○伊部真君 私は、いまの
価格については、まあ
品目によっていろいろ要素が違うのでありますけれども、しかし、非常にちぐはぐな
感じのものが多いわけです。それは、そういうものだといえばそれまでですけれども、たとえば
価格の基礎は原価計算に置くということでありましても、先ほど大臣が言われたように、へんぴなところへ行ったら、線を引いていけば高くなるわけですからね。だからといって、それを
価格にはね返していくということになりますと、これはもう負担自身ができなくなる。これは国鉄の運賃でも電力でも水道でもみんなそういうことだと思うのであります。ですから、やっぱりそういう
意味では
価格というのには必ずしも原価計算主義は貫けないと思います。いろいろな要素をやっぱり加味していかなければならない。ある程度の加味はされていると思うのでありますけれども、そこへもう一つ今度は資源が非常になくなって、たとえば油のような場合は、もう外国では配給の問題が出てきている。私の聞いているのでは、
国内消費でも、最近ではトラックの油がない、ガソリンスタンドではもう何かチケットで何本以内しか売らないということで、飛び飛びであるスタンドで入れたらその次のスタンドで入れるというようなことで、なかなか満タンにはできないというようなことになってきているわけですね。そういうような状態を見ると、やっぱり資源全体はかなり問題になってきている。たとえば石油の場合でも、もう御
承知のとおりでありましょうけれども、二十年とか三十年とかいう
——前も二十年、三十年と言っていましたけれども、これは鉱脈の新しい発掘によってこうなったということなんでありますけれども、しかし、それはいつまでもそういうことではないと思います。そうなると、電力にしても、油にしても、そういう問題についてやはり取り組まなければならぬという時期にきているのではないか。そうすると、
価格の問題のあり方について、いますぐにこれがどうというんじゃありませんけれども、やはり検討すべき時期に来ているのではないか。大口消費に対していままでのような
考え方でいいのかどうか、そういうふうに思うわけで、この問題については、ぜひひとつこれからも十分な検討の課題にしていただきたい。私は、
価格よりも、もう資源の枯渇問題が重要なる課題に目の前に来ているのではないかというふうに思います。
それからもう一つ、先ほど通産大臣の
お話もあったのでありますが、マージン、
価格の問題です。この問題は、私はどうも流通過程を見て非常にふしぎな
感じがするのは、物流関係というのはたいてい原価計算から積み上がってきているわけですね。わからないのは、流通費の中で商的流通の場合にわからなくなっちまうわけです。物的流通の問題では、計算をすればどの程度の原価になるかということは、他の競争相手がありますから、そういう
意味では出てくるわけです。ところが、商的流通の場合には、取り扱う業者が限定されて、そこのっぽの中で、あるいはそのたらいの中でのマージンですから、どうもわれわれが分析のできない部分が出てくるわけですね。私は前に言ったかもわかりませんが、たとえばリンゴを私は前に見たことがあるのですが、リンゴの生産をする生産者は、国光や紅玉をつくっても、手間やとかあるいはそこへ投ずる肥料なんかを計算すると、デリシャスや陸奥をつくると同じくらいか、もしくは国光のほうが非常に手間が楽だというんですよ。しかし、都会のほうではデリシャスや陸奥がどんどん売れていく。ほんとうはあれよりは国光のほうがうまいというのは生産者が見たらそういうのがわかっておるんだけれども、何で東京の人は味よりもみえを大事にするんだろうかというようなことを私は聞いたことがある。これをずうっとたぐっていったら、そうしたら、
消費者がそういうことを望んでいるのかどうかということになると、疑問があるんですよ。秋葉原なら秋葉原に来たときに、そこの仲買いのマージンというのは全部販売
価格の何%ということで取っておるわけですね。国光が一箱千五百円なら、千五百円のパーセンテージですよ。デリシャスが三千円、四千円になったら、それのパーセンテージだから、これはだれが考えても一箱扱うのにデリシャスを売ったほうが得だということから、ポスターに金をかけて、やはり町でデリシャスのほうがおいしいおいしいという宣伝をするようになるんですよ。そういうところに
消費者の口ですら操作をされるというふうなことがかなり出ていると思うのです。全部が全部とは私は申し上げませんよ。しかし、そういうようなことを考えると、やはり商的流通でのマージンが適当なのかどうか、あるいは、商的流通の機構というものが生産者のところで農協があったり仲買いがあったり、
消費者の場合にまたそういうよう中間の機構があるというな形というものについて考えると、やっぱり個々の
品目について、流通の機構についてのメスと、マージンについても
品目ごと程度の指導基準というものがある。また、
規制まではどうかというのなら、私は指導基準まで明らかにすべきではないかと、それはひいては
品目別にほかの商品の流通過程でもそうです。木材でも、あるいはその他のものでも、昨年よりは十倍も二十倍もマージンを取るというようなことは、その場合に鏡があったら、指導基準というものがあって、たとえば私はしろうとだからわかりませんけれども、前年度の倍、あるいは三倍以上はこれは全く誤りなんだというそのことをあらかじめ
商社の社員もみんなが知っておれば、私はやっぱり
商社の姿勢というのは変わってくると思う。私は、前のときに、
商社の行動基準というのは精神訓話といって申し上げたのは、やはり具体性がないからだと思うのです。上のほうで言っても、下のほうで、下の現場の社員たちが、ほんとうに目安としているものがなければ私は何にもならないと思うのです。そういう
意味で、マージンの問題なり流通機構の問題について、一つ何かの指導基準なり
規制のしかたというものができないものかどうか、
お答えをいただきたいと思います。