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国務大臣(
中曽根康弘君) 油の問題は非常に重要な問題であると私考えました。そのほかに、イランそのほか三カ国については、日本との
関係がどうもこすっぱくなっておったのであります。イランにつきましては貿易協定が一年近く経過してもまだ延期されないで空白のまま流れておりましたし、それからパーレビ国王がおいでになりまして、自来日本からもいろいろ行きましたけれども、どうも民間の財界人だけが行って話しした程度では、向こうはほんとうに日本がやる気かどうか疑っているという要素がございました。クウェートにつきましては、クウェートの外務
大臣が日本に来たときにちょっとしたそごがあったようで失礼をしたというので、非常に不愉快に思っておる点があったようでございます。サウジアラビアについては、王さまが万博においでになりましたが、その際にも国情の相違から、こちらは十分御接待申し上げたつもりだけれども、必ずしも先方から見れば愉快なことではなかったことがあるやに聞いております。たとえばイザヤ・ベンダサンの話を聞かされて非常に先方は不愉快に思ったというようなことも、うそかほんとか知りませんが、向こうはユダヤ人がきらいでありますから、そういうようなこともあったといううわさ聞いておりますし、経済
技術協定がなかなか調印されないでむずかしい状態にあったわけでございます。それからアブダビにつきましては、BPの株を日本が譲り受けたわけですけれども、これはイギリスのBP側から、BPがアブダビ
政府との
関係を
処理することは黙っていて、黙って受ければいいと、そういうことで黙って受けたら、先方はまるでたな子が大家に黙ってかってにものを処分できるのかと、なぜアブダビ
政府に断わらぬのかということで、非常に不愉快に思っているということがありましたし、ジャパンラインが直接
政府が売り払う原油を購入するについて、
通産省が値が高いとか言ってブレーキをかけたというようなうわさも先方にあって、先方の石油
大臣やその他は、アブダビ
政府が日本に非常に好意を持ってこうやったことについて、なぜそういう態度をとるかというような誤解あるいは不信があったわけでございます。そういうものをこの際一掃する必要があるというので、私が行ったわけでございます。
たまたま先方の国々はなかなかむずかしい情勢でもあったので、あすこのサウジアラビアやクウェートやそれからベイルートの日本の大使からも、ぜひ通産
大臣か担当
大臣がこの地帯へ来て
関係国を回ってくれという非常に強い共同の要望書が提出されました。それを受けて、外務
大臣と相談して、外務
大臣もぜひ大事なときだから行ってくれと言うので、行ったわけです。先方の国々は、もう金は、ずいぶんあるわけです、油代金が。だから、金の問題じゃないと、将来油が二、三十年でなくなっちまったときにどうして民族を食わしていくかということが問題なんだと。いまのうちにその金で工業施設をつくって、油が切れたときでもその工業施設で民族を食べていけるようにさしといておきたい。それに協力してくれる国に利権を与える、あるいは
政府の油を売ってやる、そういう方針にはっきりきまっておると。そこで、日本はそういう点については全面的に御協力いたしますと、したがって日本にぜひ油を売ってくださいと、そういう話も率直にいたしました。それから工業建設等につきましても、各国で具体的な話をみんなしてまいりました。そういう過程で、日本に対する独得の期待があるように思いました。これは、ヨーロッパの国々がいわゆるシオニズムの運動で汚染されているというふうに回教の国は考えておるようです。日本にはユダヤ人はおらぬわけでありますから、そういう点では日本はフリーハンドを持っておる。そういう点も、アラビアの国々が日本に協力を求めやすい、民衆に対して日本に依頼しやすいポジションに日本もあったわけであります。そういう情勢のもとに参りまして、そして
経済協力を誠実にやるということ、それから油もぜひ日本に直接売っていただきたいという話、それからいろんな懸案の
技術協定や経済協定も調印いたしましょうと、それも二カ所において話をして、糸口をつけてまいりました。イランのほうは、すでにそれができたところであります。そういうようなことと同時に、閣僚会議を開いて随時経済建設等について担当者で話し合いしましようと、民間だけのレベルに話をつけておいたのではいけないというので、通産
大臣と向こうの石油
大臣との定期会議をやろう、そういうことで話をしてまいったわけです。
行って非常に感じたのは、ものすごい攻勢を西欧の国があの地帯にしているということです。アメリカは、コナリー財務長官が去年の十二月、ことしの二月、特別機を飛ばして王さまに会いに行っております。それからフルブライト上院議員とかケネディ上院議員とかジャクソン議員とか、あるいはアメリカはホワイトハウスで石油
大臣を招待しておるという話を聞いておりまして、それは一つはあすこのサウジアラビアの首府の南に第二鉱区の利権の入札がありまして、日本とアメリカがいま最後にせっているところでもあります。そういうわけで、サウジアラビアはアラムコの大きな利権地帯であって、アメリカとしてはアメリカの手に確保しておきたいのでしょう。しかし、日本もあそこの利権が入って油田が当たれば三千万トンから五千万トンの油が期待できるという見込みもあるわけですから、この機会にどうしても日本の手に入れたいという気持ちもあったわけです。向こうはそういうふうに石油
大臣をホワイトハウスが呼ぶぐらいに協力しておる、あるいは最近見ましても、軍事援助をかなりやる気配がある、ファントム戦闘機をサウジアラビアに売ったりしている、あるいはクウェートに売っておる。われわれにはそういう手段はありませんし、それがいいとは思いません。したがって、
経済協力を誠実にやるということで一生懸命いって、私らの考えでは、日本が自主開発でほかの国の世話にならずに直接その国と取引できる油の量を三割までふやしたいと思っておるわけです。それがまたメージャーを牽制し得るネゴシエーションの非常な道具に次に生きてくるからでもあります。アメリカやあるいはメージャーの一部には、日本はアメリカの油のかさに入っていりゃそれで安全じゃありませんかと、そういう考えもあるかもしれませんが、やはり日本の独立性ということを考えてみると、じわじわ自主原油をふやしていくというのがわれわれの長期的な目標であるだろうと思っております。
それで私が行きました方々じゅうで聞かれたのは、いわゆる消費国同盟に日本は入るかという質問でありました。私は、消費国同盟という話は聞いていない、内容もどういうものであるかわかりません。しかし、同盟というのだから、何かあるものに対抗する連合組織のように思うが、そういう挑発的な、対抗的な対決を意味するようなものであるならばわれわれはそういうものに入らない、われわれは協調と話し合いを中心にものをやっていこうというのであって、もしそういう言われるごときものであるならば、われわれは入らない、そういうことを言いましたら非常に喜びました。これは最大の消費国、輸入国である日本が、そういう考えを持って産油国と消費国の間の融和と話し合いを基本に考えておるならば、これは非常にいい融和剤になるというような考えがあったんではないかと思います。
それからもう一つはキッシンジャー博士が言う大西洋同盟に日本が入るか、こういう質問でありました。私は、その話を聞いていない、また、どういう内容かわからぬ、と。しかし、日本はアジアにおる国で、太平洋に面している国で、これが大西洋の同盟に入るということは妙な話じゃありませんか——私はそれはイランのホベイダという首相に聞かれたんですが、そのときに、日本はアジアの東にあって王制の国です、あなた方はアジアの西にあって同じく王制の国で、ともに古い伝統を持っておる国家です、この二つの国が東と西で手をつないで
経済協力をし、お互いに繁栄して、アジアの安定、世界の平和のために貢献するということは非常に欣快なことであると思います、そういう返事をしたら、ホベイダさんは、これまた私らが考えると思いがけないぐらいほっとした喜びの表情をしました。イランあたりでも、西欧の国がかなりあそこへ伸びてきておるので、いろんな感情があるようです。日本が、われわれが考えている以上に一種の期待を持って見られているということも察知したわけであります。消費国同盟については、ピーターソンがアメリカから二月に来たときにも、そういう構想がもしあるとすれば適当でない、対決方式は日本はとらない、そういうことを言っておいたのです。そのかわり、日本とアメリカの間で
資源、
エネルギーについて専門家の話し合いをやらせようではないか、随時協議をやろうじゃないか、そういうことを言いました。ある国へ行きましたら、石油
大臣が同じように消費国同盟の話を私に聞きましたから、同じように答えて、私らは産油国と消費国が協調する組織を考えていきたいんだ、そんなものがありますか、何かアイデアがあったら教えてくれと向こうの人が言いますから、そういうアイデアこそ産油国の皆さんに出していただいて、われわれはそれを
検討して一緒に協調する道をつくりたいのだ、一体あなたはどういうことをお考えですかと石油
大臣に聞いたら、国連の下部
機構として
資源や
エネルギー問題を世界の国が集まって討議するということは一つのアイデアだと思いますと、こういうことを言いました。私は、いまOECDがあるのだと、OECDのワク内で、その石油委員会でわれわれは相互融通とか、あるいは
技術的開発とかという問題を討議すればいいので、それ以上対決的な消費国同盟という考えは私はいまのところないと、そういうことも言っておいたのであります。これが私が考えておるすべてであります。
いままで日本の石油
政策というのは、戦争に負けてマッカーサーの指令で太平洋岸の製油所の再開を許されて、外資が入ってきて、民族系を育成して、しょせん日本列島の沿岸地帯における製油所
政策にすぎなかったのであります。いまやガルフの沿岸からシベリアの大陸に至るまで油を獲得するということも入れた石油
政策に
転換してこなければならぬ時代に入った、そういう意味において、石油業法の改革まで含めた石油
行政というものを私は考えたいと思います。で、産地はいまガスをみんな燃して流しているわけです。このガスを使って肥料
会社をつくりたい、あるいは製鉄所をつくりたい、さまざまな要望がございますけれども、国々によって合理的な
計画には日本も積極的に参加して
国際協調を旨としたそういう体系をつくり上げていきたい。したがいまして、アラビアあるいはイラン等においても、ヘトロールケミカルの
工場を日本は積極的に協力してつくっていくことになると思いますが、そうなりますと日本の製油所の製品との競合が出てまいります。そこで産地の製油所、あるいはペトロールケミカル施設、あるいはインドネシアや韓国等における中間製油所あるいは本土における製油所、いろいろ段階ができてきます。これはコンピューターでどの成分をどのくらい、どの製油所からつくって、過不足ないようにしなければいけないから、重い油から軽い油までさまざまなものができてきますし、石油製品についてもさまざまなものができますから、一つのものが過剰にできたら非常に困るわけです、世界じゅうが。でありますから、その辺のディストリビューションまで考えた、コンピューターシステムまで活用した、産地から中間地から日本の内部における石油精製までを含めた包括的な
政策をこれから考えていかなければならぬ、そういうふうに考えているところでございます。