○
松永忠二君 そうすると、実はここで言ったのはうそでしょう。
衆議院の
分科会で言っている国鉄のことはうそですね。まあしかしそれはいいでしょう。とにかくですよ、その念書を入れると言っていること、あなたがおっしゃるようにここは重要なところであり、そういうところであれば、国鉄みずからが、私
たちは好きこのんでそんなところと交換するわけはないんだから、念書を入れておきます、それでやりますということは、万やむを得ない
措置があって重要なものが出てくるということになれば、これは
考えなければできぬし、場所も
考えなければできぬというのはあんたの言うとおりでしょう。事実、認可をした当時に私が建設
大臣だとか国鉄の総裁とかに質問をした。そのときにさっき言うとおりですよ。こう言っていた。都市
計画をきめるのは、都市
計画の高架事業はもう電留線を持っているということは当然のことだけれども、この電留線が伊場だということをきめてやっているわけじゃありません。したがって、この電留線が伊場にできなければ国鉄の高架は不可能だというわけじゃありません。しかし、できるだけここへつくりたい、そういう希望だということならわかりますよ。つくりたいという
気持ちがあることを私は否定はしないけれども、いま言うとおり、最初都市
計画事業として認めたのは電留線の
予算を認めたのであって、場所を認めたわけじゃありませんということは、さっきから言うとおりでしょう。
それからまた事実、国鉄は交換をするにあたって、この問題がはっきりしなければ私
たちは結局ただし書きを入れて交換をしますと言ったのも、ただし書きを入れて交換するということは、万やむを得なければ別に方法を
考えざるを得ないという
考え方があったから、そういうことを言ったわけでしょう。ところが、
指定が解除されたとたんに問題は解決したというふうに
考えて処理をしたという国鉄の私は
考え方は少し軽率だけれども、それほど
指定解除というのはウェートを持っているということなんですよ。強い印象を与えているということなんですよ。そういう指導はしなかったのにかかわらずそうなった。しかも、今度は六、七月にこれを解除しようと、あなた方も聞いているように、同様だと、それじゃ解除すれば国鉄側は、こういう問題をこういうところで
議論をしなければ、まずこれで片づいた、無条件で交換して当然だと
考えているわけなんです。
文化庁の責任者は何と言っているかというと、まだこれは
調査してみなければわからぬ、はっきりしたものはこれからだと、こう言っているのに、六月か九月に解除したら、とたんに国鉄は問題はないと
考えていると、こういうふうになってきているわけなんです。
そこで、一体電留線というのは、いわゆる列車を編成をして、編成したものをためておくところでしょう。そして、つまりそれを駅に持ってきて、それを客車に仕立てる、それからまた駅が非常に混雑するときに、それをそこでためておくというわけでしょう。何も電留線というのは機関区や客貨車区や貨物と
関係あるわけじゃないでしょう。ところが、
国会の中では何と言っているかというと、電留線ばかりでなく、機関区あるいは客貨車区あるいは貨物等、相互に機能的につながる
関係の位置に移らなければならない。何も機関区で電留線をどうしようということはないでしょう。あるいは客貨車区が電留線のそばになければできないということはないでしょう。現に、新幹線の電留線は品川にあって、大阪や東京に持っていけるでしょう。大崎というところには電留線ばかりじゃないですか。何もこの電留線は機関区や客貨車区と
関係があるところじゃないでしょう。不可欠な条件であるというものじゃない。あるいは駅の近くにあったほうが都合がいいという点はある。私
たちもそう思いますよ。しかし、場所がなければ遠いところに電留線を置いて、みんな持ってきている。熱海の新幹線を三島でやっているじゃないですか。それを何も知らぬかのごとく電留線と機関区と客貨車区と貨物は相互に機能的につながる
関係があるなんて、そんなたわいないことはないでしょう。あれば都合がいいということは認めますよ。電留線の長さも三百メートルで線路は直角に曲げるわけにはいきませんと、それはそうでしょうね。そういう点から
考えれば、つまり、この電留線のところにこれだけの問題が出てくれば、それをどう一体尊重しながらやっていこうかということを
考えるのは、この点は総裁そう言っているじゃないですか。高架事業に伊場遺跡の
文化的な保存に対してできるだけ相互協力したいと言っている。だから、一体電留線をここでなければやれないという理由はないでしょう。現にその電留線を離れたところに持っているところもある。また、それじゃ、ここの電留線、これを二段にすれば、それは二倍になって電留線は活用できるでしょう。あるいは浜松の駅のこっちに移すと、この一部にもそういう電留線の
一つの線を設けてそれを段にするということは、これはやっていけば倍になるでしょう。六車線を高架にし、それと引っ込み線の路線を引き、それを含めたここの場所について協定をしない、これから協定をするこれは全然新しいものだというここのところについては、これは保存していくということも不可能じゃないでしょう。こういうことは、国鉄は何にも検討しないんですか、検討したんですか。検討してどこができない理由ですか。私
たちは、さっきからの筋道から、電留線がここでなければならない、不可能だ、これがなければ高架線はできませんと、そういう理屈はない。いまの高架事業は十分これで進めていくことはできる。将来、しかし、もっとふやしたいという
気持ちがあるということだけであって、それだけ問題があり、それだけ問題が起きるなら、かりに百歩譲っても、ここのところについて、平面であるところを高架にするなら、あるいはこっちの一部残ったところもあるわけだから、その一部をも高架に使って電留線にする、そういうことによって問題になる場所については徹底的に
調査をし、評価をし、すでに学者の中にはいまでももう十分だと評価している学者もあるんだから、そういう方法を
考えていく方法もあるんじゃないか。
文化庁は少なくもそういうふうな基本的な態度に立って、何とかしてひとつこの
文部大臣の言ったことを、ほんとうに
大臣がかわっても
大臣の言ったことは実現できるんだ、信用できるんだという、こういう
努力をしてもらわなければ、私
たちは、何のために一体
国会で
大臣に聞くんですか。
大臣がこれだけ言ったことをわれわれは信用してきているんですよ、私としては。私どもは何とかして遺跡を残したい。かりに譲ってこうであるとしても、それならそれを二倍の六車線を十二車線にできるじゃないか、現に大崎でそういうことをやっているじゃないか、段を置いて。金は少しかかるかしれぬけれども、できるじゃないか。そして、問題のある場所をひとつ何とか保存したいという国鉄総裁の言ったことばをそのままに実現をしていく
努力をしなければ、何のために一体国鉄総裁は
予算の総括
委員会でこういう
答弁をしたんですか。そういう
努力は十分やりましたと、ここはこうでしょうというなら聞かせてください。この点についてまず国鉄の
考え方を聞き、そして、
文化庁のほうの
考え方を聞かせてください。