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神沢浄君 そこで、今度は、この
委員会におけるところの審議の経過ですけれ
ども、これも歴史的に言うと、さっき申し上げたように、
昭和三十六年の九月の十一日に、
内閣委員会において、当時の、いまはなき人ですけれ
ども、山本伊三郎
委員からかなり詳細な点に及んでの審議が行なわれております。それを皮切りにして、今日までそれこそ数回、あるいは十数回になるかもしれませんけれ
ども、この入り会い権の問題につきましては審議が繰り返されてきておるところであります。近くは昨年の、四十七年の四月の二十五日に、当
委員会において
足鹿覺委員からの
質問に対しまして、島田
施設庁長官が
答弁をいたしております。参考までに申し上げますと、こう言っておるわけであります。島田豊
施設庁長官の
答弁は、「私
どもとしましては、実際上の措置といたしまして、
国有地、これは旧陸軍が買収した土地もございますし、調達庁が買収した土地もございますけれ
ども、この土地に従来から入り会いの慣行があった。その旧陸軍におきましても、
演習場を使用することにつきまして、特に
演習場使用に支障のない限りにおいては入り会いを認めておったわけでございまして、ただ、
演習に特に支障がある場合におきましては、その入り会いの実施をこれを排除しておったということがございますけれ
ども、それに支障のない限りにおいては入り会いを認めておったという慣行がございます。したがいまして、われわれといたしましては、この慣行はあくまで尊重していきたい。したがいまして、今日におきましても、
演習の実施に伴いまして入り会いの阻害がある分につきましては、これに対しましては
補償をしてまいったわけでございますし、」以下云々と、こういうような
答弁がされているわけであります。あわせて、同じ
委員会の中でもって、これは私が
質問をいたしておるわけでありますが、私がこういうふうに
質問をしております。「入り会い権問題、国側の入り会い権を認めないという根拠は、これはもう私が午前中からの
論議を通じて認識するところでは、大正四年の大審院判例のみを根拠にしておるというふうに受け取れますけれ
ども、それでよろしゅうございますか。」と、こう聞いておるわけであります。これにも島田
施設庁長官が答えておりまして、「この件につきましては、今朝法務省のほうからも御
答弁がございましたように、大正四年の大審院判決もございまして、その後これをくつがえすだけの新しい判例が出てきておらない。したがいまして、この考え方はその後も継続的に国としては持っておる、こういうことでございまして、私
どもの
国有地の入り会い権の問題につきましては、けさも申し上げましたように、大審院の判決を根拠にしておるわけでございます。」と、こう
答弁をされているわけであります。このようなやりとりはその後もしばしば行なわれているのでございまして、それに対して
足鹿覺委員からの要求もありまして、
政府の統一見解なるものを出されました。その公式統一見解に対して、当
委員会では四月には現地の
調査な
ども行ないましたが、十月段階においては参考人を、これは大学の教授三名だったと思いますけれ
ども、招致をいたしまして、その陳述も聞いております。そのような十分な審議を経過をいたしまして、その上に立って、
足鹿覺委員が十月十七日の
委員会の中でもって突き詰めた
論議をいたした末、たしか
後藤田副
長官だったと思いますけれ
ども、目下におきましては、とにかく大審院の大正四年判決というものがあって、これが司法の最高意思である。したがって、その司法の最高意思に行
政府としては従わざるを得ないと思いますと。それじゃ最高意思が変わったらどうかと言った際に、変わったらそれには当然従わざるを得ないと思いますと。この旨の応答がされているわけであります。
長官、いまや司法の最高意思は変わりました。去る三月の十三日に青森判決に対する最高裁の判示ははっきり出ました。
国有地におけるところの入り会い権は確認されたわけであります。
こうなりますと、私は、忍草のその入り会い権というのは、さっき
長官に認めていただきました
政府からの、幾たびか確認をしてまいりましたところのその入り会い慣行と、将来にわたって
補償するというところのこの
政府の確認、さらに当
委員会においての審議の経過の上から積み重ねられて、最終的には司法の意思が変わればそれに当然従うというこういう経過の積み上げからしますと、いまや忍草の入り会い権というものは自動的に確定をするものというふうに私は判断をいたしますが、その点をひとつ
お尋ねをしたいと思います。