて、インフレの本格化を食いとめる有効な的確な手段としてはどういうことが考えられるものか、せっかくの機会でございますので、時間がありませんので、一つだけ。
  23. 公述人(稲葉秀三君)(稲葉秀三)

    公述人稲葉秀三君) 下期におきまして鎮静をするということを申し上げましたが、その原因は、いま先生のおっしゃったところとほぼ一致をするわけであります。ただ、ここで私たちが考えていかねばならぬ問題がございます。  その一つは、実は国際的な卸売り物価は六ないし八%ぐらい上昇しております。つまり、世界的にインフレというのはどうも当分進んでいかざるを得ない。ですから、日本物価が上がらないということは、それに越したことはないんですけれども、そういたしますと、よほど強いデフレ政策というものを実行するという決意でなければいけないし、また世界も、これから今度の通貨の相談だとか、あまりにもインフレが世界じゅうに、びまんしているんで、何とかしなくちゃならぬということはございますけれども、それに対しまして日本物価安定政策というものをシビアに適用いたしますと、経済を縮小していかねばならぬばかりか、毎年五、六%ずつ切り上げをしていかねばならぬということになります。  そこで、輸入インフレの問題でございますけれども、ぜひひとつ先生方に御勘案を願いたいということは、私は、今回の切り上げというのは定着化して、二百五十五円ないし二百六十円ぐらいのところに、どうもほぼ落ちつきそうに思っております。現在はそれよりはやや安いですけれども、そういう形になるでございましょう。もっと極端な議論は、二百円になってしまうとか百八十円になってしまうとかいう議論も出ておりますけれども、少なくとも当分、半年とか十カ月という期間をもとにいたしますと、私の頭の中では、まあ二百五十五円か二百六十円ぐらいにほぼ定着化してきて、そして、それをもとにして固定相場制に日本は移っていかざるを得ないのではなかろうかと、こういうふうに思うわけでございますが、実は、前回の、つまり一昨年の暮れの円の切り上げの場合と今回の切り上げの場合とは、自後に与える経済動きというものが違うのではなかろうかというのが私の見方でございます。しかし、いま経済学者や評論家の意見二つに分かれておりまして、日本はもっと強い国だから、どんどんどんどんやはり経済はなお伸びていく、だから、下期にやや伸びが鈍化するどころか、かえって下期以降また、だんだん上がっていく、つまり、前回の影響のあとのように日本経済がなっていくのではなかろうかという見方も実は半分ぐらいございます。それに対して私が、どうも今回の場合は注意を要する、こういうふうに申し上げているゆえんのものは、端的に申しますと、円のさらに切り上げにもかかわらず、卸売り物価は当分それほど下がっていかないだろう。つまり日本は、いままでは消費者物価は上がるけれども卸売り物価はあまり上がらない、それが一つ日本の型でございましたけれども、どうも諸般の事情を考慮いたしますと、今度は賃上げも相当大幅にならざるを得ない。それからさらに、どうも三月に入りましても卸売り物価はより強いし、四月になってもそういうことだと考えますと、どうも国際物価並みの卸売り物価上昇、場合によってはそれを上回る上昇ということになりますと、前回の場合は、その前の段階で、もう輸出は三分の一ぐらい減るし、中小企業は全滅するかもしれないといったような恐怖感があったのですが、それがなくなったこともございまして、まあ二百五十円か六十円になったらたいしたことはないだろう、ややマイナスの程度だろうという認識がありますけれども、どうも私はそういうふうにはなりにくいということをつけ加えまして、半年たったらまたもとの正常軌道にあがると考えるのではなくて、相当ここはむずかしい試練の時期に日本は来ているというふうに考え、それに対しまして、当面は国際物価以上に日本卸売り物価は上げないとか、若干下目に持っていく、そういうのが第一目標。その次は、もっと消費者物価卸売り物価を上がらないようにするにはどうするかということを考えていかねばならない、実行していかねばならぬときがある。それをルーズにやりますと、どうも外国並みのインフレというのが日本に定着化していく、しかも日本は、どうも何でもそういう波及効果が強いですから、外国以上のインフレに入ってしまうということすらやはり考えねばならぬときが来ておるのではなかろうかと思う次第でございます。  それからいま一つ、実はこれからの経済のあり方と関連をいたしまして、過般、二月の初めに、昭和四十八年から五十二年までの日本経済中期計画をまとめる仕事が行なわれました。それで、私はそれの産業委員長を仰せつかりましたし、また、その前の段階で、経済発展と環境の関係をどのようにこれから考えるべきかということにつきまして、日本の各界の専門家の方々とか、それから実際の産業人、労働界の代表者の方々もお入り願いまして、環境研究委員会というものを半年ばかり開かしていただきまして、それで、諸般の事情を考慮をいたし、そして急速に、日本列島改造構想と関連をして、向こう五年間の経済発展の路線づくりをするという仕事に参加をさしていただいたんですが、実は結論が出なかったんでございますけれども、これからの日本を、福祉だとか社会資本充実というものも考えていかねばならぬということを前提とした場合、さらに国際的ないろいろなつながりを前提とした場合、ほぼどのくらいの速度伸びたらよいだろうか、こういうことについていろいろ多元的な検討が行なわれました。そして、大体私どもの到達した結論は、当分の五年間ぐらいは九%ぐらいがよいのじゃなかろうかというふうになったんでございますが、諸般の関係もございまして、昭和四十八年度については実質一〇・七%という目標がとられ、しかも、先ほど私が申し上げました過程で、さらに大きな実績見込み推移をするということになります。ただ、それじゃ一年は一二%であっても、その次にまた八%になるとかいう形になったら、今度は九%は達成されるのだろうというふうに思われる方もございますけれども、どうも私はそのようなものではなかろうと思います。  したがって、今度は、やはり安定成長を考えながら、新しい環境づくりを日本でしていこう、しかも、エネルギー問題が実は非常に深刻でございまして、いまのままで参りますと、おそらく三年か五年たちますと、経済国民生活をささえていくエネルギーも、いまどうなるかわらぬといったような情勢になっているときに、ここでインフレを加速をしたり、経済を大きく発展するということは、案外早い時期に反動を私たちはこうむるという可能性がなきにしもあらずと、こういうふうに考えますと、やはり先ほども私申し上げましたように、ここは、単年度財政というのはなかなか修正できないんですけれども、やや長期的な含みで、どういうふうに財政バランスをしていくのか、そして、やはり一番国民が望んでおるのは福祉でございますから、福祉だけは既定の路線をして、そして、あと経済に及ぼす影響の大きな社会資本充実は、民間と並びながら財政的なことをやっていく。そしてその中で、環境整備、交通、そういうところへ重点的な社会投資をしていく、そして次にあらわれてくる波及効果を待つ、こういうところへどうも事態展開をしていかねばならぬと考えますと、やや経済の姿勢は高過ぎるし、それがどうもインフレの問題や、先の問題に対する影響が心配になるというのが、私の過去の経験に基づきまする感触でございます。(拍手
  24. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) それでは、この程度で午前の質疑は終わらせていただきます。  両公述人には、長時間にわたりまして貴重な御意見を伺わせていただき、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。(拍手)  午後一時半まで休憩いたします。    午後零時十五分休憩      —————・—————    午後一時三十八分開会
  25. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) ただいまから予算委員公会聴会を再開いたします。  この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙にもかかわりませず本委員会のために御出席をわずらわせまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  それでは、議事の進め方につきまして申し上げますが、お手元にお配りいたしました名簿の順に、お一人三十分以内の御意見をお述べいただきたいと存じます。委員の皆さんから御質疑がありまする場合は、お答えをお願いいたしたいと存じます。  それでは大山公述人お願いいたしたいと存じます。(拍手
  26. 公述人(大山綱隆君)(大山綱隆)

    公述人(大山綱隆君) それでは、潜越ながら、私の意見を陳述させていただきます。  私が新聞報道などで知り得たところによりますと、本予算案政策目標は次のようになると思います。  第一は、高度成長主義を捨てて、福祉指向型経済に構造の変革をはかる。また、この目的を達するため、私企業主導型経済から財政主導型経済に転換する。第二は、貿易収支の均衡化をはかる。そのうちの一つは、内需振興、景気浮揚の大型予算編成し、財源を公債に求める。それから、船出振興政策を捨てて、税制面等で輸出助成策を廃止する。それから輸入自由化・資本の自由化、海外協力・海外投資等がおもな政策目標であるかのように私は思っております。次に福祉重点政策。これには、予算案によりますといろいろありますが、日本列島改造だとか、あるいは住宅政策、老人福祉問題、こういうようなものが非常に重点を置かれているように思われます。その次が物価安定。  これらの政策がこの予算編成の方針の柱になっていると、こう私は考えますので、まことにけっこうずくめの案で、これらの政策を織り込んだ予算案は、一見しますと非の打ちどろがないように思われますので、私は本予算案に賛成であります。一日も早く本予算案が成立しまして、わが国の当面するきわめて困難な諸問題の改善に当たられたいと願っておる次第であります。  本予算案の欠点として一般に言われていることは、巨額の公債を財源として大型予算を組んだ、これはインフレ刺激的であるということであります。私は、この考え方には反対でありまして、公債は、日銀引き受けによった場合には、これは当然インフレを起こすでしょう。しかし、市中消化による限りインフレ要因にはならないものと考えておるのであります。それで、当面する重要政策がたくさんあるにかかわらず、公債発行限度を二兆三千億円ですか、財政法第四条のワクに縛られた。これは予算当局が古典的な健全財政思想にとらわれ過ぎておるのじゃないか、こういうふうに思って、少しく不満に思う次第であります。  次に、本予算案に不満な点を申し上げます。  第一に、従来の基幹産業傾斜の高度成長経済から福祉重点の経済構造に変革する、輸出依存型産業構造から内需指向の経済構造に変革する、こういう目標は当然やるべきことであって、正しいと思います。国民福祉に奉仕しない経済成長は全然意味がありません。  次に、貿易収支均衡政策でありますが、政府は当初、円切り上げ絶対回避ということをにしきの御旗として掲げておりました。私は、政府がこれを本気で思っておったとは信じておりません。われわれ民間の人間からすれば、円切り上げは回避できないんだと、もう去年の夏ごろからすでに、ただ時期の問題だけで、そうだと思っておりましたので、政府がそう思っておったとは思いません。しかし、この為替レートに関する限りは、政府はうそを言ってよいということに世界的になっておりますので、この点はとがめだてする必要はないと思います。  福祉国家への政策転換と貿易収支均衡政策、これは表裏一体で、福祉国家への政策転換がなければ貿易収支の均衡は達成されない、こう思います。これは表裏一体の関係にあります。  十年後のわが国のグロス・ナショナル・プロダクトがアメリカを凌駕するだとか、あるいは石油消費量が何十億トンに達するのだのというような景気のいい話は、わが国の高度成長が今日のペースを維持することが可能とするなら、それを仮定するなら、あるいはそうなるかもしれません。しかし、このような考えが、とうてい、国際協調でやっていかなけりゃならないアメリカないしはEC諸国等と、衝突なしに実現するものとは考えられないのじゃないかと思います。今日の先進諸国に、恐怖感を与えないまでも、一種の警戒心を与えるようなこんな考え方は、当然捨てるべきであると思います。アメリカとEC民族の間の感情というものは近親感が相当あると思います。しかし、アメリカ及びEC諸国民日本との感情となると、これはまた同じじゃない。この点について深く考えなけりゃならない。そうしますというと、わが国が国際社会に生き残るためには、輸出重点主義政策じゃいけないので、福祉国家建設のための転換と貿易収支の均衡達成ということは、わが国の最重要の国策であると思います。  貿易収支の黒字への転換の原因はいろいろありますでしょうが、二〇%をこえるわが国の国民貯蓄性向も一つの原因と思います。ある時期においては粗投資率が三〇%、四〇%というような高率で高度成長が行なわれております。このような設備投資中心の高度成長というものが、いつかは需要と供給との不均衡に到着するということは目に見えたことでありまして、もう知らず知らずのうちに輸出依存型の経済が定着してしまったのじゃないかと思います。昔は、景気拡大が度を過ぎますというと、外貨が足りなくなって、それで緊縮政策ということになりましたが、現在においては外貨がたまり過ぎて困っておる。この外貨がたまり過ぎた高度成長のメリットというものが、国民経済の目的であるべき庶民大衆の福祉に奉仕しないことにはこれは意味がない。それが、ほんのわずかしか国民大衆の福祉に回っておらない。大部分は大企業の利益に帰するような民間の企業設備投資に回ってしまったということが、間違いではないかと思います。もちろん、ある程度の貿易収支の黒字は、赤字よりはましで、必要と思います。消費は美徳と言う人がありますけれども、貯蓄も重要なのであります。しかし、福祉指向型の経済構造を達成するのには、何と言うても、もう少し貯蓄性向を適度のところまで下げていかなきゃならぬのじゃないかと思います。  それから、輸出がこんなに盛んになった原因の一つには、輸出物価の国際比価の低廉があると思います。アメリカやEC諸国が物価騰貴に悩んでいるに反しまして、わが国の卸売り物価が、最近の一年を除いて過去十年間ほとんど上がらなかったということは、設備投資による規模の利益の享受と合理化投資、技術、イノベーションといいますか、これの労働生産性の向上に原因があると思います。一方において、企業は減価償却に対する税法上の優遇を受けておりまして、実際上の生産設備の減価以上のスピードでもって減価償却が可能なような税制になっておると私は考えるのであります。したがいまして、企業会計上の計算ではりっぱな黒字輸出であっても、生産設備の再生産費から計算すると、実質は赤字輸出である場合もあるのではないか。  それと、もう一つは公害ダンピングであります。企業が当然負担しなければならない企業の公害防止に対していままでその設備を怠って、それで生産費が低廉で済んだと、この面があるのじゃないかと思います。減価償却の点などは税制面下検討を要するのじゃないかと私は考えております。  わが国の国民貯蓄性向がたいへん高い、これは家族制度の急速な崩壊と社会保障制度のはなはだ貧困による生活不安定、特に老後生活の不安定が最大の原因と私は考えます。働いている間でも、今日、医療費が相当高くなっておりますので、家族の五〇%自己負担——今度は七〇%ぐらいになるそうですけれども、これははなはだきびしいので、私の知っている範囲では、まだ入院している必要があるのに早く退院しちゃったというような例もしばしば聞いております。それにも増して、老後の問題になりますというと、はなはだ心細い。したがって、老後のために金をためなくちゃならない、こういう考え方が国民一般に広がっておりますことが、国民貯蓄性向が非常に高いという一つの理由ではないかと思います。国民福祉の向上、特に老人対策としましては、いろいろ前生度比五〇%増とか六〇%増とかという思い切った予算をつけていただいたように思います。しかし、これはもとが小さいので、増加のパーセントが大きいからというてそう喜んでばかりはおられません。  それから厚生年金とか国民年金とかと、こういうものと性質は同じものであると思いますが、因給費です。恩給費が前年比一三%余りの増加と、こういうようなふうになっておりますが、これは私のことを申し上げて恐縮ですけれども、かつては高級官僚といわたれことがあるわけなんです。その高級官僚の手取りの恩給が月三万何千円なんです。現在、係長にもなっていない下級官僚下も、長くつとめれば三万円をこえる恩給をもらっております。この三万何千円という金では、とうてい健康にして文化的な生活を維持はできない。去年、私、勲章をいただきましたけれども、勲章の栄誉に相当するような社会生活はとうていできない。まあようやっと露命をつなぐ程度の恩給でしかないわけであります。こういう点で、この予算案には相当の不満を持っております。  次に、公債政策はインフレ的かどうか。結局、社会資本充実とか社会保障充実とかいいましても、それが十分いかなかったのは、結局、インフレになっちゃ困る、それで財政法第四条のワクに縛っておこうと、こういう考え方から来たんじゃないかと思いますが、それじゃ公債がインフレ的なのかどうかということを考えますと、現在のわが国の当面している事態は、われわれが一度も経験したことのない新しい事態であります。これについて旧来の考え方のワクでものを考えたのじゃ十分のことはできない、当然発想の転換があってしかるべきものと私は考えるのであります。公債は、日銀引き受けによって紙幣が増発されるという場合には、それはインフレ的だろうと思います。しかし、市中消化に関する限りは、これは現在の過剰流動性の資金を吸収するのでありまして、インフレにはならないのであります。もちろん、公債によって得た資金が公共事業の資金として実働する限りは、内需の拡大によって物価に影響を与えることは避けることはできないと思います。しかし、これはもともと市中にあった過剰流動性の資金を引き揚げただけだから、公債そのものとしてはインフレに中立的だと考えていいのじゃないかと私は思うのであります。  大型予算の第一の目標は、私は、貿易収支改善のための景気の浮揚であると思います。したがって、ある程度物価上昇は、大型予算編成そのものの企図した政策目標の一つであったはずなんです。昭和四十四年以来の引き締めによって不当に生産品の価格が低く押えられた、不景気で企業が困っておった、これが、値段がこの政策によって多少上がったからというて、これをインフレ的だとして言うのは少しあわて過ぎじゃないかと、こういうように思います。したがいまして、ここで引き締めによる総需要の抑制政策をとるならば、輸出圧力はますます増大して、実力以上の円価切り上げを迫られることになるのじゃないかと、それを私はおそれます。そうなりますというと、縮小均衡におちいって、中小企業の壊滅的打撃、これが社会不安の激発という結果になるのじゃないかと思うのであります。  日銀は、景気過熱の徴候がはっきりしたから、総需要の縮小をはかる必要があると言うておりますが、現在過大な輸出超過があって、つまり、言いかえますと、内需を超過するところの膨大な供給力が現在国内に存在するのです。それで需要インフレなんかあるはずはないと思います。ですから、需要インフレを押えるための総需要の縮小政策なんというのは、大体間違っているのじゃないかと思います。  例を鉄鋼にとってみますというと、これは前年の輸出実績に対して何%かの増加を認めたのが貿易管理令による統制であります。この貿易管理令をもう少し活用しまして、国内の需要に鉄鋼の生産が間に合わないならば、鉄鋼の輸出をもう少し押えたらいいのじゃないか。これはまあ鉄鋼だけの話じゃない、すべての物資についてそういうことが言えるのじゃないかと思います。大体、新聞に伝えられるような貿易管理令の運用状況というものは、これが伝えられるとおりとすれば、ちょっと甘過ぎるのじゃないかと私は考えております。  それから綿花が上がった、あるいは大豆が上がった、あるいは石油が上がったと、こういうようなのは、輸入インフレなんです。つまり、輸入インフレは海外に原因があるのだから、引き締めによって、つまり総需要の抑制によってこの輸入インフレは防止できないのじゃないかと私は考えるのであります。  そうしますというと、結局、公債発行をしてもインフレにならないのだから、もう一兆円ぐらい予算の幅を大きくしてもよかったのじゃないか、これで列島改造とか、そのほか重要政策にもっと振り向けてよかったのじゃないかと考えるのであります。  それから福祉重点政策でありますが、減税と租税の合理化ということを予算に見込まれております。これはけっこうでありますが、やっぱりこれも歳入のワクに縛られて、ちょっと額が小さ過ぎるのじゃないかと、こう思います。五千億円ぐらいの減税はやってもらいたかったと、こう思うのであります。  それから所得減税のかわり財源を間接税に求めるというようなことが新聞に出ておりました。どうなっているか私はわからぬのでありますが、これは間違っていると思います。なぜかと言えば、使った品物に対する税率は日本国民だれでも同じですけれども、各人の所得対税負担の比率ということになりますというと、間接税は低所得者ほど税率が高くなるわけです。これは福祉重点の政策には逆行するのじゃないかと思います。  それから社会資本充実でありますが、日本列島の改造、これの根幹となっているところの過大都市の防止だとか、産業の立地を適当にきめるというようなことは、もう古く第二次大戦以前から識者の間に言われておったことで、今日始まったことじゃない。だから、こんなにどうにもならなくなってから日本列島改造を言い出すのじゃ、ちょっとおそきに失したとは思いますが、いまからでもおそくはない。これは非常な困難を伴うと思いますが、ぜひ勇敢に取り組んで、まあちょっとぐらい票が減ってもいいというぐらいの考え方で勇敢に取り組んでいただきたいものだと私は念願しております。  それから生活環境施設の充実、これも下水道に千五百五十億円、これが五七・七%の増加、ごみ処理が四百八十八億円で七一%の増加、公園施設が二百二十億円で七六%の増加と、これは増加のパーセントをとってみると、はなはだ大きいようで、おおばんふるまいというような記事も載っておりますけれども、実際にどうなんだろうかと私の身近なところで見ますというと、近畿一千万の水がめであるところの琵琶湖の水質は、毎秒毎秒汚染が強まってきているのです。この琵琶湖の水の量というものは、実際上非常にばく大なものであります。もし琵琶湖が汚染してしまって飲み水に使えないという状態になったら、これはどんな手をとっても五十年や百年じゃ改善できないのじゃないか。これは早くやらなきゃいかん。ところで、公害源発生の工場が、琵琶湖の周辺、特に右岸にたくさんできております。どうしても琵琶湖を一周する下水道の布設と下水処理施設の拡充が目下の急務と思います。それがどうも私は寡聞でやっているけれども私が知らないのかもしれませんが、あまり予算に組まれておらぬような感じがしております。  それからそのほか、京都から大阪までの淀川沿岸の各都市の下水道の施設もはなはだ不完備でありまして、下水道施設や浄化装置等も、やってはおりますけれども非常に微々たるものです。大部分の下水はたれ流しと、こういう状態で、こういう寸刻を争うような公害対策というものが、予算のワク、公債発行額のワクに縛られて十分いかなかったということは、私は非常に残念と思います。  それから住宅対策でありますけれども、住宅計策三五%の増加、これは非常にけっこうと思いますが、宅地の供給を目的とする市街化区域の農地の宅地並み課税というのがまだ国会でもたもたしておるというふうに新聞では聞いております。大体、資産税というものは、収益に課するのじゃなくて、資産価値に課するのですから、農業をやっているということだけの目的で農地だけを優遇するというのは、そもそもが不公平なんじゃないか。これは、米の自給とか何とか農地の優先政策のなごりであって、こういうものは再考すべきじゃないか。宅地並み課税は、これも、圧力団体がたくさんあるかもしれませんが、勇敢にやってほしいと思います。  それから交通網の整備予算、これもけっこうと思います。  それから福祉関連投資、老人福祉施設とか身体障害者福祉施設、保育施設等の五二%の増と、こういうのは、増額の割合が大きいという点では非常にありがたいことと思っておりますが、いままでも女優さんが身体障害児の保育に私財をなげうたにゃならぬというような状況下において、総額二百七十六億円というこの関連福祉施設の予算というものは、ちょっと小さ過ぎるのじゃないかと、こういうふうに思います。  それから社会保障充実でありますが、国民貯蓄性向が高過ぎる、こういうことは、特に老後の生活が安定しておらぬということが最大の原因だということは、先ほども申しましたけれども、五万円年金が全部の老人に行き渡るものだったらば、あるいは飢え死にをしないでいい程度の生活は保障されると思いますが、それが受給者は一部にすぎない、大部分は三万円とか二万円とかという額にしかならないと、こういうような話を聞いております。真偽のほどはわかりませんが、こういうことははなはだ不十分ではないかと思います。恩給費の増額、あるいは厚生年金、国民年金の増額、これは本予算案にどうしても増額ができないならば、次の予算にでも、もっともっと大胆にふやしていただきたいと思います。  それから輸出振興政策を捨てて、税制面等の輸出助成策を廃止するという政策も織り込んでおるかに聞いておりますが、これもはなはだけっこうでありますが、まだ漏れがあるのじゃないかという感じがあります。  それから輸入自由化と資本自由化、これは物価対策の上からも非常に有効なんじゃないかと思います。物価対策として一兆三千億円という予算が振り当てられている模様でありますが、これは何に使うのか、われわれの目には実際はわからないのです。しかし、たとえば豚肉の価格調整のための予算なんというものもこれに入っておると思いますが、私どもの感じでは、価格調整というのは、低い価格に押えるように調整するのじゃなくて、ある程度高い価格におさまるように調整しているような感じもしております。この点はもっと大胆に国内産業の被害者を保護する予算をつけて、もっと低く押えるような政策が望ましいんじゃないかと思います。オーストラリアからの牛肉の輸入のワクをたいへんふやしてもらったので、私、ときどき大阪の三越に行って買いますけれども、これは消費者連盟がやっておる。おそく行くと、もう売り切れです。で、この牛肉の輸入ワクを拡大しても、大部分は業者のほうに回っちゃって、消費者のほうには直接回らない、こういうような状況じゃないかと思います。したがって、輸入自由化、——これは輸入割り当てワクの拡大なんぞと言わずに、あらゆる輸入物資について、輸入の拡大、自由化がぜひ必要だと思います。  それから資本自由化につきましては、また、たとえば流通業のように、非常に前近代的な流通構造が残っておって、それがために小売り物価を非常に高くしておるという現象がありますから、外国の進んだ小売り流通業を導入しまして、流通構造の改革を促進するのが、むしろわが国にとって必要なんじゃないか。したがって、資本自由化は即刻にでも実施すべきじゃないか。  それから、いま、おもな大企業につきましては寡占形態が非常に進んでおります。これを適当な競争経済を導入しまして、管理価格的な価格形成にならないように競争させるということも相当必要性があるんじゃないかと思います。したがいまして、製造業につきましてももちろん自由化は必要だと思います。まあ一面、たとえばコンピューターのように、アメリカのIBMが世界市場の七〇%を独占している。日本でも五〇%以上の占有率が輸入のコンピューターにある。こういう状況で、アメリカのほうで輸入自由化を押しつける。ミカンがあり余って困っているのにオレンジの自由化を押しつける。これにはいささか、私、まあ国民の一人として、むかっ腹が立つのですけれども、しかし、国際協力がなければ日本は立っていけない、これは明瞭なことなんですからして、これは万難を排してやっていただきたいと思います。それで非常に困るような人には必要な予算措置をしたらいいんじゃないかと思います。大体、構造改革とか、いろいろ新しい変革を世の中にもたらそうと思えば、だれかがもうけるかわりに、だれかが損するんです。したがって、損する人だけの声を聞いて必要な政策をやらないということは、これは間違っていると思います。  もう一つは、私は、外貨を使うのに、円の予算措置がなきゃ使えないということが、対外援助だとか、外国資源の開発、あるいは獲得というようなことの非常な障害になっているように思いますが、これはぜひ考えてもらいたい。大体、外貨というものを日銀の支払い準備と考えるようなことは、これは古い通貨思想が残っているからじゃないかと思います。円の増発を伴わない限りにおいては、円の予算がつかなくて外貨を使ったって、これはインフレには、ならないんじゃないか。大体、日本はとっくの昔に金本位制度から離脱しまして管理通貨制度になっております。それで、いままでかつて管理通貨制度じゃ困るという実績がないんです。ただ、戦時のインフレだけは、これは戦争による破壊が原因であって、管理通貨の罪じゃないんですから、管理通貨は管理さえしっかりやればちっとも弊害は起こらない。極端に言えば、支払い準備なんかゼロでも、日本の国力さえしっかりしていればいいじゃないか。この点について、やはり本予算にも関連がありますが、今後の予算についても御検討お願いしたいと思うのであります。  えらい長々と申し上げまして、ありがとうございました。(拍手
  27. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) どうもありがとうございました。     —————————————
  28. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) 次に、桑名公述人お願いいたします。(拍手
  29. 公述人(桑名貞子君)(桑名貞子)

    公述人(桑名貞子君) 私は、民間の、特に老人の厚生年金の問題と、それから都市における勤労者住宅の、ことに老人の居宅地の税金に対するお願いと、二つにしぼって申し上げます。  厚生年金の受給資格者に、均等に実質五千円まるまるその金額を今年度中に実施していただきたいのでございます。その財源は、賦課方式でというふうにしますと順当に運べると思います。五万円年金との一言が、たいへん明るい響きをもたらせてくれましたけれども、次の瞬間、現実に五万円を受給できる人々はわずか八%でございます。そのことに思い当たりまして、がっくりいたしました。あとの九二%の受給資格者は、五万円満額獲得できますまでに今後十三年二カ月を要するのでございます。満六十五歳以上の方がこれから十三年二カ月たって五万円いただくまでに間に合いますでしょうか。ほとんどの高年者は、実質で五万円年金と言われますのが実現されましても、事実は三万円そこそこ、十三年たって三万円ちょっとになるだけでございます。それで、いま二万円年金と言われていますけれども、やっぱり九二%のほとんどは一カ月一万六千六百十七円平均でございます。一カ月の生活費といたしまして、生活保護費より安いんでございます。そうして、この安い受給額ではとても生きていかれるはずはございません。それで、ほかに収入の道を講ずるとか、たとえば、ささやかな部屋を貸しますとかいたしまして収入の道を講じますと、二割、一万六千円の厚生年金から、また二割引かれるのでございます。そして、もしほかにまた就職いたしますと、二割引かれた上に、その収入の二割ほど、またさらに、掛け金を続けさせられるんでございます。そして、もし職がありますと、七十になろうが、八十になろうが、二割天引きされた上に、収入の二割を掛け金として死ぬまで続けさせられるんでございます。職があればでございます。それでは、まるで、ちょうど実質四割の収入減でございます。就職中のはそういうふうに削り取る規則ばかりで、何のための老齢年金なのか、納得いたしかねます。生活保護費とは違うのでございます。  厚生年金は、二十年以上皆さん営々と積み上げた、あぶら汗のかたまりでございます。この年金積み上げ総額は十兆円近い額が国家の額になっております。この額で全部受給資格者に十分届くはずでございます、これを全部を充てますと。ところが、実際は三分の一しか支給に充てられないわけでございます。これでは、みみっちく削れるだけ削るほかないのでございます。三分の二はマンモス基幹企業に財政投融資されますのと、過剰ぎみの外郭団体、財団法人の維持費に充てられております。たいていは、資格者でありながらこのことはあまり御存じないのでございます。全く泣き寝入りでございます。これでは、全く筋違いの厚生年金積み上げ額の行くえと申せます。外郭団体、財団法人では、ぬくぬくと天下りのお役人さんの高給待遇のために吸い上げられております。  今日六十五歳以上の方たちが、かつて五十五歳の定年のころには、退職金はたっぷりと税金を天引きされました。たとえば、四百万円そこそこの退職金に対して五十万円の税金が天引きされたのでございます。そして、二十五年とか二十七年とかかけ続けないと満額いただけないふうな規則に変わっておりますけれど、ほんとうの現在六十五歳以上の方々は、その年月をかけ続けない間に定年が来てしまったのでございます。と申しますのは、去る二十七年のサンフランシスコ平和条約の発効以後から、本格的に国内産業が軌道に乗り、再建の途についたのでございます。二十七年間かけ続けて、やっと満額の規定どおりいただける方は、ほんのわずかであることはおわかりでございましょう。それで多くの九二%が満額いただけないということは、ちょっと無理で酷だと存じます。今後十三年間も待って五万円をいただくには間に合わないのでございます。そうしますと、結局、今日の六十五歳以上の民間出身者の庶民は、生きている間じゅう、なま殺し年金ということでございます。生活保護を受けているのとはわけが違います。五万円年金を、実際に受給資格者に均等に、五万円そのまんまを支給実施していただくことを、四十八年度じゅうに踏み切っていただきとう存じます。  政府は、財源がこの先で続かなくなるということを口実にされていると新聞で伺いました。けれど、三分の二も筋違いの方面に費消されておりますのを本筋に戻していただけば、楽々とことしは間に合うのでございます。それで、来年度からは、今日定年までの方々の厚生年金の掛け金でその年の受給資格者をまかなってくだされば、順当に運ぶはずでございます。個人では親孝行ができない時代となりました。それで、社会の一線に立つ方たちが集団で今日の高年者への孝行をしていただけば理想でございます。欧州の主要国は、とっくにこの賦課方式で実施してまいったと聞いております。田中総理も、この賦課方式を御理解くださっているやに新聞で読んだ記憶がございます。ものわかりの早い田中総理の決断と実行で、庶民内閣の実を結ばれるように、切に切に切望してやみません。  そして、ちょっとつけ加えさせていただきますが、恩給は着実に、たとえ少しずつでも、毎年いろいろと圧力団体もございますし、伸びておるのでございます。けれども、過去におきまして、民間で大体お役人さんと同じ年齢で、同じポストと思われるところで働いてまいりました者が、恩給の額の約三倍は掛け金しておりましたけれども、いただく額は三分の一でございます。それで、民主行政というものに対してまことに奇妙な、ふかしぎを覚えるのでございます。  次に、都市勤労者住宅で、七十歳以上の老人の居宅地税の累増率を据え置きにしていただきたいことです。都市近郊の農地の宅地並み課税で話題が集中いたしています。私は池田内閣時代から、そのころから気になっておりました。住宅街の裏通り、四つかど等に空閑地が放置されていたのでございます。三年以上の遊休地を遊休地税を新たにかけていただくように、おりに触れて至るところに投稿を重ねてまいりました。けれども、組織力のない無力な一市民でございまして、何ら反応がなく、ただあきれているだけでございました。四年ほど前にも、杉並区の住宅街の間にも、ぽつりぽつりと歯が抜けたようにある空閑地を見学に参りました。地主さんは近県の豪農と伺いましたが、これらのあき地に大根を二、三本ぽっぽっと植えてございます。あちらにネギを一株だけぽつんと植えてございます。それと申しますのは、農地という申し開きのためなんです。そして、固定資産税は宅地の二百五十分の一から四百五十分の一と聞いて、あ然としたことを覚えております。あまりにも税額が不公平過ぎるのでございます。孫子の代まで値上りを楽しんで待つ気楽さでした。二坪や三坪ずつ切り売りすれば、ぬくぬくと一年間は安楽に暮らしができるとか。それに比べて、都市サラリーマンは一生一度の買いものが居宅地なのでございます。  今日七十歳前後の方たちは、安心して生涯を終える居宅を自身で解決しようと、退職金を一銭も手をつけずに全部と、それからつましい暮らし中からのわずかなたくわえを全部はたき出して、自分の安心してころげ込める家を買ったのでございます。そして、取得税のあと、固定資産税は五年間で四倍、十年間で八倍に雪だるま式に累増してまいります。高年になりますと、無職、無収入という方がたいへん多うございます。そして、固定資産税は雪だるま式にふえる一方でございます。と、申しますのは、毎年机の上で評価額をどんどん上げてくださるのですが、売却しない限り現金収入はないのでございます。売却してしまえば行きどころがございません。扶養家族のない老夫婦がころげ込むところもない老残の身でございます。長生きすればするほど居宅地税の上昇で締め上げられる現実なのでございます。現金収入があってこそ現金納税を原則として貫いていただきたいのでございます。譲渡の際に適当な税額を徴収してくださって、七十歳以上で年収百万円以下の居宅地税の累増課税は据え置きにしていただきとう懇願いたします。七十歳以上からあと何年も生きられないのでございます。健康上の自信はございましても、物価攻勢と宅地税の増徴に追い詰められてしまいます。高年勤労者が、ストもレジャーもなく、細々と働き続けましても、物価攻勢と自分の居宅地の増税は死ぬまで待ってもらえないのです。ダブルパンチに見舞われるだけでございます。税制は多様で不公平なのが実態でございます。けれど、中でも農地税と宅地税の格差があまりにもひどい、天文学的な数字の違いでございます。田中首相は、八方美人ではとても断行太れることは御無理と存じます。どうか御信念をもって決断と実行で都市市民にもこたえていたがきたく要望してやみません。これほど明快な課題をためらわれている議員先生方のお考えが推察いたしかねるのでございます。何とぞよろしくお願い申し上げます。  ありがとうございました。(拍手
  30. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) どうもありがとうございました。     —————————————
  31. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) 大山公述人より、老人医療費の件について、一言御追加の発言がございます。どうぞお願いいたします。
  32. 公述人(大山綱隆君)(大山綱隆)

    公述人(大山綱隆君) 申し忘れましたので、この際お願い申し上げます。  六十五歳以上の寝たきり老人の医療無料化と、それから七十歳以上の老人医療無料化、これが車行されるという話であります。これはけっこうなことだと思って、市役所に問い合わせたのですが、扶養義務者の所得制限として六百万円という数字があるようであります。これはその辺でけっこうと思いますが、老人本人の所得制限として、いまでは五十二万円だと——四十八年度から幾らになるかわからぬけれども、実はいまでは五十二万円だと、こういう話を聞きました。五十二万円という額は、月にすると四万円何がし、家賃を引きますと、生活費は三万円余りしかない。これでは栄養失調になりかねないような極貧の生活しかできないのです。そのような最低生活者の度を過ぎたところにしか医療無料化の恩典がいかないとすれば、これは羊頭狗肉の予算じゃないかと思います。どうかひとつ、もしそれが真実でありますならば、少なくとも最低年額百万円以下の老人には医療を無料にするんだというようなことに御高配をお願いいたします。  ありがとうございした。
  33. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) 次に、力石先生にお願いいたします。(拍手)  なお、開会冒頭申し上げましたが、質疑の関係の時間もございますので、一応三十分以内に御意見をお述べ願いたいと思います。
  34. 公述人(力石定一君)(力石定一)

    公述人(力石定一君) 本年度予算関係いたしまして、インフレないし物価問題にかかわりのあるところについて述べてくれというふうな依頼がありましたので、その点に限って申し上げてみたいと思います。  現在のインフレーションの非常に特殊なあり方は、国際収支の大きな黒字のもとで、だぶつき資金が、過剰流動性が非常にあばれ回っているということであります。過剰流動性の額がどのくらいであるかというのは、いろいろな試算がございますが、低くて四兆から五兆ぐらい、多く見た三和銀行のあれですと七兆五千億ですか、非常に大きな過剰流動性があって、これが特に商社の手中に偏在しておる。偏在した資金が非常な投機を行なって、特に需要と供給とに、あまり十分な供給超過がないようなところに投機が働いているというふうなことが、インフレの非常に大きな原因になっていると思います。  そこで、過剰流動性をいかにして吸収するかという問題について、財政はどういう役割りを果たしたらいいのかということであります。日銀は、すでに準備率を三千億、二回引き上げております。準備率の引き上げというのは、過剰流動性がそういうふうな大きな額ですと、あまり大きな効果はない。今度公定歩合を上げるわけですけれども、これでも、そう大きな効果を持つことはできないのではないかと思います。で、商社は過剰流動性を持っておるといいますけれども、非常にたくさんの借金をしているわけであります。外国の企業は、自己金融が非常に強くて、そうして流動性を非常にたくさんかかえているという場合、借金を持たないで流動性が高いということが大部分であります。ところが、日本の場合は特殊でありまして、非常にたくさんの借金をしておきながら、同時に預金もたくさん持っているということで、流動性過多になっているわけですから、これは引き締めさえすれば相当きいてくることは確かなわけであります。したがって、量的にたくさんな引き締めをやらなければいけない。そこで、ねらい撃ちの日、日銀からの指導によるところの差別的な、選択的な引き締めということをやるべきであると思いますけれども、同時に、全体としての過剰流動性をしぼるという意味で、非常に大きな引き揚げをやらなければいけない。通貨の引き揚げをやらなければいかぬ。そのためには、日銀の手段として、本来ならば、国債などをたくさん日銀は持っておれば、これを市中に売り出すことによって流動資金を吸い上げるという、売りオペレーションが可能なわけであります。ところが、日銀はそういう手段を持っていません。そこで日銀は、いま日銀発行の手形、短期手形を市中に回して、そうして吸い上げるというようなことを、ちょこちょことやっているようでありますけれども、こういうことでは、たいして過剰流動性を吸い上げる力はないと思います。何兆という大きな額を吸い上げなければいけない。それには、やはり財政というものがここで動かなければいけないのじゃないか。  参考までに、西ドイツでは、安定公債ということで特別の公債、四十五億マルクの大規模な公債を出しまして、これを過剰な資金を持っているところに持たせて、そうして、二、三年間これを換金できないという形で保有を義務づけておりまして、それで吸い上がったお金は凍結してしまうというふうな処置をとっております。  このような大規模な売りオペレーションが日本でやれないかということを考えますと、日銀はとにかく持っていないのですから、道具を持っていないのですから、やれないわけです。持っているのは、資金運用部にたくさんの証券を保有しております。この保有している証券、——財政金融統計にははっきり出てこないのですけれども、政保債、国債、地方債まで入れますというと、相当大規模な、五兆から六兆ぐらいの残があるのじゃないかと思いますけれども、これを市中の消化に出すということだろうと思うのです。特に、先ほど話がありましたように、年金のようなもの、積み立て方式をとって、地方債であるとか国債だとか政保債なんかを引き受けるというふうな、政府運用部資金で引き受けたりなにかするものですから市中には金がだぶついてくるのであって、積み立て方式をやめて、老人にはちゃんと賦課方式でもって資金をあげてしまう、そうして、その中が足りなくなってくる、足りなくなった分は市中消化に回す、つまり、地方債や政保債を市中の消化に回すというふうにすれば、これは一つの吸い上げになってくるわけであります。まあ、売りオペレーションならば、これは完全に吸い上がったお金を凍結してしまうわけでありますけれども、日本では、売りオペという形でなくても、そういう形で資金の偏在をならす、民間からは資金を吸い上げていく、そうして財政ではそういう公債なんかあまり持たない、というふうな形をとることによって偏在がならされるわけであります。ならすだけでもかなり大きな効果があると思います。  といいますのは、過剰流動性といいましても、ドイツの場合は、御存じのように、短期資金がものすごく入ってまいりまして、為替管理をやっていないものですから、それと、貿易上のリーズ・アンド・ラッグズと、両方が重なっておりますから、過剰流動性の額は非常に大きいわけです。日本の場合は為替管理をやっていますから、リーズ・アンド・ラッグズによる資金の流入にすぎない。したがって、そういう偏在しているものを、ほかにならしてしまうということによって、かなり大きな抑制効果になるのではないかと思います。したがいまして、一つの吸い上げの手段として、政府がことし予定しておりますところの、入ってくる年金の積み立て金でもって地方債や政保債を引き受けるというようなことはやめるという処置をここでとる、そして市中にこれを持たせるということをやることが第一だと思います。  それから、第二番目の材料といたしまして、今度の予算で、地方財政計画では投資的経費が大体四割ぐらいあると書かれております。ところが、地方財政の地方債への依存度が大体七%くらい、平均七%くらい。そうすると、国のほうは、建設投資についてはほとんど公債に依存するというやり方をとっていますが、地方では非常にこれを限定しております。で、大蔵省と自治省でもってあまり借金させないように押えておる。そこで、自治体はお金がないものですから、商社がどんどん土地を買い占めるのを指をくわえて見ておるわけであります。私は、地方財政についても、そういうふうな建設投資については、これは孫子の代まで使うものでありますから、孫子の代までかかって元利償還をしていけばいいわけです。世代間で公共投資の負担を公平に請け負う、負担するという考え方から見て、当然これは公債を使うべきだと思うんです。したがって、地方財政の地方債の発行量をもっと大きくふやす、これを市中消化に、もちろん回すということによって、ダブついた資金が地方財政に回っていく、それでたっぷり金を持って経常支出にかなり回せるでしょう。元利償還金だけですから、経常支出にかなり金を回せるでしょう。それと同時に、たっぷり金を持って、公共投資、土地の先買いなんかをどんどんやっていくということによって、投機の先を越すということが可能になるわけであります。  そういう意味で、地方及び国の財政政策というものが、いまの公債に対して非常にアレルギー的な態度をとっているということが、過剰流動性一つの背景になっていると思います。遠慮するものですから、結局民間部門にダブつくわけです。政府や自治体がちゃんとやるべきことを、国の全体の中の資金を優先的に取って仕事をするということをしないものですから、ダブつき資金が民間に残ってしまうということじゃないかと思うんです。ですから、私は、財政の非常に遠慮深い態度が、いまのインフレーションの背景になっているというふうに思います。したがって、国の予算編成のしかた自身に、いまの過剰流動性の責任の一端があるというふうに思います。こういうふうな思考の転換をやらなければいけない。つまり、国際収支赤字国で、そしてなるべく公債を押えていきたいというふうな時期はとっくの昔に終わっているにもかかわらず、依然として昔のやり方をとり続けている、そのために民間に資金がダブついて民間主導型の経済成長になってしまう。  現在の民間主導型経済成長は、かつてのように、民間設備投資が、やたら大規模投資が行なわれるということよりも、むしろ過剰流動性をもとにした土地の投機、新しいレジャー産業、土地を非常にたくさん使う産業に向かっての過当競争という形で投機的な投資が行なわれている、つまり、民間虚業主導型の経済成長になっているわけですが、その民間虚業主導型の経済成長を押え込んでいくというふうな役割りが、財政にあると思うんです。その機能が非常に財政に弱いというところに問題があるんではないかと思います。これがまず第一点でございます。  第二点は、これからの問題でありますけれども、全体としてエネルギーが非常に不足する時期に入るわけであります。エネルギーが不足する時期において、おそらくニクソン大統領のエネルギー危機政策が出てまいりますというと、それに便乗いたしまして、アメリカでもそうでありますけれども、公害対策なんというのはそんなにやっていられないから、まあここは目をつぶって発電所を認めてくれだとか、あるいはこの際エネルギーの価格を上げてくれとかいうふうな形で、インフレと公害に対して目をつぶってくれというふうなキャンペーンが出てくる可能性があるわけです。そういう方向に行ってしまうことは非常にまずいのでありまして、エネルギー危機をいかに論理的に納得のいく形で乗り切っていくかということを考えなければいけない。つまり、われわれの産業構造及び生活構造が、非常にエネルギー多消費型になっているわけでありまして、その中のむだな、あるいは環境破壊型のエネルギー消費をカットしていく。産業構造の転換につきましては、思い切った重化学工業のスクラップダウンをやらなければいけないでありましょうし、それから生活の方面でいきますというと、自動車をやたら使うとか、たとえばエネルギー消費から見ますると、たとえば一トンのものを一キロ運ぶのに、鉄道を使う場合と自動車を使う場合と比較しますと、大体六倍のエネルギーを要するわけです。それから、鉄道線路を建設するエネルギーと自動車道路を建設するエネルギーは、大体自動車道路の場合が四倍のエネルギーを使うわけであります。つまり、そういうふうにして非常に環境破壊型の方向に資源の配分を向けていくということになりますと、エネルギーのボトルネックは非常に大きくなって、これがインフレ圧力となって返ってくるわけです。この点について、もう少し検討する必要があるんじゃなかろうか。  パーソナル・モータリゼーション——マイカー、マイトラックを中心とするパーソナル・モータリゼーションには、そのほかにも、騒音の問題であるとか——騒音の問題はまたこれはエネルギーにひっかかってきます。たとえば、やかましいものですから、住居は締め殺しの生活に入ってまいりまして、中に空気調節をどうしても必要とする。ところが、うるさくなければ窓をあけて涼しい風が入るのですけれども、うるさいものですから、みんな締めてクーラーを使うようになる。これがまたものすごいエネルギーの消費量になってくるわけです。ですから、自動車が悪循環的にエネルギーの消費拡大していくわけであります。  それから、交通事故は御存じのとおりでありまして、一億人キロ当たりの死傷率を出してみますと、大体鉄道の五百倍ぐらいの死傷率になるはずであります。こういうふうな、資源の配分からいって、おかしなものに非常に力を入れている。現在の予算では、鉄道建設と自動車道路建設と、どちらにウエートを置いているか、重点を置いているかといいますと、依然として、やはり自動車道路の建設に大きな比重がかかっているような感じがいたします。これについて根本的な反省をしなければ、エネルギーの面でボトルネックにぶつかって、インフレーションにひっかかってくるだろうという感じがいたします。それと同時に、おくれている社会資本充実ということが言われて、そして、その社会資本の重点が道路建設に注がれるということになりますと、これは、おくれた社会資本の回復になるかというと、私は非常にむずかしいと思うのです。といいますのは、自動車道路の建設が二倍行なわれますというと、自動車は四倍にふえる、事故は八倍にふえるという話がありますけれども、そういうふうな形で、悪循環的に自動車保有を促進するわけです。そのことによって、また道路が足りなくなるわけですね。日本列島改造論では、昭和六十年の自動車保有五千万台なんていうことを予定しておりますけれども、そういうふうな方向に持っていったんでは、社会資本のおくれを取り返すことはできない。つまり、ウサギをカメが追い抜くことはできないわけでありまして、そういうおくれを取り戻すことができない種類の社会資本に力を入れたんでは、これはとうてい社会資本の不足の克服にはならないのではないか。おくれを取り戻すことができる種類の資本に投下をするという形で、公共投資の選択をしなければいけない。そういう意味でも、鉄道建設であるとか、あるいは学校の建設であるとか、病院の建設であるとか、あるいは公園の建設であるとか、こういうふうなものは社会資本のおくれを確実に取り戻す、やればやるだけおくれは取り戻されていくでしょう。しかし、自動車道路の場合は逆でありまして、民間の自動車保有のほうがずっとスピードが速いものですから、とうていこれは取り返すことのできない方向であります。こういうふうな悪循環的な方向に資源が配分されるということは、これは非常に大きな問題である。資源の大きな浪費であるし、インフレーションの原因にもなります。  もう一つの悪循環は、たとえば巨大都市における隘路打開投資であります。巨大都市に産業基盤投資の隘路打開をやる。そうすると、非常に効率がいいと思ってやるんですが、やると、産業人口がわっと入ってきて、すぐもとのもくあみになるわけです。そういう意味で、そういう隘路打開投資型の公共投資、産業基盤投資というものはやあなければいけない。むしろ、隘路をそのままにしておいて、大都市では、人口や産業を減らしたあとでもどうしても必要なものに公共投資をしぼる。たとえば、公園をつくるとか、あき地をどんどんつくっていくとか、あるいは下水をきれいにするとか、こういうふうな、追いつくことのできるものに力を入れていく。隘路打開の産業基盤投資はカットして、むしろ地方への先行投資に配分をしていくというふうにしますというと、産業人口の地方への誘導のてこになるわけであります。で、そういう意味で現在の財政は、社会資本のおくれを取り戻すという意味で、民間の成長よりも、あるいは経済成長率よりも高い財政伸び率を組んでいるということはわかるわけですけれども、その中身が効果のない形で組まれたんでは、これは意味がないというふうに思うわけです。そういう意味で、アンバランスをますます激化していくような形での資源配分を反省するということが今度の予算に非常に不足しているのではないかというふうに思うわけであります。むしろ民間主導型に歯どめをかけるという意味では、たとえば自動車の保有に対して税金を重くしていく。たとえば西ドイツの十トントラックの保有税が日本の十トントラックの保有税の六倍でありますけれども、非常に高い保有税を取っております。こういう保有税がかかってくるということになりますというと、中長距離はとても貨物をトラックで運べない。これは計算があるわけでありまして、トラックが使われることによる、警察にごやっかいになる費用であるとか、道路をこわす費用——重量の四乗に比例して道路をこわすわけであります。それから、公害をまき散らし、あるいは交通事故を出してくる。こういうようなソーシャルコストを入れて考えると非常に高いものについているのに、安い安いといってみんなトラックを使うものですから、どんどん道路はこわれていくし、鉄道は貨物が大赤字になるという形になるわけでありまして、ここでは、いわば、トラック輸送というのは非常な親方日の丸であるということが言えるわけです。トラック輸送をあまり親方日の丸にしますというと、結局、鉄道貨物のほうが大赤字になって、鉄道が親方日の丸になってしまうということでありまして、トラックに対する抑制あるいはマイカーに対する抑制を租税面で、もっときびしくやっていくということをしなければいけないのではないか。  もう一つ日本のハイウエーでトラックが二倍ぐらいの過積みをやっている。一・五倍から二倍ぐらい非常にたくさん積んでいる。そうすると、それだけものすごく道路をこわすわけです。こういうものをチェックする方法をもっと具体的に考える必要があると思う。たとえば、ハイウエーで自動的に、ヘルスメーターみたいに、さっとこう、入ってきたとたんに目方がはかられる——いまはちょっとあやしいのを横に持ってきてはかっておりますけれども、そうじゃなくて、もうすぐそのまま自動的にはかれると、それで違反していればすぐ赤信号が出て罰金、こういうふうになっていく、こうやりますと、過積みが押えられて、道路の既存のストックはかなりこれは防衛できるでしょうし、過積みをやることによるトラックの変な競争力というのが抑制されて、その荷物は鉄道のほうに流れていくという形で、貨物鉄道の収支の好転に結びつくわけであります。で、貨物がほかの国はみな黒字であって、日本だけが貨物鉄道が赤字であると、こういうことはおかしいんでありまして、ほかの国と同じようなやり方をとれば、日本も貨物鉄道が黒字になって、新幹線で相当黒字をあげておりますから、旅客も貨物も両方とも黒字になるということが将来予想されるわけです。そういう方向に財政の面で努力をしていかなければいけないというふうに思うわけであります。  さて、インフレと結びつきまして、もう一つのの問題は、学校の授業料の値上げであるとか、そういう公的部門に対してパブリックな形でやらざるを得ないものを十分にやれないということから来る私立大学の授業料の値上げであるとか、そういうふうな問題であります。公共料金が非常に上がってくるのは、財政でもって積極的にそういうものに金をつけていくという努力をしないために、結局独立採算、できもしないものを無理に独立採算さしているということが日本では多いわけであります。医療でもそうであります。教育でもそう、林野庁がそうであります。それから交通もそうですが、独立採算できないものを無理に独立採算をやらせると、社会的資源の浪費になってしまいます。で、そのセクター自身もやっていけないし、かえって社会全体では大損するわけであります。ところが、それを無理に財政の面で独立採算に追い込んでいく、こういうやり方をこの際修正していただかないといけない。で、これに対して、結局料金値上げでもって対応していくという形が、修正が行なわれないと、料金値上げで対応して、ここでまたインフレが進んでくるわけであります。で、これが単に物価騰貴という問題だけではなくて、社会全体の資源配分を非常にそこなってしまうわけであります。たとえば大学の授業料、たとえば私立大学の授業料がどんどん上がっていくということになりますというと、結局、支払い能力に応じて学生をとるということになってしまう。しかし、教育というものは支払い能力に応じないで教育しないと、これは意味ないわけでありまして、支払い能力がある人は必ずしも教育の価値があるとは限らないわけであります。むしろ、支払い能力はないけれども、非常に社会全体にとって教育投資として効率的であると思われる人がたくさんいるわけですが、そういう人たちが大学の門をあきらめてしまう。そうして、結局、支払い能力があるけれども、あまり教育の投資効率のよくない人が大学にあふれるということになって、私立大学は、ことにレジャー大学になってしまうわけであります。  こういうようなことになりますのは、やはり公的な支出でもってやらざるを得ない。そうやるほうがかえって社会全体のためになるというところに金を出さないからであると思います。国民所得比率でもって、日本の大学への公的支出は大体〇・七%くらいです。西ヨーロッパ、英独仏を見ますと、一・〇%くらいに出しています。進学率は、御存じのように、同一年齢人口の二割も大学に行っております。英独仏は一割です。つまり二倍の進学率なのに出し渋っているわけですから、国公立ではほとんどとれない。二五%の学生しかとっていないわけであります。で、七五%は私大に行かなければならない。英独仏の場合は九五%が国公立で入るわけですね。こういう形で、大学、国公立が狭き門になってしまって、大部分七五%は私立大学に行かなければならないという形で、あふれてくるわけであります。国公立で、もっとたくさんとれるようにしてもらわなければいけないし、私立大学の場合は学生数をもっとがさつと減らさなければならない。大体定員の一・五倍とっているような状態でありまして、定員にちゃんと合うところまでがさっと削る。削ってもやっていけるように資金を出していただかなければいけない、こういうように思います。  国公立のとるウエートを拡大し、そうして私立大学に補助金をふやすとなると、大体国民所得比率でどれくらい出す必要があるかといいますと、進学率が英独仏の二倍なんですから、それに合わして国民所得率が二倍になったらいいと思うのです。つまり、二・〇%にすべきだ。〇・七%を二・〇%くらいに公的資金をふやすべきではないいか。進学率二割というのはちょっとぜいたく過ぎるという意見もありますけれども、私は、アメリカは四五%の進学率、これと比べると、たいして高くはないと思うのです。まあ、アメリカの場合はベトナム戦争の徴兵のがれが相当いるわけで、そういう意味ではちょっと高過ぎるのですけれども、しかし、英独仏の一〇%というのは、これは地域産業を今後ねらうとすると、あまりにも低過ぎるわけでありまして、そういう意味でも、やはり二〇%というのは適正な進学率だと思います。在学率だと思います。そういうものの中身がよくなるようにするには、やはり公的な支出をふやさなければいけない、こういうふうなところにどんどん積極的な財政支出をやることによって、このソーシャルアンバランスを取り戻していくということが、これからの方向ではないかというように私は思うわけであります。  まあ、あとで質問で補うことにいたしまして、このぐらいで打ち切りたいと思います。(拍手
  35. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) どうもありがとうございました。     —————————————
  36. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) それでは、各公述人の方に御質疑のある方は順次御発言を願います。
  37. 中沢伊登子君(中沢伊登子)

    中沢伊登子君 力石先生に御質問を申し上げます。  いま自動車がどんどんふえることと鉄道のことでお話がありましたけれども、これから先のエネルギーの問題で、飛行機をどんどんふやしていいのか悪いのか。それはいま関西新国際空港が建つか建たないかでずいぶん関西地方は大騒ぎをしておりますけれども、いま国会に提出されているのが国鉄の運賃値上げ法案でございます。この国鉄の運賃をこれから十年にまた四回くらい値上げをいたしますと、飛行機のほうが安くなります。まさか東京から大阪まで、しょっちゅう自動車が行ったり来たりするわけにはいきませんので、飛行機を利用する度合いがたいへん多くなるかと思います。そういたしますと、エネルギーの問題にしても、飛行機は自分でレールを敷くわけではございませんから、当然飛行機のほうが安くなるわけですね。そういたしますと、いまのエネルギーの問題からして、騒音の問題からして、大気汚染の問題からして、私はもしも鉄道がこれからもっともっと敷かれるならば、そういう面からも日本の交通体系を、道路をふやしていって自動車をふやすのか、あるいは飛行場をどんどん整備して飛行機を使うのか、新幹線にするのか、しかし新幹線があまり高くなりますと、これは当然飛行機が使われるようなことになって、いまどっちをとるのが一番いいのか、たいへんその点で私どもも方向を迷っているわけですが、先生のお考えを伺いたいと思います。
  38. 公述人(力石定一君)(力石定一)

    公述人(力石定一君) 私の考えは、交通投資の主力は新幹線の建設に注ぐべきである。新幹線ができれば在来線と、幹線については複々線になりますから、在来線の交通量はぐっと上がってくるわけですね。そして道路投資、特に遠距離のハイウエーですが、そういうようなものは全部やめてしまう。生活道路とか、あるいは近距離道路の改善、あるいは歩道の改善に全力を注ぐというほうがよろしいのじゃないか。新幹線はいまかせいでおるのですけれども、これを投資に向けないでほかの赤字補てんに回っているわけですが、これがもっと前向きにどんどん投資に使われるように財政的な援助を国鉄にやってやるということが必要だと思います。  で、飛行機につきましては、私は、国際線はこれはもう不可欠だと思いますけれども、国内線が過度に使われないように、ソシアルコストとしての騒音の費用であるとか、あるいは危険の問題とか、あるいは飛行場に対する投資について十分なソシアルコストを内部化させるようにやるということによって国内航空の過度な利用というものが押えられていく。で、新幹線がそれに対する競争力を持つためには、お荷物をかかえているわけですから、お荷物をかかえなくてもいいように他の分野で、特に貨物が黒字になるように努力してやる。そうすれば、新幹線にお荷物になりませんから、新幹線のかせいだ金はどんどん前向きの投資に向かっていくということになります。で、長距離の貨物輸送に関しまして、新幹線が将来は使えるようになるのではないかと思います。といいますのは、レールが、いま夜は修理をしておりますけれども、夜修理してたんでは新幹線の意味ないわけでありまして、全国新幹線になった場合は修理の要らない鉄道レールにならざるを得ないと思うんです。その技術開発ができると思うんです。そうなったら、もうトラックなんて全然問題ない。つまり新幹線で貨物をどんどん運んでしまうようやれば非常に大きな競争力を持ってくると思います。そういう意味で、鉄道体系を中心とするネットワークの形成ということが一番の中心でなければならない。で、航空機及び自動車はかなり抑制的にしていく必要があるのではないか。そういう総合交通体系に合わせた税制上の処置であるとか、あるいは財政上の処置というものが必要なのではないかというふうに思いますけれども……。
  39. 矢追秀彦君(矢追秀彦)

    ○矢追秀彦君 力石先生にお伺いします。  一つは、過剰流動性の吸収の問題ですけれども、先ほど先生のおっしゃった意見に私も同感でありますが、ただタイミングとして、いまの時点ではたして公定歩合を引き上げ、あるいはまた預金準備率を引き上げるのが妥当なのかどうか。というのは、もう少し前にやるべきではなかったのか。非常にそのタイミングが問題であると思う。今度の実質的な円の再切り上げというような状態になってきて、今度は相当影響が出てくるのではないかといわれているときに金融が引き締められるということは、やはり相当中小企業等には影響が出ないか。であるならば、この前の切り上げのあったあとの様子を見たときにやっておけば、流動性はある程度防げたのではないか。さらに補正予算を組み、あるいは今度の予算も膨大な予算を組んでしまった、結局金がだぶつくようなことばかりをやってしまうと、非常にタイミングの点で——内需を喚起しなきゃならぬということはわかりますけれども、その点の予算の立て方あるいは金融政策のタイミングということが、非常に私はいまのあり方というのには相当タイミング的には問題があるんじゃないかと思います。その点どうお考えになっておるか、その点が一つと、もう一つは、先日の二十カ国蔵相会議の結果をどう評価されておるか、その二つです。
  40. 公述人(力石定一君)(力石定一)

    公述人(力石定一君) 第一の点でございますが、私は昨年の預金金利の引き下げのときに猛烈に郵政審議会で反対をしたんですけれども、結局、当時のイージーマネーポリシーがまかり通ってしまった。あれはやはり民間主導型に経済発展をはることによって円対策を考えると、こういうやり方のあらわれであって、間違った政策であったというふうに思います。あの当時でも、やはり財政主導型で問題を解決——輸入をふやし、そして輸出を国内に向けるというふうな財政の行動によって転換をはかるべきだった。それを、やたらに過剰流動性があるところへイージーマネーポリシーをとるんですから、もうほんとにこれでもってどんどん投機をやってくれというようなものであります。そういう政策についていま反省が起こっているわけですが、全く間違ったということについてはだいぶそう思っているようでありますけれども、しかし、いま、今度は引き締めに転ずると、これがどういうふうな影響を与えるかという問題と、それからタイミングとして、円切り上げになっているときにこういうことをやることはどうなのかという遠慮が出てまいります。私は、第一の円切り上げをやったことによって、かなりそういうタイトマネーポリシーをとる、引き締めをやり得る条件が出てきたのではないかという感じがいたします。切り上げをやらなかったら、なかなかそういう条件は起こらなかった、切り上げをやることによってその条件が出てきたと。ただ、おっしゃるのは中小企業へのしわ寄せの問題、これは金融政策一般の持っているマイナスでありまして、つまり民間銀行を中心とする資金供給をはかりますと、引き締めますというと、だぶついているところには引き締まらないで、住宅ローンが締まったり中小企業のほうに金が締まったりという形で、こう屈折していくわけですね。ねらっているところへ行かないで横へ行くと。これを避けるためには日銀がよっぽど民間銀行に対する選別的な規制を強化するということをしなければいけない。したがって、住宅ローンなんかが締まったら、あさってみたいなところを締めているじゃ汁いかということで監視をもっと強めるということが必要だと思いますし、それから同時に政策金勘をもっとふやしていくという形の努力が必要でしょう。ただ、中小企業にしわ寄せになるから困るから、あまり締めるなということをやりますと商社はますます喜んじゃって、いま中小企業がかわいそうだから締めるな締めるなということを商社筋あたりが流しておりますけれども、それにやっぱり乗っからないようにしないといけないというふうに思いますので、締め方としましては、私は、選択的な締め方と、それから中小企業の、別のパイプの太い金融機構というものを強化する、つまり市場メカニズムに乗らない分野で、政策的に意味のあるところに大きなパイプを維持するということが必要だろうと思います。ですから、普通の市場メカニズムでいきますと、必ずこれはしわ寄せになるわけです。ですから、しわ寄せになるからといって締めるなとはいま言えないような状況にあるということを御理解いただきたいと思います。  それと同時に、財政でもっとしっかりやるべきことをやる。たとえば、さっき年金の話をしましたけれども、老人に、たとえばことし三兆ぐらいの年金が出たとかりに仮定します。賦課方式の場合そのぐらい出せると思いますが、そうなった場合に、おそらく相当中小企業なんか輸出部門は助かると思うんです。たとえば孫のためにおもちゃを買ってやるかもしれない、あるいはトランジスターラジオやカメラを自分で買うかもしれません。それから孫にテレビを取られて困っている人は二台目の小型テレビを買うかもしれません。あるいは電動車いすを買うかもしれません。あるいは電子補聴器を買うかもしれません。いずれも日本の輸出産業の主力に対して需要が出てまいりまして、これを国内に吸収する力があるわけですね。そういうようなものにしっかり予算をつけるということをやらないと円対策にならない。それをもっぱら土木建設のほうでやろうとしますから、これはいまの輸出品をそのまま吸収する力がないわけですね。で、回り回ってやはり原料の輸入に返ってくるということを期待しなければいかぬ。しかし原料のほうはこれは素原料を入れて、そうして日本で加工するといういまの産業構造では、これはもう輸出をカバーするだけ輸入がふえないのはあたりまえなんです。恒常的に黒字になるのはあたりまえなんです。ですから、やはりいま即効薬的な効果をねらうとすれば、そういうふうなところに資金をさくということだろうと思うんです。それによって、いわばマーケットの面、デマンドの面で、がたがたっと来ないようにサポートしてやるということが主軸にならなければいけない。で、締めるな締めるなということだけではいけないのじゃないかというふうに思います。転換が非常にいまやりやすいわけですよ。この前のようにデフレギャップがあるところでレートを切り上げた場合は非常に転換がしにくいけれども、いまの場合は、そういうふうなマーケットさえ維持されていれば転換は非常にやさしいわけです。やさしいところにマーケットをつけてやる。打撃をこうむったものをミクロに救っていくというよりも、マクロ的なそういうマーケットをつくり上げて、そこにフロンティアを見出すようにしていくということが必要なのではないかというふうに思います。  それから第二の点ですが。変動相場時代というのがやはり長く続くだろうと思うんです。この変動相場の時代にそういう即効薬的な手段をどんどん打ち込むことによって——私は、円の実勢というものは、これはソシアルサービスをろくにやらないで、公害対策もろくにやらないで築いた強さですから、そういうものをちゃんとやってみたら、それほど強くありませんよというふうな実物を示す一番いい機会じゃないかと思うんです。変動相場の間にいろいろそういう措置をやってみたら輸入はどんどんふえちゃうし、輸出はあまり出なくなって、国内にどんどんはけていく。そうすると貿易の黒字は相当減ってまいります。そうすると、過渡的には総合国際収支が赤字になる。そういう場合には変動相場はむしろドル高になるわけですね。そのドル高になるのをあわてて押えたりなんかしないで、ドル高状態を少しつくってみていったらどうか。そうすると、マーケットが、日本の蓄積方式が軌道修正された場合は、それほど円は強くないんですよというムードが出てくると思う。そうすることによって切り上げショックをやわらげることにもなるのではないか。だから、変動相場の間に即効薬的なきき目のある政策を打ち込むという意味で、先ほどの年金問題というのは非常にいい手段ではないかというふうに思います。これはインフレ抑制にもなるわけでありまして、いま、じじばばストアというのが一ぱいございますが、そういう人たちがたっぷり年金をもらって——三万か四万かせぐためにストアをやっているんですが、そういう人たちがやめて隠居できるという条件をつくってやれば、スーパ一やデパートに対して、もっと果敢な価格引き下げ競争をやらしても、別に困る人はあまりたくさんいない。そういう人たちがつぶれるとかわいそうだからというので、やたら安売りをさせないように通産省で行政指導するわけですが、そういうソシアルサービスがちゃんとできておれば、遠慮なく価格メカニズムを働かせることも可能になるわけです。そういう意味でもインフレ抑制効果になる、過剰流動性の吸い上げ効果もある、という意味で親孝行をすれば、社会全体に非常にいいごりやくがあるということの一つの例ではないかというふうに思います。
  41. 瀬谷英行君(瀬谷英行)

    ○瀬谷英行君 力石参考人にお伺いいたしますが、過剰流動性の吸収の方法ですけれども、いままでこの予算委員会、衆参両院を通じての総理の答弁、あるいは大蔵大臣等の答弁から、どのようにお感じになっているか。つまり、この吸収の方法として、われわれはちょっと手ぬるいような印象を受けているわけです。で、予算面で重点をどこに置くべきかということを一口に言えば、力石参考人としてはどのようにお考えになっておられるか。それが一つと、それから、今後の問題として、まあ円の切り上げ、あるいはドルが下がるといったようなことは、もうこれが最後だというふうには言い切れないことだろう、今後もこれはあり得るということをわれわれとしては考えておく必要があるんじゃないかと思うんでありますが、これはもっと国際的な問題でありますから、単に推測するだけでは見当つけられないと思いますが、それらの点についての見通し。  それから、いま新幹線のお話がございましたが、新幹線は、現在計画されているところは、もう旅客専門なんですね。貨物には考えられてないわけです。これを貨物輸送のほうにも使うということになると、現在の設備は旅客オンリーだから、操車場であるとか、あるいは貨物ヤードとかいうものを全然考えられてない。これは利用の方法がないわけです。もし、貨物列車についても新幹線を利用するということになると、これは在来線の軌道も現在の狭軌から広軌に変えると、これは大仕事になりますけれども、かつて後藤新平が考えたような方法を講じてやらなければ、なかなか貨物輸送の面にまでは手が届かないんじゃないかという気がするわけです。そこまでの思い切った投資というものをこれからの日本としては考えていったほうが、航空機なりあるいは船舶輸送等とのつり合いから考えても、なお採算がとれるものかどうか。これは総合交通政策の面になってくると思うんでありますけれども、それらについての御見解も、この機会にあわせて承りたいと思います。
  42. 公述人(力石定一君)(力石定一)

    公述人(力石定一君) 過剰流動性の吸い上げ策として先ほど来るると述べましたように、私は、地方債をもっと果敢に出すべきであると、地方財政の公債依存度はいま七%ですけれども、投資的経費が四〇%ですから、私は、少なくとも二〇%ないし三〇%ぐらいは債券に依存する、公債に依存するという形に持っていくべきであると思うのです。それの市中消化をはかるわけですが、西ドイツでやっているように、その公債については二、三年金融機関に保有を義務づけるということが必要です。これは、すぐ日銀に持っていって円資金を出してくるというんじゃ困りますから、二、三年義務づけるということだと思います。これは、準備率引き上げだと無利子ですけれども、これは利子がちゃんとつくわけですから、こういうまじめな実業でかせいだらいいじゃないかという形で、そういう義務づけを行なう必要がある。で、国のほうでは、先ほど言いました年金資金を、積み立て方式をやめて賦課方式に切りかえて、この金は使ってしまって、その穴があきますから、穴があいた部分は、その地方債及び政保債を民間部門に引き受けさして、これについても、やはり二、三年は保有を義務づけるというふうな形が必要でしょう。ただし、この金利については若干もう少し引き上げて、うま味があるようにしてやるということも必要かもしれません。そういうふうなところに力を注ぐという意味で、これはいまの財政法の建設公債のワク内で行動しても、それだけのことはやれるわけでありまして、長期的に見ますと、私は、建設公債に限らなければならないというふうなあれは国際収支赤字国の資本不足時代の法律でありますから、あの法律を撤廃しておく、そして、もっと自由度を拡大しておくということが必要ではないかというふうに思います。  それで、将来、そういって公社債がどんどんふえてくると、国民所得に対する公債の発行の残高から見て国際水準に到達するということになりますと、しかも、金利も相当いい金利がついているということになって、これが公社債市場として育成されて、日銀はオーソドックスなマーケートオペレーションができるようになるわけです。その手段はいま持ってないですから、こんな資本過剰国でそういうマーケットオペレーションはやれないという国はどこにもないわけでありまして、資本不足国のような状態の金融政策をとっているわけですね。それはおかしいわけです。そういう意味で、金融全体の正常な政策が確立されていくだろうというふうに思います。  それから、国際的な通貨の情勢でありますが、私は、スミソニアン体制というのは、つまり、アメリカが各国中央銀行に対する金兌換を停止しておるということで、アメリカ自身のドルが金に対してフロートしていると、そういう状態のもとではフロートはかなり長く続くであろう。それが回復できて、しかも、それが安定的に維持できるというアメリカの国際収支の展望が出てこない限り、なかなかこのいまのフロート時代というのは終わらないんではないかというふうに思います。ただし、このフロート時代というのは三〇年代のフロート時代とは違うと思います。三〇年代は、御存じのように、ブロック経済がやれるという、あるいはブロックに閉じこもって大げんかをするという、戦争をするというふうな、そういうふうな戦国時代のフロートであります。現在では戦国時代ではないわけでありまして、フロートはおそらく、がたがたやりましても、為替切り下げ競争というところまではいかないだろうと思うんです。いまなかなか話がつかないという状態が一つのセミ為替切り下げ競争だという意見もありますけれども、しかし、完全にけつをまくって戦争ということにならないわけでありまして、そういう意味では、フロート時代にわれわれは耐えていかなければならぬ。しかし、三〇年代型のフロート時代ではないだろうというふうに見られます。  で、アメリカの国際収支の前途につきましては、私は、アメリカは本来ならば、イギリスの国際収支を見てみればわかるんですけれども、貿易の大きな黒字時代が終わって、植民地をいろいろ持って対外投資をやって、相当資本面での投資が起こりますと、貿易がある程度赤字になりましても、貿易外黒字でもって経常収支をバランスさせるというふうな時代に入るわけです。これは、帝国を築くと、そういう傾向になるんですが、アメリカは大体それに似た形になってきている。貿易が赤字になるのは、むしろ、対外投資がどんどん起こって——国内はサボっているわけですから国内競争力がない、そこで貿易は赤字になる、しかし、対外投資による利潤送金がどんどんふえて貿易外収支の黒字が相当ふえる、それによって経常勘定をバランスさせるという時期に向かってきているのではないか。それが歴史的な歩みなんですけれども、だから、これは貿易が赤字になる自然の勢いなんです。  ところが、そうはいかないという面が現在の条件であります。イギリス自体が、植民地からの上がりでもって国際収支を均衡させるということはできなくなっている。これはもう帝国を手離している。そして、ECに入って貿易そのものを黒字にしなければならぬ、あるいは貿易をバランスさせなければならぬ、こういう時代にイギリスが追い込まれる、そういうふうな時代における状況なんだということを考えなきゃいかぬ。だから、アメリカは、歴史的に見ますというと、おくればせながら、先進国に対する対外投資と後進国に対する直接投資、こういうふうなものによって帝国を築いて、貿易はある程度赤字になっても貿易外でかせげるというような、そういうバランスに向かって進んでいるわけですが、そういう帝国というものは現代ではなかなかつくりにくいものだと、すでにカナダとか欧州とか豪州とか、それから日本とかヨーロッパその他が抵抗いたしまして、対外投資についても幾ら利潤送金をどんどんふやそうとしましても、その現地に投資しなければ言うことを聞かないし、そういう意味で、帝国型の国際収支バランスがとりにくい時代に入っているわけです。その上、そういう帝国を築きますというと、いろいろ軍事基地や何か必要になってきまして、それがまた持ち出しになりますから、結局、国際収支のバランスが非常にとりにくい時代。だから、結局イギリスと同じように、アメリカ自身も貿易をバランスさせる方向に向かわざるを得ない。  そうすると、対外投資のオーバーコミットメントと軍事支出のオーバーコミットメントはやっぱりやめて、結局、アメリカの内部に近代化を進めていくというコースに入っていかざるを得ないところへ追い込まれるのじゃないかというふうな感じがいたします。そういう歴史的な時期を経過しているのではないか。どうもその辺がよくわからないものですから、もたついて危機が長引いているというふうな感じであります。イギリスだって、ECに結局踏み込んで貿易そのものを改善していって、帝国型のバランスを考えないんだという気持ちになるのには非常に時間がかかりました。フランスも、もうそれは反省をしたわけです。アメリカが今度反省をする番でありまして、そういう時期に、ベトナム戦争はその一つの反省材料を与えたわけでありますけれども、直接投資については、まだニクソンは対外投資をどんどん自由化して、それでもって進めていけるんだと、同時に、一方では、貿易をバランスしたいと言うんですから、非常に無理なんですね。ですから、この無理がいずれだめになってくるだろう、それに気がついたときがアメリカの国際収支が本格的に立ち直る時期ではないか、それまでには若干時期がかかりますから、結局、フロート時代というのがある程度続く、で、固定相場が確立されても、またすぐくずれてしまうということを経ながら、しかしながら、三〇年代型のフロートにはならないというふうな時期にわれわれは入ったと見ていいのじゃないかと思います。  それから、第三番目の新幹線の問題でございますが、私が言いましたのは、いまの東海道新幹線は夜の時間帯は使っていなわけですね。これが全国新幹線になりますと、夜使わなければこれは意味ないわけです。つまり、昼間立ったって鹿児島へ行く場合は夜中になっちゃうわけですから、夜使えるレールでなければならないわけです。そうでなければ機能しないわけです。そもそも機能しない。そうなってきた場合には、旅客だけではかなり交通量が浮いてきますから、そこに貨物を入れるということを考えるべきではないか。で、貨物を入れた場合には長距離トラックに対する競争力は圧倒的に強い。とにかく速いですから競争力を持つであろう。  で、同時に、おっしゃるようなターミナル投資とか、その他どんどんやってこれをもり立てていく。これは世界史的な実験だと思うんですよ。ほかの国はやっていないんですが、日本が独自の技術としてそれをやって、車地獄から最も先に足を抜いた国は日本だった、というふうな状況に持ち込むという意味で、マイカーに対する競争力をかなり新幹線は持っておりますが、同時に、長距離トラックに対する競争力を、そういう形で持たせる。もちろんこれは、バルキーなものじゃなくて、非常に高級品の運搬になるでしょうけれども、競争力は、私は非常にあるんではないかというふうに思います。それは使わなければ非常にむだになります。全国ネットワークというのは非常にむだになるわけですね。夜の時間帯を使えるレールでなければ機能しないということが前提にあるわけで、いま技術開発を相当やっているようでありますが、おそらくそれは成功するのではないかというふうに思いますけれども。
  43. 森中守義君(森中守義)

    ○森中守義君 ちょっと力石公述人にお伺いします。  物価と法律の運用の問題ですけれども、目下のところ、独禁法がただ一つの、物価抑制ができるならできるという、こういう仕組みなんです。ところが、もともと独禁法それ自体が、私的独占を禁止するということでできたもんであって、直接法でないですね。そこで、いままで政府と国会との間でも、そういう新法の制定等も間々議論にはなっております。  しかし、それはそれといたしまして、現在の独禁法に、たとえば適用除外をもっと縮小していく。意外に、適用除外になっているのがかなり物価に悪影響を与えているものも多い。あるいはまた、政府に適切なる政策勧告権を持たせるとか——そういう法律運用によって、直ちに物価が抑制されるという単純なものじゃありませんけれども、そういったような一つの手順あたりはどうなのか。もし独禁法を直すということになれば、どういう内容の方向に行くべきであるか。もし何かお考えがありましたらお答えいただきたい。
  44. 公述人(力石定一君)(力石定一)

    公述人(力石定一君) いま卸物価上昇において、カルテルの役割りというのは非常に大きいと思います。過剰流動性のインフレ効果と並んで大きいんではないかと思います。これは私は、独禁法の法律そのものよりも、独禁法の運用に非常にタイミング上問題があったような感じがいたします。むしろ、こういうふうなメカニズムが働いている、たとえば鉄鋼にしましても、石油化学にしましても、とにかくドルショックによって、円切り上げによって非常にむずかしくなった。海外で失った利益を国内でカバーする、そのために、国内カルテルを強化することによって、それで価格でもって利潤を回復してカバーしていく、海外で失ったものを国内で取り返すという、かわいそうだから少しカルテルでもって利潤をそちらのほうでカバーしてやろうじゃないかというふうなムードが、どうも昨年あたりから非常に強く見られたような感じがいたします。これは調整インフレーションの一つの柱だと思います。つまり、ボトルネックが出てくるような産業基盤投資に大型予算を組む、一方で、カルテルに対して、何といいますか、政策的な配慮を加えていく、それによって輸出で受けたショックを国内で取り返すというふうな、そういう意識的な政策がとられた。これが調整インフレーションの全体系ではないかという感じがいたします。  そういう意味で、独禁法の運用のし方については、これは政府財政指導の基本的な考え方を反映して、調整インフレ的に使われたということが一番大きいのじゃないか。だから、適用除外はいろいろありますけれども、全然なしにしてしまうということはちょっとむずかしと思うのです。そういう意味では、もっときびしい態度をカルテルに対してとらせる。実際、高くなって困っておるものが一ぱいあるわけですね。それで、鉄鋼業者なんかは、カルテルで価格維持するということがいかに大きな利潤をもたらすものかについて、しみじみとわかったというような述懐を、いましておるわけでありまして、そういうふうな状況を政策的につくり出したのではないか。それによって卸物価を上げて、同時に輸出価格も上がると、そうすれば黒字が減るだろうと。つまり、円切り上げを絶対回避するということを前提にして政策を立てる、黒字を減らすためには、結局、国内の卸物価が上がって輸出価格が上がってもかまわないのだと、こういう調整インフレ的な態度にならざるを得ないわけです。  ですから、そういう意味で、絶対回避するなんということを政策前提に立てるからいけないのであって、これは国際的な関係で追い込まれることだってあり得るわけですからね。そういう政策の立て方がいけないので、むしろ、それは一つ政策手段だと、切り上げは。政策手段だと考えて、この卸物価も上がってもかまわないのだ、調整インフレでいくことが一番苦痛のない黒字減らしの方法なんだというふうな安易な態度が、昨年一年のこの経済政策には非常に濃厚に見られたという感じがいたします。  で、そういう意味で、円切り上げの——いわば卸物価を上げないで輸出価格だけ上げさせることによって黒字を減らすと、そういう円切り上げの持っている効果ですね、それを真正面に使わせるようにする。それが十分に生きるためには、先ほど言いましたように、失ったところを国内で取り返すというようなことをやらせないようにするとか、あるいは輸出がむずかしくなった場合に、またがんばらなくちゃという形でハードルを乗り越える。たとえば自動車産業なんかは、この前の切り上げ以後、大体コストを二五%ぐらい下げたというのですね。やれば幾らでも下げられるものだということで、ゆう然とハードルを乗り越えるわけですよ。で、それが、まあそれちょっと無理だと、もっと国内を向こうじゃないかと、電動車いすでもつくろうかというようなつもりに自動車産業がなってくれるような状況を国内経済政策でつくってやらないとだめじゃないか。そういう意味で、切り上げショックというものは前向きにこれが使われるように、国内政策でサポートしてやらなければいけない。それを、この切り上げショックで、かわいそうだからカルテルを野放しにして、ある程度はそこで取り返すようにしてやるとか、というふうな形で政策がどうしても出てくるのですね。ですから、そこが非常に問題なんじゃないかという感じがいたしますけれども。
  45. 委員長(大竹平八郎君)(大竹平八郎)

    委員長大竹平八郎君) それでは、質疑はこの程度にいたしたいと存じます。  お三方の公述人には、長時間にわたりまして貴重な御意見を拝聴して、ありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  明日は午前十時開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後三時二十八分散会