○
公述人(
三神茂君)
農業について
意見を申し述べさしていただく
機会を得ましてありがとう存じます。
申すまでもなく、今日さまざまな
農業の困難、課題というものが山積をいたしておりますが、そして、このことは単に
日本だけにとどまりませず、
先進国、ヨーロッパ、
アメリカ、その他ことごとくの国々が、ほぼ同じような性質、性格の問題をかかえておると、これまた御承知のとおりでございます。きょうはたくさんの時間でもございませんので、これら、
農業問題といわれますものをどのように私どもが理解をしておるかというようなことにつきまして、概括的にお話しをさせていただきたいと思います。
冒頭、やや結論めいた感想を申し上げるのでありますけれども、どうも今日
農業あるいは林業、いずれも戦前戦後を通じまして、やはり
日本の特殊な歴史的、伝統的な姿で
発展をしてまいっておりますが、ようやくにして、戦後の
農林業その他の
産業部面におきますような、いわば革新的な、みずから革新を要するような転機に来ておるのではなかろうか、そういう
感じがしておるのでございます。
この
農業問題と申しますものを、その問題の所在というものを尋ねます場合に、私は二つの現象と申しますか、側面という点からその所在を尋ねてみたいわけでございますが、
一つは、
農業——きわめて当然といえば当然でございますが、
国民の
食糧を
供給すると、そういう
産業であるのでありますが、にもかかわらず、その
食糧供給という
産業の
機能が、今日、あるいはその
役割りが十分に果たされていないという点。いま
一つは、
農業は、そこで働きますいわゆる
従事者に十分な
所得を与えるということが
産業の
一つの基本的な
条件でございましょうが、にもかかわらず、年々その
農業従事者の
所得の場所として非常に不十分になってきつつあるという点でございます。このいわば
産業的な
サイドあるいは
農業従事者の
所得の場としての
サイド、この両面から
農業問題というものを
感じ取っておるわけでございます。要約いたしますと、
食糧供給機能が停滞をすると、あるいは
所得チャンスを与える就職の場所としてそこがあり得ないと、すなわち
農業というものが
産業としての
存立条件を欠きつつあるということになるのではなかろうかと、こういう
感じを持っております。
第一の、もう少々
食糧の
供給機能が必ずしも十全でないということについてふえんを申し上げすするというと、いわゆる
国民の
食糧の
供給、需要に対応して
バランスのとれた
供給が行なわれていない、いわゆる短期的あるいは長期的に見まして
バランスを失しておる、需給の均衡がとれておらないという点でございます。
農産物−
季節の豊凶というものの支配を非常に受けまするので、若干の
季節変動というものは容易に避けることがでにきくい性質を持っておりましょうけれども、たとえば御案内のとおりの、最近の
季節、
季節に吹きまする野菜の価格の乱高下でございますとか、あるいは牛乳の
消費の停滞、もしくは不足というようなことでございますとか、あるいはこれは必ずしも短期的と言えないかも存じませんけれども、前年に比べて昨年来のミカンの大幅な過剰でございますとかいうような現象が一方にございます。るる説明を要しない点かと思いまするけれども、より基本的には今日の
農業の体制では、より長い、五年、十年という将来にわたりまする
国民の
食糧、必要な
食糧をとうていまかないきれないのではなかろうかという
感じを持つのでございます。それはどういうことかと申しますと、たとえば四十六
年度農林省調査によりますと、
農業生産の
生産額四兆三千億円と、そのうちに
国民に直接に
食糧として
供給した
食用農産物は四兆一千億である。つまり、
農業総
生産の中の大部分のものが
食用農産物であるということでございますが、一方で、四十六
年度中に
国民が
飲食費として
消費をいたしましたものは十四兆円余、十四兆二千億円おおよそ三〇%弱のものを国内において直接
食糧品として
日本の
農業が
供給しておるということでございます。今日のようなこの
程度の、現在
程度の
農業の
食糧供給の
役割りというものを、かりに五年後なお維持をするんだと、これ以上に
食糧供給という
機能を低下させないんだというふうに考えまして、五年後を一応モデル的に予測をいたしますと、たとえば
政府の
長期見通しによりますと、
昭和五十二
年度におきまする
国民の
食糧消費支出は、
飲食費の支出は、四十六
年度十四兆円に対して二十六兆六千億円にふくれ上がる。したがって、今日
程度の、つまり価格を
一つの指標といたしまして
機能を果たすという仮定でものを考えまする場合には、つまり、今後なすべき
農業の
役割りというものをはかりまするというと、おおよそ八兆円。もちろん機械的にこの三〇%の
役割りというものをすぐさま金額で五年後に引き伸ばすということはなかなかむずかしゅうございましょう。当然、その
生産、流通、加工に至ります過程でいわゆる
付加価値部分というものが当然にふえてまいりまするから、相対的に
農業生産の寄与の割合というものは低くならざるを得ないということはございまするけれども、ごくモデルとして考えました場合には、五年後の五十二年において、
農業の
生産額は、あるいは
食用農産物の
供給額は八兆円前後、つまりほぼ今日の
倍程度にその
供給能力を増加させていかなければこれは
国民食糧は足りませんと、こういうかっこうになってくるかと思うのでございます。
農業基本法にも
指摘をされ、すでに十年余以前に
食糧総
生産の増大ということがその法律の大前提、目標として掲げられておるわけでございますけれども、そういう
食糧供給、
食糧需要の増大に対応する
供給がなかなか今日の状態ではできにくいであろうということでございます。とうてい今日までの、年率、過去数年間六%
程度の
農業生産の増加テンポでは、倍増する需要に対応することはできにくいだろう、こういうぐあいに考えるのでございます。
いま
一つは、その需給のアン
バランスという点について、たとえばこの四十六
年度に
農業生産のあげました
食糧農産物の金額四兆一千億円のうちの一兆五千億円というものが米であったわけでございます。残る二兆六千億円
程度のものが米を除くところの畜産物、果樹、蔬菜、こういうことになります。かりに、五年後、八兆円前後の
食糧農産物の
供給が必要であるとして、米はすでに現在
程度でよろしいのだということになりますというと、米以外の
農産物の増産と申しますものは、少なくとも二
倍程度では済まない。二倍、三倍あるいはそれ以上に米以外
農産物の
供給をふやすのでなければ、現在
程度の
農業の寄与というものを維持することは困難だと、こういうことになろうかと思うのでございます。
食糧の需要が非常に増大するであろうと、こういうことを申し上げますと、ややもすれば、むしろ今日、
農産物は部分的に大幅なもしくは構造的な過剰時代に入っておるのではなかろうか。これは
農業生産者の方々からもしばしばそういう疑問を提出されることがございます。ただ、私どもの感触といたしましては、全国の今日
国民の
食糧消費水準と申しますものは、先進欧米諸国に比べまして決して高いものではない。あるいは勤労者あるいは全国世帯の平均の月々の
食糧消費額などを見まするというと、驚くほど非常にその
水準は低いということになろうかと思うのでございます。
先ほども稲葉先生からお話がございましたように、今後相当に
経済の
発展テンポは高いものが見込まれ、おのずから一般
国民所得も増加をし、当然
消費支出も年率およそ一二%
程度ずつは
発展していく。
所得の増加に伴ってその
消費水準が上がることはまことにけっこうでございますが、そういう
食糧消費の増加に対応し得るような
供給体制にただいまなっておらない。私どもは今日の
農業の
生産体制、経営体制というようなものがそういう
発展の能力に欠けておるという
感じがいたします。
さて、一体ではそういう
産業的な
機能、
役割りが低下するに至りました要因というものはどういうことかと考えますと、
日本の国土狭小ということがやはりまず第一に
農業の環境として取り上げられてよろしかろうと思います。つまり、農用地が狭い。おおむね今日五百七十四万ヘクタールというのが
農林省調査によりますところの耕地面積ということになっておりますが、この五百七十四万ヘクタールによって、一億
国民に相当
程度増加していく
食糧を
供給するというについては、資源的にそもそも制約があるということがございましょう。
いま
一つは、この土地資源の中で、四十七
年度生産調整が行なわれました水稲、米の作付面積の実績をみまするというと、これは二百六十四万ヘクタール、こういうことになっておりますので、つまり、農用地資源のおおよそ四五%が、米
生産のための、そうしてそれによって単
年度需給を保ち得ますための面積である。残るところの五五%の土地資源を活用することによって、そこに畜産物を
供給をし、あるいは果樹、蔬菜を
供給をし、それぞれ増大する需要に対応しなければならないということがありますわけで、やはり国土資源の制約というものは
農業の
供給力に一定の限界を画する、こう考えてよろしかろうと存じます。
その次にもう
一つ、資源的といいますより、むしろ
経済社会的な
供給能力の不足、低下という要因は、これはやはり米が戦前戦後非常に不足でございましたが、しかし、その
食糧としての価値がきわめて高いということによって、この水田面積が国土面積のほぼ半ばに達するということは、貴重な、有益な、有効な米という
食糧資源を
生産いたしますために、もっぱら土地もしくは経営というものの仕組みが米
生産のために
編成をされる、そういう努力が戦前、戦後半世紀、一世紀傾けられてきたというところからやはり生じておろうかと思います。半世紀、一世紀の歴史的な
農業構造というものをにわかに転換をし、他作物の
供給力を一挙に増大をさせるということは、
農業本来の性格からいって、そうたやすいことではなかろうということが考えられます。そしてまた、いわゆる米の
生産の仕組みというものがきわめて、冒頭に「伝統的」と申しましたけれども、同時に、本来全体として狭い農用地が、これが多数の零細な保有者、数多くの農家によって、それも実に分散的に保有をされておるというところに、やはり
生産力を拡大いたしますための阻害要因があろうかと、こう考えます。
いささか卑俗な比較を試みますというと、今日、一戸当たり農用地面積は農家にとって一ヘクタールということはどなたも御承知のことでありますが、この一ヘクタールの面積というものは、決して先進諸国と比べて大きくない。ヨーロッパ、ECにおきまして最もその経営面積の少ないといわれる西ドイツにおいて十一町、十一ヘクタール、あるいはオランダ、ベルギーなどにおいて十七、八ヘクタール、あるいはフランス等の平均面積がおおよそ二十四、五ヘクタール、
日本の農家経営の単位面積は戸当たり一ヘクタール、しかも、これは一戸当たりそれでは平均的に何枚の田畑を持っているか、こういうことになりまするというと、十六枚に区分をされておる。つまり農用地総面積五百七十万ヘクタール、六百万ヘクタール弱のものは、田畑枚数にしておおよそ一億枚というふうにこま切れになっておる。なお今日、全国に構造改善事業はすでに十年を経ておりまするのに、こういう状態であるということ。そして、この状態は、これは東畑精一先生がお書きになられておる古い書物、おおよそ三十年あまり前、
昭和十五年当時御調査になった資料から拝借いたしますと、おおよそ当時の人口七千万人、農用地六百万ヘクタール、農家六百万戸、そしてその平均面積はしたがって一ヘクタール、その田畑の筆数は九千七百万筆、すなわち、一戸当たりの保有面積一ヘクタールは十六枚に分かれておる。半世紀を経て、なお今日、田畑の個々の農家の農家経営といわれまするものの保有状況というものは少しも変わっていない、どこに構造の進歩
発展があったかと思わせるほどに。そういう資料もございますわけです。つまり、そのようにして、どうも、こういうことがございまするというと、たとえば個々の農家が些少の面積でそれぞれ多様な作物をつくります場合には一おそらく恣意的、気ままと言うと語弊がございましょうが、恣意的にならざるを得ないでございましょうし、おのずから
季節変動を多からしむるということにもなりまするでしょうし、また豊凶、自然の気象の影響を受けることも大きいということになろうかと思います。つまり、こういう状況がやはり
農産物のより大きな
供給力を造成いたしますためのいわば社会的あるいは自然的要因であろうと、こういうふうに私どもは考えておるわけでございます。
次に、もう
一つ、
農業問題、いわゆる雇用側面といいますか、農家の
所得サイドといいますか、そういうところから考えまして、どうも
農業というものが今日働き手の十分な職場となり得ないという現象がございます。そして
農業所得を得まする場所として年々これは低下をしていくという困った現象があるわけでございます。たとえば、
昭和四十六
年度農家
所得は百六十万円、そして
農業所得は五十万円ということになりますというと、農家
所得の中の二八%——この二八%、五十万円と申しますものも、実はこの
生産調整の休耕奨励金を含んでおるもので、それらは
農業所得から除外をするという計算をいたしますと、二六%ということに、はなはだ低いものになる。
昭和四十年当時はなお四〇%、四二%、四十四年には
農産物価格の値上がり等もございまして、特に米価の引き上げ等もございまして、農家
所得の中で四割五分というのが
農業所得でございましたが、以来年々低下をして、四十六
年度においてはこういう状態であるということでございます。
そして、この農家
所得百六十万に対しまして、では勤労者の世帯
所得、世帯の実収入は何ほどか。勤労者世帯では、まあ働き手も違いますし、農家において二・六人、夫婦に年寄り、あるいは子供というかっこうになるでありましょうか。勤労世帯では二人、その世帯の実収は百五十二万円ということで、いわゆる農家
所得と勤労世帯
所得を比較いたしますならば、ほぼ均衡あるいは若干農家
所得が上回るという姿になっておりますものの、
農業所得は先ほどのように五十万円であるということでございます。で、
農業基本法の中では、
一つの農政あるいは農家の努力目標として、少なくとも
農業所得において勤労世帯
所得に均衡し得る、それによって勤労者生活
水準と農家生活
水準とが均衡し得るということを
一つの目標としておったわけでございまして、そういう農家をいわゆる自立経営農家と、こう言っておるようでございますが、今日では、そういう勤労者世帯実収入百五十万円というものをあげておる農家、戸数五百七十万戸の中で何ほどあるのか、四・四%と、こういうことになっております。つまり、ごく俗に言えば、
農業で食い得るというのは数百万の中のきわめて微々たるものにすぎない、こういうことでございまするし、また、実際に皆さん方が実感なさいますいわゆる二町百姓というのは、少なくとも
日本の農民の感触から申しますと、かなりの大百姓ということになるでございましょうが、この全国農家のたかだか四・四%にすぎない、ほぼ専業的な二町以上の農家においても、その平均世帯
所得は百十八万円であって、これははるかに勤労者世帯
所得に及ばない、こういう状態があるわけでございます。
農業でなかなかに家計は成り立ちにくいということでございます。
一方、将来この
所得の方向はいかがであろうかと考えまするに、
政府のいわゆる長期
計画によりまして、
昭和五十二年におきまするところの目標をおおよそ推測いたしますと、勤労者の
所得の
伸び年率一二%ということになりますと、四十六年を基点にいたしまするならば、六年間でちょうど倍になる、こういう形、かっこうになるでございましょう。つまり百五十二万円という実収入は五年後、五十二年において三百万、これが勤労世帯の平均
所得であるということになるでございましょうし、一方、
農業によってそれを得ようといたしますならば、経営面積が大幅に拡大をするか、その土地の面積当たりの収穫量が大幅にふえるか、さもなければ
農産物価格が相当
程度上がる、あるいはそれらが並行するということでなければ、なかなかその実現は困難でございましょうけれども、まず、これら
農産物価格が大幅に上がることも望み得ますまいし、いわゆる土地規模を拡大しますることはきわめて今日困難でございます。いわゆる
農業所得、勤労者世帯
所得の格差は、今後かなり大幅に開いていくでございましょう。そして、現状のままにしてありますならば、かなり開いていくでございましょうし、おのずから、そこで働きます
従事者に応分の
所得、世間なみの
所得を与えるような場所とはならない、なりにくいということがあろうかと思うのでございます。
では、そういう要因、あまりくどくど御説明を申し上げる必要もほとんどないかと思うのでございますが、
一つには、やはり勤労者の実収が向後五年間少なくとも年率一二%
程度ずつ
上昇していくことが見込まれ、あるいは過去五年間一〇ないし一五%前後ずつ勤労者の
名目所得が
上昇してきたというような実勢は、先進諸外国に比べて、おおよそ、かなりに距離を持った高さであるわけでございまして、一方、
農業の世帯
所得の増加、年率六、七%前後というものも、先進諸国に比べますればかなり高いにかかわらず、
農業の外部
経済の
発展テンポが非常に激しいために、農家の
所得もその開差を縮めることができない、むしろ、その開差が拡大をしていくという理由が当然考えられるわけでございますが、いま
一つ、
農業の中にも、規模を拡大することが困難である、経営の零細性を克服することが困難である、こういう事情があろうかと思うのでございます。
御参考までに、この経営零細性、先ほど来一軒の農家平均一町と、こういうことを申しておりますけれども、もう少々いわゆる農家経営規模というようなところに立ち入ってみまするというと、三反以下、三十アール以下の農家戸数は総農家戸数の三割、三〇・六%ある。五反以下を含めまするというとほぼ半分、四七・六%である。あるいは今日、一町、一ヘクタール以下、この一ヘクタール農家の中にも、いわゆる第二種兼業農家というものは非常に多うございますが、これら主として
農業の外の収入
所得に依存をする農家は七二%ある。こういう形になっており、そして、この第二種兼業農家と申しますものは五八%ということになっております。約六割弱は、
農業であるよりも、むしろ
農業外の賃金、俸給等の収入を生活のささえとしておるということになります。また、こういう第二種兼業農家、六割の兼業農家が農用地五百七十万ヘクタールのうち四〇%を保有しておる。三反、五反という形で保有しておるということでございます。
つまり、これらの農家は、その農用地面積を、資産約保有、財産として持っておる、土地を管理しておると、こういうふうに言われまするけれども、これらの兼業農家が主として米を作目として、米の
生産額のおおよそ四〇%をこれら第二種兼業農家が持っておる。手間がかからぬ。米をつくっておる分には、まずまず、
政府が買い取り、その価格は安定しておるという形、米をつくることによって財産的な農用地を管理しておるという形が出てまいり、おのずからその用地はなかなか流動化をしない。また、二種兼業農家の耕地利用率は、そういうことでございますので、一〇〇%利用されず、
生産調整ということもございまするけれども、九四%
程度、
日本の六百万ヘクタールの農用地がフルに活動いたしまして、たとえば裏作に、なたねを植える、麦を植えるというような時代には、おおよそ一二〇%、一三〇%
程度の耕地の利用率があったのでございますが、今日平均的には一〇四、五%、兼業農家においてはその利用率は下がる、こういうかっこうになっております。
これらは、つまり
農業所得を維持いたしますための、まず経営の基盤というものがきわめて零細であるということでございますが、別にこれは今日珍しいことではない。戦後新たにそういう状態になったわけでもない。戦前戦後、
日本の農家経営は、米をつくる、水田を次々開発をする、米をつくるためには水を流すというような形で、むしろ耕地は細分をするという形に年々なってまいったものでございましょうし、いわば米作というものを中心にした
日本農業の
一つの特質ということになるのかもわかりません。しかし、戦後四半世紀を経、米がいわゆるその
生産力として相当に過剰であるということが言われ、
生産調整に入りまして数年を経ておりますが、今日なお、その農用地の構造と申しますものは、戦前と、半世紀、一世紀以前と、ほとんどその姿を変えていないということがあるわけでございます。一口に申しますと、ますます、
日本の
農業経営の基盤、その零細のものが、
日本の
農業の
所得の源泉として、あるいは
従事者の活動の場所として、就職の場所として、きわめて不十分であるということであろうかと思います。
以上は、はなはだ断片的な
農業の
産業としての
食糧供給機能がはなはだ停滞的である、その要因には、
農業の経営構造という問題があり、同じ問題が、やはり一方では、
所得の場所としての
農業の雇用吸収力の低さというものの大きな要因でもあろうではないか。職場のチャンスとして、若い青年に魅力を持たせ得るような場所として、はなはだ今日の実情は貧しいと、こういうふうに考えられるというわけでございます。つまるところは、最もその
産業の存立いたしますための基本
条件であるところの、その
産業の
役割り、そこに働く者に
所得を与え得るような
所得の源泉という
条件を二つながら備えておらない、逐次それらの
機能は低下をしておる、ということがあろうかと思うのでございます。
さて、こういう零細経営、伝統的あるいは歴史的な零細経営もしくはその基盤というものが、ではどのように由来をしておるのか、あえて申す必要もございますまいけれども、先ほど来、実は米を中心にした
日本の農政がつちかってきた、それは
一つの経営、
生産の仕組みであろうというふうに私申しましたが、同時に、戦後におきましても、戦前的なその仕組みが変わらない。変わっておらぬためには、やはり戦後におけるおおよそ四半世紀の期間の米不足という事情があったであろうことが考えられるわけでございます。
少し脱線をいたしますけれども、少なくとも戦後二十年代から
昭和四十年に至りまするまで二十年間、戦後の二十年間は、米のいわゆる絶対的な不足期間、そして一方では、米と申しますものは、単位当たりの収穫量あるいはたん白
生産量というものが非常に豊富である、あるいは、米をつくることが最も農家の
所得に実りを与える、あるいは米を
国民が
食糧といたしますことが最も家計にとってコストが安いというようなさまざまな美点があり、戦前戦後を通じて、戦後もやはり米増産ということが
日本の農政のほとんど唯一の目標であったと言ってよろしかろうと存じますし、それはまた正しかったというふうに言えようかと思いまするけれども、遺憾ながら、そういう伝統的な米の
生産経営構造と申しますものは、今日以降の増大する米以外のその他作物の
供給力を大幅、急速に伸ばしてまいりまするためには、なかなか対応しにくい状況にある。
もう
一つ、こういう、いわゆる戦前以来から零細である、過小である、あるいは分散的であるという、さまざまな呼び方で言われてまいりました
日本の
農業経営の構造と申しますものは、実は戦後二十六年の農地法によってこれが
一つの原理、原則、
日本の
農業体制の原理、原則になっておるということであろうかと思います。農地法は、家族経営、あるいは小農経営、そういう制度を原則としておる。その裏に流れておるものの考え方は自作農主義である。家族みずからが土地を持ち、働き、そこに家族の預貯金、資本を調達をして、主として米を
生産するという家族の小農経営というものがいわゆる自作農主義と言われるものであろうかと存じますが、そういうものが農地法によって制度化されている。そして四十五年の農地法の一部改正に至りますまでは、農家が持ってよろしい農用地の面積の上下限が限定をされておる。今日上下限はそれぞれ一応改正によりまして取り払われたことにはなっておりますものの、しかし、その農家の保有面積は、制度的には家族の働き得る範囲の面積というところにおおよそ、ものの考え方がある。つまり、全国平均一町歩と申しますのは、戦後の農地改革の結果、農民の土地所有ということで均分をされました。その姿が制度として今日まで四半世紀一貫して固定をされておる。それを売買、賃貸することはきわめてきびしい制約の中にある。農地法は今日なおその精神において厳存をしておるということになりますと、どうも規模拡大ということと、家族の小農経営を原則とするということとは、なかなかその趣旨が結びつきにくいのではなかろうか。
農業基本法の中では、総
生産の増大ということを目標とし、
生産性を高める
農業の組織をつくる、そのために構造
政策が必要であり、作物の選択が必要である、構造
政策の眼目は規模の拡大である、それによって、いわゆる自立経営を育成をし、いわゆる生活
水準の均衡をはかる、こういうことになっておりまするけれども、どうも、いわゆる企業的
農業育成というふうに言われておりまする基本法の原理、原則と、農地法の、今日の
農業のございまする
日本の秩序というものとは、にわかに結びつきにくい。矛盾するとはあえて申しませんが、相当
程度飛躍をしておるのではなかろうか。今日以後、もしもその農地法というものが有形無形に農民に、もしくは農政推進上の
一つのネックということがありとするならば、農地法はすみやかに改正をしていただくということが将来への展望の道を開くのではないか、かように私どもは考えておるわけでございます。そして、少なくとも零細経営というものから脱皮をするということが必要ではなかろうか。
しばしば、この零細経営から脱皮をする、農用地を拡大をする、集団化をするというようなことが言われまするについて、それは当然、一方に犠牲者を伴う、いやおうなく
農業から離れなければならぬ犠牲者を伴うのではないか、こういう批判が起こり得ます。ただ、しかし、今日非常に
農業、農村というものの変貌は著しく、たとえば四十六
年度、対前年に比べますというと、
農業の働き手は一挙に一〇%弱、九・八%も減少する、そして相当
程度戸数の減少も年々拡大をしてきておる、増加してきておるという状況がございます。四十五年のいわゆる世界
農林業センサス、
日本で行なわれました四十五年調査によりまするというと、
農林省調査によりまするというと、いわゆる農村と言われますものは、全国町村およそ三千百と、こう言われておりまするが、その三千百ないし三千町村ほとんどが農山村地域ということになりましょうが、その農村における集落は十四万一千あるそうでございます。そうしてこの十四万一千の集落の平均世帯数は八十二月ということが報告をされております。では、その農村の集落部落の中の八十一戸の農家と言われるものは何ほどあるか。非農家五十五戸、専業と言われる農家二戸ということでございます。つまり、全国平均ということでは必ずしも実態に沿わないかと存じまするけれども、農村と言われるものが、今日実はその部落の大半は非農家であり、そうして専業、
産業にその収入のささえを得ておるという農家はたかだか二戸である。その他はいわゆる兼業農家である、こういうことになっておりまするわけで、したがって、
農業外の他の施策と相まって一やはり
農業の
生産力、農山地域の
生産力、あるいは
産業的な
機能の復活ということを考えてまいりまするためには、ここに相当
程度の、
農業の内外からいたしまするところの施策を施すことが必要ではなかろうか。やはり今日の
農業、いわゆる
農業体制と言ってよろしい
日本の
農業秩序、農地法改正ということと、それと表裏いたしますところの村落の再認識、それに対するところの施策というものを、私どもは、ぜひ政治、
政策の段階で
お願いをいたしたいと、こう考えるわけでございます。
農業問題というものをどんなふうに考えておるかということをについて、われわれの感触を御披露いたしましたわけで、お話はかなり抽象的なお話になったかと存じます。
一言申し添えたいと存じますことは、今日、御承知のように、いわゆる世界の
食糧と申しますものが、前年来、短期的に非常に不安定でございます。あるいはまた、国際機関の調査によりまして、長期の
見通しも必ずしも将来明るいということにはなっておらないようでございます。特に最近、海外
農産物の価格の変動というようなものが、直接
国民生活に強い影響を及ぼすということでございますので、どうやら今日、一方では国際分業というものについて、原則は原則として、あらためて、より緻密な再検討を要するのではなかろうかということが
一つございましょう。と同時に、先ほど来、需要が増大をしてまいりまする
国民食糧に対応するだけの能力自体が、今日そういう体制になっておらないということ。内外ともに
国民の最も基本的な生活の手段であるところの
食糧の
供給能力というものに、どうも欠くるところがあるという点で、農地法もさることながら、より高いレベルで、政治、
政策の中で
農業というものを
産業としてどのように位置づけるかというお立場で、あらためてこの
政策上の御検討を
お願いしたいと、かように思うわけでございます。
なお、いろいろ御疑問、論点がございましょうと思いますが、若干具体的なお話は、もし御質問がございましたらば、お答えいたしたいと思います。(
拍手)