○宮之原貞光君 私は、
日本社会党を
代表して、ただいま
提案をされました
国立学校設置法等の一部を
改正する
法律案について、強く
反対をする
立場から、
総理並びに
文部大臣に対して質問を行なうものであります。
この
法案は、緊急にその
実現が望まれている旭川医大の
創設や、山形、
愛媛大学の
医学部設置等、
国立学校設置法の一部を
改正することのみでこと足りる部分と、わが国高等
教育の
あり方の根本にかかわる
筑波大学の
創設という、まさに
国民的な合意を得るために慎重に
審議をされなければならない部分を意図的に抱き合わせて提出をされておるのでありますが、この二つの部分が全く異質のものであることは、だれの目にも明らかなところであります。それだけに、このことを承知の上で、あえて提出をしてきておるところの
政府の魂胆は、医大等の
設置を強く求めておる
国民の声を、問題のある
筑波大学賛成に転化させようとするきわめて悪質なものだと断ぜざるを得ないのであります。そしてまた、それは
筑波大学の
創設に
反対をするわれわれを、すべて医大等
設置にまで
反対をするものとのレッテルを張って、
国民の目を欺こうとする陰謀でもあるのであります。もしそうでないというならば、
総理、先ほど
提案説明のあったわが党をはじめとする
野党四党の共同
提案による
国立学校設置法の一部を
改正する
法律案に
政府も直ちに賛同すべきだと思うのであります。いかがでございましょうか。まずそのことをお伺いいたしたいと思います。
新設をされる医大、
医学部等々に大きな希望を託して、受験準備に余念のない
学生諸君の上に思いをいたすときに、私はまさに断腸の思いがいたすのであります。
法案が
成立をし、入試を経て
大学に入学をするまでには、最低二カ月を要するというのが常識であります。しかも、本日
提案をされましても、本
法案は慎重
審議を旨とし、かつ
良識と
自主性をお互いの誇りとしておるところの本院では、実際の
審議期間がきわめて短いだけに、会期内に
成立するとはおそらく
与党の皆さんでさえ思っておられないだろうところの
事態の中で、
総理、あなたは、それでも
国民の声を無視して、
医学部等の
新設を
筑波法案と無理心中させるつもりですか。これこそ、党利党略のためには
教育を犠牲にして省みない態度といわなければなりません。まさに
国民の名において糾弾をされなければならない愚挙であるのであります。
総理、あやまちを改めるのにやぶさかであってはなりません。いまからでもおそくないのであります。あなたの一枚看板である決断と実行は、四党
提案の分離
法案に賛同してこそ
国民の共感が得られるのであります。この点、
総理のメンツにとらわれない謙虚な御答弁を期待いたすものであります。
なお、だから早くこの
法案を
成立させてもらいたい云々の御答弁でしたら、それは
責任転嫁もはなはだしいことだということをあらかじめ念のため申し添えておきます。
次に、本
法案の核である
筑波大学構想について重点的にお尋ねをいたしたいと思います。
衆議院本
会議におきます
総理及び
文部大臣の答弁を要約をいたしますと、「複雑にして高度化している今日の
社会情勢では、現在の
大学ではもはや対応できなくなっている。
時代の進展に即応し、弾力的な
研究活動を確保し、かつ多様な
人材の確保をはかるために
筑波大学を
創設した」とか、「開かれた
大学、
筑波」等々としきりに強調されておるのでありますが、一体、
総理及び
文部大臣は、
大学の大衆化とか、
時代の
要請にこたえる
大学の
あり方ということをどのようにお考えであるか、この点の
見解を承わりたいと思うのであります。
およそ、どのように科学、技術の
研究が
大学を広く越えて展開をされようとも、
社会における
大学の役割りは不変であります。いな、むしろ
大学を越えて科学、技術の
研究や開発が進み、
大学以外で
社会事象の
検討が進めば進むほどに、
大学におきます
基礎的な
研究と
教育に対する
社会の
要請は強まるものであります。今日の
大学の進学率の上昇は、このような科学、技術の全領域にわたる急速な
発展と、それに基づく
社会構造の
変化に対して、より高度な
教育を受け、高い知識と
判断力を持ちたいという
国民の
要求のあらわれであり、
国民の
教育を受ける権利行使の広がりであるのであります。いわゆる
大学の大衆化現象は、このような
国民の知的
要求の
増大と民主主義の
発展の結果でありまして、歴史的に見ましても、人類
社会発展の必然的な傾向にほかならないのであります。ですから、わが国高等
教育の今日的緊急課題は、これにこたえるための
大学間の格差の是正と、
教育の機会均等をはかるための
大学への積極的な投資と、私学への公費援助の拡大こそが急務であるのであります。ところが、
筑波構想は、このことを全く等閑視して、先述のような理由で
創設をするというのですから、これは、むしろ
国民の
大学に求めている本旨にもとるものと言わなければなりません。
およそ
大学は、長期、巨視的な
社会展望と、その
要請にこたえてこそ
存在価値があるものであります。そして、
社会奉仕や
社会還元は、
大学の主たる機能ではなく、
研究、
教育の副次的結果として
社会的な種々の有用性が伴ってまいるのであります。したがいまして、今日の
社会は、
研究と
教育、
社会的
責任と、それぞれの
使命の達成の道が多元的であり個性的であるから、
大学の格差と多様化は当然であるという考え方は誤りであるのであります。機能分化した
社会であればあるほど、専門化と同時に人間的な全体性ということはきわめて重要でございまして、
大学は、今日、そのことを強く求められておるのであります。それを、多様な
人材確保と称して、
大学を就職の手段とし、
企業の
要請にこたえる職業人づくりをねらう
筑波大
構想は、
大学の大衆化を口実に、その実、
大学の格差を助長し、
学問の
内容を卑俗化させるものだと断ぜざるを得ません。
さらに、開かれたところの
大学というのは、
国民に向かって開かれたところの
大学の
意味であって、
筑波大のように、
大学の独善と
閉鎖性の打破というもっともらしい旗じるしを掲げておりながら、実際は、
大学の
自治と引きかえに、権力や資本の側に開かれた
大学では、
国民を愚弄するもはなはだしいといわなければならないと思うのであります。これらの諸点について、
総理並びに
文部大臣の御所見をお伺いをいたしたいと思うのであります。
次は、
研究と
教育の分離でありますが、文部省の宣伝パンフは、
大学教育の急激な拡張と
学問研究の専門分化が著しくなって、従来のような
学部、
学科、講座というワクの中でははまらなくなった、従来の
大学では
研究中心で、
学生の
立場に立った
教育を考えることがあと回しになりがちであった等々の理由をあげて、
研究と
教育の分離をはかって、
学群、
学系を
組織をしたと
説明をしておりますが、この
見解は、
衆議院本
会議における
文部大臣の控え目な答弁とは違いまして、きわめて大胆にその本心をのぞかせておるのであります。このことと、
筑波大
創設準備調査会の報告「
筑波新
大学の
あり方」の
研究と
教育の主
目的は知的能力の開発と新しい型の技術人の
養成であるという、高度経済成長論に基づく
教育理念をあわせ考察をいたしましたときに、この
筑波大
構想のねらいは、大臣がどのように弁明をされようとも、資本の
要求する技術者を
養成するところの
教育と、技術開発の
研究とにあることは間違いございません。したがいまして、
文部大臣の言う適時
研究プロジェクトをつくり
関係者が集まって
研究をするという
仕組みは、しょせんは資本のための自主技術開発や産軍共同体に組み入れられることは必至であります。
大学院の
修士課程も、そのための職業人の再
教育となるのが落ちであるのであります。言うならば、
研究と
教育の分離という
筑波大学構想は、一部の
大学を除いて多くの
大学では、学力低下に合わせたところの水準の職業・技術
教育をやればいいということを
意味し、そこでは、
教育を
学問の体系に従ってではなく、
社会的な
企業の
要請にこたえて行なえばいいということになるのであります。これではもはや
大学の自殺行為であります。
教育基本法第一条に立脚した
学校教育法第五十二条の、「
大学は、
学術の
中心として、広く知識を授ける」云々という
大学の
目的は一体どこにいくのでしょう。確かに現在の
大学の
あり方にも問題はあります。また、
学問が非常に
発展をしておる今日、世界に誇るべき
研究成果をあげることと、
人材を育てるために
教育内容、
方法をくふうし実践をすることは、同一人の
教授が安易に調和しがたいほどの困難な任務のあることもよくわかります。しかし、にもかかわらず、両者は同一人が遂行しない限り
大学としての役割りは十分果たし得ないのであります。
大学における
教育は、
学問による知性の練磨でありますから、第一線に立って
研究活動を行なっている者の手によってなされることが必要不可欠であります。また、第一線の
研究を遂行するためにも、広い視野に立った
教育のための
研究を行なうことがますます必要になっております。さらに、
学生との接触が
研究に有益な刺激となることも少なくないのでありますから、
研究と
教育は、
大学においては不離一体なものであるのであります。このことは、
大学の
あり方の
基本にかかわるところの問題でありますだけに、
日本学術会議もたびたび
総理に勧告を行ない、国大協や東大をはじめとする多くの
大学もまた、それぞれ同様の
見解を表明をしてきたのであります。しかし、
政府はこれに全然耳をかすことなく、ただひたすらに中教審答申の路線に忠実に法制化をはかってきておるのがこの
法案の骨格でありますだけに、これらの理由と根拠をあわせて明らかにしていただきたいということを
総理並びに
文部大臣に御答弁をお願いしたいと思います。
続いてお聞きしなければならない問題は、新しい
大学管理の問題であります。
この問題は、
大学の
自治、ひいては
大学における
学問・思想の自由にかかわるきわめて重要な問題であります。
大学の歴史は、
学問の自由を保障するためには
大学の
自治が絶対に必要であることを私
どもに教えておるのであります。
大学の
自治とは、
大学人みずからが
人事権を持つことであり、
研究や
教育の
内容を自主的にきめることであり、さらには、財政面でもある程度の
自主性を持つことであり、
大学の施設、設備を自主的に管理することを
内容といたします。そして、
大学の機能である
研究と
教育及び管理は、
基本的には同一主体によって行なわれるのが
大学の
特色で、
大学の
自治は、本来このような
目的を果たすために
存在をするものであります。
しかも
大学の
自治は、従来、講座制を基盤とした
教授会を
中心とする自律的な
研究、
教育体制の確立を前提として
運営され、
教授会は管理
機関の役割りをも果たして、
大学の主体性を維持するために今日まで大きな役割りを果たしてまいったのであります。この
仕組みは、今日ではすべての
大学で定着をし、慣習化し、
学部自治ということばが通用しておるのであります。
学校教育法の第五十九条は、このような
教授会の役割りを
規定し、これを基盤とした
評議会が
大学の意思決定の最高
機関であることを明確にしているのであります。
ところが、
筑波構想は、この
学部教授会自治の解体を主たる
内容とし、
研究と
教育と管理の統一を否定をいたしておるのであります。
教育の機能の
組織的な単位としての
学部を廃止して、これにかわるに
学群、
学類を、
研究の
基本的
組織として
学系を置き、管理は教師、
研究者の手から奪い去って、管理のための固有の
組織として、
学長を頂点に新たに五名の副
学長を配して中枢的管理
機関を置くとしておるのであります。しかも、
学長はもとより副
学長も
学外者から導入できるようになっておりまして、副
学長は、執行部でありながら
審議機関である
評議会、
人事委員会の
中心メンバーを兼ねることができるなど、管理のための特別の人的スタッフと特別の
組織を設けて、
大学の管理体制を強めるところの
やり方であるのであります。言うならば、このような
やり方は、例の悪法である
大学運営臨時措置法の管理
方式の
筑波大への適用と言わなければなりません。
新しい
審議機関として
学外者で構成をされる
参与会の
あり方も問題であるのであります。
大学の
閉鎖性、排他性の克服策とか、開かれた
大学という口実のもとに
学外から人を入れるという
やり方は、中教審メンバーの例からして、その実際は財界、官僚、御用学者で占められ、結局は強力な資本や政治権力に牛耳られる
参与会となることは目に見えておるのであります。外部の人を参与に入れれば、それで
大学の
閉鎖性が除去されると思うくらい愚かな考え方はないのであります。このような管理機構のもとでは、たとえば製薬資本の
代表者を薬科大の参与に入れて、ききもしない薬の宣伝を
大学の
教授にやらせるような結果にしかならないのであります。
さらに重大なことは、
人事権までが
教授会の手を離れて
人事委員会の手に移ることであります。
教授会の
人事権の
自主性、主体性が
大学自治のかなめであることは、戦前の森戸、滝川事件、戦後のイールズ旋風の事例をあげるまでもなく、はっきりいたしておるのであります。
教育公務員特例法に、
教員の採用及び昇任は
教授会の議に基づき
学長が云々と
規定をし、
教授会が実質的に
人事権を持っていることを明確にしておるのも、このためであるのであります。
筑波構想は、この権限をすべて
人事委員会に吸収し、
教授会は有名無実になっておるのであります。このように、
大学の
自治の根幹であります
教授会が実質的に消滅させられているということは、
大学の
自治破壊そのものではございませんか。おそらく
文部大臣は、
人事委員会も全学的な
大学の
機関であるから、
大学の
自治は侵されないと反論をされるかもしれません。しかしながら、その反論は、およそ
大学を知る者にとってはそれは詭弁としか受け取られないのであります。
筑波大
創設準備調査会は、
人事委員会は必要に応じて
学外の
学識経験者を加えた業績評価
委員会を設けると
説明をしているのでありますが、これは
人事についても
学外者の介入があることを示唆したものと言わなければなりません。また、一千人をこえる全
教員のうち、わずか十五人程度で
委員会は構成をされ、しかもその三分の一は副
学長で占め、その他の委員も、
学長の意向が強く反映をされるという人選の
仕組みにも大きな問題があるのであります。
現在
筑波大学の母体でありますところの東京
教育大では、文
学部が
移転に
反対をしていることの報復のためか、家永
教授ら三
教授に対する辞職勧告事件や、「教官選考規準に関する申合せ」に基づく文
学部教授会の議決による五人の教官
人事が、
学長によりまして二年近く握りつぶされている
事態が起きているのであります。
人事委員会に
人事権が移ってしまえば、このようなことは日常茶飯事となることは必至であるのであります。
文部大臣、これでもあなたは、
筑波大学構想は全学の教師の意向は正しく反映され、
大学の
自治は守れると言い切れますか。とくとお伺いをいたしたいのであります。
教授会自治の
あり方に問題があるからとして、
大学自治の基盤である
教授会を実質解体をするという
やり方は、まさに角をためて牛を殺すたぐいの暴挙であるのであります。
以上、
総理、私は具体的に指摘をしてまいったのでございますが、
大学の
自治とか、
学問の自由という、いわばカニの甲らにも匹敵する決定的に重要なものを
大学から奪い去って、あなたは
日本の
大学教育をどこに持っていこうとされているのでありますか。
総理、あなたはさきに、小選挙区制を強行することによって、
日本の政治を自分の思いのままに壟断をしようと策して、世論の袋だたきにあって断念したのでありますが、今度は
教育を同様に壟断をしようと策して、このようなきわめて反動的な
筑波大学法案を
提案されたのですか。とくと
総理の存念をお伺いをいたしたいのであります。
総理に、平和憲法と
教育基本法の
理念に基づくところの、平和と民主主義を基調とするところの
教育の哲学がもしおありならば、小選挙区
法案同様に、この
筑波大学法案も断念をされるよう御忠告を申し上げまして、私の質問を終わるものであります。(
拍手)
〔
国務大臣田中角榮君
登壇、
拍手〕