○安永英雄君 私は、
日本社会党を代表して、
総理大臣の
施政方針演説に対して、具体的に質問を行なうものであります。
去る二十七日、
ベトナム和平はついに調印の運びとなり、一九六四年八月、アメリカのトンキン湾事件でっち上げに始まるベトナム戦争は、問題を残しつつも一応の終わりを告げました。
顧みていま言えることは、ベトナム戦争は
世界史上最強の大国アメリカがうそとデマをもってアジアの一小国を侵略した戦争であったということであります。そのアメリカが明らかに敗北したことであります。そして、
日本政府は、アメリカのうそに加担し、きたない戦争を
援助してきたことであります。
本日出席の
総理はじめ閣僚各位に申し上げますが、皆さんはその手で米軍戦車を相模原からベトナムへ送られました。皆さんの手はベトナム人民の血でよごれているのであります。そのことを、べトナム人民はもちろん、
日本国民も忘れることはないでしょう。
ともあれ、アメリカの敗北によってベトナム戦争が一応終わったことは、安保体制を基本とし、アメリカの軍事体制に従ってきた
政府の外交路線の基本が破綻したことを意味するのであります。
国際関係のみならず、国内においても
内政の基本の
姿勢が問われています。
田中総理は、
選挙を通じて
政治の流れを変えることを掲げてこられました。しかし、
国民は、
政治の流れの
方向を、
田中総理のそれではなく、われわれ社会党の流れを変える
方向を選びました。このことは、高度
成長政策による
国民の命と暮らしの著しい破壊が、
国民の怒りを深めたことを意味するものでありましょう。
内外のこのような情勢の変化の中で、これからの
政治の最も重要な
課題は、
福祉であります。
今日、
成長から
福祉への
転換という形で
福祉問題が取り上げられています。しかし、
総理の
施政方針演説や質問への
答弁を聞く限りにおいては、真に
福祉を
考え、
政策の
あり方、基本というものを根本的に
転換する熱意は感じられません。依然として、
成長のひずみを是正することによって
成長と
福祉をともに実現されると言われるのであります。これは全く誤った認識であり、ごまかしの理論であります。部分的なひずみ是正ではおそいのであります。また、これは、池田
内閣以来立証済みであります。
成長の陰に
都市生活
環境の急激な悪化、公害の激発、
交通地獄、
住宅難がもたらされ、また、
中小企業、
農業、漁業等の低
生産部門の資本不足は、
生鮮食料品をはじめとする
消費者物価の
高騰をもたらしたのであります。さらに、一人暮らしの
老人の悲惨な生活が毎日のように報道されていますが、
総理はよもやお忘れではないと思うのであります。
私は、
福祉を国政の柱にするという場合に、その意味するところは、
国民に文化的生活を保障することは国の責務であるという、その基本を
政治の
原則に置くということであると
考えるのであります。その意味では、戦後
自民党政府の
政治の基本は、
国民生活を忘れたことにあると申しても
過言ではありません。そのことを立証する事例として、私は、最近、
一つの報道に接しました。それは、大阪市で八十一歳の老女が死後三日たって発見されたということであります。その居室は、電気をとめられてまっ暗やみ、暖房もなく、マットが一枚あるっきりでありました。老女は、肌着にセーター一枚という姿であったそうであります。生活保護を受けていたこの老女が死体で発見されたのは、
福祉の
向上がうたわれた四十八
年度予算が閣議
決定された十五日の夜のことでありました。ここには、
国民生活に対する
政府の
責任のかけら
一つ見ることができません。
今日、
社会保障をはじめ、
住宅、交通、
教育、
医療、公害など、
国民が健康で文化的な生活をしていく上で欠かすことができず、しかも
国民が個々の力では解決し得ない問題が山積をいたしておるのであります。
福祉とは、これらの
課題について、
政府の
責任と国の費用で解決していく、こういうことであります。
総理の御見解を承りたいと思うのであります。
福祉の中でも、現在最も重視されるのは、老後生活をどう保障するかということでありましょう。
政府は、いま、
年金改正案を立案中と聞きますが、
予算案に見る限りでは、いわゆる五万円
年金の構想は完全に破綻していると見なければなりません。何となれば、実際に四十八
年度に五万円レベルの給付を受ける者は、六十万人余りの
厚生年金受給者のうち、わずか三万人にすぎません。いま平均して月一万六千円ほどの給付額が、三万五、六千円になったにすぎません。他方、
国民年金では、いま受給しているいわゆる十年
年金受給者およそ八十万人に対し、月五千円を一万二千五百円に引き上げるにすぎず、夫婦五万円は
昭和六十一
年度にならないと実現されないのであります。加えて、
予算案は、
国民に高負担を押しつけること、これを
前提条件といたしております。たとえば厚生
年金の
保険料は、
現行の二割ないし三割方引き上げられ、
国民年金に至っては、六割増し以上のものにされようといたしておるのであります。これに対して、事業主負担
割合や
国庫補助率にはほとんど手をつけようといたしておりません。
そもそも、
年金制度とは、何を目的としておるのでしょうか。それは、
国民年金法第一条に見るとおりであります。すなわち、「憲法第二十五条第二項に規定する理念に基き、老齢、廃疾又は死亡によって
国民生活の安定がそこなわれることを
国民の共同連帯によって防止」することなのであります。
そこで、まず
田中総理に
お尋ねいたしますが、四十八
年度から
老齢福祉年金が月五千円、あるいはまた十年
年金が月一万二千五百円、こういう金額で、一体、
国民生活の安定がそこなわれることを防止できるとお
考えかどうか、はっきりさしていただきたいと思うのであります。今日の
年金水準が、憲法第二十五条第二項にも、さらには
国民年金法第一条にも違反していない、こういうならば、その根拠を
国民の前に明らかにしていただきたいと思うのであります。
厚生大臣、あなたは、
わが国の
年金制度が、真の
所得保障、老後の生活保障の機能を持たない
原因は一体どこにあると思われますか。いまの
制度では、拠出期間の短い者や拠出できなかった者には給付しないか、してもたばこ銭
程度でよいではないかということになるのでありましょう。積み立て方式ではこうなるのがむしろ当然、応益負担
原則による保険
主義ではこのような限界が生ずるのもやむを得ない、そういうふうに思われておるのではありませんか。今日、
国民が
期待しておるのは、このような
制度の基本を根底から改めることであります。拠出したかしないか、幾ら積み立てたか、こういうことに一切かかわりなく、すべてのお年寄りが
年金だけで一応の暮らしが立てられるようにすることなのであります。このような
国民の立場で
考えると、
政府案のような負担先行と指弾されるものでは、とうてい
国民多数の理解や納得を得られないというべきではないでしょうか。
厚生大臣、八兆円にものぼる積み立て金を活用して給付先行のものにすることがなぜできなかったのです。お年寄りをはじめ、すべての
国民に、ああこれならと満足してもらえるレベルにして、しかる後、必要ならば負担の増大をはかる、これが民主
主義の常道ではないでしょうか。
社会党は、
年金制度をこの際根本的に
考え直すべき時期だと
考えております。すなわち、
年金に生活保障の機能を持たせるため、新たにすべての
年金に共通した最低保障額をすべてのお年寄りに給付し、拠出比例部分をこれに上のせする、こういう
考え方であります。そうして、その最低保障額は前
年度における全
産業、全労働者の平均賃金の六〇%にすることによって、平均賃金
上昇率が直ちに給付
改善にスライドするようにすべきだと思っております。この
考えですと、四十八
年度の最低保障額は月四万円、年々の賃金
上昇率を一四%と見込みますと、五年後にはこれが七万円近くになるのであります。
さて、問題は、このような根本的な
改善を、
国民の負担増を伴うことなく実施できるかといえば、これがりっぱにできるのであります。私たちの試算では、
保険料負担も国庫負担も
現行のままでこのような給付
改善をしたとしても、ここ当分の間、給付は単
年度収入の範囲内であり、積み立て金を取りくずし始めるのは、
国民年金で五十
年度、厚生
年金に至っては五十二
年度からであります。五年後の五十二
年度で見ますというと、両方の積み立て金を合わせてなお十兆円の残が出る勘定になるのであります。
政府は、このように積み立て金を
利用した給付優先先行方式をなぜとれないのか、
国民の前に明らかにしていただきたいと思うのであります。(拍手)
次に、
住宅問題についてであります。
言うまでもなく、
住宅問題は、まことに深刻な問題であります。そこで、具体的事例を取り上げてお伺いしたいと思うのであります。
去る一月十二日、つまり正月早々のできごとであります。できごとと言ってはまことに暗いニュースであります。東京都葛飾区立石の上野義郎さん方の六畳一間で、長男の義達ちゃん(生後二カ月)は、次女の美智子ちゃん(二つ)が寝返りをして、義達ちゃんの上におおいかぶさったために窒息死をしたというむごい事故であります。上野さん方は、台所つきの六畳一間に、夫婦と美智子ちゃん、義達ちゃん、義成ちゃんの五人暮らし、部屋には家具、ベビーベッドやテレビが置かれてあり、スペースはわずかに畳三畳しかなかったということであります。長女の敦子ちゃんは、家が狭いために他人に預けて生活をしていての惨事であったということであります。私は、このことを聞きまして、またかと耳を確かめる思いでした。率直に申しますが、このような事故は他の国にはないのであります。
わが国の
住宅政策の貧困、いな、
自民党政府の
住宅政策の貧困を物語る以外の何ものでもないのであります。この犠牲にあえいでいるのが一般
庶民と言わなければなりません。
政府は、このような惨事を再び繰り返さないために、そのための何らかの具体策をおとりになるお
考えがあるかどうか。
ただいま申し上げたような例は、他にも起こり得る、また、現実に数多く起こっている問題であります。そこで、これらの危険を未然に防ぐという意味で、
住宅難の
実態を
調査され、
現状を的確に把握することが緊要かと思うのであります。
実態調査に基づいた国のきめこまかな
住宅政策、すなわち
住宅難の底辺から順位をきめて、
住宅に最も困っている人から都営
住宅あるいは
公団住宅へ国が
責任を持って入居できるような
措置をとられるお
考えがあるかどうか。
現行の
公共賃貸住宅の入居基準は、単に
所得の高低制限による抽せん方式であるために、ほんとうに困っておる
人たちが実際に入居できる保証がありません。困っている
人たちから優先的に確実に入居を保証していくためには、
現行の抽せん方式を改め、
実態調査に基づく入居保証を
考えてみてはどうか、
建設大臣の御見解を伺いたいと思うのであります。
さて、現在の
住宅難を解決していくには、何といっても国が基本的に
住宅問題に
責任を負うことであります。つまり、国の義務において
国民に
住宅を
供給していくことが確認されなければならないと思うのであります。ところが、
政府は、
住宅は基本的にいって個人の力で解決すべき問題だとして、戦後一貫してその
姿勢を変えていません。
政府の
現行住宅建設五カ年計画も、そのように全く変わっていません。
政府は、こうした個人まかせではなしに、
住宅供給には国が基本的に
責任を負うという体制を確立する
考え方があるかどうか。また、
住宅需要が急激に増大している
現状にかんがみ、
現行五カ年計画を手直しする
考え方はないか。木材の
値上がりによって、
建設の需要は
政府計画では対応できなくなっておるというのが
現状であります。道路
建設計画は、需要の増大に合わせて、ひんぱんに計画半ばで手直しされようとしておりますが、
住宅建設計画についても、
実情に沿わないならば手直しすべきと思います。
政府は、
成長優先から
国民生活優先を語るならば、
現行計画を抜本的に改め、いまこそ
政府施策中心の
住宅政策に
転換すべきであると思うのであります。この点について、明確にお答えを願いたいと思います。
御
承知のように、
住宅問題は、一面では
土地問題でもあります。
日本列島改造論にあおられた
土地投機、
買い占めは、目をおおうものがあります。このため、
地価は
消費者物価の三倍以上のテンポで
上昇を続けているのが
現状です。昨年九月のある証券会社の
調査によりますと、これら
買い占めの主役は大企業であり、これら大企業によって全国土の市街地面積と同じ面積が保有されていますが、わが党の
調査においても、首都圏、すなわち一都四県で、三井不動産、三菱地所、西武鉄道、東急、京浜急行など、
大手十六社が
買い占めている
土地は、
宅地だけで約一万五千ヘクタールあることが明らかになっております。
列島改造論が
土地投機をあおり、資金力のある大企業は、金にまかせて
土地を
買い占め、そのことによって
地価は
高騰し、
庶民は
住宅の
建設ができない、この弱肉強食を許してよいはずはございません。
政府においても、いささかその反省があるからこそ、
総理の
施政方針演説の中でも、
土地対策につきまして、
土地利用の規制、
土地税制の
改善、
宅地供給の
促進について述べられました。しかし、
一般国民が切望しておる
住宅地の適正な価格での取得にはほとんど効果がないと思うのであります。立地する大企業には安い
土地を保障してやり、あわせて大規模
公共事業のための
地価はある
程度抑制できても、安い一般
住宅地の
供給は
期待できないのであります。大
都市周辺に向こう十年間の需要を満たせるだけの
土地を
緊急整備地域として指定をし、公的機関への
先買い権を適用し、地主には
買い取り請求権を与え、適正な価格で買い取る
制度に思い切ってこの際踏み切るべきではないかと思うのでありますが、
総理並びに
建設大臣の前向きの
答弁をお願いしたいと思うわけであります。(拍手)
次に、税制について質問をいたします。
昭和四十八
年度の租税自然増収は約二兆六千億円と見込まれているのに、
政府のやろうとする減税総額は三千七百八十億円、
所得税減税は三千百五十億円にすぎません。これでは、
物価上昇に伴う
調整減税分にも足らないわけであります。しかも、
政府は、一方で、
年金掛け金の引き上げと
健康保険料の引き上げで五千億円も
国民大衆から吸い上げようといたしております。減税ではなくして大増税であります。
総理は、総
選挙中に、五千億円の減税を打ち出されたはずであります。これは全く公約違反であります。減税財源がないはずはありません。これまでの高度
成長経済で大企業は大きな利潤をあげております。企業は交際費だけで年間一兆四千億も使っておるのであります。この大企業に対する
法人税は、
昭和三十一年に四〇%であったものが、現在では三六・七五%、
わが国の企業の国際競争力が強くなり、貿易収支は大きな黒字をあげているのに、
法人税率は下げられたままで、アメリカ、フランス、西ドイツなどと比べて、実質五%も低いのであります。
法人税率を一%引き上げれば、税収は一千億円近い増収になるのであります。私は、
法人税率を四〇%まで引き上げるべきだと
考えておりますが、この点についての
総理の明快なお
考えを述べていただきたいと思うのであります。
また、企業に対する租税特別
措置による減免税は八千億にのぼっており、四十八
年度に七百五十億円増税の改正を行なおうとしておりますけれども、なお七千億円も残っております。
このように、大企業
中心に減税
措置を残しながら、勤労
所得税減税は、
選挙公約さえ破って、わずか三千億そこそこしか行なわず、逆に実質増税を行なう
政治が、どうして生活優先に流れを変えたと言えるでありましょう。特に、最近の株の
値上がり、
土地の
値上がりによる大会社、大資本のもうけぶりは、目に余るものがあります。最近一年間の
土地の
値上がり三十兆円、株の
値上がり二十兆円ともいわれております。しかも、この不労
所得に税金らしい税金がかけられておりません。
投機を野放しにしておるのは
政治の怠慢と言わざるを得ないのであります。(拍手)
一方で、中学校を卒業したばかりの労働者でも、年収四十四万円で
所得税がかかり、株の配当で遊んで暮らしておる者は標準世帯で三百四十二万円まで税金がかからないという、こういう不公平であります。また、
法人間の配当金や利益の受け取りは全く非課税になっておるというのは、一そうの不公平であると思うのであります。
このような不公平を是正し、株や
土地の
投機を押えるために、税制を大幅に
改革し、有価証券取引税を十倍
程度に引き上げること、大口の有価証券譲渡
所得は個人についても課税すること、
法人の受け取り配当にも課税すること、また、
土地については、かねてから社会党が主張してきた
法人所有地の含み資産の再評価を行ない、五〇%
程度の
土地増価税を課すること等の
改革を断行すべきであります。真に
政治の流れを大
企業優先から
国民生活優先に切りかえるために、また、富と
所得の不公平をなくし、まじめに働く者が正当に評価され、
老人や病人など弱い者があたたかく保護される人間尊重の社会を築くには、この
程度の
改革は断行すべきと思いますが、
総理は、口先だけの
決断と
実行なのか、この際、決意を披瀝していただきたいと思うのであります。(拍手)
さらに、昨年の不況のおりに
中小企業の倒産がありました。大企業の下請系列下であえぎ、景気変動に弱い
中小企業を保護育成していくために、
政府資金の思い切った投入をはじめとする育成策を講ずべきでありますが、最低限、個人事業税の撤廃など減税を断行すべきと思いますが、
総理、いかがでしょう、勇気のある
決断がここで非常に必要なときと私は思いますが、明快な
答弁をお願いしたいと思う次第であります。
次に、
農業について
お尋ねをいたします。
総理は、
施政方針演説の中で、
農業については、高能率
農業の育成と農村
環境の
整備について触れただけで、
日本農業を
国民経済の中にどう位置づけるかについての基本的な
姿勢を全く明らかにしていないのであります。
御
承知のとおり、
政府は、農基法農政以来、果樹
農業を奨励し、これに沿って農家が増産に励んだ結果、昨年秋には、温州
ミカンが大暴落し、出荷経費を差し引けば農家手取りはゼロに近くなり、関係農家は施設資金の返済にも行き詰まっておるという、こういう
状態であります。これは、果樹の選択的
拡大を口にする一方で、農産物輸入の
自由化を進めるなど、無
責任な
政府の
姿勢に
責任があります。また、昨年は、
世界的に
農業生産が停滞し、穀物不足の
状況が起こり、
わが国の輸入する小麦、飼料の価格
上昇が起きております。このような国際
農業の情勢を
考えるとき、工業優先、
農業軽視の
政策のもとで、優良農地が次々につぶされ、農村の基幹的な労働力が急速に減少する
状態を放置してよいものかどうか。
政府は、
農業を
国民経済の中にどう位置づけるかを明らかに示すべきであると
考えます。
そして、食糧自給度
向上の
目標を示し、競合する農産物の輸入
自由化をやめること、おもな農畜産物については、国の
責任で価格支持
制度を確立し、農民の
生産に対する意欲を高め、
生産と生活の
改善を推進すべきであると思いますが、
総理の
責任ある
答弁をお伺いしたいと思うのであります。(拍手)
最後に、
教育について
お尋ねをいたします。
第一は、いま、
先進諸国の
GNPに占める公
教育費の
割合を見ますと、一九六八年以来
わが国は最低となっております。高度
経済成長政策の結果、
GNP世界第二位となり、経済大国となったと
わが国は言っていますが、まことに遺憾であり、だからこそエコノミック・アニマルと
世界各国からひんしゅくを受けるのであります。
一方、国の
一般会計予算における
教育費の推移を見ますと、まず、
一般会計の伸びと
教育費の伸びを比較すれば、
昭和四十五
年度一八%に対し一三・七%、
昭和四十六
年度一八・四%に対し一六.五%、
昭和四十七
年度二一・八%に対し一九・九%と、年々下回っております。明
年度予算案においても、二四・四%に比し二〇%をやっと維持するにとどまっておるのであります。その上、見のがすことのできないのは、
教育費の
一般会計に占める構成比は、それでもこの二十年来一〇%を割ったことがなかったにもかかわらず、明
年度はついに九・九%という
予算案であり、一〇%を割ってしまったのであります。一般に、
家計の場合、
収入がふえ、豊かになればなるほど、飲食費つまりエンゲル係数が下がり、
教育文化費の率は高くなるものであります。ところが、
教育費の国の
予算に占める
割合は、年々低下するばかりであります。これは、
政府が、国の
教育費を
家計における飲食費と同様に
考えているからであると思うのであります。初等・中等
教育をただ単に知識の詰め込みをやればよいのだとする
教育観や、
大学教育にしても、官吏養成機関であったり、
産業社会にすぐ生かせる技術の習得所だという限りにおいては、飲食費の域を出ません。このように
教育の役目を小さく見るようでは、
総理の言う
教育尊重などお題目にすぎないのであります。
来
年度の
教育費のうち、学校
教育の分野以外におきましても、たとえば文化財の保護や文化の普及をはかる文化
予算はわずかに百四十六億であって、これでは上地ブームによる史跡の破壊や劣悪な文化のはんらんを前にしてあまりにも貧弱であると言わなければなりません。
このような
教育費の
状況から見れば、
総理は、
施政方針演説の中で、
教育の振興を重視していると述べられたり、あるいはまた、衆議院の代表質問に対して、私は
教育が一番大事なこととしみじみと
考えておりますと言われたことばは、実に白々しいと言わざるを得ないのであります。(拍手)
総理の
教育の振興に関する基本的な
考え方を承りたいと思うのであります。
第二は、学制
改革に関する問題であります。これも
総理が触れられたのであります。
昭和四十六年六月、中教審は、「今後における学校
教育の総合的な拡充
整備のための基本的
施策について」答申を行ないました。この答申は、明治初年の学校
制度の樹立、終戦後の六三制
現行学制の
改革に次ぐ第三の
教育改革を目ざすものであると述べております。しかし、なぜ今日第三の
教育改革を行なわなければならないか、その理由は全くあいまいであり不明であります。この答申が発表されてから一年有余が経過しましたが、この間、
文部省自身も広く各界各層の意見を聞いてまいりました。それによりますと、関係三十九団体のうち、答申支持は経済同友会と日経連だけであります。他はことごとく反対で、いまや中教審答申に対する幅広い
国民の批判と民主的な
教育要求運動が発展し、
国民的な統一した力になりつつあるのであります。しかるに、
政府与党は、答申実施の
方向で
調査、研究、準備作業等の経費を
予算化し、着々中教審路線を貫こうといたしております。平常時の学制
改革は、いたずらに平地に波乱を巻き起こし、
国民を
混乱におとしいれるだけであります。
以上述べましたように、
国民の広範な反対があり、
国民的合意が得られないにもかかわらず、なぜこの答申を実施に移し、学制を
改革しなければならぬのか、その積極的な理由の理解に苦しむものであります。私は、それよりも、
現行制度を維持しながら、学校の施設設備を一そう
整備充実し、テスト
教育をやめ、入学試験方法を
改善するとともに、学習指導要領の拘束性を脱し、教師に創意くふうの自由を認めるほうが先決であると思うのであります。
総理のこの中教審の答申に対する基本的なお
考えを承りたいと思うのであります。
第三に、現在の学校
教育は、その本筋をはずれて、知育偏重、テスト横行という選別
教育になっております。そうした中で、
文部省の定めた学習指導要領の基準についていけない子供が半数以上もおり、中学の学科テストの序列によって振り分けられ、高校に入学した普通科の二人に一人、職業科の三人に二人の生徒が、志望違いのところへ回されたとしぶしぶ通学し、中学、高校の生徒の九五%が何らかの不満や悩みを抱いているというのであります。これが
文部省の
調査報告であります。との現象はまことにショッキングで、暗然とするのは、私のみならず、
国民共通の悩みであり、不満であると思うのであります。どうしてこんなことになったのか、いまこそ
政府は真剣に反省してもらいたいのであります。ピラミッド型の
教育構造が入試競争を激化させ、テスト
教育や知育偏重を招いていることや、
文部省と教師集団の間には相互の理解協力よりも権威と強制が見られるというOECDの
教育調査団の批判報告もあります。しかし、私が根本的に指摘したいことは、今日の
教育問題の背後には、朝鮮戦争後、力を回復した経済界や
政府が、
教育を経済利潤の追求と
政治支配の道具としてとらえ位置づけようとしてきたことが大きな
原因になっておるということを申し上げたいと思うのであります。(拍手)
具体的に申し上げますならば、
国民の
教育要求を正面から受けとめず、安上がりの
私学増設で間に合わせ、受験地獄を全国に
拡大し、一方では、経済界の要求によって学習指導要領を盛りだくさんにし、高校を多様化し、子供を不消化な病人に仕立て上げているということであります。
このような憂うべき
状況をつくるために、
政府は、
教育委員を任命制に切りかえたり、学習指導要領に法的拘束力を持たせ、教科書の検定を
強化するなど、次々と手を打って
教育をがんじがらめにし、教師や子供たちを窒息
状態に追い込んだのであります。
田中内閣発足早々、私の追及に対して、稻葉前文部大臣は、知育偏重是正と指導要領の弾力的運用を約束され、昨年十月末、学習指導要領の一部を改正されました。私は、さすがに
決断と
実行をモットーの
田中内閣の一員だと感心したかったのでありますが、その
内容は、何をいまさらという感想を抱かせる
程度のもので、全国の教師、
父兄は、むしろ根本改正を主張しておるのであります。
私は、以上申し上げました立場から、第一点に、憲法第二十六条の
国民が
教育を受ける権利とは、基本的人権の一部であり、小中高校生の場合には、その権利を親がかわって直接教師に信託するもので、したがって、教師はその
責任を果たすために、研究と
教育に専念する
責任と自由があると
考えるのであります。つまり、もっと教師に創意や自主性を与え、
教育界を活力あふれる場にするお
考えはないかどうか。(拍手)
第二に、したがって、学習指導要領に法的拘束力を持たせることは憲法上も疑義があり、むしろ
昭和三十三年以前に戻して、これを指導の手引き書とすべきではないかと思うのであります。
以上、二点について、文部大臣に明快な
答弁を求めるものであります。
第四は、
私学振興、
大学運営等の問題であります。
わが国の
大学教育の大半は
私学がになっています。特に戦後の
高等教育の目ざましい普及は、ほとんど
私学によって達成されたといってよいのであります。しかし、今日の
私大財政の逼迫に伴う
私大教育研究の危機は、まさに
日本の
高等教育の危機そのものといって
過言ではありません。
総理並びに文部大臣は、学校
教育に占める
私学の位置づけ並びに
私大財政の危機をどのように把握しておられるのか、まずお伺いしたいと思うのであります。(拍手)
次に、慶応、明治、中央など多くの
私立大学では、四十八
年度から大幅な学費の
値上げの
決定がなされておるのであります。たとえば、慶応、明治の文科系の
授業料は、八万円から十二万円と五〇%、慶応医学部では二十万円から一挙に五十万円と二・五倍の
値上げ幅であります。これは、
学生や
父兄にとって大きな負担を招くばかりか、
教育の機会均等の立場からもゆゆしき問題であります。同時に、このことは、現在の国の助成が
私大の学費
値上げに歯どめをかけるどころか、
私大財政の
改善にほとんど役立っていないという証拠を示すものであります。
私大に対する四十八
年度予算案を見てみましても、四百六十六億円という金額は、若干増加されたとはいえ、
学生一人
当たり年間三万四千円にすぎず、
国立大学の四十分の一にしかすぎないのであります。また、この金額は、
私大の累積赤字にも達しておらないのであります。
政府は、現在、
私大の経常的経費の二分の一を
補助するために五カ年計画を実施中でありますが、第四年目に当たる四十八
年度予算案ではとうていその遂行は困難と思われるのであります。
政府は五カ年計画を完遂する決意があるのかどうか、また、累積赤字の利子、補給金をなぜ
政府は認めなかったのか、文部大臣にお伺いをいたしたいと思うのであります。
次に、
政府は、筑波
大学の創設をはかるために、今
国会に
国立学校設置法等の一部改正案の提出をきめようといたしております。そう伝えられておるのでありますが、管理運営につきましては、学長への権限集中、学外者の管理運営面への参加などを盛り込み、さらに、これらの規定は、筑波
大学に限らず、他の国公
私立大学でも取り入れることができるような
内容だと聞いております。事実だとすると、
日本の
大学教育の基本である学問研究の自由と
大学の自治にとって重大な危機と受け取らざるを得ないのであります。本改正案は、
大学の管理運営についてどのようなことをきめようとするのか、文部大臣に
お尋ねをする次第であります。
現在、各
大学では、管理運営を含む
大学改革に自主的かつ真剣に取り組んでおります。このようなときに、この新構想を他の
大学に波及させるようなことは、
大学の自治をはなはだしく侵すものではないでしょうか。また、新
大学においても、新しい教職員の自主的な創意によって新しい管理運営方式を生み出すような方途をなぜ講じさせないのか、一方的になぜ法律で押しつけようとするのか、これらの点について文部大臣の見解を伺いたいと思うのであります。(拍手)
また、文部大臣は、就任の際、
現状では
大学運営臨時
措置法の期限が切れたからといって法律が不要になるような客観的情勢にはない、こう言われましたが、同法を延長されるのか、新しい立法
措置を
考えておられるのか、明確に
答弁をお願いしたいと思う次第であります。
最後に、心身障害児の
教育の問題であります。
在宅障害児は、
教育の機会を失い、発達の可能性を奪い取られたにとどまらず、閉ざされた生活
環境、人間関係の中で、自傷行動、対人・集団恐怖等の神経症的な行動におちいっています。さらには、子供の権利のみならず、家族の人権も侵害されていくのであります。買いものに出るにも、柱に帯でつなぎ、走って行っている、食べものはすべてかみ砕いてから子供に与えるので、自分の食事のときにはもうつばも出ない等々、家族の生活、労働権まで奪われ、日夜にわたる介護で互いに生きることさえ疲れ果ててしまうというのが
現状でありますし、ともに死んでいくというその姿を毎日の新聞報道では報じておるのであります。こうした重い障害を持った子供たちの世話、
教育を親だけに依存することは、どだい無理なことでありましょう。したがって、
社会福祉施設の
整備こそ、まさに
福祉優先の
姿勢を打ち出したとみずから言われる
田中内閣の最大の責務といわなければなりません。しかるに、これらの施設の
現状を見てみますと、きわめて貧困であります。いまだに県の中に一校の養護学校も設置していない県があるというのであります。この問題の解決なくして
福祉を論ずる資格はありません。何の
日本列島改造論かと言いたいのであります。
そこで、端的に
総理にお聞きしたい。今後これから希望者全員の入所がいつまでに実現するのか、その計画と時期について明確にお示し願いたいと思うのであります。(拍手)
以上、私は、
教育問題についての質問を終わります。
最後に、さらにつけ加えますが、心身障害者の親あるいは身寄りは、ほんとうにこの問題について今日までの
政府の持っておるこの計画では待ち切れないのであります。次々に心中するあの悲惨な
状況をお
考えになって、
総理の明快な前進の
方向での
決断を
期待いたしまして、私の質問を終わりたいと思います。(拍手)
〔
国務大臣田中角榮君登壇、拍手〕