○大橋和孝君 私は、日本社会党を代表し、ただいま提案されました
健康保険法の一部を
改正する
法律案につきまして、田中
内閣総理大臣をはじめ関係閣僚に対し、若干の質問を申し上げ、いわゆる決断と実行に基づく明確なる御答弁をいただきたいと存ずる次第であります。
顧みまするならば、
健康保険制度並びに
医療制度の抜本的な改革をいかに行なうべきかという
国民の生命と健康に関する重要な政治課題について、国会で論議が始まりましてから、すでに八年あまりの歳月を経過しておるのであります。にもかかわりませず、この間、
政府に何ら見るべき
施策とてなく、本日またも同じような論議を繰り返さなければならないことは、私の最も遺憾とするところであります。
国民にとって、これほど不幸な事態はないということを、質問を始めるにあたり、まずきびしく指摘をしておきたいと思うのであります。
かつて、結核
医学の権威、隈部英雄博士は、予防にまさる
治療なしと、こう説いておられました。予防こそ
医療の最も重要な機能であることは、もはや私がここであらためて指摘するまでもありません。しかるに現在の
わが国の
医療の現状を見ますと、いまだこの機能が
制度として実現されていない。私はここに現在の
医療の荒廃といわれる最大の原因があると
考えるのであります。
政府自民党が、一方で大資本本位の
経済成長をむさぼり、他方で、健康保障への責任を回避してきたこの十数年間の
国民を取り巻く健康と環境の破壊は、世界にその例を見ないほどに進行し、悪化してまいったのであります。
水銀、PCB等、重金属を中心とした有害物質による内部、外部の環境破壊は、次世代を待たずとも、すでに、現在において民族の質的低下を来たしておるといわなければなりません。いわゆる四大公害病あるいは、難病、奇病、先天性異常等の多発は、まさにその象徴であります。さらに老人や乳幼児等の弱い世代における
疾病、職場労働者への新たなる健康破壊などなど私があらためて指摘するまでもなく、このような
経済成長がもたらした惰性的な健康破壊の激化を前にし、いまや単なる
保険いじりの
医療では
国民の健康をささえ切れなくなってきているのであります。もはや
治療中心の
現行医療は完全に野戦
病院化しているというのであります。
そこで、まず田中
内閣総理大臣にお尋ねをいたします。
総理は、今国会冒頭の施政
方針演説において、成長なければ福祉なしと主張されております。私は率直に申し上げて、「ブルータスおまえもか」の失望を禁じ得ないのでございます。一九六〇年に始まった
わが国の高度
経済成長
政策は、外には大資本によるどん欲なまでの海外進出、内には大資本によるたれ流し同然の公害、あるいはあくことなき利潤追求の買い占めなどによってその弊害が、国際関係上で、はたまた
国民生活でその極に達しておることは天下周知の事実であります。
総理はこの期に及んでも池田、
佐藤内閣同様、成長なければ福祉なしとの主張を繰り返されるのでありますか。現在の所信を伺っておきたいと思います。
次に、
健康保険法改正案につきましてでありますが、長年にわたって
政府自民党にしみついてきた
経済至上主義、科学万能主義に対し、まず
医療の側から積極的に転換がはかられなければならない重大な時期にきておるにあたって、
政府が提案しております本
改正案は
国民の健康を金で換算しようとするものであり、従来のものと何ら変わりばえがいたしておりません。言うならば、
健康保険ではなくて
疾病保険だという点をきびしく主張せざるを得ないと思うのであります。
そこで、具体的に問題点を何点かにしぼりましてお尋ねをしたいと思うのであります。
まず第一に、
政府が、
制度発足以来の画期的な
改善と宣伝をいたしております
家族給付率引き上げについてであります。
政府自身かつて七割
給付を打ち出してきたことがあることを
考え合わせてみますと、今回の六割
給付は決して誇るべきものではなくて、むしろ六割
給付を出さざるを得ない、そういうみずからの失政こそ、
国民各層に対して明確にすべきであろうと思うのであります。もし、
政府が
現行社会保険は社会保障の中核であると標榜するならば、被
保険者本人と
家族の
給付率は区別すべきではありません。
厚生大臣は、できるところから段階的に
実施すると言われておりますが、それはまさに
財政主義の官僚的発想を隠蔽するための口実以外の何ものでもありません。被
保険者間の
給付格差がある限り、
社会保険は論理的にも、また
実態的にも社会保障の一環の名に値しないものであります。
第二は、弾力条項の問題であります。申し上げるまでもなく、一国の
財政は
国民みんなのものであります。民主政治である限り、官僚がその運用の決定権を専有することは絶対に許されないことは、言うに及ばないところであります。そもそも弾力条項は、第六十八国会ですでに撤回されており、それを再び持ち出してくることは、
国民軽視、国会軽視もはなはだしいものだと言わざるを得ません。反民主的行為と言わなければならないのであります。ましてや弾力条項に連動するところの国庫
負担がわずか〇・四%という説明など、
財政主義的発想を如実にあらわしておるものと言わなければなりません。
第三は、国庫
負担についてであります。定率一〇%、額にしてわずか八百七十三億円が、
政府にとっていかに安上がりな
負担であるかは、国立
病院関係への国からの
赤字補てん額との比較で歴然としております。すなわち、国立
病院特別会計歳入歳出決算額によれば、
昭和四十六年度の
病院経営収支差額は、約四百五十四億円の
赤字であります。それに対して国は
一般会計より受け入れ
措置で実質的に補てんをしております。この四百五十四億円という額は、
政管健保への
国庫補助金のほぼ五二%に相当するものであります。国立
医療機関に対しては、これだけの財源の
負担をしておりながら、
政管健保への
赤字に対しましては、十余年にわたって
国民の要求があるのにかかわらず、わずか一〇%の国庫
負担にとどめているのであります。その責任回避のつけが被
保険者の
負担増としてのしかかってきている仕組みになっている
実態を無視して、三者三泣きなどというのは
政管健保に対する差別
政策でしかありません。さながら、本
改正案は、ガンにおかされておる
患者に、こう薬をべたべた張っておるという発想でしかないと言わざるを得ません。しかし、幾ら
政府、官僚が知恵をしぼり、
財政バランスに苦心をし、
家族給付引き上げや、高額
医療費支給という若干の見返りをもとに、被
保険者から過重な
負担をひねり出そうとしても、
現行医療制度の本質にメスを入れない限り、
国民の過重な
負担は、あたかも砂地に水を注ぐようなものであると言わざるを得ません。
そこで、齋藤大臣にお
伺いをいたします。
第一に、私が冒頭で申し上げましたとおり、予防にまさる
治療はなし、とは、古今東西を通じて
医療の原則であります。大臣は、間口ばかりやたらに広げて、わずかな
補助金を総花的にばらまいて運営をしている予防行政をやめ、あらゆる
疾病の予防的処置など、広く健康管理体制確立に向けて、
疾病のあと追いをするような
現行医療制度を脱却するような決意はおありでないでありましょうか、お尋ねをする次第であります。
第二に、現在、厚生省の基本
政策として進められておるところの中央
政府中心の
医療行政を、住民参加のもとにおける地方自治体中心の
医療行政に転換することは、将来における
医療保障を展望し、地域住民の今日的なニードに対応するため、ぜひとも必要であると
考えます。大臣は、
医療行政の立場からこの提案をどのようにお
考えになるか、所信をお尋ねしたいのであります。
なお、自治体行政の立場から、江崎
自治大臣にもこの御見解を
伺いたいと思うのであります。
第三に、田中内閣が組閣以来、打ち出しております福祉優先の
考え方は、当然、
医療においても貫かれねばなりません。したがって、最も優先されるべきものは
国民の健康保持であり、今回の
健康保険法一部
改正案はもとより、
診療報酬の問題、公的
病院の独立採算制の問題などに象徴されているような、この都合主義な
財政優先がまかり通っていては、とうてい福祉優先とは申せないはずであります。大臣は、健保は銭金の問題という自民党内にある
考え方を、厚生行政の最高責任者として、断固否定する御決意があるかどうか、お
伺いをいたします。
第四は、現在の
財政優先の矛盾は、
現行診療報酬体系に象徴的にあらわれております。すなわち、
医療機関が当面している緊急な問題は、
現行点数が
実態と引き合っていないということであります。その一例として、看護料は、自治体
病院の場合、入院
患者一人について、その持ち出し分は約千円といわれておるのであります。このことは、
医師技術料、室料、給食料等につきましても全く同じであります。今日、
医療機関は、公私を問わず住民に対する
医療サービスに徹底すればするほど
赤字がふえていくのであります。ましてや、
赤字経営が許されない私的
医療機関では、診療
内容に対する
患者の不満が
医師に直接向けられ、
医師対
患者の信頼関係をことさらゆがめている結果になっておるのであります。最近、
厚生大臣は、
診療報酬体系が
実態に即していない、不合理であると、きっぱり認められております。しかし、認めただけでは、
改善の基本的な方向も、具体案が打ち出されたとは、遺憾ながらまだ伺っていないのであります。できるところから段階的にということは、むしろこうした基本的な問題について始めていただきたいと思うのでありますが、大臣の御見解をお
伺いいたします。
次に、自治体
病院の問題について、
自治大臣より御答弁をいただきたいと思うのであります。
自治体
病院は、地方自治法により固有の業務と
規定されております。しかし、そのための
財政的裏づけは
規定されていないのであります。しかも地方公営
企業法では、
病院事業は、水道事業、公営交通事業と並立して、
経済性発揮と公共福祉の増進という次元を異にする原則を同時に要求されているのであります。地方自治体の
医療行政が健康優先を位置づけていないこと自体が、すでに
実態に対応を欠いていると思うのであります。そればかりか、
経済性発揮は、独立採算という形で締めつけられておるのでありまして、もともと権限と財源が奪われている地方自治体に、
病院事業を固有のものとし、しかも最小の経費で最大の効果をあげようというような、買い占めの商社の
経営方針まがいのものが地方自治法によって
規定されているところでは、
病院がヘビのなま殺しの
状態になるのは当然と言わなければなりません。
自治大臣に決断と実行を求める
意味で、御所見を
伺いたいと思います。
同時に、愛知
大蔵大臣にお
伺いをいたします。税の特別
措置法につきましては、これをすみやかに撤廃すべきことは当然でありますが、
社会保険診療報酬に対する七二%控除については、
国民皆
保険を中心とする
医療需要体制の社会化の進められる中で制定されたものであることは、大臣も十分御存じと思います。そして今日、
国民皆
保険は、
社会保険という
治療上のワク、定められた
診療報酬、あるいはまた繁雑な
事務手続等によって、一〇〇%に近い達成を見ているのでありますが、しかし、この間、大蔵省は、
国民医療について、また
診療報酬や
事務費について、どれほどの理解と熱意を示したのでありましょうか。口は出すけれども、金は出さないに終始してきたのではありませんか。
医療担当者の
技術料を正当に
評価するという大前提をたな上げにして、優遇
措置だけを云々することは、本末転倒であると言わなければなりません。このような経緯と今日の問題の所在について、いかなる見解をお持ちか、お
伺いさしていただきたいと思います。
次に、
医療担当者の養成、教育、再教育等の問題についてであります。
各方面で看護
制度の
改定が検討されたのは、何といいましても、
看護婦不足が危機となっておるからであります。現在の
医療体制の中では、
看護婦雇用への
経済的
基盤が弱いため、
医療の場では雑務をも受け入れなければならず、本来の看護
技術の発揚は著しくゆがめられておるのであります。しかし、事は緊急を要しております。まず看護教育にあたっては、国及び自治体の責任を明確にし、学校教育法第一条に基づくところの看護学校が、どうしても設置されなければならぬと思うのであります。あわせて、
医療機関付属の各種学校は、いずれ独立した教育機関とするよう適切に
措置されなければなりません。その際、独立機関として移行するまで、
医療機関の
診療報酬による養成機関の運営は避けるべきであり、施設、設備、運営のすべての
費用は、公費
負担とすべきであります。そして看護教員、臨床
指導者の養成教育も公費で行なうこと、看護学生に対しましても、奨学金
制度の拡充をはかるなどなど、
政府がやらなければならないことは山積していると言わねばなりません。このような基本的な諸
施策を行なわず、ただ上すべりな
措置で、これまでのように終始していたのでは、国立、公立、私立を問わず、
医療全般の質的低下を避けることはできません。また、准
看護婦制度の問題も久しく論議されておりながら、依然として同じ看護労働の中に二重構造を二十年間も持ち込んだままになっておるのであります。
看護婦不足は、まさにこの二十年間の看護
制度みずからがっくり出したものと言わなくてはならないのであります。
看護婦は単に
医療機関が必要としているばかりでなく、地域社会でも必要としている公共的任務を持っております。この問題につきまして文部大臣の御答弁を伺っておきたいと思います。
以上、私が今回の質問で取り上げました問題は、
わが国医療をゆがめておるところの基本的な要因となっております。
患者、
国民及び
医療担当者は、長年、そのしわ寄せをこうむっておるのであります。いまや福祉優先、健康優先への大転換のかなめは、
医療を抜本的に
改正するのか、それとも
医療の荒廃の海に
国民の健康を沈めてしまうのかにかかっておるのであると言わなければなりません。
かかるとき、今回の
健康保険法の
改正を日本社会党はどうしても容認し得ざるものであるということを重ねて申し上げて、私の質問を終わります。(
拍手)
〔
国務大臣田中角榮君
登壇、
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