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国務大臣(山中
貞則君) これは来年度
予算で大蔵省と最終的に妥結しないと、あまり大きな顔をして言えないことでありますけれども、いろんな事情を分析をいたしまして、募集についてもいろいろ配慮を
予算上も加え、また一ぺん確保されました、入隊いたしました隊員たちの、どこの時期に一番やめるか等の
調査をいたしました。結局、一番大切なことは、特別職といえども、ほかの国家公務員にない二年ないし三年という任期制の公務員になることを承諾して入ってくる諸君に対して何が必要か。これはやはり実
人員の問題になりますと、二年を経過し、ないし三年を経過しても、引き続き次の任期に自分は
自衛官としてみずからの使命を
感じて継続していきたい、こういう諸君にいま少しく報いてやる道を考えなくてはいけないのではないかということで、現在四期目を除いては、継続した場合の特別退職手当を百日分といたしておりますものを、二期目に進みました者については二百日分と改め、三期目については百五十日分に改め、四期分は据え置く。これは大体階級あるいは働き場所等の
関係から、一番必要な二期目に重点を置いたわけでありますが、このような処置を考えて、少しでも
——先ほど私がおおむね一期目でやめていく者が半分、継続する者が半分と申しました。まずこの率を
——少なくとも継続してつとめたいと願う者を二期目に進ませるということが一番まず手近に必要なことではないか。
さらにまた、つとめました後に、生きがいを
感じて、あるいは自分の生涯を
自衛官としてささげてもいいという気持ちになっていきますためには、自分たちのそれぞれの人生において、未来への自分たちは生きがいが、実際上制度としても待遇としても存在するのかという問題にやはりこたえていかなければならぬと思います。優秀な者は試験を受けて幹部への道ももちろん開かれておりますが、しかし、その他の者についても、やはりそれに対して報いる道を考えなければならないと思いますし、それがまたある意味の生きがいでもあろうかと思います。したがって、四十三歳で定年、四十五歳で定年ということも、これまた今日の日本の国民の平均寿命なり、あるいは
一般の退職年次の推移等を見まするときに、あまりにも中途はんぱな年代で
自衛隊をやめていくことになり、子弟の
教育その他についても前途にはなはだ不安を感ずることになるのではないか。したがって、この問題はいろいろの方策を講じ、すなわち曹の
定員をふやすこと、あるいはまた、先般設けられました准尉の制度というものを、これを曹の吹きだまりという
感じの袋小路ではなくして、私の私案として一応大蔵省に要求しておりますが、准尉に進級した後に三年間実務を行なって、これは試験を経ずして、きわめてある部門において優秀であって、したがって、三尉の地位に残り二年を
勤務せしめることが可能であるという者を、来年度から
対象人員の約一〇%程度、八十六名くらいは見られると思っておりますが、そういう者を三尉の位に残り二年の任期をつとめさせるというような手段を講ずること等が、やはり生きがいの問題と、実質上曹の
定員増等によって、これが四十三歳、四十五歳等の定年は実際上は存在しなくなって、希望をするならば五十歳が最低の定年である。これ以上になりますと、また今度は尉官、佐官、また将、そういう立場における定年の問題に波及いたしますので、天井がつかえますから一挙にそこまではいたしておりませんが、これらの措置等を講ずることによって、自分たちのある意味における職場、人生を、一回しかない人生を傾けていい職場という、生きがいというものを感ずることに貢献するならば、これは全力をあげて来年度制度化し、
予算化したいという念願を持っておるわけであります。
予算要求の
内容でありますから、とらぬタヌキの皮算用と言われればそれまででありますが、私らは私なりにそのような努力というものをぜひともこの際やっておかないと、いま御
指摘のありますとおり、いたずらに
国会をお騒がせして
——表現が不穏当なら別の表現にいたしますが、
審議を相当長時間いただいて、しかも過去二年成立もしないで、三年分をまとめてお願いをしておるというような形式等を考えますときに、やはり私たちは今回は成立さしていただくつもりでおりますが、その貴重な御
審議の結果いただいた
定員に対して、私たちは正当な努力を重ねて、それにこたえる充足率あるいは実
人員の配置というものをしなければならないきわめて大きな責任を負うものである、そのように考えている次第であります。