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1973-08-30 第71回国会 参議院 文教委員会 第23号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年八月三十日(木曜日)    午前十時五十三分開会     —————————————    委員異動  八月二十九日     辞任         補欠選任      金井 元彦君     世耕 政隆君  八月三十日     辞任         補欠選任      鹿島 俊雄君     高橋雄之助君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         永野 鎮雄君     理 事                 久保田藤麿君                 楠  正俊君                 松永 忠二君                 宮之原貞光君     委 員                 志村 愛子君                 世耕 政隆君                 高橋雄之助君                 棚辺 四郎君                 中村 登美君                 濱田 幸雄君                 二木 謙吾君                 宮崎 正雄君                 小林  武君                 鈴木美枝子君                 内田 善利君                 矢追 秀彦君                 萩原幽香子君                 加藤  進君    国務大臣        文 部 大 臣  奥野 誠亮君    政府委員        文部政務次官   河野 洋平君        文部大臣官房長  井内慶次郎君        文部省大学学術        局長       木田  宏君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        文部省大学学術        局大学課長    大崎  仁君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○本委員会運営に関する件 ○理事辞任及び補欠選任の件 ○国立学校設置法等の一部を改正する法律案及び  国立学校設置法の一部を改正する法律案につい  て     —————————————
  2. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  去る七月十七日の本委員会事態に関し、私からあらためて申し上げます。  去る七月十七日の委員会事態は、委員会運営の本旨にかんがみ、誠に残念かつ遺憾であり、委員長としてその責任を痛感しております。  委員会運営は、各委員理解と納得のもとに行なうことが原則であります。したがって今後は、その点に留意し、再びあのような事態を招かないよう特に理事会協議に基づいて運営をはかります。つきましては、委員各位におかれては、何卒御諒承の上、御協力をお願いいたします。  なお、先日の委員会で提起されました世耕君の問題については、理事会協議をいたしましたが、本日の理事会において世耕委員から「七月十七日の本委員会における私の動議提出契機として、委員会混乱し、御迷惑をおかけいたしましたことは誠に遺憾であり、つつしんで陳謝いたします。」との発言がありましたことを御報告いたします。     —————————————
  3. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) この際、委員異動について御報告いたします。  去る七月二十六日、岩動道行君、棚辺四郎君、世耕政隆君及び高橋雄之雄君が委員辞任され、その補欠として二木謙吾君、宮崎正雄君、大松博文君及び鹿島俊雄君が選任されました。  また、八月二十七日、大松博文君が委員辞任され、その補欠として棚辺四郎君が選任されました。  さらに八月二十九日、金井元彦君が委員辞任され、その補欠として世耕政隆君が選任されました。  また本日、鹿島俊雄君が委員辞任され、その補欠として高橋雄之助君が選任されました。     —————————————
  4. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) 次に、理事辞任の件についておはかりいたします。  本日、安永英雄君から、文書をもって都合により理事辞任したい旨の申し出がございました。これを許可することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  この際、安永君の辞任に伴う理事補欠選任を行ないたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により委員長にその指名を御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事松永忠二君を指名いたします。     —————————————
  7. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) 国立学校設置法等の一部を改正する法律案及び国立学校設置法の一部を改正する法律案について質疑を行ないます。
  8. 加藤進

    加藤進君 議事進行について。
  9. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) 加藤君。
  10. 加藤進

    加藤進君 先ほどの世耕委員釈明、それにあわせての委員長釈明について、私は若干質問をしなければならないと思いますが、お許し願いたいと思います。  世耕委員陳謝の表明はお聞きしました。しかし、あの七月十七日の混乱した事態は、もちろんその契機として、世耕委員の発議がその発端であることは明らかであります。しかし、この本委員会における混乱事態というのは、この委員会だけにとどまらなかったということは、われわれは決して忘れることはできません。三委員会において、時刻をちゃんと打ち合わせた上でこのような動機が提出されたということは、私は事柄はきわめて重大だと思います。この点について、私は世耕委員釈明を承服するわけにはまいらないということをまず冒頭に申し上げたいと思います。  第二に、委員長釈明についてでありますけれども、委員長はその責任を痛感するということを各野党理事を含めての協力の上でつけ加えられました。そのことはそのこととして、一歩前進だと私は思います。しかし、その責任を痛感されたということはどういうことなのか、これは委員長進退をも含むというふうに理解していいものかどうか。その点まず委員長お答えを願いたい。
  11. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) 先ほどの加藤委員お尋ね最初お尋ねになった件もお答えするのですか。
  12. 加藤進

    加藤進君 いまの私の質問についてお答えいただきたい。
  13. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) 最初お尋ねになった件は、私としてはお答えをする何を実は持っておりませんで、私の判断においてやったことでございますので、三委員会が何か同じように何をしてやったと思うと、こういうお尋ねについては、私は、その点については存じませんとお答えするほかはございません。  それから、私の陳謝の件について、責任を痛感しておるが、一体どういうことなんだ、進退についてどう考えておるかというお尋ねだと理解をいたしますが、私はその点については、この時点お答えをすることを差し控えたいと存じます。
  14. 加藤進

    加藤進君 そうしますと、進退についてまでの責任を痛感しておるというふうに今日お答えできないということでございますか。
  15. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) 進退について、直ちにあなたの御質問についてお答えをすると、こういうことは申し上げられないと、こういうことでございます。
  16. 加藤進

    加藤進君 委員長は、この前の釈明関連いたしまして、私が質問を申し上げた一つ一つについては、何一つ明快なお答えはございませんでした。理事会にはかって処理いたします、こういうおことばでございました。そこで、私はそのことをあえてすべて繰り返すつもりはありません。しかし、委員長が真にあのような事態を引き起こしたことについて、心から遺憾の意を表されて、その責任を痛感されるというなら、委員長責任において、決意においてなし得ることを私はやってもらいたいと思う。その一つは、委員長委員会審査報告書、この委員長の出された審査報告書は、まず第一に、成規の手続を踏んでないことはこの前の論議でも明らかであります。しかも、これを裏づける根拠のないものであることも明らかだ。いわば委員長のつくられたかってな作文だと言ってもいい。こういうことが、あのような強行採決混乱の上になお採決を合法化するための根拠になっておるということについて私は黙視できません。私は、委員長が真に責任を感じられるというなら、委員長の出された報告書ですから、委員長みずからこれを撤回する、こういうことは私は委員長責任において可能であって、理事会にはかる必要も何もない、こういうふうに思いますけれども、その点のはっきりとした御答弁をお願いしたいと思います。なさいますかどうですか。
  17. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) ただいまのお尋ねにつきましては、御意見加藤委員の御意見として拝聴いたしますけれども、私といたしましては、その件について審査報告書を撤回するとか、私の進退をここで決定するとかということは、いまの時点において私は考えておりません。将来にわたって委員会が正常に運営できると、先ほどあらためて申し上げましたその精神を具体化していくために努力することに私が全力を注ぐことがまずもって一番の眼目であると心得さしていただいております。
  18. 加藤進

    加藤進君 続いてお聞きします。  これからの審議そのもの関連する重要な問題でありますから、あえて重ねてお尋ねいたしますけれども、この筑波大学法案委員会における審議によってこの法案を修正するという権利委員会に存在するのかどうか、委員会はこれを修正するという、いわば権限を持っておるこれからの審議の進め方であるかどうか。また、この委員会において附帯決議ということはでき得るのかどうか。委員会において成規の表決がなされ得るのかどうか、この点については、私はあいまいなお答えは認められません。イエスであるか、ノーであるかを明確にしていただきたい。
  19. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) ただいまの御質問につきましても、私といたしましては、これはあなたの所属されております党派では存知しておらぬとおっしゃるかもわかりませんが、公明党も同じようなことだと思いますけれども、他の党派方々のお話し合いの上で、実態として、そういうふうなただいま御質問のあったようなことを実際の面でいろいろくふうをすることによって努力をいたそうではないかという立場から委員会を正常の状態に戻したい、こういう趣旨でただいままで取り運ばれてきておると私は了承をしておりますので、ただいま明確にしろと、こういう御質問でございますけれども、その点についての答弁は容赦をさしていただきたいと存じます。
  20. 松永忠二

    松永忠二君 議事進行。  そういうお話が出ましたので、この際、われわれ理事会で確認したことをちょっと申し上げておきます。  七月十七日の筑波法案強行採決の有効、無効の議論はたな上げとすると。第二点をして、筑波法案は、本委員会において可決される場合、修正される場合、審議未了になる場合があることを確認した。それから第三として、議長の手元に出した委員長審議報告書は、本委員会で右のような法案の処理がつかない限り発動しないで凍結することが議長において確認されているという事態を明確にした。その次に、理事会は、理事の信頼の上に立って運営されることを確認した。こういうことでありますので、この問題について、われわれが理事会で確認したことを申し上げて議事を進行していただく、あるいはまた疑義の点があったらば理解をしていただく、そういうことを申し上げます。
  21. 加藤進

    加藤進君 理事会におけるお話し合い内容はいま承りました。しかし、委員会において私たち委員として問いたださなくてはならない問題がございましたので、いま特に、委員長に対して明確なイエスあるいはノーというお答えをいただきたかったわけでございますけれども、聞くところによりますと、いわゆる確認事項に基づけば、そのような明確な答弁はでき得ないと、こういうふうに私も判断するわけでございますからざらに、続いてお尋ねしたいと思います。  委員会のこれからの審議において、どうしても必要ないろいろな行事をやらなくちゃならぬと思います。その一つは、言うまでもなく現地調査であり、あるいは参考人の招致であり、連合審査であります。総理もまたこの委員会に呼んでいただかなくてはならぬ。そして、公聴会はぜひとも開いていただかなくてはならぬと思いますがそのようないわば委員会審議を進めるにあたって十分な審議を尽くすという観点に立って必要な行事について委員長責任をもってこれが実施のために努力いたします。こういうことを御確約いただけるかどうか、その点お尋ねしたいと思います。
  22. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) ただいまのお尋ねにはいろいろ法的な基礎づけの問題等を含めていろいろ問題もあると思います、実施面で。そこで、私がいま直ちにその点についてこれをどうしますというようなお答えはできかねる点がございますので、これは理事会におきまして慎重に審議をしなければならないことだとも思いますから、その点は私、委員長としてできるだけ御趣旨に沿うような取り運びができるように努力はいたしたいと存じております。
  23. 加藤進

    加藤進君 七月十七日の参議院の公報によりますと、委員会経過報告で、第二十一回文教委員会はといたしまして、両法案について質疑を行なった後、国立学校設置法等の一部を改正する法律案を可決したと、こうなっています。しかし、その前の文章によりますと、国立学校設置法等の一部を改正する法律案を同時に、野党が共同して提案しておりました国立学校設置法の一部を改正する法律案も同時に質疑が行なわれております。「質疑を行なった後、国立学校設置法等の一部を改正する法律案を可決した。」とあります。すると、野党共同提案国立学校設置法の一部を改正する法律案は、現在委員会においてなお生きて存在しておるのですね、これは。その点はいかがでしょうか。
  24. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) ただいまの加藤委員の御質問は、事柄法案としては別個の法案になっておりますけれども、内容におきましては全く重なる内容を持っておりますので、したがって、その問題を論じますと有効・無効論という問題に必然的に関連をしてまいりますので、私からその点について明確なお答えをすることは差し控えたいと存じます。
  25. 加藤進

    加藤進君 それはちょっとおかしいですね。とにかく、両法案はお互いに、政府立場と、あるいは野党共同立場からいって趣旨説明が行なわれました。同時に委員会に付託されたわけですよ。そして委員会に付託されたその法案が、七月十七日に、「右両案について奥野文部大臣及び政府委員に対し質疑を行なった後、国立学校設置法等の一部を改正する法律案(閣法第五〇号)(衆議院送付)を可決した。」というのでございまして、われわれの提案した法案というものは、何らこれに可決されたというはっきりとした明文はないんです。だとするなら、可決をされてはおらない、提案はされている。ということならば、今日なおわが委員会においてこれは付託されておると、こういうふうに解釈せざるを得ないんじゃないですか。あやまちがあったらあやまちがあったというふうに訂正していただかなくちゃならないです。その点、重ねて御質問いたします。
  26. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) それでは申し上げます。  加藤委員の御質問に対して疑義もあるようでございますから、理事会において協議をさしていただくことにいたします。
  27. 加藤進

    加藤進君 私は、この委員会経過報告をもとに置いて判断するならば、野党共同提案になる国立学校設置法一部改正の法案はなお現委員会に付託されている。したがって、先議案件としてわれわれはこれをまず先議することは可能だ、そういう権利があるというふうに私は解釈いたします。  以上のような私たちの持つ疑点について、十分な、明確な回答はありませんでした。そういう釈明については、私はこれを了承するわけにはいかない、こういう点を申し上げて質疑を終わります。
  28. 松永忠二

    松永忠二君 私は前回に引き続いて質疑をいたします。  この前、学校教育法に基づく教授会権限に関して国士館大学の学則と学校教育法及び学校教育法施行規則との関連の問題は、私のほうで文書質問を出しますので、文部省の見解を文書で示してもらいたい。なお、それに基づく本法案関連質疑は、文書提出を待ってから行なうということを委員長も認めておいていただきたいと思います。両者ともよろしゅうございますか。
  29. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 御提出があった場合に、すみやかに回答するようにいたします。
  30. 松永忠二

    松永忠二君 委員長は、いいですね。
  31. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) はい。
  32. 松永忠二

    松永忠二君 それでは少し内容のほうへ入ります。  筑波大学研究教育組織についていろいろ論議をされ、批判をされているわけでありますが、それはどこの点にあるというふうに文部大臣はお考えになっていらっしゃるのでしょうか。
  33. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 現在は、御承知のように、研究教育学部ごと一体として運営されておるわけでございます。それが今回は研究組織教育組織とに分ける。分けるに伴いまして、従来の学部ごと教授会というものが研究組織教授会教育組織教授会ということになってまいるわけでございます。その関係で、人事問題等につきまして新しい機構考えていかなきゃならない。その機構が、いろいろ心配される方々は、一方的に研究教育を方向づけてしまうんじゃないだろうかというような、私から言いますと少し心配し過ぎた議論だと思うんでございますけれども、そういう点から研究教育自主性を失うというような意味反対の論拠にされていると、かように理解をいたしております。
  34. 松永忠二

    松永忠二君 この前少し議論したときに、どうも、いまの学部中心教育研究組織検討を要するのではないかというような点についてまで非常に理解がされてないのだと、そういうことを含めて非常に反対があるのだというようなお答え趣旨があったので、私は、その点については、たとえば、東京大学大学改革準備調査会の第一次報告書教育組織専門委員会報告書などでも、研究教育とどちらが手薄であったかと言えば教育であると言わざるを得ない、教育がより重視さるべきであり、教育全学的視野に立ってなさるべきだと主張したい、こう言っているわけです。あるいは大学は、将来、研究者となることを志していない者を含めた学生教育する組織だ、学部という一つの箱に教授学生が入り、一切の事項をそこで取り仕切る組織は、学生のためにも、教授研究のためにも適当でないと考えると。学部研究所講座制の廃止と再編成提案されているわけです。あるいは、たとえば、京都大学では、現在の学部教養部研究所などの部局機構にとらわれないで、実現可能な教員研究教育組織を構想しよう、そういうことで部というものをつくって研究教育管理運営一体化された基礎単位として、部は、従来の教室・学科・学部がそのまま移行するものではなく、理念的には全学的規模での研究教育組織の再編成を志向し、部を越えた研究教育が積極的に行なわれるよう制度的に保障すると、こう言っておる。だから、その意味で言えば、文部省が「筑波大学理解のために」に書いたものと——その中に書いてある学部運営していく考えが、ともすれば研究中心で、学生立場に立つ教育考えることがあと回しになりがちだということと何も違いがないわけですね。つまり、その点についてまで理解がないのかということをあなたお考えになるものだから、大学先生もっと勉強してくれよなんということばが出てくるのじゃないかと私は思うのですよ。あるいはまた、私たちはこんなことがこんなに問題になるとは思わなかったというような御発言があると思うんであります。文部省考えている一部の問題については、いまやその理解はできている面があるということは、つまり、学部中心だけで教育研究組織をやっていこうというだけのことについては、これはやはり検討する時期にきているということは理解しているのですよ。ところが、そういう理解に立ちながらも東京大学では何と言っているかというと、大学研究教育という機能の遂行を中心とする組織である以上、学問研究の自由の確保という観点から研究教育中心主体である教官団が、大学意思決定と執行に中心的役割りを演じる必要がある。研究教育に関する重要事項は、教授会全員構成員の会合において討議され、決定されなければならないということを言っているわけです。再検討される必要があると、そう言っているけれども、この点、についてはこういうことを言っているわけです。  それからまた京都の大学では、研究教育のための教員組織は、これを研究組織教育組織とに制度的に分離するのではなく、研究教育の双方を有機的に結合して一体的なものであることを原則として承認する。従来の部局自治によって確保されていた利点までを否定することであってはならない、全学的機関運営については、そのような危険を防止すべき制度保障を十分に考慮しておく必要があると、こう言っているわけです。つまり、教育研究組織について学部中心のやり方については検討は要するけれども、こういう点については、十分その配意がなされなければいかぬということを言っているわけです。だから、教育研究という組織が、学部といういまの形でよいということじゃない。しかし、単に一人の教官教育研究組織に関係しているという、そういうことだけでいいというわけじゃない。つまり、教育研究一体として行なわれているのかどうか、学問研究教育の自由がその面から保障されているのかどうか。大学自治確立という立場からこういうことが、いろいろなそれに関連したものがいいか悪いかということを実はその問題にしているわけです。あなた方からいうと、教育研究の問題については大学人たちにまかしてあるから大学自治が守られているじゃないか、教育にも関係しているし、研究にも関係しているんだから、それでいいのではないか。しかもそのことについては、まかしてあるからいいのじゃないかと言っているけれども、そうではないんであって、法律的にたとえば人事委員会人事がある。最高の審議機関として評議会法律的に権限を有している。教育審議会とか一研究審議会は、教育研究の重要な全学的問題を審議するんだ、教授会教育研究の強力な審議機関となり得ないように法律行政的措置がなされていて、そのような機構の中で、自分たちでやるからといって自主的だ、自治が守られているという、そういうことではない。このような機構をつくることが、実は終局は大学自治の侵害であるというふうな考え方を言っている。だから、あなた方が言っているような学部中心教育研究組織については検討を要すると言っているわけですよ。しかし、そういう中でも、はたしてその組織がいわゆる教員教官全体の意思を十分にくみ取ることができるだろうか。研究教育の自由がはたして守られているだろうかどうだろうか。大学自治保障はあるだろうかどうかという点について、これは保障があやしいという点で批判が出ているのですよ。だから、大学先生方研究教育に関係して、どちらにも関係しているじゃないか、大学のことは大学先生にまかしてあるじゃないか、だから何も問題はないじゃないかと言うけれども、そうじゃないですよ。こういういろいろな機構をつくることによって、結果的には教官の全体の意思教育研究に十分に反映されてない、あるいは人事の問題から考えていっても、大学自治保障がそこに十分でない、そういう意味批判を受けているということを大臣自身はお考えになりませんか。こういうことを言っているのはおかしい、私たち考えていることがなぜ理解をされないのだということを盛んにおっしゃるし、このことくらいは認めてくれてもいいじゃないかと、こう言っているけれども、そのこと自体を全然否定しているんじゃないんですよ。もういまやそこまでの理解には、合意にはなりつつあるわけです。問題は、そういうものをやる場合に、結果的には大学自治を確立するとか、教官教育研究の自由を守っていくとか、そういう意味考え方が、この筑波法案の中には、つまりいろいろな機構を設けるということの中で、それが十分に反映をされてない、そういう批判のあるということをあなた自身大臣はお考えになりませんか。私は、そういう角度から批判をされているのであって、こういう点については謙虚にやはり耳を傾けて、その批判を受け、そして、それをしかるべきものは直していくというような考え方に立っていくべきだと、おれたち考えていることが一番いいんだ、こんなことも理解できないかという筋合いではない、そういう批判だということを大臣はお考えになりませんか。その点について大臣の意見をひとつ聞かしてください。
  35. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 松永さんのおっしゃっていることは十分理解しているつもりでございます。理解に立った上でお答えをしているつもりで私としてはおるわけでございます。大学自治という場合に、現在は私は学部ごと自治と申し上げたほうが適切だと思います。全学的な大学自治がはたしてどこまで達成されているだろうか、非常に疑問に思っております。疑問に思っておりますことが、学部ごと研究教育一体として行なっている、そのあり方について、いろいろな批判が出てきているという御指摘がございました。私はやっぱりそういうことにも関連があるのじゃないだろうかという疑問を従来からずっと持ち続けてまいってきているわけでございます。どちらかといいますと、筑波大学方式をとりますと、学部ごと自治よりも、全学的な大学自治に重点が置かれてきている。これは私はそのとおりだと思います。そのことがあるいは締めつけだと、こういうような疑念を御指摘のように持たれてきている、かように考えているわけであります。しかし、全学的な自治でございますので、あくまでも大学人によって運用してもらうという基本原則は貫いておるつもりでございます。学長の選任につきましても、従来と何ら変えてはいないわけでございます。ただ、教授会ということばじゃなくって、人事委員会等のような表現が出てまいりますと、教授陣でそれが運営されないような誤解が私は生まれてくるのじゃないだろうか。大学人によってそれが運営されていくのじゃないという誤解が私は生まれてくるのじゃないだろうか、こう思っておるものでございます。同時に、今回の法律改正におきましても、従来の方式を全部変えてしまおうというような意識はさらさらないわけでございまして、したがって、また学部を置くことをもって常例とするという表現をとらしていただいておるわけでございます。同時にまた、大学自治をいうならば、東京教育大学が生み出した構想、それが筑波大学方式じゃないか。それは大学によっては学部ごとの改革をやることによってその要請にこたえられるのだとおっしゃる大学もありましょうけれども、また、東京教育大学がこういう構想をとりたいのだと言われることも認められてよろしいじゃないか、いろいろな考え方があっていいんじゃないでしょうか。自分たち考える構想以外には大学自治が侵されるのだときめつけてかかることは、私は態度としていかがなものだろうかと、こういう疑問を従来持ち続け、また、そういう立場に立ってお答えをさしていただいているものでございます。
  36. 松永忠二

    松永忠二君 あなたのおっしゃるのは、全学的な調整という意味で、つまりいろいろな機構考えているので、それを誤解して、何か大学自治がなくなるんだと思うと、こういうお話なので、この点はそうではないとこういうことをまず質問をしていきたいと私は思いますが、それは単なる誤解ではないかと思うんです。その程度を誤解するようなほど、大学先生も私は不十分な研究はしていないと思うんですよ、これは私、失礼な話ですが。  それから、これは筑波の人たちが、大学先生方がお考えになったことだから、つまり関係東京教育大学のお考えになったことだから、これは大学先生の自身の発想に基づくものだという、そういうお話ですね。この点については、必ずしもそれは全面的にそうではないとは私は言いません。これにも、やはりはたしてそれがそうなのかどうかという点について、具体的にこれから私は必ずしもそうばかりではない、全部じゃないけれども、そうばかりじゃない、重要なところがよほど違っている、こういう意見を持っているわけです。  そこで、もう少し質問を進めますが、大臣、大学管理運営というものと、行政庁の管理運営の相違というのは、どこにあるとお考えになるんですか。大学というところの管理運営というものと、行政庁の管理運営というものの相違はどこにあるようにお考えになるんでしょうか。これひとつ聞かしていただきたい。
  37. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 行政庁の運営は、おそらく一定の方針に基づいて秩序正しく運営されていくことに重点が置かれなければならない。大学の場合には、学術の研究という重要な問題をかかえておりますので、みんなが自由濶達に創意くふうをこらし合えるような姿において運営されること、それを重視していかなければならない、かように思っております。
  38. 松永忠二

    松永忠二君 大体その点については、私もそうだと思いますね。行政的な機構というのは、機構の目的とするところが、上部または外部で決定される。機構はその目的を実現するためのものとして存在をしている。それが行政の庁におけるいわゆる運営機構だと思うんです。能率というのは、そういう意味ですね。いかにきまった方針なりというものが下までずっとしみわたっていくかという、そういうことが主としていわゆる行政庁の機構。いわゆる上部または外部で、ある問題、目的がきめられて、それをどういうふうにその目的を実現をするかというための存在であるから、指揮命令系統を明確にしていくという、そういうことをとっていくものだ。ところが、大学管理運営というのは、あなたもおっしゃったとおりに、大学の目的である教育研究の遂行の具体的内容は、学問の自由を守る立場から直接それに携わっている構成員によって基本的に決定さるべきもの、このことが大学自治の根幹であり、こうして決定された教育研究実施を助けることが大学管理の内容である。つまり言いかえれば、構成員は、意思決定機構に参加することによって大学管理運営における重要な責任を負っていくというのです。つまり外できめられるのじゃなくて、自分たちが、つまり構成員が意思決定機構にみずから参加をしていって、それによって大学管理運営について重要な責任を果たしていくという、そういうところにつまり大学管理運営というものと行政庁の違いがある。だから、大学管理の運営が基本的には教育研究に携わっている人の総意によってなされるということが望ましい。したがって、問題があれば、運営に参加する人を制限することではなくて、意思決定機関の組織的な運営を、方法を検討し、改善することで解決をしていくべき問題である。だから、行政機構の効率化とか、運営というものは、あくまで目的とするものが外部や上部できまって、それをどんな指揮命令によって効率的に下までその方針がずっと行き渡っていくかというところによって行政の庁の運営や効率をはかっていこうというのであって、大学管理運営というのは、大学に関係している人たちがみんなで、基本的な問題についてその研究教育に携わる人の総意によってなされていく、そういうところに基本的に行政のいわゆる官庁の管理運営大学のいわゆる学校における管理というものの相違がそこにある。そういう点がはたしてこれに生きているだろうかどうかという問題ですよ。だから、そういう意味で、そういうふうないま言ったようなことが、はたしていわゆる筑波の法律の中の大学管理運営の中に生かされているだろうか、その点に疑念があるということであると問題があるわけです。だから、あなたも、大学管理運営というものと行政庁の管理運営には違いがある、大体いまおっしゃったように、いわゆるきまった事柄を十分に指揮命令をして、系統立ったものにしていくというのが行政庁なんだと、そうじゃなくて、教育研究に携わっておるみんなでそれに参加をし、そして責任を負っていく、そういうやり方が大学における管理運営で、そこの違いだ。  そこで、それじゃ、従来の大学における教授会というものと、それから今度の筑波大学における教員会議、これは名前は変わっているけれども、教授会でありますが、それとどういうふうに違っているかという点について大臣はどんなお考えを持っているんですか。私は、これは、あれじゃありませんよ、こまかいことじゃない、最も基本的な問題ですからね、これは局長じゃない、あなたはどういう御理解をされているかということですよ。つまり、その従来の大学における教授会筑波大学における教員会議というものとはどういうふうなもの、全く同じものであるのか、つまり大学の重要な事項審議するという点においては全く同じであるけれども、どんなふうに  全く同じものだというふうにお考えになっておるのか、どこが少し違っているとお考えになっておるのか、この点をまず先にお聞かせください。
  39. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 教授会にはいろいろな役割りがあろうかと思うんでございます。その役割りを遂行していきます場合に、人事委員会その他の機構を今度つくっておるわけでございます。したがいまして、教授会の持っておる機能を先生方によって特定な任務を遂行する、それを人事委員会その他のことばで呼んでおるわけであります。したがいまして、教授会を分けて考えていただきますと、そのうちの一つの機能を果たすものとしていろいろな機関が今度制定されております。そういう意味からいいますと、特段の変更はないと、こう申し上げてもいいんじゃないか、ものの言い方の問題に帰するかもしれませんけれども、私は一応そういうふうに考えておるんであります。すべての大学人たち運営されていくんじゃないかと、教授会でありましても、教授だけで相談をする場合がある、あるいは教授、助教授で相談をする場合がある、あるいは教授、助教授、講師を入れて相談する場合があるというように、ものによって運用をいろいろくふうされているところもあるようでございます。そういう意味におきましては、同じように考えてしかるべきじゃないか、こういうことも言える、かように思っておるわけでございます。
  40. 松永忠二

    松永忠二君 まあ、その程度の御理解だとやっぱりたいして違いはないというようにお考えになるでしょうね。その程度じゃないですよね、私たち、少し調べてみると、確かに教授会は「重要な事項」を審議すると、従来のを審議すると、こう言う。今度だって教員会議は、何も教授会否定したもんじゃないから、重要事項審議すると、こう言っているわけでしょう。ところが、従来の教授会というのは、重要な教育研究人事の問題は一体的に教授会で相談されるわけですわね。ところが、今度はどうなっているかというと、人事、財務、研究教育、厚生補導審議会に代表を送って間接的に参加するわけですよ、教授会は。そして、たとえば教育のことを一つとって考えてみると、学類というのが、学生教育指導について基礎的責任を持つ組織が学類だと、こう言っているけれども、学類では大学及び学群の定める基本方針に従い、教育課程を立案すると、こう言う。だから、学類は大学及び学群の定める基本方針に従って教育課程を立案するとともに、これに基づいて学群において決定された教育課程により教育を行なう。学類は学生教育指導について基礎的決定を持つ組織だといいながらも、実際ではその上にある学群というのは、学群として教育方針を定め、各学類において立案したものを基礎として学群の教育課程を編成する。その基本方針に従って教育課程を立案するとともに、これに基づいて学群において決定された教育課程により教育を行なうというので、基礎的な教育を指導する学群でも、実はその学群という学類の上のところで教育方針を定め、学類において立案したものを基礎として学群の教育課程をつくられるということになる。教育審議会というのは、大学全体の教育方針の立案、各教育組織における教育活動の調整、教員組織の整備に関することというのが教育審議会でまたきちっとやるわけです。どうせ教育のことだから金を伴うけれども、金のことは財務委員会が予算の支出の立案、予算の配分方針をきめてしまう。しかも、今度は評議会では、その教育研究組織の新設改廃というのは、ここでもうきめるわけです。従来は教授会というところで一体的に重要な教育研究人事の問題を縦に研究されていたけれども、今度はそうじゃないのですよね。だから学類とか学群の教員会議で教授教育に関する意見が十分に反映される保証がないという心配がそこに出てくるわけです。要するに教員会議なんというのは単なる、悪口言えば、報告機関、協議機関でもあって、事実上審議というようなそういう性格のものではなくなっていくのではないか。だから教育についてみんなが教育研究に参加している人たちがみんなで相談して責任を負っていこうと言っているのに、基本の方針が、たとえば教育審議会、たとえば学群あるいはまた評議会というところできまっていて、これは自分らが出した代表だということで、そこできまったものが結局報告をされていくという形になる。だから教育研究についても、教育についていま話に出たのだが、これは従来の教授会といわゆる新しい教員会議とはえらい差があるという批判がある。この程度のことは、私は何も局長をわずらわしたり課長をわずらわす必要はない。そういうふうな批判があるけど、そうじゃないというならば、一体どこを根拠にそうじゃないというお話なんでしょうか、ひとつ大臣からお聞きしたい。
  41. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) いま松永さんが教育審議会でありますとか、あるいは厚生補導のいろいろな機関でありますとか、いろんな機構の名前をおあげになりまして、また、こういうふうに運用を行なえという御指摘もございました。私も大体そのとおりに進んでいくんだろうと、こう考えておるわけでございますけれども、いずれも、それらの問題は、学内規則で一ぺんきめられまして運営されていくことでございます。すべて大学自治にゆだねられておりまして、東京教育大学としては、大体いまお話しになりましたような構想で進んでいきたい、こう考えておられるわけでございます。したがいまして、その運用の結果が適切でないという場合には、大学自身がまた違った道をおとりになるんじゃないだろうか、かように考えておるわけでございます。そのようにいろいろ言われていることが、何か文部省のほうから筑波大学に強制していくような誤解を私はかなり与えているんじゃないだろうか、こういう心配を持っております。法律に書いております以外は、あとは学内規則あるいは大学の慣行の積み上げ、そういうことによって確立されていく性格のことでございます。したがいまして、大学自治にふさわしいような運営が十分にくふうされていくものだと、かように存じておるわけでございます。同時に、いまの学部自治を基礎にします大学運営、これはもう先ほども御指摘になりましたように、いろいろな弊害が実はあるわけでございます。ことに学問の問題をとりましても、学際領域の学問というものはどんどん発展をしてまいってきております。幾多の学部がともに力を合せて研究をしなきゃならない。しかし、学部自治にはばまれまして、なかなかそれがうまくいっておりません。また、教育の問題を考えましても、幅の広い人間を育てていくためには他の学部から応援をしてもらわなきゃならぬわけでありますけれども、研究中心に進まれている、なかなかその手伝いをしてくれない、いろんな弊害があったりするわけでございまして、そういう意味で厚い厚い学部の壁を取りはずしたい、そして大学全体が一緒になって研究研究で成果をあげようじゃないか、教育教育で成果をあげようじゃないかというようなことで、いまの筑波大学構想が打ち立てられておるわけでございます。しかし、それはいろんな問題は大学自身がいろいろと考えて、そしてよい成果をあげるように、まさに大学自治の高揚をはかっていただくという期待を私たちは強く持っているわけでございます。
  42. 松永忠二

    松永忠二君 議論をしていくところを変なふうにしないようにね。  大学というのは、教育研究に関係しておる人ができるだけ関係して責任を負っていくという考え方が大学管理運営の本来の教員のあり方だと、こう言って、同じ意見であったわけですよ。そこで、これはあなたから言うと、それは筑波の移転はきまったことであって、筑波の人が、いわゆる東京教育大学がやったからというようなことを言うけれども、そういうことについて実は批判をしておるということを言っておるのです。それだからといって批判を受けない筋合いもない。それで関係をしているからいいじゃないかということではないということは初めから言ったとおりです。教育に関係している、あなたにまかしているからいいというのではなくて、そういう機構があるものだから、結果的には研究にみんなで参加して責任を持てる体制が不十分だという批判があるということを私は言っておるのですよ。こういう批判があるというのはもっともじゃないですか。そして従来学部という形の一体的なものについて、これがどうこうということについては、ぼくらはもう、いまも言うとおり、それが必ずしもいいとは言っていないけれども、つまり従来学部が目ざしたような教育研究にみんなが直接参加をしていく、責任を負っていこうというその考え方から、今度は教員会議というのがいろいろな機構をつくってきて、自分らのまかしてある、自分らが代表を送ったんだ、選んだのだという、そういうことではなくて、そういう機構を設けていることによって結果的には教育研究に自分らが参加できないというふうな形になってくるから、機構をいじらなければだめだということを言っているのです。私の批判なり、これは大学先生らもそういうことを私は言っていると思うのですよ。だから学部の壁だなんという話はいま何もする必要は私はない。さっき言っておるとおり、学部というもののいい面はそういう面にあったわけですからね。それからまたそういうことが、研究教育に直接参加していくというところで責任を負わしていくことが大学管理運営の本来の姿であるという点についてはいいわけです。そういうことを合意されている。今度はまた、研究について考えてみますよ。教育研究とが一番大事だから、研究についても重要な事項審議ということで、教授会はそれに全部参加していったわけですよね。ところが、今度はどういうことになるかというと、全部の学校の先生方が学系に所属するということは、研究組織に所属することは事実である。けれども、そこには研究審議会というのがあって、大学全体の研究計画の立案及び調整、研究組織の整備に関するということは研究審議会できまるわけで、自分らが代表を送ったけれども、そこできまってしまうわけです。それで、研究には必ず金がつきものですよ。金の問題も実は教授会でみんなが参加していろいろきめていたけれども、今度はだめなんですよ。予算の立案、予算の配分方針その他大学の財務に関する重要事項というので財務委員会できめていくわけです。今度は、いわゆる研究の場合に一番問題なのはやはり人事の問題で、自分らが保障されていなければできないというので、いままでは教授会人事にも直接タッチしていたけれども、今度は人事委員会があって、教員人事の方針に関する企画立案は人事委員会がやるわけです。その上にまた評議会というのがあります。この評議会というのは、のちほどちょっとお話をするけれども、これは非常に権威が強化される。これには予算概要の方針、教育研究組織の新設改廃というようなのはみんな評議会できちっときめていくわけです。こうなってくると、実は提案なんかでは研究の必要性に柔軟に対処する機構、あなたもおっしゃったとおり、いまの学部研究というのは膠着している、境界的なもので大規模なものはできないという、にっちもさっちもいかぬから、壁がある壁があると言っておったけれども、そういう意味では研究上の必要に柔軟に対処できる機構、あるいは現行の大学制度では新しい学問的な問題に対応できないということを言っているけれども、私は、筑波のようなものをつくったら逆になっちまうじゃないか、従来は学部教授会がすべて参加して、学部教授会の自主的な会議によって研究問題が設定される。今度は、今回は強化された中枢的管理機関の支配下において各種委員会でその審議がなされるわけです。どういう人が選ばれていくかといえば、大体長老教授であるとか、悪いことばで言えばボス教授が、大体一人ずつ選ぶなんということになれば、そういう者が選ばれる可能性はある。しかも、現行の学問体系に懐疑的で、どうもいまの研究の学問の体系に懐疑的な若手研究者研究テーマについて、実は理解できない教授人たちが、むしろそれへ参加して研究費の分配や研究テーマをきめるということになっちまう。開かれた大学だと言いながら、現在の学問体系に対して批判的な部分が入り込めないじゃないですか。筑波大学こそ学問の発展を阻害する危険な大学になる可能性がある。若手の研究者意見を民主的に取り入れられない。講座制による研究体制が一つ大学紛争になったといった、あの壁が逆にそれをつくることをきめるような結果になりはせぬかという批判があるわけです。そうでしょう。だって研究審議会が、さっき私言ったようなことで、みんな研究テーマなんてそんなところできめていくんですからね。予算は、そこできめちゃう、人事のほうも文句言えば、そこで一発やられちまう。それじゃ、いわゆる全学問体制にむしろ懐疑的な若手の研究家の研究テーマはどう取り込んで、どういうふうに金をつけて、どういうふうに研究して、いわゆるプロジェクトをつくっていくかということと、逆になってくる。相変わらず、むしろ今度はボス教授や長老教授がいままでは教授会でやられてきたものだから、いろいろ改革は進んだけれども、今度は法的に守られる中でどんどんやっていくということになれば、どこで一体柔軟性のある研究ができ、新しい学問への研究に対応できるか、ここにもいわゆる研究というような面で、いわゆる教官意思が十分反映できないのじゃないかという、こういう心配がある。こういう批判をしているということは私はもっともだと思うんだけれども、大臣にひとつ私の言ったことについて反発があればお聞きしたいと思います。
  43. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) いま、松永さんのお話を伺いながら、松永さんに申し上げるわけじゃありませんけれども、そういう批判をされる方は、なるほど色めがねをかけて物を見れば、そういうふうに考え込んでしまうんだなという感じを持ちながら伺わせていただいたわけであります。松永さんに申し上げているわけじゃございませんで、たいへん失礼でございますが、お許しをいただきたいと思います。  私は、やはり筑波大学法をつくった場合に、教育審議会を設ける、研究審議会を設ける、あるいは財務委員会を設けるというようなことは、すべて全学的に調整を要する場合には、そこで調整をしようということだと考えるわけです。やはり基本的に研究の場合には学系が基礎になって研究をしますし、あるいはまた教育の視点を考えてみます場合には、学類や学群が基礎になって考えていく、調整をする場合には、やはりどうしてもどこかでまとめる道をつくっておかなければなりませんので、全学的な自治を実らせるためには、やはり平素からそういう機構考えていかなければならないということではなかろうか、かように考えておるわけでございます。いずれにいたしましても、そういう運用全体が大学にまかせられておりますので、各学系、各学類、各学群それぞれが自由濶達に自分たちの構想を実現できる、それが基礎になって大学運営がはかられていくという方向に皆さん御努力になることは当然だと、かように考えるわけでございます。同時に、筑波大学につきましては、必要によっては学長その他をリコールできる仕組みもつくっていこうというふうなことも検討されているようでございます。でありますので、教育審議会ができる、研究審議会ができる、財務委員会ができる、みんなそれが行政機関のように上から下へ押しつけることを考えているのだと思われることは私はたいへん誤解じゃないだろうか。学長にいたしましても、あるいは学部の長にいたしましても、みんなできめてくることでございますので、皆さんの意思に反するようなことを学長や学部長その他の方々といえども押しつけるわけにはいかないのじゃないだろうか、こう考えるわけでございます。そういう意味をあわせまして、私は、しばしば大学自治は他の場合と何ら異ならないように保障はしているんですよ、こう申し上げてまいったつもりでございます。
  44. 松永忠二

    松永忠二君 調整だとお話だけれども、調整と書いちゃないでしょう。そんなこと言ったって、人事委員会が調整だなんと言ったら、人事委員会というのは、「教員人事の方針に関する企画、立案」でしょう。何も調整じゃないですよ、こんなこと。財務委員会だって、意見が分かれたから調整するのじゃないですよ、財務委員会がきめるんですよ、これは。「予算案の立案、予算の配分方針その他大学の財務に関する重要事項」と、ちゃんと書いてある。調整なんて書いてあるところはどこにもない。研究審議会は「大学全体の研究計画の立案」でしょう。「および調整、研究組織の整備に関すること。」とある。評議会などというのは、「教育研究組織の新設、改廃」、ほかじゃできないですよ。何も調整なんて、ごたごたが起きたから調整するというのじゃないのですよ。これ初めから代表出してそこでやるということになっているんです。それからまた、教育とか研究とかいう問題について自主性が侵された、侵されないという問題があるときに、こういうことが問題になるんですよ。調整機関じゃないのです。また、人事委員会が、調整機関などと言ったら、たいへんな間違いであって、そんなことを法律できめるわけがないのですよ。だからその点は、ぐあい悪くなったら、そういうものは自分たちでつくったのだから直すでしょうというお話だけれども、人事委員会とか財務委員会、いろいろなものについては、これからいろんな規則できまっていくんですよ。特に人事委員会というのは、法律でもちゃんと書いてある。そんなあんたのおっしゃったような自主的にただやっていくという性質のものじゃないですよ。だから、結局その程度のものじゃなくて、結局そのきめたことについて、今度は教授会のほうで文句が出るとかいろいろな話になってくるでしょう。紛糾したときには、ちゃんときめたとおりにやるよりほかないのだから、そういうことになっちゃう。だから、あなたのような御理解で、なに自分たちがきめたんだ、自分たちがきめて悪ければ、自分たちが直すでしょうという話ですが、そんなものが大学設置法なんかで、人事委員会でやることはない。そんなものはありはしない。そんな筋合いじゃない。だから、いまちょっと例をあげたのは、教育研究についての、いわゆる大学教育研究に携わる先生たちができるだけ全部がそれに関係して責任を持っていくという、そういう体制からはずれているから、心配している。誤解じゃないですよ。私はまた文部省やったとは言っちゃいないですよ。そういうふうなことに結果的にはなるので、それでいわゆるこれじゃ大学自治は、研究やったところが、研究のほうの人事が今度は逆にそれは守るというようなことになってくると、また大きな問題です。またその点あとでちょっと聞きます。  続けて、評議会というのができるわけですね。評議会というのは前にもあった。この評議会と新しい筑波大学評議会はどんなに差があるとお考えになっているのですか、筑波における評議会と。そんなことは何も局長に聞くことはありませんよ。一番大事なことでしょう。大学の中の一番根幹になって批判を受けていることですからね。大臣としてこの程度理解される、何も専門的なことを理解してないからけしからぬとは言いませんよ。さっきのように、調整だとか、わしらが押しつけたなんて言うから、そんなものじゃない、ちゃんときまっている。ここに書いてあるでしょう。時間ないから言うけれども、ここに出ているのですよ、ちゃんと国立学校設置法に出ているのです。  そこで、評議会の話を、あなたが理解されている程度でけっこうなんですよ。いままでの大学評議会と今度の筑波の法案に出ている評議会というのは、どんな辺に違いがあり、どういう違いがあるとお考えなのですか。局長はだめですよ、局長に聞くことはあとから聞きますから。大臣として、あなたがいま御理解なさっている評議会の相違はどこですか。そんなことはわしは知りませんよ。ただ、とにかく大学自治は守られていますというだけじゃだめですよ。そんなこと言ったって承知はできません。あなたは、筑波でいいんだと、筑波に反対するやつは勉強が足らぬから、もっと勉強して来いというようなお話もされているじゃないですか。あなたとして御勉強になっている評議会についての相違はどんなのがあるかということを聞いている。私のほうは、またあなたとは違って少しは小さいことをやっているから、何も私と同じ程度の小さいこと知らぬからといって、おかしいとは言いませんよ。ただ、しかし、理解の根幹の問題をどういうようにお考えなのか聞いているわけです。局長に聞くのはけっこうだけれども、局長に答弁を別に要求しているわけじゃありません。文部大臣としてどういう御理解をなさっておりますかということを聞いているのですよ。
  45. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 評議会の構成は、学部組織をとっておりませんので、若干おのずから違ってまいりますけれども、評議会の構成は、この大学学部組織をとっておりませんので若干違ってまいりますけれども、評議会の機能そのものは他の大学と同じでございます。
  46. 松永忠二

    松永忠二君 たいへんな違いですよ、機能どころか。いままでの大学というのは、評議会というのは教授の諮問の機関であって、教育研究についての全学的な調整をする機関なんですよ。あなたがよく言う、いまさっきから言っている教育研究について全学的な調整をする機関であって、人事については全学的な人事意思決定をする機関なんですよ。教授会が持っている権限もありますけれども、評議会が持っている権限もあるのですよ。教育研究については、あなたのおっしゃった全学的調整の機関なんですよ、いままでのは。今度はそうじゃないのですよ。全学の最高の審議機関なんですよ。そういうふうに説明していますよ。この本の二四ページにちゃんとそういうふうに書いてある。全学の最高の審議機関。だからちゃんと国立学校設置法の中にこの評議会というのが出てきた。これはもうたいへん大きな違いですよ。これは構成員が違っただけじゃないですよ。権限というか、そのものがたいへんな違いなんですよ、これは。だからいままでの教育研究についての調整の機関じゃなくて、それでその構成については違いがあるという点については、大臣、いままでの評議会というのは、学長、各学部長及び教養部長、それから各学部及び教養部ごとに教授二人、それから附置研究所の所長、しかし、その学部教養部教授は五人までふやすことができるのですよ。そういうこともある。で、学長の諮問に応じて審議をしている。で、学長の申し出に基づいて文部大臣が任命するわけです。ところが、今度は学長、副学長、学群長、修士課程長、博士課程長、図書館長、付属学校部長、付属病院長、各学類ごとに互選、各学類一名ずつ、各学系互選、各学系一名というふうに構成しているのです。人数を見ると、たしか学系のほうが二十六とか、各学類のほうが十とか、いろいろある、五十人の中で。でありますけれども、従来と違って長がずっと出てくるのですよ。それで前はただ学長と学部とか教養部とか、そういうところから長が出て、そのところから教授は二人ずつ出る、しかし、五人までふやしてもいいということになっているのですよ。従来の学部というものより、今度できる学群とか学類というのはもっと範囲が広いのですよね。従来の学部よりもっと広いのです。学群、学類だって入るんですよ。その中から一人出ていくわけですよ。だから従来のように学部を強力に代表するというそういうような性格というか、意見を十分に持ってくるというようなことはない、従来より広いところから一人出る、とにかく長というやつが副学長五人、みんな入っているから。全部、みんな長、長、長、長になっている。しかも、評議会というのはいままでのように単なる諮問機関や調整機関ではなくて、最高の審議機関、これはたいへんな権限を法的に与えている。いままでこの権限を法的に与えようとしていつでも廃案になっちゃった。だからしかたがないものだから法律にはつくらずに、法律を悪用するようなかっこうできめていったんですよ、規則で。それを今度法律にしちゃったんですから、法律ですから、だからたいへんな格づけが、位置づけができている。そうなってくると評議会の学類、学群の先生方意見が十分反映していかないのじゃないかという心配を持っている。従来の評議会とは違って。私は何も文部大臣の言っている学部のところへ立てこもれということを言っているんじゃないんですよ。学部先生方意見を代表するには従来の評議会よりも今度の評議会のほうが至難である、困難であるという、そういう批判を私たちも持ちますよ。しかも、そのものが最高のいわゆる権限を持つようになってきたということになれば、これじゃ心配だなという話で、どうしたらわれわれの意見がそこへ反映していくだろうかという批判が出てくるというのはあたりまえだ。とにかくこまかいことは別として、従来の評議会と違うんですよ、全然。従来の評議会と筑波の評議会とは違う。いままで従来意図したことがあった。だからそういう認識がないから、そこでそれはどうも誤解だ——あなたのおっしゃる誤解は、文部省がそういうことをして——何も私は文部省のことを言っているのじゃない、これから言おうとしているのだ。文部省のことを言っているのじゃなくて、これはそういう心配がある、それが批判を受けている。そういうことは、もっともじゃないですか。何も誤解じゃないんじゃないですか、まことに適切な意見だと私は思うんですが、どうでしょうか。
  47. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 評議会の構成の問題につきましては、現行の評議会筑波大学考えている点との対比で申し上げてまいりますと、基本となる構成員は、一つは学長に対しまして筑波大学の場合は副学長を置きますので、学長及び副学長、それから学部局の長、これは同じであります。従来の評議会は各学部から選出される教授二人、これが筑波大学の場合は各学類、各学系から選出される教員各一人ということになっておるわけでございます。さらに追加されるものとして、現行の評議会評議会の議を経て構成員の若干を減じまたは増加することができるということになっているのに対しまして、やはり評議会の議に基づき教員若干人を筑波大学でも増加することができるということにしておりまして、そう大きな違いはない。ただ、学部組織をとるか、学群、学系組織をとるかの違いと、副学長の問題との食い違いだけだと、かように考えるわけでございます。評議会権限の問題につきましては、現行法で重要な事項を列挙いたしておるわけでございまして、そういう事項審議すると、こう書いてあるわけでございます。同時に、今度の筑波大学につきましても、評議会重要事項について審議するという表現を使っておるわけでございまして、そういう意味で同じだと、こう申し上げておるわけでございます。各大学におきまして評議会の決定事項につきましては、学内最高の審議機関の決定だという取り扱い方を全体的にしてもらってきているようでございます。そういうような考え方を東京教育大学方々がいろいろなところでお書きになっているだろうと思うのでございまして、それを基礎にしてお話いただいているのではないかと、かように考えるわけでございまして、筑波大学評議会の決定というものをどういうふうに受け取っていくかということについての現在の考え方は、本質的には私がいま申し上げましたように現行の評議会筑波大学評議会との間で機能的には何ら差異は設けていないということでございます。
  48. 松永忠二

    松永忠二君 全くそれは違いますよ。学類、学系から一人ずつ出ていきますからいいでしょう、前と同じだというが、前には学部教授会に二人出ていた。しかも、学部と今度の学類とか学系、学群というのはどっちが大きいかというと、学群と学類のほうが大きいのです。その中からたった一人しか出ていかぬ、だから違うでしょう。  それから権限については、あなたがおっしゃったが、これはもうはっきり、いままでただいわゆる規則できめてあったのですよ、評議会権限のいろいろな内容を。今度は法律の中にしっかり評議会というものはできている。それで重要な——これは法律を見ればわかる、時間がないからあげないけれども、法律にちゃんと書いてある。そういうことをきちっと評議会を出して、法律の中へ名前を入れてそれの権限を書いてある。そんなものはいままで法律にはどこにもなかった、そういう点の理解も違っていますね。だから、私は少し御理解が甘いのじゃないか。私のほうがおかしいのじゃなくて、あなたのほうが少しもうちょっとそこの辺を勉強しなければだめですよ。前と評議会同じなんて言ったら、こんなこと言ったらこれから困ってしまうじゃないですか。  それから、その次に、今度は人事委員会についてもそうでしょう。個別の人事案件審議と全学的立場に立って教員の配置計画全体的な人事運営方針をやるとちゃんと書いてある。ところが、人事委員会は副学長が五人でしょう。教育審議会から選ばれた人が五人、研究審議会から選ばれた人が五人ですよ。そういう衆で個別の案件ごとに編成される専門委員会委員長がそのときどきに参加していくのでしょうね。旧来の教官教授会の関係から考えてみて、たとえば教員の採用、承認、勤務評定に応じた措置というのは教授会の議に基づき学長がきめると書いてある。それを人事委員会の議に基づき学長がきめるということになっているわけですよ。だから、全体をタッチをしている教授会の議に基づいて学長が教員の採用、承認、勤務評定に応じた措置をやったのを、今度は人事委員会の議に基づき学長がきめるというようになったから、人事委員会には直接何もみんなが参加じゃなくて、特に副学長が五人全部入っている、教育審議会のほうからも代表がまた五人ということで、全部研究審議会も代表が五人いくわけですよ。そうすると、教官人事に関する安心感、保障というものがはるかに教授会のときより薄くなるという不安を持つのはあたりまえでしょう。教授の採用とか、承認とか、勤務評定というようなものは教授会の議に基づきと言っている。だから、これだって人事委員会は調整なんて、さっきは間違ったのでしょうが、調整なんていうものじゃないですよ。人事委員会はもう法律にちゃんときめてあることなんです。調整というのはあれでしょう、意見が違ったときにまとめるというだけの程度のことですからね。だから、同じいわゆる教員の採用、承認、勤務評定というようなもの、つまり教官人事に対していままで持っていた安心感とか保障、これは非常に重要なことだけれども、これが従来の教授会の議に基づきというのと、人事委員会の議に基づきというのとはえらい違いがあるので、やはりそこに不安感が生じてきているという点は、これまた全く誤解ですか、全く邪推ですか、全く理解が不足しているからですか。私は、そうとは思いませんよ。私は、そういうふうな意見を持っていますが、あなたはそれはどうお考えですか。
  49. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) やはり根本の問題を離れて私は議論できないと思うのであります。  学部ごと自治にこだわっていますと、学部ごと自治が守れない、そういう点においては私は邪推とも何とも申し上げません。学部自治に固執される方は人事委員会はいやだと言われるのは、これでは学部自治守れないとおっしゃるのはあたりまえのことだと思います。学部自治がいろんな弊害をもたらしているから学部の壁を破る。学部の壁を破れば、いまのように学部教授会の議に基づき学長が選考することができなくなるわけであります、学部がなくなるんですから。いまおっしゃった教授会というのは、学部ごとに置かれている教授会なんです。学部がなくなるんですから、その教授会はなくなるんです。そこで、教育機構研究機構、それぞれから人を出してもらって人事を行なわなければならない。そこで人事委員会構想というものが生まれてきている。この点はぜひ私はよく御理解をいただきたいと思うのであります。基本の立場が違ってきますと、それはいろいろ反対とか、不安とかいろいろなことを言われるのは私は当然だろうと思います。しかし、そこに問題があるから東京教育大学が違った構想をとろうとしているということでございます。同時に、人事委員会がきめる。それを基礎にして学長が選考する。その人事委員会は、教育機構からも送られてきますし、また、研究機構からも送られてくるわけでございます。  副学長が非常に気にさわっておられるようでございますが、副学長も法律にちゃんと書いておりますように、評議会の定める基準に基づいて学長が選考に当たるわけでございます。しかも、その評議会は、各学類、学系から選ばれてくる人たち中心になって構成されておるわけでございますから、大学人が構成しているんじゃないか、かってなことをするんなら取りかえるということも可能なわけでございます。そういう意味で私は、先ほど人事委員会という表現を使っているものだから、教授でない、大学人でない人たちできめられるような心配を一そう強めているんじゃないだろうかなという推測を申し上げたわけでございました。
  50. 松永忠二

    松永忠二君 逆に言えば、私はあなたにもうちょっと理解をしていただきたい。私は学部の壁を主張しているんじゃないんですよ。学部の壁というものですべて何もかもやることはよくないと言っているんでしょう。だけれども、いいところとしては、教育研究人事の重要な問題についてはみんなで参加をしていくという、この大学運営のしかたがいいということを言って、あなたもそうだと言ったじゃないですか。そういう面からいえば、この人事委員会のように、何も副学長のようなものか——これはもう学長を補佐する、しかも権限も相当持っている者なんです。しかも、自分たちが選んだ中のまた間接的な人が選んでいくという考え方——そういう考え方では結局自分たち人事のような問題について安心感や保障というものが薄れてきていくということを言っているんですよ。それを理解できますかと、言ったら、その心配もあるでしょうというくらいのことはわかるでしょう。私は、何もあなたの言っているように、学部を廃止したんだから、学部教授会の議に基づきということでないことはあたりまえだというような、そんなことを私は議論しているんじゃないんですよ。だから一番初め出発点にあたって、東京教育大学のあれだってそのことを言っているんでしょう。そういう点はいいけれども、しかし、大学と行政の機構とは違うので、大学については教育研究人事の問題の重要な問題については、みんなして参加してその責任を負っていくというこの形をどういう効率的に能率的にやるかということを考えていかなければできないものであって、こういうふうな間接的な取り方をどんどんやっていったんじゃ、これじゃ、不信感が出て安心感が出ないだろうということを言っているのです。私は逆にあなたは学部教授会というものに固定しちゃって、何でも議論を持ってくるものはそれに固執しているから偏見を持っているんだという言い方をされるのは間違いだと思うのですよ。学部以外の組織というものをやっぱり検討されなければならない時期だと言っているのですよ。だから、こういう点についてやはり批判が出てくるのですよ。だから、結果的に評議会教員の会議の完全な上部機関であって、意思決定機関の決定が教育研究に直接携わっている人の総意によってなされるという大学自治の基本的性格に乏しいというような批判がそこに出てくるわけです。あるいはまた一つの機関なり組織が総合的に機能する仕組みを避けて、細分化された局面でだけ機能するようになってるわけです。それぞれの局面には自治の機能が働かないで、総合して管理する学長を中心とする管理部門に自治がある仕組みになっているのでしょう、この仕組みは。一つの機関なり組織が総合的に機能する仕組みはできるだけ避けて、そして細分化された局面だけ機能するようになってる。しかも、局面には自治機能を与えないで、総合して管理する学長を中心とする管理部門に自治があるような仕組みになってるのですよ。それからまた、教員の自主的管理運営体制というものがいままで学部自治という形から出ていたわけですが、それを執行部指導型の管理体制に移したのでしょう。大学自治研究、思想の自由を脅かされる危険があるという批判が出てきているわけです、その中に。だからこれを、さすがに評論家の人たちはうまいことを言ってると思って私は感心した。われわれのような小理屈をこういうふうに並べないでそのものずばりでうまいことを言ったのが村松喬さんで、衆議院で参考人に出て何とおっしゃったかというと、「その組織の中では役付の人たちだけが大学を動かしていき、そして平の教授などというものは全く沈黙してしまって、発言の、つまり発言というよりは大学教授の権威というような上にものを考えることができないような、何か学問をするサラリーマンでないとこの大学教授はつとまらないのじゃないかという感じを」受けましたと、こういうふうに参考人として述べています。なかなかそのものずばりを別の形で表現したと私は思うというような感じです。  私は、いままだ実際は重要な質問に入っていませんけれども、総体的に教育研究というものについて、いわゆる大学先生方が直接これに参加していくというような形に乏しくて、そういう批判があるが、この中にはやはり思考すべきものがあるというふうにお考えになるでしょうか。やっぱりそれは初めの議論のとおり学部自治にこだわって文部省を邪推し、そして自分たちがやったことをちょびちょびよそから口を出す者の言辞であるという判断でしょうか、文部大臣
  51. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 少なくとも、この立案にあたっているものはそういうような運営は少しも考えておりません。そういうふうに考えておりません。問題は、そういう運営になるおそれがあると、こうおっしゃっているのだろうと思います。人事の問題につきましても、学系が中心に選考される、こう考えるわけでございまして、今日学部教授会の議に基づいて学長が選考する場合にも、それぞれの教室で案を立てるのだろうと、こう考えるわけでございまして、そういう実態は、人事委員会になりましても少しも変わりはないのじゃないか、かように考えておるわけでございます。ただ、初めてのことでございますし、人事委員会組織が変わっているだけのことで、細部の運用については全く学内規則にゆだねているわけでございますだけに、いろいろ心配だということで見ていけば、こうなりはしないかという心配は出てくる。そのことは私は否定はいたしません、否定はいたしませんけれども、運用全体は大学人にゆだねられているのだから、大学人全体が不都合な結果になるようなことには運ばないのじゃないか、こう私は申し上げざるを得ないのじゃなかろうかと、かように思っておるわけでございます。同時に、またこの方式を他の国立大学に適用します場合には、それなりに法律改正を要するということもあわせ考えていただきまして、東京教育大学が打ち立てております構想、それはぜひ実現させてあげたい、そのように持っていかせてほしいと、こうお願いをしたいわけでございます。
  52. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) 午前の会議はこの程度にとどめ、午後二時まで休憩いたします。    午後零時二十五分休憩      —————・—————    午後二時十三分開会
  53. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続いて国立学校設置法等の一部を改正する法律案及び国立学校設置法の一部を改正する法律案について質疑を行ないます。
  54. 松永忠二

    松永忠二君 次に、まあ趣旨では、教育を重視すると、研究の中に教育が没入しないようにしたいと言う、そういう考えで筑波方式を出しているというが、私は、実はこういうことでかえって教育が軽んぜられるのじゃないかという反対意見を持っているわけです。それはどういう意味かというと、たとえば東京教育大学教育学部がある。その教育学部は、教育学科と心理学科と特殊教育学科と芸術学科と、こう四つに分かれていてですね、たとえば教育学科について言うと、十二の講座があって、大体三十人ぐらいの教授、助教授、専任講師があると。この教育学科の先生方は、まあ大体教育学科としてまとまっていろいろ教育の問題、研究の問題を絶えずそこで相談をする。だから、ある意味では共同研究しながら教育学の研究もするし、子供の教育もやる。ここが、学科が、研究の土台であり、同時に教育の土台である。それでこの中で、専攻のための演習が行なわれて、少数の学生を相手にして研究を通じて人間的接触ができるという、こういうやり方をしているわけです。ところが、今度の筑波の場合にはどういうふうになるかというと、本籍は研究の学系に属す。研究のそれが土台だと、たとえばいまの場合で言うと、筑波の場合には教育学系というのに属するわけです、先生方は。そこで、そのところに類というのがあるわけです。これは一五ページに出ておりますけれども、学系の下に類というのがある。類というところの、まあ第一次まとめ、一五ページであります。その中の教育基礎学というところへ入るわけです。で、この先生教育の場に出向して授業をやる。それで学群に属すというと、第二学群というのに入るわけです。第二学群というのが、一二ページにあるように、第二学群、文化・生物学群、この中の四つの学類の中の人間学類というのに入るわけです。そうして教育をする場合には、専攻であるから教育学というのに入ってくるわけです。よろしゅうございますか。で、そういうふうになると、学群というのは、これは非常に大きいんですよ、第二学群というのは非常に大きい。そこにまあ教員会議がある。  それから、学類というのは、人間学類というのに入るわけですから、ここに教員会議があって、これも従前のいわゆる教育学部なんという程度のものじゃなくて、これは非常にまた学類としては大きなものに所属をするわけです。そうして今度は専攻で教育学というところへ入ってくるので、そこの教育学には、教授会というか、教員会議がないわけです。そうすると、学類というのへ所属をして教育をする場合に、人間学類というのに入るわけですけれども、この人間学類というのは非常に先生の数が多いのです。そして、その上に第二学群というのは何が中心になるかというと、これはクラス担任教員というのが中心にそれを構成するわけです。クラス担任教員というのは、要するにフレッシュマン・ゼミナールといって、要するに、新入生の教育というようなものを担当していくわけです。これは別に研究を通じて子供に、生徒に接触をしていくわけじゃないのです。いわゆる入学の新入生教育という形の中でやるわけなのです。そうすると——まあひとつそんなにたいしてめんどうな話じゃないんだからちょっとお聞きをいただくと、つまり教育学科という十二講座からなる三十名ぐらいのところで研究教育も土台があって、その中で子供に演習で接触をしていくわけなんですね。ところが、その教育学科というのがいわゆる研究教育の土台であり、その上の教育学部教授会があって、これがほとんどすべて占める。教育学部というのもそんなに大きかないのです。今度は、所属は教育学系というのに属して、そうして研究教育基礎学というのに属している。今度は、教育を重んずると言いながら、教育の場へ出向して授業をするときに、そのまず学群に所属する。学群というのはクラス担当教員中心としたものなんです。それで、その下の学類に所属する人間学類というのはまた多いんですよ。それがいわゆる教員会議、これが基礎的な教授会、その下に実はまた教育学という専攻があってやっているのですよ。だから、私たちは、教授教育というのが、だから、実は筑波のほうが教育については間接的になる傾向になっているんですよ。いわゆるこの研究のほうに籍を置く、研究の籍も学系という非常に大きいところであり、それからまた学群に所属し、学類も前よりか多い。そういう中で、よく言うとおり、教授教育というのが狭い分野の研究学生の要求に沿わないという批判がある。だから、その教授責任でこういうふうなものについて改善をしていく必要あるけれども、いま言った演習を通じて学問の興味、研究の方法——学問研究についての正しい喜びというような基本的なものを教育研究一体の中で学び取るようなことができるようになっているわけです。そういうふうなことを考えると、教育中心考えますと言っているのに、むしろ学部のほうが教育を真剣になってやれる体制があり、学問を通じて教授と子供たちの間の関係ができる、そういう批判が私たちにあるんだが、まあ、このことについては局長のほうから答弁を聞いてみましょう。どうですか。
  55. 木田宏

    政府委員(木田宏君) いま御指摘がございましたように、これまで学生教育いたしますにつきまして、学部並びにその学生の専攻に対応する学科がつくられておりまして、主としてその学科を主体にして学生教育が行なわれておったのでございます。この学科を主体にした学生教育というのか、とかく——専門に深く入るという面から考えますといいんでございますけれども、同時に、今日のような幅広い多元的な社会になってまいりました場合に、大学教育を進めるにあたりましては、もう少し専門学科間の幅広い理解というものを踏まえた学生教育をする必要があるではないか、したがって、大学に入りましたときから、この専門の学科、これが学部あるいは専門領域によって違うんでございますけれども、非常にこまかく細分されていくという傾きもございます。できるだけ初期の段階におきましては、幅広い教育領域の上に立って学生の将来の専攻というものをみずから大学における勉強の中で学ばしていくようにしたい。そういう幅広い教育の場を学生に提供するということを考えますと、入学の最初から特定の学科に所属する学生であるというような教育のシステムをとらないほうがいいんだと、もう少し、教育学を修めるにつきましても、心理学であるとか、あるいは社会学であるとか、そういうものをかなり人間全体について幅広い理解ができるような、そういう教育の場の中に学生を受け入れて、そして次々とその専門を深めていくと、こういうことを考えたい。で、その意味におきまして、学群の中の人文系だけでなくて、社会科学も自然科学の関係者も集まって、総合的な教育の場ができるようにというくふうをいたしておりますし、また、おのずからそれは専攻を主体にいたしました学類が設けられるわけでございますけれども、その学類の中で、最初から特定の専攻にきめ込んだ教育のカリキュラムを組むということでなくて、幅広い学習ができる、こういうことを念頭に置いてこの教育システムとしての学群、学類の構想をつくり上げておるわけでございます。で、ございますから、むしろ教師の側から見ますと、たいへん指導には従来以上に相互の協力を必要とするし、苦労も多いということは考えられるわけでございますけれども、学生教育を幅広い基盤の上で進めていくようにしたいという考え方が、こういうシステムになっておる次第でございます。
  56. 松永忠二

    松永忠二君 私は、そういう教育は一般教育、一般教科もあるし、それから専門教科のいままでの区分けをはずして教育課程の編成をすればそれは十分できる。問題は、教育研究の場と、学生がどういう接触のしかたをするかというところに問題があるわけです。だから、ほんとうの意味研究の興味、そういう研究のしかた、学問に対する喜び、こういうものを与えられているのが、言うとおり、教育学部なら教育学科の中で三十人程度の先生方があり、そこで研究教育がしじゅういろいろ議論をされ、それでその中に属する人が演習を通じて研究教育の問題をやっている。しかも、研究教育のことについてはもっと狭い学群とか学類とかでない教育学部というところでいろいろな問題が議論をされるということになる。だから、私たちから言わせると、そういういわゆる内容をどういうふうに広げて、早くから狭いものをやらぬ、いや、できないというのは、教育課程の編成のしかたなのであって、接触のしかたから言うと、先生教育学系という研究のほうの学系に属して、教育基礎学という類に属して、それから場を変えて教育の場にくると第二学群という、しかも、いままでの教育学部よりはずっと多いところで教員会議をやっていて、そして今度は学類というところで、基礎的な教育の問題を議論するけれども、ここでもまた人文、いわゆる人類学、人間学類という非常な前より大きいところでやって、それでしかも、その次に専攻の教育学というところへおりていくわけで、そういう意味で私たちは、しかも、一番重要に考えているのは、たとえば担任教員というのがある。これはフレッシュマン・ゼミナーという総合科目のCという、これをやる、これは新入生教育というのをやる。しかも、この担任教員は、学類教員会議の構成員となり、学群の教育組織中心となるというような言い方をしている。そういう形で直接生徒に、しかも、クラスというのは大体人数が四十ぐらいだと言っている。そういうフレッシュマン・ゼミナーとか、そういう形で生徒に接触するのじゃなくて、いわゆる教育という一つの場で、研究教育一体された場で、子供と接触していくということによって、その先生に対する学問的な敬意と、自分自身が学問に対する意欲というものを感じていくという点から言えば、そのほうがずっと教育に、いわゆるわれわれは効果があるのじゃないかというこういう批判が実はあるわけです。  そこで、もう少し議論を進めて、それじゃ現在の大学の中で、教育を専念している大学がはたして効果をあげているだろうかという問題です。そういうふうに教育が大事だと言って、じゃ教育を重要にしている大学というのがはたして教育研究も進んでいるだろうか。これは、たとえばいま大学の中に、講座制大学と学科制大学と課程制大学というのがあることは御承知のとおり。大学設置基準によって講座制というのはどういうのかというと、教育研究上必要な専攻分野を定め、その教育研究に必要な教員を置く制度という、一番これは研究教育というものを一体的にやっているところですよ。  今度は学科制のいわゆる新制大学の地方の大学というのはどういうのかというと、教育上必要な学科目を定め、そのいわゆる教育研究教員を置く制度。いわゆる昔の帝国大学といったような講座制に対して、新制の学科目制の大学がある。これか教育研究——教育上必要な学科目。片方は教育研究上必要な専攻分野を定めているのを、今度は学科目制の場合には、教育上必要な学科目を定め、それで、その教育研究教員を置く制度。講座制のほうは教育研究上必要な専攻分野を定めてその教育研究に必要な教員を置く。片方は教育上必要な学科目を定めてその教育研究教員を置く制度。  今度は課程制大学というのは、いわゆる教育上の必要のみに応ずるそういう大学なんです。まさに教育を最も重点に考えている大学、これが要するに教育、いわゆる教員養成の課程を置いている大学なんです。それだから、教育学部教員養成課程というのは、それぞれの専攻分野を、教育研究するに必要な組織としてではなくて、教育上の必要のみに応ずる組織とされ、その学科目も教育研究上の必要からではなくて、単に教育上の必要から定められることになっているのです。最も教育を重要視している考え方で大学がやっているのですね。ところが一体どうですか、その教育というのはうまくいっているんですかね。その評価はどうでしょう。教育が最もよく行なわれなきゃならないのであるけれども、世の中の評価は必ずしも教育系の大学に、いわゆる評価は高くないでしょう。ここの先生というのは講義さえすれば責任が果たされる。研究をなおざりにされる傾向よりも、研究をする者がよい教育が行なわれるという、分離をするというよりは、教育研究一体のほうが、そういう形で教育しているところのほうがよい成果をあげているという、いわゆる教育が大事だ、教育が大事だと、こう言って教育上の必要からのみ考えられている教員養成課程の、いわゆる教育学系の大学というのは必ずしもよい教育が行なわれ、よい研究が行なわれているという評価はない。こうなってくると、あなた方は、教育を重要視、教育を重要視と言っているけれども、現に教育を重要視することだけを考えている大学が実は評価がぐあいが悪いという、こういう事実は一体どういうことになるんですかね。そういうことについてはどういう一体反論というか、そういうものがあるのでしょうか。ぜひひとつ聞かしてください。
  57. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 現在わが国の国立大学が、歴史的な経緯のあることでございますけれども、戦前からの大学令によります大学と、戦前高等専門学校令等によりました高等専門学校の昇格をした大学というふうに現実に違いがございまして、その歴史的な背景が違っておりますために、いまさっき御指摘がございましたような大学設置基準にこの講座制大学、講座の考え方と、学科目制の考え方と両様の考え方が出ているわけでございます。もう御案内のように、講座制をとっておりますところ、特に博士課程まで持った講座制を持っておりますところは、その大学院を持っておることの性格上、学部におきます学生教育という要請とは別に、研究自体の要請のために講座を置いておるということになっております。そういう一面がございますために、いま御指摘がございましたように、講座制教育研究上必要な専攻分野という考え方で講座制が立てられておるというわけでございます。比較的歴史と伝統の整っております旧制の大学講座制が充実をしております関係上、それらの大学教育が、学生の質その他から見ましてよく行なわれておるという御評価をいただいたものと思いまするけれども、しかし、この教育がどのように適切に行なわれておるかという点から考えましたならば、旧制の帝国大学でない新しい大学におきましても、大学によりましてなかなか教育の成果をあげておるところは少ないわけではございません。そして、学部教育に充実した教育がくふうされ、努力が続けられておるという点は私どもも感じておるところでございます。一方、また旧制の講座制大学におきましてはすべての領域にわたっていい教育が行なわれておると言えるわけでもございません。現実に、さきの大学紛争の過程で、いろいろと問題が指摘されましたように、大学教官はえてして自分の研究のことにかまけてしまって、学生教育ということをほんとに考えてくれない。これはまあ日本の大学だけでなくて、世界各国の大学におきましてひとしく指摘された問題点でございまして、大学側が、主としてこれは教官の態度にかかわるわけでございますけれども、自分の専門領域の研究ということに努力は払うけれども、学生教育ということについてはあまり考えない。そして旧態依然たる教育をしている。もう少し学生教育自体について、今日の青年に適した教育のシステムを考えるべきでないかということが、紛争の過程を通じてひとしく指摘されたところでございます。その意味におきまして、学生教育をどのようにより適切に行なったらいいか、これは個々の教官がすぐれておるというだけでなくて、大学全体として総合的な教育の課程、カリキュラムがつくられる、こういうくふうをしなければならぬというふうに、関係者ひとしく、これまた指摘しておるところでございます。そういう体制に持っていきますにつきましては、従来の、特に講座制で、それぞれ自分の専門といたします講座をお城と考えてきたような大学におきましては、教育の計画は、むしろ総合的に適切なものになっていない面がある。これを大学改革の大きな課題として、今日の学生教育に適した教育のシステムというものを考えなければいけない。冒頭に、午前中でございましたか、松永委員が御指摘になりました東大の改革意見の中にも、そのことは出ておるわけでございまして、そういう方向で今日の教育のシステムをもう一度考え直してみる。そしていま行なっておりますことについて反省を加えて、学生の側に立った総合的な教育のシステムというものを提供できるようにしよう、これが筑波の構想の中にも流れておる考え方、このように思っておる次第でございます。
  58. 松永忠二

    松永忠二君 いろいろなお話もけっこうですが、時間もあれですからね、そういうお話があるとだんだん時間が長くなってしまうので、私の聞いた点について、まあその際に適当な御意見述べるのはけっこうですけれども、余分なことまでずっといくと議論が発展をいたします。私の言ったのは、最初に、筑波というのは教育を重要視すると、こういうふうに言っているわけだけれども、実は現在の大学で、教育はいい教育をするために、そのためにつくっている大学で、そのために先生を集めている大学が、実はかえって評価が低いじゃないかということを言った。あなたも、そういう面がある、しかし、それだからといって、講座制大学にも悪い大学もあると、こう言っているけれども、大体皆さん考えていることは、大学で一番やっぱり教育研究が進んでいるのは講座制大学であって、それよりちょっと程度が低いのが学科制だ、教育学系のほうはまた低い、特別のものはあるけれども、大体そういう傾向だという点については、あなたも認めているようなお話だったんですけれども、それじゃ現に教育中心としてやっている教育課程制大学は、どういうふうにやってほしいという要望があるのですか、逆に。いわゆる教育だけを中心にして、教育することのみを中心にして、つまり教育上の必要のみに応ずる組織、そういうふうに先生もつくれば課程もつくっている、いわゆる課程制大学という大学は、そういう大学は何を総体的に望んでいるのですか。いま文部省に要望していると思いますか。その点はどうですか。
  59. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 課程制の大学ということでございますが、御案内のように、教員養成の大学は、小学校、中学校の教員養成の目的に即した課程を設けておるわけでございます。これらの大学におきましては、現在最も強く関係者が希望しておりますことは、教官組織の充実ということであろうかと思います。また、その教官が十分に研究できるような体制をもう少し整備したいということを強く希望しておられる、このように考えております。
  60. 松永忠二

    松永忠二君 それだから、学科目制の地方の新大学の要望というのは、要するに、講座制大学のようなふうに先生の数や予算をほしいということでしょう。そうして、教育研究を十分に効果をあげたい、教育研究一体になっている学校を目標にして、私たちのところももっとそれにふさわしいような先生と予算とをもらいたいと言っているでしょう。あなた方から見ると、課程制大学というのは教育だけを目的として組織をし、いわゆるつくっているその大学が、実は教育研究一体にやっているような講座制大学のように私たち大学にも予算や先生をほしいと言っているでしょう。私たちのところは教育中心にしてやってくれているからまことにけっこうだと、大いに賛成だと言っているんじゃないでしょう。ほとんどどこへ行って皆さんお聞きになったって、新制大学じゃみんなそう言いますよ。教育学部人たちは、もっとわれわれはぐあいが悪いと、たとえばここであげてもいいが、教官当たりの積算の単価というのは、講座制の場合の非実験というのは百三十一万五千円だけど、学科制の場合にはいわゆる非実験は三十九万五千円だと、教官研究費の旅費の単価は、講座制の場合には教授は七万三千二百円だけど、学科制の場合には六万一千六十円だと、しかも学生当たりの積算校費の単価もいわゆる文科、理科、医科、教育、一般教育で差がついちゃっている。で、学科新設に伴う定員の配置の基準についても、文部省と大蔵省とのいわゆる取りきめで、講座制というところでは大体完成六講座の実験はどうだとか、学科制の場合はどうだと比較すると、片方は教授が一人、助教授が一、助手が二で、事務官が〇・五で、雇員が二・五、傭員が二だと、まあ平均して九ですよ。片一方は、学科制の場合には平均すると六・五だと、こういうことを、いわゆる研究教育一体にしているようなそういう学校のふうに改めてもらいたい。じゃ、いわゆる教育だけを目的としてつくっている教育大学人たちは何と言っているかというと、一学部当たりの教員数は他の学部のいわゆる講座当たりの教員数に比べてはるかに低い。それから教官一人当たりの学生負担は教育系においてすこぶる高い。一人当たりの先生の生徒の数も過大だと。国立大学の附置研究所、附属研究施設というのは、教育学部が最も学部数が多いのに数は少ない。教育系の大学学部における研究体制は著しく立ちおくれていると、だから研究機関の充実と発展を重視する方向で教官の定員の増加、施設、設備の充実、予算措置上の格差の解消、大学院の整備あるいは研究及び研究施設の増設と実現を要望している。研究というものをもっと重点にできるように、そういうことがまた教育にすぐはね返っていい教育ができる。だから教育研究一体になって、研究が進んだときにはよい教育ができる。教育が進んだときには研究のほうもきちっとできると、教育ばっかり取り上げて教育ばっかり充実しようとしている実は教育学部は、ただ教えさえすればいいという考え方でろくな研究もできない、ただ授業をやるばっかりだという、そういう面の批判が出ている。実は教育研究一体にして、もっと教育研究も、特に研究を充実さしてくれることによって教育は進むという、いわゆる教育を向上させるために研究教育一体化して研究の充実をはかることが大切だと、そういうことができないから、私たちのところのいわゆる教育はうまくいかないというのが教育学部先生方考えでしょう。あなた方は教育研究に埋没するなんと言っているけれども、教育ばっかりを問題にしている学校がむしろ実は程度が低いんですよ。教育がうまくいかない。研究を充実をし教育一体的に考えているほうがよっぽどいい。あなた方は、さっきお話のように、もう教育学部大学も新制のいわゆる学科制の大学もみんな、講座制のようなぐあいに研究のものを充実してくれ、そうすれば、私たち教育もうまくいくというふうな、こういうことを言っているでしょう。全く現実と違った結果があるじゃないですか。こういうことについてどう思いますか。  それと、あまり聞かれた以外のことをそうむやみやたらに言ったんじゃ、時間がありますから、自分たちの言いたいことを、いまの学部がどうだとか何とかでなしに、言ってみてください。言っていることは、要するに、いわゆる教育研究一体的に、むしろ研究を充実してもらえばいまの教育は充実するというのが教育学部やあるいは新制のいわゆる学科制の大学の言っている主張でしょう。これがうそですか、ほんとうですか。そういうことを言っているでしょう。いや、そんなことは全然聞いちゃいないとおっしゃるのか、そういうことを私は聞いているんです。
  61. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 御指摘のように、研究体制の必ずしも整っていない大学研究体制を整えたいという御要請のあることは、私どもも十分承知をいたしておるわけでございます。筑波大学教育の体制だけを考え研究の体制を考えないというわけではございません。大学として教育の体制と研究の体制と、それぞれ全体として考えていかなければならないというふうに思っておるのでございます。その筑波大学におきまして、システムが違う、教育のシステムと研究のシステムは、学生に対する教育上の要請と、それから非常に専門分化したり、また総合的な研究システムを組まなければならぬという今日の研究課題に対応するその要請に応ずるための研究としてシステムが分かれるというだけでございまして、筑波大学全体としては教育研究をそれぞれ重視していく、こういう考え方でございます。
  62. 松永忠二

    松永忠二君 教育研究をそれぞれやれというよりは、むしろ教育研究一体的にやっている講座制のほうが教育も能率があがっているという実態なんでしょう。しかも、教育研究は分離をして組織的には全然違ってそれをやるというのが筑波の考え方でしょう。だから、私たちからいうと、現実に教育ばっかり重要視して、大学の中で教育を重点に考えている学校が実は程度が悪くて、研究教育一体にし研究を重要視しているところの教育のほうがむしろいいという評価が出ていますね。あなたたち大学紛争とか何とかは別ですよ、これは。教育とか研究という評価の上においてもうはっきりしている問題だけに、私たちはおもにそういう面から言ってもこの考え方には矛盾があるという考え方です。教育研究に埋没しないと言って、それで教育研究を分離するという考え方だけれども、そういう考え方より、むしろ教育研究一体的にやっていって研究のほうに費用を十分つけていくという考えのほうが現に能率があがっているじゃないかというんです。つまり、いまの大学先生方はよい研究をしてよい教育を一緒に一体的にやっていきたいという意味で、そういうところで、講座制大学でも皆さん方は、教育がぐあいが悪いからという面だけからじゃなくて、もっといい研究をしていって、いい教育をしたいといって、そういう要望が実情じゃないですか。たとえば、教官研究費の絶対額の増加というのは、戦前の水準に比較をして実験講座で三分の二だという。教育研究旅費の増加という点で戦前の十分の一以下だ。かつて戦前は人件費が四〇%で物件費が六〇%だが、いまは人件費が六六%で物件費が三四%、こっちのことをしっかりひとつもっと充実をしてもらい、それから科学研究費についても——こまかくなりますけれども——四十七年度の一般研究が一番問題ですから、A、B、C、Dとすると、採択率からいうと、科学研究費がほしいというのに、採択率は、Aの場合には三一・六%、B、C、Dというのは約二〇%だ、しかも、ほしいという費用に対して、一般研究費は二〇%、B、C、Dというのは一六%から一四%程度だと、それから、これは実際の研究費がどのくらい渡るでしょうかという私は調査もいたしましたが、大体東京あたりの国立大学で、実験の人たちがどのくらい教官研究費を一年に使えるですかというと、大体三十万。科学研究費というのが大体四年に一度とか、三年に一度とかきて、大体年にならして十万円。四十万くらい研究のための費用が。大体それと同じくらいな金の、つまり本代と旅費、というのはかかる。だから、これを多くしてくれればいい研究もでき、そしてまたそういう研究できたところは教育的にも評価が上がっているわけですね。それで地方の大学へいくと、大体非実験の教授の人が年に十四万くらいですよ、研究費が。これじゃとてもじゃない、いい研究ができないもんだから、結果的には教育の質的な面の向上もなかなか十分じゃないと。だから、私たちの、大学はいまの教育がぐあい悪いとおっしゃるなら、まずそういう点をよくしてもらって、われわれに十分に発表してもらう。私は教育ばっかりのことを考えているところは非常に成績がよくて、全くあの大学のようにやりたいとみんながおっしゃっているなら、あなた方の言っている教育研究を分離して、もっと教育を重点にやるという考え方だけでやっていくというのも一つの方法だけど、現に教育だけのことを考えて、人をきめ、学科をきめている学校のほうが逆に評価が悪いというのは、そこに研究の費用なんかが十分にきていない。もっと研究をさしてくれ、そうすれば、私らもいい教育ができるというのがいまの大学先生の要望でしょう。大学先生は決して自分だけ研究すればいいという考えじゃありませんよ。だから、私たちがどうも地方の教育学部先生はろくなもんじゃないという、あるいは新制の大学はどうも何だけれども、旧制のほうの大学教育研究が進んでいると言われているでしょう。そういう、あんたから言えば、教育というのはそこだけじゃないとおっしゃるかもしれませんけれども、とにかく一般の国民から研究教育のよく行なわれているとこというのはそういう評価をし、先生方もそういう評価をしているわけで、だからぜひ私たちもよい教育をしたい、それにはいい、いわゆる研究の費用というものを充実したいと、こう言っているでしょう。筑波の大学に幾ら金を使うんですか。施設設備費に六百一億、設備充実費に二百四十億、移転費に十一億。八百五十二億使うわけですよ。いま、昭和四十八年の教官当たり積算校費というのは四百三十億、教官研究旅費が二十四億、科学研究費が百十八億、学生当たり積算校費が百十四億。六百八十六億ですよ。一体いまの大学というものを、よりよい教育研究をさせるというなら、そういう大学をつくることが先なのかどうかということになれば、残念ながらいまの大学先生なり、一般の見方というのは、そういうことも大事かもしれぬけれども、それよりまだやることがある。ここにもっと金を使っていくべきだという主張が強く出ていることは事実だし、私たちもそんなに金を新しい大学に使うなら、いまのたくさんある大学でやっているところへもっと金をやったらどうか。特に教育が大事だ、教育が大事だと言うなら、その教育だけを目的としている大学研究費を十分回していい教育研究一体的にやってもらう。ただ分離をすればいい教育ができる。研究教育一体になっていりゃ、教育研究に埋没するのだという、ただその考え方というのは、単純であり、事実実態と違っているじゃないかということを私は申し上げているわけです。これは大臣のほうへ聞きますよ。大臣、一体そういう批判に対してはあなたはどういうお考えをお持ちでしょうか。
  63. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 現在は、御指摘のように学部ごと教育研究一体として行なわれているわけであります。私は、学部の壁を取っぱずすわけだから、しかし、学校全体としては研究教育とが一体として行なわれていくじゃありませんか、こう申し上げたわけであります。大学学部、学科、講座と、どこで一体として行なうか、講座じゃ小さ過ぎる、学科じゃ小さ過ぎる、まあ学部一体として行なう。しかし、学部でも小さ過ぎる。大学として一体として行なう、こういうこともあり得るじゃないかと私は考えるわけでございまして、小さければ小さいほど一体として行なう、それなりの効果を発揮することができますけれども、またそれなりに弊害もある。ですから、これは私はまあいろいろな角度から議論はある。どちらでなきゃ絶対いけないと、こういうことでは私はないと思うのであります。しかし、やはりいまの大衆化された大学考えますと、広く教育を行なっていく、変化に対応できるものを身につけさせる、そういうことになりますと、やはり広い角度からいろいろな先生教育を担当してもらう。どうしても研究は深く深く入っていきますので、その姿勢だけで教育を行なうということになりますと、大衆化された大学教育の目的に合わない面が出てくるのじゃないだろうか。そういうところから今度のようなやり方が生まれてきたと、こう思うわけでございます。私は、どういう角度に立つかということによって長所と短所が違ってくるのじゃないかというふうに考えているものでございます。
  64. 松永忠二

    松永忠二君 私は、それだから長所を生かすということは大事だというのですよね。だから学部で小さくなっていれば、小さい教育しかできないというものじゃないのです。それは教科の編成なんかだってちゃんとできるはずだしね。何も小さいから小さい範囲の教育しかできないという筋合いじゃない。大学という、総合大学一つ大学なんですからね。ただ問題は、そういうふうな仕組みになっちまうところに問題があると言っているわけです。そういうことを私は指摘をしているわけです。だから、それと現にあなた方がおやりになっている大学の中で、教育を重点に、教育だけやらせようというシステムでやっているところに成績が悪いというのは、それだけじゃいかぬということはお考えにならぬのかということです。そういうところは教育だけ力入れてないで、もっと研究に力入れてもらわなきゃいい教育はできないのだという逆の考え方はないでしょうかということを私は言っているわけですよね。だから、いわゆる一つ学部組織し、それが教育研究一体的な組織になっているところで非常にいい面が出てきているわけです。だから、そういうふうな面を重要視するということを考えなきゃできないから、ただ教育研究を分離して、そうして分離して離していけばそれでいいんだという考え方じゃない。いやそんなこと言ったって、教育する人と研究する人と同じだ。教育研究する人同じですよと言ったって、それは組織が全然もう達っちゃっているようなやり方に、学部なら一緒になっているけれども、そっちの場合には分かれちゃっている。いわゆる研究の部門にいて片方に出張して教育する。しかも、教育のほうの教授会というのは数が多くてなかなかさっき言うとおりいろいろな委員会をこさえちゃうものだから、そういうようなことになると言っているわけです。だから、私はだんだん、理屈から言うと、まずそういうふうな組織的に離しているじゃないか。それがいわゆるその大学自治なり大学の管理という面から、どうもその大学本来の管理のしかたにやや違っているじゃないかという言い方をひとつしてきたわけです。そうして現に筑波の大学では、そういうふうないわゆる組織的な面が出てきて、研究教育を分離することによって組織的な面が出てきてしまっていると、いわゆるそういうふうな面で。だから、現にそうでない研究教育一体にしているところの学校で何か成果をあげているところがあるでしょうというお話をすると一緒に、あなたたちの最も理想とする教育だけを中心にしたそういうところの成績は、現に悪いじゃないですか。そこをよくするにはどうするでしょうかというと、それは教育教育じゃなくて、研究をしっかりさせて、その費用を十分にしてほしいということを、それをだれかが言っているんです。だから、そういうふうな方向のほうがむしろ現実的に要望されているということを言っているわけだ。これは、現実的な面から言っても、私はそういうふうな批判を持つわけであります。  そこでもう一つ、話を少し進めていきたいと思います。筑波大学の予算の一体積算方法とか、定員というのは、どういうふうになっているんでしょう。いま大学は、教官当たり積算校費、いわゆる教官研究費、学生当たり積算校費、学生経費それから庁費、いわゆる被服費、職員厚生費、それはもう流用を認められている。いわゆるどんぶり勘定です。研究教育一体だと言うけど、予算的にも研究教育一体的になっているんです。だから管理費、研究費、教育費の三機能が観念上も、実際にもいわゆる一体的に明確になっていない。だから、教室と実験室で使う光熱の費用というのは、これは管理用なのか研究用なのかというと、はっきりすることができない。いわゆるその教室で使っている光熱料、実験室で使っている光熱料というのは、もう一体として計算をされているわけなんです。それで、現に大学にやった研究費がどういうふうに使われているかということを昭和三十一年に調査した。また、これまたまことに怠慢だと思いますね、大臣。昭和三十一年に調査してからいまだかつて調査したことないです。今度初めていま調査して、まだまとまらぬというわけだ。私はこの資料出してくれと言ったら、いまやっているところですと言う。昭和三十一年にやっただけですよ。それ、違うというなら言ってごらんなさい、違うなら。そこを見ると、非実験のいわゆる大学研究費というのは、図書費に三七%、設備、そういうものに三三%、消耗品費に一五%、光熱費に一一%、実験のほうは、図書費に一七%、設備のほうに四七%、消耗品費に二一%、光熱費に九%というふうに、いわゆる一体的になって、その中で使われているわけです。それで、教養課程と人文学科、社会系というのは、教官研究費が学生経費を食っているんです。今度は自然科学のほうは、教官研究費を学生経費が食っているというやり方になっているんです。全く一体的なやり方で出されているわけです。一体教育研究を分離をするというお話だけど、ここの辺はどうなるんでしょうか。  それからまた定員について、さっきにも話しましたように、講座制と学科目制というのはもうきまっているわけですね。これはもう大学設置基準なんかにもきまっているわけですよ。ところが、筑波大学ではどうするんですか。ここに、五ページのところに表が出て、三千五百五十人という人をどういうふうに分けるかというのを書いてある。これはどのような基準で計算されるんですか。私たちは、いまの教育研究というのは、一体的になっている姿で定員がきまり、それからまたあれがきまっているんですよ。あなた方は今度はこれを分離すると、こう言ったら、それじゃ、筑波大学はどういう方式で一体やるんですか。これはひとつ、大学設置基準の十一条に「大学学部における専任教員の数は、別表第一から第三までのとおりとする。」、十二条には、兼任教員の数がある。そういうものをみな変えちゃっていくわけですね。それから、予算のやり方なんかについても、従来の、その校費とか、そういうやり方を全然変えていくんですか。  こういう点をひとつ聞かしてください。
  65. 大崎仁

    説明員(大崎仁君) 筑波大学の定員及び予算等の措置につきましては、大体筑波大学創設準備会でいろいろ御審議を賜わっているわけでございますが、その御審議の方向を受けまして、予算等の要求に当たってまいるということで作業をしておるわけでございます。現段階におきましてその内容を御説明申し上げますと、まず……。
  66. 松永忠二

    松永忠二君 聞いているのは、従来と変わって、筑波だけについてやるのかということです。
  67. 大崎仁

    説明員(大崎仁君) はい。  それで、定員につきましては、考え方といたしまして、現在大学側で考えております教育課程をこなし得るに必要な教員数、それからいろいろなセンター、その他の施設の設置が予定されておりますので、そのセンターにそれぞれ必要とされるであろう教員数それから研究に専従するであろうと思われる教員の見込み数というようなものを合算いたして要求をいたしたい。ただ、その際に、従来の博士課程までを置いております総合大学における学生教官の比率、あるいは教官定員の状況というようなものとの権衡も十分考えながら要求に当たってまいってはどうかと、こういうことになっておるわけでございます。  それからなお予算措置につきましては、現在のやはり博士課程を持っております大学——先生御指摘のいわゆる講座制大学教官当たり校費を、一人当たりの積算校費に直しまして、実質的にはそれと同水準のものを要求してまいりたいということでございます。
  68. 松永忠二

    松永忠二君 そうすると、従来のものを変えるというわけですね。金額は、予算のほうは少しも変わらぬかもしれないけれども、やり方を変えてしまう。それから定員なんかについてもそうだということですね。で、筑波でそういうことでやろうというわけですね。じゃ学系の区分にとらわれず、新しい研究分野を積極的に開拓する……研究費の予算はどうして出すんですか。文部省の予算要求のどこへ入れるのですか、これを、筑波のを。たとえば特別プロジェクト研究組織というのは、施設、設備——新規に設備を要する場合、当該設備購入費をプロジェクト経費に含め、専用の施設設備について維持管理に必要な範囲で研究費補助、管理のためのその要員を配置する。研究遂行に要する経費、臨時事業費ないし特別事業に類する研究事業として措置をする、と書いてあるんですね。で、文部省の予算の要求事項に、どこへ入れるんですかね、筑波を。こういうものは、全然、筑波について、別個にそれだけ考えるのですか。それをひとつ聞かしてください。
  69. 大崎仁

    説明員(大崎仁君) 御指摘の特別プロジェクト研究という考え方につきましては、筑波大学では、従来の大学のように固定した附置研究所をつくらない。そのかわりに、プロジェクトごとに、大規模な研究実施をして完成をしたら、また別のプロジェクトに変えてまいりたいという考え方でございます。したがいまして、本来であれば、他大学でございますと、甲という研究所というようなところにすべきような事項につきましては、プロジェクト研究用の事業費という事項を新しく立てまして、そこに積算をしてお願いをするということにおそらくなろうかと存じます。これは五十年度以降の要求に出てまいると私ども予測をしておるわけでございます。
  70. 松永忠二

    松永忠二君 そうすると、今度は研究費を盛んにふやす、ふやすというお話だけれども、具体的に文部省の予算のどこで考えるか。プロジェクトについてはそういう別個につくるという話だけれども、ただ、科学研究費補助というのは百十八億ことし計上されているというのは、これは日本学術会議と日本学術振興会議の要求できめていくのであって、特にそれを特定研究のAとBというのは、日本学術会議でテーマを提案して、総合研究のA、B、一般研究A、B、C、Dというのは審議委員会で選んで、筑波大学研究だけに特権を与えるということはするんですか。その辺はどうなんですか。
  71. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 科学研究費の配分は研究テーマに即しまして文部省の学術審議会の御意見を聞きながら配分するわけでございますから、筑波大学のためにどれだけのワク取りをするというような配分の方式はございません。これは現在まで各大学に対してとっております配分の方式と同じでございまして、大学関係者のみならず、研究者からの申請を待ってその審査の上で決定をするというやり方をいたしてまいるつもりでございます。  なお、教官研究費と一般的にいわれておりますのは、予算科目上は研究費という項目ではございませんで、講座当たり積算校費あるいは教官当たり積算校費ということでございまして、学校の運営費まあ校費と称しておりますが、それをたまたま計算の単位として講座数をとるとか、あるいは教官数をとると、こういうふうにして計算をいたすわけでございます。そうして全国立大学を通じまして教官当たり積算校費という一つの大きな柱で要求をいたしまして、あとは大学のその講座数あるいは教官数に応じて当該大学に配分をするという考え方をとっておる次第でございます。それらの経費が大学の……。
  72. 松永忠二

    松永忠二君 筑波については。
  73. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 筑波につきましても全く同じ考え方でございまして、従来の積算校費の中に入れておりますものを、筑波大学の相当分を教官数その他の規模に案分して筑波大学に配当すると、こういうふうになる次第でございます。
  74. 松永忠二

    松永忠二君 そうすると、いわゆる研究教育を分離したと、こうは言っても、予算の面でいえば、ただ、いままでのいわゆる校費だとか、そういうものを今度は筑波大学の定員や何かで考えて、ほかと同じように配分するというだけですよね。そうですね。  それから研究プロジェクトというやつについては別個に予算を計上してやっていくというお話です。研究が非常に十分よくできるという点については、どうほかの大学と、一体それじゃ研究が充実できるんですか。そんな教官研究費もあれもみんな同じだということになる。それからまた、いまのお話だと、科学研究というのは、これはかってにはできない。もうこれは筑波だけでやれないということになると、ただ、特別プロジェクトというのができて、そこの予算ができるだけで、あとは研究費も教育費もほかの大学と何にも違いがないということなんですか、それはどうですか。
  75. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 大学におきます研究費が、現在のところ講座あるいは教官が積算単位になっております関係上、末端の講座まで学内で配られるというような慣行が多くの大学において見られます。しかし、学内におきます配分は、それぞれ個々の大学にまかしてあるものでございますから、大学によってはこの経費の配分についていろいろ取り扱いの違いが出てくるというのも現在の実態でございます。  ところで、筑波につきましては、教官研究基盤を学系に置いて考えるということになりますから、たとえば同じ化学の方々が化学という学系で一かたまりになって研究に取り組めるような体制がとられます。したがって、おそらく、これは筑波大学ができてからの予算の学内における配当のことになるわけでございますので、私どもがそのように運営されるであろうという想像のもとでお答えを御説明申し上げることになるわけでござ…ますが、化学の関係あるいは学系ごとの単位にそうした校費が配当され、その運用が効率的に行なわれ得ることになるであろう。  現在でございますと、同じ化学でありましても、農学部の化学の教室、あるいは理学部の化学の教室、あるいは薬学の化学系統の教室、近寄った講座がございましても、ばらばらに学部をこえてそれぞれの講座に経費が配当される。そして、ややともすると、共通に使えそうな機器械をそれぞれの講座で別々に数個自分のものとして設備なり研究設備を充当するといったような不経済もあるわけでございます。こうした点が、学内の研究経費の配分を同じ研究分野を一かたまりにして運営をして、そして必要な資金の配当を考えていくという場合には、より効率的に運用の成果を高めることができるようになるであろうというふうにまあ関係者は考えておるわけでございまして、大学全体としては、筑波なるがゆえにほかの大学よりもいまのところ、より多額の研究費を充当する、こういう考え方ではございません。一応同じ程度の基準によって、講座制大学としての相当額を充当することを考えておるわけでございますが、その学内におきます運用と処置が、より合理的に、研究目的に即して行なわれ得るようになるであろう、こう考えておる次第でございます。
  76. 松永忠二

    松永忠二君 そうすると、結局校費の積算の基礎も何もほかの大学と変わりはないと、それからまた、したがって、研究費についても別に変わりはないのであって、ただ内部的に組織が違っているので、いろいろ配分のしかたが変わるのだろうということですね。ただ、研究プロジェクトについてだけは別個なんだと、こういう話です。だいぶ一般の人たちのとり方は違ってますわね。あなた方の宣伝しているのとはやや違ってますね。何か筑波大学ができて特別な研究教育が十分にできるんだというようなことですが、別にそうではないわけですね。そうではないのであって、ただプロジェクトという予算の費目が、研究プロジェクトというのが予算化され、あるいはそういうものの施設の関係が今後予算化されるのであって、ほかのところはもう全然変わりはない。そうすると、全く予算という面においては、要するに教育研究運営というのは一体的になっていて、配分したやつを、ただ部内でこう分けていくということですね。そういう点も実はおかしいとお考えになりませんか。教育研究を分離して、そしてこういうふうにやったなら、もっと大学の予算とか研究の配分のしかたとかいろいろなものも改めて考えていくとかいうんなら、またそこには——同じようにただものだと、こういうだけで、部内だけのものをただ変えているだけだということになる。だから、そういうふうな面でも少し矛盾があるのではないかという感じですね、私は。まあ今後これからどういうふうにされていくのか知らぬが、他の学部でこういうふうに変えた組織をやれば、やっぱりそれはそういうやり方でやっていくんですか。やっぱり同じようなやり方でやるんですか。その点ちょっと聞かしてください。
  77. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 現在でも、先ほど申し上げましたように、大学に対しましては、講座数あるいは教官数を単位にして、基礎的な積算校費を配当しておるわけでございまして、学内でそれをどのように下部の組織に配当されるかは、大学自体の御判断にゆだねておるわけでございます。で、ございますから、これは現在におきましても、個々の大学において配分に新たなくふうを加えるということは当然あり得ることでございますし、私どもがそれに対してこうでなければならぬ、こういうことを考えておるつもりはございません。  まあ今後の課題といたしましては、いろいろと各大学で従来と違った取り扱いその他が進んでまいります場合に、それをどういうふうに考えていくかという課題はあろうかと思いますけれども、今日の段階におきましては、特に差があるわけではございません。
  78. 松永忠二

    松永忠二君 八百五十二億の金を使って新しい大学構想をしてやっていくというなら、われわれからいうと、従来の大学ではできなかったいわゆる研究が、ただプロジェクトというだけじゃなしに、できるし、あるいは充実していくというなら、同じ金を使っても、またそこにもあれがあると思うけれども、何のことはない、ほかの大学と同じような、ただ研究費のあれしか出ないという話で、ただプロジェクトだけ別だ、中の機構が少し変わってくるということじゃ、これは、とても金を使ってそういうことをすることが必要なんだろうかどうかという疑問もわれわれからいえばわいてきますね。そういう点、つまり、いろいろ研究教育を分離すると言っているけれども、現実の予算なんというのは、研究教育は全く一緒になっちゃっているわけですね。一緒になった形で分配しておいて、ただ金額的にどう分けるかということだけがそっちのあれだということでは、これ自身に持っている国民のイメージからいっても、だいぶ違っている感じを持つんじゃないですかね。という考え方を私は持ちます。いまの予算の仕組みを変えない限り、研究の仕組みを変えない限りは、筑波に予算と金を出す方法はないと私は思う。だから、変えない限りは余分に、筑波ができたから、筑波への教育研究の費用が充実するなんて、そんなことはうそだ。これ、そんなことできるはずがない、いま言ったような形でやっているだけの話じゃないですか。こういうことなんです。私たちも、出るわけがないと思う。どこへ入れるのだろうか。どこも入れるところなんてありゃしない。そういうことですね。ただプロジェクトがあれだ、配分のしかたが非能率だ、そんなことでこんな大騒ぎを起こす必要があるのですかね。まあ私はそういう感じがします。  そこで、もう少しほかのほうへ質問を転じますけれども、筑波の構想というのは、さっき大臣も盛んに言うとおり、東京教育大学で練り上げられた構想を基礎にして自主的な改革を達成したのだということをおっしゃっているわけです。これはいろいろの面で、私は必ずしもそういうことだけでは理解できない。たとえて言えば、いままでの経過から、この問題はあれのときにまたどなたかからお話が出ると思うんですが、自主的な改革とばかりは言えない。  で、別の面から、内容的な面から二、三、ひとつ問題を取り上げるのですが、参与会というのは一体、自主的な、いわゆる練り上げた改革だと、こう言っているけれども、それとはだいぶ違うのではないかというふうに私は考えるのですが、違いはありませんか。
  79. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 参与会につきましては、大学側で考えております意見と、これを取り上げました私どもの意見とは基本的に違いがないというふうに考えております。
  80. 松永忠二

    松永忠二君 違いがありますね。  じゃ、私のほうで言いましよう。新大学のビジョン、四十四年の七月の新大学のビジョンというのは、参与会といわずに理事会、それで、市民、卒業生及び評議員の中から選出して一定数の教官で構成する、十人、学内の紛争、大学の基金、一定範囲の事項について評議するということになっている。それが後に四十六年六月、基本計画になってきて、大学が社会との連携を円滑に保つために必要な事項について学長を助言する、十名内外、学外者、議長は参与員の互選、執行部は幹事として出席する、学長が評議会にはかって選任、参与の資格、選出方法については別に定める、任期は二年、重任を妨げない、いわゆる学外者を含めて学長の諮問、相談、批判を受けていくというのが趣旨なわけですね。ところが、この出てくる法律案のいわゆる参与会は、これとはだいぶ違いますよ。大体、法律て設置法に定められた機関ですからね。これは、単なる学長が学外者の意見を聞いたり、相談したりという筋合いではない。これは設置法に規定されておる機関。で、大学運営に関する重要事項について学長の諮問に応じ、審議、助言、勧告ということが出ている。当然学長はその参与会に諮問したものについての責任を持つ必要もある。で、この選び方も、「学長の申し出を受けて文部大臣が任命する。」と。だから、選考方法に法的拘束力はない。学外者、地域社会、他大学研究機関の関係、卒業者、学外者十名。学長、副学長は当然出席する。だから、副学長というのは、教育研究、厚生補導、施設環境計画審議会の長である。人事、財務委員会の長であり評議会の構成メンバーですから、これは参与会というのはもうすべての問題について非常に大きなかかわり合いを持っている。これだけのものに諮問したり助言受けたり勧告受ければ、学長は非常な責任がある。だから、構想として、新大学のビジョンで東京教育大学考えた参与会というのはそういうものじゃなかったんですよ。性格的にまず非常な大きな違いが出てきているし、新大学のビジョンのときには、教員教官で構成する、しかも、聞くことは一定範囲の事項についてというのです。その次でも、学長が評議会にはかって選任する——はかって選任する以上、これは評議会がきめなきゃならぬ——はかって選任する。ところが、今度の場合には、「学長の申出を受けて文部大臣が任命する。」、選考方法には法的拘束力は何にもないのです。学長が自分で申し出、何にもどこでどうという——基準とかなんとかいってみたところが、これは何もたいした拘束を受けないのです。だから、ここの参与会というのは、非常に軽はずみなものじゃないのですよ。それは開かれた外部の意見を聞いてみるというそんな程度のものじゃなくて、非常に大学運営に大きな影響力を与えるものだという、これは抜きがたいものだと思うのです。   〔委員長退席、理事楠正俊君着席〕 これは、そういう構想じゃなかったんです。その点は何か反論はありますか。
  81. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 東京大学最初にマスタープラン委員会をつくりまして、昭和四十四年七月に評議会の承認を受けました新大学のビジョンにおきましては、いま御指摘がありましたように、理事会という組織が設けられるということになっておりました。これは、いま私どもが御提案しておる参与会とは違います。もっと強烈な管理機関でございまして、今日の欧米の大学考えられておりますような大学の管理そのものを行なう責任機関という意味で、理事会という構想がアメリカやヨーロッパの大学を念頭に置きながら構想されておったのでございます。その後、私どものほうでも研究もいたし、また、東京教育大学でもその後の検討が進められまして、昭和四十六年六月十日に「筑波新大学に関する基本計画案」として、東京教育大学が発表されましたものにつきましては、理事会という当初の構想ではなくて、今日御提案申し上げておりますような参与会という構想になった次第でございます。そして参与会につきましては、教育大学のこの計画案によりますと、大学管理運営に社会の要求、意見批判を正しく反映させるために学内に参与会を設ける。こういうことになっておるわけでございます。今日御提案申し上げておりますのはこの趣意と全く同じでございます。ただ、この選任のしかたについて「参与は学長が評議会にはかって選任する。」、こう書いてございます。このことにつきまして御提案申し上げております法律案におきましては、文部大臣が「学長の申出を受けて任命する。」と、こういうふうに書かしていただきました。これはなぜかと申しますと、国家公務員法の規定におきまして学内に置かれました機関でございましても、これがやはり国家公務員ということになってまいります関係上、任命権者は文部大臣ということになってしまうわけでございます、非常勤の職員でございましても。したがいまして、ほっておきますと、文部大臣が一般の国家公務員法の規定によって選任するということになるわけでございますから、学内手続としては、教育大学で相談ができましたように、学長が評議会にはかって選任されることになりましょうが、その発令は「学長の申出を受けて文部大臣が任命する。」こういうふうに書かしていただきました。これは国家公務員法に対するやはり例外規定を書いた趣意でございまして、大学の申し出、学長というものの位置づけを参与会の場合にも重視したい。教育大学の御構想の線に即して、そのような立法措置をとらしていただいた次第でございます。
  82. 松永忠二

    松永忠二君 全然それは違っているじゃないですか。理事会は強力だって言ったって、これは教官で構成する。しかも、それは一定の範囲の事項について、範囲をきめてある。学内の紛争とか大学基金。それから、また基本計画の中には、社会との連携を円滑に保つに必要な事項についてということが出ている。大学が社会との連携を円滑に保つためという、そういういわゆることもちゃんと。学長が評議会にはかって選任すると書いてある。はかって選任。この公務員の関係でどうのこうののお話だが、それじゃ、評議会の議を経て文部大臣が任命したっていいじゃないですか。何も文部大臣が任命することが悪いと言っているんじゃないですよ。申し出を受けてということと、その諮問をするということはえらい違いだと言っているんですよ。だから、学長が自由に選考できるんですよ、これは。ところが、片方は評議会にはかってやるということ、広がってもちゃんと範囲をきめておいた。かつては権限はあっても、これは中の人たちだけで、しかも、それは学内の紛争とか大学基金という問題に限定していた。今度は、大学運営に関する重要事項というのでぐうんと広げておいて、しかも、審議、助言、勧告というようなことになってきた。しかもこれは法律規定をしてある。単にいわゆる学外の人の意見を聞くなんてそんな程度のものでは影響力を持つわけじゃないんですよ。これはもう明らかにもう違いますね。もうあなたの説明なんかでとてもそんな点が一緒だなんてというような理屈は私はないと思う。  今度は副学長、副学長もえらい違いですよ。ビジョンでは教官の中から学長によって任命ということで、それぞれ研究教育、厚生補導を担当するという、ビジョンには、教官の中から学長、教官の中から。それが基本計画になると複数制。研究教育、管理等の職務を分担し、学長を補佐する。学長が評議会にはかり選任する。これまた学長が評議会にはかり選任する。研究担当、教育担当のワクがある。研究教育についてはほかの人はやらないんですよ。この担当の副学長は原則として本学教官の中から。他の副学長については、教官外から選び得る。四年または三年、重任を妨げない。任期中でも解職ができる。学内の者を大体選ぶ。学内以外の者でも管理面にタッチさせていく。要するに、副学長は学長の協力者だという、そういうような意味のいわゆるビジョンや基本計画があったわけでしょう。ところが、今度出ている法律は、学校教育法と設置法の法律に書いてある、これは。それで学長を助ける最適任者をきめる。いわゆる学長スタッフの全体の集権的管理のかなめになっているわけです。しかも一学長、評議会の定める基準に従って学長を選ぶんですよ。基準に従って。基準に従ってとは書いてあっても、評議会の議に基づくとか、はかってということはないのですよ。ばく然たる基準に従ってということですからね。別に、前に言うとおり評議会にはかるとか、あるいはもっと言えば議に基づくとかいうような、そんなことは書いちゃないのです。で、しかもこの学長というのは、教育研究、厚・生、補導、施設環境計画審議会の議長になるでしょう。人事委員会のメンバーであり委員長ですよ。財務委員会のメンバーであり委員長です。評議会のメンバーでもあるわけです。まあ、たいへんな権限を持つものなんですよ、これは。そういうものを考えていたわけではなかったんですよ、初め。また、もっといわゆるいろいろな人の意見を聞き、能率的に運用していくという必要があるので、いろいろその補佐のようなものを置こうというようなことで、現にやっているけど、それはそういう面のものだったんですよね。それで、要するに参与会、副学長の権限は重要性が強化される。特に、参与会の大学運営に当たっての影響力は強大になる。これを通じて学長の集権的機能は高まっていくということは別に言い過ぎじゃありませんね。とにかく法律の中に明確に位置づけをして、しかもいわゆる法律の中に「重要事項については」というような、非常な大事なことばが入っている。  まあ、私の聞くことは、そういうふうにしているが、一体参与会や副学長のメンバーの選考に教員会議が異議があったらどうするんですか。おかしい、こういう異議があったらどうするんですか、これをひとつ。   〔理事楠正俊君退席、委員長着席〕
  83. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 先ほどの理事会と参与会の関係でございますが、多少御理解が少し違っている点があるのではないかと思いますので、恐縮でございますけれども、繰り返し御説明を申し上げておきたいと思います。  教育大学が新大学のビジョンで構想いたしました理事会は、市民、卒業生及び評議員の中から選出された一定数の理事によって構成される。こういうふうに書いてございます。そして、この理事会の位置づけは、まあいま御指摘ございませんでしたけれども、管理体制機構図という機構図をごらんいただきますと、この大学財団というものとの関連で、むしろ学長の上に位置すると言ってもいいような管理機関でございます。  ですから、当初教育大学考えました新大学理事会というのは、今日御提案申し上げております参与会とはかなり違っておりまして、アメリカやイギリスの大学が持っております理事会と同様に、かなり設置者としての権限を持った強いものを構想しておられたというふうに思うのでございます。  それが、その後の大学内の御検討の結果、四十六年六月になりまして教育大学が新大学に関する基本計画案というものをまとめられました際に、参与会というふうに構想が変わりまして、学内のこの組織として管理運営上に社会の要求、意見批判を正しく反映させるための機関というふうに位置づけられた。このことは法律で御提案申し上げておりますことと全く同じであるというふうに御理解を賜わりたいのでございます。  副学長につきまして、同じく四十六年六月にまとめられました「筑波新大学の基本計画案」におきましては、「副学長は、複数制とし、研究教育・管理等の職務を分担し、学長を補佐する。」というふうになっております。
  84. 松永忠二

    松永忠二君 教官の中から……。
  85. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 「研究担当および教育担当の副学長は、原則として、本学教官の中からとし、」……。
  86. 松永忠二

    松永忠二君 それは基本計画でしょう。ビジョンだよ、ビジョン。
  87. 木田宏

    政府委員(木田宏君) これが基本計画案の中にある意見でございます。
  88. 松永忠二

    松永忠二君 ビジョンには何て書いてあるねというんです。そういうこまかいことを一々言っているなら……。
  89. 木田宏

    政府委員(木田宏君) ビジョンの中には……。
  90. 松永忠二

    松永忠二君 教官の中から、学長によって任命、そうでしょう。
  91. 木田宏

    政府委員(木田宏君) ビジョンにおきましては、副学長は教官の中からというふうに書いてございます。しかし、ビジョンが新たに集大成されましたものがこの基本計画案でございまして、教育大学の基本計画案が今日、私どもの承知しております……。
  92. 松永忠二

    松永忠二君 はかってとか、何とかというものについては、どういうふうにするの。
  93. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 最終案でございます。そして、「副学長は、学長が評議会に諮り、選任する。」これは学内の手続規定というふうに考えられるわけでございますが、私ども、御提案申し上げておりますのは、今日、教育公務員特例法という法律におきまして、部局長と同様に評議会の定める基準に従って学長が選考する。その他の一般の部局長と同じ扱いを副学長についてもとらしていただいたわけでございます。おそらく、学内におきます運用の実態といたしましては、学長の定める基準によりまして、評議会に学長がはかって副学長の上申が行なわれる、こういうことになろうかと思う次第でございます。なお、こうした副学長の選任等につきまして、学内でいろいろと御批判があるということでございますならば、それは評議会の席での議論として論ぜられることになる、このように考える次第でございます。
  94. 松永忠二

    松永忠二君 論ぜられたからといって、それを直す権限は何もないでしょう。議論しただけ、するだけでしょう。何かリコールでもできるかね。リコールできるの、どうするの。ただ、評議会議論したってしょうがないじゃないか。それはどうするんだ。どういうことをするの。どうにもならぬ。
  95. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 東京教育大学の関係者が学長につきましてもリコール制を運用上取り入れたいという考え方を持っておるわけでございます。
  96. 松永忠二

    松永忠二君 学長の話じゃないんですよ、参与とか……。
  97. 木田宏

    政府委員(木田宏君) したがいまして、その取り扱いは評議会の議によって学長の進退議論するということになるわけでございますが、評議会の前段の措置として、事前の措置として学内におけるリコール制を考えるということでございますならば、副学長等につきましても同じような扱い方も起こり得ることかと考えるのでございます。今日、教育公務員特例法におきましては、学長並びに副学長等、教官の扱いは特例法の原則どおりということを考えておりまして、その運用の問題としてそれぞれ慣行によってくふうをされる、これが筑波大学の新たな措置になろうかと考える次第でございます。
  98. 松永忠二

    松永忠二君 幾ら議論しても、それはきめ手にはならぬということですよ、きめ手にはならないと。何もリコール制があるわけじゃないし、これはだめだということは言えないわけです。きめて申し出を受ける。そうするとまた文部大臣が任命ということがくっついていますからね。これはそこでまたかりにやる。だからこういうことについて委員長、やっぱりほんとうにつくった人の意見を聞いてみにゃわからぬですよ。あなた方の意見ばかり聞いたって、私たちはそんなつもりでつくったんじゃありませんと言うかもしれぬじゃないですか。参考人を呼んでやはりこれから聞かなければいけませんわね、そこら。それで、リコール制なんてのは全然書いてないんだから、ここで、新聞でこういうことをいっているんですよ。「行政に弱いという学者の対質からか、文部省との十数次の折衝を通じて東京教育大学の筑波移転は、移転を契機とした自主的な新大学作りから、いつの間にか政府と完全に一体化した新大学作りに変貌してしまったのである。この経過には、単に一東京教育大学の問題を越えて、中教審答申による全国国立大学管理運営の体制を変革するための先導的立場に立つという変心が感じられる。日本学術会議をはじめ、全国の大学関係者が「筑波大学法案」の国会審議を憂慮する事情もこの辺にある。」というのです。なかなかうまく言っているじゃないですか。そういうことを有力な新聞あたりは指摘をしている。とにかくたった一つ参与会と副学長をつけてきたけれども、これもだんだんいつの間にか別なものにというか、意図するものと変わったものに移っていくという点が感ぜられると、私は思います。  そこで、一体開かれた大学としてこういう筑波の大学というものを考えるならば、まず何を開かなければできぬのですかね。まず努力すべきもの、緊急努力すべき方法はどこになければできないんですか。まず内部に開かれなければならない。外部に開かれるとすれば、まずどこに開かれていかなければできないかという点について大臣はどうお考えになりますか。開かれた大学という場合には、とりあえずすぐまず手をつけていかなければいけない内部的な開かれた大学、外部的な開かれた大学としてどこが少なくも開かれていかなければできぬとお考えでしょうか。
  99. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 大学が社会の変化に常に住民に対応できるような講座でありますとか、あるいはまた講習会でありますとか、そういうことに積極的に取り組んでいくべきだろうし、また、地元のいろいろな要請に対しましても積極的に協力する姿勢が必要ではないかと、こういう気持ちを常日ごろ持っております。
  100. 松永忠二

    松永忠二君 その程度だからこういうことになるんじゃないですかね。ぼくは内部に開かれるということ、外へ開くことも大事だけれども、まず内部に開かれた大学といえば、教員学生、職員というのは大学の構成員の三者です。大学には事務職員もおれば、技術職員もおる。そういうものが、いままでのようないわゆる東京大学や医学部などに見られたような専制的なものになって、教授会、しかも教授会のボスが牛耳っちゃってということできた。まずこういう教員とか、学生、職員——まず、教授の中でも助教授、助手、常勤の講師に対して大学は開かれたものを考えていくことがまず先でしょう。これは大臣、どうお考えになりますか。
  101. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) それは基本的には内部の運営の問題でございまして、たびたびそのために大紛争を繰り返しておるわけでございます。いまおっしゃいましたのは、外部に開かれたという意味お尋ねになった、こう思いまして私はお答え申し上げているわけでございます。
  102. 松永忠二

    松永忠二君 内部じゃどうであるのか、私の言ったことは。そのとおりですか。
  103. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 内部で私が一番懸念しておりますのは先ほどもちょっと申し上げましたように、大学が大衆化している。いまの象牙の塔にこもった形のもとにおける教育というものが、これらの多くの学生の心をとらえていない。広く学びたい、変化に対応できる人間になりたい、そういう気持ちで大学に入ってきているけれども、非常に専門的なことを深く教えられるかもしれないけれども、そういう点についてはどうも満足がいかないというような気持ちをかなり起こさしている点があると思います。同時に、また、その先生方教育に適しているかどうか、だれが批判するのだろうか。学部だけじゃないだろうか。大学全体から見て、教育組織が適当であるかどうかということについて一体総体的に責任を負うものはどこになっているだろうか、私は、非常にいまの学部自治のもとにおける大学運営ではその点が抜けているんじゃないかという心配を持っているわけでございます。学生の希望に即した教育が行なわれているかどうか、学部自治の限りにおいては必ずしもその批判する声が十分でない、やっぱり学生が一番よくわかってんじゃないだろうかと、そういうところからまた学生紛争がかなり大きく展開されてきた原因もあるんじゃないだろうか、こういう考え方もしているものでございます。しかし、学部自治全部がいけないと言っているわけじゃございませんで、それはそれなりに特色も持っているわけでございますが、同時に、筑波大学的な方式もやはり考えられているのはそれなりに原因がある、経過が理解できるというふうに思っているものでございます。
  104. 松永忠二

    松永忠二君 それほど学生学生って話があるんなら、学生がどういう教育を要望していたか、その要望に応ずることがあるので自治ができない、教育があれじゃできないというんでしょう。そんなら、あんた上のほうから学生はこう考えているだろうというようなことや、組織的なこと、上から規範を変えるということばかり考えたってだめだとぼくは思いますよ。  それから、現に大学の紛争の中ではボス教授ってやつがあんた牛耳っちゃってて、ちっとも若手の教授意見やなんかいれなかったというところに原因があるでしょう。そういう点は、ただあんたのおっしゃるように、機構をこういうふうに能率的でないから変えるんだと、そこばっかじゃしょうがないじゃないですか。それもやって悪いとは言いませんよ。それもやらにゃいけぬかもしれぬ。そのほうだってよっぽど慎重にやらにゃあいかぬが、言ったことを、いまの学生の要望に応じた教育をしてないというなら、学生が何を考えているのか、そっちのほうのをどう一体制度の中に取り入れるかということは何もやらないで、ただ上のほうからこうする、こうする、こうすると言っている、それはもうおかしいと思いますね。ずいぶん大学の中には技術職員があり、高度な研究をこんな人に依存しているなんというようなことを言っている人もあるくらい、そういう教員、助手やあれは教授会の中に入れちゃぐあいが悪いという、そういうところをとってやるということは考えないんですかね。何も外部に開かれた大学といったって、上から考えて、ただ学部が子供の教育を、要望した教育をしないと、だからいわゆる教育研究を分離したらいい、それからまた、どうもそういう面があれだから機構をいじると、そんなら一体教員学生や職員をどういう位置づけにして、どういうふうに大学教育に参加すべきかということを、それなりに筑波のほうに出ているなら別ですよ。そんなこと全然出ちゃいない。それから外部に開かれたということを言ったっていいが、私は、権力の介入を排除しながらまず全大学自身の提携をやったらどうですか。外のほうの何か経営者とか、なんとかそういうところの意見を聞くということもあれでしょうけれども、むしろいままで大学自治で必要とされているのは、権力の介入を排除しながらとにかく全大学の提携を基礎として社会的批判を受ける形態を必要としているんじゃないですか。大学相互の人事交流とか、単位の交換制、図書館の共同利用だとか、交流とか、あるいは修士課程に社会人を積極的に受け入れるとか、こういうふうなこともあるんで、まず大学で外部に開くためにまずとりあえずやりゃできることがあるんじゃないですかね。そんなことはみんな目をつぶっていて、ただ、開かれた大学と言えば、もうすぐ参与会、副学長のほうへいっちゃう。それじゃ並行してものが行なわれていかないじゃないですか。少なくとも学生について、もっと具体的なものが考えられなきゃできぬと思いますね。いまさら学生教育の中でどういう位置を占めているかということを言う必要はありませんが、教育というのは、教育をするものと教育を受けるものとの間に成り立つものであって、つまり教育という精神的相互交流、相互作用そのものが教育者と被教育者との間の主体的合意の上のにのみ成り立つ。学生もまた教員と同様教育のにない手である。憲法論的に考察すれば、学生は学問の自由の主体であるとともに教育における権利の主体でもある。学生がいかなる教育上の要求を持ち、その要求がいかに充足され得るかということが大学教育中心的な事柄である以上、教育要求者としての学生大学教育に主体的に参加し、したがって、また管理運営に参加することもまた当然であって、中教審のように師が一方的に作成した教育計画に弟子が従うのは当然だと、学生教育参加を否認をし、そのことから全般的に学生間に消極的な態度が見えてくるという。外国の大学改革というのは、管理運営学生を参加するということについて非常なたくさんな大学の数にのぼっているという。あなたのおっしゃるように、いまの学部学生教育の要望に沿わないという面があるというなら、その学生を、教育の主体である学生をどういう位置でこういう問題に参加させるかという、そういうことを、たくさん文部省は何か出しながら、一言もそういうことに触れちゃいない。ただ、ちっとまあ福利施設かなんかちょこちょこと書いてある。だから他の生徒からもそういう修正案が出るのは私は当然だと思うのですね。この考え方は間違いですか。少しは配意をしたのですか、今度の大学改革にあたって。大臣みずから聞かしてください。
  105. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) たびたび申し上げていますように、法律に規定しています以外は全部大学自治にゆだねているわけであります。同時に、私は衆議院でも申し上げてまいってきたわけでありますけれども、学生の意向を大学当局がカリキュラムの編成などについては積極的にくみ上げたい、またそういうような組織もつくりたい、こういうことを東京教育大学では考えているわけでございまして、それらの問題もあげて大学自治にゆだねることが妥当だと、こう考えておるわけでございます。  いずれにいたしましても、学部の壁というものがそういうことを非常に困難にしているものだから、学部の壁は破って、全学的な大学自治が行なわれるようにくふうしていきたい。そういう立場を踏まえまして今回立法手続をとらせていただいておるわけでございます。  中教審の答申のお話がございましたが、私たち別に中教審の答申をうのみにして考えているわけではございませんので、中教審の答申でとるべきものはとり、とるべからざるものはとらない、そういう考え方で、広く意見を聞きながら善処していきたい、こういう決意でおるわけでございますので、その点は御理解を賜わっておきたいと思います。
  106. 松永忠二

    松永忠二君 そうすると、私がいま述べたような問題は大学におまかせしてあると、だから大学で案ができればそれは実行していいわけですな、もう一度。
  107. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) カリキュラムの編成などにつきましては、むしろ積極的に学生意見を聞くべきだと思います。同時に、大学運営について学生がどこまで参加することが適当かということについては、一つの適切な分野があろうかと、こう考えるわけでございます。学長の選任につきましては、法律に明確に書いてありますので、それに違った方法をとることはこれは認められていない、こう考えるわけでございます。その他法律に規定していないことにつきましては、積極的に学生意見もくみ上げてしかるべきだと考えておるわけであります。特に、大学自治の分野を広げていくことは好ましいことでございましょうし、また、厚生関係の問題につきましても、あるいはカリキュラム編成などにつきましても、積極的に意見をくみ上げる努力をすべきだし、また、そういう仕組みも考えていくべきものだろうと、こう思っております。
  108. 松永忠二

    松永忠二君 学生参加とか、そういうふうな問題は大学にまかしてあるけれども、これはだめだとか、これはだめだと、そういうのじゃね、結局できないと思いますよ。だから、教授会に助手が参加してもぐあいが悪いとか、そういうことになる。だから、あなたのおっしゃるように、きれいごとのようにこういうことは大学にまかしてありますからと言ったって、それはいまある法律なり、そういうもののワクの中でやりなさいというのでしょう。それじゃできないから、やれないでいるんだから、そっちのほうは大臣が言ったとおりに、それは案を出して持ってくればそれをやれるようにしてくれるわけですね。いまのお話、そういうことはわかりきった話だというお話でしょう。だから、それをひとつ期待をいたしますよ。だから、批判としては、今度のものが大学の観念と制度を大幅に変えるという意味大学改革であることは事実です。しかし、紛争の教訓として出てきた大学改革というものは一体こういうもんだったろうか、いわゆる学園の民主化という意味のいわゆる大学改革が必要だというふうに考えられていたのじゃないですか。民主社会における大学として従来の大学は、東大に象徴されるように、あまりに権威主義的であり、民主社会に適合しない時代錯誤的な存在であったことが紛争の根源になっていた面があったことは事実だと思うのですね。そういうことを主張する学生に、はたして現実にその能力があるかどうかということはまあ一つの問題点があることは事実でありますけれども、大学の中における学生権利を確立するということが——一般的に理解された大学改革の方向と内容というのは、そういういわゆる学園の民主化というような問題、事実東大の医学部の中からそういうふうな……。ところが、この法律は、いわゆるその管理運営の強化、紛争の起こらないような大学という意味で、いわゆる、まあそのものずばりで言えば、権威による管理運営の強化という、そういうふうなところにポイントを合わせて、学園の民主化というようなものはその制度の上にも読み取られていない。大学の主体が学生であり、教師であるというような、そういうような改革のつまりポイントがこの中には少しもない。だから、そういう面の問題もあわせてやはり考えていくと、だから大学紛争があれだけの犠牲を払って大学の改革をしなければできないと言ったけれども、一体、こういう改革から問題が起こったものであろうか。そういう面も一つの面で示される面もあるけれども、一面、いわゆる権威主義的な大学の非民主的な運営というような、学園民主化をどういうふうに一体やっていくのか、教員学生、そして職員との三者構成の中にどういう位置づけをそれぞれして、その民主化をはかっていくかという点について、こういうものは触れてないし、また、そういうことについて何らはかられていないでいるという点にも非常な不満があると私たちは思うのですよ。こういう点についてはどうでしょう。
  109. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 大学改革の問題につきまして、筑波方式が唯一最善のものとは考えておりません。したがってまた、他の国立大学に強要するような立法は行なっていないわけでございます。しかし、いずれにいたしましても、もう少しいろんな構想を国立大学それぞれが打ち出してくれてよいものではなかろうかという、私は、何と言いましょうか、積極性を強く望みたい気持ちで一ぱいでございます。東京教育大学がよくまとめてくれたものだと心から感謝したい気持ちでもまた一ぱいでございます。今後これを契機にいろんな構想を私は出してくれたらいい。明治以来、学部自治以外には何も国立大学について許されていないいままでのあり方についても、これでいいのだろうかという反省はしたいということでございます。同時に、管理強化をおっしゃいましたが、万をこえる学生、教職員をかかえているところで、学長一人が管理運営責任者になっていくんだということでは私は不十分じゃないだろうかと、これを助けてあげる者があってしかるべきじゃないか、こう考えるわけでございまして、それが副学長でございます。学部長もあるいは学長を助ける補佐機関だとお考えであるかもしれませんけれども、学部長は学部に足を引っぱられまして、全学的な立場で学長を補佐できないのであります。そうなりますと、今日の事態において副学長を置くことが管理運営の強化だといってかかることについては、私はものの考え方に若干疑問を持っておるものでございます。同時に、大学が象牙の塔にこもり過ぎるじゃないかという批判もずいぶんあったわけでございますから風通しをよくする、参考会を設ける。しかも、これは拘束力を持たないわけでございますので、あるいは影響力が強いじゃないかとおっしゃるかもしれませんけれども、これはもう影響力を相当持ってしかるべきだと、そのかわり適当でないものについては大学人はきっぱりとお断わりになったらいいじゃないかと、どっちがいいかということは世間がまた議論をしてくれるじゃないかと、こう私は申し上げたいわけでございまして、そういうことをすることが、私は、管理強化だとか、何とかいうことじゃなしに、やはり時代に即応した大学の姿に持っていかなければならないために、必要なことだと申し上げることができるじゃないかと、こんな気持ちでおるものでございます。同時に、民主化側のことを考えていないとおっしゃいましたが、東大の医学部の紛争の問題などを考えましても、人事が半ば世襲的になっているじゃないかという批判がずいぶんあったと思います。そのことが、今度の筑波構想でいきますと、いろいろな角度から私は議論がなされると思うのであります。下から人事が積み上げられてくる。しかし、その人事がいかにも世襲的なものである場合には、それなりに大学全体が批判にさらされることになるわけでございますので、ある意味において私は非常な民主的な運営になるじゃないかと、こう申し上げてもいいんじゃないかと思うのであります。問題はやいばの使いようでございますから、今後筑波大学が民主的な運営になるようにそれぞれの組織というものを有効に活用していく。いろいろな学内規則でありますとか、あるいは慣行でありますとか、そういう積み上げによって世間の期待にこたえられるような大学にしていっていただかなければならない。また、われわれもそういうことについて助力をしていかなければならない、こう考えるわけであります。したがいまして、法律改正は最小限度のものにとどめられていると、こう思うわけであります。多くの批判は、東京教育大学がいろいろ考えておられるこまかいことにつきまして、それが何ら変更が将来ともないという上に立っての意見もずいぶん多いように思うのでございますけれども、ぜひ慣行の積み重ね等を通じましてりっぱな筑波大学がつくり上げられるものだというふうに私たちとしては期待を大きくしているものでございます。
  110. 松永忠二

    松永忠二君 私は、初めに言ったように、大学管理運営とか、そういうものは、教育研究に直接タッチしている者たち責任をもってやっていくというやり方がいいと、そういう面において、要するに、いま言ったような機構についても管理運営のしかたについても問題にしているわけです。いまの大学がそのまま全部いいということを言っているのではない。具体的に出してきたそのものについてこういう心配があるということを言っているわけなんです。だから、そういう面でいえば、私たちから言うと、大学紛争の起こった原因も、そういう面にも一つあったけれども、しかしそれは、大学自治とどういう関連があるだろうかということについて批判があるし、そういうことだけが大学紛争の原因でなかったはずなのに、そのほかのことについてはちっとも積極的なものは出ていない。それではたとえば東京教育大学が自分でおやりになったというなら、何で一緒にやったときに文部省のほうからそういう面はどうなっているのかということを言わないのか。相談をしないのか。そっちの管理とか運営とか、そういう面については十分御相談なさっても、そっちのほうはちっとも言わない。そっちのほうが自主的ですというなら、東京教育大学からまず自主的にそういうことをやってみたらどうですか。そういう点については何にも触れていないじゃありませんか。いまの大学が世襲的であるとか、学部がどうだとか、そうことは何にもわれわれは否定をしているのではないのですよ。それにかわるものを出してきたので、そのかわるそのものについて、大学自治という立場から、大学管理運営という立場から、疑念があるから質問をしていままでやってきたのです。そんなものは全く杞憂であり、そんなものは意味がないとは私は思いませんね。それからまた、あなた方はそっちの相談は乗るけれども、いま言ったような学生とか、職員とかあるいは同じ教員の中でも助教授とか助手とか、そういうものについてどうなんだという、そういう話はちっとも相談に乗らない。そっちは自分たちでやってくださいよじゃ、それじゃおかしいじゃないかという意見が出るのはあたりまえじゃないですか。そこであなたたちは、えらく他から出ればいいことをやります、やりますということをおっしゃっているけれども、できますかということを私は実は聞きたいのですよ、この次は。たとえば、「大学がみずからの発意により積極的に新しい適切な組織によることを希望する場合には、その内容を十分検討の上それが実現できるようにしてまいりたい」と、提案理由に説明されている。たとえば、京都の大学では、いま言ったような、前に言ったような関係で、部というものをこしらえる。研究教育管理運営一体化された基礎単位として単位を十から二十の講座程度の規模にして、三十人から五十人の教員のものにしたい。系というものをつくって、幾らかの部が合して系をこしらえる。それは事項別、機能別に構成して、教育に関し、管理に関しというふうに構成をする。全学審議会の機関として部から二、三名の委員を選出して委員会事項ごとに小委員会をつくる。最終決定は、各部の委員一名からなる代表委員会できめる。全学執行機関として総長と若干名の補佐メンバーをこしらえる。総長の一般職の一部を分担する形で管理運営にタッチする。こういうことが出ている。それじゃ、部とか系に講座制を改組できているのですか。教員の地位を等質的にしたいと、こう言っているが、それができるのですか。補佐メンバーを選出によって部外者を入れたときに、これを認め、またはそういう運営をするために予算をくれるのですか。これはやれるんですか、そのことが。  もう一つお聞きしますよ。東京大学のほうじゃ、さっき言ったとおり、学部研究所講座制の廃止と再編成提案されている。学部という一つの箱の中に教授学生が入り、一切の事項をそこで取り仕切る組織学生のためにも教授研究のためにも適当でない。あなたたちの言ったようなことそのものずばり。しかし、教育中心とする教授団としてデパートメントというものをつくりたい、学類に所属する一つまたは関連する数個の大専攻、一つの専修課程または研究養成課程を単位とする教授が集合した形でデパートメントをつくりたい。で、研究活動の大もしくは中の単位としてインスティチュートという名の学系に属するようなものをつくって、一つのデパートメントが一つのインスティチュートになってもよければ、一つのデパートメントが数個に分かれてもいいと、そのほかにディビジョンという、まあ学群に相当するものをつくって、デパートメントを集合して形成して人文科学、社会科学、生物科学、自然科学の四つとするというように考える。最小研究教育の単位を、三単位ないし五単位を一つのものにまとめていく。教授の定員は、デパートメントの担当する教授分野ごとにきめて、それで領域に人員を最低張りつけて、残りについては持っていてこれを自由に動かすようにしたい。教授、助教授の区別をなくし同じ名称にする。一体、学科、講座の合併とか改廃は大学にまかされているんですか。実行できるんですか、これが。定員配置を自由に一体大学でやれるのですか。教授と助教授の同質化というのは実行が一体できるのですか。そういう点について、こういうことをやりたいと言ったってできるのですか、これは。そういう点はどうなんですか。
  111. 木田宏

    政府委員(木田宏君) いま御指摘がございました京都大学あるいは東京大学等のいろんな改革意見が、具体的な話といたしまして私どものところまで上がってまいりますならば、ぜひ御相談に応じてその御趣旨が生きるように取り計らっていきたいというふうに考えておるわけでございます。もちろんものによりましては、いま教授、助教授を一ぺんに東京大学だけ廃止するというようなことがどこまで実現できるか、なかなか考えてもむずかしいことがございます。しかしながら、今日までもある大学学部では学科を全部廃止してしまって、一学部一学科にしたいというようなお申し出がありまして、四十七年度の予算でそのような措置をとらしていただいたところもございます。また、現在の学部の中の教育体制をどういうふうにするかということは、大学で御計画になりましたものを予算でお世話をいたします際に、それが実現するように考えていく、こういう姿勢で個々の大学の改革案件というものに私ども取り組ましていただいておるわけでございます。定員配置につきましても、学内でのいろんな御論議がございましょうが、今回の場合、筑波におきましてはそれをできるだけある意味で大ぐくりにしたいという大学の御趣意を実現するように私どもも考えておる次第でございまするから、事柄による点もございまするけれども、こうした学部内の組織の改変、教育体制、研究体制の改変等につきましては、積極的にその御意見の実現に協力をしてまいりたいというふうに考えております。
  112. 松永忠二

    松永忠二君 そのことについてはわかりました。  実際できないということをこれから申し上げるのですがね。それじゃ、新しい適切な組織によることを希望する場合は、その内容を十分検討の上でやると書いてありますがね。新しい適切な組織とは一体何ですか。たとえば教育研究の分離という原則がある。で、教育研究組織一体ではだめなのか、一体的な運営ではだめですか。現にあなたが受け入れると言った京都だって、あれだって教育研究一体ということを言っているんでしょう。だから新しい適切な組織というのは、研究教育の分離という原則が出なければだめなのか、あるいは研究教育一体的な運営でもいいのかどうか、それをまず聞きたい。  それから管理運営について、執行機関の強化、それから外部の意見の参加はどうしても必要なのか。だから教授会審議機関権限を明らかにして、まあたとえばさっき言うとおり、委員会制度をこしらえるとか、評議会等の調整機関として機能を高めるために一部を委任するとか、学内でいわゆる教授、助教授、助手、学生、それから学外の他の大学との間に開かれた大学運営ということではだめなのか。どうしてもやっぱり執行機関を強化をして外部の意見が参加をするというようなことでなければ適切ないわゆる組織ではないのか。新しい適切な組織というものを希望する場合には、その内容を十分検討の上というが、その適切な組織という中には研究組織の分離はもうどうしてもやらにゃできないというのか。その点一体的な運営をしてはだめなのか、管理運営の規則についてまず学内で開かれたものをつくり、そして学外との、まず大学との交流とか、そういう面で問題をやっていくということではだめなのか。それではだめです、こういうものでなければだめですと、こういういわゆる筑波のような考え方というものがなければ適切な大学でないというのか。いや、そんなものには拘束はされないのか、その点をお聞きをしたい。
  113. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 今日の非常に大きな規模になりました大学教育研究のあり方の改革にはいろいろなあり方があり得ると思うのでございます。京都大学のように学部という大きさのものはもう少し解体をして、小さい、もう少し小規模の小回りのきく部というものに組織がえしたいというお考えもこれは傾聴に値するお考えだと思います。それらのものが学内の意見としてまとまってまいりまして、私どもも御相談の結果その実現ということを拒むものではございません。フランスの大学改革その他で言われておりますユニテあるいはドイツのアプタイルング、そういう新しい考え方も京都大学の御提案に近い線がございまして、それぞれの大学の試みが実現していろんなあり方で御苦心が続けられていくということがいいことだというふうに思うのでございます。  また、管理運営について、二つほど御指摘がございました。私は大臣も先ほど来御説明申し上げましたように、大きな大学組織、これは一大社会になっておるわけでございますから、これが機能的に処理できるような体制になっていくことが必要だというふうに考えます。その意味では、大学教育研究を助けてまいりますための管理システムが教育研究の目的に即して機能的に運営できるような改善、くふうというものがあってしかるべきだと考えるのでございます。一面から考えますならば、それは執行機関の強化という言い方もあるいはできるのかもしれませんけれども、しかし、今日のああした大きな社会組織になっておりますから、これが能率的に機能的に処理できるということによって教育研究がより充実する、適切に行なえていく、こうした改善努力はぜひ進めていきたいものだと、またお世話をさしていただきたいというふうに考えます。  また、外部からの参加ということがいろいろと言われますが、むしろ大学自体が外部のほうに触手を伸ばして、外の意見を聞きながら大学としての教育研究を充実さしていくということは非常に大事なことだと、外のいろんな動きに対して大学がめくらであったり、つんぼであったりしてはいけない、それが参与会の考え方であり、また他の大学その他研究機関との連携のことだと考えるのでございます。でございますから、松永委員がおっしゃいましたように、大学間で単位の互換、非常にけっこうでございます。学生の交換、国際的な交流、研究者の交換、こういうことが進められるような体制を私どもぜひお世話をしたいというふうに考えております。
  114. 松永忠二

    松永忠二君 私の聞いたのは、その教育研究組織によって別個のものをつくっていくということが悪いということはないはずだが、それが教育研究が分離してなきゃだめなのか、一体じゃだめなのか一この点はどうなのかということが一つ。  執行機関を強化するとか、そういう能率化するということはいいけれども、それはまずその大学が学内でやったらいい。まず学生とか、助手とかそういう職員とか、そういうものをどういうふうに大学組織の中で入れ込みたい。あるいはまた、まずその外部の意見もけっこうだけれども、同じ大学があるわけだから、大学同士の間でまず意見を聞き合ったりなんかするということをやったらいい。そして外部の意見というのは、参与会のような形でなく、補佐のようなものでやっていきたいと、それでそういうことをやっていく場合には、いやそれはだめなんだと、やっぱり法律的にちゃんとした参与会とか副学長というものでなきゃだめだというのか、それは自主的なものだから、そういうことは認めていくというのか、そこを聞いているんです。あまり余分なことでなしに、そのことずばりを聞いているわけです。どうですか。
  115. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 新しい組織教育研究のシステムについて分離だけが認められると、こういうことではございません。むしろ今日の教育研究の有機的なあり方ということを考えますから、たとえば独立の研究所という固まったものを組織しないほうがいいであろうというような考え方もあるわけでございます。研究機構というものも弾力的に運営して、教育機構ともう少し密接に協力し合えるような、そういうことも必要かと考えておる次第でございます。  また、他の部外者の意見を聞く場合に、他の大学意見を聞くべきではないかと、私もそのように考えます。そのことを断わるものは何もございません。筑波でありますならば、その地域にあります研究機関その他との協力提携、これらは十分考えていかなければならぬことでございますし、また、他の大学との協力提携ということもあり得るわけでございます。今日すでに予算におきましても、たとえば、教育学部の関係者が学生教育実習のために地域の関係者等の意見を聞き、協力をする組織を必要と皆さんが考えておられますので、そういうことが実現できるような予算措置はお世話をさしていただいております。でございますから、大学が地域社会の大学としていい仕事をされますために、こういうことをやりたいという御構想に対しましてはできるだけのお世話をするようにいたしたいと、こう考えております。
  116. 松永忠二

    松永忠二君 そうすると、教育研究学部面の組織をつくっていった場合でも、必ずしも研究教育を分離するということに拘束をされているわけではないし、また、参与会と副学長というのを法的にどうこうするということはなければできないというわけじゃないし、部内的なことでやっていけばそれはそれとして認めていく。こういうものに拘束されているんじゃないということだと思うんで、まあそこの辺は……。ところが現実はできないようになっているんでしょう。たとえば大学の自主的改革というのは行政的、制度的、財政的ワクがあって実際には不可能になっているんでしょう。たとえば国立学校設置法の中で名称と学部がきめられていて、国立大学の学科及び課程並びに講座及び学科目に関する省令で学科、課程、講座がきめられているでしょう。たとえば東京教育大学では、さっき言うとおり教育学部と心理学科と特殊教育学科と芸術学科と分けている。教育学科には教育哲学、教育制度、人文科学等十二の講座がちゃんと書いてある。だからこれを直すにはみんなこっちを直してもらわなきゃ直らないんですよ、実際は。それから定員についてだって、行政機関の職員の定員に関する法律があって、総定員法できまっちゃって、政令で文部省に割り当てるいわゆる国立学校分の区分ワクがあって、文部省の定員規則で文部省内のワクが、割りつけがきめられ、文部省の定員細則で国立学校の内訳がきめられている。文部大臣裁定で、たとえば東京教育大学の定員が具体的にきめられる。文部次官通知で東京大学の定員区分、教授、助教授、助手、事務職員、技能、技官等の数がきめられる。学生の定員は講座の増設等の関連においてきめられる。だから実際にはできるできるとおっしゃっているけれども、実際にはできないですよ、こういうものをみんな変えてくれなければ。現にそれをやろうとしたけれども、だめだったのです。たとえば実際に国内留学を計画して、東京大学と東京工業大学がそれをやろうとしたところが、お互いの教官は、全部非常勤講師で発令しなければだめだと、学生経費の配分も必要だと言って、結局だめだということになってしまった。実行できないということになってしまった。できるできるとあんたらおっしゃっている。改革は自主的にやりなさい。大臣のごときは、そういう動きが不活発じゃありませんかと、こう言っておる。そんなことをやってきたって、こういうものを変えてくれなければだめなんですよ。中でやりたいと言ってもできないのですよ。たとえば講座を研究の必要上新たな分野に変更する、学問のあれに応じて講座を新たな分野に変更するときに文部省に報告さえすればいいのかというと、そうはいかぬですよ。これみな直してもらわなければできないのですよ。講座を教員定員予算の積算の基礎として、予算定員を学部全体として学科、教室で適宜案分していく。配分をしてしまう。実態に即してですね。先生に、教官の定員を配分する、そんなことできませんよ。だからたとえば定員の職種間の流用もできない。教授、助教授、助手なんてそういうものは流用はできない。ちゃんと大学が自由にすることはできない。それで、だから研究の面で教授上助教授のほぼ等質化ということもできない。だから講座に属しない教授や助教授を若干名置きたいなあと言ったって、そんなことはできない。講座相互間の交流、批判、適切の大きさへの研究室の編成なんということも、これもできないでしょう。おやんなさい、おやんなさいと言ったって、そういう面から制度的に財政的にちゃんとワクがきまっていて、講座の名前までちゃんときまってしまっているのでしょう、これは。ここを直してくれなければ、いや、これを直して、こういうように実態に即するようにやりたいと言っても、これは認めないですよ、そんなこと。現に大学の間だけであんた交換できると言われたって、そんなことやろうと思ったら、みんな非常勤講師に発令をして、いわゆる学生経費をあれしなければだめだという話になって、そんなことはできないということになってやめてしまった。だからそんなこと言っても、制度的にこういうワクがある。だからしたがってこういうものは、そういう要望があれば変えるし、ある程度大きくこれを幅が自由にできるように講師というものを変えていくという考え方が大臣あるんですか。そういうことは変えられるということになってくれば、それに触れたような改革の案を持ってきて相談もすることもできるでしょう。しかし、予算的に財政的にも、制度的にもちゃんとワクをきめておいて、やれやれやれと言ったって何にもそんなものはできやしないし、やろうと言ってもすぐにやれない関係があるからと言うから、そういうところを自由にして、講座の開閉なんかは報告程度にとどめるとか、定員はワク内で流用できるとか、あるいは一つのワクできめてないとかいうようなことをやらなければ、あなたが言った実態に即して行なわれないようにしてあるんですよ。だれがしたかと言えば、文部省がしているんですよ。やりたいと思って手をつけりゃ、すぐ学生の者の参加をはかる、適当だと思って参加をすれば、だめでしょう。助手を学長のリコールに入れようと思ったって、そんなことしちゃだめでしょう。そんなことをきめて持ってきたのは、学長が認めないんですから、文部大臣。そうしていて、どうもあなた方は不勉強でだめだと、やる意欲ないじゃないか、まあ東京教育大学はまことにどうもけっこうな話でございますと言ったって、そんなこと言ったって、これは大学先生から言えば、そんなことは通用しないということを言うんですよ。だから、大臣はいままで、きょう私の質問に答えた趣旨から言うなら、そういうものについてはもう最大限に検討をし、ワクをゆるめ、自主的なものができれば十分にそういうものについては自由にいたしましょうと、こういう話ならまだわかるんですよ。その辺ひとつまず大臣の意見を聞かしてください。
  117. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 先ほど京都大学東京大学でいろんな改革の構想が練られておったことについてお話がございました。私は、そういうものが大学でまとめられて、文部省でぜひその実現に協力をしろと言われれば喜んで協力をすると、その段階に至っていないことをたいへん残念に思っていると、こういうふうに申し上げているわけでございます。  なお、個々の問題につきましてもでき得る限り弾力的に扱っていくこと、私も大切なことだと思います。現在各大学につきましては、学部、学科、講座——それぞれの講座も文部省令で書いておるわけでございますし、予算要求の際には、新しい講座をふやすごとにその予算の要求を文部省は一々大蔵省にしているわけであります。したがいまして、講座を改正します場合にも、省令を改正し、また、予算要求のあり方を変えるということになるわけでございますが、筑波大学の場合には学系組織をとる、二十六学系は書きますけれども、内部については一切大学にまかせるという方式をとらしていただくことにしているわけでございます。そういうように、私もできる限り大学の弾力的な運営にまかせられるような仕組みに改められていくということが必要じゃなかろうかと、かように考えておるわけでございまして、そういう考え方で今後も大学の要求に接していきたい、かように思います。
  118. 松永忠二

    松永忠二君 ちょっとその前に。  そうすると、文部大臣、あれですか、要するに学部自治であったから、学部だからこういうふうなものをきめてきちっとしておいたと、したがって、学部以外の教育研究組織というものが出てくれば、当然そういうようなワクは、筑波のようにいろいろになるわけだから、それはもうそれなりに自由にできるように幅を変えていかなきゃできないと、こういう考え方ですか。
  119. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 現状のままですと、そういうことになるんじゃなかろうかと、こう思います。同時にまた、なお、今後いい改革が出てきまして、弾力的な運営ができるなら、積極的にそういう問題については取り組んでいきたいと思います。
  120. 木田宏

    政府委員(木田宏君) ちょっと補足をさしていただきます。  先ほど単位の互換等につきまして、東大と東工大で単位の互換等を行ないたいという場合に、非常勤講師の発令を全員についてしなきゃならないからできないというような御指摘がございました。確かにかつてそういう不便を言われたことがございます。そこで、これは四十七年からでございますが、大学設置基準に三十一条の二という新たな条項を加えまして、そうした教官の非常勤発令等をしないでも、「大学は、教育上有益と認めるときは、学生が他の大学の授業科目を履修することを認めることができる。」という規定を入れさしていただきました。また、外国に留学をいたしましてもそれが休学でなくてよろしい、また在学年数に通算してもかまわない、こういう弾力的な規定も学校教育法の施行規則に加えさしていただきました。できるだけ御指摘がありましたように、弾力的に運営できるように考えてまいりたいというふうに思うわけでございます。ただ、国立大学は国の予算によっていろいろと定員あるいはその他の経費をお世話いただくわけでございます。でございますから、国会に文部省がまとめて御検討をいただきますように、これは政府部内での取りまとめの上で、御審議をいただくという経過があります関係上、大学でかってに定員をふやすとか、あるいはかってに予算をふやすというわけにまいらないことは、もう申し上げるまでもございません。ただその場合に、大学におきます取り扱いのワクをできるだけ大きな単位でワク取りをすることによって内部の操作が弾力化するようにと、こういう考え方は今後大学改革を進めるためにとっていきたいというふうに思うのでございます。したがいまして、先ほど大臣も御説明申し上げましたとおり、現在は講座ごとに省令で書いてございますけれども、今後学系を書きまして、学系を省令できめましたほか、その学系の中の人員の割り振りは考えるといたしましても、個々の一人一人の単位科目を詳細に規制していく、こういうことはできるだけゆるめたほうがよろしいんではないか、こういうふうに考えておる次第でございます。
  121. 松永忠二

    松永忠二君 局長の言うように、いまあるものはこういうふうに弾力的にやったというような説明はだめですよ。そういうことが自由にできれば、何もいまみんなやってきたんだが、それはそれだけじゃだめなんです。それは言うとおり、学部というものがある以上そうだといえば、そのとおりなんです。したがって、いま学部以外の教育研究の措置と考えてきた場合には、言うとおり講座の改編であるとか、全体の定員というものは、それは予算の問題だからきまっているが、その配置のしかたであるとか、そういうものを、つまり教育研究の内部におけるいわゆるいま省令やあるいは法律できまっているような問題についても弾力性を持って今後改めていくと、こういうことによってそういうものが自由にできるようにやっていくということでの意思で大臣間違いないですかな。局長間違いないですか。その点ちょっと。
  122. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 文部省は、予算にいたしましても、あるいは定員にいたしましても、大学単位を中心にいたしましてものを考えていきたい、そして、大学内におきますいろいろな操作につきましては、学内でのくふうの余地が広がっていくように考えていく、こういう態度でおるわけでございます。  ただ、現実の問題といたしますと、私どもの予想以上に、むしろ大学の個々の現場におきまして、この予算につきましても、人員につきましても、非常にかっちりときめなければ関係者の気が済まないという意識がある。これは事実でございます。むしろそういう点につきまして、不確定要素があります場合には、文部省ではっきりきめろというふうな動きが現実にございまして、非常に末端までこまかくこうきちんときまり過ぎているという感じの点はございます。しかし、これらは今後の大学改革のあり方といたしましては、できるだけ大きな単位で弾力的に扱えるという方向を考えていかなければならぬ、このように思っております。
  123. 松永忠二

    松永忠二君 まあ、一つを言っちゃまたそのあとを言うもんだから、基本的な考え方はこうだけどこうだというのでなくて、またどんどんとこういうふうに狭めちまうから、あなたの答弁はまことにだめなんですよ、そういう答弁ではね。だから、学部というものが教育研究組織中心点になり、それによって教授会運営されているという、そういうやり方の中で、こういうふうないわゆる講座とか、そういういろいろな学科とか、そういうものもなかなか自由にできないようになっているんだと、そこの説明を少し−大学先生から言うと、そんなばかなことあるかという説明ありますよ。けども、とにかくその教育学部という中にどういうふうな学科を置き、その中にはどういう講座がなされ、人員でいうと定員の中にどういう配置がなされるかということは、大学で自由に学部側が選んできた場合には、また別個に考えていかなければいけぬのだろうと、また、そういうことを考えていこうという趣旨の説明だと私は思うんですよ。その趣旨は間違いはないでしょうな。どうですか。あまり余分につけ加えなくても……。
  124. 木田宏

    政府委員(木田宏君) いまの御趣旨は間違いございません。現に私どもも、個々の国立大学から学部内の学科の統合、再編成等のお話のありますものは、最大限それを実現すべく予算の上でも取り扱わさせていただいております。それで、現実にまあ長崎大学の水産学部学部の中に四学科ございましたけれども、水産学科一学科にして学内での壁をはずしていきたいという御要請に対しましては、その御要請をそのまま受け入れさしていただいております。そうした類似の学部内の教育研究組織の再編成ということは四十八年度の予算の中にもかなりの数ございました。今後ともそういう方向はつとめてまいります。
  125. 松永忠二

    松永忠二君 わかりました。  大臣に聞きますよ。その趣旨は間違いありませんな。
  126. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 大学当局の考え方を最大限に生かすように努力をしていきたいと思います。
  127. 松永忠二

    松永忠二君 ところが、あなた方はそれを一体どういうふうに努力してやってきたんですか、いままで。大学改革の自主的達成のために文部省はいかなる指導、助言、協力をしてきたんですか、具体的に。それは局長から。
  128. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 先ほどちょっと触れましたけれども、他大学における勉強と考えてもいいといったような弾力化の措置は学校教育法施行規則あるいは大学設置基準等の中ですでにとらしていただきました。そして、教育研究の体制を弾力化していきたい、できるだけ大学内でのごくふうもいただきたいということは、毎年学長会議あるいは関係学部長の会議等に出まして私どもも説明をし、その意のあるところを御理解いただくようにつとめておるところでございます。また研究所研究組織等につきましても一ぺんつくりましたものが固定化してしまうということは決していいことではないと、こうしたものを弾力的に今日の研究に対応できるように改変していくということを呼びかけてまいっております。今後もそうした態度は続けていくつもりでございます。
  129. 松永忠二

    松永忠二君 いわゆるこの筑波の関係のような、そういう自主的達成のためというんでしょうが、たとえば東京工業大学の改革の総合調査費というのをつけてやっていますわね、広島大学の改革総合調査というようなことをやっておる。しかし、それは特定の特定のものについてそういうことはやっているけれども、じゃ大学改革案の提示を一定期間に明らかに提示してもらいたいとか、あるいはそのためにロハでやれと言ったって困りますよ、調査費はちゃんとつけるとかね。やっぱり現在の制度の中でこういう点の制度的改革をやるとか、そういうことはちっともないでしょう。だから大学改革の自主的達成のために一体文部省はどれだけ金を出したのか、それは三つかそこらのところにそういう金を出したって、一般的にそれじゃ大臣が言うとおりに、大学改革を大いにやりなさいと、だからとにかく出してもらいたいというようなそういうことはちっともやらないですよね。あなたたちがやるべきだというだけのことでしょう。大学の改革が非常に不十分だということをわれわれ自身も考えておる。まあ時間もあれですから、大学の自主的改革がどのように進められているのか、外国の国と日本の国とでどういう違いがあるだろうか、外国の大学改革と比較して大学改革の反省をどういうふうに持っているんですか、文部省は。よその国の大学改革というのはずいぶん進んでいるですよ。日本みたいに遅々として進まない状況じゃないんですよ。それはどこに原因があり、どういう反省をあなた方は持っているんですか。
  130. 木田宏

    政府委員(木田宏君) 大学改革は、やはり個々の大学の改革意欲と改革努力というものを尊重してまいらなければならないというふうに考えております。一般的には、一般教育のあり方をどういうふうに改善するかというのが大学を通じての問題点でありまして、それぞれの大学での改革の御論議が進んでおります。また、一般教育以外にもいろんな改革案が進んで、やや最近その改革意欲が停とんしてきたという点を心配をしておるわけでございますが、具体的には、個別の大学の個別の課題として推進していただきますために、その改革の機運の熟しました大学に対して御指摘がございましたように広島大学の総合移転改革調査費あるいは東京工大の新たな研究大学院を中心といたしました改革調査費、これらを個々の大学につけるという措置をやらしていただきました。今後はもっと一般的に大学改革のための機運の熟しましたところに個別に必要な調査費が回っていけるように措置をしてみたいものだというふうに考えております。これは、今後の予算の考え方にもなる次第でございます。  また、外国の大学改革と比べまして実は日本の大学改革の機運、足並みが重いということは私どもも感じておるところでございます。アメリカの大学は、個々の大学がそれぞれ積極的に教育研究の新しいあり方について取り組みを見せております。また、フランスやドイツにつきましては、大学改革のための大学立法を国で通しまして新たな学内の教育研究の体制の再編制が行なわれております。これらはフランスのような国家中心的な国の場合、アメリカのように個々の大学が積極的に行なう場合、いろいろと国情の違いもあることでございますが、日本におきましては文部省の制度として弾力化できる点は一部弾力化をすでに設置基準、学校教育法施行規則等で行なっておりますし、今回もまた大学学部構成につきまして、弾力化できるような改正案を御提案申し上げておる次第でございますが、同時に、やはり個々の大学の改革意欲というものを主体的に尊重していくという態度をもって呼びかけをいたしておるというところでございます。
  131. 松永忠二

    松永忠二君 私は、その大学の改革がなかなか進まない、十分に進まない、その原因の一つは、大学自身の努力の不足にあるということはこれはあたりまえのことだと私は思うんですよ。特に、その中で学部教授会というものがなかなか改革構想への全学的合意が得られないという点があるというようなことは、これはわれわれだってそうだと思うんです。それからまた、文部省自身に熱意が乏しい、自主的改革に対する文部省がそういうものを呼びかけていくという点についての努力が不足している。それと構成上、行政上、財政上の外的条件がきびしい制約がある。学校教育法、あるいは国立大学国立学校設置法、中教審答申、文部省見解、大学設置基準、国立学校設置法の政令、省令、それから財務、こういう点にもいわゆる一定のきびしいワクがある、かってなことはできない。しかも、一定の期間にひとつ大学の案を出してみてくれと、そういうようなことはちっとも言わぬで、いいところ選びをしてそこだけと相談をこそこそやっているという、そういう点について。もう一つは、学生についたって私は学生集団の多様化がなされている、大学への帰属の意識が低下している、大学自身に対するいわゆる学生の熱意なり、そういうものに対してどう一体自分の大学を改革していくかという点についての熱意もやはりそういう点に多様化が行なわれている、決して私はこれ一つだとは言やせぬけれども、一体文部省がいままでどれだけのお金を出して、どれだけ一体自主改革に対して熱意を持って学校に臨んできただろうかということになると、残念ながらかってにおやりなさい、まあ大学のことです、御自分でということでしょう。金だって要るですよ。人だって要るですよ。そんなものは何にもめんどう見てくれなくてできませんよ。この範囲ならば、大体自由にやってみてくれというそういう範囲も示さない。人の言うことを言うだけ。私は大学——文部省や何かを言うからといって文部省だけに責任あるということは言っちゃいないけれどもそういうことがある。そうして出てきた筑波の法律が、大学人たちから反対をされるようなものが出てきたもんだから、さあこんなものを出すような文部省と相談して何ができるだろうかという心配も出てきていることも事実ですよ。あなた方は正しいと思っているかもしれぬけれども、先ほどからいろいろ批判があったんだからね。批判にこたえるように十分なあれがないということになる。そういうことだって、将来の大学改革の上で、筑波の法律がどういう影響があるかということを考えてみれば、何もそんなにあわてふためいてやるということはないでしょう。そういう点もある。外国の大学改革というのは、お話にもあったとおりに大学改革を前提として、大学、高等教育制度に関する学問的研究というのは進む。大学改革の学問的な研究がどんどん進んでいる。そうして組織研究体制が着々整備をされているし、新しい型の実現、科目の廃止と新しい科目を加えるなんということもどんどんやるし、特に学生参加と若手教員発言の拡大ということをどんどんやっているわけです。だからそういう意味で、いまこうした問題について非常に研究もいたしているわけです。日本の国のは漸進的、非常に保守的だと、外国の改革は刷新的でしかも非常に柔軟な方法だというふうに批判を受けているわけなんです。だからもう少しそういう面について私は大学改革があれだけ犠牲を払って大学改革の紛争が起こった以上、これをもう少しやっぱりわれわれにしても解決する責任がある。何か後退、沈滞というようなことじゃしようないのだ、一体大学改革はどう進められていくべきであろうかという問題です。  まあ時間もありませんし、五時には終わりたいと思いますので——私には、こういうふうにわれわれは考えている、あなた方がよく言うとおり、非難するばかり非難して何も案がないじゃないかというようなことをよくおっしゃるけれども、私たちはそういう指摘はしていないつもりですよ。たとえば大学教育研究組織、管理、運営に改革を加えていかなければできないことは私たちは事実だと思うんです。まず、大学の自主的改革の案、新しい大学構想を一定の期間に提示してもらう。そのための費用として調査費とか人員を確保してもらわにゃしようない。大学先生の片手間でやられている。私もいろんなものを読みましたが、ずいぶん努力していますよね。ずいぶんいろんなことをやっている。よく研究をしながらあれだけのものをまとめてきているという私は感心する面が非常にあるんですよ。だからもう進んでもきたのでとにかく改革の案を出してみてもらいたいと、一定の期間を区切ってですね。そのためには、費用と人員もひとつ加えていこうじゃないか。そういうことがまず大事だと思いますね。  その次に、自主的な改革ができたら公開したらいいんじゃないですか、その大学の。で、他大学とか、文部省とか、政党とか、学術団体の批判を受けてできるだけ完全なものにする。私はまず大学改革の方法について一つの……。そうして、その次に、現在の法律、政令、省令、規則の改正をはかる。そうして、財政的な裏づけを確実にしていくということが必要だと、方法としてね。内容として、大学改革関係の内容の中で基本的に忘れてならない問題は、こういう問題じゃないのかと、私は私なりに考えているわけなんです。これは学問、思想の自由を守る、大学自治を確立するということを大原則にして書いてある。そういう角度でそのいわゆる改革というのは内容がそうなきゃならぬ。それには研究教育の自由、管理運営自主性人事権の確立といういわゆる大学自治を拡充するという内容がなきゃできぬ。そうして大幅な財政の自主権を確立するために抜本的な制度を確立することが必要ではないか。そうすることと同時に、研究組織の合理化、管理運営の効率化も尊重されなきゃできないと思うのです。とにかく、そういう原則をまずひとつしっかり立てなきゃならない。第二として、私は、国…公立、私立を含めて大学の格差をなくすという制度的、財政的な改革が内容でなきゃできぬと思うのです。まあ、私たちはこの委員会等でも言をきわめて、入学競争の激化と高校・中学の教育における受験体制を打破すると、いまの教育がどれだけか大学の格差によっていわゆる私たちの国の教育が破壊をされているかということを私たちはしみじみ感じている。大学に格差があって、その大学を選ぶために、そこに高校の受験勉強、中学の……。いまや、小学校から幼稚園にまで及んでいるという事態考えてみたときに、とにかく格差のない大学、国・公・私立を含めて格差のない大学をこしらえていく。で、教育というのは人格を完成するための教育だということをそういう中から確立をしていかなきゃ、私たちはいまや日本の教育は全う憂うべきものだというふうにそういう面から思うのです。そういう面からいえば、私は国・公…私立を含めて大学の格差をなくす、そういう面で、私は教科制大学、学科制大学講座制大学の中にある格差なんというものをどう一体、私立の大学にどれだけの助成をして協力をしてこの格差をなくしていくことができるのか。そうすれば、何も大学を選ぶにそれだけの競争はない。もちろん、私は社会のいわゆる受け入れ方、考え方、親の考え方も直さにゃできぬけども、こういうまあとにかく国・公立、私立を含めて大学格差をなくすという、制度的に財政的になくすという内容大学の改革になきゃできぬ。その次に私は、大学の開放、いわゆるよく言う国民の中の大学、つまり従来のエリートの大学から新しい国民への大学へいかなきゃできぬのじゃないか。大学の進学率が現在二八%で、高等教育懇話会では一九八〇年度に四〇%をこえると言っている。しかし、ここに私たちは高等教育の機会を得ずに同一の年齢層の七〇%の青年が勤労の場にあるということを私たち考えてみなきゃできないのじゃないか。だから大学というのは、やっぱり国民教育の制度の一環としてすべての青年の学習の一体権利をどう保障するのか。また、すべての国民の学習の権利をどう保障するのかということになれば、勤労青少年、それで、またいわゆる生涯教育、成人というものに開かれた大学でなきゃできぬ。こういう面において私たちの国には夜間の独立の大学もない。通信教育やあるいは定時制の教育の問題についてもまた検討をなされなきゃできぬし、もちろん大学の公開講座とか、聴講生とかいろいろな面で、とにかく大学が働いている勤労青少年に開かれ、成人に開かれていく大学内容、それが開かれた大学だと言わなきゃできぬと思うのですよ。私は私なりに三つのそういう内容を持つ。それで、方法だってもあると思うのですよ。なぜ文部省は、われわれは大学にその当時から、本会議やいろいろな機会をつかまえて、なぜ大学の自主的な改革の案を出させないのだ、その自主的な改革のできるような人材、人と、予算とを渡せば、いまの制度にこだわらない、いわゆる自主的な改革案を出してくるだろう。しかし、これも先生だけの意見にしちゃ困るから、それを一般に公開する。いかにばかばかしい大学改革を考えているかという批判だって受けべきだと私は思いますよ。そういうことだって私たち大学先生のおやりになっていることは何もかもいいなんて考えちゃいません。しかし、これだけ日本の教育の上に大きな紛争を起こし、現にいまの教育を破壊をしている大学のあり方について、直さなきゃできないのじゃないか。しかし、それとこの筑波の法律とを比べてみて、ここにやっぱり問題があるということが指摘をされているのじゃないかという感じもいたします。これについてはあなた方と見解を異にするから残念ですけれども、しかし、長い中の大学改革の自主改革の中でこれが悪い影響を与えなければ私はけっこうだと思うけれども、これだけたくさんの人が批判をしているということは、何かしらその大学の改革に汚点とか影響も考えられての発言もなされているのじゃないか。私、自身はそういう考えで言っているんです。だから私は大学改革の方法や内容はある。そういうことをもっとひとつしっかりやってもらって、大学の改革をこの際ひとつ、せっかくの犠牲を払ったことでもあるのでものにしていきたいと思う。ただ、それにしてはあまりに文部省のやり方がいわゆる積極性がないし、熱意にも乏しい、そういう点についてもっと方法や努力もあるのじゃないか。そういうことと一体筑波大学のこの法律とはどういう関係があるだろうかということについても謙虚にやはり反省をするとか、検討する必要があるというように私は思うのです。だからそういう面についてぜひひとつ今後の大学改革を十分やっていただくと一緒に、やっぱり改めるべきものがあり聞くべきものがあるならば、野党意見も聞いてみる必要がある。  私は、いろんな演説会でこういうことを申しました。慎重審議というのはけっこうだ。しかし、何時間質問をすればそれでいいという慎重審議は私は意味がない。そんなら、もう国会が始まったときに多数が法律を出せば全部通っちゃうじゃないか。ただ、時間をかけるだけじゃないか。おまえは十時間質問したじゃないか、野党はこれだけ質問したじゃないか、そういう慎重審議じゃないはずだ。慎重審議というのは、審議を通じて野党の聞くべき意見があるからそれを入れるということがなければ、一体何のための慎重審議だ。  私たちは、そういう意味でつたない質問だけれども努力をして質問をしているわけですよ。何かわれわれの意見でとるべきものがあったら、やはり私は謙虚にこういうような問題について考えるべきだと思うんですよ。だから、与党の皆さんもよく慎重審議と、おまえ何時間質問したじゃないか、これだけ質問したじゃないか、何が文句あるかという話なら、私はそんな慎重審議意味がない。そういうような意味で、この質問をしてきたわけですがね。ぜひ、そういう点についてひとつわれわれの意見も入れてもらいたいことを主張いたします。それと、大学の改革について、あなた方のおやりになっている大学改革とまた違ったわれわれは考え方を持っているということも指摘をしておきたい。  大臣にひとつお考えをお聞きをしてきょうは質問を終わります。
  132. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 大学改革はきわめて多方面にまたがっているというふうに考えておるものでございます。また、いろいろいま松永さんから御提案をいただきました。非常に重要な御提案だと受け取って真剣に検討してまいりたい、かように思っております。同時にまた、大学改革の重要性につきまして、るる熱意のあるお話を伺いましてたいへん勇気づけられたという気持ちも持っておるわけでございます。積極的にいまのお話は重要な御提案と受け取って努力を続けてまいりたい、かように思います。
  133. 永野鎮雄

    委員長永野鎮雄君) 本日の会議はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後五時四分散会