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説明員(
磯崎叡君)
動力車労働組合と私のほうとの問題につきまして、簡単にいままでの
交渉の
経過を申し上げます。
結論から申しますと、
けさ午前零時三十三分ごろ、
動労から私
どもに電話で通知が参りまして、十七日に
ストライキに突入するという通告がございました。その前に、昨日の九時半から約一時間、私と
動労の
委員長と二人だけの会談をいたしました。
そもそもこの問題は、御
承知のとおり、去る三月五日から
動労が
順法闘争に入ったわけでございますが、その
要求事項は、実はその前の日の三月三日土曜日の夕刻、突如持ってまいったものでございまして、御
承知のとおり、いままでの
労働慣行から申しますれば、十分
折衝した後に、その後いわば
実力行使に入るというのが、いままでの
労使間の二十数年間にわたる
ルールでございました。今回はそうでなしに、まず
実力行使に入ってから
交渉するという非常な異例な姿でもって始まったわけでございまして、その結果、五日から非常に大きな輸送の
混乱を示したわけでございます。その後、連日ほとんど徹宵いたしまして、
説得あるいは
交渉を重ねて問題の
解決に当たってまいりました。この間、去る三月十日には、
労働大臣から双方に対しまして問題の
解決につとめなさい、とにかく
実力行使をやめて、そして
事態の
収拾をはかるようにという御要望がございまして、私のほうといたしましては、
全力をあげて、その御趣旨に沿うべく
努力をいたしました結果、同じいわゆる
共同闘争を組んでおりました
国鉄労働組合は、三月十一日の未明に
事態を
収拾いたしまして、そしていわゆる
闘争をやめたわけでございます。ところが
動労のほうは、これにこたえることなく、あくまでも
闘争を継続いたしまして、私
どもといたしましては、極力良識を持って行動するよう
説得を重ねまして、また、いろいろ具体的な問題につきましても
解決につとめてまいりました。その間、
運輸大臣からも、特に
保安の問題については、これは
労使問題以前の問題として具体的に真剣に取り組むようにというふうな、特に
大臣の御指示もございまして、私
どもといたしましても、
保安設備の問題は、まず
国鉄の経営上安全が第一であるという公の責務の立場から、いままでよりさらに一そうその
整備につとめるというふうにいたしまして、そうして、いろいろ前向きに、また具体的に話を進めておったわけでございます。
それで、昨日の
交渉の
過程におきまして、いわゆる
スケジュール闘争として、きょうは
ストライキをやるというふうな
スケジュールも聞いておりましたので、私
どもといたしましては、
諸般の
情報に基づきまして、いわば最終的な私としての
提案をする
段階であるということに考えまして、
諸般の情勢から考えますと、いわゆる運転
保安問題については、私の去る十三日に行ないました
提案について、おおむね満足であるという
情報を得ておりました。
さらに、最も
動労の
焦点といたしておりました深夜の
乗務の
回数でございます。これが
動労側の最終的な問題の
焦点であるということ、これは各
方面から種々
情報を集め、また、
予備折衝の
過程におきまして、おおむねこの問題が
問題解決の山であるということは確定的であったわけでございますので、それにつきましても、実は
国鉄労働組合がすでに同じ問題を出しております。片っ方が
闘争をして
解決したというのでは、これはやはり
労使間の
ルールに反しますので、十分
国鉄労働組合とも、事前にと申しますか、
意向も聞きまして、そうして深夜の交番の
回数を減らすということで、前向きに
協議して、早急に
結論を得るよう、私
自身昨夜九時半に
提案したわけでございます。その点につきましては
動労の
委員長も非常によくわかったということで、私はその線でもってぜひ
事態を
収拾してほしいと、運転
保安問題とこの
回数制限問題と、この二つでもって、大体三月三日に突如として出してこられた申し入れについては、私としては
最高の誠意と
努力でもって
結論を出したのであるから、ぜひこの線で
収拾してほしいというふうに申しましたところ、また突如として、いや、二人
乗務の問題が
解決しなければ困るというふうな話でございました。これは
予備折衝の
段階における話と非常に違いますので、その問題は、去る十三日にお互いに会ったときに
組合側は強く主張したけれ
ども、この問題は
並行線であるということを確認してある、私はその確認の線を出ることはできないというふうに主張いたしました。約一時間の会見の後に、私は重ねて
動労の
委員長に、これから
本部へ帰って、ぜひみんなを
説得して、そして
国民の迷惑を防いでほしいという要請を重ねていたしまして、昨夜十時四十分ころ別れたわけでございます。
その後の
情報によりますと、それから間もなく
動労本部におきまして
中央執行委員会を開きまして、約四、五十分から一時間の検討の結果、
目黒委員長の持って帰った
総裁の
提案は受けることはならぬという
結論に達したようでございます。私
どもといたしましては、まあいままでの
ルールから申しますれば、一応
責任者同士、話をし、大体の
予備折衝の
段階できまったことを、最終的に
当事者同士、
最高責任者で確認し合って、それを了承するというのがいままでの
やり方でございましたが、残念ながら、今回におきましては、いままでのわずか十幾日間の
折衝の
過程におきましても、二、三回、
予備折衝でついた話が、どうしても戻ってきてやはりだめだったというふうな話がございまして、実は私
ども非常に
交渉に難航いたしまして、私も二十数年間労働問題のお相手をいたしておりますが、こういう
経験はかつてなかった
経験でございました。
しかも、この二人
乗務の問題は、もうすでに、非常にいろいろ問題になったことは御
承知のとおりでございまして、これは去る
昭和四十二年から約五年間にわたりまして、非常に
労使間の問題になった問題でございます。で、これを最終的に
結論づけるべく、
日本のその
方面の
最高権威といわれる
方々にお集まり願いまして、これは
国労、勤労、私
どもと、三者でもって、その
先生方に、
電気機関車・
ディーゼル機関単の一人
乗務問題の
委員会、いわゆるEL・
DL委員会というものを、三者でもってお願いしてつくっていただきました。そうして、その
結論に基づきまして、いろいろ議論していただいた
結論に基づきまして、それを四十四年の十一月に
国労、
動労、
鉄労、私
どもと、四者でもって、完全な実施の協定を結んだわけでございます。
さらに昨年の五月、深夜の二人
乗務の問題につきましても、三
組合と私のほうで具体的な
やり方につきまして
交渉を妥結いたしまして、その後その線に沿って実施しているわけでございまして、それをいま突如としてそういうものを復活
要求するということは、いままでの
ルールでは考えられないことでございますし、私
どもといたしましては、この点については一切のむわけにいかない、残念ながらこれは
要求に応ずるわけにはいかないけれ
ども、片っ方の深夜の
回数のほうの問題については私は最大限の譲歩をするということを申したのでございますが、不幸にして
結論を得ず、こういう
事態になったことは非常に残念に思います。
私
どもといたしましては、いままでも、去る五日から非常に多数の
方々に御迷惑をおかけいたしまして、非常に、また
国民の皆さまにも物資の不足その他でいろいろ御迷惑をおかけいたしまして、非常に申しわけなく思っておる上に、さらに今日の
事態でもって、まことに何とも申し上げようない
事態でございますが、ただいま、
けさからずっと
全力をあげまして、先般の
上尾事故のようなことの起こらないように、いま
全力をあげて
事態の
収拾に尽力中でございます。
以上御
報告申し上げます。