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参考人(
尾澤修治君)
会計監査人が
取締役会において選任されるということは、この
業務が委任ないしは準委任と見られている
関係上、
取締役会の
業務執行の一端であるためにそうなっているんであろうと私は
理解しております。したがいまして、これを
株主総会で選任するというようなことは法理上だきないんではないかと
思います。要するに、
取締役会において選任したる者をさらに
株主総会において承認をするというような
制度をとることならばできるんではないかと私は思っておりまするが、まあ今回の立法においてはそういうようになっていないようでございまするが、相なるべくはそういうことが望ましいというのは申すまでもないことでございます。
それから、いまの
監査制度につきましては、
証券取引法を実施以来二十五年の歴史を経まして、ようやく日本の風土になじみ、地についてまいりました。そこで、
監査というものに対する
企業の受け取り方というものが非常に徹底してまいっております。したがいまして、そこでいいかげんな
決算をやったり
経営上の問題を起こしますと、そうすると
社会的にもたいへんな
責任を持たないといけないということの自覚が浸透しておりまするので、そこで一方では、
会計監査人によりましてあるいは
監査役によって、そのことを裏づけしてもらうことが彼らの
責任を解放してもらう一つの方法ではないかと
思います。私は、単純に、
取締役が
業務の運営をいたしましても、そのことについて確かに間違いがないんだということを専門家によって裏づけ、保証してもらうことは、彼らの
責任を解除する意味において非常に有意義であろうかと
思います。これを現在の
法律におきましては
株主総会によって行なわれることになっておりまするが、その辺はなお一そうこの
監査制度の
充実によりまして補なうことができますので、決して
監査というものがあとからついていく無意味のものであるとは
理解しておりません。
それからもう一つ。
北川参考人からお話がございましたが、
監査報酬を
企業から受け取っているということについて、それが
独立性を阻害するというような御
意見がございましたから、この際申し添えさしていただきまするが、
監査報酬は、私
どもの専門的能力と実務経験を必要としているこういう
業務に対して支払われるものでございます。それは恩恵的に支払われるところの個人的なものではございません。したがって、こういうものを受け取ることによって私は
独立性が侵害されるとは考えておりません。それから、
監査報酬というものは一つの標準がございます。たとえば
証券取引法監査につきましては、経団連側と打ち合わせをいたしまして標準報酬規程というものがございまして、その線に従ってやっておりまするので、多くもなければ少なくもない適正なものをちょうだいしているのでございます。それから、もし、
監査報酬を契約締結機関とか報酬受領機関とか、そういうようなものを通じてちょうだいするというようなこと、あるいは契約をするというようなことになりますると、
責任の所在があいまいになりまして、私はかえって独占的統制支配を招くのではないか、そういうように思っておりまして、これこそ実務上の障害になるのではないかと
思います。
それで、
監査人の
独立性ということにつきましてしばしば申し上げておりまするが、結局これは精神的な
独立性でございます。お金をもらうからもらわないからというような、そのもらい方の
いかんによって私は
独立性がぐらぐらするというようには考えておりません。これは精神の問題でございます。したがって、被
監査会社から報酬をちょうだいしているということは、決して
独立性を侵害するものではないということは国際的な通説になっているのでございます。アメリカにおいてはこれはすでに判例まであるのでございます。そういうようなことで、伝統的な一つの自主的、自由
職業であるわれわれの
あり方につきましてはぜひ御
理解を願いたいのでございます。
それから、もし一つの受領機関ないし契約機関というようなものをつくったといたしますと、そうするとこの
監査契約者はどういう
立場になるが。非常にむしろ
独立性が私は後退するような結果になるのではないかと
思います。まずその点から申しますと、
監査人を選任する法が非常にむずかしいのでございます。どういう人に
監査をさしたらいいか。要するに適材適所とか、あるいは会員間の公平とか、それから能力、経験の差、そういうようなものがいろいろございますので、選任順序をきめていくことが事実上は不可能でございます。それから今度は、
監査というものは現在は非常に組織
監査を必要といたしておりまするが、このチームを組むことがなかなかむずかしいのでございます。やはり一緒に仕事をしていくのでございまするから、十分に気心が通じ、気脈が通じ合った人と仕事をしていきませんと、デリケートな線がなかなか進めることができないということでございます。そしてその場合に、だれを
責任者とするか、あるいはだれを補助者とするか、われわれの世界には階級がございませんので、この序列をつくることもできません。結局組織的
監査を実施していく上ではむしろ障害になる、こういうように思っております。それからもう一つ大切なことは、
監査人と被
監査会社との間の
関係になりまするが、これはやはり相互
信頼関係がないと
業務の遂行を円滑にすることができません。押しつけられた
監査人であっては、やはりその辺のところでかゆいところに手の届くような
監査が実施し得ないというようなことも考えられます。結局
監査というものがたいへん弾力性を失った形式的なものに流れはしないかということをおそれておるのでございます。
それで申し上げたいのは、現在は世界各国すべて自由契約主義によっておるのでございます。これが共通なスタイルでございます。そしてそれによって
監査人の
独立性は侵害されていない、こういうようにすべての国で見ておるという事実でございます。御参考までについでに申し上げました。