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小林武君 あなたのあれには、悪法も法なりというそういう
考え方、悪法も法なり、きまったら最後、だから悪法も法なりの信念があるから、これは無理だなと思うと力でいくわけですね。きょうも何だかあやしげなあれが出てきたなんて中断された。私は早くやめようと思ったけれども、あれが済んだんでその時間だけはよけいやらなきゃぐあい悪いかと思って、
審議またサボったなんて言われるのも業腹だからいまやっているんだ。悪法も法なりじゃだめなのよ、そんなこと言ったら。
教育の実質についていかなきゃだめね。
教育に最も妥当な、子供にとっては
教育内容というのはきわめて大事なんです。その
教育内容について合意に達することができないような、少なくとも、真実でないようなことをやってはいけないということ、そのことについて
政府は自由に干渉できるようなやり方をやって、そうしてどうですか、民主
教育が始まった当時のあの何といいますか、純真なものの
考え方というのは
教育の中になくなっちゃって、教科書の中からも
政治的に時の
権力にぐあいの悪いようなものはどんどん削っていく。初めは
憲法九条なんていうのが、いかなるものもとにかくいくさに関係あるものなら戦力として認められないてなものの
言い方が
文部省の
憲法の話にもちゃんと出ている。それがいつの間にやら自衛隊はこれは何だてなことになるというと、それはけしからんというようなことであなた
たちはやるでしょう。再軍備はあたかもこれは合法で当然なことだと言わぬばかりにやってくる。そこに見解の相違が両方に出るわけでしょう。まあ、七日にどんな判決が出るかどうか知らぬけれども、違憲かどうかというようなこの自衛隊の問題が出てきた場合に、そうなった場合に、これどういうふうにするか。あなた
たちの解釈というのはどうなのか。あれは裁判長がけしからんからこういうことになったのでわれわれの
考え方は正しいなんてなことを言ったら、これはまことに妙ちくりんなことだと思う。
ぼくはさっきから言ってるのは、
権力の力で
教育をどうするというような行き方はこれは不当な支配なんだと、こう言っている。だから
文部省自体言ったじゃないですか。政党の力というものが強大化してきた場合に、——特に強大だというのは何かというと、与党、政権を握ったものなんです。その政党に対して
教育に不当な支配をかけないように教員は団結してやらぬとだめだと、こう言ってるのじゃないでしょうか。それを
文部省、いくさに負けたときに初めて本心に立ち返った。ぐあいが悪くなったら今度それを捨てて、時の
権力に迎合しないようなやつはこれは不良教員だというようなことになったらこれはたまったものじゃないですよ。だれが困るかといったら、教員よりかもそれは
日本の子供が問題なんです。
日本の行く末の問題になるでしょう。そういうふうに
教育の中立性というものを見なきゃだめだと、こう言ってるのです。あなたは政党の
立場に立って、与党の
立場に立って、おれのやることは全部正しいと、おれ
たちの主張していることを教員が
自分の裁量でこれは正しいのだなんてなことをやったら、それは国の
法律にそむいたものだから許しておけないというのがあなたのほうの
考え方でしょう。どっちがものの
考え方としてすなおですか、どっちがものの
考え方として正しいのですか。戦争と敗戦というものを経験した
日本人にとってどっちが正しいのですか。その行き方がまるっきり変わってきたのじゃないですか。それをぼくは言ってるのですよ。
あなたは、とにかく苦しくなると
法律、その
法律にもとることと言う。
法律にもとる前に
日本国憲法と大
日本帝国
憲法、
教育勅語と
教育基本法の差が出てきている。その上に立って現状をあなた判断しなきゃだめですよ。教員に節操を売らせるようなそういう
教育をやったり研究をやったりしたら、
日本の国は再び大きなあやまちをおかしますよ。
教育者としての節操というものはなきゃならぬのです。それは教員だって完ぺきじゃないから教員の
考えていることがみんないいなんて、そんなことを言うのじゃないのです。
教師がものを教えるのにいろいろ勉強したり教えられたり
自分で
考えたりして、これこそ
日本の将来にとって確信持てることだということを教えるのがこれが教員のつとめじゃないですか。そういう
教師が不当な力の支配によっておのれの信念を曲げなければならぬときには
教師はどうしたらいいのか。私は、
教師は信念のために生きなきゃいかんと思うのです。それこそが、あなた
たちの
教師に対する期待でなきゃならぬし、親
たちの期待だと思うのです。そういう
考え方は
政治的中立と、こういう。まあ、あまり
政治的中立なんて言い
たくもないけれども 正しい
教育者としての生き方だ あなたはそれ認めないで、あなたの場合は、いやそれはどんなことであっても、
法律が通っておればその
法律どおりにやるのがこれが正しいのだ、こういう
考え方はいかんですな。世の中を見たってわかるでしょう。悪い
政治家も
たくさんいるし、おそろしい
権力でもってやっているところもある。まあ今度の韓国の問題にしろ、ひとの国を
批判する前に
日本のことだって
考えたらいい。似たり寄ったりのことがある。
権力というものは何をやっても正しいという、そんな
考え方が大手を振って通るときにはそれに負けてはいかぬ。あなたは
法律万能主義みたいなことを言ったらだめだ。それはあなたのあれにも出ていますな。判決の問題についても、最高裁の。あなたは前の判決のあれがとにかく目ざわりでしょうがなかった。今度あとにそれをくつがえすようなやつが出たから、やれやれこれに従っていかなければだめだというようなことを言う。上級審と下級審の場合ならともかくとして、最高裁の大法廷できまったような判決が一年や二年で引っくり返ってたまるもんですか、一体。それには
政治の悪がある、そんなことの状態になれば。われわれが最も信頼している司法権にさえそんなことが出てくる。あれだけ身分を保障されているといったところでそうはいかない、身分だけではいかない。世の中の仕組みというものがものすごくいろいろな
意味で支配の力を出してくる、どっから出てくるか。私はまあ経験はあまりないけれども、なかなかこの背後の力というものはおそろしいと、
公務員をやっていて思った。それを言っているんですよ。
教育の
政治的中立というものは、あなたはもう少し
考え直してもらわなければ困るな。
こんなことをいつまでやっているわけにいかぬから、どうせまた次にやるのだから、ここでやめますけれども……。
しかし
一言言えばね、ぼくはあなたと悪口の言い合いをしているというようなことが主眼じゃない。やっぱりあなたのほうでも、とにかくこの
法律を通したいという
気持ちがあり、ぼくらのほうはこの
法律を通し
たくないという
気持ちがある。その中でいろいろ議論してみて、そうしてその中から何か出てくるのかどうかということもあるだろうし、全然ないならば、正々堂々とやってもらいたいのだな、正々堂々と。論議を尽くし、堂々とやってもらいたい。おかしなことをやってもらい
たくない。ときどき督戦隊みたいなのがここに入ってきて、それが来るたびに何だか空気がおかしくなるようなやり方はやめてもらいたい。
きょうは終わります。