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佐々木静子君 時間の都合がありますので、また順番に区切ってお答えいただくことにいたします。
実は、私
先生の
考え方というものを頭から否定しているわけでも何でもないのですが、問題点を指摘しているわけなんです。先ほど来
先生の御発言に、まず
庶子、
庶子という
ことばがありますけれども、
庶子なんというものは昭和二十三年の民法改正以来そういうものはなくなっているのですよ。そういう
意味におきまして、非常に残念なんですけれども、
先生の人道的なお
立場はわかるのですけれども、現在の家族法というものについてあまりにも御理解がないのではないか。これは旧民法で使われた
ことばで、そういう差別用語はいまの民法ではなくなっているわけなんです。かりに
先生のお住まいになっている土地とか、あるいは
先生の周辺にそういう差別的な意識の人が非常に多いとするならば、これはいまの人権思想を徹底して
——庶子なんというものはなくなっているのですよ、四半世紀前にそういう
ことばは。先ほどから
先生は何回もそれをお使いになっていらっしゃるけれども、そこら辺に、いまの民法なり家族法の
考え方と
——先生のお
考えになっていること
自身は非常に私けっこうだと思うのですが、少なくもこれを社会学的に見たときに、多少遺憾ながらズレがあるのではないかということを私まず
考えるわけなんです。
それから、私が、自分が
法律を多少かじっているからということで
法律論を振り回す気持ちはございませんけれども、実親でない親を実親として届けることは、
先生は非常に安定したとおっしゃったですけれども、これ以上法的に、氷の上に立っているような
状態ですよ。養子であればこれは養親として
法律がちゃんと保護しているわけです。実親より養親のほうが親権も優先しているわけなんです。ところが、実親でない者をにせの
出生証明書で実親として届けたならば、これは間違っているという指摘だけで一ぺんにひっくり返るんですよ。何の権利もないわけなんです、その親は。これは
先生が百人お世話なさって非常にうまくいっているという
お話で、私もこれは非常にラッキーな
ケースだったと、このもらわれた
子供さん方や親御さん方のためにこれは祝福しているわけなんです。ですけれども、これは非常に失礼な言い方なんですけれども、たまたま
先生の
ケースが運がよかったんじゃないか、これは渡した
母親のほうに多少でも権利意識についての自覚があるならば、あるいはまたもらった親のほうに、あるいはもらわれた
子供のほうに多少とも
法律知識があるならば、これは自分はこの親子じゃないのだということを主張すれば、あすの日にでも親子関係はなくなるわけですね、いまの
法律では。だから、いまの
法律がいいと私は言っているわけじゃないんです、必ずしも。ですけれども、そういう法的に不安定な、まことに不安定な、薄氷の上に立っているような事実関係にいま百人のお子さんなり親御さんは立っているんだということ、これは
先生御認識いただきたい。
養親であれば、親としての権利は実親よりも優先するわけです。だからそこら辺でもう少し、非常にいいテーマであり、私もこういう問題について前向きで取り組みたいとは思うんですけれども、そこら辺で、やはりほんとうにもらわれた
子供さんなり、あるいは産んだ
母親、それからもらう親の
立場を真剣になってお
考えになったならば、私は必ずしも実親がいいんだという結論は出ないと思う。かりにもし
先生の周囲にそういう方がおられるとすれば、実は私、きのうも石巻の御出身の方にお会いして夜も
お話ししたのですが、日本全体から見ると、宮城県ですか、岩手県の場合の
ケースを知っているのですが、非常に閉鎖的な社会なんです。そして近親婚が多い。これは
裁判の判決例でも統計が出ているわけです。全国的に特徴的な例として近親婚が多い。それから親族同士の殺人が非常に多いわけです。というのは、非常に閉鎖的な社会なんですね。それから、まあ日本全体から見ると、かなり後進性のあるところだと思うんです。ですから、これでうまくいまのところ風波なくいったけれども、いまこれ全国にこういうことをいまの
法律のままやったならば、これは非常に
子供さんにとっても、もらった親にしてもあげた親にしてもあぶない
状態である。
これは、私やや自分の乏しい
法律家の経験からでも、幾らでもそういうようなのは見ております。これは戦前から、むしろ戦前のほうが多かったのじゃないかと思いますけれども、実の親子関係でない親子関係を届けておる。結婚する前の娘が、あるいはともかく実の親子関係でない、たとえば弟
夫婦の間に生まれた
子供を姉
夫婦の産んだ
子供のように届けてある、そういうことは戦前からもざらにございましたけれども、そうなると、これが何十年かたった後に、姉
夫婦のほうは、
子供は親を養わないといけない。弟
夫婦のほうは非常に繁栄している。これは
子供のほうから親子関係不存在の確認の訴訟というのが幾らでも起こっております。それから相続関係で、均分相続になっておりますから、
子供でない者が一人
子供に入っておると、これはほかの利害関係人から……、こういう問題は、
先生は十年間、非常に失礼な言い方ですけれども、十年間とおっしゃるけれども、だから生まれた
子供さんがいままで育ってる話でもせいぜい高校生にしかなっておらぬから、まだそういう問題が起こっておらないのですけれども、これはいま始まったことじゃなくて、戦前からいろいろせっぱ詰まった事情で、事実と違う婚姻届けを出されていることは山のようにありますし、それをめぐる紛争というものは、これは山のようにあるわけです。
子供が大きくなって二十ぐらいになった、
戸籍上の親が死んだ、
戸籍上の親のほかの相続人がこれを排除する、それが相続権がないのだから。そうすると両親の名前は
戸籍から消される。ところが自分の親はだれかということでさがす。見つかった。ところが二人とも死んでいるとなれば、これは父も母も
戸籍上なくなってしまう。そのために結婚もできない、就職もできないというような
ケースもありますし、これはさまざまなそういう
ケースは山のようにあるわけでございまして、私どもは、むしろ、これは法改正に反対するわけじゃありませんけれども、うその出生届けを出したことが
子供の幸福につながるというようなことは、とても私は言えないと思うわけなんです。これは具体的に、多少ともでも
法律実務その他に携わっておられる方は、それは百の二百のと知ってらっしゃるわけです。ですからそこら辺で、問題の提起とすると非常にいいんですけれども、なぜ
法律のワクの中でも、いまの中でもでき得たんだということにもう少し御努力なさるべきじゃなかったかということをまず思うわけなんです。それから、そういう
意味で、全部
実子として届けた、養子として届けられたのが
一つもないというところに、私はちょっとひっかかるものを感ずるわけなんです。
それから、まずこれで具体的に伺いますけれども、この親の選定ですね。これは私
最初にこの
記事が出たときの
新聞紙で拝見したんですが、今回の
事件で
新聞広告をお出しになってその日の夜、もらい手が何人かのうちからなにして引き取られていったという
お話なんですけれども、それが、どういう親が一番親として適当であるかという
基準ですね。それは、私さっきから伺ってますと、
子供をほしいというんだから間違いない
——私は
先生の善意は非常にけっこうだと思うんですけれどもね。しかし、かりに養子としてもらい受ける場合でも、御
承知のとおりいまの
家庭裁判所で、いまの制度では、はたしてこれが親として適当であるかどうかということを厳重に審査して、そして却下率はわりに少のうございますけれども、それでも百のうちに五つや六つは却下あるいは取り下げという
状態で、事実上あきらめる、親としては、なれない、そういうふうな厳重な
基準があるわけです。これは単にそれじゃ九十五は認められているのかというと、そうじゃなくって、
家庭裁判所で調べられるぞ、これは親として適当かどうかということを調べられるという事柄
自身によって、すでに、あるいはこの
子供を育てて自分のところで、自分のところの営業に使おうとか、あるいは親のエゴイズムによる養親の名乗り出ることが、事実それでチェックされているわけですね。そういうとこら辺が、
先生は何を
基準に、またどういう
確信のもとに、それが養親として適当か、または児童福祉施設では、やはり試験期間といって、三カ月一緒に住むとか、六カ月一緒に住んだ後に、これは親として適当だということで、それを認めるというようなこともあるわけなんですが、私非常に驚いたのは、
新聞広告を出されてその日の夜に
子供をもう渡してらっしゃる。私は
先生がいかに万能であっても、どういうことでそこまでの直感で、これがだいじょうぶだと、
子供にとってはほんとうの一生の問題ですね、そういうことが結論づけられるのか、まずそのことをお聞きしたいわけです。