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塚田大願君 公にはなっていないようでありますけれ
ども、一応、専門家の間ではこの問題が相当論議されているわけでありまして、それで私も
質問申し上げたわけでありますが、もちろん決定版でもございませんから、いまこれをすぐ直ちにど
うしろということは申し上げませんけれ
ども、しかし、この案をこの文書を拝見いたしますと、やはりこれは、もっぱら
裁判所の都合による、
裁判所ペースにはめ込んでいこうという意図が非常にはっきり見受けられるわけであります。ことばをかえて言えば、やはり強権主義のあらわれと言ってもいいのではないかと思うんです。
たとえば、まず第一項であります、けれ
ども、「第一回の公判は、原則として、公訴の提起から一定の期間内(たとえば二か月以内)に開かなければならないものとする」、こういう問題にいたしましても、この原則的な基準の設定について言えば、これは本来、
被告人あるいは
弁護人の同意がある限りという限定的条件のもとで、
公益の
代表者であるべき
検察官に対してのみ
適用すべきものであると
考えるわけであります。
検察官が、強制捜査権に立脚して
証拠を収集し、それに基づいて確実に
有罪判決を獲得できるとの判断から起訴している以上、
検察官としては、原則的にはいつでも第一回
公判期日を迎えることができるわけであります。もし、公訴の維持をもっぱら起訴後の補充捜査の成果に依存するというものであれば、もともと起訴すべきものではないはずである、こういう論理が成り立つと思うのであります。
現に、青梅
事件では、当初予定されていた第一回
公判期日が、
検察官の変更請求によって、追って指定ということになりまして、無期延期されるという事態が発生いたしました。
検察側は、この間の時間を利用して、ようやくうその自白の筋書きをまとめていった、こういう経過があります。仁保
事件でも、別件の第一回
公判期日予定が、
検察官の請求によって無期延期された。その間に自白獲得のための肉体的拷問が密室の中で進行していたのでありました。いずれの場合も、当初の予定のとおりに第一回
公判期日が開かれていたならば、公訴の維持も、拷問の事実も、事実の隠蔽も、初めから不可能だったろうと思うのであります。
これに対して、権力も資金もない
被告、弁護側の訴訟準備というものは、
事件の内容により、そのときの諸情勢諸条件によって、全くのところ一様ではありません。しかも、
弁護人の弁護士としての業務活動な
どもきわめて多様でありまして、期日指定につき差しつかえの理由を一々
裁判所に開示しなければならない性質のものではありません。弁護士としての
立場上、これを回避しなくてはならない場合や、できない場合も少なくはないわけであります。
本来、刑事訴訟における
手続的保障の中心問題は、権力を持っている
検察側に対して、
被告、
弁護人の
当事者としての
立場を可能な限り実質的に保障するというところにあるはずでありまして、
当事者主義の実質的な保障というこの要請が無視されてしまいますと、刑事訴訟の
手続はたちまち
被告、
弁護人の防御権に対する実質的な保障を欠いていきます。国家機関としての
検察側の
立場を実質的に強化するというだけの、ごく形式的な
当事者主義におちいってしまうのであります。この形式主義は、
国民の権利に対する保障を考慮しないという
意味で、やはり権力主義の表現といわなければならないと思うのであります。ところが、
公判期日の指定および変更に関するこの
合理化案というのは、
被告、
弁護人の
立場と
検察官の
立場とを無差別、機械的にとらえておるのでありまして、この形式的な
当事者主義の把握こそ、この
合理化案の根本的な誤りを端的に示しているように
考えるわけであります。これは他のすべての点につきましても共通している基本問題でありまして、この
合理化案の性格というべきものであろうかと
考えるわけであります。
それから、
審理開始以後の訴訟準備について言えば、
裁判所の記録の閲覧、謄写
一つをとってみましても、
弁護人と、それを特権的に利用できる
検察官との間には、大きなギャップがあります。この
実情を放置したまま
弁護人と
検察官に対等の処置を
要求すること自体、著しい実質上の不公正というべきでありましょう。
さらに、釈明に関する措置としての八項目の点や、
被告、弁護側の
証拠調べの冒頭陳述に関する九項目の点は、
被告、弁護側の防御権行使を積極的に困難にする
合理化といわなければなりません。もともと、訴訟とはどのようにでも発展する
可能性を持っておるのでありまして、この発展過程でいつどのような問題が発生するのかは、そのときまではわからないことも多いのでありまして、このことは、特に防御側にとっては重要な側面でございます。つまり、これは、生きものである訴訟をすっかり窒息させてしまうようなワクをますます強くはめ込んでいこうということにほかなりません。このような状況のもとではとうてい十分な防御活動は果たし得ないと思うのであります。
また、氏名以外の留置番号などによる被疑者の
弁護人選認届けの効力を規則の上でも明確に否定しようという十三の項目、一々読み上げませんが、
裁判所はよくおわかりだろうと思うのですが、十三の項の点は、明らかに黙秘権を破るものと言わなければなりません。
いずれにいたしましても、これらの点は規則の改正によってできるものではございません。当然、国会の審議を経由した刑訴法の改正を必要とすると
考えるわけであります。九項目の
被告、
弁護人に対する
証拠調べなどの
禁止に至っては、
国民の
裁判を受ける権利を
制度的に否定するということにもつながる問題でありまして、刑訴法の改正によっても許さるべき性質のものではないというふうに
考えます。まあこの点につきましてはいろいろこれからも研究し、討議をしなければならない問題だと思いますから、あえて
答弁は必要ございません。私
どもの
考えを十分
最高裁としても
考えた上でひとつ進めていただきたいと思うわけであります。
そこで、もう時間も参りましたから、最後に
裁判官の不足問題についてお伺いいたします。
この問題の論点は
幾つかございますが、そのうちの
一つの問題でございます所長代行、常置
委員などの地位のために
裁判の本務を削減している
裁判官も少なくないはずであります。しかし、この面で最も重要な問題は、再・新任の拒否によって有為の人材を
裁判所から排除し、それ以後、
裁判所内の官僚的統制をきらう退官希望者を続出させ、新任希望者を激減させているという
実情であります。これでは、
裁判の実務を担当する
裁判官が不足するわけでありまして、
昭和四十六年度の職員録によれば、全国の地家裁乙号支部百五十九のうち、他庁と兼任の
裁判官が配置されているものが三十一、
裁判官が全く配置されていないものが六十三に達しています。このように見てまいりますと、
裁判官の不足という問題は、
裁判所における官僚統制の強化によって系統的に着々とつくり出されたものであったと言わなければなりません。このような実態をみずからつくり出しながら、
裁判官の不足を理由に、負担を
国民に転嫁する
訴訟手続の
合理化に走るということは、まさに
国民を愚弄するものと言っても差しつかえないと思うのであります。
そうだとすれば、その
実情を改善すべき方向は明確でございます。大阪弁護士会が司法
制度改革の
国民的構想を提案しております。私も拝見をいたしました。この構想が提案しているように、すみやかに次の点を実行すべきだろうと思うのであります。
一つは、下級
裁判所の
裁判官会議を充実強化すること。
二つは、
最高裁の
裁判官会議を充実強化し、かつ
最高裁事務総局の人事改革を実施すること。
三つ、現在行なわれている
裁判官に対する勤務評定を直ちに廃止すること。
四つ、
最高裁は内閣への直接請求によって司法予算の増大をはかること。
こういうことが、いわば今後実行すべき当面の課題ではないかと思うわけであります。これについて
最高裁の御
意見をお伺いしたい。また、大阪弁護士会に所属しておられます
佐々木委員の御
意見もお伺いしたいと思うのであります。