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政府委員(
水野清君) 去る十八日から三十日まで、ただいま
お話のございました先ほどの
ハイジャック事件の
関係国にいろいろ迷惑をかけておりますので、その
謝礼に行って参りました。
参りました順序から申し上げますと、
リビアへ参りました。それからギリシアに参りまして、これは
救援機がそこで待機をして、
向こうの
関係者に迷惑をかけました。二時間ばかり
空港で
向こうの
関係者と会いまして、さらに
シリアに参りました。それから
アラブ諸国連邦、アブダビ、
ドバイに参ったわけでございます。
その
経過を簡単に申し上げますと、
リビアに参りましたら、御
承知のように、
新聞でも報じておりますが、
リビアはいまイスラム教の
文化革命というようなことをやっておる国でありまして、ちょうどエジプトと統合問題が起こっている際で、なかなか
政府要人が忙しかったのでございますが、
革命評議会というのが
内閣の上にありまして、
革命評議会のメンバーと会い、また閣僚五人と会ってまいりました。特にこの際、
日本の
日航機がベンガジの
空港に着きまして、
滑走路をこわしたり――爆破したときに
滑走路を破壊しておりますし、
乗客が
ホテルで宿泊をしたり飲食をしたりいろいろなことをやっております。あるいはそのほかの
報道陣が、
日本の
報道陣だけでも六十人、
外国の
報道陣を含めますと約百人近い
報道陣が行きまして、それが一度に電話をかける、あるいはいろいろな経済的にも
支払いを残したとか、いろいろな問題があるようです。こういう問題について、まず
支払いを、
日本航空ないし、必要ならば
日本政府から完結をしたいという
申し入れをしたわけでありますが、非常に意外だったことは、一切そういう費用は受け取らない、われわれは非常に困っておられたときであるから助けたまでであるということで、再三その話をしたわけでありますが、これは
向こうの
政府は一切受け取らないということで終始をいたしました。
ただ、その際に、
リビアは金がある、御
承知のように
石油収入が非常にある国で、外貨を非常に持っておりますが、金があるんだけれ
ども、
技術的に非常に
国家の
建設に必要なものが多い、また、できるだけ
自分たちは、ヨーロッパのかつての
植民地主義者、と彼らは言っております、これは
アフリカ諸国に
植民地を持っていた国のことをさすんだと思いますが、こういう国に対していろいろなことを頼みたくない、
日本は、その点では
植民地主義ではないから、ひとつ
日本の
技術を利用したいというような話が出てまいりました。ただ、具体的には
あまり案がございませんので、たとえば、突然出てくるのは、海水から
真水を取る
技術をひとつ
リビアでも入れて、
日本の
技術でやりたいとかいうような話が出てまいりましたり、そういうことでございました。
さらに、
シリアにおきましては、御
承知のように、三時間
日航機が滞在しまして、ここでも給油をしたり何かをいたしましたけれ
ども、ここにおきましても、
支払いの問題はあまり
向こう側から
要求が出ない、むしろこちらからぜひ
支払いをしたいという話をしたわけでございますが、最小限のものにしたい、
着陸料というようなものは取る
意思がないということでございました。たまたま
日本と
シリアとの間は三千万ドルの
円借款をいたしまして、いま
ユーフラテスダムの
建設並びに
かんがい事業の仕事に
日本も参画をしておりますが、むしろその推進を依頼された、さらに
経済協力その他について依頼をされた、こういうことであります。
最後に、
アラブ首長国連邦、御
承知のように、
ドバイが入っておりますが、ここへ参りまして、ここはまあ、
乗客はここで救出されなかったわけでありますが、一部、パーサーとそれから老夫妻があそこで
飛行機から脱出をいたしましたけれ
ども、ここにおきまして、非常に精神的に、あるいは
救出準備のためにいろいろな迷惑をかけましたが、ここにおきましても、なかなか当初は経済的な迷惑については
支払いを取らないということでありましたが、最終的には、ここでは
乗客に差し入れをした
食事代だけは取ろう、こういうふうな全体の傾向であります。
私が驚きましたのは、私
どもは純粋に
日本航空の
事件の
謝礼に行ったわけでありますが、
向こうでは非常にタイミングよく来たということで、
歓迎も受けました。むしろ
謝礼に行ってたいへんな
歓迎を受けて、さらに
経済協力、
首長国連邦もそうでありますが、
経済協力――
経済協力といいましても、金のある国が多いわけでありまして、
石油で金を持っている国でありますので、
技術協力を非常に
要請を受けてまいりました。さらにもう
一つ驚きましたのは、われわれが行ったことが、何か
産油国が非常に多いわけでありまして、いま、けさの
新聞にも、
リビアが
アメリカの
石油会社の
株式を五一%
取得をするというような声明が載っておりますように、いま
産油国の中で
産油国同盟がありましたり、いろいろその中の調整の問題、あるいは先ほど
アメリカで
石油資源についてのいわゆる
エネルギー教書が出た直後でありまして、
日本政府は――これは私
どもはそういう
意思はなかったのでありますが、エネルギー問題について、
ハイジャックの
謝礼ということで切り込みをかけてきた、こういうふうに英、米、仏、
西ドイツあたりの出先の
公館から受け取られていたことであります。私
どもは、全くそういう話は私はしてまいりませんでしたけれ
ども、
現実にはそういうふうにどうも諸
外国では観測をしておったようであります。
現実に行ってみますと、
首長国連邦あたりでは、
日本の
関係者がイギリスのB・P、ブリティシュ・ペトロリアムの
株式を最近二十数%も
取得をいたしましたり、あるいは新しい
石油資源の鉱区を買収したりしている、着々とやっている際でありますので、どうも
向こう側としては、それにあわせて親善に来たというふうに受け取られたことはやむを得なかったのではないかと思っております。しかし、そういう
意味でも、私はあわせて
中東諸国に
日本のいい印象を与えてきたというふうに思っております。
さらに、現地へ行きまして痛感をいたしましたのは、
日本のほうの
大使館が、
外交機関の
整備が非常におくれていることでありまして、
大使館というのがありましても、実際には
大使以下三、四名の
大使館でございます。あるいは
通信施設も、テレックスもないというような
大使館がほとんどでありまして、非常に気象の悪い、
気温が非常に高いところでありまして、最高四十七度、表で日中はひどいときは五十度をこえるというような
気温の中で、非常に
公館員は苦労をしておりますが、それ以上に
大使館の設備あるいは人員、あるいは
兼任国が多くて、実際には
大使館を置いてないというような国があったわけであります。こういうものについて、早急に
整備をしていかなければいけないということを痛感して帰ってまいりました。
以上でございます。