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佐々木静子君 これは、人事局長は、残念であるで済むかもしれませんが、
国民はこういうふうなことで、最高裁の姿勢というものが非常に
国民の意思と離れてきているということに対して疑惑を持っている。これは
裁判の不信につながるものであり、
国民にとって非常に不幸なことである。ですから、人事局長は、残念であるで済むかもしれませんが、これは
国民にとっては、残念である、では片づけられないと思うのでございます。これは、いままで最高裁の
裁判官の判事の退官かあるいはそういうことについて、各紙がこういう報道をいろいろとされたことがあるか、いままでの日本の
裁判史上において。これは最高裁の姿勢がこのように暗いものであるから、反動的なものであるから、田中さんのようなりっぱな
裁判官さえこのような空気の中におれなくなった、——これは真偽のほど等は私は知りませんが、そういうふうに各紙が報道されるということは、いままでの
裁判史上にあったかどうか。
いま人事局長は、再三御
説明しているからよくわかっていただいているとおっしゃいましたが、もしよくわかっておるならば、このような報道が各一流紙でなされるはずがないと思います。これはわかってないから、人事局長の言われることを額面どおり
国民が受け取っておらないから、新聞にこういう形の記事で出るわけでございますね。そういう意味において、現在の最高裁の
事務当局の責任というものは非常に重いと思うわけでございます。この点について、御反省といいますか、今後どのように対処していこうと——まあ人事局長一人お責めしてもいささかお気の毒な気もいたしますけれども、人事局長としてもどのように
考えておられるか、人事局長というよりも最高裁長官代理者としてお越しになっていらっしゃるのですから、最高裁のお立場を、各新聞紙からこのような目で見られるという事態を招いたことについての責任、それに対してどのように善処していくか、これは、単にそのお立場の人が困ったことだというささいなことでなくして、
国民が
裁判というものに対して非常な疑惑を持つに至らせたという責任を
国民に対してどうおとりになるか、どういうふうにお
考えになっているか、それをお述べいただきたいと思います。