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公述人(長洲一二君) それでは、私は、
経済一般というテーマを与えられておりますので、特に福祉
経済への転換という点にしぼってお話を申し上げたいと思います。
成長より福祉へと、いまやこれは全国民的な合意事項になっておりますけれ
ども、しかし、私の見るところ、問題の中身の理解はいまだ明確でありません。また、実行は実績が上がっていないと言わざるを得ません。それどころか、私の感じでは、むしろ福祉逆行の危険な徴候がかなり濃くなっていると思われます。
一昨年の円切り上げの騒ぎを通じまして、国民は、いわばはだで感じ、からだで学んだと思いますが、従来の高度成長路線、いわゆる産業優先、輸出優遇という、そういう資源配分政策がとられた結果はどうであったか。雑な言い方でありますけれ
ども、産業の生産力はいわば一流国になり、しかし労働条件は二流国、社会保障と生活関連の公共施設は三流であり、公害のみ超一流と、そういうアンバランスが生まれました。これがよく言われます内に弱い円をつくりました。その内に弱い円をつくったからこそ、それに乗っかってある
意味でのダンピングとなって、外に対してはアニマルと呼ばれるまでに強い円ができた。こんなことを、国民は、理屈は抜きに、はだで感じ、学んだと思います。それから一年間、残念ながら福祉
経済への実効ある転換をなし遂げることができなかったのではないかと思われます。そして、この悪循環、内に弱い円と外に強い円との悪循環を断ち切らない限り、国内では産業と生活の二重構造、そして国外では国際摩擦、こういう悪循環が今後も続くのではないか。その証拠が、たちまちにして円再切り上げに追い込まれました。その
意味では、私は、円切り上げの問題は、もちろん外圧という点もありますけれ
ども、単なる外圧ではなくて、
わが国の
経済のあり方、
経済運営の方式そのものに内在する内因に基づくと、こういうふうに感じます。
実際考えてみますと、産業成長第一、産業先行、輸出優先、こういう
経済政策は、今日、まことにばかげた
経済構造を生んでいると思います。
日本経済は、御
承知のように、
世界じゅうから資源を買い、
世界じゅうに製品を押し出して輸出している。こうして、言ってみれば
世界じゅうから公害を集め、
ドルを集め、国内にあふれさせております。しかも、せっかく集めた
ドルは、御
承知のように、日ごと月ごと
価値が減ってまいります。のみならず、それが過剰
流動性となりまして国内であばれ回って、土地から米や脱脂綿にまで至る買い占めと投機の波で全土をおおっている。しかも、この
ドルは、いま
ヨーロッパでは
ドルのことをトランプのばば抜きと言っているそうでありますが、その
ドルをせっせと集めながら、しかも、集め過ぎると言って外からは目のかたきにされ、袋だたきにされる。こうして、考えてみますと、国民はまじめに汗水たらして働けば働くほど、内に環境破壊とインフレ、外に国際摩擦と外圧による円切り上げ、こういう悪循環にはまり込んでいる。私は、その点で、外圧と内因は表裏一体連動しているというふうに
経済学者として考えます。こういうところから、成長より福祉といういわば路線全体の、ないし
経済構造と体質全体の転換が、単に倫理的な要請であるだけではなくて、
経済のロジックの要求になってきたというのが七〇年代の
日本経済の基本的な問題だろうと思います。
しかし、残念ながら、初めにもちょっと申しましたように、いまのところ、私
どもの力の不足もありますけれ
ども、福祉
経済というのは、いわば
ことばのみはんらんしておりますが、実体が不明確である。むしろ、現実には、反福祉
経済への
——私の感想でありますか
——現状はかなり危機的な動きが出ているのではないかと思われます。特にこわいと思いますのは、インフレーションとスペキュレーションの大波であります。福祉
経済の優先が叫ばれているまさにそのときに、御
承知のような物価上昇と買い占めが大規模に開始いたしました。言うまでもなく、こうした動きがもたらすものは何であるか。
一つには、花見酒的な利潤追求、そして、他方では、不平等の拡大であります。それから二番目には、国民みんなが何となく感じている不公正感の感覚であります。そして、三番目に、私は何より危険なのは、このままでまいりますならば、国民的な心の荒廃が起こるだろうと思われます。実際、スペキュレーションとインフレーション、この大きな波が今日のように続いてまいりますならば、明らかに人を出し抜く人が得をします。まじめに働く人は損をいたします。こうした中では、連帯感が国民の中に生まれるはずはない。冷たい空気が人々の心の中にしのび込んでおります。こういうふうに考えますと、もちろん最近言われておりますように、商社、銀行、不動産会社等々のモラルの低下ということ、これはそれ自体として責めらるべき問題でございますけれ
ども、その
意味でまた規制の強化というのは当然かと考えられますけれ
ども、しかし、同時に、今日のように国民総投機、国民総買い占めのムードに走らせられているような前述いたしましたような
経済構造がやはり問題ではないか。そういう点で私は、少し
ことばは大げさかもしれませんが、今日の事態は、いわば構造的腐敗への徴候が濃いというふうに考えざるを得ません。
こういういわば危険な状況、持てる者は投機、持たざる者はギャンブルという、こういうふうに動きがちな徴候、これは、歴史的に見ますならば、大正末から
昭和初年にちょっと似たような状況すらあると言えるのではないでしょうか。そうした点、お集まりの
先生方は十分御認識と思いますけれ
ども、
経済学者である私
ども見ましても、非常に危険な徴候であり、福祉
経済への転換とはむしろ逆のきざしがあるということにぜひ御注目をお願いしたいと思います。そうしましたところから、私は、福祉
経済ということの実行について、少し中身について、しかしごく一般的な書生論議を申し上げてみたいと思います。
福祉
経済と申しますのは、何よりも、いま申し上げましたような、まじめに働けば働くほど内に環境破壊、外に国際摩擦を生ずるような
経済構造と路線そのものを転換するということであります。そして、いま申しましたように、不公平、不公正、そして精神の荒廃、こういうものをなくすことである。そのために、
日本の
経済力のいわゆる資源配分の比率を変えることだろうと思います。端的に申しまして、いままで、私
どもは、表現は雑かもしれませんが、人間が住む家よりも、機械を入れる工場とビルを建ててまいりました。安い月給で長時間働いてまいりました。公害も無感覚でございました。社会保障に回すべき金も産業にぶち込んでまいりました。だからこそ、生産力とGNPでは一流国になったと言えますけれ
ども、そうした結果、福祉のほうが三流国並みなのは、私は、よく高度成長のひずみというふうに言われますけれ
ども、ひずみではなくて、高度成長をささえた要因だろうというように思います。だからこそ、そのことがまた絶えず外圧による円切り上げという騒ぎを巻き起こしている。この点で、大きな
考え方の筋道の点で、かなりいままでとは発想を逆にしなければなるまいと思います。こうした産業と生活の二重構造をひっくり返す。そのためには、金と物と人の流れを抜本的に変えて見るべきではないか。言ってみれば、産業と輸出に
——これは私は
専門家として見て
専門家の友人たちもほぼ
意見は一致しておると思いますが
——いままでは片寄り過ぎた資源配分構造になっている。これを変えること、そのことがまたいわゆる円対策のほんとうの姿であろうと思います。そんな点で、ぜひ政治家の皆さんにお願いしたいことは、今度は思い切ってむしろ福祉に変更する実行をしていただきたい。福祉も成長も、成長も福祉もという二枚看板では、私はだめだろうと思います。あるいは現実にはまだ成長なくして福祉なしという気持ちと論理のほうが強力にまかり通っていると思います。私は、あえて申しますけれ
ども、曲がった竹をまっすぐに直すためには、反対方向にもっと一そう強く曲げてみるということが必要ではないかというふうに感じます。
そうした点で福祉
経済というものを考えていきます場合に、私は、さしあたり、大きな筋道として、とにかく先ほど申しました資源配分の比率を変えること、それからそのための
制度を改革すること、そしてまた福祉
経済を推進していく主体をつくっていくこと、大きく言ってそのようなことについて
先生方の御配慮をお願いしたい。
ことし老人年金がふえるそうでございます。私はまことにけっこうなことと思って歓迎いたします。これももちろん転換の大きな一環でございますけれ
ども、しかし同時に、それを認めた上で、それはしかし
一つの環にすぎません。やはり全体の構造、とりわけ比率を変えていただきたいと思います。単に大型の
予算を組んで、全体としてふくれた
予算の中で社会保障の絶対額がふえていくというだけでは、福祉
経済への転換はできないのではないかというふうに私は思います。
その点で、福祉
経済への転換の
考え方の筋道としまして、第一に、総需要の構成比を変えてくださるようにお考え願いたいと思います。
総需要すなわち個人消費、投資、財政、輸出、この全体の需要、この中で個人消費の占める比率、本日はこまかい数字を申し上げるつもりはございませんけれ
ども、
日本はほぼ半分であります。これは歴史的に申しますならば、
日本経済が戦時
経済に突入する以前の、準戦時段階と同じくらいの個人消費比率の低さでございます。そして、欧米はほぼ六割台と申してよろしいと思います。せめてこの六割台の欧米並みにまで個人消費比率を高める、総需要の構成比を変える、このことが福祉
経済への転換の大きな原則的な方向だろうと思います。
さらにその場合に、最近の
経済の特徴、先進国
経済の特徴は、福祉と申しましても、個人消費だけでは私
どもは今日市民としての生活欲求を満たしていくことはできません。どうしても公共的消費が必要でございます。その点では、総需要の中に占める財政の比率が大きくなること、これは当然でありますが、しかし、ただ財政の比率が大きくなるのではなくて、その
意味で単なる大型なるがゆえの財政主導型ではなくて、財政支出の中身が公共的な国民的消費の方向に力点が移行していく、比率が変わっていく、こういう財政の組み方、
予算の組み方をぜひお願いしたいと思います。シンボリックにもし申し上げますならば、私はあえて申しますけれ
ども、高速道路より保健所という発想が必要ではないかということでございます。
その点で二番目の原則といたしまして、私は成長よりも公共財を重視していただきたい。これが福祉
経済の二番目のポイントかと思います。
よく、教科書的なお話で恐縮でございますけれ
ども、
経済学者は申します。財政の機能は、公共的な目的と、公正すなわち所得と所有の分配の平等化、それと
経済の発展成長
——公共、公正、成長、この三点にあるというふうに一般に言われております。そしていままでのところは、財政の機能が成長のほうに力点が置かれてきたことは私は明らかだと思いますが、この力点を、今日すでにGNPで一人頭百万円の
時代になっているわけでございます。したがって私は、ここで大規模に財政の機能を公共と公正に重点を移行させることが必要であろうかと思います。
公共財の、ないしは公共的なサービスの提供、これは今日のような過密型、先進
工業国型の国家におきましてはますます重要になってまいります。そういう点で公共財、公共サービスの比重を高める。その場合に、これまたあえて申しますけれ
ども、公共事業、本年度の
予算でも公共事業費というのがたいへん巨額でございますけれ
ども、この公共事業の中身をぜひ議員の
先生方が十分に分析され、特に私
ども経済学者としては、公共資本ないし社会資本という名で一括されているためにまぎらわしいのですが、今日では、社会資本の中で社会的生産手段と社会的共同消費手段とを明らかに分けて考える、こういう発想が必要であり、実際にもちろん入りまじるところはございますけれ
ども、単純にそれを公共事業、社会資本という名で呼ぶことは非常に混乱を招きやすいというふうに思います。そんな点にも御注意をお願いしたいと思います。
かつ、実際にはこの公共的な財とサービスの提供が、どうも私は今日の状況では十分でない。十分でないどころか、戦後しばしば公共的財ないしサービスの提供を、むしろ私企業化いたしました。独立採算といったような名前で私企業化いたしました。しかし、私は財政学の伝統から考えまして、今日の動向から考えましても、警察、消防、教育の費用は赤字だといって騒いだことはございません。にもかかわらず国鉄、水道、電力あるいは健保、この赤字だけが赤字赤字といって騒がれるのは、まだその点の理解について、公共財、公共サービスが重要なウエートを占める
時代になっているという、この現代的な問題状況についての認識が国民の間に十分でないのではないかというふうに思います。そんな点で、少し何年かの計画でけっこうでございますから、公共財、公共サービスの提供につきまして、シビルミニマムと申しますか、ナショナルミニマムを明らかにし、公共料金政策をかなり根本的に考え画してみる、このことが必要ではあるまいかと考えます。
第三には、以上のこととも関連いたしますけれ
ども、私はいままでのようなGNPすなわちフロー中心の考えではなくて、ストックと分配を重視する、こういう
経済政策に転換すべきであると思います。
このストックという点でございますが、今後、
経済発展を考えます場合に、すべての基準になる、根底になるものさし、これは私は環境と資源だと思います。ところが、考えてみますと、今日、気がついてみるならば、一方での資源枯渇、他方での環境汚染、それを進めるほど
経済は発展し文明が進歩していく、こういう形に陥っているのではあるまいか。こうしたフロー中心主義の発想をきっぱりやめることが、今日GNPはすでにことしは四千億
ドルでございますから、この四千億
ドルGNP
時代の
日本経済の
考え方の中心ではあるまいかと思います。私は端的に申しまして、
先生方も
ヨーロッパその他へもお出かけだと思いますが、
日本が西ドイツやイギリスを抜いたなどというのはいかにまっかなうそであるかということは、現地をごらんになればすぐわかると思います。さらに
日本経済は、御
承知のように昨年は三千億
ドルです。ことしは、かりに二百五、六十円のレートになるといたしましたならば、すでに四千億
ドルです。そうして二、三年後にはおそらく五千億
ドルということになりましょう。五千億
ドルは一九六〇年の
アメリカのGNPです。そうして、やがて一兆
ドルというのは目の前に迫っております。一兆
ドルは、
アメリカでさえ昨年初めてGNPが一兆
ドルの大台に乗せました。すなわち、
アメリカの約四%にも満たないこの国土の上に、
アメリカ並みのGNPを乗せるという一兆
ドル経済、このことを考えますと、私は学生にも始終言うのでございますけれ
ども、一兆
ドル経済をこの四つの島の上に乗せる
ことば、はたして可能か可能でないか、望ましいか望ましくないか、このことは突き詰めて考えていかなければならない。
そういう点で何よりも大事な問題は、いまや環境と資源、このものさしで
日本経済をかっちりとはかってみることではないかと思います。そういう
意味で、私はあえてフローよりストックに重点を移行させるべきだ、そのための環境保全なり、ないしは資源節約型の技術の振興なり、あるいけ公害についてのPPP原則なりの確立、こうしかことが福祉
経済を推進していく基盤づくりとして不可欠であろうというふうに思います。
公正分配という問題については、もう申すまでもないと思います。今日GNPが、先ほど申しましたように一人頭百万円
時代になってきているのです。そういう
時代になれば、何よりも問題は、一方における環境と資源、他方における分配の小正、これでございます。分配の公正を精力的にやれば、
日本はかなりいい国になる、だろうと私は信じております。
もう
一つ四番目に、急ぎますけれ
ども申し上げたいことは、先ほど触れました
制度改革と主体づくりでございます。
これについてはこまかいことを申し上げるつもりはございません。端的に申しまして、戦後二十数年間、四分の一世紀、あるいは明治以来百年と申していいかもしれません、
日本の行政、政治の機構というものが、いわば生活中心の横割りではなくて、産業別の縦割りになっているということが絶えず指摘されております。今日、福祉
経済への転換を本格的にやるならば、この
制度そのものを縦割りから横割りに転換していく、このことについて大きな決断と実行が必要かと思います。
もう
一つその点で、主体づくりの点でお願いしたいこと、これも最近世論が高まっていると思いますが、治体の強化ということだろうと私は信じております。福祉
経済の現場は自治体だと私は思います。自治体の住民ならば、サンダルを突っかけて役所に参ります。議員の方々に会いに参ります。国会は、こんなことを申し上げては申しわけありませんけれ
ども、あまりに遠くなっております。私は福祉
経済の現場は自治体である。そのためにはやはり国会の議員の
先生方が率先して、この現場の自治体の行・財政権を強めるような方向に、今日の
制度をいろいろ改革することに勇気を発揮していただきたいように思います。このことが主体づくりの点でございます。
そうした中で、あと簡単に申し上げますが、ことしの
予算案を拝見いたしまして、こまかいことは私にもよくわからない点がたくさんございますが、思いつく数点だけ最後につけ加えて
意見を終わりたいと思います。
一つは、私は
予算の作成のプロセスというものが、どうもやはりいままで申しましたような縦割り型の中で何%増というワクで要求をさせる、いわば積み上げ方式というのがすでにもう福祉
経済への転換の課題にそぐわなくなっているのではないかというふうに感じております。硬直化した
制度をそのままにして積み上げ方式でやるために、当然増でほとんど食われてしまう。したがって新しい新規のこと、福祉重点の財源が乏しい。こういう
予算作成方式について再検討が必要ではないかと感じます。
二番目に、歳入面でございますけれ
ども、この面では、先ほど申しました公正という点にぜひ財政が威力を発揮していただきたい。特に税負担の公正化でございます。これはもう言うのもやぼくさいくらいな感じでございますけれ
ども、国民の中でクロヨンとかトーゴーサンとかいわれていること、多年いわれているままでございます。あるいは、これは大体
専門家の間ではほぼ合意事項だろうと思いますが、私はやはり
日本は法人税が低過ぎると思います。これをせめて西欧並みに高めること。けさの
新聞ではそういう方向を政府も御発言になったようでございますが、これはぜひ実行していただきたいと思います。法人税
——国税・地方税を含めまして、この税率の変更は、私はいまや天の声だと思います。それとあわせて秘税特別措置等々でございます。
もう
一つは、税制につきまして、ただ歳入だけではなくて、環境保全とか福祉
経済への全体の誘導政策として税制を活用するということもぜひお考え願いたいと思います。まあ、たとえばでございます、適当かどうかわかりません、しかしたとえばガソリン税は思い切って倍にしてみる。しかもそれは目的税として道路につぎ込むのではなくて、社会福祉につぎ込む。こうしたような新しい発想、ないしはプラスチックについての等々の、新しい税制といったようなことについても従来とは違った発想の取り組みをお願いいたします。もちろんその中に、先ほど触れました国と自治体の間での財源の配分についてかなり抜本的に改革をやってみる、そうした御研究もぜひ国会でお願いしたいと思います。
もう
一つ、三番目の歳出面でございますが、この面でも、もう申すまでもございません。先ほど申しましたように、絶対額よりは構成比を変えるという観点でお願いしたいと思います。社会保障の費用、ことしはだいぶ絶対額はふえましたが、しかし構成比はあまりふえていないように思います。数年前の構成比、一時期かなり高かったころとあまり変わっていないのではないでしょうか。その他、先ほど申しました公共事業費の中で、産業別とそれから生活別というものを区分けして考える発想。
それともう
一つ、これは歳出全体について申し上げられることでございますけれ
ども、過去の高度成長期に次々に実績として積み上げられて既成事実になっております各種の産業優先、輸出優遇の諸措置、これをぜひ
先生方の手で一度全部網羅的にリストアップして、今日必要か必要でないか、総点検をやっていただきたいように思います。例が適当かどうかわかりませんが、私は開銀、輸銀等への財投が今日なぜああいう形であれだけ必要なのか、考え直してみる値打ちがあると思います。計画造船になぜ民間資金だけでやっていけないのか等々のことにつきましても、まあこまかい点はたくさんございますが、そうしたあらゆることにつきましてかなり再点検してみる。そのためには、過去の諸措置についてぜひ全体をリストアップしてみる。
一つ一つばらばらにではなくて、そして、その体系を考えてみるということは必要ではないのでございましょうか。
こうしたところから、私は、
経済学でよく申しますが、トレードオフと申します。すべてを全部一ぺんにやることはできません。どこかをやればどこかがへこみます。こうしたことを国民の前にさらけ出して、国民に選択を求めていただきたい。私は、
日本国民は決して何でもすぐやれというほどのんきでもなまけ者でもないと思います。選択肢を明確にされて、この点はがまんしてくれ、この点はしかしやろう、そしてこういうプログラムでやろうというふうに提起されますならば、
日本人はそれにたえると思います。そういう点で、私は国民の前にトレードオフの選択肢を明確にする。そのために過去の諸措置をリストアップし、総点検し、そしてどこが欠けているか、どこが過剰であったか、これについて国
会議員の
先生方が国民に世論を喚起してくださるようお願いいたします。
そしてその中で、私はもう時間もなくなりましたので申し上げませんが、むしろ福祉重点のために大きく路線を転換するための、緊急三カ年プログラムといったようなことが今日最も必要ではあるまいかというふうに感じております。
先ほど冒頭にも申しましたように、私は今日の状況は、
日本経済明治百年以来、あるいは高度成長を終わった時期、ちょうど第一次大戦の高度成長が終わった大正末から
昭和期のような大きな歴史的曲がりかどに来ているというふうに私は感じます。しかも、書生の感情的な誇張かどうかわかりませんけれ
ども、かなり危機的なものも感じます。先ほど申しましたように、このままでまいりますならば、いまの構造のままならば、国際的摩擦が激化し、孤立の中の公害列島になり、人々の心は荒廃していく、こういう危険を私は、誇張でなく、私自身感じているわけでございます。どうかそうした点で、どうぞ、先ほ
どもちょっと申しました、何か一生懸命働けば働くほど何か国土が荒れ、インフレが進み、みんなの心が冷たくなり、そして外からは
経済侵略とたたかれる、まじめに働けば働くほどこうなっていくという状況から国民を救い出す、それはやはり私は政治のイニシアチブが必要だろうと思います。ぜひ、そういう点で、先ほど申しましたように、曲がった竹をまっすぐするために、思い切って福祉偏向の
経済政策と
予算を組んでいただきたいように思います。
御清聴ありがとうございました。(拍手)